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2015年7月

2015年7月31日 (金)

貧乏人の戯言だろうが・・・

鉄道ファンが増え続けているらしい。最近は、JR各社の車両の変更期に当たっているらしく、長らく日本各地のそれぞれの路線で活躍していた人気列車の『お別れイベント』も数多く、その度に、その列車に群がる『テッちゃん・テツ子』のフィ-バ-ぶりを賑やかに報じている。

鉄道に特に興味を持っていない私には、例えば『特急 〇〇〇』などという名称ならば、何となくその姿を想像できるが、最近の傾向は、かって山手線や横浜線を走っていたごく普通の車両でも大騒ぎにしてしまうほど。

そんなとき、必ず報じられるのが車両の種類やや製造時期などを表す、例えば『クハ 485-116』というような記号や数字。この記号と数字だけで鉄道ファンは全てを理解するというから、ただただ凄いなあ・・・と感心することばかり・・・。

今日もまた変な書き出しになったが、先日、『イ復活』という見出しを見つけ、何のことだろう変に興味がわいて読み始める。

(ネットで俄仕込みの知識だが)車両に刻印されている記号であるが、先に例として出した『クハ 485-116』で説明すると、最初のカタカナが車両の種別を表し、『ク』は運転席付き車両、『モ』は運転席はなく、モ-タ-がついている車両、『クモ』は運転席もモーターもついている車両、『サ』は運転席もモ-タ-もついていない車両なのだそうだ。

次に続くカタカナは車両の等級を表し、『ハ』は、(現在順序を表すのは、アイウエオという、いわゆるアルファベットであるが)以前使われていたイロハ・・・方式の上から3番目(3等車)ということになるという。後に続く数字にもそれぞれ意味があるのだが、長くなるので省略する。

『イ復活』という見出しは、このカタカナに『イ』が復活したというのである。現在は『ハ』は私がいつも世話になっている、いわゆる普通車であり、『ロ』はグリ-ン車、『イ』は長らく使われていなかったという。

そこにグリ-ン車より格の高い『イ』の記号がつけられた車両が出始めたということのようだ。こんなことは鉄道マニアにとっては常識なのだろうが、小学校の頃には、イロハ順のクラスや座席を経験している私には、そうだったのか・・・と変に納得する。

 日本に鉄道が導入された明治前期の座席は上・中・下等と3段階だったことは中学校の歴史の授業で習った記憶がある。上等は政府の要人や大富豪などごく限られた人しか乗れず、庶民は下等を使うのが当り前だったという。

西洋文化の影響だろうが、(いつの頃かはっきりしないが)『上・中・下等』という表現が露骨過ぎるということで、『1~3等』に変更されたのだそうだ。そういえば、中学の修学旅行で東京まで乗った夜行列車は『3等車』だったことを思い出す。

国鉄時代は車両管理のシステムとして、座席呼び方とは別に、1等車から順にイ、ロ、ハの記号を、それぞれの車体につけて、一元的に管理していたのだが、戦後、1等車の利用者が減ったことや、先進諸国が2等制になったのを受け、1960年から営業運行する車両から『イ』がなくなったのだという。

そして、従来の2等車を1等、3等車を2等車に格上げし、それぞれ『ロ』、『ハ』とするようになり、69年には、それでも格差を連想させるということで、等級表示ではなく『グリ-シ車』『普通車』にし、それが現在に引き継がれているようだ。

『イ復活』の記事の本文は,このところ、JR各社は高級車両を次々に打ち出していることである。一昨年だったかに誕生したJR九州の『ななつ星』は内装にヒノキや有田焼が使われ、バーではピアノの生演奏もあるのだそうだ。

そこまでは豪華ではないらしいが、JR東日本では、グリ-車両より高級感のある特別車両を『グランクラス』と称して各新幹線に導入しているが、再来年からは、さらにグレ-ドの高い『クルーズトレイン(豪華寝台列車)』の運行をはじめるという。これらの車体には『イ』の文字が刻印されているのだろう。なるほど『イ復活』である。

 およそ私のような貧乏老人には縁のない話題ながら、突き詰めてもの申すと、これもJRの金儲けのため営業戦略なのだろうが、何故、格差が問題になっているのにもかかわらず、JR各社は、格差を『是』として豪華な列車を運行するのだろという素朴な疑問をつぶやきたくなるのだが・・・。

 豪華列車を走らせる前に、何よりも安全で、地方の活性化を後押しするようなダイヤの改正を急ぐべきだと思うのだが、こんな発想は時代後れなのだろう・・・な。(田舎親父)

2015年7月30日 (木)

小説の世界だけにしてほしいが・・・

以前も取り上げたが、人工授精などで子どもを授かるということに対して、社会的には合意は得られなくてもニ-ズはあるらしく、時に私が目にする記事の中身はますます凄くなっているような気がしてならない。

つい先日、『匿名の女性』から提供を受けた卵子を使い、2組の夫婦が体外受精卵を作ったというニュ-スには驚く同時に、何故、そこまでしなければならないのだろうと、漠然とだが、人間の業の凄まじさを感じてしまう。

この記事で、無償ボランティアからの卵子提供をあっせんするNPO法人が存在することを知ったのだが、こんな組織の存在して良いのだろうかという素朴な疑問を持つのは私だけ私だけなのだろうか・・・。

この分野の知識は全くないが、この夫婦の妻には、何らかの理由で正常な卵子を生み出せないというだろうことは想像できる。子どもが欲しくてたまらない夫婦は数多いと聞いているのでこの夫婦は長期間、自分たちで子どもが授かる手法を追い求めていたことも十分理解できる。

それがかなわず、最後の手段としてこのNPO法人の門を叩いたのだろうことも推測できる。NPOは待ってましたと思ったかどうかは別にして、この患者(夫婦ともどもだろうが)を提携している(大学?)病院(医療組織)に送り、人口受精的手段を『是』として研究者(医師)の指導の元、試験管?の中で、夫の精子を提供者の卵子と受精させて受精卵を生み出すことに成功したということだろう。

次の課題は、この受精卵を妻の子宮に埋め込み着床させ、無事出産することだろうとは素人の私でも理解できる。成功したら、画期的な実践としてマスコミが殺到することは疑えない。

しかし、命の誕生は神の領域だと確信している私には、また一つ、神の領域を犯す今回の実験?には、不吉な思いがしてならない。

 このNPO法人が対象としているのは、染色体異常や早期閉経で卵子がないと診断された40歳未満の既婚女性だという。自分の卵子と受精できなくても、愛するパ-トナ-の血がつながった子どもを、何としても自分の体内で育てたいと望む気持ちが理解できないわけではないが、他人事であっても、ハイそうですか・・・と聞き逃すことはできない。

 試験管ベビ-の誕生以来、精子や卵子の提供、代理出産など、第三者が関与する生殖補助医療については、かなり以前から議論されているらしいことは知っている。しかし、表面的な議論にとどまり、法整備に結びつかないまま既成事実が先行していることは、時々突発的に、今回のようなセンセ-ショナルな報道が示している。

私が知らないだけで、姉妹の卵子の提供を受けて受精させて出産に成功する事例はこれまでもあったそうだ。しかし、今回の場合は『匿名の第三者』。詳しい事情はわからないが、いずれにしても自分の卵子を、受精卵生み出師のために提供する女性が存在することを示している。

記事には、卵子を提供する女性の体に与える負担はもとより、『生まれてくる子どもの幸福』が最優先に考えねばならないと述べている。このことには全く疑義はないが、何でもビジネスと考える風潮と、それを許容する社会であることから、『出生ビジネス』として成立することが恐ろしい。

記事には、卵子を提供した女性は『無償ボランテア』とあるが、NPO法人のボランティア精神の有無を示す文言はない。となると、信じたくないが、このNPOがビジネスとして取り扱っていた可能性もゼロではないだろう。

『出生ビジネス』を利用して、莫大な金額を支払って受精しこの世に生まれた子どもが、自分とは血のつながっていない他人が実の母親であったことを知った時の心理的影響は計り知れないほど大きいことは想像に難くない。それ以前に、生まれた子どもに障害があった場合、誰が今後子どもの将来を責任持って育てるのか、こんな初歩的な疑問を関係者は誰も考えないのだろうか。

夫婦間もずっと円満とは限らない、夫婦の間にすきま風が生じないとも限らない。相手に対して不信感が生まれたときでも、子どもには出産当時の愛情を注げるのだろうかという疑問も生まれる。また、子どもが自分の出生の秘密を知り、社会に背を向けて生きることもあり得るだろう。その他諸々の心配は数多い。

このニュ-スに接して私の正直な感想は、どうかこんなことは、小説の世界だけにとどめておいてほしいと願うのみ・・・。(田舎親父)

2015年7月29日 (水)

友だち関係が陰湿かしそうだが・・・

(以前から何度もつぶやいていることであるが)全国の学校が統一して一つの価値観で子どもたちを教え導いたら、トンデモない事態になると、強い危機感を持っているのだが、そんな年寄りの思いなど伝わるはずがなく、全国の小中学校で道徳を教科に格上げ。次の段階の『国定教科書』を作るところまで事が進んでいるようだ。

 先日、文科省は、道徳の教科書の作成に当たって、『読む道徳』から『考え、議論する道徳』という文言を、教科書会社に通達したという。繰り返しになるが、『教科』となれば、これまでの『副読本』ではなく、文科省の検定を合格した教科書を使って、授業を進めることになる。

 今回の通達で、タイムスケジュ-ルが明らかになり、小学校は2018年度、中学校は19年度から初の『検定教科書』が使われることになるようだ。

 教科会社に示した検定基準案には、生命の尊厳、自然、伝統と文化、先人の伝記、情報化への対応など、学習指導要領に即すテーマを挙げるとともに、意見を交わす討論など『言語活動』や『問題解決型学習』できる構成を求めているらしい。

 結構な文言が並び、それぞれに反論するのはかなた難しい。ただ、『道徳』という教科?では、算数(数学)や理科のように、客観的な学術知識で正誤を決められるものではない。学校としては、このあたりをどう扱うのか頭を悩ましているに違いない。

しかも、教科となると何らかの評定が不可欠で、通知表で『道徳の成績』を保護者に知らせなければならない。文科省は文章で評定するとの考えを示しているが、児童生徒の心の葛藤や周りとの関わりを文章で表現するとなると、担任(担当)教師の負担は大変なもものになることは明らか、現場での戸惑いは想像以上に違いない。

通知表でよく使われる文面に、『(国語)漢字の知識は十分なのですが、音読に少し努力をする必要があるようです』というものがある。あるいは『(算数)計算は速く正確ですが文章問題には苦手意識があるようです』という文面もお馴染みである。

これを読んだ保護者は、音読が下手なことや読み取り不足だと理解できるので、このお休みには図書館通い進めてみようとか、読み方を聞いて上げるようにしようと具体的な対策を考えつくが、『道徳科』において『友だち気持ちをくみ取ることが苦手なようです』と書かれていたら、場合によったらかなり誤解を生まれるのではないだろうか。

話は少し飛躍するが、文科省はいじめをなくすためにも道徳の指導は不可欠だと主張している。そのために教科にして、学校全体で『いじめをなくす』という共通の価値観が必要だと説明しているが、優秀な官僚たちが『教科にすればいじめがなくなる』と本気で思っているのだろうか・・・。

大津の中学校で、いじめを苦にして男子生徒が自殺したことが、道徳指導の強化に大きく影響したことは述べるまでもないが、この中学校は道徳の文科省の研究指定校だったことはなぜか大きく取り上げられていないのも変な話・・・。

この事件を契機に、全国の教育委員会は『いじめをなくすために』というマニュアルをつくり、現在では全国全ての学校では、教育委員会の趣旨を織り込んだマニュアルを持っていることは言うまでもない。

先日、岩手県の中学2年生の男子生徒が、いじめを苦に自殺したことが大きく取り上げられているが、この学校も、(私もじっくり読ましてもらったが)文面にある通りのことが実践されていれば、いじめなど起きるはずがないと断言できるほどの立派なマニュアルを持っている。

この中学校はいじめの存在を認め、加害生徒も特定これているとのことで、自殺した生徒の保護者は、学校と加害生徒6名を警察に被害届けを出し、告訴したというが、失くした命は戻ってこないことを十分分かっていても、その過程を知りたいと思う気持ちがある以上当然だろう。

道徳が教科になった後も、これに類する事件(いじめが原因で自殺)は必ず起きることは間違いない。裁判所としては、道徳科の成績も参考にするだろう。加害生徒の通知表に『友だちとの関係は良好で・・・』という文章表記があったとしたら、担当教師の判断力が疑われるところ。

そして、私の経験で言うと、今回加害生徒と断定された生徒は、いじめとは認識していないことが多く、むしろ、一般的にみたら、明るく朗らかな、どちらかと言うと優秀な生徒であることが多いことも付け加えておこう。

数年後、いじめと道徳との関係が大きな問題として取り上げられることだけは確かだろうが、道徳科の成績が重視されるとなると、友だち関係は陰湿になる可能性があるのではないだろうか。

そして、その可能性は、決して良い方向ではないような気がするのだが・・・。(田舎親父)

2015年7月28日 (火)

大学が軍事研究機関に?・・・

 国の安全保障に役立つ技術を開発するとして、防衛省が大学などの研究者を対象に研究費の支給先の公募を始めたということは聞き捨てならない。

防衛省が研究者に直接お金を出すのは初めてだそうだが、1件あたり年3千万円という高額となると、手を上げる組織や個人が出ることは間違いなさそうだ。最新機器を駆使して研究を進めるとなると先立つものは予算であるが、文科省が大学を締めつけていることもあって、予想以上に反響があるのではないだろうか。

国が研究助成金を出すのなら話はわかる。例え、その研究が軍事に利用されたとしても、批判はあるだろうが、ある意味仕方ないという雰囲気になりそうだ。しかし、防衛省が直接助成するとなると意味が全く違ってくる。そこには、例えオブラ-トに包むような文言で趣旨説明があったとしても、軍事目的だと捉えても何ら不思議ではない。これは恐ろしい・・・。

 『デュアルユース』という言葉があるのだそうだ。最近は、何でもカタカナで表現することが多い上に、これまでのカタカナ用語でも変えてしまう風潮は、私のような古い人間にはついていけない。オリンピックのシンボルマ-クで通用するものを、わざわざ、さも権威があるがごとく、『エンブレム』などと表現するのもその一例。

一度聞いただけでは覚えられない『デュアルユ-ス』という言葉の意味は、『民生と軍事の両面で使える技術』のことなのだそうだ。最近流行のウイルスやロボット、人口頭脳などの研究などがこの範疇に入るようだが、要はなんでもありというところだろう。

『ウイルス』を研究することは、病気の予防や治療に画期的な医療技術につながるとその成果に大きな期待を寄せられているが、『生物兵器』に転用される恐れ場十分ある。となると、おぞましい結果を招くことは想像に難くない。

ロボットの研究は、原発事故処理でも絶対に必要な技術として注目され、最近は介護部分でも期待されているが、ロボットというよりも二足歩行ができて、人間相手に言葉を交わける人口知能が付加されたロボットが、企業ベ-スで売り出されているというから、『鉄腕アトム』の世界が現実化してきたようだ。

アトム物語では、人間以上に豊かな良識と感情を持ったロボットとその周りは、善意で満ちているが、悪意を持った主人の都合の良い解釈でアトム(アベムかな)が爆撃機などを操縦するようになれば、最高の必殺兵器になるのは論を待たない。

 『エンブレム』という言葉にこだわるようだが、新しく決まった『エンブレム』の元、オリンピックを成功させよう・・・とマスコミにとっては、国立競技場の建設問題とは別次元らしく、連日オリンピックフィ-バ-を煽っている。

『エンプレム』という言葉から戦争を連想する人はほとんどいないだろうが、メダルへの期待は尋常ではない。『国威の掲揚』とは言いにくくても『エンブレム』がそれを代弁しているようにも思える。アメリカやロシアに負けるな、中国に金メダルをとらすな、開催国として金メダルは最低いくつなどなどなど・・・。

そして、恐ろしいことは、その文言が無批判に通用し、日本人全体の意識になってしまうことである。カッコよいと思いついつい使ってしまう『エンブレム』という言葉の裏には、日本人としての誇りを強要する響きがあることも否定できない。今回オリンピックと同様にバラリンピックという言葉が多く使われているのも、国威掲揚の発想を目立たせない手段ではないかというと考え過ぎだろうか。

『デュアルユ-ス』という、普通の日本人にとっては意味不明で舌をかむような言葉の裏にも、同じような発想があるのは間違いないだろう。

自民党の会合でも『デュアルユ-ス』という言葉が盛んに用いられて『デュアルユースの文化を定着させていくことが必要』という雰囲気が当り前になっているというから、こちらも、表面は民生的技術であっても、安全保障への活用促進を求める風潮を広げる意図があることは容易に想像できそうだ。

 『デュアルユ-ス』という言葉の後ろには、安全保障問題が国民の関心ごととして、必要且つ重大な問題であるという意識を定着させたいという思いが透けて見える。同時に、現政権の基本的な発想である『経済成長』につなげたいという意図も明らか。

研究者たちが開発した技術やアイデアを大企業が中心になって製造し、国防に利用するだけではなく、世界に売り込んで金儲けという考えも見逃すことはできない。

蛇足になりそうだが、防衛省が募集している主なテーマはマスコミ報道によると次の通り。

・光や音、電波を反射しないメタマテリアル(『消えるマント』)・高温でも赤外線を出しにくい素材・小型で高出力のレーザー・昆虫や小鳥サイズの飛行体にカメラなどを載せる・船舶や水中移動体の抵抗の低減、高速化・マッハ5以上で飛べる航空エンジン・空撮画像をもとにした物体識別・自律行動ロボットによる環境画像の認識・直接触れずに水中移動体に電気供給・複数のロボットや無人車両をまとめて制御・離れたところから微生物化学物質を検知・野外でゴミや木くずから発電し、電子機器に供給・・・などなど。

全て、即、軍事目的そのものと言っても差し支えない。何の能のない私には、組織や研究者の良識を信じるしかないのが悲しく情けない。(田舎親父)

2015年7月27日 (月)

『経済的徴兵制』か なるほどもっとも・・・

アメリカには徴兵制がなく、アメリカ軍は全て志願兵だという。世界の警察を自認して、(というよりも自国の権益には嗅覚が鋭いだけかもしれないが・・・)地球のあらゆる地域に軍隊を派遣しているのに、よくぞこれだけの兵隊が次々に志願して集まるものだ。失礼な言い方だが、アメリカ人の血には、よほど人殺しが好きなDNAが流れているのではと思ってしまう。

確かに、アメリカからは銃の乱射という事件報道が日常的に伝えられるので、自分の意見を通すために、問答無用の手段をとる風潮があるのかもしれないが、それが全てだとは思いたくない。

そんなときに、先日知った、『経済的徴兵制』という言葉にショックを受ける。明治時代の社会を描く小説には、有能な青年が貧しい環境から抜け出すためには軍隊に入って出世する物語が数多い。そしてお国のために尽くすという筋書きが定番・・・。

当時は(現在もそれに近くなっているが)学歴もない者にとっては、出世などおぼつかないことから、衣食住の心配のない軍隊に入り、軍人として活躍することで英雄になれる可能性が高かったことは事実。その場面設定や登場人物の心の葛藤などを描くことによって、作者の考えを出すスト-リ-を作るのに絶好だったようだ。

時が昭和に移り、無謀な戦争を拡大する軍部にとって、兵隊の補充は何よりも必要なのだが、『徴兵制度』という便利な制度があって、赤紙1枚でいくらでも集められたことは、歴史が証明している。この経験から、ほとんどの日本人は『徴兵』と聞くだけで、嫌悪感を持つようになったに違いない。

戦争法案の議論の中で『徴兵制復活に道を開くのではないか』という追求には『絶対にあり得ない・・・』とアホベ首相は断定することに、では兵隊はどうして集めるのかという疑問が消えず、何か秘策があるのではと思っていた矢先の『経済的徴兵制』という言葉である。概念的には想像はついていたが・・・。

アメリカを語る常識として『格差社会では、徴兵制は必要ない。志願兵はいくらでも、経済的徴兵制で集められるからだ』というフレ-ズがあるのだそうだ。貧困から抜け出し、人間らしい生活をするためにやむなく軍に入隊するというのは、今は当り前になっているのだそうだ。

 日本でも、『格差』が問題になって久しい。年収1億円を超える大企業の役員の数は、500人にものぼるらしいが、一方、200万円以下の人の数は、ある統計によると、2000万人も存在するという。なんともやり切れない『格差』であるが、その差が年々大きくなっているのは間違いなさそう。

全ての面で、日本はアメリカの後追いをしていることは何度もつぶやいたことであるが格差社会もその一つ、確実にアメリカに近づいている。

アメリカが徴兵制から志願制に切り替えたのはベトナム戦争から米軍が撤退した1973年だという。徴兵制で集めた多くの若者の命を、ベトナム戦争で失ったことに対する反省だというがそれだけではあるまい。

あの戦争を境にして、兵器の技術が進み、無人機の登場に象徴されるように、大勢の兵士が総力戦にかり出す必要がなくなったことも影響しているに違いない。しかし、いくらハイテク兵器が発達しようが、敵地を占領するには地上戦は若い兵士が必要になることは当り前。この担保が『経済的徴兵制度』であると納得する。

我が国では、大学生の半数は何らかの奨学金を受給し、低賃金や失業による返済滞納も増えているということが最近かなり問題になっている。働いていても生活が苦しい『ワーキングプア』という言葉も当り前に定着している。これがさらに進めば・・・。

首相はじめ取り巻きたちが、『徴兵制は絶対にあり得ない』と断言するのは、アメリカ社会での『経済的徴兵制度』を見つめているからではなかろうかと考えると、全て納得できる。

徴兵ではなく志願兵を集めるには、格差を広げれば広げるほど、カネというエサをぶら下げれば、優秀な人材が集まるのだから・・・。

悲しいことだが、この動きは確実に加速しているようだ。(杉)

2015年7月25日 (土)

数合わせの妥協だろう

やっと自民党幹部が説得に成功したようで、『10増10減』という参院制度改革を維新などと共同で国会に提出し、昨日午後採択されたようだ。これで、来年度の参院選からこれが適用されるという。

改定案では1票の格差は最大2.97になるとの計算だが、4.77の格差が、半分近くなるとはいえ、これではまた全国各地で訴訟が起きて、最高裁が『違憲状態』というお得意の判決を出すのは素人の私でも想像可能である。

面白いことに、ヌエ公明党はこの案には、民主党と組んで反対しているらしい。しかし両党の改革案は、県をまたいだ選挙区をさらに増やして、一票の格差を2倍以内に抑えるというものらしいから、基本的には数合わせであって根本的な解決にはなり得ない。

今回、自民党が4つの野党と合意し、国会に提出する改定案には、付則として、2019年の参院選に向け、格差是正のため『抜本的な見直しについて結論を出す』と明記しているらしい。次の参院選挙は何とかこの数で乗り切れるだろうが、都会屁の人口流出は下がらないだろうから、根本的に格差是正という言葉のイタチゴッコは続きそうだ。

このことについて、一月ほど前,地方と都会との問題で、選挙権だけを『基本的人権』という発想がおかしいとつぶやいたものであるが・・・。

今回、合区にする県は、『鳥取と島根』と『高地と徳島』である。鳥取県の人口は現在約58万人だという。確か30年ほど前には65万人だったと記憶している。当時、大田区の教員たちは、社会科の授業で『日本で一番人口の少ない県は鳥取県で、大田区とほぼ同じだ』と教えていたはずだから、この30年間で7万人ほど減ったらしい。

高知県と徳島県のことはさておくとして、鳥取県に対して島根県の人口は約71万人。現行の選挙制度では、一票でも多い候補者が当選するのだから、常識的に考えと、島根県から立候補した候補者が俄然有利になることは間違いない事実。

よくぞ、鳥取県選出の議員たちが納得したものだと思うが、両県とも自民党が圧倒的な地盤だろうから、現政権は、必ず自民党候補者で分け合うからだ我慢せよ・・・とでも言いくるめたのではないだろうか。しかし、両県に共通する利害ならばそれですむだろうが、相反する問題が起きたとき、こんな約束事は成り立たなくなりそうだ。

その一つが、原発問題ではなかろうか。島根県にはあるが鳥取県にはない。立地県には中国電力にもの申す権利があるが、鳥取県には強い権限はないはず。鹿児島県の川内原発の熊本県同様、島根原発は県境をはさんですぐ隣である。

立地県である島根県には莫大な交付金が付与されているので、いかに原発の危険性が指摘されても、脱原発という発言はできないに違いない。それに比べて、住民からの不安が高まるとなると、鳥取県の自民党選出議員は、住民の意思を尊重せねばならないことは当然だろうが・・・。

先日の繰り返しになるが、基本的人権の中に『選挙権の平等』が存在することは当然だと思うが、全ての日本人にとって他の『基本的人権』が平等に行き渡っているかと問われたら、こちらはかなり難しくなる。

基本的人権とは全国どこに住もうとも、その意味は変わらないはずだろうが、交通網が発達している大都会と、一日数本しかやってこないバスの停留場まで歩いて1時間もかかる過疎の村では、基本的人権である『最低限の快適な生活』にはかなりの開きがあるように思える。

現在の都道府県を単位にした参院選挙区制度の是非は別にして、『基本的人権』をより多く享受している都会に住む人たちの、議員一人当たりの有権者の数が多くなるのは当然だと思うのだが、こんな意見は通用しないようだ。

ならば、逆に、選挙制度を根本から見直して、鳥取県の人口を基準にして、50万人程度について議員一人という定数を与える発想もあって良いはず。この数字で単純計算すれば、東京都には20人強。とると、全体でも200人超で納まるのではないだろうか。

参院の任期は6年で、しかも3年毎に半数を改選するので、そんな単純なものではないとお叱りの声が聞こえてくるが、ならば、定数をその倍、約400人程度にすれば、選挙制度そのものをいじくる必要はなさそうだ。

多過ぎるかもしれないが、スペ-スの問題は別に考えるとして、議員歳費や維持費を現行で抑えればできない相談ではないだろう。立候補す人たちが、政治を金儲けのための職業ではなく、人のためにやらねばならぬという使命感を持つことが前提であるが。

今日も、ボケ老人の戯言だと片づけられるかな・・・。(田舎親父)

2015年7月24日 (金)

『かかりつけ薬局』も思いつき?・・・

高齢になるほど複数の病院にかかり、薬を重複して処方されるケースが増えるということは最近よく聞く話。そのために、薬の飲み残しや飲み忘れが多く、高額の薬が無駄になっているということもこのところ日常的に耳にする。

厚労省としたら、高額な(保険対応)薬を使われず捨てられるとなると、社会保障の無駄遣いを指摘されることを恐れて、何としても患者に処方された薬は飲みきってもらおうと躍起になっているのも当然だろう。

無駄遣いはともかく、薬の管理を間違うとその副作用として思いがけない症状が出ることが多いことも事実なので、高齢者にとっては多くの薬を処方されると、どの薬が何に効くのかなどわからなくなりがち。その意味では、厚労省の姿勢もわからないでもない。

医師の処方する薬剤ではないが、最近は子宮頸ガンのワクチンによる副作用について、恐ろしい話が各地から伝えられている。厚労省そのものが当初受診を推進していたこともあって、責任を追及されることを恐れているに違いない。

また、文科省は子宮頸ガンのワクチン接種には交付金などをつけるばかりか、全国の小中学校で摂取を奨励した結果、副作用が次々に現れているというから、この役所の責任は重いものがある。

もともと、このワクチン接種には反対していた私にとっては、こんな話を聞くと気持ちが萎える。本人や保護者にとっては、国や学校に騙されたという恨みが強いだろう。副作用に効く薬剤の発明が待たれるが、元々危ないと言われていたワクチンだけに、すぐに特効薬が現れるという望みはないこともはっきりしている。国は明確な方針を早急に打ち出してほしいものだが・・・。

子宮頸ガンのおぞましい話はともかく、繰り返しになるが、厚労省が高齢者の薬の飲み残しは医療費削減には放置できないことは理解できる。そのために、薬の重要性を全面に出して、正しい服用を推進するために『かかりつけ薬局』という政策を検討しているのだそうだ。

『高齢の患者の健康を守るため』というキャッチフレ-ズには、何人も反論できないム-ドがあることは事実であるが、現内閣の出す政策は、その内容を詳しくチェックしないと、多くの国民が望む方向とは全く違う結果になることは繰り返し味わさせられている。だからとは言いたくないが、よほど注意深く監視しなければという思いは誰の目にも明らかではないだろうか。

その意味で、今回『かかりつけ薬局』を作って、高齢者の薬を管理してもらうという厚労省の政策も『?』をつけたくなる。

高血圧や糖尿病は高齢者の定番になっているが、最近は認知症などという病気もその仲間に加わっているものだから、高齢になるほど複数の病気にかかる人は増えることは確かである。そして、専門の病院や診療科で診察され、それぞれの医師から薬を処方されるため、多種類の薬を大量に服用している人が多くなるのも道理だろう。

日常的に薬を飲んでいる自宅生活の高齢者の約4割が、6種類以上の薬を飲んでいるとの調査結果があるというのも不思議ではなさそうだ。

話は少し飛ぶが、横浜の片田舎では、最近医院がやたらと増えている。飽和状態な歯科医院はいうに及ばず、糖尿病などに特化した医院が新規開業するのが最近の傾向である。もちろんねらいは増え続ける高齢者であることは明らかだろう。

そして、そんな医院が開業すると、医院と示し合わせているとしか思えないのだが、ごく近い場所(多くはその隣)に必ずと言って良いほど薬局が開店する。すでに、クリエイトとかマツモトキヨシなどという全国規模のチエ-ン店もあって薬局自体が飽和状態になっているのにである・・・。

処方箋で薬剤を調合するのだから、どこの薬局でも良いはずだが、新規開業の専門医で診察を受けて薬を処方されたら、すぐ隣の薬局で処方するのが当然だろうと考えがち。まして、処方箋の有効期限が4日では、ついつい忘れてしまうので診察のついでに寄るのがごく普通になる。

その結果、通院する医院によって違う薬局を選ぶことになり、『かかりつけ薬局』をつくりたくても作れないのが現状ではないだろうか。

『かかりつけ薬局』は、患者ごとに医師から処方された薬や市販薬について記録し、同じ成分の薬が重複していないか、飲み合わせは悪くないかなどの確認をし、医師らと連携して副作用被害を避ける役割が期待されているとは言うものの、果たして?・・・。

それ以前に、医師や患者と連絡を取り合って、厚労省が描いているような『かかりつけ薬局』の役割を担える薬剤師がどのくらいいるのだろう。また、医療機関まで車で数時間かかる過疎の村では、『かかりつけの医者』はもとより『かかりつけ薬局』などは言葉の遊びとしか映らないのでは。

このあたり、分かりやすく示してほしいものだが、現内閣の特質は、説明すればするほど新たな疑問が現れることから、『かかりつけの薬局』構想も、高齢者の薬代節約のための思いつきのように思えるのだが・・・。(田舎親父)

2015年7月23日 (木)

電気柵などいらない環境を・・・

先日、川崎市の家族が友人一家を誘って、西伊豆の親戚の家に遊びに行き、電気柵で感電という事件報道は、こんなことがあるのか・・・と驚きと同時に、その驚きとは別に、何となくだが、やはり・・・という複雑な気持ちで心が沈む。

続報が続き、大体の筋書きが明らかになってきている。現時点では、シカが近づくのを防止するために張られた電気柵は、対岸の住民が自宅のコンセントを直接の電源にして引っ張っていたことは間違いなさそうだ。

西伊豆と聞いて、一瞬『わさび田』を連想したが、そこにあるのは数本のアジサイ。この葉や花をシカが好んで食べるかどうかの知識はないが、電気柵を張った人たち(個人?)は、アジサイをシカから守るためと安易に(深く考えることなく)設置したようだ。

このあたりの田畑には電気柵がなければシカやイノシシに加えてサルの被害が免れないので、集落の住民は共通理解の元、ごく当り前に電気柵を設置しているのではないだろうか。

伊豆に限らず、地方に出かけると、人家のごく近くであっても、周りを丈夫なネットで囲んでいる畑を見る機会は多い。そうしなければ、たちまちのうちに野生動物に食い荒されるということも今では常識になっている。動物たちは、作物の実る時期を本能で知るらしく、明日にでも収穫しようと思っていたのに・・・という話はよく耳にすること。

横浜の片田舎でも動物被害はかなり頻繁に聞こえてくる。その多くは、カラスである。この被害はネットを張ることでくい止められることが多いので、電気柵を目にすることはないが、最近は、カラス以外の被害も発生しているようだ。

事実、先日近くで家庭菜園をしている知り合い方が、ちょっと見てくれとのことで出かけてみたところ、明日にでも収穫しようとしていた50本ほどのトウモロコシが一本残らず全てかじられるという無残な光景。犯人はハクビシンらしいが、その食い荒らしかたが凄まじい。

地方ではこんなことが日常茶飯事。ネットではとてもくい止められないとなると、電気柵を取り付けたくなるのは当然だろう。

大分以前のことになるが、地方の農家の人に『どの程度の効果があり、電源をどうしているのか』と聞いたことがあるが、返っていた答えは『ビリッとするらしく、電流を流していると被害はない』ということである。電源については、『農協の若い者が引いてくれたので詳しくはわからない』とのことであった。付け加えるが、人間に被害はないとのことである。

電気柵を張る場合、集落の合意が何よりも大切で、一部の人だけが張ったとしたら、張らない農地は、動物たちに生贄として与えることになる。経済的な負担も大変だろうからこんな大げさなことをしてまで続けたくないと廃業する人も数多いと聞いている。そしてますます過疎が進むという悪循環・・・。

今回の現場も似たような状況だったのではないだろうか。ただ、アジサイを守るために自宅の100ボルトコンセントから引いたというところがよく分からない。よほどアジサイが美しく、守りたいという一心だったのかもしれていが,この住民は引っ張っていた電線が切れるなどということは考えなかったようだ。

いつごろ設置したものかはわからないが、かなりの年月放置されていたのではないだろうか。電線が脆くなり、子どもがほんのいたずら心でこの電線を引っ張ったか、あるいは叩いたところ、電線が切れてしまい感電し、その切れ端が川に落ちてしまったことが考えられる。そこに、勇んで子どもの父親がかっこよいところを見せようと川に入る?・・・。

ビリッときてすぐ川から出たら、危ない・危ない・・・ということで終わるところだったのだろうが、川で倒れたから身体には電流が流れっぱなし。そして死に至ったというところではないだろうか。助けようとした人も亡くなっているというが、助けなければという思いが強く、水に浸かっていた時間が長かったに違いない。

今後、さらにさまざまな報道があるだろうが、私としては、最終的な結論として、電気柵など必要ない環境をどう整えるかという議論に広がることを期待している。

集落に子どもの声が溢れ、人々の賑やかな営みを取り戻すことができれば、野生動物たちは、ここは人間の住む場であることを認識するに違いない。いつもの繰り返しになるが、経済が大事、経済成長のために・・・という発想が主流であり続ければ、東京一極集中の流れが止まることはない。

経済より環境という考え方を広げたいものである。そのことだけが、亡くなった人たちに報いる唯一の方策ではないだろうか。

しかし、都会の論理では、電気柵を取り付けた方が悪い、法律を守らなかった住民に非があるとなるのは確実だろう。そして次には、間違いなく賠償という話が出てくるだろう。それもトンデモない額になりそうだ。

この事故で、全国的に電気柵の取り付けには一層の縛りが加わることも容易に想像できる。経済的な問題も深刻になれば、ますます動物たちのイタズラは増加の一途・・・。

地方の過疎化はさらに進み、一方、深く考えることなく『川には近づかない』というキャンペ-ンの声が大きくなりそうだ。・・・。(田舎親父)

2015年7月22日 (水)

どこかおかしいスロ-ガン・・・

 一月ほど前のことになるが、毎日新聞だったと記憶しているが、『<女性活躍重点方針>マハラ防止、リケジョ支援など5本柱』という見出しを見つけた。サブタイトルとして『すべての女性が輝く社会づくり本部』で決定したことだとある。

 最近は、言葉を省略することが大流行なので、世間知らずの私でも大体の略語を理解できるようになり、『リケジョ』とは、理系の女子という意味であることは、小保方氏のスタップ細胞騒ぎの時にインプットされている。

 しかし、『マタハラ』には一瞬『?』・・・。本文で、『マタニティ・ハラスメント』のことだとあったので、職場での妊娠した女性に対して嫌がらせや退職を迫ったりする問題であることに気づく。

 このマタハラの被害防止では、事業主に対し相談窓口の設置など被害防止策を義務づける法整備を来年の通常国会で検討することを明記したそうだが、『法整備』が好きな内閣である。しかし、緊急だと認識しているのなら、何故今年にやらないの・・・と揶揄したくなる。

 現政権は『全ての女性が輝く社会』の構築のために、①国家公務員の職員数の男女比に応じて各役職へ登用②民間企業の管理職の女性限定募集・採用が可能となるよう労働法制の見直し③女性理工系人材育成のネットワーク構築④警察や消防職員、消防団員などでの女性人材育成⑤配偶者控除などの税・社会保障制度を2020年度までの早い段階で見直しなどと、もっともらしいことを並べている。

 『全ての女性が輝く社会つくり』というキャッチコピ-に文句を言うつもりはないが、その解釈にはひっかかるものがある。

これまでも何度もつぶやいてきたことだが、政府のいう『全ての女性が輝く・・・』という前提は、女性が『報酬を得る』ために働くことが前提になっている。主婦は輝いていないから、何とか家庭から追い出して外で働かさそうという発想だと言うと言い過ぎだろうか?・・・。

逆な言い方をすれば、働かない女性は輝いていないことになるが、これでは、年金で生活している高齢女性は、このキャッチコピ-の対象外で、『あんたらの役割は終わったのだか、早く消えなさい』というホンネが透けて見えそうだ。

年金生活者でも輝いている人は多いはず。明らかに年金生活者とおぼしき人で、活発に動き回っている女性の数が、同年代の男性よりはるかに多いことは私にでも感じられること。この女性たちは自分の時間を多いに『楽し見輝いている』のではないだろうか。

主婦として子育てを楽しんでいる人も多いだろう。むしろ、子どもを一定時間、保育園に預けられ、しかも働かなくても生活できる環境なら、きっと、女性たちはもっともっと輝くことは間違いない。

 保育園を完備するのは、子どもをあずかる代償として、働いてもらうという考え方の背景には、決して、個人の趣味を伸ばすために支援するという発想はない。皮肉な見方をすれば、経済成長のために『できるだけ安い労働力』を得るために女性を活用するというのがホンネに違いなかろう。 

 この『全ての女性が輝く社会つくり』を担当する、女性大臣のブログに、『女性にとって、トイレは毎日お世話になっているもの。女性の暮らしの質を高めるには、トイレの空間を変えていくことが大切だ』という意味の文章が掲載されていたという。

また、キャラ弁(いろいろな食材を使って、人気のキャラクタ-の描いた弁当のことらしい)を作る母親を褒めたたえた文面も載せられているのだそうだが、『トイレが快適になれば、女性は輝くの?・・・。キャラ弁をつくるお母さんを持ち上げるのは、どういう意味?・・・』という反論が多数寄せられているという。

もっともなことである。トイレを綺麗にすることは必要だと思うが、それ以前に、(百歩譲って)全ての女性を職場に出したいのなら、『子どもを育てながら無理なく働ける仕事や職場をもっと用意する』ことが大事ではなかろうか。キャラ弁に至ってはアホカとしか言いようがない。

現政権は戦争法案の強引な衆院可決や国立競技場の建設でもそうだったが、民意を無視して、いわば、『俺たちのやっていることが正しいのだから文句を言うな・・・』という姿勢が、至るところに溢れているようだ。

『女性が輝く社会』つくりにおいでも同様である・・・。(田舎親父)

2015年7月21日 (火)

古墳の天文図にロマンを感じた一時・・・

 先週木曜日(7月16日)のNHK・BS3chの『コズミックフロント』という番組で、キトラ古墳の天文図について放映するという情報を得たので、ウイスキ-を嘗めながら番組の始まりを待つ。

 キトラ古墳に天文図が描かれていることは、発見時のニュ-スで興味を持ったことを思い出す。学生時代、暦と天文にかなり凝って、一時は天文学で卒論をなんてことも思ったことがあるが、指導教官が見つからず諦めたことがあるので、今でも天文図などという言葉にぶつかると気持ちが動く。

 キトラ古墳に描かれた天文図は、かなり精緻なものだという。古代エジプトやギリシャにも星々を描いた天文図もどきは残っているらしいが、星座を模式的に描いたものらしく、キトラ天文図に比べるとはるかに稚拙なものなのだそうだ。

その意味で、世界最古の精密な天文図だというのが現在の定説になっているというから、こんな素晴らしいものが、6世紀ごろに作られた日本の古墳で発見されたなんて実に嬉しい話である。

 これまでは考古学的にはかなり検証されていたらしいが、この番組では、天文学という見地から、この天文図がいつごろの星空で、どの都市で観察された星空なのかという謎を説き明かすのだそうだ。

天文図には、4つの円が描かれている。その4つの円とは、北極星の周囲にあり地平線に沈まない星の範囲を示す円。天の赤道。天の南極に近くにあるため、ごく限られた季節でしか見られない星の範囲を表す円。そして、太陽の通り道(黄道)である。

番組は、いつの頃に観測された星空かという話題になり、『歳差運動』で謎に迫っている。天の北極が、年代によって少しずつ移動する『歳差運動』は学生時代習っている。いわば地球の自転軸が独楽の軸がぶれるような動きで、北極の位置が少しずつ変化し、元の位置に戻るのは実に2万6千年という。大変ロマンがある話である。

二人の天文学の専門家が分析した結果、一人は紀元前80年ごろ、もう一人は400年ごろとおよそ500年の差が出たという。当時の日本でこれ程精緻な天文観測が行われていたとは思えないので、恐らく、中国や朝鮮で観測された図を模写したに違いないとなると、この誤差はあり得るというより、少ないぐらいではないだろうか。

 『どこで観測された天文図か』という場面で、『老人星』という言葉が出たことに俄然興味がわいてきた。『老人星』とは『カノ-プス』のことであるが、学生時代から私も『カノ-プス』に憧れて、『おいかけ』をやっていたからである。

 『カノ-プス』天の南極に近い『りゅうこつ座』の一等星であるので、緯度が高い地方では見られない。東京でも見えることは私も確認していたが、あまりにも空が明るいために、双眼鏡の助けを借りてよほど目を凝らさないと見ることができないのは経験済み。

私は若い頃、伊豆高原に大田区の学園にある15センチの屈折望遠鏡の管理を任されていたことがあり、『カノ-プス』が南中時を迎える2月になると、毎年泊まり込みでこの星の写真を撮るのを楽しみにしていたこともあって、ことさらに二人の専門家の意見に耳が傾く。

 今までは考古学的な見地から、朝鮮の高句麗で観測された星空と言われてきたらしいが、北緯38度の高句麗(現在のピンヤン)では『カノ-プス』は見えないことから、西暦400年頃として緯度を下げて、『カノプ-ス』が天文図と一致する場所を探してみると、古代中国で栄えていた『長安』とか『洛陽』というとしにぶつかるという。なるほど納得できる。

 番組として最後に、『天文図は紀元前の中国で作られ、数百年後に長安か洛陽で修正が加えられて、それが朝鮮を経て明日香にたどり着いた可能性がある』という、飛鳥資料館の室長がまとめていたが見応えのあった1時間だった。

それに引き換えて、先日、新聞で見つけた、文科省の『月の南極探査を目指す』報告書の中で、『取り組みが遅れると、国際的な発言力の低下を招き、将来の月面利用の場や権益獲得の機会を失う恐れがある』という文言に『?』・・・。

このことはいずれつぶやいて見たいと思うが・・・。(田舎親父)

2015年7月18日 (土)

『くる病』が復活?・・・

 最近、驚いたことに『くる病』の恐れがあると診断される子どもが増えているのだそうだが、『くる病』という言葉を聞いて、『ビタミンD』とか『日光』などを連想できるのは戦後の食料難を経験している年代の人たちではなかろうか。

戦後間もなくの頃は、食料事情が悪かったこともあって、『くる病』は、かなり一般的な病気だったという記憶がある。『くる病』という名前がどうしてつけられたのか諸説があるらしいが、小学生の頃『せむし』という言葉が普通に使われていたことから『せむし病』だと教えられたことが記憶の片隅に残っている。

『せむし』とは背筋がまがって人の蔑称であり、現在では差別用語として使われなくなっているが、当時の小説ではよく出てきたことから、子どもでも骨の異常が表面化した病気であることを理解できたのだろう。

小学生の頃には、『くる病』は、カルシウムとビタミンDの摂取量が少ないことから起きる病気だと教えられたことははっきり覚えている。当時は、カルシウムをとるためには煮干しが最高だと言われていたこともあって、出汁をとるために自宅にたくさん保管されていた煮干を、よくかじっていたことも懐かしく思い出される。

加えて、『ビタミンD』という栄養素の知識はなくても、日光に当たっていれば自然に体内で蓄積されるということを耳にタコができるほど聞かされていたこともあって、とにかく日光に当たることが当り前の生活を過ごしていたことも思い出す。

ここまで書いてきて、当時『肝油』という、今でいうサプリメントが流行ったことも記憶が蘇ってくる。『肝油』とは青魚の油を抽出して作ったものだろうが、当時使われていた肝油は価格的に安かったらしく学校給食でも配られていたことは、今思うと、骨の病気である『かっけ』や『くる病』予防のためだったのでは・・・。

この病名を聞かなくなったのはいつの頃だろうと記憶をひもといているが、はっきりと思い出せない。繰り返すが、小学生の頃は、煮干しをかじって、太陽光を浴びていればこの病気とは無縁だと信じていたこともあって、真夏でも裸同然の姿で朝早くから夕方遅くまで戸外で遊び回っていたものである。

時代が進めば、考え方や価値観が変わるのは仕方ないことであるが、それが180度ひっくりかえることもよくある話。その一つが、私の子ども時代は、とにかく戸外で日光に当てるのが良いとされていたのだが、最近は日光に当たり過ぎると『皮膚がん』になるという説が最近の常識になっているので、なるべく日光に当手ない子育てが流行っていることである。

さらに、最近の医学では、紫外線が悪役になって、日光に当たり過ぎるとシミやソバカスの原因だとされているので、戸外に出る時には日焼け止めクリ-ムを塗るのが当り前になっていることから、現代人の多くは、潜在的な『ビタミンD』の欠乏症になっているのだそうだ。

『くる病』という病名は、現在では完全に死語となっていると思っていたが、生活習慣などが大きく様変わりしたことから復活したようだから、『復活現代病』というところだろう。

この『復活現代病』を防ぐためには、まずは適度の日光浴だろうと思うのだが、なんでもビジネスにしてしまう最近の流行は、シミやソバカスという負のイメ-ジがつよういために、日光浴よりも子供用のビタミンD摂取のサプリメントが流行っているのだそうだ。

『くる病』を予防するためには、適度の日光浴(夏場は10分・冬場は1時間程度で良いらしい)と煮干しで十分だと思うのだが、現代人は聞き慣れない酵素名や栄養素名が『mg』とか『μg』単位で明記されている、『サプリメント』の方に効果があると信じるのだろう。

折角、太陽光いう、その気になればいつでもだれでもがただで得られるエネルギ-を否定して、サプリメントに走るのは、愚の愚だと思うのだが、昔もサプリメントという言葉はなかったが、『肝油』がもてはやされたこともあるのだから仕方ない・・・か。(田舎親父)

2015年7月17日 (金)

見直しは口先だけ?・・・

 オリンピックのメイン競技場となる予定の新国立競技場の全くの無計画的建設話に国民の80%が納得できないと政府にブ-イングを突きつけたことに、アホベ内閣は大慌て。見直しを考えると発言しているそうだが、口先だけはきれいごとを並べて誤魔化すことが大将とその仲間たちの得意技となると、本気で根本的に見直しをするとはとても信じられないのだが・・・。

 この競技場のデザインを強引に押し通したといわれている、アンドウ某という建築家がついに隠れ通すことができなくなったらしく、釈明会見している様子を昨日のテレビが放映していたが、何ともまあ無責任な発言に終始していたというところ。

その席上で、デザインを決めたことは私の責任だが、費用については与り知らぬとうそぶいていたことに対して、一見もっともな意見だと聞こえる国民も多いのかもしれないが、私には費用など関係なくデザインだけで選んだとは言うことに自体あまりにも無茶苦茶としか思えない。

デザインも含めて総合的に考えるのが建築家の使命であるはず。聞いていて、何とも薄っぺらな発言で気持ちが悪くなる。こんな男が世界的な建築家であるというマスコミの持ち上げかたも気にいらない。

 ゼネコンにも、国のためには儲けなど考えないゼネコンであってほしいと注文をつけていたが、何とも自分勝手な論理であり、みずからを正当化する詭弁であり、しかも、今更デザインを変えることは国際的な信用失墜になると言っていたが、これなどは文科省はじめ政府の代弁に過ぎないようだ。

 マスコミは、一斉に『政府は2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設計画を見直す検討を始めた』と報じているが、戦争法案の強引な強行採決で落ち込むだろう内閣支持率の下落を、何としても最小限にくい止めたいという政権の思いが透けて見える。

 アホベ一派は法案の強行採決で支持率がある程度落ちることは覚悟しているらしいが、ここ数日でその動きが見極められると判断しているのではないだろうか。

予想以上に落ち込んだら、これを挽回するために見直しを本気で考えることもあり得るだろうが、官房長官もうっかり発言したように、何かと忘れやすい国民のこと、3連休をはさめば影響が少なくなると思っているのがホンネではないだろうか。

そして、案ずることでないと見極めたら、『見直し・・・。そんなこと言いましたっけ・・・』と手の平返しも十分あり得る。

 まだ、強行採決の余波が残っているので、そんな動きがあるとしたら連休明けだろう。

 官房長官に忘れやすいと侮られた国民が、その怒りを持続させ、根本的な見直しになることを期待しているのだが・・・。(田舎親父)

2015年7月16日 (木)

学テを入試の内申評価に・・・

 酷い政治が続いている。国民の理解は得られていないと認めながら、戦争法案を強行採決とは、一体何なのだろう。国民の声などよりもアメリカさまの顔色が大事な政権なんて早く消えてほしいもの。支持率が一挙に20%ぐらいに落ちればと願っているが・・・。

 国立競技場の建設に対しては、国民の80%程度が批判的とあって、文科省は大慌てらしい。世論の反対の声に対して、見直しをすると言い始めているらしいが、この役所はやっていることが全てチグハクなことから、とりあえず『見直し』なんて言葉を発して、様子見というところではないだろうか。

 ところで、文科省と大阪府の学力テストの点数を入試に利用する・させないいう言い合いも何となくだがホンネを隠しているようにも思えて仕方ない。

大阪府と大阪市は、文科省が全国の中学3年生に一斉に行っている『全国学力調査(学力テスト)』の結果を、高校入試の内申評価に使用すると明言し、実際に利用しているようだが、この措置に対して、文科省か『趣旨に反する』と反対しているのだそうだ。

何か趣旨に反するのかよくわからないが、文科省としては、あくまでこの調査は、全国の子どもたちの実態を調べ、それぞれの学校で学習指導の改善に役立てるというタテマエを崩したくないのだろう。

この文科省の発言に対して、維新のハシモト大阪市長の一の子分であるマツイ大阪府知事が『アホカ・・・』と一蹴。『従う義務がない。僕らペットじゃないんでね』と批判したというから面白い。

文科省の(これも大流行の有識者会議の一つだろうが)専門家会議は『(学力調査を)使用すべきでない』は指摘したそうだが、ある意味、全国で一斉に同じ問題で子どもたちの学力?を調べているのだから、これほど客観的なテストはないはず。マツイという大阪府知事は私としたら、大嫌いな部類に入る人間であるが、この問題に関しては、マツイ知事の言い分の方が合理的で正しいようだ・・・。

下手な問題を作ったり・採点するより、全て文科省がやってくれのだから、大阪府が入試で使いたくなるのももっともだろう。まさに『税金の無駄じゃないですか。同じようなことをするなら・・・』という知事の言葉の方説得力を感じる。

全国学力テストには大反対であるが、60億円もかけてこれ程大々的に行うテスト。同じやるなら、さらに使い道を広げたいと思うのも当然だろう。

どんな結末なるのかは今後注目しているが、文科省としては『使って欲しくない』と反対しても、結果的に点数を教育委員会に知らせているとなると、ホンネの落とし所は『文科省のメンツさえ崩さなければ、使っても良い』というところでは・・・。

となると、全国の教育委員会は大阪に続き、学力テストの点数を高校入試に利用する動きが雪崩のごとく広がることもあり得るだろう。となると、『学力テスト=入学試験』となり、夏休み前に早々と志望校が決まることもありそうだ。

しかも、それが当り前に通用したら、全国の高校は全て点数で格差付けされることになる。『〇〇県のトップの××高校は、全国的には25番目』などということが明らかになって、何か良いことがあるのだろうか。

 また一つ、学校現場を悩ませるバカバカしい要素が増えるだけでは・・・。(田舎親父)

2015年7月15日 (水)

ハチが見当たらない・・・

 今年はヘビと遭遇する機会が多いことは以前つぶやいたが、もう一つ気になることは、ハチとの出会いが極端に少なくなっていることであるが、かなり不思議なこととして、私の心に?マ-クを残している。

 今年はことのほか雨続きでハチが活躍しにくい環境にあったと思われるが、ここ数日は強烈な太陽が主役になり、自然界は一挙に夏バ-ジョン。本来なら、庭仕事をしているとアシナガバチはじ、小型のハチが飛び回っていて、刺されないように警戒することが多いのだが、今年はまだ一度もお目にかかっていない。

 森のクヌギの樹液だまりにも、チョウチョやガを見かけるようになったが、一番偉そうな態度で悠々と樹液を吸っているはずのスズメハチが見当たらないのは、ハチを苦手としている私には有り難いことだが何となく頼りなく寂しい感がする。

 そんなことを漠然と思っていた矢先、『ハチの減少 気温変動の影響か』という見出しを見つけ、早速開いてみる。

 この記事の主人公は、ハチはハチでも人間にとって最高の相棒であるマルハナバチのことであるが、このハチが世界的に減少しているのだそうだ。

 マルハナバチは自然界の草木や草花はもちろん、リンゴやブルーベリー、あるいはイチゴやトマトなどの果樹や野菜にとって受粉の手助け役として、農業と野生生物に計り知れないほど貴重な『サービス』を提供している昆虫であることはよく知られている。
 また、このハチをビジネスとして大量に飼育して、イチゴなどのハウス栽培農家にレンタルしている業者もいるというから、農業にとっていかに大切なハチであるかがよく分かる。

その大事なハチは、かなり不器用な性質らしく、地球温暖化への適応に苦戦しているのはもちろん現在の生息地より気温が低いエリアには移動せず、その場所にとどまって死んでいることが調査で明らかになったのだそうだ。

暑ければ涼しいところに避難すれば良いのだろうが、このハチはそんな都合のよい性質を持たないらしい。そういえば、これまでもこのハチに限らずハナバチと言われる受粉を媒介するハチの減少は、農薬の使用、寄生虫、病気などが主な原因だというのが定説だったようだが、気候変動の影響も大となると改めて人間の罪深さを感じる。

このような研究論文を発表したのは、カナダ・オタワ大学の研究チ-ム。その中心メンバ-のジェレミー・カー教授は『マルハナバチの生息環境が、(工具の)万力の間にあると考えているが、気候の温暖化が進むにつれ、マルハナバチ種はこの気候の万力によって地理的な分布範囲を圧迫され、押しつぶされてしまう』と説明している。

正直、意味不明の部分も多い。確かに、気候変動が世界的な規模で進んでいることは、テレビのワ-ルドニュ-スでもよく取り上げられていることから、『影響は広範囲に及び、各大陸全域で受粉媒介者が急速に減少していることは間違いない。この影響は農薬の使用や生息地の減少に起因するものとは別のものだ』との部分はかなりの説得力を感じる。

時に人間を襲うスズメバチなどとの遭遇はなるべくはゴメンこうむりたいが、そんなスズメバチにすら、今年に限っては出会えないのも何とも寂しい限り。

いよいよ夏本番を迎え、日常生活の中でハチと遭遇も増えると思っているが、これまで一度もないのが不気味である。

これも異常気象の影響なのだろか・・・。(田舎親父)

2015年7月14日 (火)

住民の命など・・・

 川内原発の強引な再稼働が秒読みになっているようだ。原発を抱える川内市はもとより周辺自治体では避難計画すらはっきりせず、万一事故が起きたら・・・という戸惑いが広がっていることがかなりの頻度時マスコミが取り上げている。

すぐ近くの桜島では常時小噴火が続き、何時大噴火が起きるのかも全くわからず、その上、比較的近い距離にある、口永良部島では、かなりの規模の爆発によって住民には全員避難命令が出されて離島、いつになったら島に帰れるのかすら全くわからないのが現状。

こんな当り前の不安や疑問を置き去りにしたまま九州電力は川内原発の再稼働へ突き進んでいる。燃料を装着が終わり、すぐにでも運転が開始できるようになっているというから、後は誰かが開始ボタンを押すだけで発電が開始するという。

周辺の自治体は説明会の開催を九州電力に求めているが、その答えは『無視』。ただ『火山の噴火は影響ない。重大事故など起きるはずがない』という理由で、説明会は必要ないという態度だという。

まさに『聞く耳を持たぬ』。時代小説に登場する定番の悪代官の態度そのもの。質の悪い映画かドラマを見ているような感じである。

先日、何新聞だったか記憶ははっきりしないが、今年三月、鹿児島県内の百近い市民団体で組織した実行委員会が、約10万人の署名を携え、福岡市内の九州電力本店に、対話を求めて訪れたという記事が載っていた。

その中で住民団体が要望したのが、〇3・11後に国の指針で避難計画の策定を義務付けられた川内原発30キロ圏内の九自治体で、住民説明会を開催すること。〇再稼働について、九自治体の正式な議決を求めること。〇住民の要望があれば、30キロ圏外でも、説明会を開催すること。という3つのことだという。

組織によって温度差はあるだろうが、組織の代表団は、九電の答えが納得できるものであれば、頭から再稼働反対という姿勢を掲げることはないと明言しているらしい。しかし、九電側は広報担当の段階でことごとくこれらを拒否したのだそうだ。

安全に絶対な自信があれば拒否しないで、堂々と説明すれば良いのに、やはり後ろめたいに違いない。九電が正当性のよりどころとするのは、3・11後の新規制基準に適合したという原子力規制委員会の判断のみ・・・。

その後ろ楯になっているのは、『規制委の基準に合格している原発の安全性は保障されているので再稼働する』と、自治体の心配や住民の不安などはどこ吹く風というごとく、戯言を繰り返すだけの政府の姿勢であることは間違いないところ。

ところが不思議なことに、安全性を保障している規制委が『安全を保証するものではない』と繰り返しているのも変な話。こんな状態で再稼働して、万一の責任は誰が取るのだろう。事故など起きるはずがない・・・という昔の『原発安全神話』そのものを、政府と規制委、そして電力会社が作り出そうとするための単なる時間稼ぎ・・・。

 現在、新岳が盛んに活動し全島避難という以上事態を抱えている口永良部島を町内に持つ屋久島町では、再稼働に対して説明を求めるのは当然だろう。火山との関係がないという科学的根拠が示されたら、30キロ以上離れている屋久島町が心配することなどないはずだろうに・・・。

これに対して九電側は、『桜島や阿蘇、霧島が大噴火する恐れはない』という。さらに『巨大噴火の兆候がもしあれば、原子炉を停止して核燃料を運び出せるから心配いらない』とうそぶいているらしい。

火山噴火の予知が全く不可能なことは、昨年九月の御嶽山でいやというほど経験したこと。今回の沖永良部島の新岳の噴火も、だれも予測できず、住民は着の身着のままで全員避難したではないか。箱根の大涌谷もその通り・・・。

九州南部は日本でも有数の大火山を抱えている土地である。噴火の兆候が起これば、たちまちパニックに陥ることは間違いなく、核燃料を取り出して安全な場所(そこがどこなのかもはっきりしていない?)に移す時間的・技術的な余裕はないといっても差し支えなさそうだ。

 それでも、再稼働をするという政府と電力会社は、人の命より金儲けが重要と捉えているのだろうが、屋久島は言うに及ばず、周辺自治体と住民の素朴な疑問に十分な答えが出せない限り、再稼働は許されるものではない・・・。(田舎親父)

2015年7月13日 (月)

母乳も金儲けのネタに?・・・

 『ビジネス』という言葉が横行している。『商品開発ビジネス』とか『ITビジネス』などなら私にある程度理解可能だが、最近は『葉っぱビジネス』に『隙間ビジネス』は言うに及ばず、『お片づけビジネス』や『育児ビジネス』、お墓の管理や老人の世話までも『お墓ビジネス』『介護ビジネス』と、ありとあらゆる分野の言葉の後に『ビジネス』というカタカナをつけることが大流行。

 『金儲け』というと、何となく露骨に聞こえるが、『ビジネス』という言葉には、『金儲けの手段』そのものを何となくオブラ-トにくるんでしまう効果があるらしく、主婦はもとより年寄り子どもまでもが、盛んに使うようになっている。

 全てはアイデア次第で金儲けできるとなると、ビジネスに血眼になるのはわからないでもないが、(究極のビジネスと表現して差し支えないだろう)『母乳ビジネス』が生まれているということにビックリ仰天・・・。

『母乳』がインターネットで販売されているというから俄には信じられない。しかし、時代小説には『乳母』という役割の女性が数多く登場することから、子どもを他人のお乳で育てることは、武士階級や町民階級の富裕階層というごく限られた社会ではあるのだろうが、実際に日常的に行われていたようだ。

近年では、『育児用ミルク』が当り前に流通していることから、『もらい乳』などという言葉は死語になっているようだが、この言葉も小説にはよく出てくる。こちらは貧しい町民が主人公で、折角子どもを産んでも母乳が出ないので、必死になって母乳を求めて探し回る母親やその周りの人たちの様子を描く人情話である。

育児の考え方は時代によって変わっていることはよく耳にする。ミルクがなかった時代は、子育てには母乳が絶対条件だったことがあり、『乳母』とか『もらい乳』しか方法がなかったが、ミルクの普及でこの言葉は人の記憶から薄れている。

しかし、最近はミルクで育てるより『母乳』で育てる方が、知能も体力も優れた子育てだということが広まり、いわゆる『母乳神話』が生まれているのだそうだ。恐らくマスコミ受けする有名な医者や評論家が言い出したのだろうが、母乳の出が悪い(出ない)母親にとっては辛い話だろう。

その、母親心理を巧みに利用したのが『母乳ビジネス』なのだそうだが、凄いことを考ええつく輩がいるものだ。

試しに『母乳売ります』という言葉で検索してみると、あるある・・・。いやはや驚くばかりである。中には『中古品』という見出しに心臓が停まりそうになるが、母乳にすらすでに価格競争がはじまっているのだろう。母乳にまで中古品があり、これを求める人が多いというから、一つの貧困ビジネスの一種?に違いない・・・。

ところで、このネットで販売されている『母乳』に不良品が多いというからまたまた驚き。金儲け命の輩のやることは、人の弱みにつけ込むことが得意にしていることはよく知られていることだが、これはあまりにも酷く許し難い。

母乳にミルクを加えて量を増やしていることは当り前。中には不衛生な環境でこの作業を行っているため、感染症の病原菌が混入したり、中には有害な化学物質までもが紛れ込んでいるというから、こんな母乳を与えたらトンデモ結果にもなりかねない。

こんな巷の動向に、珍しく厚労省が動いたというから、女性パワ-を敵に回したらまずいというところか。

 しかし、経済成長のためなら何でもありとする現政権では、『母乳ビジネス』を禁止するなどとてもできるはずはなく、結局は、利用者(一番の弱者だろうが)に『こんなリスクがありますよ』というお知らせしかできないとなると、インチキ母乳に騙される被害者は 

今後も増えることがあっても減ることはなさそうだ。

 『母乳』で甘い汁を吸った輩が次に考えることは『卵子』や『精子』をビジネスにするのではと心配になってくる。いやすでに、『卵子の凍結』や『体外受精』などが当り前になっている現在では、すでに『ビジネス』の対象になっているのかもしれない。

私には、生命の誕生の決定的な要因までも金儲けのネタにしてしまう感覚は、何なのだろうとおよそ理解不能・・・。

 こんな話聞くにつれて、そろそろ人間だけが地球上で君臨する時代は幕を閉じるべきではないと考えるようになる今日この頃である。(田舎親父)

2015年7月11日 (土)

また繰り返された子どもの自殺・・・

 岩手県矢巾町のJR東北線矢幅駅で、盛岡発一ノ関行き上り普通列車(4両編成)に、県央部に住む中学2年の男子生徒(13)がはねられ、まもなく死亡が確認されたというニュ-スが伝えられたのは6日の朝刊。

駅に入ってきた列車に飛び込んだらしく、背景に『いじめ』問題が潜んでいるということから、その重要性に気づき全国紙が取り上げたのだろう。

(記事によると)生徒が通う中学校の校長は、このような事件が起きたときに、必ずと言って間違いないほど口にする決まり文句だろうが、『今のところ、いじめがあったという情報はない・・・』と述べているらしいが、続報になると事態が一変する。

学校の慌てぶりは想像に難くない。早速、全校生徒を対象に、亡くなった生徒へのいじめなど、何らかのトラブルを見聞きしたかどうかなどを尋ねるアンケートを実施し、事実関係を調査したらしいが、(いつものことだが)対応が拙過ぎる。

保護者に対して『何か思い当たることがありましたか』という意味の質問をしたとも記事にある。学校は、担任との連絡ノートに『同級生から悪口を言われた』と書かれており、特定の生徒からいじめを受けて悩んでいたことを知ったらしい。

全てに何かチグハグな感じを受ける。昨日になってほとんどのメディアがこの日記のコピ-を報じていたが、第一報の、6日付けの毎日新聞が、連絡ノ-ト(生徒と担任がほぼ毎日交換する『生活記録ノート』)に関してかなり詳細な記事を掲載しているので、そのまま引用してみることにする。

(引用はじめ)日付が明確でない記述が多いが、今年5月以降、生徒が「なぐられたり、けられたり、首しめられたり」と書き、担任は赤ペンで「それは大変、いつ?? 解決したの?」と返事を書いていた。直後に生徒は「解決していません」などと書いたが、担任の欄は空白で、生徒の記述に二重丸がつけられていた。(ノ-トの一部の写真も掲載)
 その後、生徒が「もうつかれた。……。どうなるかわからない」と書いた時も担任からの記載はなかった。別の日に生徒が「ここだけの話。(中略)氏(死)んでいいですか(たぶんさいきんおきるかな)」と自殺をほのめかした時には、担任は「どうしたの? テストのことが心配? クラス? ××(この生徒の名前)の笑顔は私の元気の源です」などと応じていた。(引用終わり)

校長は7日の夜に開いた緊急の保護者会の後、取材に応じ、ノートのやり取りについて『担任から聞いていない。いじめは否定できないが、あれば私に報告があるはずだ』と話したという。そして、担任は生徒の自殺後、病欠しているのだそうだ。
 生徒の父親も生徒が自殺するまでノートの内容は知らされておらず、『ここまで書いていたのなら、なぜ連絡してくれなかったのか』と学校側の対応への不満を述べているとのことだが、両方とも言っていることと行動が全くかみ合っていない様に思える。

ところで、地方に関心を持っている私でも、矢巾町という名前は始めて聞くので調べてみると、盛岡の南に隣接する人口がおよそ2万6千人の町だという。盛岡のベットタウンとして人口が増えているのだろうが、町にある小学校4校と中学校2校はそれなりの児童生徒数である。地方の平均からすれば、合わせて6校という数字が少な過ぎるようにも思えるが・・・。

それはさておくとして、調べた限りの内容で特筆したいのは、『矢巾町いじめ対策基本方針』と題する、全32ペ-ジにも及ぶ『マニュアル』である。細々としたことまで実に丁寧に書かれている。

これを読む限り、いじめなど起きるはずがない。そして起きたとしても、すぐに発見し、たちどころに解決されると思いたい。恐らく教育の専門家が読んでも、よくできていると評価するだろう。それほど充実した文面が並んでいる。

それぞれの、小中学校も、ほんの少し文言を違えているが、同じようなマニュアルを作成しているので、この町は教育委員会のお達しの通り、縦の指令系統はしっかりしていることがうかがえる。

しかし、生徒と保護者のことは推測できないことも多々あるだろうとは思うが、生徒と担任、担任と他の教員 教員と校長となると、マニュアルに書かれていることからすると言っていることとやっていることは全く違い、何ともうすら寒い。

ここまで、完璧なマニュアルを持っているのにもかかわらず、生徒の自殺という最悪の結果を招いた以上、その責任は教育委員会にあり、真っ先に教育長が謝罪するべきだと思うのだが、その動きは全く感じられない。

校長もしかり、全てを担任に押しつけているようにも思える。担任は生徒の自殺以来学校を休んでいるというが、これとて、担任が本当に体調を崩しているのか、それとも校長・教育委員会が自宅謹慎をさせているのか怪しいもの・・・。このままでは、担任が自殺という続報の可能性もゼロではないのでは・・・。

ここからはあくまで私の想像であるが、担任は思い悩んだに違いない。始めて経験する問題で、相談したくても周りには人がない。校長には相談しても、校長からは『そんなことぐらい自分で処理できなくてどうするの・・・』と言われたら、自分で背負いこむしか方法がなかった?・・・。

解決できなかった担任は責められて仕方ないだろうが、全てを担任の責任で終えては、いじめの根絶は不可能だろう。いや、私はむしろ、今まで全て担任に押しつけてきたツケが表れたといっても差し支えないのではと思っている。

教育委員会は大慌てで、スク-ルカウンセラ-をそれぞれの学校に配置するなどという対処療法を議論していることは容易に想像できるが、こんなことは根本的な解決にならないことは次々に起きる児童生徒の自殺という行動が無言で証明している。

いつも述べていることだが、担任にもう少しの時間的・心理的な余裕があったら、この生徒との関係は密度が濃くなったことは間違いないところ。生徒の発するSOSを本気で受け止められたら、今回の不幸な報道はなかったのでは・・・。

恐らく全国の教育委員会は,矢巾町同様の細かな対策マニュアルを作っているのではないだろうか。マニュアル作りは必要だろうが、それが全てではない。そのマニュアルを教員はもとより子どもたちが共通に理解し、保護者が『うちの子に限って・・・』という先入観を持つことなく見守ってこそ生きてくるものであろう。

そのためには、教育の数を増やして、一人当たりの分担を減らして、子どもたちはじっくり向かい合うという、教員にとって最も大事な任務である『教え育てる』ことに時間的心理的ゆとりを与えことに尽きることを強く訴えたい。(田舎親父)

2015年7月10日 (金)

仕方ないと受け入れて良いのだろうか・・・

 新幹線の中でガソリンをかぶって焼身自殺なんてことを予想した人がいるだろうか。

ピ-ク時には3分間隔で運行され、しかも、ほとんど遅れことなく予定時刻に発着する列車は、(外国の長距離列車に乗車した経験がなく、あくまで書奴やネットから得る情報であるが)世界でもっとも便利で、しかも快適な乗り物であることは間違いないだろう。

乗車券と特急権を事前に確保しておけば、ギリギリにホ-ムに駆け込んでも乗車出来る気安さは飛行機の比ではない。

 焼身自殺者(放火犯人)は71歳の老人だという。この男は、前日に、車がガス欠だとガソリンスタンドで7リットルのガソリンを購入し、途中までの乗車券と自由席特急券を購入して乗り込んだというから、完全に確信犯。

『のぞみ』は新横浜を出ると名古屋までは止まらない。途中、車掌が検札に来るのは、私の経験では熱海か三島あたりから。だから、新横浜を出た直後から、ソワソワし出し、列車内を行ったり来たりという不審な行動をし始めたようだ。しかし、他の乗客は、おかしな奴がいるなと思っても、まさかガソリンをかぶるなど想像もできなかったので、知らんふり・・・というところだったらしい。

自殺の動機は、生活苦だったという。私は、当初のマスコミ報道では、年金が24万円ということで、こんなに年金があって生活苦という意味がわからなかったが、実際は12万円だったというから、なるほどと頷いてしまう。

『下級老人』の衝動的な事件だというのがこれまでの結論であるが、月12万円の年金生活者となると,生活保護より低額だろう。こんな老人がゴロゴロしているというから困った話だが、よし俺も・・・という不謹慎な老人が出ないとも限らない。

それにしても、7リットルのガソリンとなると、一気に燃え広がったことは想像に難くなく、1号車はほぼ丸焼けだったというのも納得。ある意味、巻き添えになった人が一人だったことの方が不思議なほどである。

このことを受けて、JR各社は大慌て。ガソリンなどの危険物の持ち込みを事前にチェック出来ないか検討を重ねたに違いない。最も確実な方法は、飛行機のように乗車前のボディチェックと手荷物検査だろうことは私でもすぐに類推できる。

 事件直後は、手荷物検査もやむ得ない・・・という意見が多かったらしい。しかし、実際に手荷物検査を行うとなると、飛行機と違い物理的にも無理だと判断したようだ。

当然だろうということは理解できるが、新幹線の場合は、乗車時には必ず手荷物と一緒に改札を通るのだから、最近の技術を持ってしたら、瞬間的に危険物は察知できるのではという思いもするが・・・。

 それができないとなると、乗務員を増やして巡回を頻繁にすれば、不審な行動をする人物は発見できるはずだが、企業として利潤を得るためには人件費をギリギリに抑えているだろうから、例え、方法論的には正しいと分かっていても簡単に乗務員を増やせないようだ。

 しかしここまで大きな事件が起きてしまったことから、すぐに何らかの有効策を示さねば批判されると判断したらしく、JR東海とJR西日本は、東海道・山陽両新幹線の客室内に、常時撮影する防犯カメラを設置すると発表し、具体的な設置場所まで提示。

現在でも、相当数の防犯カメラが設置されているらしい。私も(最近は少なくなったが)かなりの頻度で利用しているが、カメラを意識するということはなかったので、目立たないように配慮しているのだろう。しかし、今回はそれぞれの車両の前後や、トイレ・洗面所の通路にも設置するというから、乗車中は絶えずカメラに監視されていることになりそうだ。

恐らく間違いなく、JR東日本もJR九州、そして、新幹線を持っていないJR四国やJR北海道も右へならへとなるだろうから、今後、旅行中はプライバシ-はないと思わなくてはならなくなりそうだ。

こんな事件が起きたから仕方ないと思う人も多いだろう。プライバシ-より安全だと考えるのは当然かもしれない。JR側は『プライバシ-には十分留意して、映像を管理する』と述べているが、何らかの手違いで映像が流出することはよくある話。

カメラで安全を監視するというのは、『人権より管理』という発想だろう。私としては、ちょっとうっとうしく感じるが、車掌がウロウロする方が良いと思うのだが、これも企業の論理で却下されるだろうな・・・。(田舎親父)

2015年7月 9日 (木)

近い将来日本でも・・・

 先日、ネットの毎日新聞ニュ-スで『川でチョウザメ激突 5歳少女死亡』という見出しに目が留まる。最近、日本でも、かなりの地方でチョウザメの飼育をしており、私もその現場を見学したことがあるからであるが・・・。

高級食材とされるキャビアをとるために養殖しているのだろうが、最近の技術を持ってしたら、飼育も可能だということで、新しいビジネスとして雇用拡大を計る地方自治体が続いているのだそうだ。

チョウザメは成長すると、体調2メ-トルにもなるという。サメと名はついているが、鋭い歯を持っているわけではないので、飼育にはさほどの危険は伴わないと、見学先の担当者から聞いた記憶がある。

最近は、トラフグの養殖は内陸部の塩分濃度が適当な温泉を利用して盛んに行われ、実際に養殖のフグの料理が近隣のお旅館でだされるようになったという話題が、時にテレビなどで紹介されている。

フグの場合は間違って近くの沢に逃げ出したとしても生息できず、すぐに死んでしまうので問題にはならないだろう。しかし、チョウザメとなると、ニジマスやアユなどとは違い、意識的に川に放流するとは思えないが、何らかの手違いで稚魚が逃げ出すとも限らない。そのチョウザメが成長し、水遊びをしている少女とぶつかった?・・・。

 一瞬の間に、こんなことを思いながら記事を開いてみる。そこには『世界の雑記帳:米フロリダ州の川で飛び跳ねたチョウザメに激突、5歳女児死亡』という、私が思わず引き込まれた最初のペ-ジとは違う文言が並んでいたので、ナ-ンだ外国のことか・・・と、安心というか、がっかりというか複雑な気持ちになる。

 アメリカのフロリダ州のことだとのこと。川で家族とボートに乗っていた5歳女児に、飛び跳ねたチョウザメがぶつかり、女児が死亡する事故が発生したと、同州の『魚類・野生生物保護当局』が発表したという記事である。

『魚類・野生生物保護当局』とはずいぶん仰々しい名前である。我が国でいう『水産試験場』というところではないかと想像しているが、それだけ、アメリカは動物保護に対して意識が高いのではないだろうか。

そのことは別にして、一緒にいた母親と9歳の兄も怪我を負い、家族は近くの病院に搬送されたというから、チョウザメがボ-トに衝突し、一家が投げ出され少女が溺死したという事故ではないだろうか。

記事から、アメリカではチョウザメが自然界に存在していることを知る。人々は、大きなチョウザメが泳いでいる風景に慣れているのだろうが、それにしても『サメ』がごく近くで生息しているとは、さすがにアメリカという感じがする。

話は飛躍するが、最近外来動物の話題をよく耳にする。近くの四季の森公園の池でも、多数のカメがのんびり日向ぼっこを楽しんでいる風景が、来園者には人気だというが、そのカメたちは全て外来種。

在来種のカメはここでは絶滅したと公園の人が説明していたが、これに類する話は全国各地でよく耳にする。一般的には外来種は繁殖力が旺盛で、在来種が絶滅の危機に瀕しているので、いかにして外来種を駆除するかに頭を悩ましているという。

チョウザメの繁殖力が旺盛かどうか知識はないが、養殖している以上、絶対に逃げ出さないという保障はなさそうだ。

不謹慎ながら、もしも、近くでチョウザメを発見したら、人々はどんな反応を見せるのだろうと、この記事から、その時の光景を想像してしまった。(田舎親父)

2015年7月 8日 (水)

今度はメコンに7500億・・・

 お上が決めたことに文句を言うなという声もある。もう決まったことだから仕方ないという雰囲気も感じられる。忘れやすい国民性だからと、過去の出来事のようになりつつあるが、このまま進められて良いはずはない。

一時的には、見直しもあり得るのではとかなり競り上がった感がする国立競技場の建設問題である。こんないい加減なカネ勘定で建設を進めたら、今後、どこまで建設費が追加されるかしれたものではない。

 無茶苦茶な計算である。国は取り壊し費用の400億を出すだけで、頭から都が500億円出すものと決められており、その他は『toto』というスポ-ツくじ、そして命名権と寄付だそうだ。スパ-ツくじなんて聞こえは良いが、極言すれば博打のテラ銭。建設費の大半を博打に頼る国が存在するのだろうか・・・。

 命名権に至っては、都と博打のテラ銭が主体となると、『国立競技場』ではなく『都立競技場』あるいは『toto競技場』にしなければ話が合わない。いや『toto都立競技場』でないと両者の合意は得られないだろう。

 これでは国のメンツが成り立たないとなると『国立toto都立競技場』というわけのわからない名称になりそうだが、さらに、民間の企業が相当額の寄付をしたら、一体どんな名前の国立競技場になるか想像すらつかなくなる。

 あまりにもずさん過ぎる。根本的な見直しという意見に対して、文科相はじめ工事の発注者であるオリンピック組織委員会の関係者たちは、『(計画を見直すと)間に合わない』と一蹴。これはメンツ以外ない。

 リスクとは工期のことを指しているらしいが、19年のラクビ-の世界選手権にすべてに間に合わせる計画を崩していないからだろう。後から決まったオリンピックに話を合わせて、計画をごじゃごじゃにしてしまった。そして、その根本的な問題が、あのトンデモデザインをどうしても捨てないという姿勢。

 ラクビ-の世界選手権は日本での開催が決まっているが、どの都市で行うかは国内問題だと聞いている。何も、オリンピョクのメイン会場で開かねばならないという縛りはないはずだろう。

メンツ上、どうしても東京で開催しなければならないのなら、『味の素スタジアム』がある。横浜には8万人収容出来る日産スタジアム、埼玉にも同じく8万人規模の『埼玉スタジアム』という大競技場があるのだから、そこをメイン会場にすれば、工期は1年以上余裕ができる。

 二つのアーチを架ける斬新なデザインにこだわらず、ごく一般的な設計ならば、当初の計画通り1500億円程度で納まるはずだろうと思うと、なんとも壮大な無駄使い、そして、今後の維持管理を考えると気が遠くなる。それらが、次の世代に負の遺産として受け継がれる。これではあまりにも無責任で情けない・・・。

 がらっと話は変わるが、日本とメコン川流域5カ国による『日メコン首脳会議』が4日午前、東京・元赤坂の迎賓館で開かれたのだそうだ。こんな名前の会議のことは、マスコミは全く知らせていなかったのではなかっただろうか。

マスコミとしたら、この程度のマイナ-な国際会議では、視聴率が稼げないと判断したのかもしれないが、その会議で環境に配慮しながらインフラ整備を進めるなど『質の高い成長』の実現を掲げた『新東京戦略2015』という共同採択書を採択したという。

そして、驚くことに外国に出かけてはカネをばらまくことが大好きなアホベ首相は、国内で開かれた国際会議でも、この戦略に関し、今後3年間で7500億円規模の支援を行うと約束したのだそうだ。

我が国の借金は1000兆円を超えるという。いわば右を見ても借金、左を見ても借金で、国民一人当たりだと900万円以上という信じられない額である。

家計なら、まずどうしたら借金を減らすことができるだろうかと考えるはず。そのためには、支出を抑えることが大原則。世帯主(共稼ぎ世帯なら夫婦ともども)の小遣いなどは真っ先に減らされて然るべきだろう。

国家財政と家計は違うという声が聞こえてきそうだが、借金を返済する仕組みは基本的には変わらない。庶民は一生懸命に借金を減らす努力をしているのに、国の世帯主である総理大臣は、小遣い(自分で使えるカネ)を減らすことなど全く考えず、むしろその逆で、こちらで100億、あちらで500億、そして今回は7500億では、国の借金は増える一方である。

7500億円となると、(国立競技場の話に戻すが)現在での建設予算の約3倍。どうしても現在のデザインの競技場が必要だとするなら、他人へ貸すカネがあるのなら、まずこちらに回すべきだろう。

そして、その費用の全てを国が受け持つのが当り前だろう。カネはださない、工事はゼネコンにまる投げして、出来上がった競技場の名称が『国立競技場』とは、納得できる国民は皆無では・・・。

開発途上国絵の支援が必要ないとは言わない。ただ、身の丈にあった支援でなければにこれもまた、次代に莫大な負の遺産を残すことになる。それで良いというのが自民党ならば、早く消えてほしいと願うだけ・・・。(田舎親父)

2015年7月 7日 (火)

維新はこれでオシマイか・・・

 またまた私にとってもっとも相応しくない、政界絡みの話題になるが、国会で審議されている『戦争法案』に対して、対案という形で『維新』という政党が出したことは、政(まつりごと)とは全く違う『権力者を喜ばす』だけのもののように思えてならない。

自民党所属の国会議員は全てが賛成しているはずがないのだろうが、利権に敏感なことが党員の絶対必要条件になっているらしく、時の首相には『表立っては文句を言わない』ことが、この党の絶対的な党是となっているようだ。

今回も、たった一人をのぞき、『戦争法案』に反対の声を上げていないことがその証拠。野党(特に民主党)の追求の迫力不足もあって、数の力で、『一生派遣法』を通した勢いでこの法案もという場面で、首相を応援するという大バカ議員たちが沖縄を侮辱したことから世論が沸騰。戦争法案(徴兵準備法案)成立の雲行きが怪しくなってきた。

自民党内で絶対権力を振るう首相とその仲間たちは、法案の成立に対して、最悪の場合を考えて9月末まで国会を延長、これで確実に法案が成立するとのんびり構えていた矢先だったことに大慌て、しどろもどろの対応が続き、政治音痴の私でも、野党の抵抗次第では廃案にも追い込めそうだという雰囲気を感じることができるようになった。

その一番大事な時と分かっていての維新の『対案』提出である。先日、時間ができたので何気なくテレビのスイッチを入れた時、飛び込んできたのが、維新の党の幹事長が国会の委員会で首相や関係閣僚に質問している場面であった。

質問に立ったカキザワという幹事長は,自党の対案について自信満々に、『すでに自公民三党には渡して一定の理解をいただいている』と述べ、『自民党の副総裁は、国会に提出されたら、すぐに審議するとおっしゃっていた』とも発言していた。

維新の幹事長の言いたいことは、『我々が自信を持ってまとめた対案だから、国会で議論を深めたい』ということでだろう。続いて質問に立った、確か、元自民党員だったと記憶している沖縄県出身の議員も同じようなことを述べていた。

歯切れ悪い発言につまらなくなってスイッチを切ったのだが、首相は『対案を真摯に受け止めたい』と答えていたことが何となく不気味に聞こえる。恐らく首相の真意は『よくぞ出してくれた』というところではないだろうか。

政府の腹は、憲法学者の圧倒的多数が『違憲』だと言っているも係わらず、『国民の命を守るのは政治家の責任だ』と、『俺たちのいうことが正義』であると大上段に振りかざした姿勢で強引に審議を続け、一定の時間を過ぎたら強行採決という筋書きだろう。いかにも強引な国会運営であることは一目瞭然。これでは審議に応じたら、数の力で採決されてしまうとなると野党の審議拒否は仕方ないところ。

今回の3バカ議員の発言で、マスコミもこれでは自分の首を占めることに気がついたらしく、政府に対して一定の批判記事を掲載するようになってきたこともあり、国民もようやく政府の強引さに、危なさを感じだしたらしく、長期延長した今国会でも成立が危ぶまれ始めていたタイミングでの維新の対案提出・・・。

こんな法案が成立してしまったら、(何度もつぶやいているが)アメリカの戦争に加担するばかりか、数年先に必ず不足するだろう自衛隊員(すでに国防軍というなに変わっているだろうが)を集めるために、徴兵制の話が出ることは明らかだと危機感をもっている。 

ところが、維新の今回の対案が国会に提出されたら情勢は一変するのは間違いない。衆議院は与党が過半数の議席をもっているので、いつでも数の力で衆院を通過出来ことは理論的には可能であるが、野党が揃って反対となると、さすがの無茶なアホベ内閣も躊躇するのも当然だろう。

維新が出した対案については、なかなかしっかりした内容だと評価している専門家も多いらしい。そのことはさておくが、政府は法案の骨子を変えることはあり得ない。国会で維新の対案を時間稼ぎのための議論を続けて、ある日『議論は尽くされた』という言い分で強行採決という筋書きが見えてくる。

今月のある日(15日という噂があるが)、与党案が骨子を変えないで衆議院で採決されて、賛成多数で可決されるように思えてならない。そして、国民も『何のための対案だったのか?。維新って結局は自民党の手下だったの・・・』と気がつき、維新に失望をするのは確実だろう。

近い将来、維新は国民からそっぽを向かれ消えていく・・・。維新の幹部たちがこんなことに気づかないはずはない。となると今回の対案提出は『天につばする行為』であることを知ってのことでは・・・。ということは自民の軍門に下ったようだ。

(全く脈絡のないことだろうが)大阪の都構想を問う国民投票の失敗を『党首として責任をとる』と言って、かっこよく辞任した(選挙に強い)横浜の片田舎から選出されている元代表は、今回の一連の動きには関係していないと思いたいのだが、一切表に出てこないのは何故なのだろう・・・。(田舎親父)

2015年7月 6日 (月)

野菜工場の破綻は・・・

 先日、野菜生産ベンチャーの『みらい』が破綻したというニュ-スに、やはり・・・と思ったのは私だけではないと思いたい。

『みらい』の活躍は、私も毎週見るようにしているテレビ東京の『ガイアの夜明け』という社会派の番組でも取り上げられていた。その中で、キャスタ-は『これからの農業を考える上で、この会社の今後の発展を期待している』という意味の言葉で結んでいたように記憶している。

右肩上がりの実績を伸ばすために規模拡張路線を続けていたらしく、昨年度にも2つの工場を建設したそうだが、資材の高騰や人手不足から建設費がかさみ、しかも野菜生産が不調となって資金ショートし、東京地裁に民事再生法の適用を申請したのだそうだ。

『みらい』は、在来の農業で野菜を生産する『農業法人』ではなく、全く新しい発想で野菜を作り出す『企業』。光はLEDで完全調整、肥料は全て水に溶かせて根から吸収させるやり方。いわゆる、水耕農業的手法であるが、太陽光が届かない場所でも野菜の栽培ができるのだから画期的で、『企業』として実に工夫された経営哲学で実績を伸ばしていると『ガイヤの夜明け』は紹介していた。

そのアイディアには感心するが、『企業』としてという部分が少しひっかかったことを思い出す。『企業』というからには利潤を得ることが目的だろう。植物が必要とする自然の条件をあえて否定する発想は凄いとは思うが、生き物は全て自然によって生かされているという哲学をもっている私には、利潤を得るためにも、そのことが基本でなければならないとも思っているからである。

ただ、土を使わない『水耕栽培』については私もかなり興味を持っている。数年前のことになるが、横浜の片田舎で、水耕栽培で人気野菜の一つである『ミズナ』を、一年中一定量の生産をしている農家を紹介していた雑誌を見つけたことがある。

この農家のやり方は、ビニ-ルハウスの中で肥料を溶かした水を循環させて、ミズナを生産しているのだが、写真を見ると、まるで浅いプ-ルで野菜を作り出しているという図である。

太陽は光と、これも植物の生長には絶対に必要な『温度=熱』を供給してくれるのだが、これが季節によって大きく違うので、ハウス栽培という農法が生まれ発展したことは今更述べるまでもないだろう。

私もミズナをほぼ1年中プランタ-で栽培しているので、冬場に少しの暖房環境さえ整えれば、一年中の一定量の生産は十分可能で、近郊農業としては実に合理的な考え方だと納得し、(資金があればの話であるが)もう少し若ければ挑戦したかったと思ったものである。

しかし、『野菜工場』となると発想は根底からちがう。ビルの中でも地下でも、光の届かない場所でも野菜を作れるというのが最大のコンセプト。植物にとって、絶対に必要な条件である『光』を太陽から求めないところから出発している。

しかも、『企業』として利潤を出すとなると、規模が問題になることは当然のこと。栽培規模を拡大するには、農地を獲得すれば良いという農業法人方式とは違い、大規模な設備投資が必要になるので、『みらい』は無理を承知で規模拡大を計ったようだ。

保守的だと笑われるかもしれないが、私は必要以上に自然の恵みを否定する設備投資をしてまでの農業には大きな疑問をもっている。ここまで人間が増えた上に、文明の発達によって、世界規模の発想が必要だということは十分承知しているつもりだが、全てがビジネス(金儲け)という考え方には賛成出来ない。

その意味でも、野菜を生産するのに太陽の恵みが満ち足りている我が国で、太陽光を否定する必要はあるまい。

私の許容範囲は、ハウス栽培・水耕栽培までで、野菜工場という発想は、局地や砂漠など特別な自然環境で野菜作りが極めて困難な土地に限定。個人的に趣味で行うのは勝手だが、金儲けの手段としては手がけてはならないと考えている。

だから、『みらい』の破綻は当然だと覚めた見方をしているのだが・・・。(田舎親父)

2015年7月 4日 (土)

こんな小さな自治会でも・・・

 先日、ネットで自治会内の揉め事の記事を見つける。『京都新聞』発とあり、しかも『久御山町』という地名に、つい興味を引かれて読むことにする。

久御山町は京都府南部にある。60年も前の小学生の頃のことであるが、久世郡は言われていたこの地域の一帯に広がる田んぼや川で遊んだ記憶が懐かしく蘇る。当時は民家などまばらで、まして団地などなく、畑はまばらな民家の周りに限られていた。いわば田んぼだらけだった記憶しかないが、その後開発が進み、団地が建てられたようだ。そして今では京都のベットタウンとして市街地が広がっているらしい。

話はその地に建っている団地の自治会の揉め事であるが、これがかなり凄まじい。記事によると、京都府営の東佐山団地という自治会であるが、個数が209戸というから、大した規模ではなさそうだ。その自治会の運営(共益費)をめぐり、住民同士の対立が続き、危うく送電停止になるところだったという。

共益費は各戸月1000円で、自治会が徴収している。未払いの住民は4戸で、1戸当たり、自治会費分として月500円のみを支払っているという。なんともみみっちい話であるが、未払いのきっかけは、13年の自治会長が月10万円の報酬を得たことからはじまったという文面にひっかかる。

全国津々浦々の自治体には、大は数千人の町会から、数十人規模の過疎の集落や新興住宅に至るまで、それこそ星の数のごとく自治会という組織はある。私の住む地域にも、規模的には500世帯程度の自治会が存在している。

多くの自治会の会長職は住民から(方法は別にして)選ばれるが、例外なくと言っても良いほどボライティアで引き受けていると聞いている。少なくとも月額(年額)で報酬をもらっているという話は耳にしたことはない。

報酬の実態は全くわからない。会長職を誰かに引き継いだ際に、『ご苦労さま』といういわば功労金として支払われるのはわからないでもないが、『月10万円』との文面から、それとは少し違いがありそうだ。

それ以後、500円だった自治会費が1500円になったというのもひっかかる。そして、翌年は自治会費500円、共益費1000円になったそうだ。いずれも自治会の総会で決まったが、一部住民が運営に疑問を感じ、そのことが4戸の支払い拒否という形になって現れていることは想像に難くない。

自治会の執行部は今年度になって、4戸が暮らす3棟(160戸)で共用部分の電気料金が滞納していことに対して、『まじめに納めている人が他人の共益費を払っている。不公平をなくすため、4月分から電気料金を滞納している』とした通知を全戸に配布し、停電に理解を求めたそうだ。

京都府の担当部署は、共用部分には各戸への給水ポンプも含まれることもあって、このままでは『生活に大きな支障が生じる』と仲介に乗り出し、とりあえず関西電力から出されていた停電通知は回避出来たらしいが、双方が互いに理解・納得したわけでもないようだ。

互いに言い分があるのだろうが、自治会のやり方は『4戸に圧力をかけるため、160戸のライフラインを止める』という脅し以外なにものでもなく、住民同士の対立を煽り、4戸をいわば『村八分』に追い込んで力でねじ伏せるという、権力をかさにきた国や自治体のやり方と同じである。これはいただけない。

未払いの住民は『自治会の通帳を見て納得すれば払う』と言っているらしいのだから、開示すれば良いと思うのだが、自治会の現執行部は『総会で決まったことを議論しても解決しない』と開示を拒否しているのも変な話である。どうも、会長に支払った月10万円の使い道が不透明なことがうかがえる。

地方の小さな自治会での諍いであるが、私の住む自治会にも同じような問題(管理組合と自治会との関係)があり、自治会を退会した住民もいる。そして、調べてみると、街灯など共益の費用の受け持ち範囲を巡っては、全国的にさまざまなトラブルが発生していことも知る。

これも、日本人の意識が変わってきたことと関係するのだろう。会長はじめ役員を『地域のため・人のため』という発想で引き受ける人が少なくなり、何かにつれて、(利権というほどの大げさもものではないだろうが)打算の裏打ちが必要な社会風潮が広がってきたことと無関係ではないようだ。

自治会は家族に次ぐ『自己防衛組織』であることをお互いが理解し、みんなで一緒に維持していくという姿勢を持つしか解決の道はないが、言葉だけで双方の納得は得られないだろう。この際、府の仲介で、自治会側が通帳を開示し、同じテ-ブルについて話し合いを始めてほしいものである。

この記事を読んで、私も自治会を退会した人と話をして、できれば戻れるような雰囲気づくりに努力しなければという気持ちが強くなってきた・・・。(田舎親父)

2015年7月 3日 (金)

骨太って?・・・

 またまた『骨太の方針』を閣議決定という文言に、自民党政権は、庶民の骨をしゃぶることがお好きなことから、こんな名前をつけているのでは・・・なんてトンチンカンなことをつぶやきたくなる。

 今回閣議決定され』骨太の方針』は経済財政運営の指針で、2020年までに、現在の莫大な赤字財政から脱却して、健全な財政を目指すそうだ。

現在、我が国が抱えている1000兆円を超える借金の返済にメドをつける計画だというが、強調していることは社会保障(特に年寄りの医療費や年金)の圧縮という部分が目立つのは、『貧乏人の年寄り(下級老人)はこの世から早く消えろ・・・』というホンネが透けて見える。 

 ごく普通の感覚ならば、1000兆円(私には想像もつかない金額)もの借金があるのなら、今年度の54兆円の税収を基本にして、いかに出るカネ(歳出)を押さえるかという発想になるのだろうが、そんなことは始めから無視し、今年度の一般会計の歳出は94兆円というから、とても理解できる代物ではない。

 しかも、特別会計というものがあって、この額は一般国民には知らされていないとなると、国の全体予算の全容は、国民には全く想像すらできないのが現状らしい。

 国の予算編成には特別な数式があるらしい。単純計算すれば、54兆の税収入に対して94兆の出費となると、40兆の赤字になるはずなのに、今年度の赤字は16.4兆円(国・地方の合計)という数字がそれを表している。

もう少し勉強しろよ・・・という声が聞こえそうなので、このことはさておき、『骨太の方針』によって、この赤字を20年度までの黒字にするとのことだが、できるのかなあという疑問が先に立つ。

マスコミ報道では、景気が回復して、大幅な税収の増額が見込まれているというが、諸物価は値上がり、実質給料は下がっているのが現実。私の年金も年々減少していることから、景気が回復しているなどという実感は全く感じることはできない。

(あり得ない話だが)今後政府が方針を大幅に変えて、富裕層へ大増税を課したとしても、54兆円が60兆や70兆円になるとはとても思えないのだが・・・。

 当面の課題は20年度の国・地方を通じた基礎的財政収支の黒字化だそうだが、専門家の解説によると、(政府の説明通り)今後、実質2%、名目3%という高めの成長が続き、消費増税を織り込んでも、20年度になお9兆円余の赤字が残るとのこと。

 さらに、日本経済は、政府の説明とは大きく違い、実質の成長率は0%台半ばに過ぎないというのが真相だとなると、今回の『骨太の方針』も、またまた絵に描いた餅になる可能性が大きいようだ。

 公共事業を抑えることなどとても無理だろう。むしろ、景気のテコ入れとして即効性のあるハコモノの建設は、自民党政権のもっとも得意とするところ。さらに言えば、利権としても手放すはずがないのだから、この分野の予算は増加はあっても決して削減など夢のまた夢。まして、富裕層への増税もやる気もないとなると、歳出を抑えるのは全て目安になりそうだ。

いや、一つだけ確実なのが、社会保障費の抑制である。医療費や年金を主体として、社会保障費はだけで年1兆円近く増え続けているだそうだが、全体の伸びを18年度までの3年で計1.6兆円程度に抑えるというから、繰り返しになるが『下級老人は早く消えろ・・・』という意図をひしひしと感じる。

 さらにくどくなりそうだが、『聖域なし削減』という言葉がよく使われる。家計でも赤字をなくすために、あらゆる分野にメスを入れることが当り前に語られているのだから、『骨太の方針』にこの言葉が入っているのは当然だろう。

が、防衛費などは始めから『聖域』として、むしろ増額が決定的。他の経費に対しても掛け声だおれで、具体的な抑制・削減額は示さず、分野ごとの上限設定もない上に、徹底した無駄をそぐというのも、始めからやる気なしとなると、財政再建の『骨太の方針』も国民の目を欺く目くらまし・・・。

 実態が見えない、こんな『骨太の方針』が毎年繰り返されていれば、政治音痴である私にでも、数年後ギリシャの二の舞になりそうだという懸念を感じる。

そして、この閉塞感を一発打開ということで、昔通った道に戻ることも・・・。(田舎親父)

2015年7月 2日 (木)

『下流老人』の不満爆発?・・・

 6月30日の昼過ぎ、横浜市神奈川区にある『サカタ種苗』に向かって歩いている途中背中のバックがブブ-と震える。中に入れているスマホに何かの情報が入ったことを知り取り出して開けてみると、『新幹線が運転見合せ』という文字画面。

何かトラブルがあったのだろうとそのまま、元に戻したのだが、それから数時間後帰宅して、新幹線の運転見合せが、トンデモ事件によるものであることを知り愕然とする。

こともあろうに、車内で71歳の男が、ガソリンを頭からかぶってライタ-で火をつけたというから、俄には信じられない。マスコミが大々的に報じているので詳しく取り上げる必要はないと思うが、まさか、新幹線の車内で、焼身自殺をするとは誰が予測できだだろう。

最近は回数は少なくなったが、京都に出かける機会が多い私には、新幹線は日常的に利用している馴染み深い乗り物である。だいたいは、新横浜から1号車から3号車までの自由席を利用している。今回の焼身自殺の舞台が1号車だったとのことに、下手すると、事件に巻き込まれていた可能性もあったと思うと背筋が寒くなる。

車中では『網棚に置かれた不審な荷物があれば乗務員にお知らせください』というアナウンスが流れているので、JR東当局は爆発物に対しては十分認識し、注意を払っていたと思われるが、ガソリンによる焼身自殺は想定外だったようだ。

新幹線は安全と擦り込まれている。確かにこれまでヒヤリ・ハットはどの乗り物より少ないことから、乗客はガソリンを車内に持ち込むなど想像もしていなかっただろう。中には、変な奴がウロウロしているなあ・・・と思った人もいるかもしれないが、ほとんどは気にも止めなかったに違いない。

完全に密閉された空間で、ガソリンに火をつけたらどうなるのか、71歳の男が知らないはずはない。男が焼死したことは仕方ないとしても、私の住む隣町の整体師の女性が巻き添えになり亡くなったというのは理不尽。

今回の事件で、事前にガソリンの持ち込みを発見出来なかったことについて、JR各社は真剣に議論し゛いろいろな対策が出されるに違いない。場合によったら、飛行機と同様荷物検査という話に発展するかもしれない。

しかし、全ての荷物を検査するとなると、トンデモ問題も出てくるだろうから、その是非はここでは論じないが、こんな事件が起きた以上、警戒は厳しくなるだろうと思うと気分もふさぐ。

話は極端に変わるが、『下流老人』という言葉が巷で流行っているらしい。

生活困窮者支援のNPOを主催している社会福祉士が、普通に暮らすことができず引き並の生活ができない老人という意味で、日本社会の実情を伝えるために作った造語だそうだが、なんとも嫌なイメ-ジをもたらす言葉である。

 朝は桑の粉をカンテンで固めたものを食し、昼は狭い庭で作っている生の野菜をサンドイッチ、夜は全国の友人から安価で届く食材をでまかない、外食をする機会もほとんどない私には(食うことに関してだけだろうが)切実さとはほど遠いのだが、高齢者の貧困が問題になっているそうだ。

確かに、先日発生した、川崎市の簡易宿舎の火事で、故郷はもとより家族とも絶縁した高齢者が、そこを生活の基盤である住まいにしていることが明らかになり、世間的にはかなりの衝撃を与えたことは間違いない。

川崎の簡易宿舎に住むほとんどが生活保護を受けているとあったように、実際に生活保護を受給する高齢者は増加中で、今年3月時点で、(受給世帯のほぼ半数に当たる)65歳以上の約80万世帯が生活保護を受けているというからも、社会の仕組みそのものが目茶苦茶歪んでいる。

昔なら子ども夫婦に扶助してもらうことが当たり前だったが、今は核家族が多い上に、親は子どもには迷惑をかけたくないと思い、子どもは面倒をなどみたくない(というよりみたくても経済的余裕がない)となると、高齢で大病して貯蓄も尽きたら、『下級老人』になるのは既定の事実・・・。
 話を戻して、新幹線の放火事件を矮小化するつもりはないが、一部の富裕層と多数の貧困者という社会に意識的に格差を広げる今の政治が、71歳の老人に『下流老人』という不満を持たせ、復讐の意味でこんな無謀な事件を起こさせたとも言えないこともない。

焼身自殺をした老人は、35年間一生懸命働いてたった20数万円の年金しかないと不満を嘆いていたと報じられているが、その額は、むしろ平均的だとも聞貸されている。となると、わたしも含めてほとんどの高齢者は『下級老人』という言葉を笑えないのでは・・・。

『老後の貧困は、人ごとではない』と、改めて考えさせられる。(田舎親父)

2015年7月 1日 (水)

食料自給率が限りなくゼロへ・・・

 アメリカの上院が『環太平洋経済連携協定(TPP)』の合意のために、大統領に強力な権限を与えるという『貿易促進権限(TPA)』という法案を、予想外の大差で可決したというニュ-スに接したのは先月末のこと。

この法案は、すでに下院を通過しており、大統領は待ってましたとばかり早速署名しただろうから、現在膠着状態だと言われているTPP交渉は、アメリカ主導で違った展開になりそうだ。

オバマはアメリカ大統領として華々しスタ-トし、ノ-ベル平和賞まで受賞したのは良いのだがその後はリ-ダ-シップに欠けていたこともあり、人気はかなり落ちているという。残す任期が半年となった今、TPPは俺がなし遂げた・・という最後の花道ができたとことで張り切っているのではないだろうか。

TPP交渉をまとめあげた大統領として記憶されるためにも、これから精力的に動くことは間違いない。名を残すためには、アメリカの国益を確固とすることに全力を投入することは当然だろう。となると、なりふりかまわず、交渉妥結へ突き進むことは容易に想像できそうだ。

しかし、我が国にとってはこの張り切りは、迷惑そのものになりそうな気がしてならない。安保法案では全てアメリカさまのおっしゃる通り、世界のどこまでも貴方様の軍隊を支援すると、世界に宣言したアホベとその仲間たちは、よほどアメリカの要求をそのまま飲まなければならない『タマ』を握られているように思えるからである。

マスコミ報道であるが、一応、日本はTPP交渉では、後から参加したのにもかかわらず、他国への影響力はかなり保持しているらしいというから、アメリカとしては、交渉全体で自国有利な結論を導くためにも、まず日本に『関税撤廃・引き下げ交渉』を求めるだろうことは、素人の私でも想像ができること。

私には、TPPが何故必要なのか問われると、正直わからないと答えるしかないが、一般的には、国内の成長を押し上げ、消費者の利益を高めていくには、貿易や投資の自由化を進め、海外、とりわけ高成長が続くアジアの活力を取り込むことが欠かせないという説明がまかり通っている。しかし、何故今なのか、そして一刻も猶予がならないということには触れていない。

しかも、その全ては秘密だというからどんな交渉をしているのか全くわからない。ある日突然、結果の全容が発表されるのだろうが、これとてそれが全てではなく、秘密にされていることの方がはるかに多いことはこれまでの歴史が証明している。

これでは国民全てに支持されるはずがない。むしろ、国民生活の根源である農山漁業の従事者たちにとっては、期待外れどころかトンデモ結論になっていることもあり得ない話ではない。いやそれどころか、現政権のやり方を見ていると、国民の生活よりもアメリカさまのご機嫌取りばかりとなると、トンデモ結果の方が可能性ははるかに大きいようだ。

TPP交渉ではそれぞれの国が国益を守るための議論が行われているのだろうが、それぞれの国は自国の産業を守るためには、関税という制度を設けている。交渉ではこれを基本的にゼロにする方向で議論されているとも報じられている。

関税がゼロになれば、品質はともかく、国内で生産するよりはるかに安い品々が出てくるだろうし、それが国内で流通するだろうことは当然だが、国内の生産者を圧迫することもそれ以上に当然な話。この矛盾を払拭するための交渉だというが、どう解釈しても納得できる答えが出てこない。

さらに、我が国の基本的姿勢として、米や酪農に伴う肉や乳製品などは聖域として守り抜くとの説明だが、アメリカとしてはこの分野で輸出を拡大したいはず。関税引き下げを強く求めているだろうことは誰の目からも明らかだろう。

直ちにゼロ関税での妥結はないと信じたいが、現在の牛肉にかけられている40%近い関税が半分になれば、たちまちのうちに、アメリカ産牛肉が席巻するス-パ-の肉売り場の光景を想像するのは易しいこと。

米に至っては、米農家を保護するために700%以上の関税がかけられているとのことだが、税率が半分になれば、アメリカ産コシヒカリが5kg1000円以下で流通しそうだ。日本の米農家は壊滅的な打撃・・・どころの話ではない。

これでは自給率を上げろという掛け声とは全く逆に、食料品は全て外国に任せろということになるのでは・・・。

経済成長が必要なことは理解できたとしても、我が国の第一次産業を切り捨ててまでTPP妥結を急ぐ理由が、私にはどうしても理解できない・・・。(田舎親父)

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