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2015年2月

2015年2月28日 (土)

文科省の大学政策2態・・・

 やっと川崎の中一殺害の犯人として、日頃からこの少年をいじめていたワルガキ3人が逮捕されたらしいか、随分手間取ったものである。この当たりの経過などは徐々に明らかになるだろうから別の機会に取り上げるとして、今日は教育関係を・・・。

一昨日、文科相に黒い献金というニュ-スが流れた。これは面白い情報だが、こちらももう少し様子を観ることにするとして、文科省が、講義は中学レベル、入試は『意』で合格という大学の存在を明らかにしてダメ出ししたという話に私のアンテナが反応する。

そんな『仰天大学』などあるはずが無いと思いたいが、実際に存在し、文科省が指導改善に乗り出すのだそうだから思わず笑ってしまった。

確かに、最近聞いたことがない大学の名前が新聞やテレビのニュ-スで出てくるのが稀ではない。また、この種の大学の教授や准教授という肩書の人物が、テレビ番組で、さまざまなことがらについて解説している映像も多くなった気がする。

 テレビ局としては、専門家という人物をゲストに呼んで箔をつけたいのだろうが、名の知れた大学の教授達は、あまり表に出たくないのか、それともギャラの関係なのか別にして、初めて聞く大学の教授たちが駆り出されるようだが、その度に、ああこんな大学があるのだ・・・と変に感心することも多い。

 今回、文科省は、実際に、講義内容や運営方法などに不備があるとして、改善を求める大学253校を、一部実名をあげて公表したというから、俄には信じられない。ウソのような本当の話?・・・。

 特に問題にしたのは、新設された大学や学部で、対象となった502校の約半数が問題になったという。学生の定員割れや、教職員の高齢化が背景にあるだろうと想像できるが、それだけではなく、中学レベルの授業が進められ、大学としての『適格性』が問われているというから驚きである。

 その記事が何とも凄まじい。『数学の授業は四捨五入から』とか『受験生と大学の同意で合格』、さらに『新入生が一人もいない』なんて、文言が並んでいる。若者の減少とキャンパスの新増設で『大学全入』とも言われる時代、とりわけ知名度の低い地方大学で、教育の質の低下が懸念されていると述べ、大学の実名をあげて実態をさらしている。

 実際に新聞記事にあるので実名で書くが、千葉県の銚子市に『千葉科学大』という大学があるのだそうだ。

そこに通っている学生達には申し訳ないが、(一部だろうが)『英語1』の講義において、講義計画で冒頭から『be動詞』『過去形』『進行形』などといった中学校レベルの内容が並ぶというからビックリする。さらに、『基礎数学』の講義でも、『割合(百分率)や小数、四捨五入とは何か』から教えるというから、ビックリの2乗どころの騒ぎでない。

また記事は、やはり千葉県の土浦市にある『つくば国際大』という大学の凄まじい実態も紹介しているが、この大学の命名などは明らかに『筑波大』という有名国立大学をもじったものだろう。受験生の錯覚を誘う?ためにこんな名前をつけたのではと考えても奇怪しくなさそうだ。

こうした実態について、文科省の調査は『大学教育水準とは見受けられない』と指摘して改善を要求しているそうだ。当然で遅いくらいだが、私としては、強烈な皮肉を込めて、『認可したのは誰なの?・・・』と突っ込みたくなる。それ以前に、こんなレベルの大学に対して、仰々しく改善を求めるのも責任放棄というしかない。神経を疑ってしまう。

もう一つ。文科省は、首都圏など大都市部にある私立大学の学生数を抑制する方針を決めたそうだ。その理由が、大都市への学生集中を抑制し、地方からの学生流出に歯止めをかけるというもの。現政権が掲げる『地方創生』の一環だという。

現在、定員8000人以上の大規模大学の場合、定員の120%以上なら私学助成金を交付しないが、これを110〜107%まで減らす方針だだという。定員以上に入学させて、その分まで補助金を受け取っている事実を改めて知るが、それを『是』としたのも文科省。

二階の梯子を外すような処置だが、都会の私立大学にとっては大痛手だろう。確かにこの改革を実行することによって、地方の大学に流れる学生は多くなる可能性は予測できるが、逆に(今でも存在するだろう)都会と地方と大学格差を広げることになりかねない。こお可能性の方が大となると、本当に『地方創生』に役立つかも疑わしい。

慶応大学が神奈川県の藤沢市に校舎を作り、学部の一部を移転している。そこに通う学生達が地元と協力して、活性化にかなりの戦力になっていることは良く聞く話。早稲田大学も埼玉県の本庄市だったかに一部校舎を移転して、こちらも地元から歓迎されているという。この実践を、東北や四国九州など過疎化に悩む地方に広げるというアイデアが現実化すれば、かなり『地方創生』は進むのではと期待しているが・・・。

しかし、都心にある私立大学の多くが、一時期、多摩地域や神奈川・埼玉・千葉の田舎にその一部移転したところ入学希望者が減ったらことから、近年都心に回帰しているのが現実ではこちらも難しい話。しかし、やり方を考えれば面白いのではないだろうか・・・。

文科省は新たな大学を認可して,経営が悪いと指摘する愚を繰り返すのではなく、実績のある大都会(首都圏だけではなく、関西圏や中京圏などの大都会)の大学の一部を、地方へ分散することにこそ力を入れてほしいもの。

そして、地方の学生が集まりやすくするために、大学への補助金ばかりではなく、地元の大学へ通学する学生に、圧倒的有利な奨学金などを含めた制度設計に力を入れるべき時期にきているのではないだろうか。

 それ以前に、国公立大学の授業料を、私の時代の『月額1000円』は無理だとしても、『5000円』程度を実現してほしいものだが・・・。(田舎親父)

2015年2月27日 (金)

川崎の事件がずっとトップに?・・・

 川崎市の中学1年生の男子生徒殺害事件では、ほとんどの人々が『許せない・・・』と怒りを露わにしたことだろう。私もその一人で、こんな残虐な犯人は、例え少年だとしても、即刻同じ方法で死刑にするべきだという心情になってしまう。

 悲惨である。こんなことが実際に起きたとは信じたくない。あまりにも残忍な犯行に、憤りは押さえきれない。

しかし、私が素直でないことは自覚しているが、この事件報道について当初から、何か奇怪しいという思いが抜けないのは何故だろう。その一つが、情報があまりにも小出しにされているということから始まる。

事件発生からすでに1週間以上過ぎる。新聞やテレビの報道では、防犯カメラに映るこの少年にかかわる映像として、当初から3人だ4人だ、はたまた複数だと日替わりに変化しているのも不可解である。

恐らく、警察は遺体発見と同時に付近一帯を徹底的な捜索し事件にかかわる物的証拠の押さえているに違いない。しかし、『流木のような棒が見つかった』というニュ-スが流れたのは昨日の朝。警察は、防犯カメラの映像から犯行は、最初から顔見知りの犯行だと確信していただろうから、翌日には被疑者は割り出していたのではないだろうか。

少年はワルガキグル-プでは走り使いをやらされていたという。万引きをしてこいと脅され、断ったことで、痛めつけられてボコボコにされたとある。これらは事実だろう。

そのことは、後でまた述べるとして、何故この少年が標的にされたのか、現役時代の職業病なのだろうが、こちらが気になりその情報を捜してみる。

新聞記事によると、この少年は5人きょうだいの2番目で、5歳の頃、父親が漁師をしたいという希望で、島の支援制度を使って隠岐に移住したとのこと。しかし、小学校3年生の時、両親が離婚し、その後、看護師の助手の母親が一家を支えていたが、生活が苦しくなり母親の実家のある川崎に戻ったという。なるほど、隠岐島からなぜ転校したのかはそれで納得する。

親の離婚で子どもの環境が一変することは、よく聞く話だが何ともやり切れない。母親の話も載っているが、『息子が何故、このような被害に遭ってしまったのか分かりません。一刻も早く真相が明らかになることを願っています』とは、記事にある通りなら、何となくそっけないのも気になるところ。

あくまで憶測だが、少年は母親の愛情に飢えていたのではないだろうか。5人もきょうだい(男女の比ははっきりしない)がいるのでは、母親としては、生活するのが手一杯でかまってやれないのもわかるような気がする。また、最近は、育児ノイロ-ゼが日常的な話題になることが多いので、この母親に当てはめるとぴったりするような気もしないでもない。となると、この少年を疎んじていたとも考えられないことはない。

父親の姿がないのもこれで理解できるが、簡単に離婚して、5人の子どもを押しつけて後は知らん・・・。こんなことが許されて良いはずがない。しかし、離婚が当り前の当節では、このことを追求するのもタブ-になっているようだ。

結局は、不良少年達の格好の餌食に。満たされない思いを抱いていた時に、ワルガキ仲間からの誘いについつい心が動いたに違いない。そして後は、手下というか、まるで奴隷のような扱いをうけたというところだろう。ワルガキたちにとっては、格好のいじめの対象となり、何かにつけて殴るけるの暴行を加えていたようだ。

残忍な殺害方法について、イスラム国(最近はISで統一しているらしいが)のやり方に影響されているのではという意見もあるらしいが、これもあり得る話。後日、このことが明らかになったら、ここにも首相の軽率な言動の責任は重い。誠意を込めて謝ってほしいものだが・・・。

教育委員会と学校の慌て方も尋常でない。そして、またこの事件にもスマホが存在するのも気になるところだが、長くなるのでこれらのことは別につぶやくことにする。

話を戻すが、NHKの朝昼晩のニュ-スをチェックしていると、26日現在、必ずこの事件がトップになっている。ほとんど同じような内容を繰り返し繰り返しなのに、新聞でいうと一面トップの位置を保ち続けている。

『またNHKは同じニュ-スを・・・』と思っている人も多いのではないだろうか。新聞各紙は、すでにこの位置には違うニュ-スがしめているのと対照的である。

今、辺野古では、民意を無視して、埋め立てのための杭打ち作業が再開されようとしている。基地建設反対の人たちの逮捕も起きている。これらのことをNHKと徹底して取り上げていないように思えるが・・・。

中一殺害は大事件であることは十分理解しているが、それにしても、あまりにも扱いが違い過ぎる。『何か変だぞ。特別な理由があるのでは・・・』と考えるのは私だけだろうか。

付け加えるが、今朝の7時のニュ-スもトップ扱い。ただ、少し内容が変わった感じがうける。気になるのは、各紙が朝刊で取り上げている、文科相と環境相の政治とカネの問題は一切ない。(田舎親父)

2015年2月26日 (木)

これは植民地の統治政策そのもの・・・

沖縄県民の民意を全く無視して、辺野古周辺の埋め立てに突き進んでいる政府のやり方に、嫌悪感を抱いている人は多いはず、私もその一人であるが、さて自分で出来ることとなると具体的に何もない。そこで、そのことが悲しいとつぶやき、せめて、反対している人たちのことを忘れてはならないと自らに言い聞かせている。

連日、命を張った反対運動が繰り広げられていることは、琉球新報やネットからの情報である程度理解しているつもり。キャンプ・シュワブの入口付近には、テント村が出来、反対の人たちで溢れていると伝えられているが、その映像は(政府の圧力なのか、それとも自主規制というタテマエなのかは別にしても)国民の目には届いていない。

辺野古移転反対の抗議集会は、話が出た当初から続けられていたが、(幸いなことに)今までは警察の強権発動もなく逮捕者もでていないと聞いていた。

それが、一変したのは22日のこと。その夜のNHKニュ-スが、抗議に参加していた二人がアメリカ軍に拘束されて、県警が逮捕したと伝えていた。NHKにしては珍しいと思ったが報道はその一度だけ。その後は(意識的に?)時を同じに発生した、川崎市の中学一年生の殺害事件の影に隠れているようにも思えてしまう。

川崎の事件は、簡単に犯人を割り出し逮捕できると思うのだが、警察は情報を小出しにして、意識的に進展を遅らせているようにも思えてしまう。まさか、時間を稼げなどという命令があるとは思いたくないが・・・。

(話は少しそれてしまったが)辺野古の反対派逮捕事件は翌日の大新聞は揃ってスル-したが、唯一、東京新聞が朝刊の一面トップで事件を取り上げていた。記事によると、基地内に侵入したことで逮捕されたのではなく、基地警備員(当然アメリカ軍に雇われた沖縄県民)によって、基地前での揉み合いの際、基地に引っ張り込まれたという。それが侵入となり、地位協定違反という理由でアメリカ兵に拘束されたというから、やり方が汚いとしか言いようがない。

しかも、アメリカ軍に拘束され県警に逮捕された人物は、反対運動のシンポル的なリ-ダ-とごく親しい仲間だというから、多数の参加者の中から狙い撃ちされたとしか思えない。

このことを、一昨日になって毎日新聞が大きく取り上げている。拍手ものなので一部引用してみる。(引用はじめ)『事件』は22日午前9時過ぎ、シュワブゲート前の抗議活動中に起きた。午後1時には大規模集会が予定されていた。県警や山城議長によると、早朝から市民らと米軍警備の日本人基地従業員、警察官の間で断続的に小競り合いになり、山城議長は基地の境界線を示す黄色い線付近で市民に冷静になるよう呼びかけていた。/警備の基地従業員が後ろから山城議長を倒し、基地の方に引きずった。山城議長を引っ張り返そうとした男性(63)も基地内に連行された。2人は米兵によって後ろ手に手錠をかけられ、建物内で外されたという。約4時間後に名護署に移送され、翌日に那覇地検に送検後、釈放された。(引用ここまで)

 理不尽である。信じられない話だが東京新聞と内容がほぼ一致、事実であることを疑えない。

原発や空港・ダムなど、いわゆるハコモノの建設において、まず国や地方自治体(お上と表現する)が計画を発表する。すぐに儲け話には環境などどうでも良い輩が賛成の声を上げる。それに対して、何故ここに・これの必然性は・安全対策はと疑問を持つ住民は慎重になり、まずお上に説明を求める。

お上は完成が前提なので、都合の悪いことは徹底的に隠す。しかし、徐々に本質と背景が明らかになるのは当然で、隠されていた事実が明らかになるにつれて反対の声が大きくなる。このことは成田空港や八ツ場ダム反対運動においても歴史が証明している。

それまで良好なコミュニティを築いていた住民は、賛成・反対に別れ、互いに相手を攻撃するようになり、憎しみに変化し、場合によったら刃傷ざたということが繰り返されてきた。成田空港の場合は、最初から反対派を官憲が徹底的に取り締まり、流血が日常的になるほど激しい闘争が繰り返されて、信じられないほど多くの人々が逮捕されたことは忘れてはならない。

そして結局は、お上には逆らえないというム-ドが作られて、地域社会の人のつながりは崩壊・・・。それが現在の過疎化の遠因になっていることは疑えない。

今回の辺野古での逮捕劇は、相手がアメリカ軍ということでさらに深刻である。一般の沖縄の人たちの圧倒的多数は辺野古移転反対ではないだろうか。しかし、安定した給料を得られる場として、アメリカ軍基地を選ぶ人も少なくないのも事実。

沖縄では、基地は恵まれた就職口だとのことで、基地従業員への希望者も多く世襲も珍しくないと聞いている。代々アメリカ軍に雇われ、基地の警備を生業にしている人も多いそうだ。この人たちにとっては、反対派の人々は、自分達の生活を脅かす存在として映ることは想像に難くなく、憎しみすら持つ人もでてきても奇怪しくない。これは県警の警察官もおいても同じ構図だろう。

以前、日本軍の朝鮮支配のやり方は、一般朝鮮人を取り締まる警察組織を作り、朝鮮人を手先の警官にしつらえて同胞を逮捕・粛清、日本統治の反対の声を押さえ込んだことは疑いのない事実として歴史小説の題材にもなっている。

朝鮮人を分断し、互いに争わせることで憎悪の炎を燃やさせて、反日の声を押さえ、独立の動きを封じてきたのだが、今回は、支配するのが日本とアメリカの2国、共同で沖縄を植民地化しているのだから問題がさらに複雑になっている。

命をかけて基地移転に反対している人びとは沖縄人。それを弾圧する立場にいる基地の警備員も、県警の警察官も沖縄人。双方が分断の中に存在している。こんなことが同じ日本人として許されて良いはずがない。

 そのためには、まずアメリカからの真の独立が前提であると思うのだが、現実はその真逆。自ら進んでアメリカさまのポチになり、世界のあらゆる場にでも出かけて、戦争に加担するという発想はどこから生まれるのだろう。

 アホベという男と取り巻き連の頭をかち割って、脳味噌を取り出し、精密分析したい思いの昨今である・・・。(田舎親父)

2015年2月25日 (水)

NHKは政権の僕に?・・・

 少し話は古くなるが、NHKのトップの言動が、民法テレビがかなり大きく取り上げていることを知り、これは面白そうだとネットで確かめる。是非はともかく、便利な世の中になったもので、調べようと思ったことや、知りたいとことなどはほとんど全てネットが教えてくれるので便利である。

モミイというNHK会長が興奮して民主党の議員とやり合っている場面のビデオがネットで公開されて、誰でもが自由に見られるが、これが天下のNHKのトップなのかと思うと情けなくなる映像の連続に、なるほどワイドショ-が取り上げるわけだと納得する。

 モミイ会長が経営計画を説明するため出席した民主党の会合でのことだったようだ。従軍慰安婦問題を番組で取り上げるかどうか、政府の方針をみて判断するとした発言などを追求された件で必死に弁明しているのは仕方ないとしても、会長就任時に理事全員の辞表を集めた件をあらためて追及されたことから、この御仁は『過去のことだ』急に怒りを露わにし、議員に対して挑発的な態度に変貌している。

 会長に就任した直後、理事全員の辞表とは誰が考えても乱暴な話なのに、この御仁は世間ではよくあることだと発言していたことを思い出す。当時、こんな人物を会長に据えたら、NHKの体質が変わるだろうと心配していたが、その後の動きは、私が今更指摘するまでもなく、確実にNHKは政府の政策広報機関になりつつあるように思える。

 民主党の議員が『よくある話ではないから、撤回してください』と言われたのに逆上したのか、『撤回しない』と顔色を変えて反論する姿は、まるで小学校の学級会レベル。何とも情けなくなる。

 会場の去り際に『くだらん』と発言、民主党の議員から『失礼だ』と言われて『あなたこそ失礼だ』と紅潮させて興奮したまま議員に叫び続けていた。『お前・・・』という言葉が出なかったが、出ても奇怪しくない場面。(出たら、外野的には面白かったのだが・・・)

 これは面白いと何回か巻き戻す。NHKといういわば日本を代表する公共放送機関のトップという重職にある人物が、感情むき出しで怒鳴るという光景はめったに見られるものではない。これまでも、何かと物議をかもし出していた会長もいたが、追求に対してはのらりくらりとかわすのが常、こんなに感情をむき出す会長は前代未聞に違いない。

 話は少し飛ぶが、国会の予算委員会では、農水相の政治資金を質していた共産党の議員に対して、アホベ首相が『日教組云々・・・』などと、全く関係ないヤジを飛ばしたと報じられているが、こちらも小学校の学級会以下、首相と会長は同じ体質を持っているようだ。なるほど、首相がこの人物をNHKの会長に据えたことがよく分かる。

一昨日、農水相の辞任とほぼ同時に、日教組発言を削除して謝罪したらしいが、これはやばいと思ったか、取り巻き連の中の知恵者に、下手すると火の粉が・・・との忠告に、嫌々ながら折れたのかも知れない。

 この件はともあれ、モミイ会長は就任当初から政府寄りの姿勢が批判を浴びていた。しかし、同じ体質を持つアホベ首相の強力な後押しがあるからだろうが、何ら反省することなく、次々と問題発言を発している。繰り返すが、従軍慰安婦の問題で『政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない』という発言は、『政府のいうことは正しい』という前提でNHKを運営するということ。こんなことが許されてはたまらない。

 この会長の考え方を受けて、放送総局長は記者会見で『NHKの職員といえどもサラリーマン。(上の意向への)忖度は企業や組織には普遍的に存在している』と述べたと伝えられているが、これまた酷い話。

これは、『私は会長のおっしゃる通り、番組を作っていきます』ということだろう。こんな姿勢で、番組作りを進められたら、政治問題は全く一方的な方向からしか報じられなくなることは間違いない。

放送法はその第一条で『不偏不党』をうたっていることは以前学んだこと。この理念に基づいて、番組編集の自由が保障されていると理解している。集団的自衛権はもとより、沖縄の辺野古問題も、『不偏不党』の精神で報じてほしいと願うのだが、この会長が就任してからは、誰が見ても偏っているとしか言いようがなさそうだ。

会長は放送法の中身など興味がないようだ。いや、それ以前にこんな法律があることすら知らないのではないだろうか。そしてNHKの幹部達も・・・。

どうやら放送法はNHK内部ではすでに空文化し、そして、『日本放送協会』という国内唯一の公共放送機関は、現政権の僕となってしまったらしい。(田舎親父)

2015年2月24日 (火)

曽野さん ちょっと違うのでは・・・

 曽野綾子という小説家が産経新聞のコラムを担当しているのだそうだ。産経という新聞の記事を読むと現政権のやっていること・やろうとしていることがよく分かるので、反面教師として、時にネット版を開くことがある。

そのコラムに書かれた文章に対して、南アフリカ大使館が『アパルトヘイトを擁護・美化している』と強く抗議したというニュ-スに、このコラムはもちろん曽野さんの小説は読んだことも、彼女の思想も知らないが(産経にも曽野さんにも失礼な話で、しかも偏見だと言われても仕方ないと思うが)何となくあり得る話だと変に納得する。

一応確認のために、曽野コラムを読んでみた。さすが人気作家だけあって文章はうまい。『労働力不足と移民』というタイトルで、急激な人口減少社会に突入した今、深刻な労働力不足を考えると、移民の受け入れは避けて通れないのは当然で、今よりもっと資格だの語学力などといった分野のバリアは取り除かなければならないと述べている。

労働力確保だと割り切れば良いという考え方は危険だが、言論の自由だと許容したとしても、後半の白人と黒人との居住区は分けるべきだというくだりに加えて、南アフリカの(真偽も怪しい)実例を出して、白人と黒人は一緒には住めないという主張は、アパルトヘイトに苦しんできた歴史を持つ南アフリカとしては抗議するのは当然だろう。

曽野さんに対して人権団体などからも批判が続き、中には謝罪して撤回しろとの強い抗議もあるらしいが、曽野さんは謝罪も撤回も拒否しているというから、この問題は今後緒を引くような気がする。出来れば、国際問題に発展してほしくはないが・・・。

このコラムを読んで(南アフリカ大使館の抗議はさておき)私がもっとも気になるところは、『同時に移民として法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない』という部分。

曽我さんは、『何ら非人道的ではない』と言い切っているが、『移民として法的身分』という言い回しは、常識的に解釈すれば、『外国から介護のための移民は必要だから認めるが、移民としての身分はわきまえろ』ということだろう。これでは、日本国民の下に移民という階層を新たに設け、社会の被差別的な二級市民を作ることに、賛成していると捉えて間違いなさそうだ。

先日つぶやいたことであるが、厚労省の推計では段階の世代が75歳以上になる2025年には介護分野の人材が約30万も不足することを受けて、現政権は、現在の『外国人技術実習制度』の枠を広げ、介護職を加える方針を打ち出している。

『外国人技術実習制度』とは、本来、発展途上国への支援の一つとして、日本の技術を伝えて、国作りに役立ててもらうという趣旨だと理解しているが、実際は労働力不足を補うために使われているという話はよく耳にする。まして今回の措置は、介護現場の労働力の確保のためだけの措置としか思えず本末転倒・・・。

曽野論理で行けば、技術の実習どころか、誰でもよいから、外国から人を集めて、老人の介護をさせれば良いという乱暴な話になりそうだ。しかも、言葉などは片言で良いというから、今でも身分保障がないに等しい介護職の業界において、『介護の質』などは死語というか存在しないことになりそうだ。これは、現政権のやっていることの未来図を示しているといっても差し支えない。

曽野さんが、アホベ氏お得意の御用学者・知識人を集める教育分野の『有識者会議』の一人に選ばれていたことは、何となく記憶に残っているが、朝日新聞がそのことを指摘すると、そんなことは一度も無いと言い切り、逆に謝罪を求めているらしい。

確認のためにネットで調べてみたら、25年10月で辞任しているが、それまでは教育関係の有識者会議の一員として勤めていたことは明らかであるからして、どうやら83歳という高齢もあって、自身の記憶が怪しくなっているようだ。

有識者ともなれば、豊かな環境で暮らしているだろうから、自分の介護のことなど何ら心配はなさそうだが、こんな発想で介護行政を進めたら、(先日つぶやいたが)現在でも、金儲けのブラック輩が跋扈している現場に、さらに混乱の要素を加えるだけ。

 今日もまた、『困った話だ・・・』という同じ文末になってしまった。(田舎親父)

2015年2月23日 (月)

老人受難の時代とはいえ酷過ぎる・・・

先日、高齢者を虐待していたとして、東京都北区の高齢者向けマンション3棟が、都の改善勧告を受けたというテレビのニュ-スに思わず目が留まる。

その内容が酷過ぎる。このマンションに派遣されていた介護ヘルパーたちが、入居していた高齢者20人に対し、ベルトなどで胴体や腕をベッドに固定するなどの身体拘束を日常的に行っていたのだそうだ。

しかも、外側から鍵をかけて自由に出入りできないようにもしていたというから、これは老人施設ではなく、まさに『牢獄』と言っても言い過ぎではない。もっとも、職員達からは、給料も安くその上人数が極端に少ないので仕方なかったという言い訳の声も聞こえてきそうだが・・・。

このマンションは『有料老人ホーム』としての届け出をしておらず、行政指導の対象にはなっていなかったという。こんな話があって良いはずがないが、金儲け命の輩たちは信じられないような悪知恵が働くらしく、あくまで表向きは高齢者向けの賃貸マンションだとして、提携している診療所や事業所から医師やヘルパーが派遣されるという体裁を取っていたというから、普通の感覚の人間にとっては、まさに信じられない・・・としか言いようがない。

入居している高齢者が全て独居老人とは限らないだろ。むしろ、そのほとんどは家族がいると考えたほうが普通と思うのだが、家族たちは、親や祖父母が日常的に虐待されていることを知っているのだろうか・・・と素朴な疑問が頭をよぎる。

恐らく、ほとんどの家族は『知らなかった』と言うだろう。しかし、薄々でも実態はもれていたに違いない。そして、ある程度『自分達では介護が出来ない』という深刻な事情が背景にあって、口を閉ざしているだけではないだろうか。

金儲け命が『是』である現在社会では、誰かの『美味しい話』には群がるのは常。今回明らかにされたマンションに入居している老人が160人以上いるということは、他にも同じようなシステムで、老人をあずかっている『無届け老人預かり所』があることは間違いなさそう。

過日もつぶやいたが、『特老(特別養護老人ホーム)』への待機老人は、全国で約52万人という。その反面、民間の『有料老人ホーム』や、『サービス付き高齢者向け住宅』という事業が大流行で、毎日のように新聞折り込み広告がそのことを証明しているが、如何せん費用が高過ぎる。

今日の折り込みにある施設は、1DKの部屋で、3食の食事と必要介護がついて、月額23万円とある。当然ながら一人当たりの費用で、夫婦で入るとその倍。家内と『これでは我々は頭から無理だね』と苦笑い。そして、『お互いに、介護されないで死にたいね』といういつもの言葉で会話は途絶えてしまう。

一応、私も課税最低額であるが年金生活者。上を見たら限りないが、エンゲル計数は100%ながら(贅沢さえしなければだが)食べていくにはさほどの苦労しなくてもすむ程度の年金はいただいている。想像したくないが、世の中には私より貧しい人たちがゴマンといるに違いない。

となると、その人たちは有料老人施設や介護つき住宅などは夢のまた夢、(言葉を選ばず表現すれば)ひたすら、特養の入居者が『早急に・しかも大量』に死亡する日を待ち望むしかない。

先日、『NHKのクロ-ズアップ現代』がこの問題を取り上げていた。経営者が、こうした施設がなければ高齢者の行き場がない実情を知ってほしいと、取材に応じたのだそうだが、オ-プニングの木造(エレベ-タ-などあるはずがない)2階建ての家に7人の老人達が生活しているという実態に唖然とする。

 この経営者は、決して金儲け命で運営しているとは思いたくないが、実際にはこれで生計をたてていることは間違いない。それともかくとしても、『行政からの依頼を受けたり、病院からの依頼を受けて、うちみたいな所を探してくる。やっちゃいけないというのであればやめます。でも、入っている人はどうするんですか。』という言葉は重い。

 番組としての結論は、『適正な介護サービスを導入して、住まいでできるだけ住み続けられるような仕組みがどう可能なのか、施設依存・病院依存ではない仕組みを考えないと、どうにもならない時代になってきてるんです』ということらしいが、その通り。根本的な制度設計を見直さねばならない時に来ていることは間違いない。

 増え続ける高齢者を介護するために導入した介護保険制度だろうが、国民にこれ以上の負担を求めるの無理ははっきりしている。もし値上げとなるとさらに生活困窮者が増えることは誰の目にも明らか。

アメリカのオバマ政権が検討し始めた、富を独占している階層への増税という発想をお手本にして、お得意の御用学者だけ集めた有識者会議ではなく、あらゆる階層の人々の英知を結集し、国民誰もが豊かな老後を送れる社会の実現に努力してほしいものであるが、頭から期待できないのが悲しい・・・。(田舎親父)

2015年2月21日 (土)

核のゴミ問題は先送り,そして・・・

 除染作業ででた汚染物質を貯蔵する場所の選定が進まないようだ。国は、それぞれの県の汚染物を最終的に貯蔵する候補地を県単位で作ると明言しているが、突然発表された自治体は、当然のことながら猛反対。いずれの県も候補地すら絞れていないのが現状らしい。

自民党の中には、この際、福島県に一括した処分場を造るべきだという意見が生まれているのだそうだが、常識的に考えても,あるいは人情的にも福島にこれ以上の負担を強いるのは難しい。だから、わざわざ『中間貯蔵施設』という名前をつけて、あたかも30年後には、福島県外に『最終処分場』という、幻想としか言いようのないことを無理押ししているのだろうが・・・。

中間貯蔵施設のことは別につぶやくとして、日本には現在、原発で燃やした後の使用済み核燃料、いわゆる核のゴミが国内に約1万7000トンあることは、福島原発事故後知ったこと。

化石燃料を燃やして発電する火力同様、核物質原料であっても仕組みは変わらないだろうから、その燃えかすが出ないはずはないことを、ごく一部の人たちを除いて、すっかり頭の中から消えていた。わたしもその一人として深く反省しているのだが・・・。

見事なまでの『安全神話』の擦り込みである。原発事故は、放射能汚染の恐ろしさを嫌というほど知らしめたのは当然ながら、原発を稼働するだけで燃えかす(核のゴミ)も増え続けることを教えてくれ、どう最終処分するかが深刻な社会問題として、国民一人一人に真剣に考えることを求めている。

政府もさすがに、ある程度の筋書きを描かないと、国民の理解が得られないと考えたのだろうが、最終処分場の選定手順などを検討する経産省の作業部会が、特定放射性廃棄物最終処分法に基づく『基本方針』の改定案を大筋で了承したということを、新聞・テレビが先日報じていた。

技術的にはこれまで同様、容器に密封し地下に埋める『地層処分』を基本とするそうだが、最終処分場を決める手順に変更があるという。その一つが、これまでの自治体が自主的に手を挙げる公募制から、科学的に適性が高いと考えられる候補地を国が示す『国選定方式』へ変更するのだそうだ。

確かに公募制だと、間違いなく地形的・地質的などの適性を論じる前に、反対論が起きることは間違いないところ。そして、醜い賛成・反対の憎しみ合いが始まるのは歴史が証明している。それ以前に、地震大国である我が国では、安全な場所などあるはずがないと思うのだが・・・

しかし、地域の利害や賛否とは別に科学的根拠に基づく適地を示すことには、住民の理解を得るために一定の意味があるだろうが、『科学的根拠』という言葉の意味を理解するのが難しい。『科学的根拠が本当に科学的なのか』と問われると、これまでの国のやり方を踏襲するとなると、間違いなく『否』である。

住民が真剣に考え話し合うためには、最も重要なことは、情報の透明性であり、政府や科学者に対する信頼感だろうが、情報の隠匿に加えて,原発に懐疑的な学者をはじめから排除するのが政府の得意技とあっては、また騙されるのか・・・という意識が働くのは当然だろう。

もう一つの改定の目玉は、核のゴミが最終処分場に搬入された後も回収できる『回収可能性』が盛り込まれたこと゛という。将来、新たな処分技術が開発されることを前提にしているようだが、将来について具体的な言及はないのも変な話だが・・・。

可能性がゼロでは無いと思いたいが、開発された技術が軍事的に用いられないという保障はない。となると、原発の平和利用などとは縁遠く、人類滅亡にもつながりかねないことは私でも容易に想像できること。

これでは地元の合意を得る武器(論理)になるとは思えない。結局は経済的利益の提供という形になるのだろうが、こと核のゴミとなると天文学的な数値の補助金であっても住民合意という話にはなりそうもない。

たった一つ、処分場を決めるための条件の助けになるのは、核のゴミをこれ以上増やさないという宣言ではないだろうか。

政府が『脱原発依存』の道筋を描くことで、核のゴミを増やさないことを明確にすれば、どこかに処分場が必要ということは全ての国民がわかっていることだから、話は先に進む可能性がある。しかし、政府の方針は全くその逆。結局は、この問題は先送りになることは間違いなさそうだ。

 (老い先短い私にとって)核のゴミは増え続け、ついにはその許容量すら超えて、まだ見ぬ将来の子孫たちが放射能で苦しむ姿は想像したくないのだが・・・。(田舎親父)

2015年2月20日 (金)

奨学金が原因で自己破産?・・・

 先日の新聞記事である。『高校、大学時代に借りた奨学金を返還できないとして、北九州市小倉北区のフリーターで40歳の男性が福岡地裁小倉支部で自己破産の手続き開始決定を受けたことが分かった』という文面に、何とも嫌な気分にさせられる。

この男性には延滞金を含めて約283万円の返還義務があるという。督促状が届いたのだろうが、『奨学金のために消費者金融などで借金しても返せない。そもそも多額の金を貸してくれない』となると、後は自己破産申請しか方法がなかったようだ。

普通の奨学金はあくまで貸与が原則、返済するという義務を負うのは当然だろうから、奨学金を扱う組織が督促状を送り、強く返済も求めるのは『当り前』で理解できなくないが、自己破産では何のための奨学金だと考えさせられてしまう。

最近、奨学金を返したくても返せないという話をよく聞く。こんなことが今後続けば奨学金制度そのものが空文化し、ますます所得の低い家庭の子ども達にとって、高校・大学が遠くなり、さらに格差が広がることは容易に想像できる。

契約社員やアルバイトなどで生活を支えている人が増えているという話題も、巷には溢れ、毎日のように聞かされることだが、若者の貧困が拡大すれば、現在抱えている奨学金の返還が難しくなり、今回の男性のように、それだけの理由で自己破産申請が増える可能性は大きくなりそうだ。

 この記事には、現在奨学金の未返還者が約33万人も存在し、そのうち6000件が訴訟となっているとあるのにもビックリするが、訴えられた以上、裁判所からの呼び出しには出頭しなければならないとなると、ますます稼ぎに影響することは間違いなく、下手すると、自己破産申請だけにとどまらず、自殺したくなる心境になるのも理解できそうだ。

 この男性は父親が事業に失敗した影響で、1990年の高校入学時から大学卒業まで日本学生支援機構から無利子の奨学金を借りたという。高校時は毎月1万1千円、大学時は同4万1千円で、当初の返還期間は93年12月から2012年9月という文面からは、高校卒業してすぐにその分の返済義務がある契約らしい。

 ということは、奨学金機構としては、この男性には大学に行くという選択肢はないという前提で奨学金を貸与したことになるが、なんともひっかかる話である。これでは社会の仕組みが歪んでいるとしか思えないのだが・・・。

 私も奨学金で大学を卒業できた一人である。富士通を退職して日に、横浜国立大学の合格を知ったのだが、一週間で会社と契約していた下宿を出なければならず、全く世間を知らない、しかも両親もなく有力な知り合いもなかった私には、新聞配達という選択肢しかなかったことが今では笑って話せる。

 幸なことに、数カ月後に授業料免除と神奈川県から『卒業後は必ず就職する』という契約で、月8千円という奨学金をいただき、さらに、恐らくその汚さは全国一だと言っても過言ではない鎌倉の鶴岡八幡宮の裏手にあった『蒼翠寮』に入ることができたおかげで、アルバイトをすれば生活が可能になり無事卒業できたのだが、寮で洗脳された学生運動が影響して、県から不採用になったのだから皮肉な巡り合わせ・・・。

奨学金の返済義務が生じ、苦労しながらも数年で返済したことや、当時の国立大学への入学金は6千円、授業料が年額1万2千円という安さと、就職した当時の経済が右肩上がりで、給料が急激に上がったことも幸いしたことなど、次々に記憶が蘇る。

そこで、現在の国立大学はと調べてみると、受験料が1万7千円、入学金が28万2千円と信じられない数値にビックリ。さらに授業料が年額53万5千円となると、驚きを通り越して唖然とするしかない。

この数字は残酷である。これでは低所得者の子弟には、一番学費が安い国立大学であっても高値の華としか言いようがない。憲法で保障されている『学問の自由』という言葉が空虚に聞こえる。

それでも大学で学びたいという若者にとっては、唯一奨学金が頼りになることは自明であるが、正社員として採用されず、下手するとブラック企業の網に捉えられる現状では、返済が難しいのも当り前。繰り返すが、自己破産が増えることは想像に難くない。

庶民感覚では信じられないほどの経済格差が広がっていることは語るまでもないが、この国の首相は『問題にするほど格差が広がっているとは認識していない・・・』とまるで他人事。貧乏人の怨嗟の声など聞く耳持たずとは悲しく情けない。

今日もまた同じ結論になるのだが、困ったものだ・・・とつぶやき、庶民の気持ちがわかる政治家の台頭を望むしか方法がない自分が情けない。(田舎親父)

2015年2月19日 (木)

子どもの冒険心を育てなければ・・・

2月19日   子どもの冒険心を奪う?・・・

先日、散策の途中、いまにも折れそうな木の枝に3人の女の子がぶら下がったり、乗っかって遊んでいる姿を目撃した。そこは、横浜市がいずれ『横浜動物園(ズ-ラシア)』に隣接して建設を計画している植物園になる予定地。(映像は http://bit.ly/19rnxTD

年に何回か、契約業者が整理するので、現在は枯れた芝生のようになっている傾斜地である。その上部に疎林が広がっているのだが、地面から枝別れして、そのまま伸びた細いう幹が伸びている。しかし本幹に比べてかなり細く、子どもたちが数人乗ると折れるのではないかと思うほどしなる。

ここで3人の女の子が戯れているのだが、まるでタ-ザンごっこという趣で、昔の自分の姿とを重ねて、思わず微笑んでしまう。

もっとも昔は、こんな遊びは男の子専用で、よほどのお転婆と言われるほど活発な子をのぞいて女の子がする遊びではなかったが、最近は、時に川遊びなどしている子どもを見かけるが、そのほとんどが女の子だから、何か不思議な思いにさせられる。

『草食男子』という言葉を、最近よく見かけるが、小さい頃から外遊びを敬遠しているのだから、何ともひ弱な印象を与えるこの言葉に、幼い時からこの状態ではなるほどと変に納得させられる・・・。

こんな素敵な光景を見られて心が暖かくなったは良いが、その日帰宅して、『熊本県芦北町花岡の佐敷川河川敷で14日夕、小学6年の男児が、木に掛けられていた縄に首が引っかかって意識不明の重体』という記事に出会う。

掲載されている写真を見ると、河川敷に生えているこの樹木は、かなりの大木らしい。そこを子どもたちは『秘密の基地』として、絶好の遊び場にして、縄などを張りめぐらせて楽しんでいたようだ。

記事には、この樹木は佐敷川の河川敷にあり、太い幹から複数の枝が広がり、枝の何本かから縄が横に張られたり下に垂らされたりしているとある。現代のような遊具がなかった私の少年時代では、こんな風景は当り前だったので、子ども達が楽しげに遊んでいる姿が目に浮かぶ。飛び交う楽しげな会話も聞こえてきそうな気もする・・・。

もっとも掲載されている写真は、『15日は県警の立ち入り禁止のテープが張られ、木の近くにはゴザがあり、靴も落ちていた』という文面の通り、樹木は無機質な黄色いロ-ブが絡んでいる姿で、なんとも悲痛な気分にさせられるが・・・。

重体の6年生の男の子は、小学校1年生の弟と、もう一人の男の子の3人で遊んでいたという。5時半ごろ、近所の男性が『もう遅いから返りなさい』とでも、心配して声をかけ、3人はそこを離れたようだが、何故か6年生の男の子だけが戻って、一人で遊びを続けていたのだそうだ。

戻ったのには理由はあるだろうが、気になるのは、樹木に縄を張って遊んでいる姿を見た大人たちは、『大丈夫なのか』と言っていたという記事の一文。事故が起きると、必ず後になって出てくる言葉であるが、私が一番心配することは、この言葉が、子どもたちの自由な発想で生み出した遊びを頭から否定し、すぐに『絶対禁止』という看板をあげてしまうことである。

この記事で、もう何年前になるのか記憶も薄らいでいるが、確か鹿児島県でやはり6年生ぐらいの男の子たちが、戦時中に掘られ、そのまま残っていた防空壕を『秘密基地』として絶好の遊び場にしていたのだが、そこで火を燃やしたところ、発生した一酸化炭素で死亡したという事故が頭の中で蘇る。

そして、地元の学校はじめ大人たちは、直ちにその防空壕を完全に封鎖し子ども達か近づけないようにしたという続報に、『考えさせられる』とつぶやきを私の独り言のコ-ナ-に掲載したことも思い出す。

今回の事後で、小学校では翌日にでも全校集会を開き、校長が『危険な遊び』をしていて、男の子が重体になったに加えて、危険な遊びは『絶対』にしてはいけないという訓示があっただろうと想像している。

教育委員会は校長からの報告を受けて、すぐにも『秘密基地』であるこの樹木を根っこから伐採することを県に求めるのは確実で、来月には風景が違っている・・・。

また一つ、子ども達が考えた遊びの場と遊び方が、『危険だから』という一言で、完全に消しされられることになる。重体の子どもが蘇生してくれることを切に願っているが、そのことと、子どもの遊びは別問題だと考えたい。

危険だからということで、子ども達の周りから、重箱の隅をつっつくように危険なもの探しをして、それを全て取り除いていた結果が現在の姿ではないだろうか。あれもダメ、これもダメ、大人の目が届かない場所では遊んではダメ。危ないからサッカ-も禁止、キャッチボ-ルもダメ、ここではこの遊びだけ・・・。そんな看板を目にするのが日常になっている。

これでは子ども達の危機意識など育つはずがない。そんな子どもであっても、大人が安全なはずだと与えた遊具でも怪我をすることがある。そして保護者は『怪我をしたのは担当部署の管理責任に問題が・・・』と訴訟を起こすのが最近の常。

 果たしてこれで良いのだろうか。やはり、今回も『考えさせられる・・・』という言葉で結ぶしか私には方法がないのだが・・・。(田舎親父)

2015年2月18日 (水)

金儲けが人の命より貴い?国になってしまったようだ・・・

社会的貢献ゼロの年寄りは口をはさむな・・・という声が聞こえてきそうだが、この問題については、繰り返してつぶやくしか私にできることはない。

『残業代ゼロ法案』の来年4月の施行に向け、厚労省がつい先日、学識経験者という政府のご都合で集めた学者などで構成する『労働政策審議会』の専門部会で、労基法改正の報告書を取りまとめたというから、ことは風雲急を告げている。

詳細を完全に把握しているわけではない。しかし、年収1075万円以上の人たちを専門家と呼び、『時間より効率』という考え方で、あたかもその階層の人たちにとって有利なごとく宣伝し、『高度プロフェッショナル制度』などというふざけた名前で、『お前ら派遣社員や、中小企業社員を対象ではないから文句を言うな・・・』という一見、労働者を見下ろした発想に強い嫌悪感を持つ。

確かに、年収1千万円以上となると、ほとんどの人には関係ない話と受け取られるかも知れない。しかし、現政権は『世界で一番企業が活動できる国』と、信じられないようなことを平気で明言しているのだから、改革と名を借りてはいるが、『金儲け命』の企業側に立っていることは間違いない。この政権の得意技は『なし崩し』であることから、近い将来、この基準は曖昧になり対象が広がることははっきりしている。

こればかりだけではない。報告書には(目立たないように)『裁量労働制を見直す』ということが書かれてある。このことを大マスコミは(意識的だと思いたくはないが)何故か大きく取り上げないことが気になり、『裁量労働制』で検索してみた。

すると、『業務の遂行方法が大幅に労働者の裁量に委ねられる一定の業務に携わる労働者について、労働時間の計算を実労働時間ではなくみなし時間によって行うことを認める制度』だとある。

そして、この制度には、専門的な職種の労働者について労使協定によりみなし時間制を実施する『専門業務型』と、経営の中枢部門で企画・立案・調査・分析業務に従事する労働者に関し、労使委員会の決議によって実施する『企画業務型』2種類があるとも付記してある。

相変わらず私にとっては難解な文章であるが、『みなし時間』という言葉から、当初から残業代を含めているので、残業という概念はないということだろう程度は理解できる。

そういえば、公立学校の教員には、当初から本給の4%が教員特別手当として加算されているので残業手当などないことを、職務から言っても当然だと受け入れてきたが、これも『専門業務型』の『裁量労働制』だったと今頃になって気がつく。

迂闊なことながら、一般の企業にも、一部の人たちにはこの『裁量労働制』が適用されていることを知るが、要は、『1日10時間なら10時間と労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされ、それ以上働いた時間の残業代は払わなくても良い』という制度といえるようだ。

現行では、対象が企画や調査、研究部門など、『労働者の裁量に委ねる』必要がある業務に限られているようだが、改定案では、『営業職』まで広げるという。これは恐ろしい。この制度の対象範囲を、経団連の要望をそのまま受けて、ごく一部から大幅に広げるとなると、過労で倒れるサラリーマンが激増することは間違いなさそうだ。

ブラック企業という言葉が流行っている。この定義は、労働者の立場を無視した経営をしている会社だと私流に受け止めている。一例がよくニュ-スになる、形だけ管理職にして残業代を払わないとか、雇用条件に固定の残業代を組み入れて、それを楯に際限なく働かさせる企業のことなのだろうが、これを『是』と改定するのはトンデモない話。

鬱や自殺も増えるのは当然だろう。これも政府のお得意の『自己責任』?ではあまりにも酷過ぎる。現内閣はブラック企業撲滅なんてお題目を唱えているらしいが、今回の改定案はブラックそのもの。

巷のブラックは『否』で、国のブラックは『是』。こんなことが通用する?・・・。自虐的には、笑えない笑い話としか表現できないが、悪い夢を見ているのだと思いたい。

 そして、すぐにでも覚めてくれることを願う今日である・・・。(田舎親父)

2015年2月17日 (火)

地元とはどの範囲?・・・

 もう50年以上前になると思うが、福島第一原発建設の話が出た当時、『地元の合意』という言葉は当然あったはずだと思っている。

福島県としては、原発は地元が活性化すると歓迎したことは疑いのない事実だが、原発建設の適地となると、海に面している広い土地が確保できること。そして反対住民が少ないということが絶対条件だったのではないだろう。

 原発という基本的に危険なモノを誘致するのだから、人口が少ない福島県であっても都市部の近くに持ってくるのは、本能的に危険を感じ、かの地を選んだのだろう。住民の反対も少ないとはいえかなりあったと想像しているが、当時の大熊町と双葉町の町長はじめ有力者や推進支持者は、地元経済を優先。強引に反対の声を押さえ込んだのだろう。

海岸線を持つ周辺の他の町村も手を上げたかも知れないが、立地条件に当たらないそれ以外の自治体は、俺たちには関係ない話で、少しは経済的にプラスになるなら反対しても仕方ない・・・程度で、近くの原発について、積極的には賛成しなかったとしても、反対勢力とはならなかったと想像している。

その背景には、原発そのものに対して、東電はじめ国や県も揃って、『原発は絶対安全』で事故など『絶対に起きない』という、二重・三重の『絶対』を繰り返す安全神話があったことは自明であろう。

そして、原発建設が進み稼働に至るのだが,立地する自治体と福島県にはかなりの補助金が落ち、周辺自治体にもそのおこぼれが回り、4年前の3月11日までは、平和な?日々が続いいた・・・。

あの大事故で、双葉町と大熊町は全員が故郷を捨てなければならない事態に陥ったのだが、それ以外の周辺地域の放射能汚染もとどまることを知らず、飯館村での全員強制避難をはじめ、放射能から逃れた周辺住民は、現在でも数万人以上が故郷に戻れない状態が続いている。

繰り返すが、建設話が持ち上がった当時、二つの町は町長はじめ原発誘致派が多く、建設に同意したのだろうが周辺の市町村は蚊帳の外だったのでは・・・。恐らく同意も求められることなく、建設が進められたのではないだろうか。

今では、周辺自治体の当時の組長はじめ幹部職員はもとより住民も、あの時『同意を求められたら、もっと真剣に考え、反対という選択肢もあったのでは・・・』と悔やんでいるのでは・・・。

ところで、原子力規制委員会は、(高浜原発の再稼働について)安全審査において問題はないという結論を、国と関電に伝えたというニュ-スは、規制委とは原発再稼働のための御用機関に過ぎないと思っていても怒りに震える。全く理解できない、ふざけた話である。

再稼働を急ぐ政府は、『後は地元の同意だけ』という言葉を大げさに宣伝し、すぐにでも再稼働させる動きを作り出すという構図は川内原発の場合と全く同じである。

川内原発では地元とは『薩摩川内市』だけだと強引に決めて、周辺の自治体の懸念に全く耳を貸さず、鹿児島県知事と市長にアメをしゃぶらせて、再稼働の同意を取り付けたのはごく最近の話。忘れてはならない。

現政権は福島原発の事故など遠い昔で、すでに全て解決済みだと思っているようだ。原発事故の恐怖と影響は全国に降り注ぐことなど知らぬ顔、福島の教訓からなにも学んでいないことに驚きを通り越して、ただただ呆れるだけ・・・。

福島の事故を受けて、30kmを避難が必要になる範囲と、一応の線引きを決めたはずだが、実際には、(繰り返すが)村域のほとんどが30km圏外の飯舘村が、全村避難を余儀なくされたように、どこが被害地元になるかは事故の規模やその時々の複雑な気象条件次第。専門家であってもどこまで広がるのかさえ予想は不可能だということを嫌というほど知ったはず。なのに・・・である。

30kmが最低限の『被害を受ける可能性のある地元』であることは国民的理解事項だと言っても差し支えない。避難計画は立てる時は、最悪の事態を想定するのは私でも知る危機管理の常識であることから、最低条件として、30km圏内の住民の理解と確実に避難できる避難計画は最低必要条件である。

しかし、現政権の再稼働推進方針を受けた関電も福井県知事も川内原発と同様、『地元同意は立地自治体(県と高浜町)だけだ』と息巻いているという。こんな無茶な話を周辺自治体がとても許すとは思えない。

なんどもつぶやいているが、高浜は行政的には福井県に位置するが、滋賀・京都の3府県の境界にある町であることは地図を広げれば一目瞭然。30km圏内には18万人を超える住民と、近畿の水瓶である琵琶湖が位置する。冬場に事故が起きたらという想像はしたくないが、その事態はまさに地獄絵どころか、日本の滅亡としか言いようがない。

高浜原発再稼働は、経済成長第一主義の現政権と金儲け命の関電の『金儲けは人命よりも貴い』という、まさに反道徳そのものの発想。これは許せない。最優先すべきはいうまでもなく、人々の命と安全である。

 国が今なすべきことは、再稼働を急ぐより、原発ゼロへの道筋を示すことだと思うのだが、現政権は全くその気はないのだから国民にとってこんな不幸なことはない。

 この政権が長く続けば、見たくない光景を、嫌でも見せられ・経験させられるはめになりそうな気がしてならない・・・。(田舎親父) 

2015年2月16日 (月)

政府の論理でいけばインド渡航も・・・

 シリアへの渡航を計画していたフリーカメラマンの杉本さんが、『返納か逮捕かどちらかを選べ』と脅かされ、旅券を返納したというニュ-スに、何と嫌な国になったのかと嘆いた人も少なくないはず。

官房長官は『逮捕という言葉は言わなかった』と、早速強く否定していたが、外務省の職員に加えて、警察官を名乗る男数人に取り囲まれて、脅しと受け止められる言葉があれば、逮捕されるかも知れないと思うのは当然だろう。

『渡航をやめてもらいたい』『行きます』の押し問答が続き、外務省の職員は『返納命令』の文書を読み上げたという。やりとりの中で『応じなければ逮捕する』という文言がでたと杉本さんは証言している。どうやら、政府の、イスラム国対策のミスの連続から推察すると、この脅しはあったと考えたほうが正しいようだ。

話は少し飛ぶ。(真偽は不明だが)政府はイスラム国に殺害された後藤さんに対して、3度も渡航断念を迫ったという。それでも渡航したのだから、当方(政府)には責任がないというのだろうが、これではあまりにも無責任過ぎるだろう。

責任云々などはどこ吹く風とばかり、自民党の副総裁は、後藤さんの行動を『蛮勇』と決めつけ、マスコミもその言葉に迎合した結果、国民の8割までが『勝手に出かけたのだから自己責任』という考え方をしているというから恐ろしい。

後藤さんは観光旅行に出かけたわけではない。あまりにも情報が少な過ぎるので、自分の目で子どもたちの姿を取材し、世界に発信することで子どもたちを救いたいという確固たる意思を持って出かけたことは一切認めず、山での遭難と同じように『自己責任論』を押しつけ、拘束された後はひたすら責任逃れに終始している。

結果論かも知れないが、アホベ氏がわざわざイスラム国を刺激するような演説と、2万ドルという巨額の資金を『イスラム国対策』に渡さなかったら、湯川さんともども殺害されたことはなかったのでは・・・。

旅券返納命令の法律的根拠などが報じられているが、世間知らずの私には)ほとんど理解できないことばかり。だが、ジャ-ナリストとしての杉本さんの『パスポートを失うことは、私の人生そのものを否定されるということです』という言葉は重く受け止めることだけはできるつもり・・・。

『生命の危機があるので渡航を禁止する』という理由を『是』とし、ウヤムヤにしてしまったら、正しいことがらは永久に知らされなくなり、国の発する情報だけが国民の判断基準になる恐れがある。この問題は、今後良心的な専門家が声を上げることに期待したい。

ところで、(唐突だが)インドで日本人女性の暴行事件が後を絶たないという。最近は『女性暴行』とか『性的暴行』などと、何となく本質をぼかす言葉で表現しなければならなくなったらしい。しかし、『強姦』という言葉の方が、その被害の悲惨さと凄まじさがわかるのではと思い、あえて強姦という言葉を使うことにする。

つい先日も、西部ラジャスタン州のジャイプール近郊(私にはどこだかさっぱり見当がつかないが)で観光に訪れていた20代の日本人女性が観光ガイドを装った男に強姦される事件が起ったという。

また、昨年末には東部のコルカタで22歳女性が監禁強姦される事件はさらに悲惨で、現地の観光ガイドを名乗る男6人組に約1か月間監禁され、現金を奪われたというから、その被害の凄まじさは想像に絶する。

こんな記事を読むと、インド人ってそんなに凶暴なのか、女性を性的対象としか見ないのかと言う疑問が起きるが、私の『インド人像』とはかけ離れているように思える。私が知っているインド人はごくごく少数だが、とても理性的で頭脳明晰というのが共通しているのだがそのことは別の機会に・・・。

インドでの強姦事件の多さを、専門家はカ-スト制度と関連があると指摘している。詳しいことは省略するが、身分制度が徹底している一部のインド社会では、女性は親が許した相手じゃないと交際ができないことも多いという。江戸時代のお姫様のようだが、簡単には恋愛関係を結べない場合が多く、身分の低いインド人男性は必然的に外国人をターゲットにするのだそうだ。そして、とりわけ体格が小さくて、意思をはっきり出さない日本人女性に、言葉巧みに近づき餌食にするのだという。

この見方もある意味正しいかも知れないが、被害にあう女性にとっては全くの言いがかり、極論すれば、インドに出かけるということは強姦被害になっても仕方ないことになってしまう。

ここでも国は、命まで奪われないから警告だけ発して責任逃れ。観光客なのだから『自己責任』かも知れないが、日本人女性がこんな被害にあって良いはずはない。

杉本さんの旅券の取り上げではないが、『危ないから渡航禁止』を『是』とするならば、強姦被害を免れるためには『女性一人でのインド渡航禁止』という発想を持っても奇怪しくないと思うのだが・・・。

さすがにそんな動きは『今のところ』なさそうだ。当然だろう。危ないから禁止となると、危ないという定義がどんどん広がり、全てを国が管理する社会に・・・。これは想像するだけで気分が悪くなる。

女性の一人旅であっても、楽しいインド旅行ができるように、十分な正しい情報と細かな配慮・注意は政府として当り前の義務だろう。これは儲け主義の旅行会社にも当てはまることだろうが・・・。

 老若男女・誰もが、いかなる国や地域へでも自由に安全な旅行ができる・・・。そんなことは無理だとか、甘いよと言われることは十分理解しているつもりだが、あえて、そのような国になってほしいと願う日々である。(田舎親父)

2015年2月14日 (土)

住民投票の広がりは面白いが・・・

 『エアコンの是非で市民投票』という見出しに、住民投票が大流行していることは知っているが、たかがエアコン設置が住民投票の対象になるとは前代未聞だろう。

 記事によれば、埼玉県の所沢市は,航空自衛隊入間基地の騒音対策として、市内の小中学校28校を『防音校舎』にしたそうだが、東北大震災と福島原発事故後、市長が急に『エネルギ-の無駄遣いは・・・』とエアコンの設置計画を白紙にしたのだそうだ。

当時は原発事故での計画停電などが関係していたのだろうが、省エネは当り前、『原発に代わるエネルギ-確保』の世論が盛り上がったことで(市の財政難も関係していたこともあって)市長が、『被災地の子どもたちのことを思うと、エアコンなんてもったいない』と思ったのだろう想像しても決して奇怪しくない。 

 多分、保護者も当初はさほど大きな問題とは捉えていなかったのだろうが、いよいよ夏場になり、窓を開けられない環境では子どもたちの勉強に支障があると、エアコン設置の要望が市に強く求める気運が高まったようだ。

 市長は『夏場は窓を開ければ良いこと』と取り合わなかったらしいが、この地域は、自衛隊の基地があるという特殊な事情があるので保護者は治まらない。自衛隊の航空機が離発着する騒音で、とても窓を開けておける状態ではないという保護者の主張ももっとも、住民投票で決着するということでまとまったらしい。

 市長の言う『窓を開ければ良い。現代の子どもたちに少しは厳しい環境が必要だ・・・』という考え方も一理ある。東京都内の小中学校では教室の冷房はほぼ当り前になっているらしいが一歩廊下に出るとムッとする蒸し暑さ。ついつい休み時間も教室で過ごす子どもたちが多いという話も良く耳にする。

日に何度も極端に温度が違う場に出たり入ったりすることで健康や身体の成長に悪影響もあるとの専門家の意見もあるようだから、教室で過ごしている子どもたちをムリムリ外に追い出すもの気になるところ。このことは学校現場では古くから議論の対象になったものである。その意味では、学校にはエアコンが必要ないという意見も、必要だという考え方も間違っていないとも思える。

このエアコン設置の話題で、(20年以上も前の話になるが)大森第一小学校の全面建て替えにかかわったことを思い出す。

この小学校に赴任した当初から、窓が二重のブロックガラスのため、外が全く見えず、空調のダクトを通しているので天井が極端に低くなっていることなどが重なり、息苦しさに耐えられないほどの圧迫感を持っていたもの。

何故新任の私がこの学校へと思ったこともあるが、今思うと、赴任して数カ月で校舎建て替えという大仕事を命じられたのだから、区教委の意図があったようだ。

子どもたちを(私が感じた)この圧迫感から解放したいという気持ちが強かったので、とにかく開放的な空間が私の基本的なコンセプトになり、区の担当者と設計事務所とほぼ一年間、毎週火曜日の午後議論を尽くした結果、自分なりの理想的な学校の設計ができたと自負している。

そして、先日、周年行事で訪問した時も、地域の人々の評価も含めて、決して間違っていないことを確認しのだが、そんな私にもただ一つだけ気になることは、冷房設備を入れなかったこと。周りに大きな建物もなく、オ-プンスペ-スと広い窓があれば冷房は必要ないと思ったものだが、近年の夏の猛暑を考えると、あれで良かったのかと考えないこともない。

話を戻すが、市長の言う『窓を開ければ良い』ということはもっともだが、近くに自衛隊の航空部隊があるというのでは事情が違う。厚木基地からかなりの距離がある横浜の片田舎でも(風向きや高度もあるが)アメリカ軍の戦闘機が上空を通るとキ-ンという耳障りな音で、テレビの音声が聞こえなくなるのは稀ではないことから想像するに、実際には窓を開けたくても開けられないのでは・・・。

恐らく、住民投票でエアコン設置は必要だという結果になるのだろう。しかし、市長としては、学校のエアコン設置よりも重要だと位置づけられている事案も多いようだから、すんなり受け入れられる問題ではなさそうだ。これは次期市長選にはかなり問題が残るのではないだろうか。

それ以前に、自衛隊となると市の守備範囲ではなく国の案件だろう。エアコン設置も含めて、住民の健康と安全は国が考えなければならない事だと思うのだが、国はエアコンを設置する場合は、何割かを補助するだけらしい。これでは市長が気の毒・・・。

防衛のためなら国民の迷惑などどうでも良いという考え方ではなく、戦闘機など必要ない平和な世界を求めるのが、真の平和国家論だと思うのだが、現政権は全く逆。武力優先だから困った話。

しかも専守防衛だけに飽き足らず、『積極的平和主義』というわけのわからない言葉で、アメリカの下請けをする動きは極めて危険で許し難い。まさに亡国・売国の発想である。

 こちらの方こそ、市民運動が広がるべきだと思うのだが・・・・。(田舎親父)

2015年2月13日 (金)

北陸は大雪 なのに金沢は雪なし・・・

先日の強い寒波が私の眠りを覚ました。というと大げさに聞こえるかもしれないが、10日の朝5時半ごろ、ときならぬ物音に驚き目覚める。

ガリガリ・コンコンと断続的に不規則音が続き、時にボソボソと人声が混じるようになると、これは起きるしかなさそうだ。泥棒がこんな派手な音を立てるとは思えないので、雨戸を開けてあたりをうかがう。

まだ真っ暗に近いが、街灯の明かりの中に、自宅前の『老人施設』の門のところに二人の男が立って何やらゴソゴソしている姿を発見。どうやら鉄製の折りたたみの門扉が凍りついて動かず、職員が通勤する時間に間に合わせるために開けるため、叩いたり押したりしているようだ。

原因が分かったので布団にもぐり込むが、もう寝られたものではない。起き出して温度計を見ると、2.7℃。超夏向きのオンボロ家であるが、一応アルミサッシで締め切られた部屋でこの気温となると、外は間違いなく零下の世界だろう。門が凍りついて開かなくなったのも納得できる。

その朝のテレビの天気キャスタ-は『日本付近は強い冬型の気圧配置となっており、北日本の上空約5000メートルには氷点下42℃以下の非常に強い寒気が流れ込んでいるため、今日10日も北日本から近畿の日本海側を中心に大雪による交通機関の乱れに注意、警戒が必要です』と述べていた。

聞き慣れたフレ-ズである。そのことに特に異議があるわけではないが、フェイスブック(FB)で見た金沢・兼六園の全く雪のない映像に驚き、そのことについてのやりとりを思い出す。

私の素朴な驚きに対して、小松に住む友人は『近年は温暖化の影響か、昔みたいに20cm以上積もることなどほとんどありませんよ。逆に昨年などは東京のほうが積雪多かったぐらいです』との返信に、再度『信じられない・・・』とで送信。

同じころ、新潟の長岡と福井の美浜の友人からFBに大雪の映像が投稿された。金沢は雪無し、しかしお隣の新潟と福井は大雪、随分違うものだと感心すると同時に、金沢の雪のないことにさらに疑問がつのる。

緯度の関係で雪か雨かの境界で違うのは理解できる。低気圧や前線の位置、また地形など、色々な要素が重なり合って決まることも頭の中ではわかっているつもりだが、それにしても極端に違い過ぎる。

改めて、そのことを送信すると『そうです。めちゃ違うんです。是非、北陸新幹線で確かめにいらっしゃいませ・・・』という返事に、間もなく新幹線が金沢まで延伸するのだが、どこまで『雪の差情報』が伝わっているのだろうかという別の次元の疑問がわいてくる。

開通が3月ということなので、兼六園の雪景色を楽しみにする人は少ないかも知れないが、全く雪のない風景にはガッカリする人もいるのではないだろうか。逆に、雪がないのなら、この時期、是非行ってみたいと思う人も少なくないはず。

話を寒波の話に戻すが、10日の朝刊には『北日本から近畿にかけての日本海側では、10日昼前までを中心に雪が断続的に強く降り、さらに積雪が増えるおそれがある。大雪による交通機関の乱れに注意、警戒し、なだれや電線などへの着雪にも注意が必要だ。11日6時までの24時間に予想される降雪量(いずれも多い所)は・・・』とあり、北陸60センチとなっていた。

金沢は北陸の代表的な都市である。しかし、このところテレビの天気予報などで金沢の映像をみる機会がないように思える。長岡や松江の雪景色はお馴染みになっているが、まさか意識的に出さないようにしているとは思わないが、金沢に全く雪がないのも不思議な話である。

『天気予報では北陸地方は100cmの積雪!なんて予報が出ていました。このように、天気予報もある意味最悪の状況を伝える側面があり、そのせいで、何ともないところまで豪雪地帯というイメージが出来上がります。このあたり、正しい情報が広がればありがたいです』という友人からの最新の連絡に、確かに確かにと思うことしきり・・・。

 今日はなんともとぼけたようなつぶやきになったが、関東地方では予報の範囲が細かく区切られているのに、全国の積雪情報では、北陸地方という括り。これも首都圏重視の現れなのだろうと思うと、何かひっかかるものがある。(田舎親父)

2015年2月12日 (木)

知恵者、いや悪知恵者の発想だろうが・・・

 最近、私宛にも郵便局や銀行から『贈与』という文字の入ったダイレクトメ-ルが時々届く。贈与なという言葉にはおよそ無関係な年金生活者あるのにもかかわらず、このようメ-ルが届くとなると、普通の家庭には日常茶飯事なのに違いない。

 中身を読むことがなくそのままごみ箱行きなのだが、捨てながら、財産はなしとしても、残り少ない人生を考えると、そろそろ身の回りの整理は必要かなと考えることも稀ではない。

そんなある日『子や孫の将来のために、お金を出してあげたいという気持ちは自然なものだろう。ただ、その自然な思いからくる支援も、一定額を超えると、受け取った側が贈与税を払うことになる・・・』という一文を見つける。

 我が国において個人資産は1600兆円あるのだそうだ。国の借金が1000兆円を超えたと言われ、なんともやり切れない気持ちにさせられるが、国民全体の個人資産がこんなに多いのにも今更ながらビックリする。

政府が毎年のように、借金を返す努力など微塵も感じさせず借金頼りの予算を組むのは、借金なんか国民を絞り上げればなんとでもなるとタカをくくっている?・・・。これは新しい発見かも知れないと思いたくもなる。

そんなことはないと信じたいが、1600兆円の個人資産の6割以上が60歳以上の高齢者が所有しているのだそうだ。政府は、これを一挙に奪うのは無理だとしても、徐々に吐き出させるためにいろいろと知恵を絞り、『相続』という言葉に引っかけて、贈与に税金をかけないという甘言を弄した政策を用意しているとのこと。なるほど、私のところにも相続絡みのダイレクトメ-ルが来るのも納得する。

 具体的には、『生前贈与』という仕組みを広げて、生きている間に、財産が子や孫へと渡り安くし、祖父母も子どもも、そして孫もみんなハッピーというキャッチコピ-を作り出しているそうだ。

 この甘い誘惑は3つあり、一つは2009年開始の住宅購入支援、二つ目が13年度からの教育資金支援、そして三つ目が来年度導入予定の結婚・子育て資金支援で、子や孫1人あたり、住宅購入用で最大3000万円まで、教育資金は1500万円、結婚・子育て目的は1000万円まで非課税となり併用もできるという代物。

さらに、入学資金や披露宴の費用だけでなく、塾や習い事、不妊治療やベビーシッター、引っ越しにかかる費用まで対象は広いとなると、相続税は払いたくないという富裕層には魅力的だろう。なかなかの知恵者(いやいや、悪知恵者だろうが)がいるものだ。

実際に、第二の『教育資金支援』は昨年末に契約が10万件を超え、信託財産設定額も合計で7000億円に迫る人気ぶりだそうだ。これに味をしめた政府は期限を15年末から18年度末に延ばし、通学定期券代や留学費用も対象に加える計画という。

政府としてはシメシメしてやったりとご満悦だろう。60歳以上の高齢者のカネが、何かと支出がかさむ若い世代に回すという発想は、一見もっともらしいが、これはカネを持っている階層だけの話で、貧乏人は全くの蚊帳の外。

日常の食事もままならない子どもたちが増えていることが社会的な大問題になっている中で、税金を免除してまで資産のある世帯の子孫を応援する仕組みは、公平という理論からは全く逆。格差を広げるだけだろうことは経済音痴の私でも理解できること。

 親の収入が高いほど大学進学率が上昇するという相関関係は事実だろう。高校卒業後の大学進学率は、13年度では全国平均が53.2%。これに対し、生活保護世帯の子どもは19.2%、児童養護施設出身者は12.3%という数値は、政府の統計が明らかにしている。

 一般的には、強い意思と努力さえあれば大学入学は可能だと言われているが、カネがない者にとって、このことがいかに難しいかは経験した者でないと分からない。幸い?なことに、私はこの少ない経験者の一人であるので、そのことは痛いほど理解できる。

大学にも格差があるが、三流大学であっても一流高校の卒業者よりも卒業後の待遇面は良い。この学歴の差が収入に直結し、親になったときその子もまた教育が十分に受けられないという『貧困相続』の連鎖が起きることも良く知られている。

経済格差を『是』とするアメリカでさえ、行き過ぎた格差は諸悪の根源だと気づきオバマ大統領は富裕層への増税で得られる収入を財源に、中間所得層以下の子育てや教育支援を強化する税制改正案を打ち出しことは意義深い。

しかし、オバマ政権はすでに死に体になっているようだから、果たしてどれほどの実行力があるのか疑わしく、アメリカのポチを自認するアホベ政権は、そのことを徹底的にシランベを決めているらしいが・・・。

誰が考えても、格差を増長させる相続税の優遇措置よりも、税金や寄付などを通じ、豊かな世帯の資金が貧困世帯の子に回る世の中の方が公平である。

 格差が是正されて、子どもの教育水準が全体で底上げされてこそ経済成長の原動力が高まるというピケティ論理を評価したい。そして、そのことが、富める世帯の子孫にとっても望ましい未来であると信じたい。(田舎親父)

2015年2月11日 (水)

『庶民生活の悪化』を総務省が証明・・・

 総務省が昨年12月時点での、2人以上の世帯の収支を示す統計資料の表を見つけた。

それによると1世帯当たりの消費支出は33万2363円。実に細かな数値である。

2人世帯と5人世帯とは根本的に違うだろうに、何でこんな曖昧な基準で統計をとっているのだろうという素朴な疑問はぬぐえないが、(それは別に考えるとして)消費支出は前年度の同月比で実質3.4%の減少しているという。

一月33万円超となると、単純に計算すると、一年で約400万円。総務省がデタラメな数値を出すはずはないだろうから、2人以上の子どもを育てている(いわゆる)中流とよばれる一般家庭だろうと解釈するとまあ納得できそうだ。

我が家ではどうだろうと、家内にこの数値を聞いてみたら、『アホらし、うちはエンゲル計数100%なので、買うものは食料品だけ。電気や水道代などの必要経費は人並みとしても、半分以下よりさらにその下よ・・・』との一言。なるほどそうだろう・・・。

話がそれたが、表には、項目ごとに減少率を記載されて、食料が1.9%、光熱・水道が2.4%、家事・家事用品が5.5%、被服・履物が1.0%、交通・通信が13.8%、教養・娯楽が6.4%と、いずれも減少になっている。

この数値から、食料はじめ日常的に必要な項目の減少率は小さいが、出かけることを控え、趣味などの支出や、付き合いなどを極力削っていることが想像させられる。中流階級であっても、ギリギリの生活防衛をさせられていると言っても差し支えなさそうだ。

ここまでは、素直に受け止められる。しかし、表はもう一つあって、『12月の勤労者世帯の収支』という項目がついている。ここには実に不思議な数値が並んでいる。

まず、実収入は約92万5千円で、内訳として世帯主収入が約74万円。内訳として、定期収入として約35万円、臨時収入などが約39万円とある。12月といえばボ-ナスが加算されるので、こんな数値になるのかも知れないが、契約社員が増えている現実から、やはりこのデ-タは総務省が把握している中産階級の正社員の平均値のようだ。

世帯主の収入はいずれも前年度同月と比べて減少している。備考にあるが、これらは全て、約2年間減少し続けているという。ここにも政府のいう経済効果が上がっていないどころか、かえってマイマスになっていることを総務省が裏付けているのだから実に変な話だとしか言いようがない。

それはともかく、収入の部には、『配偶者の収入』と『他の世帯員の収入』という項目があり、配偶者の収入が約10万4千円と17カ月ぶりに増加し、他の世帯員収入が約1万5千円が加算されている。この項目は14カ月ぶりの増加だという。

この増加している数値から、主婦がパートなど働きに出ることは当り前になっているようだが、さらに気合を出して働かないと家計が苦しくなるという現実が見えている。さらに、『他の世帯員の収入』とは、同居している親の世代や、子供のアルバイトなどの収入だろうが、この項目が増えているのは何を意味するかは明白だろう。

2つの表から、経済の超音痴を自認する私でも、『今のまま、給与アップよりも物価上昇のほうが上回ったままでは、サラリーマンの大半を占める中小企業が、派遣社員も含めて、今後、賃金アップを打ち出さない限り、勤労者世帯の生活は悪くなる』ことぐらいは理解できる。

このような深刻な庶民の生活を大新聞やメディアは報じない。この表と関連記事を見つけたのは歯医者の待合室に置かれた大衆週刊誌である。一応は名が通った週刊誌だが、週刊誌を購入する人など私の周りにはまず存在しない。したがって、こんな表を目にする人はごくわずか、全国的な統計としてはゼロに近いのではないだろうか・・・。

総務省が発表する国民生活についてのデ-タとそれに伴う解説は、例えそれがアベノミクスの破綻を表す(政府批判につながる)ことになるとしても、国民が正しい判断ができる情報として発信するのが大新聞・テレビの役割ではないだろうか。

 改めて、(読売や産経ははじめから期待できないとしても)せめて、朝日・毎日の奮起を促したい・・・。(田舎親父)

2015年2月10日 (火)

道徳とはお上には逆らわないこと?・・・

 道徳が教科になることが決まり、文科省は学習指導要領の改定案を発表したというニュ-スに、いよいよトンデモナイ時代がやってきそうだと心が寒くなる。

 以前もつぶやいたと思うが、道徳が指導要領に登場したのは昭和の30年代の初めごろではなかっただろうか。当時、宇治市の公立中学校に通っていた私には、数学の担当教師が『道徳というお上の論理で昔返りさせてはならない・・・』と授業中に語りかけ、実際に反対運動の先頭に立っていたことが今でも忘れられない。

 ハナワンというあだ名の男性教師だった。一本気で間違ったことは絶対に許さないという性格だったので、変な言い訳などしたらピンタが飛んできたもの。私も数回、この洗礼を受けたことを覚えている。

 今なら体罰問題として即刻処罰されるだろうが、ハナワン先生は数学の教えかたは抜群で分かるまで徹底的に教えてくれた記憶は鮮明に残っている。何よりも点数で子どもを差別しないことが生徒には人気で、多くの生徒はビンタぐらい仕方ないと受け入れていた。保護者からの信頼も抜群だった。

 その影響があるのだろうが、私は道徳という言葉が持つ概念を上から押しつけたり、教えたりするものではなく、自分で学び身につけるものだという信条を持ち続け、道徳という時間があることにも抵抗を感じていたものである。

 それはさておき、いつごろから、学校教育の中で、改めて道徳の時間が大事だと言われ始めたのだろうと思い出してみるが、昭和でいうと50年前後からではなかっただろうか。当時、すでに『道徳の時間』が週一時間のコマとして時間割に載せられていたが・・・。

当時の日本は高度経済成長期、ものが豊になるにつれて拝金主義が高まるにつれて心の貧しさが問題になり、道徳という概念を学校で教えなければ・・・という世論が高まったのではなかっただろうか。そして、マスコミの誘導もあって、道徳教育の重要性か叫ばれるようになったように記憶している。

小学校と中学校には、それぞれ、算数研究部とか数学研究部、あるいは国語研究部や理科研究部などという教員の組織があり、教員はどこかに属して、専門的な知識の習得と指導法について議論をしていた。この組織はいまも変わらず存在するのだが、そのころから、『道徳研究部』が重要な地位を占めるようになってきたような気がしてならない。ついでながら、同じように重要視され出したのが『学校給食研究部』という部会であるが、そのことはここでは述べないでおく。

さらに数年前から、特に道徳教育が必要だと言われてたきっかけは、いじめ問題が顕著になってきたからだろうが、重大ないじめが発生した小中学校が、皮肉なことに道徳の研究では全国的に熱心だったという事実に対して、その検証もなく、とにかく道徳教育が重要だという世論作りが先行し現在に至っている。

そして、ついに現政権は道徳の教科化を国会の『数の力』で強引に決めた。18年度から道徳が教科として、文科省の『指導要領で決められた内容』を、文科省の検定で合格した、いわば『国定教科書』で授業を進め、評価するということになる。50年以上前に『トンデモない社会が来る・・・』と危機感を露わにしていたハナワン先生の予感が現実になってきた。

今の日教組には文科省に反対する力はない。むしろ、唯々諾々と後追いするのが関の山となると、来年度から、サキドリで教科としての道徳の研究を重要課題にする学校が続出することは間違いないだろう。

文科省は『道徳』を教える上で、実に細かな文言を用意して、以前から学習指導要領に盛り込んでいる。先日、教科化に伴ない、いじめ問題への対応などとして6項目を加えた学習指導要領の改訂案をまとめ発表し、これを『読む指導から考えさせる指導』という言葉で表し自画自賛しているが・・・。

指導要領を読めば一目瞭然だが、そこには実に『一般受けするような美辞麗句』が並んでいる。価値観の多様性を大事にしてければならないとうたいながらも、『教科書検定』(という国が認めた価値観で記述した教科書だけが合格する)制度で、一つの価値観で記述している『合格した教科書』で授業を進めなければならないという矛盾は無視。

しかも、教科である以上、児童生徒を評価しなければならず、その結果を評定として保護者に知らせなければならない。『評価結果を数値化しない』と述べているが、果たして、こんなことが可能だろうかと自問すると、答えは明らかに『否』である。

そして、近い将来、道徳を進学や就職の重要な査定要素になることも想像に難くない。となると、国の価値観に従わない児童生徒は道徳の成績が悪く、人格まで否定されかねないことも容易に推測できる。

10年後.こんなことを平気で決める内閣を選んだツケが、そのまま国民に跳ね返るのは間違いないだろう。いや、現在でさえ、一つの価値観しか認めない国は、後藤さんを『蛮勇』という言葉で切り捨ててる(まさに)蛮勇を平気で行っている。

『日本を愛しているが、戦争は許せない』『原発やアメリカの軍基地は危険だ』などという、子どもたちの素直な言葉を、指導要領に縛られた教師が否定する。そんな時代を誰も望んでいないと思いたい・・・。(田舎親父)

2015年2月 9日 (月)

他国へ逃げられ停人々は?・・・

 今日のつぶやきは、ある新聞記事をそのまま引用すること始めよう。

(引用はじめ)内戦が続くシリアを逃れ、さいたま市で暮らすジョディ・ユセフさん(31)が23日、成田空港で2年5カ月ぶりに家族と再会した。初対面の長男バイアールちゃん(2)を抱き上げ「家族と会えれば死んでもいいと思ってきた。夢のよう」と喜びをかみしめた。/シリア難民支援に巨額を拠出する日本政府だが、シリア出身者の難民申請はこれまで、すべて不認定としてきた。ユセフさんのように人道配慮で滞在が認められても、家族の呼び寄せは難しかったが、支援団体や国会議員らの働きかけもあり、初めて実現した。/来日したのは、バイアールちゃんと妻のファルハさん(29)、長女ナリンちゃん(4)。イラク国境の難民キャンプから、トルコ経由で到着した。ユセフさんは「日本のみなさんのおかげで家族と再会できた。人質にされた日本人もぜひ家族に会えるよう祈りたい」と話した。/ユセフさんは、トルコとの国境の町カミシリで農場を経営していたが、反政府運動にかかわったとして逮捕されそうになり、妊娠中のファルハさんらを残して2012年8月に来日。日本政府に難民申請して却下されたが、滞在は認められた。(引用終わり)

結構な話である。これを契機に難民の受け入れ議論が進むことも考えられる。特に、異論をはさむ気はないが、日本に逃れているということは『逃れる方法』があったのだろうが記事にはそのことはない。一般的には、めでたし・めでたし・・・と受け止め、そのまま記憶から消え去るような話題であるが、私には、どこか引っかかるものがある。

シリアに限らず、内戦状態の国々では、命の危険から逃れるため、着のみ着のままで脱出する人々の姿や、逃れてきた人たちが集団で生活する難民キャンプの様子は(戦場ジャ-ナリストと呼ばれる人たちによって撮影されたのだろうが)たびたびテレビ各局が取り上げているので目にする機会がある。

多くの日本人にとって(私もその一人だが)現実として受け止めることはできないが、逃げなければ殺されるという状況の人々にとっては、とにかく、一秒でも早く一歩でも遠くに逃げるしかないだろうことぐらいは容易に想像できる。

難民と呼ばれる人たちの多くは、ごく普通の市民だろう。時間差はあるものの、その人たちが、何千人規模のキャンプと呼ばれるテント生活を始めるのだろうが、どうして食べているのだろうか、着るものは、そしてこの人たちの排出物はどう処理されているのだろうという(不遜かも知れないが)素朴な疑問が次々と頭をよぎる。

その疑問の答えはない。しかし、私も含めてごく普通の日本人には想像すらできないほど厳しいものに違いないことは理解できる。

繰り返すが、ユセフさんがどうして日本に逃げてこられたのかは記事にはない。日本人の知人や友人が存在して、その人たちの助力があったのだろうと想像できるが、(ごく普通に考えでも)言葉も分からずカネもない難民が、キャンプから一人だけ脱出するなどできないはずだろう。となると、ユセフという人物は『選ばれた人』ではないだろうか。そして、幸運にも、家族を呼ぶことができ、日本で再会が果たせた。

ユセフさんを揶揄するつもりは全くない。心から良かったねと祝福したい。しかし、『選ばれなかった』大勢の人たちは、今もなお不自由なキャンプ生活を過ごしていることを思うと複雑な気持ちにさせられる。

日本は、この地域の国々へ2億ドル(約240億円)という巨額を支援を約束した。その全てが難民のために使われるとは思えないが、常識的に考えても、最低2割程度は難民の人々の環境改善に振り分けられると思いたい。そして、何百何千人単位の人たちを日本が受け入れるのなら気持ち的にはすっきりするだろうが・・・。

しかし、その期待はまるで届かず、難民は増え続け生活環境は悪くなる一方だろうことは想像に難くない。そして、その中の一握りの人が、日本はじめ諸外国に逃げられる。

 難民キャンプの中でも格差が生じ、大きくなることも間違いなさそう。その格差を広げるために日本人の税金である2億ドル(実際にはそれ以上だろうが)が使われていると思うと気持ちがふさぐ・・・。(田舎親父)

2015年2月 7日 (土)

この判決もひっかかる・・・

少し話は古くなるが、先月末、テニス部の練習中に熱中症で倒れて重い障害が残った元女子高校生と両親が兵庫県に損害賠償を求めた訴訟で、大阪高裁が介護費用など計2億3000万円の支払いを命じたというニュ-スに目が留まる。

そういえば、そんな事故があったなあと思い出すと同時に、顧問になり手がないと嘆いていた中学校の校長たちの悩みを聞いたことや、大学でその競技を少しかじった程度の教員に顧問を押しつけざるを得ない現実に、事故が起きるのは当然だろうなと危惧したことも・・・。

この女子生徒はテニス部のキャプテンで、顧問教師の指示を確実に実行するという強い責任感の持ち主だったという。そんな性格が仇になったのか、当日、この教師が、練習計画を指示し、出張で現場を離れた後も、この生徒は指示通りの練習を続けていたらしい。

前日までの期末試験で寝不足だった上に、30℃を越す炎天下という悪環境が重なって脱水状態になり意識不明で倒れたようだ。倒れる前に、自分で苦しいと思ったら、強制されていたわけではないだろうから、少しは休憩をすれば良かっただろうに、このあたりは現場を知らないので何とも言いようがない。

そばにいた他の部員が異変に気づき、他の教員に連絡して救急車で病院に運ばれたのだろうが、場所が学校の校庭でなく、近くの市営のテニスコ-トだったこともあって、処置が遅れたようだ。命を取り止めたものの、低酸素脳症(こんな病名もあるのだ)による重い意識障害が残り現在も寝たきりの状態が続いているという。

事故は2007年のこと。女子生徒の保護者は、『学校側が熱中症への注意義務を怠り、部活動中に倒れて重い障害が残った』として、県に約4億円の損害賠償を起こしたのだが一審は、ウイルス性心不全の可能性があり学校側の責任は問えないと却下。

今回の裁判は、それを不服として控訴審である。顧問教師が練習途中で現場を離れたことについて『水分補給を指示するなど部員の健康状態に配慮すべきだった』と指摘、一審を覆して、県側の責任を認定。計約2億4千万円の支払いを命じた。

24歳になった我が子が寝たきりになっている親としては、学校側の責任を追及したい気持ちは痛いほど理解できる。県が上告しないように求めるのは当然だが、このまま兵庫県が賠償に応じて金額を支払ったとしても、娘はずっと寝たままの生活が続く・・・。

部活動は現在も続いているに違いない。事故が起きないという根本的な対策がとられているとは思えず、これで良いのだろうか・・・という違和感がぬぐえない。

部活動を指導している全国の教員たちの中には、人ごとではないと身をすくめている者も少なくないのではないだろうか。

 『顧問は常時練習に立ち会う義務がある』の原告側の主張は1審同様退けられたという文面も何だかなあという気にさせられる。部活指導は教員の業務外扱いであり、立ち会いを義務付ける法的な根拠はないことは分かるが、一般的には教師は常時ついているべきだという考え方が浸透しているのでは、この文言は空証文のようにも思えて仕方ない。

 中学・高校(一部小学校でも)では部活動が当り前になっている。小学校高学年になると、一番興味がある話題は進学先の中学校の部活のこと。『俺は野球部に入る』とか『私は断然テニス部よ』という会話が卒業前には日常的になり、卒業文集にもこの話題がかなりのウエイトを占めている。

 受け入れる中学校でも、特色ある教育活動を展開するために、部活指導の充実を掲げている学校が少なくない。高校ではさらにその傾向が強くなっていることは言うまでもないが、専門家的技術を習得している教員が全ての部活動を指導しているかというと、答えは『否』である。

現在の教育界では、教員の負担軽減を求めると考え方よりも、共通に負担するべきだという発想が主流だから、全員の教員が部活の顧問教師(あるいは担当教師)になるのが当り前になっている。当然、全くの素人が子どもたちを指導することも少なくない。

最近は日当がでているらしいが、多くの教員が微々たる指導手当で週末も返上して半ば強制的に部活顧問を務めなければならないのも現実。これでは本来の授業研究や生徒指導に十分な時間が取れないと嘆く声が聞こえてくるのは当然だろう。

 自身の私生活をも犠牲にしなければならず、教員の善意と献身で成り立っている部活動を、子どもたちの気持ちに応えつつ成り立たせていくのに、もっと議論してほしいと願うのだが、出てくる意見は『指導手当を引き上げよう』という、経済主体の発想では、事故は今後も起き続けることだけははっきりしている。

そして事故が起き、裁判で今回のように莫大な補償金で解決をはかる?・・・。

 高裁の判決文の中に、事故が起きて一番の被害者は、将来の夢を消されてしまった児童生徒であるという基本中の基本を明確に述べた上で、根本的な解決策を行政に求める文言があってしかるべきではと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年2月 6日 (金)

何のための裁判員?・・・

 先日の最高裁の判決には違和感を覚えた人が多かったのではないだろうか。

 裁判員裁判制度については、よく分からないのでその是非は専門家に任すとして、少なくとも、抽選で一般国民を裁判員にして、罪を裁くという制度(私の関心事ではなかったので、知らないだけだったかもしれないが)がある日突然始まり、実際に始まってから数年過ぎてしまっている。

何の事件は忘れたが、この制度での最初の裁判は注目され、マスコミが取り上げていたことをおぼろげながら記憶にある。始めた理由は、先進国の陪審員制度に習い、民意というか第三者の良識的な判断要素を加えるということで、硬直した制度に新しい風を吹き込むものだという論調だったではなかっただろうか。

ところが、検察が死刑を求刑している事件にもどんどんと広がり、裁判員裁判で死刑判決という記事もよく耳にするが、そのほとんど(全部?)は被告側が控訴し、二審の高裁では、無期懲役という判断が下されているような感じがする。

今回、いずれも一審の死刑から二審で無期に減刑判決があった2つの裁判だが、最高裁は高裁の判断を支持し無期懲役が確定した。

素人の裁判員(陪審員)より、プロである裁判官が出した高裁の判断を支持したことに、まあ当然だろうという気持ちもあるが、これでは、精一杯努力し、死刑という重い判断を下した裁判員の立場は、何だったの?という気持ちにもさせられる。何の落ち度もなく殺された被害者の遺族も納得できないのでは・・・。

このことを報じた記事によると、最高裁小法廷の裁判長は『死刑は被告の生命を永遠に奪い去る究極の刑罰で、慎重さと公平性を確保をしなければならない。そのためには、これまで積み重ねられてきた過去の裁判例で、犯行の性質や計画性などといった判断要素がどのように考慮されてきたのかを踏まえた議論が不可欠だ。これは裁判官のみの裁判でも裁判員裁判でも変わるものではない』は述べたとある。

前段の、『死刑は命を永遠に奪いさる究極の刑罰』であることはその通り。だからこそ冤罪などがあってはならないはずなのに、実際にはたびたび起きていることから、より慎重に審議する必要があることに異議はない。

しかし、後段の『慎重さと公平性』や『過去の裁判例』という文言と、『一審判決は、死刑がやむを得ないと認めた具体的、説得的根拠を示していない』という文面からは、プロに任せろという、最高裁の裁判官の驕りのような意識がかいま見られるような気がしてならない。

一審で裁判員が死刑を言い渡した理由は、被告の過去の犯罪歴がかなり影響していることは、事件の概要を読むとよく分かる。過去に殺人を犯したり、凶悪事件を繰り返し刑務所から出所間もなくの犯行だったなどのことが、かなり裁判員の心理に影響したことは間違いないところ。殺害した人数が少ないことも、『公平性』や『過去の判例』を考慮せよという言葉で表現したのではと推察している。

(私は見たことはないが)抽選で選ばれた裁判員に対しては、裁判員の心得無含めて、詳細なことがらを記載した分厚い『マニュアル』が配られて、研修か重ねられているはずだと思っている。

そこには、死刑について云々や、公平性や過去の判例に言及してあるはずだろうが、それを十分承知で、裁判員は『死刑』という重い判決を下したに違いない。それが、高裁も最高裁と同じように『公平性』や『過去の判例』を持ち出したことも想像に難くなく、結果的に無期に減刑・・。

ならば、マニュアルに、はっきりと『殺害した人数が3人以上は死刑』『一人なら無期懲役』と、判断基準を示しておくべきではないだろうか。そして、過去の犯罪については『考慮しない・・・』とでも・・・。いやそれ以前に、裁判員制度なんて必要あるのという疑念がわいてくる。

 新聞記事に『泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える』との、遺族の怒りが掲載してあるが、その気持ちは痛いほどよく分かる。

 遺族にとって『公平性』という言葉は無意味だろう。たった一人の娘を殺された親にとって殺害された人数は一人でも百人でも同じこと。無期であれば、この犯人は十数年後には罪を償ったとして娑婆に出てくる。

遺族は許せないだろうな・・・。しかし、そのことに異議を訴える手段はない。(田舎親父)

2015年2月 5日 (木)

電動車椅子発見・・・

 一時見なくなったと思っていた電動の車椅子を最近目撃する機会が増えたような気がする。そして、運転をしている人の年齢が、さらに進んでいるように思えるのは私の錯覚だろうか。

 以前のブ-ムの時は、運転しているお年寄りには、何となく誇らしさがあり、それなりの交通ル-ルに従う雰囲気を感じたものだが、このところ遭遇する電動車椅子の運転は、どこを見ているのか分からない焦点のはっきりしない眼で、ひたすらハンドルと切り換えスイッチをいじくっている年寄りが多いように感じるのだが・・・。

 一人で歩けないのだから仕方ないという意見は理解できる。年寄りだからといって、家の中で引きこもっていなければならないわけはなく、このような便利なツ-ルを使って外に出る事は悪いことではないが、狭い道を我が物顔でそこのけ・そこのけという態度はいただけない。

『便利で快適な生活』は現代人にとっては当り前。また、『できるだけ手間をかけず、楽をしたい』のも誰もが持つ考え方だろう。電動車椅子もこの発想から生まれたものであるが、『そこまで楽をしたいの・・・』という光景を先日、横浜動物園(ズ-ラシア)で目撃した。

最近、(歳をとったせいだろうが)昔のことを思い出して一眼レフのカメラを入手。散策の途中パチリパチリと楽しんでいるのだが、動物たちを撮影するのもその一つとなり、歩いて20分ほどの距離にあるズ-ラシアにもかなりの頻度で出かけている。

主に出かけるのは平日であるが、先週の日曜日に(魔が差したわけではないが)出かけたところ家族ずれの多さに改めて驚く。

ズ-ラシアの設計思想は『動物が人間を観察できる』ということだと誰かに教えられたが、歩いてみるとそのことがよく分かる。できるだけ檻をなくしているので、動物を間近に見られるのだが、動物たちにとって隠れる場所も多いので、見つけることに苦労することも稀ではない。

自然の地形を生かした設計で、動物たちを展示するゾ-ンは急勾配な斜面、人の歩く通路はゆるやかな勾配に振り分けている。ゆるやかだといっても上り坂を母親が手を添えているだけなのに、スイスイと動いている乳母車を目撃し、思わず目が点になる。

瞬間的にカメラを向けようとしたが、友人からの『女性に絶対にカメラを向けるるんじゃないぞ』という忠告を思い出し踏みとどまるが、『ここまでやるのか・・・』と心の中で叫んでしまった。

できるだけ目を合わせないようにしながらその構造を観察するが、幼児をくるむ毛布のような布で隠されてよく見えない。しかし明らかに電動で動いている。確かにこれは母親(家族)にとって『便利で快適』な究極のツ-ルであるが、子育てのためなら何でもありという発想がここまでのここまで広がっていることに驚愕する。

その日帰宅して『電動乳母車』で検索してみると、実際には『電動アシストベビ-カ-』という名前で売り出されているようだ。価格は15/20万円程度で、中には、折りたたみのものまであることを知る。いやはや驚くことばかり・・・。

そして、何故か『電動アシストベビーカーと道路交通法の関係が明確になりました~産業・・・』という経産省の一項があるのにもビックリする。

開いてみると、そこには、今般、事業者より、電動アシスト機能を有するベビーカー(以下、電動アシストベビーカー)の販売を予定しているが、当該電動アシストベビーカーが道路交通法上の『小児用の車』とみなされるか照会がありましたという書き出しで、産業競争力強化法の『グレーゾーン解消制度』を活用して電動アシストベビーカーと道路交通法の関係を明確にしたという経産省の捉えかたが掲載してある。

どうやら、すでにネットなどで販売これている『電動アシストベビ-カ-』は、道路交通法では、何に類するかがはっきりしていないため、経産省は『グレーゾーン解消制度』という、私は初めて耳にする制度を元に、急いで理屈づけしたことをうかがわせる。

このツ-ルにはいろいろな仕様があるが、それらの条件を満たせば『小児用の車』に該当し、これを通行させている人は歩行者とみなされるというから、ズ-ラシアでたまたま目撃したこの乳母車は、今後は街中でごく普通に見られるようになりそうだ。

経済産業省は、これにより、電動アシストベビーカーを広く商品展開することが可能となり、育児用品市場の活性化、育児層の負担軽減に資することが期待されるとしていう見解を打ち出しているが、またここでも経済第一の発想で、ベビ-カ-による経済効果を煽っている。

確かに母親(家族)にとって、乳母車は便利で快適な道具である。乳母車の普及に異議は唱えないが、(私でもたまに目撃する)満員電車に『権利意識』丸出しで、わがもの顔で乳母車を平気で持ち込むのは、あまりいただける話ではない。

最近は、時に利用するバスも乳母車は当り前らしく、段差がある乗降口のバスの場合は運転手が手伝う場面を何度か目撃したが、手伝うのは当り前だという顔の若い母親に(注意できないだけに)違和感を覚える。運転手の負担は半端ではないと思うが、笑顔で接しているから、社員教育が行き届いているのだろうが・・・。

 その上に、電動になったら・・・と想像すると、子育てのためとはいえ、何か恐ろしさを感じる。(田舎親父)

2015年2月 4日 (水)

空き家対策が進まない・・・

子育て世代の人たちにとっては、新しい家は垂涎の的らしく、何とかして入手したいと虎視眈々と新築物件を狙っているのはよく分かった。価格が安ければ、新築の家があっと言う間に売れる理由も大体納得できたが、それにしても、空き家がこんなに増え続けることが正常社会とはとても思えない。もう少し空き家の有効利用ができないものだろうか。

『実家の親が高齢で施設に入ることになって、実家は空き家になっている』という話はかなりの頻度で耳にする。本人は、田舎暮らしも魅力なので百姓をしても良いと思っているのだが、仕事の関係で踏ん切りがつかないとか、配偶者の理解が得られないなどという理由で、そのうちどんどん月日が流れているということもよく聞く話。

あるいは、現在の家で過ごすこと決めている人たちの間では、田舎の家屋は不用になったので売りたいと思っているようだが、思うように売れないという悩みを抱えている人も多いという。

両親がいない私にはうらやましい話で、ならば私が住もうかと言いたくもなるが、横浜の片田舎の超夏向きのオンボロ自宅にも愛着もあって、その言葉はなかなか口にできないのも悩ましいのだが・・・。

不動産コンサルタント会社の窓口には、このような相談がよく舞い込むのだそうだ。それでも田舎の場合は、需要がないのだから仕方ないと諦めるらしいが、首都圏の郊外でもこの種の話は日常茶飯事だというから、昨日、つぶやいた隣家と同じような成り行きなのだろう。

昨日の繰り返しになるが、去年の7月、総務省が5年に1回実施している『住宅の国勢調査』と言われる『住宅・土地統計調査』を発表したという記事の中に、2013年10月時点で全国の空き家の数は約820万戸。5年前より約6万戸超の増加だという。空き家率が13・5%とは凄いものがある。

話は飛ぶが、最近空き家をめぐって自治体が悪戦苦闘しているという話題が、新聞テレビでお馴染みになっている。自治体としては、老朽化が倒壊の恐れがあるので何とかしたいのだが、無断で改修や解体はできないので所有者にお願いするしかないそうだ。

ところが、所有者と連絡をとりたいと思ってもとれない場合や、すでに老人施設に入居していたり、病院で寝たきりになっていることも稀ではないとのこと。痴呆症で介護される生活という所有者も少なくないとなると空き家対策が進まないのも納得できる。

所有者の子どもたちと連絡できれば、事は先に進むのだろうが、子どもの有無や居所が漠然としているとなるとそこでお手上げ。時に、緊急に倒壊の危険が増した物件などの場合、代執行という形で解体する話題がニュ-スになるのも何かわびしさを感じる。その場合、所有者に実費を請求するのだそうだが、費用を回収できない方が多いという。

また、所有者が思い切って撤去する決心がついても、取り壊す費用が百万円ほどかかるとなると、よほど経済的に余裕がないと難しい。そして下手に空き家を撤去し、更地にすると税金が6倍になるというから話はややこしくなる。

更地にしたら税金が6倍とは変な話であるが、更地にしたら住宅用土地に課される固定資産税の軽減措置(小規模住宅用地は更地の6分の1)が受けられなくなるのだそうだ。こんな法律があることを初めて知る。
 この固定資産税の軽減措置は戦後、住宅建設を促すねらいで設けられたのだという。今更こんな法律は不用だと思うのだが、固定資産税はほとんどの市町村で歳入の約5~6割を占める大きな財政基盤となっていて、人口減で地方財政が逼迫するなか、安易に更地への課税をゆるめることはできないという事情があるらしい。

ならば空き家への課税を更地並みにすれば、仕方なく手放すだろうと思うが、簡単に売れないとなると、空き家ではないと偽装するだろうことは想像に難くない。その場合、自治体には、事実かどうかを調べる手間と人的予算が確保できないとなると打つ手がなく、空き家に関する全てが現在まで放置されているようだ。

売れない上に、税金が6倍になるとなると、どんなに古い住宅でも残しておいた方が有利だと思う気持ちはよく分かる。空き家は放置され続けると劣化する。風雨や積雪で屋根や外壁が倒壊したり、樹木や雑草がはびこったり、蠅やネズミの温床になって衛生状態が悪化したり、また不審者が出入りするようになったら防犯的にこれなんとかしなければならないのは当然だろう。

自治体によっては、空き家対策として、所有者から寄付や転売許可を得て、希望者に売り出したり、貸したりする施策を進めているようだが、田舎暮らしを希望している人は大体が高齢者とあっては、10年後、20年後を考えると負の要因になることは確実だろうから、二の足を踏んでいる自治体も多いはず。

話はまた飛ぶが、防災や景観などに悪影響を及ぼす恐れのある空き家の増加を防ぐため、市町村の権限で家主に除却や修繕を命令できる『空き家等対策の推進に関する特別措置法』が昨年11月に議員立法で可決されたという。

都会地の空き家をなくす方向では一歩前進かもしれないが、人口減の過疎地での効果はあまり期待できない?。というより、こんな法律自体あまり意味があるとは思えないのだが・・・。

地方の創造をうたう以上、過疎地の空き家対策も真剣に考えてほしいもの。そのためには、若者が移住できる環境を整えることに尽きるのだが、皮肉を込めて表現すれば、国がやっていることは、首都圏(特に東京)が魅力的になることばかり・・・。

過疎化対策より経済成長が最重要課題と位置づける国の方針では、空き家の増加は増えることがあっても減ることはないことだけは断言できる。

 過疎化をこれ以上くい止め、都会地であっても空き家を増やさないためには、『経済第一』という発想を、もう一度見直す必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年2月 3日 (火)

空き家が増えているのに建築ラッシュ・・・

以前もつぶやいたことがあると思うが、我が家は、東京電力が戦後しばらくした頃から(だろうと思うが)火力発電所から出るコ-クスの燃えかすの廃棄場所として、ここ横浜の片田舎の山の中を崩して大量の残差物を埋め立てた跡を、子会社の東電不動産が住宅地として売り出した片隅に位置している。

40年ほど前、偶然が重なりこの地を入手したのであるが、(東電の思惑があったのだろうが)400以上ある区画を、数年に一度程度の割合でごく少ない区画を売り出すものだから、4年前で半数の200区画ほどは更地のままだった。おかげで、かなり空間が広がる開放的な雰囲気があった。

周りの擁壁もいわゆるグリ-ベルトとして広くとっている。また、住宅地とは別に、広い土地を少年野球場として子どもたちに開放されていた。

ただ交通の不便さは半端ではなく、駅まで歩くと最短コ-スを急ぎ足でおよそ30分、バス停までも10分以上かかるので、高齢者の仲間入りした同じ年代の入居者は不便を感じ、数年前からかなり引っ越しているが、私は自然が豊かな環境が気に入っている。現在は少しその気持ちが揺るいでいるので、『いた』と過去形の方がむしろ本心かもしれないが・・・。

この平和な環境が3.11で激変。東電の福島原発事故の影響で(自治会の役員たちは事前に知っていたと思っているが)野球場も含めた更地の部分が、ある日突然、名も知らない土建業者に売られたから、のんびりした空気が一機に破られた。しかも擁壁までも崩して宅地にするというから穏やかではない。

それからの動きは急で、街区として一定区画の区切りの縁石を剥がして、新たな区画とする工事が始まり、結果的に、6区画を8区画という具合に平均60坪ほどの区画面積を40坪以下に再構築、そこに典型的な建て売り住宅建設が始まり、現在も続いている。

住民は一挙に増え、その大部分が子育て中なので、子どもの数は私が入居した当時に匹敵するほど。子どもの数が増えることには異議はないが、野球場はもちろん、擁壁部分も削って宅地とし次々と住宅が建てられているので、空間的にゆとりがなくなり息苦しさすら覚えている。

建築費を安くするためにだろうが、同じ規格だから全く個性がない。しかも駐車スペ-スをとるために、庭など不用という考え方なので、薄っぺらな家がひしめき合っているよな感じである。

同年配の隣人たちは、『今は新しいから見られるが、20年も経ったらここはスラムだね。もっとも、我々は生きてはいないし、バスもこない僻地だから、知り合いは引っ越していなくなるだろう・・・』と自嘲気味につぶやく人も少なくない。

それでも、(需要があるからだろうが)そんな家が、あっと言う間に売れて入居するのだから恐ろしい。しかも子育て中の若い世代が圧倒的・・・。世の中不景気だと言われているのに、親の援助やロ-ンが組みやすいこともあるとは思うが、考えさせられる。

そんなことを思っていると、2013年の日本の空き家数は約820万戸、空き家率は13.5%と過去最高を記録したという記事に、もったいない話だと食いついてしまう。

記事によると、核家族化に加え高齢者など一人暮らしの世帯増で空き家は今後も毎年20万戸ずつ増加し、15年後には住宅全体の4分の1が空き家になるというというから俄には信じられないが、私の散策コ-スにも明らかに空き家だと分かる家もあり、実際に隣家が5年以上空き家だったことから、事実なのだろうとムリに納得する。

燐家は取り壊され、新しい住民が住んでいるが、リホ-ムしたところだという家は、老夫婦が急にいなくなって以来ずっと空き家が続いていた。時に整理のために訪れる息子の話では、両親とも痴呆症が進んで、病院と施設に入っているのだが手放したくないと言うので処分できないでいるとのことである。

ところが、急に売りに出されたのだから老夫婦は共に亡くなったのだろう。息子からは連絡はなく、20年も隣で住んでいるのに・・・という寂しさを感じるが、結局その家は取り壊され、現在は新築され子育て中の4人家族が入居している。

リホ-ムしたばかりだからまだ十分住めるはず。老夫婦には3人子どもがいたのだから、誰かが同居すれば良いと思うのだが、すでに独立しているとなると難しいようだ。

首都圏では同じような事情で、空き家になり取り壊されることも少なくないらしいが、十分住めるのにもったいない話である。そして、親はともかく子どもは同居を望まず、マンションや一軒家を求めるのだそうだ。

相続税の増税も絡んで、親は某かの(全額かも)援助?・・・。なるほど、建て売り住宅があっと言う間に売れる理由が分かるような気がする。

 相変わらず饒舌な文章になってしまった。長くなりそうなので、今日のところはここまでとして、続きは後日に・・・。(田舎親父)

2015年2月 2日 (月)

辺野古は緊迫しているが・・・

政府筋から相当な圧力があるのか、それとも意識的にアホベ政権にへつらっているのか明らかではないが、沖縄知事選が自民党の大敗をうけた後、知事選の争点だった普天間基地移転記事は掲載することを避けているのではと思うほど情報がない。普天間も辺野古もメディアから消えている。それどころか沖縄という言葉さえタブ-とされているのか、紙面で探すことすら難しくなっている。

先日、東京新聞が『特報』というコ-ナ-で、辺野古では強い抗議運動が展開されているとの記事を出していることには拍手を惜しまないが、政府御用達の読売は仕方ないとしても、朝日や毎日というリベラルと言われている大マスコミはひたすらダンマリを決め込んでいるのはいただけない。ジャ-ナリズム精神すら政権に売り渡したのではいかと思いたくなる。

そこで最近は、辺野古の動きを私なりに理解するために、地元の『琉球新報』という新聞のネット版を読んでいるのだが、そこには連日、現政権の強引で、沖縄県民の意思を全く無視した、信じられないような動きが掲載されている。

圧倒的な沖縄県人の民意は辺野古移転には反対している。しかし、民意って何なの・・・と開き直り、聞く耳持たないという姿勢を変えることなく、むしろメンツかかわるとばかり、工事の中止の要請を受けてもこれを無視。それどころか、力で反対の声を封じ込める暴挙が続いている記事に、この国はいつから戦前に逆戻りしたのだろうと呆れを通り越して涙さえ出てくる。

先日の紙面には、辺野古沖移設に反対する市民らの抗議船に乗船し、海上作業の様子を撮影していた女性映画監督が、船に乗り込んできた海上保安官に馬乗りにされている数枚の写真と、それに関する文章が掲載されていた。

この行為に対して琉球新報が第11管区海上保安本部に質問したところ『馬乗りになったという事実はない。過剰警備には当たらない。(海上保安官は)かじがある船体後部へ通り抜けるために女性をかわして奥に進んだ』との回答が返ってきたと記事にある。

しかし、掲載されている琉球新報の写真部員が撮影した数枚の写真には、明らかに海上保安官は背後から映画監督のカメラを執拗に奪おうと左手を伸ばししているばかりか、左足を肩から乗せている姿が映し出されている。

新報は、『女性がこの位置にいては通れなかったと主張したが、写真では後方から女性映画監督の頭に手を掛け、カメラを奪おうとつかみかかる姿が記録されている』と反論している。『女性監督が抵抗すると、海上保安官は肩口から左足を伸ばして馬乗りになって体重を乗せている。その後に足を引き抜いたが、通り抜けるそぶりは見せていない』と大マスコミにはできない権力に対して明確に抗議する姿勢を貫いている。
 映像を見る限り、私でも新報の主張は無条件に『是』である。女性監督が『誰も見ていないと思って平気でうそをついている。海保は(私の)カメラを壊してもいいと思っているように感じた。法を守る立場なら、事実を誠実に明らかにするべきだ』との主張が正しいと思うが、海保はあくまで、警備の一環だと主張しているのだから、黒を白と言いくるめるやり方そのもの。

このことについての記事のごく一部を引用しておくが、辺野古の緊迫している様子がよく分かる。

(引用はじめ)・・・(前の部分は略)本紙23日付で検証した映画監督の影山さんに対する海上保安官の馬乗り行為については「危険な状態なら物理的な措置を取らざるを得ない。最低限許される行為だ」とした。影山さんのカメラにつかみかかったことについては「カメラを海に落としたり、けがしたりすることがある。そのためにカメラを封じた」と説明した。(引用終わり)

 この明らかな過剰警備について、自民党の国会議員すら『謝罪してほしい』と訴えているという。海保としては、上から命令された任務で、抗議活動を封殺しなければならない立場であるのは分からないでもないが,ここまでの実力行使は許されるものではない。

 琉球新報が伝える、緊迫した様子に心揺さぶられ、明らかに職権乱用と思われる海保に強い憤りと抗議のつぶやきをしているのだが、東京では、このような事態は全く伝えられない。

先月末に、名護市議会が、全快一致で『海底調査を中止』を求める決議をしたことをネットで知るが、それを伝える記事は、首都圏では東京新聞だけで、他は『そんなことありましたっけ・・・』と完全無視。今現在も、辺野古周辺では、海保の過剰警備が続いていると思うと、その悲しみは筆舌に尽くせない。

 それ以上に、辺野古の緊迫を一言も伝えない(遠い過去になった?)リベラルを売り物にしていた朝日や毎日のジャ-ナリズム精神の回復を願って止まない・・・。(田舎親父)

2015年2月 1日 (日)

『テロに備えよ』との大合唱が・・・

 今朝起きてテレビをつけたら『後藤さん殺害』という言葉が飛び込んできたので、我が耳を疑う。

全く外交など語る知識なとない私であるが、イスラム国にとって後藤さんは日本からカネを引き出す重要なカ-ドである当時に、ヨルダンとアメリカを中心にした空爆連合との連携を崩すための切り札になると予測していたので、自分たちに有利な何かを得るまでは後藤さん殺害はないと思っていたのに残念で仕方ない。

何が、急いで後藤さんを殺害しなければならなかったのだろう。すでに飛行士を殺害しており、ヨルダンに収監これている死刑囚を取り戻せないと諦めたのか、それとも、飛行士の居所が分かったら空爆でやられると考えたのか、あるいは、これ以上後藤さんを隠しておく場所がなかったのか、いろいろと想像するが、日本との交渉のカ-ドを自分たちが捨てたのだから、私が想像する以上に重大な理由があるのだろう。

後藤さんを殺害したという動画には『お前たち愚かな有志連合は、われわれがアラーのご加護により、権威と力のあるイスラム教カリフ国家であり、お前たちの血を欲しがっている軍であることを理解できていない。安倍、勝ち目のない戦争に参加するというお前の無謀な決断のために、このナイフは後藤を殺すだけでなくお前の国民がどこにいようとも虐殺をもたらすだろう。日本の悪夢を今始めよう』というメッセ-ジが添えられていたとのことだが、これは恐ろしい。

日本政府は大混乱に陥っているようだ。アホベ首相は『テロには絶対に屈しない』と強気の発言を繰り返しているようだが、相手が日本に向けて不気味な声明を出した以上、何時どこでテロが起きても不思議ではない。

オバマ大統領は『イスラム国を壊滅させる』と明言している。アメリカからすでに『この作戦に参加せよという』命令が、伝えられたとしたら、首相氏は『テロに絶対に屈しない』ためには『イスラム国を壊滅する』ことだと言い出すのではないだろうか。そして次にはその作戦のために自衛隊を派兵する・・・。

すでに、テロを引き起こすために戦闘要員が日本のどこかに潜伏しているのではないだろうか。日本国民に恐怖と世界に衝撃を与えるためには、その地は東京?では・・・。

後藤さんと湯川さんが捕らえられていたことは、去年の時点で間違いない情報としてマスコミも報じていた。私もそのニュ-スを見たり聞いたり読んだことがあることを思い出している。

それを承知で中東に出かけ、イスラム国を刺激した首相の責任は重い。昨日もつぶやいたが、そのことに対して、野党もメディアも批判がなく、世論すら政権の言う『緊密な連携』が後藤さんを解放してくれると夢見ていたのだから、日本全体が翼賛体制に陥っていたと言うしかない。

首相も今更『私が悪かった・・・』とは言えないだろうが、せめて、後藤さんの遺族に『助けられなくて申し訳なかった・・・』というお詫びの一言だけは言ってほしいもの。そし、できれば、重大なテロが起きる前に、二人の命を奪った責任をとって政界を引退し、冥福を祈る生活に入ってほしいと願うのだが・・・。

無理だろうな・・・。(田舎親父)

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