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2015年10月

2015年10月28日 (水)

介護離職ゼロはインチキの極み?・・・

両親を10歳代で亡くした私には、『親の介護』ということについては全く経験していないので、言葉では大変さは分かっているつもりだが、その実分かっていないことが多いのは仕方ないこと。しかし、同年配の人たちにとっては切実な問題であることは、連日のマスコミ報道である程度は理解ひているつもりである。

先日も、新聞記事に『親の介護のために仕事を辞める人は年間10万人に上る』と記載されていたが、何とかならないのかと思うことばかり・・・。

『介護保険』という制度は、こんなことを避けるために作られたと解釈していたが、実際にはこれ程まで多くの人がその恩恵を受けられないとしたら、制度設計そのものが拙かったとしか思えないのだが・・・。

日本国首相アホベは綺麗な言葉でできもしない公約?を言うのが大得意だが、今回も『新三本の矢』などと懲りもせずノタまい、『介護離職ゼロ』を打ち出しているのもその一つ。しかし、年間10万人をできるだけ少なくするというならまだしも、ゼロにするということ自体全くのインチキ表現としか言いようがない。

介護離職者を少なくするためには、『親を安心して預けられる施設や介護を託せる人』が必要なことは介護経験がない私でもわかることだから、特別養護老人ホーム(特養)などの介護施設を増設する方針を示したことまではともかくとして、一体いくつ作ればとなると、これには全く触れず闇の中。

(かたや)医療技術でどんどん寿命を伸ばし、寝たきりでも・重度の認知症(痴呆症)になって徘徊を繰り返しても・自分自身が何者かわからなくなっても生かし続ける。この数は年々増える一方で減る気配はなし。

(こなた)自然死(病死)は少ないとなると介護が必要な老人は鰻登りで増え続け、そんな親を抱えて、ひたすら特養への入居を願う子や孫たち・・・。

現在でも介護現場が直面しているのは働き手不足というのは一般的な常識にすらなっているのだから、いくらハコモノを作っても働く人がいなくては意味がないのはこどせでもわかる話だろう。しかし政府はこのあたりにも知らん顔・・・。

先日の新聞に、『空き室があってもスタッフが確保できず、新規の入所を断っている介護施設も多い』という記事を見つけたが、その記事にもある通り、この深刻な事態を打開するためには、他の業種と比べて給料が大幅に低い現実を改善することが何より大切だと誰もが分かっているのに、政府は、介護保険との兼ね合いという理由が先で取り組む気配はなし。

しかも、今春の介護報酬改定では財政難を理由に全体で2.27%減となると、人集めはますます難しくなることは明らかである。実際に、人手不足と人件費の高騰で経営が悪化し、今年1〜6月の介護事業所の倒産は前年同期の5割増だとのこと。

何でもビジネスといえば『是』の世の中なので、多くの事業所や企業が介護産業に乗り出すのは仕方ないだろうが、儲けが出ないとなると倒産するのはこれもビジネスの世の常となると、今後もこの傾向(倒産)は増え続くのではないだろうか。

ビジネスだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだろうが、倒産で閉鎖された老人施設に入居していた老人達の行き場はとなると、経済的に余裕があれば、すぐにでも見つかるだろうが、余裕がない家族となると家族が介護するしかなさそうだ。

となると、介護離職者はますます増える?・・・。

解決策はただ一つ。ハコモノを作って老人を収容するという考え方から、自宅でも暮らせるように、訪問医療や看護・介護で支える『地域包括ケア』に移行することだろうが、それを押し進めるためには人材の確保が根本である。

しかし、財務省は社会保障費を抑制しているのだから打つ手無し。しかも首相ときたら経済を良くするためにという理由でハコモノ増設となると、介護離職者ゼロは口先ばかりのインチキ政策であることがはっきりする。

せめて、介護される身となり特老に入居できる日を首を長くして待つ前に、この世からすっと消え去れるようにと願うこの頃である・・・。(田舎親父)

2015年10月27日 (火)

こればかりは禁止すべきでは・・・

 以前もつぶやいた記憶があるが、病気へのかかりやすさや性格や体質などを判定する一般消費者向けの『遺伝子検査ビジネス』がますます流行っているようで、先日などは、この検査の効能をうたう新聞折り込みチラシの出現に背筋が寒く感じたもの。

そこに『NPO法人・個人遺伝情報取扱協議会』という組織の名称を見つけたのだが、この団体は遺伝子ビジネス業界が寄り集まって立ち上げた組織だというから、ここでも『ビジネスありき』という風潮が感じられる。

一つの会社(団体)がビジネスという言葉でカネ儲けに成功すると、次々とマネする人間が現れて、たちまちのうちにその似たような会社を作り広がるのは最近の世の常となっているが、遺伝子ビジネスもその典型になっているようだ。

この協議会が、『このまま無法図にして法の網でもかけられたらビジネスはやっていけなくなる』とでも言い出したのだろうが、遺伝子検査の信頼性を高めるためにというタテマエで、協議会の加盟社を対象に今月から認定制度を導入するそうだ。そして、その審査は外部の有識者で構成する委員会だというから、まるで現政権お得意の構造になっている。

来年3月までに1期目の認定企業を公表する計画だそうだが、結果は、協議会の重要ポストについている人物が所属する会社(団体)が『信頼性大』という評価になることは、これも現政権のいろいろな外部有識者委員会と同じだろう。

こちらも先日つぶやいたことだが、経産省の調査では、13年度末で、医療の枠外でビジネスとして直接消費者に遺伝子検査を行う会社は国内に十数社あるという。そしてそこにつながる、代理店や窓口の数は700以上あり、増え続けているそうだから、現在はどのぐらいあるのか経産省もつかんでいないのでは・・・。

私はこんな検査など受ける気もないが、検査対象は、生活習慣病のリスクから、肥満体質、美肌、運動能力や音楽の才能まで多岐にわたると聞いている。恐らく血液を採取、遺伝子を調べるのだろうが、協議会に加盟している会社全てが高度な技術を持った病院や研究機関がバックで技術的な保障をしているわけではないとなると、科学的根拠に乏しいものも少なくないことは、素人が考えてもわかること。

恐らく、言葉巧みに『あくまで確率や傾向を示すもので、これからの生き方の参考にしてはいかが・・・』という触れ込みで勧誘するのだろうが、『あなたは遺伝子的に肥満になる傾向があります』とい言葉に続いて、『〇〇という薬があります』とか『こんな体操が効果的です』などと続くことは想像に難くない。

騙されたという消費者?の声が大きくなり、協議会の幹部たちは、このままでは共倒れだとも思ったらしく、今回の認定制度では『科学的根拠が明記されているか』をチェックするのだそうだ。しかし、検査の科学的根拠そのものを保証するわけではないというただし書きがついているらしいから、始めから逃げる道筋はつけているのではと思うのはうがち過ぎだろうか・・・。

協議会はこの診断は『医療行為』ではないとしているようだが、血液を採集されて『貴方の遺伝子から・・・』という診断結果を示されたら、受けた人(消費者)は診断されたと受け止めても不思議ではない。

受けようとする人はそもそも不安な心理になっているだろうから、病気になると思い込んだり、逆に病気にはならないと信じ込んだりする可能性は否定できないどころか、肯定する確率の方がはるかに高いのでは・・・。

協議会が認定する『遺伝子検査結果の合否判定』は早ければ来年3月から始まるというが、このままでは,この『認定結果』が一人歩きして、サプリメントや食品、化粧品の販売などの業界に広がることは間違いない。むしろ、それが協会のねらいなのではと思っているが・・・。

私は、国が何でも規制することは反対の立場であるが、対象が『遺伝子』となると、血縁者という枠組みが全面に出てくる恐れが大きいだけに、人間関係そのものにもかなり負の要素として影響するのではと心配している。

 厚労省は近く遺伝子情報を利用するゲノム医療のルール作りを始める予定で、そこでは医療以外のビジネスも含めて検討するというとのことらしいが、下手に線引きして、それこそ『厚労省お墨付き』の『遺伝子ビジネス』が登場しては、遺伝子検査そのものが、ワクチン的な扱いになる?・・・。これは怖い。

 むしろ『麻薬や覚醒剤』と同じで、所持することそのものを禁止していると同じように『遺伝子』をビジネスにすることを禁止すべきだと思うのだが・・・。(杉)

2015年10月26日 (月)

2車線は暫定だったのか・・・

一昨日の毎日新聞に-<対面高速>10年間1400人死傷 検査院「分離帯」提言-というタイトルを見つけた。

最近は少なくなったが、車を運転することが元々好きではないこともあって、遠くに出かける時には、空港などでレンタカ-を借りることが多かったのだが、その車で運転していて一番嫌なことが、首都圏ではまず経験しない対面交通の高速道路である。

時々『思いやり路線』などと称して、2車線の部分があるが、ほとんどが一車線で、中央分離帯もなく、ウレタン樹脂でできたオレンジ色したポ-ルが一応の上下線を分けているだけとあって対向車の動きが気になり、疲れが倍増する。

また、制限速度(多くの場合70キロ)を守って、出しても80キロで走行しているのにもかかわらず、時にそれ以上のスピ-ドで後方から迫ってくる車があると、何となく自分が走行の邪魔をしているような気になるのも何度も経験したこと。

人口が少ない地方には、高速道路など必要ないとは思うものの、土地の人たちの利便を思うと否定できず、またあればついつい利用するのは横浜の片田舎人(一応は都会人?)の悪癖なのかもしれないが、対面交通の高速道路を走った旅を終えて自宅に帰り着くと、無事で帰れたことをありがたく感謝したもの・・・。

対面交通の高速道路を通るたびに、地方では2車線など必要ないのだと諦めの境地になっていたものだが、一昨日の記事では、『将来の4車線化を前提に中央分離帯を設けないまま暫定的に2車線(片側1車線)で開通した高速道路など』という表現に、始めて2車線の高速道路は暫定だったことを知り、改めて自分の世間知らずに呆れる。

記事はこの道路の安全性を問題にしている。2005~14年に車が対向車線にはみ出す事故が2200件超発生し、1400人が死傷していたことが『会計検査院』の調べで分かったとある。警察ではなく『会計検査員』という部分に疑問を感じるが、経済効果などを調べている中でわかった事実なのだろう。

暫定2車線区間の6割は4車線化しないまま供用開始から10年以上経過しているのだそうだが、その暫定2車線の約7割が中央分離帯のない対面通行となっているという。

当然のことながら、走行中に相手が対向車線からはみ出してきた『もらい事故』のほとんどは暫定2車線に集中し、その事故率は中央分離帯がある区間の約4倍だというから、改めて、地方の人命など後回しになっていることがはっきりする。こんなことを知って、ますます対面交通高速道路が恐ろしくなる。
 いっそうのこと、しっかりとした中央分離帯を造ればと思うのだが、各高速道路会社は『
壁や中央分離帯を設置すると、将来4車線化する際に撤去費用がかかり工期にも影響する。安全対策は簡易な仕切りにならざるを得ない』と説明し、設置には後ろ向きらしい。本当に将来4車線にするという計画があるのならその論理も理解できないでもないが、お得意の言い訳に過ぎないようだ。

また、沿線自治体も災害への備えや経済効果への期待から4車線化の要望が強く、こちらも分離帯を固定することには消極的だというから、ここ数年(半永久?)は、危険な道路として、運転する人を苦しめることになりそうだ。

確かに、しっかりとした中央分離帯を作ったら、地元自治体はこの道路は将来的に上下1車線と決められてしまうという地元の言い分せ一理あるような気がするが、事故がここまで多いとなると、少なくとも簡単に対向路線にはみ出せないような仕組みを作ることは必要ではないだろうか。

しかし、暫定2車線高速道路の改修は遅々として進まないとなると、事故を起こさないためには、何よりも運転者の自覚であることを肝に命じて、より慎重な運転を心がけるしかないようだ。(田舎親父)

2015年10月24日 (土)

これからどうなるかなあ・・・

 先日、国民には全く知らされず、特に農業関係者をやきもさせていたTPP交渉で大筋合意したと担当大臣が得意気に発表していたが、まとまったら必ず丁寧に説明して国民の理解を得ると何度も明言していたのその後説明らしいものはない。

 戦争法案に対しても、国民の理解を得るためには丁寧な説明をすると、首相はじめ閣僚や自民党役員たちが会見で繰り返し発言していたのにそれも一切なし。それどころか、本来なら、臨時国会を開いて議論することで国民の理解を得るのが筋だと思うのだが、下着ドロボ-やカネ問題が明らかになった大臣を守るために、国会開催も逃げているというのだから情けない話・・・。

 そして、しばらくして突如、日米など12カ国が大筋合意したTPPで最終的に関税を撤廃する比率が品目数ベースで95.1%になると発表したが、これで日本の経済が潤うなんて思う人はほとんどいないのではないだろうか。

 素人の私には詳しい分析能力などないが、我が国と輸入する農林水産品と工業製品を合わせた全9018品目のうち8575品目で関税を撤廃すのだそうだから(それぞれ即時撤廃とか〇年後に撤廃という『ただし書き』がついているが)近い将来という意味ではほとんどの外国製品が関税なしで日本の市場に出回ることになりそうだ。

特に農林水産品の関税撤廃率は最終的に81%になるというから、数年後には、安い外国産の食料がス-パ-の売り場を奪うのではないだろうか。これでは日本の農業がやっていけないのは明らかなのに、その対策についてはこれから農家の支援策などを盛り込んだ『TPP関連政策大綱』を作るというから、またまた丁寧な説明などとはほど遠い『お上のお触れ書』を突きつけるというところだろう。

恐らく、その内容は美味い話に満ち満ちて、関税撤廃で生じるマイナスは補償するという筋書きだろうが、自民党の支持率を下げないための作文で、実際に始まってみたら、話が違う・・・という怨嗟の声で満ちあふれるのは確実だろう。

普段私たちが口にしている野菜類(ネギやホウレンソウなど)は、一時の中国からの輸入野菜が教訓になり『安心安全』という意味では、一挙に外国野菜が出回る確率は少ないだろうが、米はそうもいくまい。すでに、アメリカやオ-ストラリア、あるいはブラジルなどで、広大な水田で日本の商社が『コシヒカリ』などのブランド米を大量に生産していると聞いている。

日本の商社は儲けがでない話に乗るはずがない。この米を金儲けの材料として、TPP交渉に注目していたに違いない。今回、関税がゼロとなったら、これらのコメは一斉に日本になだれ込むだろうことは私でも想像がつく。

我が国の細かい水田で高齢者が作るコメでは対抗できるはずがない。より以上に美味いコメを作れば良いという声もあり、大規模農業に変換する動きもあるとも報じられているが、山林が多い日本とアメリカなど広い平原を国土に持つ国とは、大規模という言葉が持つ質が違い、とても太刀打ちできるとは思えない。

果物はさらに大きな打撃をこうむることも間違いない。日本の果樹産業、例えば柑橘類を例にとってみるが、産地のほとんどは急傾斜の日当たりの良い場所で栽培している。小型のトラックすら入るのも難しいほどの傾斜地も珍しくない。

運搬用のモノレ-ルが観光の目玉になっている産地もある。ミカン農家は高齢化が進み生産量が低下していることは今更述べるまでもないだろう。しかも、消費者の好みが変わり、『こたつでミカンが一家団欒』などという映像は今は昔・・・。

新しい品種に挑戦し、高級感があって物凄く美味しいミカン栽培に成功している産地もあるが、価格的に庶民がかっての温州ミカンのようにパクパク口に運べるものではない。今でも、それに代わってオレンジがス-パ-の主力になっているのだから、国産の高級柑橘は限られた富裕層、貧乏人は消毒まみれの輸入オレンジという時代もすぐ目の前に迫っている。

酪農に至ってはさらに酷いことになりそうだが、そのことは後回しにして、私にできることはと考えてみると、今まで以上に外国製品を購入しないことに尽きる。

その小さな小さな試みとしてプランタ-で野菜栽培に挑戦している。何だそんなことかと言われそうだがこれがかなり成功し(季節もよるが)パセリ・イタリアンパセリ・ルッコラ・バジル・ペパ-ミント・シソ・コマツナ・ネギ・ミズナ・ミツバ・レタス・シュンギク・ラディシュなどは、毎日サラダで食べる程度は十分収穫できるようになっている。

これで、年金額の減少をくい止めて、少し割高になったとしても、食料品だけは国産とういスタンスを守るつもりであるが、はたして体力的にいつまで続けられるかは心細いものがある。

日本の農民にはどんな過酷な時代でも乗り切った知恵があり、この困難な直面を打開していくだろうと信じ、注意深く今後の農業を見守ることにしたい。(田舎親父)

2015年10月23日 (金)

住民が気の毒・・・

 横浜の片田舎で起きた、マンションが傾いたという事件は10日も過ぎた今日もマスコミの絶好の餌食になっているらしく、新聞はもとよりテレビのニュ-スやワイトジョ-においては、真っ先に報じられるほどインパクトが強いようだ。

 このニュ-スを始めて聞いた時は、てっきり『港北にュ-タウン』のど真ん中、地下鉄のセンタ-南近くのマンションだと思いこんだものだが、実際には、鶴見川の近くの、旧工業地帯だと知って、ここなら地盤が不安定だから、杭が安定地盤に届いていないとなると傾くのは当然と納得する。

 このマンションの立地場所は、横浜線の鴨居駅から徒歩で15分ぐらいかかる。私が当地に住みはじめた頃は、辺り一面が田んぼで、春には蓮華畑が広がり実にのんびりした風景だったことを思い出す。そして、その蓮華畑で、日曜日になると担任クラスの子どもたちを集めて遊んだことも・・・。

 その後、ご無沙汰している間にあっと言う間に田んぼが埋め立てられて、工場地帯に変身したらしく、中小の町工場の中で、NECとパナショナルの近代的な工場が建ち並ぶ風景に、時代を感じたものである。

 先日、傾きマンションを自分の目で確かめるため出かけてきた。そこは幹線道路の沿線で、確かに高級感あるマンションが何事もないように建っている。ただマスコミ関係者だろうと思われる人が慌ただしく動いている他は・・・。

 お隣には、大型の商業施設である『ララポ-ト』があり、連日満員の盛況らしく、当日立ち寄ったが、平日にせかかわらずかなりの人が集まっていた。もっとも、私のように、傾きマンションの見学にきた人もいるのだろうが・・・。

 話題になっているマンションは、私の記憶が正しければ、超一流のマンション販売業者である三井不動産が、『ララポ-ト』ができるということをウリものにして、10年ほど前に販売したのではなかっただろうか。

 我が家にも,そのチラシが入っていた記憶がある。価格の提示はないことに驚いたものだが、三井不動産のやり方は、いわば『売ってやるのだから、欲しければおいで・・・』というトノサマ商売だと知って呆れたものである。

 駅から徒歩15分、しかも(言葉は悪いが)鶴見川を渡った埋めたて地は現在では、都市計画など始めから無いのに等しく、住宅と小中の工場がひしめきあう何とも雑然とした地域を狭い道が通っている地帯。ここが同じ横浜の片田舎とはとても思えない。

 そのマンションはすぐに完売したと聞いているが、三井の名前か、『ララポ-ト』の魅力なのかと驚いたことも・・・。

 『ララポ-ト』には、あらゆる商品を扱う数多くの専門店が入っている。食事をする場所にも事欠かず、大型総合ス-パはもとより、今大人気らしいユニクロも広い店舗を構えている。おまけに映画館もあるので、マンションの住民は雨の日でも傘をささずに、エンジョイできるのだから、これ以上便利な立地はないのかもしれない。

 しかし、幹線道路の先にはズ-ラシアがあるので、ララポ-ト人気と重なって、土日曜日や祭日は大渋滞、その長い車の列を見るだけで、私は敬遠するのだが・・・。

 そこがつい40年ほど前には田んぼが広がっていたことを住民の何人が知っているのだろう。多分、三井不動産はそんなことをいちいち説明しなかったはず。当然、地盤は極端に弱く、実際に横浜市のハザ-ドマップでは洪水危険地帯になっており、現在はほとんどなくなったが、過去水没したことも記憶にある。

 三井不動産は、NECの撤退した工場跡地を格安で入手したのでと推測しているが、そこに一大商業施設と高級マンションを建設して、大儲けと同時に、さらなる信用を得たのだろうが、実際に工事を請け負った会社が、数本の杭の長さを誤魔化したり書類を改竄したりしたのだから大混乱。

 すぐに、該当の棟だけではなく、4棟全てを建て替えると発表したのは英断だろうが、700超の世帯が入居しているとあっては簡単にまとまる話ではなさそうだ。

 この工事を請け負ったは日本有数の上場企業・旭化成の子会社である旭化成建材という会社であるが、なんとその会社が、派遣社員をチ-ムリ-ダにして、杭打ち作業をやらせていたというから何ともお粗末である。

 どうしてそんな体制になったのかは知らないが、(三文小説の読みすぎかな)この派遣社員が、過重労働を強いられており、工事期日までに間に合わなかったクビだという脅迫概念を持っていたとしたら、書類を改竄したり、工事を手抜きで何とか間に合わしたくなる気持ちはわかるような気がする。

 これまでもそんなことがあったがバレなかったから、悪いとは思っても、給料を受け取るためには仕方ない。もしも正社員だったとしたら、工事の進捗状況など命令系統がしっかりしているだろうからこんな初歩的な手抜きは起きなかったのでは・・・。

 これは一つのマンションの話ではなく、これに類する話はゴマンとあるのだろことは私でも想像できる。そして、派遣社員に請け負わしている工事が数多くあるとなると、第二・第三の傾きマンションが現れても何ら不思議ではない。

 建て替えるとは明言しているが、すぐにできる話ではなく、数年、あるいは10年以上かかることもあり得るだろう。入居世帯の中には高齢者も多いと聞いているので、亡くなる人もいるだろう。

 一層のこと、入居世帯に一律1億円の補償金を出すなら、案外早く住民合意ができるだろうが、金儲け命の大企業がこんなことをするはずがない。改めて住民の方に同情すると同時に、『鍵一つで後はなにもしなくて良い』という殺し文句に負けてマンションを終の住まいにしてはならないと堅く思う・・・。

 それにしても、住民には罪はなく気の毒としか言いようがない。(田舎親父)

2015年10月22日 (木)

観艦式見物記(その3)・・・

ついつい自分の目で確かめようと、気張ってカメラなど構えて甲板に立っていたが、うねりはかなり大きく、踏ん張って利かず身体がふらついてしまう。知らず知らずに、次々と現れる映画のような光景を見逃さないようにしていたのだろうが、足腰に対する負担は半端ではない。

数十メ-トル先を、巨大な護衛艦や掃海艇、潜水艦や高速上陸舟艇が通過する。潜水艦は浮上と潜水を繰り返しながらだから、軍事オタクの持つ高級望遠カメラのシャッタ-音が一段と大きくなる。

さらに、『空母』の復活ではと批判も集め、中国からも批判された(と記憶しているが)大型の戦闘用ヘリコプタ-を搭載した、『いずも』という艦船はずば抜けてでかく、その姿は、まさに、旧海軍の航空母艦そのもの。日本の軍事力がここまで来ているのかとなんとも変な気持ちにさせられる。

艦隊の観閲が一段落すると、次は戦闘機や戦闘ヘリの出番である。模擬の弾丸を発射すると海上に大きな水柱が現れる。突如煙が発生して、艦船の姿が見えなくなるシ-ンにも驚いたりなんとも凄まじい光景の連続である。

垂直離着陸できる大型輸送機であるオスプレ-まで一機飛ばしているのは、まずは軍事オタク達の目に慣れさせ、いつの間にか国民の批判をそらすためだろうが、その奇妙な機体は不気味としか表現のしようがない。

観艦式が終わったのは2時前だと思うが(いつ終わったのか定かではない)それから帰港するまでの3時間余りは実に辛かった。普段床に座るという習慣がない私にとって、腰が痛くなって座ることもままならない。何かにすがらなければ座ることもできない有り様にはわれながら情けなくなる。また、一度座ってしまうと今度は立ち上がるのが一苦労。

改めて、椅子があればと思い、椅子持参の(恐らく何度も経験しているだろう)男たちが羨ましくなるが、まず二度とくることもないだろうと諦め、結局は、うろうろと周りを徘徊することが一番楽になり、最後には床に横たわって寝てしまうはめになる。

5時過ぎやっと帰港し、下船できたのは5時半。何とか自宅にたどり着いたものの、その日は風呂に入って爆睡あるのみ。翌朝は腰が痛くて起き上がれず、9時まで布団から離れなかった。

終わりになったが、60倍という倍率をくぐり抜けて(恐らく、公式には抽選といいながら、その実、関係者には別枠のチケットが配られているのだろうが)、一番小型の船舶である『くろべ』にも600人ほどの人が乗船したとなると、参加者を乗せた艦船が少なくとも十数隻あったことから、1万人近い人たちが集まったことになる計算。

となると、希望者はおよそだが50万人。そのほとんどが中年過ぎの男性であったとしても、この数字は私には実に恐ろしく感じられる。

当日の海上自衛隊の隊員たちは、命令が行き渡っているからだろうとは思うものの、参加者に対して実に親切で丁寧であったことから、日頃から軍事オタクを嫌っている私でさえ、隊員に対しての嫌悪感はなく、むしろ、終わって別れる時には、ありがとうという気持ちを持って『さようなら』と声に出てしまう・・・。

となると、一般参加者は、『良かった。自衛隊は凄い。もっと能力の高い兵器が必要だ・・・・』という思考回路になるのではと想像すると、ますます恐ろしい現実が近づいてくるような気がする。

今、中国の脅威が盛んに言われている。その脅威に対して、軍事力が必要だということに対して反論できない雰囲気があり、頭から自衛隊の武力増強を否定できないことから、自衛隊容認論に加えて、殺生能力のある兵器が必要だという動きが世論になりつつある。

参加した艦船は潜水艦も含めて30数隻らしい。加えて、戦闘機や戦闘ヘリなど全てが近代化された、性能(殺傷能力)が抜群の最新兵器のオンパレ-ド、なんとも壮大な自衛隊の広報活動である。しかし、こんな軍事パレ-ドをすることが必要なのだろうかと問うと、自分の中の答えは、絶対に『否』である。

今後も、このような国を挙げての自衛隊(軍隊)の必要性を求める広報活動は続き、さらに拡大するだろうが、今回目の当たりにした自衛隊の兵力を参考に、『戦争の愚かさ』を繰り返し語り続けなければと決意を新たにした一日であった。

観艦式という私には絶対無縁だった軍事バレ-ドを見る機会を与えてくれた友人には心から感謝していることを付け加えて、この観艦式の見物記は終わりとしたい。(田舎親父)

2015年10月21日 (水)

観艦式見物記(その2)・・・

穏やかな海である。乗船した時点では何事にも珍しく操舵室などの緊張感も味わったのだが、動き始めると特に何もする事はない。観光船ならビ-ルでも飲みながらということもできそうだが、アルコ-ルなどの後込みは厳しくチェックされているのだから退屈さが先にたつ。

こんな穏やかな海でもすでに船酔いしているのか、それとも体力温存なのか毛布をかぶって横になっている人の姿もチラホラ存在する。中でも目立ったのは一番良い席(そこは音楽隊の演奏会場であることを後で知るが)に椅子を持ち込んでいる丸々と太った男性クル-プ。リ-ダ-格は腕を組んで目をつぶって寝ているような感じさえ受けるが、他の二人は、アイスボックスから何や地取り出し、まさに宴会気分である。アルコ-ル飲料はないと思いたいが・・・。

ただぼんやり海を見ているのも能がないので、10時の音楽隊の演奏を聞きに出かけたところ、普段は格納庫になっているだろう空間の奥で楽団員が練習している。前のブル-シ-トの部分は、いわば桟敷席で、かなりの人が毛布に座って開始を待っている。その部分は屋根があるので強い日射しもなく、いわば一党席という感じ。

椅子に陣取った男性グル-フはブル-シ-トのすぐ後ろ、陰になるギリギリの部分で、そこから立ち見席になる後部甲板が広がり、我々はそこで立ち見で聞くことになる。演奏が始まったのは良いのだが、そのグル-プのリ-ダ-だろう男性は音楽隊に背を向けたまま動こうともしない。立ち見席の我々は、真正面から、その男の顔を正面下に見る位置になる。

普通ならこんな位置関係はあり得ないのだが、本人は知らん顔。音楽隊の演奏などは勝手にやっているのだから俺は知らんというところかもしれない。もっとも、時には拍手のまねごとをしているところから、聞いてはいるようだが・・・。せめて、椅子の位置を反対にして聞く振りをすればと思うが、この男なりの観艦式に対するスタンスなのかもしれない。

私は、その男の目をつぶっている表情が面白く、また、この反抗的な態度に興味を覚えて素知らぬ顔で聞いていたが、この航空自衛隊の那覇部隊の楽団はジャズを得意にしているらしく、なかなか面白い曲目の連続で観客を飽きさせない工夫をしている。同時にこの男の表情も楽しめたので、あっと言う間の30分だったことを付け加えておこう。

それが終わったら、次のイベントは37インチ速射砲の実演である。どんなものか興味があったので、すぐ近くで見学するが、いやはや凄いものである。砲身があっと言う間に動き、目標をとらえる。実際には放談の発射はなかったが、戦闘になったらこの速射砲が吠えるのだろうと思うとあまり気持ちが良いものではない。

そのあたりから、会場には次々と観艦式に参加する艦艇の姿を見え始める。時が過ぎるに従い、2列縦隊で艦隊が進むようになる。一列に並ぶ巨大な艦艇群の姿はまるで映画のシ-ンそのもの。

しかし、今私が見ている光景は映画ではなく実像である。この光景が、実際に日露戦争から太平洋戦争に至って日常的になっていたと想像すると、艦船オタクは興奮するだろうが、私には凄いとは思うものの同時になんとも背筋が寒くなる。

いよいよ、観艦式が始まるらしい。はるか遠くに戦艦群が見え始める。そこではじめて観艦式とは、遠くに見える戦艦群が我々が乗り込んだ二列の船団の間をすれ違い、それを、旗艦に乗船している首相が観閲することだということに気付く。周りにはプログラムを開いて熱心に艦船の名前を確認する人が多い。

実は、そのプログラムは乗船時に資料が入ったポリ袋の中に入っていたので私も持っていたのだが、そんなものにはおよそ興味がない私にとって無用なもの、すぐにザックにしまってしまっていたのでプログラムや資料は帰宅してから見た次第・・・。

なんとも間抜けた話だが、次々と現れる艦船とのすれ違いに目を奪われるだけ。上陸用の高速艇が物凄いスピ-ドで通過する。潜水艦が浮上と潜水を繰り返す。恐らく、軍事オタクと呼ばれる人たちにとってはたまらない光景が続く。なるほど、このチケットに60倍超の競争率があるのももっともと納得する。

話は少し逆になってしまったが、観艦式が始まる少し前に、海上はるか遠くに物凄い巨大な船影が見え始める。船内のガイド放送で、それが横須賀を母港にしているアメリカ海軍の原子力空母『ロナルド・レ-ガン』だということを知る。自衛隊の護衛艦を従えて悠々と航行する姿はまさに浮かぶ航空基地と言っても差し支えないほどの凄さである。

船内案内では、この空母はアメリカ軍が観艦式に協力して特別参加してくれているとのことだが、帰宅してその日のテレビニュ-スでは、アホベ首相が乗船し、艦載機の戦闘機の操縦席に乗ってニヤついている姿を映し出していることから、観艦式に賛同して自主的に出航したものではなく、むしろ日本政府から頼み込んで出動してもらったことを知る。辛辣な表現をするなら、自衛隊がアメリカ軍の手下であることを、首相自身が示したのではと思えてならない・・・。

関内では、観艦式でのアホベ首相の訓示が流れるが、相変わらず、重みのない内容を長々と聞かされてはたまらない。テレビならチャンネルを変えたり消したりできるのだが、苦痛そのもの。

しかし面白いことに、首相の訓話の途中にも、命令指揮の言葉が優先されるらしく、指示がマイクを通して伝わり、その都度首相の話が聞こえなくなるのは(どの艦艇も同じだろうが)日常の勤務が優先しているに違いない。

これは愉快で、もっと指示放送があれば良いのにと思うことしきり・・・。

続きは明日に・・・。(田舎親父)

2015年10月20日 (火)

観艦式見物記(その1)・・・

 一昨日の日曜日(18日)、親しい友人から『自衛隊の観艦式のチケットが入手したので一緒に出かけないか』という一本のお誘い電話に、日頃『戦争』について述べることが多いのに、武器の知識や艦船や戦闘機などを実際に見ていない私には、良い機会だと瞬時に判断し、『了解』と返事したことから、18日の長い一日が始まった。

 『観艦式』など全く興味も関心もなかったので、『チケットの入手は抽選だが、その倍率は60倍』なんて話に驚くだけである。友人が何処からこのチケットを入手したのかは不問にするが、3年に一度行われている(らしい)『自衛隊観艦式』を見学するためには葉書で申し込み抽選に当たらねばならないのだそうだ。ちなみに今年の倍率は60倍超というから驚くだけ・・・。

 観艦式とは、名称は『護衛艦』とか『掃海艇』などとつけられているが、その実は『戦艦』であり『駆逐艦』に変わりがないような艦船(軍艦)が、一同に集結してその洋上訓練(軍事パレ-ド)をする姿を、自衛隊の最高司令官である内閣総理大臣が観閲するという式典だという。まさに、北朝鮮における軍事パレ-ドのようなものだろうが、海上での行事というところが異質のようだ。

 全く知らないことばかりで戸惑うが、7時30分に横浜新港で待ち合わせということで、桜木町から歩き始める。要所には、海上自営隊の制服を着た関係者(かなりの年齢の人が多い)が立っていて、案内しているので道に迷うことはない。 

 友人から渡されたチケット用紙に名前を記入してゲ-トに入り、乗艦手続きをするのだが、物凄い人が集まっていることに驚く。当然のことながら、身体検査や荷物検査が厳重なのはある意味しかたないだろう。

新港には『くろべ』と『ちはや』という二艘の『自衛艦(軍艦)』が並んでいる。『くろべ』は護衛艦などの訓練などを支援するという『訓練支援艦』だというから、旧海軍においては『駆逐艦』的な役割を持った艦船だろう。一方『ちはや』は、潜水艦の乗員を救助するための特殊艦だという。

私たちが指定されたのは、2000トン程度の『くろべ』である。8時半出航だが、日頃乗り慣れている観光船とは違い、実にいろいろな手順に時間がかかる。その様子を『操舵室』というところで見ていたのだが、これ程までの乗員が存在(必要なの?)するのには驚くほど・・・。

旧日本海軍の艦船と比べて性能などは比べようがないほど進んでいるが、旧海軍と制度的には変わりなく、手順などもほぼ海軍方式を受け継いでいると聞いているので、小説の世界にある旧海軍当時の重々しい雰囲気は感じることができる。

特に、艦長が姿を表した時は、『敬礼』という号令に、あたりがピンと張りつめた空気に思わず、見学者一同も緊張するから、なんとも奇怪しくなる。旧海軍と違っているところは(詳しい任務については全く理解できないが)かなりの数の女性乗組員が存在することだろう。そして、もう一つ決定的なのは、(もっともこの日に限ってだろうが)全ての隊員の一般人に対して丁寧な応接態度の徹底である。

8時半に予定通り出航するのだが、それからが長い、訓練(パレ-ド)開始が1時前と聞いているので、およそ4時間、ひたすら東京湾を南下する。幸いなことに波は穏やか、風も強くない絶好のコンデション。10時からは、沖縄駐屯の航空自衛隊音楽隊の演奏も準備されていた。

私が乗船した時点で、すでに一般見学者が過ごすスペ-ス(甲板)には何人もの人が配られた毛布の上で座っているのは当然として、折り畳み椅子や最近流行のアウトドア-用の椅子にどかりと座ってあたりを睥睨している人物(全てが中年の男性)の存在には驚く。

後で、この椅子を持ち込み可能だったことを知るが、きっとこのような人たちは何回か参加しているのに違いない。態度がでかいのもそのせいだろう・・・な。

大雑把だが、『くろべ』に乗り込んだ一般人は600人程度だろうか。そのほとんどが、私と同年齢のジイサンでバアサンはごく数えるほど少ないのが面白い。子どもずれも存在するが、その数は少なく、これが、全艦に共通するとしたら、圧倒的に多いのは高齢者の男性だということになりそうだ。が、これは何を表しているのだろう。

今日は時間がないのでここまでにしておこう。(田舎親父)

2015年10月19日 (月)

こんな大学が就職では強い?らしい・・・

次のようなの大学を全て知っているとしたら、『大学検定(あるのかな?)』でトップクラスのいわゆる『大学オタク』と呼ばれる人たちであることは間違いないところ。

日本文化大学・鹿屋体育大学・清和大学・大阪体育大学・国際武道大学・志学館大学・びわこ成蹊スポ-ツ大学・山梨学院大学・天理大学・環太平洋大学・国士館大学・高岡法科大学・東日本国際大学・ノ-スアジア大学・青森中央学院大学・千葉科学大学・亜細亜大学・杏林大学・平成国際大学・京都橘大学・帝京平成大学・富士大学・日本体育大学・倉敷芸術科学大学・中央学院大学・・・。

 箱根駅伝では優勝も経験し常連校である山梨学院大学は、ノ-ベル賞で一躍有名になった大村さんの出身校と重なって、知らない人も少ないだろう。

しかし、在籍している学生や卒業生には大変失礼な表現だが(私の世間知らずが言わせているとお許し願いたいが)清和大学や富士大学、あるいはノ-スアジア大学などという大学名ははじめて聞く。

 京都とか高岡、あるいは千葉や青森という地名が入っていれば、ご当地の大学だろうと推測ができるが、最近流行の国際とか平成などという名前を冠にしているとなると、何処に存在する大学なのか、全くわからないのでは・・・。

 さらに、環太平洋大学となると、まるで今話題のTPPをもじってつけられたのではないかとさえ思うのだが、こんな大学の卒業生が、ある特定分野の就職では俄然有利にだというから俄には信じられない話。

 日刊ゲンダイという大衆紙の記事であるが、上記の大学の卒業生が、警察官や消防士の採用試験では圧倒的な合格率を誇っているというからビックリである。

 記事によると、最初に上げた『日本文化大』という東京にある大学は、法学部のみで1学年200人の小規模な大学だとのことだが、2人に1人が警察官になっているというから、何なの・・・という感じ。

偏差値は30台というから、誰でも入れると言うと叱られるが、少し気合を入れたら合格できるラインだろう。警察官の採用数トップは日大の161人らしいが、日大は一学年が万をこす学生数だとなると、率的には比較にならないほど、圧倒的に警察官への道はこちらが上。

どんなカリキュラムなのか素人の私には想像もできないが、『警察学』や『犯罪心理学』などの講座が用意されていて、警察官志望の学生のためのAO入試があるというから、高校時代から警察官志望の学生をタ-ゲットにしていることは間違いなさそうだ。

何だが、警察官になるための専門学校(予備校)のうよな感じがするが、『教員免許』の取得が教員採用の必要条件になっているので、志望者は自動的に『教育学部』というを選択肢しかないのと変わらないのかもしれない。

記事は続き、消防官合格率トップは『千葉科学大学』だそうだが、この『危機管理学部』には、防災や救命などの科目がそろっているのだそうだ。その上、消防車も保有していて、地元消防団との合同訓練も授業の一貫として行われているというから、さしずめ『消防士』への道を、学校の教育目標に上げているようだ。

この大学も偏差知的には『日本文化大学』とたいして変わらないというから、消防士を目指している高校生には魅力に違いない。当然、毎年一定の受験志望者が存在するのだから、定員割れなどという心配もなさそうだ。

一般国民にとっては、別にどうってことのない記事だろうが、文科系学部の存在を否定するような文科省かの行政姿勢に、これで良いのかなあ・・・と何か・どこかでひっかかる。(田舎親父)

2015年10月17日 (土)

なんとも情けないブラックジョ-クそのもの・・・

このところ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が担当している、『世界遺産』という言葉が大流行。特に我が国の熱心さは半端ではなく、とにかく、全国各地の自然景観はもとより,地域のお祭や伝統、神社仏閣そのものや、そこに保管されている文書をなども含めて至るものを対象に『世界〇〇遺産』に登録することに血眼になっているような気がしてならない。

純粋に、登録して日本の誇りを後世に残したいという気持ちもあるだろうことは否定しないが、多くの場合、登録されたら世界から注目されて、多くの観光客を誘致できるというのがホンネではないかと、私は覚めた目で見ているのだが・・・。

数ある『世界遺産』の中に、『記憶』と名がついた分野があり、『世界記憶遺産』と呼ばれていることは知っているが、このジャンルは重要な文書や絵画などの保存を目的に1992年から事業が始まったというから、さほど古い歴史を持つ制度ではなさそうだ。

加盟国が増えて国際的な共通項を作ることが必要になって、それぞれの国にとって、国民に大事だと知らしめたい事柄を、申請し登録するというシステムは、いわば国連の権威作りと言ったところではないだろうか・・・。

『自然遺産』や『文化遺産』に登録されれば、それなりの見返りがあることは想像に難くないが、『記憶遺産』に登録されたからといって、観光客が増えることはないだろうと思いながらも、どんなものが登録されているのかネットで調べてみた。

するとアルアル・・・知らないことが多過ぎる。フランスの『人権宣言』や、オランダの『アンネの日記』ならば私も知っており納得できるが、何なのこれは・・・と思うような項目が、それぞれの国から申請され登録されている。

その『世界記憶遺産』に、最近、中国が申請した中国の都市『南京』において旧日本軍が行ったとされる大虐殺(南京事件)に関する資料が登録されたことに対して日本政府が取り消しを求めているというから、なんとも大人げない話。

今は『南京事件』と呼ばれているらしいが、このことについて、私が学んだ社会科の教科書には『南京大虐殺』とあったような記憶がある。中学校の時の社会科教師は、あえてこのことについて詳しく触れてはいなかったが、それでも日本軍の上官の命令には絶対服従というシステムには疑問を持っていたらしく、命令のもと中国人を殺したことは事実だと語っていたことを思い出す。

マスコミ解説によれば、『南京事件』は、長らく日中間などで論争の的になっているという。2010年に報告書を出した日中歴史共同研究でも、虐殺行為に及んだ日本側に責任があることでは一致したものの、犠牲者数について中国が30余万人、日本は20万人を上限に4万人や2万人などの推計があると主張しているのだそうだ。

人命を数で表すのには抵抗があるが、虐殺が行われた事実は、その段階で両政府が認めていることから、中国がこのことを申請したことは当然だろうと考えるが、現政権や先の戦争にはそれ相当の意義があったという歴史認識を持つ人たちには、大虐殺などという忌まわしい事実を認めたくないようだ。

中には、虐殺そのものがなかったという主張する人たちも存在するというが、理不尽にも殺害された(日本兵が殺した)中国人が数多く存在したことは事実であると両政府が認めているのだからこれはル-ル違反だろう。私が習った中学の社会科教師の態度はごく普通で、その授業によって形作られた私の歴史認識をもごく一般的だと思っている。

なのに、『南京事件の世界記憶遺産登録』を受けて、現政権の官房長官は『中国はユネスコを政治的に利用している。過去の一時期における負の遺産をいたずらに強調し遺憾だ』と批判するのはまだしも、ユネスコ分担金の停止・削減を検討すると発言しているというから、なんとも大人げないというか情けない話。

日本の分担金は約37億円(11%)で、アメリカ支払い停止中のため最大となっているから、ここでも現政権お得意の『札束で横っ面・・・』手法で、世界に脅しをかけているようだ。

ユネスコがどれほど世界の平和に貢献しているのか疑がわしいが、ほんの少しでも、世界の人々の人権や途上国での識字教育などの役割を担っているとしたら、日本が資金支出を止めれば、事業全体に影響することは間違いないところ。そのことで世界各国から不信を招いて日本パッシングも招きかねない。

その反面では、国民の税金を湯水のように使って、安全保障会議の非常任理事国に選ばれたことに政府は大喜びしているが、世界からは『言ってることとやっていることが違うぞ・・・』と揶揄されることも間違いなさそうだ。

『札束で横っ面・・・』手法を使って、ユネスコの主要構成国を敵に回しては、何よりも遺産登録に血眼になっている地方自治体や地域の人々に対してマイナスになることは私のような政治音痴でもわかること。

『世界遺産など無意味で止めてしまえ』と言うなら、予算の引き上げや凍結も理解できないこともないが、政府が登録の旗振り役をしているのだから、まさに笑えない笑い話。ブラックジュ-クそのものでは・・・。(田舎親父)

2015年10月16日 (金)

耐震偽造よりも酷い?・・・

10年ほど前に『耐震偽造』という言葉が大流行したことがあった。該当マンションが明日にでも倒壊するというような風評が流れ、住民たちの怒りや諦めのコメントに加えて、姉羽だったか建築士やヒュ-ザ-という建築会社の名前を連日、嫌というほど聞かされたものである。

しかし、1年もたたない間にその話題はすっかり消え、今では、私も含めてほとんどの人たちは『そんなことがありましたったけ・・・』というように、記憶は遠い彼方に消えてしまっている。

被害者であるマンション住民はその後どうなたのだろう。確か、一部の該当のマンションは建て替えされたというニュ-スがあったような気がするが、建て替えるためには住民の合意と費用負担でのメドがつかなければならないはずだから、全てが建て替えられたとは思えないのだが・・・。

あの事件は、一言で言ってしまうと、鉄筋の数を誤魔化したということなのだろう。震度7というトンデモ強い不規則な揺れでは倒壊する可能性があるのだろうが、まずはその危険性は少なく、さほど緊急事態ではないのではと素人ながつぶやいたもの・・・。

ところが、つい最近になって、今度はマンションを支える基礎杭が安定した岩盤に届いていないため、全体が傾いてきたという手抜き工事が横浜の片田舎、私の近くで起きたというから驚いている。

『三井不動産レジデンシャル』という不動産会社の名前は、横浜の『みなとみらい』を地区開発したことで良く知られている。高級マンションを手がける会社で、立地条件のよい場所に、高層マンション群を建て販売する手法だが、価格の高さが半端ではなく普通のサラリ-マンには高値の花・・・。

新聞の折り込みでも、この会社が手がけたマンションのチラシが入るが価格の提示がないのが普通である。近くに住む知人がこの会社の手がけたマンションに転居したが、『たまたま新聞の折り込みより前に、現地看板を見て飛び込んだので購入できたので幸運でした・・・』という話を思い出す。

この話通りだとすると、新聞折り込みはアリバイ作りで、下手に価格帯を公表すれば希望者がさっとうして混乱するということなのだろう。それほど、信用があり、噂だけでも人が訪れるほど評判だということなのかもしれないが・・・。

その三井不動産レジデンスが売り出した横浜市都筑区のマンションは建物を支える多くの杭が安定岩盤に届いていなかったというから、鉄筋不足の耐震偽造どころではなく、このマンションが毎日少しずつ傾きが増すことは十分あり得る話だろう。

マスコミ記事によると、この会社が販売したマンションは4棟で計705戸あり、そのうち11階建ての一棟が傾いていることを、昨年11月に住民の一人が気付いたそうだ。会社側は、当初は、『東日本大地震』の影響だと言い訳していたとのことらしいが、住民たちの努力で横浜市が動きだし、今回の不正が明らかになったという。

杭打ちをした業者は、こちらも一流企業として私でも知っている『旭化成』を親会社に持つ『旭化成建材』という企業だというから、これからの動きに目が離せない。

関係した企業は、ゴメンナサイ・・・の連発らしいが、マンション住民たちは怒りと不安で連日眠れぬ夜を過ごしているのではないだろうか。

旭化成は社内に調査委員会を設置、とりあえずの処置として、これ以上本社業務に対する影響をくい止めるために、補強、改修費用は全額、旭化成建材が負担して補修工事をはじめると発表している。

当然だろう。しかし、どんな補修を行うのだろう。全てを取り壊して、新しく同じ間取りのマンションを建てれば問題はないだろうが、その間住民は退避する必要があり、何よりも、金儲け命の会社が、そこまでやるはずはないだろう。

と思っていたところ、今朝の報道では、全棟建て替える方針で住民説明とのこと。700超の家族が入居しているということだから、3年以上も仮住まいを多様な価値観を持つ住民全員が受け入れるのか気になるところ。いよいよ、今後の展開に目が離せない。

該当マンションの建つ地域は、50年も前から開発がすすめられてきた『港北にュ-タウン』の中にある。ここは、私の昔の散歩コ-スであり、理科の授業に使う『トノサマバッタ』の採集地でもあり、地形はかなり記憶にある。

全体がゆるやかな丘陵地帯であり、湿地も多くあったことも記憶に新しい。となると、このマンションのように、杭の長さが足りなかったり、実際に調査しないで、デ-タだけで工事を強行した建物も多い可能性?があるのでは・・・。

何となくだが、この問題は今後いろいろな面で広がりそうな気がするが、横浜市は被害者である住民の立場で企業に対してしっかりと監督・指導することを心から望みたい・・・。(田舎親父)

2015年10月15日 (木)

運動会のあり方を考える・・・

(一昨日の続きになるが)組体操を運動会の花形だという見方が続く限り、ケガは増えることはあっても少なくなることはないと断言しても過言ではない。

その理由の一つは、年々忙しくなる学校の状態では、教員が子ども一人一人と接する機会が少なくなり、それぞれの個性やその時々の体調や気分のあり方など把握することが難しくなっていることが上げられる。

学校に余裕がなくなっていることは、これまでにも再三再四つぶやいてきたので、ここでは繰り返さないが、子どもの実態も把握できないのにもかかわらず、伝統だとか保護者の要望だとか、あるいは子どもたちの希望だからといって、組体操の難易度を上げては(10段ピラミッドや5段タワ-など)ケガどころか、酷い後遺症に悩まされているという話も耳にするのも当然だろう。近い将来、死亡事故もおきるのはまず間違いなさそうだ。

私が経験した5段のピラミットで話を進めてみよう。具体的な計算方法はすっかり忘れたが一番下の児童の背中には、100kg近い普通の子どもでは耐えられないほどの負荷がかかるのではなかっただろうか。実際に、指導する段階で、一番下になって確認したが、当時若かった私でもかなり気合を入れたことを覚えている。

やる気一杯の子どもたちは口に出さなかったが相当しんどかったはず。そして、一応ピラミットを成功させると、保護者にかっこよさをアピ-ルするために、笛の合図で顔を挙げて正面に向かって、次の笛で右、そして左、最後の笛で一斉に伏せてピラミットそのものをつぶすのだから(今思うと)一番下の子どもはたまったものではなかっただろう。

それを、『ガンバレ、ガンバレ・・・』という掛け声で突き進み成功させてきた。確かに結果として、子どもたちのまとまりは強くなり、保護者たちの結びつきも強くなったことから、『組体操効果』に酔いしれたものであるが・・・。

失敗しなかった理由は、当時は、教員に余裕があったからだろう。中には、小柄だから一番上になったらとすすめても怖いからと拒否する子もいる。反対に大柄で目立ちたがり屋の子どもは、一番上になりたいと主張することもある。

それらの子どもを話し合いの中で納得させるのだが、これは日頃の教師と子どもたちとの信頼関係なくしてはかなり難しい。ことは誰でも想像がつくのではないだろうか。

私の担任時代にはそれができた。しかし、時は移り年々難しくなり、担任から離れる頃には、ムリムリ組体操をするのは止めようという考え方に傾いたものである。

それでも、保護者の希望や伝統?を守れ・・・などという声に負けて、運動会の高学年の種目として残さざるを得なかったが、ケガをさせないということが最重要という考え方で臨んだこともあって、今日こんな呑気なことを書けていることは幸なこと。

運動会は、数ある学校行事の中でももっとも重要な位置にあり、運動会を成功させるためには、『運動会用時間割』が組まれることは知っていても、その内容まで把握している人は少ないのではないだろうか。

これも経験談になるが、運動会の練習では、まず学年単位が動くことになる。単学級なら調整など必要ないが、3学級ともなると『運動会練習時間割』を作るのが、教務主任の腕の見せ所。それにそって、一般的には高学年として5.6年生合同の組体操や騎馬戦、棒倒しなどの練習時間を確保することになる。

当然、教科の時間は後回し。何より、子どもたちの意識が運動会(組体操)の練習に向いているのだから、その期間中は、学校全体が教科学習はおざなりになることは仕方ないという雰囲気になる。当日が近づいてくると、さらに練習に熱が入り、学級(担任)によっては、教科の時間をつぶして、屋上などで隠れて練習する事も日常茶飯事であることは案外知らない人が多いのでは・・・。

繰り返しになるが、組体操を広げた戦犯の一人であるが、担任を離れてからは、組体操だけではなく、練習に明け暮れる運動会そのものに疑問を感じ、練習しなくても良い運動会にしようと考え続けてきたものである。その気持ちは今も持ち続けている。むしろ一層強くなっている・・・。

現在、塾の台頭もあって学校の役割が改めて問われている。そんな中で、運動会だけが、百年一日のごとく、学校行事の頂点に君臨して、特別の時間割を作り練習し、極端に表現すれば『親に見せるため』に行われているのも、考えてみたら極めて変な話。

そろそろ、運動会のあり方を考える時期になってきたのではないだろうか・・・というのが今日のつぶやきの結論である。

そして、実際には実現しなかったが、私がずっと口にしてきたのが、特別練習など必要のない運動会の姿である。駆けっこやリズム運動は、体育の授業にもあるので、改めて練習時間をとらなくてもできるはず。

ならば、運動会を地域ぐるみの『お祭騒ぎ』的なものにしたらどうだろう。徒競走やリズム運動はそのままにしても、組体操などよりも、運動能力の良否などほとんど無関係な競技を多くしたプログラムで、地域の人たちと子どもたちが一緒に楽しめる運動会。いわば、昔懐かしい『村を挙げての運動会』のイメ-ジである。

『パン食い競争』や『むかで競争』などを、障がい者をことさらに差別するという風潮があって、このような競技が最近の学校の運動会では見かけられなくなったが、パラリンピックが話題になっていることから、ことさら反対の声はないのでは・・・。

(蛇足になるが)運動会に限らず、学芸会の劇なども考える時期に来ているのではないだろうか。このことはまたの機会に譲るとしても、主役選びがいじめの複線になっていることは、教育関係者なら当り前に思っていることだけはつぶやいておきたい。(田舎親父)

2015年10月14日 (水)

子どもの貧困と虐待・・・

 10月10の朝日新聞の朝刊の『子どもと貧困』という題名の特集記事に目が留まる。

『6畳ほどの面談室に、すえた臭いが広がった』と文章で始まり、次のように続。『2年前の9月。関東地方にあるDV被害者のシェルターの職員は、39歳の母親と7歳の長女、4歳の次女を迎えた。/差し出したオレンジジュースを、姉妹は一気に飲み干した。白とピンクの長袖シャツはあかで灰色に変わり、頭にはシラミがいた。/一家の手荷物は、ランドセルとポリ袋二つ。サイズの合わないシャツ、穴の開いた靴下や下着が、汚れたまま詰め込まれていた。/風呂は約1カ月ぶりだという。翌日から一緒に入り、姉妹の髪をとかし、数百匹のシラミをつぶした。/・・・/いま、3人は母子生活支援施設で暮らし、自立を模索する。』(以下略)・・・。

 今どきこんなことがあるのだだろうか?・・・。私も、教育にかかわってきた一人として、いろいろな子どもや家庭環境の実態を見たり、聞いたり、あるいは実際に立ち会ったりしているが、ここまで凄い経験はない。

しかし、これとは比較にならないが、母子家庭の保護にまつわることに関していくつのか記憶が蘇る。

その一つである20年以上も前の光景が頭をよぎる。当時、夫の暴力に耐えきれず児童相談所に駆け込んだ母子がいた。顔見知りの所長から、協力してほしいとの依頼があり、事情を聞いたところ、夫から逃れたいのだが、逃げてもいつの間にか居所を知られその度に殺されるかと思うほど殴られているとのことである。

相談所に出かけ母親とも面談したが、母親は、このままでは小学3年生の娘に危害が及ぶので、何とかこの子だけでも助けたいと必死で訴えていた。私に声がかかったのは、これまでとは全く関わりのない小学校に入学させて、父親から隔離するためだとのこと。これは手伝わなくては男の沽券にかかわる。協力を惜しまないと二つ返事で引き受ける。

母親は、この子を施設に預け、自分は単身で働きに出るという。そのあたりは所長と打ち合わせ済み済みで、自活できるようになったら必ず迎えに行くと約束しているというから、まったくの三文小説の筋書きそのものだが、何となく気持ちが高ぶったものである。

 このようなことは、担任時代にも経験したことがなく、全く始めてのこと。3年生の担任に事情を話して受け入れることにするのだが、その女の子が、受け入れ施設に馴染まず職員を手こずらしてどうしても扱えないとのことで、知人である所長とも相談して、当時、軽井沢にあった特別の施設に入居させることになり、私も彼と一緒に女の子を送っていたことを思い出す。

そこは、所長の友人が経営している、今でいうフリ-スク-ルのはしりだったようだが、小学校高学年から高校3年生までの、家庭が崩壊して居所がない子どもたちに寄宿生活をさせて、そこから近くの学校に通わせるという。

児童相談所に対する風当たりが強くなっている現在、この経緯を詳しく思い出して文章化する必要があることを感じているが、詳しい記憶はほとんど失ってしまっているので、しばらく時間がかかりそうだ。

ともあれ、そのフリ-スク-ルの責任者と3人で、その小3の女子をつれて転校予定の小学校に挨拶に向かい、校長と教頭によろしくとお願いしたところ、東京の校長がわざわざ送ってくることは皆無だったらしく、実に丁寧に対応してくれ、任せてほしいとの応えに安心したことも記憶が蘇る。

その後、毎日の日常雑事にかまけてそのことは頭から消え去り、すっかり忘れていたが、今回の記事はとても信じられないとは思いながら、(わずかな経験からも)あり得る話だと納得し、何とかしなければ、ますますこの傾向が強くなる危惧感を覚える。

話は飛躍するが、全国の児童相談所が2014年度に対応した児童虐待の件数が過去最悪の8万9千件に上ったという記事が先日の新聞に掲載されていた。前年度比20%増だという。

厚労省の発表では、児童虐待件数の統計を取り始めた1990年度以降、過去最多を更新し続け、ここ5年間で倍増したという。

その背景には、経済的な格差が広がり、貧困の家庭に育つ子どもが増えていることが指摘されるとあるが、厚労省は、統計はとるものの具体的な救済政策はなく、なんとも冷たい役所だという印象を強くする。

私が経験した案件は、厚労省が統計を取り始めた頃に合致する。その頃から、児童虐待というか家庭崩壊が急増した事は疑いのない事実。この時期は、インタ-ネットの急速な普及の時期と奇妙に一致する。

人や社会との関わりがどんどん薄くなり、自分中心の考え方が広がっていった時代である。当然、世のため人のためという考え方は薄くなり、自分の欲望を何としてもかなえるという姿勢が社会的に当り前となったことは疑いのない事実だろう。

カネ儲け(ビジネス)が『是』となり、そのためには頭を使うことが『賢い生きかた』となり始めた時代とも一致する。記事にも、貧困がその根底の原因だと結論づけているが、まさにその通り。

いじめはもとより、非行などの撲滅をスロ-ガンに上げている学校も多い。そんな目標は(何度もつぶやいている通り)絵に描いた餅であり、できるはずがないのにもかかわらず、文科省は『いじめをなくせ』と学校に圧力をかけている。

本気で、いじめをなくし児童虐待という言葉を追放する気があれば、経済的な格差を少なくして、せめて、『年収300万円』という最低限の子育て生活が可能な賃金を保証する政策を占め捨て欲しいもの・・・。

しかし、現実は『企業が潤えば社会全体が豊になる・・・』なんて、わけのわからない理屈を作り、正社員を少なくて、貧しい階層をより貧しくしているのでは期待できるはずはない。

悲しく情けないことだが、今日もまた、日本のどこかで施設に駆け込む母子の姿が目に浮かぶ・・・。(田舎親父)

2015年10月13日 (火)

組体操でのケガが大騒ぎに・・・

 最近は、秋は学校行事がたて込んでいるということから、春に運動会を行う小中学校が増えているようだが、それでも『運動会は秋だ・・・』という風潮も残っているらしく、この季節の土曜日の散策途中で運動会に出会うことも稀ではない。

 運動会(学校行事)を日曜日ではなく土曜日に行うのは、代休を月曜日に回せば連休になることと、例え予定していた土曜日が雨で流れても翌日に順延すれば、やはり月曜日を代休にできるという理由なのだろうが、土曜日が休みでない保護者にとっては恨み節の一もうなりたくなるのでは・・・。

唐突に、いつ代休にするかは校長の権限だということを知らない人が多いのではということが頭に浮かぶ。最近、伝統的に〇月〇日と日にちで決められていた地域の伝統的なお祭が、子どもが集まらないからという理由で、土日曜日に移すことが当り前になっているが、運動会の代休を当てれば解決するはずなのに・・・なんてことをつぶやきたくなってくる。

 それはともかく、最近では日本中ほとんどの小中学校の運動会で行われている『組体操』について、連日かなりの頻度でマスコミが取り上げている。そのほとんどが、組体操での『事故・怪我』の話題であるが・・・。

 ふと、組体操が運動会の花形になったのはいつごろからだろうと、自分の経験を振り替えって見ると、私がはじめて組体操に取り組んだのは、40年以上前の、大田区の糀谷小学校だったような記憶が蘇る。

 その年、産休代替だったか病欠だったか覚えていないが、となりのクラスの教員に代わり、臨時の男性教諭が配当されて、彼が『組体操をやりましよう。私が指導します』と言い出したからだったことを思い出す。それまで、組体操など全く知らなかった私も含めた他の担任は、面白い・・・と飛びついたことも・・・。

子どもたちも大乗り気。全てがスム-ズに進み、運動会当日は保護者空の絶賛の嵐だったことに気を良くし、当時流行っていた数校の学校が合同で行う『連合運動会』で披露したものだから、他校の子どもたちはビックリ。教員や保護者の驚きは想像以上で、翌年からは、それぞれの学校では組体操が定番になったのでは・・・。

今ではこんなことを言うと顰蹙をかうだろうが、当時は『ケガを恐れては挑戦はできない。元に戻る怪我はらない文句を言わないでほしい・・・』なんて、保護者会で平気で発言し、子どもたちには『ケガを恐れるからケガをするのだ。ケガしたら出られなくなるだけだから・・・』と、ある意味無茶苦茶な精神論をで脅かして、練習に明け暮れていたことも今は昔。幸なことに、大怪我をさせた記憶はないが・・・。

ところが、ここ数年、組体操でのピラミットやタワ-が巨大化し、小学校でも8段のピラミッドなどが稀ではなくなっているらしく、それに合わせて、事故の件数が鰻登りに増えているのだそうだ。

 『日本スポーツ振興センター』によると、小中高校での組体操中の事故は毎年8500件前後起きているとのこと。骨折やねんざなどで、小学校では跳び箱、バスケットボール、サッカーに次いで多いというが、これらの運動は通年を通して行われていることから,運動会シーズンに限られる組体操の事故確率は飛び抜けて多いことは明らかである。

私が行っていたピラミットはたかだか4段。例え崩れても、『イテェ-・・・』程度だが、8段で崩れたらと想像すると、痛いどころの騒ぎではなく、骨折は当り前、下手すれば後遺症が残ることもあり得る話だろう。

つい最近の新聞記事であるが、大阪府八尾市の中学校では、この3年間で7人が骨折したという。校長によると、一昨年2人が骨折したが、生徒の希望を受け、昨年からピラミッドを9段から10段に引き上げたそうだ。この年はピラミッドで2人、別の組み体操で2人が骨折したというから、事故など何のその。より見栄えのする演技への挑戦は学校間の競争になっているようだ。

この学校では『ピラミッドの段数を減らすべきだ』と複数の教員が主張したが、校長判断で『補助員を増やせばできる』と10段でやった結果、また1人が骨折したそうだが、これと似たような話は全国の学校であり得るのではないだろう。

組体操を取り入れた立場の人間がこんなことを言うのも変な話だが、私の当時は、学校にはかなりの余裕があったことだけははっきりしている。テストの点数を何より大事だとする風潮はまだ広がらず、塾などの台頭もなかったので、放課後、子どもたちは本当にマンツ-マンで練習を繰り返したものである。

今では考えられないだろうが、中には、夕食の差し入れを持ってきてくれる保護者も存在し、一杯飲みながら楽しんだことも・・・。さらに、一緒に指導してくれる地域の人たちも存在していたこともあって、徹底的に練習ができ、当日成功するのも当り前だったが、今日の現状はどうだろう。

学力テストの点数が学力だと定義されているのだから、教員の意識は無理にでもこちらに向かされることは当然だが、一方に、保護者の一部からは『より高く・より力強く』という組体操への過度の期待が大きなプシッシャ-・・・。

放課後残して練習したくても塾の時間が優先されるとあっては難しい。その上、教員には会議や研修という子どもと直接かかわれる時間がほとんど無いとなると、もはや、日頃から全く指導していない組体操を運動会の種目にすることが難しい時代になったことは間違いないようだ・・・。

ではどうするかは、長くなりそうなので後日改めてつぶやいてみたい。(田舎親父)

2015年10月10日 (土)

日本製の武器が・・・

今年もノ-ベル賞の受賞の季節を迎え、連日この話題で沸騰している。例年、文学賞の最有力候補と言われている角川春樹氏の受賞は今年も掛け声倒れに終わったが、医学・生理学省の大村さんと物理学賞の梶田さんと二人もの受賞者は喜ばしい限り。

特に、大村さんはアフリカの子ども達を風土病から救う医薬品の研究の功績がたたえられての受賞というから、野口英世博士の再来かとさえ思ってしまう。山梨大学という地方大学を卒業後、定時制高校の教員を経て、北里大学の研究室で微生物の研究一筋で今日に至ったというから、これまでの受賞者とは一味も二味も違う人間性を感じる。

このことはまたの機会につぶやくとして、昨日、世界が注目している平和賞が発表されたが、当初はシリア難民受け入れに理解を示し、その体制づくりに貢献したドイツのメルケル首相が有力らしいと伝えられていたが、結果はチェジアの平和団体。

平和賞の意味合いが違ってきたらしく、オバマのように表面的に核絶滅と言うだけで゛実際にはなにもしない(できない)政治家(屋)に与えてはマズイという反省が、受賞検討委員会のメンバ-に共通していたのかもしれない・・・。

しかし、メルケル首相のここまでの言動は、実際にシリア難民の解決のために努力したことは私でも評価できることだから少し残念な気がする。もっと残念なのは、日本憲法第9条に与えられなかったことであるが・・・。

それはさておき、私には国際情勢を語る知識も資格もないが、シリアの国内ではロシアが援助するアサド政権とアメリカの後ろ楯の反政府勢力に加えて、IS(一時はイスラム国と呼ばれた)と称されている組織が対立し、三つ巴の戦闘が日常的に起き、身の危険を感じてシリアから脱出する難民がヨ-ロッパ各国に溢れているという。

シリア国内の問題だからシリアの人々にその解決を委ねることが肝要だと思うのだが、必ずといって良いほど、現在世界各地で起きている内戦には、ロシアとアメリカの利害が衝突し、互いに武器を与えて戦闘を助長しているのだから、泥沼の消耗戦という筋書きになっているのも悲しく情けない事実である。

内戦を収め、これ以上の難民を出さないためには、武器の応援をしないという約束が何よりも大事なことは、小学生でも理解できることなのに、大人の金儲け命の論理では、それは夢物語で、実際は、武器を与え続けることによって莫大な利益を得ているのだから、争いが終わることなど考えられないようだ。今この時も激しい戦闘が続いているのが現実なのだろう・・・。

我が国は、世界の中で唯一、憲法で戦争放棄を掲げ、内戦には参加しないという高邁な理想をうたっていたのだが、イラク戦争(ベトナム戦争でも実際にはアメリカに協力していたが)に自衛隊を派遣したことから、その信念が怪しくなり、現政権に至っては、経済発展のためには武器を積極的に輸出すると明言しているから、なんともおぞましい限り・・・。

それを具体的に形に現したのが、武器の輸出や購入、他国との共同開発を一元的に担う防衛省の外局『防衛装備庁』の発足である。昨年4月に突如閣議決定というお得意の策略で、武器禁輸策を転換し、武器輸出を原則解禁した防衛装備移転三原則という政策を合法化?したのだから許せる話ではない。

民間会社が合法的?に作る。殺傷能力のある武器や、軍事的に多大な能力を持った無人ヘリなどを、政府が国民の税金で莫大な防衛予算を組み、その一部でこれらを購入、アメリカの要請のもと、シリアはじめ世界各地の戦争地域に投入されることは間違いないところ。そんなことはすでに当り前の事実だと指摘されそうだが、これからはおおっぴらにそれをやるぞと宣言しているのだから、ことは重大である。

日本製の武器がシリアはもとより世界の国々の内戦で日常的に使われる。そして、その結果として、日本製の武器で武装した人々が憎しみ合って戦い、命を落とし追われて逃げまどう。そんな人々の姿を想像すると心が張り裂ける。

内戦は、民族や宗教、あるいは信条の違いから互いに憎しみ合い、殺し合うという展開に発展。憎しみの連鎖がさらなる殺し合いへつながり泥沼状態が続くこと。

親・肉親を殺された子どもは、武器を持たされて戦うことが正義だ教えられる。なんともおぞましい光景が浮かび上がるが、その光景を作り上げる一因が日本製の武器であることだけは避けたいものだが・・・。

現政権は、こんな当り前の感覚さえ、国民に捨て去ることを強要しているのだから狂っているとしか思えない。少しでも油断すれば、昔きた道に戻ることは間違いないところ。これ以上、極貧の国々において子どもたちが武器を持たされることなく、何より国を捨てなければならない人々を出さないように願うだけ。

そのためには、武器を輸出することを国是とする現政権を、一日も早く打倒し、戦争法案を廃棄しなければと強く思う今日である・・・。(杉)

2015年10月 9日 (金)

刺殺するのも思いやり?・・・

三重県伊勢市で先日、高校3年生の女子生徒が包丁で刺殺されるという事件が発生したが、犯人はごく親しい同じ学校の男子生徒だったという。

内容的には、極めて微妙なことが含まれているらしいので、マスコミはオブラ-トに包んだような表現をしているが、私が記事から受ける印象では、どうも女子生徒が殺してほしいと頼んだ嘱託殺人のようだが・・・。

こんなことが実際におきるのか疑わしいが、最近は、老老介護に疲れ果てた老齢の夫や妻が長年寄り添って暮らしてきた相方を殺害するという事件記事を目にすることが多くなっていることから、『殺してほしい』『死んで楽になりたい』と願う人が存在し、一番信頼できる相手に頼むこともあり得ることだろう。

この二人は親友だったと記事にあるが、親友どころか、お互いに一番大切な相手だったのではないだろうか。としたら、あまりにも相手の気持ちがわかり過ぎて、相手が日常的に苦悩する様子を見ていられなかった?・・・。

話は少し飛躍するが(先日もつぶやいたことだが)天童荒太の『永遠の仔』という小説にある意味ショックを受けて、こんなスト-リ-を考えつくのはこの作家は狂気の部分を持っているのではと思ったものだが、この狂気を探りたくて、『家族狩り』という長編も読み終わり、今は『悼む人』という題名の小説に移っている。

この3つの小説に共通するところは、狂気がごく当り前にサラリと取り上げられていること。まだ読み終わっていないが、『悼む人』の中に、主人公と共に行動している女性が、過去に、最も信頼し愛する対象だった男性を、『殺してほしい』と懇願されて包丁で刺し死亡させるという場面がある。

そして、この男性が女性の肩に現れ、主人公とやりとりするというオカルト的展開になっていることもあって、その先がなかなか読めていない。しかし、その途中に今回の事件が起きたこともあって、今日・明日中にムリムリにでも読み終わろうと思い始めている。

『殺してほしい・・・』と18歳の女子生徒から懇願された相手の男子生徒は、苦悩したに違いない。苦しんで苦しんだ結果、『殺して上げるしか仕方ない』という結論に達したのだろうが、そこには狂気がなければ実行できるはずはない。

18歳で、そこまで信じ・信じられる相手が存在することは素晴らしい事実なのだろうが、その信頼はいわば虚像?で、実際には『同じ空想(狂気)の世界』に二人ともが入り込んで、狂気を狂気と思えなくなり、『殺して・・・』と必死で頼まれたことに、誠実に応えた結果の事件ではないだろうか・・・。

小説に出てくる女性は、4年という刑期を終えて出てきたが、少年ということもあって殺害した男子生徒も短い期間で、自由の身になるのだろうが、その後の生活は厳しく、そして寂しく苦しいものになるのではないだろうか。

 今日の少年・少女たちが生活の場を考えると、私の育った当時よりも、虚像がほとんどとなると、信じられるものが極めて少ないように思える。日常茶飯事として起きている、とても私には信じられないような事件も、一時的(個人によってその時間差は大きいが)虚像を信じ狂気を狂気としてではなく、ごく当り前の感覚になってしまった結果ではと受け止めているが、周りの人たちから見たら限りなく迷惑な行為だろう。

 改めて、天童荒太という、いわば狂気の作家に興味が湧いてくるが、相手を裏切れないという、ある意味最高の『思いやり?』が、今回の事件の背景にあるとしたら、もはや、この狂気は若者の間には広く受け入れられているのでは・・・と何となくだが思いはじめている。

 これは恐ろしい。同様の事件が続かないことを願うのだが・・・。(田舎親父)

2015年10月 8日 (木)

NHKは政府の広報・営業機関?・・・

 国民一人一人に番号を割り当てる『国民総背番号制度』(国は『マイナンバー制度』と宣伝しているが、私は批判をこめてあえてこのように表現する)が今月から個人の背番号の通知が始またらしい。

 それぞれの国民には12桁の数字が並んだ背番号が割り振られるのだが、その番号を知らせる『通知カード』が、これから各家庭に簡易書留で届くのだそうだから、そのうち私も受け取らざるを得なくなるのだろう。

税金や介護サ-ビスなどの社会保障の事務関係をスム-ズに、しかも公正・公平に行うための必要なものだといううたい文句である。確かに、事務がスム-ズに行われるだろうことは素人の私でも理解できるが、『運用を間違わない』という前提がなければならないことが絶対条件になるのは衆目の一致するところ。

ところが、便利でしかも公正公平な運用ができると言って(騙して)導入した年金番号制度が、駄々漏れが次々に明らかになるのにかかわらず、責任の所在さえ追求されないのが現状では、今回の背番号制度を『ハイ・分かりました・・・』と受け入れる気持ちにはなれない。

政府としてはどうしても急いで背番号をつけなければならない理由があるらしく、かなり強引に、背番号を配るまでこぎ着けたのだが、ここまでは先へ進まないことに業を煮やしてか、国民が否応なくその番号を使わざる得なくするために、消費税増税に伴う軽減措置に利用すると言い出したのはつい最近のこと。

背番号で貧乏人か金持ちなのか一目で分かるのだから、軽減税率などめんどくさい手間を省くためにも、レシ-トにうたれた背番号でわかる貧乏人にはスズメの涙程のおこぼれを与えれば良いという発想である。私はこの一言で、背番号をつける本当のねらいが浮かび上がってきたなという印象を受ける。

これにはさすがに危ないと、政府を信用していた階層の国民でも気がついたらしく、ブ-イングが起き始めたのだが、そのあたりはさすがに(一応は庶民の味方と公言しているらしい)公明党が、認められないと明言したことで、財務省は一応のところ黙って、次の策を考えているところのようだ。

ところが先月末のこと、NHKのモミイという人相の悪い(政府の飼い犬)会長が,2014年度末で76%だった受信料の支払率を上げる方策として『(受信世帯をより正確に把握するために)マイナンバー(背番号)を使う』と言い出したから驚いた。

国の複雑な仕組みはほとんど知らない私だが、もしも絶対的な権力者になったらと仮定すると、国民全てにこんな背番号が振ってあったとしたら、管理には便利になるだろうと大歓迎。なるほど国があらゆる手段を駆使して作業をすすめているのも分かるような気がする。

今までのやり方を見ていると、最初から背番号受諾を強要しないだろうが、短くて3年で『このままでは不公平になる』と言い出すことは目に見える。

自民党の小委員会がこのあたりに食いつき、視聴料支払いの義務化をはからねばならないと言い出したことはその前触れだろう。核家族化が進みマンションの増加や、視聴料を払わなくても良い装置なども出回りはじめていることもあって、支払い率が落ちていることを『不公平』だと言い出す世論作りを急ぎ、この背番号を利用して視聴料の義務化をはかり始めている。

 さらに、背番号をついたチップを希望すれば配布するとはいう。これを利用すれば、インタ-ネット上で、名前と住所、生年月日、性別、顔写真が載るので、本人確認のための身分証明に使えるので、自宅にいながら、さまざまな手続きができると宣伝しているが、これらは、管理者から見ると、『国民管理に必要なこと』であることは論を待たない。要は、管理される方が『自ら管理して下さい』といっているようなもの・・・。

当初は、あくまで希望だろうが、こちらも数年後には義務化されるとあっては、とりあえずは、通知された背番号を受諾しないことが肝要になりそうだ。

 それでも、現在の年金番号がいつの間にか背番号に切り替わり、あてがわれた番号を記入しない限り年金が受け取れなくなるとなると、否応なく背番号を肯定する時代になるような気がしてならない。

 これは、ある意味『戦争法案』よりはるかに個人を管理する法案なのだろうが、反対の盛り上がりは、戦争法案に比べて少ないとなると、背番号で管理される時代はさほど遠くない未来に実現するのでは・・・。

 今日もまた、『困った話・・・』に終わってしまいそうだが、公共放送を理念とするNHKが、背番号制度の定着に広報機関に徹して、このまま背番号制度が普通の社会が進めばと想像すると・・・。

何より恐ろしいのは、何に対して批判するのかその対象が見えなくなるという以前に、『批判することも考えられない』『批判という言葉を全く知らない国民』が圧倒的多数を占めるという大変な時代になりそうな気がしてならない。(田舎親父)

2015年10月 7日 (水)

ここはどこの国?・・・

京都から亡き長兄家族の箱根・富士旅行に付き合ってほしいとのことで、河口湖一泊の旅に出かけてきた。

いつもは快晴に恵まれるたびなのだが今回は様子が違う。5日の出発時から何やら怪しい天気。それでも、箱根登山鉄道や寄木細工会館などを案内し、仙石原のススキ野を楽しませたのが、あいにくの天気は回復せず、早々と薄暗い河口湖の湖畔の宿で、のんびりと温泉を楽しむ。

翌日、目が覚めると青空を祈ったが、残念ながら、暗い雲に覆われるあいにくの朝。今日もダメかと諦めかけ、朝の散歩に出かけたのだが、近くに御室浅間神社という、かなり由緒ありそうな社に出会いそこを参拝。縁起など読むと案内する価値がありそうだ。

食後、そこに改めて皆で参拝し天候の回復を祈る。皆さん、真剣にお賽銭を差し上げて祈っていると、不思議に当たりが明るくなる。ひょっとして、ひょっとするぞと思い、とりあえず、昨日の予定だった『忍野八海』に案内。すると、日射しが戻り富士山が上部を見せてくるではないか。ただ驚いたことに、中は面凄い観光客でごった返している。そしてそのほとんどは中国人(ひょっとして台湾人や韓国人も混じっているのだろうが、その区別は私には分からない)には、ある程度の知識は持っていたが改めて驚く。

このことはさておき、これは御礼参りとさらなる御利益を求めて、富士吉田市の浅間神社の本宮に参拝。中に86歳の義姉がいるので参道を全て往復させるのは気の毒なので参道歩きは諦めて大鳥居下の駐車場に車をおく。さすがに本宮だけあって荘厳な雰囲気に包まれている。

参拝者はまばらだが、ここでも外国人が多い。しかし、忍野八海とは違い中国人は皆無。代わって英語圏の観光客が多く占める。求める対象が違うのだろうが実にはっきりとした現象と面白い気分になる。そこで、天候の回復に感謝と同時にさらなる晴天を祈願。

昼頃までこのあたりで天候の回復を願うことにして、河口湖大橋を渡り対岸へ。願った通り、確実に富士の姿は大きくなるが、逆光のため記念写真祈念撮影は苦労する。しばしたたずみ、朝霧高原から違う富士を見るために、本栖湖方面に向かい鳴沢の道の駅で一休みをしていると、係員の方から『折角だから五号目まで行かれたら』と声をかけられる。

私には、この選択はなかったので驚いたが、その方の『今なら、スバルラインは無料ですよ。この季節は御山は紅葉真っ盛り、多分この雲は途中を覆っているだけで、上は快晴ですよ。まだお昼過ぎ、ぜひすすめますよ・・・』とのこと。

これは行くべきだと瞬時に判断して、引き返す形になるが、スバルラインに入る。以前は何度も走ったが、退職以後は全くのご無沙汰。本当に、無料なのかちょっと気になったが、料金所で手渡されたパンフには11月30日までは普通自動車は確かに無料とある。

係員の助言通り、車も少なく快適なドライブである。下界を遮っていた雲の帯を抜けると、青空がまぶしく木々の色が鮮やかになってくる。終点の五号目近くになると山頂までくっきりと見える。しかし、駐車場の数が増えるに従い止まっている車が多いのには、どこから来ているのだろうという疑問が瞬時頭をよぎる。

それでも、終点まではと走らせたが、突然現れた光景には度肝を抜かれる。そこには、ずらりと観光バスが駐車。いつの間にか次々と観光バスが現れ、広い専用の駐車場はバス、またバス・・・。

自家用車のスペ-スは少し下だが、そこに行き着くのには観光バスから吐き出された人の群れに注意しながらだからかなり神経を使う。しかも、そのほとんどが、交通ル-ルなど全く無視しているのだから驚くばかり。

周りの風景も、私が知っている10年前とは全く違う。ここはどこなの?とうかがうほど世界遺産とは無縁の建物かひしめき、そこにところ狭しとけばけばしい看板が掲げているものだから、この光景を知っていたら、例え道路が無料と知っていたとしても来なかったのでは・・・と変な気持ちになるが、そこは、ホストに徹して我慢。

それでも、景色は素晴らしく、しばらくは自分だけの世界に浸る努力をするが、いやいや凄い経験をさせていただいたものである。この光景を見たら修験者たちはどんな気分になるのだろうなんて変なことを想像し、自らがこの雑踏に耐える修行者の気分を味わった小一時間・・・。

世界遺産登録で大騒ぎは結構だろう。観光関係者にとっては、中国人様様だろうが、本当にこれで良いのだろうか。富士山の世界遺産の登録は確か文化遺産登録だったはずなのにと、考えさせられた旅であった・・・。(田舎親父)

2015年10月 3日 (土)

野球とソフトボ-ルだけで満杯・・・

(昨日の続き・・・)オリンピックに参加できる選手の数を無制限にするわけはいかないことはよく分かる。そこで、今回の東京オリンピックから独自で選べる競技に出場できる人数を500人に限るという制限を設けたことは仕方ないことだろう。

それ以前に、金儲けのためだろうが、『会場独自で追加できる競技』なんて、わけの分からないル-ルを新しく作った結果、こんな混乱を引き起こしたのだから、もう好きにやってくれというほかはないが・・・。

500人という数字が多いと見るか少ないと見るかはその人の考え方になるだろうが、団体競技と個人競技と全く人数基準が違うのだから、野球・ソフトボ-ルと他の4つの技とは大きな差異がある。

高校野球のベンチ入り人員は18人。プロ野球ではこれが28人(出場できる選手は25人)になっている。野球の世界選手権でもこの数だそうだから、ベンチ入りメンバ-を25人で計算してみよう。

野球でオリンピックに出たいという国がどれだけ存在するのか分からないが、日本をのぞいて、私の知る限り、次のような国の名が頭に浮かんでくる。まず大リ-グを持つアメリカは当然として、カナダ・韓国・台湾・中国・キュ-バ・ドミニカ・オ-ストラリア・オランダかな・・・。私の記憶の漏れがあったとしても、たかだか10数カ国程度だから200近い世界の国や地域の数から比べると極めて少数である。

出場希望国を10ケ国として、オリンピックに参加(ベンチ入り)できる人数は250人。ソフトボ-ルもル-ル的には野球と基本的に同じと考えると、それだけで500人枠が埋まってしまうことになる。これでは物理的に他の競技の開催は不可能・・・。

恐らくサッカ-同様、地区予選を行うことになるのだろうが、例え出場国を6ケ国に絞り込むりとしても、盛り上がりはサッカ-の比ではない。それでも国内のオリンピック関係者は野球・ソフトボ-ルで人が呼べるとやる気満々。

それでも野球とソフトボ-ルだけで300人。すると、他の4競技からは200人、これが最大だろうことは素人の私でも十分理解できることだが、はたして、たった6ケ国でオリンピックのメダルを争う?となると、とても正常な運営形態と思えず、何だがナンセンス漫画を読んでいるような気がしてならない。

野球は私も好きなスポ-ツの一つで、毎年何度か球場に足を運んでプロ野球を観戦しているがプロ野球の魅力は、半年にものぼる総当たり戦で優勝を争うところであり、たった6ケ国では(例え総当たり戦を実施したとしても)魅力は限りなく薄くなることは疑えない。

高校野球のようにト-ナメントの一発勝負にすれば盛り上がるという意見もあるだろうが、高校野球の場合は出場が48校、1回戦から勝ち進むところが魅力であって、たった6つのチ-ムで争っては、興味は半減どころかゼロに近い。

しかし、日本人はオりピック命の多いとなると、こんな批判はどこ吹く風とばかり、実際は、高額の入場券に長蛇の列という光景も想像できるが・・・。

それ以前に、世界のマイナ-なスポ-ツである野球やソフトボ-ルがオリンピックで採用されること自体に疑義を持つと同時に、他の競技にはない、完全に男女別々の種目となると、男女差をなくすという世界の潮流から外れるのでは・・・。

いつも、つぶやいていることだが、それぞれにプロとして活躍している選手を集めて『世界選手県大会』があるのだから、アマチュアに限定という条件ならばまだしも、プロも可とした近代のオリンピックの意義はなくなっている。

となると、そろそろオリンピックをなくそうという動きがでてきても奇怪しくないのだが、金儲け命と化したIOC(もちろんJOCもだが)は、あらゆる手段を用いてオリンピックを美化し継続することは間違いなさそうだ。

東京の次の都市がより多く立候補するために、IOCはさらに開催都市独自の競技種目の枠を広げるという『エサ』まで用意している?・・・のかもしれないなんて、不遜な想像もしたくなるが・・・。(田舎親父)

2015年10月 2日 (金)

こんな競技をオリンピックで?・・・

 先日、2020年東京オリンピックで、別枠で追加できる競技種目として、国際オリンピック委員会(IOC)に提案される5種が決まったというニュ-が大きく取り上げられていた。

野球・ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの5競技18種目だそうだが、選ばれた競技団体は『メダルは確実にいくつ』だとか、『これで若者の希望が広がった』などとの喜びのコメントを出して大騒ぎ。

逆に、選に漏れた競技団体は『透明性がはっきりしない』とか『これだけ底辺が広がっていると思っていたのに、何故選ばれなかったのか理解できない』などとの恨み節が渦巻いるらしい。

私はオリンピック(特に今回の東京大会)には全く興味がないので、こんなことで大騒ぎしている団体や選手たちを冷やかに眺めるだけだが、それぞれの大会で独自の競技を追加するという方式に、(どうでも良いことながら)なんとも強い違和感を覚える。以下私の素朴な疑問のつぶやきである。

日本人の野球好きは誰も否定しないだろう。正岡子規が始めて野球を日本に紹介したことで知られているが、以後(特に戦後)野球は国民スポ-ツの代表として順調に育ち、今では、高校野球は春・夏の風物詩として定着。プロ野球は、サッカ-の台頭はあっても決して負けないだけの人気を保っている。いや最近はサッカ-が面白くないという声が高まっているというから、プロ野球人気は回復兆候があるとも言われている。

その野球であるが、世界では競技人口が少なく、スポ-ツ競技としては極めてマイナ-なスポ-ツでサッカ-の足元にも及ばないのが現実。野球とソフトボ-ルはル-ル的にはかなり共通するものらしいが、かたや男性競技、こなた女性競技との選別はななか微妙なところ。サッカ-でもラクビ-でも国際的に同じル-ルで競技しているのにと皮肉りたくもなる・・・。

空手は日本古来の武道として知られ、沖縄がそのル-ツであり、少し空手に精通した人の拳や蹴りは相手を死亡させるほどの強烈な武器だと言われている。オリンピックでは、まさか本気で戦うわけにはいかないだろうから、空手とうたいながら、『型』の美しさや力強さを競うのだろうか?・・・。何だかしっくりこないのは私の偏見かもしれないが。

また、空手は国際的に広がっているとの説明だが、私の狭い視野には『空手道場』よりも、『水泳教室』や『フィトネスクラブ』の看板の方が目立つのだが・・・。

前回の東京オリンピックから柔道が種目に入り、確かに柔道は国際的になったが、あまりにも細かなル-ルを決め過ぎているために、私の知る柔道とはかなり異質に見えて、以前、国際試合をテレビで見ていた時には、『何故・・・』という判定がかなりあり、以後、全く、柔道の国際試合には興味を示せない。私と同じように感じる人も多いのでは・・・。

スケ-ドボ-ドは最近、横浜の片田舎でも小学生の間で大人気。生意気にも1年生2年生がスケボ-で気持ちよく遊んでいる姿を目にすることから、若者にとって魅力あるものに違いない。

冬の大会でのスノ-ボ-ドは、まるで神業かと思われるような信じられないような華麗な演技が当り前。オリンピックでスケ-ドボ-ドの神業演技を見て、憧れた子どもたちが真似することは当然だろうが、雪上ではなく町のコンクリ-トの道路で、小学生たちが挑戦するとなると、またまた学校の悩みが増えそうな気がする。

スポ-ツクライミングとは、人工的に作った突起を頼りにより早く、美しく高度を稼ぐ競技になるのだろうと想像しているが、競技の場では突起の場所やその形など違いがあるだろうから、より高度・何度を求めるオリンピックとしては、国際的なル-ル作りは確立しているのだろうか。これから作るとなると、はたして間に合うのも心配である。

サ-フィンの人気が高いことは、冬場でも海岸で楽しんでいる人の多さから疑いのない事実であろう。その意味で四方を海で囲まれた日本の真夏に行われるオリンピック競技として面白いと思うが、メダルの基準をどうするのか、門外漢ながら考えさせられる。波の強さ高さも条件になるだろうから競技場所の選定も。人工施設なのか自然の海岸なのかなど、今後の課題になるのでは・・・。

ところで、どの競技を選ぶのかはJOCが決めることになっているらしいが、IOCの規定では、競技者の最大数が500人と限られているのだそうだ。一見、見逃してしまうこの条件だが、少し考えるとこれはかなり意味を持ちそうだ。

字数の関係で続きは明日に・・・。(杉)

2015年10月 1日 (木)

個人情報守秘が絶対?・・・

 月が変わって今日から10月。9月は毎年台風被害が多いことは頭の中では理解しているつもりだが、今年の鬼怒川の堤防決壊による水害被害は、被害者の方には申し訳ないが、いろいろなことを考えさせられた。

 その一つが、先日もつぶやいた『私有地堤防』であるが、私有地であれ、堤防として機能している部分を数メ-タ-削り取った太陽光発電施設の設置業者の責任は重いはず。しかし、そのことについてマスコミはほとんどスル-。何なのだろう。

 このことは、もう少し様子をみることにするが、被災後5日間過ぎても、常総市は行方不明者が15人と発表していた。そして、その翌日には全員無事になったことに、強い違和感を思えたものである。

 誰もが、この発表に良かったという気持ちになったことは疑いない。私も、全員が無事で良かったと思うのだが、知人の家に避難していたとか、極端な場合は避難所にいた人も行方不明人として数えていたというのが、何なのこれは・・・呆れる思い。

 市役所側の言い分は、『個人情報だから公開できない』とのことらしいが、行方不明者を連日必死に探す警察や消防、自衛隊員の努力は結果的に全くの無駄。それどころか、下手すれば、命の危険も省みず任務に当たった隊員や関係者の苦労は何だったのだろう。

 少なくとも、行方不明者の名前を公表していれば、『俺が行方不明?』と名乗り上げる人がいただろう。本人が新聞やテレビを見ていなかったとしても、『この人は、我が家に避難しているよ』とか『避難所で生活しているぞ』という情報がたちまちのうちに集まるに違いない。

 確かに人の名前は『個人情報』に違いない。しかし私は、災害時において、個人情報を出さないことが何より重要だとは思わない。人命が最優先になる大きな災害においては、安否情報の積極公開が優先しなければならないと思うのだが・・・。

 泥水の中を必死で、行方不明の人の姿を見つけるために活動している救助隊のご苦労には頭が下がるが、全て無事だと分かっていれば、その人手を違う救助のために回せたことも間違いなかろう。

 救助に当たった消防や警察、あるいは自衛隊員には、それなりの危険手当がでて当り前で、このことに対して疑義を唱える人はいないだろう。この手当てがいくらぐらいなのか、そしてどこが負担するかは別にしても、これらは全て国民の税金から支給されることは自明のこと。

数限りの政治の無駄から比べたら微々たるものかもしれないし、アメリカと一緒になって戦争するための戦闘機を一機減らすだけでお釣りがくるのかもしれないが、それにしても、最近大災害から続き、その度に数千人規模の救助隊となると、微々たるものとして軽く扱えなくなるのでは・・・。

 『個人情報保護法』は、本人の同意を得ないで第三者に個人データを提供することを禁じていることは私も知っている。そして、この法律には、例外事項が設けられ、『生命や身体、財産の保護に必要がある場合』は、国や自治体はそれを公表できるとなっていることも・・・。

 ならば、大災害の度に繰り返される、行方不明者の名前の公開問題。法に則って、自信を持って公表してほしいものである。

自治体が公表をためらうのは『行方不明者』という言葉が『死亡の疑いのある人』という概念があるために、被災者の身内から反発があった場合、その措置に窮するという理由からだろうと推察している。ならば、『行方不明者』という概念を変えればよいのでは・・・。

 いやそれよりも、『行方不明者』は死亡の可能性という概念を変えることが難しいのなら、安否が確認できないという意味で『安否不明者』という言葉を作れば済むことではないだろうか。

そして今後、災害発生時においては『安否が確認できない人の名前』は、公開を原則にすると政府が決断し、それをマスコミが大々的に報じれば周知徹底できるはずだと思っているのだが・・・。(田舎親父)

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