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2015年6月

2015年6月30日 (火)

ギリシャはどうなるのだろう・・・

 超がつく経済音痴の私にはもっと背相応しくない話題であるが、今日6月30日は、欧州連合(EU)がギリシャ向け金融支援を打ち切る日。どんな影響が出るのか理解できないことが多いが、何となくだが、世界的に不安が広がるだろうなという予想はできる。

 ギリシャの年金制度は、ヨ-ロッパ各国よりかなり手厚いと聞いている。このことと何の脈絡はないが、現職時代、ギリシャ人を父親に持つ児童が在校し、その児童の母親(日本人)がPTA活動に熱心だったことを思い出す。

 両親揃って行事にも参加していたので、父親とも顔なじみになり、よくギリシャの話を聞かされたものである。特に、社会保障についてはヨ-ロッパでもっとも進んでおり、暮らすのには最高の国だと自慢していたことが印象的。夫婦揃って、老後はギリシャで暮らすと語っていたが、あの一家の今は・・・。

 話を戻すが、これ以上我慢するのはゴメンだという国民感情をつかんで、現政権が誕生したのは今年のはじめことではなかっただろうか。

強気でEUと交渉していたことはマスコミ記事で知っているが、EUの最後通告を国民投票という、ある意味トンデモ選択を示したことに対して、EUとしたら(私なりの解釈だが)『話が違う』ということになったのではないだろうか。

チプラスという首相は『我慢は限界だ、俺についてこい』という演説で、国民の圧倒的支持を得たはずなのに、交渉が行き詰まってきたら、国民投票で決めるからしばらく期限をほしいとのことらしいが、これは無責任で何とも情けない。

 EUの支援が打ち切られたら国際通貨基金(IMF)への借金16億ユーロ(約2200億円)の返済ができなくなり、国家財政が破綻(デフォルトというらしい)するのだそうだ。

 私には、デフォルトの意味は正確にはつかめないが、銀行が閉鎖されることは想像がつく。市民にとって銀行が閉鎖されたら大変である。下手すると、次には銀行が倒産することもあり得ない話ではないとなると、銀行に殺到し預金を引き出そうとするのは当然だろう。

現政権は早手回しに、すでに昨日から銀行は閉鎖しているという。ATMの前で長い行列を作っている人々の不安の表情は見ていてやり切れない。預金は保証すると約束しているらしいが、市民の怒りと不安はかなり限界に近づいているのではないだろうか。

 ギリシャ政府は、現在でも国内銀行から毎月数十億ユーロを借りて、年金や公務員給与の支払いに充てているらしい。公務員の数もEU圏では一番多く、しかも多額の社会保障や年金が支払われているとなると、市民は生活基盤を根底から揺さぶられることになることは間違いない。下手すると、社会不安が高まり暴動がおきることもあり得るだろう。

 凄い話になってきたが、ギリシャから比べると借金の額が天文学的な数値になっている我が国は・・・と、こちらも何となくだが不安になってくる。

それはともかく、専門家筋に言わせれば、日本経済はギリシャ国債にはあまりかかわっていないらしいから、直接の影響はごく限られたものになるというが、昨日の東京市場の終値は、前日から600円も急落しているとなると、決して限定的ではなさそうだ。EU圏の国々は、さらなる混乱が起きているだろう程度は私にも想像がつく。

EUとアメリカはかなりつながりが深いだろうから、アメリカ経済も相当な影響を受けると考えても間違いない。となると、アメリカがくしゃみをすれば風邪をひくといわれるほど、アメリカに依存している我が国にとっても、ギリシャのデフォルトの影響は、かなりのものになりそうだ。

 昨日の円相場はユ-ロに対してはかなり大幅な円高になっている。前日でこの値だから実際にデフォルトとなると、さらなる円高の傾向に拍車がかかり、株価も昨日以上に下がることも予測出来ないこともない。

 我が国の一般国民からみたら、株価が景気の判断基準になっているようだから、株価の値下がりが続けば、かなり深刻な事態になりそうだ。

今までは、為替や株価なんて無縁だった私でも、明日のギリシャの動きが我が国にどんな影響を及ぼすか、興味と関心を持って見守る必要がありそうだ。(田舎親父)

2015年6月29日 (月)

滞納者の子どもには食わさない?・・・

 給食費の集金で悩んでいない公立小中学校は皆無だと言っても差し支えないほど、給食費の滞納が常態化しているのが現実で、特に自校給食を実施している学校にとっては、児童生徒指導よりも切実な問題になっていることはよく耳にする。

30年ほど前までは、給食費を含めて必要経費は担任が集めるのがごく当り前だったのだが、この業務が大変なことが一般的に知られるようになると、担任に代わってPTAの会計担当が集めることが流行ったものである。

保護者の間では、滞納すればたちまち噂になることもあって、担任の手を煩わすこともなくほぼ間違いなく集められていたが、支払う意識は十分あっても集金日に用意出来ない家庭があり、その対応が難しいという新たな問題が生まれたと記憶している。

そしてこれ方式に代わるものとして、都市部を中心に銀行振込方式に移行する学校が現れ、たちまちのうちにこの方式が広がったのだが、当時は、この業務に対応する銀行や信用金庫を見つけるのが一苦労だったが、今ではとうなっているのだろう。

圧倒的多数の保護者が日常的に利用している、メガバンクや地方都市の有力銀行は、面倒なので敬遠、結果的には、多くの保護者がはじめて耳にするごく一部の銀行か信用金庫だったこともあり、そこに口座を開かせて毎月に必要経費を入金させることが絶対条件になるものだから、当然のことながら支払日に入金されていなかったため引き出すことができないという、新たな悩みが生まれ、現在でもそれを引きずっているのではないだろうか。

 この振込制度は個人情報保護が叫ばれる時期と合致したことから、学校も滞納者に対して、強く督促出来ない雰囲気があり滞納は増え続けるのだが、『義務教育なら給食費も無料でなければならない』という、ある意味正論を掲げる団体が現れるようになると、意識的に『払えるのに払わない』保護者が多くなってきた経緯も思い出す。

憲法は、国民の子弟に義務教育を受けさせる『義務』しいているが、同時に『義務教育は無償』という一文がある。その意味では、『給食が学校教育に欠かせないとしたら』給食費は無償にしなければならないはずなのに、こちらは議会で取り上げられて議論されたことはあまり聞かない。

給食に関しては以前も取り上げてきたのでここでは繰り返さないが、給食費の滞納が学校にとって大変な重荷になっていることは明らかで、以前から、督促を出しても支払わない家庭の子弟には『給食を与えないことで対応するしかない』という声があり、早かれ遅かれ、そのような手段をとる自治体(学校)が出るのではと思っていたが、そのことが現実になったらしい記事に、いよいよきたか・・・とつぶやいてしまった。

埼玉県の北本市の中学校4校が、3ケ月未納が続いた『払えるのに払わない』とみられる未納家庭の子弟には給食を提供しないことを決めたたという記事である。

北本市には中学校は4校だというから、校長会として足並みを揃えて今回の措置を決めたのだろうが、これはかなりの意味がある。4校の校長が一致して、ある意味、掟破りであるこの措置を行うということは、よほど滞納者対策に頭を痛め学校運営にかなりの支障をもたらしていると考えても差し支えない。

やはり効果は抜群で、各家庭に通知したところ、該当する保護者43人のうち、納付の意思を示さない保護者は3人に激減したという。

果たして、中学校が、『お前は給食費を3ケ月以上滞納しているから、今日から食わせない・・』という態度に出るのかは疑問だが、保護者としては、滞納していることが明らかになり、『お前の親は給食費を払っていない』という圧力と、場合によっては、それがいじめの原因になるのではと感じとなると、この際支払っておこうと思うのも当然だろう。

しかし、3家庭は未だに応じていないという。市教委と校長会は7月という期限を切っている。すぐに夏休みに入る時期だけに、切実な問題に発展することはないだろうから、タイミング的には良いとは思うのだが、実際に実行する度胸があるのだろうか。

校長は揃って学校便りに『有料なものを手に入れる時は、それ相当額の支払いをするというのは社会のルール』などと書いという。一般的には全く正しく、その通りとしか言えないが、3人の保護者が『憲法違反』として提訴したら・・・。

私的には、3人の保護者たちが、『憲法がうたっている通り、義務教育は無償でなければならない。だから給食費は払わない』と主張したら(無責任ながら)この問題を司法がどのように判断するか興味をもって見守りたい。たとえ我が子に火の粉が降りかかったとしても、学校給食のあり方を考える機会になればと期待しているのだが・・・。

もしも、3人の保護者が『ゴメンナサイ、払います』となると、今回の北本市の中学校校長会の措置は、全国にうねりとなって波及するのではないだろうか。

給食費ばかりではないだろう。制服はもとより、体操着からたった2ケ月だけ使う水着まで、何でも一律で揃えなければならない現在の仕組みが、ますます当り前になりそうだ。

学校給食費の滞納問題に対する校長の切実さは十分理解出来るとしても、全てが『給食ありき』、あるいは『学校で統一する』という発想が根底になっていることに、はたして、これで良いのだろうかと疑問を投げかけたい・・・。(田舎親父)

2015年6月27日 (土)

想像するだけで恐ろしい・・・

 ヒャクタという、NHK経営委の男のトンデモ発言がまた物議をかもし出している。自民党の若手議員が勉強会という名目で集まった席上、講師として招かれたヒャクタ某は、沖縄の新聞社に対して『たたきつぶす必要がある』という趣旨の発言したらしい。

 さらに、普天間基地の種変住民は、利権を求めて勝手に住み着いたという認識や、住民のほとんどは年収1000万円以上の収入があるとも述べたという。

 俄には信じられないが、この男の普段の言動からあり得ない話でなさそうだ。首相のお友だちだそうで、首相が強引にNHKの経営委員会に押し込んだと噂されているから、冗談だとそのまま聞き流すことはできそうもない。

 さすがの大マスコミも、この発言には敏感に反応し、許し難い・・・という論評を展開している。徹底的に追求してほしいが、勉強会に出席した議員たちは、マスコミを懲らしめるのには、広告を締め上げればよいという意見が大半を占めていたというから、どこまでこの姿勢が続くかはじっくり見守る必要がありそうだ。

また、国会でこのことについて、民主党の女性議員が首相の責任は追及したとのことだが、いつものことだがノラリクラリと論議をはぐらかせて、私的な会だから責任はないと謝罪することを拒否したという。

どうやらから、ヒャクタ某はあらかじめアホベ一家と打ち合わせて、世間の反応を見るために発言し、危ないと見るや冗談だったと弁明したという筋書きも否定出来ない。ならば、世論をバカにした確信犯そのものである。

 このことは、国民の怒りの沸騰を期待することにして、今朝の新聞に『頭を体から切り離し他人と結合』という見出しに、エッと絶句する。

 日本国内のことではないことにほんの少しの安堵感は出るものの、首をそのまますげ替えるということなど、マンガの世界ではあるのだろうが、本気では絶対にあり得ない話である。

 記事によると、難病に苦しむ30歳のロシア人男性が、自分の頭を体から切り離し 脳死状態になった他人の体と結合する手術を受けると発表したのだそうだ。

脊髄性筋萎縮症を患っているという。症状なのか詳しくは理解出来ないが、現在の医療技術では病状の進行すら押さえることすら難しいとされている(私の知っている限りでは)『筋ジストロフィ』と称される年々筋肉が萎縮し、死に至る病気に違いないようだ。

この病気にかかった患者の平均寿命は短いことは、この病気にかかっていた4年生の女の子と知り合ったことがあり、中学1年生の時亡くなったことから十分理解出来る。30歳の男性となると、余命いくばくという状態ではないだろうか。

そのことを聞きつけたイタリア人医師は、普段から構想を練っていて、可能性を信じているのだろうが『自分の頭部と脳死状態となったドナーの身体を結合する手術』を提唱したのだそうだ。

男性はその手術に対して『とても楽観的にいます。楽しみです。できるかぎり早く行われるよう実現を目指しています』と心待ちにしているという。
 手術中は、頭部とドナーの身体を冷却し、細胞が死なないようにするという。100人以上の医療スタッフで手術時間は36時間に及ぶ見通しで、手術費用1500万ドル(約18億円)。2年以内には手術を行いたいと述べているとのことである。

 今まで想像もしていなかったが、ごく当り前に臓器移植が語られる現在、技術的には可能なように思えるから恐ろしい。

臓器移植そのものすら『神の領域』だと疑問視している私には、こんな医者が存在し、間もなく、頭のすげ替えで、この男性が生き続けるという現実に心から恐怖を覚える。

『カネさえ払えば自分の命すら他人の身体をもってかなえられる』こんな世の中になって良いはずがない・・・。(杉)

2015年6月26日 (金)

ゼネコンの高笑いが聞こえてきそうだ・・・

つい先日、文科相は『批判には耳を傾ける・・・』と言っていたはずなのに、翌日にはそのことを忘れたかのように、予定通りのデザインでゼネコン2社と2500億円超で契約すると発表。この御仁や周りの関係者にとって、よほど急いで契約しなければならない事情でもあったらしい。

新国立競技場の話である。景観などお構いなしで決められたデザインのこの施設、当初は約1600億円と見積もっていたらしいが、見積書を出し渋っていた(振りをしていた?)ゼネコンからでてきた額は予定をはるかに越えた3000億円超とのことが判明。大慌て(これも振りかな)したことは今更述べるまでもないだろうか。

それでも、文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)は、国民からの根底から見直しすべきという声には聞く耳持たず当初のデザインに固執しているらしく、建設費増に批判的な世論の盛り上がりを押さえるために、屋根の後付けと一部の観客席を仮とすることで帳尻を合わせた改定案を示したのは今年の4月のこと。

この国立競技場の建て替えについて、誰がどこで議論したのかははっきりと知らされないうちに、『公募した』ということを金科玉条の錦の御旗として、突如、あの巨大なイメ-ジが発表された。

すぐに、このデザインに決まる過程が不透明だという批判が沸き上がり、建築の専門家たちも70mを越す建築物は景観面から必要ないという声が大きくなったが、その声を無視するように建設計画が進められている。

64年の東京オリンピックのために建設された、現在の(すでに壊されてしまったが)国立競技場が建設されたことは広く知られている。以来、国立競技場は、大きな国際試合はもとより、国内のスポ-ツ競技の聖地としてだけではなく、身近では近隣の小中学生の連合運動会などにも広く利用され親しまれてきた。

私も何度も子どもたちや保護者と一緒にここを訪れたことがあるので、2020年のオリンピックのために建て替えの話がでた時から、何とももったいない話だ・・・と繰り返しつぶやいてきたものである。

そんな声が届くはずがないことは始めから分かっていたので、がっかりもしなかったが、突如解体工事が始まったというニュ-スに、予算の裏付けもないのにどうしてもこのデザインで作らなければならない事情があるのだろうという割り切れない憤りを覚えたものである。

そして、あらかた解体工事が終わり更地になった今年の4月になって、急に、改めて予算の話が表に出るようになり、文科相が都に500億円ほどの拠出を痛要求したことはつい最近のこと。都知事は、表面上は憤りながらはっきり拒否しなかったことも猿芝居に見えたものである。

それからは筋書き通りの展開だろう。予算の計画を示せという都知事に対して、ゼネコンからの見積もりが3000億。減らす努力を示した結果、屋根の後付け・・・。そして、計画の見直しに耳を貸すと良いながら、舌の根が乾かぬうちに゛2500今回の契約話しである。

すでにメインの競技場を壊してしまったのだから、東京で開くとなると新しく競技場を建設しなければならないという論理で、都は自らを都合よく追い詰めているらしい。

2019年のラクビ-の世界選手権会場にすることが当初からの計画たったのだから、これは譲れないとなると時間的に、今年の秋には着工しなければ間に合わない。当然ながら、デザインを見直すことは不可能。だから、この計画で行くぞ・・・という筋書きである。

全てか密室で、始めから仕組まれたことなのだろう。これで新国立競技場は計画通りのデザイン案のまま建設されることになり、総工費は、昨年5月の基本設計段階の1625億円を大幅に上回り、2500億円超という凄まじい規模に膨らむことになったが、この2500億円という金額も、いわば最低の線であことは誰の目にも明らかだろう。

大林組と大成建設というゼネコン2社の高笑いが聞こえてきそうだ。契約相手はJSCであるが、JSCの担当部署は事実上、所管官庁の文科省からの出向組が取り仕切っていることは、素人の私でも推測出来ること。

 実際に、JSCで新国立競技場の事業を担当するのが『新国立競技場設置本部』という部署であるが、本部長以下27人の職員のうち12人は文科省からの出向組が占めるという。本部長をはじめ、設計と工事を担当する施設部の部長と、二つの課(施設企画課、施設整備推進課)の課長は文科省の文教施設企画部のキャリア組みだとのこと。

間違いなく、これらの人物は技術系とは言いながらさほどのキャリアを持っているとは思ない。こんな人物が相手ならゼネコンにとっては、赤子の手をひねるほど簡単なもの。頭を下げて相手に表情を悟られないでニヤリ・・・こんなマンガのような世界で、今後建設が始まる(始まっている)のだろう・・・。

競技場が完成するのは19年。その頃には、ラクビ-世界選手権だ、オリンピックだパラリンピックだと、マスコミがお祭り騒ぎを演出してくれるだろう。建設費用の話などすっかり過去の話として、人々の話題にも登らなくなっているに違いない。

結果として、オリンピックが終わって虚脱感が漂っているある日、仮に、『ゼネコンに支払った金額が5000億円だった・・・』と明らかになったとしても、それを追求する力は国民にはなく、個人的には諦めるしか・・・。

工事予算のさらなる膨らみをを知ったとしても、マスコミの『オリンピックありき』が論理の根底にあるのでは、庶民はひたすら指をくわえるしか方法がない。そんな光景が目に浮かぶのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月25日 (木)

弥勒がミルクになる・・・

 23日に沖縄県の糸満市の平和祈念公園で営んだ『沖縄全戦没者追悼式』で、高校3年生の男子生徒が、自作の平和の詩『みるく世がやゆら』朗読したというニュ-スに目が留まった。

糸満市の平和公園は私も一度だけ訪れたことがあるが、『最後の沖縄戦』と言われる摩文仁の丘に作られた実に広くて美しい公園である。黒御影に全ての犠牲者を彫り込んだ白く浮かぶ文字の碑が並ぶ風景を思い出す。

その碑の数が半端ではないのは、いかに犠牲者が多かったことを表している。そのほとんどが民間人で、沖縄戦では当時の人口の4分の一当たる20万人が亡くなったというから、(少なくとも)戦争のない平和な世に生きている私には、到底想像できないほどの無差別な殺戮が行われたことを如実に示している。

アメリカ軍の残虐な行為は責められて当然だが、沖縄の人たちを人間扱いせず、日本軍は楯として時には集団自決を命じたという歴史を思うと、碑の前で動けなくなり、何とも異様な憤りを感じて身震い止まらなかったことを今でも鮮明に思い出す。

恐らく、美しい海を眺められる場に造られただろう舞台で、沖縄独特の短歌である『琉歌』や沖縄の言葉なども織り交ぜながら、5分を越える長い自作の詩を読み上げる17歳の青年の姿は(居合わせた人々には)神々しく見えたのではなかっただろうか。

私もこの記事で、沖縄の言葉で『みるく世がやゆら』というのは、『平和でしょうか』という意味であることを知り、戦後70年の今は、そして未来は『平和でしょうか』という問いかけに深い感動を覚えている。

記事によると、青年の自作の詩は、沖縄戦で22歳の夫を失った祖父の姉をモデルに、沖縄戦の記憶が薄れていく様子と、戦争体験の風化を重ねて表現したものだとのこと。祖父の姉は、彼を幼いころからかわいがってくれたが、認知症を患い、戦争で夫を失った妻の歌である『軍人節』を何度も口ずさむようになったことが綴られているとのこと。

 青年は、祖父の姉から直接戦争体験を聞いたことはなかったが、戦争と夫の記憶が消えそうになるのに必死に抗っているような祖父の姉の姿を見て、『彼女の気持ちや戦争の惨めさを少しでも心にとどめ、寄り添いたい』という思いで綴った詩であるという。切々と訴える青年の詩の内容に、観衆は息をのみ涙したことは想像に難くない。

このことを、翌日の東京新聞はコラムで取り上げていた。

 何気なく目を通したこのコラムは、『ミルク』いう言葉の響きはどこか温かいという文書から始まる。この青年の詩との関連は全く想像出来なかったが、『その音に連想するのは赤子の笑顔である。優しい母親の姿かもしれぬ』と続く文章に引かれ先を読む。

最初は違和感を覚えたものだが、そのミルクという音が沖縄の言葉で『弥勒』を意味するという一文になって、コラムの著者の意図をはっきりと感じることができる。

『島言葉では母音はア、イ、ウの三つ』で『オはウになりやすいそうだ』ということから、『みろく』は『ミルク』と発音されてもおかしくないのだ述べている。さらに、サンスクリット語の『マイトレーヤ』は『弥勒』となり、沖縄では豊穣や平和の象徴である『みるく』『みるくさん』となったとのことである。

沖縄の知識は全くないので、『弥勒』が『ミルク』なったということの真偽は詮索しないが、青年が『ミルク』という言葉を平和な世界の象徴として使ってことははっきりしている。

青年にとって、『ミルク』が『弥勒』に通じる言葉であり、それが沖縄の共通する意識であったとすると、自らが『弥勒』となって、沖縄の現状を訴え、さらに、今国会で焦点になっている戦争法案に対して、知らんふりを決めつけている本土の人たちに対する強烈なアピ-ルではないだろうか。

日本政府は、この青年の訴えと沖縄の人たちの気持ちを真摯に受け止め、基地縮小に本気で取り組む姿勢を見せてほしいものである。(田舎親父)

2015年6月24日 (水)

女性の社会進出のために?・・・

今、圧倒的多数の法律学者や、歴代の法制局の長官から憲法に違反していると指摘されている(世界中どこでもアメリカの応援で共に戦争に参加できる)『国際平和法案』がその最たるものだろうが、最近の法案名は名前を聞いただけでは、その内容が全く想像がつかないのが特徴になっている。

『国家戦略特区法改正案』という法案が現在参議院で審議中だと言う。これもその一つだろうが、名前から、その内容がわかる人は一体どのぐらいいるのだろう。かなり新聞や雑誌に目を通していると自負している私でも、こんな名前の法案がすでに衆議院で可決されて参議院に回っているとは、迂闊なことながら全く知らなかった。

恐らく、ほとんどの国民はこんな法律が、間もなく生まれることなど想像すらしていないのではないだろうか。

 このことを伝える新聞記事によると、家庭で『お手伝いさん』として炊事や掃除を行う家事労働者を海外から受け入れられるようにすることを目的として、成立すれば、年内にも大阪府と神奈川県で実施するという。

私の地元で、こんなことが画策されていたことに驚くが、労働力が不足しているから人件費の安い国からの(言葉は悪いが)『出稼ぎ』で補おうと言うのはなんとも短絡的。これでは、外国人(主に中国人)の『研修生』として受け入れて、農家の労働力不足を補うと言う発想と同じである。

今回はさすがに『研修』とは言えないので、国は『女性の社会進出』をあげているのだそうだが、何とも単純なお手軽発想としか言えない代物と、思わず笑ってしまった。

この法案の発端はやはり『経済成長』が全てに優先するというアホベ氏の言葉だったそうだ。『女性の活躍推進や経済成長の観点から、外国人材の活用の仕組みについて検討を進めていただきたい』と、『産業競争力』の強化を考える政府の会議で、この御仁がこの方針を示したというから、なるほど・・・。

 外国人労働者はこれまで受け入れられていたことは知っている。しかし、国の方針として、外国人を劣悪な労働環境に固定しないため『単純労働者を受け入れない』とのタテマエがあって、家事労働者の在留資格を原則認めてこなかったのだが、経済の発展のためならという理屈に加えて、『女性の社会進出』と言う錦の御旗的言葉が後ろに控えているのは気にいらない。

 しかし、外国人を家事労働者(お手伝い)として働かせたら、それこそ時代小説に登場する当時の日本の貧しい層の人たちを富裕階級が『女中』として、極端に安い俸給で雇っていたことと同じになることは、農村の実習生でも経験済み。そこには人権などという発想はなく、単に経済の格差が生み出した現象でしかないことを、もう一度確認する必要があるのではないだろうか。

 現行の制度でも、『特定活動』の資格を持つ外国人富裕層や外交官らの使用人や、日本人と結婚するなどして元々在留資格を持つ外国人は例外として、家事労働としての滞在を許可していたらしいが、今回は、そんな範囲を取り外して広く募集するというから、学習応力はゼロのまま・・・。

特区にいち早く名乗りを上げたのは大阪府・市というから、ここでも大阪人の何でも飛びつく傾向がうかがえるが、次に名乗りを上げたのが糧学研だと聞いてビックリすると同時に(大阪人には悪いが)同じレベルなのかと複雑な心境になる。

 改正案は、地域限定で規制を緩める国家戦略特区で、『国の認定を受けた事業者』が海外から労働者を雇い、家庭の炊事や掃除、洗濯などを代行する仕組みだという。

地方活性化担当大臣は『就労意欲がありながら、重い家事の負担があった女性の活躍を推進する』と述べているそうだが、果たして、女性たちが見ず知らずの外国人の女性を家庭に受け入れるとは思えない。まして男性に至っては論外だろう。

『国の認定』と言う一文もひっかかる。認定基準は示されていないというから、またビジネスチャンスとばかり、金儲け命の輩が飛びつくことは想像に難くない。ブラック企業が暗躍し、人権問題に発展する可能性は限りなく大きいだろう。

個人の家庭に入るとなると契約問題も微妙になってくるはず。例え契約書を取り交わしても家事の線引きは極めて難しく、外国人は帰国させられることを恐れて権利を主張しづらいだろう。また、言葉が通じず誤解からトラブルに発展する可能性も大きいのでは。

およそ私には関係ない話題であるので、成り行きを見守るしかないが、現在以上に、(甘言に)騙されて来日し(予想とかけ離れた条件に)涙を流す外国人の姿は見たくないものである・・・。(田舎親父)

2015年6月23日 (火)

このまま忘れてしまって良いはずがないが・・・

最近、女性の社会進出関係の話題が賑やかに報じられている。そのことについて疑義はないが、折角登用した女性が麻薬取締法違反で逮捕はいただけない。しかも、世界に名を轟かしている『トヨタ』が、外国人常務役員として迎えた人物だと言うから社会的にかなり影響が出るのでは・・・。

早速トヨタの社長は、お詫びの記者会見を開いていたが、この女性を『大切なパ-トナ-であり、無実を信じたい』と、なんとも歯切れが悪い。下司の勘繰りかもしれないがトヨタの社長は何か事情を知っているのではと推測してしまった。

新聞記事によれば、女性役員は医療用麻薬の『オキシコドン』を含む錠剤57錠を米国から小包で輸入したとして逮捕されたという。錠剤が入った小包の品名は『ネックレス』で、米ミシガン州から国際宅配便で発送送され、ケンタッキー州の空港を経て成田空港に届いたのだそうだ。

事件発覚と同時に、マスコミはこの話題に飛びつき、テレビのニュ-スやワイドショ-で繰り返し放映されていた。麻薬成分を含む錠剤が2種類あり、一部はおもちゃのペンダントの入ったケースの台座の下に入れてあったと、イメ-ジを示して伝えていた。

錠剤は三つに分けられ、紙箱(縦7センチ、横10センチ、高さ5センチ)の底に敷き詰めたものが最も多く39錠で、白い紙袋に5錠、残り13錠は、透明なプラスチックケースに納めたペンダントの青色の台座の下から見つかったと実に詳細である。

錠剤は円形と楕円形の2種類あったが、同じ成分が検出されたとのこと。ずれも、小包を開いても、見えない状態だったので、当局は、麻薬と認識したうえで輸入した疑いがあるとみて調べていると、明らかに女性役員を犯罪者扱いでだった。

確かに記事を読む限り、(素人感覚ながら)この女性役員は(どう考えても)当局に見つからないように送ったとしか思えない。その意味では、明らかに密輸なのだろうが、たった57錠の薬剤を日本に持ち込んだところで、どんなことに利用できるのだろう。超高額の報酬を得ているのだろうから、密売も考えられないとなると、自分のために使うのだろうが、人には言えない事情があるようだ。

 『オキシコドン』という薬剤の名前をはじめて聞く。この薬は、日本では、主にがんの痛みを緩和する薬として使われ、医師の処方箋があれば購入できるという。厚労省の許可を得れば、個人が携帯して海外から持ち込むこともできるが、郵送などでの輸入は認められていないというのも少し変な話だが・・・。

 アメリカでも、医師の処方に基づいて服用すべき鎮痛薬とされているが、近年、社会問題となっている処方薬乱用で真っ先に名前が挙がる薬だそうだ。ということはアメリカでは、それだけ常用している人が多いことだろう。

 『オキシコドン』は依存性が強く、腰痛などの治療で服用しているうちにやめられなくなることがあり、ついつい過剰摂取になるのだそうだ。2009年に急死した歌手のマイケル・ジャクソンも、『オキシコドン』による重度の薬物中毒だったとされると記事は伝えている。

 ここまで記事を読んでみると、この薬は麻薬や覚醒剤として指定されているわけではなさそうで、医師の処方箋さえあれば簡単に入手出来るようだから、女性役員も、マイケル・ジャクソンではないが、何らかの理由で、この『オキシコドン』を日常的に常用していることも考えられないこともない。

それをトヨタ側は知ってたとすると、『日本では・・・』ということから、当面必要な量を『当局に見つからない』ような方法をレクチャ-したこともあり得るのではないだろうか。トヨタの社長の奥歯にものが挟まったような言い方が思い出される。

ただ、こんな小さな箱の中に、輸入が禁止されているたった57錠の薬を見つけることが可能なのだろうかとなると、(推理小説の読みすぎだと言われたらそれまでだが)Noではないだろうか。

恐らく、当局にいわゆるタレコミがあったので、箱を開いたという筋書きだろう。だとすれば、トヨタのライバル会社が・・・、それともトヨタ内部のゴタゴタか。

 経済成長が全てに優先する現政権にあっては、トヨタは最重要企業。いつの間にか、この話題が消えそうな気がしてならない。

事実、あれほど騒いでいたマスコミは、このところ静かなことが、その答えではないだろうか。しかし、このまま忘れ去られたとしたら、この国の矜持は一体どこに行ったのだろう・・・。(田舎親父)

2015年6月22日 (月)

基本理念は反対しにくいが・・・

 まだ仮称らしいが『多様な教育機会確保法』という名前の法案を今国会中に提出されるという。

 この法案は、超党派の議員連盟が提案するというから、自民党の一部には慎重論もあるそうだが、『戦争法案』や『労働者切り捨て法案』のように、あまり国民的な議論にはならないのは当然予想出来る。となると、あっさり成立する可能性が高いのでは・・・。

さらに、基本理念に『年齢や国籍に関わらず、義務教育を受ける機会を与えられるようにする』とあり、この言葉に大マスコミも飛びつき、社説で『多様な学びに扉を開く動きだ』などと賛同していることもあって、慎重な議員でも声だかに反対と言えない雰囲気がありそうだ。

その内容は(詳細は不明だが)保護者が作成した学習計画を市町村教委が審査・認定することを条件(?)に、不登校の小中学生が通う『フリースクール』や(家庭での学習)を義務教育として認めるというものらしい。さらに、国にフリースクールでの学びに対する財政面の支援も求めているというから、成立したら、義務教育という考え方が根底から変わることになりそうだ。

国民の義務として、児童生徒の保護者には学齢期(6~15歳)の子どもを小中学校に通わせなければならないことが憲法にうたわれているが、現実は、全国で12万人超の子どもたちが学校に通っていないのだそうだ。

これらの児童生徒は、『不登校』という言葉で一括されているが、子どものはっきりした意志で『登校を拒否』している場合と、親も含めて原因がはっきりしないが『学校に行きたくない』という場合では、その意味合いはかなり違う。

また、家庭の貧困が遠因となって、いじめにあうことも稀ではないらしいが、この場合は教育問題と言うより社会・政治の要因が大きく影響しているので、これまた意味合いが違ってくることは当然だろう。

不登校の定義はさておき、NPO法人などが運営する『フリースクール』と呼ばれている『子どもの受け入れ先』は、法律上の位置付けはないものの、全国に約400も存在し、(推定だろうが)約2000人が学んでいるとのことである。

子どもとしては学校より居心地が良いので通っているのだろうが、公的な補助などないので、かかる費用は全て保護者負担となっているのは明らか。このことは以前から問題しされていたのだが、『子どもの居場所作り』というタテマエがあって、その部分にメスが入ることはなかった。

通っている子どもの多くはほとんど(全て)は登校していなくても、落第と言う制度がないので、校長は(マスコミは校長の裁量と表現しているが)仕方なく卒業証書を授けているのが現状である。

今回法案を提出した議員連盟は、こうしたことから、『フリースクール』も『義務教育の場』として認めて支援することが必要と判断したとのことだから、『フリ-スク-ル』を念頭においていることは間違いなさそうだ。

理由はともかく、学校に通わない子どもたちが集まる場を、全て『フリ-スク-ル』という言葉で表現しているが、400ほどと言うが、その数の詳細は教育委員会もつかんでいないのが現状で、しかも、その基本理念や実態にはかなり差があることは案外知られていない。

20年以上も前になるだろうか、現在でも最大手と言われている、その種の組織とちょっとしたトラブルになったことを思い出す。そこに通っている保護者から相談を受けて、どんな場所で、どんなことをしているのか知りたくなったのが発端である。

私が、身分を明かして、理事長に『訪問して直接話を聞き、現場を拝見したい』と言うと、『保護者の参観日があるのでその日にしてほしい』と対応に、明らかに普段の姿を見せたくない・討論を避けたいというニュアンスを感じたことが頭に残っている。

結局は、その保護者の子どもは、インタ-ナショナル系のフリ-スク-ルに転校?したこともあって、そこの見学と関係者との話し合いは流れたのだが、以来、フリ-スク-ルに対して、少ないながらわだかまりと違和感がぬぐえない。

そんなこともあるのだろうが、このままフリ-スク-を学校と同じレベルで考えて良いとはとても思わず、もし、このような法案が通ってしまったら、フリ-スク-ルは新しいビジネスとばかり、金儲け命の輩が我も我もと参入することは目に見える。

話は少しそれるが、塾の広告が新聞折り込みの中に入っていない日がないほど、現在では『塾産業』が重要なビジネスに定着し、一部上場上場する塾はもちろん、最近では公開の株式買収なども日常茶飯事になっている。

本来、学校があればそれで事足りたはずだったのに、『出世』にともなう『学力』と言う言葉が、人生を左右する重要な要素となるにつれて、学校だけでは・・・という雰囲気が生まれ、今や『塾に通わなければ・通わせなければ・・・』という脅迫概念さえ生まれていると言っても過言ではない。

まして、『学校』というタガが外れたら、(『塾産業』が大手を振ってまかり通っている現在)それぞれの塾は一斉に『フリ-スク-ル』に参入することは容易に想像でき、『フリ-スク-ル産業』と言う新しいビジネスが生まれ、ますます格差が広がるのは明らかだろう。
 まさか、塾の生き残りを計るために、フリ-スク-ルの義務教育化をねらっているとは思いたくないが、文科省のトップが塾産業からの成り上がりとなると、背景に不透明な部分がありそうな気もしないこともない。

『フリ-スク-ル』を念頭において、不登校をなくすための法案を作る前に、不登校の子どもが何故不登校になるのか、学校が原因なのか、それとも社会の仕組みなのかを検証するのが先決ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2015年6月20日 (土)

こちらも危険・・・

 重大な事故につながる『危険行為』を繰り返した自転車の運転者に、安全講習の受講を義務づける改正道路交通法が6月1日から施行されたが、施行前と比べると最近はとんとこの話題が少なくなっている。

特に賑やかだったのは1日の夕方のテレビニュ-スと翌日の新聞。ドコドコの警察が一斉に取り締まりに乗り出したと、大マスコミはこの話題に飛びついていたようだ。実際に、反則キップを切られている場面を映し出したテレビ局もあったような記憶がある。

自転車による事故が増えていることはよく耳にする。比較的マナ-が良いと言われている横浜の片田舎でさえ歩道をわがもの顔で走る自転車は数多く、稀ではあるが、私でもヒヤリとする場面に遭遇したこともあるほどだから、世の中にはさらに悪質な自転車運転はゴマンといるに違いない。

自転車がかかわる事故の報道も少なくない。先日は、小学校5年生の坂道を男児が猛スピ-ドで下ってきて、年寄りぶつかり重い障害を与えたとして、子どもの保護者に9000万円超の賠償金という判決があったことも取り上げたが、これに類する話はかなりあると聞いている。

その度にマスコミも自転車運転の危険性を取り上げ、世論も、警察の取り締まりを望むようになってきたことから、ごく当り前のように今回の改定が承認されたらしい。その内容であるが、信号無視や酒酔い運転、交差点での一時不停止など14項目を危険行為と規定して、自転車も車両だと明文化し、危険運転を厳重に取り締まるという。

しかも、3年以内に2回以上、危険行為で摘発された14歳以上の運転者に、各地の警察本部や運転免許センターなどでの安全講習(3時間、5700円)の受講が義務づけられるというから、日頃から自転車に乗っている人たちはかなりのプレッシャ-になるようだ。さらに、受講の命令を受けて3か月以内に受講しなければ、5万円以下の罰金が科されるというからこれ大変・・・。

14の項目は次の通り。①信号無視 ②通行禁止違反 ③歩行者専用道での徐行違反等 ④通行区分違反 ⑤路側帯の歩行者妨害 ⑥遮断機が下りた踏み切りへの進入 ⑦交差点での優先道路通行車妨害等 ⑧交差点での右折車妨害等 ⑨環状交差点での安全進行義務違反等 ⑩一時停止違反 ⑪歩道での歩行者妨害 ⑫ブレーキのない自転車運転 ⑬酒酔い運転 ⑭安全運転義務違反

 相変わらず法律用語は難解だが、①、⑥、⑫、⑬は、常識として危険運転に当たることは理解出来る。しかし、日頃、自動車を運転している人であっても、③、④、⑤は大体の意味は理解出来たとしても、⑦、⑧、⑨となると、何のことと首を傾げる人も多いのではないだろうか。いつの世にも、法律用語はわざわざ難解にすることで権威が高まると言う考え方が底流に流れているようだが・・・。

最近はスマホをみながら事故を起こし自転車が多いというが、このことを危険運転とする具体的な文言はない。従来から危ないと指摘されている、傘を指しての運転もしかり、二人乗りも片手運転についても言及していない。

それらは全て⑭に含まれているのだそうだが、『安全運転義務違反』の定義がないとなると、取り締まりの警察官が『危ない』と思えば『危険運転』になりそうだ。これは、かなり危険な傾向で、今回の改正は、罰金を集めるためだという批判は当たらずとも遠からじ・・・というところか。

一番神経を尖らしているのが、子どもを持つ親ではないだろうか。14歳という線引きはあるが、警察官は、小学生だと思ってもスマホを見ながら運転している子どもを見逃さないのではないだろうか。

住所氏名など記録され、デ-タとして蓄積されるだろう。そして、2回以上補導が重なれば親に連絡があることも考えられる。14歳以上の子どもを持つ親にとっては、違反金と講習義務によってさらに深刻な問題になりそうだ。

今回の改正で、迷惑運転や重大事故が少なくなれば良いのだが、最近は車によるひき逃げ事件が多発しているというから、自転車でもという恐れも否定出来ない。

ことの成否はしばらく様子を見ることにして、最近気がかりなことは、散策の途中、幼児がごく小さいスタンドもブレ-キもない二輪車で走り回っていることと、いわゆるスケ-ボ-を道路や歩道で楽しんでいる?子どもを目にすることである。

幼児の二輪車はほぼ例外なく保護者が付き添っているが、スケボ-は幼稚園児や小学生の低学年に広がっているらしく、こちらは保護者がそばにいないことが当り前。数人がこの遊びに夢中になっている場面を見ることも多い。

小さい頃から平行感覚を養うのには絶好の道具だと思うのだが、瞬間的な判断力が未発達だろうから、車と接触したり歩行者と衝突することもあり得ることだろう。想像したくないが、年寄りとぶつかれば大怪我をさせたり、場合によっては死亡事故につながる可能性もゼロではなかろう。

かといって、制約するのも能がない。しかし、なんでも裁判と言う時代、親は頭に入れておかねば大変なことになるのではないだろうか。

私の杞憂であればそれで良いのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月19日 (金)

帰還させるために兵糧攻めとは・・・

福島原発事故の収束がますます不透明になっている。マスコミ情報は日々少なくなっているが、現地の様子を伝えるネット記事やブログは多く、それらを読む限り、収束とはほど遠いことは火を見るより明らか。重大事故の加害者である東電と国の無責任さと被災者の悲しみが重なり怒りが納まることがない。

国は福島第一原発の廃炉を決定し、工程表を発表しているが、汚染水をくい止めることすらできず、一部(どころではないだろう)が海に垂れ流されているのは間違いないところ。まして、メルトスル-で、どこに存在するのかもわからない核燃料を取り出すことを難しいと言うが取り出す方針は変えず、時間設定だけを先のばしにしているだけとしか思えない。

廃炉は当然だろうが、あくまで原発を美化したい政府は、キレイ事で原発を撤去するという無理な発想しか持てないらしい。しかし、核燃料も含めて汚染物質を完全に閉じこめて、ほぼ永久的に外部に漏れないようにすることが先決であることは素人が考えてもわかること。

当初から、原発周辺を地下数十メ-トルまでを部厚い鉄板で囲い込み、地下水の出入りを止めて、汚染水の出入りを止めてから、本体全てを鉛入りのコンクリ-トで埋めてしまうより方法がないことは私でもわかったこと。そのことを指摘していた専門家も多かったが、それらの声を完全に無視。結果として現在先が全く見えない状況に追い込まれている。

国と東電がやっていることは、滑稽と思えるほど全くの的はずれのように思えてならない。その一例が凍土壁である。周りに土を凍らせた層作り、水の流れを遮断するという、全く未知の技法に、国民から収奪した巨額の税金を湯水のごとく注ぎ込んでいるが、結果的には完全に失敗に終わっているらしく、最近は『凍土壁』という言葉も聞こえない。

それでも国は(メンツがあるのだろうが)決して失敗とはいわず、改良していると言い繕っているが、ネット情報では、これに替わる方法は見つかっていないらしい。言い換えれば、汚染水は海に垂れ流しているのが現状だろう。

恐らく、数年後には、結局は『完全遮断』しか方法がなく、コンクリ-トで覆うことになるのではと想像しているが、何という時間とカネの無駄遣い。始めから、そのカネを被災者の救済につかったら、とっくに解決出来た問題も多く、『事故はコントロ-ルできている』などと世界から笑われるような発言もしなくて済んだのでは・・・。

廃炉に関することは別の機会に回すとして、先日、福島県が『原発事故で県内外に自主避難した住民に対し、来年度末で避難先での住宅の無償提供を廃止する』と発表したことには驚きと怒りを覚える。

 原発事故が原因で県内外に避難している県民は現在約11万2千人も存在するとい。このうち、国の『避難指示を受けていない』人は約2万5千人で、大半は原発事故による放射線被害を避けるために自主避難している人たちだとのこと。

 避難者への住宅提供は、福島県が『災害救助法』に基づいて行い、国の避難指示を受けたかどうかにかかわらず、仮設住宅や県内外の民間アパートなどを借りて一律無償で提供するというシステム、いわば自然災害と同じ扱いらしいが、原発事故については,国は責任を感じて?全額負担しているのだそうだ。本来は、東電が全額負担するのが筋だろうが・・・。

県としては、ホンネはこのまま続けたいと思っているだろうと推測している。しかし、国は、急いで住民を元通り帰還させなければ、『収束はウソ』ということが公になることを回避したいために、いわば被災者を兵糧攻めにして、帰還させるという発想だろう。なんとも露骨で汚らしいと吐き気さえもよおしてしまう。

避難者の差別も露骨に行われているようだ。福島市や郡山市などは放射線量が高かったが、避難指示が出なかったために自主避難を選ばざるをえなかった人たちも多かったと聞いているが、その人たちは、避難指示を出した地域と線引きされ、東電が支払う月10万円の精神的慰謝料などはないという。

これは『俺たちのいうことを聞かずに勝手に避難している』と言っていることと同じだろうが、原発事故などがなければ避難の必要もなかったはず。原発に限らず、原因を作っておいて、線引きで差別するのは為政者の常套手段。これまでもよく聞く話だが、あまりにも酷過ぎる。

避難先での状況や抱える事情はそれぞれに違うだろう。故郷に夫や親たちを残し、母子だけで避難している人の話もよく耳にする。避難先で、なんとか職を得て落ち着いた生活を送っている人も多いだろうが、住宅提供を打ち切られると生活基盤そのものが崩れることは当然で、放射能に怯えながらも地元に帰らざるをえない人も少なくないはず。

想像できないほど大きなストレスになるだろう。しかも、そのストレスを国が強制的に与えるとなると、憲法が補償している『最低限の健康的な生活』そのものを、国自らが根底から否定することになる。

マスコミはこのことをもっと大きく報道して、国の猛省を促してほしいものだが、政府広報誌と成り果てているのが現状では、それすら全く期待出来ないことが、限りなく情けなく・悲しいことである。

今日もまた、『困った話である・・・』という一文で終わることになるのも、それ以上に情けなく悲しいことだが、それが個人の限界なのだろう・・・ナ。(田舎親父)

2015年6月18日 (木)

オリンピックと禁煙・・・

 これまでも何度もつぶやいているが、最近は愛煙家にとっては住みにくい環境になったらしく、バイプの煙を楽しむなどというのは今は昔。現在は、喫煙できる場所を探すのさえ難しくなっているようだ。

 『受動喫煙』という言葉が当り前になり、他人が喫煙する煙を吸うだけでも肺ガンのリスクが高くなることが『是』とあっては、それも当然だろうと思うのだが、なのに煙草が堂々と商品となって流通し、自動販売機でも購入出来るのも変な話・・・。

 万人に健康被害がはっきりしているのなら、煙草を製造はもとより販売することは禁止すれば良いことだと思うのだが、『日本たばこ(JT)』という専売公社的体質の会社が一手に製造・販売するシステムにはどこからも問題になっていないのも気になるところ。

 面白いことは、政治の都合で、選挙権を20歳から18歳に引き下げることが決まったようだが、(酒類も同じ)少年法が後ろに控えているという論理で、20歳という線引きで、それまでは酒もたばこも法律で禁止し、20歳の誕生日以後は自己責任というのも(当然だという意見もあるが)私的には『?』をつけたくなる。

 それはともかく、5年後の東京オリンピックに向けて、都は、どこまで喫煙を制限するか大騒ぎになっているらしい。

先日、『飲食店などの屋内施設での禁煙や分煙を罰則付きで義務づける条例の是非を議論してきた検討会が、条例化を事実上、先送りする最終提言をまとめた』という記事に目が留まる。

喫煙者を顧客とする業界に配慮したそうだが、近年オリンピックでは『禁煙』が当り前になっているそうだから、今後、新国立競技場建設と同じく,こちらの議論も盛り上がりそうだ。

 そんな『検討会』が存在することすら知らなかったが、いわば都版『有識者委員会』という代物に違いない。その『検討会』は、都に『受動喫煙防止』への取り組みを工程表で示すよう求めながらも、条例制定の必要性には踏み込まず、18年までの検討を求めるにとどめたというから、まあ時間稼ぎというところだろう。

 それは仕方ないとしても、『東京以外でも競技が予定され、諸外国の多くが法律で規制している点を挙げ、法律で全国一律に規制するのが望ましいとし、国への働きかけを都に求めた』というのは、日頃から、『東京が・・・東京が・・・』何でも東京がリ-ドしていると言っているのに、この問題は国におまかせして他府県と足並みを揃える?とはなんとも情けないとしか言いようがない。

オリンピックにはとんと関心がないので、オリンピックと禁煙問題など結びつけて考えたことはないが、04年のアテネ以降、開催国は、罰則付きの法令で『禁煙』しているのだそうだ。ホントかなと首を傾げたくもなるが・・・。

しかも、10年には『国際オリンピック委員会(IOC)』と『世界保健機関(WHO)』が『たばこのないオリンピック』の推進で合意しているというから、それが事実であり、東京で『禁煙』ができないと、世界の笑い物になることは間違いないだろう。

それにしても、そんな合意があったとは驚きである。となると、招致段階で、そのことは分かっていたはず。IOCからは『禁煙は大丈夫だろな』という念押しがあったと想像しているが、当時『禁煙』などということが話題になったとは聞かなかったが・・・。

そして(興味がなかったことながら)『公共の全面禁煙』は世界の潮流になっていることもこの記事ではじめて知る。記事の言葉を借りると、『日本は22世紀のように進んでいる社会だが、たばこに関しては20世紀のままだ』ということになるのだそうだ。

『たばこ規制枠組み条約(FCTC)』という規制があることも知らなかったが、その発効から10年がたち、公共空間の全面禁煙は世界で広がっており、喫煙率が高いロシア、中国・北京、韓国でも昨年以降、飲食店を含む屋内を全面禁煙とする法律や条例が成立し施行されたとのこと。これもホントかなと思ってしまうが・・・。

 神奈川県では、数年前から条例で『屋内禁煙・分煙』を義務づけているので、ごく当り前に受け入れているが、中国や韓国でもここまで『喫煙規制』が進んでいるとは驚きである。

 となると、(うがちすぎかもしれないが)開催都市に立候補した当時,招致委員会は『全ての競技を8キロ県内の都内で行う』と述べていたことも、都で禁煙条例の作れば、禁煙問題はクリア出来ると考えていたのでは・・・と考えても奇怪しくない。

 それが諸事情で分散開催になった現在、このままでは神奈川県の江ノ島で行われる予定のセ-リング以外はIOcに対して『公約違反』になりそうだ。

 先送りした禁煙条例がオリンピックに間に合ったとしても、他県が簡単に条例化が可能なのだろうか。かなり激しい議論がぶつかりそうな気がするが・・・。

首長たちは一様に,競技会場は歓迎するが、(禁煙問題となると)そんなことは知らなかったと困惑しているのでは・・・。(田舎親父)

2015年6月17日 (水)

『一票の格差』の是正は必要?

一票の格差問題が賑やかである。最高裁の『違憲状態』という判断を受け、早急な課題として、参院選挙区の改変の議論が各党間で続いているようだが、それぞれの思惑が絡んでなかなか前に進まないのが実態らしい。

先日のことだが、この問題には消極的な自民党が、『参院議員の全選挙区または一部については、改選ごとに各広域的な地方公共団体の区域から少なくとも1人が選出されるよう定めなければならない』という条文を憲法に追記する案を出したという記事に目が留まる。

『各広域的な地方公共団体』とは都道府県を意味していることは明らかであることから、何としても『都道府県』という行政単位を変えたくないようだ。そこで打ち出したのが、お得意の『勝手な憲法解釈』で、数の力で無理強いをはじめたようだ。

憲法には基本的人権がうたわれていることは小学生でも知っている。一人一人が平等の権利を持っているとすれば、国会議員を選ぶ選挙において、50万人で一人と200万人で一人という議員比率では、不公平であることは誰もが感じるところだろう。

これを最高裁は『憲法違反』と断定することは避けて、『違反に当たる』と表現したのだろうが、この曖昧さが、各党の歩み寄りができない要因になっているように思えてならない。

『選挙違反』と断定して、参院選挙は『無効』で、やり直しと命じれば、否応なしに、(例えば)50万人と200万人の間をとって、100万人程度という選挙区を作らざるを得なくなるのだろうが、これまでも『選挙無効』とは決して言わないところに、最高裁の裁判官自身がはっきりとした見解を持っていないのでは・・・と疑いたくなる。

憲法については全くの素人であるが、基本的人権の中に『選挙権の平等』が存在することは当然だと思うが、全ての日本人にとって他の『基本的人権』が平等に行き渡っているかと問われたら、こちらはかなり難しくなる。

基本的人権とは全国どこに住もうとも、その意味は変わらないはずだろうが、交通網が発達している大都会と、一日数本しかやってこないバスの停留場まで歩いて1時間もかかる過疎の村では、基本的人権である『最低限の快適な生活』にはかなりの開きがあるように思える。

横浜の中心部に比べて、十分過ぎるほど田舎である私の住む地域でも、最近は病院が送り迎えをしてくれるが、全国津々浦々の病院が、こんなサ-ビスを行っているとはとても思えない。

近くに診療所があれば良い方で、医療機関まで、車で1時間以上という話はよく耳にする。運転できなければ家人に送り迎えしてもらわなければならないが、それすら難しいとなると、数少ないバスに乗るためにバス停まで杖を頼りに歩くしか方法がない。

店すらない地域では、日用品すら手に入れにくいということもよく聞くが、なに不自由なく生活出来る横浜の片田舎に住む私と比べて、本当に基本的人権が保障されているかと自問してみると、その答えは明らかにNoだろう。

そんな不便な場所で生活しなければ良いと意見もあるようだが、どこで住むかは、それこそ基本的な人権の一つであり、住む場所まで決められたら、『基本的人権』など全く認められないことになってしまう。

『基本的人権』という意味の捉え方の問題になるが、私は、どう考えても都会に住む人間の方がはるかに(憲法で保障している)『基本的人権』の幅は大きいように思えるのだが、こんな議論を政治家や学者がしているという話は聞いたことはない。

議論しているのは、選挙の場合の基礎数である(いわゆる)『一票の格差』だけ。このことだけが基本的人権問題ではないはずなのに、党利党略を隠しながらタテマエだけの議論が延々と続き、当然のことながら、解決の道が見えないことに強い違和感を覚えている。

現在の都道府県を単位にした参院選挙区制度の是非は別にして、『基本的人権』をより多く享受している都会に住む人たちの、議員一人当たりの有権者の数が多くなるのは当然ではないだろうか。

最高裁や憲法学者にたてつくわけではないが、地方を大事にするということが国民の共通の思いであり、それを『国是』とするならば、一票の格差が広がるのことが憲法で保障された『基本的人権』に反するとは思えないだが・・・。(田舎親父)

2015年6月16日 (火)

今度は、文系学部を切り捨てろ?・・・

今日もまた文科省の批判になるが、『全国86の国立大学に対し、今ある学部や大学院を見直すよう通知を出した』という記事に、どうせろくな通知ではないだろうと思いながらも目を通す。

その中身は、次の中期目標を策定する際、教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院のほか、司法試験合格率が低い法科大学院について、廃止や見直しに取り組めというものだから、経済発展に役立たない文系の学部はいらないという方針らしい。

中期目標は各国立大の運営指針で、次に策定するのは第3期に当たる2016〜21年度の6カ年分となるのだそうだ。記事によると、文科省は以前から、各国立大に対して自分たちの特色を明確にするよう求めていたらしい。そのことは、言葉の上では理解できないことではないが、あまりにせ露骨過ぎる。

大学は生き残りをかけて特色を出す努力をしていると思いたい。しかし文科省は、この際徹底的に大学支配をねらっているらしく、あらためて特色を踏まえた組織改革をというタテマエ論で、教員養成系と文系系学部の廃止も含めて改変を求めているとのこと。

しかも、積極的に取り組む国立大に運営費交付金を重点配分するというから、通達にたてつく大学には、助成金をださいなぞ・・・という脅し以外何ものではない。まさに、現政権の『得意技』で大学を締めつけるのだろう。

 背景に『教員免許』の国家資格化というねらいがあるのだろうことは容易に想像がつく。医師資格同様に、『国家試験』を行い、教員の資を高めるというのがタテマエであるが、ホンネは国による教育の統制であるのは明らか。

教員の待遇改善も行うというが、医師並の待遇などハナから考えていないことは明らかだろう。たかだか、雀の涙程度の特別手当を加算し、現在以上の仕事量を要求することは想像に難くない。しかも、その仕事は、『国の方針に従ったもの・・・』となると、これは恐ろしい。

教員養成については別の機会に述べるとして、司法試験合格率が低かったり、定員割れが続いたりしている法科大学院も『組織の廃止や連合も含め、抜本的な見直し』を求めているのもご都合主義としか言いようがない。

かなり以前になるが、弁護士の数が不足しているので至急養成する必要があって、法科大学院を設置したのではなかっただろうか。ところが、地方の大学も含めてこの種の大学院が増える需要が溢れるの派当然なことだろ。

 現政権は『経済成長』が第一義。教育も例外ではなく、大学もそのための道具としか考えていない。経済成長に役立たない文系の学部などいらないとばかり、理工系を伸ばし、国際的な競争力を高めることを全面に打ち出している。

 このことを言葉を選ばすに表現すれば,『大学は、成長戦略にそって金儲けを進める企業の予備校になれ』と言っていると同じではないだろうか。

 技術革新や産業振興の要請に応えることは大学の役割の一つだということは否定しないが、社会のニ-スに応えるためにのみ大学が存在すると位置づけて、国の方針に寄与しないから改変や廃止を求めるのは乱暴過ぎる。

 私は、国立大のもっとも重要な使命の一つは、教育の『機会均等』の確保だと捉えている。授業料が安く、例え家計が貧しい子弟であっても、学びたい学部に進学出来ることこそ大切なことである。何度もつぶやいたことを繰り返すが、50年前の入学金は6千円、授業料は年額1万2千円だった。だからこそ、私も通えたのだが、今では・・・と思うとゾッとする。

 大学は生き残りをかけて、文科省の通達について議論していることだろう。しかし、予算という殺生与奪の切り札を握られているから、国の方針にひれ伏すだろうことは想像に難くないが・・・。

 恐らく、地方の大学では文系学部の統廃合が進むのではないだろうか。学びたい学部がなくなれば、学生は地元を離れ、結果として大都市圏に流れざるえなくなることは容易に想像できるが、それは家庭の経済の裏打ちがあってのこと。大学進学を諦める若者も多くなり、大学が一層経済格差の象徴になることを表している。

結果的に、地方から若者を吸い上げてしまっては、『地方創生』は空絵ごと。ますます地方が疲弊することは間違いないだろう。またま、公約は言葉だけの現内閣のウソ体質が明らかになったというところか。

 大学人の反発を期待しているのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月15日 (月)

それでも自民党に投票する?・・・

派遣労働者など正社員以外の労働者は全国で3200万人も存在するという。総人口に対する労働人口の比率の正確な数値は知らないが、日本の全人口は1億3000万弱だということを元にして常識的に割り出すと、およそ半数程度が派遣やアルバイト社員ということになりそうだ。

以前から派遣社員の待遇について、その改善を求める声が上がっているが、現実はますます派遣社員の数が増えているというから、改善どころか悪化が進んでいると考えて間違いなさそうだ。

さらに、今回与党が、今国会で成立をさせようとしている『労働者派遣法改正案』は、難解な政治用語で内容を分かりにくくしているが、極端に表現すれば、『正社員にしなくても良い』ということが骨子になっていることは今更述べるまでもない。

 現政権は全てが『経済が成長すれば国民は豊になる』という論理が基本になっているらしく、まず大企業が儲かること大が前提。大企業が儲かればその傘下にある中小企業も潤い、そして国民全てが豊になるという理屈である。

性善説が是とならば、その考えはわからないでもないが、大企業の経営者は、決してそんなふうに解釈せず、自社がいかに儲けるかということが基準となっているので、傘下の中小企業は『収奪するものだ』という意識しかないから困ったもの。

さらに、数が少ない一流企業には、多数の中小企業がぶら下がっている(基礎を支えているという表現が多い)のだが、それらの企業には上下関係がはっきりしており、上には貢が下からは収奪するというのがこの国の経済社会の構造になっていることは、経済音痴の私にもわかることである。

一流企業は利益を上げるためには、会社にとって絶対に必要な技能や職能以外は、人件費が安い派遣社員に切り換えたいというのは、営利を基準にしたらまことにもっともな話であろう。当然のことながら、傘下の企業経営者は当然右にならえになることも分かりやすい。

今回の改定案は、この企業側の考え方にそったものであるのは明らか。本来は、全ての社員を正社員にすれば、問題は解決するのだが、民主党も派遣社員全廃という発想法は全く持たず、なんとか国民受けする対案として、維新と生活との共同提案という形で『同一労働・同一賃金』という法案を出して、与党と対決している(『いた』だろうが)。

この法案を詳しく調べていないが、法案名からも、『派遣社員は仕方ない』として受け入れ、正社員と派遣社員が同じ内容の仕事をしていれば、同一の賃金を支払うという内容であること。いわば、民主と維新と生活が、派遣に対して、頭から反対ではなく『条件闘争』に路線を変更したと受け止めている。

巨大な与党に対抗するには致し方ないとは思うが、これは民主と維新が最後までスクラムを組んではじめて効果が上がる代物。このあたりは百千錬磨の自民党の切れ者がわからないはずがない。維新に『受け入れるから、採決しよう』と持ちかけたことで、この結束は脆くも崩れたらしい。

与党から誘いがあった前後に、民主党が次の参院選の大阪での候補者を公認、それが維新の縄張りとダブルということに、地元の維新所属の議員が反発し、ならば結束は止めたとなったのが真相らしい。

維新としたら『俺の縄張りを犯した民主党は許せない』ところだろうが、これではまるでやくざの喧嘩と同じ。民主党も労働者の待遇改善のことを思うと、ゴメンと謝罪して公認を取り消せば済んだ問題なのだろうが、メンツがあってそれができないのでは、派遣社員の待遇改善に本気で取り組む姿勢などないと、自民党に足元をみられても仕方ないようだ。

維新も、『一定の主張が受け入れられた』と修正に応じたというから情けない。当初案は、派遣労働者と、受け入れ企業の正社員の待遇について『均等の実現を図る』となっていた、修正で『均等な待遇および均衡のとれた待遇』という文言に変更されたという。

さらに、一年以内の立法措置を義務付けた部分も『三年以内の立法を含む』という表現になったというから、企業側の主張をそのまま受け入れたもの。完全な骨抜き法案になってしまったことは明らかである。

この内容で維新が採決を容認するというのだから、あとは時間の問題。これで、ますます国民の間には経済格差が広がることは間違いない。

 この法案の可決はそれだけの意味にはとどまらないことが恐ろしい。維新は与党の出している『戦争法案』に対しても修正に応じる姿勢だというから、可決するまで国会を延長するという与党の今のやり方が続けば8月には成立しそうだ。

 現政権は、『憲法の解釈はそのときの内閣で変えられる』と無茶苦茶な論理を打ち出している。もしも、今国会で通ってしまったなら、この論理を逆手にとって野党が結束し,次の選挙で政権交代を果たしてこんな解釈は無効とする以外にない。しかし、それができるかとなると、労働者派遣法ですら、やくざの喧嘩をしている野党には、その力はなさことだけは間違いない。

いよいよ現在の幼稚園児が18歳になった頃あたりから、世界の戦争に徴兵される可能性さえ出てきたが、それでも自民党一党支配は続くのだろうか。

国民、揃って平和で幸せな暮らしを望んでいると思いたい。なのに、圧倒的に多い経済的弱者(派遣労働者を含む)が、自分たちの首を締める政党に投票する?・・・。

私にはそれが謎として残るのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月13日 (土)

自然からの警戒信号?・・・

 昨日の朝日新聞の朝刊一面は、富士山噴火を想定し、山梨県が『避難ルートマップ』を策定したという記事。過去の噴火から火口の位置を想定した、4つパターンを図で示している。

山梨県側の富士五湖周辺では、溶岩が流れ出した際、樹木を飲み込みそのまま冷えて固まったため空洞がある地形が数多くみられる。『溶岩樹形』と呼ばれるこの空洞は、地元の観光資源にもなっているが、約1000年前に凄まじい噴火があったことを生々しく語る遺跡として、小中学生の教材としての価値が高い。

山梨県が示した4つのパタ-ンはどれも可能性があるように思えるが、スバルラインを分断したり、五合目の駐車場や観光施設を噴石が直撃したら、御嶽山の噴火とは比べ物にならないほど大きな被害が生じることは間違いない。

その意味で,今回の『ハザ-ドマップ』は価値があると思っているが、富士山が『明日噴火しますよ』という兆候を示してくれるわけはなく、突然、ドカンと来るだろうから、避難ル-トを決めたとしても、烏合の衆だろう観光客らが逃げるのは相当難しいのではないだろうか。

 昨年秋の御嶽山の噴火に続いて、今年になって、箱根の大涌谷の動きが活発化、周辺を立入禁止にしている。そして、つい最近は、鹿児島県の沖永良部島の新岳が噴火、現在も全島避難が続いている。

そして、一昨日だったか、浅間山の活動が活発化したので警戒レベルを一段あげて2にしたとのこと。浅間山は噴火の度に周辺地域に甚大な被害をもたらしてきたことから、現地ではかなり緊迫しているのではないだろうか。

現在、盛んに噴火を繰り返している桜島も危ないと言われているが、鹿児島県の人たちは噴煙を上げている姿が当り前らしく、その姿が観光資源になっていることなどからさほどの緊張感は伝わってこないが、大規模な噴火が、川内原発の際稼働後に起きたら・・・私にはそちらの方がヒヤヒヤものである。

蔵王も危ない、吾妻山も・・・と噴火の可能性のある火山は数多い。気象庁は、現在47の火山を噴火の要注意火山と指定して24時間体制が監視しているとのことだが、これとて、それぞれの火山が『間もなく噴火しますから・・・』なんて教えてくれるはずがない。

話は全く飛んで火山の噴火とは全く脈絡はないが、今年はやけに『ヘビ(蛇)』と出会うことが多いのが少しひっかかっている。

『横浜』とはいえ私の住まいは、むしろ『横山』といった方が当てはまるような山の中。実際に100歩も歩くと深い森の入り口だから、ヘビが出てくるのは当然だろうが、ここ数年散歩の途中、ヘビに出会うことはごく稀だった。

毎日の散歩の記録をつけているのだが、昨年はヘビとの遭遇は2回。一昨年は3回だった。それ以前も、4回以上遭遇した記録はなく、また記憶もない。

こんな片田舎でも開発が進み、一般住宅はもとより老人施設と保育園が、それこそ雨後のタケノコのように建つのだか、ヘビにとって住みにくくなっていることは間違いない。だから、人里に出てくるのだろう・・・という人も多いが、今年の目撃場所は、いずれも開発が進んでいる周辺ではない。

去年も一昨年も、いや10年以上同じ景観である道路を周りの景色を楽しんで、ぼんやりと歩いている足元に、大きなヘビ(青大将)が動きもしないでじっとしているのだから驚かない方がどうかしている。

そう、じっとして動かないのが今年の特徴なのである。これで4回目。尻尾を足で軽く踏んでやると、すぐに動きだし茂みや溝に隠れるのだが、一昨日のヘビは軽く刺激をしても動かないので驚いてしまう。

丁度、標準レンズを装着したカメラを持っていたので、近づいてカメラを構えている私にやっと気づいたのか、鎌首をもたげて威嚇すると同時に、身体を折り曲げて逆方向の茂みに隠れた。ヘビを見るたびに、その身体の柔らかさには感心させられるのだが、6月の中旬でもう4回・・・。このままでは、今年中に何度遭遇するのだろう。

天変地異の前には動物たちの動きが激しくなることは昔からよく聞く話。植物にもこのことが言えるという説もあるが、今年はさくらの開花が早く、しかも色が濃い上に長持ちしたことは記憶に新しい。このところ追いかけているアジサイが、例年になく色鮮やかなのも気にならないこともない。

何か、意味不明の文章になったが、災害に備える一助になればという気持ちで書き残しておこう・・・。(杉

2015年6月12日 (金)

机上の空論にならないことを・・・

 東北大震災の復興がなかなか進まないようだ。それでも津波被害は、自然災害だから、被災者も覚悟がつくだろうが、原発事故で故郷を追われた人々にとっては、何故?という疑念は未来永劫に続くのではないだろうか。

 政府は復興が進んでいると世界に発信し、実際に努力していることを見せるために、なんとしても避難住民を元に戻そうと必死になり、『除染が終わったから安全になった』と頭ごなしに宣言、住民に帰還を促している。

 しかも、アメをしゃぶらせて自治体の首長を懐柔、すでに、このアメ作戦が成功して、議会が帰還に応じる選択を可決した自治体もあると聞こえてくる。

放射能は目に見えず、無味無臭、唯一存在を確認出来るのは(私の年代では、いわゆる『ガイガ-カウンタ-』)『放射線測定器』だけである。その計器で計った値が、『国の安全基準』を下回ったらといって、『安全基準』そのものが大甘な値となると、住民、特に子どもや今後子どもを産む可能性がある女性が、『はい、わかりました』と帰還出来るはずかない。

国は、住民の帰還を促すために、次々に策をろうしているようだ。そんな中、全町避難地区に『野菜工場』を建設するというニュ-スに目が留まる。私の考えすぎかもしれないが、これも住民帰還対策ではないかと少しの違和感を覚える。

 大熊町は全域が避難地区に指定され住民全員が強制的に避難させられ手いる。避難先は全国に広がっており、横浜の片田舎の市営住宅団地にも何家族かが避難していることが新聞の地方版で紹介していた記憶がある。

その大熊町が、野菜や観賞用の花を生産する大規模な屋内工場を建設するという。大熊町が栽培技術を持つ企業と提携し、第三セクター方式で『来年度中の稼働』を目指すというから具体案は出来上がっているらしい。

町長はじめ幹部たちは、原発事故の避難指示区域にはじめて建設される『野菜工場』で生産された野菜を、県内のスーパーなどで販売し、地域再生の目玉事業にすると、胸を張って抱負を語っているらしいが・・・。

その工場の建設予定地は第1原発の南西9キロの居住制限区域(年間積算放射線量20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)だとのことで、そこでは外気から遮断された密閉空間で完全水耕栽培するとのこと。水耕栽培の技術は相当進んでいることは知っているつもり。実際にそんな農家が近くにあり、そこで栽培しているミズナは近所のス-パ-でも並んでいることを実際に見聞きしている。

換気もフィルターを通して放射性物質は完全に遮断するという。こちらも最近の技術なら可能だろう。総工費は12億円を見込み、すでに国からの福島再生加速化交付金を利用することで折り合いがついているのだそうだ。

すぐにでも工事が始まりそうだ。町が『震災前はおいしい野菜が育った地域だったので、その誇りを取り戻したい』と語るのは当然だと思うが、いくら技術が進んだとしても、無人で運営出来るとはとても思えない。

いやむしろ、町としては『元の生活を取り戻す』という思惑があるに違いないだろうから、村民の雇用機会を増やすという意味でも、できるだけ多くの従業員を雇用したいはずに違いない。しかし、工場内は放射性物質が完全に遮断されて安全性は保たれているとしても、町外に避難している従業員の通勤の対策はどうなっているのだろうと素朴な疑問が生まれてくる。

完全防御車で従業員を確保するのだろうか。それも一つの手段に違いないだろうが、毎日の話となると、緊張感は薄れることは予測できる。そのうちにマイカ-通勤も・・・ということになりそうだ。

それらも全てクリア-できたとして、(恐らく首都圏に住む人たちよりも)放射能という言葉に敏感になっているはずの福島県民が、この『野菜工場』で生産された野菜を競って買い求め、しかも食べるとはとても思えない。

『放射能汚染地区(とあえて表現するが)』と聞くだけで、敬遠したい気持ちになるのではないだろうか。これは決して『風評被害』ではない。『野菜工場』のアイデアは面白い。誇りを取り戻したい気持ちも痛いほど理解したいが、流通するかというと極めて心もとない。

町は、生産品の販路も開拓中で、近くには、東電が第1原発の従業員向けに食事を作る給食センターがあり、東電も食材として購入を検討しているというが、東電が・・・という勘繰りもしてしまう。

工場ができました・美味しい野菜もつくれました・その野菜に含まれている放射性物質は『国の安全基準』をクリアしています・出荷量も安定しています・・・と良いことずくめである。しかし、売れなければその全ては机上の空論。

そうならないための対策は・・・。私の杞憂であることを願う。(田舎親父)

2015年6月11日 (木)

教員を増やすことが先決・・・

最近は教育のシステムをいじくることが文科省の大好き事になっているが、今度は、教員とは別に小中高校の運営にかかわらせるために、スクールカウンセラーや、スクールソーシャルワーカーの数を増やして経営に参加させるのだそうだ。

子どもの心の相談にきめ細かに対応できるようにし、教員の悩みなどに対しては、福祉の専門家が対応して教員の負担を軽くするといういつものようなタテマエごと。かえって鬱的教員が増えそうな気がする。

教員を支え、複雑化する課題に『チーム学校』として対応するのが狙いだというが、相変わらず現場を無視した、上から目線の発想としか言いようがない。

 このことを報じる記事によると、経済協力開発機構(OECD)が昨年に発表した国際調査では、日本の中学教員の勤務時間は週53・9時間と各国の中で最長だったことを受けて、またまた有識者会議に解決策をまる投げしたらしい。

『部活や事務にかける時間が長く、授業時間は各国の平均を下回っていた』との一文があるが、こんなことは、OECDの調査などではじめてわかったことではなく、昔から教育現場からは『なんとかしてほしい』という悲鳴が上がっていたことである。はじめて知りましたととも取れる表現はなんとも情けない。

教員の悲鳴が、途中で消えてしまったのは、下っぱ役人に任せっきりで情報が途中で消えてしまったのか、それとも上級官僚に伝わったのだが、彼らが無視を決め込んだかは別にして、今までほったらかしにしていたことは事実である。

スク-ルカウンセラ-やスク-ルソ-シャルワ-カ-(カタカナ表記は役割をぼかすためにようにも思えるが)の数を増やして(将来は複数校に一人を配置するらしいが)、全国に存在する16万人の不登校児童生徒や、障害がある子や経済的に苦しい家庭の増加などの対応に備えるという。

その大きなきっかけは、川崎市で中学1年生が殺害された事件であることは想像に難くない。この事件では、校外の交友関係を把握できなかったことに対して、文科省に対する批判が上がり、大慌てで今回の施策を打ち出したのだろうが、文科省が、(本気で)これで全ての課題が解決できにと考えているとしたら、こちらの方が大問題。学校にこのような肩書の人間を配置するだけで課題が解決できるはずがない。

文科省はこれまでもこの種の人材の配置に補助金を増やしてきたという。確かに、教育相談の専門家と称するスク-ルカウンセラ-を配置する学校が多くなっているが、自治体によって勤務実態や配置はバラバラだから、これを全国で一律化するのだそうだ。

また、『チ-ム学校』には、現在でも各学校に最低一人は配置している事務職員の役割も広げて、経理など事務だけでなく運営面でも責任を持たせ、校長や副校長の負担を分散させるという。そのため事務職員の名称も『学校運営主事』に変えると言うが、またまた学校現場が大混乱に陥ることは目に見える。

(本気で課題を解決したいのなら)ほんの少し教育をかじった人間に問いかければ『教員の数を増やすこと』と即答することは明らかだが、現場に問うことはない。それどころか政府の動きはこれとは逆に、統廃合を進めて教員の数を減らそうというのだが、始めから、課題解決を放棄しているというしかない。

これまでも繰り返し繰り返し言い続けていることだが、『〇〇教育』と、何でも教育という言葉をつけて学校に持ち込み、その度に教員には『研修』を押しつけてきたことを忘れてほしくない。

そのきっかけは、『学校給食』だということも繰り返し述べている。本来は『食』は家庭の分野であったはず。それを箸の持ちかたから、食事のマナ-までも学校に分担させて、しまい教室で一人の担任に押しつけている。しかも最近は『食育』なる言葉が幅を利かせ、教員はその道の専門家にならねばという言い方までがまかり通るようになっている。

教員は教育の専門家であるが、英語の専門家ではない。料理の専門家でもない。児童心理は必須だろうが、大人の心理を分析することまで習得する必要がないとされ、家庭の問題には踏み込んではいけないと教えられてきた。しかし、それらも受け持たねばならないとなると、教員が悩み苦しむのは当り前のことだろう。

『学校給食』を今更否定しても論理がかみ合わなくなるだけなので、それはさておき、社会と家庭の教育力が限りなく低下していることを、意識的にそれは『見えぬ・聞こえぬ・言わぬ』ことにして,学校で学校悪いとしてきたことを反省しなければ、いくら『チ-ム学校』などと騒いでもそれは空絵ごと。解決とはほど遠いことだけは確かである。

『チ-ム学校』という考え方より、教員に『ゆとり』を持たせるという発想を広げたいものである。そのためには『チ-ム学校』よりも、教員を増やすことであることは明らかなのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月10日 (水)

英語教育も所詮は塾のため?・・・

 退職して、意識的に学校現場とかかわらないようにしているが、それでももれ聞こえてくる英語の指導が大変だという声から想像するに、今や、小学校では英語の扱いが最大の悩みと同時に最重要課題になっているようだ。

 総合的な学習の時間が始まり、その中の一つに『国際理解』という項目が取り上げられたのが、小学校の英語とのかわりの始めであることはこれまでも何度かつぶやいたこと。

当時の教育界は、考え方の多様性を重要視したことから、国際化が重要なテ-マとなったのだが、そのために英語に慣れ親しむことを目的として、(英語圏)の外国人を補助教員として雇い、英語の歌を手始めに挨拶やゲ-ムで1時間を児童と一緒に楽しむというスタイルが、あっと言う間に全国の小学校に広がったことは今更述べるまでもないだろう。

総合的な学習の時間で、『外国人と触れ合う』ことは悪くない。英語に親しむことも大いる結構である。子どもたちは初めて接する英語に大変興味を示す傾向があって、この時間はどこでも大人気だったことを思い出す。

学校でのゆとりと総合的な学習の時間の意味を現場が未消化だったため、しばらくすると、『ゆとり教育』という言葉で一まとめにされてしまい。諸悪の根源になってしまったことはマスコミが散々報じている。そして、『学力向上』が金科玉条の発想になり、全国の小中学校の点取り合戦が始まり現在に至っている。

さらに、現政権が誕生すると、経済成長がなりよりも優先されて、『英語が、ビジネスには欠かせない』という考え方が台頭するにつれて、単に楽しんでいるだけでは意味がない、英語で会話ができるようにしなければという考え方が主流になったことから、俄然『英語教育』という言葉が流行り出した。

英語を小学校の教科へという動きは、10年ほど前から噂に上がっていたが、それほど切実な問題として議論されてこなかったことも思い出す。しかし、経済成長路線が国民受けするにつれて、『鉄は熱いうちに打て』とばかり、小学校で『アジアトップクラスの英語力』というキャッチコピ-が生まれ、楽しむ英語から『教科としての英語』に変身してしまったようだ。

そして、現政権は『教育改革』の名の元に、お得意の有識者会議という組織を作り、文科相への答申というタテマエの形式を踏んで、5年生からの『外国語活動』を11年度から必修化、さらに、20年度には小3から必修とし、小5からは成績がつく『教科』にしてしまった。

 自治体間の学力テストの『点とり合戦』は日常化していることはマスコミの恰好の餌食になっているが、最近は『英語教育』の『先取り合戦』がそれに加わっているらしい。

 小学校の教員の戸惑いは大変なものがあることは想像に難くない。以前は、教員の負担になることには、『教職員組合』がチェックできていたのだが、『日教組』という言葉が学校教育には『悪の源』という風潮が広がるにつれて、組合の組織率は急激にダウンし、組合そのものが有名無実になっているのも、教員の負担を増やす要因になっている。

 当然ながら、教育委員会の指導という形が強くなり、教育にもビジネス感覚が広まり、『教育考課』なる言葉が生まれ、成果を求める考え方が当り前になると、英語の指導力を高めることが重要な課題となり、小学校の教員は今まで受けたことがないほどのプレッシャ-の中、研修漬けにされているようだ。

 こんな動きに、『勝機到来』とばかり気合を入れているのが『塾』である。先日、朝日新聞だったと記憶しているが、『早稲田アカデミーIBS』の『英検1級クラス』の風景を紹介していた。その教室には6人の児童がいるが、つい最近入学したばかりの小学1年生もいるというから驚きである。

 この塾は『小4で英検2級合格』を掲げているというから口アングリ。『英語で英語を理解する』授業を幼稚園の年長児から小6を対象に行っているのにも目玉が飛び出すほどの衝撃を受ける。その経営方針は『外国語は可能な限り、あるがままを吸収できる10歳ごろまでに学ぶ』というものだというから、私には想像すらできない代物である。

塾なので、目標は勝手なのだろうから文句をいう筋合いではないかもしれないが、週1回、2時間~2時間半の授業で、月謝は3万円超だとのこと。こんな高額にもかかわらず、初心者クラスの入塾倍率は10倍を超すというから、貧乏人は、出発点にも立てないのが現状らしいが・・・。

これに刺激されたのだろうが、英会話大手のECCは4月、フィリピンなどの現地講師とオンラインで結び、月4回のレッスンを一回2500円程度で受けられる講座を始めたというから、塾も生き残りをかけて大変な時代に突入しているようだ。

さらに『小学生留学』へも関心が高まり、英語圏へ、数十万円かけて小学校の1、2年生からの留学がブ-ムになり始めて、その傾向は今後ますます進むことは間違いないらしいとなると、数年後にはどうなっているのか背筋が寒くなく。

反面、全ては子どもの将来のためと、莫大な投資をして英語に慣れ親しんでも、公立中学校で日常的に行われている『読む・書く』の英語の授業にはついていけず、英語嫌いになる子どもが多いというから困った話。

経済的な富裕層は、はなから公立の中学校など頭になく、さらに英語を学べる環境を選択するのだろうが、無理にムリを重ねて小学校から英語塾に通わせる中間層(エセ富裕層)も多いようだ。そこまでして、結局は英語嫌いになってしまっては、これはブラックジョ-クなどと笑っていられない。

格差の上に、さらに格差を積み重ねる英語の教科化は、もう一度じっくり考える必要があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月 9日 (火)

現代版『姨捨山物語』の始まり・・・

 最近『有識者会議』という言葉が毎日のように聞こえてくるが、そのほとんどは御用学者を集めて政府の都合のよいような答申を出すことが使命のようになっているので、素人の私でもこの会議が出す結論は予見出来る。言うなれば、最近の内閣は自分たちでは論理を構築する力がないことを示していると切っても過言ではない。

現内閣の目玉の一つに『地方の創生』というキャッチコピ-を掲げて、イシバという担当大臣を置いているがどうもその存在感がひび薄れていく感じがする。どうやらアホベ氏の本心は、イシバ氏を内閣の一員に取り込んで総裁に立候補しないようにしているという噂が聞こえてくるように、この施策に本気で取り組んでいるように思えない。

民間組織だと表現するマスコミも存在しているので、正式に政府から任命されたのかは明らかではないが、実質的には『有識者会議』であるである『日本創生会議』という組織はやる気満々らしく、先日は『人口減で消滅する自治体が続発』ということを発表し、国民の感心を集めたものである。

中でも、都の23区のうち『豊島区』が消滅可能性自治体に含まれているという内容には、豊島区はじめ大都市でも大騒ぎ、組長さんや幹部職員の慌てぶりは、外野から見ていると面白かった。

確かに、このまま少子化が続き、しかも首都圏の一極集中が納まらないとなると、本当にこんなことが起こるだろうと考えさせられる課題が多く、ほとんどの自治体は、改めて『人口減』という(考えたくないので放置していた)問題に正面から取り組まねば大変なことになると気がつき、かなりの危機感を持ったようだ。

それだけこの『有識者会議』は存在感があること示したのだが、このことがメンバ-にさらなるやる気を起こさせたらしく、つい先日、東京と神奈川、埼玉、千葉の1都3県の、いわゆる『首都圏』で、2025年までに75歳以上の(もう少しましな言葉を作れば良いと思うのだが)『後期高齢者』が175万人増え、介護施設のベッド数が13万床不足するとの試算を発表したとのこと。

細かい数値はともかく、首都圏で年寄りの行き場がなくなるのは事実だろう。しかし、その後に続く、医療・介護の受け入れ余力地域として北海道や九州などの41カ所を挙げ、『首都圏からの脱出』を勧める文章には、ちょっと待てと言いたくなる。

人口の多い団塊世代が2022年から75歳を迎えだし急速に高齢化することは、いやというほど聞かされて、それなりに理解しているつもりである。首都圏での高齢人口が飛躍的に増えるだろうことも当然だろう。そして、全国の『後期高齢者』の増加数の三分の一にあたるという。私もその一人なので、これも十分説得力のある文面である。

これに伴い、首都圏の介護ベッド数は約13万床超不足するのだそうだ。この推計を示して、会議としての結論を『地方移住を選択肢に入れるべきで、元気なうちから移住してもらうため、医療・介護体制がどういう地域で整っているかを示すことが重要だ』ということで、快適な生活が送れるだろう41地域を発表したのだろうが・・・。

この提言に対して、官房長官は『地方の人口減少問題の改善や地域の消費需要の喚起、雇用の維持・創出につながる』と歓迎の談話を発表しているが、今回の提言は、国の『地方創生』という看板を後押しするために作ったものであることは想像に難くなく、言葉を選ばず表現すれば、またまた国の無策を地方に押しつけることになると表現しても差し支えない。

それでも、『お上のおっしゃることだから・・・』と、活性化につながると歓迎している自治体もあるらしいが、年寄りなんて移住してほしくない、もっと若者の移住につながるような提言が欲しかったという声の方が圧倒的に多いはずではないだろうか。

事実、41の中の一つに上げられた『別府市』では、戸惑いを隠していないという記事が目に留まったが、他の地域も事情は同じでは・・・。

私自身、あと10歳若ければ移住を真剣に考えただろうが、この年になって移住したら、間違いなく数年後は移住先の自治体にとって『負の要因』となることは明らか、(受けたくないために健康管理をしているつもりだが)もしも受けるなら横浜市と覚悟して、今流行の『故郷納税』もしていない。

 今回の提言は、これも言葉を選ばず表現すると、『年金生活者は介護施設にあぶれる前に地方へ出ていけ』ということだろう。これは、首都圏は経済的に今後も発展する必要があるので、生産性ゼロの年寄りは邪魔だということになりそうだ。

提言にあるように、地方の介護施設や病院などのベッドが空いているかも疑問がある。それ以前に、縁もゆかりもない土地に行けというのはあまりにも酷過ぎる。最近、マスコミが盛んに報じている『移住成功者』は別として、家族や親戚のいない土地へ急に移住して、それまで通りの生活ができるとは思えない。

これでは現代版の『姥捨物語』である。国は、(例によってきれいごとのタテマエだろうが)高齢者が住み慣れた地域で充実した医療・介護を提供する『地域包括ケアシステム』の確立を提唱していたはずなのに、この提言に飛びつくとは明らかな矛盾。地方創生は人気取りの政策に過ぎないようだ。

『地方創生』の切り札が地方経済を活性化だという論理は、超がつく経済音痴の私ででさえ理解できるが、その基本は地方で働く場がないという現状を打破しなければ、全く空絵ごと。年寄りが年金頼りで地方に移住しても、地方の活性化とはほど遠く、むしろますます地方を疲弊させるだけである。

地方のホンネは『年寄りはいらない、若者をよこせ』ということだろう。そのためには、若年層が地方に行って働ける環境を整えるのが先決だろう。(田舎親父)

2015年6月 8日 (月)

また『耐震化されていない学校』の話題が・・・

 学校の耐震化が課題として浮かび上がったのは『阪神淡路大震災』ではなかっただろうか。高速道路が横倒しになった映像には正直唖然とし、しばらく声も上げられなかった。また、多くの古い木造建築が無残に倒壊している様子はある程度理解出来るとしても、鉄筋コンクリ-トのビルが大きく傾いたり倒れているのには度肝を抜かれたものである。

震度は6強(7という記述があったようにも思えるが)だったと記憶しているが、地震の恐ろしさを日本中の人々に改めて認識させる光景だった。その恐怖心が、少し経ってから突然明らかになった『耐震偽造』という言葉に敏感に反応し、さらに『耐震補強』の必要性が叫ばれるようになったのではないだろうか。

特に、子どもの命を守らねばならない・・・という声が大きくなり、学校の耐震化がなににも増して急がねばならないという風潮が広がり、それまでも徐々に進めていた公立学校を管理している自治体は、緊急予算案を組んでまでこの問題に取り組んだことも記憶に新しい。

この動きに、私は冷やかに『急ぐ必要はない』とこの欄でも述べたことを昨日のように思い出す。それが何年何月のことだか記録を読み返しているのだが、拙文の連続で恥ずかしともいながらもこんなに長く続ける予定がなかったので、表題のまとめの一覧表も作っていないことからまだ見つからない。

内容をしっかり覚えているわけではないが、『阪神淡路大震災』の時、その中心部に位置していた『御影小学校』は一部外壁にひび入ったようだが、びくともせず避難所として利用されていることを紹介し、他の小中学校もほとんど無傷であったことから、学校は十分耐震性が担保されていると述べたと記憶している。

高速道路が倒壊したのは明らかに手抜きではと思ったものだが、あの信じられない光景に対して、『手抜き』を指摘したマスコミがなかったことには、未だに釈然としない思いが残るが・・・。

それはともかく、御影小学校などが被災地に凛とそびえていたのは、小学校は建築基準法で一般建築よりも高い安全基準が義務づけられていることに加えて、低層(たかだか4階楯)で、もっとも倒れにくいL字の設計になっていることを上げた。さらに、全国の歴史のある小学校を調べてみると、地域の中心部の小高い場所でしかも平地、そして水の便が良く、過去に災害を受けなかった(受けても微小)の場所にあると述べたこともうっすら思い出す。

この考え方は現在でも変わらず、あれからも地方のいろいろな小学校(廃校のお得は木造校舎だが)を訪ねているが、鉄筋の場合はほとんど例外なくこのような条件が当てはまることを確認している。これらのことから、いかにこれらの土地に住む先人たちが教育を大事にしていたかを知るのだが、このことは別の機会に改めて述べたいと思っている。

今日も変な書き出しになったのは、数日前に、文部科学省が『学校の耐震化に関する調査結果で、全国の公立小中学校の校舎や体育館約12万棟のうち5212棟は耐震化されておらず、814棟は震度6強以上で倒壊する危険性が高いことが明らかになった』と発表したという記事を見つけたからである。

確かに、かって急激な児童増で学校を建築しなけれならなくなり、田んぼや湿地を埋め立てて敷地を確保した場所もあり、改定された耐震基準に満たない例もあるだろうが、かといって、震度6程度で倒壊するとはとても思えない。

蛇足ながら、先日の小笠原沖地震で、神奈川県のほとんどの市町村が震度3程度にもかかわらず、唯一二宮町が震度5強を示していることに不思議を感じたが、後になって、地震計を設置している消防署は、田んぼを埋め立てた地盤の弱い場所だと知り、なるほどもっともと納得したもの。

素人が科学的な基準に逆らうなという声が聞こえてきそうだが、科学的な基準で絶対に安全だとされていた原発が自然の力の前では無力だったことは誰もが認めた真実。人間が絶対に安全な基準を作ろうということ自体、自然への冒涜だろう。

震度の上限は7である。それ以上の揺れはない。私は、観念的だと批判されることは覚悟で、をそこまでの大きな揺れは、自然が、ここには住めない場所だと教えたと受け止めている。

昭和になって新しく生まれた小学校は別にして、それほどの大地震でも、歴史のある小学校の鉄筋校舎が倒れることはないという信念を持っている。今更、耐震工事だと騒ぐのは、一番世の中の動きに冷静に対処しなければならないはずの文科省自体が、経済成長を進める現政権のお先棒を担いでいるとしか思えない。

特に今、遅れに遅れている東北大震災の復旧を加速しなければならない時に、全国的に学校の耐震工事を進めてはその妨げになるのは明らか。オリンピックが何よりの東北復興の邪魔になっていることを含めて、改めて、学校耐震化不要論を強く訴えたい。(杉)

2015年6月 6日 (土)

ここまで酷いとは・・・

 昨夜のうちに、学校の耐震化の話題を書いていたが、125万件の年金情報が流出した事件について新しい情報を知ったので急遽差し替えた。

この事件について、昨日も安易に添付メ-ルを開けないことは初歩中の初歩で、常識的にあり得ないと述べたが、そんな生易しいことではなく、初歩的ミス以前に、2万5000人も職員を抱えている年金機構は外部に発注していたというから、思わず卒倒しそうになった。そして、怒りがすぐに差し替えに走らせたというところである。

そればかりか、委託した会社が『ユ-レイ』で実態がないということが明らかになったというから、信じられないどころの話ではない。国際サッカ連盟が賄賂で大揺れしているが、年金機構にもこの賄賂が横行し、誰かが強引に『ユ-レイ会社』と知りながら、発注した可能性がありそうだ。

そんなバカな話があるはずがないと思いたいのだが、国会の衆議院労働委員会で、共産党の議員がこのことについて追求して明らかになったというから只事ではない。

このことを昨日の『日刊ゲンダイ』という大衆紙のネット版が『デタラメ年金機構 入力業務を“ユーレイ会社”に委託していた』という表題で、かなり分かりやすくまとめて掲載している。すでに読んだ人も多いと思うが、重大なことなので、あえて全文を引用しておく。

(引用はじめ)日本年金機構の個人情報「ダダ漏れ」問題は125万件の流出ではとても済みそうにない。自民党議員からも「政権が吹っ飛びかねない」との声が出始めたが、問うべきは流出の数だけではない。機構はデータ入力の一部をアウトソーシングしているのだが、とんでもないユーレイ会社が含まれていたのだ。
■問題はダダ漏れだけじゃない
 衆院厚労委員会で3日、堀内照文議員(共産党)が追及したのは、機構が昨年10月、業務委託した福井の情報処理会社だ。委託したのは「氏名」「住所」「生年月日」といった個人情報のデータ入力だが、あろうことか、この会社は富山の別会社に“丸投げ”していた。
 堀内議員が確認のために福井の会社に出向くとこれまたビックリ。「ポストに名札(社名)がなく、1階下に富山の業者名があった」(堀内議員)だけで、富山の会社は労働者派遣法に基づく許可・届け出もしておらず、違法派遣だったという。

 違法派遣を知った機構は慌てて委託契約を解除。「守秘義務を課している」なんて説明していたが、苦し紛れもいいところだ。元請けはともかく、違法派遣先に守秘義務もヘッタクレもないだろう。この問題について、あらためて機構に聞くと「個人情報なので答えられない」(広報)ときた。その個人情報を大量に流出させたのは一体どこの誰なのか。これぞ、ブラックジョークだ。
 違法派遣は論外として、これが違法でなくても有期雇用の派遣社員(先)に大量の個人情報の入力業務を委託すること自体問題じゃないのか。と思ったら、年金機構は約2万5600人の職員のうち、非正規が約1万5000人もいる。約6割が非正規だ。
「非正規は守秘義務を守れないとは言いませんが、雇用が不安定な職員を安くコキ使って、『しっかりやれ』なんて号令をかけても誰も動きませんよ。入札、委託の安値競争に巻き込まれてワリを食うのは派遣される非正規です。それが回り回って国民が迷惑する事態を招くのです」(年金業務に携わる派遣社員)
 ダダ漏れが「常態化」する日も近いのではないか。(引用終わり)

この記事を見た後、夕刊各紙とテレビ各局のニュ-スを真面目に調べたが、関連する記事や映像はない。代わりに大々的に報じられたのは、サミットを志摩で開くと言うこと。サミットと国民の年金とどちらが大事なのか、少し頭を冷やしたらわかりそうなものなのだが、マスコミの姿勢は現政権の顔色次第というところか・・・。

今日の朝刊で大新聞がどう扱うか見物である。もしも、スル-したとしたら・・・アホベとそのお友だち内閣に魂まで完全に売り渡したと考えても良いようだ。

さらに、機構の職員だろうと思われる人物がネットの掲示板に書き込んだことで、仕方なく、流出したことを認めたというから明らかに組織を上げた隠蔽であると断言できる。

しかも、隠蔽は機構のみならず、厚労相はもとより首相官邸までがかかわったとなるとこの政権は悪魔そのもの。なんとしても早期に打倒しなければ、国民の命すら危なくなってくる。

いやすでに、隠蔽体質によって、イスラム国に二人の命が奪われたことから、人々は枕を高くして寝られなくなっていることは明らか。

『日刊ゲンダイ』に敬意を表し、感謝すると同時に、ぜひ権力に負けず、事実を事実として報じるジャ-ナリズム精神を持ち続けてほしいと強く願っている。(田舎親父)

2015年6月 5日 (金)

年金事務など遊び感覚なのかも・・・

  『日本年金機構』というお役所は、10年ほど前『社会保険庁』の不祥事から『消えた年金』事件が起きて、新たに発足した組織らしいが、実態は旧態依然であることが今回明らかになった。

1日のことであるが、職員のパソコンに外部からウイルスメールによる不正アクセスがあり、機構が保有する国民年金や厚生年金などの加入者と受給者の個人情報が外部に流出したとのことであるが、なんともみっともない。

国民年金、厚生年金などの加入者に付与される10桁の基礎年金番号と氏名の2情報が約3万1000件に加えて、基礎年金番号と氏名、生年月日の3情報が約116万7000件。さらに3情報と住所の計4情報が約5万2000件の合計約125万件に上るという。

年金機構の職員のパソコンにウイルスが入ったファイルが添付されたメールが届き、職員がファイルを開け、5月8日にウイルス感染が確認されたのだそうだ。一ケ月も前に流出が明らかになっていたのに、ずっと隠し続けてきたというから、明らかに組織ぐるみの情報隠匿だろう。

幹部の更迭は当然、組織の解消も含めた徹底的な検証が必要なことは明らかなのに、理事長の答弁を聞く限りまるで他人事。さらに、監督省庁である厚労省に至っては、トップが言葉では『お詫び申し上げたいと思います』というお決まりの曖昧なフレ-ズを繰り返すだけ。

この連中の『年金なんて、俺たちにとって飯の種だが、年金を受け取っている貧乏人の情報が漏れたって大したことではないだろう・・・』とホンネの部分が浮かんでくるような印象すら感じられる。

それにしても、添付メ-ルを開くとは言語道断。私のメ-ル使用歴は長いが、最初からウイルス対策は徹底するようにたたき込まれ、間違っても知らない人や組織からの添付メ-ルは開かないことにしているのに、国民の大事な個人情報を扱う役所が、こんな初歩的なことすら守れないのは情けないの一言につきる。

機構は契約しているソフト会社に『ウイルス対策を依頼する一方、不審なメールに注意するよう全職員に通知した』とのことだが、『ウイルス対策を依頼する』という文言がひっかかる。このまま素直に解釈すると、ウイルス対策ソフトもいい加減だったということに他ならない。

誰の情報が流れたかは絶対に知らされないだろうが、世に詐欺が横行していることから間違いなく詐欺を目的に情報を盗み取ったと考えた方が良いだろう。となると、すでに、年金機構の職員を名乗る人物から電話があった人もいるのではないだろうか。

機構は今後、情報が流出した加入者の基礎年金番号を変更し、受給などの手続きの際に本人確認を徹底するなど流出情報の悪用防止を図るというが、こんな初歩的なミスをなんとか隠そうとしてきた体質を考えると、それらが徹底されるとはとても思えず、ひたすら時間稼ぎの答弁のように聞こえてならない。

125万人という数字もひっかかる。年金受給者の数は正確には捉えていないが、統計では高齢者は国民の4分の一というから、2千万人は優に超しているだろう。今回流出したのは、単純計算ではその中の5%程度。保管に一定の基準があるはずだから、125万人に共通する要素があると考えても間違いなさそうだ。

それが、地域なのか年齢なのか、それとも年金額なのかも明らかにされていないが、もしも年齢別で、しかも80歳(90歳)以上ということになれば、認知症も進んでいることもあるだろうから詐欺犯には絶好の情報。今回の年金機構の信じられないような初歩的なミスは、泥棒におい銭的行為どころか泥棒を養成していると言っても差し支えない。

ところでもっと心配なことは、10月から全国民に付番が始まり、来年1月から実施される全ての国民の情報を国が一括して管理する『マイナンバー制』でも同じことがあるのではという疑念である。

年金情報の流出は、いわば高齢者だけの話であり、最悪の場合はカネで解決出来るだろうが、生まれたばかりの子どもから後数分でこの世から消えるだろう人まで、全てに番号をつけて、・住所氏名・生年月日・(卒業)学校名・現在の職業・就職履歴・収入・税金額から滞納歴・病歴・犯罪歴などなど、その人の個人の全情報がどこかの役所のコンピュ-タで管理されるとあっては、その一部であっても、流出したらそれこそトンデモないことになることは間違いない。なのに、流出しないという担保はないのに、安全だと強弁し実施計画を変更しないという国に不安が広がる。

消えた年金で過去に暗い履歴を持つアホベ政権は、せめて、来年1月からの施行を一旦白紙に戻し、この制度の必要性をもう一度根底から議論し、国民的理解を深めると同時に、セキュリティ対策をもう一度徹底して洗い直すべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月 4日 (木)

エレベ-タ利用は相当な覚悟が・・・

先日も話題にしたが、先月の29日の口永良部島の新岳の爆発的な噴火に続いて、翌30日には小笠原沖を震源地にした大地震と、立て続けに天変地異が起きたことに、いよいよ来るものが来そうだという感がしはじめる。

口永良部島では島民137人に全員避難命令が出され、その日のうちに避難が完了したとのこと。人的犠牲がゼロだったことは朗報であるが、今後、避難生活がいつまで続くかわからないというから、県と国にその対策の徹底を望みたい。

こんな孤島に生活している人たちのほとんどは高齢者で、若者は極端に少ないのではと思いこんでいたが、避難者の中に子どもの数が多いことに驚きと感動。と同時に、何故ッという疑問が生まれ、そのことを調べれば、地方の活性化の何かのヒントが生まれるのではと考えているのだが・・・。

そのことは、別につぶやくとして、小笠原沖地震(と私なりに命名しておく)は、幸いなことに、震源が600キロ超と極端に深かったことから、M8.1という猛烈な強さにもかかわらず、関東地方は一部震度5強の揺れがあったが、全体的には震度3~5弱で済んだようだ。しかし、揺れは全国に及んだというから、巨大地震であったことは間違いない。先日の繰り返しになるが、震源がもう少し浅かったらトンデモ災害が起きたことも確実だっただろう。

建物の倒壊などは皆無だったようだ。このことは震度5強程度では倒れる家屋がないということだろうが、最近は、少し大きな地震が起きる度にエレベ-タ-が止まって中に閉じ込められたということが増えている。

今回の地震でも、首都圏の高層ビルやマンションで停止したエレベーターが約2万台あったと翌日の新聞テレビは報じていたが、あの狭い空間で長時間閉じ込められたらと想像するだけでゾッとする。今回も100件近い閉じ込め事故がおきたらしい。

閉じ込められるのは論外としても、高層ビルが林立している首都圏では、エレベ-タ-が命綱。止まってしまったら、超高層の上階の人たちは下界に降りることは相当厄介なことになるのは明らか。今回の地震でもさまざまなことがあったようだ。

六本木ヒルズでは、52階の展望フロアへのエレベーターが停止し100人以上が一時取り残されたという。従業員の誘導により『非常用エレベーター』で降りたとある。さすがは六本木ヒルズ、『非常用のエレベ-タ-』を設置しているのかと、別の意味で感心する。

ところが、東京都庁では45階の展望室につながる専用エレベーター2台が停止したそうだが、非常用のエレベ-タ-などあるはずがない。約50分後に職員が、展望室に残されていた人々を、別のエレベーターが動いていた32階まで階段を下りて避難させたのだそうだ。

13階も歩いて下りるのも大変だっただろうが、もし別のエレベ-タ-も止まっていたとなると階段で下りるしかない。そんな場合、年寄りや車椅子利用などの人はどうするのだろう。階段ではとても降りられない人もいることも十歩あり得るだろうから、大変な困難を伴うことは想像に難くない。

非常用エレベ-タ-を設置していた六本木ヒルズでは、そのエレベ-タ-が動かないことを想定して、高層階に長時間足止めとなった時のため備蓄などの対策をマニュアルで定めているそうだ。これまたさすがであるが、都にはこうした対策がないというから、都庁の展望台に出かける時は、登山と同様の装備が必要になりそうだ。

六本木ヒルズのようにマニュアルを持っている事業所がどれぐらいあるのだろう。最近の高層ビルはともかく、古いビルではとても無理だろう。財政的に潤沢な都庁をしてこの程度なのだから他の自治体では、エレベ-タ-の復旧に全力を尽くすという程度ではないだろうか。

国の対応は、今年3月に決定した緊急対策推進基本計画で『安全対策を進める必要がある』としている程度で、『火災や重病者の発生など緊急事態を除き、高層階で取り残された人々の安全確保は施設管理者の責務とするのが基本的な考えだ』というから、事業者まかせで『国はあずかり知らぬところ・・・』というところらしい。

確かに、さらに大地震となると非常用のエレベ-タ-も止まることもあり得るだろうから、どこまでを想定したマニュアルかが問題になり、国として線引きするのは困難だろうことは理解出来る。しかし、一方では高層建築物をどんどん認可し、後はお前らで考えろはいただけない。

最近の構想建築物には震度4程度の揺れを感知すれば、自動的に最寄りの階に停止できるエレベ-タ-が設置されているそうだ。ならば、少なくとも20階以上の建物には、この機能付きのエレベ-タ-の設置を義務づけるべきではないだろうか。どの階で止まるかはウンにもよるが、閉じ込められるよりはましだろう。

ところが、国が出した方針の中に、エレベ-タ-に水と簡易トイレの設置を推奨するという記事があったが、あの狭い空間に簡易トイレとは、基本的に何か違うのではと思ってしまう・・・。

どうやら、高層ビルに出かける時は、最悪、エレベ-タ-内に閉じ込められることも考えて、それなりの覚悟は必要らしい。(田舎親父)

2015年6月 3日 (水)

原発ゴミはどこへ・・・

 これまでも繰り返しつぶやいてきたが、原発を稼働によって生じる『原発ゴミ』の処分について、いよいよ国は追い込まれたらしく、最終処分場は『俺が決める』という態度を露骨に表しはじめた。

これまでは、莫大な交付金をエサ(アメ)に、名乗りを上げろという政策だった。しかし、高知県の東洋町が唯一手を挙げたが、すぐに撤回したことから行き詰まり、国の主導で候補地を決めるやり方に方針を転換したという。

東洋町が町長の独断で手を挙げたのは数年前。町民の猛烈な反対で、町長はじめ推進派は諦めて方針を撤回したらしい。国もこのことを了解し話はなくなったが、南海トラフが動いたら、この地は大津波が想定されている地、トンデモないことになっていたことは間違いないところ。

後で知ったのだが、町長は手を挙げることによって莫大な補助金を受け取り、住民の反対で計画が頓挫すれば撤回すれば良いと誰かに入れ知恵され、カネのもらい得だと思ったというから、なんとも浅ましい話。

もっとも、国が一旦決めたことを、住民の反対で撤回するということなどあるはずがなく、『もらい得になるから手を挙げては・・・』と唆した政府筋のキレ者が影に存在したことは間違いところ。猛烈な反対運動が起きなかったら・・・、また、町長が強引にカネを求めたらと思うとソッとする。幸い、町民の良識が勝り、町長がこの筋書きを実行する前に取り下げたことで事なきを得たというところだろう。

こんな国の姿勢では、他の自治体が手を挙げるはずがなく、以後、待っていてもラチがあかないことに業を煮やして、ならば『俺が決める』ということになったのだろう。

今まで『原発ゴミ』などという『負の情報』を全く知らされなかったこともあって、関心を持たない国民も多かったが、福島原発事故で、最終処分場が未定の日本の原発は『トイレなきマンション』という言葉が的確に言い表していることが周知され、原発から出る高レベル放射線廃棄物の危険性に気がつき、原発の恐ろしさを認識するようになった。自治体としてもそれを受け入れれば莫大な交付金がもらえることがわかっていても、挙手などできるはずはない。

国策として原発推進し、今後も続けるというのだから、最終処分場を国が前面に出て決めるのは当然だろうが、よほど監視していないと、またまたトンデモない結果になりそうだが・・・。

早速、国は『最適値』の選定を開始したらしく、自治体向けの説明会を開くのだそうだが、日にちも会場も市民には知らされないというから、やり方は従来と全く変わらず、これでは始まる前から反対運動が起きるのは当り前だろう。

最初にねらわれるのは北海道だそうだ。北海道の幌延町には、原発ゴミを地下に埋めるため地層処分を研究(何のことか私にはよく理解できないが)する『幌延深地層研究センタ-』という施設があり、狙い撃ちされているのではという噂が流れているという。

北海道は、先を見越して『特定放射性物質は受け入れない』という条例を作ったと聞いているので、こんな説明会自体必要ないという声が大きいようだ。しかし、国が、こんな声を聞くはずがなく、今回の道知事選挙では、自民党の推薦を受けた『泊原発再稼働』に積極的な知事が再選されていることから、先行きは極めて不透明。

先日の北海道新聞によれば、6月1日と2日の二日間、札幌市で道内179市町村を大将にした説明会が開かれる(開かれた)とのことだから、出席を決めた3分の1程度の自治体の担当者は、札幌市の某所の会場で必死でメモをとったことだろう。参加した自治体では、今日あたりから関係者会議が開かれるのではないだろうか。

最適地は『科学的根拠』によって決めるというが、国のいう『科学的』という言葉は、往々にもっとも『非科学的』であって、むしろ『政治的』と置き換えても差し支えないことが多かったことから、幌延町を表面に出しながら、突如、思いがけない地名が出ることも十分あり得る。

『これ以上次世代に先送りするわけにはいかない』という国の言い分はもっともだが、その一方で、原発を『ベ-スロ-ド電源』と位置づけ、既存の原発の再稼働はもちろん、新しい原発を建設し、必要エネルギ-の20%以上を原発で生み出すと明言している以上『原発ゴミ』は確実に増え続けることは誰の目にも明らか。なんとも矛盾に満ちあふれている説明ができるものだと呆れるしかない。

『原発ありき』で最終処分場を強引に決めるというのでは、問題の解決にはつながらないことは、小学生でもわかること。国は,最適地選定について、を押しつけにならないよう、議論の仕方にも従来と異なる発想が必要だということ知り、それにそって実践してほしいもの。

処分地の必要性だけを訴えても、同意は得られないのは国も知っているはず。都合のよい情報だけを知らせるだけではなく、負の情報も全て隠さず示し、何よりも、『原発に頼らない未来』という言葉が必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年6月 2日 (火)

オリンピック委も体質は同じだろう・・・

国際サッカー連盟(FIFA)の幹部たちが、開催地の選定などにかかわり賄賂受け取ったという容疑で、アメリカの司法省に逮捕されたというニュ-スに世間は大騒ぎ。時がFIFA会長選の直前だったことから、ロシアがアメリカを非難するなど国際的な政治問題に発展しそうな気配すら・・・。

世界各国・各都市があれほどまで熱狂的に開催地獲得争いをしているのだから、いつかこんなことになるだろうと予測していたので、さほどの驚きないが、何百億円という賄賂が飛び変わっていることに、利権にまつわる話は世界共通だと改めて考えさせられる。

日本では長年野球が圧倒的に国民的人気を得ていたが、近年、サッカ-が野球と同等の人気になっているらしい。このことは、今まで土・日曜日の小学校の校庭では、野球オンリ-だったが、ここ数年、野球とサッカ-が隔週ごとに練習している風景で象徴されている。

子どもたちの姿にもこのことが現れ、野球のユニフォ-ム姿で遊ぶことは少ないが、サッカ-の定番であるハ-フパンツとTシャツ姿は街角などに溢れている。

これはJリ-グの台頭によるものだろう。Jリ-グの設立は画期的なことは疑いのない事実だが、当時、どうして今後運営していくのかなと注目していたが、サッカ-くじ『トト』という金集めのシステムを文科省主導で『スポ-ツ振興』のためにという錦の御旗を掲げて生まれたことに、チエ者がいるものだと感心・・・。そして、その人気は今日に至っても続いているという。

設立には反対もあったと思われるが、さほどの抵抗がなかったかのようにいつの間にかこの制度は定着している。国民に広く深く知られる前に、既定事実として動き出したのも政治的な背景があってマスコミが大騒ぎしなかったのではないだろうか。

このサッカ-くじ『トト(toto)』の語源は日本語で『博打』を表す、トトカニチョからとっているとのことだから、要は競馬と同じ発想に違いない。

最近、宝くじ人気が凄いようだ。特に、年末ジャンボの発売ともなると、特定の売り場では徹夜組が出ることも珍しくないほどだという。厳正な抽選を行っているはずだろうから、1等や2等などの当たりが特に多く出る売り場などあるはずがないと思うのだが、不思議に、そこから高額当たり券が出るのも奇怪しな話なのだが・・・。

宝くじの胴元(みずほ銀行?)は、(時代小説で必ずと言って良いほど登場する賭博場のやくざの親分と同じで)絶対に損はしない仕組みになっているという。確かに、数百億円の売り上げを見込んで、その数十分の一程度しか当選金額の払い戻しをしないシステムになっているのでは、当然といえばこんな当然なことはない。

『トト』も全く同じで、スポ-ツ振興と銘打って、サッカ-が好きか嫌いか、興味があるかないかなどに関係なく、国民の『ひょっとして』という欲望をくすぐっているのだろうが、何だか博打を奨励しているようにも思える。

プロ野球よりも多いチ-ムの、(もっとも賞金の高いものでは)全てのチ-ムの得点差までの勝敗を当てるのだから、その確率は極めて低いが、当たらない場合は次の抽選に繰り越すということが魅力となって物凄い人気だそうだ。なるほど、一攫千金をねらう人々が殺到するわけである。

サッカ-を博打の対象にすることは、ヨ-ロッパでは古くから当り前に普及しているらしい。要は、サッカ-はもともと博打性が高い歴史があったといっても差し支えないようだことから、そんなサッカ-の世界的な組織であり、世界各国が争って選手権の開催権を得ようと血眼になっている現状では、賄賂が横行するのも当り前だろう。

この顛末がどうなるのか、私には興味はないが、会長が再選(5選)されたというから体質は変わらないのではないだろうか。ということは、今後も、開催地の選定や放映権について、賄賂の横行でことが決まる繰り返しになりそうな気がする。

ところで、オリンピックにも同じことがいえそうだ。世界各国・各地域が、毎回のように開催地合戦に名乗りを上げて、なんとも凄まじい招致争いを繰り広げている。

アメリカ司法局がオリンピックにかかわる不正を捜査しているかは知るよしもないが、かなりのカネが動いていることは門外漢でも予測できること。

ウソを言い繕ってやっと招致に成功した東京大会の関係者は、いろいろと綻びが明らかになるにつれて、首筋にヒヤリとする風を感じているのではないだろうか。(田舎親父)

2015年6月 1日 (月)

それでも原発政策は変えない?・・・

原子力規制委が川内原発の再稼働にGOサインを出したことに、これでは『規制委員会』ではなく『推進委員会』ではと強い憤りをつぶやいていた矢先の29日の午前に、やはり鹿児島県に位置する口永良部島の新岳で爆発的な噴火が発生したのは、単に偶然だとは思いたくない。

噴煙が9000メートル以上の高さまで上がったという。身近な火山の噴火として伊豆大島や三宅島があるが、想像を絶する自然の力を見せつけられているようだ。この島には、かって2000人を越す住民が生活していたというが、現在は137人というから、この島でも離島の宿命が如実に現れているようだ。島に残って人々は、いつか噴火することを想定しながらも慎ましく生活していたに違いない。

今回の噴火はマグマ噴火だとのこと。水蒸気爆発だった御嶽山の噴火でもあれほどの被害を出したのだから、もしも、マグマ爆発だったら被害は信じられないほど大きかったに違いない。たまたま、口永良部島は人口が少なく、普段から火口付近には近づかない生活だったから、人的被害はなかったのだろう。

火砕流が新岳の南西側から北西側にかけて流れ下ったことで、全員が島を離れる全島避難という指示が出されて、すぐに全員が隣の屋久島へ避難したという。日頃の心構えができていたので、犠牲者ゼロは何よりだったが、避難生活が長引くことが心配である。

原子力規制委のメンバ-たちは、今頃首をすくめて、ひたすら火山活動が早く収束することを祈っているだろうと推測しているが、それでもGOサインを取り消すという発言はない。まあメンパ-たちも政府の意を酌んだ所詮は飾り物なのだろうから、はなからそんな期待は持っていないが・・・。

そのことはさておき、横浜の片田舎でのんびりと風呂に浸かっていた私が、異変に気づいたのが翌日30日の午後8時過ぎ。突然、お湯が動き出したのには驚いた。そして、浴室全体が歪むような揺れがしばらく続く。

家内の『震度5強ですって・・・』という声にも肝を冷やすが、すでに揺れが治まった後なので、震度5強とは3.11の大地震と同じなのに、風呂場では揺れが減衰するのかと思ったものである。

急いで風呂から上がり、すぐにネットで地震情報を調べると、横浜の片田舎の当地は『震度3』とのことに、なるほどそうだろうと納得するが、同じ神奈川県内の二宮町が震度5強だったことを知り何となく変な気分になる。そして、東京を通り越して埼玉県の春日部市などが『震度5弱』を記録したとのことに、なんとも違和感を覚える。

 震源地は、小笠原諸島の西方沖、地震の強さはマグニチュード(M)8・5だというから、規模的には関東大震災よりはるかに大きい。震源の深さが590キロととてつもなく深い場所であったことから、この程度でおさまったのだろうが、もしその深さが一桁違ったら、いや半分であっても東北大震災以上の被害が出ていたとしても奇怪しくない。

 揺れは全国に及んだらしいが、気象庁は関東地方の揺れの差がどうして起きたのか、納得させてくれるような説明はない。ご自慢の『緊急地震速報』も発表しなかったのも変な話である。

『震源が深い地震では、正確な震度の予測が困難なため発表していない』と説明しているそうだが、震源が浅ければ、地震速報を出す前に強い揺れが起きてしまうのはこれまで何度もあったこと。この緊急地震速報』の精度が上がらない限りあまり役立つ代物ではなさそうだ。

気象庁は、沈み込む太平洋プレート内部で起きたとみており『強い揺れを伴う余震の恐れは低い』と予測しているが、果たして信じて良いのかも気になるところ。

口永良部島の火山噴火も小笠原沖を震源とする今回の地震も、気象庁は全く予知出来なかった。最近、毎年のように被害を出している『ゲリラ豪雨』は、雲の動きを詳しく追っていればある程度予測は出せることから、ここ数年、比較的『豪雨警報』は信頼度が高くなっているが、地震や噴火に関しては、未だに『予知不能』であることは変わらない。

口永良部島の新岳は地下のマグマそのものは桜島や阿蘇と源を同じにしていることから桜島が大噴火を起こしても決して不思議ではない。

小笠原沖の深い場所が何らかの異変を起こしただけで、これだけの範囲が不規則に動くことが明らかだとなると、関東沖の深さ100キロ程度で同じ規模の自然のいたずらが起きたら、首都圏は想像に絶する被害が起きることは間違いないだろう。

それどころか、南海トラフが連動することもあり得ない話ではない。となると、太平洋沿岸は、それこそ地獄の様相を呈することも想像に難くない。

それでも、原発の再稼働の方が大事なのだろうか・・・と、今回の噴火と地震で、改めて、国の姿勢に強い疑問と不信感を覚えさせられる。

逆見方をすれば、日本沈没のような大災害が起きない限り、原発政策を改められないとしたら、そんな国など存在してほしくないと思うのは、ごく普通の感覚ではないだろうか・・・。(田舎親父)

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