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2015年3月

2015年3月31日 (火)

最高裁の判決によっては・・・

 今日はもう3月31日。あっと言う間に今年も4分の1が過ぎ去ってしまったことになる。このところ自分が歳をとったせいもあるのだろうが、何故こんなに時間が早く過ぎるのだろうと思うことが日常的になっている。

 このまま進めば、あっと言う間に20年.30年が過ぎるのだろうが、さすがにそれは遠い未来。90歳や100歳の自分なんてとても想像つかないのだから勝手なもの。そもそもそんなに長生きするとは思えないのだろうが・・・。

 あいも変わらず変な書き出しになったが、歳をとると子どもの姿を見ると何となくホッとするのだが、最近は子どもたちが群れて遊んでいる姿をみる機会が少なくなったように思えてならない。

私の子どもの頃は、目が覚めて寝るまでといっても奇怪しくないほど、いつの間にか大勢が集まりチャンパラごっこや三角ベ-ス。夏の夜はカブトムシ捕りに夢中になったものであるが、現代は塾やお稽古ごとに追われているのか、それともゲ-ムなどで一人遊びが当り前になったのか、あるいはスマホの普及で、外遊びが不必要になったのかも知れないが、子どもが外遊びできない社会が良いはずはない。

もっとも、横浜の片田舎でも、近くの公園では大きな赤で『×』が描かれて、箇条書きで禁止事項が書かれていることが普通になっている。その中には、野球やサッカ-などが当り前となると、キャッチポ-ルすらできない雰囲気。群れて遊ぶことなどはじめから無理なのかも知れないが・・・。

先日、『子どもの遊びと親の責任』という一文が目に飛び込んできた。その概略は、子どもが蹴ったボールが校庭から飛び出し、通りかかったバイクが転倒し乗っていた人が負傷し病院に運ばれたが、認知症になり後日死亡したことに対して、遺族から『親が責任をとれ』と訴えられたという。そしてその裁判が最高裁に持ち越されて、4月9日に判決が言い渡されるのだそうだ。

この記事をネットで探す。事故は2004年というから10年以上前になる。愛媛県今治市の公立小学校で放課後友人らとサッカ-をしていた時、ゴールに向けて蹴ったボールが門扉を飛び越えて道路に飛び出したのだそうだ。その時、偶然80代の男性がバイクで通りかかり、よけようとして転倒し足を骨折。認知症の症状が出て約1年半後に肺炎で亡くなったという経過があった。

遺族が約5千万円の損害賠償を求めて提訴し、一審、二審ともボールを蹴った少年(現在23歳)の男性の過失や事故と死亡の因果関係を認定し、二審の高裁は少年の両親約1100万円の賠償を命じたという。両親はこれを不服として上告していたという。

記事には事故があった時の想定図が添付されているが、サッカ-ゴ-ルに向かって蹴ったボ-ルが校庭から飛び出すよう配置に疑問がわく。普通の小学校ではこの位置にゴ-ルを持ってくることは考えられないのだが・・・。

しかも、単に放課後ではなく、『校庭開放』という時間帯。だから学校の責任は問われなかったのだろうが、校庭開放なら監視員がいたはず。記事にはこれらの記載はない。

 校庭開放でサッカ-禁止だったかどうかはわからないが、子ども達はボ-ルを蹴って、サッカ-遊びをするのはごく自然だろう。禁止事項であったなら、係員は注意する義務がある。記事には監視員のことはないところから、禁止していなかったのではないだろうかと推察しているのだが・・・。

となると、少年の父親の、『注意のしようもない。こんなことにまで親が責任を負わされるのは納得できない』という主張は理解できないことはない。むしろ、1100万円の支払いなど受け入れられるはずがなく、上告するのは当然だとも思うが、最近の子ども絡みの事故での裁判は、保護者や行政の責任が当り前になっているのも気になるところ。

書き出しで述べたように、最近は、校庭や放課後の校庭開放でもボール遊びを禁じているのが大流行。こんなことが昔では考えられなかったこと。昔の子ども達は、どうすれば怪我をしないようにできるかを、遊びを通して学んでいたのではなかっただろうか。そして、いつの間にか危機意識が育ってきたのでは・・・。

 これまで『事実上無条件に親に責任がある』としてきた民法裁判であるが、今後、子どもが、川崎の中一殺害事件はともかく、校内で同級生への暴力行為を含めて、日常的な遊びやスポーツで起きた事故まで、子どもが加害者になるケースは増えるはず。

 今回の裁判であるが、被害者の遺族には申し訳ないが、80代でバイクに乗っていたことや、ボ-ルをよけようとして転倒したことで認知症になり、そのことが原因で死亡したということもひっかかる。

最高裁が、一・二審を全て合憲として、1100万円もの支払いを少年の両親に言い渡すとは思いたくないが、例え半減されたとしても親の責任問う判決になる。そうなれば、子どもの遊び場は、現在以上に失われることになりそうだ。

その意味でも、9日の判決は重大な意味を持ってくる・・・。(田舎親父)

2015年3月30日 (月)

命を奪っても捨てるだけでは・・・

 先日、鹿児島の親しい方から、『鹿肉の燻製』というものが送られていた。鹿肉をじっくり煮込んで、桜のチップでいぶした一品であるがこれが実に美味い。彼は、鹿児島といっても熊本県との県境の、ツルの飛来地として有名な出水市の山奥でお茶の生産を生業にしているのだが、農家民泊はじめ地域の活性化に力を入れている。

ここでもご多分に漏れず、イノシシやシカが増え過ぎて、農作物を荒らすという悩みを抱えているのだが、狩猟免許を持っていることもあり、市からの委託を受けて、仲間たちとこちらの対策にも深くかかわっているという。

イノシシは主に罠で生け捕りにして即解体することによって、新鮮な肉を提供できるので、あまり処理に困るということはないらしいが、増え過ぎたシカは少々の柵では飛び越えてしまううので、猟銃で撃つしか手がないのだそうだ。

隣の阿久根市には鹿の処理場があるらしいが、出水市にはその設備がないため、自分達で解体処理し自家製にしたり、民泊の人たちに提供しているのだそうだが、それらはごく一部で、ほとんどが焼却か埋葬処分しか方法がないという。

そこで、仲間達と考え出したのが『鹿肉の燻製』だという。大量のモモ肉などを大鍋で長時間煮込み、中まで柔らかくなったら桜チップでいぶすのだそうだ。そして出来上がった燻製を私に届けてくれたということから、こんな書き出しになったのだが・・・。

サラダに実にあう。マヨネ-ズをつけてイタリアンパセリなどを巻いて食べると、最高の酒のつまみよなる。真空パックなので、常温でもある程度の保存は可能だというから、これは入手方法を考えない手はない。

しかし、販売行為はいろいろと難しい制約があるので、現在のところは、友人知人におすそ分け程度しかできていないらしいというからもったいない話である。鹿肉は無尽蔵に入手できるので、手間さえかければいくらでも作れると言うが、それなりの費用がかかっていることは言うまでもない。

まだ口約束程度で、いくらで分けていただけるのかはこれからの交渉になるが、シカ肉の販路を拡大するお手伝いができるのではないかと、彼から送ってもらった『鹿肉の燻製』を、横浜の片田舎で知り合いに配れないかと思い始めている。

もし、この拙文を目にしていただき、面白いと思われた方はご連絡いただければ幸である。近々、交遊関係のトンデモ広い方と横浜球場でプロ野球観戦することになっているのでこれを持参し、味わってもらい良い知恵をいただこうと思っているが・・・。

ところで、このイノシシやシカが福島県の原発事故の避難指示区域でも、爆発的に増えているという記事に目が留まる。

この話題の主役は鹿でなくてイノシシであるが、イノシシの被害は特に深刻で、福島県の推計によると、生息数は事故前の1.4倍に増加しているという。

記事では楢葉町の例を紹介しているが、町内ではイノシシ被害対策として、わなを12基設置、これまでに200頭以上を捕獲したそうだが、放射線汚染ということで、一切食用にできないことは当然だろう。その全てはごく簡単な埋葬か放置となるようだ。

もっともな話である。実際に厳重に管理されている牛や豚であっても、東電の情報隠蔽の繰り返しによって、人々が放射線値そのものに疑問符をつけるのは仕方ないと思っているので、福島県産というだけでも敬遠されるのもあり得る話だろうが、野生のイノシシとなるとその肉は、まさに核のゴミ。深く埋めるのも手間と費用がかかるとなると仕方ないところ。ただ殺すだけでは、猟銃免許保持者はイノシシやシカを撃つ気持ちも萎えるだろう。

地方の衰退で鳥獣被害は全国でますます深刻化することは間違いない。出水市の友人のように、周りに喜んでもらえるならば、イノシシやシカの命は価値あるものとして(仏教徒ではないが)供養だと考えることもできるが、原発被災地では、殺して、単なるゴミとしてただ捨てるだけ。

駆除しなければ人間社会に多大な被害を及ぼすことは間違いないが、人間のご都合で作られた原発が爆発、夥しい放射能が飛び散っていることが加わっているのだから、それでなくても難しい問題がさらに難しくなっている。

改めて、原発事故が悔やまれるが、これとて人間のおごりが生み出した結果であるとしたら、原発などという悪魔のマシ-ンに魂を売ることだけは絶対に避けなければと強く思う。

 出水市は川内原発に事故が起きれば重大な被害を受ける地域、届いた『鹿肉の燻製』をいただきながら、無益な殺生を避けるためにも、再稼働に強く反対しなければと思う日々である・・・。(田舎親父)

2015年3月28日 (土)

東京一極集中が加速されるだけでは・・・

 北陸新幹線の開業と同じ日に、上野と東京を結ぶ路線が開通したと新聞テレビが報じていた。こちらは北陸新幹線の華やかさと比較すれば、比べ物にならないほど地味な扱いだったが、東京一極集中に大きな疑問を持っている私には、また東京か・・・という程度にしか受け止められない。

 翌日だったか、横浜から上野に出かけたという人の話が耳に入る。この人たちは横浜で待ち合わせて上野の美術館に出かけたそうだ。さほど、上野東京ライン開通には感心がなかったらしく、いつものように横浜駅の東海道線の乗り場から東京行きだと思って乗り込んだところ車内放送で宇都宮まで直通運転を知ったとのこと。

乗り換えなしで上野まで行けるのだから便利になったと大喜び、ついでにアメ横まで足を延ばしたというから、まさにテレビで『アメ横と中華街が結ばれる』とニコニコ顔で握手をしていた両者の代表の思惑通り・・・。

同じ日の夕方、上野-御徒町間の朝の通勤ラッシュ時の混雑がかなり緩和されたというテレビニュ-スに、これもJR東日本の目論見通り。こうして嵌められるのだな・・・と感心するが、どうやら、私の気持ちなど関係なしに、ますます東京近郊のアクセスは便利に、そして快適になっているようだ。

しかし、便利が良いことばかりとは限らないと思い直す。去年だったが、東横線の渋谷駅が地下深く移転し、横浜から渋谷を経由して新宿・池袋と直結するばかりではなく、直通で川越まで行けることになったが、そのために渋谷駅の乗降が大混乱になったと何度かつぶやいたことを思い出す。

その後、何回か渋谷駅を利用して大分改善されていることは実感しているが、直後には登りのエスカレ-タ-もなく、しかも分かりにくいこと夥しいことを実感したことは忘れない。そして、『渋谷には年寄りは来るな・・・』と感じたもの。これがトラウマになっているのか、いまでもできるだけ渋谷を避けている。

さらにもう一つ、今までなら、渋谷駅で疲れたと思ったら(始発駅だから)次の電車か各駅停車に乗れば間違いなく座ることができたが、現在ではその保障は全くない。私は座われなくてもさほど苦にならないが、できれば時間がかかっても座りたいと思う人には気の毒としか言いようがない。

今回も、上野が通過駅となると、千葉や埼玉に居住している人はもとより、栃木や群馬の駅から都心に通勤している人にとって、朝は東京まで直通で、山手線への乗り換えの手間と労力は省けるが、疲れがどっと出る帰宅時となると、上野で始発を待って座ってということはできなくなる。

これは東京でも同じことで、湘南や小田原方面に帰宅する人は座れる可能性は、上野以北に比べれば少しは確率的には高くなさそうだが、座れない可能性の方が高いはず。歌の文句ではないが『行きはよいよい帰りが怖い・・・』ことが現実になっているのではないだろうか。

北陸新幹線の開通で、金沢や富山が賑わっているそうだ。観光客が増えていることは間違いないが、これらの観光客がリピ-タ-となって、何度も訪れる保障はない。むしろ、北陸の良い部分を東京(首都圏)でも味わえるという面が大きく、北陸新幹線は地方のためではなく、東京に人と物が集まりやすくするためのツ-ルに過ぎないと言っても差し支えなさそうだ。

今回の東海道線と常磐・東北(宇都宮)・高崎の各線との直通運転は、首都圏の物理的通勤圏を広げることになり、地方の若者を『やはり就職するなら東京だ・・・』という憧れを持たせることになりそうだ。そして、結果的にはますます東京(首都圏)に人と物を集めることになるのではという危惧感も強い。

『ああ上野駅』という歌が流行ったことはなつかしく覚えている人も多いと思うが、上野は東京から北で生まれ育った人たちにとって『心の故郷』であるはず。私も、、初めての勤務地の下車駅が上野の次の『鴬谷』であったこともあって、この界隈には土地勘もありいろいろな思い出も持っている。

そのため、神奈川県人の中では、上野に対してかなりの思い入れを持っていると自負しているが、年に数回訪れるだけになってしまった上野は、そのたびに利便性の向上という説明で変化していることに、何となく寂しい思いにさせられている。

 便利になることを頭から否定するつもりはないが、上野東京ラインの開通は、何かひっかかるところがあり、素直には喜べないものがある・・・。(田舎親父)

2015年3月27日 (金)

信じられない税金の無駄使い・・・

何度かつぶやいている諫早湾の水門であるが、佐賀県の漁業者は開けと主張し、長崎県の入植農業従事者は開くなと反対と、全く逆な立場で、国に対して訴訟を起こしている。元を正せば、水門などという一部の人間の利権が絡んだバカな物を作った国の責任だろうが、現政権は全く解決の道を探そうともしない体たらく。

互いに被害者である佐賀県側の漁民と長崎県側の農民双方が罵り合っているのは、何ともおぞましく悲しくなってくる。外野的には、何とバカバカしいことを繰り広げているものだと呆れるが、当事者としては、生活が掛かったこと。真剣そのものだろうからうっかりした意見は言いたくても言いづらい。

互いに訴訟を繰り返し、結果的に、国は双方に一日45万円(確か49万円だってと記憶しているが、いつの間にか45万円になっているのも気になるが)を、双方が納得しない限り払い続けるという、なんとも信じ難い現実に言葉もない。しかし、国の担当者は、『どうせ国民の税金だからどうでも良いだろう』と思っているらしく、具体的な方策は示さないのも何とも許し難い。

この現状を打破するために、佐賀県側の漁業関係者はこのままでは有明海の海が死んでしまうという危機感を表面に出して、『毎日の45万円より自分達の生活』をというスロ-ガンを掲げて訴訟闘争に入っているという。

開門は確定判決なので、本来なら速やかに開かねばならないはずなのに、従わない国に対して、佐賀地裁も意地?があるらしく、開門するまで漁業者側に支払う間接強制の制裁金を、現在の一日45万円から90万円に増額する決定をしたというニュ-スにいよいよドロ沼かしているのだと改めて考えさせられる。

この裁判は、漁業者側が『現在の金額では国が開門しない。義務を守らせるには増額しかないとして、一日一億円』という額を要求して昨年の12月に起こしたものだという。

一日一億円とは吹っ掛けたものだが、地裁の裁判長は決定理由で『これまでの制裁金額では開門義務の履行を確保するにはもはや不相当。漁業者は生活の基盤に関わる漁業行使権を侵害されている』と指摘して、倍額の90万円を言い渡したとのことだが、所詮、地裁の意地もこの程度なのかも知れない。

国は決定を不服として福岡高裁に執行抗告したそうだが、何ともみっともない。しかし、90万円程度では『どうせ税金・・・』という意識は変わらないだろうから、事態の解決にはなりそうもない。

となると、今後も開門されない場合、国が世論に抗しきれなくなるほどの心理的な圧力を感じるまで、まさか一日一億円という判決はできないだろうが、ある程度の増額が認められる可能性もあるようだ。

すでに、国はこれまでに計漁民側と農民側に合計で1億円を軽く超える額を支払っているというから、何ともムダな話。役人達は、このカネを(例えば)奨学金の支払いに困っている若者に回そうという発想は持ち合わせていないようだ。

 『長崎県側の反対で準備工事ができず開門できない。増額しても意味がない』と言い訳をしているようだが、水門を作ったのも国、埋め立てて農民を移住させたのも国であり、その結果漁民を苦しめているという判決が確定しているのだから、まず開門して、どの程度農業に被害があるのか見極め、農民に補償をするしか方法はないのでは・・・。

 長崎県側は、それならばと対抗手段に出ることも予想される。そして、双方に一日90万円ずつ支払い続ける。佐賀県側は、効果なしとわかると、今度は一日2億円という額を請求し、200万円程度で妥協?・・・。こんなバカバカしいことが半永久的に続けられるのだろうか。

 なんともやり切れないニュ-スであるが、大マスコミは一過性の事件としてしか報じない。むしろ、高校の教員が子猫を校庭に埋めたことを大事件として扱っているのも奇妙な話だが、視聴率が稼げるという理由で、税金の行方(無駄使い)はできるだけ霧のなか中に隠すようにしていると考えても奇怪しくなさそうだ。

 次に『諫早湾』という言葉がマスコミが取り上げる時、どんな金額になっているのか想像したくないが・・・。(田舎親父)

2015年3月26日 (木)

『兼業禁止制度』はわからないでもないがが・・・

『兼業農家』はごく一般的に使われ、小学校の社会科の教科書にも出てくる言葉である。農業だけで生計を立てている『専業農家』に対して、別の仕事を持ちながら、休みの日などを利用して農業を営む農家のことをさす言葉だと習い教えてきた。

兼業農家はごく当り前に存在し、むしろ専業農家よりも数的には多いこともごく当り前に知識になっている。実際に、兼業農家として農業に従事している友人も存在する。そして、兼業農家と言われている人たちのほとんどが、農協や自治体の職員であることもよく聞く話である。

その兼業農家であるさいたま市の職員が『水田耕作の副業 毎年赤字も停職6カ月』という見出しに、何なの・・・という気持ちが先にたつ。

記事によると、この男性は昭和63年から相続した県内の水田約2・6ヘクタールでコメを生産し、平成13年ごろからは知人らに依頼されて耕作放棄地でもコメを作り、現在は約7ヘクタール(ha)もの水田で農業を営んでいたという。

ところがこの男性は市のほうに、『兼業許可』を出していなかったらしく、無許可で水田を耕作し収入を得ていたとして、地方公務員法に基づき停職6カ月の懲戒処分を言い渡されたとのことらしい。

凄い広さである。常識的にはとても一人では不可能ではと思うのだが、近年の機械化でそれが可能になったらしい。確かに,横浜の片田舎でも、間もなく田起こしが始まるのだろうが、その作業は例外なく機械を使って土日曜日に行われることが多い。平日に機械を操作しているのは高齢者であることは一目瞭然。

散歩の途中で、水田に限らず農作業をしている人に毎日のように出会うが、そのほとんどは明らかに私と同年配かそれ以上の年代の人たち。そのほとんどが市民農園というのだろうが、農家から借りた畑で農作業を楽しんでいるのも、横浜の片田舎のお馴染みの田園風景になっている。

こんなことから、広い水田で土日に機械を扱っているのは、農家の息子や親戚の人たちだろうと推測しているが、この人たちも兼業農家の一人ではないだろうかという素朴な疑問が頭をよぎる。

定義的には、土日のお手伝いだろうから兼業とは言わないのかも知れないので兼業届けなど必要ないのかも知れないが、くだんの男性が懲戒処分となると、日常的に土日曜日に兼業農家?の姿をみている私には何だかひっかかるところがある。

記事にある7haという数値にも驚く。1haは100m四方の広さであるので、それの7倍。物凄い広さである。機械があるから可能なのかも知れないが、役所に勤めながらよくぞやっていたものと驚きが先にたつ。しかし、この中には高齢農家の水田の耕作も引き受けていたというから、なるほどあり得る話だと納得するが・・・。

それにしても広過ぎる。ひょっとして休日以外に有給休暇はもちろん、病気と称して時間を作ったことも・・・などと思わないことではないが、こんなことが役所で話題になったことは想像に難くない。

記事にある処分された男性は『赤字だから、兼業届けは必要ないと思った』という言い訳はともかく、高齢農家の田畑を依頼されて耕作していることは間違いなさそうとなると、『耕作放棄地を何とかしたかった』との言い分は一理も二理もある。

恐らく、同僚か近所の人の告発があって、市も処分せざるを得なかったのだろうと想像しているが、長い間そのままにしてきたのに今更処分はと思わないでもない。

許可を得なかったことで仕方ないという声も聞こえてきそうだが、首都圏でも農家の高齢化が進み、耕作放棄地が増える現実に対して、この男性のような農家が存在しなければ・・・と考えると、何か釈然としない思いが残る。

さいたま市の実態は知らないが、この男性が土日と有給休暇だけ使って農業を行っていたとしたら、私が土日曜日に目にしている、機械を使って農作業をしている明らかに専業農家ではない壮年の人たちは、兼業届けを出していなければならなくなる。

この記事を見て慌てて提出した人もいるのかも知れないが・・・。(田舎親父)

2015年3月25日 (水)

復興の本気度を疑う・・・

先日、新聞に『<みなし仮設>延長可能性「黒塗り」開示 県、避難者側に』という見出しに目が留まる。『みなし住宅』という言葉もぼんやりとはわかりそうな気がするが、可能性『黒塗』という部分は理解の範囲を超えている。しかし、『県、被害者側に』という言葉が付帯していることに、行政が被害者に無理を強要しているような感じを受けたので記事に目を通す。

まず『みなし仮設住宅』であるが、解説によると、『応急仮設住宅』のうち民間賃貸住宅や公営住宅などを借り上げて被災者に提供するものだというから、いわゆる『借り上げ住宅』のことだと理解できる。この費用は国が負担し福島県が管理などを行うことになっているのだそうだ。

放射能被害を考えると、とても短期間で解決できるはずがないのだが、国は早い時期に収束宣言を出したように、原発事故をできるだけ早く風化させたい意図がアリアリ。だから借り上げ住宅(みなし仮設住宅)の供与期間をわざわざ2年間という期限を設け、必要に応じて、1年毎に更新するという条項を付記したことは疑えない。

放射能被害が2年で終わるなどあり得ないことは、被災者自身が強く感じていたことだっただろうが、当面の諸問題を解決することが緊急課題であったあの時期では、この条件を飲まざるを得なかったのだろう。本心から『助かる・有り難い』と思った人は少ないかも知れないが、一応の救済措置として受け入れたたに違いない。

 事故当時の民主党政権時の汚染ドジョウ首相は、こともあろうに『原発事故は収束した』と言い出して国民の顰蹙をかい、続いて消費税増税で完全に支持を完全に失ったことは今更述べるまでもない。そして自民党政権が復活するのだが、これが被災者にとって救いの手をさしのべるのではなく、逆に追い詰めているのだからなんとも暗い気持ちにさせられ、やり切れなくなる。

現政権は、『強い日本の復活』と声高に叫び、『積極的平和主義』などという奇妙奇天烈な言葉で、金儲け主義と軍事力で世界平和に貢献するという思想を全面に掲げている。当然のことながら、福島の原発事故など口先だけで眼中になく、まるで他人事。

そればかりか、国際社会に向かって『事故はコントロ-ルされている』と、明らかにウソの発表を繰り返し、国内の形だけでもその成果を示さなければならなくなったものだから、何としても、事故が収束に向かっているがごとくの筋書きを作らねばならなくなったのだろう。

そこで、『除染』という言葉を拡大解釈し、『住民の生活する場の放射線値を下げるから帰還せよ』という政策を全面に打ち出し、莫大な税金を投入して、除染作業を繰り返していることも改めて述べることではない。検査数値を線引きして『帰還可能地域』を作り、ムリに住民の帰還を求めているが、除染ででた放射能ゴミは野ざらし状態で、処理の見込みはゼロ。

話が広がってしまったが、書き出しの『見出しの意味』は、県内外の『みなし仮設住宅』について、福島県が昨年5月に供与期間の1年延長を各都道府県に通知した説明文書のうち、更なる延長の可能性を示した部分を『黒塗り』にして情報公開請求に対応していたことが最近になって分かったということ。

このことが明らかになったのは、埼玉県に避難している人が、昨年5月に供与期間延長に関する文書を福島県に情報公開請求した結果、『応急仮設住宅の供与期間延長に係るQ&A』と題された文書が開示され、その中の10項目のQ&Aのうち6項目は黒塗りにされていたからだとのこと。

記事にはいろいろな事例をあげているが、私なりに受け止めたことは、『みなし仮設住宅の延長』について、重要な部分は黒塗りにして開示したものの、県外への避難者の住み替えは認めないというかたくなな姿勢を、全体の文面からわかるような形にして示し、何としても県外に避難した人たちを福島県内で囲い込みたいという明確な意図があるように思える。

俗な言葉で表現すれば、『勝手に転居するのはあんたの勝手だから家賃補助はないよ』というところ。それぞれの理由などは全て問答無用の門前払い。県外へ避難した人々の行動を不透明にすることでみなし仮設からの退去したという実態を作りたいようだ。

背景に、避難者が少なくなったということで、『事故はコントロ-ルされている』という実態を内外に示したいという政府の意図が働いていることは間違いないところだろうが・・・。(田舎親父)

2015年3月24日 (火)

耐震偽装という言葉を思い出す

自分のホ-ムペ-ジにコラムを掲載し始めたのは2005年の12月6日、退職して数年後のことである。

年金は半分しか受け取れなかったが、時間に縛られるより贅沢さえしなければ生活できるだろうと考え、嘱託制度を利用しない『毎日が日曜日』生活を楽しんでいた。

当時は、『痴呆症』という言葉が高齢者を傷つける差別用語だと騒がれて、『認知症』に変わり、一般的に用いられ始めた頃だった。それがきっかけだったとは思わないが、どこからか、『このまま勝手気ままな生活をしているとボケるぞ・・・』というささやきが聞こえてきたような気がして、ボケ防止に、社会への批判をつぶやくことを思いついたのがきっかけである。

真っ先に取り上げたのが、今市市(現日光市)で小学校1年生の女児の誘拐され茨城県の山中で遺体が発見された事件である。マスコミの無遠慮な報道に対して、被害者の遺族の人権を考えなければ・・・と言うつぶやきである。

そして、翌日には、そのころ『耐震偽造』という言葉が流行っていたこともあって、『耐震強度不足マンション』を次々に販売していた、『ヒュ-ザ-』という会社の社長と自民党国会議員との癒着問題について『何だかなあ・・・』とつぶやいている。

このことは(http://homepage3.nifty.com/120donguri/main.htm)に掲載している。またまたわけのわからないような前書きになったのは、最近東洋ゴムという大手タイヤメーカーが製造し、多くの役所や病院などの公共建築や高級マンションで当り前に設置することが流行になっている免震装置に重大な欠陥が明らかになったというニュ-スに瞬間的にあの耐震偽造事件のことの記憶が蘇ったからである。

東洋ゴム工業の子会社の社員が、デ-タを改竄して国の認定基準に満たない免震装置を作り販売していたとのこと。一部上場の大企業が、見つかれば会社が壊滅するほどの打撃を受けることが間違いないこんな愚かなことをするはずがないと思いたいのだが、金儲けのためなら・・・という話は絶えないものだ。

多分、子会社の開発担当者が、組織的にかそれとも個人的な誘惑に負けて、ちょっと数値をいじくったのだろうが、こと地震の耐震性ということは、現代のキ-ワ-ドにもなっていることから、大変な事件に発展しそうな予感がする。

新聞記事によると、データの改ざんが疑われる子会社の社員は1人だという。10年以上担当し、昨年2月に別の社員に交代したことから不正が分かったのだそうだが、何となく隠していることがまだまだありそうな気配。

東洋ゴム工業の本社筋は、『高い専門性が必要で交代が難しく、上司も製品のことをよく知らなかった』と釈明しているらしいが、こんな釈明が通用するとは思えない。仮に事実だとしたら、あまりにもお粗末過ぎる。さらに、本社筋は事実を知って国に報告したらしいが、その間も不良製品の販売を続けていたというから、俄には信じられない話である。

この装置を導入した役所や病院などでは、今にも建物がつぶれるのでは・・・という不安が広がっているのではないだろうか。民間マンションに至っては、事実を知った住民は大地震発生以前に、資産価値が下がると真っ青になっているのではなかろうか。まだ公表していないというから、疑心暗鬼状態だろうが・・・。

報告を受けた国もお粗末である。こんな重大なことを、(手一杯だったという言い訳が聞こえそうだが)今回、明らかになるまで放置していた責任は重い。

東洋ゴムに対して、不良製品の販売を続けていたことに対して、『安全は二の次』という意識が組織全体に広がっているのではないかとの批判が殺到しているのは当然だろうが、国の怠慢を責める声が少ない(ほとんど聞こえない)のも変な話。

阪神淡路大震災でビルの脆さが明らかになったものだが、私に言わせれば、あの大地震でも震源地近くの小学校はほとんど無傷。なのに、商業ビルはもとより高速道路も倒れたのは、手抜き以外なにものでもないと確信している。しかし、この問題はいつの間にか誰も語らなくなっている。

代わりに生まれた技術が『免震構造』という理論に基づく、基礎部分に巨大なゴムのお化けのような装置を入れて、揺れを吸収するという代物。震度7にも耐えられる・・・という言葉を売り物に、現在ではほとんど全ての新築のビルに導入されているようだ。

東洋ゴムが施行した建築物には、病院や警察署もあると大騒ぎになっているが、実際に大地震が起きない限り、この装置が役立つものなのかわからないのが本当のところだろうからさほどの緊急性はなさそうだ。(不謹慎ながら)実際に大地震が襲い、どれだけの免震力があるのか確かめてみたいという気持ちもないわけではない。

こんな偽装が起きる背景は、地震がこなければ無用の長物、適当に誤魔化してもわからないという意識が存在しているのではないだろうか。さらに、万が一、この免震装置が施された建物が倒れても、高速道路が倒れた時のように、耐震強度以上の揺れが原因・・・とウヤムヤになるに違いないという気持ちが潜んでいたのでは・・・。

免震装置を導入している新築の高層高級マンションでは、その信頼性が薄れては、入居者にとっては資産価値が下がることが大問題だろうから、公表されたらトンデモないことになりそうだ。

10年前の『耐震偽造』が明らかになった時、民間マンションの建て替えが問題になり、被害にあった人たちの救済処置が叫ばれたが、今回は、比較にならないほど高層で、資産価値が高いとなると、前代未聞の騒ぎになっても奇怪しくない。

私個人としては、こちらの方に興味があり、この問題がどのような展開になるのか、注目しているのだが・・・。(田舎親父)

2015年3月23日 (月)

また学校の負担が・・・

少し報道が下火になっているが、川崎で起きた中学一年生の男の子が仲間のワルガキたちにカッタ-ナイフで切り刻まれて殺された事件は日本中を震撼させた。かなりいろいろな少年たちと接してきた私にとっても、裸で泳がした上に切り殺すなんてことは想像すらできなこと。

被害者の少年が、中学1年生ということもあって、文科省は大慌て。すぐに、都道府県教委に対して、①7日間以上連続して連絡がとれず、②連絡は取れるが、学校外の集団との関係で、いずれの場合でも被害が生じる恐れのあるケ-スで『生命や身体に被害が生じるおそれ』のある児童・生徒を洗い出し、危険があるかどうか確認できない場合も含めて実態を調べろと通達を出したという。

都道府県教委から市区町村教委をへて、全国の小中高校と特別支援学校に届いた『重要・至急』の印が押されたこの通達に、校長は緊張し、早速生徒指導の担当教員に『漏れなく調べろ』という一言を付け加えて命じたことは疑いのないところ。

さすがに速い。3月9日までの期限で提出させたというが、13日には集約されて発表された。結果は、①の該当者は232人、②に該当する者が168人だったとある。

この数字を多いと見るか少ないと見るかは、それぞれの立場や考え方で違うだろうが、学校の教員にとって、『生命の危険』という言葉をどう捉えるかによって、報告に差が生じることは当然だろう。となると、この数値そのものの信憑性には『?』をつけざるを得ないようだ。

事件があまりにも衝撃的過ぎたので、直後に各学校は『もしや、うちの学校でも・・・』と動揺がはしり、文科省の通達がなくても、改めて児童生徒について不審はないか調べただろうところに、こんな通達が来たとなると、校長によっては『まず、怪しいと思われるケ-スは報告しておこう』という心理が働いたことも想像に難くない。

さらに文科省は、該当する児童・生徒について、警察と連携するなどして安全を確保するよう各学校指示し、今後、どう対応したか報告を求めるのだそうだが、求められる学校は早速校長以下幹部が鳩首会談。今後の対応を協議しているのではないだろうか。

それにしても、文科省は学校の実態を本当に把握しているのだろうか・・・と、こちらの方が気になってしまう。

 文科省のいう『警察との連携』がどこまでを指すのかわからないが、私の経験からだけだが、30年ほど前から『地域懇談会』という会合が、地域の町会の役員を中心に、小中学校からは校長(教頭)や生活指導主任、そして管轄の警察署の地域担当警察官が出席して月に一回程度で開かれていた。

 当時は、これほど切迫した事情がなかったので、顔合わせが主だったと記憶している。時に、こんな子どもがいるのだが・・・という地域からの情報もあったのだろうが、子どもの名前などは伏せる事が原則な上に、出席者全員が共通に理解することはかなり難しく、『注意して観察しましょう・・・』ということで終わったのではなかっただろうか。

新聞報道によれば、現在では、全国の小中高校の97%が、児童生徒の非行や犯罪を巡り、それぞれの地元警察署と任意組織の『学校警察連絡協議会(学警連)』を設けているという。しかし、個人情報保護の観点から情報のやり取りが匿名だったり、事案ごとに対応が異なったりするというから、この組織は当時私が経験したものと対して変わらないようだ。

これに対して、新たな組織として、『警察との強い連携』が広がっているのだそうだ。これも新聞記事によれば、学校と地元警察が協定を結び、非行や犯罪に関わった児童生徒の実名や事案の概要を共有するなどしている教委は全国67の都道府県・政令市の教育委員会のうち、53教委に上るというから、学校だけでは手に負えない案件が増えていることをうかがわせる。

このことが今回の文科省か緊急調査で分かったというのも変な話だが、川崎市の教委はこの協定を締結していなかったという。文科省は、もし協定を結んでいたとしたら、警察側が事件につながる非行情報を把握できた可能性もあり、最悪の事態にならなかったのではないかということで、各自治体に対し、協定締結などの連携強化を促す方針だというが、学校の負担を思うと、ますます学校受難の時代に入ったと同情するしかない。

私が知る30年も前の『地域懇談会』も夜に開かれるのが通例で、教員の負担を考えると、回数を増やすなんてことは考えもできなかったが、今回の文科省の『警察と連権』という意味には、『緊密な』という枕詞をつけなければならないようだから、教員の負担はさらに大きくなるに違いない。

こう言うと、『子どものために働くのが教師の仕事だろう・・・』という批判がくるのは当然だろうが、この『子どものために』という言葉が問題で、『何が子どもためて、何が子どものためにならないか』という議論は全くなく、とにかく、子どもに関することは全て学校が責任を持つことだという意味に捉えられがちである。

この『子どものため』という言葉が一人歩きした結果、なんでも学校が引き受けるという事が当り前になり、教員をがんじがらめにしてきたことを忘れたくないものである。そして、今日の多くの問題が教師の余裕がなくなったことが大きな原因の一つになっていることも・・・。

子どものために働きたいのは教師の本音。しかし、まずは家庭や地域の(最低限の)子どもを見守るという姿勢がなく、全てが学校の責任では、教師は全てス-パ-マンでなけれ勤まらないことになってしまう。

教師も子どものために働きたいという気持ちが、常人より少し強いだけの普通の人間。だからこそ、子どものために働きたいという気持ちをもち続けさせるためにも、時間的・精神的なゆとりを与えることが大原則だと思うのだが・・・。

その基本的な発想もなく、ただ、『警察との連携』というのは、『警察のやり方に従っておけば、非行は防げる・・・』という間違った考え方に世論を動かす?・・・。
 学校が警察に与することはよほど慎重に考えるべきである。(田舎親父)

2015年3月21日 (土)

儲からない原発は退場・・・

先日、関西電力と日本原子力発電が老朽化した関電美浜原発1、2号機、日本原電敦賀原発1号機の廃炉を正式決定したというニュ-スがデカデカと報じられた。その翌日には、中国電力と九州電力も島根原発1号機と玄海原発1号機の廃炉を表明した。

5基の廃炉は当然だろう。むしろ決断が遅過ぎた感じさえする。が、かといって、これで脱原発が進むわけではなさそうだ。

廃炉を決定した5基の原発は稼働40年という老体では延長するとなると新たな安全基準に合格するためには相当な対策費が必要になり、採算が合わないだけだという。しかも、この5基はいずれも出力が40万キロワットと原発としては小さいのが共通しているというから、『金儲け命』の輩お得意の論理が存在する。

同じように老朽化している原発も多いのだが、出力が大きな原発は再稼働するために費用をかけて安全基準の合格を目指すというから、皮肉な見方をすれば、今回の5基は経済の理論だけで切り捨て、他の原発は十分採算が合うので寿命を延長してでも再稼働となると、今回の廃炉は再稼働への新たな出発と考えても差し支えなさそうだ。

廃炉となると、まず燃料を取り出してから原子炉や格納容器、そして最終的には建物そのものを解体し、更地に戻すのだろうが、放射能値の高低は別にしても、その全てが放射能汚染ゴミと考えられる。

新聞記事によると、美浜1、2号機を解体すると計約5千トンの廃棄物が出るのだそうだ。規模によって出るゴミは多少の違いがあるだろうが、5基の解体で、少なく見積もっても1万トン以上の汚染ゴミが出ることになる。しかし、その捨て場が全くない。

本来なら、放射線値の高い核のゴミは、地中深く埋めて、数百年(千年以上という専門家もいるようだが)の間厳重に管理して放射線漏れを防ぐことが必要になるが、どこに埋めるのかは全くメドが立っていないというから、『廃炉という言葉』が先走りしているのが現状だろう。

既に廃炉作業が進んでいると言われている東海村の日本原電東海原発では、処分先がないことがネックとなり、廃炉の工程が遅れているというから、5基の原発は廃炉という方針が決まっただけで、実際の工事が何時始まるかは全くの未定。下手すると、そのまま放置などということも考えられないことではなさそうだ。

例え、廃炉への工事が始まったとしても、瓦礫は行き先がないのだから、原発の敷地内に保管するより他はない。放射線値の高いゴミは、敷地のどこかに深い穴を掘って埋めるしかないだろうとは思うが、建物などの瓦礫は、除染ゴミ同様にブル-シ-トに覆われるだけで放置されることになるのは想像に難くない。

国と電力会社は保存の規模をできるだけ小さくしたいはずだから、原子力規制委と結託して、放射線の基準値を高くすることも多いにあり得る。現在のブル-シ-トに覆われて各地に野ざらしにされている除染ゴミよりもはるかに危険な瓦礫が敷地に放置されるとなると、地元住民はたまったものではない。

政府の説明では、1基の原発を廃炉にするのに210億円と試算しているらしいが、そんな程度ですむはずがないことは私にも簡単に想像がつく。しかも、210億という数値について、10年間かけて電気料金に上乗せできる会計制度を導入している。廃炉の費用は全て電気料金として国民に負担させるというからトンデモない酷い話。 

さらに、この額は果てし無く増えることは確実となると、まさに子孫に負の遺産を相続させることに他ならない。しかもこの相続は拒否などできないのだから、今の大人達は総ザンゲしなければならないが、ザンゲしたとしてもその効果はゼロ。

地元にはさらに厳しいことは、2015度予算案に廃炉が決まった立地自治体への支援策を計上せず、再稼働した原発を抱える自治体への新たな交付金を設けるという経産省の発表だろう。端的に表現すれば、廃炉原発の自治体は切り捨てるということ。

これまで原発を引き受けることによって、莫大な交付金を得ていたのだがそれがなくなってしまうとなると、少子高齢化に悩む自治体の未来は暗い。

 原発がなくなれば職を失う人も多いだろう。地元は原発に依存した経済システムで動いていたのに、その基盤がなくなれば壊滅的な打撃になることは想像に難くない。そして最大の被害者は、満足な住民サ-ビスが受けられなくなる住民である。

放射能の危険にさらされ、住民サ-ビスは限りなく低くなるとなると、一人・また一人と故郷を捨てる人が出てくることは当然過ぎるほど当然なことだろう。

 40年以上前に、原発を誘致に走り回っていた輩は、草葉の陰で『ゴメンね』と言っているか、それとも『騙されたお前らが悪いのさ』とうそぶいているのか・・・。(田舎親父)

2015年3月20日 (金)

東京新聞の久原さんという論説委員に拍手・・・

明日は春分、いよいよ春爛漫、百花繚乱の季節の到来である。つい10日前には、大津波で亡くなった人たちの慰霊で、日本中に厳粛な雰囲気がかもし出されたが、数日後の北陸新幹線の開業で話題は全てそちらへ動いてしまった。

さらに政治のカネ問題は民主党が追求を止めたことですでに遠い過去になり、八紘一宇の発言に対して、自民党や民主党はともかく、共産党や社民党が批判すらしないのは異常も異常・・・。そよりもサクラの開花が待ち遠しいとマスコミはかしましい。

そのことは後日にして、鎮魂の日に、東京新聞の『論説室から』というコ-ナ-に『久原穏』という署名入りで、痛切にアホベ氏を皮肉る文面が踊っていたが、これが実に面白い。

全国民が目にしてほしい一文だと思うのだが、この新聞の発行部数は、朝日・読売に比べると圧倒的少数だろうから、目にする機会がなかった人も多いのではないだろうか。もっともネットで見られる部分なので、すでに知っているよという声も聞こえそうだが・・・。

私が、こんなことを延べても何の役に立たないことは自分でよくわかっているが、ひょっとして目にする人が、これは愉快だと広げてくれないとも限らないと思い、全文引用という形で紹介しておく価値がありそうだ。

『「不安倍増」略して「安倍」?』という見出しで始まる。(以降そのまま引用)

人間のすることとは思えない行為を、さも平然と行う。中東や北アフリカでの過激派組織の蛮行は冷酷非道、無慈悲といった言葉しか見つからない。

しかし、この一見平和に思える日本においても、忍び寄る不気味な不安を感じる。軍靴の音が近づいてくるような、暗い時代に向かっていく恐怖である。その正体は無論、現政権がつくり出す危うい雰囲気による。

「決めるのは私だ」「この道しかない」などと異論を許さず、道理や機微が通じない。狡猾(こうかつ)で専制的。首相は昨年十一月の衆院解散を消費税増税先送りを問うためと言った。アベノミクスが争点とも強調した。なのに選挙の大勝が判明した途端、安保法制を含む政策全般が「国民の信を得た」と言ってのけた。

そんな詭弁(きべん)は子どもの教育に悪いからやめてほしいが本人は本気のようだから恐ろしい。一内閣の判断で戦争への道を暴走しているかのごとくだ。このままでは国防軍になった自衛隊が他国や武装勢力と戦火を交え、血が流れる。若者らに犠牲が出る。過激派の憎悪を煽(あお)り、日本が、国民がテロの標的になる。

3・11から四年。「汚染水はアンダーコントロール」と東京五輪招致活動で国際社会に大うそをついてからも一年半。事態は改善しないのに原発再稼働、原発セールスである。息苦しさの中で戯(ざ)れ言が聞こえた。「不安倍増」、略して「安倍」だと-。(久原穏)(引用終わり)

ごもっとも・・・。と拍手を送りたい。この論説に対して、自民党はカンカンになっているらしい。御用マスコミを使って反論を試みているらしいが、いま一つ歯切れが悪いのは、自民党の中にも拍手する部隊も少なくないのでは・・・と思いたいのだが。

それところか、首相はじめ取り巻き連中も、下手に批判すると、折角誤魔化してここまで来たのに、かえって逆効果になる可能性が大きいと判断したのではないだろうか。

マスコミの調査なので、支持率が40%以上というのはかなり怪しい数値だと思っているが、それでも選挙の結果を見ると、大勢の『安倍ファン』がいることは間違いない。しかし、中には『安倍不安』と思っていながらも、マスコミの誘導で不安を隠してファンになっている人も多いのではないだろうか。

久原さんの戯れ言に触発されたわけではないが、私は、『安倍ファン』を『安倍不安』と読むことにしているが、私だけではなく、現在の国民感情としてもっとも相応しいように思えるのだが・・・。

今、株価が2万円突破する勢いだと大騒ぎしているが、どうやらこれも現政権と日銀が仕掛けている工作のせいだという噂も広がっているらしいところを見ると。素人の私が常識的に考えても、株高がいつまでも続くはずがない。

『安倍ファン』の素人投資家も一抹の不安を抱えながらも、目先の利益に目がくらんでいるのだろうが、値下がりの気配が漂えば、『安倍ファン』は一斉に『安倍不安』の心境に変わり、慌てふためき信じたことを後悔することは間違いないところ。

 私としては、その日が近いことを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2015年3月19日 (木)

オリンピックが東北の邪魔に・・・

 このところ少し下火になっているとはいえ、マスコミは、20年8月に東京で開催が決まっているオリンピックについてはかなりの頻度で取り上げている。

 その一つに、多くの新聞が遅れに遅れていた『国立競技場』の取り壊しが本格的に始まったという記事を映像入りで紹介していた。解体途中だから仕方ないのかも知れないが、見るも無残な映像に、なんてもったいないことをするのだ・・・と嘆きたくなったのは私一人ではないと信じたい。

 一旦更地にして、その跡地に(悪名高いあのデザインの)新スタジアムを建てるのだろうが、その工期は2019年春だという。1年前に完成してければならないのは、このスタジアムでラグビ-の世界選手権を開くという約束事になっているからだそうだ。

 計画では今年の秋までには更地にし、すぐに建設に着工するとのことだが、時間的には3年半。相当きつい日程だということは、全くの素人の私でも想像がつく。

 このデザインに決まったことについては、すでにつぶやいたこともあるのでここでは取り上げないが、誰が決めたのかもはっきりしない『有識者』という選定委員連中が、適当なところで妥協した産物であることは間違いなさそうだ。選定委員の中に建築の専門家が少なかったことも、このデザインに傾いた原因の一つだと、何かの文献で読んだ記憶がある。

選ばれた委員たちは、名目的には全員『新国立陸上競技場』建設のために集められたのだろうが、それぞれの選出母体の利害関係が絡み、合意した内容は、さまざまな機能をつけた、いわば巨大な人集めができるイベント会場をという結論になり、あのデザインを採択したのだろう。

 世界的に名の通った建築家たちが、異論を唱えた結果、多少の修正がなされたようだが大元のデザインは変えることはできず、強かった批判も今では下火というより聞こえなく(マスコミが取り上げなくなったからだろうが)なったことから、奇抜なデザインのままの大建築物が、3年半後には神宮の森近くに現れることは間違いなさそうだ。

 建設費も二転三転し、かなり縮小されたと言われているが、工期が短いとなると、材料から人手集めには相当な上乗せが必要だろうから、現在の目論見よりはるかに割高になることも、誰の目にも明らか。

 話は飛ぶが、東北の復興が急がれている。実際に、私もこの目で確かめたが、陸前髙田の嵩上げ工事などの現場は、俄には信じられないほどの規模で進んでいる。しかし、それでも資材も人手も足りないと四苦八苦していると聞いている。

 そんな中での東京での一大工事である。すでに建設の主体になるゼネコンも決まっているのだろうが、この業界は『金儲け命』の権化のような連中がひしめき合っていることでも知られているように、いくら建設費が高騰しても取りぱぐれがない国からの発注となると何が何でも三年半でやり遂げるに違いない。

決して『東北の復興は後回し』とは口にしないが、『まず国立の完成だ・・・』が本音であることは疑えない。すると、資材をかき集めることは当然だろうが、職人の賃金も相場より高くして人集めすることになるのは当然のことに違いない。

さらに復興が遅れそうなのが福島だろうが、自然災害でないことが問題を複雑にしている。福島の現実は悲惨なものがあるので、別の機会に述べることにしても、オリンピック後のことはあまり騒がないのも変な話。この『新国立競技場』は完成したとしても、マスコミはその維持管理についてはほとんど語らない。実際は、費用だけでも庶民にとっては天文が干城数値だろうに・・・。

先日、新横浜にある日産スタジアムを間近に目にしたが、この8万人収容できる建造物は当初、横浜市が管理運営するとして『横浜スタジアム』として出発したのだが、あまりにも維持費が掛かり過ぎるために、命名権を日産に買い取ってもらって、『日産スタジアム』に変更して今日に至っているのだが、国立施設だけに簡単に企業に命名権をとはいかないのではないだろうか。

新国立競技場の維持費として年間35億円という試算。人集めの大きなイベントをするから大丈夫、黒字になると楽観論がはびこっているらしいが、これこそ『とらぬタヌキの・・・』というところでは。

単純な計算では、一人1万円の入場料とすると、一回の売り上げが8億円になるから、年間10回も行えばという安易な計算なのだろうが、純益はたかだか数千万得というのがこの業界の常識だとも聞いている。

改めて、この時期に東京へオリンピックをと誘致に傾倒し、情けない退場をさせられた前東京都知事の安易な発想は、まさに売国の発想と怒りを露わにするが、後出しジャンケンではないが、誘致が決まってから、美味しいものねらいの現政権の卑しさにはそれ以上の嫌悪感を覚える。

結局は、赤字の補てんは全て国民の負担でということになりそうだ。平和の象徴だと言われているオリンピックが、津波被害や原発で故郷を追われた人々を苦しめることになれば、間違いなく世界の笑い物になるのではないだろう。

 これをブラックジョ-クと済ませて良いはずがない。(田舎親父)

2015年3月18日 (水)

新幹線の光と陰・・・

 昨日の続きである。ファスナ-で知られるYKKという大企業が、本社機能の一部を神奈川から富山に移すという。日頃から、『田舎が元気でなければこの国の未来はない』と主張している私にとって、素晴らしいことだと諸手をあげて歓迎したい。

 私にはYKKの業務内容は全くわからないので、富山に移す本社機能の一部が何を指しているのか想像できないが、できれば、この英断によってYKKがさらに発展し、近い将来、本社機能の一部ではなく大部分を移してほしいと願っている。

これも富山が東京と約2時間で結ばれるおかげで、社員・役員などの出張も、いわば通勤程度の感覚で行き来できるからだろう。しかし、全てが日帰りになると、かなり体力的にきつくなることも・・・。

YKK本社の中には、北陸出身で、できれば故郷に近い所に転勤したいと思っている有能な人材も多いことだろうから、人的にも大きなメリットがあるはず、YKKに続き東京から地方に移転する大企業が多くでてくることを期待している。

話は一転するが、京都に住む高校の同級生から『JR西日本はえげつないことをしよったぞ・・・』との連絡を受けたのはつい最近のこと。彼の友人がこぼしている内容を教えてくれた。

その友人は大阪に住んでいるのだが、仕事の関係で富山に出かけることが多いそうだ。大阪発の特急に乗ると、今までなら3時間程度で富山に到着していたのだが、北陸新幹線が開通したので、その特急は金沢止まりになったのだそうだ。そのために、金沢から、わざわざ先日開通した北陸新幹線で富山までいかねばならないという。

私は『そんなバカな話があるはずがないだろう』とハナから信じなかったが、『本当だって・・・』というから、さほど鉄道のことには興味がなかったのだが、調べてみることにした。すると、彼の話が事実だと知り愕然とする。特急『サンダ-バ-ド』という、従来なら富山行きの特急が、金沢止まりか和倉温泉行きになって、金沢までしか利用できないのだ。

何故そんなバカな話になったのかというと、新幹線の開通に合わせて、並走するJR線は第三セクタ-に業務を移行することになっていて、金沢から直江津までが、経営母体が違う3つの第三セクタ-になったかららしい。そういえば、長野新幹線開通で、釜飯で有名だった横川から先が『しなの鉄道』という名前の第三セクタ-になったことを思い出す。先日つぶやいた『二戸』や『いわて沼宮内』は『銀河鉄道』という第三セクタ-の路線になっていたことも・・・。

このために金沢と富山間は第三セクタ-に移管されたので、『サンダ-バ-ド』という特急が、金沢から先は乗り入れしないので、『金沢』止まりに変更なったということ。

なるほど、所要時間はほとんど変わらないまでも、金沢で乗り換える手間と料金が高くなる。ここまで調べると新幹線のカゲの部分に俄然興味がわいてくる。試しに、大阪から新潟まではどうなったのか調べてみた。

結果は、全て東京経由である。確かに新幹線で行くのが便利で速いことは間違いなさそうだ。同時に、大阪から新潟へ直行便はかなり昔に廃止になっていることを知り、納得するが、ならば『直江津』ならどうなっているのだろうと新たな疑問に挑戦してみる。

すると特急『サンダ-バ-ド』で金沢まで行き、そこから東京行きの『はくたか』という特急で、『上越妙高』、さらに『えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン』という長ったらしい名前の第三セクタ-で直江津にというル-トが一番速いということがわかる。

なるほど『JR西日本』という会社は、北陸の一般の人たちの都合など全く考えていないことがはっきりする。友人の『JR西日本はえげつないことをしよったぞ・・・』という言葉が蘇り、北陸新幹線の影の部分を知ることに・・・。

 きっと、こんな話はゴマンとあるのだろうから、結局は、北陸新幹線も『東京一極集中』を進めるものに過ぎないようだ。世は、北陸新幹線開業で、一挙に『北陸の春』の到来と騒いでいるが、浮かれてばかりはいけないことだけは確かなようだ。(田舎親父)

2015年3月17日 (火)

北陸新幹線は開業したが・・・

『東京(首都圏)と北陸を直結する北陸新幹線が開業した』というニュ-スは手を替え品を替えて、今日になっても続いている。金沢から東京までが2時間半で結ばれ、これで北陸の発展は間違いないとうい解説に、皆が幸せになれば良いのだが、新幹線が開通したために人生が狂う人もいるのでは・・・という物事を斜に構えて見るいつものクセが出る。

観光業界にとってはまさにビジネスチャンスだろうことは疑わない。すでに、大手の旅行業者は、これでもかというほどの商品を作り、高齢者を中心に大宣伝を始めているが、その内容となると、時間的ゆとりがでた分、少し行程に幅ができたこと以外には、従来と比べて劇的に変化したようには思えない。これはどの業者にも共通すること。

少しロ-カルな話題になるが、北陸新幹線の駅の一つに『飯山』がある。行政区分は長野県だが、新潟県境にあるひなびた城下町である。私の現役時代から(今でも続いているが)、長野県は体験学習をする上で絶好な立地条件とプログラムを備えている地域が多い中、『北の飯山・南の飯田』というキャッチコピ-があるように、特に飯山と飯田はこの学習に力を入れていることで知られている。

私も何度が訪れたことがある。当時の市長に『ここのソバを食べたら他では食べられない・・・』と、役所近くのそば屋に案内されたことは楽しい思い出として残っている。童謡の名曲『おぼろ月』が生まれた土地であることもよく知られ、そのモチ-フとなった千曲川のほとりに開けた『菜の花公園』の魅力は一度訪問すればやみつきになる。『なべくら高原』のブナの原生林を歩くと、生きていて良かった・・・と思うことは間違いない。また、駅から続く『仏壇通り』と呼ばれている仏具店が並ぶ道は、えにもいえない郷愁さえそそられる。などなど・・・。

そんな飯山も新幹線の開業で観光客を増やそうと張り切っている映像が、14日のお昼のニュ-ス(夜にも同じ映像が使われていた)で紹介されていた。駅前にテントを張って、到着した観光客に地元の農産物などを売り込んでいるシ-ンである。

地元のアナウンサ-だろうが、東京からの観光客だという人にインタビュ-をしていたが、私が観た画面ではお客も地元の人が多く、はっきりと観光客だと思われる人たちは少ないのではというのが正直な感想である。

大手旅行業者のパンフレットには『飯山』の文字を見かけることはまずない。私にとってはかけがえのないほどに魅力溢れる町なのだが、旅行業者にとって、1時間に一本以下の停車駅に、わざわざツア-客を下ろしてまで見せる価値を認めないのだろう。

ここにも旅行業者の、まずは『金儲け』という下心が透けて見えるが、逆な見方をすれば、飯山市が新幹線の駅の誘致が成功したからといって、飛躍的に観光客が増加するとは思えないことも事実ではないだろうか。

話は少し飛躍するが、東北新幹線が盛岡から八戸へ延伸されたのは10年ほど前。当時も、今回の北陸新幹線と同じで、各駅では歓迎ム-ドが繰り広げられ、駅前でのイベントを紹介していたような画面があったような記憶が残っている。

その中に『二戸』や『いわて沼宮内』駅前の映像があったかどうかははっきりと覚えていないが、去年の秋、初めてその二つの駅を訪れた時、あまりの人気のない風景に驚いたことが鮮明に蘇る。

きっと、この2つの駅の駅前でも、今回の飯山と同じようなイベントが催されたと思うが、現在の乗降客の平均は1日に、190人と90人程度だというから、観光客が増えているとはとても思えない。両駅とも、利用客は正月やお盆では帰省の乗客がほとんどなのだろうから、私の見た閑散な風景はいつものことと納得できる。

北陸新幹線の延伸で金沢や富山が注目されている。『黒部宇奈月』も、温泉や立山や黒部という固有名詞が有名で、従来から観光の人気スポットであるので、新幹線の恩恵はかなり期待できるようだが、『飯山』を含めて『上越妙高』『糸魚川』『新高岡』などの駅に停車するの1時間に一本程度。

飯山に至っては、他の3駅には停車しても、通過する列車があることを、時刻表を調べて初めて知る。私が見た『二戸』や『いわて沼宮内』駅の風景が『飯山』駅の未来図だとは信じたくないが、可能性としてゼロではない。

飯山には新幹線ブ-ムが一段落するだろう来年にでも訪れたいと思うが、私の知る飯山のひなびた町の風景と雰囲気が残っていることを願っている。

北陸新幹線については、他にも気になることがあるが、長くなるので今日はここまでにして、続きは明日にでも・・・。(田舎親父)

2015年3月16日 (月)

消費者のリスクを考えると・・・

 大マスコミはあまり大きく取り上げていないが、健康に与える効果を消費者庁に届け出るだけで、事業者が『体にどう良いか』を表示できる制度が、4月から始まるというニュ-スに目が留まる。

『機能性表示食品制度』と呼ぶのだそうだが、私の作っている『桑の葉パウダ-』も『糖尿やコレステロ-ルに効果あり』と堂々と記載できそうだとなると、これは見過ごせない。先日、このことについて報じた東京新聞の『こちら特報部』を読み返してみた。

記事の書き出しに、静岡県の浜名湖の北に三ヶ日という町の名がある。最近、ス-パ-で『三ヶ日みかん』という表示をよく見かけるが、この町には学生時代流星群の写真を撮りにたびたび訪れたことがあるので50年も昔のことが思い出される。

当時も、みかんの産地であったが、この地域の『JAみつかび』が長年『温州ミカンの効能』を研究してきた結果、色素成分の『β-ツリプトキンサンチン』が他の品種に比べて多く含まれることを発見したとのこと。そして、『温州ミカンをよく食べる女性は骨粗鬆症になりにくい』という結論に到達したのだという。

ここの組合長は『高齢化社会へ向けて、体に良い果物は感心が高い。新表示で健康増進に貢献したい』と気合十分とのことこと。さまざまな品種が出回って、温州ミカンの消費が落ち込んでいるというから、この制度は力強い見方になるかも知れない。

私には『β-・・・』など専門用語はほとんど理解できないが、温州ミカンが『骨粗鬆症』に良いとはうたわないまでも、体に良いことは昔から言われていた。この言い伝えが、お正月には『こたつとミカン』という絵を生んだと想像しているが、今ではこたつなどない家庭がほとんどでは、ミカンの効果の言い伝えも薄れているようだ。そこで、この機会にぜひとも復活してほしいものである。

ミカンに関する効能については、随分以前につぶやいた記憶がある。詳しい資料が見つからないので、はっきりしたことは書けないが、私の故郷、愛媛県愛南町の特産物の一つである『愛南ゴ-ルド』という晩柑類の皮に抗ガン作用のある物質が含まれているという話である。

このことは、愛媛大学の教授が発見したもので、学会でも話題になったというから、全く根拠のない話ではなさそうだ。当時、分厚い皮を煮詰めてお菓子にしていた私には、面白い情報だったことを思い出す。この蜜柑は極めてジュ-シ-で美味しい上に,収穫期が4月から8月というので、毎年この季節になると故郷の友人から送られてくる『愛南ゴ-ルド』のジュ-スが定番になっていることも付け加えておこう。

今日もまた話がいろいろな方向に散らばったが、この制度を、食品・健康業界はビジネスチャンスと歓迎しているというから、今年の夏あたりから、新しい健康食品やサプリメント商品が店頭に並ぶことは間違いないところ。

ただ、その全てが良心的かというと、『金儲け命』の輩が跋扈する今の時代、いい加減な品物が混じるのは容易に想像できる。このことから、『消費者がリスクを背負う』可能性は現在よりはるかに大きくなることは疑えない。

現在でも、毎日の配達される折り込みの中に、必ず数枚の健康食品とかサプリメント関係のチラシが混じっている。そのほとんどは、有名タレントの顔写真とその解説などが鮮やかな色彩で描かれていることが共通している。それが、ついつい買ってみようという読者の気を引かせる効果になっているのだろうが・・・。

現在出回っている商品は、現行制度が適用されているので、成分が国の基準に適応していなければならない。従って、ある程度信頼できると考えて間違いなさそうだが、新制度では、研究機関の結果があれば、届け出だけで効能などを記載できるのだから、新しい商品にはくれぐれも注意する必要がありそうだ。

しかも、NHKの『ためしてガッテン』という番組で、バナナや納豆が効果があると放映されると、翌日のス-パ-からこれらが消えるという話があるように、マスコミが取り上げると、すぐに信じる国民性から想像すると、NHKでなくとも、民放のショッピング番組やあるいは新聞広告やチラシなどで人気タレンドを全面的に出してのおすすめとなると騙される人も多くなるのでは・・・。

この制度については、もう一度詳しく調べてつぶやいてみたいが、『金儲け命』の輩を生み出すことに長けている現政権の経済成長戦略の一つだというから、あまり賛成できる代物ではないことだけは間違いなさそうだ。(田舎親父)

2015年3月14日 (土)

戦前の学校の姿にもどりそうな気配が・・・。

道徳の教科化に続いて、文科省はトンデモないことを都道府県の教育委員会に通託したものと、怒りを通り越して恐怖感を覚える。

教科書は使わなければならないことは、法で決められているから当然だとしても、教科書を補う補助教材は、子どもたちと向き合っている担任の先生が決めることは常識として戦後ずっと踏襲されてきたことである。

もっとも、その原則は随分以前から制約が加えられ、最近では学年では統一することはもちろん、加えて校長の承認権が強くなっているので、一担任に全て任される部分は極めて少なくなっているが、それでも現場で選定できるというシステムは生きている。選んだ教材は教育委員会に届けることになっているが、これは保護者の経済的負担(就学援助)が関係しているから当然だろう。

道徳の教科化を強引になし遂げた文科省は、徹底的に国の管理の元に、一つの考えを押しつけることに動き出したらしく、学校の授業で、教科書とは別に使われる『補助教材』について、内容が適切かどうかに留意を求める通知を、都道府県の教育委員会などに出したという。

 気をつけるべき点として、教育基本法の趣旨に従っていることや、子どもの発達の段階に合っていることのほか、授業で扱う際、偏った扱いにならないようにすることを挙げているというから、まさに思想統制そのものである。

 しかし、『適切な教材』と『不適切な教材』の具体的な基準となる言葉はない。また、何が『適正な取り扱いかと』という例示もない。全て、いつものことだが、『俺の意を汲んで、うまく学校に伝えろ』という、管下の教委に下駄を預ける?やり方に嫌悪感を覚える。

 後藤さんがイスラム国(いつの間にかISと表現するようになっているが)に殺害された映像を子どもたちに示して討論させてはならないというなら(これも、国がどうこういう問題ではないと思うが)わからないでもない。

しかし、あの事故の映像を見せ、原発について考えさせる場を与えることは、子どもの将来を真剣に考えることが教師としてのもっとも重要な任務であると考えると、これを『偏向』と呼ぶことには到底納得できないものがある。

しかし、私が調べた範囲では、現在の学校現場では、『原発』を取り上げることは禁句になっているらしい。一般論として、教育委員会からの禁止という通達はないのだが、何となく、政治に関する話題は避けている雰囲気があるのだそうだ。

その中で、特に『原発』に関しては、政府の方針が『再稼働ありき』であり、マスコミも追認しているとなると、子どもたちに『考えさせる』こと自体、一部の保護者から政治的だと批判される恐れがあって腰が引けているのだそうだ。

 私の知る校長曰く、以前なら担任のやり方に疑問があれば、校長に電話か面会を求めるのが当り前だったが、最近は、まずメ-ルで保護者同士が情報交換をし、ある程度意見をまとめて校長を通り越して教育委員会に連絡するのが流行だという。それもメ-ルで・・・。

彼は、突然『指導主事から、〇〇先生の授業を丁寧にごらんになっていますかという電話をもらうとヒヤリとする』と言う。結局は、自分としてはやりたくないのだが、その教員に『こんなクレ-ムが区教委に届いているので注意するように・・・』と言うことになるとも語っている。これでは教員は萎縮するだろう。

『補助教材』として使うものは、教育委員会に届けることになっているが、担任が自分で作るプリント類やあるいは新聞のコピ-などはこの限りではない。熱心な教員であるほど、このようした教材を用意するのもこの業界の常識である。

今まで何度もつぶやいているが、文科省の通達が届くと都道府県教委は、文科省の意図をくみ取り、より具体的になるのが通例。それを市町村教委に通達するのだが、それを受け取った市町村教委は、さらに細かな指示や注意事項をつけて、校長会という場で校長たちに伝えることになる。

その場では、教育長や担当指導主事が、『口頭』でさらに具体的な指示を加えるのが常。校長たちは、共通理解という言葉で示された方針を教員に伝え、それが守られているか日常的に巡回して管理監督することになる。

文科省の通達には教員が作る資料云々はない。しかし、これまでの通例に従えば、都道府県教委の通達の中にこのことに触れる内容があっても奇怪しくない。まして、市町村教委となれば、『担任の出すプリント類は校長の承認を受けること』という、具体的な文言が入るのは想像に難くなく、結局は、教員の自作のプリントや新聞、雑誌のコピ-などまで届け出を求めるようになるのではないだろうか。

それが文科省の本当のねらいだろうが・・・。

これに対して、以前なら教職員組合は『絶対反対』を打ち出すのだろうが、組合の力は、今は全くないと行っても過言ではない。

しかも、マスコミも批判の声を上げないとなると、学校現場では、否応なしに与えられた教科書と補助教材で、校長の厳重な管理監督の元に授業が進められることになりそうだ。これではまさに、戦前の学校の姿そのものでは・・・。

 今回の、文科省の一片の通達で、一つの考え方が教育界全体を席巻するのは時間の問題になりそうだと想像すると背筋が寒くなる。(田舎親父)

2015年3月13日 (金)

このトラブルは広がりそうだ・・・

以前、総合的な学習の時間が教育課程に位置づけられ時、この学習の大きなテ-マに『国際理解』を選んだ学校が多かったことはよく知られた話。

当時、教育委員会はこのテ-マを選択した先進的な学校に対して、AET(アシスタント・イングリッシュ・ティ-チャ-)として英語圏の講師を派遣したことを思い出す。このことは今も続いている。

総合的な学習については、学校がその全てを自主的に計画・運営して良いということが一つの目玉だったのだが、戦後一貫して、全てが指導要領で細かく決められた路線にそって教育課程を作れば良かった学校にとっては、自分たちで教材選択から始まり、目標や指導内容など全てを独自で作るということなど前代未聞のこと。

ほとんどの学校は、どうすれば良いのかがわからない状態で、文科省にSOSしたことは国民にはあまり知らされていない。文科省は早速、総合的学習の時間で扱う分野として、『・国際理解 ・情報活用 ・環境構築 ・福祉理念』の4つを示したものであるが、当時の学校現場の混乱は思い出しても情けないという一言しかない。

あの時、全国の小中学校が、もう少ししっかりとした方針でこの学習に取り組んでいたら、ゆとりの弊害だという声は封じることができたと信じているのだが、授業の一環として老人施設を訪問して年寄りの世話のまねごとをしたり、町の隅っこの掃除などを行っていたのがほとんどでは、学力低下という言葉に抗しきれなかったのは当り前だろう。

繰り返しになるが、『国際理解』については、すぐに英語教育という発想が持ち上がり、一部の教育委員会はECCなど、当時人気の英語スク-ルと交渉し、時給5000円程度で外国人講師を雇い、手を挙げた学校に試験的に派遣したものである。

するとどうだろう。たちまちのうちに(特に小学校では)子ども達は珍しさもあり、また、全てが受け身の授業から、歌って踊るなど自分が活躍できることの魅力に引きつけられたことは今でも鮮明に思い出される。

この変化は、周辺の学校からさらに自治体全体に、そして全国的に広がったことはいうまでもない。当然のことだが、数年後には英語スク-ルの講師だけでは需要が賄いきれず、教育委員会はもちろん、各学校でも英語圏の外国人を探し歩いたものである。

AECという名は、いつしかALT(アシスタント、ランゲ-ジ・ティ-チャ-)となり、今日では、彼らが日常的に全国津々浦々の小中学校の教室で、子どもたちとに英語を使った活動を指導している姿が当り前の光景になっている。

当時、いずれ全ての学校にALTが必要になったら、粗悪な講師も現れるのではと心配もしたことも記憶に残っているが、それぞれの自治体でも工夫を重ねているらしく、現在では、英語圏の『姉妹都市』との話し合いで、講師を派遣してもらうことが流行っているのだそうだ。

今日も前書きが長くなったが、先日、高槻市が、オーストラリアの姉妹都市から受け入れているAET(何故かALTではない)とトラブルになっているという見出しに目が留まり、やはり起きるべきことが起きたようだ思いながら記事を読む。

同市は1994年から毎年、『国際交流員』として姉妹都市のトゥーンバ市からAETをこれまで延べ約70人受け入れてきたそうで、今年度も22~40歳の男女8人が市内の41小学校を回り、英語の授業をサポートしているという。

 ここまではよく聞く話。AETたちは、両市が交わす合意書の中で、市の中心部にあるアパート3カ所への入居が指定されているとのことだが、そのアパートはいずれも築30~40年で、2LDKで家賃は月6万円。敷金・礼金はかからない代物らしい。

市の財政からいたしかたないとは思うが、こんな安アパ-トに入居させて、今までよく問題が起きなかったものと思わないでもない。ところが、昨年4月に着任したAETの若者8人がこのアパートに入居したが、うち6人がわずか一月後の5月に、『玄関の鍵が閉まらない』『トイレの水が漏れてくる』などという理由で別のアパートに引っ越したという。

高槻市の相場はわからないが、京都と大阪の中間にある交通が便利な都市だけに、家賃が6万円というのは安過ぎる。築年数から推定すると、木造の2階建ての一見しても古そうな建物?ではないだろうか。

切り詰めた生活をしている人や、高齢者の一人住まいなら我慢して入居し続けるだろうが、今どきの若者、特に日本で英語の指導ができる立場という条件で応募した若者には少し無理があったようだ。

高槻市は『AETが無断で転居したことに大家らが怒り、地域の協力を得るのが難しくなった。すぐに新たな住居を探すのも困難』と説明しているようだが、結局は、今回のトラブルが原因で、長年続いたAET受け入れが中止される事態になっているとのこと。

ただ、家主が元教育委員会の職員だという文面にひっかからないでもない。仲間うちだから、安く借り上げられるという理由もあるだろうが、何となく、そのあたりに馴れ合いというか安易な発想が存在するように思えるが・・・。

この問題は全国の多くの自治体にも当てはまること。小学校において英語が正式教科にすることの是非はともかく、ALTの存在なくして『英語の授業もどき』すらできないのが現実だということを少し深刻に考えれば、このようなトラブルは高槻だけのことではなく、全国に広がるのではないだろうか。

ALTの質も教育の公平性を言うならば、これも大問題。ALTの雇用を自治体まかせにしていることも気になるが、それ以前に、もし英語を正式教科にするならば、ALTはあくまで補助であって、その存在なしでも英語の授業ができる体制作りを急ぐべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年3月12日 (木)

知らなかったから仕方ない?・・・

 『政府から補助金を受けた企業からの献金は禁止する』という法律があるそうだ。当然だろう。

そんなことが許されとしたら、企業は補助金を申請する書類作りに力を入れることは当り前の業務になってしまう。同時に、その申請を認めてもらうために、またその金額を大きくしてもらうために、政権政党の議員へとせっせと献金する・・・こんな図が広がるのは、小学生でもわかる当り前のこと。

野放図な献金が横行することを禁止するために『政治資金規正法』があるのだろうが、それが全くのザル法になっているらしく、この国では日常的に、うまく補助金をせしめた企業が、政治献金という名で議員に差し出しているというから驚きとを通り越して、何とも情けないというしか言えない。

しかも、政権政党の自民党の議員ばかりか、民主党の党首までも怪しい企業からの献金を受け取っていたのでは言葉さえ失ってしまう。国民の政治不審はここに極まったというところだろう。

政府自民党は、何としてもこの問題を早期に幕引きにしたいために、ゴマカシに次ぐゴマカシの答弁を繰り返しているが、民主党も批判の矛先が自らに向かうことを恐れ、これ以上の深追いには及び腰だというのでは、政治の倫理だ・民主主義だなんて言葉が空虚に聞こえる。

首相は献金を受けたことは渋々認めながら『その企業が補助金を受けていたことは知らなかった』と強弁。しかも『知らなかったのだから仕方ない』ということで片づけてしまっている。

新聞記事によると、政治資金規正法は、国の補助金を受けた企業が交付決定から1年以内に政治献金することを禁じているが、献金を受けた政治家側は決定を知らなければ違法性は問われないのだそうだ。

首相はじめ、献金を受けた閣僚たち(多くの国会議員も同じだろうが)は、このことを全面に出して、俺は知らなかったのだから法律違反に問われることはないと言っているのだろうが、これが我が国における政治家のレベルだと考えると何ともおぞましい。

しかも、この法律は、補助金が試験研究や災害復旧などを目的とする場合は例外扱いになっているというから、ザル法のザル法、大ザル法としか言いようがない代物。恐らく、献金が明らかにあることをあらかじめ想定して、そのための逃げ道を作っておいたというところだろう・・・。

矛盾が明らかになり、国民の不信が極限になっているのだから、法律を改正して、企業からの献金を全て禁止する方向で議論が進むのならまだ許されるが、ここになっても自民党政権は、厳密に規制することで十分だと主張しているというから、大ザル法をこのまま存続させたいとしか思えない。

首相の言う『違法か違法でないかは冷静に見ていかなければいけない』という言葉の裏には、『知らなかったから違法性などない。今更ガタガタ言うな』という本心が透けて見える。

この発言を受けて、取り巻き連中は、『違法性がないことは確認できているのだから、何かおかしいのではないかというイメージづくりのような質疑は予算委員会では相応しくない』とまで強気の姿勢をあからさまにして、質問に立った民主党議員に対して、『これ以上続ければ、お宅らの身にも降りかかるよ』という恫喝しているように聞こえるのは私だけだろうか・・・。

脅かされた民主党もだらしない。もしも党首が『責任をとって辞任する』という態度を表明し、そして、首相や閣僚の責任を追求すれば世論は拍手喝采。間違いなく大きな躍進という展開になることは明らか。有権者は、『民主党が変わった』という評価が高まり、次回の国勢選挙・いや4月の地方選挙での躍進は間違いないところ。

しかし、残念ながら、追求すれば我が身に降りかかるという発想では、首相はじめ献金を受けた閣僚を追い詰めることは無理な注文というところだろう。

 それにしても、『知らなかったから・・・』という論理が、国民の代表者が集まる国会で当り前に通用する世界になったら、いずれ、『人をだましてはいけないという法があるのですか?・・・』という社会の到来も想像できないことはなさそうだ。

 すでにその兆しは、高齢者を騙す振込詐欺がますます大流行という形で、表面に現れ始めているのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2015年3月11日 (水)

あれから4年・・・

 4年前の今日3月11日。午後2時42分、自宅でのんびりコンピュ-タで遊んでいた時に、突然、ズドンという感じで今まで経験したことがない縦揺れが襲った。一瞬何がおきたのかわからないほどの強さに、何ともいえない恐怖感が沸き起こる。

4年前の翌日、『昨日、原稿を書くために資料を取り出そうとコンピュ-タに背を向けていた時、突然今まで経験しない激しい揺れが起きた。/物凄い地震だと直感。電源を切るいとまもなく外に飛び出す。地面が大きく揺れて立っていられないほど激しい揺れである。/少しおさまったので、家に戻りラジオを取り出したが、直後また激しい揺れ。ラジオからの情報では、震源地は宮城県お気でM8.2という。トンデモナイほどでかい地震である。横浜は震度5とのことだが、こんな凄い揺れは初めてである。/およそ20分ほど外にいたろうか。家に戻ると停電。幸、蛇口からは水勢は弱いながら水は出る。まずは水の確保。ガスを点検したら正常。/ラジオに耳をくっつけて情報を聞くが、地震の規模はその後2度訂正されて、M8.8そして9.0とのこと。信じられない数字である。/時間は進み、真っ暗な中でひたすら電気の回復を待つ。/電気が回復したのは夜10時過ぎ。被害の凄さが徐々に明らかになるが、これはまだほんの一部だろう。/今朝になって、テレビの映像に食い入るが言葉なし。ただひたすら被災した方々にお見舞いをつぶやくのみ・・・』と書き留めている。

 この記録を読み返すと、あの凄まじい記憶が蘇る。翌日の記録には、さらに原発事故が加わり一段と危機的な状況になった。日本沈没ではないが、この国はこのまま消滅するのではとさえ思ったことが記録に残る。

 さらに、『被爆した可能性のある全ての住民をどこに・いつまで避難させるという具体策がない。政府と東電は、放射能漏れに関しても歯切れが悪く、心配ない・・・の繰り返しであるが、すでに相当数の人々が被爆していることは確実だろう。電力が不足するだろうことは十分予測できる。東電は地域限定の停電を実施するとのことだが、単なる享楽のための照明などを消すなどの無駄を無くせば、庶民の生活を脅かす停電などしなくても良いはず』とも記録している。

いま読み返しても、考え方は全く当時と変わることはない。そして一週間後、『今必要なもの それは強力な指導者・・・』という見出しの記録も蘇る。余りにも無策の政府に怒りを覚え、届かないまでも自分の気持ちを残しておく必要を感じて気分は優れないが書き残したものである。

あれから4年。被災地はどれだけ復興したのだろう。11年の12月、石巻の被災地を訪れたが、震災から半年以上たっても、復興の兆しはほとんどなかった。去年10月に陸前高田を訪れた時には、劇的な変化を目の当たりした。

土砂を運ぶベルトコンベアが縦横にはしり、物凄い数のダンプカ-が動き回っている姿に、被災地の確実な変化は実感するものの、この光景は何か違うのでは・・・という違和感を受け止めたもの。そしてそれは今もぬぐえない。

テレビからの映像もしかり。物や形は復興した感じを受けるが、被災した人々の暮らしはと考えると、原発で故郷を追われた12万人にも及ぶ人々には、復興という言葉の恩恵はほど遠い。

津波で家を失い仮設での生活を余儀なくされている人々は、多少の数は減ったと報じられているが、自宅の復興は雲をつかむという表現しかないようだ。すでに自宅の建設を諦めた他という人の話が渦巻いている。

震災当時のあの無責任な民主党政権は、自らの未熟さで自滅。自民党が復権したのだが福島原発はすでに過去のものとしての扱い、東北の復興という名に隠れて、経済成長が第一という路線を表面に出して、ひたすら土建業界が喜ぶ政策のオンパレ-ド。個人の努力で必死に自宅を再建するための努力に対して、資材も人手も不足させるというのでは、その罪は民主党政権よりさらに重く大きい。

しかも、国の補助金を目当てにしている企業からも、多額のカネを自分のフトコロに平気で入れる輩が総理大臣だと威張っていては、被災者の今後の生活は二の次三の次となり、人々が求める復興とは異質の未来図が描かれ、ひたすらその方向にひた走っているのが現実のようだ。

『物から人へ』という言葉がすっかり忘れられて、『人(命)よりカネ儲け』という姿が世に満ち満ちている。震災以来、歴代首相が繰り返す『東北(特に福島)の復興なくして日本の未来はない』というお題目が、口からでまかせの空虚な言葉に聞こえる4年目のこの日。

4月の地方選挙で、この流れを少し変わればと願ってはいるのだが・・・。(田舎親父)

2015年3月10日 (火)

大学の体質なのだろう・・・

 群馬大学の付属病院で、腹腔鏡による肝臓手術で何人もの患者が死亡しているというニュ-スは1月末頃からマスコミが取り上げていたような気がする。

はじめて聞いた時は何かの間違いではと思ったものだが、手術の全てが40代の助教の医師が行ったということが明らかになるにつれて、(随分以前のことになるが)大学病院の医師の、妬みや足の引っ張りあいなどの実態を描いた小説を読んだことがあるので、あり得る話かも知れないと、驚きと同時に何やら得体の知れない汚らしい背景があるのではという思いにもさせられる。

当初は動きの鈍かった大学側も、さすがに世間の批判に対しては隠し通せないと判断したらしく、調査委員会を立ち上げるという声明を出したが、時を同じくして川崎の中一殺害事件の影に隠れてあまり騒がれなかったようだ。しかし、川崎の事件がある一定の決着が出たことで、こちらの問題にマスコミが殺到。いろいろな事実が明らかになってきた。

 その大学の調査委員会が、『全ての手術に対して、過失があった』と発表。俄然、手術をした医師に注目が集まっている。

 ちょっと話がそれるが、はじめ『助教』と聞いた時、迂闊なことに、聞き慣れない職名なので『助教授』のことだと思いこんでいたが、続報の『40代で助教とは出世遅れの焦りでは・・・』という一文を見て、初めて助教授でないことに気がつく。そして『助教』とは講師にも及ばない地位であることを知って、群馬大学医学部には、小説にあるようなドロドロした人間関係が存在しているような気がしないでもない。

 それはともかく、報告書の内容は一言で表現すると、8人が相次ぎ死亡した原因は、『経験の乏しい医師が、十分な事前検査も検討もなしに、腹腔鏡での肝臓切除という最近注目されている新しい手技に挑み、術中・術後にも不適切な処置があった』と断言しているがなぜ、経験の乏しい医師に、何故ここまで高度な技術を要する手術をさせていたのかということに関しては言及していない。これでは納得できる話ではない。

 問題が明らかになり、世間の批判を受けて初めて大学側は、『医師の適格性に問題がある』として、この医師をすべての診療行為から外したとのことだが、遅きに失したというか、もし世間とマスコミが騒がなければさらに手術を続けさせて、死亡する患者が続出したのではと思うと背筋が寒くなる。

8人もの患者の命を奪うまで放置しておいた方に責任があるのは明らかなのに、責任問題の記述はまるでない。これでは、群馬大学の体質は原発事故の東電や政府と同じで、ことなかれ主義というか、都合の悪いことは徹底して隠蔽することだったと表現しても差し支えなさそうだ。

しかし、どうしても、(世間的な見方だろうが)最も組織的に高度な医療を提供するはずの大学病院で、こんなでたらめがなぜ許されてきたのかという疑問は消えない。

この医師の手術が原因で命を落としただろうと思える患者は8人だけではなく、普通の開腹手術でも10人以上にも及ぶという。そして、死亡した8人を含め58人に保険適用外の『腹腔鏡による肝臓切除』を実施していたというから、腹腔鏡を使わない普通の(保険適用)開腹手術を施した数を含めると、さらに多くなり、100人以上と考えても不思議ではない。

これだけの患者の手術をしている医師を、報告書はばっさり『経験の乏しい』という一言が切り捨てているがあまりにも乱暴過ぎる。やはり、大学側にはこの医師に手術をさせなければならない事情があったと考えるのが普通ではないだろうか。

例えば、この医師は、地方では群を抜く富豪で、以前から群馬大学医学部の運営に深くかかわっている人物の御曹司(あるいは息のかかった人物)だったとしたら・・・。技術的には未熟とわかっていながら、医学部長はじめ黙認してければならない何らかの事情があったのでは・・・というのは小説の読みすぎだろうか。

いずれにせよ、ことが明らかになるにつれて、全てが大学側のご都合で、命を奪われた患者とその遺族の怒りは想像に難くない。

恐らく、訴訟問題になると思うが、その過程で、人間関係などを含めた事件の背景は今後明らかになると信じたい。

しかし、他の大学の付属病院も多少の差はあるものの、同じような事情を抱えているはず。他山の石ではないが、これを機会に徹底した内部議論で、患者中心の運営の徹底を計ってほしいものである。(田舎親父)

2015年3月 9日 (月)

コアラは『是』でクジラは『否』・・・

 ズ-ラシア(横浜動物園)は、『人間が動物を観るため』ではなく『動物が人を観察できる』ためにという設計方針で作られた動物園だという話は、開設当時にはいろいろな方面から耳にした話である。

歩いて20分程度なので、以来15年、毎年数回は必ず通っている。面積は東洋一だと言われているように確かに広く、単に、ぐるりと一周するだけでも1時間では足りないので、出かけると一日ゆっくり楽しむことができる。私のお気に入りの一つになっている。

毎年のように、動物の展示エリアが拡大しているので、このままいけばどこまで広がるのかと半分心配していたものだが、一応、来月の下旬に『アフリカ・サバンナエリア』がオ-プンすることで完成になるというから、ある意味ホッとしている。

開園当初は、それぞれの動物の展示スペ-スが広過ぎて、動物が隠れてしまえば、目にすることが難しかったが、来園者からの声もあったのだろうが、年々工夫が進んで、今では強化ガラスなどを使って、できるだけ動物を観やすいような作りになっている。

特に最近は、30年も遠ざかっていた一眼レフのカメラを入手。ファインダ-をのぞきシャッタ-を切る感覚が戻り、このところかなり頻繁にカメラ片手に出かけ、動物たちの仕種を写すのも楽しみの一つとなっている。

横浜市には市立の動物園が3つある。一つは横浜の中心部にある『野毛山動物園』であるが、ここはスペ-スが限られているので、動物たちの専用エリアが狭く、しかも、ほとんどが頑丈な檻に入れられているので、写真撮るには相当な技術が必要な上に、狭い部屋に押し込められている動物たちの動きは、当然ながら緩慢なために、私的には魅力は今一つ。

もう一つは市内の南部、金沢区の『金沢動物園』である。先日、ズ-ラシアとの環境の違いに興味を覚え、出かけてきた。横浜から京浜急行で金沢文庫、そこからはバスなのだが、土日曜日には直通があるようだが平日はない。

最寄りのバス停から急坂を7分ほど登らなくてはならないので、車用の別ル-トから来る人が多いらしいがアクセスは最悪。しかしその日は予想通りガラガラ状態、好き勝手にカメラを向けることができる。展示スペ-スはかなり広いのは良いのだが、動物たちは観客から隠れるスペ-スがないのでストレスがたまるのでは・・・なんて変な心配が頭をよぎる。

大変饒舌で、しかも自分勝手な説明調の前書きが長くなったが、金沢動物園の目玉は『コアラ館』だということから本文に入る。当然、コアラ入館したのだが、ガラス越しに眺めるコアラたちは全員完全にお休み中。どちらが顔なのと思うほど動かない。館内は私一人だったので、しばらくいろいろな角度がら声をかけるのだが、コアラはそんな私には興味がないらしく無視し眠り続け、ついには私が根負けした館を後にする。

それでもコアラは子ども達には大人気らしく、普段は幼稚園の遠足などで賑わっているという。東京の多摩動物園にもコアラ館にも何回が出かけたことがあるが、ここよりもかなり広く充実していたことを思い出す。東京都という予算の潤沢な自治体だからできることだろうが、横浜もやっとのことで追いかけているらしい。

コアラの飼育は難しいと聞いている。しかも固体の入手が難しいため、特別な飼育部屋を作り、過保護だと思われるほど気を使っているようだ。個体数が多ければ、もう少し展示の方法が変わるだろうな・・・なんてことを思いながら、金沢動物園を後にする。

偶然だろうが、翌日の朝刊の片隅に、オ-ストラリアでは『コアラが増え過ぎて、極秘に札処分している』という小さな囲み記事を見つけて、思わずウソだろう・・・と叫んでしまう。

記事によると、オーストラリア南東部ビクトリア州政府が増え過ぎたコアラを極秘に『間引き』をしていたという。州の環境相は『エサ不足による餓死を避けるには不可欠な措置だった』と主張し、批判にもかかわらず今後も殺処分を続けるというから、エサのユ-カリがあれば、殺されずにすむコアラがいることは間違いなさそうだ。

去年一年で686頭も処分したという。コアラ一頭を飼育するのにどれほどのユ-カリの葉が必要なのかは正確には知らないが、ユ-カリは日本でも工夫次第では育つはずだろうから、全てとは言わないまでも相当数は引き受けられるのではないだろうか。

貴重なコアラを殺処分・・・。オ-ストラリア政府は、クジラは絶対に殺してはいけないと主張しているのに、コアラの殺処分は仕方ないとは理屈に合わない。

そんな単純な問題ではないよという声が聞こえてくるのは当然だろう。いろいろと難しい問題があることは、私でも十分想像できるが、話し合い次第では、コアラの命は助かり、しかも、世界中の子ども達の夢が広がるのではないかと思うのは、実現不可能な甘い夢なのだろうか・・・。(田舎親父)

2015年3月 6日 (金)

この泥棒たちには拍手を送りたくなる・・・

 先日、たまたまスイッチを入れたテレビから流れていた、『アメリカのアカデミ-主演女優賞を受賞した女優が授賞式で着ていた、時価1800万円のドレスが盗まれた』というアナウンサ-の声で画像を見ると、盗まれたという衣裳が映し出されていた。私には全く無縁の世界であるが、いやはや凄い衣裳があるものだと感心する。

 芸能界には全く興味がないので、この話題はすぐに記憶からすっかり消えていたのだが、翌日だったか記憶が定かではないが、この衣裳を盗んだ泥棒が『偽物だ』という鑑定書をつけて返したという続報に、思わず面白い・・・と拍手してしまった。

 そこで少しこの事件のことを調べてみると,ことの始まりは、昨年、映画『それでも夜は明ける』でアカデミー賞助演女優賞を受賞したルピタ・ニョンゴという女優が、今年のアカデミー賞授賞式で着た真珠のドレスが盗まれたことから始まったようだ。

(私には意味不明の言葉がたくさんでてくるが)女優が身にまとっていたドレスは6000個ものアコヤパールがちりばめられた『カルバン・クライン』という超人気ブランドの特注ドレスだという。

その価格は15万ドル(約18000万円)相当だという。どうやら泥棒たち(単独犯行とは思えないので複数形)はこの価格に興味を持ったらしくホテルの女優の部屋に忍び込んで、まんまと盗み出したようだ。まるで小説かマンガの世界である。実際にこんなことがおきたとなると警察の面目は丸潰れ。幹部達の慌てようを想像すると(不謹慎ながら)何となく楽しくなる。

単なる泥棒事件が世界の話題になったのだから、いかに凄い衣裳であることは想像できるが、泥棒たちは、このドレスから真珠を2粒取り外し鑑定に出したところ、偽物だと告げられたため、ドレスをゴミ袋に入れてホテルに戻したというから面白い。

泥棒たちは『ハリウッドはうそばっかりだと知ってほしかったためドレスを返却し、メディアに連絡をした』のだそうだが、(外野的には)なかなか味のある泥棒グル-プもいるものだと、感心を通り越して共感するところが大である。虚像を売り物にしているこの業界には、お灸の一つではないだろうか。

『カルバン・クライン』の関係者は、真珠が偽物だということについて口を閉ざしているらしいが、鑑定書つきで返還となると偽物だということは間違いなさそう。これで、この超人気ブランドに対する信用は一気に下降することは容易に想像できそうだが、それ以前に、俳優たちがイベントなどで競って着るドレスそのものに、世間の目は『本物だろうか・・・』という興味本位の話題が先行するのでは・・・。

 犯人たちは捕まっておらず、警察はまだ捜査を続けているとのことだが、これも無責任ながら捕まらないことを願いたい。そして、今度は男性俳優が身につけている超豪華な装飾品を盗み出し、偽物の鑑定書をつけて返品したとしたら・・・。想像するだけで日頃の暗い話題を吹き飛ばしてくれる。

 肉体的に傷つけた事件ではない、ただちょっと失敬して、そして返却しただけ・・・。人のものを盗む行為は犯罪であることは当然だが、生活に困っている人を騙す、いわゆる詐欺でもない。

この泥棒たちは盗んだ物品を貧しい人々に配るという考えは持っていないとしても、ひょっとして『鼠小僧の再来か・・・』という期待感さえ持ってしまう。犯罪以前に、『強きをくじく』という庶民としての当然の願いが先に立つ。

 今日は『啓蟄』。いよいよ蟄居していた虫たちもゾロゾロ這い出す頃。間もなく春本番、そこで今日は興味本位の軽い話題を・・・。(田舎親父)

2015年3月 5日 (木)

原発事故はノンコントロ-ル・・・

 話は古くなる。福島第1原発2号機の原子炉建屋の屋上に高い濃度の汚染水がたまってそこから雨どいなどを伝って排水路に流れ、外洋に流出したというということが報じられたのが先月の末のこと。その2日前にも汚染水が流出したらしいが、そことは別の場所だという朝日新聞の記事に、やはり原発事故は収束したどころか、現在も確実に進行中だということは明らかである。

その翌日だったかの東京新聞には、さらに重大な記事があった。この高濃度の汚染水が外洋に漏出していることは、原子力規制委員会は遅くとも2013年11月には、東電から漏出の報告を受けていたのだが、排水溝の付け替えなど有効な対策を明確に指示していなかったというから、東電のデタラメさ以上に規制委の無責任さに呆れるしかない。そして現在も、外洋への汚染は続いている・・・。

東電は漏出の兆候として13年11月ごろ、1~4号機の山側を通るK排水溝を流れる水に含まれる放射性セシウムなどの濃度が高いことを規制委に報告したという。さらに、昨年4月以降の測定で、法令で放出が認められている濃度基準を上回る数値であることを確認したがそのままほったらかしていたことを、どこからか漏れたので仕方なしに先月の末の発表になったようだ。

 一方、規制委は14年1月から作業部会で議論を始め、2月には東電に『15年3月末までに濃度基準を下回るように』と文書で求めそうだ。作業部会では、メンバーから、浄化対策が講じやすい専用港内に排水溝の出口を付け替える案や、海に放出する前にいったん水をためて、基準を満たしていることを確認した後に排出する案などが出されたとのことだが、それは会議の席だけの思いつきの案に過ぎなかった・・・。

 規制委からの指摘を受けたにもかかわらず、東電は『検討中』『データの整理中』などの答えを繰り返し、結局は排水溝内を清掃する方針を示し、部会で出たに思いつきだったとしても)改修案はうやむやになったというから酷い話である。

 その後東電は、14年4月から一週間に一回、排水溝の流量や放射性物質の濃度などの測定を開始して、日常的に汚染された水が流れ雨になると濃度が急上昇する状況を明確につかんでいたというから、明らかに確信犯。今回、仕方なく漏れていることを認めたが、バレなかったら今でもそのまま隠し通していたに違いない。

 規制委も東電に測定データを要求しないばかりか、東電がどんな対策を練っているのか積極的に把握しようともせず、待ちの姿勢に終始。そして、今回の東電の発表まで明確に状況を把握できていなかったというから、何のための規制委などと強い批判を受けても当然である。

 このことに対して規制委側は『東電がデータの整理中と答えていたので、待っていた。排水溝近くののり面をカバーで覆ったり、除染するなど汚染源を取り除いてきたのを確認してきた』と釈明しているといが、これでは、東電とつるんでいるとしか捉えられない。

 こんな事実を突きつけられても、官房長官は『港湾外の海水の濃度は法令告示濃度に比べ十分に低い。汚染水の影響は完全にブロックされている。状況はコントロールされている・・・』とまるで他人事。規制委からの報告は上がっているはず。政府は少なくとも13年11月以降、継続的な汚染水漏れを把握しながら、外洋へ汚染水の垂れ流しを事実上容認してきたのは(デタラメ内閣とはいえ)政権の番頭役としてもお粗末このうえない。

 今回の汚染水漏れに何よりもショックを受けているのは漁業関係者であることは想像に難くない。漁協の幹部達は一斉に『信頼関係が崩れた』と避難しているのももっともだが、この言葉の裏には、まさか『そこまでは裏切らないだろう』という一縷の気持ちがあったに違いない。

関係者は『これで風評被害が増える』と嘆いているが、これは『風評』ではなく、実害である。福島の海に高濃度汚染水が垂れ流しになっている以上、そこで捕れる海産物が放射能で汚染されていると思うのは当然で、多くの国民は福島県の海産物を敬遠するのは当然だろう。

最近福島の農産物をス-パ-で見かける機会が多くなっている。価格も一時のように、他の産地より低くしなければ売れ無いということがなくなったらしく、さほど差がないように思える。そんな光景を見ると、顧客は確実に戻ってきているように感じるが、今回の垂れ流しが明らかになると、やはり・・・という不信感が増えることは避けられない。

農作物に関しては、県は厳重な管理をしているという。その言葉には信じる価値があると思いたい。農産物と同じく、福島県の漁協が関係する海産物も厳重な検査をしているという。こちらも信じたい。しかし・・・。

『風評被害』という言葉そのものの存在を消し去るためには、正しい情報の提供と放射線検査の信頼性を高めること以外に方策はない。いくら厳重な検査をしていても、情報そのものが信頼できなければ全く意味がない。今回も同じパタ-ンで、大元の東電が汚染水を垂れ流していることを隠し、それを国が容認していては、国民に信じろということ自体ナンセンス漫画のごときもの。

そして、現在も汚染水の垂れ流しは続いている。 それでいて、政府は『全体としてコントロールされ、影響はブロックされている』と詭弁を弄しているが、こんな姿勢では福島の復興など遠くなるだけ。

 政府のいうコントロ-ルとブロックという言葉が『住民の健康や漁業者の生活に直結する重大な情報がコントロールされ、ブロックされている』と聞こえるが、こんな酷い話はない。(田舎親父)

2015年3月 4日 (水)

過疎をくい止めるためには・・・

 京都府伊根町といえば、観光地としては全国区ではないが、各戸に船溜まりを持つ独特の景観が人気の、美しい町として有名であるが、やはりここにも過疎化の波は容赦なく押し寄せているらしい。

 町は、子育て世代の負担を軽減し定住促進につなげたいとの考えで、新年度から小中学生の給食費や修学旅行費、教材費の一部を無償化するという。そのための予算として、700万円を計上しているそうだ。

 1950年代に7600人を超えていた人口は、今年1月末で約2300人まで減少し、二つの小学校と一つの中学校合わせて、児童・生徒数は計99人だというから、町の存続すら危なくなるのは確実。昨年の町長選で3選を果たした現町長が『教育費無料化』を公約に掲げていたこともあって、思い切った政策を打ち出したようだ。

これによって、保護者の負担は年額6~14万円も軽減されるというから、子育て中の家庭では何とも朗報。このことが広く知れ渡れば、全国から移住してくる人も期待できそうだ。数年後、町の人口が増えました・・・という情報があれば万々歳なのだが。

一方、やはりこれも過疎化対策のためにだろうが、『難関大の合格者に100万円の奨励金を支給する』という奨学金制度を打ち出した自治体がある。鹿児島県伊佐市(私には馴染みのない、初めて聞く自治体)は、市内にある『県立大口高校』に入学者を集めるためこの奨励金制度を決めたという。

恐らく、市内にはこの高校が一つだけなのだろう。そして、廃校の危機にさらされているに違いない。もしこの高校がなくなれば、『人口減に拍車がかかるし、地元経済に打撃を与える』ことは確実だろう。市が打ち出したこの政策は何とも危機感が迫っている。

県教委は、この高校の定員を『15年4月から1学2学級』と決めていたという。これに対して、伊佐市は県教委と話し合いを重ね『15年7月の進路希望調査で80名以下なら2学級』という猶予期間を引き出したそうだが、志望者が集まらないとこの約束は空手形になりかねない。何としても生徒を集めなければならない市としては、最後の手段として、この奨学金制度を打ち出したようだ。

これに対して『お金で釣る教育は間違い』など批判的な声が全国から殺到しているという。目の前にニンジンをつるやり方には違いないが、形が少し違ったり奨学金の額に差はあるもの、すでにかなりの自治体がこのような奨学金制度を打ち出していることも事実。批判はこれらの全てに当てはまるべきだが、今回の場合100万円という金額が批判の対象になっているようだ。

この奨学金制度については、有名な教育評論家(大体見当はつくが)がテレビで『史上最悪の愚策』酷評して話題にもなったそうだが、私にはむしろ市長の『批判は市外からのものがほとんどです。過疎に悩み、疲弊している地方の実情をどこまでご存じなのだろうかと思います。市民の皆さまにはおおむね理解をいただいています。思い切った施策は時に批判の的となりますが、だからといって何もしなければ、座して消滅を待つばかりなのです』という言葉に、重さと真摯さを感じるが・・・。
 二つの例を挙げたがいずれも何とか過疎化を止めたいという自治体の悲痛な叫び。諸手をあげて賛成はできないとしても、何とか成果を出してほしいとエ-ルを送りたくなる。しかし、自治体から多額の教育補助や奨学金を受け取ったからとて、卒業後、故郷を離れて都会に出ていったら・・・と想像すると寒気を感じる。

過疎化を止める方策はもはや地方自治体の及ぶところではなく、国をあげての対策が急がれていることは衆目の一致するところ。

現政権は、だからこそ『地方の創生』を主政策の一つにあげていると信じたいが、平気で、国の助成金を受け取った企業から多額の献金を受け取る輩や、塾業界からの献金を受け取る人物が文科省のトップに存在していることなどから考えると、『地方の創生』は掛け声倒れのような気がしてならない。

 今回の教育費補助や奨学金制度の是非はともかく、マスコミには、大々的に教育のあり方を取り上げて教育分野から地方の活性化につながるアイデアを引き出すリ-ダ-役を引き受けてほしいものだと期待しているのだが・・・。(田舎親父)

2015年3月 3日 (火)

行政が奪った母娘の命・・・

 先日、テレビから、千葉県銚子市で県営住宅の立ち退きを迫られた母が娘を殺して自分も死のうとしたが死に切れず逮捕されたという声が聞こえてきた。川崎の中一事件のこともあって、瞬間的に猛烈に気分が悪くなり思わず吐きそうになる。

 しばらく呆然としていたが、テレビで取り上げるのだから最近の事件に違いないと、その日の新聞を調べたが見当たらない。まさか私の聞き違いでは無いとは思いながらも(日頃は時間があり過ぎるほどあるのだが)その日に限っていろいろと立て込んでいたので、気分の収まりと共に調べる意欲は薄くなり、そしてすっかり忘れていた。

 ところが、昨日になって急に思い出し。『銚子市』と『県営住宅』という言葉を頼りに検索してみたらテレビから流れていた事件に該当する項目がいくつかヒットする。概要を読んでみて、そういえば、そんな事件が昨年9月に起きていたことをぼんやり思い出す。

 この事件を検証するために作られた『千葉県銚子市の県営住宅追い出し母子心中事件の現地調査団』という組織が千葉県と銚子市に、先月はじめに申し入れを行ったという記事も見つけ、このことを先日テレビが取り上げた時に、偶然私が断片的に聞きかじったらしいと納得する。

 改めて事件の概要をおさらいしておくが、昨年9月24日、千葉県銚子市の県営住宅に住んでいた母子世帯が、家賃滞納を理由に明け渡訴訟を提起され、その判決に基づき強制退去を求められた日に、中学生の娘を殺害し自分も死のうとした事件である。母親は、殺人の容疑で逮捕され間もなく公判が始まるというが、気の毒というか、なぜこんなことになったのか、奥歯に何かがはさまれたようなすっきりしない気分になる。
 いつ頃から母子家庭になったのかは定かではないが、母親は
長女が小学校に入学した時から銚子市の就学援助を受けていたという。

 私が今更説明するまでもないが、就学援助というのは、低収入世帯や児童扶養手当の受給世帯などが学用品費や修学旅行費など、義務教育において学校生活上必要とされる補助を受ける制度であり、毎年申請することが一般的である。

 以前もつぶやいたことがあると思うが、『生活保護』とは全く意味が異り、例えば給食費などは、就学援助家庭は集金の必要はないが、生活保護家庭では、生活上必要経費として保護費として受け取っているので支払う義務がある。

 以前は学校で集金しなければならないのだが、往々にして、これを父親(最近は母親も多いそうだが)の遊興費や飲み代になっていることが多く、学校としても厄介な部分が多いのが事実。生活保護の所轄は厚労省なのに、就学援助は教育委員か(文科省)。ここでも行政の縦割りの弊害がでていることは間違いない。

 都区内の場合(私の記憶違いもあるかも知れないが)就学援助家庭と生活保護家庭とは扱う担当課が違うが、学校を通して情報の共有はしていたはず。しかし、銚子市はその当たりの詰めが甘かったらしく、就学援助だけ受けている家庭の情報は、市教委の事務方は当然知っているが、市は真剣に把握しようとしていなかったのかも知れない。

 教委は市の担当部署に、この母が就学援助を受けていることは連絡してはずだが、市としては、これは民生委員の仕事という認識があったのではないだろうか。民生委員が『母子が正確に困っている様子は見受けられない』という項目にチェックが入っていれば、市の仕事はそこで終わり・・・。

 しかも県営住宅の家賃滞納が原因である。市は民生委員の報告を受けて問題なしという処置し、県営住宅の家賃など頭になかったに違いない。一方県としては、就学援助を受けていることなどの情報が無いとすると、住宅費を支払わないのはけしからん、滞納が続いている以上明け渡しを求めたのではと推測している。

 事務的にはどちらも仕方ないのだろうが、市としては、以前この母が生活保護について相談に来たというから、その時点で民生委員に連絡するという丁寧さはほしいところ。県も『滞納が続いているが、その理由があるのだろうか・・・』と、市に問い合わせる手間をかければ、間違いなく娘の命は助かり、母親が殺人犯になることはなかったと思うと残念でしたかない。

 話は飛躍するが、今、全国各地で老人が老人を介護する、いわゆる老々介護が当り前のように存在しているという。生活に余裕があれば、有料老人施設に預けることができるだろうが、特養にも入居できないとなると、自宅で年老いた親を老人が、あるいは夫婦どちらかがお互いを介護するというパタ-ンは避けられない。

 そして思い余って、殺害する・・・。最近よく聞くパタ-である。千葉の母子の無理心中未遂事件も、根は『貧しさ』。格差が広がれば,これら無理心中予備軍は確実に増え、そして耐えきれなくなって同じような事件が起こる可能性はある。

 今回の無理心中事件では、母親の減刑を求める嘆願書が多く寄せられているという。当然だろう。そして、市や県の対応を責める声が殺到していることは想像に難くない。

 しかし、今更市や県の落ち度を責めても根本的な解決にはほど遠い。事件の真の原因である『貧しさ』を見据え、格差をなくしていくための議論の広がりを期待したい。(田舎親父)

2015年3月 2日 (月)

一つの住所に400人以上とは・・・

 あっと言う間に2ケ月が過ぎ去ってしまった。例年同じことのつぶやきになるが、1月は行く、2月は逃げるという昔の人の例えを改めて本当だ・・・と感じる今日この頃。これもいつもの言いぐさになりそうだが、『気がついたら棺桶の中』なんてことが実際に起きそうな気になってしまう。

『岐阜市鷺山1769-2』という、一つの住所に住む人が400人以上も存在するとは、俄には信じられないが、実際にある話だというからビックリする。

この記事を見つけたのはかなり前のこと。面白そうなので、つぶやきの材料にしようと保存していたのだが、ここ数日、気になることが多いのでついつい後回しになってしまった。今日は、弥生三月になったこともあって、気分転換に軽めの話題を・・・。

 何故、そんなことになったのだろうと不思議に思うが、岐阜市が戦後、河川敷の跡地に一戸建て住宅を整備し分譲した際、住所表記に手を付けなかったという極めて単純なミスらしい。しかし該当する住民には迷惑この上ない話である。

この文面(特に市が分譲したということ)から、戦後間もなく引揚者が増え続けていた頃だろうと想像したのだが、住宅難解消のため市が昭和47年に国から買い、一戸建ての市営住宅を建てて分譲したものだというから、戦後とは言い難いようだ。

現在の担当者は『建設を急ぎ過ぎて番地変更に手が回らず、広大なままの地番が残ったのでは』と釈明しているそうだが、戦後も30年近くなった当時に、広範な地域を一筆とは乱暴過ぎる。

私の住む一角もこの種の住所表示ではあるが、(最近少し事情が変わったが)400程度の区画に分割され、その一戸当たりに相当する区画に枝番が振り分けられているので、枝番の数字を間違わない限り郵便物はほぼ確実に届く。

もっとも、小林姓が多いことがあって、私の知る小林さんは、以前は『また誤配だよ。枝番をよく確かめてほしいよ・・・』と愚痴っていた。しかし、その後に『小林がこれほど多いと仕方ないのかなあ』というつぶやきが加わるのも常。

そんなこともあって、この記事を見て、もし枝番がなかったら、よほど有名人以外では大混乱が起きるのは当然だろうと、不謹慎ながら思わず吹き出してしまった。

しかし、住民には深刻な問題だろう。『鷺山1769-2』という同じ住所表示の場所に、400人もの人が住んでいたら、郵便物の誤配は日常茶飯事に違いない。うっかり届いた親書などを開封してトラブルに発展することもあったのではと推測している。また、同じ姓の人(場合によっては同姓同名、あるいは音が同じ)もいるだろうから、緊急時には大混乱を引き起こす可能性も大きいようだ。

それにしても、こんな話ってあるのだろうか。素人考えだと笑われるかも知れないが、境界線がはっきりしないと住所表示ができない?とは市の言い訳で、実際に建っている住宅の基礎部分に、仮に、鷺山1469の後に、1.2.3・・・と枝番を振ればすぐにでも解消できるのではないだろうかと思ってしまうのだが・・・。

私のこの疑問に、市は『地番と住居表示が大きく食い違うと、所有者に不利益になる』という答えであるが、実際に大きな不利益など存在するのだろうか。

ふと、以前勤務していた大田区の本羽田地区のことを思い出す。記憶は極端に薄れているが、敗戦直後、アメリカ軍が羽田地域一帯を占領した時、数日間で有無を言わせず住民を追い出したのだが、その際、住民たちは現在の本羽田となっている指定された狭い土地に、バラックを建てたという記録を読んだことは覚えている。

その後、世情が落ち着くにつれて、本格的な家を建てて住むようになったのだろうが、私が知っている30年ほど前でも、敷地を表す境界の印はもとより、家と家と間を仕切る塀などは存在せず、間は住民同士の通路であり、子ども達の遊び場だった光景が、今でも記憶の片隅に残っている。

その一角は『本羽田〇丁目××』番地だが、全ての家に枝番がついていたので、私の勤務中に、住居表示による住民同士のトラブルなど聞いたことはない。

話を戻すが、岐阜市では住居表示法に基づいた表示変更を検討し、実際に測量を始めており、土地登記の地番とは別に、道路や川などで町、丁目を区切り、建物に番号を振る方法で、住所は『岐阜市鷺山○町△丁目×番◇号』とする予定だそうだが、個人所有の土地の境界を画定させる作業が優先するという姿勢は変えていないらしい。しかし、これは問題が違うような気がするが・・・。

これでは、所有者と連絡が取れなかったり相続人が見つからなかったりで、作業開始から10年たった今もまだ全体の一割も完了していないのだというのも当然だろう。

住民の強い要望があったのだろうが、市はやっと重い腰を上げたらしく、住居表示法に基づかない仮の住所を作ることを住民側に提案したという。

住民側がこの提案を受け止めれば、とりあえずは、郵便誤配などの迷惑解消のメドは立ちそうだからメデタシ・メデタシというところだが、果たして・・・。(田舎親父)

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