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2015年1月

2015年1月31日 (土)

東京と生活だけ?・・・

 イスラム国に拘束されている人質とヨルダンで収監されている死刑囚との交換の話はかなり行き詰まっているらしい。二人の人質のうち一人は殺害されたようだが、イスラム国側は、2人の命と引き換えに2億ドルという要求を引っ込めて、後藤さんとイスラム国の重要人物である女の死刑囚との交換を持ち出したのは数日前のこと。

当初は72時間という期限を切っての脅迫だったが、イスラム国にとって、この死刑囚を取り戻すことが最重要課題らしく、再三、要求を突きつけているのはマスコミが大きく報道しているので今更述べるまでもない。

政府のオタオタぶりがよく分かる。イスラム国からの要求をそのまま真に受け、後藤さんと引き換えに死刑囚の解放をヨルダン政府に求めているらしいが、あまりにも虫が良過ぎる。ヨルダンにとっては後藤さんよりもイスラム国に拘束されている飛行士の解放が最も重要だろうことは私でも理解できること。飛行士が生きているという証がない限り解放できるはずがない。

それでも、『緊密な連携』というわけの分からない言葉でヨルダン政府に圧力をかけているようだが、万が一、ヨルダン政府が、飛行士抜きでイスラム国の要求を受け入れ、死刑囚解放の見返りに後藤さん解放に成功したとしてもヨルダン国民は納得しないだろう。

むしろ、その時点で飛行士の生死すら不透明だとなると、圧力をかけ続けた日本に深い恨みを抱くことは間違いない。それどころか暴動が起きて、ヨルダン国家そのものが崩壊する恐れもありそうだ。

そんな冒険をヨルダン政府がするとはとても思えない。イスラム国としては、ここ数日の世界の動きを見て、後藤さんという人質が重要なカ-ドであることを再認識しただろうから、簡単に殺害しないで、執拗に死刑囚との交換を要求するだろう。そこには、飛行士の影を出したくても出せない(すでに殺害)事情もあるような気もするが・・・。

この問題が、今後どのような展開になるのかは、私のような世間知らずの年寄りには全く分からないか、元を正せば、アホベ首相が二人の日本人が人質にとられていることを知っていながら、のこのことイスラム国と紛争が続いている中東諸国を出かけ、こともあろうに『イスラム国対策に・・・』と2万ドルという大金をばらまいたことにあることは衆目の一致するところ。

その意味で、全ての責任はアホベ首相にあることは間違いないのだが、本人はもとより内閣(取り巻き連)は責任問題には一切ダンマリ。関係諸国と『緊密な連携』をとり解放のために全力を上げるという一点張り。『緊密な連携』というだけで、我が国が取れる具体策は限りなくゼロに近い。

本来なら、野党は責任を追求しなければならないのだが、この国の野党はお人好しの集団らしく、『政争の具にするのかと国民から批判される』とか『人命を軽視していると受け止められる』など、はじめから腰が引けているのだから情けない。

唯一、生活の党だけがはっきりと批判しているが、現政権にとってはゴミのような集団だろうから痛くも痒くもないどころか、メディアが寄ってたかって、この批判をつぶそうとしているのだからアホベ一家は笑いが止まらない。ますます言いたい放題やりたい放題の傲岸な態度が大きくなるだけ・・・。

昨年末の衆院選で、他の野党がだらしないだけの理由で躍進した共産党は、率先して政府の無責任さを追求しなければならないところなのに、一人の女性議員がネットで政権批判をしたことに、委員長が激怒し取り消させたというのは、バカバカし過ぎる笑えない笑い話。これは共産党に投票した有権者を裏切ること以外何ものでもなく、次の選挙ではもとの木阿弥に戻るのではないだろうか。

大マスコミもアホベ政権を擁護して、批判を一切封じているのも実に変な話である。あまりにもだらしない野党と大マスコミに幻滅しているのだが、唯一、東京新聞が、昨日の朝刊の『特報』でこの問題を取り上げていたことにホッとする。

『有事の政権批判派ご法度なのか』という見出しで、イスラム国による日本人人質事件と、日本の言論のあり方について問題を提起している。

この見出しだけで、論点は想像がつくだろうが、チェック機能が失われることに懸念を示し、人質対応や中東政策には『臆せず議論を・・・』と、メディアとしての誇りと役割を堂々と述べていることに敬意を表する。

同じ日、知事選で民意は辺野古への基地建設反対にもかかわらず、現政権はそれを頭から無視し、海底検査と称する工事をどんどん進めていることについても、社説で『辺野古海底調査 検証を待ち作業止めよ』とばっさり切り捨てている。

 他のメディアは東京新聞の反骨姿勢を見習ってほしいと願っているが・・・。(田舎親父)

2015年1月30日 (金)

医療費政策が破綻するわけだ・・・

先日、私の住む横浜の片田舎の役所から『国民健康保険高額医療費支給申請について』というお知らせの葉書が届いた。

診療年月が26年11月とあり、『診療年月分の領収書を全部お持ちください』という注釈がついているので、どうやら、昨年11月に白内障の手術をした時に支払った医療費のことらしい。難解な字句が並ぶが某かの金額が返金になるような文章。あれほど安いのに、さらに返金とは驚くと同時に大丈夫なの・・・と変な気持ちになる。

手術をしたのは11月19日だった。手術を決意したものの『日帰り』には一抹の不安がある。しかし、最近はあたり前らしいので覚悟して当日を迎える。実際、手術そのものは簡単で、ものの15分程度。最後に大きな眼帯を当てられて『正常に終わりました』という言葉で全て終わり。

手術費用として、窓口で1万某かを支払った記憶がある。その時『今月の支払い限度額を超えましたので、明日以降の診療は無料となります』と伝えられたのだが、その意味が全く分からなかったことも思い出す。

確かに、手術後数日間は毎日診療を受けたのだが、全て無料だったが、『これでいいのだろうか・・・』というのが正直な気持ちで、これは今も変わらない。

一昨年の8月に70歳を超えたので、国民健康保険の本人負担額が3割から1割に減額になった。翌年から70歳以上の医療費は2割負担だというからラッキ-には違いないのだろうが、今回の白内障の手術を除いては大した支払いはなく、極めて健康な日常過ごしているので、さほど恩恵に属することはない。

そのことはさておき、11月の領収書を探すが、手術当日の領収書は額が大きかったので保管していたが、それ以前に眼科に支払った百円単位のものは見当たらない。一つだけ、血液検査時の領収書(他の病院)が見つかるが、メモ用紙に使ったらしく裏には赤字の走り書きがあって他人には見せられる代物ではなさそうだ。

繰り返すが、葉書の文面から想像するに、どうやら某かの金額が還付されるらしい。白内障の手術がこんなに安くて良いのと思ったほどなので、還付など考えたこともないが、一体どんな計算になっているのか,こちらは多いに興味がある。

そこで一昨昨日、印鑑など指定された書類をもって役所に出かけたのだが窓口は長蛇の列で、整理券には27人待ちとのこと。こんなにも大勢の人がとびっくりするが、待つのが苦手な私にはとても耐えきれないと翌日の午後に出直す。

翌日は、昨日がウソのような光景、ほとんど待たずに呼ばれて窓口へ。係員の手元には、私が支払った金額の一覧表があり、領収書は確認のためで、一番高額の領収書があったので支払っていることの確認ができるので不問となり、すんなり話が通る。

説明によると、医療費の支払いには『月々の限度額』があるのだそうだ。私の場合は、1割負担なので、月に1万2千円だという。それを超えると、その分が還付されるシステムになっているとのこと。今回の呼び出しはそのための手続きらしい。

なるほどこの説明で,眼科で支払う医療費が手術後無料だったことに納得する。その月は、血液検査や整形桁医院へ腰痛のリハビリに2回ほど出かけた分の1500円ほどが過払いになっていることから、その分を指定の口座に振り込んでくれるという。

有り難い話ではあるが、負担額を1割になった上に、限度額を設定し、それ以上の支払い金額を返還するのは何となく納得できない。国や自治体が負担する医療費を押さえることが緊急の課題になっている現在、こんな制度が必要なのかと疑問になる。

係員に、そのことを話すと、疑問はもっともだが、決まりなので自分たちはその通り動くしかないとの返答は当然だろう。しかし、私の言っていることも納得できると、この制度のことを詳しく教えてくれた。

その上で、『健康のご褒美だと思ってありがたく受け取って下さい』との一言と、『貴方のよう疑問を持つ人も中にはいますが、この制度のおかげだと喜んでいる人の方が圧倒的ですよ』という言葉を付け加えられると、『そうですね・・・』としか返事のしようがなく、その場を去る。

しかし、全て納得したわけではない。それにしても考えさせられる今回の葉書である。

 ここでまたいつもつぶやきになる。それは、医療費の高騰を押さえるのは、できるだけ医療機関にかからないことであり、日頃から健康に留意しなければということに尽きるということである・・・。(田舎親父)

2015年1月29日 (木)

介護も外国人頼み?・・・

老人が増え続け、特養に入りたくても入れない(いわゆる)待機老人の増加が話題になっているが、入ったら入ったらで、満足な介護も受けられないという問題も深刻化している。これらの大元は、介護の業界の人手不足と、そのための根本的な解決策である介護職の待遇改善を放置していることにつきると言っても言い過ぎではないだろう。

これまでも何度もつぶやいているが、わがままだけは一人前(言い過ぎかな)の寝たきりの老人の介護をすることは、よほどの使命感をもっているか、それとも他に働き口がないので仕方なくというどちらかではないだろうか。そして、圧倒的に多いのは後者であり、前者はごく一握りに違いないと想像しているが・・・。

後者であっても所得を他の業界と同じ程度にすれば、人のお世話をすることを喜びと感じ、仕事に使命感を持つ人も増えるのではは思っているが、国の政策はその反対だから困った話。二言目には『財源がない』という一点張り。

この言葉だけでも、老人問題は後回しにしてきたツケが今日的な課題として深刻化しているのだろうが、現政権は相変わらず『安全保障』や『集団的自衛権』などアメリカさまの顔色をうかがう分野には熱心で、最近は、経済成長のためには武器輸出まで『是』とする有り様。戦争のできる国への準備には、予算は天井知らずの感じすらある。

そんな政府が打ち出した介護業界の人手不足の解決策が、『外国人の雇用』ととらえられても仕方ないような厚労省の発表は、この機になってもまだこんな戯言で逃げるのかと情けなくなる。

外国人が日本で働きながら技術を学ぶ『外国人技能実習制度』の対象職種に『介護分野』を加えることをきめたのだそうだが、何故もう少し本気で人が集まるような方策を考えないのだろう・・・。

この制度は外国人の母国への技術移転を通じた国際貢献が目的だとうたっているが、その裏には、人手不足という本音が潜んでいることは明らか。特に地方の農業においては、高齢化と後継者不足から、外国人の実習生(労働者)の存在を失くして成り立たないことはたびたびテレビが取り上げている。

この制度の対象は、農業ばかりではなく建築現場や機械加工、食品製造など68業種・15万人にも及ぶという。さらに数年前からは、医療介護など介護分野でも特別研修生という枠を設けて受け入れているようだが、今回は老人の介護分野を正式に『実習生枠』に含めるというものらしい。

日本人が集まらないから外国人を活用することは、人手がないので仕方ないという意見もよく耳にするが、何故『実習生』なのだろう。正規社員として待遇を改善すれば、人手は集まることは誰もが分かる経済の大原則。

実習生という言葉には、技術を学んでいるのだから給料は二の次という響きがある。その意味では研修生とは似て非なる言葉。この制度には、受け入れ側にとって、低賃金や過重労働が当り前という考え方があることは間違いないところ。

介護分野は、農業や建設現場とは全く異なり、対象が『人間』である。そこには、相手との日常的なコミュニケ-ションが必須となり、その絶対条件は、普段の生活において意志の疎通が可能になる日本語能力が必要になることは論を待たない。こきまま事が進めばサ-ビスという言葉が相応しいかどうかは別にして、介護の質の低下は必然のようだ。

厚労省の発表によると、介護現場は日本語によるコミュニケーション能力が不可欠として、実習生に『一定の日本語能力を要件とすべきだ』と明記し、日常的な場面で使われる日本語をある程度理解できる(こんな基準があることを初めて知るが)日本語能力試験の『N3』程度を目安と、利用者の自立支援といった介護の理念など専門知識の必要性も強調しているとのことだが、いま一つピンとこない。

さらに、実習生の受け入れは、介護施設に限るらしいが、現在でも人手不足の介護施設に実習生を養成する余裕があるはずがない。人材が必要ならば介護分野での育成にふさわしい制度を考えるべきでは・・・。

 この記事で、昨年暮れ、スリランカ人実習生が賃金未払いで日本企業を訴え、分割払いで和解していたが、賃金を全額支払われることなく、本国に強制送還された報道を思い出す。

このまま、曖昧な実習生制度を広げては、人手不足の解消とは裏腹な、この種のトラブルが多くなるような気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

2015年1月28日 (水)

質の悪いマンガの世界・・・

 以前も何度もつぶやいているが、国は、食料の増産のために海を埋め立てて干拓事業を計画したのだろうが、漁業で生活している人たちからの大反対を受けて、その工事が遅れに遅れたことは広く知られている。諫早湾の水門のことである。

それでも、国は一度決めたことは、(利権絡みがあるのだろうが)強引に工事を進め感性させたのだが、時はすでに食料増産でのコメ作りの時代は過ぎ去り、水門は意味のない無用に長物化。それでも水門を閉めて当初の計画通り干拓田を作り、そこに希望農民を募って入植させてしまった。

あの水門が次々と締め切られる映像は、海に生きる生き物を漁民の生活と共に徹底的に殺戮するギロチンを連想したことを昨日のように思い出される。海は死に、批判の声が大きくなり、確か、アホカン首相のツルの一声で一部の水門を開く方針が決まったという記憶が蘇る。

この措置に怒ったのがすでに干拓田に入植した農民たち。塩害が起きると水門を開くことに絶対反対の立場を鮮明にさせる。これに対して漁民は生活権を守れと立ち上がる。これが漁民が住む佐賀県と、干拓田を有する長崎県との争いになり、双方が訴訟に持ち込むという結果になったことに、当時私は、言葉は悪いが質の悪いマンガではとつぶやいたものである。

その結果、水門について一審と二審が『開門命令』と『開門禁止』の相反する司法判断が出、国は慌てて最高裁に抗告したのだが、最高裁は、それぞれの司法判断に基づく国への制裁金(間接強制)はいずれも正当だと判決。これによって、開門してもしなくても国が制裁金を支払い続ける異例の状態が確定したから、ますます質の悪いマンガ化騒ぎになっている。

最高裁は『開門の是非』については判断せず、『紛争全体を解決する十分な努力が期待される』として、営農者と漁業者の利害対立を根本的に解消するよう国に促したとのことらしいが、双方が『開門の是非』を主張しているのに、玉虫色というのか何とも曖昧な判断。これによって、半永久的(開門の是非がはっきりするまで)に双方に違約金(制裁金と呼ぶらしいが)を払い続けなければならないという。

その金額は『開門しなければ漁業者側に一日45万円』『開門すれば営農者側に一日49万円』で、国は開門しないまま漁業者側にこの金額を支払い続けており、昨年7月からこれまで計9135万円になるという。

双方に支払う金額に少し差があるが、単純に一日50万円として計算すると、一年で約1億8千万円。何とも無駄な話だが、このカネは全てが国民から奪い取った税金となると変な話とか漫画的と言って笑って済まされるわけはない。

方や、水門で海を締め切り漁業に大きな損害を与えている。こなた諫早湾の一部を埋め立てて農地にして水門を開けば農業に支障が出る。そして玉虫色の判決で莫大な税金が双方に支払われ続ける。その一部は当事者である漁民・農民が収めた税金というのも悲しい事実であるが・・・。

この問題に対しての有効な解決策はない。ただ一つだけ考えられるのは、水門を完全に撤去し、干拓田も全て除去し諫早湾を昔の姿に戻すことだろうが、そのためには天文学的な金額と膨大な時を要することは明らか。いやそれ以前に、一度破壊した自然を基に戻すことなど不可能に近いことから、これは夢物語・・・。

何とも愚かなことをしたものであるが、現在でも辺野古の海を埋め立てて、戦争のための基地をつくるという何ともバカバカして計画と工事が、沖縄県民の反対を無視して強行されているのだから、やり切れない。

一部の人間の利権のために地元の人々の強い反対を封じ込め、無駄な箱ものを作る。ずっと繰り返されている愚挙であるが、今回の判決は、一度破壊した自然と人の心は元に戻らないことを痛切に皮肉っているように思えてならない。

国は謙虚に受け止めてほしいものだが、驕り高ぶった自民党・アホベ政権は、どうせ国民からふんだくった税金だからと双方に払い続けるのでは・・・。

一部の人間の利権・・・。なんとも悲しく情けない話であるが、私にはこんなつぶやきをするしか批判する方法がないのがさらに情けない。(田舎親父)

2015年1月27日 (火)

圧力? それとも自主的・・・

クロネコヤマトのメ-ル便は、分厚さの制限があるので梱包には気を使うものの料金が安いのが魅力である。私もお願いされた桑の葉パウダ-を2袋なら、上手く平たく包むと80円(失敗しても160円)で全国どこにでも送れるので、かなりの頻度で使っている。(金額は税抜きのもの)

ヤマトはそのメ-ル便を今年3月末で廃止にするという。メール便で送れない『信書』にあたる文書を客がメール便で送ってしまい、郵便法違反の容疑に問われる危険を防げないからだとのことらしい。

現金は送れないことは知っているが、『信書』という言葉の意味がよく分からない。解説によると、『信書』とは『特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、または事実を通知する文書』だという。

これは知らなかった。桑の葉パウダ-を送る時、自分で作った説明書と季節の挨拶など某かの文面をワ-プロで作成し同封していたが、この解説を『是』とするなら、ずっと違反していたことになる。

総務省の指針では、書状、領収書などは信書なのだそうだ。しかし、印刷されたカタログやパンフレットなどは該当しないという。信書はおもに日本郵便が公共サービスの郵便事業で扱っており、メール便では送れない決まりだという。変な決まりである。どう考えても、信書という曖昧な規定を設けて、日本郵便に事業を独占させたい意図があるように思えてならない。

ヤマトによると、客がクロネコメール便で信書を送り、書類送検されたり事情聴取されたりした事例は、2009年7月以降に8件あったというが、どうして信書が入っているのが分かったのだろうと、こちらの方が気になるのだが・・・。

 記事にはヤマト側の言い分が紹介されている。それによると、信書の定義があいまいで、周知も不十分だからだと主張し、国に対して文書の内容ではなく、大きさによる規制への変更などを求めてきたというが、受け入れられず、『お客さまが容疑者になるリスクを放置できない』と判断し、廃止を決めたとのことである。

 その上で、クロネコメール便の9割を占める法人客向けには、内容物の事前確認ができる新しいサービスを4月から始め移行を促し、個人客には、『宅急便』として、より小さいサイズや低料金のサービスを加えて対応するのだそうだ。

しかし、クロネコメール便の料金が80円(160円)なのに対し、最低でも400円台からになるというのでは、日本郵便の規格外封書料金の方が安くなり、わざわざコンピニに持っていく手間をかけてまで利用する気にはなれないだろう。

話は少し外れるが、日本郵便は『クロネコメ-ル便』に対抗して『レタ-パック』というサ-ビスを始めている。これはかなりスグレモノで、現金はダメでも手紙類は同封可能であるので、私も日常的に、桑の葉パウダ-5袋までなら350円の青色、それ以上なら500円の赤色の紙袋を利用している。

特に、500円の方は重さ制限があるものの、形はどうでも良く、強引に押し込めば、12袋ほど入る桑の葉パウダ-だけではなく、年末には飯田市の生産者から送っていただいている市田柿を全国の知人友人に送るのに使っている。

こちらは全て郵便局で事足りる。ポストの投入口に入る分厚さなら、郵便局に持っていく必要もないのも大助かり、このレタ-パックもの普及もメ-ル便の廃止に影響したことも考えられる。

ヤマト運輸は『利便性の向上を止めてしまう規制は、もっと緩和されるべきだ』と、メール便の廃止後も規制緩和に向けて強く要望していくというが、従来のような低料金の個人向けのメ-ル便の復活という言葉はどこにもない。

 国の圧力はあったことは事実だろうが、ヤマトとしては、個人向けのメ-ル便のコスト高に加え人手不足を機に、『摘発を受けてお客に迷惑がかかるのでやむを得ず』という大義名分をつけられる『しおどき』と考えたのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2015年1月26日 (月)

どうなる年金・・・

 自分もその一人だが、こんなにも65歳以上の老人?が増え続けては一体どうなるのと心底心配になる。しかも、その人たちのほとんどは年金が唯一の収入源。大変な時代になったものだと改めて考えさせられる。

 現役当時、特に若年時代には退職した先輩達から、『毎日が日曜日で、年金が入ってくるので生活の心配はない。趣味がないから毎月のように海外旅行を楽しんでいるよ。君もそのうち年金生活のありがたさが分かるだろう・・・』という話をよく聞かされたものである。

 ところが、40才台に入ったころから話が奇怪しくなってくる。年金機構だったか、天下りした連中が、年金のためにプ-ルしていた莫大な資金を湯水のように使って作った豪華な休養施設が負の財産となり、維持管理に莫大な予算がかかると、二束三文で売り払う話題が広まり、俄に年金の行方が不透明になってくる。

それでもまだ危機感はあまりなかった。しかし、定年後の『嘱託制度』が確立され、先輩たちが例外なくその制度を利用して5年間働くのが当り前になってくると、私が描いていた定年後の年金生活の不安が広がる。

しかも、年金支給が60歳から、数年刻みで延ばされるようになり、私自身62歳までは半分しかもらえないということがはっきりすると、やはり嘱託を受け入れなければ生活ができないのでは・・・という脅迫概念が生まれてきたものである。

それでも、例え貧窮生活を強いられたとしても、時間に縛られたくなかったので嘱託もお断り、現在は野山を歩く(お金をかけない)生活が板について、ある程度リズムを持った生活ができているが、年金の額も、昔聞いていた話と大違い。所得税を支払っている中では一番低い階層に入っているのだか、約束と違うぞと言いたくなる。

確定申告をすれば少しは還付金が戻るらしいが、経済については全くの音痴の私には、役所言葉を理解するもの難しく、一度もしたことがないので、年金について語る資格もないのかもしれないが、国はそんな微々たる年金すら減らそうと必死になっているようだ。

新聞記事によると、厚労省は、物価上昇時にしか年金給付を抑制できないルールを、物価が下がるデフレ経済などでも実施できるようにする年金制度改革の方向性を示す報告書案を社会保障審議会部会に示し了承されたとのことである。文面を素直に解釈すると、物価が上がっても下がっても年金額を下げるというものだろう。無茶苦茶な発想だが、どちらにせよ、年金額を年々下げられることを覚悟しておく必要がありそうだ。

そして、これも年寄りいじめの大好きなアホベ政権の考えそうなことだろうが、パートなど短時間労働者の厚生年金への加入拡大を求めたという一文が何となく引っかかる。

契約社員やパ-ト勤務の人たちを増やしてきたのは言うに及ばず、先日もつぶやいたが、正社員の残業大もゼロにして、徹底的に安く働かそうとするのを狙っている政権では、ますます正社員の比率が少なくなっていくことは間違いないところ。

国が支援して厚生年金に加入せよというならまだ理解可能だが、年金制度を維持するために、正社員よりはるかに所得が低いパ-ト従業員からもカネを集めようというのでは姑息というか虫が良過ぎるのでは・・・。

年金制度というのは、20歳以上60歳未満の全国民が加入し、制度の土台部分になる国民年金(基礎年金)と、これに上乗せする『2階部分』として、会社員を対象とした厚生年金、公務員や私立学校教職員が対象の共済年金があることは、定年時に説明されたので大体のところは理解している。その時、国民保険も共済保険も保険料はとして給料から引かれていたことや、その額なども知らされてなるほどと納得したことも思い出す。

しかし、現在国民年金に加入するには月額1万5250円も支払わなければならないとなると、この負担はかなり大きい。国民保険に加入しない人が増えているのも当然なのかもしれない。

加入しないと年金はないことは知っているが、若い人たちの間で『俺たちが65歳になった時に年金制度なんて崩壊しているに違いない・・・』という声もよく耳にする。それほど年金制度そのものの先行きが不安定になっていることは間違いないところ。

自分の将来のためには積み立てが必要だということは当り前だが、パ-ト従業員という給料が低く地位も不安定では、支払いたくても支払えない人が増えるのも当然だろう。年金制度を維持安定させるのであれば、保険料を支払えるほど十分な収入と地位を確立することだろうが、今回の制度改定はまるで正反対のように思えるのだが。

将来的に年金が支払われるためにという言い訳の前に、外国に出かけ、国民から集めた税金を何とか支援と称して、湯水のようにばらまくことに反省がほしいもの。

 まして、そのことが今回のような人質事件の引き金になったのでは・・・。(田舎親父)

2015年1月24日 (土)

夢の長寿薬・・・

先日友人から『1月4日のNHKスペッシャルを見たか』というメ-ルが届いた。残念ながら見ていなかったので、『何のこと・・・』と返信したところ『夢の長寿薬』ができたという話題だとのこと。

続報によると、『夢の長寿薬』は、平均寿命が100歳にもなり、60歳で出産できるというから、俄には信じられない。しかし実際に、日清製粉子会社である『オリエンタル酵母』という会社が『NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)』という名の試薬品を生産しているというから驚きである。

話の始まりは、ワシントン大学医学部の今井眞一郎博士の研究グループが開発している薬剤らしい。これを老化して糖尿病を患うマウスにNMNを投与したところ、症状が劇的に改善し、神経細胞を増やす働きも見られたという。

友人のメ-ルによると、研究の軸になるのが、『長寿遺伝子』と呼ばれるサーチュイン遺伝子だという。こんな遺伝子があることも初めて知るのだが、この遺伝子は、平時は休眠状態なのだが、飢餓状態になると増えるNADという物質の働きかけで活性化するのだそうだ。

そのNADの原料となるのがビタミンB3で、ビタミンB3がNMNに変化して、これがサーチュイン遺伝子を叩き起こすNADを作り、そのためにNMNの摂取が効くという理論らしい。私にはとても理解できる話ではなさそうだが・・・。

アメリカのハーバード大の実験では、生後22カ月のマウス(人間の60歳相当)に1週間NMNを与えた結果、筋肉細胞の働きが生後6カ月(人間の20歳相当)までよみがえったという。60歳が20歳に若返ったのだから、確かに『夢の長寿薬』であるが、こんな薬剤が出回ったら、今でも高齢化が問題になっているのに、トンデモない社会がやってきそうだと,むしろこちらの方が心配になる。

しかし、続きを読むと、『サーチュイン遺伝子』については、私が知らなかっただけで専門家の間では広く知れ渡り、この遺伝子にスイッチを入れるアプローチは数年前から研究され、製薬会社が開発競争を繰り広げているというから驚き。マウスでは上手くいったそうだが、平均寿命が約30年のサルを被検体にした実験では効果がなかったとのことなので、ある意味一安心であるが・・・。

この話題で思い出すのは1年ほど前に、小保方さんが発表した『STAP細胞』。誰にでもどこでも簡単に作れる万能細胞だという触れ込みだったことを思い出す。これで医療技術が飛躍的に発展すると言われたものだが、日が経つつれ怪しくなり、今日では『STAP細胞』そのものの存在が定されている。

私としては、若い女性研究者の肩を持ちたいのだが、医療技術が進み、これ以上寿命が延びることに疑問を持っているので、『STAP細胞』については、これ以上のものでもこれ以下のものでもあってほしくないとは思っていたが・・・。

『夢の長寿薬』も同じである。繰り返しになるが、こんなものが出回るようになり寿命がのびるとなると、高齢化問題の深刻化はもちろん、さらなる格差社会になることは明らかだろう。今のところ実用化ははるか先になるようだが、できればこの研究も知らない間に消えてほしいと願っている。

誰に聞いたかは忘れてしまったが,人間の生き死にについて、『70歳では早死だと言われるが、100歳は天寿をまっとうした評価される。しかし、人間の歴史からしたら、30年の違いなど微々たるもの。気にすることではない』という言葉を思い出す。

以来、(私の自論である)何歳で死ぬことなどは問題外で、死ぬ瞬間まで明確な意識を持ち、そのための動ける肉体を維持したいという人生観が生まれ、日々努力を重ねているつもりである。

 しかし、こんな話題を耳にすると、寿命を延ばすための研究に凄まじい努力をしている人たちの存在に、ただただ驚くばかりである・・・。(田舎親父)

2015年1月23日 (金)

残業代ゼロ時代が現実・・・

以前も何度もつぶやいたが、いよいよ残業代ゼロの時代が現実になりそうな気配になってきた。

『ホワイトカラ-エグゼブション』だったか、言葉だけ聞いても何のことだが全く分からないようなカタカナ英語で表現された(給料の高い階層の人々を対象としているらしいが)、時間ではなく能率を重視するという発想で、一言でいうと残業代を失くすという法案が、廃案になったのは数年前の第一次アホベ内閣の時だったのではなかっただろうか。

ところが、アホベ氏はどうしても諦めきれないらしく、『働きかたを選択する』という言葉を巧みに駆使して、労働時間ではなく成果で評価する、新たな『残業代ゼロ』制度の報告書骨子案を、政府の御用機関である労働政策審議会分科会に示したという記事に、この男の恐ろしいほどの国民いじめの執念を感じる。

この制度の対象者は年収1075万円以上の専門職と規定規定しているそうだが、この半端な数字はどこからきているのだろう。とりあえず高額のイメ-ジのある1千万に、消費税を連想させる端数を加えたものを示し、いずれ減らしていく意図があるように思えるのだが・・・。

それはともかく、骨子案によると、制度の名称は『高度プロフェッショナル労働制』というのだそうだが、またこの内閣お得意の言葉遊び的表現は思わず吹き出しそうになる。いわば『きれいごと名称』と表現しても差し支えないだろう。

対象は高度な専門職で『金融商品の開発』など銀行、証券、情報通信、製薬などの業界を想定するとのことだが、『高度プロフッショナル』と呼ばれる業種は、あらゆる業界にも存在するだろうから、その範囲は限りなく広がる可能性を秘めている。

分科会では、働き過ぎを防ぐため、経営側が労働時間を把握し(1)終業から始業まで一定の休息時間を設ける(2)会社にいる時間の上限を規制(3)年104日以上の休日取得-のいずれかの対策導入を条件としたとのことだが、『一定』とか『上限』とか限りなく具体性のない表現に加えて、104日もの休日などと全く実現性のない数字を並べている。

このことについて全く脈絡はないが、富士通に勤めていたころの自分の働きかたを思い出した。当時の配属先は時間差で動く継電器(リレ-)と呼ばれる機器を使った電話交換機の設計を担当する部署であった。

設計などとかっこよい言葉で表現しているが、交換機の一部の簡単な設計を任されていただけが本当のところ。それでも、係長から『この設計にどれぐらいかかるか』と聞かれるのが常だった。

あまり、長い期間を申請しては能力を疑われる。かといって、簡単に受け止めると仕事が次々に押しつけられるので、瞬間的に、自分の能力に数日ほどサバを読んで、これぐらいと答え、まずはじめの数日は残業厭わず、メドをつけたらあたかも一所懸命仕事をしているような振りをしたものである。

こんなわがままを許してくれた富士通という会社には感謝している。が、同窓会などで他社のことを聞く機会で明らかになったことは、程度の差があるものの、当時の会社組織として、仕事をムリムリ労働者に押しつけるのではなく、能力に応じた働きかたを容認する余裕があったように思える。

ところが、今回の『高度プロフェッショナル労働制』はそんなゆとりなど微塵もうかがわせず、ただ何としても残業代を減らしたいという経営側の論理が先に立っている。当時の私の場合に当てはめて想像するのだが、この制度が動き出したら、能力などお構いなく『何日までに仕上げろ』という命令が常に出るに違いない。

そして、期限に間に合ったらそれで良し、間に合わなかったら『能力不足』というレッテルが張られるに違いない。さらに、期限に加えて『ノルマ』が課せられるとなると、今ではあまり聞かれなくなった『モ-レツ社員』というイメ-ジが重なる。

またまた話が飛ぶが、24時間営業のコンビニが出現し、『24時間戦えますか』といCMが流行したころを思い出す。ドリンク剤を飲んで猛烈に働く『モ-レツ社員』が当り前だという風潮が生まれたものである。

このあたりから我が国の経営思想が変わり、利益追求のために正社員を減らし契約やパ-ト社員が増えたのではないだろうか。そして今日、正社員などいらないという無茶な発言が批判されることなく通用し、残業代ゼロ時代のシナリオが動き始めた。

政府や経営者側の人間は、時間に縛られない働き方ができ、個人の生活スタイルに合わせた柔軟な働き方ができると、都合のよい耳障りのよい言葉で語るが、つまるところは、残業代をゼロにしたいだけだろう。

残業してもしなくても同じなら、人は仕事を早く片付けようとし、効率や生産性が上がるはずという理屈だろうが、経営者に都合だけの論理であることは明らか。成果を求めるのも、それを値踏みするのも会社側で、結局、労働者は一層の長時間労働を強いられるだけである。

今回の1075万円は800万円、そして600万円と上限金額を下げる狙いの突破口だろうことも想像に難くない。近い将来、上限が限りなく下げられ、今以上に鬱病や自殺者が増える世の中になりそうな気がしてならない。

こんな社会で生きることはごめん被りたい・・・。(田舎親父)

2015年1月22日 (木)

責任はこの男の驕りにあり・・・

一昨日、いつも通り散歩から帰り、一息ついてテレビのスイッチを入れたら、できれば見たくない御仁が困ったような顔でおしゃべりしていた。この時間NHKは大相撲中継をしているはずなのに変だなあと思い、チャンネルをEテレにすると相撲放送。これはかなり重大な事件が発生したに違いないと、見たくない御仁ではあるがチャンネルを戻す。

この御仁、『テロには絶対に屈しない』と明らかに緊張で青ざめた顔で明言している。また『中東の国々に対しての支援は、人道目的だ』と強調。関係各国と連携して人質の解放に努力すると語っていた。

しばらく我慢してこの御仁の発言を聞いていたが、続いて現れた映像で、何のことだか全て理解できた。オレンジ色の服を着せられ、ひざまずかされた二人の日本人を、ナイフを持った黒ずくめのマスク男が脅迫。英語で『日本の首相へ』というメ-セ-ジを読み上げている。NHKが大相撲中継をEテレに変更したことはごもっとも・・・。

内容が凄い。『72時間以内に身代金2億ドルを支払わなければ、この二人の日本人を殺す』というのだ。アナウンサ-は『日本はイスラム国から8500キロも離れていながら、進んで十字軍に参加した』と、男の主張の翻訳文を報じている。

人質の命と引き換えにカネを要求するとは卑劣で許し難いが、なるほどアホベ首相の顔が青ざめている理由がよく分かる。中東4ケ国を歴訪し、3000億円という莫大な経済支援をすると大見得を切っていたという記事を思い出す。その時は、(私は見落としたらしいが)イスラム国対策として2億ドルという項目があったらしい。

 アホベ氏は、支援はあくまで難民対策などの人道的支援だと強調しているが、そんな理屈が通用する相手ではあるまい。イスラム国側の論理としては、いじめられているのは我々の方で、悪いのは全てアメリカやイスラエルなどキリスト教圏の国や人物。それに対して我々は『聖戦』として立ち上がっているというものだろうから、例え、イスラム国の攻撃で難民になった人を救う目的であっても、許さないという姿勢が読み取れる。

 イスラム国の知恵者が、首相の得意顔と演説の内容から、これはカネずるとばかり、このシナリオを書いたのだろうが、今頃、しまったと後悔しても始まらない。

 二人の命を助けるためにもっとも安易な方法は2万ドルを振り込むことだろう。すでに支払うことに合意したという記事もネットにあるらしいが、支払ったら脅しに屈伏したことになり、『絶対にテロを許さない』という口ぶりとは明らかに矛盾する。

かといって支払いを拒否したら、いとも簡単に人命を奪う連中である。拒否と明言したと同時に、二人が殺害される生の映像がネットに流れるのは想像に難くなく、それを望む人はいないだろう。

昨日、大慌てで帰国した首相は、ずっと官邸にこもり、取り巻き連を集めて鳩首会談を続けているに違いない。いかにイスラム国といえど、72時間以内に殺害するとは思えないので、ぎりぎりまで回答を引き延ばすだろうが、集まった取り巻き連中の顔は緊張で引きつっているのではないだろうか。

そもそも、数人の日本人がイスラム国に拘束されていることは、去年の段階でマスコミ報道によって私のような政治音痴でも知っていたこと。首相サイドがこのことを知らないはずがない。この時期に、特に緊急の用事もなかった中東各国に出かけて、こともあろう煮、わざわざ『イスラム国対策』を明言して2万ドルという巨額のカネを拠出したことがイスラム国を刺激したのだろうが、あまりにもお粗末である。

その意味では、今回の問題の責任は無条件に首相のサイドにある。アホベ氏の驕りが、世界情勢を読み違えたとなると、この代償は限りなく大きい。

世界からテロに屈したという汚名を浴びたとしても、人命第一で2万ドル支払うか、それとも二人の命が奪われても、テロとの対決の道を選ぶのか、選択肢は2つ。残された時間はほとんどない。

曖昧なメ-セ-ジを出しては、ますます問題を複雑にすることは目に見える。後者を選択した場合、二人の命が失われることになったら、即刻辞任し、政界を引退し二人の冥福に余生を捧げるという姿勢を示してほしいものである。

 前者を選択した場合は、安易に外国に出かけ、莫大なカネをバラまく愚を反省し、弱者救済(格差の是正)のための予算を拡大するという一声を聞きたいものだが・・・。(田舎親父)

2015年1月21日 (水)

垂れ流して息をひき取るのが常態化?・・・

介護保険から個々のサービスに対して事業者に支払われる介護報酬が、四月から全体で2・27%引き下げられることが正式に決まったらしい。事業者が儲け過ぎて、平均3億円の内部留保があるとの理由だという。

介護職の報酬は他の業種からして低過ぎるという話は良く耳にする。中には月額10万円以上も差があるとも伝えられている。マスコミが報じるデ-タでもそのことはほぼ間違いない事実であろう。

極端に安い賃金で働かしているのだから、福祉法人と名乗っている事業者がかなりの儲けを得ていることも想像できないことはないが、介護保険の枠組みなどから推測する限り、異常なほどの儲けを得ているという証拠はなさそうだ。

今回の介護報酬の引き下げで、事業者が大幅な体質改善をするとは思えず、下手するとその分を介護職の給金でやりくりすることもあり得るとなると、人手不足がより深刻になり、介護の現場が崩壊する恐れさえもありそうだ。

 具体的な内容ははっきりと理解できていないが、介護サービスの公定価格である介護報酬は3年に一度、見直されているのだそうだ。2000年度に制度がスタートして以来、今回は5回目の改定となるのだが過去最大規模の下げ幅だという。

制度開始時よりも介護職の報酬は実質2・1%下がっているという。3年前と比べ消費者物価は、政府日銀が狙う2%は軽く突破し、私的にはあらゆるものが値上がっている現実から10%ぐらい上昇しているのではないかと思うほど・・・。となると、今回の引き下げは実情を全く無視した乱暴なもので、現場への影響はかなり強くなりそうだ。

冒頭につぶやいた3億円という数字であるが、最初は特養全体で3兆円と読み間違え、3兆円なら値下げも仕方ないと思ったが、改めて見直して、平均3億円と確認。これなら数字的には分かるが、3億円を吐き出させるために今回の値下げを行ったとしたら、何とも姑息だとしか思えない。

アホベは外国(特に開発途上国)に出かけては、気前良く、50億だ100億だという援助を打ち出している。つい最近、中東4ケ国に出かけ3000億円ほどの支援を決めたというが、国内においては、とにかく重箱の隅をつっつくように、あっと言う間に予算を減らす法案を通してしまうのは許し難い。

外国への支援の学から比べると、特養の3億円の留保などゴミのようなもの。この留保分には老朽化した施設の建て替え費や職員の退職金などの積立金が含まれているはず。現状でも特養の3割近くが赤字だと伝えられており、経営状況が厳しくなる施設がさらに増えることは間違いなさそうだ。

特に都市部の介護職員の人手不足は深刻化していることは今更いうまでもない。最大の要因は賃金の低さであることも間違いない。すでに述べたことだが、常勤のホームヘルパー、施設職員の平均月収は全産業平均よりも約10万円も低いと言われている。これでやり繰りしているのでは、過酷な勤務状況にならざるを得ず、離職率も高くなるのも当り前。

今回の改定では、介護職員の賃金を一人当たり月1200円程度引き上げるため加算制度が充実されることになっているが、介護保険という器の中で、介護報酬を引き下げながら職員の給料を上げるなんて数字のマジックであることは間違いないだろう。施設サービスの質を下げては入所者からの怨嗟の声が大きくなるだけだろう。

何度もつぶやいているが、奥方が特老に入所できたのは良いのだが、『おむつかブレが酷くて可哀相』という言葉が蘇る。

介護の質が悪くなれば、そんな人は増えるだろう。糞尿を垂れ流し、自分の悲運を嘆きながら息をひきとる・・・。考えたくないが、そんな光景が不思議でない社会が間近に迫っている感じすらする。

こんな話題では、毎回同じ言葉で結ぶことになるが、介護されないで人生の最後を迎えたいことが、私の一番の願い。

そのためには、日頃から、ボケないで死を迎える瞬間まで自分の足で歩けるように日常的に気合を入れて鍛えるだけという結論になりそうだ・・・。(田舎親父)

2015年1月20日 (火)

このいじめ方 卑しいとしかいえない・・・

 まるでやくざのやり方そのもの。言うことを聞かない奴にはいかなる手段を講じても、屈伏させろという乱暴な発想である。しかも、自分たちが握っている予算で締めつけるとは、人間ではなく悪魔の仕業としか思えない。

 沖縄のことである。先の知事選では争点は基地移転問題。元知事が自らの公約を覆して政府のいう通り辺野古の海岸を埋め立てるという方針に対して、現知事は絶対にそれを阻止するとの主張を展開し、沖縄県民から支持を得て大差で当選したことに大拍手したことはつい2ケ月前のこと。

 首相と取り巻き連中はこのことが余程気にいらなかったらしく、就任の挨拶に上京した翁長知事を玄関払い。会おうともしなかったというから、なんという狭量、なんという嫌らしさだろうか。政府筋からの圧力があったのだろうが、この問題に対してアホベ政権批判の論調が弱いマスコミも情けない。

 今年になっても、沖縄の状況を説明するために何度も上京しているという知事に、首相や官房長官はもとより防衛相も会おうとしない。会えたのは、(私も初めて耳にする)沖縄・北方担当の山口某という大臣だけというのも呆れた話である。

 そして、極めつけは最初に述べた、沖縄振興予算が4.6%減額するという予算案を閣議決定したこと。減額は5年ぶりだというが、誰の目にも、先の知事選で、辺野古移転に反対し当選した翁長氏に対する嫌がらせであることは明らか。俺に逆らえば、こんなことになるのだという沖縄県民に対する恫喝そのものである。

 口では、沖縄の負担軽減を言いながら、沖縄の民意に向き合おうとしないのは、何という傲慢さ。アメリカとの約束だとの理由を楯に辺野古移設を曲げず、アメリカさまに膝を折る態度は歴代内閣の中でも最悪、NO1だろ。虚しさはもちろん、この態度にはアホベという男の嫌らしさ、卑しさを感じる。 

 先日、アメリカ政府は極東のアメリカ軍を再編するための議論を始めたらしいという記事を目にした。そこには、アメリカはかってのように強大な軍事力で世界の警察を自認する勢いはなく、膨大な軍事費を見直し、沖縄に駐留するアメリカ軍を含めて、アジア地域の基地の再配置を模索中だだとある。なるほど正論である。

 日米基地協定で、そのほとんどを日本に負担させているのだろうが、アメリカ政府も大部隊を沖縄に駐留させるにはかなりの予算が必要としていることは疑えない。ある軍事シンクタンクは、沿岸からの侵攻部隊である海兵隊の役割を疑問視し、アメリカ軍を沖縄に駐留させる必要性は薄いと指摘している文面もある。これは、アメリカ国内でも、海兵隊の沖縄駐留に疑問が投げかけられていることになる。

 こんな情報は政府に伝わっていないはずがない。アメリカ政府の中には、日本が移転費用を負担すれば、ガァムへ移転しても良いという意見もあるらしい。

 真偽は分からない。しかし、噂であってもそんなことが活字になるということは、アメリカ国内でも辺野古への移転に疑問を声がある証左ではないだろうか。今こそ、沖縄県民と共に、アメリカに対して、普天間返還を強く求めるチャンスでは・・・。
 あまりに卑しく露骨な対応は、我が国の政治の底の浅さを世界に示すもの。日本のリ-ダ-なら(沖縄の負担軽減を口にするならば)むしろ翁長知事と積極的に対話し、基地縮小を実現するのかを模索するのが本来の役割だと思うのだが・・・。

 ところが現政府のやり方は全く正反対。このまま圧力をかけ続ければ知事は屈するだろうとばかり、中断していた辺野古沿岸部の海底ボーリング調査の再開を始めたというから、怒りを通り越し呆れる限り。開いた口がふさがらない。

 知事選や衆院選での県内4小選挙区全てで辺野古反対派の候補が勝利したにもかかわらず移設を強行する政府の姿勢は、まさに沖縄県民の気持ちを全く認めないという態度以外にない。民意を無視した国は滅びる・・・この言葉の持つ意味の重さを痛切に感じる。

 沖縄は日本政府に翻弄された歴史を持つ。その上さらに、沖縄に過酷な政策を続けたら、『沖縄独立』という言葉と行動が起きても不思議ではない。

 それこそ海洋進出を画策している中国の思うつぼでは・・・。(田舎親父)

2015年1月19日 (月)

風雲急を告げる大阪都構想・・・

すっかり私の頭の中から消えていた『大阪都構想』が息を吹き返したらしい。先日、大阪都構想の制度設計を議論する大阪府・市の法定協議会が、設計図に相当する協定書案を大阪維新の会と公明党の賛成多数で決定したという記事に目が留まる。

この協定書案は、昨年10月に府・市両議会で否決されたものと実質的に同じ内容だという。これを2月開会の両議会に再提案されるようだが、公明党が住民投票の実施に協力する姿勢に転じたため、維新と公明の賛成多数で可決は確実名情勢だとのこと。どうやら5月17日の住民投票は決まったと同然らしい。

 協定書案は総務相に提出し承認を受ける必要があるとのことだが、こちらは了解済みというから大阪市民対象の住民投票で有効投票の過半数が都構想に賛成すれば、2017年4月に市が再編され、都構想が実現するのだそうだ。

 公明党は『反維新』で野党と連携してきたが、表向きには、先の衆院選で維新の党が比例で大阪府内第1党を維持したことから、党本部が『維新と対立を続けるのは大阪の公明にとってマイナスだ』との姿勢を打ち出し、公明党大阪府本部に維新への協力を要請したとのこと。

 この党は自民党以上に上位下達だから、すぐさま姿勢を変え、『協定書の中身には反対だが、最後は住民自身が決めるべきだ』とのスタンスに移行したとのことだが、真の理由は衆院選でハシモト市長の出馬見送りの裏取引ではないだろうか・・・。

住民投票には賛成しながら、その住民投票では反対の投票を呼びかけるのだそうだが、こんなわかりにくい筋書きを、もっともらしく党員(会員)に強要し、それを通してしまうのだから、まさにヌエのヌエたらん不可思議な体質を持っていると表現するしかない。

4月には統一地方選が予定され、府議と大阪市議も改選されるのだが、その時、維新への支持がこれまで通りなのかも疑わしい。その以前に、先の衆院選では維新は第一党を保ったというが、ハシモト市長の賞味期限もそろそろ切れそうだとなると、統一地方選では反維新の票も大きく伸びることもあり得る。

しかし、住民投票はすでに実施を決定しているとなると話はややこしくなる。維新の威光は減じたとしても、大阪人はお笑い芸人であっても『おもろいやんか・・・』と知事に担ぎ上げる体質(維新の躍進もその延長だろうと思っているが)を持っているところから、都構想がなんたるやなどお構いなしに、『おもろい』と深く考えることなく賛成する可能性は否定できない。

大阪のことなど与り知らぬことながら、大阪の将来がかかる重要な構想なのに、十分な論議をしないまま設計案を決めるという明らかな見切り発車が気になる。その結果、そんなはずではなかったのに・・・という怨嗟の声が満ちることもありそうだ。

維新の都構想の基本案は、大阪市を解体して、・北・東・中央・湾岸・南の五つの特別区に分割し、特別区には住民に身近なサービスを担当させ、産業振興やインフラ整備などの市の権限と財源を『大阪都』に集約するとのことだという。広域行政の一元化で二重行政が解消され、身近な住民サービスの質が向上すると主張しているが、そんなに上手く行くとは思えないのだが・・・。

東京都の23区がそのお手本なのだろう。各区の区長は選挙で選び、市議会の現行定数86を割り振った12〜23人の区議会を置くという。大阪市の人口は東京23区のおよそ3分の1弱の約260万人、これを5つの国割り振るわけで、各区は約34万〜約69万人になるそうだから、恐らくすぐにでも、議員の数が少ないと言い出すに違いない。

また、大阪市の面積は東京23区のおよそ半分として計算しても、5つの区では一つが広過ぎて、住民サ-ビスは手が回らなくなるのではないだろうか。多分、旧区役所を中心とした支所を作るのだろうが、それでは何のための特別区なのか分からなくなりそうだ。

 さらに、特別区によって人口や企業立地数に偏りがあり、そのまま移行すると税収格差が必然となると、住民サ-ビスの質にはじめから大きな差が生じ不平不満が溢れる事も当然考えられる。財源の豊かな区から乏しい区に回す計画だそうだが、そんないい加減な発想で上手く事が運ぶとは思えないのだが・・・。

ハシモト市長は何がなんでも自分の任期中に実現したいと焦っているのだろうが、個人の願望が公のスケジュ-ルに優先する事は許し難い。高見の見物とシャレこんではいる私ではあるが、『はじめにスケジュールありき』でなく、府・市議会で丁寧な議論を重ねてほしいものとしか言いようがないが・・・。

大阪人たちも、今まで通りの『おもろいから・・・』という発想を捨てて、余程しっかりと考え、覚悟して住民投票に臨まなければ、子々孫々に悔いを残すことになるのではといらぬ心配をしたくなる。(田舎親父)

2015年1月17日 (土)

後味が悪い高裁の再審却下・・・

 『名張毒ぶどう酒事件』は50年ほど前、名張市の山奥の集落で起きた殺人事件で、犯人がぶどう酒に農薬を混入して、集会に集まった人々を殺害、男女の三角関係が原因だとして、当時のマスコミが大々的に取り上げていたので覚えている。

集落の住民の男性が逮捕され、自白したと報じられたが、すぐに自白は警察の誘導と翻して以後一貫して無実を訴えていることや、一審では自白が不自然ということで無罪だったこと、しかし名古屋高裁は一審を破棄し死刑を宣告、最高裁でも覆らずに死刑が確定したこと、さらに、再審請求が何度も棄却されていることなども頭の隅に残っている。

当時、一審と二審が全く正反対の判決に、何となく変な気分になったことも思い出すが、何よりも、89歳の死刑囚が獄中から50年間一貫して無罪を叫び続けている姿に鬼気せまる迫力を感じ、恐らく無実だろうとという思いを強くしている。

今回、8度目の再審請求だという。89歳という高齢から推測すれば弁護団の働きかけが大きいのだろうが、本人の無実に対する強い意志がなければ7度にわたる再審棄却という壁を乗り越えてここまで挑むとはとても思えない。

その8次再審請求を名古屋高裁が棄却した。弁護団は、名古屋高裁が追加の証拠提出を待たず、検察側にも証拠開示を命じなかった点について『証拠を提出する、証拠を見るという手段を奪ってまで決定を出した』と非難しているとのニュ-スが流れたのはつい先日のこと。

このことについて、いろいろな新聞や文献を私なりに調べたのだが、弁護団が主張する新たな証拠は、検察側の倉庫に眠ったままになっているらしく、今回も、調べられることがなかったことは間違いないようだ。

検察は過去には『証拠はまだまだたくさんある』と明言していたという。死刑判決の是非は別にして、死刑を求刑する以上、検察は死刑に値する明確な証拠を出すのは当然だが、検察に不利になる証拠も全て開示して、司法の判断に狂いがないようにすることが肝要であることは論を待たない。その意味でも検察の対応は不自然であるが、この事件に限っては、検察が提出する以前に裁判所がその必要がないとのことらしいから納得いかない。

変な話である。あってはならないことだと言っても差し支えない話である。高裁の、証拠開示への逃げ腰は明らかに奇怪しい。昨年5月の請求棄却決定と同様、弁護団が新証拠として提出した3通の意見書(検察の持っている資料開示要求だろう)を『再審請求の要件を満たさない』と一蹴したとなると、これは検察の証拠隠しを司法が黙認したことになることは明らかで許し難い。

冤罪があってはならないことは今更いうまでもないが、警察や検察の尋問で、いわば自暴自棄の心境になり『認めたら楽になるぞ』という一言で、自白に追い込まれる例が後を絶たないという。本人はすぐに後悔して、以後一貫して無罪を主張するのだが、再審が難しいうのが現実である。

中には、弁護団の努力によって再審が認められ、新証拠が明らかになったり最新のDNA検査などで、本人とは断定できないということで無罪を勝ち取ることもある。それだけ冤罪が多いという証拠なのかもしれないが・・・。

最近では足利事件出の菅谷さんや、確定ではないがすでに釈放されている袴田事件の袴田さんなどが知られているが、今回の奥西さんも無罪の可能性が強いように感じてならない。もっともこの人が無罪なら、犯人は別に存在することにはなるが・・・。

年齢的にこれが最後だろう。弁護側の即刻の特別抗告で舞台は最高裁に移る。白鳥事件だったか再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に、という刑事裁判の鉄則が適用される』との判断をくだした最高裁が、検察へ証拠の開示を求めるものだと信じたい。

その上で、検察が新証拠を示し、最高裁がそれを採用し再審請求を棄却するなら、ある程度の納得はできるが、高裁の後追いだったら?・・・。

そんな場面は想像したくないが・・・。(田舎親父)

2015年1月16日 (金)

大学管理一元化の仕上げ?・・・

文科省は大学入試改革の一環で、各大学に対し入学者の『受け入れ方針(アドミッションポリシー)』や、卒業させる学生像を明確に定めた『卒業方針』の策定を義務付ける方針を決めたという記事に目が留まる。

まだ文科省の試案段階らしいが、各大学に対して、大学入学者の『受け入れ方針』について、大学の強みや特色とそれに沿って入試で重視する能力などを明示して『入学してほしい学生像』を、また『卒業方針』としては、各大学が学生に身に着けさせる学問やスキルを示し、社会に送り出す具体的な卒業生像を文面で提出させるという。

それぞれの大学では、『こんな学生を・・・』という、いわば期待像を持っていると思いたいが、余り前面に出ているとは思えない。受け入れ方針は現在、学校教育法施行規則で『策定した場合、公表する』いう規定にとどまっているので、あまり重要視されていなかったから、ある意味当然だろうが・・・。

それを、文科省は大学が満たすべき設置基準を改正し、策定を義務づける方向でことを進め、在学年数や修得単位数については現行どおりとしながらも、大学ごとに受け入れ方針と教育方針、卒業方針をセットにした一体的な見直しを求める方向で動いているのだそうだ。

確かに現在では、ある程度名の知られた大学への入学は、進学塾や予備校のお世話にならねば難しいが、一旦入学してしまえば、後はこっちのものと学業はそっちのけで、遊びや就職活動に忙しい風潮があることは事実だろう。

大学生の質が落ちていると言われて久しい。このため各大学は、入学試験において知識量を問う『ペ-パ-テストの点数』型から、面接や論文などを重視する『多面的総合評価』へ転換を目指していると聞いているが、これがなかなか難しく、試行錯誤している大学も多いのが現実らしい。

国は、今まで何度も入学試験の改革が試みてきたが、結局は現在のスタイル(本質的には、テストの点数煮よる足切り)に落ち着いている。その意味では、今回の文科省の入学テストの改革だけでは問題解決にならず、『卒業』の条件も同時に考えるという発想は注目に値するが・・・。

受け入れ・教育・卒業方針の策定が義務化されれば、各大学は入試の募集要項などで受け入れ方針を明示し、これに沿った入学者選抜を実施できる可能性は生まれそうだ。(国が予算的な措置の支援することが必須条件だが)教育内容や育成する学生の基準が明確になり、『卒業方針』の水準に達していない学生は留年させたり卒業見送りにしたりするなどして、安易に卒業させない大学が出現することも予測できる。

大学入試制度について、現在のままで良いと思っている人は少ない。私は、センタ-試験という、いわば共通の学力テストのような制度では、進学塾や予備校にお世話にならないと、この壁を突破できないという問題が生じ、各大学が独自の入学試験を実施の妨げになっていると常々考えている。

本来なら試験などせずに、希望する学生は全て入学させるべきだろうが、大学にはキャパがあり、そこにはある程度の選別は仕方ない。しかし、現在のような足切り方式ではなく、全国の高校に推薦枠を設けるなど、テストの点数だけに頼らない方式を打ち出すべきだと主張している。

そんなことをすれば大学の質が落ちるという声があるだろうが、レベルに達しなかったら、進級や卒業させなければ、おのずから学生たちは真剣に学ぶことになるだろうから、その懸念は、長い目で見ればないと言っても良いと確信している。

今回の改革方針は、文科省が口をはさまないならば、『大学像』の文面での提出を義務化は面白いと期待できるが、この役所の本質は、教育の制度化と管理であることから、国が一律にその基準を決めることが前提になることは疑いのないところ。

地方の創生をうたうなら、予算配分を地方の大学に厚くし、地方の大学の質を高めるべきだろうが、文科省がそんなことを考えていないのは明らか・・・。

 国は教育委員会の独立性を否定に成功した現在、いよいよ、大学教育システムの一元管理の仕上げにかかったらしい・・・。(田舎親父)

2015年1月15日 (木)

再稼働への露払い?・・・

 九州電力川内原発の再稼働について、薩摩川内市長と市議会、知事と県議会が同意し、地元手続きが形上は整ったという理屈で再稼働は規定の事実となっている。地元レベルで一応の政治的判断が出たというところだろうが、福島原発事故を目の当たりにしているので住民全体を納得させるほどまでには至っていないらしく、国と県は焦っているようだ。

 再稼働に踏み切るためには、原発で事故が起きた場合の避難計画が、机上の空論ではなく具体的なものとして示されなければならないのだが、病人や年寄りなど災害弱者の避難や、地震や津波などと同時に事故が起きる複合災害への備えなどまだまだ不十分。

川内原発で想定されるような地震や、あるいは桜島が大噴火した場合、原発のある薩摩川内市をはじめ周辺自治体は、多数の死傷者、火災、降灰などの対処だけで手いっぱいとなり、原発の事故が起きたとなると、その時はパニックになるだろう事は素人の私でも想像ができる。

住民説明会が各地で開かれたらしいが、難解な科学・技術に基づく対策を、一度の説明で、しかも限られた時間で、どれだけの人が理解できたのだろうと考えると、(私事ながら)老人施設が自宅前に建築される時点での説明会でも、納得できかねぬ事が多いことから、回数も時間も不十分である事は明確だろう。

周辺自治体の組長さんたちも、事故があった場合を心配して、俺たちの承認も必要とすべきだという動きもあるという。当然だろう。しかし、原発の再稼働を進めたい国としたら、30km圏の全自治体の承認など考えるはずがない。

 新年早々のことであるが、鹿児島県知事が『再稼働前に立ち入り調査する』と言い出したとマスコミが報じていた。知事は、定例記者会見で川内原発の安全対策について『どういう状況なのかを見るのは当然』と述べたというが、このセリフは再稼働の承認以前に述べるのならともかく、今になって言い出すのは裏がありそうだ。

 知事は、県と薩摩川内市が九電と締結している原子力安全協定に『住民の安全確保のために必要と認めた場合、発電所敷地や必要な場所に立ち入り調査でき、県や薩摩川内市の指定する者を同行できる』と規定していることから、川内原発の30km圏にある9市町にも同行を呼び掛けるという。

9市長の組長はともかく担当者は同行するだろう。九電はここぞとばかり組長や担当者に安全について説明するはずだが、相手はしょせん素人集団、そこには国からのアメも用意されているとしたら、今回の立ち入り検査で、周辺自治体も含めて、『安全が確認された』ということになりそうだ。結局はアリバイ作りというところか・・・。

ところで、もし原発事故が起きたらという避難計画だが、国の考え方の基本は、まず5km圏内の住民を避難させるという。これは、高濃度の放射線を浴びたら死に至る可能性があるので当然だろうが、5kmの圏外の住民が『どうぞお先に・・・』となるはずがない。

 福島原発事故を新聞や雑誌、あるいは書籍やネットで知っているので、事故発生と同時に、一刻も早く遠くに逃げなければという意識が働き、間違いなく車を使って避難始めることは誰もが想像することだろう。そして、たちまち大渋滞に陥ることも・・・。

 先日、このことを東京新聞が住民に確かめたそうだ。それによると、30km圏内の実に6割の住民が避難行動を起こすと答えているという。原発からどれほど離れたら安全なのかは、地形や風向きが大きく影響することは、福島原発事故でも明らかだが、政府の指示が間違っていたこともあって大パニックに陥ったことは記憶に生々しい。

 要は、国の避難誘導は信じられないということがすり込まれたわけなのだから、我先に遠くに逃げ出すことは当り前で、これを武力で押さえることなどできるはずがない。恐らく、事故と同時に全体が避難に動き出し、その結果、原発周辺の人たちは身動きすらできず、福島以上に放射能被害が出るのは当然の成り行きになるのでは・・・。

 再稼働ありきではなく、事故時に住民をどう守るのかということが国や県、薩摩川内市は真剣に考えたら、『6割の住民が行動する』という調査結果は無視できないはず。

単に一新聞社のアンケ-トだと軽視せず真剣に受け止めて、もう一度『避難計画』を練り直し、それを基に住民説明会を繰り返すべきだろう。(田舎親父)

2015年1月14日 (水)

盛り上がらない民主党の代表選・・・

18日に民主党の代表選挙が行われる。今回の選挙は、代表が選挙で負けて辞任したから仕方ないのだろうが、少なくとも3年前まで政権を担っていた党の代表が落選するなんて、一体どうなっているの?と首を傾げたくなる。

しかも、比例での復活もできなかったというのは、余程有権者から嫌われていたのではと推測するが、そんな人物を代表にさせていたのだかち、今回の選挙でも党勢の回復ができなかったのは当然と言っては失礼だろうか。

どんな選挙規定があるのか分からないが、国会議員には一人2ポイント与え、地方議員や党員、サポーターの総数に対して、得票によりポイントを計数する方式で合計760ボイントが計上されている。国会議員の数がせいぜい100人超なので、地方議員票と合わせての地方票が国会議員票よりも多いという。

国会議員だけで党首選びをせず、党員らの前で問題点をきちんと議論するという方法は評価できるが、立候補するのに20人の国会議員の推薦が必要だというところが自民党と同じ?・・・。これでは、しょせん派閥の後押し合戦で、誰が代表になっても余り期待できそうもなさそうだ。

 3人が立候補しているが、オカダ氏は以前代表を務めたことや、政権を担っていた3年間は首相ではないが、絶えず政権の中枢部に座っていたことも良く知られている。現に、カイエダ代表の元では『代表代行』というわけの分からない肩書を持った人物である。

 この御仁を担ぐのは、突如、公約とは全く反対の消費税増税を叫び、反対部隊を追い出してまで解散した、いわば政権を投げ出した汚染ドジョウ氏やその仲間たちが多いようだから、言葉は悪いが、A級戦犯連合の代表だと表現して差し支えないだろう。

 ホソノ氏は若くなかなか凛々しい感じがするが、この御仁も福島原発事故では当時のアホカン首相の下、原子力政策の補佐官をしていた人物だというから、避難者から見たら、アホカン首相と同罪、顔も見たくないというところでは・・・。しかも維新と合流したいらしいという姿勢がミエミエではいただけない。

 もう一人ナガツマ氏は、以前勤務先が選挙区だった関係で、何度か会ったことや考え方を聞く機会があった人物である。当時は、『ミスタ-年金』という称号も与えられ、次代のエ-スと嘱望されていたことも何となく懐かしい。

事実、民主党が政権を奪取し、お坊っちゃま内閣では厚労相に就任、いよいよ腕の振るいどころと期待されていたが、官僚たちからの評判が今一つだったらしく、お坊っちゃまが首相を投げ出したらお払い箱。その実績は『ミスタ-年金』とはほど遠いものとしか言いようがない。

この3氏に対して、マスコミの質問は『野党再編』についてというのが第一だというのもちょっと筋違い。3氏は、本来なら、衆院選で伸び悩んだ民主党が優先すべきは理念と基本政策を確立し、アホベ内閣との論戦にたえる態勢を整えることだと思うのだが、このことに対して、維新との歩調についてが話題になるのは情けない。

 3氏に求められるのは、党の存在意義が問われるという危機感の共有であるが、衆参両院選挙で大敗を喫し野党転落以来、民主党は有権者の信頼を回復する努力をしてきたのかと問うと、NOである。そのあたりの論点が抜けているように思えてならない。

 一つの救いは、ナガツマ氏の『野党再編などいう以前に、民衆党が一つにまとまり、他の野党がその中に入れてほしいと思わせねばならない』という意見。これは正論だと思うが、具体的にどうすれば良いのかという肝心の部分が伝わってこない。

 自民党アホベ政権とどのように対峙していくのか、そして、未だにあいまいな理念や基本政策をまとめていく場として代表選を位置づけるべきだと思うのだが、3氏にはその気迫が感じられない。

アベノミクスというわけの分からない経済政策に対する議論は民主党の代表選にはそぐわないかもしれないが、広がる格差問題には具体的な方向性を示すべきだろう。そして何よりも(私は)戦争への道へとつながるだろうと思っている『集団的自衛権』についてはしっかりとした見解を打ち出してほしいものである。

一応は党として、行使を容認する憲法解釈変更の撤回を要求しているようだが、行使そのものへの見解が、3氏の間にかなり隔たりがあり、撤回要求に温度差があるのも党勢拡大のマイナス要因。

ここをはっきりしなければ、通常国会でも安全保障法制をめぐる論戦は深められるはずがなく、アホベ首相の悲願である『憲法改定』議論に対しても一枚岩になりえず腰砕けは避けられない。結局は、誰が代表になっても自民党の牙城を崩せず、戦争ができる国への道へ進みそうな危惧感はぬぐえない。

 『リベラル』とか『中道』などとマスコミに踊らされて、代表選が実体のない言葉遊びに終わってほしくないと願っているのだが・・・。(田舎親父)

2015年1月13日 (火)

人ごとではなくなりそうだ・・・

 休日を増やすために毎年『成人の日』が変動するのも変な話なのだが、昨日は『成人の日』。横浜市では毎年新横浜にある『横浜アリ-ナ』で、新成人の若者たちを何組かに分けて『お祝いの式式典』をするのが恒例になっている。

 アリ-ナは私が利用するJR横浜線沿線にあるので、この日は横浜線の各駅は晴れ着姿の新成人たちで溢れるものである。しかし、その数が、ここ数年少なくなっている少なくなっているような気がする。昨日もそれを感じ、寂しい思いになる。

 私の同学年はおよそ220万人。新成人は120万人だというからおよそ半数。わずか50年で半減とは恐怖を感じるが、その数はさらに年々減っているという。横浜市内での新成人はさほど減じていないはずなのに、ここ数年、駅で出会う晴れ着姿が少なくのは別の理由かもしれないが、そのことは改めて考えたい。

 減り続ける若者たちに比べて増え続けているのは私のような老人たち。これでは社会の活力がなくなるのは仕方ないことだが、さらにそのことに加えて、ボケ老人が異常に増え続けているというから(私が心配してどうなるわけではないが)この国の未来が気がかりになってくる。

 65歳以上を高齢者と呼んでいるが、その数は一昨年の国勢調査によると、およそ3200万人。我が国の人口は約1億2千万人だから、割合としては25%強になる。実に4人に一人・・・。

 そして10年後の2025年となると、この数はさらに上がっておよそ3800万人というから実に30%強、3人に一人が高齢者となる。生きている可能性があるので想像しないわけにはいかないが、トンデモ社会になりそうだ。

 そんな心配をあざ笑うかのように、先日『65歳以上、5人に1人が認知症に 2025年の推計』という見出しが、朝日の一面で踊っていた。

 記事は、25年までを対象期間とする『認知症国家戦略』プロジェクトの基本的な考え方として『認知症の人の意思が尊重され、住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指す』とし、そのために若年認知症施策の強化など七つの柱を掲げているという内容である。

 この内閣が掲げる政策は時代がかった名称が多いが、この『認知症国家戦略』もその一つ。全てに『国家』という枕詞をつけるのが引っかかるが、そのことは他の機会につぶやくうすことにしても、厚生労働省が示した推計によると、65歳以上の認知症の人は12年時点で462万人、およそ7人に1人だという。

推計なので正確かどうかは疑問が残るものの、これが団塊の世代が75歳以上になる10年後の2025年には、65歳以上の5人に1人にあたる、700万人前後に増えるというから、俄には信じられない。

 この数値だけを見ていると、最近、人やものの名前や地名などすぐに出てこない傾向があるので、ひょっとして私も認知症なのかと思わないでもないが、徘徊などとはほど遠いので、まだしばらくは認知症の予備軍以前だと勝手に思っている。

認知症は脳の細胞が破壊される『病気』だと言われている。脳の細胞は一度破壊されると、修復がきかないと教えられているので、病気だと言われても納得できないのだが、この戦略会議によれば、国は2020年までに根治する薬剤を開発するのだそうだ。

 脳梗塞などで脳への血液の流れが止まると脳細胞が壊死することは理解できる。その意味では、この種の予防する薬はできる可能性はあるだろう。そして発症は押さえられるかもしれないが、脳細胞が壊死するメカニズムすらはっきりわかっていないとなると、わずか5年で根治薬が普及するとは思えない。

また、国家戦略案は、認知症について、症状の変化に応じて『切れ目なく医療・介護などを提供する』するために、専門医の指導を受けた看護師、保健師らが自宅を訪問し、相談や支援にあたる『初期集中支援チーム』を、2018年度までに全市町村に設置するとうたっている。

そんなチ-ムができることを信じたいが、国の命令で形だけ作って機能していない組織を散々見ている目には、なんだか眉唾ものに思えてならず、極めて皮肉な見方だが、この内閣の大得意の『きれいごとの羅列』。絵に描いた餅に終わりそうな気がする。

国を信じて手をこまねいていれば、認知症になる可能性が高そうだ。認知症になりたくなければ、自分なりに脳を鍛え、細胞の動きを活発にする訓練を欠かさないようにすることだろう。

私流には、身体を鍛えるために毎日2時間ほど野山を歩き、季節の移ろいを肌で感じる感性を磨き、新聞や雑誌を読み、それを基にして自分の考えをまとめることだと受け止めている。

そして、読んでもらえるかどうかは別にして、『他人の迷惑省みず』で、それを公開することだろうと思い、せっせと拙文を書くのが日課になっているのだが・・・。(田舎親父)

2015年1月12日 (月)

ハクビシンはいただけないが・・・

昨年の暮れのことであるが、歩いて30分ほどの先輩の家にお邪魔して、しばし旧交を温めた。

彼の住居はやはり横浜の片田舎であるが、余程熟達した運転技術を持った人でないと、危なくて通れないほど細い急坂を降りるか、反対側の急階段を徒歩で降りるか方法がない不便な場所にある。しかし、こんな場所に40年以上住んでいるのは、自宅の裏には広大な遊水池(草原状態)が広がり、野生動物がかなり生息していることが何より魅力なのだそうだ。

横浜の片田舎にはまだ結構自然が残っており、我が家の近くでは、今でもコジュケイが毎日のように『チョットコイ・チョットコイ』と元気に鳴き、コゲラやヤマガラなどの小鳥はよく見かける。時に、キジの姿を目撃するが、哺乳動物となると、20年ほど前に目にした野うさぎはすでに絶滅したらしく、今では全く見ることができない。タヌキも以前は良く見かけたのだが、今や、『昔は野うさぎやタヌキが・・・』と言っても、最近引っ越してきた人々には全く通用しない。

話を戻すが、先輩の『歳をとったので不便さを感じるが、ここ数年、タヌキが毎日のように顔を出すのも楽しみだ・・・』という話には驚いた。

周りの開発から逃げてきたらしく、彼の家の周りに住み着いたらしいが、毎日のようにタヌキの姿が見られるとはうらやましい話で、『観光名所になりますね・・・』と大笑い。しかし近所の人は気持ちが悪いので駆除してほしいと市に陳情しているのだそうだから、まさにもったいない。

タヌキは雑食で、残飯を置いておくと綺麗に食べてくれるので、生ゴミ処理には最高だと笑う。しかし何故か、スリッパや靴(特に革製品)などをしまい忘れると、必ず片方だけ持ち去るということなど、しばし、タヌキ談義を楽しんだものである。

ハクビシンのことも話題になり、『こいつもかなり多く生息しているらしいが、なかなか曲者で、こちらは駆除してほしいね・・・』という言葉が印象に残っていたこともあって、『居心地がいい? ハクビシン、都心に出没』という、先日の朝日新聞の見出しに、興味を引かれる。

記事は、『夜に光る目、額から鼻にかけた白い線、細長い尾。その圧倒的な“侵入力”で東京都心に生息域を広げている野生動物がいる。アジア原産のネコの仲間「ハクビシン」だ』という文章から始まる。

 都内東部の神社の実態を紹介している。3年ほど前から天井からネコが歩くような音が響き、太鼓をドンドンと鳴らしても逃げないのだそうだ。小学生の息子らが庭の柿の木に2匹いるのを見て、『タヌキだ』と騒いだのがハクビシンだったという。

ハクビシンはかなり凶暴で人を恐れないというから厄介である。先輩の話では、かなりでかい身体をしているのに、こぶし大の隙間があると侵入し、天井裏などに住み着くらしい。他の動物なら、自分の住処の付近に糞や尿をしないのだが、ハクビシンは所かまわずお漏らしするので、記事にあったように、神社の天井などが尿でシミができるなど実害が出るという。

その上、雑食性で樹木の果物はもとより、生ゴミでもなんでもござれとなると、カラスより始末が悪いらしく、さらに、近寄る人間を威嚇するとなると、捕獲するのも危険を伴うというから困った話である。

そんなハクビシンであるが勝手につかまえると罪になるという。野生動物保護という法律で原則捕獲禁止になっているので、駆除するには自治体への有害鳥獣捕獲の申請と許可が必要になるからである。

タヌキは日本古来の動物なので、人をだますというおとぎ話があるもののさほどの実害はなくむしろ愛らしい。しかし、ハクビシンは毛皮目的に連れてこられ、逃げて野生化したらしいとなると、悪いのはやはり人間。ハクビシン側から見たら迷惑な話だろう。

人間の都合で連れてこられ、役立たずになれば放置されて野生化した動物はハクビシンに限らない。しかし、外来種が野生化すると、その地で生息していた在来の動植物が駆逐されるという話は以前から良く耳にする。

グロ-バル化しているので仕方ないという人も多いそうだが、人間の身勝手で、はるか以前からこの地で生きている他の動植物を絶滅させて良いはずがない。

どうやら、人間が絶滅しない限り、この問題はつきまといそうだ。なかなか考えさせられる記事であった・・・。(田舎親父)

2015年1月10日 (土)

外国人観光客が増えると・・・

 最近テレビニュ-スで外国人(主に中国や台湾・東南アジア)の観光客が、秋葉原や都内のデパ-トで大量の商品を買い込んでいる映像をかなりの頻度で紹介している。とにかく凄い購買力、よくぞあれほどの荷物を持てるものだと感心するほど・・・。デパ-トなどはウハウハ状態らしいが、これで良いのだろうかと違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。

誰にでも外国ブランドに憧れる時期はあるらしく、小金をため込んだ日本人が、アメリカやヨ-ロッパ各国に出かけて、化粧品やバック、あるいはウイスキ-や煙草などといった高級ブランド品を買い込んでいたこともあったので、今の外国人観光客は当時の日本人と同じ心境なのかもしれないが・・・。

そんなことを思っていると、先日ネットに『大阪ミナミの客待ち観光バス、路上駐車が常態化』という見出しを見つけた。『客待ち観光バス』という言葉から、どうも外国人観光客のことだろうと目星をつけて記事を読む。

まさにその通り。大阪・ミナミの繁華街も東京と同じで、来日外国人観光客が激増しているのだそうだ。大阪の経済にとっては結構なことらしいが、お買い物をしている間の客待ち観光バスの路上駐車が問題になっていることを皮肉った記事である。
 東京の場合、外国人観光客の買い物光景はよく放映しているが、バスの駐車問題は余り話題にならないのも不思議である。記事によると、大阪市が2004年に設置した堺筋にある日本橋観光バス乗降場は2台分しかないのが原因らしいが、東京では商店街やデパ-トが独自の駐車場を確保しているのだろうか?・・・。こんな問題には今まで全く気づかなかったが、これは少し調べてみる価値がありそうだ。

それはさておき、たった2台の駐車スペ-スに、連日10台近くのバスが集まるとなると、道路にはみ出して車道をふさぐことは当然だろう。ひょっとしたら、私が知らないだけで、東京でも同じことが起きているのかもしれないが・・・。

大阪の日本橋界隈の現在の姿は想像もつかないが、50年以上前、工業高校時代には一時ラジオやラジコン作りに熱中したことがあり、部品を探しによく出かけたものである。富士通に就職してから秋葉原の電気街を知りそのスケ-ルにびっくりするが、大阪の日本橋付近も同じような店が並び雑然とした町だったことは共通していた。

当時,御堂筋という通りも何度か通った気がするが、この通りは、以前から(今でも)大阪を代表する繁華街なので、外国人観光客を乗せたバスはここに駐車していたらしい。しかし市民からの苦情で、現在の場所に駐車場所を作ったのだろうが、2台分しかスペ-スがとらなかったというところが大阪らしい?・・・。

関西国際空港については、運営を改善するために国内最多の10社以上のLCCが就航していることはマスコミ報道で知っている。空港の努力で、降り立つ中国などからの旅行者は年々増加、14年は約320万人と、前年を60万人近く上回っているそうだ。

台湾、韓国、中国からのツアー客が8割を占め、大阪市の見込みでは『東京五輪開催の20年には約650万人になる』というから、このままでは大変な騒ぎになり、大事故が発生しかねないことは想像できる。

さらに輪をかけているのが、新規参入するバス事業者で、大阪府では2年前より23社多い172社が営業しているという数値にもびっくりする。しかも、各バス会社は新規のバスを購入し『東京五輪までにさらに増やす』と意気込んでいるのも大阪らしいといえばその通り・・・。

多くのバス会社は観光客を集めれば良いという発想なのだろうが、これでは『人の迷惑省みず』で、カネさえ儲ければ良いという風潮がはびこり、問題はますます複雑化するのではないだろうか。

今回は外国人観光客の買い物の話題であるが、ツア-には京都や奈良といった観光地も入っているに違いない。観光名所にはバスの専用駐車場が設けられているだろうから、観光客が増えることは大歓迎なのだろうとは想像しているが・・・。

繁華街からバスを排除すれば、外国人観光客自体の減少につながりかねず、観光名所の関係者からもブ-イングが起きることは間違いない。ただ、繁華街は多くの日本人も集まる所、こちらを無視して良いわけはない。

『外国人観光客を増やせ』という国の大号令の下、6百万人到達と1千万人目標とか、人数だけが一人歩きしているが、単に、買い物だけが目的の観光客が増やしても、本当の意味の観光立国とはほど遠いのではないだろうか。

大阪市や大阪府、また大阪府警にとっては頭の痛い問題だろうが、京都や奈良、あるいは周辺の自治体と協力して、両立できるため英知を絞ってほしいものである。(田舎親父)

2015年1月 9日 (金)

ピンチをチャンスに・・・

またまた老人の行き場のつぶやきになるが、待機児童ならぬ待機老人が急激に増え続けているそうだ。

厚労省の発表では、『特別養護老人ホーム(特養)』に入所できていない高齢者が、去年の4月段階で52万人超に上り、この数値は、4年間で約10万人、率でいえば24%増えているというから、待機老人予備軍としては何とも恐ろしい。

 特養は全国に約7800あるという。我が家の前にも3つもあるのだからこの程度ではないだろうと思い、改めて『特別養護老人施設』で検索してみると、この施設は自治体が運営基盤になっているそうだ。従って、我が家の前の3つの施設は、民間(福祉法人)が運営する『有料老人施設』であって、『特養』ではないことを迂闊な話だが初めて知る。

それはともかく、利用者にとっては食事や入浴、排せつを含め、日常生活全般で手厚い世話を受けられる上に、民間の老人施設に比べ格段に負担額が少ないというから、特養への入所希望者が殺到しているわけだと納得する。

しかし、運営費の大半を介護保険で賄っていることから、入所者1人当たりの給付額は月30万円近いという。なるほどこれでは、介護保険財政には重荷になっていることも理解できる。当然、自治体としても増やしたくてもそう簡単に増やせないのが現実だろう。

それでも、自治体の努力でこの4年間で7万人余りの定員を増やしたのだそうだが、にもかかわらず10万人も待機老人が増えているというから、いかに入所希望者が多いのかはよく表している。特養に入所優先度がより高いとする在宅で重度(要介護4~5)の待機者が4年間で8万6千人、28%も増えているというから、まさに『いたちごっこ』のお手上げ状態といったところでは・・・。

 入所希望者にとっては、完全にボケてしまっては、手続きもままならないという焦りもあって『症状が軽いうちに』という意識も働いているだろうことも想像に難くない。このための対策として、厚労省は特養への入所を原則『要介護3』以上に絞る方針を打ち出しているが、月々20数万円も必要な『有料老人施設』への入所は難しく、庶民にとっての老後はますます厳しくなりそうだ。

 そんなことを思っていると、先日『特別養護老人ホームの職員不足が大都市を中心に深刻』という見出しに目が留まる。記事によると、東京では職員が定数に満たない特養が続出し、新たな入居者の受け入れをやめたり、部屋を一部閉鎖したりするところが出始めているという。

介護職員の求人については先日もつぶやいたが、都市部での有効求人倍率は、職員の争奪戦もあって年々右肩上がり、施設が職員を募ってもなり応募者が少なく、しかも賃金が他の業種に比べて安いとなると今後ますます人手不足は深刻になることは間違いない。

 『東京都高齢者福祉施設協議会』という組織が、加盟法人が運営する特養445施設に職員の状況などを尋ねたそうだ。回答があった305施設のうち、それぞれが定めている職員の定数に満たないところが半数近い145施設あり、このなかには、国の基準で最低限必要とされる職員数にも満たないところも9施設あったというから、入所者へのサ-ビスが低下するのも当然だろう。

 (これも先日つぶやいたことだが)妻が重度の認知症になり寝たきりになったため、特養に入所できた(させた)という友人の『おむつかぶれが酷いので可哀相だ』という言葉が浮かんでくる。この施設では人手が足りないことから、トイレに連れて行くなどとてもできず、常時おむつをつけさせているのだそうだが、なるほどおむつかぶれを起こすのも当然だろう。

 この話を聞いて、こんなことが許されて良いはずがないと憤慨するが、これが現実。急激な高齢化は以前からわかっていたことなのに、大慌てで『介護保険』制度を作り、それで賄おうとするところに無理があるのは私でも理解できること。

 乳幼児の保育をする職業でも人手不足だという昨今、寝たきりの老人の排泄までもの世話となると、それでも就労する人材は、余程の気持ちが優しい人か、この職業しかないから仕方ないからやっているという人だろうことも推測できそうだ。

 景気回復だ経済成長だと、大企業や富裕層を大事にする政策のオンパレ-ドではなく、弱者のための政治が求められる時、戦闘機一台、戦艦一隻分を介護職の給料アップに何故できないのだろう。

経済的にも人生にも挫折を知らない政治屋産には分からないようだが、せめて、地方の特養の人件費を国が負担すれば、『行き届いた介護ができれる』ということから、『入所希望者が多くなる』ことに気づいてほしいもの・・・。

都会では特老が維持できないというピンチを、地方でチャンスにする発想である。

 地方再生が現政権の重要な柱だと言っているが、それが本心ならば、地方の介護職の待遇を大幅に改善し、都会の年寄りを(家族も一緒に移住なども含めて)地方で受け入れられる方法を真剣に検討すべきではないだろうか・・・。(田舎親父)

2015年1月 8日 (木)

取れるところからは・・・

 経済の成長のためなら、例え悪魔に魂を売り渡してでも・・・という姿勢がアリアリの現政権は、各地にカジノを作ることに腐心しているらしい。実際にカジノに行ったことはないが、小説や現地ルポなどを読むと、一回の掛け金が数十万円とか、全財産を失って人生が狂った人などの話からして、こんなものを国策として作るべきではないことだけは明らかだろう。

 博打は昔から存在していたらしく、時代小説では登場人物が博打に手を出す場面が少なくない。イカサマの手口も詳細に紹介している作品もある。博打に狂い、全財産をやくざに脅し取られた上に、妻や娘を色街に売り飛ばす男の話も定番・・・。

江戸幕府は博打を厳しく取り締まっていたことは定説になっているが、それでも博打の魅力にとりつかれる男たち(稀に女も)も少なくなかったというから、博打には人を狂わせる魔性が潜んでいることだけは間違いなさそうだ。

封建社会の権化でもある江戸幕府ですら禁止していた博打を、こともあろうに民主主義を標榜している日本の政府が率先して建設するというのはいただけない。しかも政府は、自分では手を出さず、特区を設けて自治体や企業にやらせて、上前だけははねると言うのだからなんだか悪い夢を見ている気がする。

ところで、取れるところからカネを集めるという姿勢を露骨にしている現政権は、あらゆる部門で増税を画策、庶民いじめを強化しているが、その一つとして、パチンコやパチスロの景品交換の際に手数料を徴収し、地方自治体に納付させる仕組みの創設を目指しているそうだ。さらに、手数料徴収を確実にするため、全国の景品交換所を公益法人として一元化する案も浮上しているというから驚きである。

現政権が重要課題に掲げる『地方創生』に向け、自治体の新たな財源を確保する狙いがあるのだそうだが、こんなカネで本当に有益な地方の活性化が計れるとは思えない・・・。

私も若かりし頃、通勤帰りのバスを待つ時間や時間をもてあました時にはバチンコ屋に出入りしたものだが、いつの頃か、玉入れが全て電動式になり自分の手の感触が全く玉の出入りとは無関係になっている(技術不足だろうが)ことに気づくと一挙に興味が薄れ、今では出入りすることは全くなくなった。しかし、が、ちょっとした町の駅前には必ず見かけるところから、庶民のパチンコ人気は現在でも高いことをうかがわせている。
 最近はほとんど聞かなくなった社員旅行であるが、宴会後はマ-ジャンが定番で、これには少額ながら掛け金が当り前になっていたことも懐かしい記憶である。厳密にいえば、この行為は『博打』として、法律で禁止されていることは言葉として知っていたが、掛け金のないマ-ジコンはまさに泡のないビ-ルのようなものだったことも・・・。

パチンコやパチスロもこのたぐいだと思うのだが、こちらは刑法が禁じる『賭博』とは区別され、風俗営業法で『遊技』と位置付けられているのだそうだ。風営法はパチンコ店内で現金や有価証券を賞品として提供することを禁止しており、利用者は景品を受け取り、景品交換所に『販売』することで現金に換えるのが一般的な方式だというのも、考えれば変な話だが、これは、戦後のパチンコ業界と歴代政権との癒着と綱引きがなした結果なのだろう。

現政権が作ろうとしているのが、景品交換所での『換金』の際、一定の手数料を徴収し、地元の自治体に納付するシステムだという。1%の手数料で年間2千億円程度の財源が新たに生まれるとの試算もあるというから、何が何でも実現させようと必至に進めていることは想像に難くない。

ただ、手数料の徴収は利用者の『もうけ』を目減りさせることになり、導入には業界や利用者の反発があるそうだが、手数料の納付は『社会貢献』でもあり、『業界のイメージアップ』との論理はおぞましさを感じる。

また、自民党内では、パチンコ店内での換金を合法化した上で、換金額の一定割合を国税や地方税として納付させたり、売上高などの事業規模に応じて課税したりする『パチンコ税』の創設も検討されているそうだ。

こらは、パチンコを合法的な『賭博』として認める必要があることから、実現は困難な見通しだというが、税と法律には様々な裏技があることから、カジノと同様な方法を考えているような気もする。

 カネのためとはいえ、ささやかな庶民の娯楽も税金の対象にするとは、まことに持って困った話である・・・。(田舎親父)

2015年1月 7日 (水)

暖かな寒の入り・・・

 昨日は二十四節気の『小寒』。2月3日の『節分』までの約一月が、一年でもっとも寒い季節になるという意味での『寒の入り』という言葉があり、寒中見舞いの時節でもある。

 ところが、厳しい寒さになるはずの昨日の朝は、超夏向きの我が家の寝室でも、10℃というから、どうなっているのと思いたくなる。もっとも、このことは気象庁は折り込み済みだったらしく、気象予報士たちは口を揃えて、全国的に雨模様でも気温が高くなると言っていた・・・。

 天気図を見ると、二つの低気圧が日本海にあり発達しながら進んでいる。このような場合は南風が強くなり、当然ながら暖かい空気が日本列島に流れ込むので気温は高くなること程度は理解できる。

 低気圧は寒冷前線を伴っているので、前線が通過すると風向きが変わり、急速に気温が低くなることも経験上知っている。そして、天気も一変、全国的に雨になることは、気象予報士によらなくても多くの人は知識として持っている。

 予報通り午後1時過ぎから雨が降り出す。午後3時半現在、風向きが変わらないのでまだ前線は通過していないようだが、大きな雨粒が私の居室のガラス戸を叩く。そして、4時過ぎには雨が上がり、西から青空が顔を出してきた。

 少し時間的な狂いはあるものの、ここまでは予想通り。今夜の気象予報士たちはきっと鼻高々で解説するだろうと予測したが、その通り、NHKを見ている限り、やったぞという顔つきだった。

 しかし、昨日の記録には、寒冷前線は通り過ぎたと思われるのに、風が全くないのは少し変。気温も急速に下がるはずなのに、生ぬるさは保ったまま。低気圧まで異常になったのでは・・・とあらぬことを心でつぶやいたとある。

 今日は、気象庁が昨年12月の天候まとめを発表した内容を話題にするつもりだったが、昨日の『小寒』の異常な暖かさと天候の変化で気持ちが変になって、わけの分からない書き出しになってしまった。

気象庁の3ケ月予報では、確か、年末年始は暖かいはずだった・・・。しかし、年末から一昨日までを振り返ると、例年以上どころか史上最悪の寒波の到来で、全国的に寒いお正月になり、特に日本海側の地方では記録破りの積雪に襲われ、連日、テレビは各地の凄い映像を流していた。

 気象庁によると、気温は西日本で平年より1.1〜1.6℃低く、東日本でも0.9〜1.3℃低かったという。降雪量も北海道から九州北部にかけての日本海側などで多くなり、降雪量を含めた降水量は北海道から北陸にかけての日本海側で平年の1.5〜2倍となり、1946年に観測を始めてから最も多くなったとのことである。

 3カ月予報では、エルニーニョ現象により今冬の平均気温は沖縄から関東甲信にかけて高く、東北と北海道では平年並みとしていたが、実際は北極上空の高気圧などの影響で日本付近の偏西風が南側に蛇行。寒気が流れ込み、強い冬型の気圧配置が続いたことが原因だという。

 気象庁は『北極上空の大気の流れは2週間以内の予報しかできず、偏西風の蛇行は予測できなかった』と言い訳をしているが、エルニ-ニョの発生はもとより、偏西風の蛇行は今の科学技術とコンピュ-タの処理能力からして、さほど難しいものではないのではあるまいか。

 後になって、偏西風が蛇行したというのでは何のための予報なのと揶揄したくなるが、これが気象庁の限界だとしたら、50年前、必死でラジオに耳を当てて天気図を描いていた山岳部員と余り変わりがないようだと言うと言い過ぎだろうか。最近、山での気象変化が原因の遭難が増えているのも気になるところ。

 ともあれ、気象庁は膨大な予算と優秀な人材を揃えているはず。国民が気象庁の予報で計画を立て行動していることを肝に命じて、今一度、謙虚に天気予報に取り組んでほしいものである・・・。(田舎親父)

2015年1月 6日 (火)

見ざる言わざる聞かざる・・・

 今日は二十四節気の『小寒』。これから約一月、2月4日の立春までがもっとも寒い日が続くのだが(今年に限っては)年末からの寒波のせいで、例年に比べても十分寒い日の連続、寒さ暑さに比較的鈍感な私でも例年より勝てりの厚着をしている。

 この寒さに思うのが、東日本大震災や福島原発事故で故郷を追われて避難生活を余儀なくされている人々のこと。特に原発事故の被災者は、津波被災の人々なら心の中で近い将来故郷に戻れるという希望が持てるのに比べ、強制的に追われて、放射能がなくなるその日まで、異境での生活が続くのだから、私には想像もできないほどの苦しい日々の連続に違いない。

事故から間もなく4年。マスコミの取り扱いは日々小さくなり、この年末から正月にかけては、事故前と全く同じで、享楽的な話題の連続。復興の話は一般の国民にとってはまるで忘れられたごとく、人間の痛みの問題として語られていないことに暗澹たるな気持ちにさせられる。

 福島県ではいまだに約12万人が県内外での避難生活を強いられているという。4号機は燃料を取り出した(どこまで本当が疑わしいが)というが、1号機~3号機の格納庫の底が融けて、燃料の行方すら分からないのが現状。いわば、原発事故の収束などとはほど遠い環境なのに、アホベ政権はマスコミには圧力をかけているらしく、そんなことは一切報じさせず、原発事故の話もなかったような姿勢を押し通し、各地の原発の再稼働を加速させようとしている。

 年末の衆院選挙では、国民は自民・公明の与党は3分の2の議席を与えてしまったこと事態由々しきことであるが、それ以上に、野党も含めて、その選挙中に被災者の苦悩に向き合う公約や言葉がほとんどなかったことに対して、未だに信じられない思いを持ち続けている。

さらに信じられないのは、自民党の幹部たちが福島県に応援に出かけた時、例外なく『ここのおいしい農産物や水産物を、全国のもっと多くの皆さんに食べてもらいたい。そして、風評被害を払拭しなきゃいけない』と叫んで、一口二口農産物や魚介類を口にするしぐさをする姿・・・。

たった一口だけ食べて、被害にあうことはない。しかし、食べ続けなければならないとなると、身体に何らかの異常をきたすのは想像に難くない。国や県の関係者は、測定して基準以下だから安全だと言うが、放射能は目に見えない、臭いも味もしないのだから厄介で、しかも、住民自らが精度の高い測定器で測定しているわけではないことから、ウソで固めることが得意な政府の発表では安心できるはずがない。

政府は『経済対策で復興を推し進める』というアピールを声高らかに宣言しているが、現実に避難生活を余儀なくされている放射能汚染に苦しむ人々の生活再建をどうするのか、具体的な方策は語らない。

特に、全村避難となった地域の悲惨さは語る言葉がない。事故原発から北西50キロに位置する飯舘村では、昨年11月に、村民が一丸となって原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に第一次申し立てをした記事を思い出す。

求めたのは、政府が避難指示を遅らせたことによる初期被ばくの慰謝料や、現在月10万円の精神的慰謝料の増額など、参加者は村の人口の半数の2800人余。その事務局を担った、隣接する伊達市に避難し、仮設住宅に暮らす男性の話が印象的であった。

詳しくは述べるまでもないだろう。被避難地域指定という国の線引き一つで、賠償の対象になる人とならない人に分けられ、住民同士を区別し反発させあうという、これまで繰り返されてきた、国の問題解決の方法で心をズタズタにされたようだ。

飯舘村に先立つ浪江町の集団ADRでは、精神的慰謝料の『一律月5万円増額』という和解案が示されたことは記憶に新しいが、東電は未だに和解を拒んでいる。

川内原発と高浜原発の再稼働を何が点でも進めたいのだろうが、避難している被災住民の帰還や賠償の課題は早く終わらせるために、(先日もつぶやいたが)避難解除の要件となる年間積算線量の緩和をしたことも酷い話である。

政府による、原発事故に対して、見ざる言わず聞かざるの強い締めつけがますます強くなることは間違いない。

 一個人の反対のつぶやきなど、国や原発推進者にとっては痛くもかゆくもなかろうが、自己満足と言われようとめげず続けていきたいものである。(田舎親父)

2015年1月 5日 (月)

文科省は過疎化を進めたい?・・・

明けましておめでとうございます。しばらくお休みしていましたが、今日からまた、自分のためだけのボケ防止として、(勝手気ままで)実行力は全くない独りよがりの拙文を連載することにします。

年末のことになるが、文科省が公立小中学校の統廃合を促進するために、基準を約60年ぶりに見直す方針を決めたというニュ-スに、言うこととやることが違うだろう・・・とまたまた暗澹たる思いにさせられる。

記事には、小学校で4キロ以内、中学校で6キロ以内としている通学距離に加え、(通学バスで)『おおむね1時間』と通学時間も示し、より遠くの学校と統合できるようにするとある。さらに、学級数別に対応例を示し、特に全校6学級未満の場合は、今後も含めた検討を強く求めるとなると、過疎地では今後統廃合の嵐が吹き荒れることは間違いなさそうだ。

今回、学校の適正配置についての『手引き』は、市町村教委が判断する際の目安で、強制力はないというが、統廃合をした場合に国が財政支援する方針だという。これでは、『やりたくなければ良いのだよ。その代わり、お前さんたちの予算でやるんだよ』という、いつも通りの上から目線のアメとムチ・・・。

 毎年のように、3学期は統廃合で全国の多くの小中学校(特に小学校)の校名が消え、住民や卒業生の多くを悲しい思いにさせるのだが、地方では地域から学校が消えると、加速度的に人口が減少し、過疎の勢いが進むのは歴史が証明している。

過疎化を止めようという世論が高まりつつあるのにこの動きは理解できないが、統廃合進めるのは全てか経済のため?らしい。財務省の試算では、全校が12学級以上になるよう機械的に当てはめると、5千校ほど減るという。教員数は小学校だけで約1万8千人減を見込み、300億円以上が浮く計算だというが、わずか戦闘機一機分のためにこれ以上の過疎化を進めて良いわけはない。

現行の統廃合の基準は1956年に出され、公立小中学校では『12~18学級』が標準と決めている。そして通学距離を小学校で4キロ、中学校で6キロが『限度』とされてきたようだが、地元の教委の判断にゆだねられているのが現状である。

話が飛ぶが、東京23区内では、お隣の小学校まで歩いて10分(極端な場合5分という例も知っている)という近距離も稀ではない。現役時代、これこそ無駄で統合すれば良いのにと思ったことも数限りないが、それを言い出したら、住民からの反発が半端でないことも何度も経験している。

横浜の片田舎では、(我が家を例にとってみると)小学校まで20分、中学となると40分以上かかるが、子どもの数が多く、学級数も20を超えているので統廃合の話は全くない。逆に、学校を新たに建てるべきという声があるそうだが、予算不足からこちらの動きも鈍いのが現状らしい。

しかし、地方では、我が子が1時間以上歩いて通う小学校が、子どもの数はわずか数十人規模という話をよく耳にする。そして、次に行く機会があった時、統廃合が進み、子どもたちはスク-ルバスで通っていることも・・・。

東京23区では12学級以下の小学校も多く、以前から統廃合の話は出ることがあるが、そのほとんどが地元の反対で消えるか延期になっている。組長もそれを言い出したら、次の選挙に影響することもあって地元の言いなり。実際に、統廃合が進められることは稀で、私の記憶でも10校を上回ることはない。

東京では、小規模の小学校でも統廃合の動きが起きないのに(出ても立ち消え)、地方では、存続を許さず、統廃合して無駄を失くせとは理屈に合わない。

隣町の小中学校まで車で1時間以上という地方も多く、机上の計算でも統合が不可能な地域も多いため、小規模のままで教育内容を充実するべきだという声もあるという。小中の一体化を進めることや、インターネットを通じて他校と合同授業をすることなどを提案する専門家も多い。その通りだろう。統廃合ありき・・・という発想を封印し、地方の判断に委ねるべきである。

 地方の小中学校の統廃合を進める以前に、せめて東京一極集中解消の一助として、都内の12級以下の小学校を統合し、小中一環校を誕生させる発想が先だと思うのだが・・・。(田舎親父)

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