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2015年4月

2015年4月30日 (木)

自然被害地も経済格差?・・・

 ネパール中部で25日発生した巨大地震の映像に、4年前の3・11大津波の想像を絶する凄まじいシ-ンがダブル。

 ネパ-ルは『地震の巣』だったというが、これまであまりこのことは話題になっていなかったのではないだろうか。先日の新聞によれば、1934年に大地震が襲ったというが、そんな話を今まで一度も聞いたことがない。

 インド大陸を載せたインドプレ-トがユ-ラシアプレ-トと激しくぶつかり、インド大陸の北部が急激に隆起し、ヒマラヤ山脈ができたこととや、今なお隆起していることも世界地理で教えられ、子どもたちにも伝えてきた。

8000mを越す高地で、海で生息していた貝類の化石が発見されることもよく知られていることである。恐らく、ヒマラヤ地方は地質的にはグヂャグヂャだろうから、当然なことだが地震の頻発地であることは、少し考えればわかること。

こんな当り前のことが、私の頭に全く入っていなかったのだから情けないが、地震が襲ったネパ-ル中部の建物はほとんどレンガを積み上げただけだというから、住民にも地震の知識はもとより、その危険性は伝わっていなかったようだ。

エベレストを一度見たいと思っていたが、それば願望だけでその機会を得ることなく今日に至っている。しかし、こんな願いは最近では旅行者が簡単に実現してくれるという。私の知り合いにも、エベレストを見ながら5000メ-トルの高地をトレッキングしてきたと自慢する人もいることから、この年でも気持ち次第で実現できそうだ。

4月・5月は厳冬期と雨期の間になって、この地方は比較的温暖な気候に恵まれるそうで、ヒマラヤの8000m級の高峰を目指す登山者はこの時期に殺到するという。

多くの登山者がベ-スキャンプで登頂の機会をうかがっていたことだろうこの時期に、M7・9の大地震が発生したものだから、雪崩がベ-スキャンプを襲って、多くの犠牲者を出したようだ。中に日本人も何名か存在し、そのうち一人の男性が亡くなったと報じられている。

ヒマラヤではたびたび雪崩が起きていることは時にマスコミが取り上げている。その度に、犠牲者がでていることも伝えられているが、今思うと、たびたび起きる雪崩も、小さな地震が原因だったのかもしれない。ただ、地震との因果関係が伝わらなかっただけでは・・・。

話は前後するが、カトマンズというネパ-ルの首都の名前は私でも知っているほど有名で、ヨ-ロッパの人たちは古くから、日本からの観光客も最近は多いと聞いている。その中心部近くには約50メートルの『ダラハラ』と呼ばれる、19世紀に建てられた見張り塔塔がそびえ、そこが観光客の人気の的だったらしいが、それが全て崩壊、多数の人々が下敷きになっているというから悲惨さは想像を絶する。

救出の映像が流れているが、瓦礫が道路を寸断して、大型機械の搬入を拒んでいるラシク、重機の姿が極端に少ない。人々はスコップとツルハシで瓦礫を掘り起こしているが、これでは、救出される前に息を引き取る人が多いのは頷ける。

この塔は1934年の地震で被害を受けたが再建され、10年前から一般公開され市内を一望できる名所として親しまれていたと記事にあるが、今回のような大地震は想定していなかったようだ。

 ところで、インドと中国に挟まれたネパールは、アジア最貧国の一つだという。4年前の3・11大津波が襲ったのも、三陸地方という、いわば日本ではもっとも貧しいとされる地方である。3・11の翌日にやはり大地震が襲った、長野県北部の境村も辺境の地。

新潟中部地震でも、能登地震でも、東北大地震も・・・その他多くの大地震が襲ったのは、全て都会から遠い、過疎の村ばかりと感じているのは私の偏見だろうか。

例外として、阪神淡路大震災があるが、この地震は範囲が限られていたことで、大阪圏全域には及んでいない。しかも首都圏に至っては、1923年の関東大震災だけ。以来、100年近く大地震は首都圏を襲っていない。

今回のネパ-ル地震もそうだが、地震は経済発展が遅れた地域に多過ぎる。天災までもが、経済と連動しているとなると、次々に都会へと流れる人の動きを封じるのは難しいようだ。

こんな法則があるとは信じたくないが・・・。(田舎親父)

2015年4月29日 (水)

自衛隊はアメリカ軍の先兵?・・・

 大学生を中心にした『安保条約』反対のデモが国会周辺で渦巻いていた頃、私は京都の工業高校生だった。そのころは、相次いで両親が他界したこともあって、政治に対してあまり興味・関心を持てなかったので、デモに参加したいとは思わなかったもの。

それでも、大学生だった樺美智子さんが機動隊の理性を失った暴行で倒れたところ踏み殺されたというニュ-スに怒りを覚えたことは今でも鮮明な記憶として残っている。このことが、後に横浜国大に入ってから、学部名称反対で火がつき、原潜反対や成田空港反対のデモの先頭に立つことにつながったと思っている。

当時の大学生を中心にしたデモは、労働者や一般市民も交えて、公権力に対する怒りを身体全体で表したものである。国会周辺で行ったジグザグデモは忘れられない。当時の時間字句は曖昧だが、学生部隊が先鋭化して、中核派や革マル派などの分派争いが過激になり、機動隊に対してぶつかるのはあたり前としても、学生同士が鉄パイプで殴り合いが始まる。

そして、日本赤軍の浅間山荘事件のあの凄惨な内部粛清という殺しあいという事件が引き金となり、急激にかつ決定的に反権力闘争に自ら身体を張ってデモの先頭に立つという熱意が覚めてしまい、悲しいことに以来デモとは距離を置いている。

それでも、反権力という思想は身体の中に息づいているらしく、権力に対しては、まず何事に対しても疑問を持つことを前提にして考える姿勢は、現在も続けているつもりである。

今日もまた取り留めない書き出しになったが、外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2とは変な名称だが)で自衛隊とアメリカ軍の役割分担を規定する日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定で合意したというニュ-スに、これは危険だと反応する。

内容はマスコミが書いているので改めて述べないが、私なりに感じたことは、自衛隊とアメリカ軍との協力という言葉で表しているが、その実は、完全に自衛隊がアメリカ軍の先兵となって、地球上あらゆる地域で戦争に参加するということである。

しかも、マスコミが伝える内容はごく一部で、細かいことは全て秘密事項となっているとなると、東シナ海や南シナ海への進出を進める中国を念頭に、平時から日本有事まで『切れ目のない』日米協力の体制を構築という文面が不気味に響く。はたしてどこまでアメリカの言い分に従うのかは全くの闇の中。

言葉を選ばす表現すると、昨日のオバマ・アベ会談では『尖閣諸島を俺が守ってやるから、お前はフィリピンに協力して中国とやり合え』というオバマに『わかりました』というアベのやりとりがあったのではないだろうか。

今回のガイドラインの合意には国会は何らかかわっていない。こんなバカな話があって良いとは思えないが、現政権は、国会は自派が圧倒的に数を占めているのだから、後で承認させれば良いと思っているに違いない。

今回の合意は明らかに、50年前以上から続いている『日米安保条約』をはるかに逸脱するものである。『日米安保条約』の改定をしなければ、こんな約束事は成り立たないはずなのに、国会を素通りしているとは許し難い。

政府は、言葉の上では、ガイドラインは協力の枠組みを定めたもので法的拘束力はないから国会承認は後で良いとしているが、すでにアメリカと『約束ごと』として合意は大矛盾・・・。

本来は憲法があり、日米安保条約があって、そのもとにガイドラインと、現実に自衛隊を動かすための安保法制が存在するはずなのに、まるでガイドラインと安保法制が、憲法や安保条約の上位にあるというごとし・・・。

 国会で審議される前に、ガイドラインが日米で合意され既成事実化。これでは国会なんていらなくなってしまう。『体制翼賛』という社会が現実になり、『八紘一宇』という思想が亡霊のように蘇ってくる感じにさせられる。

 それでも、(投票率は極端に落ちているとはいえ)現政権が国民から支持されている。まるで国民全てが、自民党の催眠術にかかっているとしか思えない。催眠術なら、そして悪い夢であるのなら、できるだけ早く覚めてほしいとひたすら願う。

今日は4月29日、『八紘一宇』で現人神と奉られた昭和天皇の誕生日である。考えさせられる昭和の日になったものである。(田舎親父)

2015年4月28日 (火)

またまた教育制度を変える・・・

 これほど教育制度がコロコロと替わる国は他にあるのだろうか。学力テスト一つをとってみても、あまりにも過激な点取り競争が青少年の心の育成に支障があるとの結論から中止したはずなのに、政権のご都合で復活させたばかりか、その点数を高校受験のための内申書に利用するという自治体が名乗りを上げているのも困った話である。

 教員免許もこのところいろいろといじられている。昔は、一度取得すると一生もので、日本全国、年齢に関係なく通用したものであるが、近年は『更新制度』が定着したらしく教員たちはその準備なのでますます忙しくなっていると聞いている。更新を忘れ免許が剥奪されることもあるという。

 今回、昔がえりが大好きな自民党の現政権は、更新制度では飽き足らず、『教員免許制度』そのものを大幅に変えることに着手したらしい。その手始めに、『教育再生実行本部』という組織が、(国の権威を高めるためだろうが)学校の教員免許を『国家資格化』するというニュ-スが報じられた。

 その組織の委員長が『遠藤利明』という議員だという。どこかで聞いたことがある記憶があるのでネットで調べてみたら、すると、10年ほど前のアベホ第一次内閣の農水相だった人物だった。この内閣は、カネ問題が次々に明らかになって、大臣辞任が相次ぎ、ついに『ボクちゃん お腹が痛くなった・・・』とばかり、首相の地位を投げ出したこともついでに思い出す。

辞任した大臣は、全てアベホ氏のお友だちだったことも記憶が蘇る。この傾向は、今回の内閣も同じで、次々と政治とカネ問題が明らかになっているが、今回は野党(特に民主党)の力不足で、追求が頓挫、『ボクチャン』には前回のような腹痛が起きないようだ。

 エンドウという御仁もアベホ氏のお友だちらしく、農水相に抜擢されたのだろうが、間もなくカネ問題が明らかになり辞任した人物である。この御仁はこんなところに存在して、親分の考えの旗振り役をしているようだ。

こんな人物が委員長をしているのだから、この組織の『教員免許の国家資格化』という案は、なるほど当然だろう。国の考え方をそのまま児童生徒に伝わる仕組みを作るためにも、国家試験で国に従順な教員を作ろうとするその意図が透けて見える。

 マスコミが報じるところによれば、この制度は、大学で教員養成課程を履修した後に国家試験と一定の研修期間を経て免許を取得する内容で、現在の医師免許のような位置付けが想定されるのだそうだ。

 学校の教員を医師なみの待遇にするというならまだ話はわからないでもないが、そんな発想は露ほどもない。

待遇改善などには一切触れないで、単に、免許制度だけを医師なみにするのでは、それでなくても、小学校卒業時の将来の希望職業を問われると、憧れの職業からも消えているらしい教員に優秀な人材が集まるはずがない。もっとも、この組織のいう『優秀な人材』という定義は、テストの点数が高く命令に素直なということが基本なのだろうが・・・。

エンドウという御仁は本気らしく、国家試験を合格したものだけを任用すれば、教員の資質が改善されると信じて、委員会の提言を5月中旬にもまとめ、アホベ親分に提出するとの方針を固めたようだ。

具体的には、大学での課程を修了後、共通の国家試験を受験し合格者は、1~2年程度の学校でのインターン(研修期間)を経て免許を与えるという、まさに形は医師免許と同じ考え方である。

大学で教員養成課程を修了すれば卒業時に大学が所在する都道府県教委から教員免許が与えられ、都道府県・政令市教委が実施する採用試験に合格すればその自治体の学校で勤務するという現行制度の方が、大学の受精を尊重し、しかも多様性という観点でも良いと思うのだが・・・。

こんな制度が本格的に導入されたら、国家試験に合格することが、教員養成大学の目標になり、まさに大学とは名ばかりの、まさに戦前の『師範学校』になることは間違いないところ。すでに師範学校になっているという声が聞こえてきそうだが、それが現政権のねらいなのだろうが・・・。

 モノ言わぬ教員の元に、お国の方針に従順な国民を作る。現政権は、70年前の悲劇を学ぶ能力を自ら放棄しているとしか言いようがない・・・。(田舎親父)

2015年4月27日 (月)

『ドロ-ン』とは言い得て妙なネ-ミング・・・

 驚くような事件が多いので、マスコミの関心が通り過ぎたのか、『ドロ-ン』一辺倒というきらいなくなったが、昨日までは、まさに『ドロ-ン』一色。世の中がヒッくり変えるほどの大騒ぎだった。

 稲刈りの終わった田んぼは、昔は麦畑になっていたような記憶があるが、最近はただ放置されるだけ。横浜の片田舎の冬の田んぼに中年以上の年代の男性たちが集まっている風景を見るようになったからすでに10年以上過ぎるのではないだろうか。

ある日、散歩の途中に、(見ればわかるのだが)話のきっかけに、何気なく『何をされているのですか』と問いかけたら、待ってましたとばかり、自分たちのラジコンのヘリコプタ-自慢が始まり、しばしその場を離れなくなってしまったことがある。

その経験があるので、この種の集まりを見たら、遠くから眺めることにしていることも一種の学習効果なのかもしれないが、大の大人が、こんな玩具に夢中になっていることは私には尿に違和感を覚える光景である。しかし、その話ぶりから推察すると、この人たちのラジコンヘリコプタ-に対しての熱い思いは半端ではないことは理解できる。

『ドロ-ン』という言葉を知ったのは、さほど昔ではないような気がする。イスラエル軍の流れを汲んでいるらしいので、難解なユダヤ語の頭文字でもとって名付けられたと想像しているのだが、『ドロ-ン』という言葉の響きが、何となく『ドロドロしいお化けのような』イメ-ジを連想させられ、今日に至っている。

この『ドロ-ン』は今日ではブ-ムになっているらしく、製作関連企業は飛躍的に業績を上げているのだそうだ。そこに目をつけた『経済成長』という言葉が大好きな現政権は『ドロ-ン特区』を設けたという話を耳にしたのはつい最近ではなかっただろうか。

『ドロ-ン特区』で、どんなメリットがあるのかは、興味がないので知ろうと思わないが、恐らく、大勢の人たちが群がっているのだろうことは想像に難くない。

その『ドロ-ン』が、首相官邸の屋上に落下しているのが見つかったのは23日のことだという。屋上にはヘリポ-トがあり、そこはめったに使われない場所なので、警備がいい加減だったらしく、たまたま見回りのために立ち寄った警備員が見つけたのだそうだから締まらない話である。 

恐らく、官邸の住民たちは、最高の警備をしているという自信を持っていたのだろう。お粗末極まりない。自分たちだけは凄い警備に囲まれた安全な場所だと思いこんでいるだけで、実際は裸の大様状態であることを世界に知らしめた、実に間の抜けた話である。

後で知ることだが、この『ドロ-ン』については、政府お得意の有識者会議でもたびたび話題になり、法整備の必要性が指摘されていたらしいが、裸の大様には『官邸に限っては』というおごりなのだろうが、はなから問題にしていなかったという。

しかし、その日を境にして、自民党政権の慌てぶりはまさにマンガを見ているよう、ヒステリックで異様さを感じさせる。警備員たちは、きっと毎日の見回りに、屋上はもとより、普段人が立ち入らない場所も全て見回るようお達しがあり、(想像だが)下水のマンホ-ルまで毎日開けて点検するように命令されているのではないだろうか。もっともそれもしばらく間だろうが・・・。
 早速、『ドローン』の飛行制限区域として、官邸や国会、皇居周辺、原発などの上空には飛行できない法律を作るらしいが、大慌てで作るとなると、またまた『ザル法』になるのではないだろうか・・・。

中には、『ドローン』の操縦者に免許制の導入なども話題になっているというが、そんな法律を作れば、(私が心配することではないが)政府肝入りで作った『ドロ-ン特区』などを、自ら否定することになりそうだ。実際に、先週末には『ドロ-ン』関連企業の株価が急落したそうだから、この先どうなるのか高見の見物・・・。

間もなく、飛ばした人物が名乗り出て逮捕されたそうだが、恐らくまねごとが大好きな国民性もあって、同じようなことが起きることの可能性は十分あるのはないだろうか。

『ドロ-ン』はすでにいろいろな分野で利用されているが、今回の事件?で、私のような、ラジコンヘリコプタ-に興味関心のない人間にでも、『ドロ-ン』の持つ、限りない可能性は理解できる。

それにしても、『ドロ-ン』という名前は、次々に不可解な事件事故を起こしそうな響きを持つように感じてならない。法整備を急いでいるようだが、その前に『ドロ-ン』という名前を変える議論が起きても奇怪しくないと思うのだが・・・。(杉)

2015年4月25日 (土)

都合の悪いことは歴史から抹殺?・・・

社民党の副代表(前代表)の福島瑞穂氏(以後瑞穂さん)の『戦争法案』という発言について、自民党から『修正だ、削除だ・・・』と大変な圧力がかかっているのだそうだ。

これは恐ろしい。一つだけの価値観しか許さない社会は『体制翼賛』とも言われ、昭和の始めから、我が国もこの体制になってしまい、不幸な戦争という歴史を作ったことは、私の年代は徹底的に教えられてきたので、一つの価値観で、全てが同じ方向に向かうという発想を極端に嫌う人が圧倒的多数である。

私もその一人であるので、瑞穂さんの発言はごく当り前。最近の自民党は、全てアホベ首相の意のままで、全ての議員が『大将の発言・考え方は、全て自分たちと同じ・・・』という態度に凝り固まっているように思えてならない。

首相の後ろには、国民心理を徹底的に研究している専門家集団が存在し、それを発言に反映させているのだろうが、言葉の使い方は実に上手いものがある。『価値観の多様性』とか『女性の輝く社会』、あるいは『安心した老後が迎えられる社会』など、耳触りの良い言葉を連発がそれを如実に表しているのだが、いかに人々の口を封じるかという本心はいろいろな場面でかいま見られる。

安保法案などはその顕著な例で、世界のどこにでも自衛隊を派遣できる内容を、『世界平和に貢献』すると称して、『国際平和支援法』とは、何というふざけた名称で、おこがましさ・おごりの極みとしか言いようがない。

加えて、このことに対して『国民心理に影響』を及ぼす人や組織が反対することを極端に嫌い、少しでも反対する意見には権力で圧力をかけるのも、近年の自民党政権・アホベ内閣の特徴になっている。

最近話題になった、NHKのやらせ疑惑やテレビ朝日のキャスタ-の発言などに、調査という名目で呼び出し、『俺たちのいうことを聞かない・・・』と恫喝したことは、ほんの序の口なのかもしれない。

呼び出されたNHKやテレビ朝日は『ご無理語もょとも・・・』とすごすご引き下がったというから、全てが自民党の思いどおりの筋書きで進んでいる。

 朝日新聞の社説に,戦前の帝国議会は斎藤隆夫が行った『反軍演説』の速記録を削除したうえで斎藤を衆院から除名し、翼賛議会への坂を転げ落ちたという一文がある。歴史から削除されていのだから、私の年代ですら学校では教わらなかったことであり、当然、国民のほとんど(全員といって良い)は知らないのではないだろうか。

憲法は国会議員の国会内の発言に免責特権を定めていることは社会科で習う。そのことは、この不幸な歴史を繰り返さないため、政権に対する批判を押さえることは、体制翼賛思想が復活につながるという強い警告に他ならないと理解している。

恐らく自民党の国会議員の多くも、『反軍演説』ことを知らなかったのではないだろうか。派閥の親分や幹部たちの『政府に真っ向から反対した者は許してはいけない』という洗脳の結果、現在のような『たった一つの方向』に向かう体質になったのだろうが・・・。

 瑞穂さんは、一連の安保法制を『戦争法案』と」と批判したが、(常識的に考えたら)いかなる目的であったとしても、自衛隊を海外に派遣できる法案とは、争いにかかわることだろう。その意味では『戦争法案』という言葉は実に言い得て妙である。

このことは、瑞穂さんの政治信条であり、その政治信条に置いて国会で瑞穂さんが発言したのは当り前でなければならない。それを自民党は単にけしからんというい理由で取り消せという。こんな異常な要求をただちに取りやめるべきである。

国会での議員の発言は、ある意味四六時中といっても良いほど頻繁に訂正や取り消しなど行われている。その都度、議事録で修正や削除をされたケースも多いが、ほとんどの場合は、事実関係の誤認や人権に関わること、あるいは(大したことでもないのに)国会の権威が失墜するという場合が通例であり、瑞穂さんの『戦争法案』という政治信条に基づく発言の修正要求は、今までなかったのではないだろうか。

瑞穂さんは過去でも『戦争法案』と発言していることを何度も聞いている。今回、首相にかみついたことが、自民党の議員たちにとって『親分の一大事』とばかり、このような異常な要求になっているのだろう。

瑞穂さんは修正や削除を拒否したうえで『発言を封じ込める大問題だ』と反発しているのは当り前。この際、野党は一致団結して、自民党の対応に反発しなければならないところだが、これができないのだから困った話である。

まさか、数の力で修正や削除をということにならないとは思うが、今回の自民党政権の修正・撤回要求は、ますます、この国が『翼賛体質』に動き出したことをよく表しているのでは・・・。(田舎親父)

2015年4月24日 (金)

自民党は酒類の値段までも関与・・・

 自民党が、議員立法で酒税法などの改正作業を進めているという。安売りを禁じるというのが主な内容で、この国会での法改正を目指すというから、下手するとこの夏から、好きなビ-ルも手が出なくなるのでと思うと、『自民党よ、そこまで庶民いじめが好きなのか・・・』と叫びたくなる。

 詳細をつかんでいる訳ではないが、ス-パ-や格安店の酒類の値引きを規制する法案だという。タテマエは酒類の製造や販売に携わる業者が守るべき『公正な取引の基準』を決めるというもので、それを守らない業者には指示や命令をし、命令に違反した場合は免許を取り消すことができるという。

一言でいうと、免許の取り消しをちらつかせて、酒の安売りをやめさせようということだろう。値引き合戦について行けない、酒の小売業者の団体である『酒販売店連合』が法改正を含む規制強化を求めていたようだが、今回自民党がそれに応じたという構図。裏では相当多額な献金(賄賂だろう)が、自民党のボス議員たちに渡ったことは想像に難くない・・・。

確かに、スーパーやディスカウントストア、コンビニなどの酒の価格競争は熾烈なものがあるようだ。しかし、安売りは庶民にとっては大歓迎だろうから、この問題に関しては今まで深く考えたことはない。

物欲がほとんどなく、あまり物の値段に頓着しない私だが、毎日の夕食の楽しみである『サッポロ黒生』だけは別問題で、ス-パ-などに立ち寄ったら、この価格のチェックするのが隠れた楽しみになっているから、無意識に安売りを歓迎していることを改めて感じているが・・・。

以前もつぶやいたことがあるが、『サッポロ黒生』について消費税の値上げによって、それまでは内税5%を含んだ価格(1480円)だったのが,その日を境に税抜き価格に早変わり、それに8%が上乗せされた価格の表示を見て、物凄い値上げに感じたもの。最近、競争が激しくなったのか、ほんの少し安くなっていることを嬉しく思っていた矢先なのだが・・・。

原価を割り込むほどの極端な安売り価格が原因で、先祖代々の街の酒屋さんが閉店に追い込まれるのは気の毒であるが、酒類の価格に関しては、政党の権限ではなく、『公正取引委員会』の役割ではないだろうか。極端な安売りならば、『独占禁止法』というものがあるはずだから、しっかり運用すれば事足りるはず。

時に、メ-カ-の出荷価格よりも低いと思われるほどの価格で、ス-パ-などは人集めする例があるらしいが、それはごく稀で、翌日には元に戻っている場合が多いようだ。無茶苦茶な安売りならともかく、現状では安売りの基準がはっきりしていない。

 今回自民党が言い出している、『公正な取引の基準』たる内容もはっきりしないのも変な話。メ-カ-希望価格を割り込んではいけないとは言わず、また何%までなら良いとも示していないのは、とにかく安売りだけは何としても止めるという意図がはっきりしている。

『街の酒屋さんの倒産を防ぐため』という曖昧な言葉で、『価格』に踏み込んで安売りを抑えようとするなら、自由な経済活動を妨げるものであることは間違いないところ。

 街の酒屋さんは、つい最近までは、一定数の住民がいないと免許を出さない『人口基準』や、既存店からある程度離れていないとダメという『距離基準』があり、いわば独占的な立場だったことも忘れてはならない。

酒の販売権が独占的に与えられていたので、消費者の立場など考える必要がなく、工夫をしなくても良かったのだが、規制が外れて消費者重視という考え方が当り前になったのだから、よほどのアイデアと努力が必要になるのは言うまでもない。

その努力が十分だったかというと、近場の店を閉めた酒屋さんたちを見ると考えさせられるものがある。酒屋をコンビニにした店もある。全国の地酒を集めて、一躍人気店になった酒屋も存在していることをこの目で確認している。

独占権だけで先祖代々続いていた酒屋が、自由競争になったらとたんに経営難になったので、安売りを防止してほしいと自民党に泣きついたというのでは、形を替えたカルテルそのもの。それを許容しろというは少しずうずうしいのではないだろうか。

いずれにせよ、今回の安売り防止という法案自体、自主規制ならいらしらず、酒類の価格までも俺たちで規制するという自民党の『おごり』としか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2015年4月23日 (木)

苗の成長が悪過ぎる・・・

20日の東京新聞の『続く日照不足 食卓も曇り空になる』との社説の見出しに目が留まる。実は私は、今年はなぜこんなに野菜の苗の成育が悪いのかと真剣に考えていたからである。

私の夏野菜の苗作りは現職時代から続いているので20年以上にもなるだろう。最初はキュウリとゴ-ヤだったが、いつの間にかトマトが加わり、去年あたりからは、ナスやピ-マン、そして更にバジルやパセリ、イタリアンパセリも仲間入りするようになり、その種類は軽く10を越えるようになっている。

 種蒔きは2月末から3月の初めごろから始まる。夏野菜の発芽適温は最低でも20℃は必要で、トマトやゴ-ヤなどは、30℃はほしいところ。温室は作っているのだが、暖房施設を置いていないので、苗床はもっぱら日当たり抜群の私の書斎兼作業場。

 横浜の片田舎の夜は冷えるが、日中は部屋の暖房が重なり、窓際では軽く30℃を越えるので、専門家にはとても敵わないが、毎年、3月末か4月の始めには、芽生えた苗を小さなポットに引っ越しさせることができる。更に、本葉が重なるようになり、根が伸びてくると大きめのポットに移植。そして連休の頃の定植を待つのがこの季節の定番行事。ところが今年は違う。まず発芽が極端に悪い上に、芽生えの時期のずれが大き過ぎる。

最近は袋の中身もかなり違っていて、トマトに例をとっても、その種類が多くなっており、高級とされる品種では、袋に入っている種の数が極端に少ないのが特徴になっている。大玉トマトに『麗夏』という種類があるが、500円もする袋に入っている種の数は、わずか15ケ。

裏書きを見ると、この種を3つずつ蒔いて、発芽したものの中から一つだけ選ぶとのことだが、そんなことをしていたら、上手くいっても5株程度したできないことになる。今年は更に悪くなる可能性が大きいとなると、苗を買って来た方が安くなる。

だから私のやり方は、実にケチケチ方針で、ピ-ト板という苗床に、丁寧に一粒ずつ間隔を開けて埋めていく。例年では、発芽に時間差があっても、ほとんど発芽するので、双葉が完全でたところで、それを小さなポットに植えつける。この時点で少なくとも10数株の苗ができることになる。

移植には気を使うものの、そこまで育てば後は植物達が持っている生命力で、苗はグングン育つのだが、今年は全く様子が違う。水分のやりすぎかなと思って、土を替えてみたがあまり効果がない。4月も間もなく末だというのに、定植できる苗が極端に少ないのが気がかりである。

 社説の書き出しは、『かつてない春の日照不足。青果物の生育不良は、農業、農家だけではなく、台所や家計を直撃する問題だ。果物や野菜は工業製品とは違う。お日さまの賜物であることを、消費者もかみしめたい』とある。そしてベテラン農家のつぶやきを紹介している。

それは『田んぼも畑も、お天道さま次第だで・・・』というもの。まさに私の焦りをこの農家がつぶやいてくれている。

4月上旬の日照量が1961年の統計開始以来最小になる観測地点が多く出ているのだそうだ。相次いで通過する低気圧や前線の影響で全国的に天候が不安定になり、この季節の日照量は愛知、和歌山、三重などで全県的に平年の三割以下、和歌山や奈良では5%前後のところもあるというから尋常ではない。

神奈川についての記述はないが、私の感覚でも相当少なくなっていることは間違いないところ。日照量の少なさに加えて、例年通りのやり方で、十分過ぎるほどの水を与えていたのだから、ポットの中が水気過多になり根が伸びきれなかったのだろう。

 気象庁の予報では、5月上旬にかけても、雨や曇りの日が多く、特に太平洋側で降水量が増える見込みだとのこと。これは、何とかやり方を工夫しないと、定植どころか苗そのものが全滅しかねない。

 プランタ-農業の私でもこれほどの危機感を持っているのだから、専業農家の心配は半端ではないだろう。社説では高知県の例として、3月末から4月にかけての日照時間が平年の3割程度しかないので、ハウスのキュウリやナス、ピーマンなどの育ちが悪く、湿度も上がって病気の被害も出始めていると紹介している。

 異常気象は高知に限らず全国に及んでいるとなると、今年の夏野菜の収穫量は相当落ちるのではないだろうか。となると、値段が上がり家計に響くことは間違いないところ。曇天の空と食卓を見比べて、農家の労苦にしばし思いを寄せてみたいという文章はもっともだとうなつける。

 4月からあらゆる物価が上がっている上に、夏野菜まで追い打ちとなると、大変な夏になりそうだ。せめて、我が家の貧乏家計の足しにするべく、苗の管理を改善し、少しでも収穫量を確保できるような努力をしなければと思い、空を見つめる毎日である。(田舎親父)

2015年4月22日 (水)

過失がゼロなのに4千万園の賠償とは?・・・

 原発の再稼働に対して『NO』の判決をだした福井地裁に、多くの国民は拍手。私もその一人で、久しぶりに司法の意地を見たと大ハシャギしたものである。ただ、福井地裁は原発とは違う裁判では、こんな判決も出している。

 車同士が衝突し、センターラインをはみ出した側の助手席の男性が死亡した事故について、直進してきた対向車側にも責任があるとして、男性の遺族が対向車側を相手に損害賠償を求めた訴訟での判決である。

福井地裁の裁判長は『対向車側に過失がないともあるとも認められない』とした上で、無過失が証明されなければ賠償責任があると定める自動車損害賠償保障法(自賠法)に基づき『賠償する義務を負う』と認定し、対向車側に4千万円余りの損害賠償を命じたのだそうだ。

相変わらず法律用語は難解であり、加えて法律音痴の私には、理解できない部分がほとんどだが、単純に解釈すれば、100%無過失だと証明されない限り、何らかの賠償責任を負うということだろう。このこと自体は(納得できない面もあるが)まあ仕方ないのかなと思うが、今回の場合、遺族側の車がセンタ-ラインを越えて走行してきたというから、こちらの方に100%の過失があるのでは・・・。

直進してきた車にどんな過失があったのか、記事を読む限りわからない。急ブレ-キをかけなかったことが過失なのだろうか?・・・。あるいは、法廷速度をオ-バ-していたのだろうか?・・・。記事を何度読み返してもわからない。

記事の見出しに『もらい事故』という言葉がある。私には馴染みのない言葉であるが、言葉の感じから、自分には責任がない事故で、相手側の一方的な過失で起こされてしまった交通事故のことだろうと見当はつく。

そこで、どんな場合が100%過失ゼロに相当するのか調べてみると、その1として、『信号待ちで停車している車に、後方から来た車が追突した場合、追突した車の過失が100というのはもちろんのこと、前を走行する車が走行中に急ブレーキを踏んで、後ろの車が追突した場合も、基本的には、後ろの車の過失は100となる』とのことである。  要は、前方を走る車の急ブレ-キにも対応できる車間距離を保つことが大原則だから、追突など起きるはずがないということなのだろう。少し無理がありそうだが、まあ追突したら諦めろというところだろう。

 その2として『信号のある交差点で、直進走行する車同士が、十字路の交差点内で出合い頭に衝突した場合、赤信号を無視した側に100になるが、青信号とはいえ、信号の変わり目に左右の確認を十分に行わないまま、見切り発車をした結果、衝突してしまったというような場合などは、青信号で発車した側にも過失が生じる可能性がある』とのこと。完全に青になってから動き出せということだろうから、これもまあ理解できるとしておこう。

 そして、その3として『センターラインが引かれている道路にて、そのセンターラインをオーバーして対向車と接触・衝突してしまった事故の場合、ラインをオーバーした車の過失が100となる』とのこと。

 ウ-ン、今回の事故は、どう考えてもこの項目に該当し、はみ出した方に100%過失があるだろうに、普通に走っていた車の運転手にも過失があったとして4千万円超の賠償金・・・。何なのこれは。

記事には、続いて、『一般的な感覚では責任の配分が一方的となりそうな事故。はみ出した車は家族以外が運転していたため任意保険が使えず、この車に乗り死亡した男性の遺族補償が困難視されたケースだった。判決は遺族を救済する形となった』という文が続いている。

ますますわからなくなる。過失100%の車の助手席で死亡した人には保険が適用できないために、遺族には何の賠償金が支払われないのが気の毒だから、相手側の車の運転者にも責任を負わす?とは・・・。センタ-ラインをオ-パ-した運転者に賠償金を請求するのなら筋としてわかるのだが・・・。

裁判官は、遺族側の保険が使えないのなら、相手方の保険を使えばよいとでも思っているのだろうか。そんなことは間違ってもない・・・と信じたい。過失がないのに保険会社が保険を支払うはずがない程度のことは、法律には超音痴の私でも何の抵抗なく理解できることだが・・・。

当然こんな判決に納得などできるはずがないので、賠償を求められた側は控訴するだろう。そして、二審では当り前の判断に落ち着くだろうと思うが、何の過失もないのに多額の賠償金の支払いを言い渡された上に、控訴となると多額の負担金と呼び出しに応じるための時間的な負担は、人生そのものを狂わせるのではないだろうか。

それ以前に、こんな判決が受け入れられたら、車の運転など恐ろしくて出来にはずがないどころか、歩いていても過失責任をとらされるかもしれなくなりそうだ。  恐ろしい世の中になったものである・・・。(田舎親父)

2015年4月21日 (火)

こんなバカな話がまかり通る?・・・

 先日、毎日新聞の朝刊に『特殊公務災害:震災から1500日 やりきれない補償格差』という見出しに嫌な予感を覚える。

 東日本大震災の被災自治体で、正規職員と同様に従事しながら、非正規職員であるため『特殊公務災害』の認定を受けられず、死亡時の遺族補償金に最大1.5倍の格差が生じているという内容に、そんなバカな・・・と思わず叫びたくなる。

 記事に具体的な事例がある。非常勤で市教育委員会に採用され、3年目だった23歳の女性は、奇しくも3月11日が誕生日だったという。彼女は、発生時に市役所向かいの市教委事務局が入る3階建てビルにおり、正規職員と一緒に市民の避難誘導の連絡をしていたところを津波に襲われたのだそうだ。

 正規職員でも要領よく立ち回った者は生き残っているらしい中で、彼女は、その時は自分が非正規であるという気持ちを忘れていてしまっていたようだ。

市の職員として市民を守らねばという使命感が心の底から溢れ出し、避難誘導に全力で当たっていたと信じたい。上司が一言『あんたは臨時だから、すぐに帰宅しなさい』と言っていれば、犠牲にならなかった可能性は高いが、あの非常時に、上司もそんな余裕などなかったのでは・・・。

恐らく、市の幹部たちは、『職員は残れ・・・』と叫んだに違いないが、彼らがどなった『職員』という言葉に正規も非正規もなかっただろう。また、この言葉を聞いた職員たちにも、そんな概念はなかったことは想像に難くない。

彼女が所属していた陸前高田市では11人の職員が亡くなったとのこと。そして、正規職員の62人が『特殊公務災害』に認定されたが、非常勤などの非正規職員44人は通常の『公務災害』という措置しか受けられなかったという・・・。

記事は彼女の母親の、怨嗟の声を伝えている。娘は『特殊公務災害』に該当するはずだと申請したそうだが、市幹部から『制度が違う』と門前払いだったとのこと、普通に考えたら母親の申し出はごく普通だと思うのだが・・・。

『だったら、地震の後で自宅に帰せば良かった。娘がいなくても人は足りていたのではないか』と語っているが、母親の悲痛さが伝わる。

もう一つの事例は、臨時職員として震災10日前に採用された20歳の女性。当時、海に近い市営プールで受付係をしていたが、上司の指示で向かった市役所前の事務所で津波にのまれたという。

10日前に採用されたばかりの若い職員には、自分で判断できるはずがない。『あっちを行け』という上司の一言が全てで、ただひたすら走ったのではなかろうか。事実であれば、上司の責任が問われるはずだが、記事にはそのことはない。

上司も犠牲になった可能性も大きい。また、今となったら、個人に責任を負わせることが、さほど意味があるとも思えない。いくら恨み言を並べても、失った命が還ってくるわけではないからであるが、この場合、言葉を選ばずに表現するなら、震災で失った命の値段が正規と非正規とでは違うのはなんとも理不尽である。

記事には、市が昨夏まとめた震災対応の検証報告書には、職員の被害が拡大した要因を『危険を感じながらも、災害対応や市民の避難誘導に備えて待機を続けた』と総括しているとある。当然だろう・・・。そして、この非正規職員の『特殊公務災害』については、全国一律で条例化されていることもあり為す術がないという。

この措置は全国共通なのだろうか。もしもそれが本当ならば、なぜ、命の値段に差をつけるような制度がまかり通っているのだろう・・・という疑念が大きくなる。

陸前髙田市の担当者は『心情的には分かるが、なすすべがない』と発言しているらしい が、それでは亡くなった非正規の職員はあまりにも無残で無念であろう。遺族も納得できるはずがない。

 今、正社員ですら残業代を限りなくなくすという動きが急速に加速している。公務員ですら非正規職員(アルバイトや派遣社員)が当り前になっているというから、極端に表現するなら、国や自治体が率先して非正規職員を増やしている?とでも言えようか・・・。

  この記事は、改めて、非正規社員(臨時職員)問題について、これで良いのかと問い直す必要性を教えてくれている・・・。(田舎親父)

2015年4月20日 (月)

カネ儲け(利便性)より安全性を・・・

 福知山線の大事故からすでに10年。あの凄まじい現場の映像はまさに地獄絵、こんなことが現実に起きるのだろうかと、今でも信じられない・信じたくない。しかし事実あったこととして鮮やかに脳裏に焼きついでいる。

直接の原因は運転手のブレ-キをかけるタイミングが遅れたことになっているが、元を正せば、急カ-ブ過ぎる線路にあることは明らか。誰が、線路設計をしたのか知らないが、例えば東京西部を走る『中央線』のようにまっすぐな線路であれば、起きなかった事故であることは間違いない。

開業当時は土地の買収問題があったのだろうが、当時としては、現在のようにスピ-ドを出す必要もなく、技術的にも出すことなど想定外だったなのだろうからも、さほど問題にはならなかったのではなかろうか。

時は移り、沿線の住民は増え続けてきたのだろうが、私の住む横浜の片田舎と共通しているようだ。私がここに移り住んだのは、昭和でいうと45年ごろだから、およそ半世紀前。

当時の横浜線は、茶色の木製の3両連結の電車で単線だったことも懐かしい思い出である。1時間に数本程度だったと記憶しているが、うまく時間を合わせると、菊名から東横線、終点の東神奈川では京浜東北線と連絡しているので、比較的便利であることもあって以来ずっと住み続けている。

昭和39年の新幹線の開業で『新横浜』という新駅が横浜線に新しくできたことも追い風になっていたらしく、そのころから人口が増え続け、全線の複線化に伴い、新駅が続々と誕生。車両も木造から山手線のお古になり、運行本数も多くなる。

さらに数年後には、山手線と同じグリ-ンを基調にしたデザインとなり、現在では同じ仕様の8両編成の列車が、時刻表で確かめる必要もないほど頻繁に運行されるようになっている。JR東日本では、山手線についでの稼ぎ頭だと聞いている。

またまた、話が飛んでしまったが、福知山線の尼崎周辺も同じような歴史をたどったようだ。人口は増え続け、性能が上がった新型車両が投入されて、数分おきに列車が走る。横浜線と違うのは、あの急カ-ブの存在である。

当然、スピ-ドを出し過ぎると危険なことは誰の目にも明らか。しかし、ここで徐行をすると、必要な本数の列車の運行はできない。詰まるところ、運転手に対して、当り前のことのように、ギリギリのタイミングでブレ-キ操作が要求される。

運転手が恵まれた労働条件であれば、そして職場に不満がなければストレスは少なかっただろうし、体調も万全だったはず。しかし、JR西日本という会社は(京都の友人に言わせると、カネ儲けのためなら『えげつないことしよる・・・』というほど)労働条件は過酷だったようだ。事実、裁判の課程で、そのことが指摘されている。

さまざまな要因が重なり、運転手は一瞬の判断が狂い、ブレ-キをかけるタイミングが遅れる。(死亡しているので検証できないが)その瞬間、頭の中が真っ白になっしまい、(ブレ-キとアクセルを間違う状態?)ブレ-キをかけることすら考えられず、そのままのスピ-ドで急カ-ブに進入、曲がり切れずに脱線転覆、大惨事につながったことは想像に難くない。もし、飛行機と同じように二人体制が運転していれば、事故は起きなかったことだけは間違いない。

話は変わるが、『事故は起きるべくして起きる』という格言がある。そのことは、事後に『たら』『れば』をつければ全て言い当てられることから、なるほどもっともと納得できるが、先日起きたと山手線の電柱倒壊という事故もその通り。

たまたま電車の上に倒れなかっただけで、数分、いや数秒倒れるのが早かったり・遅かったりしたら、大惨事になったことは疑いのない事実。

その電柱は、傾いているのを2日前に保守工事を請け負う会社の社員が発見していたという。現場にはJR東日本の社員もおり、そのことを確認したそうだが、目視で判断して3日後に交換するのだから大丈夫だろうと判断。

社員は、上司に報告したらしいが、結局は、作業員が確保できないとの理由で補修は予定通り3日後にしたとのこと。この電柱が傾いていることを、列車の運行を管理する指令部門などに特に知らせなかったようだ。

ここでも、もし、司令部に報告が上がっていたら、違う部署の責任者の目が違えば、すぐに補修工事を指令した可能性は大きい。現場で確認しながら、安全に対する命令系統の不備だろうが、結果的に補修を先延ばした判断が甘かったと言うしかない。

 JR東の幹部たちは、犠牲者がでなかったから良かったと胸をなで下ろしているだろうが、それで済まされてはたまらない。終電から始発までの限られた時間の中で、しかも限られた作業員で、滞りなく保守点検することは難しいこと当然だろうが、人命をあずかる責任の重さを自覚して、保守点検の全てを見直す英断を望みたい。

 必要な補修に対応する時間が足りなければ、利用者からのブ-イングは覚悟してでも、利便性を犠牲にして列車の運行を制限するべきである。しかし、現在の日本社会そのものが、『安全性よりも利便性』という考え方にどっぷり浸っていることは否めない。

 数年前に起きた、中央自動車道笹子トンネルで天井が突然大規模崩壊し、若者たちを中心に、大勢の命を失った大惨事は記憶に新しい。

 『利便性』という言葉の裏には、『金儲け』という、もう一つの言葉が潜んでいる。保守点検は費用を吐き出すものだという考え方が底流に流れ、これをより少なくしたいという考え方が、全ての事故につながっていることを改めて確認する必要がある。

 鉄道や道路など、『利便性』を使命としている会社は、『これぐらいなら大丈夫』ではなく『これは危ない』という危機感を第一義とした『安全第一』が、インフラ整備の基本と確認することを強く望みたい。(田舎親父)

2015年4月18日 (土)

こんな輩が・・・困ったものだ

 先日、モチヅキという環境相が、指定廃棄物の『最終処分場』の名称を『長期管理施設』に変更すると発表したらしいが、名前を変えれば安全性が向上すると思っているとしたら、『バカじゃなかろうか・・・』という言葉しか出てこない。

『最終処分場』という言葉のイメ-ジが悪過ぎて、住民が受け入れられないと思っているのかもしれないが、もしそんな感覚を持っていたとしたら、こんな男が環境大臣だと威張っていること自体みっともないとしか表現できない。このニュ-スはすでに世界に流れているのだろうが、物笑いの種になっていることは想像に難くない。

この発言に対して、宮城県内の3つの候補地では、首長はじめ住民はますます憤っているというが当然である。『長期』と名前を変えても、他には絶対に引き受ける場所はないことは明らかとなると、『最終』であることは自明だろう。

福島県内では、『最終』という言葉をはじめから使わず、『中間貯蔵施設』という名前をつけて、『30年後には県外に移す』という、『絶対』できるはずがないウソを平気でついて、強引に大熊町と双葉町に場所を決めて工事を始めているらしい。

原発ゴミを捨て場はこれも『絶対』必要なこと。小学生でもわかる当り前のことを、鎧の下に隠して、全ての原発を再稼働すると現政権は明言している。30年後なんて、俺たちは生きていないか、生きていても高齢のため責任など問われることはないと計算し尽くしているのだろうが、再稼働してしまえば俺の勝ち、汚染ゴミのことなど適当に捨てる場所を作ればよいだけの話、だから、放射能汚染で、ほぼ永久的に使えなくなった福島のこの地に処理場を作っているのだ・・・というところではないだろうか。

恐らく、再稼働した原発のゴミも全て、ここに持ってくる腹積もりだろう。俺たちの強引なやり方が、『よくぞ捨て場を作ってくれた・・・』と、近い将来評価してもらえると踏んでいるとしたら許せない。こんな輩の思いつきで、先祖代々その地で生活してきた人々にとっては、これ以上の迷惑な話はない。

国は処分場を絶対に放射能が外に漏れないように、コンクリ-トで厳重に封鎖すると説明しているようだだ、宮城県に限らず、栃木県でも住民の大反対は当り前だろう。

絶対に安全だと言い続けて、国民をすっかりその気にさせていた原発が、地震と津波という(長い目でみたら)日本ではある意味日常茶飯事の災害で簡単に崩れたことは誰もが経験したこと。

地震の想定基準を高くしたとしても、自然の猛威は人間では太刀打ちできないことは明らか。『絶対安全』という数値などあるはずがない。このことを、先日、福井地裁の裁判長の『原発再稼働はならぬ』という根拠ではなかっただろうか。

それでも政府は再稼働を『粛々と進める』という。上から目線だと自ら使わないと明言したはずなのに、平然と口から出しているのも信じられないが、そのことは別の機会に述べることにする。

貯蔵施設について話を戻すが、最終貯蔵施設は、県内で出た『除染ゴミ』などを保管する施設だという。当然、近づいたら瞬時に死に至るような高い放射線は発していない。実際に、現在は野ざらしにして分散保管しているのだから、この程度の放射能汚染ゴミの保管のために、原発と同格の建築基準を導入するはずがあるはずがない。

コンクリ-トで厳重に固めて漏れないようにするというが、長い年月が経つとコンクリ-トは劣化することは、わずか50年の首都高の例でもよく分かること。徐々に放射線が漏れ出すこともあり得ないことではない。また、劣化に合わせて大地震でも起きれば、たちまちのうちに崩壊することも予測可能。

放射線量の半減期はその物質によって異なるが、押し並べて、50年後程度では、現在とあまり変わらないと考えておくほうが賢明だろう。だとすると・・・想像するだけで背筋が寒くなる。

今までもつぶやいたことだが、まず原発再稼働はしないで廃炉にすると宣言し、これ以上の原発ゴミを増やさないという前提で、ではこれまでのゴミをどうするかという議論を始めない限り、この問題は進展しないだろう。

 最後に、原発ゴミの安全性を『絶対』に保障するのであれば、そのゴミ保管場は、原発によって、一番快適で便利な生活を謳歌してきた東京に作るべきではないだろうか。その技術は現在の日本には十分過ぎるほど所持しているはずだから・・・。(田舎親父)

2015年4月17日 (金)

台湾の輸入規制に学ぶところは大・・・

原発事故から満4年。政府は『収束した』とか『コントロ-ルされている』と繰り返しているが、日本国内はともかくとしても、外国から見たら、よくぞあれほどの事故を起こしながら、デタラメ発表を繰り返すものだ・・・と冷笑ものでないだろうか。

マスコミの誘導で、国民のほとんどは、確実な復興を信じているようだが、私の耳には悲観的な情報が多く入ってくる。

一つだけ例を挙げると、あれほどの事故を起こしながら、わずか4年で避難地区が解除を勧めているそうだが、帰還するのは高齢者がほとんどで、若者や子どもを育てる親の世代は、県内外に新しい生活基盤をつくることが主流になっているというニュ-スに、私としては当然だろうな・・・と納得させられる。

強制的に故郷を追い出された人たちは、政府と東電の無責任さに激しい怒りを覚えていても、何もできないことに忸怩とした思いを持っているのではないだろうか。そして国民は、真実はほとんど知らされず、マスコミの報じる情報から、それらの政策を無関心に追認するだけ。

こんなことでは原発事故がいつの間にか忘れられる・・・。こんなことが許されて良いわけはないと、日々イライラがつのるのだが、たった一人の非力な年寄りには、せめて独り言をつぶやくしか能がないのが悔しいところ・・・。

時に、廃炉にするための工事のことが報じられる。先日は、原子炉の内部を調べるために、ヘビ型ロボットの先端にカメラを取り付けて撮影するという話題を取り上げていたが、翌日には、あまりにも高い放射線にこのロボットもあえなくダウンしたという記事に、改めて放射能の恐ろしさに身震いさせられる。

燃料が融け落ちて格納容器を突き破って地中に達しているほどの事故である。人間が近づけないのは当然だろうが、人体に影響を及ぼすほどの放射線が、広い範囲に拡散し、さまざまな場所に蓄積されていることは小学生でも想像できるはず・・・。

汚染水(ことさら線量を少なく報じているが)が地下水を汚染していることは、少し考えれば当り前の話。そして、原発建屋の中からでた汚染水が海に垂れ流されていることも事実であることから、生態系に影響していることも想像に難くない。

しかし、それすら『厳重にコントロ-ルされている』と平気で発表。都合の悪いことに対しては『風評被害』という何となく生産者に対して同情したくなる言葉と、厳重に放射線チェックしているとマスコミに報じさせることで、いつの間にか福島県産の農作物や、太平洋沿岸の海産物は安全になっているようだが、放射能への不安は消え去らない。

放射能というのは(言い尽くされた言葉であるが)目に見えない・臭いもないから厄介である。現代では全ての物体(ここでは食料品に限定しても)は(線量の差はあるが)放射能が存在していることは常識であるが、だからといって、人体に対する影響はよほどの線量の食品を食べない限りすぐに現れるものではない。10年、20年、いやもっと後で出てくるのは70年前に落とされた広島・長崎のあの原爆被害でも明らか。

本来なら、事故周辺から出荷される食品の品質管理をもっと厳重にしなければならないはずだろうが、いつの間にか(なし崩し的に)安全が宣言されているのが現実である。事故直後から、ヨ-ロッパ各国はもとより、多くの国々が日本からの食料品の輸入に神経を尖らせていることは、当初にはマスコミが伝えていたが、最近はほとんど耳にしなくなった。

ところが先日、『台湾衛生福利部(衛生省)が、福島原発事故で汚染された食品の日本からの輸入を防ぐための新規則を5月中旬にも導入することを決めた』という記事が報じられたことで、そういえば台湾が一番厳しく規制していたということを思い出す。

今頃になって規制を強めたというのは、一見納得できないが、先月になって、(カネ儲け命の輩が、産地を偽って輸出していたのだろうが)、産地偽装が明らかになっては規制強化は当然だろう。

台湾政府は、事故直後から、福島、茨城、群馬、栃木、千葉の5県からの食品の輸入を禁止していることに加えて、都道府県ごとの産地証明の添付や乳幼児向けなど一部食品の放射性物質の検査を義務付けるという。

 日本側は『科学的でない』として導入に反対しているそうだが、違法に輸入されていたとあっては、『科学的でない』という言葉そのものが『科学的でない』ように聞こえてしまう・・・。

台湾政府の国民の健康を守るという姿勢は間違っていない。むしろ尊敬に値する。我が国は台湾政府の今回の規制強化に文句を言う前に、より厳しい安全性を示せる措置を作り出す努力をすることが大切ではないだろうか。

それが、国民を守ることになり、『風評被害』などという言葉も必要なくなる唯一の方法だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年4月16日 (木)

控訴は仕方ないかも・・・

 テレビやラジオからプロ野球中継が極端に少なくなっている。先日の日曜日、体調を崩して布団に横になっていたが、こんな時ぐらいプロ野球中継でも聞くのも気分がほぐれるとラジオを持ち込んで、チュ-ナ-を合わすが、どこもやっていないことに愕然とする。

 数年前は、テレビの放映はなくてもラジオではどこかでやっていたはず。特に巨人の試合は必ずといって良いほど放送していたものだが、どこもやっていないことにはビックリ。唯一、BSの3chが巨人対ヤクロル戦、6chがソフトバンクと日ハム戦を放映していたが、我が家に限らず寝室にBSが受像できるテレビを備えつけている家庭は少ないのではないだろうか。

 アナログ時代は、ラジオでもテレビの音声を聞くことができたのだが、BSとなると『そんなサ-ビスあったのですか・・・』という声か聞こえるほど今は昔。大したことではないが考えさせられる。

結局は、諦めてひたすら寝るだけ・・・。土日曜日のプロ野球は昼間に行われるのが当り前になると、今まで想像もしなかったが、ラジオ中継が内となると、入院している比較的元気な患者さんにとって楽しみを奪うことになりそうだ。

最近はサッカ-に押されて野球人気は下火だそうだが、三角ベ-スで遊んだ経験が忘れられない私の年代にとっては、やはり野球の面白みが忘れられられない。私も、年に数回は野球場に通うことが生活の一部になっている。

近年は、球場の入場料も高くなっているのでおいそれとは行けないが、時に商店街や新聞のおまけで入場券を入手できるといそいそと球場通いしている。こんな券はだいたい内野C席という一番安いゾ-ンである。内野席には違いないが、ずっと外野よりのしかもかなり高い場所というのが定番になっている。

そして、もしファ-ルが飛んでくると直撃されるのではと思うような席も多い。動体視力が良ければ、球筋がはっきり見えるのだが、この歳になると自信はない。ファ-ル飛ぶと、だいたいは笛で教えてくれるのでとっさの防御姿勢をとれるのだが、時に近くにライナ-性の打球が飛び込んでくることも稀ではない。

しかも、最近は臨場感を高めるためにだろうが、以前はぐるりと囲んでいたネットが取り外されているばかりか、外野のグランドにまでネットすらない特別席をつくるのが大流行で、どの球場も類似したつくりになっている。もしも直撃したら・・・という恐怖感もなくもない。

球場は何よりも収益につながる観客の希望が最優先、あの危ない席が高くても飛ぶように売れるというから営業的にはウハウハものらしい。私もネットがなくなっていることは見やすくて良いと思う一人であるが・・・。

ところで、ファ-ルボ-ルが原因で失明したことに対して、先日、球団側に4200万円の支払いを命じる判決という記事で、こんな裁判が行われていたことを初めて知る。

2010年8月に北海道の札幌ド-ムの一塁側内野席で観戦中の女性が、ファ-ルボ-ルが顔面を直撃失明するという事故に起因し、球場の安全管理責任を問う裁判である。札幌地裁は女性の訴えを全面的に認め、球団側に約4200万円の支払いを命じたのだが、これには各方面から賛否入り乱れた意見が寄せられているのだそうだ。

 恐らくこの女性の席は、私がよく利用する内野Cソ-ンの上部の招待券席だったのではなかったのではと推測している。そこにライナ-性のファ-ルが飛び込んできた。めったにないことであるが、絶対にないとはいえないことが現実に起きてしまった・・・。

 私の場合は、そのことも覚悟して、このような席でもそれなりに楽しんで観覧するのだが、この女性は子どもにせがまれてというところだったらしい。野球よりも我が子のことが気になって隣に座っていた次男の様子を見て顔を上げた瞬間、打球を顔面に受けたのだそうだ。わずか2秒前後の出来事だというから、笛の注意も届かなかったのかもしれない。それ以前に野球観戦そのものに慣れていなかった?・・・。何と慰めたら良いのか言葉を失う。

 この判決に対して、日ハム球団は、札幌地裁第一審判決を不服とし、札幌高等裁判所に控訴する意向だという。もし手続きは終わったのかもしれないが・・・。
 球団は『今回の判決は遺憾であり、プロ野球観戦の本質的な要素である臨場感が失われてしまうと懸念いたします。1球団のみならず野球界全体に及ぼす影響も十分に考えられることであり、判決内容を精査の上、控訴を視野に検討してまいります』とコメントしているが、難しい判断を迫られていることは想像に難くない。

 先日、最高裁で子どもの遊びと親の責任について、これまでと全く違う判決がでたことを話題にした。こちらの判決は妥当だと思うが、今回はいかがだろう。

 球団が控訴した場合、高裁がどう判断するか注目される。そして高裁も一審を支持となると、最高裁に持ち込まれ、最高裁が、今回は一、二審通り4800万円の賠償が妥当だ判断したら、球場は以前のようなネットを張りめぐらせざるを得なくなるのでは・・・。すると、臨場感がないと、それでなくてもプロ野球人気が陰っている昨今、入場者の減少につながりかねない。

逆に、球団の管理責任なしという判決になれば、球団に対する怨嗟の声が大きくなることが予想され、あまり熱心でない女性野球ファンの足は遠ざかることもあり得るだろう。修学旅行での観戦なども二の足を踏むことに・・・。

高裁もこのあたりはお見通しで、最後まで争って黒白をはっきりさせては、互いに不利益が生じることは間違いないと判断?して、球団が支払える妥当な金額で和解を勧めるような気がする。

 そして、付帯事項として、ネットを張りめぐらせることではなく、入場料に一部に保険金を入れるというあたりが、素人の私が想像している妥当な線?では・・・。(田舎親父)

2015年4月15日 (水)

ますます『点数を上げろ』の大合唱が・・・

 昨日の福井地裁の高浜原発際稼働指し止め判決は、久々に『おお・・・』と心から感動した。下級審とはいえ、こんな判断ができる裁判官が存在していることに、まだ捨てたものではない嬉しくなる。このことはマスコミの騒ぎが一段落してから話題にすることにして、今日はまたまた大阪のことを・・・。

 10日ほど前、ハシモト大阪市長のことを『人心をつかむ天才では』と持ち上げた。このことは維新の党の所属議員に対して、即刻辞任を要請したことに起因する。

女性衆院議員が、風邪を理由に本会議を欠席したにもかかわらず、秘書と旅行した事実を痛烈に批判し、この議員に議員辞職を求めたが、この女性議員と共同会見から変な展開に動き出した。翌日にはハシモト氏は『大阪維新の会』を除名、続いて『維新の党』も除名を宣言する事態になり、私の思っていたハシモト流筋書きとは違う方向に進み出しているようだ。

自民党などでは本会議をさぼって地元に戻ることなど日常茶飯事らしい。地元に戻ると称して他の場所に個人的な旅行も、マスコミが騒がないだけで数多いとも聞いている。中には、ナカガワ某という女性議員は、こともあろうに同僚議員と東京の路上で抱き合ってキスをしていたそうだが、除名はおろか役職を罷免するということもない。それだけ自民党はおおらかなのかもしれていが・・・。しかし地元民、特に十勝の『ナカガワ』というブランドに投票した有権者の心中は穏やかではないだろうか。

除名された『維新の党』の女性議員は、ナカガワ某と違って、よほど面の皮が厚いらしく、除名というもっとも重い処罰にもかかわらず、ハシモト氏に向かって『エモ-ショナルな批判・・・』などと全く気にすることなくむしろ逆批判しているというから恐れ入る。

私は、この女性議員の本性を全く知らなかったので、ハシモト氏の手法は大阪人の気持ち捉えるためだと評価していたのだが、さまざまな情報かち判断すると、ハシモト氏のこの議員の除名は、折角こぎ着けた住民投票への影響を少なくするためらしいとなると、全く話が違ってくる。

現在の情勢では、むしろ住民投票にマイナスに影響するという見方が強くなって、ハシモト氏はマスコミにやつあたりしているそうだから、この御仁のやり方は裏目が出ているようだ。それを裏付けるように、先日の府議選・市議選の結果を見ると第一党を維持したらしいが、一時の勢いはなさそうだ。まあ、こんな動きは、私にとってはどうでも良い話だが・・・。

ところで、同じ大阪の話題であるが、『大阪府教委は全国一斉の学力テストの点数を,高校進学のための、中3の内申の基準づくりに活用する』というから、大阪都構想などには全く興味がない私だが、一言つぶやかねば・・・。

文科省は、全国学力テストの個別の結果は発表してはならないという原則を持っているらしいが、近年、公表することを求める自治体が増えていることは今更述べるまでもないだろう。

私は、全国でこの公表が一般的におこなわれるようになったら、子どもの学力は『学力テストの点数』で表せるということが規定概念となること憂え、そして、いつか、この学力テストの結果を進学の内申に使うこともあり得ると危惧していた。今回、その悪い予想が当たったことで大きな衝撃を受けている。

文科省は、全国学力テストは学習の成果を把握して指導の改善に役立てることを目的にしているので、今回の大阪府教委の姿勢に対して、『趣旨に逸脱する』と懸念しているとマスコミは伝えている。

担当官は『聞いたことがない。このような使い方は想定していない。府に話を聞いてみたい』と話しているらしいが、どこまで本音だか疑わしい。むしろ、そうなることを予測していたのではないかと私的には思っている。

というのは、全国の小学校6年生と中各2年生全員を対象に、全ての学校が同じ日に同じ方法で行うのだから、これ以上客観的なテストはないだろう。大阪府は、この学力テストとは別に、府が独自に実施する府内統一の『チャレンジテスト』と組み合わせ、中学校ごとに内申点の平均値の目安を設定するというのだから、点数で成績を表宗としている側にとって鬼に金棒である。

そして、『15の春の涙は見たくない』なんて浪花節的な言葉で、入学テストなど有名無実にして、希望する高校に全員合格・・・なんて時代を描いているのではないだろうか。 実に美味い方法である。全国一斉の『学力テスト』と大阪府独自の『チャレンジテスト』の組み合わせて、誰も反論できない客観的な結果から、府下の、中学3年生全ての生徒の成績を完全に縦に並べることは可能になる。

これを府立と市立の高校に振り分ければ、入学試験など必要なくなるのは自明のこと。そして、何よりも自治体が求める、東大はじめ有名大学進学数という勲章をつくりやすくできる制度にできるのも論を待たない。

 このことを、大阪府教委は初めてだと胸を張っているらしいが、客観的なモノサシだと全国に広がる可能性は多い。文科省も学力テストを強行した本音はこのあたりにあるのではと推測すると、これと恐ろしい。

 小学校6年生の学力テストの結果で、進学先の中学がほぼ決まり、中学3年生の時点では、学力テストの点数で順番をつけられた高校にしか進学できないことになりそうだ。

 現在でも全国の保護者からは『点数を上げろ・・・』の大合唱が聞こえてくる。その対応に必死に努力しても、なかなか効果上がらない小中学校のことも・・・。となると、今以上に塾産業に依存する社会がやってくるのは当然の理だろう。

『点数はカネなり・・・』こんな社会が、教育の真の目標である『子どもたちの心身ともに健全な育成』に良いはずはない。

文科省がこんな社会の実現に加担しているとは信じたくないが、現在の文科省のトップが塾経営から成り上がった人物だとなると、その可能性は大きいような気がしてならない。(田舎親父)

2015年4月14日 (火)

消防や警察には受難の時代になったようだ・・・

 先週末から体調を崩し、金土日月と4日間寝っぱなし。こんなことは現役時代から初めてのことである。食欲がないことはまあ仕方ないことだが、ビ-ルを飲む気にならないとなると、これは前代未聞の重症。今日は、まだ完調ではないが、気分転換を兼ねてつぶやきを再開・・・。

 寝込んでいる間に行われた地方選挙は、予想通り自民党の圧勝、横浜の片田舎の私の選挙区でも、定数4の市会議員選挙で自民党は2人立候補、下手すると二人ともという悪夢がよぎったが、何とか一人だけ、胸をなで下ろす。
 しかし、これでは現政権のいう『地方の創生』なんて政策は、おごり高ぶった輩が、地方からの、責めて雀のお涙でもという声に、ほんの少しの施しを与えるという程度では胸糞が悪くなる。
 そのことは別につぶやくとして、 『昨年8月に横浜市の認知症の男性(当時83歳)が行方不明になり、東京都中野区で倒れているのを発見されたが、駆け付けた消防や警察は救急搬送や保護をせず、2日後に死亡していたことが分かった』という書き出しの記事に目が留まる。
 消防は『男性が搬送を辞退した』として現場を離れ、警察は『受け答えがしっかりしていて認知症の人とは思わなかった』と判断したのだそうだが、これが不適切だったという声が上がり、認知症に詳しい専門家は『再発防止のため協議を』と呼び掛けているそうだ。
 この男性は、去年の8月19日の夕方、横浜市鶴見区のデイサービス施設から行方から不明になり、家族は同日夜、神奈川県警に届け出たとという。
 デイサ-ビス施設という仕組みをほとんど知らないのだが、近所の複数の高齢者(私も十分年寄りであるが)は、この種の施設を利用しているらしく、施設の車で送り迎えしている姿をたびたび見かけるところから、車で送り迎えが原則のようになっているではないかと想像している。
 施設に通っている高齢者の中には、徘徊の危険性は当然あるだろうから、施設から一人で勝手に出られないような工夫をしているはずだと思いたい。恐らく、その監視の目をかいくぐって、この男性は抜け出したのだろうが、ここにも職員不足という根本的な原因が潜んでいるようだ。

 それは別問題としても、この男性が発見されたのは21日の午前10時過ぎ、満一日以上経過しているのに加え、横浜からは相当距離がある東京のJR中野駅近くの路上というのも驚く。倒れていた男性を発見した人が、消防か警察に連絡したのだろう。
 東京消防庁中野消防署の救急隊が先着、警視庁中野署の駅前交番の警察官も駆け付けたのは手順通り。救急隊員は問診や体温測定をしながら、『どこか具合が悪いところはありませんか』とか『これから病院に行きますが、かかりつけの病院はどこですか』など、聞いたに違いない。
 記事によると、この男性は喉の渇きを訴え、37.6度の発熱があったが、搬送を拒んだという。どんなやりとりがあったのかは、これも想像するだけだが、救急隊員は病院に搬送するのが妥当だと判断したようだが男性は強く拒否したことから、『搬送の必要性を認めたが傷病者(男性)が辞退』との項目にチェックを入れた不搬送の同意書に、男性に署名させて現場を離れたとのことである。
 『認知症を疑わなかった救急隊員は不親切』という批判があるそうだが、強引に病院に搬送すれば別の問題も起きる可能性があるとなると、手続き的には致し方ない。それでなくても忙しい救急隊員にここまで求めるのは難しいのではないだろうか。
 一方、警察官に対して男性は氏名を答え、住所は話さず、生年月日は『昭和26年2月26日』と答えたという。後でわかったことらしいが、この男性の実際の生年月日は『昭和6年2月4日』だというから、20歳も若い年齢だと答えている。
 警察官が20という部分を聞き違えたのか、本人が意識的にサバを読んだのか、今となっては調べようがないが、認知症を患っていても若く見える高齢者もいるだろうから、『警察官なのに年齢も推測できなかったのか・・・』という批判は少し酷過ぎる。
 警察官は男性に水を飲ませ、『休憩できる安全な場所』ということで近くの公園に連れて行き、ベンチに座らせ、現場を離れたということは、確かに、もう少し丁寧な対応は必要だったと思うが・・・。
 しかし、この警察官は救急隊員とのやりとりを近くで見聞きして板に違いない。救急隊員も病院に搬送する必要性を持ちながらも、搬送しないという判断から、警察官としては『大丈夫らしい・・・』と思ったのではないだろうか。

 この男性はその夜、同じ公園で倒れているところを発見され、午前中のやり取りを知らない同交番の警察官が駆け付けたという。警察官が救急車を呼ぶかと尋ねると『大丈夫』と答えたそうだ。この警察官も『大丈夫らしい・・・』と判断して、そのまま現場を離れたとのことである。
 そして、翌々日、同じ公園のトイレで倒れて死亡しているところを発見されたのだそうだ。身元不明者としての扱いが半年。家族が今年2月、警視庁のホームページで持ち物や特徴が一致する遺体情報を見つけ、ようやく身元が判明したという。
 男性は最初の発見時に正確な氏名を答えていたが、警視庁と神奈川県警との連絡の悪さも関係していたこともあって?、住所不明ということで、それ以上の身元照会をしなかったらしい。
 このことについては警察の処置の悪さは責められるだろう。加えて、確かに、21日の段階で、警察官が救急隊に出動を要請していたら・・・と思わないでもない。
 しかし、毎日のように信じられないような事件が多発しているとあっては、警察官は、例え交番勤務だとはいえ、一人の徘徊老人に掛かりきりになっている時間的な余裕もないのも事実だろう。徘徊老人が引き起こすさまざまな事件は後を絶たず、それを防止する具体的な手段もないのが実情である。
 徘徊して踏み切りで死亡した事件を以前にも取り上げ、鉄道会社が遺族に遅延での賠償責任を求める訴えに対して、いかがなものかと述べた記憶がある。それほど、認知症の徘徊が社会問題化しているのだろう。

 この際、認知症だと診断され、徘徊の可能性のある人には、身体に個人を特定できるチップを埋め込むことを義務づけるのも(人権という面からの反対も多いだろうが)真剣に考える必要があるように思えるが・・・。
 もっとも、チップを埋め込めば、認知症徘徊老人問題が根本的に解決するとはとても思わないが・・・。(田舎親父)

2015年4月11日 (土)

教科書の記述内容が全て横並び・・・

 珍しいことだが、朝刊各紙の一面トップが『教科書』絡みで共通したのは7日のこと。しかも、各紙とも社説でこのことを取り上げていた。

読売新聞は、政府見解が教科書に反映されるのは当然と述べているのに比べ、朝日・毎日・東京は、表現は異なるが、(全ての教科書の)記述が横並びとなることに疑問を呈している。

このことは、日頃の社説の記述傾向からある意味予想通りだが、講読シエアとして読売新聞が半分近く占めているというから恐ろしい。現政権のやり方に『是』が前提では、批判的な考え方が生まれに難くしていることにつながるのは当然。これで良いのだろうかと考えさせられる。

今回の教科書の話題は、来春から中学校で使われる教科書の検定結果が出たということが発端で、中高の社会科の教科書の記述内容についてである。

 文科省は、すでに学習指導要領の解説や検定基準を改定しており、『社会科の領土に関する内容をより詳細にすることや、近現代史で政府の統一的見解があれば、これに基づいた記述』をするよう教科書会社に通達した。それに従わなければ検定で不合格になり会社そのものの存続が危なくなるのだから、教科書の記述は横並びになるのは当り前の話。

 特に日本の領土に関する記述は大幅に増え、しかも同じような記述となると、部分的とはいえ、『国定教科書』という性格を持つと表現しても差し支えない。

 国定教科書による一律内容の教育への反省から、戦後に国定制は廃止されたことは誰もが認めるところ。終戦間もない頃には、経済的に疲弊したこともあって、一律の考え方を押しつけるような記述の部分はスミで消していた教科書を、昭和のヒトケタ生まれの人は経験している。

戦後しばらくの間、教科書は学校単位で採択していた時代があったことは知識として知っているが、間もなく学習指導要領とそれに伴う教科書検定制度が確立されると、学校ごとに違う教科書では困るという声に押されて、近隣の学校での共通に採択するようになる。

さらに時が過ぎると、同じ自治体だから同じ教科書でという風潮が当り前になり、どんどん採択範囲を広げている傾向は現在も続いている。こちらも気になるところ・・・。

教科書は自由競争が原則だと言われている。しかし、教科書の無償制度の影響から、国に収める単価が極端に低く押さえられていることは案外知られていない。となると、採択数の少ない教科書会社は資本的に存続が難しく、淘汰されてきた歴史がある。

その結果、算数や国語、あるいは理科という主要教科を手がける教科書会社は、現在は安定しているが、社会科だけは、新規参入の会社が作る教科書が、文科省の肝入り(決して表沙汰にはならないが)という背景から、全国で使われるようになっているのも不気味である。

文科省に批判的な私であるにもかかわらず、かなり長い期間、文科省の教科書検定審議委員という立場で、検定にかかわってきた。何故私のような人間を任命したのかと、今思うと不思議ではあるが、おかげで教科書検定制度については人並み以上の知識は持っているつもりである。このことを少し述べてみる。

私がかかわった教科は『理科』である。審議委員をやらないかと声をかけていただいた時、理科の教育について、小学校の理科の教科書が市販テストの都合ではないと信じたいが、動植物の名前を覚えることに偏重していることに強い疑念を持っていたこともあって、このあたりを打破するために受けた経緯がある。

教科の授業は教科書を使うこと義務づけられていると同時に、客観的な評価(私に言わせればナンセンスだと今でも思っているが)が大切だという考え方で、市販テストが当り前に学校で使われて、そのテストの点数が、理科的能力と見なす風潮が広がっていた。

算数の計算問題や国語の漢字なら、市販テストでも評価できるが、理科の能力をはかるのはかなり難しい。このこと当時の教員でもわかっていたが、特に小学校の場合は理科を得意とする教員が極端に少ないこともあって、ついつい教科書に記載されている知識を覚えることが授業の中心になり、それを市販テストで確かめることが一般的だった。

その関係もあって、当時の教科書にはやたらに動植物の名前がある。ということは,市販テストを作る立場からみたら問題をつくりやすいことになる。 

私は、教科書検定には疑問を持ちながら、しっかりと教科書に対して意見を述べなければという(ある意味)使命感を持って会議ではかなり強行に,教科書に記載する動植物の名前は少なくし、それぞれの地域で選択できるべきだと主張したものである。

文科省教科書検定官の方々からは、『貴方のような方は初めてだ・・・』と驚かれたものであるが、結構面白いと思っていただけたらしく、他の現場人よりは長く、しかも退職後も審議委員をお受けすることになる。もっとも、中学・高校の教科書となると知識が追いつかず、恥ずかしい思いをしたことも数多い。今でも複数の剣定官や委員の方とは年賀状程度であるが、お付きあいさせていただいている。

話を元に戻すが、教員は、市販テストの点数で評価されることに疑いを持たない保護者の意識も影響しているのだろうが、教科書に記載されている事項は、全て教えなければならないという脅迫概念を持っている。しかも、これらの事項は全て『是』という前提で教えなければ、テストの点数が良くなるはずがない。

社会科の教科書は生徒に与える影響は理科や算数・数学などと比べ物にならないほど大きいことは今更述べるまでもない。これまでの社会科の教科書は、領土や歴史観について記述が微妙に違っても検定に合格さえすれば発行でき、採択されれば生徒の目に触れる機会を得ていたのだが、新しい社会科の教科書は、まるで政府の広報誌のごとし・・・。これからの時代を担う中高生に、一つだけの価値観を注入したらどうなるか。答えは一つしかない。

それは、政府のやることを全て『是』とし、『批判』という言葉を忘れること。『八紘一宇』の世界観が当り前になってはたまらない。

ダラダラと長い文章になったので、今日はここまでにしておくが、教科書と市販テストとの関係や、その先に行き着くところの全国一斉の学力テストとのつながりなどは、後日改めて・・・。(田舎親父)

2015年4月10日 (金)

妥当な判決だろうが・・・

 (3月31日に取り上げた)当時6年生児童が放課後の校庭開放時間にサッカ-ゴ-ルめがけて蹴ったボ-ル原因で交通事故が起きた事故に対して、最高裁がどんな判断をするのか注目していたが、昨日、『日常的な行為のなかで起きた、予想できない事故については賠償責任はない』という初めての判断。

 この判決は、すぐにネットのニュ-スで知り『妥当な判決』だとホッとする。一審も二審も、親が監督責任を怠ったということで、1000万円という高額の賠償金支払いを命じたことに対して、児童の親が上告していた裁判である。

 親側としては、胸をなで下ろしていることだろうと想像しているが、代理の弁護士を通じて、『遺族のことを思うと複雑な心境である』という意味の言葉を述べている。この配慮も当然だろう。

 勝訴だとマスコミに担ぎ出されてインタビュ-など受けたとしたら、それこそどんな言葉が飛び出すかわからず、遺族側の心証を悪くする恐れもあるだろう。それ以前に、現在のように、すぐにネットで誹謗中傷の書き込みが当り前の世界では、親の態度云々が問題にされかねない。

 そのことはさておき、先日も述べたように、もしも最高裁が今回の裁判で親の責任を認めたとしたら、親としては24時間中監視して、危ない遊び(サッカ-や野球も含まれそうだが)をさせないようにしなければならない。

 今子育ての話題が賑やかであるが、その主な部分は保育期間の話題であって、小中学校の遊びに対しての意見は少ない。しかし、多くの親はできるだけ身体を動かして、大勢の子ども達が遊べる雰囲気を願っているのではないだろうか。全国でおこなわれている、放課後の校庭開放などは、こんな親の希望で始まったと捉えている。

そこでの事故で、ボ-ルを蹴った児童の親に賠償責任を認めたとなると、校庭すら閉鎖しなければならなくなりそうだ。こんな社会が、子育てに優しいとはいえるはずがない。

 ただ気になるのが、サッカ-ゴ-ルの位置である。先日も指摘したことであるが、今朝の新聞記事には、事故現場の写真と見取り図が添付されている。そこには、校門の真正面にゴ-ルが設置されている位置関係がはっきり示されている。

普通この配置はない。都内の小中学校は、周りの生活環境から致し方なくそうしているのだろうが、校庭の周りに高いネットを張りめぐらせて、ボ-ルなどが校庭外に飛び出さないようにしているが、門の正面にサッカ-ゴ-ルをおいている学校は、私が知る限り見たことはない。

 子どもの心理として(大人でも同じだろうが)ボ-ルをどこをめがけて蹴るかというと間違いなくゴ-ルだろう。その真後ろに門があれば、ネットには弱点があり、ボ-ルが飛び出さないという保障がないからである。

 このことについて最高裁は言及していない。校庭開放中の管理責任にも言及していないのも少しひっかかる。たった1.2mのフェンスで仕切られているだけでは、ボ-ルが飛び出すことは今後もあり得る。今回はバイクだったので転倒という結果になったが、もしも、バイクではなく乗用車であったとしたら、ボ-ルを追いかけて子どもが飛び出したらと想像するとゾッとする。そんな事故は全国的にかなりの頻度で起きているのではないだろうか。

 今治市の教育委員会は今回の最高裁の判決にホッとしたに違いないが、ボ-ルが飛び出さない工夫をとるように進言したい。そして、ゴ-ルの位置に関しては、全国の学校が確認し、同じような配置になっている場合は直ちに改めることも合わせて進言したい。

 ところで今回の判決で、札幌ド-ムでプロ野球観戦中にボ-ルが顔面にあたり失明した訴訟について、ド-ムの管理責任を問い高額の賠償金を支払うようにという一審に対して控訴している裁判の行方が注目される。

 このことは、長くなりそうなので後日、日を改めて・・・。(田舎親父)

2015年4月 9日 (木)

改めて食料自給率を考える・・・

 先日、農水省が日本の『食料自給力』を公表したという記述をネットで見つけた。『食料自給率』ではなく『自給力』という表現に、どう違うのかという素朴な疑問を感じ、農水省のホ-ムペ-ジを開いてみた。

そこには、『食料自給力』という言葉の定義として、『我が国農林水産業が有する食料の潜在生産能力』だと記されている。そして、食料自給力は、農産物は農地・農業用水等の農業資源、農業技術、農業就業者から、水産物は潜在的生産量、漁業就業者から構成されるとあるが、相変わらずお役所言葉は分かりにくい。

私なりに、全てを駆使した希望的な最大限の食料を供給できるの能力を『自給力』と言っていると受け止めているが、農水省は食料危機の到来を本気に考え始めたのではと漠然とした危機感を覚える。

日常的に使っている『食料自給率』とは、国内の食料消費量が、国産でどの程度賄えているかを示す指標であることは知っている。普通は日本人にとって生活していくに必要な熱量に換算する『カロリ-ベ-ス』という言葉で表していることも・・・。

 現在の『食料自給率(カロリーベース)』は先進国では最低レベルで、2013年で39%となっているが、この数値は私の現役時代に使っていた教科書に記載されている数値とほとんど同じであるところから、ずっと改善されていないようだ。

当時から、61%は輸入に頼っていることに、今後も地球人口は増え続けて、食料危機の到来は間違いないと話題になり、マスコミは自給率を高める工夫が必要だと取り上げるのだが、しばらくするといつの間にか消えている。それでいて、食料の大半以上を輸入に頼りながら大量の食べ残しを出している、いわゆる『食品ロス』が増え続けている我が国の現状はまともでないことは確かなところ・・・。

 以前、国はこの自給率の目標を45%から50%へと引き上げたが、現政権は、これは無理だと判断したらしく、元の45%に戻すと閣議決定したというから、この改善にはギブアップというところ。蛇足ながら、このことにも流行言葉のように使われている『閣議決定』という言葉がまたまたついているのも気になるが・・・。

 自給率をわずか6%上昇させるだけだが実現は容易ではない。唯一、個別作物としての自給率計算で、その気になれば100%以上の達成度が期待できるコメは作っても売れないのだから困った話である。

輸入品には、国内の食料生産を保護するために関税がかけられているのだが、その関税を撤廃することを基本にした『環太平洋連携協定(TPP)』が、秘密裏で行われていることも不気味な動き。妥結すれば、間違いなく関税が下がり、海外の安い農産物の輸入はさらに増え、自給率の低下は避けられないのは素人でも予測できること。

なるほど、(私が覚えた危機感は)農水省(国)はTPP妥結は間近とみて、食料の潜在的な生産能力を示す指標として『食料自給力』という新語を作り出したに違いないということに結論になってしまう。

農水省は今回、花などを栽培している農地や再生利用可能な荒廃農地、二毛作も含め、農地の潜在生産能力をフル活用して得られる食料のカロリーを示し、その結果として、現実の食生活に近いコメ、麦などを中心にする場合、確保できるのは必要なカロリーの7割程度だと試算している。

一方、朝昼夜の三食とも主食を焼き芋二本にし、漬物や野菜いため、焼き魚を副食に添える芋類中心型の食事なら、栄養は偏るものの必要量を3割程度上回るとしているとのことだが、(試算とはいえ)焼き芋が主食とは戦争前後の食料難時代を彷彿させる。

『三食焼き芋二本』という試算には、食べ物が大量に捨てられる食品ロスや肥満、途上国の食料危機や飢え、食の安全や気候変動など、食をめぐる問題を国民に考えさせるねらいもあるのだろうが、あまりにも非現実的過ぎると同時に時代錯誤もはなはだしい。

TPPが妥結した場合、国民のほとんどは、円安にもかかわらず国内産よりはるかに安い輸入食品に走り、芋を主食にするなど『絶対』にあり得ない話。ますます農地が放置されることになりそうだ。

TPPの妥結が日本の農業を衰退させることは十分予測できることだが、それでも、国の方針は、国民には、国内的には芋の時代の再来という訳のわからない脅しをかけながらも、食料難で困っている開発途上の国や地域から『札束顔面パンチ作戦』で食料を集めるということには変わりがなさそうだ。

何ともしまらないバカバカしい話だが、今回の『食料自給力』という言葉はともかく、それを反面教師として、食料品の半分を捨てているという現実を真剣に考えるきっかけにしたいものである。(田舎親父)

2015年4月 8日 (水)

この言葉は日本帝国陸海軍の精神的支柱?・・・

 少し古い話になるが、自民党のミハラという女性議員が参院の予算委員会で、太平洋戦争時に戦争遂行のスローガンに使われた言葉『八紘一宇』を肯定する発言をしたことが話題になったのは先月の中頃。以前のマスコミなら大問題と飛びつくところなのに、奇妙なことに、発言当初からあまり問題にされていないのもひっかかる。

こんな重大なことをそのままスル-にしてしまえば、それでなくても、首相が自衛隊のことを『我が軍・・・』と、国会で発言する時代、先の戦争も『八紘一宇』の考え方で『是』となってしまうことになりそうだ。

とはいうものの『八紘一宇』という言葉、以前から知っていたわけではない。私がこの言葉に出会ったのは、記憶は曖昧ながら、学生時代に読んだ、『人間の条件』という小説だったような気がする。(近々、読み返して確かめてみようと思うが・・・)

ミハラ議員が語った言葉を新聞から抜き書きすると、「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」とある。

凄い発想である。本当に『神武天皇』が存在し、日本建国の際にこの言葉を発したと信じているらしいから、この年代の国会議員という立場の女性が、こんな歴史観を持っていることに恐ろしさを感じる。

思想の自由は憲法で保障されている基本的人権なので、そのことはともかく、神武天皇が即位したとされる時を基準にした『皇紀』では、今年は2675年。神武天皇についての記述がある『日本書紀』の編纂は西暦720年だとされているので、日本書紀ができる600年以上も前に、神武天皇は即位していることになる。

常識的にも、『日本書記』は、時の絶対権力者である天皇の正当性を後付けするものであると考えるのが当り前。皇室(天皇)崇拝者というか、天皇を神様の化身だと信仰している人々は、記録はないが口述されてきた真実だと言うが、それを証明するものはない。

私は日本国民として、天皇制を否定しないが、天皇が万世一系の同じ血筋で面々と続き、現天皇が神武天皇の直系の子孫だというのは無理があると思っている。信じたい人は信じても良いが、このような歴史観を押しつけるのは反対である。

日本の国土を作った神の子孫が『神武天皇』という神話の世界を現実化して、天皇制度を国体の基礎理念にしたのは、明治以降の右翼と言われる学者達。それを利用したのが日本帝国陸軍と海軍だったことを忘れたくない。

いわば、この言葉は日本帝国陸海軍の軍人たちにとっては精神的支柱であり、平たく表現すると『バイブル』だろう。軍に都合のよいように解釈した思想を、国民に押しつけた結果が、太平洋戦争という、二度と繰り返してはならない不幸な歴史であることは私が述べるまでもない。

戦後が戦前と、根本的に何が違うかと問われたら,『天皇の国ではなく、民の国』という民主主義の理念であるはず。このことから、『八紘一宇』の意味をいかに繕ってみても、民主主義に対して、これを否定する言葉であることは明らかである。

さすがに、超保守思想の持ち主の首相も財務相も『ごもっとも・・・』とは言わなかったらしいが、心の中では『よくぞ言ってくれた・・・』と、内心ニンマリしていたのではないだろうか。ひょっとして、次の内閣改造では、間違いなく大臣にというのはうがちすぎだろうか。

ミハラ議員は、国会図書館に出向き、いろいろな書物を読んで、この考え方が正しいと思いこんだという。最近の国会議員にしたらよく勉強したと評価しても良いのだろうが、国会議員という、国民の代表者である人物が『八紘一宇』という言葉に傾倒し、これを信じる思想が正しいと思いこんだとしたら・・・想像するだけで背筋が寒くなる。

 歴代内閣は『八紘一宇』を否定してきたはず。今回のミハラという女性議員の発言がいかに重大ことであるかをマスコミはもとより、全てのメディアは取り上げ、改めて『八紘一宇』という思想を否定する世論の醸成に全力を注いでほしいもの。

それが、失われつつあるジャ-リズムを、自らの手で蘇らせることにつながると思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年4月 7日 (火)

騙される人が続出?・・・ 

 食品が体にどう良いのか、国の事前審査なしに表示できる『機能性表示食品』制度がスタートして一週間。毎日の新聞折り込みに、このたぐいがないかチエックしているが、今のところ、極端に誇大広告だというほど露骨な文面はお目にかからい。

しかし、さまざまな企業や個人がビジネスチャンスとばかり、法に触れない範囲で効能を証明?できれば、おおっぴらに『身体(この部分)に良い』と表示できるのだから、いい加減な効果を表示していないかしっかりと注意していないと、やられた・・・ということになりかねない。

 新制度は現政権の成長戦略の一環だという。この成長戦略というのが曲者で、一言で表現すると、景気が良いという雰囲気をつくりたいために、カネ儲けのネタを増やすことだと言っても決して奇怪しくない。

健康食品市場は年間売り上げが2兆円とも言われている。『これを常用すれば、こんな効能がある』と強調して、簡単に分かりやすい言葉で表示をすれば、さらに購入する消費者が多くなり、結果的に景気が潤うという現政権の本質である『カネ儲け主義』の発想が根底に流れていると私は捉えている。

この考え方のお手本はやはりアメリカ。1990年代に同様の緩和を行ったアメリカではサプリメントや健康食品市場が拡大したというから日本でも・・・というパタ-ンである。悲しいことに、『アメリカがくしゃみをすれば日本はカゼをひく』ことが大げさではない現実では、この名称制度で購入額が増える可能性は大きいだろう。

 話は少しそれるが、ある大手商社は、タマネギの新品種『さらさらゴールド』の売り出しに躍起になっているらしい。この新種は、タマネギの成分『ケルセチン』を、一般品種より約20倍多く含んでいるとい表示。『ケルセチン』はがん・動脈硬化・糖尿病などの予防に役立つとしているとのことである。

 タマネギは確かに身体に良いことは、昔から広く知られていることなので、『ケルセチン』という物質の名前を知らなくても、何となく、これまで以上に身体に良いタマネギであるような印象を受けるのは間違いないところ。

 先日、友人から『ホワイトオニオン』命名された真っ白な大振りのタマネギが届いた。甘く濃厚な味で、スライスにすれば何もつけなくてもいくらでも食べられる。彼は、この地方の特産品にするために、この制度を利用して、大衆受けするキャッチコピ-を考え中とのこと。

『サラサラゴ-ルド』や『ホワイトタマネギ』は、昔から身体に良いタマネギを、自分の目で確かめそのまま食べられるのだから、広く流通してほしいと思っているが、これらのタマネギから取り出した『ケルセチン』を粉末にして錠剤にしたものだとうたい、これが『〇〇に抜群の効果がある』という表示したサプリなどが出回りそうだ。

このような商品の中には、普通のタマネギを原料にしているかもしれないし、あるいはタマネギすら使っていないこともあり得ると疑ってみる必要はありそうだ。現に、全くその成分が含まれていないサプリ商品が時に摘発されているのだから、これらの詐欺的手法は増えることは想像に難くない。

繰り返すが、国の審査がいらないのだから、根拠をごまかして効果をうたった商品が出回る可能性は高くなっても少なくなることはまず考えられない。現在でも『毎朝すっきり』という言葉に誘われて購入している人が数多いところに『〇〇が便秘に確実な効能』という一文があれば、飛びつく人も少なくないのでは・・・。

商品リスクを消費者が負う不安に対して、国は事業者に対して健康被害情報を集め、消費者庁に届け出るよう義務づけたというが、そのためには監視体制の強化が不可欠だろうが、そのあたりは不透明。

 経済が成長しても健康被害が増えることになっては本末転倒。今回の制度改定は、いわば諸刃の剣。食の安全を何よりも優先し、消費者を裏切るような制度にさせないためには、消費者である我々の心構えが問われそうだ・・・。(田舎親父)

2015年4月 6日 (月)

再び 大丈夫かなあ・・・

去年の今頃、原発事故で避難指示が出されていた地区の中で、福島県田村市の都路という地域が解除第一号になったというニュ-スを受けて、大丈夫なのかなあ・・・とつぶやいたことを思い出す。

その後、この地区がどうなったのかは報道がないので、すっかり記憶から消えていたのだが、先日の朝日新聞にその後のことを伝える記事を見つけた。

記事には、半数以上がすでに帰還したか今月末までの帰還を予定していることがわかったとある。昨年4月末と比べると、世帯数で2倍、人数で3倍にのぼるというから、改めて本当に大丈夫なのかなと心配になる。

 朝日新聞は、避難指示が解除された全113世帯342人の自宅を3月20~28日に戸別訪問し、帰還したか帰還準備のために一時帰宅した住民らを取材したのだそうだ。

調査の結果、63世帯189人が先月末までの帰還を決断していたとのこと。昨年4月末までに帰還したと答えたのは26世帯62人。帰還時期を覚えていない人など3世帯6人を除くと、1年間で世帯数は2.3倍、人数は3.0倍に増えたというから、その動きはかなり慌ただしい。

ここまで読み進んで、何故こんなに急いで帰還を決めているのだろうという新たな疑問が生じるのだが、(このあとに続く文章で)今年の3月で避難者が東電から受け取る慰謝料(1人当たり月10万円)が打ち切られ、それに加えて、3月末までに帰還すれば慰謝料に上乗せして賠償(1人当たり90万円)を受け取れる早期帰還者賠償もあることを知り、そんなウラがあれば帰還者が増えるだろうとある意味納得する。

被災者にとって、お金は喉から手が出るほどほしいのは当然。昨日話題にした、中国主導の『アジアインフラ投資銀行』ではないが、期日を限って、間に合わないと条件が不利りになると、雪崩をうって手を上げる国々が多くなったことと同様、少なくとも、『帰還する』という意思表示はしたくなるのも当り前だろう。

表現は不適切かもしれないが、完全に、国と東電に兵糧攻めをされたという図を連想する。国はとにかく形だけでも原発事故をコントロ-ルできていることを示したいために、住民を元の場所にできるだけ早く戻したいと考え、その条件整備急?を急いでいることは今更述べるまでもないだろう。

住居の周りの放射線値を下げるために大がかりな除染作業をしたことは認めよう。その結果、確かに数値は下がっているらしいが、周囲の山林などには除染作業は及んでいないというから、地区全体が安全かというと、恐らく間違いなく『否』ではないだろうか。

記事には、閉鎖されていた小学校が再開され、子どもの希望で帰還を決心した人のことがある。父親は子どもが強く望むので仕方ない決断だが不安は残るという。そして、この子が中学に上がる2年後に、もう一度考えるという親の心情を伝えている。

 先祖から受け継いだ田畑や山林をこのまま荒れさせてはならないと帰還を決断した人のことも紹介している。この人は、一昨年8月に真っ先に帰還したそうだが、その頃の暗さに比べて、この1年で近所もだいぶ電気がつき始めたと喜んでいるという。そして、この春からは稲作を再開するという希望を語っているが、改めて、大丈夫なのだろうかというつぶやきたくなるが・・・。

 山間部で一人暮らしをしていた高齢者は『ふるさとで山菜を採りたいけど、怖い思いをした家で暮らす自信がない。すぐ近くに住人がいる仮設のほうが安心できる』と帰還を断念したというが、この方の心情を察すると哀れを覚える。

 また、帰還を決心した人の中には、すでに避難先で自宅を建設した人もおり、都市部に建てた家は息子夫婦が受け継ぐという。

元の家に戻るより、通勤にも子育てにも便利だ空だそうだが、震災直前、自宅の敷地内に新築した息子夫婦の家は空き家となったままだというから、確実に人口減。まさに過疎を作る典型的パタ-ンである。

 元の家に戻り稲作を再開する老夫婦と祖父母達の希望に水を差すつもりはないが、国と東電から確実な安全の担保をとっているのだろうかと問うと、こちらも間違いなく『否』ではなかろうか。

都路地区の帰還が進んだことが、『原発事故は確実にコントロ-ルされている』という世論つくりに利用されてはたまらない。

帰還を拒否している人、躊躇している人に焦点を当てて、その心情などを細かく探り、原発事故の悲惨さを訴える記事が増え続けることを望みたい。(田舎親父)

2015年4月 4日 (土)

超がつく経済音痴の私でも・・・

 中国が主導する『アジアインフラ投資銀行(AIIB)』の話題をマスコミが盛んに取り上げ出したのは、一月ほど前だったような気がする。銀行とはおよそ無縁で、超がつく経済音痴の私には、何のことだかさっぱりわからず、活字を斜め読みするだけ・・・。

 ところが、締め切り間際の先月の末になると、イギリスはじめ、ヨ-ロッパの先進国と言われている国々が続々と参加を表明するという思いがけない展開になり、俄然、我が国はどうするという話題が沸騰。

当初は、中国独特の不気味な作戦かと思っていたのだが、外交に洗練された国々がこぞって参加表明となると、ちょっと違うのかなという思いもしはしめたものである。

 日本は莫大な資本を提供してアメリカと共同(アメリカさまの命令だろうが)で、『アジア開発銀行(ADB)』を設立運営している程度の知識は持っている。そして、歴代総裁を日本人が独占し、それを高級官僚の最高の天下り先だということも、マスコミは時に報じている。

このことが足かせになっているのか、あるいは、アメリカの意向もあるのだろうが、ヨ-ロッパの主要国が参加を表明しても慎重の姿勢は崩さず、結局は見送ってしまい今日に至っている。

 中国は新しく設立する『AIIB』について、『世界銀行やアジア開発銀行(ADB)への対抗組織ではなく、補完関係にある』と説明しているが、自らが最大出資国となり、銀行の本部を北京に置くというらしいとなると、(超経済音痴の私でも)全く信じられない。

単に補完関係ならば、中国は出資額を増やして、アジア開発銀行(ADB)での発言権を大きくすれば良いと思うのだが、同じような目的を持った新たな銀行を設立するとなると、明らかにアメリカを意識しているとしか思えない。

創設メンバー国は承認作業を経て今月の中頃には正式に決まるという。その後、メンバー国で出資比率や組織運営の方法が確立し、インフラ建設のための融資制度や入札制度、評価方法などを取り決め6月に調印するという動きになっているらしい。

韓国も含めて、アジアのほとんどの国が参加している。中国と領土問題で激しく対立しているベトナムやフィリピンが手を上げているというのも気になるところ。

素人的に考えても、中国が主導する組織に入れば、思いどおりにされるという警戒心が働くと思うのだが、これらの国々が参加すると表明したのは、アメリカや日本の主導の元では、インフラ整備が進まないという思惑があるのではないだろうか。

中国の発展は物凄いことは私でも肌で感じること。『華僑』という、元を正せば中国人である人々が、アジア各国の経済を支配してきた歴史を私の年代でも小学校の社会科で習い、そして今も教えている。この現実が変わらないことは誰もがよく知ること。

 締め切りが過ぎてしまい、主要国では日本とアメリカだけが参加しないことを決めたのだが、両国とも、頭から『No』とは言い切らず、将来的に参加することもあると発言している。しかし、この段階で参加を見合わせているのだから、新銀行の目的や組織体制から、議決権の分配方法、業務の進め方など最も重要な約束事となる設立協定には、参加する資格はない。

先日の財務相は、参加しない理由として『融資や審査の透明性が確保されていない』と発言していたが、全てこれから決めるというのに、これでは理由になっていないように思える。

経済超音痴の私のつぶやきなど全くの的はずれなのかもしれないが、日本はアジアの一員であり、アメリカの子分ではないと示すためにも、参加を表明すべきだったような気がするのだが・・・。(田舎親父)

2015年4月 3日 (金)

この男 ただモノではない・・・

 テレビの人気番組の弁護士として出演していたハシモトという男。たちまちのうちに、全国区のタレントになり、突如『大阪維新の会』という政党を立ち上げたことは今更私が述べることではない。

 そして、大阪府の知事に当選。これで落ち着くのかな思っていたが、これまた突如知事を辞任して、当時反対勢力の旗頭だった大阪市長に対抗して、市長選に立候補。投げ出した知事職の後釜には、大阪府議会の議長だった自分の子分を据える。

 大阪府民・市民は、これまでも『おもろいやん・・・』という独特の雰囲気を持っていることから、これまでも面白い人物を知事に当選させてきた。そしてハシモト氏も例外ではなく、自分達の感覚で『おもろい』となると、思想心情なんて二の次・三の次にして、投票用紙に『ハシモト』と書くももだから、全て思いどおりの筋書きが展開してきた。

 ところが、『大阪都構想』(私には奇妙奇天烈なモノだと思うのだが)という政策を打ち出し、それの実現にシャカリキになればなるほど、『大阪都』なんてどうでもよい府民・市民とのギャップというか、意識のずれが生じ始め、の勢いに陰りが見え出し始めているようだ。

普通なら,しょげてしまうところだろうが、この男はこれを肥やしにするという凄い能力を持っているらしく、とうとう反対している公明党(創価学)を屈伏させて、5月に、彼の主張する『大阪都』の是非を問う,住民投票にこぎ着けたというから凄いというしかない。

その後、維新が党首の私的な金銭問題で解党を余儀なくされた『みんなの党』と合併し共同代表に落ち着き、『大阪維新の党』という名称を、ただの『維新の党』にして、共同代表として衆院・参院選挙を戦ったことも、かれ一流の読みだったのだろう。

そして、現在は、大阪市長という肩書を持ちながら、『維新の党』の最高顧問という立場で、自前の党ににらみを利かせているのだから、ただ者ではない。

『維新の党』が伸び悩み、この男の一時的な絶対的な存在感は薄れているように思える昨今だが、先日、『維新の党』所属の女性衆院議員が、風邪を理由に本会議を欠席したにもかかわらず、2日後に旅行した事実を痛烈に批判し、この議員に議員辞職を求めたというから、ハシモトという男に恐怖感が生まれる。

『休んで治ったからすぐ旅行だなんて、そんななめた態度は国民が許さない』という言い方は、古い型とはいえ日本人の心理を実にうまく捉えている。しかも、『普通なら身を引くべきでしょうね。辞めた方がいいと思いますよ・・・』と辞職を促しているという。

この女性議員は医師の診断書を党執行部に提出して本会議を欠席したそうだ。その日は金曜日で、土日曜と2日休養して、旅行(どんな内容なのかは知らないが)に出かけたという。この程度のことは多くの議員がやっていることだろう。

特に、最近は女性議員は追い風を受けているはずだから、一般的にはほとんど問題にはならず、私の知る限りマスコミも騒いでいない。まして、『維新の党』の執行部としては、こんな問題で内部のゴタゴタしていることを見せたくないので、『殿、お心静に・・・』というところに違いない。

しかし、この男は庶民の心理を実にうまく捉えて、『政治とは世のため人のため、そのためには・・・』という大原則をマスコミを使って市民・府民に訴える。これは凄いというしかない。

女性議員は、『はい、申しわけありません。おっしゃる通り辞任します』となったら、それこそ、ハシモト教祖のカリスマ性が格段に強くなり、市民は『さすが・・・』と改めてこの男の凄さを認識するだろう。

女性議員が簡単に辞任するとは思えない。党所属の国会議員を失いたくないことから、執行部が擁護に動くのは当然だろう。ハシモト氏はそんなことはとっくにお見通し・・・。恐らく、さらに近々、マスコミを集めて、『こんな議員はいらない』と切って捨てる筋書きだろう。

彼は、政治家の原理原則を述べて自分の正義性を市民に擦り込むという、群衆心理?をうまく利用する作戦を通して大阪都を実現することに全力を傾けているはず。 

私にとって、大阪市が大阪都となっても全く関係ないこと。どちらに転ぼうかどうでも良いことながら、今回のハシモト市長の大見得で5月17日の住民投票の行方がわからなくなってきたような気がする・・・。(田舎親父)

2015年4月 2日 (木)

維持管理のためとはいえ・・・

富士山が世界遺産に登録されて、山梨県と静岡県の人々は大喜びし手いるに違いない。特に観光産業に携わっている関係者は、大勢の人に来てもらい、地元が潤うと言う青写真を掲げていることは想像に難くない。

しかし、景観を保全すると同時に、登山道の整備やトイレの増設など、登山客が快適に過ごせるようにするために大変な努力が必要だと言う話はよく耳にする。

昨年度から任意に『入山料』を集めているらしいが、集め方に問題があったり、強制ではないことから不公平感が生じて、マスコミはあまり騒がないが、トラブルが起きていることも噂として流れてくる。

富士山に限らずどの世界遺産でも、この景観の保全と安全確保、そして観光客のマナ-改善についての苦労は大変なものがあるようだ。

ところで、景観保存では一歩進んでいると思っていた京都で、世界遺産の建物などを保全するために、敷地内にマンションを建てて収益を出すと言う神社のことを新聞記事で知り、ここまでやらねばならなくなったのか・・・と驚いてしまう。

京都の世界遺産の一つに『下鴨神社』がある。ここは鴨川の上流に位置し、現在では住宅がかなり建ち並んでいるが、50年ほど前はのどかな田園風景が続いていたもの。

何故私がそんなことを知っているのかと言うと、先祖の墓が近くのお寺にあり、母親が亡くなってからは、ヒバ楽の間、帰京するたびに墓参りをしていた関係で、鴨川の周辺をかなり広い範囲で歩き回っていたからである。

この神社の広大な森は、当時20歳前後だった私でも、その霊気というか(何となく厳かな気分になるほど)深く静で落ち着いた雰囲気を持っていたことを今でも鮮明な記憶として残っている。そして、世界遺産に登録された時には、それなりに喜んだものだが、観光客が増えたら、この雰囲気が薄れるのではという心配もしたことも・・・。

その『下鴨神社』が、文化財修理などにかかる費用を確保するために、世界遺産の登録エリアの隣接地に分譲マンション8棟を建てるという計画を発表したというニュ-スに、いよいよ、由緒正しき神社も、金儲けの風潮からは逃げられなくなったのかと少しガッカリ・・・。

 今流行の高層マンションではなく和風の3階建てという。深い森に囲まれているので、神社からは映像的には隠されるらしいが、下鴨神社の昔の景観を知っているだけに、どんな形態のマンションにしても、周りの環境が大きく変わることは間違いなさそうだ。

私今更いうまでもないが、『下鴨神社』は、5月15日(だったと記憶しているが)、京都の三大祭に数えられる『葵祭』の起点(終点だったかな)として知られ、有名な神社仏閣が数多くある京都でも格式が高い人気の観光名所の一つである。

 今年は21年に1度、本殿など約50棟の社殿の大規模修復と神宝を新調する式年遷宮に当たるのだそうだ。伊勢神宮などが20年遷宮に対して、21年とは少し中途半端だという素朴な疑問もわくが・・・。

 全国の観光地になっているお寺のほとんどは拝観料を徴収しているが、神社は基本的には拝観料を集めていないのが特徴になっている。神様だからカネなど取れるかという誇りがあるのかも知れないが、普段の維持管理はさい銭や祈とう料で賄えるのだろう。しかし、式年遷宮などの特別経費は氏子などを中心にした寄付頼みなのだそうだ。

今回の遷宮には、屋根の檜皮のふき替えなどの費用がかさみ、約30億円が必要だという。国空の補助金として8億円が計上されているらしいが、これだけではとても追いつかず、何とか氏子の関係筋の企業などに寄付をお願いしたが、景気の落ち込みなどで目標の半分程度しか集まらなかったのだそうだ。

 そこで、神社の所有する土地を50年期限で開発業者に貸し、年間約8000万円の地代収入を見込むという今回のマンション建築計画が浮上し、得られた収入で、今回と次回の式年遷宮に充てるのだそうだ。

安定収入を確保したい神社の事情は理解できるが、今回の大胆な発想は、こと下鴨神社だけではなく、維持管理に苦労している他の世界遺産を管理している諸団体に与える影響は計り知れない。

 先日、法隆寺を参観してきた友人から、拝観料が1500円になったことを知らされて驚いたことを思い出す。法隆寺は中高校の修学旅行客の減少などで、建物の修繕費が不足しているからだというが、参観者を限定するならともかく、観光客を増やしたいにもかかわらず値上げというのは考えさせられる。1500円となると、かえって足が遠のくのではと思わないでもない・・・。

 登録遺産を持つ地域は連携して、財政支援を含めた法整備などの対応を国に求める動きも見せているようだが、経済成長が第一で、そのために世界各地にカネをばらまくのが趣味のような現政権は、世界遺産の価値に対する関心度は、防衛費から比べて低く薄いようだ。

 世界遺産は人類共有の財産であり、未来に伝えていくことが国と国民の責務だという前提に立つならば、永続保全のための議論を深め、根本的に維持管理できるように、それなりの法整備が必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年4月 1日 (水)

『4月バカ』であってほしいが・・・

『医療費広く負担増 75歳以上特例廃止 紹介状なし5千~1万円』という見出しを見つけたのは1月の中頃のことだった。当時は、またアホベ政権の年寄りいじめが始まったのかといやな気分にさせられたものである。

このことを話題にしようと思いながら、気になる事件や事故、あるいは話題が多く今日まで放置していた。今、思い出しているのだが、あれから2ケ月半、改めて時の過ぎる速さに驚いている。まさに、1月と行く、2月は逃げる、そして3月は去る・・・という格言通り。昔の人の感性に脱帽・・・というところか。

この記事によると、大企業の会社員が入る健康保険組合(健保組合)の負担が増え、75歳以上の高齢者の保険料軽減特例が廃止されるとのことや、さらに、紹介状なしで大病院を受診した際の負担金も新設されるなど、医療費抑制のために広く各世代の負担が増えるのだそうだ。

 また、政府は自分達の責任は後回しにして、赤字が続く市町村の国民健康保険(国保)の運営と地域医療の提供責任を都道府県に担わせることで高齢化に備える体制づくりを目指すというから、何とも年寄りには厳しい話である。

私には健康保険のシステムを正しく理解する能力はないので、記事は斜め読みになってしまうのだが、保険料軽減特例が廃止されるとなると、医療費は値上げになることは間違いないことぐらいはわかるつもり。さらに、大病院に行くには紹介状が必要となると、特に地方の年寄りには『そろそろこの世から・・・』と聞こえるのではないだろうか。

横浜の片田舎ならば大病院に行かなくても、個人病院があるので病気によっていろいろと選択の余地がある。実際、私は白内障の手術も胃や大腸の内視鏡は、数年前に駅前に開業した個人医療機関に出かけているが、人口が急激に減少している地方の集落では、経営そのものが成り立たないとなると、開業する医者などは皆無。むしろ逃げ出す医院が多いとなると、このことの深刻度は高い。

結局は、足の便のない年寄りは、バスでかなりの遠距離までかけて、地域の中核病院まで出かけなければならないのだが、そこで診察を受けるのに紹介状が必要なの?・・・。一体誰に紹介状を書いてもらうのだろう。紹介状がないと負担金が加算されるとは、何ともやり切れない訳がわからない話である。

2ケ月前に、そんなことを思ったのだが、その制度が実際に今日から実施になるという。年金支給額の伸びを物価や賃金の上昇よりも低く抑える『マクロ経済スライド』という制度が始まるのだそうだ。

私なりに理解できることは、物価の上昇でほんの少し年金支給額が増えることもあるが、増えたとしても物価の値上げには追いつかず、実質的に年金の価値は目減りするということだろう。これは間違いなく、年寄りをいじめる政策に違いない。
 これに追い打ちをかけるのが、相次ぐ食品の値上げである。大手乳業各社は、酪農家からの生乳の価格を少し上げるということで、牛乳、バター、チーズ、ヨーグルトといった乳製品の出荷価格を引き上げるのだそうだ。酪農家の保護のためという理屈はきれいだが、企業としての利潤は決して手放さない。

その他、日常的に使う食用油類も大幅な値上げ。小麦の輸入価格が上げることで、小売価格に跳ね返りパンやウドンなども軒並み大幅な値上げは間違いなさそうだ。外食店も当然それなりに値上げするだろうから、すぐにでも家計を圧迫するに違いない。

全てを輸入に頼っているコ-ヒ-や紅茶も値上げ、朝ドラで人気が回復しているらしいウイスキ-も例外ではない。今日からス-パ-やコンビニにならず全ての食料品に貼られているラベルの数値がぐんの上がっていると想像すると、買い物に出かけたくない気持ちにさせられる。

先日、私あてに届いた介護保険料が一月7000円弱、横浜市が全国一高いそうだがそれにしても高過ぎる。しかし、私には、それに対抗する手段はない。特養への入居基準が厳しくなるとなると、将来的にも入れる見込みはない。なのに、負担だけは右肩上がりとは人をバカにした話である。

さらに、(私はあまり関心はないが)自動車税も増税になるという。今日以降に購入した新車が対象らしいが、自家用乗用車の場合、現在の年7200円から1.5倍の年1万800円に引き上げられるというから、車が必需品になっている人が圧倒的となると、これも大打撃になりそうだ。

恐らく全ての物価が連動(便乗)して値上するに違いない。これに加えて、入ってくる年金は減額となり、出て行く医療費は跳ね上がる・・・。年寄りにはさらに厳しくなることだけは疑いのない事実。

 今日は4月1日、以前はたわいのないウソをついて、仲間が驚くと『エ-プリルフ-ル』だよと大笑いしたものだが、できれば、この話も『エ-プリルフ-ル(四月バカ)』と笑い話にできたら楽しいだろうに・・・。(田舎親父)

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