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2015年9月

2015年9月30日 (水)

共産党の変身に注目・・・

 学生時代、左翼運動に明け暮れた一時期があるが、当時の『民青』と呼ばれる人たちに対しては生理的な嫌悪感を持っていた。その影響もあって、社会人となり組合運動にもかなり積極的にかかわるようになっても、『共産党』という言葉が『民青』と重なりずっと共産党嫌いが続いていた。

選挙でも(つい最近までは)一度も共産党候補に投票したことがない。生理的な問題に含めて、貧しい党員やシンパの人々に対して『赤旗』という機関紙の有料講読を強要するのは仕方ないと許せても、大金をかけて、最低限の得票が得られるならまだしも、全国のあらゆる選挙に候補者を立候補させるという無駄を続けていることも大きな理由の一つ。

『政党助成金』という汚らしい制度に手を染めないことは評価しているが、このあたりがどうしても納得できない。しかし最近は、民主党の体たらくから共産党を少し見直す気分になり、地域の責任者とはかなり突っ込んだ議論をするようになっている。

その際、まず生理的に嫌われている『共産党』という党名を変更してはと投げかけ、全ての選挙に立候補させて、貧乏人から集めた貴重な金の無駄遣いを失くすことを主張している。このことについては、地区委員は『必ず何らかの場で幹部に伝えます』という答えが返ってくるが、これまでは同じことの繰り返しだった。

ところが、最近は沖縄知事選を始めとて、主に知事はじめ首長選では、立候補を控える動きが出始めていることにやっと体質が変わってきたのかと見直している矢先に、共産党の志井委員長が『戦争法案』廃止に向け、『国民連合政府』構想をぶち上げたことにはビックリと同時に、』オッ、やるじゃないか・・・』と大いに期待を持たせてくれる。

全くの正論である。選挙が勝たなければ、自民党政権がいつまでも続き、ごまかしの上にごまかしを加え、国民の理解など無視し数の力で成立させた『戦争法案』にさらに具体的な要素が加わり、アメリカ軍の手先となって日常的に世界各地へ派兵となるのは確実だろう。これだけは絶対に阻止しなければ大変なことになる。志井さん、よくぞ決断してくれたとエ-ルを送りたい。

この提案を受けて共産党と民主党の党首会談が行われたようだが、オカダ民主党首がだらしない。当初は、志井委員長の『来夏の参院選では独自候補擁立にこだわらず、民主党などと統一戦線を張る』との主張に、『かなり思い切った提案で注目している』と前向きだったが、政権放棄のA級戦犯たちの反対の声にビビったらしく、不調に終わったそうだ。

今後も話し合いは続けることでは一致したというが、かっては民主党に大きな期待を寄せていた私には、オカダ党首の言い訳にもならないグダグダ理屈だけとはなんとも悲しく情けない。

野党が選挙協力できずバラバラだと、投票総数としては野党全体よりも少なくとも、選挙協力が徹底している自民・公明候補が当選する最近の選挙の傾向は変わらず、自公に圧倒的な議席数を与えるだけである。

同じことを繰り返しては、結局は戦争法案を暗に認めるだけにとどまらず、民主党という存在そのものを自ら否定することになり、支持層はさらに少なくなるに違いない。このことをどうして分からないのだろう。

政策の一致の重要性を否定するつもりはないが、そもそも政権を取らなければ政策は実現できないし、多数がなければ、今回の安保法のようにアベ政権の悪政を受け入れるしかない。内閣の不支持が支持を上回り、『打倒アベ』の世論が大きくなっているのに、民主党はハナから政権を取る気がないとなると、自民党を陰で応援(戦争ができる国)しているといっても過言でないのでは・・・。

共産党は、次の選挙では候補者を立てなくても良いと、過去の方針の大転換を示していることが何より重要である。誰を候補者にするからこれから議論すれば良いことであって、『共産党は危険だ・・・』などと時代後れの屁理屈ばかりをこねていたらうまくいくわけがない。

共産党の提案に反対している右寄りの幹部たちは、一体自分たちが何様だと思っているのだろう。自分だけが当選すれば・・・としか考えていない?。これでは、自民党に対抗する資格すらないことを自ら認めることになる。

今や、世論は共産党アレルギーより、むしろ政権交代を台無しにした民主党へのアレルギーの方が強いことは政治音痴の私でも感じること。共産党の委員長は、野党として一つの政党などと言っていないのだから、まずは、次の参院選で自民党に勝利して衆参のねじれをつくることが最重要だと思うのだが・・・。

まだ少しの時間の余裕がありそうなので、選挙に勝つことを本気で願う民主党はじめ野党の参議院議員や候補者たちは、離党も懐に忍ばせて民主党幹部を説得し、野党統一候補として立候補できる環境を作ってほしいものである。

民主党のダラ幹たちも、それが唯一、民主党が生き残る手段だと自覚しなければ、次の選挙では、自らも落選することを知るべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年9月29日 (火)

引き金にならねば良いが・・・

 VとWを建てに重ねたデザインのマ-クをつけた車は、近所でも所有する人がいるほどごくお馴染みの外車である。車は走れば良いと思っている私は、ごく小さな国産車で十分であり高級な車や外車などには全く興味はないが、それでもこのデザインがドイツのトップメ-カ-のフォルクスワーゲン(VW)であることぐらいは知っている。

また、40年以上前のこと、私が一番はじめに購入した車が、スバル360というかぶと虫のような形をした中古車であるが、この車が、当時ドイツで大人気のフォルクスワ-ゲンに真似て作られたという話を聞いたことも思い出す。

そのVWの環境性能を誇る最新のディーゼルエンジン車に、検査のときだけ排ガスが軽減されるソフトウエアを組み込んで世界に販売していたというから驚きである。

アメリカの民間機関が疑問を持ったのがきっかけで、大学などと協力して実験を繰り返して事実を証明したそうだ。VWはこの事実を認めて大問題に発展、先日は会長が責任をとって辞職し、新たに、これも名前だけは知っている高級外車のポルシェの関係者が就任したそうだ。しかし、ポルシェはVW傘下らしいから、どこまで経営の建て直しができるのか怪しいところ。

車の知識はほとんどない私には、『検査のときだけ排ガスが軽減されるソフトウエア』などの存在すら理解できないが、通常走行時には基準の10~40倍の窒素酸化物(NOx)を出しているというから、まるで半世紀前までの車のように、周りの環境を汚染し続けていたことになる。アメリカが2兆円もの賠償を同社に求めているという報道もなるほどもっともとうなずいてしまう。

しかも、不正があったのは『ゴルフ』とか『ビートル』、『ジェッタ』という人気の主力車種で、世界で販売した台数は1100万台超だというから、まるで環境改善に逆行する話。そう言えば、近所の車には『GOLF』というマ-クがあったようだから、日本でもかなりの台数が輸入されているのではないだろうか。

車音痴の私でも、車にはディ-ゼル車とガソリン車があることは知っている。ディ-ゼル車の燃料は軽油であり、ガソリン車はもちろんガソリンで走ることも知識としては持っている。

ならば、単純には燃料が安いのだから、ディ-ゼル車がもっと広まって良いはずなのにという疑問をセ-ルス担当者に聞いたことがある。詳しいことは全て忘れたが、構造的なことがあって車体価格がかなり割高になることから、日本ではあまり広まっていないという答えにある程度納得し、以後ディ-ゼル車に関心がなくなり今日に至っている。

それでも今回の事件で少し調べる気になってネットを開く。ディーゼルエンジンはガソリンエンジンに比べて燃料費が安く、二酸化炭素(CO2)排出量が少ないという長所があるのだそうだ。しかし、環境汚染物質である窒素酸化物(NOx)などの排出量が多くなるのが欠点だという。

正直、ガソリンと軽油の差が蒸留温度によるとしか理解していない私が、双方の車の特徴など分かるはずがないが、VW社は部品メーカーと一体となって排ガス浄化技術の開発に巨費を投じ、『クリ-ンディ-ゼル』という言葉を生み出し、CO2はもちろん有害物質の排出量を少ない車作りに成功したと発表し、大々的に世界に販売し一定の評価を得ていたのだそうだ。

『クリ-ンエネルギ-』の技術開発については、VWに限らず、ヨ-ロッパを中心にした自動車メ-カ-がしのぎを削っているという。

実際に、ヨ-ロッパにおける新車販売に占めるディーゼル車の比率は、世界全体の2割に対し、5割を超えるというから、今回のVWの不祥事は大変な問題に発展することは間違いなさそうだ。続報では、ドイツ国内には26万台ものこの種の車が走っているというから、パリで開かれるCOP15にも大きく影響するのではないだろうか。 

私にとってはどうでも良いような話題であるが、VW社は直ちに不正を認め、会長は『不正問題についてまったく関知していなかったが、VW社の利益のために辞職する。VWには人事を含めた新たなスタートが必要だ』と辞任理由を説明したとのこと。この潔さはどこかの国(もちろん我が国であるが)のトップに聞かせたいものである・・・。

ドイツ政府のことだから、今後は、ディーゼルエンジンへの規制や検査は、格段に厳しくなることは当然予測できる。しかし,VWでさえ誤魔化さざるを得なかっただけに、基準を満たす技術開発には、さらなる莫大な費用とある程度の年月がかかるのではないだろう。

当然、ガソリン車の需要が増えディーゼル車離れが起きるのは間違いなさそうだ。となると、ヨ-ロッパを中心としたディ-ゼル市場は冷え込むのでは・・・。

我が国ではディ-ゼル車の需要が少ないので影響は限られるようだが、(超経済音痴の私が心配することではないが)『経済は魔物』という言葉もあるらしいとなると、アメリカからヨ-ロッパまで、世界の市場を揺るがす今回の事件は、素人の杞憂かもしれないが、世界恐慌につながる要因になるような気がするのだが・・・。(杉)

2015年9月28日 (月)

仙台の教育は制度はあるが中身なし?・・・

数日前の毎日新聞の朝刊に、『いじめ自殺:中学近くに献花台 区役所は撤去求める 仙台』という見出しを見つけ、なんとも言えない嫌な気分に陥ってしまった。

仙台市の公園に、昨年いじめを苦に自殺した中学2年生の男子生徒を悼む献花台が置かれているという内容であるが、『昨年の事件を今になって、誰だか分からないが献花台を作った』とはどう考えても不可解・・・。この記事をコピ-して保管していたのでそのまま引用しておく。

『◇市教委は校名非公表 誰かが21日朝設置か』という副題がついて、次のような文章が続いている。(引用はじめ)仙台市立中学1年の男子生徒が昨年秋、学校でいじめを受けて自殺した問題で、学校近くの公園に、誰かが男子生徒の死を悼むためとみられる献花台を設置した。市教委は「遺族が望んでいない」として学校名を公表せず、学校も生徒や保護者にいじめの事実を明らかにしていない。/複数の地元住民によると、献花台は21日朝に設置されたとみられる。幅約2メートルのテーブルに白いクロスがかけられ、花束や菓子が供えられていた。テーブルの上には「守ってあげられなくてごめんね。安らかに眠って下さい」「あなたの死をムダにはしないからね」などと、訪れた人らが記したとみられる書き置きもあった。/市教委は8月に男子生徒の自殺を公表したが、個人が特定される恐れのある情報は明らかにせず、在籍していた学校でも、いじめの関係生徒以外には「家の都合で転校した」と説明していた。/娘が男子生徒と同級生だったという地元の男性(51)は22日午前、献花に訪れた。「学校では彼が死んだことさえ『無かったこと』にされ、手を合わせる機会も、哀悼する場所もない。誰かが人間として当然のことをしてくれた」と話した。/一方、住民には「子どもの動揺を誘う」と献花台設置を疑問視する声もあるという。地元区役所の公園課は21日昼、住民の通報を受け、献花台そばに撤去を求める看板を置いた。担当者は「許可なく公共スペースに設置され、都市公園法に違反している。自主的な撤去をお願いしたい」と話している。(引用終わり)

そんなバカな・・・。『保護者の意向で転校・・・』。よりにもよってこんな説明を学校がしていることに、激しい怒りと、よく今まで大マスコミが食らいつくような大きな騒ぎにもならなかったものだと不思議な気持ちになる。

ことが明らかになったのは今年の7月、この事件を追いかけていた『河北新報』という地方紙の記事らしいが、(首都圏の大マスコミは報じていない)ほぼ1年間も、こんなウソがまかり通っていたなんて想像するだけでヘドがでそうだ。

自殺した男子学生の保護者はすでに転居しているという。しかし、加害者とされる子ども一家が転居するなら理解ができるが、被害者である子どもの家族が、学校に対して『内緒で結構です』なんて・・・。そんなことがあるのだろうか。

私も現職時代の職務上いろいろな家庭を知っているつもりだが、自分の子どもがいじめを苦に自殺していながら、学校には『引っ越しますので、名前出さないで下さい』なんて言う保護者が存在するなんて想像できない。

いや、私の経験が狭く浅いだけで実際には存在するのかもしれないと思いなおし、この件を考えてみたが、どうしても、学校や教育委員会、さらに区役所の対応には、『お前らそれで良いのか。亡くなった子どもの存在を少しでも考えたことがあるのか・・・』と心の底から激しい怒りが沸き起こる。

一番気になるのは、『あの子は転校した』という明らかなウソ。加害者の子どもには自殺したことを告げていたというから、間違いなく、次の日には全校生徒と保護者には、この生徒の自殺は知れ渡っていたことは想像に難くない。

それを学級では担任が、そして全校集会では校長が、誰もが知っているウソを平気で口に出す。教育の原点は、世の中がいくら騒がしくなっても、教師と子どもの信頼だと堅く信じている私としては、仙台には教育そのものがもはや存在しないと思いたくなる。

この河北新報の記事によると、この学校では、事件後も確実にいじめが続いているという。恐らくそれは事実だろう。

他の保護者や地域住民が問題にしない(騒がない)?のも気になるところ。事情が分からないので安易な想像は差し控えるが、生徒や保護者の中の誰かが、あるいは憤懣やるかたない住民の中の誰かの、何とかしたいという切なる思いが、公園に献花台という行動に現れたのではないだろうか・・・。

教育委員会と区役所(仙台市・ひいては宮城県)は、献花台を撤去するという一方的な発想ではなく、転居した生徒の保護者に謝罪し、事実を明らかにし、公園に献花台が相応しくなければ、学校の正門前に期限を切って設置するという方針を示してほしいと切に望む。

そのことで、子どもたちは言葉では表現できないのかもしれないが、気持ちの上でホッとするはず。いじめに対する気持ちも違ってくると信じたい。

いじめを失くすことは、まず教師と子どもたちの絆を深めることに尽きるが、深めたくても時間に追われ、何よりも大切な児童生徒と心を開いて触れ合う場が作れないのが現実となると、悲しいことだが、いじめとそれに起因する自殺を含めたさまざまな案件は決してなくならないだろう・・・な。(田舎親父)

2015年9月26日 (土)

堤防が私有地?・・・

台風18号による大雨で鬼怒川の堤防が決壊、凄まじい映像に釘付けになってすでに2週間過ぎてしまったが、今思い出しても背筋が寒くなる。

決壊した部分は修復されて、水は完全に引いたと報じられているが、家が流され、田畑が水に浸かるなど多大な被害を出て、未だに数百人もの人が避難所生活を余儀なくされているというから、気の毒で仕方ない。

この被害直後、決壊した堤防の部分は、ソ-ラ-パネルを大規模に設置するために、既存の堤防を2m切り取ったことに対して近隣の住民が危険を察知。市議会も動き出していたということを、一部のマスコミは報じていた。

このことに、『堤防が私有地などあるのだろうか・・・』と、素朴な疑問をつぶやいたものであるが、日が経つにつれて、被災者の現状やボランティアの活躍などは大きく取り上げているのに、私の疑問の解決にヒントになるような記事が少なくなっていることが気になっていた。同時に、その間に大型連休が入り、私自身、その意識が薄くなっていたことも事実だが・・・。

ところが、一昨日、久しぶりに鶴見川の堤防の上を通っている道路を歩いていたら、『ここから私有地。工事車両は進入禁止』という看板を見つけてビックリ。

大変ロ-カルな話題ながら、鶴見川の左岸にはサイクリングロ-ドが完備されているので何度も通っているが、右岸を通ることはめったになく、一昨日はたまたま歩いていてこのことを発見した次第。

そこは、鬼怒川の決壊現場のように堤防が一段と高くなっているわけではなく、周りの畑や住宅と同じ高さの平らな場所なので堤防という概念からほど遠く、決壊とか氾濫という言葉とは無縁だと思うのだが、鬼怒川の決壊原因の『私有地堤防』が、横浜にもあることを知り驚いてしまった。

そこで、改めて鬼怒川の私有地堤防についてネットで調べてみたところ、ソーラー発電開発者が自然の堤防を削り取ってソーラーパネルを設置していたことは事実であり、(テレビの映像からは、はっきりとした堤防のように見えが)その部分は国や県が築いた堤防ではなく、自然に土が堆積して丘になり、自然の堤防の役割を果たしている部分があったことを知る。

いろいろな城を見学した経験から、自然の川を堀として利用していることが多いことは知っているので堤防の役割をしている土地が私有地だということはあり得る話と納得するが、常総市の決壊現場とはほど遠い話。

ネットの記事を使わせてもらうと、次のような動きになるようだ。

(その丘の部分を、業者が今年3月、ソーラーパネルを設置するために削る)→(住民は、危険だと役所に話し合いを求める)→(市会議員も動き出す)→(しかし、発電の業者は『建物を建てる訳ではないので申請は不要』と市に掘削許可をとらずに工事を続け、実質的に堤防としての機能が2mほど低下)→(市は法令的にはOKなので規制せず)→(市は議員の声を無視できないので、『住民が心配してるので少し土嚢を積ませて』と業者に相談し、業者も承諾して気持ちばかりの土嚢が積まれた)ということに・・・。

驚く限りである。まさにこれは人災だろうが、工事を行った業者は逃げ出して行方しれずだという。見つけても、そんな業者ではとても賠償金などはらえるはずがない。自己破産をしてオシマイ・・・となるのも過去にあった通りの筋書きだろう。

結局は、被災者に対して涙カネを渡して我慢を強いるこれまでのパタ-ンになりそうだが、こんなことがまかり通って良いはずがない。

堤防(河川敷かな)が私有地?・・・。横浜片田舎でも存在するとなると、全国の河川でもあって不思議ではないので、先日私が見た鶴見川の様子を少し述べておきたい。

鶴見川にはいくつもの小さな河川が流れ込んでいるが、鶴見川本流の折本川にもう一本の大きな流れとして恩田川が合流して鶴見川になっている。合流地点が私の徒歩圏内にあることで、身近な川として親しんでいる。

昔から、合流点より下流域では洪水が繰り返されていたが、上流の水害被害は小さかったことから、堤防を高くするのではなく、コンクリ-トで固めることで治水が可能だったらしい。しかし、合流点より下流は水量が多くなり、その方法では追いつかず、堤防も嵩上げされ、いわゆる天井川になって、つい10年ほど前までは、少しの大雨でも横浜線が止まるのは日常茶飯事だった。

今では、堤防が巨大化されたことはもちろん、川幅が広げられると共に、新横浜付近には大規模の地下貯水池が完成しているので、雨が原因で横浜線の遅延などは皆無となっている。さらには、数日間で500ミリの豪雨にも耐えられると聞いている。

話は少し飛躍するが、荒川は源流域で3日間600ミリ以上の豪雨が降り続くと決壊の危険性があるのだそうだ。首都圏でこれならば、地方では今回の鬼怒川でないが、今後増え続けるゲリラ豪雨によって危険な河川は少なくないだろう。

何故、大マスコミが鬼怒川の堤防決壊の原因追求の記事を報じなくなったのかは、別に調べるとして、堤防が周りより高くなっている天井川の流域に住む人々は、今回の鬼怒川の堤防決壊を、気の毒にと他人事で済ませてはトンデモ事態にもなりかねない。まして、私有地堤防を放置していたら・・・。

自治体は、自分たちが作ったハザ-ドマップに満足しているのではなく、私有地堤防の位置を書き込んだ、改訂版の作成を急ぐ必要がありそうだ・・・。(田舎親父)

2015年9月25日 (金)

人の迷惑など眼中になし・・・

先日の新聞の『大型スーパー“閉店ラッシュ”』という見出しに目が留まる。

記事によれば、総合スーパー(GMS)各社が、相次いで大規模な閉店に追い込まれているのだそうだ。セブン&アイ・ホールディングスが傘下のイトーヨーカ堂の約2割に当たる40店程度を2020年2月までに閉鎖する方針を固めたというから、該当地域に与える影響はかなりのものがありそうだ。

また、ユニーグループ・ホールディングスも最大約50店を閉鎖する方針だという文言に、半年程前に地域の主婦層の評判が良かった『ピアゴ』というス-パ-が閉店したのは、まさにその先駆けだったことを改めて知る。

『ピアゴ中山店』は、私が当地に住み始めた頃には『ほていや』という名前だった。当時は、4階建ての大型の総合ス-パ-で、屋上には遊園地として子どもたちに人気だったこともあって繁盛していた記憶がある。

駅近くでしかも自宅と同じ方向なので、帰宅途中に気楽に寄れることから、私もス-ツ以外の衣料品は全てといって良いほどそこで調達していたものである。周りに大型ス-パ-が林立して、ユニ-に買収されて名前が変更になった後も、その習慣が続いていたが、歳をとるにとって衣料品がほとんどいらなくなったことで、この店がなくなったことに対して私には影響はほとんどないが、近隣の主婦層は不便を感じているようだ。

『ほていや』は当時のス-パ-としては大型且つ先進的で、『ユニ-』と名前を変えてからは営業努力を重ねてきたが、『ピアゴ』と名前を変えても、カジュアル衣料品店『ユニクロ』など大衆向けの専門店の台頭により、食品や衣料品などを総花的にそろえた売り場では客を呼ぶのが難しく、ついには閉店に追い込まれたのだろう。

『ピアゴ』の閉店よりさらに半年程前、私の徒歩圏にある大規模な住宅団地の中の『ジャスコ』というス-パ-が閉店した。

その場所には、この大規模住宅団地が出来上がる頃から、『東急ストア』というス-パ-があったが数年前に撤退。居抜きという形でジャスコが出店していたのだが、近所の人の話からも、ある日突然撤退したとしか思えないほど慌ただしい閉店だったらしい。その後間もなく更地になり、現在はその一部にコンビニが開店している。

周りの住民は、高度成長期に自宅を購入した人が多く、ほとんどが私と同年代かそれ以上だろうことから、ス-パ-がなくなって困っているのではと思っているが、そこは鶴ケ峰行きのバスの起点になっていることもあって、買い物弱者とまではいかないらしく、さほど恨みがましい声は聞こえてこない。ましてコンビニができたとなると尚更ではないだろうか。

しかし、残りの3分の2以上は更地で残っているので、個々に何が建つかによって住民の生活環境は大きく変わるのではないかと、他人事だが気になるところ。

それはさておき、企業として生き残るためとはいえ、『イトーヨーカ堂』が展開する181店のうち、不採算店は地域を問わず整理し、採算の改善につなげるというから、『イトーヨーカ堂』に限らず、大総合ス-パ-が突然なくなったら、近隣の住民にとって影響は大きいに違いない。

そう言えば、我が住宅団地から徒歩10分あまりのバス通りに、移住間もなくこじんまりしたマンションが建てられ、その一階部分に『コマツストア』という食料品を扱うス-パ-が開店になったことを思い出す。このス-パ-のおかげで、大がかりな食料備蓄が必要なくなったことも・・・。

しかし、コマツストアも数年前に撤退し、『つるかめ』という超ド田舎的な名前のス-パ-が居抜きで営業開始。それも撤退して、今年の初めごろからは『クリエイト』という全国規模の医薬品中心の店になっている。

我が家の半径1キロ圏には、飲み物の自動販売機が数台、ギリギリ『クリエイト』があるだけで、買い物ができる店は他にない。車がないと生活必需品を入手するにも一苦労。最近、どんどん古い住民が逃げて、代わりに車世代が入居しているので年代的には若返っているとはいえ、ス-パ-の撤退は人ごとには思えない。

世は全てグロ-バルという言葉だ代表されるように、利益を追求することが『是』となっているので、採算があると見込んだら出店、収益があがらないと撤退するのは仕方ないのかもしれないが、大型ス-パ-の出店によって、昔からある個人店舗や小さなス-パは閉店を余儀なくされるという事実はあまり問題にされない。

しかし、大型店が撤退したからといって、元に姿に戻ることは『絶対』なく、結局はそのツケは住民に跳ね返り、年寄りには住みにくい環境になることは自明のこと。横浜の片田舎なら車世代がそれに変わるが、地方では大きな過疎化の要因になっていることを見逃してはならない。

私に妙案があるわけではないが、グロ-バルとかグロ-バリズムという言葉の意味を深く考えず、目先の利益だけで、出店・撤退を繰り返していれば、その先には、社会全体の滅びが待っているように思えてならない・・・。(田舎親父)

2015年9月24日 (木)

『敬老』はもはや死語?・・・

9月21日は『敬老の日』だったが、この日、敬老行事を行った自治体全国的に少なかったようだ。横浜の片田舎も、この日ではなく前日の20日の日曜日だったことを知ったのは、近所の老人夫妻から『これから老人会に出かけます』と喜々とした声をかけられたからである。

私自身れっきとした老人であるのに、そんなお誘いがあったとは知らなかったので、家内に『知っていた?・・・』と聞くと、『老人会に申し込んでいないのだから、あるはずないでしょう・・・』とのこと。なるほどもっともと納得。

自治会の組織の一つに『老人会』というのがあって、登録しないと老人とは見なさないらしく、声がかからない仕組みになっているようだが、私同様、自分では老人だと自覚していない年寄りも結構いると聞きある意味安心する。

老人会に入会するとどんな特典があるのか知らないが、一つ確実なのが、敬老の日に合わせて紅白饅頭が配られるのだそうだ。まさか饅頭がほしくて入会する人はなかろうとは思うが、以前は65歳以上の人には全員配っていた紅白饅頭は老人の数が多くなり財政的にもゆとりがなくなり、数年前から申し込み制度になったというから、横浜の片田舎の小さな自治会でも、些細なことながら老人問題が深刻化していることを知る。

敬老の日が第3月曜日になって久しい。当初は、それなりに『敬老』という言葉をよく聞いていたが、年々少なくなったように感じるのは私だけではないだろう。

特に今年のように、秋分の日が水曜日となると、間の火曜日(22日)は自動的に『国民の祝日』になることが決まっているため、土曜日を入れると5連休となり、特に子どものいる家族はどこかへ出かけなければという脅迫観念が身に迫るとなると、敬老なんて言葉が忘れられるのは当然だろうが・・・。

それはさておき、先日、総務省が発表した老人の数の多さに、改めて驚くと同時に、これでは『敬老』なんて言葉が死語化するのも当り前と、改めて変に納得する。

9月15日時点の統計によると、65歳以上の人口は、3384万人(総人口に占める割合26.7%)で過去最多を更新したことはまあ仕方ないとしても、80歳以上は前年比38万人増の1002万人というのには正直驚いた。

この数値は、国民全体の7.9%(1000万人)というから、およそ、13人に一人が80歳以上の老人ということになる。毎日、年寄りしか出会わないとつぶやいていたのは、私の歩く時間と場所だろうと思っていたのだが、こんなに80歳以上の超年寄りが存在しては、時に東京や横浜のど真ん中に出かけても、年寄りばかり・・・と自分の歳を忘れて感じるのは当り前であろう。

詳しい人口分布を調べたわけではないが、国民の総人口が3000万人程度の国は、多い方から数えても相当な位置にあり、1000万人程度の人口の国はいくらでも存在すると推測している。そんな国々の総人口と我が国の80歳以上の人口が同じ?・・・。
 発表された統計には、65歳以上の高齢者の就業率について、男性29.3%、女性14.3%とある。特に、65~69歳では男性の50.5%、女性の30.5%が就業しているという。そして、65歳以上の就業者数は前年比45万人増の681万人となり、11年連続で増加したというくだりに注目したい。

就業という定義が曖昧なので、どの程度を計数しているのか疑問があるが、もし、賃金を得ることを目的としてというなら、この数値はいろいろな意味で考えさせられる。

このことについては改めてつぶやくことにするが、さすがに80歳以上ともなると、就業している人は極端に少なくなるに違いなく、数値的には限りなくゼロだと考えても良いと思っているのだが、

その人たちの中で、年金なんて必要ないという階層も存在するだろうが、ほとんどの人は年金生活者であり、しかもその半数以上が介護が必要となると、これは凄いこと。こんな国は世界には存在しないのでは・・・。

朝日新聞が『読者の声』の蘭で、『長生きはめでたいのか・・・』ということについて、さまざまな人の声を特集しているが、私も含めて、年寄り全てが、本気で終末期の過ごしかたを、自分が元気なうちに真剣に考える時がきたようだ。

そして、そろそろ尊厳死(安楽死)について、法整備が必要ではないだろうか。この法整備の方が、戦争法案よりはるかに議論が必要なはずなのに、反対の声を押し切る現政権には、この問題を語る資格はないとしないと、国会議員とその家族以外は『80歳で人生の定年』というようなトンデモ法を作りそうだ・・・。

今日もまた曖昧な結論になってしまったが、今年の敬老の日について、私が感じたことを・・・。(田舎親父)

2015年9月23日 (水)

プランタ-農業のすすめ・・・

 現役時代の一時は、祝祭日は農業一途という時期もあったが、基本的には決まった時間に起きて、同じ電車に乗り自分に与えられた仕事を終えて、時には飲み屋に立ち寄り遅くなることもあるが、それでも間違いなく我が家にたどり着き、少しの睡眠をとって翌日同じパタ-ンの生活。

歳をとるにつれて責任が重くなり、ストレスがたまるようになると、何とかこのパタ-ンから逃げ出したくなるのが当然だろう。

特に私の場合は、それが強かったらしく、やっと定年を迎える頃になると、例え収入がなくなっても、自分の時間を大切にしたいという思いが先に立ち、嘱託という選択肢は始めから考えず、11年前の4月1日から、24時間全て自分の時間という考えで毎日を過ごしているつもり・・・。

 『晴耕雨読』という言葉がある。土地を借りて天気の良い日には土地を耕し、雨の日は読書三昧という生活も考えてみたが、借りられる土地は、あらかた車で通わなければならない距離となると、なまじ農業を経験している私には、数日出かけなければ雑草が生い茂る風景が想像できるので、まさに畑に通勤という事態になることは自明。

 ならば、猫の額程の自宅の庭で土いじり。これは通勤しなくても、気が向いた時にちょこちょこは遊んでいれば良いのだから気楽なもの。それでも毎年、夏はトマトやキュウリ・ナス、ピ-マンなど、秋から冬にかけてはダイコンやホウレンソウというように、季節に応じた野菜はその時期には自給できる。

ところが数年前からは、それでは少し物足りなくなって、プランタ-を自作して、いろいろな野菜作りに挑戦しているのだがこれが面白い。

最近はホ-ムセンタ-で材木を購入すると、指定の寸法に切ってくれるサ-ビスが当り前になっているのでこれを利用する。幅9mm、厚さ18mm、長さ3.6mの杉板を60cmと20cmに必要数揃えて自宅に届けてもらう。それを27cmに切った垂木に3枚木ねじで止めるだけ。最近は電動ドライバ-があるのでこの作業は至って簡単。

底にも板をあてがい、やはり垂木で支えを作り、防腐剤を塗って、乾いたら、発泡スチロ-ル(空き箱が余っている)を適当な幅に切ってはめ込めば完成。

水はけをよくするために適当な大きさの穴を開けるのだが、開け過ぎると水刷毛が良過ぎて、絶えず水やりが必要となり、小さ過ぎると、水が抜けず根腐れの原因となるので、ここに少し工夫がいるが・・・。

出来上がった箱に土を入れるのだが、我が家の近くの山道の掃除を兼ねて端の方の土をいただく。これが自然の腐葉土なので、当面は肥料など必要ない。山道が歩きやすくなるために誰からもおとがめがないのが横浜の片田舎のよいところ・・・。

そのまま種をまくのだが、市販の種はプランタ-用になっていないのでかなり量が多く、そのさじ加減が難しい。最初のうちは、どうしても蒔く種が多過ぎるためにうまく成長しないことが多かったが、残した種は冷蔵庫に保管しおくと、翌年も発芽率が落ちないことを知ってからは配分が上手になる。

また、ポットで発芽させ、プランタ-に移植する方法を発見してからは、このところもっぱらその方法で野菜作りを楽しんでいる。この方法で発芽させると無駄がない。

家族が少ないので、使う野菜の量はたかがしれている。次々と育つ葉っぱの部分を、必要分切り取るのだが、毎日摘み取っても次々に育ってくれるので、葉菜はほとんど自給できる。

特に、シュンギクやパセリ、ネギ類などは刺身の褄としてやめん類には必需品。しかしさほどの量が必要ないので、新鮮なものが無尽蔵に・・・というところである。

今日は秋分の日。これからが秋・冬野菜の種まきの季節である。プランタ-ならベランダでも十分野菜が栽培できるので、ぜひ試されてはいかがだろう。プランタ-の数だけ、野菜の種類が増えるのも楽しみの一つだから・・・。(田舎親父)

2015年9月19日 (土)

女性が輝く社会?聞いて呆れる・・・

過去五年間に働きながら妊娠した女性の約40%が、育児休業を取得したくても取れなかったとする調査結果を連合が発表したそうだが、(何のデ-タも根拠もないが)なるほど・ウンウンとうなづいてしまう。

続けて、働く女性の妊娠・出産に対する社会の意識の変化を『感じない』とする女性も60%を超えたという文面も、これまた『そうだろうなあ・・・』と納得。

つい最近のことだが、第二子を出産するために、育休に入った女性に、市が『家にいるのだから保育園は必要ないはず』と退去を指示したというニュ-スに、少子化を何とかしなければという自治体の掛け声とは、全く違うことをしているものだと呆れたことを思い出す。

公務員や大企業の正社員には、産休・育休が保障されているが、それでも、4月から通わせないと保育園に入れないとの理由で、出産数ヶ月で職場に復帰する女性が多いという話はよく耳にする。

実際、先日、ひょんなことから若い人たちの集会に参加したが、その場で、一人が、保育園を見つけるのが苦労したという声を上げたことがきっかけで、私も・私も・・・と続いたことに、私の目には、まるで雨後のタケノコのように保育園だらけになっている感じなのに、何なの・・・と不思議に感じたものである。

しかし、話に耳を傾けていると、近く保育園はすぐに満員になり、遠い保育園を選ばざるをえなかったり、あるいは、途中での入園はお断りとなると、生後半年で、もう少し一緒にいたかったのに、4月から預けたという若い母親の言葉に、『そんなに大変だったのか。大変だったね・・・』とうなずくのが精一杯。

中に、保育士の女性がいて、『その話はよく分かりますが、保育園も努力しているのだが保育士の確保が難しく、年度途中の受け入れは難しいのです』と、保育園側の言い分を代弁していたのも強く印象に残る。

しかし、そんな話ができる女性は幸せな方で、妊娠と同時に退職したという人もいて、彼女の話によると、就職の条件がそうなっていたとのことであるが、今どきそんな会社があるのかと、自分の世間知らずを恥じたもの。

もっとも彼女は、違うパ-ト仕事が見つかり、無事出産し、育休はとれなかったが、実家の親に預けて、乗り越えたので私はまだ幸せな方だと笑っていたが、親が近くにいない人はどうして育てているのだろうと、素朴な疑問をつぶやいてしまう。

 話は飛ぶが、先日、ネットのニュ-スに、『男性67%女性77%育児・不安や負担』という見出しを見つけて、その記事を保存しておいた。

(その記事を引用)厚労省がまとめた『2015五年版厚生労働白書の概要』が15日分かった。『人口減少社会を考える』がテーマで、出産や子育ての意識調査を実施した。男性の7割近く、女性の8割近くが子育てに不安や負担を感じていると回答。前向きになれる要素として、安定した雇用や収入を重視していることが判明した。/白書によると、0~15歳の子供がいる人のうち、子育てで不安や悩みがある人は男性が67・4%、女性は77・3%に上った。出産・子育てに前向きになれるために必要なことを聞いた質問(複数回答)では、『安定した雇用と収入』が96・8%でトップ。『安心できる出産、小児医療体制』『仕事と家庭の両立支援、長時間労働など働き方の見直し』も9割を超えた。(引用ここまで)

この記事から、国は、私が耳にした実態をある程度把握していることを知るが、ならば、どうして、戦争ができる国に邁進するより、そのエネルギ-の数分の一でも、子育てしやすい環境を作ろうとしないのか突っ込みたくなる。

現政権の公約の一つに『女性が輝く社会』とある。そのことについて一つの目標として『女性の管理職を3割』という数値まで明治しているようだが、首相はじめ閣僚たちが本気で、女性の管理職を増やせば『女性が輝く社会』だと本気が考えているとしたら、上から目線のなんとも薄っぺらな発想。もう少しましな説得力のあるキャッチコピ-を作れないのかと常々思っているところ・・・。

白書にある通り、ほぼ100%の人が、出産・子育てに前向きになれるために必要なことは『安定した雇用と収入』と答えているのだから、解決する気が少しでもあるならば、『派遣』など絶対にあってはならない制度である。

派遣を固定化するなど考えられないはずなのだが、やっていることは全てその反対で、自民党政権が掲げる『女性が輝く社会』とは、単に労働力として女性を利用するためのお題目であることは疑いのないところ。

またまたグチになってしまったが、女性が本当に輝く社会とは、自分の意志で安定した職場(専業主伏せ含めて)を確保でき、安心して出産・子育てができる制度と収入を保障すること。

そのためには、企業の利益を公平に国民に還元するには中間搾取を失くすことが肝要であり、(繰り返しになるが)派遣会社など絶対に存在してはならないはずだろうに・・・。(田舎親父)

2015年9月18日 (金)

小一が荒れている?・・・

 先日、何気なくネットで遊んでいると、『教師蹴る小1、通行人暴行=荒れる小学校、対応模索問題行動調査』という見出しにぶつかる。

文科省が行った『問題行動調査』を元に、時事通信が配した記事であるが、各地から寄せられた回答には『小1に何度も蹴られ、教師が通院』『登校中に注意された児童が通行人に暴行』など目を疑うような事例が並んでいるのにはびっくりの連続でどう表現したら良いのが言葉を失う。

経験上、文科省の調査などたいしたことはないとは思っているが、最近は学校現場が縦社会になっていることから、この種の調査に対して、校長の目が光っているのだろうと想像すると、この結果を頭からウソだと決めつけるわけにはいかなくなる。

実に細かな数字が並ぶ。2014年度に全国の小学校で起きた児童の暴力行為の発生数は前年度比572件増の1万1468件で、過去最多を更新したという。中学生での暴力行為は、逆に、4563件減の3万5683件だそうだ。中学校で減っていることに、ホントかなという疑念はあるが、『小学校の荒れ』が顕著になっていることは確からしい。

 人を殴ったり、物を壊したりした暴力行為の発生数は、小学校では1~5年で各100件以上増加し、内訳は児童同士が7113件、対教師が2151件、器物損壊1997件とある。

統廃合が日常的になっているので、現在の実数はかなり減っているだろうが、20年ほど前には小学校の数は全国で3万校程度だったことから、単純計算でも、何らかの荒れ現象が、全国の半数の小学校で起きており、特に、小学校1年生の暴力行為は、総数は6年生よりかなり少ないが、増加率では2006年に比べて5倍になり、6年生の1.9倍をはるかに上回っているという部分がひっかかる。

文科省の係官は『情報共有が進み、認知件数が増えた面もあるが、貧困などが原因で家庭のしつけが不十分な子どもも増えている』と分析しているとのことらしいが、貧困家庭が多くなっていることから、この部分はある意味納得できる。

私はこのことに加え、保護者が学校を疎んじる傾向も大きな原因になっていると考えているのだが、このことを語り始めると際限なく話題が広がるので、今日は(唐突な話になるが)先日、子育て世代の人たちが集まる会合で感じたことを述べてみることにする。

親として、子育ての一つの区切りが小学校入学であることは今でも変わらない。5歳児の子どもを持つ親は、この時期から、来年4月の入学を楽しみにしてことは想像できたのだが、ほとんど例外なくランドセル選びに狂騒していることう知り驚いたもの。

何でも、ランドセルの色選びが大変で、子どもの希望を優先すると、男の子がピンクを選ぶのも稀ではないらしく、そんな時の親は、他の色にするのが一苦労だそうだ。まあ親の気持ちも分からないでもないと思いながら聞いていた。

この一事でも分かることだが、最近は家庭においては子どもの希望が何よりも重要になり、(集まった親のほとんどが)たった一人の我が子には、できるだけ快適な環境を用意したくなるのだろう。

ランドセルの色は、いじめの対象になるという話はよく耳にする。親はいじめにあうのが一番怖いから、何としても無難な色を求め、そのために子どもを必死に説得するのだろうが、それ以外は全てと言っても良いほど子どもの希望通りにしているようだ。

ランドセルの話はともかく、貧困で躾けができないという文科省の分析に加えて、経済的に恵まれた家庭の子どもであっては、子どもの希望優先という、わがままを助長する子育て方針によって、一般的な社会ル-ルを守るという当り前の躾けができていないことが多いようだ。

そんな子どもが大きな希望をもって入学するのだが、まず最初、強引に躾け(強制)られることが45分間椅子にじっと座ること。しかし最近の子どもはほとんどこれが苦手というところから、入学当初、この基本的な学校のル-ルを躾けることに担任の力量が問われることは述べるまでもないだろう。

もっとも『躾け』という言葉自体が死語に近くなっていることから、担任はこの言葉を全面に出せないのも事実らしいが・・・。

子どもの荒れと何の脈絡がないような文面になってしまったが、案外、若い親たちの、グチを丁寧に聞き、話し合う中に、この問題を解決する糸口になりそうなヒントが潜んでいるのではないだろうか・・・。(杉)

2015年9月17日 (木)

立身出世のためには・・・

 昨夜の委員会は流れたようだが、戦争法案が今週中に成立することは、許し難いことだがほぼ決まりだろう。いつもの通り、結局は『数の力』が決め手になって、今日明日中に委員会で強行採決、そして参議院で賛成多数・・・。また例え、参院で採決ができないとしても、衆議院で再可決すれば成立するのだから、前回の衆院選で自民党を大勝ちさせたことが悔やまれる。

自民党と公明党に加えて、自民党に入れてもらえないのに、それでも寄生虫のごとくへばりついているわけのわからない政党の賛成するというから、成立の翌日の新聞には、『与党に加え他の3党賛成で・・・』という見出しになりそうだ。

この泡沫政党についてだが、(いじめ問題でよく例に出される)いじめられっ子の中には、いじめっ子のパシリになってでもくっついている姿がダブル。今回の協力で自民党からよくやったとおほめの言葉をいただけると期待しているのだろうが、民主主義は所詮『数の力だ』とうそぶく、この超悪集団のボスたちはさらに過酷な仕打ちを加えるだけではと推測しているが・・・。

戦争法案の成立によって、今まで、世界の警察を自認して、自国の利益になる都合のよい介入を繰り返してきたさアメリカであるが、国内でも批判が起きていた内戦状態にある国や地域に治安のための派兵をある程度日本に肩代わりさせることができるのだから、アメリカとしてははまさにウハウハものだろう。

『集団的自衛権』という平和に暮らしている国民にとっては、全く必要がないにもかかわらず、現政権の考え方一つで憲法の理念を覆して、平気で外国に自衛隊(世界の常識では軍隊だろうが)を派遣できるとなると、なんとも時代錯誤の世迷い国家として、世界から敬遠されそうな気配を感じる。

 このことは改めてつぶやくことにするが、戦争法案騒ぎの陰に隠れて、先週、この国の未来を左右するだろう大変な法案が成立した。大マスコミが本気で取り上げないこともあって、経済界では『粛々』とさらに格差が広がる『人民支配』が始まろうとしていることが気がかりである。 

 『改正労働者派遣法』である。企業は一定の(全て企業の理論で作られた)手続を取れば派遣労働者を期間の制限なしで使えるようになるという。派遣会社には『雇用安定措置』という何とでも取れるような言葉で、義務付けたと表現しているが、全ては企業の努力が前提だとしているのだから、ザルもザル、オオザル法案と言っても差し支えなさそうだ。

 一旦廃案にと期待したのだが、ここまで急いで成立させたのは経団連を始めとする経営者・企業側の強い要請があったからだろう。『違法な派遣と知りながら労働者を受け入れている企業が、その労働者に労働契約の申し込みをしたとみなす現行法の規定が10月から発効する』からだと知るとなるほどと納得させられる。

 今回の改正によって、すべての派遣会社を許可制にするそうだ。厚労省が許可権を持つのだろうが、役人のさじ加減で許可・不許可が決まるとなると、『派遣会社』そのものが政府の下請け機関になることは明らか。これは恐ろしい・・・。

一応、許可条件には『キャリア支援制度』という従来の制度に加えて、計画的な教育訓練と報告を義務付け、同じ職場での勤務が3年に達した労働者に対して、雇用先の企業に正社員として採用するように要請することを義務づけているというが、『要請しましたが断られました』となるのは、超経済音痴の私でも容易に想像がつく。

一応は、企業から断られたら、派遣会社自らが無期雇用するなどの雇用安定措置をとることを義務付けているとのことだが、これは派遣先を変えるだけの方便に過ぎないことも・・・。

 さらに、受け入れ企業にとっては3年ごとに派遣社員を入れ替え、労働組合の意見を聞く手続きを取れば派遣労働者を使い続けることができるようになるらしいが、労働組合そのものが『派遣労働者』の立場にない現状では、これもカラ文句に違いない。そして、これまでは、無期限の派遣雇用とされていた『専門職』も原則3年が上限となるというから法の下に首切りが横行することは間違いないところ。

 『専門職』も許可された数社の大手派遣会社が確保することになるだろうから、3年過ぎたら変えるだけで、『いやならクビよ』だろう。結果的に、低賃金で不安定な派遣労働者の状況を固定することは確実である。

どんな業務も派遣労働者を使い続けることができれば、企業はコストの高い正社員の採用を手控えるのは当然だろう。となると、現在の正社員の立場も怪しくなってくる。どうやら残業代ゼロの成果主義賃金や解雇の金銭解決などと同じで、全てが経済第一という企業側の代弁。

美味しい話は『派遣会社』と『大企業』に吸い取られ、派遣が当り前の社会となれば、さらに経済格差が広がることは確実だろう。その先に、貧しさを逃れ立身出世するためには軍隊に・・・という昔の道が見え隠れするような気がしてならない。(田舎親父)

2015年9月16日 (水)

何のためのハザ-ドマップ?・・・

やっと今回の茨城県の鬼怒川堤防決壊による大水害地域の地理的な位置関係が私の頭の中で整理でき始めている。

水害情報は連日報じられているが、その一つに全体の位置関係を表す図がある。その中に、『小貝川』という地名を見つけ、かなり以前のことになるだろうが、小貝川が氾濫して大水害を引き起こしたということを思い出す。

栃木県の日光や北茨城には何度が旅行しているが、それ以外ほとんどこの地方に足を踏み入れたことがない私には、鬼怒川がどう流れているのかは新聞記事にある図から観念的に理解するだけで、流域の地形など全く分かっていないのだが、なぜか、『小貝川』という名前が頭に残っているので、今回、水没してから一週間過ぎた現在も、何故こんなにも水が引かないのかがわかるような気がしている。

この地域は、関東平野の真っ只中であることは想像できる。大昔自分が駆けずり回って遊んだ、(先日話題にした)京都府宇治市の巨椋池干拓田をさらに巨大にした大平野地帯であろう。その地を、鬼怒川という大河が悠々と流れている。普段は、実に雄大なそして美しい眺めが広がっているに違いない。

東京が巨大化するにつれて、以前は田んぼしかなかったこの地域一帯は住宅が建ち並び、人口が増え続けているのではないだろう。昔の地域名は知らないが、常総市という自治体は比較的新しく生まれたのではないだろうか。

唐突な話になるが、常総という名前からまず頭に閃くのが、甲子園の常連になっている『常総学園』という高校名。正確な年は忘れたが、相当以前に『取手二高』という公立高校が高校野球の頂点を究め、当時の監督だった木内さんの人となりをマスコミが取り上げていたことがあり、その記事を大変興味を持って読んだ記憶がある。

その木内監督が、新しく設立された『常総学園』という私立高校の野球部監督として招請されて、現在の礎を築いたということも頭に残っている。甲子園出場が決まると、学校の近くの様子や野球部の練習風景などが紹介され、その地域の映像が流れたはずだが、野球ができる環境として優れていることは理解できても、その地域全体が低地地帯だということなど想像することもせず、気にも止めなかった。

話を戻すが、我が国の治水は、幼い頃見慣れた淀川の堤防の変遷から、基本的には川幅を広げ堤防を高く頑丈にすることだということは理解しているつもりである。常総市を流れる鬼怒川の堤防も、きっと同じような歴史をたどり、現在は『決壊などするはずがないと信じていた』と常総市長が話している通り、高く頑丈なものになっていることは想像に難くない。

ところが、その堤防の一部が私有地だったことから、悪徳業者?によってそこが削られて低くなり、結果的に今回の災害を招いたことは違いないようだ。ところが、先日も話題にした、『私有地堤防』など今まで聞いたことがないが、何故か、このことを取り上げる記事が少なくなっているような気がするが・・・。

いずれ検証作業が進むにつれて何らかの説明がされるはずだと思うので、ここでは触れないが、常総市の市役所が水没して、電源が使えなくなったというから、市長はじめ全て職員は頭から『堤防決壊』など頭になく、トンチンカンな情報を市民に出して混乱させたとなると、市長はじめ常総市役所としての資質が問われそうだ。

というのも、市が市民に配布したハザ-ドマップでは、市役所も水没地帯に含まれていたというから、何のためのハザ-ドマップなのだろう・・・と私の頭も混乱してくる。

常総市のハザ-ドマップが、どの部署で作られたかはともかく、堤防の決壊までは想定しなくても、『鬼怒川が氾濫した』という前提で計算されたはず。その結果、市役所が2mほど水没する可能性があることがマップにも明記されているという。

今更建て替えができないとなると仕方ないとしても、緊急用の発電装置を一階部分に設置したことは、結果として、自分たちが作ったマップを無視?・・・。これは情けないの一言に尽きる。

福島原発事故の予備電源の喪失を連想させる。ハザ-ドマップを作成し、水没するだろうと場所に発電装置を作ったことはいかなる言い訳も通用しない。しかも、そのハザ-ドマップをよりどころにして、避難命令や指示などのだしたというから、何だが質の悪いマンガを読んでいるような気持ちにさせられる。

県の対応の悪さも被害を増大させた一因らしいが、地方の自治体の常識は、この程度なのかもしれない。となると、常総市と同じような自治体も多いのではないだろうかとこちらの方が心配になってくる。

国の命令や指示で『義務』として大急ぎで作成したという自治体も多いはずだろうから、現在のバザ-ドマップを役所と住民が一体となって見直し、住民の安全を第一に、最悪の場合を想定した、『生きたハザ-ドマップ』を作ってほしいと願う今日である。(田舎親父)

2015年9月15日 (火)

獄門火あぶりに相当する大罪だろう・・・

 天童荒太という人の『永遠の仔』という小説がある。この人の作品は家庭の崩壊から精神的に異常をきたした人物が登場することが多く、筋書きとしてかなり暗く、読み進めるのも苦労するところがあるが、最近日常茶飯事的に起きている児童虐待に対する警告という意味では勉強になることが多く、かなりの長編だが読み終えた。

病院の精神科に入院していた主人公の少女と二人の男の子の出会いから、17年の時をへて再開することから物語は始まる。男の子の一人が弁護士、もう一人が警察官という設定である。

荒れた家庭の子どもがどのようにして、事務所を構える弁護士になれたのかという部分が、かなり曖昧なのが気になるところとしても、家庭的にハンディのある青年が司法試験に合格し、事務所まで開設しているという筋書きが、この小説が成り立つ前提の場面設定になっている。

人生の成功者になるために、この司法試験の合格を目指す若者たちを描く物語は数多い。そして、そのスト-リ-は(私が読んだ限りでは)例外なく辛酸を嘗めた苦労の末に司法試験に合格するというものであり、そこには、司法試験の問題を何らかの方法で事前に知るという筋書きはなかったように思える。

しかし、その筋書きにはなかった試験問題が漏れたというニュ-スが流れたのはつい最近のこと。それも、問題を作った大学教授が、こともあろうに現役の教え子の女子学生に問題を漏らしたというから驚きである。しかも、問題を漏らしただけではなく、その模範解答まで伝授し、その回答の完璧さから採点者を疑わさせたというから、バカバカしいと言えばこれ以上バカバカしいことはないが、小説以上に話題性がある。

今まで、誰が問題を作っているのかということは考えたこともないが、問題を出す人物が大学教授となると、これはあり得ない話ではなさそうだ。いやそれどころか、表にでなかっただけで、今までも繰り返されていたと想像しても、その想像を否定できないのではないだろうか。

週刊誌の下ネタ話題ではないが、男の大学教授とそのゼミに所属する女子学生で、しかも美貌のお金持ちのお嬢様となると、色と欲に狂った男の物語として、さらにあり得る話のようにも思える。メロメロになった大学教授は、問題を教えることに飽き足らず、確実に合格点が得られるような模範回答まで伝授、女子学生は、その全てを丸暗記して試験に臨んだという筋書きか・・・。

丸暗記方式は、論文試験には多いにあり得る。司法試験だけではなく、国家資格を得るための論文試験では十分考えられることは、東京都の公立小中高の校長試験で論文丸暗記をして合格したという強者をかなりの数知っているので、ウンウン・なるほど・・・と納得する。

ふと、隋や唐の中国の歴史に出てくる『科挙』を思い浮かべる。当時は、科挙に合格することが出世の糸口で、合格さえしてしまえば富と名誉がえられるので、その夢の実現のために日々研鑚する男性が主人公の物語は枚挙にいとまない。

『科挙』を扱った中国の物語の中に、金持ちのどら息子を何としても科挙に合格させたい権力を持つ役人が、試験の責任者から事前に問題を教わり、それを子飼いの秀才に答案を代作させたという話もあったような記憶がある。

それがバレたことによって、責任者や関係者はは即刻死刑となり、有力役人はどら息子ともども遠方に流されるという筋書きだったのではなかっただろうか。それほど科挙は重要で、当時の政治の世界では『神聖且つ犯し難い制度』だったようだ。

このためには、この制度を悪用するものは、即死刑は当然立ったに違いない。司法試験が科挙に類するとしたら、教え子に問題を教えた明治大学の教授は『即死刑』に値するのではと思うのだが、実際は大学教授の職を追われたに過ぎないとなると、何だかなあ・・・と思ってしまう。

我が国の司法制度は、問題を作るのは大学教授だったようだ。その所属が私立大学となると、司法試験に多くの合格者を出すことによって、その大学志願者が増えるのは当然の成り行きだろう。試験問題作成委員を任された私立大の教授たちは、大学の姿勢を感じ取り、学生に便宜をはらいたくもなりそうだ。しかも、美貌の女性と大金が手に入るとならば・・・。

となると、制度そのものがザルであり、今まで、バレなかったことがむしろ不思議というところではないだろうか。

『事実であれば重大な問題だ』と法曹界がこぞって大騒ぎしているが、新聞記事を読む限り、問題は『バレたこと』であって、『制度そのもの』を問題にして改革しなければという動きには、相変わらず腰が重そだと思えてならない・・・。

話は飛ぶが、島原発事故からはや4年と半年。被災地の復興は遅れに遅れ、アホベ首相に至っては、恥ずかしげもなく世界に向かって『収束している』などとほざいているが、その実は、未だに11万人以上の人たちが故郷を追われ、逼塞して生活を余儀なくされていることを忘れてはならない。

このことと、今回の試験問題の漏洩とは関係ないとお叱りを受けそうだが、世の中に公平な制度を作る側がこんな体たらくでは、津波の教訓など屁とも思わず、政府や経済界が己の利益だけを考え、何にもまして、原発再稼働にまっしぐらになっていることもうなづけそうだ。(田舎親父)

2015年9月14日 (月)

これは人為的災害?・・・

 『50年に一度』『100年に一度』と言われる災害が多過ぎる。先週、台風18号(17号も影響していたようだが)から伸びる『線状降水帯』と呼ばれる雨雲が、局地的に大雨を振らせた影響で、茨城県の常総市を流れる鬼怒川の堤防が決壊し、濁流が付近を泥の海とさせていく映像から目が離せなかった。

 我が家と比べると、天と地ほどの差がある大きく頑丈な家が、濁流に飲まれて流されていく。まるで、4年半前の東北大津波の時の悪夢の再現である。ずっとテレビの前に釘付けになってしまったが、口から出る言葉は『信じられない』という一言だけ。

また、話が飛ぶが、私が『堤防決壊』という事実と遭遇するのは二度目である。(記憶は定かではないが)昭和で30年前後に近畿地方を襲った『伊勢湾台風』か『第二室戸台風』のどちらかだったと思うが、淀川の堤防が決壊し、大変な惨状を目の当たりにしたことを思い出す。

当時、宇治川が淀川と名前を変える付近に、今でも存在しているが『観月橋』という橋がかかり、その付近は、いわゆる『天井川』と呼ばれる高く頑丈な堤防が水害から守っていた。

上流から見て右側には、酒蔵で有名な伏見の街が広がり、左側は広大な田んぼ地帯であった。古い地図には描かれている巨椋池とその周りの湿地帯を江戸時代に埋め立て、当時は京都で唯一地平線が見える場所と言われていたほど広大な田園風景が広がっていた。

その観月橋の近くの堤防が決壊し、泥水が巨椋池干拓田を埋めつくしたのだが、当時高台に住んでいた腕白坊主どもは、怖いもの見たさの心境で、先を争ってその風景が見られ小倉小学校の校庭に駆けつけたものである。

 目にしたのは、今回の決壊現場付近と同じ姿。当時、民家(農家)はまばらたったので、大騒ぎにはならず、ただ水の恐ろしさを感じたものであるが、牛や豚などの家畜が、溺れ死んだのだろう、その死骸が浮いていたことが異常に記憶に残っている。

 この堤防決壊が直接の原因なのかはわからないが、以後、治水技術が進み、各地の河川は川幅を広くし、堤防はより高く頑丈になったと聞いている。中には、堤防を二重にしているところもあるようだ。

それが、いとも簡単に今回決壊した。不思議だと思っていた翌日、宮城県の渋井川の堤防を乗り越えて付近一帯が水没している映像がテレビで映し出されていた。そして、被災者の方には申し訳ないが、これは現代の治水工事が完了した堤防の姿で、例え想定以上の水が押し寄せても、決壊しない設計が作られているのだろうと納得したものである。

なのに、鬼怒川のあの部分だけが決壊したのは?との疑問を持ち続けていたのだが、翌々日の朝刊に、『越水した堤防の部分が、昨春、ソーラーパネル設置工事のために高さが約2メートル削られていた』という記事に愕然とする。

記事によると、そこは、国の管理外の私有地の自然堤防で、工事で延長150メートルが削られ、堤防のない状態になっていたという。これが事実だとしたら、起きるべくして起きた災害で、自然災害ではなく明らかな人為的な事故である。

付近の住民は工事に対して危険だと市議会に働きかけていたという。市議会でも『危険ではないか』と国に対策を要請した結果、国交省が昨年7月、土のうを積み上げる程度の措置でお茶を濁していたらしい。

しかし、鬼怒川という一級河川の、決壊したら泥流が流れ出すことが明らかな堤防が、私有堤防?・・・。国交省は『個人の土地がたまたま高い位置にあり、河川管理施設ではなく、国としてどうこうできるものではない』という見解らしいが、そんなことがあるのだろうかとこちらの方が信じられない。同時に、あれほどはっきりした決壊を『越水』と表現していることも気になるところ。

『越水』はともかく、河川の堤防が私有地だということを、一体国民のどれぐらいが知識としてでも知っているのだろう。私が疎いだけだとはとても思えないのだが・・・。

確かに記録的には50年に一度の降水量だったかも知れないが、こんな私有堤防が他にもあるのではないだろうか。治水は行政のもっとも重要な仕事の一つならば、行政が手を出せない堤防などあって良いはずがない。

直ちに詳細な調査を行い、私有地の堤防など失くす措置をとらないと、今後、50年に一度の大雨が当り前になっては、同じようなことが全国規模で起きるのは想像に難くない。対処を急ぐと共に、被災者の手厚い補償もお願いしたいものである。

この記事で、私が経験した淀川の堤防決壊で、国がわざと干拓田川の堤防を低くしていたと言っていた大人の話を思い出す。被害を少なくする配慮なら仕方ないのかも知れないが、何となく引っ掛かりを感じる。今回も背景には、こんな国の姿勢が関係しているのかも知れないが・・・。

ふと、東京と神奈川・千葉との境を流れる多摩川や江戸川、あるいは、都内の行政区の境を流れる荒川などの河川の堤防に、行政の力関係があるのでは・・・なんて不遜なことが頭をよぎる。(田舎親父)

2015年9月12日 (土)

COP21には平和理論で臨んでほしいが・・・

 台風18号が愛知県に上陸し、本州縦断して日本海に抜け、温帯低気圧となって消えてしまったが、この台風が与えた被害は夥しい。風はたいしたことはなかったようだが、各地に振らせた雨は半端ではなく、川の増水で河川が氾濫し多くの家屋や田畑が水に使った姿は痛々しい限り。特に鬼怒川の惨状には言葉もない。

 気象レ-ダ-の雨雲の映像を見れば、南北に線状の帯が幾重も現れて、それが微妙に一を変えながらも,遠くには離れず長時間同じ位置にとどまっていることがよく分かる。

 この線状に積乱雲が次々に現れて大量の雨が降ったとのことであるが、一応学生時代気象学を学び、一通りの気象に関する知識は持っているつもりでいたが、この線状に連なった雲の帯を表す『線状降水帯』という言葉は始めて知る。

 太平洋上にある台風17号の影響もあったようだが凄い映像だった。こんな厄介な雨雲が居すわっていたのではテレビが映し出す惨状も納得する。被災地の高齢の男性が『50年前かここに住んでいるが、こんな大雨は始めて』と答えていたが、このところ、気象庁が言い出したようだが、『50年に一度』とか』100年に一度』という言葉が氾濫しているのが少し気になっている。

今回の台風18号は近年稀なほど広範囲に凄い被害をもたらしたが、局地的にはかなりの被害をもたらす異常気象が毎年のように起きている。台風は昔から仕方ない自然現象として知られ、人々は覚悟してその襲来に備えたものだが、最近の『異常気象』について気象庁は『大気が不安定なので・・・』という注意を喚起する情報は示してくれるが、実際にはどう防いだら良いのかまでは示せないので、ほとんどがなすすべがないのが実情である。

20年ほど前から、日本各地でも頻繁に起きている竜巻などがその典型だろう。竜巻という現象がどうして起きるのか、その仕組みは教えられたことがあるので一応は頭のなかに入っている。と同時に、この現象が起きるのは広い平地があることが条件になっているということも習ったもの。

去年あたりまでは、起きた場所を調べると、確かに、ある程度の広さを持つ平野や盆地に限られていたと、無理に自分を納得させていたが、先日の平塚の場合など、家がかなりたて込んだ場所。確かに平地には違いないが、私が思っていた田畑が中心のイメ-ジとはほど遠く、嫌でも従来の考え方を改め、『竜巻はどこでも起こる』という言い方に耳を傾けなければならなくなった感じがする。

ごく最近まではさほど身近に感じることがなかった異常気象現象が、これ程頻繁に起きるようになったのも、『地球温暖化』がその主な要因になっていることが確からしいとなると、早く手を打たないと、昨日・一昨日の凄まじい惨状が日常茶飯事になるような予感がする。

 『地球温暖化』の主な原因は二酸化炭素を始めとする温室効果ガスであることは、今では小学校の教科書にも掲載される、ごく常識的な知識になっているが、この厄介なガスは便利で快適な生活と比例して増えるというから厄介な話。

 このガスを何とかしなければならないと、特に先進国といわれる国々は躍起になっているらしく(今の生活レベルを落としたくないことが前提だろうが)、毎年のように会議を重ねているが、それぞれの国には複雑な背景があって、ル-ル作りがなかなか進まないようだ。

今年も、2020年以降の温室効果ガス削減の新たな枠組みを話し合う国連気候変動会議(COP21)が11月末からパリで開かれるとのことだが、今度こそという危機感があるらしく、そのための準備会議が最近ドイツのボン開かれたそうだ。

そのことを伝える新聞記事によると、COP21での合意を目指すボンでの会合では、先進国も途上国もこぞって対策に取り組むという意欲が確認されたそうだから、このままでは大変なことになることは全世界の共通の認識になったようだ。

そのことは進展だろうが、開発途上国としては先進国が散々好き勝手に使ったエネルギ-が原因で自分たちの地域も温暖化の被害を受けているのだから、ホンネとしては『俺たちにも便利で快適な生活をする権利があるので、それを妨げるな』という強い意識があり、『俺たちも努力はするが、お前たちはそれ以上の実績を示せ』というところだろう。これは当然で、先進諸国は謙虚に耳を傾ける必要がある。

しかし、具体策となるとなかなか難しく、化石燃料以外にエネルギ-を得る方法には膨大な費用がかかることもあり、途上国としては、その資金を化石燃料の大量消費で経済発展した先進国に求めているのだが、経済発展が頭打ちになった先進国側はそんな余裕がないとの綱引き議論が、11月のフランスでの会議の主要な議題になりそうだ。

以前なら、温暖化ガスが出ない原子力をという話題も出たらしいが、核のゴミ問題が全く先行きが見えないとなると、間違っても先進諸国は言い出さないと信じたい。

しかし、経済発展のためにはナンデモやるという現政権は、口先では先進諸国と足並みを揃えると言っているが、原発は経済発展の大きな武器と位置づけ、中東諸国に原発を売り込んでいるというから、世界の動向に逆らっているのがなんとも気がかり。

売り込むのは『原発ではなく、平和に対する考え方』であって欲しいと切に願い、世界の国々が、我が国の憲法9条を範として戦争を放棄すれば、武器の代わりに太陽光を始めてする再生可能エネルギ-を得ることは可能だという思想であってほしいもの。

ところが、現政権の動きは全く逆。情けないことだが、また困った話だということしかつぶやけない私の非力が悲しく情けない・・・。(田舎親父)

2015年9月11日 (金)

うどん県の悩み?・・・

昨日の鬼怒川が決壊し住宅を押し流す映像はまるで津波。4年前の記憶が蘇る。被災した方々にはお見舞いしか言えないが、自衛隊などのヘリの活躍で、犠牲者が少なかったのがほんの少しの救い。

今の政府は、被災した人々の今後の生活を支援する気などサラサラなく、今頃は、救援していることを表に出しながら、この機会をうまく利用して『戦争法案』を成立できないかと鳩首会談を開いているだろうと想像しているが、恐らく、この想像はほぼ的を得ているのではないだろうか。

一夜明けた今日は、東北大震災から4年半の『月命日』。昨日の映像と、あの大津波が東北から関東の太平洋塩害を襲い、大津波で飲み込まれていく家屋や人々の姿が鮮やかにダブる。夢に出てくるほど凄まじい東北大津波の映像は強く脳に残り、未だに思考回路に大きな影響を与えている。

その大津波が原因とされる福島原発事故は、今まで経験したいかなる自然災害をはるかに超える、未だに信じられない凄まじい被害を人々に与え、4年半過ぎた現在でも、11万人という大変な数の人々が故郷を失い、全国各地で避難生活を余儀なくされていることは忘れてはならないと肝に命じている。

しかし、政府と東電は、何としても収束を世間にアピ-ルしたいのだろうが、住民の健康などはあえて話題にはせず、放射線値が年間20ミリシ-ベルト以下になったから安全だということで、避難指示地域を解除し日常的に生活できるとの住民に帰還を促す政策を強力に押し進めている。しかし、それに応える住民は高齢者を中心にわずか1割だというのは当然と言えばこんな同然な話はない。

特に将来を担う子どもたちには、もっと放射線量が下がらなくては安心して帰還させるなど考えるべきではないことは常識だろうが、こちらの話題は最近とみに聞こえてこない。まさか、国がマスコミに強い圧力をかけているとはは思いたくないが・・・。

今日、つぶやきたいことは子どもの健康のことであるが、昨日の強烈な映像が脳を混乱させて話がどんどんそれてしまったが、何とか回路をつなげることにする。

かなり以前の話になるが、昨年香川県が小学4年生を対象に行った生活習慣病病(糖尿病など)の検査の結果が発表されたことを覚えている人は少ないのではないだろうか。

その時は、『何故、香川県?』という違和感を覚えたものだが、調査が糖尿病に関するとなると、なんとも気になって、この新聞記事をコピ-して保管していた。

私が糖尿病に興味・関心人一倍持っているのは、10年以上前に、糖尿予備軍と宣告されて以来、自分で作った『桑の葉パウダ-』を飲み続けて、予備軍から除隊できたことに加えて、今現在再度の招集を免れているからであることを付け加えておこう。

記事によると、香川県では2012年度から、県内小中学校で実施する血液検査を含む小児生活習慣病予防健診にもとづく実態把握を開始していのだそうだ。糖尿病予防のためらしいが、全県の都道府県単位で小学生の血液検査が実施されるのは、全国でも例がないという。確かに、聞いたこともなければ、増して経験したことはもちろんない。
 香川県はずいぶん思い切った調査を行っていると感心するが、記事の末尾にある、『香川の人口10万人当たりの糖尿病受療率は308人で全国ワースト2位、糖尿病による死亡率は同ワースト9位』という文言でなるほどもっともと頷ける。

ちなみに、全国一位はという素朴な疑問がわいたので、ネットで調べてみると、受療率としては見つからないが、死亡率というデ-タでは、昨年度において徳島県となっている。そして、香川県は9位でなく2位にランクされており、第三位は福島県、そして青森県・山梨県と続く。

ワ-スト5の県も力を入れて調査すべきだと思うが、それとは別に、香川県は野菜の摂取量が47位のワ-スト一位という不名誉な記録から、県が小児期からの正しい生活習慣を啓発する施策に格段の努力をしなければと危機感を持っているのだろう。
 記事の詳しい数値は省くが、調査対象の小学校4年生の1割強が、血液検査で肝機能や脂質異常があり、HbA1c1割強が糖尿病の疑いがあるか、発症リスクが高いレベルだとのこと。他県が同じような調査をしていないので比較はできないが、素人の私が見ても、小学校4年生で、1割強という数値は高いのではないだろうか。

ここで思い出すのが、香川県は『うどん県』を標榜していることである。知事自ら『うどん県』を公言し、宣伝しているほどで、テレビでも『うどん県』を表に出した番組が多く、わざわざ、一杯の有名うどんを求めてタレントが訪れるというスト-リ-はお馴染みになっている。

糖尿病の治療でまず指導されることは、食物繊維を多くとって適度な運動をすることである。そして次には、淡水化物をできるだけ摂取せず体重を減らすことであるが、うどんはある意味、炭水化物の固まりのような食物。うどんの害はあまり聞かないが、糖尿病にとっては大敵なのかも知れない。

テレビの旅番組で目にした光景であるが、親と一緒にうどん屋にきた子どもが、親に習って、うどんをお代わり、しかも天ぷらを入れているのがごく当り前となると、(医者から聞いたことだが)糖尿病初期での『ダブル炭水化物パタ-ン』という最悪の迷路に迷い込むことになりそうだ。

(余計なお節介かもしれないが)香川県は、県を挙げて、『うどん県』としての知名度を上げることに躍起になっているらしいが、テレビで紹介されるからといって、うどんを毎度お代わりする姿を当然だと、自慢している気持ちがあるようでは、こんな調査はムダになるのではないだろうか。

さらにお節介なことを一言付け加えると、うどんのお代わりが食事文化として定着し、日常的になっていては、子どもの糖尿病予備軍は増えことはあっても減ることはないような気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

2015年9月10日 (木)

上野動物園は謙虚に・・・

 数日前の話になるが、特別国の天然記念物であるライチョウを繁殖させるために、上野動物園が人口繁殖に取り組むことになったというニュ-スが報じられた。その時は、その善し悪しはともかく、ついにライチョウまできたかという感じだったが・・・。

ニュ-スの内容は、岐阜県と長野県の県境の乗鞍岳から採集した卵を5個孵卵器で人口孵化させる計画に着手したということがメイン。そして、しばらくして、5羽が無事孵化したと、かわいらしい雛の姿が映し出されていた。

この映像で、結核で寝ていた母親に『何とかして上げたい』という気持ちが強かったのだろうが、小学校1年生の頃には、庭でニワトリをかなりの数を飼って、毎日の卵はもちろん、当時、結核の特効薬だとされていたニワトリの生き血を飲まそうと悪戦苦闘していた思い出が蘇る。

当時は、卵は貴重品でかなり高価な食品だったと記憶しているが、おかげで、毎日、母親に生卵を数個与えても、まだ余るほど産んでくれたので、その分お小遣いとして自分も潤っていたことも懐かしい思い出である。

飼い始めて数年たった頃だろうと思うが、生き血を採るための若鶏の数が不足したことで繁殖にも取り組み始めたが、これが面白くて繁殖事業?に没頭したものである。生き血を採るために雄鳥も同時に飼育していたので、卵は当然有精卵。その時期になると、雌鳥は卵をいくつかため込むと羽根の下にかくして温め始める。

そのことに興味を持って、近くの年長者に飼育方法を聞き回り、21日間で雛になることを知る。雛になったら、他のニワトリと同じ場で飼育するなら、特別の箱が必要と教えられ、雌鳥が卵を抱く部屋と、生まれてきたヒナが自由に行き来できる部屋とを柵で分けることを覚える。

21日目が近づくと、雛を抱く雌鳥の姿が気になって、学校に出かけるのも惜しくなるほどだったが、ピヨピヨとヒナ(ヒヨコ)の鳴く声を聞いた時の感動は今でも忘れられない。上野動物園の飼育係の人も、孵卵器の中とはいえ、ライチョウのヒナを目にした感動を味わったに違いないと思うと、なんともうれしくなり、当時のことをますます鮮明に思い出す。これも、私が歳をとり過ぎたかも知れないが・・・。

そして、経験者の大人から『ニワトリは鳥目だから、真っ暗の中で新しい雛を入れても、自分の子どもだと思って飼育する』ということを入れ知恵されて、当時、お祭の屋台でヒヨコを売る店が繁盛していたこともあって、その季節(5月ごろだったと思うが)には雛を取り扱う業者へ出かけて、雄のヒナ(未だにどうして見分けるのかわからないが)を10羽程買い求めて、夜の間に親鳥のフトコロにもぐり込ませたものである。

生き血が母親の体内で結核と戦っていると信じて、当時は屠殺することに何の罪悪を感じなかったが、(余分なことながら)後年(今でも)鶏の肉は苦手になっている。蛇足ながら、買い求めた雄のヒヨコの値段は、一羽5円ぐらいだったような記憶がある。

詳しい飼育話は長くなるので略すが、私が気にかけたことはただ一つ、『殺さない』ということに尽きる。具体的には、母鳥(母親)に飼育を任せて、ひたすら母親がどうすれば喜ぶのかを考えていただけであるが・・・。

その経験が、ずいぶん後の話になるが、理科の授業で『命の誕生』という単元の、孵卵器を用いて孵化させる場面に生きたらしく、誰よりもその技術に負けない自信と実績を誇ったものである。

ニワトリの親は,ヒヨコに対して(当然だろうが)エサを強引に食べさせることなどできないので、ひたすら細かくつぶして与えることで、多少弱っていてもヒナでも食べられることを本能として知っていたからだろう。だから、チュ-ブでエサを強引に飲み込まさせるなど、私にとってはとても考えられない方法である。

話がそれたが、上野動物園のライチョウのヒナは、当初順調に育つかと思えたが、しばらくして2羽が死に、残った3羽も続けて死亡。結局人口飼育に失敗したという。

天下の上野動物園である。飼育員の技術が未熟だったなどとは口が裂けても言えないがエサを食べなくなったので直接チュウブで体内に入れたという文言にひっかかる。

ライチョウのエサが何か詳しくは知らないが、上野動物園の飼育員は、自然の中でライチョウを見つけ、卵を産む場面からヒナの誕生、そしてエサを与え・与えられる親子の姿を自分の目で徹底的に観察し、親の気持ちを理解したうえで飼育にあたったのだろうかという素朴な疑問がふと頭をよぎる。

ライチョウの飼育は難しいのは十分理解できるが、育てる親の気持ちと行動はニワトリと変わるまい。生意気なようだが、プロとして生きているのなら、次の機会までに、今一度、自然の中でライチョウと対峙して、自分がライチョウに成りきって生活してみることを勧めたいもの。チュ-ブなど鳥類に対して失礼な道具などを用いることなく、エサが食べられるような環境とエサの与えかたを体得していただきたい。

そういえば、誰かとは言わないが、『白浜ではパンダの繁殖に次々に成功してが、上野では・・・』ということを述べていたような気がするが、上野動物園は、謙虚にこの声を受け止めてほしいものである。(田舎親父)

2015年9月 9日 (水)

天才ペテン師集団?・・・

2017年4月に消費税率を10%に引き上げることが規定の事実になっているらしいが、公明党が生活必需品(特に食料品)に限っては、税率を下げることを主張していたことは、何度もマスコミが報じていたので知っている。

政権与党である自民公明両党は、先の衆院選の共通公約でも軽減税率の導入に合意したばかりか、導入を目指す方針を明記していたはず。公明党に至っては、軽減税率は絶対にやると『公約』として上げている。そのことは度々委員長の口からも国民に知らされていた。

値上げ時期が迫っている中、裏での話し合いでもあったのか、財務省が(突然という表現が相応しいが)先日、消費税値上げで負担が増す低所得者を対象に『給付金』を配る案を検討していると報じられた。その内容は、税率を一律で10%に引き上げたうえで、『一部の飲食料品』の税の増収分を還元するというものらしい。

このことが明らかになった日、公明党は納得できないと不満を表していたことは、大マスコミは一斉に報じていたので、多くの国民、しかも日頃は公明党など眼中にない国民層であっても『公明党・頑張れ・・・』と思ったに違いない。

しかし私は、どうせこの『ヌエ的な政党』は、連立政権として美味しい味を占めているだろうから、戦争法案を国民には平和の顔を見せながら、自民党にはエサにありつきたいために、結局は全て飲み込み賛成したように、軽減税率などどこかで忘れるだろうと思っていた通り、財務省案で合意したということが一昨日だったか報じられた。

なんともふざけた話である。財務省曰く、欧米式の軽減税率を導入するには、どの品目を対象にするかという線引きや、経理事務の負担をどう軽減するかといった問題を解決する必要があるから我が国には合わないそうだ。

財務省の親玉は、このことに対して『面倒くさくないようにする』とのたまっているそうだ。しかし、素直に解釈すれば、『公明党の主張は面倒くさい』ということになると思うのだが、公明党は反論しないばかりか、翌日、両者が協議したら、とたんに『日本式軽減税率』だと認めたばかりか絶賛したというから驚いてしまう。もっとも、そこがヌエのヌエたる本質なのかも知れないが・・・。

確かに、普通語られている軽減制度となると、品物によって税制が別れることは当然で権力側としては面倒な話であることはわからないでもない。しかし、はっきりと『全ての食料品』という定義を決めてしまえば、事務的にはそれほどたいした仕組みではないのではと素人的には思うのだが・・・。

過去にも、とにかく税をかけられる品物は多ければ多いほど税収が伸びるという権力側の発想で、軽減税率を導入すれば、食品を細かく分けねばならないことになり、それが面倒なので、給付金という形で逃げてきた歴史がある。

結局は、食料品も含めて全てに10%の消費税を課税し、まだ線引きの『せ』もでていない低所得者に後から『還付金』として配るということになりそうだが、ここで天才ペテン師の集まりが、先日決まった『国民背番号制度(マイナンバ-)』を使うと発表したことに、ペテンもここまできたかとただただ驚くばかり・・・。

しかも、当初は限られた低所得者と言っていたのに、対象を広げて、(還付金の総額をできるだけ抑えて)一応、誰にでもメリットがあるがごとく説明しているのだから恐れ入る。還付金の総額が決められて、所得に応じて金額を決めるというのだから、ほとんどの国民にはこの恩恵はゼロに近いことは疑えない。しかし,ここは巧みにぼかしている。

配られたマイナンバ-カ-ドをレジ係に渡たし、レシ-トと比較すれば、どの品目が2%の給付対象額になるか調べられるシステムを作るのだそうだ。その上で、一定の額になれば、マイナンバ-カ-ドに登録されている金融機関に某かの還付金を振り込むとのこと。しかも、今日になって、家族の合算も認めると言い出した。

これが『日本式軽減税率』らしい。政府は、国民からいったん10%分の税金を集め、後から2%分の還付(税の払い戻し)をするというが、(繰り返すが)全ての国民が還付されるわけではないどころか、はたして公平性が保たれているのかも、すでに先に決まった秘密法案の範疇となると、まさに政権の思いどおり。

なるほど、嫌でもマイナンバ-カ-ドに関心を持ち、さらに、場合によって2%分が返ってくるという『幻想』をあたかも現実のごとく示されたら、このカ-ドが普及することは間違いなさそうだが、『誰が何時どこでどのような買い物をした』という、いわば国民全ての個人情報が一目瞭然に国に突き抜け・・・。

さすがに、これでは・・・と疑念が沸き上がっているが、国民疑念には一切答えず、お制度降り突っ走ってきた現政府にとって、そんな声が聞こえるはずがない。

世論の動きを見ながら、行けるとなると、次は買い物だけではなく、生活全てに『マイナンバ-カ-ド』が必要になるシステムを押しつけてくるだろうことは想像に難くない。すると、国民全てが国家の前に丸裸状態になってしまい、(例えば)内閣公安室あたりで、『こいつは危険だ、あいつは役に立つ・・・』なんて会話が日常的になることも・・・。

何とかこの政権の暴走を止めないと、北朝鮮より酷い国になりそうだが、その具体策が浮かばない自分の非力が悲しい限り・・・。(田舎親父)

2015年9月 8日 (火)

昔敬老・今受難・・・

 9月もすでに一週間。一昔前までは、この頃から『敬老』という言葉が周りから盛んに聞こえるようになるのだが、『敬老の日』が連休を作るためという理由で、毎年、第三月曜日になってから、『敬老』という言葉そのものがだんだん聞こえてこなくなったような気がする。もっとも、これでもかというほど年寄りが増え、右を見ても左を眺めても年寄りだらけでは、当然といえば当然で、この傾向も仕方ないと思ってはいるが・・・。

 ところで、何度も述べていることだが、我が家のすぐ前に、老人施設が3つできたのは数年前。同じ経営者らしいく、それぞれの施設の名前の入ったマイクロバスが、従業員の送り迎えをしていることは、無駄を省くという意味では当然だろうが、このところ、夜になっても街灯を点けないので入り口付近は真っ暗。我が家の前の電柱に取り付けられている街灯で、ここが入り口だとわかるような状態になっている。

また、最近までは、明らかに宿直の担当者だと思う職員が、出入り口の門扉を開閉していたが、最近では、通勤の職員が行っているのも何だか変な気持ちになり、先日の夜、閉めて帰る職員に声をかけてみた。

わかったことは、警備のためだけの職員は存在しないらしく、午後8時前に夜勤の職員の出勤した後、帰宅する最後の職員が閉めるようになったとのことである。ついでに、街灯の件も聞いてみたが、『そうですね。点いていませんね・・・』というだけ、その理由はわからないらしい。

責任者に問い合わせば良いのだろうが、私自身、特に不便を感じたり、治安上問題があるようなこともないのでそのままにしているが、少しでも経費を節減(電気代をケチる)ためではないかと推測している。

今日も変な書き出しになったが、一昨日の日曜日、朝のテレビニュ-スで『川崎市幸区の老人ホームで昨年11~12月、入所者の男女3人が相次いでベランダから転落して死亡していたことが施設などの関係者への取材でわかりました』というアナウンサ-の声が聞こえてきたことから、老人施設の事故(事件)に興味をかきたてられた次第・・・。

つい最近も、高層マンションから中学2年生の女生徒がベランダから転落したというニュ-スを聞いたばかり。また、ベランダからの転落は、幼児を中心にかなり頻繁に耳にすることだが、年寄りが転落とはなんとも違和感を覚える。

すぐに、ネットの新聞記事で確認するが、そこには(そのまま引用)『運営会社や消防などによると、昨年11月4日には入所者の男性(当時85)が4階から転落。12月9日には女性(当時86)が4階から、同月31日には女性(当時96)が6階からそれぞれ転落した。午前1時50分から同4時17分までの未明の時間帯に119番通報があり、消防が市内の病院に救急搬送したが、死亡が確認された』とある。

さらに、『ベランダの手すりの高さは、約120センチだった。3人はいずれも個室で暮らし、室内などから遺書は見つかっていない。認知症の人も含まれていたという』と続いている。

文面を見て、ますます物凄い違和感を覚える。乳幼児がベランダから外を見たくて身を乗り出し、誤って転落することはありうる。また、いじめを苦にして子どもが衝動的に飛び下りることも、その心理を理解したくないが、現実としてあることは事実である。

さらに、会社のカネを使い込んだり、女性問題などが原因で世間的に大非難を受けて、身体極まって突発的に飛び下りるのは小説の世界では読み飽きるスト-リ-。しかし、老人ホ-ムの個室に入居している(しかも)85歳以上の年寄りが、1.2mもの柵があるベランダから、誤って転落などありうるとは普通考えられない。いや『絶対』あり得ないと言っても差し支えない。

職員による殺害は、この段階ではあり得ないとしておこう。だとすると、年寄りが乗り越えられるかどうかは別にして、考えられるのは、自分の意志で飛び下りたということしかないはずなのに、いずれの場合も『事故』として市に報告?。そして、それを受けた川崎市も、ハイわかりました・・・だったようだ。

半年も前の事故(事件だろう)のことが、今頃明らかになったのは、恐らく内部からの告発でもあったからだろうが、マスコミも、このあたりに不審を持ったらしく、連日、大きく取り上げている。はたして真相は・・・。

我が家の前の老人施設と同様、警備員がおいておらず、少数の夜間勤務者では目が届かなかったことにも原因があるように思えるが、老人たちが自らの意志で死を求めた場合は、警備員の有無がはたして関係するか、私にはよく分からないところ・・・。

自殺だとしたら風評が広がり、経営に差し支えると考えこともあり得るだろうが、老人たちの心のケアをする介護士などが、意識的に自らが死を選ぶような暗示を日頃与えていたとしたら・・・。今読んでいる小説に影響されているのかも知れないが、あり得ない話ではないような気がしてくる。

それにしても最近は、『敬老』などという言葉は遠く彼方に消え、『弱者救済』というお題目が流行ってはいるが、冷やかに表現すると、年寄りたちは社会のやっかい者となり、自殺さえ事故として扱われる受難の時代になってしまったようだ。(田舎親父)

2015年9月 7日 (月)

『キョン』が大繁殖?・・・

 先週のことになるが、ネットのニュ-スで『脱走した?キョン、南房総で大繁殖・・・駆除進まず』という見出しを見つける。

 世間知らずの私でも、自然界の動物や植物の名前は、人並みには知っているつもりだと思っているのだが、この見出しにある『キョン』なる動物の名前は始めて耳にする。近くのズ-ラシアはじめ、横浜市営の3つの動物園でも飼育していない珍しい動物を南房総の動物園では飼育していたらしい。

 どんな動物なのかネット図鑑で調べてみると、日本には本来棲息しない外来種の『小型の鹿』だと知る。映像をみる限りシカそのもので、解説によると、『体長70-100cm、肩高約50cm、体重10-15kg』とあるから、普通の日本シカやエゾシカに比べてかなり小型。森林や低木林に生息し、群れは形成せず単独で生活、草食性で木の葉や果実などを好んで食べるという。

繁殖形態は胎生で1回に1匹出産するのだそうだ。しかし、特定の繁殖期はなく、雌は1年を通じて繁殖するというから、オオカミが絶滅した我が国では天敵がなく、1年程度で大人になるようだから今後も増え続けていくことは確実。これは厄介である。

 この小型のシカは、『行川アイランド』というレジャ-施設で飼育していたものが逃げ出して野生化したものだというから、この施設は安易な方法で飼育していたことは間違いない。推定生息数は2007年度の約3400頭に対し、14年度末で10倍超の約4万700頭に上っているというから、その繁殖の勢いは在来のシカ以上のようだ。

この急速に繁殖した『キョン』が、稲やイチゴなど農作物を食い荒らすなど被害の拡大が続いているというから困った話。千葉県は、今年度から各自治体に捕獲費を補助する対策強化に乗り出したとのことだが、群れを作らないようだから一斉捕獲は難しく、全頭駆除などまず無理だろう。となると、駆除の前途は暗いのではないだろうか。
 それにしても『行川アイランド』という業者の罪は重い。すでに経営難を理由に2001年に閉園したのだそうだが、経営難は表向きの理由で、このキョンを逃げ出させた責任を逃れのための閉園だったのではあるまいかと憶測したくなる・・・。

最近、動物園に限らず,『動物に触れよう』というイベントが大流行で、そのために、在来種ではないが子ども好きする動物を飼育する施設が増えているようだ。ズ-ラシアでも外来種だろうと思われるヤギやヒツジなどの仲間を飼育し、子どもたちに触れさせるサ-ビスをしているが、これらが逃げ出したら、周りは深い森、たちまち繁殖して同じようなことになりそうだ。もっとも、ズ-ラシアの飼育管理は半端でないことは、実際に目にして大丈夫だと安心しているが・・・。

 千葉県は08年度に駆除計画を策定したものの駆除が進まず、12年度に計画の練り直しを迫られたそうだが、昨年度の捕獲数は約2200頭にとどまったというから、これでは自然に増える数から比べて追いつかず、今後、さらなる農業被害は免れないところ。

加えての難点は、このキョンなるシカは、鳥獣保護法上では、狩猟鳥獣に指定されていないというから、ハンタ-に依頼して射殺ができないらしい。捕獲はワナだけとなると困難さは想像以上だろう。

この記事と関連して、伊豆大島でも『キョン』の異常繁殖が問題になっていること。こちらも始めて知る。

大島には30年ほど前まで、親しい友人が滞在していたこともあって、何度も訪れ、島全体をくまなく歩いたことがあるが、『キョン』という言葉そのものを聞いた記憶がない。大島でも野生のシカの観察による出かけたような記憶があるが、付き合ってくれた地元の人からもその名前が出なかったことから、当時、『島民』もキョンのことを知らなかったのではないだろうか。

伊豆大島の『キョン』は、都立大島公園(動物園)で飼育されていたという。私の知る当時の大島町の人口は約1万人。離島であることからトラやライオンなど動物園の定番の動物の飼育は経済的にも難しいので、『キョン』なる外来者の動物を飼育していたのだろうが、その『キョン』が1970年の台風で柵が壊れて十数頭が逃げ出したというから、かなりの数を、厳重な施設ではない環境で飼育していたらしい。

天敵もなく野生化し、現在では島全域に1万頭を軽く超える数が生息しているという。現在、島民が8300人程度というから、『キョン』の方がはるかに多く、これでは農作物に被害が出るのは当然だろう。

それどころか、最近は市街地にも現れて市民生活を脅かしているとのこと。また、島内を一周する道路でバイクや車と衝突する事故も増えているというから、早く対策をとらないと、人間が追い出されてしまうのではと、笑えないようなことも想像してしまう。

『行川アイランド』は、経営者がうまく逃亡したようだが、こちらは『都立施設』、東京都の責任は重い。都はかなり真剣に駆除に乗り出しているらしいが、当初の予想よりはるかに数が多いとなると、全頭駆除は千葉県の場合と同じで、かなり難しそうだ。

どちらにせよ、お客を呼び寄せるために『キョン』を飼育したのだろうが、台風で柵が壊れたなどとは言い訳にもならないだろう。個人でペットとして外来の魚や動物を飼育するのが大流行の今日、飼育しきれないで、池や川に捨てたものが大繁殖という問題が全国各地で起きているが、基本的に同じである。

さて、都(千葉県)がどのような方針で今後この問題に取り組むか、(被害を受けている住民には大変申し訳ないが)外野的には面白くなってきそうだというと関係者から叱られるだろうが・・・。(杉)

2015年9月 5日 (土)

酒もタバコも18歳?・・・

 またまた自民党のことになるが、この党の中に『成年年齢に関する特命委員会』という組織があるのだそうだ。

その委員会が、先月の末に、改正公職選挙法の成立で選挙権年齢が『18歳以上』に引き下げられることを踏まえ、民法上の成人年齢を『18歳以上』に改め、飲酒、喫煙の解禁年齢も現行の『20歳』から『18歳』に引き下げるよう政府に求める方針を固めたというニュ-スに、ある意味、筋が通っているような気もするが、大いなる間違いを犯していることは確かで、このまま決められては大変なことになりそうだと心配になる。

 少年法の適用年齢も『20歳未満』から『18歳未満』に引き下げたことは、最近の少年犯罪などを考慮すると仕方ないと思わないでもないが、法律で一律に線引きするのは相応しいとは思えないのだが・・・。

まして、『酒もたばこ』も、法の整合性を優先して『18歳以上を成人』と扱うことで一致したという部分は、国会議員たちの驕りとしか思えず、うがちすぎかも知れないが、背後に、酒や煙草業界の強い要請を受けているのではと思わないでもない。

この問題は、選挙法の改正後、マスコミ各紙がアンケ-トをとるなど関心を示しているが、はっきりとした結論は持ち越しているのではなかっただろうか。国も、選挙権は下げるが、健康被害や非行防止の観点から飲酒や喫煙の年齢制限見直しには慎重な立場をとっていたと理解している。

この組織が発足したのは今年の4月だという、それ以来、委員会内の議論でも、解禁年齢を18歳に引き下げれば高校3年生で飲酒、喫煙が許される生徒とそうでない生徒が併存するため、『学校内が混乱する』として否定的な意が多数を占めると報じられてきたので、こんなに早く結論を出したことに、何故焦るのと言いたいところ。同時に、またまた数の力で強引に決められてはトンデモないことになりそうだ。

自民党にもまだ常識が残っているらしく、この委員会の方針には党内部からも強い反発があって、翌日には、その結論は一旦凍結になったらしいが当然だろう。

記事には、この委員会でのいくつかの発言を取り上げている。(1)来夏の参院選から選挙権を18歳から行使できるようになのだから、『飲酒、喫煙も18歳から責任を持てるようにした方がいい』(2)高校では卒業までに全員が18歳になり、3年生は、17歳と混在し、線引きするのは難しい(3)高校に行かず、働いている人もいる。法律上は18歳に引き下げ、各学校の判断により校則で禁止すればいい(4)競馬や競輪などの公営競技についても、18歳から馬券などの購入を可能にすべき・・・などなど。

こんな意見に対して、教育に携わってきた一人の年寄りとして、高校はどのように受け止めているのだろうと考えてみるが、またなんとも無茶なことを俺たちに振ってきたものだ・・・と戸惑いを隠せないのではと推測している。

昭和の終わり頃になるので、今から30年も前のこと。当時、トンデモ小学校の教頭として赴任した友人が、『毎日の見回りで、煙草の吸殻が見つからない日はない』と嘆いていたことを思い出す。

話によると,隣接する高校の生徒が煽っているらしいことが判明し、近くの中学校と連携して、高校と3者協議会を立ち上げて、住民や保護者の協力を得て、何とかその動き断ち切ることができたようだが、その間大変な苦労をしたらしいことがうかがえる。

その地域はお寺も多く、授業をサボった高校生がたむろして、タバコの回し吸いをする姿が日常茶飯事だったらしい。住民は、逆恨みが恐れて見て見ぬふりだったが、協議会ができてパトロ-ル隊を編成し、見つけたら注意を繰り返して、徐々に成果を積み上げていったのだそうだ。

さすがにトンデモ小学校の教員集団もこれはイカンと思ったらしく、管理職への反発は納まらないまでも、吸殻の撲滅には協力し、そのことがきっかけで、徐々に平常な小学校の姿に戻ったとしみじみと語っていたことも懐かしい。

そんなことを思い出しながら、もし、当時、喫煙が18歳でOKだったとしたら、高校生の喫煙に対しての住民の注意は全く無意味だったのでなかっただろうか・・・。『俺は18歳だ』と開き直られたら、『吸殻を始末するのだぞ・・・』という程度しか呼びかけられないというしまらない話に終わったのでは。近隣の小中学校の吸殻も失くすことは難しかったに違いない。

法律で『高校生でも喫煙は可』となると、そんな光景の再現もあり得そうだ。『校則で決めれば良い』という御仁は、校則が、生徒全員、隅々まで行き渡るようなある意味素晴らしい高校の卒業生だった?ようだが、校則が徹底しない高校も数多く存在することも知ってほしいもの。

何でも学校に任せた結果が今日の姿で、学校に任せることを少なくするという発想ではなく、学校だけでは対応できないから、カウンセラ-だ、警察だ、あるいは児童相談所だと俄に注目され出して、親の義務放棄も含めて、子どもたちの問題行動に対応すべきだと騒いでいることを、まず考え直すべきだと思うのだが・・・。

選挙権は18歳にしたことはある意味是であっても、ナンデモ18歳で線引きする発想はいただけない。個人差があり、15歳でも十分社会に通用する中学生も存在すれば、40歳でも平気で、危険運転だ・殺人だという凶悪事件を犯す輩も存在するように、一律で線引きしてはならないことははっきりしている。

幼い時から、『タバコや酒は、自分で暮らしが成り立つまではダメ』という考え方を、家庭が中心になって、法を超える社会通念として徹底することしか、この問題の解決は難しいのではないだろうか。

そんなことを議論する委員会であってほしいと強く願っている・・・。(田舎親父)

2015年9月 4日 (金)

一部の輝く女性の陰で・・・

 女性管理職の割合に数値目標の設定などを義務付ける『女性活躍推進法』が、参院本会議で自民、民主、公明各党などの賛成多数で可決され、成立したというニュ-スをテレビで知ったのは先月末のこと。

従業員301人以上の企業と、雇用主としての国や自治体は、女性登用の推進に向けた『行動計画』の策定と公表を求められるのだそうだ。ただ、数値目標の水準は各企業などに委ねられて罰則規定もないというから、このあたりが、国会議員の圧倒的多数を占める男どもの、この際、形だけ作っておけば・・・というホンネなのかも知れないと皮肉りたくもなる。

 行動計画策定は2016年4月1日に、その他は公布と同時に施行するという。半年しか時間がないとなると、その場限りの付け焼き刃的な計画しかできないだろうと思ってしまう。そして、この法案が、集中的に対応するためにという理由から、施行から10年間の時限立法というのも、10年間何とか誤魔化せば、嵐は過ぎ去るという大企業の経営側の目論見が透けて見える。

 どこまで本気なのかはともかく、『女性活躍』を成長戦略の中核の一つに掲げて『20年までに指導的地位に女性が占める割合を30%にする』という目標を掲げているのだろうが、この内閣が考える『指導的役割』という範囲は、中間管理職であって、組織のトップはこれまで通りという雰囲気を感じるのだが・・・。

何度もつぶやいているが、『女性が輝く』という意味は、家庭に引き込まないで『外で働く』と同義語として使われているのも気になるところ。社会をリ-ドする企業のトップはもとより国会議員などは、頭からそれ以外考えられないのだろうが・・・。

極論すれば、より多くの女性を、人口減少が進む中、労働力不足による社会の活力低下を防ぐための『兵隊』としてしか見ていないと言っても差し支えなさそうだ。

 新聞記事によると、行動計画には、(1)採用者に占める女性の割合(2)勤続年数の男女差(3)労働時間の男女差(4)管理職に占める女性の割合−−の各項目の現状把握と分析が必須となっており、その上で、改善点や取り組み期間、数値目標などを盛り込むよう求めているという。

 これらの文言を素直に受け止めると、もっともなことだとも思えるが、政府のいう『指導的役割』が中間管理職であって、30%はともかく、どの項目にもこれに類する数値が示されているのだろうかという素朴な疑問がわいてくる。まさか、全ての職種を男女同数とはないと思うが・・・。

 お前の考えが古いと言われるかも知れないが、子孫を永続的に残すために、親として少なくとも子どもを産み育てる『義務』があると思っているのだが、最近はこの『義務』は『必要』という言葉に読み替えられるほど怪しくなり、この傾向が顕著になるに従って子どもが極端に少なくなり、核家族と個人主義が当り前になっている。そんな社会では、子育ては孤独との戦いになっていることも間違いないところ。

現在は、保育園に預けることがごく普通になっているどころか,預けなければならないという強迫観念すら持っているのではと思う場合も稀ではない。確かに、そのことによって、孤独との戦いを解消でき、子どもの社会性が育つことは否定しないが、結果的に、ますます複数の子どもを産み育てにくくしているようにも思えるが。

家庭に兄弟が多ければ、また、近所に同じような子どもが多ければ、子育てが『孤独との戦い』という言葉は解消できるのではないだろうか。そして、子育てに楽しみを求める女性(男性でも良いが)が多くなると信じたい。

これまでも何度もつぶやいたことだが、専業主婦(主夫)が社会通念として立派な職業であると認定されて、子どもの数に合わせ、ゆとりのある生活でできる給料を受け取れる社会の実現という発想を持てないものだろうか。

アホカと一笑に片づけられだろうが、このような考え方が広がれば、子どもを産みたい・育てたいという女性が増えることは確かでは・・・。そして、そのことによって、将来的に人口減少に歯止めがかかり、国が栄えることにつながるのではないだろうか。

また、中間管理職になることが『輝く』ことになるという発想も少しお粗末。輝くという意味はそれぞれ人によって受け止めかたが違うはず。

少し角度を変えて話を進めるが、女性が社会に出て働くためには、その背景には『保育園』の存在が前提になっている。保育園の保育士の中に男性が存在することは必要なことであるが、全てが男性保育士では成り立たず、女性が中心になる職場であることも自明だろう

ということは、輝きたい・外で働きたいという女性のために、女性保育士がそれを支えている構図になっている。そして現在、女性保育士たちが輝いているかと問われれば、その全てが『是』と答える声は少ないのでは・・・。

『女性が輝く社会』は誰もが否定しないし、その通りだとうなずだろうが、基本は『保育園』の充実である。そして、『女性保育士』が、自分自信で『輝いている』ことを自ら認め・誇りを持ち続けられることが、『女性が輝く社会』にとって、基本中の基本でなければならないのでは・・・。そのためには、待遇の改善は必須であるはず・・・。

子育ては保育園で・・・。介護は老人施設で・・・は、現在の社会では仕方あるまい。しかし、そこで働く人たちが輝かやいていない現実の社会に目をつむっての『女性の輝く社会』というお題目はいただけない。

一部の女性だけが輝く社会ではなく、全ての人間が輝ける国にしたいものである。そのためには、まず、真剣に考えなければならないことは『格差』の解消に力を注ぐことだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年9月 3日 (木)

公表した推薦枠は守らねば・・・

 関西大学と言えば、関西ではかなりの名門校として知られた存在だと聞いているが、その付属の『関西大学第一高校』が今春の入試で、試験日の1カ月前に中学側と『受験相談』と称する事実上の『入学者選抜』を行ったことがマスコミの話題になっている。

この相談会の席上、中学校側から出された成績に基づき大半の合格者を内定したということで、(結果的に)内定者より79点も高い点数を入学試験で取ったのに不合格とされた受験生がいたことが分かったからだという。

この記事で、古い記憶が蘇る。もう30年以上も前のことだから時効になっていると思っているが、当時、生徒集めで苦労している私立のある中・高校は、『学校説明会』を開くことを常としていた。私もその説明会に数回出席したことがある。

席上、私立側からは、『入学試験は受けてもらいますが、推薦していただいた子どもを落とすことはありません』と明言していたことははっきりと覚えている。

何故、そんな相談会に出席したのだろうと、記憶をたどっているのだが、当時、退職した校長が『生徒集め』のために私学に再就職することがよくあって、その中の親しかった先輩からしきりに誘われたことだったからである。今は亡き人だが笑顔を思い出す。と同時に、何としても娘を高校に入学させたいのだが今の成績では受け入れてくれる高校がないという親からの相談を受けて、紹介したことも・・・。

結果的には大正解で、その子はのびのびと過ごすことができたと、今でも届く年賀状には親子ともどもが喜んでいることが記されていることから、罪悪感が薄れているのだが、ある意味これも裏口入学幇助だったことは間違いないところ。

しかし、謝礼など受け取っていないことから許容範囲で、もしも紹介しなかったら、高校には進学できないか、できたとしても学校があわなくなって人生を狂わせたかもと思うと、まあ間違っていなかったのではと後悔はしていない。

その高校は、その後学内改革を進め、今では結構な有名校になっていると聞いているので、過去のように退職校長を雇って学校を回らせるなどする必要はなくなったはずだと思っているが、ひょっとすると、今回の関西大学付属高校のように、さらに優秀な?生徒を集めたいので、意味が違う『学校説明会』を開いている可能性もありそうだ。

話を戻すが、記事には、今回の付属高校のように、試験の前に生徒を早めに確保するこうした仕組みは全国の私立高校に広がっており、不公平な選抜や入試の形骸化につながるとして受験関係者の中から批判する声が上がっているとある。

 この高校が公表した今春の募集概要によると、入試は筆記試験が国語、社会、数学、理科、英語各100点の計500点。これに内申点として音楽、美術、保健体育、技術・家庭各20点の計80点を加えた580点満点の試験で合否を決めると明記し、『中学3年間の活動実績なども考慮する』としているとある。ただ、『受験相談』については一切記載していないようだ。

 (記事は続く)複数の関係者やこの高校の内部資料によると、今年2月10日の筆記試験の約1カ月前、少なくとも数十校の中学の進路担当者が『受験相談』として決められた期日にこの高校を訪問し、受験生の内申点や中学でのテストの点数を提示し、高校側も、それを基に個々人の合否の見通しを中学側に伝えていたという。

ありうる話であるが、『相談会』のことは全ての中学校に事前に知らしていなかったとすると、これはいただけない。

 高校としては、中学校からの推薦があり、家庭環境なども考慮できるとなると、この選択は手放したくないことは当然だろうが、この相談会で、定員以上の生徒を内定していたにもかかわらず、入学試験をして予定定員より少ないことが明らかになっては弁解の余地はない。

 学校側の認識では入試は『当日枠』だそうだ。当初はその定員を約50人と中学の進路担当者らに説明していたが、受験相談での内定者が当初想定していた約100人から119人へと増えるなどしたため当日枠を削減したというから酷い話である。

私立学校であるので、推薦枠を作るのは許容範囲だろう。しかし、その人数が、予定より多くなったからといって、入試による合格者を少なくするのは、社会通念に違反することは明らか。

しかも、事前に受験生に知らされていなかったとなると、これは許し難い。大阪府教委が『募集定員や点数の逆転に不透明な部分があり、内部から不公平との指摘が出ている』と同校に改善を求めたのは当然だろう。

しかし、当の府教委は『全国学力テストを入試に利用する』というのでは、その説得力はいかがなものなのだろう。

それが通用するというのも大阪らしいと言えば、大阪維新の会あたりから抗議が殺到?するかも知れないが・・・。(田舎親父)

2015年9月 2日 (水)

結果発表は今更?・・・

 先月末、今年4月に全国の小学6年と中学3年の全員を対象に行われた学力テスト(正式には『全国学力・学習状況調査』というらしいが)の結果が公表され、新聞に都道府県別の点数が一覧表として掲載された。

見るまでもなく、予想していた通りである。秋田県や福井・石川・富山の北陸3県がどの教科には強く、上位を独占していたが、知事の『学力上げろ』の大号令で名をはした大阪府や静岡県がかなり躍進したことが、あたり前とは言え面白い。

新聞の解説にも、下位3県の平均と全国平均の差が小中計10科目中7科目で前年度(理科は12年度)より縮小し、(広がった科目はなく)しかも、全国平均を100とした指数では最大2.5ポイント差にとどまるとあるように、各教育委員会の号令が行き渡ったことを表している。

このことに対して、文科省は『上位県の授業方式を学び、人事でも交流するといった努力に加え、課題分析を改善につなげるサイクルが機能してきた』と満足していると、まるでテストの点数上げるための授業が『是』の前提になっているかのようなコメントを出しているのはいただけない。

秋田や福井・石川県の学校には全国から教員が研修に集まるそうだ。どんな授業をしたらテストの点数が上がるか学ぶためらしいが、何か本質を忘れているのではないかと思えてならない。過去の出題傾向を分析すれば、どうすれば点数があがるかという回答を得られるのは、ある程度、その分野に精通していればわかること。

その証拠の一つとして、ごく親しい先輩が『慶応中学の過去の問題を分析したら、大体の傾向がわかった。それを自分で実践して、孫を合格させたよ・・・』と笑って話していたことを思い出す。

学力テストも同じだろう。現職時代には,幸か不幸かその機会はなかったが、もしも、どうしても点数を上げなせければならない状態に追い込まれたとしたら、多分、先輩のように、過去の問題を徹底的に分析し、出題の傾向を予測して自校の教員にとこれこれこうゆう指導をしろと指示する自信はある。

恐らく、秋田や福井石川県の教育委員会には,そういったプロが存在し、各学校の校長や幹部教員に対して、徹底的な指導がなされているのではないだろうか。現場の校長たちは、もしも点数が落ちたら何を言われるかわからない、となると、去年以上を・・・という意識が生まれ、必死になるのは当然だろう。

秋田県や福井・石川両県が今回も小中とも上位を占めたことは、考え方にもよるが,現場ではトンデモないプレッシ-を教員に与えていることは間違いない。多分、今後も上位を占めるために、それが続くと思うと気の毒でならないが・・・。

学力テストが始まって、もうそろそろ10年になる。都道府県の順位を見ると、今回の大阪のように、飛躍的順位を上げた自治体も多いが、結果的には、その他の都府県は,上には薄いながら丈夫な幕が張られた、いわばコップの中での順位変動といっても差し支えなさそうだ。

国語においては、小中とも読む、書く力はあるが、複数の資料から情報を読み取り、自分の考えをまとめることがやや苦手。算数も計算力は格段に伸びているが、自分で考えて解く問題に対しては全国的に苦手意識があることは、昨年までの傾向と変わらない。

理科においても、自分で考え完結する能力に問題があることは3年前と変わらない。こんなことは、全国一斉にテストしなくても始めから分かっていたことだろう。繰り返すが、都道府県別の順位においても・・・である。

要は、わざわざ全国の全ての学校を対象にする必要など、全くないことを表しているのではないだろう。『テストの点数を上げる』という技術に長けた教員を養成すれば、教育委員会としては鼻が高くなり、文科省の受けが良くなるというのでは、教育の姿としたら本末転倒といっても差し支えない。

学力テストの点数が、数ポイント全国平均を上回っているからといって、これらの自治体に属している児童生徒の将来的が、このテストの点数が基本的な条件になって、バラ色になっているかというとは、とてもそうとは思えない。(調べたことはないが)関係ないように思えるが・・・。

地方のマスタベ-ションというとお叱りを受けるだろうが、結局ところ、学力テストの点数が一位とか二位が、何なの・・・というところ。明け渡したくないので、新たなプレッシャ-が教員を悩ましているのではないだろうか。

今回の発表で、都道府県もう傾向ははっきりした。現場の尻を叩けば、ほんの少しだが点数があがることはわかったが、こんなことは分析結果でも考察でもなく、現場では昔から当り前だと知られていたこと。

それを、大阪の場合は、高校入試の材料にするという。それを大阪の体質をだといってしまえば身も蓋もないが、それを追認する文科省の基本的な理念もいい加減なもの。

60億円もかけて、全員を対象に全国一斉に行う必要など全くない。百歩譲って、全国的な傾向を見ることが必要だというのなら、それぞれ数校の学校を不特定に抽出すれば済むことである。

しかし、文科省という官庁は何よりも伝統(因習)を守るのが好きだとなると、悲しいことだが、来年も今年と同じような傾向の問題で、全国の子どもたちの、ほんの少しの点数の違いに大騒ぎすることにストップをかけるのは難しそうだ。

そして、もっと起こりそうなことは、大阪に続いて、学力テストの結果を、高校入試に使う自治体が続くことでは・・・。(田舎親父)

2015年9月 1日 (火)

上限金額の不透明なハコモノ?・・・

 2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設費の上限を1550億円とする方針を決めたというニュ-スが流れたのは先月の末のこと。客席の冷房を取りやめ、開催時の収容人数を8万人から6万8千人に減らすことなどで、2520億円だった建設費を約1千億円圧縮するのだそうだ。

 結構なことだと思いたいが、またここでも現政権お得意のごまかしがあることは、『1千億円圧縮』という言葉。最初の見積もりは1500億円だったはずなのに、無責任体質の連続によって2500億円超に膨れ上がったことを忘れてはならない。

戦争法案を何としても通したいアホベ政権は、高額の建設費に対する批判も重なって支持率が急落したことに焦りを覚え、何とかこれ以上の下落を抑えたいために、白紙で考え直すと明言したことは自明のこと。

多くの人の意見を聞いて、誰もが納得する案を出すと言っていたはずなのに、翌日には、そんなこと言いましたっけ・・・とお得意のとぼけで、白紙を決めてからわずか10日あまりで、一部の閣僚や関係者で、この額を決めて『どうだ俺たちは努力したのだぞ』と、自分たちの手柄のようにまくし立てている。いつものことながら、なんとも嫌な気分にさせられる。

基準を2500億円におくことが、ごまかしと気づいていないのか、それとも、どうせ愚弄な国民はわからないだろうタカをくくっているのか、恐らく後者だと思うが、俺たち(アホベとそのお友だち)の努力が、最初から見たら『50億円も膨らんだ』ことになる。なんとも、笑えない笑い話と表現するしかない。

 新聞報道によると、新計画では施設の機能は原則としてスポーツに限定し、屋根は全体を覆う開閉式をとりやめ、観客席の上部のみとするとのこと。要は、すでに取り壊した旧国立競技場のイメ-ジそのものである。『たったら壊すなよ・・・』という、良識ある人々の声が聞こえてくるような気がするが、壊す必要がなかった競技場を、大急ぎで更地にした理由が、ぼんやりと浮かび上がる。

 観客席は五輪開催時6万8000人とするが、サッカー・ワールドカップ(W杯)の招致を見据え、オリンピック終了後、陸上トラックの上に観客席を設けることで8万人に対応できるようにするのだそうだ。しかし、トラックの上に、1万2千人収容の観客席を作るとなると、巨大な土台や柱が必要になるはずなのに、どうして作れるのだろうという素朴な疑問がわいてくる。

例え技術的にできたとしても、その後のトラック競技は、青空の下でというわけにはいかないだろう。日本橋の上で100m競技?・・・。なんともしまらない話である。陸上のサブトラックは仮設にして大会後に撤去するというのも、言葉としては理解できても、明確なイメ-ジは描けない。

 前回、ロンドン大会のメ-ンスタジアムの建設には500億円超らしい。その前の北京大会でも同じ程度だという。それから比べると、約3倍。桁違いに凄い金額が見積もられているが、どうしてこんな額になるのか不思議で仕方ない。

福島原発の処理作業が遅れに遅れていると聞く。さらに、東北3県ばかりか青森も茨木、さらに千葉でも大津波の被害に広がり、その復旧作業も遅れているという。遅れているどころか、全く手がついていない地域すらあるのも復旧工事に当たる作業員集めの困難さが原因の一つであことは明らかだろう。

今後の予定として、今年12月末までに事業者を選定し、来年1月をめどに契約するとのことだが、完成予定の20年4月末を、国際オリンピック委員会(IOC)は本番を想定したリハーサルなどの時間が足りないとして3カ月の前倒しを求めているというから、20年1月に完成しなければならなくなるのは確実ぁ・・・。

こんな大工事を受けられるのは数少ないゼネコンだけだろう。そのゼネコンに工期短縮の技術提案を求めるのだそうだが、簡単に『わかりました』と受けるとは思えない。ゼネコン同士の話し合いで、国家事業ということで共同体という形になるのだろうが、工期を短縮するためには一度に大勢の人を投入する必要があるとなると、とてもこの額では抑えられないことも想像に難くない。

オリンピックで原発事故や大津波で受けた被災地域の復興が遅れてはならないのは当り前だが、現在ですら、オリンピック関係の工事で人手が集まらないとなると、ますます復旧が遅れることは明らか。こんなことで良いはずがない。

ここまで不手際が続いても、だれも責任をとらず、新たにオリンピック担当相を設けただけ。だからといって、全ての権限を与えたわけではないようだから、結局は責任の所在をぼかした・・・というお得意のごまかしだろう。

 何度もつぶやいてきたが、オリンピックを開催するためには、新国立競技場だけではなく、競技によっては新設・改良という工事も必定で、その額が数千億円とも報じられている。

それでも『オリンピックの成功のため』というスロ-ガンと、今回の『1千億円削減』という言葉に騙され、オリンピックを成功させようという世論が、マスコミによって作られるのだろうが・・・。

『とてつもない無駄遣い』と引き換えに2020年以降には、さらなる経済格差が拡大することは間違いないところ。今以上に、弱者が切り捨てられる社会がやってくるだろうことは明白・・・。

今の私にできることは、首を洗って、オリンピックまでの一連の動きを注意深く見つめていくことしかないだろうが、オリンピックという言葉を聞くと気分が悪くなり、耳をふさぐことが多くなりそうだ・・・。(田舎親父)

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