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2015年5月

2015年5月30日 (土)

世論作りの田舎芝居では・・・

 これまでも、たった50年しか経っていない、数々の名勝負の舞台となった国立競技場を壊し建て替える必要があるのか疑問を述べてきた。しかも、新しい競技場は、神宮の森にダメ-ジを与えるというから、どんな経緯でこんな無茶な計画が持ち上がったのか、そして、それを当り前のこととして受け入れてきた体質が不思議でならなかった。

一部の専門家や良識のある著名人が疑義を呈しているが、当初はを大きく報じていたマスコミは、時と共に扱いが小さくなり、最近は、そのことすら忘れてしまったように、そのことに関する批判の記事はない。

変わって、工事が遅れているとか人件費や資材の高騰で、建築費が膨らんでいるという内容はかなり頻繁に報じている。それらの記事によれば、一部設計変更はあるらしいが、計画そのものは進んでいるらしく、すでに国立競技場があった場所はほとんど更地になっているという。

当初の、工事が遅れているという報道に比べると、実に速やかに更地になったものだと変に感心しているが、新しい競技場について考えようという世論が起きないうちに、とりあえず取り込ましてしまえと解体を急いだのではないかと勘ぐれないこともない。

これから新国立競技場建設の工事が始まるのだろうが、国はその工事費を、度々変更し、現在では一応は1600億円超と発表しているようだが、この数字自体、人件費や資材の価格の動きなど考慮していないで、設計当時の費用で計算しているというから、実際に工事が始まったらどこまで膨れ上がるかわかったものではない。

そんな中で、先日文科相が都知事に対して、500億円ほどとが負担してほしいと切り出したという記事に、いよいよ恐ろしい政治劇が始まった感がする。

500億円という莫大な金額を、まるで世間話をするような感覚で、いとも簡単に出せといった文科相も、一応驚いたふりをしている都知事も、そのカネの出所は国民から搾り取った税金であることをどこまで認識しているのか疑わしい。

●文科相『前知事500億程度負担すると約束してくれていたので、よろしくお願いしますよ』 ●都知事『前知事がそんな約束していたとは知りませんでしたが、都民を納得させるためには、数値の科学性が必要ですので、そのあたりどうなのですか』なんていう会話でもあったのではないだろうか。この後、都知事は国に対して強い言葉で批判していたことは述べるまでもないだろう。

そして、翌日だったか、文科省は東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の整備費として、都が負担すべき額として約580億円との試算をしていたことを明らかにして、このうち約500億円を、実際に負担を求める額として都に正式に提示したと発表したというニュ-スが流れた。

文科省は、競技場本体や客席部分を覆う天井はオリンピック開催のための設備だから国が負担するが、施設設備費や周辺道路の整備費は都に負担してもらう。それに加えて、経済効果も考慮し、都の負担額を試算したと説明しているのだそうだ。

 その際、国は建設費を押さえるために、これまで競技場全体を覆うと計画していた天井は観客席だけにして、全体の天井部分は後付けにし、3万人分の客席も仮設にすることを明らかにしたそうだ。3万人分を仮設にするということはともかく、巨大な空間に後になって屋根をつける?・・・。それだけでも数百億はかかるだろうに、キチガイ沙汰としか思えない。

 そんなことから、前知事が突然オリンピック招致に動き出したことに対して、何かウラガあるに違いないとつぶやいたことを思い出す。この御仁がある日を境に、それこそ死に物狂いで招致に動き出したことは誰もが記憶に残るところ。

 当時、国がもっと動くべきだとマスコミを通して訴えていたことも記憶にある。(全くの私の想像だが)この御仁は、国を動かすために『オリンピックのための予算は青天井だ・・・』とでも言ったことも否定できる根拠はない。

そこから、国と都の二人三脚の招致運動が始まり、『10キロ圏で全てをまとめるコンパクトなオリンピック』とか、あるいは『原発事故は完全にコントロ-ルされている』などという、すぐにバレる計画やウソが当り前のなりふり構わない招致が続き、裏でかなりのカネをばらまいたのだろうが、やっと招致にこぎ着けたことも誰もが否定しないところ。

このような動きから冷やかにうがちみると、500億円をサラリと要求した文科相と、それを批判している都知事双方は、その経緯を十分認識していながら、舞台俳優になりきったように芝居をして世論を誘導しているという構図が想像できるのだが・・・。

さて、いかなることになるのやら・・・。(田舎親父)

2015年5月29日 (金)

空き家対策が動き出したが・・・

 最近、マスコミが『空き家』について、さまざまな角度から取り上げることが多くなっている。私も先日、持ち主が不要な空き家を取り壊して更地にしたら、税金が6倍に跳ね上がるという現在の制度がある以上、例え取り壊す資金があったとしても、転売や新たな住宅建築といった、明確な目的がある人以外にはないだろうとつぶやいたもの・・・。

人口が増え続けている横浜の片田舎ですら、(私の散歩コ-スに限ってでも)明らかに空き家と思われる住宅を目にすることは稀ではない。いやむしろ、増えていると言った方が良いほどである。

中には、周りが雑草に覆われて、さび付いたトタン屋根が目立つ平屋建ての家や、ボロボロでいまにも傾くのではないかと思われる木造の2階建てのアパ-トもある。そんなアパ-トであっても、一部屋だけ人が住んでいる気配があるのを見ると、なんとも複雑な心境になるが・・・。

人の手が入らないと(空き家にしておくと)建物は見る見るうちに荒廃することは誰でもがわかっていること。それを承知で空き家にするのだから、それぞれにやむを得ない事情があることも十分理解できる。

放置しておくと倒壊したり、ゴミの捨て場になって衛生上問題があったりすることはもちろん、そこが悪ガキのたまり場になっているという話はよく耳にするが、そんな空き家があっては近所の住民にとっては迷惑この上ない。

そのような空き家をなんとか撤去してほしいと、役所に強く要望しているだろうことは想像に難くないが、行政も、住民の要望だからとはいえ個人の所有物とあっては、勝手に手が出せないのが現状だろう。

総務省の13年度の調査では、全国の空き家総数は820万戸という。そのうち賃貸や売却の対象外の『居住者のいない』住宅は318万戸で10年前の1.5倍に増えているのだそうだ。

東京に限っては80万戸。変に人口比と合致するのも気になるところだが、首都圏を合わせれば100万戸をはるかに越えるのは確実だろう。これだけの空き家をうまく利用すれば、横浜の片田舎では日常的な風景になっている、自然破壊を前提にした宅地開発などしなくてすむのでは・・・と思うことしきりである。

そんなことを思っていると、つい最近のことだが、危険な空き家の所有者に市町村が撤去勧告、命令などを出すことができる『空き家対策特別措置法』が、全面施行されたという報道に、これで少しは前へ進むかもしれないという期待が生まれる。

解説によると、倒壊など著しく保安上危険となる恐れのある状態になっている空き家などを自治体が『特定空家』と認定し、立ち入り調査をすることができるという。その上で改修や撤去の勧告や命令などを行うことができるのだそうだ。

 従わない場合は、強制的に取り壊すことができるというから、所有者にとってはビクビクものになることは間違いない。それ以上に、固定資産税の優遇処置をなくすというから、自治体からの指示に従わなければ、固定資産税が一挙に6倍に跳ね上がることになるというからかなりの効果がありそうだ。

 ただ、このような空き家を放置している人たちにも言い分があるはず。まず、過疎地に所有する空き家は売りたくても買い手がつかず、売却できない場合も多く、取り壊す資金の余裕がないとなると、放置するしか仕方ないことに理解を示す必要はありそうだ。

認知症が騒がれている昨今では、自分が空き家の所有者だということすら忘れている人もいるのではないだろうか。その人たちに対しての具体策があるのだろうかという素朴な疑問もわいてくる。

自治体としても、空き家の所有者を全て掌握しているとは思えない。特に個々の事情となると、ほとんどはつかんでいないのではと思うが・・・。

大変な作業になるかとは思うが、空き家の所有者を確認して、このような法律ができたことを知らせて、危機感を持たすことから始めてほしい。そして、所有を放棄するか、委託するという約束をとるような努力を続け、空き家という負の遺産を地域活性化の切り札にできる可能性が作り出してほしいものである。

この法律の施行によって、うまく運用して、過疎地では都会から移住が進み、人声が広がることを期待したい。また、都会にあっては、自然破壊やスラム化を防ぐ特効薬になってほしいと願っている。

もっとも、自治体にそれだけのやる気と余裕があるのかがが決め手だろうが・・・。(田舎親父)

2015年5月28日 (木)

サッポロの経営陣に一言苦言を・・・

 私がサッポロ黒ラベルの熱烈なファンであることは何度もつぶやいている。黒ラベルの味の虜になってから、少なくとも30年は過ぎでいるが、どうしてこのビ-ルで人気がでないのだろうと、大げさに言うと、連日悔し涙を流しているのだが・・・。

 その一つが、経営戦略だろう。やっと、黒ラベルのコマ-シャルでの、あの意味不明のエレベ-タ-の映像は止めたらしいが、相変わらず、人気タレントにわけのわからないセリフを言わせているのだから、よし飲んでみよう・・・とビ-ル好きの消費者の心をとらえるのは難しく、まして他のビ-ルから乗り換える人など稀ではないだろうか。

さらに、以前のもつぶやきの繰り返しになるが、発泡酒の人気の決め手は価格であることは間違いないことから、当然、大衆受けするテレビコマ-シャルが必須だろうことは、私のような素人にも理解できることなのに、(勝手な思い込みかもしれないが)あまりにも大衆受けしない映像ばかりなのだから、営業成績が上向くはずがない。

例えばの話、『発泡酒』を発売しているライバルのアサヒ・キリン・サントリ-は、このコマ-シャルには、人気タレントには違いないが決して二枚目とは言い難く、どことなく庶民受けする人物を起用しているが、サッポロは(門外漢の私でも)カッコよいと思うほどの二人の男性を使っている。残念ながら二人とも名前すら知らないが・・・。

貧乏人でありながら私は、毎日の発泡酒より3日我慢して黒ラベルという生意気な主義なので、このことは無関係だが、こんなカッコ良い男性の気障な仕種を見せられて、飛びつく人は少ないのではないだろうか。いやむしろ敬遠するのでは・・・。 

 サッポロビ-ル経営陣に対する苦言をもう一つ。去年のことになるが、第3のビール『極ZERO』が国税局から脱税の恐れがあると脅かされて、抵抗することなく、製造を停止したことに、何故・・・と疑問を呈したことは記憶に新しい。

さらに、当局の情報提供要請を受け、サッポロの経営陣は自ら『第3のビールに該当しないおそれが出てきた』として、販売終了後、税率の適用区分が変更された場合に必要な100億円超の酒税を追加納付したことにかなりの憤りを覚えたものである。

ところが、その後の自主検証で『第3のビール』であることが確認できたとして、収めた税金を返してほしいとの要求を国税局に出していたのだそうだが、国税局としては、今更なんだ・・・と、この要求を断ったというから、サッポロファンの私としては、こんなことでは、また人気が落ちると情けなくなる。

初めから、自信を持って『第3のビ-ルだ』として売り出したのだから、国税局の脅しに対して、唯々諾々と莫大な追徴金を含めた税金を支払うのではなく、その段階で争うべきでだったと言いたくなる。明らかに、経営陣の判断ミスではなかっただろうか。

先日、『東洋経済』がこのことについての記事を掲載していた。記事は、サッポロの経営陣を正面から批判したものではなく、サッポロ側が今後、『どう、税金をどう取り返すのか』という視点で書かれている。

詳しいことはほとんど理解できないが、まず取りうる手立ては、国税当局に自ら下した措置について、あらためて見直しを行なったのだから、その結果を『異議決定』として通知することなのだそうだ。

しかしこの場合、国税庁の統計では、納税者の言い分が認められるのは全体の1割程度だというから、とても100億円がそっくり返還される望みはゼロに等しいだろうことは私にでも推測できる。記事によると、それでも国税局と争う方法として、『国税不服審判所』への審査請求ができるという。

こんな裁判所が存在することは知らなかったが、ここでサッポロ側の主張が認められると、国側はそれ以上争えないというから、(形だけだろうと思うが)納税者の権利を守る仕組みは一応整っているようだと変に納得する。

しかし、この裁判所で扱ったこの種の請求では、納税者側の要求が認められることは極端に少ないという。今回、サッポロが自主的?に支払ったという事実をタテマエとするだろうから、国側の機関である『国税不服審判所』が要求を認めるとは思えない。

記事によると、一連の手続きで返還が認められず、なおも争うとなれば訴訟しかないのだそうだ。ただし、国税不服審判所とは違い、仮に一審でサッポロ側が勝訴しても国が控訴することは当然だろうから、最高裁判所までの先の見えない法廷闘争が続くのは間違いのないところ。となると、企業イメ-ジが落ちることは間違いないだろう。

当時の経営陣の判断ミスによって、莫大な損失を出し、(さらに恥の上塗りという表現が良いかどうかは別にしても)それを取り戻そうとムリにムリを重ねるとなると、私の中のサッポロイメ-ジもなんとも心もとなくなってきそうだ・・・。(田舎親父)

2015年5月27日 (水)

国民の命を守れない政府なんて・・・

 すっかりマスコミが取り上げなくなったが、『イスラム国(当時の名称を使う)』の人質になっていた、湯川さんと後藤さんが、(ネットによって全世界に流されたのだから『公開処刑』といっても奇怪しくない)殺害された事件は、つい数ヶ月前のこと。

 あろうことか、人質になっていることを知りながら、ノコノコと中東に出かけて、イスラム国と対立している国々に莫大なカネをばらまくと演説したのだから、イスラム国の狂信リ-ダ-が、『頭に来た。身代金などどうでも良い。直ちに殺せ・・・』と命じたことは(決して許せないことだが)想像に難くない。

 しかも、イスラムの過激派が、絶対に許せないとするイスラエル国旗の元で、得意顔で記者会見する様子が全世界に流されたのでは、過激派の行動も仕方ないところかも。専門家筋は、莫大な身代金を得られる可能性があった後藤さんまでも殺害した背景がここにあると指摘しているが、私もその通りだとこの見解を支持している。

 このことは、これまでになんどもつぶやいてきたが、日本国政府は、人質になっていることを知りながら、そのことをあえて無視、むしろ火に油を注ぐがごとく(相手側からみたら)挑発行為としかとれない行動を続けたことも明らかになっている。

 湯川さんに続いて後藤さんが殺害された直後、大マスコミもほんの少しだが、政府の対応の拙さを批判し、国民の間にも、政府不信の声が上がったが、政府は『第三者による検証委員会』を発足させるということで、マスコミを押さえ込み、国民の声は消えてしまったことも記憶に新しい。

 確か『第三者』で構成すると言っていたはずだが、『邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会』のメンバ-は全て政府関係者である。そしてお得意の『有識者』を5名選んで任命したが、これらの有識者は政府の御用学者であることは当然だろう。大マスコミは、完全に飼い馴らされているので批判の声はなし。それどころか、一部のメディアを除いて、このこと自体に触れなかったのではなかっただろうか。

 念の為に、委員会の議事録から『検証委員会の構成員』を記しておく。〇委員長 内閣官房副長官(事務) 〇委員長代理 ・閣危機管理監 ・国家安全保障局長・内閣情報官 〇委員・ 内閣官房副長官補(事態対処・危機管理担当)・国家安全保障局次長・警察庁・外務省及び防衛省の局長級。そのまま素直に読んだら総数10名となっており、全て肩書だけで個人名は一切ない。御用学者の名前は省略・・・。

 政府内でのことを政府内部の、しかも政策に関与している肩書の人間が検証するのだから、政治に全くの素人の私でも、はじめから結果は分かりきっている。その委員会が、つい最近出した『最終報告書』が公表された。

 一応読んでみたが酷過ぎる。(例によって極めて難解な文章であるが)言葉を選びながらも、現政権の対応は最初から最後まで『適切だった』と評価しているのには、驚きを通り越して呆れるとしかいう言葉はない。一体何を検証したのだろう。・・・。 

 昨年8月の湯川さんの行方不明発覚から、今年1月に湯川さん殺害動画が公開されて以降も、イスラム国と直接ル-トがないに等しい政府は、アメリカ寄りのヨルダンに頼りきり、『右往左往』しているような姿勢がはっきりしていたにもかかわらず、報告書では政府の対応は『適切に行われた』とのこと。
 情報収集や分析についても、『体制を十分に構築した』などと、政府の姿勢を、極端に表現すれば『礼賛』しているのには嫌悪感をもよおす。
 実際に報告書がネットで読めるから、読んでみればよく分かるが、政府の対応には一点の曇りがなく、首相の行動にも何の問題もなかったとは・・・。どんなふうに考えればこんな結論が出るのだろう。全てが政府のご都合でなんとでもなる最近の風潮が恐ろしくなる。

 まさに、政権のスポークスマンたちが集まり作文したのだろうが、具体的に検証したとはとても思えない上に、何一つ反省を感じさせる言葉もなく、責任の所在もはっきりさせていないのは許し難い。
 今回のアメリカ従属の安保法案で、世界の過激派から日本人の誘拐が増えるなどの危険が増すことは自明だろう。こんな報告書がまかり通っては、人質になった時点で救出されることの期待はゼロ。それどころか、全て『出かけたお前が悪い』ということになるのは明らか。

 これでは、救出に一縷の望みを持ちながら、それも叶わず絶望のどん底に突き落とされて残忍な方法で殺された二人は浮かばれない。(ホラ-小説ではないが)怨霊として政府を呪い倒してほしいと願いいものである。

 殺された本人はもとより、遺族の方の無念を思うと怒りと悲しみが込み上げてくる・・・。(田舎親父)

2015年5月26日 (火)

国の焦りだろうが・・・

福島原発事故から、はや4年と2ケ月以上過ぎる。国は、『事故状態は完全にコントロ-ルできている』『原発事故は収束している』と恥ずかしげもなく世界に発信しているが,汚染水の処理一つとっても、解決の道は見つからないというから、実際には、ほとんど手つかず状態で、ただオスオロしているのが実態ではないだろうか。

それでも、なんとしても福島の復興を世界に示したいものだから、原発事故で慌てて立ち入り禁止にした地域を『除染の結果放射線値が下がったと』と発表し、何度かに分けて、(強制的に避難させた地区を)『帰還可能』とか『帰還準備』という、あたかも安全が確保できたような名称に変更し、住民を帰還させることにおおわらわ・・・。

そして、現在その最終段階に入ろうとしているらしく、先日、自民党の『東日本大震災復興加速化本部』が、『最も放射線量の高い帰還困難区域(年間積算放射線量50ミリシーベルト超)を除く避難指示区域については、避難指示解除の時期にかかわらず、避難者への精神的賠償の支払いを2018年3月までとする』との『復興加速化のための第5次提言案』をまとめたとの記事に、お得意の『あめとムチ』作戦を実施するのかと強い嫌悪感を覚える。

 『原発事故に関する精神的賠償』として、東電は避難指示区域の住民1人当たり月10万円支払っているそうだ。実際は、国が事実上国有化しているというから、これも国民の税金が流用されているのだろうが・・・。

それはともかく、今回の提言は、事故の収束に手がつけられないことがわかり、半永久的に支払い続けなければならない補償金をなんとしても打ち切り、そのことによって事故収束の印象を与えたいという一石二鳥の発想なのだろう。除染やインフラなどの環境整備を進め、遅くとも17年3月に避難指示を解除すると明記されているというから、またまた強引な手法で勧めるようだ。

提言とはいうものの、この内閣では『全てができレ-ス』であることは明らかだろうから、このまま国の方針となることは疑いないところ。そしてその決論は、『(支払期間は)避難指示解除後1年をめど』とする国の原子力損害賠償紛争審査会の指針を踏まえ、1人が受け取る精神的賠償の総額は事故後7年分に当たる一律840万円になるとのことである。

また、記事には、対象住民は『避難指示解除準備区域』(年間積算放射線量20ミリシーベルト以下)、『居住制限区域』(同20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)の住民計約5万5000人に加え、避難指示が昨年4、10月に解除された福島県田村市都路地区と同県川内村東部地区も含まれるとある。

国は放射線値が下がったからだと主張しているが、70年前の原爆でも、原爆被害者が現在でも新た生まれていることから、放射能による異常は、『何年か過ぎたら絶対に現れない』という代物ではない。その異常は突然表面化したりすることも稀ではないことから、科学的に明らかになっていないことも事実である。

そんな中、『はい・わかりました』と帰還するのは、よほどお上に従順か個人的にどうしても帰還しなければならない事情を持った数ごく少数に違いない。不安を持っている人がほとんどだろう。いや全員だと思いたい・・・。

酷いことに、早期に避難指示が解除された『旧緊急時避難準備区域』は対象から外したというから、『国が安全だと言っているのに帰還しない奴らにはびた一文も払わない』ということらしい。まさに、江戸時代の悪代官のやり方と同じでは・・・。

また『帰還困難区域の精神的賠償はすでに1人一律1450万円が支払われることになっている』との文言は、故郷を1500万円足らずで取り上げることだろうが、これでは強制収容と変わりない。

 住民の多くは帰還を望んでいることは想像に難くない。しかし、帰還しても生活の糧が保障されていないのでは、帰りたくても帰れないのは小学生でもわかること。

農作物(漁業も同じ)を作っても、買い手が少ないのでは生業は成り立たない。これを国とマスコミは風評被害だと騒ぎ、国民に責任を転嫁しているが、これこそお門違い。それ以前に情報を隠していたことを謙虚に反省し、お詫びが先だろう・・・。

 現政権のやり方をみていると、経済成長が第一で儲けたカネをアメリカの軍事費に回すというのだから、原発事故の補償金の支払いなどはなんとしても切り捨てたいのだろう。

 強引に帰還させる為に姑息な策を用いるよりも、帰りたくても帰れない人の話に耳を傾けて、せめて、一方的に押しつけるのではなく、住民に寄り添った優しい政策を打ち出そうとする姿勢を示してほしいものである・・・。(田舎親父)

2015年5月25日 (月)

世界中がアングリ・・・

日本の歴史は小学校6年生の社会科で指導することになっているが、具体的な実証資料で指導することが難しいこともあって、どうしても記憶中心の学習内容になっていることは避けられないところ。その典型が、鎌倉幕府の開始を『いい国を作る』という語呂合わせで『1192年』と覚えさせていることだろう。教科書の記述も、活躍した人物は当然としても、年号がかなりの頻度ででている。

また、全国的に、戦国時代や幕末から明治維新の頃の事柄については、子どもたちも興味があり、教師も力を入れる傾向があることも特徴の一つ。その煽りをくってか、明治以後の歴史については時間が不足して、詳しく取り上げられないという事情があるようだ。

しかも、その頃は3学期。最近は市立中学の入学志望者も多くなり、都市部の小学校では何となく落ち着きをなくすことは避けられない。都市部に限らず、全国的に、卒業が近づき学級の雰囲気も変化し、どうしても教科の学習に力が入らないことも、経験的に間違いないと言えそうだ。

それでも、アメリカ軍の無差別な爆撃と原爆の投下のことは、真剣に教え教えられ、児童たちは、そのことが8月15日の終戦につながっていくことを学ぶのだが、敗戦に際して必ず取り上げるのは『ポツダム宣言』である。

その詳しい内容はともかく、アメリカとイギリスが中心になって、日本のこれまでの軍国主義を解体し、民主主義の国にするための宣言であり、日本はこの宣言を受けて無条件降伏したと教え、児童は終戦について学習する。

『ポツダム宣言』の内容は、現在は教科書検定が右寄りになっているので、どこまで詳しく表記してあるか定かではないが、私の知る限りでは、30年前の『教師用指導書』には、概要が記されていたことを記憶している。

極端な話、戦後の日本の歩みはこの『ポツダム宣言』によって始められたといっても過言ではなく、戦後の復興も元を正せば『ポツダム宣言』を無条件に受け入れたことからだろうと多くの国民は理解しているはず・・・。

ところが現政権は、現行の憲法は占領軍の押しつけだから、自主権法を制定しなければと憲法改定に突き進み、それをマスコミも『是』とする方向で報じるものだから、何となく、自主憲法制定が既成の事実のようになっていることに強い危機感を持っている。

憲法改定についてはこれからもつぶやくのでここではさておき、先日の国会の党首会談で、共産党のシイ委員長が『ポツダム宣言を認識しているのか』と聞いたのに対して、首相が『つまびらかには読んでいないので論評は差し控える』と答えたそうだ。

そうだ・・・と曖昧な表現をしているのは、民主党のオカダ代表との討論をはじめのうちは聞いていたが、討論とはほど遠く小学生レベルより落ちることにバカバカしくなりテレビを消したので、リアルタイムで聞いたことではなく、後で議事録をみて確認したからである。

 『つまびらか』という表現は、『詳しくは』という意味だろうが、なんともまあこの御仁はわけのわからない形容詞を使うのが好きなのだろうと呆れるしかない・・・。

要は『読んでいない』から、こんなもったいぶった形容詞をつけるのだろうが、『敗戦国日本』の首相が、『ポツダム』宣言を『読んでいない』ということを、平然と言い放ったことに、こんな認識で首相でございと、世界中でカネをばらまいているのだから背筋がゾッとする。

 そもそも『戦後レジームからの脱却』という、わざわざカタカナで、戦後の体制が悪いかのようなイメ-ジを抱かせて、『強い日本を取り戻す』という耳障りのよい言葉で国民の心を動かして登場したが、戦後レジ-ム(体制)が始まったのが『ポツダム宣言』であったはず。『脱却』を主張するなら、『つまびらか』に読んで、その内容を熟知していなければならないはず。

熟知した上で、『ポッダム宣言受諾は間違った選択だった』というならば筋は通る。しかしそんな発言したら、たちまち世界を敵にすることは明らか、だからレジ-ムなどという曖昧な表現で誤魔化しているのだろうが・・・。

終戦直前に当時のスズキという軍隊の大将上がりの首相が『ポツダム宣言など黙殺して断固戦争完遂に邁進』と発言したということを、ある小説で読んだ記憶がある。それがきっかけで、アメリカが広島・長崎の原爆投下を決断したという筋書きだった。実名で書いてあるのだから、恐らく事実だったのだろうが、それほど首相の言葉は重いとことを思い知る。

 『ポッダム宣言など知らない』という言葉からはっきりすることは、国民のためでも、深い政治信条があって動いているワケでもなく、中国や韓国に対して『戦争で迷惑をかけて申し訳ない』という一言にこだわっていることと同じで、その心の奥には『先の大戦は侵略戦争ではなかった』という思いがあることは間違いない。これが戦争ができる国に突き進んでいる原動力になっているようだ。

こんな思想の持ち主を、首相として祭り上げていては、やがて世界から袋だだきにある日も近いのではないだろうか。つくづく国民の一人として不幸だと感じるこの頃である。

かといって、退場させる雰囲気が生まれないのがなんともやり切れない・・・。(田舎親父)

2015年5月23日 (土)

また『何なの・・・』という事故に・・・

 昨日の歩道橋に続いて交通関係の話題。かなり以前に外国のことであるが、突然、目の前の道路が一瞬にして消えという信じられないような映像がネットで流れていた。

我が国においても、阪神大震災では高速道路が倒れたり、笹子トンネル事故のように管理不備によって天井板が落ちるなど、常識的には考えられないような現象も怒り得ることから、『絶対』に避けられない事故はゼロではないことは間違いない。

さらに、(先日もつぶやいたが)いわゆる『もらい事故』のように、過失が限りなくゼロであっても、相手の不注意で災難が降りかかることも稀ではないようだ。しかし、巷に溢れる交通事故のほとんどは、運転手が絶えず事故を起こさないように細心の注意を払っていたら防げるはずだと思っているのだが、それにしても『何なの・・・』と思う事故が後を絶たない現実に気持ちが暗くなる。

 つい最近、大阪府の豊中市で、小学生の登校する列に、乗用車が突っ込み、児童6人が負傷し、そのうち一人は意識不明だという事故報道があったが、まさに『何なの・・・』と表現できる典型ではないだろうか。

 現場の見取り図が掲載してあるが、道幅はあるのだがかなり変則的な交差点らしい。見取り図には『止まれ』と書かれた道路標識はないが、図とは別に掲載している写真には左右2本の道路に『止まれ』の文字がはっきり見える。

 普通なら、交差点において『止まれ』の標識がない場合、右側の道路が優先すると交通法規にあるのではないだろうか。ところが、この交差点では両方が『止まれ』。ということは、写真には写っていないが(こんな交差点に私は出会ったことはないが)全ての道路に『止まれ』という標識が描かれているのではないかと思える。

よほど危険な道路なので、一旦車を止めさせようという警察が持っていたら、住民が知らないわけはない。いずれにしても、運転手としたら間違いなく判断に困るだろう。それとも、大阪人は右側道路優先という交通法規を無視するので、警察がご丁寧につけた?・・・・とは思いたくないが。

繰り返しになるが、見取り図からも写真からも、この交差点は極めて変則的で信号をつけようがないのではとも思えるが・・・。今まで事故がなかった(これも?だが)ことからそのままにしておいたというところではないだろうか。

運転していたのは50歳の女だという。自分の娘を駅まで送った帰り道でのことらしいから、この交差点が変則的であることを承知で通ったようだ。前方には右折のために一時停止していた車がいたというが、何のちゅうちょもなく、その車を追い越して、歩道のない道路の右側を歩いていた登校中の児童を次々と跳ねたというから、これはいつものことのようにも思える。その際ブレ-キを踏んだあとがないのも気になるところ。

常識的には考えられない事故であるが、最近は、てんかんの発作で運転中に意識がなくなり歩道に乗り上げて人を跳ねる事故や、(危険ハ-ブの服用は論外だが)薬の副作用はもちろん普段健康な人でも、運転中に突然意識がなくなり事故を引き起こすことがかなりの頻度でマスコミを賑わしているのも気になるところ。

私の勝手な推察だが、この50歳の女は、このの交差点のすぐ鋭角入り込んでいる道路に行こうとしたのではないだろうか。前方に右折で一時停止している車は、同じ右折でもゆるやかな広い通りを行くだろうと判断して、(いつも通り)躊躇なく前方の車の右側を通り抜けようとしたに違いない。

その時、前方に児童の姿を発見し、慌ててブレ-キを踏もうとしたのを間違ってアクセルを踏んでしまい、児童たちを跳ねて自分が進入しようとした道路を通り越して、広い道の頑丈な車止めのポ-ルに衝突して止まったというところでは・・・。

100%、この女の過失であることは間違いないが、この交差点の変則性を近所の住民や学校関係者が気づいていなかったのだろうか・・・という素朴な疑問が浮かんでくる。

いつものことだが、事件や事故が起きたらすぐに学校が慌て出し、住民からは『子どもを守れ』の大合唱で、すぐに集団登校やボランティアによる登下校の見守りが始まるのだが、今回も例外でははなく、ニュ-ス映像で見る限り過剰なほどの反応ぶり・・・。

批判する気はないが、これがいつまでも続けば良いのだが、喉元過ぎれば・・・の例え通り、事故の記憶が薄れるにつれて,意識も薄れるのが常で、いつの間にか元に戻り、すっかり忘れた頃に違う事件・事故が起きる。このパタ-ンは震災と同じようだ。

重体の児童の意識の回復を心から願っているが、今回の事故を教訓として、学校はもう一度学区内の道路を、PTAを動員するだけではなく(できるだけ古くから住んでいる)住民と一緒に点検してほしいものである。

そして、(このことについては特に)警察と緊密に連携して、危険個所の洗い出しと、『持続できる』事故防止の方法を真剣に考えてほしいと願うばかり・・・。(田舎親父)

2015年5月22日 (金)

歩道橋の撤去に疑義はないが・・・

 先日、ぶらりと明治維新で開国した当時の『神奈川宿』が、かなり復元されていると聞いて旧東海道筋を歩いてみた。JRの東神奈川駅を降りて、京浜急行の仲木戸駅がその起点で、そこから横浜駅までの間に、西洋各国の公使館等に使用されたお寺などが点在している。

そのことは改めて紹介するが、歩いているうちに『青木橋』という、変則的な交差点に出た。そこには、巨大な歩道橋がかかっており、道路は相当な交通量。横断歩道も近くにないので、向こう側に渡るには、どうしても歩道橋を渡るしかない。

かなりの距離をキョロキョロしながら歩いてきたので少しお疲れ。エレベ-タ-があるのではと探すがない。仕方ないので、歩道橋を登り降りした、毎日鍛えているので昇り降りはさほど苦痛ではない私でも、この歩道橋の高さは答える。エレベ-タ-の要望があって然るべきだろう。

話は飛ぶが、東横線の渋谷駅が地下深くに移転してから、以前にもまして渋谷は年寄りには優しくない街になったものだとつぶやいたことがある。

その後、かなり改善があって、エスカレ-タ-などが新たに設置されるなどの改善されて、年寄りにはそれなりの気配りがされるようになっているらしいが、地上に出るためには最後は階段を上ることには変わりない。

さらに酷いのは(以前からであるが)渋谷駅のすぐ近くを走る国道246号線を渡る歩道橋である。向こう側には文化施設も多く、出無精の私でも、年に数回は出かけることがあるのだが、いつも思うことは、歩道橋がなければどんなに楽なのにということ。恐らく、ほとんどの人、いや訪れる人全員が私と同じ思いを持っていると信じている。

歩道橋は『人よりも経済第一』という、流通の主役である車を優先する発想から生まれたことは間違いない。当時は、現在のような超高齢社会ではなく、バタアフリ-という言葉を強く主張する風潮がなかったこともあり、その上交通事故から守るという意味で、歩道橋はむしろ歓迎されたと聞いている。

そのため、全国の主な都市を走る主要道路の交差点には、次々に歩道橋が設置されたものである。幸、横浜の片田舎ではあまり見かけないが、それでも、時に遠出をすると、先日の青木橋のように、このやっかい者に出会い、苦労することも稀ではない。

先日何気なく、ネットのニュ-スを見ていると、『京都市は、市が管理する歩道橋のうち、通学路になっている箇所などを除いて原則撤去する方針を固めた』という見出しを見つけ、さすが文化都市京都・・・と嬉しくなる。

記事によれば、市が管理する歩道橋は、国道、府道、市道に40基あり、その8割以上が1960年代から70年代に造られたものだという。市の調査では、数年以内に補修が必要な歩道橋が38基にのぼるなど老朽化が進んでいるのだそうだ。地元住民から『街並みの景観を阻害している』との苦情も寄せられ、これまでに5基撤去したという。

市民からの目立った苦情はなかったことから、車の通行のために歩行者に苦労をかける歩道橋は、『歩くまち』を目指す京都とは方向性が違うという政策に自信をもって、今後、駅や商業施設に接続する7基と通学路となっている15基を除く18基を原則解体する方針を決め、本年度は3基程度の解体を予定しているという。

『景観保全や歩行者優先のまちづくりを進めるため』という京都市の姿勢には敬意を表したい。しかし、市民の中には、『本当に大丈夫なのか・・・』と、横断歩道の安全対策を求める声も上がっているのももっともなこと、運転手のマナ-の向上は不可欠だろう。

ただ、青木橋ではなかったが、このことを確かめるために、ここ数日、歩道橋のある場所に出かけて現場近くを確かめると、歩道橋がある交差点では、自転車用の横断車線が設置してあることがほとんどであることを発見して、何だ・・・と思うことしきり。

ただ自転車なら、あっと言う間に横断できるが、踏切でも渡り切れず途中で遮断機が降りてしまったということをよく聞く最近では、道路とて同じこと。事故があって、歩道橋があったこんな事故には・・・という事態は避けたいもの。

できれば、本当の意味でのバリアフリ-とするならば、横断距離が長い主要道路を立体交差にすることだろうが、経済第一の社会ではそれを求めるの難しく、事故防止に歩道橋をという発想は現在でもあまり変わらないようだ。

京都市の横断歩道を撤去する方針には賛成するが、ぐれぐれも『横断歩道で事故』という見出しがないことを願っている。(田舎親父)

2015年5月21日 (木)

地方への移住が進んでいる?・・・

 『田舎が元気でなければこの国の未来はない』というのが私の基本的な考え方であるので、地方が元気になりそうな話題を見つけると手放しで嬉しくなる。

 半分以上いいトコ取りの番組だと知りながら、毎週土曜日の午後6時からのテレビ朝日が放映している『人生の楽園』という、地方で活躍している人を紹介している番組を欠かさず視聴しているのもその一つ。

 この番組で登場する人は、定年後か早期退職で生まれ故郷に戻って、昔の仲間たちと一緒に地域で活動する話が多いが、その度に、私にも故郷があったらなあ・・・と思うことしきり。そんな故郷があれば、すぐにでも移住したいと思うのだが、残念ながら私にも家内にもその地はない。

 もの心がついた頃から、戸籍上は愛媛県の御荘町が私の生まれ故郷だと知っていたのだが、そのことを知った時には京都の宇治での生活が長く、親兄弟から(言えない理由があったのだろうと想像しているが)御荘町のことなど全く聞かされず、全員が亡くなってしまったという経緯がある。だから、意識の中には、一応は生まれ故郷はあったとも言えるが・・・。

その御荘町(現在は合併して愛南町になっているが)へ数年前にひょんなことから訪れる機会を得て、以来、いろいろな方とお付き合いさせていただいている。その上、従兄弟の息子さんと親しくさせていただいているので、今でと愛南町に対する私の故郷観は強くなっている。

戻ってきませんか・・・という声もかけていただいているが、親兄弟が住んでいた家や土地は痕跡すらない。そしてこの歳でお世話になっては、間もなく動けなくなり、介護されるようになったら、愛南町の活性化のお手伝いどころか、負の要因を持っていくことになると考えると、気持ち的に移住したい気持ちは強いが無理だと諦めている。

こんな経験を持っているので、故郷に戻れる家や土地があるのに、戻りたくないという人の話を聞く度に、なんともったいないことかと思うこが日常になっている。

 そんなとき、ネットで話題を捜していると『子育て世代、地方移住 環境充実、自治体支援も続々』という見出しにぶつかった。

 興味を持って飛びついたのは当然である。記事によると、30~40代が地方へ引っ越す『子育て移住』が増えているとのこと。シニアが主流だった地方回帰が様変わりして、地方都市への転職や祖父母の地元に戻る『孫ターン』の動きが出てきたとある。

 ただ情報源が、政府の御用機関の典型である『産経新聞』というところが、政府の打ち出している地方の再生という政策のお先棒担ぎである懸念がぬぐえないところ。

記事では、東日本大震災で首都圏の都市機能がまひした体験なども背景にあるとみられ、地方創生が重点政策となる中、自治体も支援策を打ち出し、大きな流れとなりそうだとあるから、やはりと思わせるが、そこは無理に無視して、先を読み進める。
 岡山市に移住した人を紹介している。震災時に都心のIT関係会社で働いていた35歳の男性は震災時に交通や物流が止まり、首都圏暮らしに疑問が湧いたそうだ。4歳の長女の育児環境を考え、3年前に岡山市へ移住し、建設会社で情報通信系工事の施工管理の仕事に就いたとのこと。

彼は、移住希望者の相談に乗るボランティア団体を設立し、紙面には『人間関係が深まり、生活が大きく変わった』というコメントが掲載してある。記事からは、岡山が彼の故郷かどうかはっきりしないが、ただやみくもに移住したわけではないだろう。

そこには、自分の中で生活できるという裏打ちがあったはず。となると、やはり、夫婦どちらかの故郷だったのではなかろうか。

さらに記事には,岡山市は充実した交通網や教育環境で人気が高いとある。市はワンストップで相談に応じる移住・定住支援室を25年度に設置し、初年度に相談を受けた240組の約6割が30~40代だったとあるが、具体的な事例はない。
 また、この4月に富山県朝日町が移住セミナ-を実施し、先輩移住者が『富山市が近く、黒部市に大企業がある。仕事はある』と呼びかけた文章が続く。

この男性は、名古屋市の会社勤めなどを経て東京出身の妻と3年前に、妻の祖父母が住んでいた家に孫ターンし、現在は林業に従事し2人の男児の育児を楽しんでいるという。

記事は、迎える側の実態も紹介している。石川県の能登地区では民間団体の能登定住・交流機構が始動し、子育て移住した同機構の事務局長の話として『子育てには収入を得られる仕事が必要だ』だと、移住希望者の仕事づくりを地元企業に働きかけ手いることを紹介している。

いずれの場合も、良いことずくめ。移住すればバラ色の人生が待っているような記事であるが、移住で成功する場合は、まずは生業の手段を確保することは当然として、家族の協力は欠かせない。それらに恵まれたとしても、自身の生きかたや性格が、移住地に受け入れられるかが大きな課題であることは今更述べるるまでもないだろう。

記事の最後に、『日本創成会議』が、消滅可能性のある自治体を名指したことによって、危機感が生まれ、支援金や住居補助などを設ける自治体が増えたとしている。

このことに異論はないが、『政府も交付金を配分して後押ししている』と、政府の本気度を評価しているが、交付金で移住が進むのなら話は簡単。やはり、産経らしい・・・としか思えない。しかし、都会に集中している若い人たちが地方に移住しなければ、地方の疲弊を止めることができないのは自明である。

政府は単にカネをばらまくのではなく、社会全体のシステムを『地方重視』に切り換えなければ解決の道はないことだけは確かだろう・・・。(田舎親父)

2015年5月20日 (水)

これでは国際社会から孤立・・・

 福島原発事故から満4年と2ケ月過ぎたが、事故の収束は一向に進んでいない。政府の御用機関と成り果てている大マスコミですら、時に報じる原発事故情報には、政府に遠慮しながらも『止まらない汚染水の漏れ・・・』とか、『調査ロボットの故障・・・』、あるいは『住民の不安・・・』などという負の場面を連想させる見出しが多いのが、そのことを顕著に表している。

 それでも、『福島産の農作物の放射線値は基準以下』という文言は一致しているのが違和感を覚えるのだが、そのことは別にして、マスコミは世界の多くの国や地域で福島産どころか、近県の農産物の輸入を規制していることをほとんど報じていない。

 私もそのことをすっかり忘れていたのだが、先日、3月に台湾政府が、国内で輸入食材の福島県産農作物の産地偽造が発覚したために、福島近県5県の輸入禁止規制をさらに強化として、全県の証明書をつけることを義務づけたというニュ-スで、国際的には放射能に対する安全性についての関心が高いことを改めて感じる。

 ある意味、台湾政府のとった措置は当然だろう。しかし、国内では政治的な思惑もあって、放射線値を低く低く見積もる傾向が浸透しているので、福島県産以外の農作物はごく普通にス-パ-に出回っている。消費者も日毎鈍感になり、何事もなく農作物を購入しているのもひっかかるところ・・・。

 もっとも、仕入れがかなり安くなるので、意識的に福島近県ものを仕入れて店頭に並べているス-パ-もあるというから、ここでも経済第一主義がまかり通っていることを感じている。

この台湾の規制強化に対して、現政権は慌てたのか、それとも『台湾ごときに嘗められるとは・・・』と怒ったのか、官房長官は『科学的な根拠に基づかない一方的な措置で、極めて遺憾だ』と怒りを露わにして語っている。また、農相も『WTOへの提訴を含めしかるべき対応を検討したい』と強気の発言をしている映像をテレビが放映していた。

これらの事実から、現政権の台湾に対する姿勢が露わになったが、台湾に限らず他国でも、日本食品に関する規制は現在も続いていることに対してはどうなっているのかと、その関係をネットで調べてみた。

すると、農水省のホ-ムペ-ジで『諸外国・地域の規制措置(3月31日現在)』というサイトがあって、そこには各国の規制が一覧表として掲載してある。

http://www.tsukangyo.or.jp/files/110401syokuhinn2.pdf#search='%E5%8F%B0%E6%B9%BE+%E8%BC%B8%E5%85%A5%E7%A6%81%E6%AD%A2+5%E7%9C%8C')

各国の規制の強さに驚くが、気になるのは現政権が隷属しているとしか思えないアメリカの対応。一覧表では目立たない位置に、かなりゆるやかなように表現されているが、他のサイトと重ねて確認すると、福島近県の農産物どころか、特定品目を輸入停止した上で、他の都道府県の食品全てに、アメリカ国内でのサンプル検査を義務付けていることを知る。そんなアメリカに、現政権は文句ひとつつけたという話は聞いたことはない。
 どう考えても、現政権は格下だと位置づけている台湾に対しては、恫喝しているように思えるが、アメリカさまに対しては『ご無理ごもっとも・・・』という、平身低頭姿勢しか見えてこない。

私的には、台湾の姿勢を評価していたのだが、一昨日だったか、台湾総統が『15日に始めた日本産の食品への輸入規制強化策について短期的な措置だ』と述べている姿をテレビで見て、日本政府がご主人さまに『なんとかしていただけませんか』と泣きついたのではと感じてしまう・・・。

これによって、台湾の規制強化は近いうちに元に戻りそうだが、今回の台湾の処置は、諸外国は,国民の安全を第一に考えて、日本からの農産物の輸入にはかなり神経を配っていることが明らかになったと評価できる。

大スコミは台湾政府の措置を評価して、改めて諸外国の規制の詳細などを報じてほしいところだが、経済を最優先する現政権の監視がますます強くなっている今、悲しいことながら、国民が真実を知る機会は少なくなるばかり・・・。

ただ一紙東京新聞だけは、昨日の朝刊の『こちら特報部』というコ-ナ-で、台湾の今回の処置について37カ国・地域で規制が継続中であることをかなり大きく取り上げている。

その結びにある、・・・事故は終わっておらず、外国が不安覚えるのは当然だ。安全性を訴えるなら、事故を収束させることことこそが必要だ。やることをやらず『日本を信用してほしい』と求めるのは無理だろう・・・というス-パ-の経営者の声は重く、納得させられる。

しかし残念ながら、東京新聞のこのコ-ナ-はネットでは読めない。講読してほしいということは十分理解できるが、私の見るところ『こちら特報部』は東京新聞の心臓部。ここを読ませなくてファンの拡大に限界があるのではないだろうか。

しがない年寄りの声が東京新聞のトップに届くとは思えないが、ぜひ、このあたりを考えてほしいと願う今日・・・。(田舎親父)

2015年5月19日 (火)

年寄りには恐ろしい世の中になったものだ・・・

 最近、判断力が不十分なまま、業者から高額な商品を買わされたり、お金をだまし取られたりして財産を失ってしまう『認知症』の年寄りの話が後を絶たないようだ。

 『認知症』とい表現は(何度もつぶやくが)私にはどうしても違和感がぬぐえない。『認知不能症候群』というならわからないでもない。しかもその症状がまちまちで、自分すら誰なのかも理解できない人もいれば、あることに限って記憶がなくなる人まで、ひっくるめて『認知症』という言葉で表すことに、どうしてもひっかかっているからである。

 それでも、こんなことにこだわっていられないほど、この症状の老人(中には若年でも現れるらしいが)が増え続けているというから、この疑問はさておいて、書き出しの、老人を騙す詐欺について話を進めたい。

 金儲け命の輩にとっては、人並みの『良心』など生まれつき持っていないか、厄介なものとして捨ててしまったらしく、人を騙すことに快感を覚えるというから始末が悪い。そんな輩にとって、記憶が不十分で、判断力が薄れている老人を騙すなんてことは、赤子の手をねじるほど易しいらしく、次々に新手の詐欺の手口が現れている。

 毎夕、NHKの『首都圏ネットワ-ク』という番組で、『私は騙されない』というコ-ナ-があり、毎日日替わりに『今日のキ-ワ-ド』を紹介している。この番組を見ている老人も多いだろうに、キャスタ-が紹介している事例のほとんどが、何故こんな簡単に騙されるのだろう・・・と思うようなことばかり。

あれほど毎日『息子からの電話・・・』と言われているのにもかかわらず、本人を確認することなく、大金を振り込むばかりか、最近では、直接他人に現金を渡す例が後を絶たない。一瞬でも良いから『本当に息子なの・・・』という疑いを持てば、こんな簡単な仕組みの詐欺など横行するはずがないと思うのだが。

そして不思議なことに、騙された老人については『認知症』だという言葉は禁句なのかも知れないが、症状を紹介している例がないのも気になるところ。母親は我が子には盲目になるものだという擁護論もあるが、騙されるのは母親とは限らず父親も祖父もいる。

日頃から、親子(家族)が良い人間関係を保てていれば、『俺だよ、俺だ・・・』という声に信じ込んで慌てて行動などしないと思うのだが、こんな詐欺が横行するのも、親子関係が希薄になっている証なのかもしれない。そして、社会全体が、手段はともあれ、金儲けに対しては、全て『ビジネスチャンス』という言葉が大流行。なんともやり切れなくなる。 

 最近は、いわゆる『オレオレ詐欺』とは形が違うが、明らかに、判断力が欠けた認知症の老人をタ-ケットにした、新手の『ビジネス』が広がっているらしい。

 その一つが、高齢者らに電話で勧誘して、『認知症』『ボケ』『アルツ』・・・と、相手が気にしている言葉を投げ欠けて、すこしでも反応があると、高血圧や糖尿病にも効果があるなどとうたい文句で、インチキを商品高額で売りつけるビジネス?・・・。

このビジネス?を展開している健康食品販売会社の社長という男が最近逮捕されたという。押収した顧客名簿には、住所、氏名、電話番号の下に、『認知?』というメモが何カ所もあったらしい。しかもその顧客には、3カ月間に4人の営業担当者が9回、電話をした記録もあったというからこれは見逃せない。

この会社は、認知症老人にねらいを定めて、試供品を提供し、その後社員が難解も電話で効能を課題に説明して、その後分割払いでトンデモ商品を販売して巨利を得ていたという。被害は31都道府県に広がり、5割以上は80歳以上のお年寄りだったというから、見つかったのはと氷山の一角に過ぎないようだ。

 消費者庁は、この会社に対し、うその説明をしたほか『認知症の消費者の判断力の不足に乗じ、売買契約をさせた』などとして3カ月の一部業務停止を命令したそうだがこの会社の実名はない。

実効性のある罰則(罰金・懲役?)などもないようだから、業者としては、単に3ケ月間だけ、動かなくて良いだけで、その後はケセラセラ・・・。3ケ月の間も、別人になりすまして同じようなことで巨額の儲けとうそぶいているのでは、消費者庁という役所が何のためにあるのかわからなく。

私にもこのような勧誘の電話は後を絶たない。健康食品はともかく、『金儲け』関係の話が多く実に巧妙に筋書きを作って電話してくるので、ついつい話にのる老人も多いのではないだろうか。特に、普段から話し相手に飢えていれば、その確率は高くなるのは疑う余地はない。

恐らく、社会全体が、ますますカネ勘定の世界になることは明らかだろうから、今後もこの種のビジネスは広まることはあっても治まることはないだろうから、騙される老人は間違いなく増えるだろう。

世の老人にとっては『人を見れば泥棒と思え』という諺が当り前になり、認知症でもない老人でも、ますますひとりで逼塞する傾向が広まるのではないだろうか。その結果、新たな認知症患者を産む結果に・・・。困った話である。(田舎親父)

2015年5月18日 (月)

ソッとする話の続きになるが・・・

 人口の減少が加速しているらしい。寿命が長くなって、最近、年末になると必ず何通か届く訃報では、享年が70代前半は珍しく『若いなあ・・・』というつぶやきが出るのも稀ではない。70代後半になって、やっと納得するのだが、圧倒的に多いのは80歳代であり、90歳代も少なくない。

これでは老人が溢れるのは無理がない。その上、横浜の片田舎では感じないが、ちほうでは、生まれる子どもが極端に少ないため、全体では人口が減り続いているのだそうだ。つい最近まで、それほど少子高齢化が緊急課題だと騒がなかったのに、ここにきて、人口減少も問題だとなると、今後の動きが気がかりである。

この人口減を『自然減』と呼ぶそうだが、総務省の調査によると、自然減となったのは8年連続で、昨年(14年度)は25万1000人と過去最大だったとのこと。1年間の出生児数は102万3000人と最も少なく、1年間の死亡者数は127万4000人だったというから、こんなに長生きする時代であっても、生まれるより死ぬ人が多いのでは今後が心配になってくる。

1947~49年(もう少し広範囲をいう場合が多いが)に生まれの『団塊の世代』が65歳以上となり、戦後生まれの人口は1億203万4000人で、総人口に占める割合が初めて8割を超えたのだそうだ。私もその数少ない戦前・戦中の生まれ、たった2割の中に入っているのだと思うと、何となくこそばゆくなるが・・・。

労働力の中核となる15~64歳の生産年齢人口は116万人減の7785万人で、93年以降、低下し続けている一方、65歳以上の高齢者110万2000人増え、3300万人となったというから(先日の続きになるが)ゾッとする。

 日本の高齢者人口の割合は50年以降、一貫して上昇し、2013年に初めて25%を超えたということも何度もつぶやいているが、この数値は、人口4000万人以上の他国と比較しても突出しているというから、さらにゾッとする。

 それよりもゾッとするのが、『16・3%』という数値。どれだけの子どもが貧困にあえいでいるかということを表す『貧困率(指数)』である。

 6人に1人が貧困であることを意味している。貧困率とは『世帯収入から国民一人ひとりの所得を試算して順番に並べたとき、真ん中の人の所得の半分に届かない人の割合』という。

相変わらずお役所言葉は分かりにくいが、私なりに解釈すれば、平均家庭の所得を(真ん中の年収を大甘に見積もって)400万円と仮定すると、年収200万円以下の家庭の子どもということになりそうだ。

ひとり親となると、この数字はさらに下がり、世帯の貧困率は5割を超え、これは先進国の中で最も高い水準だというから、ゾッとの上にさらにゾッとがつく話。

 先日の朝日新聞紙上に、親を亡くした子どもたちを支援する『あしなが育英会』が、奨学金を受けている高校生にアンケートをしたところ、『正直あした食べるご飯に困っている。早く自立できたらと何度もふさぎこんだ』という答えが返ってきたという報じている。

 『学校では食べずにガマンしている。友達といるとお金がかかるのでいつも一人でいる』という回答もあったというが、両親が早死にして、天涯孤独の私自身、かなり苦労した過去を思い出す。

 私の場合は、景気が右肩上がりの時代だったので、食べることに苦労するほどの貧しい生活は経験しなかったが、『何故自分は・・・』社会の不合理を何度も恨んだこともあったことを思い出す。しかし、現在の子どもの貧困の深刻さに比べると、大したことがないとむしろ懐かしくなってくる。

 子どもの貧困を今のうちになんとかしないと、やがて国が滅びる原因になるのではと心配しているが、現政府は、子どもの貧困を救うというよりも最大の課題が、経済成長というから困ったものである。

経済成長という言葉に悪い響きはないが、私なりの解釈では、カネ儲けに一生懸命になることが『是』であり、その才覚のない人間は切り捨てるということに他ならない。

それでも現政権は世論を気にしてか、貧困対策法を成立させて、総合的な対策を進める大綱を昨年決めたという。当然、ひとり親家庭への児童扶養手当を増やす項目は必須だと思うのだが、この内閣の得意技の一つが、税収につながる話には背を向けこと、財源不足と却下。子どもの貧困率を下げる数値目標も示していないのもゾッとする。

 贈与税の非課税枠の拡大に至っては、金持ちを優遇し、税金を収めない貧乏人は相手にしないという政策としか受け取れない。

 そんな中、愛知県一宮市のマンション一室で、この部屋の住人である35歳の母親と、15歳から9歳までの4人の子ども死亡という事件報道に目が留まる。

死亡した中に父親はない。恐らく(間違いなく)母子家庭だろう。そして、15歳を頭に9歳までの子ども聞き分けのできる年齢の子どもとなると、警察は死因を特定していないが、『無理心中』を連想させる。

 もしも、貧困を苦に一家心中だという私の直感が正しいとなると、何故、もう少し誰かが気づき、手を差し伸べられなかったのだろうと悔やまれるところ。

なんとも痛ましい話である。そして、感情を押し殺して、数値だけを取り上げれば、統計的にはたった4人で、全体の数値に現れるのは0.0・・・の世界かも知れないか、老人と若年の人口比が大きくなったことは事実だろう。

 ゾッとする上に、さらにさらにゾッとする事件である・・・。(田舎親父)

2015年5月16日 (土)

資格の一本化に違和感を覚えるが・・・ 

 かなり以前の話になるが、保育や介護の現場の人手不足は深刻なことから、厚労省は保育と介護の資格を一本化する動きをしているらしいという記事に目が留まり、国はまた何か良からぬことを企んでいるのではと気になっていた。

 その後、教員の『質の向上』といううたい文句で、国家資格化という話がでたことによって、保育と介護職員の『質の向上』を同時に期待できる話とリンクするのかと思ったのだが実態は違うらしい。

教員の国家資格化はここでは省略するが、団塊世代が75歳を超える2025年には約250万人の介護職員が必要と言われるほど、介護に対する需要は急進していることは今までも何度もつぶやいたこと。

保育現場でも、『女性が輝く時代』という言葉が、お題目となって、専業の主婦を否定する雰囲気が広まり、全ての女性が外で働かねばという脅迫概念を持つ時代となり、当然のことながら、自分の子どもも保育園に預けるのが当り前の社会になり、保育園と保育士の確保に自治体は血眼になっている感じがする。

散策をしていて気づくのは、街中では保育園、市街化調整区域には老人施設の建設が大流行で、しばらくぶりで歩いてみると、こんなところに保育園が・・・とか、何でこんな森を壊して・・・と驚くことも稀ではない。

反面、老人施設による介護職員による虐待が日々大きな問題になり、保育士の取り合いで、保育の質の低下を招いているという話題も日常茶飯事。これらの施策に対する政府への批判が高まっていることもあって、厚労省が介護と保育の場での資格の一本化によって、『質の向上』といううたい文句が使えそうだと動き出したのでは思ったもの・・・。

 しかし、厚労省の一本化案について、赤ちゃんの保育と高齢者の介護は違うとの批判もあるが、現役世代の人口が急速に減っていることがあって、(特に地方においては)1人の職員が掛け持ちで働けるようにしないと、福祉現場に人が回らなくなるという擁護論もあるらしい。

さらに、急速な人口減に悩む地方では、老人施設と保育園を同じ建物にしなければやっていけないという声も上がっているのだそうだ。そして財政的にも、別々に職員の確保は困難なことから、資格が一本化できれば施策が打ち出しやすいという要望があり、厚労省が動き出したという話も聞こえてくる。

資格が別々であれば、働ける場が限られてくるのは当然だろうが、保育士の資格を持つ現役世代が介護の場でも活躍できるとなると、資格の一本化は、雇用する自治体にとっては有り難い考え方であることは理解できる。

それほど地方の急速な人口減が深刻になっていることだろうが、なんとも違和感を覚える。

資格さえあれば優れた保育やケアができるというものでもないことは誰が考えても明らかだが、そんなことなどかまっていられないというところだとなるとなんとも悲しくなる。

介護士の国家試験に関しても、気になることが少なくないが、全てが現役世代の急激な減少からきているとなると、違和感を覚えても批判はしにくい。

このことは、私なりにもう少し勉強して続きをつぶやくことに・・・。(田舎親父)

2015年5月15日 (金)

これはズ-ラシアにも大影響・・・

ズ-ラシアのコンセプトが,人間が動物を観察する以上に、動物が人間を観察できることだと紹介したが、付け加えると、繁殖にも重点をおいているので、貴重な動物の誕生が後を絶たないのも、ファンの一人として嬉しい話である。

一昨日も、朝日の横浜版に、今年の4月に生まれた『フランソワルトン』の赤ちゃんの名前が『ココア』に決まったという記事があったように、ひっきりなしに、動物たちの赤ちゃんの話題が届いてくる。

サルの仲間だという、『フランソワルトン』も、世界的に絶滅危惧種。まるでソックスを履いたような姿は見ていて飽きない。恐らくズ-ラシア以外に飼育している動物園はないのではと思うが、そんな珍しい動物の繁殖に相当な技術を誇っているようだ。

繁殖に失敗続きの上野動物園のパンダも、(都民が角を出すかも知れないが)ズ-ラシアなら和歌山の白浜動物園と同等の可能性があるだろうと言いたくなる。上野動物園としたら(意地があるだろうから)考えもしない発想だろうが・・・。

話は少し飛ぶが、先日、世界動物園水族館協会(WAZA)が、日本動物園水族館協会(JAZA)の会員資格を停止したというニュ-スに、対応を間違えば、世界の動物園から、いろいろな動物の繁殖のための貸し出しが受けられなくなるのではと衝撃を受ける。

記事によると、日本の水族館が和歌山県太地町の『追い込み漁』で捕獲したイルカを入手し、訓練していることがWAZAの知るところとなり、幹部たちの『けしからん、倫理規範の規範だ・・・』に逆鱗に触れたらしく、すぐに辞めろと通達があったという。

JAZAとしたら、『内政干渉』とばかり、即刻拒否したそうだが、このことがさらにWAZAを怒らせたことは想像に難くなく、総会を開いて、満場一致で会員資格を停止し、従わなければ除名するということを決議したとのこと。

この総会に日本代表がいたのかどうかは記事にない。満場一致という記事の表現から、日本を呼ばなかったのが、それとも決議時に退場したのかどちらかだと想像しているが、何となくやり方が不透明な感じはぬぐえない。

WAZAには50カ国以上の団体が所属しているという。このまま、日本がイルカの追い込み漁を即刻止めると言わない限り、除名という処置は避けられないようだ。WAZAとしたら加盟国には、『日本を相手にするな』という縛りをかけてくることは想像に難くなく、限りなく孤立しかねない。

このままでは、日本の動物園や水族館が希少動物の繁殖などで海外から協力を得られなくなる可能性が出てくるとなると、ズ-ラシアのお得意分野である繁殖の道を閉ざされる?・・・。

イルカの追い込み漁はだいたいは想像がつく。追いコンだイルカを撲殺している映像も見たことがあるが、海の哺乳動物を神聖化しているキリスト教圏の国々にとっては許し難いことなのだろう。

この漁法が、日本古来の漁法であることは理解できる。こんなことまで外国から干渉を受けることではないと思いたいが、リアルタイムで情報が伝搬する現代社会では、よほど丁寧な説明をしてければ、撲殺を『是』とすることはもちろん、捕獲することに対しても理解を得ることは難しいだろう。

『イルカショ-(シャチショ-も同じだろうが)』が各地の水族館や海浜公園では人気のイベントだという。これらの施設は観客を集めることが至上命令になっているので、このショ-を止めることなどできるはずがないことも十分理解できる。増えるイルカの需要を満たすためには海から野生のイルカを捕獲するしかない。

悩ましい話だが、(太地町の関係者は納得できないだろうが)ここは一旦、WAZAの逆鱗に触れている追い込み漁は中止にして、当面は、現在のイルカ(シャチ)だけでショ-を続けるしか方法はなさそうだ。

動物の入手ができないとなると、動物園や水族館そのものの維持もできなくなることは明らか。ここは一旦引いて、根気よくWAZAを説得する努力を重ねることしか思い浮かばないが・・・。(田舎親父)

2015年5月14日 (木)

自治体が塾代を支払う? 何か違和感が・・・

千葉県の南房総市という自治体は、今年の6月から、学習塾や習い事、スポーツ教室など学校外教育を受ける全ての小学5、6年生を対象に、世帯所得に応じて1人あたり7000~1000円の月謝を補助する事業を始めるという記事に目が留まる。

大阪市は、(私はあまり評価していていが)すでに2012年から)2012年後半から中学生を対象に『塾代助成事業』というそのものズバリの名称で、同じような制度を作っていることもこの記事で初めて知る。

大阪市の場合は、市の就学援助か生活保護を受けている家庭に対し、1人あたり月額1万円を上限に助成する制度だそうだが、この施策は(皮肉な言い方をすれば)市長命令の『学力テストの点数を上げる』ために、全員を塾に通わせるというものだろう。

大阪市は『塾代助成カード』というものを交付し、市に登録している学習塾や文化、スポーツ教室などの費用を、そのカードで支払う制度だと説明している。初年度は西成区で試験的に始め、翌年度から市内全24区に拡大。昨年度は対象生徒約2万人のうち、4割の8482人が1カ月以上利用したとのこと。

アンケートでは、あらかたは好評で、『各地から制度について問い合わせがある』と鼻高々らしいが、アンケ-トは補助金を受け取った家庭を対象にしているのだから、悪く言う保護者はむしろ少ないのは当然だろう。

むしろ、生活保護家庭はともかく、就学援助家庭の場合は、その線引きが難しく、『何故っ?・・・』と思う人が就学援助を受けている反面、あの家庭なら当然だろうと思うのだが、申請が受理されない例が(私が知っているだけでも)ゴロゴロと存在するので、この線引きで新たな格差を生み出していることは知る人ぞ知る話。

それはさておき、南房総市の場合は、タテマエは保護者の経済力による教育格差を避けるとともに、少子化が進む中で子育て環境を充実させるのが狙いだそうだが、小学校5・6年生を対象にしているというところから、ホンネは人口流出を避けたいとの思惑があるようだ。

補助するのは法人か1年以上の実績を持つ個人事業主などが開く塾や教室の月謝だそうだ。学習塾やピアノ、書道、そろばん、パソコンなどの習い事、野球、水泳、武道、ダンスといったスポーツ教室と、さまざまなものを想定しているのだという。対象の塾や教室は『登録制』とする方針らしいが、少年野球やサッカ-まで対象になるとなると、かなり複雑な事務処理が待っているのではないだろうか。

周辺自治体も含め登録する塾などを現在募集しており、市内の廃校となった中学校の跡地で昨年秋、英国プロサッカーリーグのリバプールFCがサッカースクールを開設しており、これも含まれる見通しだというから、こちらもどこで線引きするのかによってかなりの混乱も予想されそうだ。

全家庭が対象で、支給額は6段階に分けられ、子供1人あたりで生活保護世帯は7000円、市民税非課税世帯は6000円、それ以外は前年度の市民税所得割額に応じ5000~1000円の4段階という。

双子や年子など複数の子供がいれば人数分を助成し、他目的に使われないよう市が『塾利用助成券』を発行するシステムだそうだ。
 市はすでに市立の小学校を通じて、対象となる566人の家庭に申込書を配布したところ、これまでに約6割の344人が利用を申請したとのこと。申請すれば、最低1000円の補助を受けられるとあっては、今後増える可能性は大きいだろう。

『親の経済格差が子供の学力格差につながる』という市長の発案だというが、この程度の金額で、格差解消に役立つとはとても思われないのだが、小さな自治体では精一杯というところなのだろう・・・。

こんな少額の補助金で、人口流出が止まるとは思えないが、鈍くなる可能性はあるとなると、人口減に悩んでいる全国の自治体は、『南房総に学べ・・・』とばかり、似たような制度が全国に広がることもあり得そうだ。

私は学校教育の充実が第一義と考えているので、塾へ塾へと草木もなびく現代の風潮に疑問を感じているだけに、このような制度の広がりが、さらに『塾に通わせなければ』という脅迫概念が広まるのではと危惧を感じている。

それにしても、『教育はカネなり』という事実を改めて感じさせられる時代になったものである・・・。(田舎親父)

2015年5月13日 (水)

今日はズ-ラシアについて・・・

 横浜の片田舎にある『横浜動物園(通称ズ-ラシア)』は、4月22日にアフリカサバンナゾ-ンが開園したこともあって大人気。大型連休中などは、(私も入園して確かめたが)人気の動物の展示場の前などは、身動きがとれないといっても差し支えないほどの人出だった。

まだ、足を踏み入れていない方は、是非一度出かけて、自分の目が確かめてほしいのだがとにかく広い。『東洋一の広さ』を誇っているとの文句が、決して誇張でないことが実感できるはず。

アフリカソ-ンが開園する前まででも、動物を見ないでも、ぐるっと一周するのに、ほとんど休みなく歩いても1時間以上かかっていたから、現在では1時間半は必要だろう。まして、興味深い動きを繰り返す動物を見ていたら、その倍、いや3倍・・・。小さな子ども連れていれば、とても一日で全ての動物を観察することなどまず不可能だと言っても過言ではないだろう。

先日もつぶやいたが、この動物園のウリは、人間が動物を観察するのではなく、動物が人間を観察できるという発想だという。10年以上前に、一度だけだが、ニュ-ヨ-クのブルックリン動物園に出かけたことがあるが、この動物園の設立思想が影響しているのではないかという感じを持っている。

入園してすぐにインドゾウの展示コ-ナ-があり、いつも3頭のゾウが、人間を観察している。機嫌が良いと、すぐ近くに近寄って、写真目線でこちらを見つめてくれる。ゾウが飛び越えられない堀が作ってあるので、こちら(人間も)安心してゾウの動きを観察できるのが魅力である。

スマトラトラの展示場も一見の価値がある。午前中は分厚い透明なガラスのすぐ向こうから、入館者を観察し、時に威嚇するように咆哮するオスの姿は他の動物園では決して味わえない醍醐味である。午後からは、障害物がない場所から、母親と2頭の子どもがじゃれ合っている愛くるしい姿を眺めるもの一興である。

鳥が好きな人には、大型ゲ-ジで放し飼いされている鳥たちの姿を観察してほしい。そのゲ-ジの中に入って、至近距離からいろいろな鳥たちの姿をじっくり見ることができるので、望遠レンズがなくても、迫力のある映像が撮れることは請け合いである。

オカピというキリンの仲間の展示コ-ナ-もおすすめの一つ。運がよければ、広い場所で走り回っているオカピを見ることもでき、屋内展示場では、ガラス越しながらすぐ近くで親子の姿も見ることができる。

チンパンジ-のコ-ナ-も面白い。屋内展示場は他の動物園と変わらないが、チンパンジ-専用の屋外展示場に出ていることも多い。そこは、結構広い森になっているので、チンパンジ-たちが活発に活動する姿を楽しめる。ガラス越しの観察場所に加えて、少し離れているが、障害物なしで撮影できるポイントを用意されている。

今回開園したアフリカサバンナゾ-ンも見応えがある。本当にサバンナを思わせるほど広い展示場に、シマウマやキリンなど4種の草食動物が放されているのは驚かないが、同じ場所に、柵もなく肉食のチ-タ-がいるのには驚きを通り越して衝撃的ですらある。

ミヤ-キャットという動物の可愛らしい仕種はテレビでよく見るが、実際に接するとしばし足が止まることは間違いない。しかも、そこにも檻はなく、動物と直接目線を合わせられるのは愉快である。

当然のことながら、檻の中で飼育されている動物も多い。サルの仲間が多いのもこの動物園の特徴で、珍しいサルも多く見られる。

天然記念物のツシマヤマネコは、来園した当時は、観客に怯えて、檻の一番遠くを行ったり来たりしていたが、最近は、随分人間に慣れたのか、檻の一番前で昼寝をしていたり、毛つくろいをする姿を披露しているのも稀ではない。

そのほか紹介したいことは数多いが長くなるので次回に回すとして、(繰り返しになるが)是非一度自分の目で確かめてほしい。

ただアクセスが悪いのが欠点になっていて、土日曜日の渋滞は、見ていて気の毒になる。これは、動物園の入り口に導く取付道路が一方向からしかないことに起因している。当初は、反対側からも道路をつける計画だったと聞かされていたが、このところそんな話は噂にもなっていないことから、当分の間アクセスの悪さは続くことは間違いない。

ズ-ラシアの場所は私が今更述べるまでもないだろうが、通称『中原街道』と呼ばれる道路に隣接しているが、取付道路に入る必要がある。このため、東京方面からは右折、反対方面からは左折となる。

この道路は2車線なので、休日には京方面からの車で右側路線はかなり遠方まで渋滞することになる。外側の車線はがら空きのために、地元住民はさほどの迷惑は感じない。そして取り付け道路に入る信号が矢印になるのを待つことになるのだが、反対方面からの車は左折な上に、駐車場に入るのも混雑、約500メ-トルの取り付け道路そのものが車で埋まって動かないのだから、一回の信号が右折できる車は数台に過ぎない。

これでは入場するまでにとてつもなく長い時間がかかるのは当然で、パパママのいらだちは半端ではなくなる。だから、土日曜日の車での来園は、朝一番なら良いのだが、9時を過ぎると渋滞は覚悟する必要がある。

バスは、横浜線の中山駅、相鉄線の鶴ケ峰駅と三ツ境駅からの連絡がある。バスとて、普通乗用車同様に取り付け道路の右左折に時間がかかるが、特に右折する東京方面からはバス停の関係で直前まで左車線を走るようなので、自家用車よりかなり時間短縮ができるはず。

そこで、私のおすすめ情報を差し上げたい。中山駅から相鉄バスに乗ったら、光が丘団地の『公団集会所』というバス停で降り、山の中を15分ほど歩くと北口にぶつかるコ-スが時間的には一番早そうだ。ただ、市営バスは迂回しないでズ-ラシアに直行するのでこのル-トはとれないことは言うまでもない。

少し登りがあるが、山の中なので森林浴を楽しむつもりなら大した苦労ではない。相鉄線を利用する人なら、鶴ケ峰から、光が丘団地行きのバスの終点で降りれば、さらに歩く距離は少なくてすむ。

バスの本数は少ないが、中山駅から、神奈中バスの鶴ケ峰行きに乗り、『梅田』というバス停で降りても、そこから徒歩約10分の距離で北口に到着できる。ダラダラ登りだが、味のあるハイキングコ-スである。駐車場の混雑を目にすると、このコ-スが正解だと思うのではないだろうか。

このコ-スに限らず、バスで行く場合は、事前に時刻表は確認しないと時間のロスは大きいこと付け加えておく。帰りは、いずれの場合も渋滞の心配はないことも・・・

ズ-ラシアの魅力を味わうには、平日のおでかけを強く勧めたい。何より入園者が少なく、しかも、平日も休日と同じ時間に、飼育員のとっておきの話があるので、時に数人でその話を独占できるというのも魅力である。

蛇足ながら、(学校教育に携わっていた私が言うのは変な話だが)平日は学校を休ませられないと言う人も多いが、(価値観の違いになるが)学校を一日休むことになるが、子どもにとってそれ以上の素晴らしい体験ができ、学校の授業よりはるかに収穫の多い有意義な時間が過ごせることは間違いないところ・・・。

長くなったが、参考になれば幸である。(田舎親父)

2015年5月12日 (火)

得意技は『騙し討ち』・・・

 アメリカ政府に『国防安全保障協力局(DSCA)』という組織があるのだそうだ。その高官が、『垂直離着陸輸送機V22オスプレイ』17機と関連装備を推計30億ドル(約3600億円)で日本に売却する方針を議会に通知したというニュ-スに目が留まる。

先日、自衛隊にオスプレ-導入するという計画でアメリカと交渉中だという防衛省の発言にも驚いたが、先日の日米首脳会談で、オバマ『他の国に先駆けて売ってやるが少し高いぞ・・・』アホベ『いくらでも結構ですのでお願いします・・・』というような意味の会話でもあったのでは・・・。

アメリカはオスプレ-を他国に売却した例はないらしいが、以前もつぶやいたように、アメリカ国内でもオスプレ-に対しての評価は低く、どちらかといえばやっかい者だという評判を聞いたことがある。イスラエルでさえ、購入をためらったという代物らしいから、政府筋が『初の輸出先』なんて浮かれているのが、覚めた目で見るとバカバカしい限りで売国の行為としか思えない。

単純計算で、一機あたり250億円。ある軍事評論家は、オスプレイは機関砲もない単なる輸送機で、通常は輸送機なら1機30億~50億円ほどが相場であり、大型の輸送ヘリが必要なら、警視庁や海上自衛隊も使っている国産の『CH-101』(約20億円)で十分だと切り捨てているが、なるほどと納得する。

加えて、メンテナンスなどを考えたら、この先、17機のオスプレ-を維持管理していくだけでも、とてつもない費用がかかる。この予算で大型の国産輸送ヘリなら、100機以上購入できる計算になる。

防衛省は、尖閣諸島の有事のために、大量に物資を輸送できると説明しているらしいが、中国とて無闇に戦闘状況を作るはずがないだろうから、オスプレ-で自衛隊員を大量に輸送することなどは限りなくゼロだろうことぐらい、全くの素人の私でもわかること。こんな無駄を続けていては、防衛予算が増え続け、国民生活の低下につながることは目に見えている。

同じ軍事評論家は、アメリカにとって、高値でオスプレイを日本に売ることができれば、これまでの開発コストを回収できる上、東アジアや西太平洋なども日本がカバーすることになり、国防費も抑えられると述べている。さらに、くしくも安倍首相は連邦議会演説で『隷属化』を強調していたことから、米国側は『それなら誠意を見せてもらおうじゃないか』というところでしょうと語っているが、実に分かりやすい説明である。
 DSCAの動きも実にタイミングを心得ている。日米首脳会談を終えて帰国した頃に合わせて、オスプレイ売却方針を公表したのは、日本の首相としてアメリカの上下院合同議会で『アメリカと同盟国との負担の分担を進め、アメリカ軍と自衛隊の相互運用性を高める』との言葉を、そのまま売却理由とし、議会に『だから日本に売る』という説明では議会は反対しようがないだろう。敵ながらあっぱれというところか・・・。

覚めた見方をすれば、アメリカは日本から提案され化『日米同盟』の強化という言葉を『錦の御旗』に、要求を広げることは私でも十分予測できる。

そんなことを考えていると、日曜日の朝刊は アメリカ政府が、空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイを、2017年から『米軍横田基地』に配備する方針を明らかにしたという記事に、やはり・・・と悪い予感が当たったような感じを受ける。

日本本土にオスプレ-を移して、基地負担に苦しむ沖縄県の住民感情に配慮したそうだが、アメリカがそんなことを考えるわけがなかろう。『日米防衛の強化には首都圏の軍事力の強化が必要』ということで、むしろこの美辞麗句を生み出すことが得意な日本政府の考えで、アメリカの要求を飲んだというところか。

横田基地の実態は知らないが、周辺は首都への通勤圏として人口が増え続け、小中学校だけでも相当数集中しているだろう。政府は、アメリカ様のためにこんな暴挙を平気で行いながら、片方では『少子化が深刻だ・・・』なんてのたまっているのだから、二枚舌どころの話ではない。

 すでに決められたことを、これしか方法がないと言って、強引に地元に強要する。これを騙し討ちといわず何と表現したら良いのだろう。

このまま『地元が意見を差し挟まないようにして強行する』政府の存続を許したら、間違いなく、日本はアメリカの植民地となり、日本の若者は、アメリカ軍の先兵に仕立て上げられることは想像に難くない。『現在でも十分植民地になっているぞ』という声が聞こえてくるようだが・・・。

 それでも、選挙では『自民党(公明党)』候補者の名前を書く国民に、何故?・・・と悲しんでいるのは私だけではないと信じたいのだが・・・。(田舎親父)

2015年5月11日 (月)

箱根・大涌谷の噴煙に思う・・・

箱根が大変なことになっているようだ。正確には、『箱根の大涌谷』で、その周辺に小規模な水蒸気爆発だ起きる可能性だというが、マスコミは揃って『箱根山』と表現しているので、箱根全体が危ないような感じを受けるのは当然だろう。

正月の風物詩である『箱根駅伝』の人気が最近一段と高まっているので、実際に行ったことがない人でも、『箱根』の名前を知らない人はいないだろう。また、現在は小中どちらで教えているのか確かめていないが、私の知る限り『箱根の山は天下の・・・』との歌詞で始まる『箱歩八里』は小学6年生で教えていたと記憶している。

『箱根の山は・・・』とあるから、『箱根山』という表現は間違いではないと思うのだが箱根山というのは(百科事典でも)外輪山を含む全て山全体を指して、『箱根山』という峰はないとあるから、私の解釈が正しいとするとだが、今回マスコミが使う『箱根山』という言い方に強い違和感を覚えている。

気象庁も『箱根山』という表現を使っており、今後、小規模な水蒸気噴火が起きる可能性があると予見し、火山性地震が増加していた『箱根山』について、火口周辺警報を出したというのもいささか気になるところ。

気象庁のいう『火口』と『大涌谷』周辺の噴煙が上がっている場所を指すのだろう。確かに火口に違わないが、『箱根』という広大な地域のごく一部。『火口』というより『大涌谷』といういう名称で呼ばれているポイントであることから、一般的には凄い爆発が起こりそうだという感じを受ける。

気象庁としたら、御嶽山の水蒸気爆発を予知できず、警戒レベルを1のままずっと過ごしていたことから、あの大惨事を招いたという負い目があり、今回と早めの警戒警報発令となったのだろう。

気象庁の措置に疑義はない。人々の安全を守るためには当然のことだと思うが、箱根に行く機会が多い神奈川県民から言うと、『箱根山』の『火口付近』という表現は、いかにも箱根全体が危ないという印象を受ける。

大涌谷は過去に噴火したことがあるれっきとした火山であることは知っている。小規模でも噴火が起きた場合、火山灰や噴石が広い範囲に飛散する危険性があるので、箱根町は周辺は立入禁止措置にしたことはもっともだろう。

ただ、箱根は年間2000万人の観光客が訪れる日本でも最大のリゾ-ト地であり、観光で生業を立てている人も数多い。大涌谷はロープウエーで簡単に行けることもあって、箱根の中では特に人気のスポットだという。そのロ-プウエイが運休するとなると、大涌谷の関係者は大打撃だろう。

箱根は大涌谷以外にも人気スポットは数多いので、他の地域への影響は少ないはずだが、マスコミが『箱根山』というものだから、『箱根山=箱根=箱根全体』という印象は否定できない。

事実、大涌谷以外の箱根の観光地へのキャンセルが続いているという。地元では、さあ大変とばかり『風評被害』だと慌てているらしい。確かに迷惑な話なので、『風評被害』だというのも当然かも知れないか、マスコミの言葉が風評被害をうむことは、福島原発事故でも十分経験したこと。

地元の自治体は、まず『箱根山』という表現をしないように要請することを勧めたい。その上で『大涌谷』は『箱根の一部分であるが、箱根の全てではない』ことを訴えるべきだろう。

 大涌谷には何度も行っているが、あの大規模に噴煙を揚げる様は行くたびに新しい気持ちにさせられる。今回のテレビが放映している大涌谷付近の様子を注意深く見ているのだが、私には、多少噴煙が強くなっているように思えるが、それほど慌てる必要はなさそうに見えるが・・・。

 ただ、御嶽山の噴火以後、国内の火山活動は活発なことが気になるところ。阿蘇山・中岳が昨年11月に、蔵王も活発化し火口周辺警報が出されたという。吾妻山でも火山性微動が観測されたのも嬉しくない情報である。

これらの一連の火山活動が活発になっていることから、日本列島の地下で、なにやら恐ろしい動きが発生しているようだ。巨大地震と火山噴火は連動するのが世界的傾向だともいう。また、東日本大震災をきっかけに火山活動の活発期に入った可能性も指摘されるので警戒を怠ることがあってはならないことは当然である。

話は大きくそれるが、政府は火山噴火など恐れるに足りずと、原発をどんどん再稼働させるのは、国民の命を守るという絶対条件までも放棄したとしか思えない。

困った話である・・・。(田舎親父)

2015年5月 9日 (土)

限りなく少なくなる子どもの数・・・

退職してから、横浜市の事業にも協力しなければと、柄にもないことを思い始めて、『動物園友の会』の会員になって久しい。檻の中で飼われている動物を見るのは忍びないが、ズ-ラシアの基本的理念として、『動物が人間を観察できる』環境という一文が気にいったことも起因している。

5000円支払う見返りとして、年間12回まで入園できる優遇措置がついている。単純に計算して、月1回市内の3つの動物園に入園できる計算だが、とてもではないが、そんなに頻繁に行けるはずがない。だから、冒頭に述べたように、市の財政にほんのわずか協力しているという話につながる。

今日も変な書き出しになったが、総務省が『こどもの日』に合わせて4日発表した15歳未満の子どもの推計人口は、前年より16万人少ない1617万人で、1982年から34年連続の減少となったということに、ふと、ズ-ラシアの雰囲気がどうなっているかを確かめるために、5日の『子どもの日』にほんのすこしだけ入園してみた。

自宅から森を抜けると、北口にぶつかる。この入り口は、土日曜日と大型連休などに限って開門されるのだが、調査をかねているので、今日はそこからは入らず、わざわざ車の導線にそって遠回りする。凄い数の車が連なっている。悪い表現になるが、渋滞することはわかっているのに車で来園するのだろう・・・というのが正直な気持ち。

入園して、すぐにインドソウの展示場がある。普段はゆっくりとゾウの動きを見ることができるのだが、二重三重の人垣で、小さな子どもを抱っこして、なんとか見せようとするお父さん(おじいちゃん)の姿が目立つ。

『子どもの日』ということで入園が無料ということも関係しているのだろうが、子どもの数が物凄い。こんなに子どもがいるのに少子化なの・・・と思わせるほどだが、それにも増して多いのが、子どもをつれた大人の数。

面白半分に観察してみると、不思議に、母子・父子だけという家族連れは少ないのは、実際には生活に追われて、動物園などという話ではないのかもしれないではと思うと切なくなる。しかし、少ないながら、このような家族では、ほとんどの場合、祖父母がついているのも新しい発見である。

だから、子ども一人に対して、ざっと見積もって2.3人ほどの大人が付き添っていることになる。なるほど、混雑するものはもっともである。

少子化に話を戻すが、今回総務省が発表した子どもの数は、比較可能な1950年以降の統計で、過去最少だとのことである。現政府は、タテマエとして『子育て支援』を重視しているのだが、それでも少子化の進行に歯止めがかからないことを、この数字ははっきりと示している。

これまで何度もつぶやいているが、二年間社会経験をして入学した大学の入学式で、当時の学長の『君たちの同年代は約200万人、そのうち国立大学の入学数は約10万人(だったと記憶しているが)さらに本校に入学したのは約千人・・・』という言葉が何故か今でも頭に残る。

去年一年の新生児は約100万人だというから、わずか50年足らずで、同じ年の数は半分以下になったことになる。これは凄いとしか言いようがない。

大学に入学した昭和43年当時、はっきりとした資料はないが、平均寿命は65歳程度ではなかっただろうか。だから、ある意味、社会のいろいろな仕組みがうまく回っていたのだろうが、その頃から急速に寿命が伸びたのでは・・・。

当然、人口推移の専門家筋は、このまま寿命が延び続けると高齢化が進むと警告を出していたが、子どもの数に対してはそれほどの危機感を持っていなかったのではなかったように思える。マスコミが騒ぎ始めたのもここ20年ほどのこと。

平均寿命はもの凄いスピ-ドで伸び続け、今では、男性でも80歳を越えるというから、わずか50年で、25歳も長生きするようになっている。これでは、社会の仕組みに停滞が生まれることは当然だろう。

加えて、出生率が問題になり、こちらは下がり続け、現在では一人の女性が生涯を通して産む子どもの数が、1.5を切っているというから、少子高齢化が緊急課題として浮かぶのも当り前。

現在でも平均寿命は延び続けているというから困った話?。私も含めて、なぜ・なぜ・・・と言っているうちに、自分も高齢者の仲間入り。気がつくと、長生きしているお前が悪いと言われていような気になり、肩身の狭い思いをしている。

それにしても、子どもの減りかたは半端ではない。総人口に占める子どもの割合は、前年比0.1ポイント減の12.7%で、41年連続の低下だという解説は、数値はともかく聞き飽きた。

しかし、アメリカの19.3%を筆頭に、イギリスの17.6%は、何となく容認してしまうが、隣国の中国の16.5%、韓国の14.3%となると、心穏やかにはなりたくてもなれない国民も多いようだ。

 少子化の打開のため、働きながら子どもを産み育てられる環境整備が急務なのだろうが、それを今までほったらかしておいたツケが表面化しているのが現状だろう。

 それにしても、このまま子どもの数が減りつつけ、消費するだけの年寄りが増え続ける10年後の社会の姿を想像するとゾッとするが、次代を担う大切な(国民の宝だと表現して良い)子どもたちの貧困が、かなり急激に広がり深刻になっているというから、単にゾッとしているだけではすみそうもない。

だからといって、今の私に良案があるわけではないので、今日のところは、ゾッとするだけで、その続きは長くなりそうなので別の機会に・・・。(田舎親父)

2015年5月 8日 (金)

朝方勤務? 大丈夫なのかなあ・・・

 アホベ首相は結構世論の動きに敏感なようだ。恐らく、この方面の専門家を集めて、日夜世論の動向を研究しているのだろうが、時代のニ-ズにあった一般受けする発言が目立つのも、これらの御用専門家の意見が反映しているのかもしれない。

最近、(首相の指示だろうが)政府筋からしきりに流れるようになったのが、『朝方勤務』という、早朝から働き始め夕方からは家族や友人との時間を楽しむという、なるほどもっともと思わせる話題である。

政府はこうした朝型の生活スタイルを『ゆう活』と名付け、『夏の生活スタイル変革』に乗り出すのだそうだ。最近は『〇〇活』という言葉が巷に溢れている。『婚活』などはその典型であるが、中には人生の最後を締めくくるために『終活』などという言葉もよく聞かれるので、そのことを巧みに取り入れたようだ。

『ゆう活』とは『夕方を有意義に過ごす』という意味なのだろうが、わざわざ『夕活』としないで『ゆう活』とひらがなで表すところに、なにか別の意味でもあるのでは、と勘繰りたくもなるが・・・。

長時間労働を抑制し、効率的な働き方を促すのが目的で、霞が関の中央省庁で、今年の7月~8月の2ヶ月間、朝型勤務を実践するのだそうだ。これも、首相周辺の世論を操縦する専門家集団が、『明るい時間が長い夏の間は朝早くから働き始め、夕方には家族などと過ごすことができるよう夏の生活スタイルを変革するのが望ましい』と、首相に発言させたことからはじまったのではと推測している。

これが3月末のことだという。アホベ氏が閣僚懇談会で『朝方の勤務体制を確立するために新たな国民運動を展開する』と発言したというから各大臣はさあ大変。官僚たちの尻を叩いて、わずか2ケ月で大まかり方針を決めたというから、はじまってみたらボロボロと欠点が出ることは間違いなさそうだ。

各省庁は、7、8月に出先機関を含めた国家公務員の始業時間を通常より1~2時間早める方針を決め、期間中、夕方以降に会議を設定しないなどの取り組みを徹底し、退庁時間を早めるとのこと。

しかも、国は朝型勤務の導入を地方自治体や民間企業にも要請したという。国の『要請』とは、実質には『命令』だろうから、国とのつながりを何よりも大切にするという主義の首長の元では、中央官庁へ『右へならえ』の自治体も出そうだが、朝方勤務に賛成はしてもできるはずがないのが現状だろう。

確かに、額面通り解釈すれば、出勤時間が早まれば帰宅時間も早まることになり、家庭で過ごす時間が増えそうだ。午後4時以降に会議を入れず、曜日によっては午後8時までに庁舎を消灯するとなると、省エネにもつながるだろう。

しかし、どこまでこの方針が徹底されるかははっきりしない。中央省庁は、国会対応で真夜中までの仕事が常態になっていることは私でも知っていること。議員の質問書も答弁書も官僚が作るとなると、こんな決まりなど何の意味もなさないことは明らかだろう。

こんな状態で地方自治体にも要請(強要)して、一部自治体が受けたとしても、隣の町と勤務体制が大きく違うと混乱は避けられないだろう。『ゆう活』で朝型勤務を導入するのなら、国民の声を十分聞いて、地方自治体と連携し、一律に実施しなければいらぬ混乱を呼び込むことになることは明らか。

ところで、『女性が輝く社会』がタテマエとなり、『子育て』が国や自治体に課せられた大きな課題になっている。

女性が外で仕事をすることが当り前で、『専業主婦』という言葉すら、忘れられる時代になっているが、この『ゆう活』も、対象者が独身男性だけであるなら、他の問題を無視して勤務時間のやり繰りでだけで形だけは整いそうだが、男女を問わず子育て中の職員も多いだろうから、子どもの保育をどうするのという問題は厄介である。

通勤時間が1時間というのは決して長くないのが現実だろう。現在でも7時台から預かり保育をする園は当り前だそうだが、これを早めると、ますます保育士の勤務環境は厳しくなる。国家(地方)公務員の勤務の軽減?が、保育士のさらなる長時間勤務につながっては本末転倒ではなかろうか・・・。

仕事の評価も問題がありそうだ。きちんとした評価基準があって、短い時間で仕事を片付ける人が評価されるよう担保しないと、実効性は限りなく不透明になりかねない。そうなればなったで別の問題も起こりそうだが・・・。

仕事の量も問題であり、過重な仕事量を課せられて、しかも残業禁止となるとパニックになり、うつ状態が限りなく続けば自殺者が増えることも考えられる。

自然の恵みを最大限に生かせる生活リズムを作る上では日照時間の長い夏に限って実施するのは悪くないが、私でもさまざまな課題があることに気づくのだから、今回の政府がやろうとしている『ゆう活』は実態とはかなりかけ離れたシステムのように思えてならない。

世論づくりの専門家集団の発想だからといって、慌てて作るのではなく、国民的同意を形成し、さまざまな矛盾を克服する努力が尽くしてからでも遅くないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年5月 7日 (木)

株価の動きが少し気になる連休明け・・・

今年は曜日の順繰りが良かったので大型の連休となったが、それでもあっと言う間に終わってしまった感じがする。

気象庁は途中で4日から5日にかけては雨になると予報したが、横浜の片田舎ではあまりにも強い日射しが、気象庁の差し水を瞬間的に蒸発させたらしく、雨は上空だけで地上には届かなかったようだ。

それにしても、ここまで天気が続くと、心理的にどこかへ出かけなければならないという脅迫概念が発生し、各地の観光地の混雑は半端ではなかったらしい。出かけた人の話では、昼食はともかく、休憩に立ち寄った店でソフトクリ-ムを買うのにも30分も並んだというから、少子化だ、人口減少だと騒いでいるのは何なのだろうと思いたくなる。

 ところで、連休が始まる前日の28日のこと、マスコミはアホベ首相がアメリカの大統領と会談したことに加えて、アメリカの上下院合同の議会で、日本人初めての演説をしたと大騒ぎ。

その様子は、私もテレビで観たが、英語を話せない私でも、もう少し上手にしゃべれないのがと思うほどの出来ばえ。しかも原稿をそのまま棒読みしている感じは、その内容はともかく、少なくとも日本の総理大臣としてはいただけない。少なくとも独立国家である以上、母国語で演説してほしかった。

そのことは別に取り上げるとして、昭和の日をはさんだ4月30日には、日本株は投げ売り状態となり、日経平均は一時556円安まで売りが拡大したのには驚いた。もともと、5月には急落するだろうと言われていたらしいが、4月中にここまで下げるとは、専門家でも予想しなかったのではないだろうか。

超がつく経済音痴が、こんなことをつぶやくのはおこがましいが、このまま株価が下がり続けることも考えられないことではない。日銀は、穏やかな景気回復を続けていると、実にのんびりとした発言を繰り返しているが、リ-マンショク時の1万8000円台を割り込んだら、日銀総裁はじめ経済の専門家たちは、真っ青になって慌てふためくのではないだろうか。

株価がどのように変動するのか、その仕組みは正直理解できていていないが、世界(特にアメリカ)の景気動向と連動していることは、私でも理解できる。そして、特にアメリカの株式に敏感に反応し、翌日にはそのまま日本の株価に反映するシステムが確立しているのではないかと思うほど確実である。

ヨ-ロッパではこのところあまり景気が良くないという。先進諸国の中では、アメリカが唯一、好況を維持していたようだが、そのアメリカの今年1―3月期の実質GDP(その詳しい内容はほとんどわからないが)が0%台に沈んだことが明らかになったのだそうだ。なるほど、アメリカの景気失速の気配を受けて、自動車など輸出関連株が一気に売られ、急激な下落になったのも頷ける。

これまた専門家によると、このところの株価の急激な上昇は、日銀が国債を買い支え、大量の円札を発行して景気の回復を誘導したことが原因の一つなのだそうだ。また、首相のアメリカ訪問のお土産として、日銀が意識的に株価を上昇させたという話もある。

今日から、東京市場での取引が再開されるので株価がどうなるのかはっきりするだろうが、このまま下落が続いたら、景気の穏やかな回復などは空手形に終わりそうだ。

そういえば最近、政府関係者の口から『アベノミクス』という言葉があまり聞かれなくなっている。これは、『アベノミクス』はすでに賞味期限切れ、これ以上騙しの材料にならないと判断して、マスコミにも圧力をかけて、意識的に使わないように指示している?のではと思いたくなる・・・。

5月は毎年、株価が下がる傾向があるのだそうだ。6月はアメリカの投資会社の決算が控えていることから、利益確定の大量売りが起きやすいこともあって、『セル・イン・メイ(5月に売れ)』という相場の格言もあるのだそうだ。もっとも、その筋の金儲け命の輩達が意識的にウリの情報が広げているという越えもある。

さあ、今日からの株価の動きはどうなるのだろう。全くの門外漢ながら、イギリスのプリンセス誕生と、中国の動きも微妙に関連がありそうだが・・・。

全く私らしくないつぶやきになってしまったが、連休前と比べて、あまりにも激しい下落が気になるところ。円安に伴った輸出関連企業の株式が、急激に売られるようになれば下落傾向が続くこともあり得そうだ。

繰り返すが、今日からの株価の動きに注目したい・・・。(田舎親父)

2015年5月 2日 (土)

上がり続ける介護保険料・・・

先日、厚労省が、65歳以上が支払う介護保険料が4月分から全国平均5514円になると発表したというニュ-スに、つい最近、介護保険料が今月から7000円超になりましたという私宛に届いたハガキの文面とリンクする。

この制度が始まったのは2000年だったと記憶している。介護の分野は地方自治体が管轄するので、当然ながら、自治体によってその額は違うが、横浜市から届いたハガキには4000円程度の数字があったような気がする。

私はある意味『文明病』の一つだと思っている認知症(当初は認知症と称していたが、人権上問題があるというので、こんな病名を作り出したことは何度もつぶやいているが)の高齢者が、極端に増加しているとなると、助け合いではないが、相分の費用を払うのは仕方ないところかもしれないが・・・。

しかし、わざわざ、燐国と緊張感を高めて、軍事費を増強することや、アメリカさまのご命令通り、基地費用の負担を増額するのであれば、そのほんの数%を介護予算に使えば、例え保険料を徴収したとしても、国として公平な介護システムができるのだろうが、政治屋さんたちがそんな甘いことを考える訳はない。

結局は与野党の思惑が一致してこの法案が通ったのだが、すぐにその矛盾が明らかになり、始まった時点では、65歳以上の高齢者が支払う保険料は全国平均3000円弱だったのが、5年後には4000円。更に、今年から5000円を越えるというから、国民にとっては、まさに詐欺にひっかかった感じでは・・・。

そして、5年後の20年度になると、その額は月9711円になるとのこと。こんなことに限って、一円まで計算するのもバカにした話と憤慨するが、今でも、7000円超が毎月年金から差し引かれている上、このままいくとなると、引かれる額は1万円を軽く越えそうだ。これは他人事ではない。

記事によると、65歳以上の保険料は市区町村や広域連合ごとに決められ、3年に一度見直されるという。こんな細かな集計はお得意らしく、厚労省は1579市区町村や広域連合の保険料を集計したそうだ。

その結果、月額保険料の最高は奈良県天川村の8686円で、福島県飯舘村の8003円、奈良県黒滝村と岡山県美咲町の7800円と続いているのだそうだ。横浜より高額な自治体があるのに驚くが、この3地域は共に過疎地、自治体の予算も少ないのでは仕方ないのだろうか・・・。

一方、下からの順序をたどってみると、最低は鹿児島県三島村の2800円。次いで北海道音威子府村3000円、北海道中札内村3100円だったとのこと。こちらも、いずれも過疎地である。介護など必要ない元気な年寄りが多いのかもしれないが、それにしてもこの差は何なのだろうという素朴な疑問が浮かんでくる。

横浜の片田舎の保険料が高いのは、受ける(ニ-ズのある)介護の項目や業者が存在しその気になったら、かなりきめ細かい介護を受けられるという説明をどこかで聞いたことがあるが何となく納得する。逆に、過疎地では受けたくても、施設や業者が少ないから保険料が安区なる傾向があるのだそうだが、この数値を見る限り、介護保険料の額と高齢者が住みやすさとは、明確な法則はなさそうだが・・・。

話は飛躍するが、残業代ゼロ法案について、シオザキという厚労相が、経済人を集めた会合で『(この法案は)小さく生んで大きく育てる』『とりあえず(法案は)通す』などと発言したと、先日『日刊ゲンダイ』という大衆紙のネット版が伝えていた。

この言葉は誰が解釈しても、残業代ゼロの対象を最初は限定的にして法案を通し、その後は対象を広げていくというもの。恐らく、この御仁のホンネがでたのだろうが、とにかく法案を通して、徐々に政府の都合のよい方向に持っていくのは自民党政権のもっとも得意とするところ。

年収1075万以上の専門職という規定は、5年後には、年収800万円、さらに数年後、600万円のサラリ-マンに広がることは想像に難くない。そして、専門職という言葉も、限りなる拡大解釈されることも・・・。行き着くところ、全てが残業代ゼロの社会になることも。 

シオザキという男のホンネの発言を聞いて、介護保険法の制定時も同じではなかっただろうかと気がつく。

介護保険で増え続ける高齢者の介護はとてもできるはずがないことは当初から明らかだったに違いない。この分野を既存の税制から切り離し、介護という別の項目の税金を新設しこの管理を自治体に押しつけた上に、反対が少なくするために3000円弱という数値を出したようだ。介護保険に関する業務は地方自治体であることも・・・。

作ってしまえばこちらのものとばかり、『後はお前らが・・・』と介護保険料の地域格差は自治体の責任と押しつけているのは今更述べるまでもないだろう。

同じ国民であるのに、地域によってこれだけ格差があるのは、明らかに、基本的人権を保障している憲法に違反しているが、マスコミはこの問題を追求する姿勢はないようだ。

 明日から大型連休が始まる。それでなくても人手不足という介護の業界では、(その多くが契約やアルバイト)介護従事者にとってとてものんびりと休暇を楽しむなどできるはずがないだろう。

改めて、高齢者の一人として、介護にかかわる人たちのことを思い、『お世話にならずに人生の終末が迎えられる』ため、(現在の健康に感謝しながら)連休中も野山を歩いて足腰を鍛えなければと思う5月2日、八十八夜の晴天の朝・・・・。 

 明日から数日は私もお休みとしよう。(田舎親父)

2015年5月 1日 (金)

福島の教訓にを学ぼうとしない現政権・・・

 福島原発の重大事故で、原発の危険性にやっと気がついた(知らんふりをしていたたげだろうが)政府は、原発の老朽化に慌てて言及し、原則40年で廃炉にするという方針を発表したのは、事故後しばらくしてからだったと記憶している。

 日本の原発の歴史は古く、多くの原発は稼働してから30年以上経つものが多く、老朽化すればするほど安全性に問題が出てくるので40年と年数を区切ったのだろうが、多くの原発を、2030年までに廃炉にしなくてはならなくなる。この政府にしては珍しく英断をしたものだと思ったものである。

 しか、そのあとがいけない。現内閣は原発を『ベ-スロ-ド電源とする』という、訳のわからない言葉で国民を騙し、本来なら2030年での原発の比率は14~15%に下がる計算だったことを、知らん顔で、原子力規制委員会の特別検査を受ければ稼働可能期間を60年まで延ばせるという特別法規を数の力で作ってしまったことから、話は怪しくなってきた。

 そして、つい先日、現政権の大好きな『有識識者会議』の一つである、経産省の『長期エネルギー需給見通し小委員会』という組織(これも御用学者を集めた集団だろうが)が、2030年に政府が目指す電源構成目標の原子力は20~22%という案を了承したというから、なんともやり切れない。

これは、原発を『稼働から40年で廃炉にする』と定めた法律を適用すれば、絶対に実現不可能な数値であり、初めから、老朽した原発の延命を計算に入れていることになる。これを政府案として5月に閣議決定するとのこと。またまた閣議決定という言葉が出るがこの言葉さえ出してしまえば世論が後押しをすると思っているらしい。

 一方、水力、太陽光、風力などを合わせた再生可能エネルギーは22~24%としているが、この数値は世界標準を大きく下回る。欧米各国の多くは30%超の目標を掲げており、日本は大きく下回る。

 これでは『原発事故なんてありましたっけ・・・』という、事故の教訓なんてどこ吹く風としか言いようがない。

 福島原発の事故前は、電源に占める原発の比率は3割弱だった。原発は『絶対安全』なクリ-エネルギ-と徹底して国民を洗脳し、それが功を奏していたこともあって、30後には5割以上まで比率を増やす計画だった。しかし、それでも再生可能エネルギーを2割にする目標を掲げていた。

 原発事故を経験し政策は変わったはずだった。どんどん原発際稼働へ方へ転換してきたとはいえ、昨年に『閣議決定』したエネルギー基本計画は、『再生エネの導入を最大限加速し、再生エネ・省エネの導入や火力の効率化などにより、原発依存度を可能な限り低減させる』という方針だった。なのに、今回の数値は、原発事故前と変わらない・・・・。

 こんな変な話は到底納得できない。国民の多くも、『原発に頼らない社会』目標とし、脱原発は無理でも、限りなく原発をなくす政策を期待してきたのだが、またまた見事に裏切られた。

 地震が多発する日本にとって原発のリスクは大きすぎることは論を待たない。それでも『経済成長が第一』だと主張し、電力コストは原発が一番安いという数値を出して、原発再稼働に突き進む姿は、カネのためなら国民の命なんか・・・という話になる。

電力コストが一番安いという話もごまかしが多過ぎる。原発を動かし続ける限り使用済み核燃料がたまり続け、それを処理する費用はほとんど計上していない。福島事故原発の処理は全くといって良いほど進んでいない。

今後、事故処理についてある程度の目安につけるまで、どれぐらい費用がかかるかも明らかになっていない現在、原発コストが一番安いとは詭弁であることは明らか。更に、原発ゴミの捨て場すら、将来世代に押し付けたまま現世代の経済活動ばかりを考えることを恥ずかしいとは思わないのだろうか。

しかも、安全対策のコストや事故対応費が十分に反映されているとは思えない。世界で一番厳しい基準だと言っているらしいが、火山の噴火リスクも入れていないのでは、眉唾物だというしかない。

 福島原発事故すら忘れてしまっている現政権の頑迷なおごりを改めさせるには、トンデモ意見は十歩承知しているつもりだが、再び、過酷な原発事故しかなさそうだ。

 原発立地自治体の首長初め住民代表の議員は、自分のところだけは大丈夫という希望的観測で再稼働進めているようだが、『この考え』が札束に魂を売り渡している行為であると気づいてほしいのだか・・・。(杉)

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