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2015年11月

2015年11月30日 (月)

悪名高い中教審がまた・・・

あの悪名高い『中央教育審議会(中教審)』が、先生の質を高めるという誰もが反対しにくい理由をつけて、教員の『養成、採用、研修』に力を入れるような答申案をまとめたというニュ-ス読んで、またか・・・となんとも暗い気持ちにさせられる。

記事によれば、答申は『先生になる前は大学』『なった後は教育委員会』という分担を超え、大学と教委が連携を強める方向で、具体化的に『全国共通の制度』にするための議論の場として『教員育成協議会』を都道府県や指定市の教委が設け、そこで大学などと教委が話し合い、共通の目標である『教員育成指標』をつくるのだそうだ。

 マスコミ各紙は、『大学と教委が対話を進めることは意義深いと』と評価しているようだがちょっと待ってほしい。

一応は『大学』と名前は付いているが、教員養成大学(学部)は、『教員になるため』をその目的としていることからに、私に昔流に表現すれば『師範学校』と位置づけている。今日的には高等専門学校とも言えないことはないが・・・。

戦後、教育体制の反省から師範学校を全廃し、教員養成を主に目的としながらも、教員免許を取得しないで理学博士を目指して博物館などの学芸員という将来も選択肢に持つ『学芸学部』だったのが、全ての学芸学部を教育学部に改めた歴史がある。

当時のことを思い出しているのだが、東京学芸大学だけは、昔の高等師範の後継というべき『東京教育大学(現在の筑波大学)』が存在していたので、名称はそのまま引き継ぎ、東京学芸大学は教育学部だけの単科大学になったことは、私の学生運動のきっかけになったことと重なりよく覚えている。

 少し解説調になったが、教育学部の卒業生が教員と採用されるためには、都道府県の教育委員会の採用試験に合格することことが条件になる。ということは、教委と大学の『対話』とはいうものの、学生を採用する側である教委の声が大きくなるのは道理だろう。

現在でも、現場で役立つ先生をと大学にカリキュラム案を示し、学生相手に『教師養成塾』的な場を教委主体で作っている自治体があることも忘れてはならない。

中教審の『教育指標』は、教員の経験年数を基準にして、初任、中堅、ベテランといった段階に分け、授業や生徒指導、学級運営などの『能力』を前提にしているようだが、単に経験年数で、このような能力が決められるわげではあるまい。

いつものことながら、中教審の背景に存在する官僚たちは、はじめから細かな『評定項目』の大筋は決めているに違いない。

なのに、曖昧な言葉を使って強引に既定事実を積み重ねるのは政権の常であるが、今回も『教育指標』という、古くからあるような言葉を使いながら、細かなことはこれから検討するという姿勢に違いない。国が作ると答申された指針は、現在の学習指導要領にさらに細かな網かけをする内容になることは想像に難くない。

子どもの置かれている環境は全国それぞれ違う。地域の状況に対応して適切な指導ができるような教員が求められるべきなのだが、国の指標という言葉で作られる新たな評価基準となると、今以上に型にはまった教員ができることは避けられない可能性が大。

国が作った指標を元に、教委は大学と話し合うとなると、文科省の考え方の先の先を読んで拡大解釈するのが都道府県教委の本質となると、国(現政権)の考えが教員養成大学(学部)の教官の発想を縛る結果になるだろう。

また、『教員の質の向上』を語る時、必ず出るのが『研修の充実』という言葉。教育の世界には昔から、『校内研修』という言葉も含めて研修という精度が大流行。

しかし、先日もつぶやいたことだが、国際調査では日本の教員は参加国中で最も忙しいという結果が示す通り、研修する時間を確保するためには、子どもとの過ごす時間を犠牲にするしかないのが現実。しかし、このことについては、文科省も教委も真剣に改善する姿勢はみられない。

私が若かりし頃の学校では、書類を作ることはさほど重視されなかった。というより、子どもと格闘する時間がたっぷりあり、子どもからいろいろと学ぶ教師が求められたものであるが、現在は、事務仕事を巧みにこなす教員が高評価を得るようになっているようにも思えて仕方ない・・・。

さらに、ある報告書によれば、教員の世界にすら、今や6人に1人が『非正規』だそうだとなると、研修が必須という考え方に立つのなら、これら非正規教員の研修の機会をどう考えているのか聞きたいものである。

質は違うことは十分理解しているつもりだが、最近は『いじめ撲滅』が教育の最重要課題にされている感がするが、『テロ』に対して、武力でと決してテロを無くせないことは明らかなのと同様、『いじめの温床』を取り除かない限りいじめの撲滅などあり得ないことが何故わからないのか私には不思議で仕方ない。分かっているはずだろうが・・・。

今の社会情勢では無理だと思うのだが、それでも『いじめの撲滅』を言うには、『いじめの温床』を見つけることは必須条件。しかし、それを見つけたくても、肝心の子どもたちと接する時間が極端に奪われている現在の教員にこれを求めるのは酷だろう。

話は大分それてしまったが、大学は、その矜持をもって、さまざまな現場に対応できる指導力豊かな教員を養成してほしいと願いたい。

加えて望むことは、大学が教育現場に質の高い学生を教員として送り出すために、中教審が現政権の代弁するような細かな指標に対して、毅然たる態度で臨んで欲しいということだが・・・。(田舎親父)

2015年11月28日 (土)

一億総活躍というインチキに・・・

先日もつぶやいたが、超右翼的な性格をますます露骨に示し始めている現政権が新たに打ち出した『一億総活躍社会』というキャッチコピ-に、『一億火の玉・・・』と言う戦前のそれを連想した人も多いに違いない。

一億何とか・・・というと、国民は何だか全て横一線に並び、号令一発で全てが決められた通りの行動を行う、軍隊の行進を思い浮かべるのは私だけではあるまいと思っているのだが、不思議なことに日本人はこの『一億何とか』という表現が好きらしく、戦後でもかなりの頻度で生まれては消えている。

現政権は『一億総活躍社会』の目標として、『新三本の矢』として、〈1〉国内総生産(GDP)600兆円〈2〉希望出生率1・8〈3〉介護離職ゼロをあげているがどれをとっても、よくぞこんな目標を恥ずかしげもなく打ち出すものだと、驚きよりもその神経を疑ってしまう。そして一昨日はその実現のための緊急会議を開いたそうだが、出てくるものは机上の空論ばかり・・・。

『介護離職ゼロ』については、先日もつぶやいたので、アホカという一言で片づけることにして、(出生率については後日に回し)私が一番苦手な『総生産(GDP)600兆円』という経済問題について考えてみることにする。

『総生産600兆円』と言われても、全くピンとこないが、総活躍の懸念材料である年金世代の高齢者のほとんどは生産活動をしていないのだから、総生産を向上するためにはマイナス要因でしかないことだけははっきりしている。

といって、(ホンネはともかく)高齢者を切り捨てることなど口にできるはずがないので、景気回復という騙しの常套手段に使うのが、低所得者にスズメの涙程の手当てを配ること。今回もその手を使うらしく、『年金受給者は、景気回復に伴う賃上げの恩恵を受けていないととらえ、給付金で個人消費を活性化させてGDPを伸ばす』と説明しているらしい。

 具体的には、2015年度補正予算案で、低所得の年金受給者向けに1人あたり3万円の給付金を配るのだそうだ。この額は過去の事例と比較しても高めだというから、ススメの涙からカラスの涙に格上げというところか。

対象者は約1000万人らしく、財源は3000億円程度となる見込みだとのこと。総務省の最近の調査では、国民の25%超の3186万人というから、ひょっとして、私にもその恩恵が及ぶ可能性がありそうだとなると、これは来年の参院選を意識した合法的な選挙違反であるバラマキ(買収)の臭いどころの話ではなさそうだ。

が、少し立ち止まって考えてみると、バラマキ的な手当でも国民年金だけで生活している高齢者にとっては朗報かもしれないが、翌年には無くなる可能性が大だとなると、消費に使うよりも万一のためと貯蓄に回すことも多いのではないだろうか。これで600兆にたどり着くとは思えないのだが・・・。

それ以上に心配なのが、貧困ビジネスという言葉が流行っている通り、貧困な年寄りやシングルマザ-などを標的に、何とかピンハネする輩が台頭している現状ではこの3万円は絶好の標的。消費はおろか貯蓄に回すなどは夢のまた夢で、これらの輩にむしりとられるのが関の山というところでは・・・。

 また、老人施設で生活をしている人も多いだろう。高齢者の3人に一人が認知症患者で,10人に一人は重度の患者だという統計すらあるそうだから、その人たちに手当てされる3万円の行方は極めて不透明。場合によったら、施設費などとしてあっさり消えることもあり得ない話ではないだろう。

 介護を要する高齢者にとって、一時的な3万円よりも日頃の手厚い介護が重要なことは小学生でもわかること。しかも、介護のために離職せざるを得ないほど介護の現実は寒い限りであるのは誰もが認めるところ。

 首相官邸は『裸の大さま』とお友だちや茶坊主たちで構成されているらしいが、その中でたった一人でも『3000億円を介護の現場に・・・』と声を上げる真の意味の『忠義者』がいないのが寂しい限り・・・。(田舎親父)

2015年11月27日 (金)

シリア情勢がますます複雑に・・・

 超英語音痴の私には外交問題などチンプンカンプンなところばかりだが、シリアの情勢には、戦争を避けて国を捨てる人たちが難民としてドイツを始めヨ-ロッパ各国に押し寄せているというニュ-スに、何とかならないものかとの思いが先に立つことから、かなり関心を持って見守っている。

シリア問題は、私はフセインという独裁者が統治していた当時のイラク同様、アサドという独裁者のやり方に対して、アメリカが気に入らないというあたりから話が奇怪しくなっているような感じを持っている。

フセインと言う独裁者をあらゆる手段で悪者に仕立てあげたアメリカは艦砲射撃の様子などもリアルタイムで全世界に放映するという映画そのもののような戦争を仕掛け、フセインを殺害。イラクを解放したと宣言したが、後に、戦争のきっかけだとされる化学兵器などイラクは使っていないことがわかったというお粗末なおまけまでついたもの。

アメリカはそんなことはお構いなしで、イラク支配を続けたことから、いわゆるテロが過激化・広域化したことを思い出す。

9・11のニュヨ-クのツインビルが崩れ落ちた映像に世界が震撼し、『テロを許さない』というのが、いわば先進諸国の合言葉となり、我が国でもこの言葉が広がったことは記憶に新しい。実際には日本人が標的になることはなかったことから、この言葉はいわばお題目として頭の中のものだけだったことが今日の情勢とは少し異なるが・・・。

テロ事件はその後も世界各地で発生し、その都度大きく報道されたが、海外のことなので、(アルジェリアの油田爆破は別にして)実感として、日本国内にテロが迫っているという危機感は余り持たずにすんできた。

ところが、去年あたりから『イスラム国』という武装集団が、国家組織を持つようになり、その残虐性が知られるようになってから情勢が一変。大型車両に乗った真っ黒な服を着た兵士たちが出てきて、彼らは『俺たちは帰ってきた。落とし前をつけに来た』とカメラに向かって宣言していた姿は生々しく記憶に残っている。

それでも、日本人の圧倒的多数は、自分とは縁のない話であり、さほど深刻な問題とは受け止めていなかったのではなかっただろうか。

この過激集団は12年前に米国が始めたイラク戦争の結果、台頭したことはイギリスのブレア前首相も認めている事実。イラク戦争がなかったら生まれなかった可能性が高いのは間違いなさそうだがそれは、『たら・れば』の世界としてつぶやきを先にすすめる。

その後二人の日本人がIS(いつの間にか『イスラム国』と言う言い方は消えたが)に残忍な方法で殺害されたことで、テロが日本人にも及ぶのではないかと言う懸念が広がり、恐怖心大きくなる。

そして、つい先日、パリで起きた惨劇に世界は震撼。改めて『テロを許さない』という言葉がマスコミによって世界標準になり、時期を同じに開かれていたG20が対テロ戦争で『連帯』を表明し、アメリカとフランスはISへの空爆強化したことは述べるまでもない。

折しも、ロシアの旅客機のエジプト上空での爆破にISが関与していることが明らかになり、ロシアも空爆に参加するという実にややこしい構図になってきた上に、つい先日はトルコ軍によるロシア爆撃機の撃墜という事件が発生、ロシアとトルコ間が俄にきな臭くなっている。

シリア国定では、ロシアが支援しているアサド政権をアメリカなどが倒すために反政府政府を支援していることは明らからしいが、ISはこれらとは全く別の組織として存在するそうだから、私にはとても想像がつかないドロドロの争いが行われているようだ。

世界の安全のために、アメリカが主導する『有志連合』が言うような武力攻撃でテロを封じ込めることができるのならまだしも、現実には絶対に無理なことは明らか。一時的に勢力を弱めることはできるかもしれないが、ISを壊滅することはできないことも誰もが認めるところ。

なのに、それぞれの関係国は自国の利益や個人的な見栄や国民の人気とりで、空爆を繰り返しているのが現実である。元々それぞれの思惑が違うのだから、今回のトルコ軍戦闘機がロシアの爆撃機を撃墜するような事件が起きてしまう。

ロシアがすぐにトルコに宣戦布告することはないと信じているが、弱腰対応と国内でプ-チンに対する失望感が生まれるとしたら・・・これは怖い。

日本の役割は、本来はアメリカに冷静になれと説得し、フランスやロシアなどに空爆を止めなさいと言う立場であり、それを世界で唯一言える国なの(だった)だろうが、現政権はアメリカさまのポチ状態とあっては、アメリカの先兵となってシリア派兵などという事態に発展しないとは言い切れない。

何の力も持たない、国際政治音痴の私には、(いつものことながら)ただ、ひたすら平和的解決を願うしかできないことがことのほか情けない・・・。(田舎親父)

2015年11月26日 (木)

政権の沖縄いじめが酷すぎる・・・

 アメリカに『ランド研究所』という軍事のシンクタンクがあるのだそうだ。最近の報告書が9月に公表されたらしく、その内容を琉球新報が報じている。しかし、大マスコミは全てスル-。私が今もっともまともな新聞だと思っている東京新聞ですらその記事がないのは、何か政府筋から圧力でもあるのだろうか。

そんなことも推測したくなるが、この機関の報告書は内容が実に分かりやすく、政治音痴の私でも一つ一つがなるほどと納得できる。

琉球新報の記事によると、ランド研究所の報告書は、中国のミサイル能力の急速な向上を挙げ、『中国の近くに配置されたアメリカ米軍基地は防御を賄えなくなるだろう』は分析しているとのことである。

このことは以前、何かの本で読んだ記憶がある。まさか、中国が本当にミサイル発射のボタンを押すとは思えないが、現在の中国のミサイルは飛距離と精度が上がり、アメリ本土すら標的可能と言われていることからも正しい分析のようだ。恐らく、沖縄の基地などピンポインで命中できるのではあるまいか。

ランド研究所の報告はこのことを、ミサイルの『脆弱性』とうい言葉で現して、1996年〜2017年の米中両国の軍事力を詳細に比較し、太平洋の米軍基地に対する中国からのミサイル攻撃について、03年まではアメリカ側が『大きく優位』だったが、10年に『ほぼ同位』となり、17年には米側が『不利』に転じると述べているというから、アメリカの危機感がうかがえる。

すでにミサイル合戦になったら、アメリカが不利だということを自国のシンクタンクが認めてほど中国の脅威は凄いことなのだろう。沖縄は、中国ミサイル射程内にあり、現在のように沖縄にアメリカ軍基地を集中させておけば、数発のミサイルで重要拠点が壊滅され、多数の犠牲が生じるリスクが高まるとまで指摘しているというから、アメリカのホンネは早く沖縄から撤退したいのかも?しれない。

もっともなことである。実際に、アメリか軍の一部は、すでにそのリスクの回避に取り組んでおり、沖縄に駐屯している海兵隊9000人をグアムはもとより、ハワイやオーストラリアなどに分散する計画を検討しているという話は以前から存在し、そのことは私も聞いたことがある。

 ランド研究所の報告内容がアメリカ軍のホンネだとすれば、海兵隊基地である普天間飛行場の県内移設は誰がみても合理性がないのは明らか。なのに、日本政府は『沖縄の負担軽減は辺野古移転意外にない』という主張を変えようとしていない。

琉球新報という(大マスコミに比べると)吹けば飛ぶような新聞社が入手しているこの報告書を、政府(外務省や官邸)が知らないはずがない。なのに、辺野古移転しかないと突き進む、何なのだろう。

本土(この言い方も変だが)の新聞やテレビは、先日の東太平洋首脳会議で、オバマは日本政府がすすめる辺野古移転について感謝の念を伝えたと報じているが、ランド研究所の報告書がオバマに届いていないのならいらしらず、そんなことは『絶対』にあるはずがないとなると、どこかで情報の操作が行われているとしか思えない。

 国は、辺野古の新基地建設をめぐり、沖縄県民の圧倒的な支持で誕生した翁長知事のやり方が気にいらないとばかり訴訟を起こしたとのことだが、まるで出来の悪い時代小説に搭乗する博徒の世界をみるような感じを受ける。

自分の気にいらない奴は、手段を選ばずつぶすという筋書きである。憲法をも適当に解釈して戦争法案を通してしまうような現政権にとって、訴訟などはアリバイ作りの一つにすぎず、恫喝に怯える司法が、沖縄の言い分をそのまま受け入れるはずがないと奢っているようだ。

これ以上の沖縄いじめは許せない。このランド研究所の報告書の内容を国民が知ったら、辺野古移転は奇怪しいと気付くのでないだろうか。

政府の御用機関に成り下がっている大新聞やNHKには無理かもしれないが、琉球新報に呼応する本土の新聞社の出現を期待するのだが・・・。(田舎親父)

2015年11月25日 (水)

『もんじゅ』の廃炉は?・・・

 先日、政府の御用機関だと思っている原子力規制委が、政府がすすめる『核燃料サイクル事業』の中心になっている、高速増殖原型炉『もんじゅ』の運営を、『ほかの組織と交代しなければこれ以上事業をすすめることは認められない』と文科省に提言したことに、裏で、これもきっとデキレ-スだろうと思いながらも、珍しくまともなことを言い出したものだと、今後の動きに注目しようと思っていた。

しかし、その後すぐだったが、政府の『行政改革推進本部』という組織が国の事業の無駄を点検する『行政事業レビュー』の公開検証を行ったというとの報道が流れ、その中で『もんじゅ』が取り上げられたとのことに何ともうさん臭さを感る。

民主党政権時代の『事業仕分け』を思い出させるような、この組織?は民主党の『事業仕分け』チ-ムとは違い、議論はするがその決定権がないと言うから、自民党による原発隠しというか、世論作りのためのアリバイ作りと表現しても差し支えなさそうだ。

しかも、その座長というか政府側の大将が、脱原発を持論としているコウノタロウ。間違いなく自民党の『原発隠し』のためのしたたかな計算が見え隠れする。

この御仁は、大臣に任命されたとたん、脱原発を基調としたフログを凍結したというから、何のことはない、自民党にゴマンと存在している『大臣病』だったのかと、何とも情けなく悲しい気分になったものである。

国の原子力政策は、原発で使用済みの核燃料からプルトニウムを抽出(再処理)し、ウランと混ぜ合わせてつくったMOX燃料を、特殊な原子炉で繰り返し利用するという、いわば、絶対に不可能だといわれている『永久機関』的な発想の『核燃料サイクル事業』。ことについては以前、なんともアホなことをとつぶやいたことを記憶している。

『もんじゅ』は、その考えを具体的に検証する原発として、発電しながら燃料のプルトニウムを増やしてくれる(増殖炉)という触れ込みで建設されたのだが、実際には、稼働と同時にナトリウム爆発を繰り返し、以来止まっているという代物。専門家に言わせれば、始めから不可能な計画であり、稼働できるはずがないそうだが・・・。

『行政事業レビュー』の公開検証で、高速増殖原型炉『もんじゅ』を運営する日本原子力研究開発機構に、ほとんど使われていない『核燃料運搬船(開栄丸)』の維持費などに年間12億円かかっていることに注文をつけたそうだが、『もんじゅ』の存続についての議論はなしとのこと。『もんじゅ』そのものをどうするという議論もなく、『もんじゅ』はいわば、話のツマにあった程度らしい。なるほどなるほど・・・。

この組織は国策の是非を問わない方針だというから、『核燃料サイクル事業』の必要性も議論の対象外だという。規制委と歩調を合わすことなどないはずなのにと思っていた通り、やはり、国民を煙に巻く役割しか与えられていないようだ。

それにしても、国のやっている『核燃料サイクル』という政策は、天文学的な金額の無駄を続けているらしく、現在まですでに12兆円が費やされていると言うから驚きを通り越して(いつもの通りだが)呆れて声も出ない。

止まったままの『もんじゅ』を維持管理するのに、一日5500万円かかるという。詳しいことはほとんど理解できないことばかりだが、『もんじゅ』は冷却に水ではなく、大量の液体ナトリウムを使う仕組みになっているのだそうだ。

 ナトリウムの融点は98℃。1700トンのナトリウムを固まらないように電熱線で常時温めておくためには一般家庭約25000世帯分の電力が必要になり、電気代だけで月1億円にもなるというから、発電できない原子炉が、膨大な電力を消費すると言うという、まさにブラックジョ-クとしか言いようがない。

 話を最初に戻すが、規制委の指摘を国はどう扱うのか注目しているのだが、原発という代物は利権の固まりであることから想像すると、『もんじゅ』の運営母体の『日本原子力研究開発機構』という組織を、表面上形を変えるだけで、『もんじゅ』の廃炉をとりあえずくい止め、その後何らかの理由をつけて延命を計る?・・・。

 何ともおぞましい話である。(田舎親父)

2015年11月24日 (火)

私なら陸路だろうな・・・

 先日、LCCに始めて搭乗したことをつぶやいたが、新幹線の運行区間では飛行機と列車との間が、利用者の獲得合戦が熾烈になっているらしい。

 その背景にあるのは、先般開通した北陸新幹線だという。開業後、小松空港や富山空港の羽田空の便利用者が大幅に減っているとのことである。空港関係者は、このままでは来春以降の減便が避けられないと嘆いているというから、かなり深刻な事態に追い込まれているようだ。

 そんなことを先日の東京新聞が伝えている。記事によると、今年4~9月の小松-羽田便(12往復)の利用客は前年同期比36%減。富山-羽田便(6往復)は約40%も減ったという。

 日本航空も全日空も飛行機を小型化したというから、先日私が利用した真ん中通路の左右3席タイプに違いない。しかも運賃を新幹線並みに値下げしているとなると、乗客の減少よりはるかに大きな減収になることは間違いないところ。

 日本航空は小松-羽田便の6便を維持するが、全日空は小松、富山とも3月末の夏ダイヤからの減便を検討しているという。しかし、これは当然予想されたことで、仕方ないと思うのだが、石川・富山両県は危機感をつのらせているのだそうだ。

 外野的には、新幹線ブ-ムで観光客は激増しているらしいから、それで良いのではと思いがちだが、自治体が維持管理を受け持っていたり、関連職業の県民も多いのだから、自治体として深刻に受け止めるのは当然かもしれないが・・・。

両県も人口が減少し過疎化が進んでいるのだから、一度減便されれば戻すことはまず不可能。この先、ますます乗客が減ると、減便に拍車がかかることは当然だろうから、ここ数ヶ月が正念場なのだそうだ。

富山県はいち早く県職員に飛行機での出張を奨励し、サポーターズクラブの企業に、搭乗回数が増えれば航空券や空港内利用食事券を贈るなど特典を拡充、石川県は職員の出張の際の利用を調べたところ鉄路68%→93%、空路31%→3%と分かり、8月になって飛行機利用を通知したというから本腰を入れて飛行機の乗客確保に取り組み始めているようだ。でも数値的にここまで落ち込んでいたらムリではないだろうか・・・。

 両県の取り組みに異議を唱える気はないが、(素人的な発想だが)新幹線と飛行機と比べて、東京と石川・富山の位置関係から考えたら、普通の感覚なら、新幹線を選ぶのは仕方ないことではないだろうか。

 九州や四国、あるいは北海道となると、飛行機の利便性を選択するが、3時間余りで目的地に到着するとなると、横浜の片田舎の住民であっても、私なら間違いなく新幹線を選ぶだろう。

 飛行機だと、まず羽田に行かねばならない。最近は搭乗手続までの時間はかなた短縮されたとはいえ、常識的には(交通手段の遅れなども頻繁なことから)1時間程度の余裕を持つのではないだろうか。

 新幹線だとしたら、東京には一回の乗り換えで、しかも時間的にも羽田よりかからず到着できる。しかも、発車時刻に間に合いさえすれば良い。乗車時間は少し長くなるが、JRの駅からの方が、接続もはるかにスム-ズとなると、飛行機を選択する余地はない。

 記事は、減便続いて路線が撤退となると、困るのは利用者だと述べ、地元、利用者、交通機関の三者で知恵を出し合いたいと結んでいるが、JR側が新幹線料金を下げたら、この競争はすぐに決着することを考えると、自治体が躍起になって飛行機の乗客増加をすすめるのは、JR側を喜ばす結果になるのではないかと思わないでもない。

 こんな考えた方は首都圏に住む人間のエゴだとお叱りをうけるかもしれないが、空路を維持するためには、JRと対抗できる料金体制を作り、空港と市街地のアクセスの整備をすれば乗客は増えることは誰でもわかることだろう。

 元々、自治体間に飛行場建設競争の意識が、狭い国土に比べて多大な空港というハコモノを生み出したととらえている。空港を作ったものの、維持管理が自治体の首を締めていることは疑いなく、今回の小松・富山料空港も例外ではないだろう。そこに新幹線が後追いで開通したのだから・・・。

ふと、先日利用した『格安航空』を絡ませないだろうかという考えが浮かぶ。到着空港が成田だったので大変な思いをしたが、羽田に着陸でき、しかも航空運賃が陸路より安ければ、乗客は殺到するに違いない。

経済音痴の世間しらずの私には、羽田の発着枠や経済効果など理解できないことが多過ぎるので、あくまで思いつき的発想になるのだが、首都圏の利益よりも地方の発展を優先する考え方で、この問題を解決してほしいものである。(田舎親父)

2015年11月21日 (土)

LCC初搭乗・・・

先月末のことになるが、若かりし頃にやんちゃな私を暖かく見守ってくれた先輩の急死の連絡を受けて、(宗教的な意味は全くないが)せめて線香の一本でもあげられたらと思いをかなえるために大分県の竹田市を訪れた。

竹田には以前仲間と出かけたことがある。その時は、日程など全て人任せ、送られてきた計画の中に、『ソラシ航空』という文字を見つけて、『何なのこれは・・・』と不思議な気がしたもの。

幹事役の友人の話では、『俺もよく知らなかったのだが、仲間がこの航空会社なら代金が半分以下になると聞いたから選んだのだ・・・』とのこと。それまで、JALかANAしかないと決めつけていたわけではないが、ついついどちらかの飛行機を選ぶのが習慣になっていたことを悔やんだことを思い出す。

そんなことがあったので、インタ-ネットで『ソラシド航空』のチケットを予約するが確かに安い。普通に購入すると3万8千円。2ケ月前の予約でも1万3千円のところ空席があれば一月前でも1万円と少しというから、一体航空代金はどうなっているのと改めてその謎に首を傾げる。

そんなことから、帰路には今評判の『格安航空機(LCC)』が利用できないかと思い立ち、ネットで調べたら『佐賀・成田5千円』とあるではないか。成田は遠く帰宅するのは大変だが、話題として利用してみるのも面白いと思い予約の手続きに入る。

LCCの料金は曜日と搭乗時刻、さらに乗客数によって違うことは何かで読んだことがあるので知っていた。選んだ日が日曜日だったので、ひょっとしてかなり高いのかなと思ったが、画面の数値は7千円余。

というわけで、始めて『春秋航空』という佐賀空港(四国の高松空港路線もあるらしいが)と成田空港を結ぶ便に搭乗してきた。今日はその感想を・・・。

佐賀空港は以前一度だけ利用したことがある。有明海に面しただだっ広い場所にぽつんと空港の建物があったような記憶があったが、風景は今回も余り代わりばえしなかった。ただ道路などは広く整備されていたことは、当時と比べものにならないが・・・。

その日の同時刻に佐賀県の高校の駅伝大会とかち合い、(佐賀県警だろうが)警察官の誘導が極めて不親切だったことで空港に到着するのにかなりのロスがあったが、このことは今回の搭乗機とは関係ないので省略する。しかし、些細なことかもしれないが、こんなことが佐賀県の評判を落とすことは間違いないことを一言付け加えておきたい。

昼食は空港のレストランで郷土料理でもと呑気に構えていたが、時間的ロスも重なり、ただ一つだけある食事どころ(全国チエ-ンの外食店)はLCC利用客で溢れて順番待ち(その日は満席)。20分ほど待って、何とかありつけたが、郷土料理どころか、ありふれた料理で名前も忘れてしまった。このあたりも佐賀県は改善の余地がありそうだが。

往路の羽田空港では、ソラシド航空ははANAと共同運行しているとは言いながら、バスで長々と揺られてやっと搭乗できるほど格下の扱いだったが、佐賀空港ではLCCといえど普通の搭乗口から乗り込める。

機種が少し古く小さい(真ん中の通路をはさみ左右3列・これは往路も同じ)だけで、大手二社の乗り心地と大差は覚えない。飲み物などのサ-ビスは全て有料らしいが、これは何故こんなサ-ビスがいるのだろうと思っている私には、全く不要なものだから気にならない。

離着陸も何の問題もない。これはソラシド航空も同じで、JAL・ANAと比べてむしろ上手いのではと思うほどスム-ズだったことも付け加えておこう。

問題は成田空港である。かなり以前になるが、LCC専用の発着ビル(ロビ-)を完成させたというニュ-スがあったが、そこに降り立ったらしく私の知っている成田とは全く違うのに驚く。成田は中国旅行で何度か利用したことがあるが、国際線到着ロビ-だったのですぐに電車やバスの乗り継げたが、到着ロビ-から歩いても歩いてもなかなか行き着けない。(後で確かめると、バスに乗るような表示があったらしいが・・・)

羽田では当り前にある『動く歩道』もない。階段もいくつ昇り降りしたのかすら忘れるほど。あらかじめ調べておいたJRや京成のダイヤは全く役に立たず、結局はバスで中山に帰ろうと決めたのだがチケットを購入する場所がわからない。何とか購入でき、ギリギリで飛び乗れたが、以前のようにバス乗り場で購入できるシステムに戻すべきだではないだろうか。

始めての経験なので仕方ないのかもしれないが、これは不便と言うより、年寄りが利用するには余りにもきつい。このあたりがLCCが若者向け・健常者向けと言われる所以なのかもしれないが・・・。

もう一度、成田を利用してLCCを使うかと聞かれたら、空港内の設備さえ整ったら考え直すだろうがこのままでは『否』と答えるだろうと思うのだが料金的には比較にならないほど安価となると、その時になってみなければわからないとしか言えないのが正直な気持ちである。

ソラシド空港はANAと共同運行というから、格安航空の中には入っていないようだが、同じ飛行機を使って、搭乗口が違うだけで料金に差があるのも世間知らずの私には不思議としか思えない。

ソラシド航空のように搭乗するのにバスを使う程度の差で、多くのLCCが羽田空港を利用できたら、全体的に航空運賃はかなり格安になるのでは・・・と考えさせられる初体験であった。(杉)

2015年11月20日 (金)

廃線は仕方ないと思うものの・・・

 4年前の3・11の東日本大震災で土砂が線路を覆い、復旧が不可能と判断されてJR東日本が岩手県の『岩泉線』の廃止を決めたというニュ-スが流れたのは昨年のことではなかっただろうか。

数百億円もの復興費をかけて、元通り運行させても採算が合わないどころかJR東にとっては大きな負債を抱えることになるということは経済音痴の私でも十分理解できる話であるが、だからと言って廃線にしてしまったら、この地域はますます過疎化が進むことが確実。ガッカリした記憶がある。

その後にすぐに、北海道のJR北海道の『江差線』の一部が廃止という報道に、仕方ないのだろうなと思いながらも虚しさを覚えたもの。さらに、今年に入ってから、不祥事の連続で経営を再建中のJR北海道は、『留萌線』の一部も廃止すると表明。このままではどんどん廃線のニュ-スが続きそうだと暗い気持ちになったことも・・・。

そんな嫌なニュ-スを意識的に忘れかけていたところに、今度はJR西日本が『三江線』の廃線を検討しているとい記事に出会う。『三江線』などと言う名前は聞いたことがないが、注釈に『三次市島根県江津市』とあるので、命名のいわれを知り、だいたいの地域を知ることができる。

この問題で、三次市が住民説明会を開いたと言う記事である。三次市長は『沿線6自治体が一体となって存続に向け努力する』と話し、住民からは『ぜひ存続で頑張ってほしい』と市長に期待する声が上がったというが、参加住民がたった20人余となると、この声がJR西日本の上層部に届くかどうか疑わしくなる。

国鉄が分割民営化された時点で、大幅な赤字路線の廃線問題は予測できたこと。ドル箱である東海道新幹線を持つJR東海は、強気な経営で莫大な利益を計上していることは誰もが知っている話で、国の援助などいらないと強気の姿勢を全面に出して、東京名古屋間のリニア新幹線構想をぶち上げ実際に動き出している。が、それでも赤字路線を多数抱えているという。

ましてJR北海道やJR四国となると、それぞれ経営努力はしているのだろうが、営業範囲の絶対人口が少な過ぎることは自明のこと。その地域を旅行していて思うことは、都市部以外で列車と遭遇すると、驚きが先になり何とも儲けたような気分になることはよく経験すること。

それほど運行本数が少ないと言うことだろうが、経営が安定しているといわれているJR東海や東においても、(前述した通り)過疎地域(極端な赤字路線)を抱えているので根本課題は共通しているようだ。

 JR各社は基本的に、新幹線や都市部の稼ぎでローカル線の赤字を埋めていることはで姪のことだろうが、人口の減少が首都圏ですら起きているほどだから、地方の過疎化の波はますます勢いを増し、廃線問題は日本中何処でも起こり得る。

 特に、大都市圏以外では人口減に歯止めがかからない限り、路線廃止の流れは避けがたいだろう。その上、近年異常気象が日常的になり、毎年のように山あいや海沿いを走る路線の被害が伝えられるとなると、それをきっかけに廃線とする動きも進むことは十分考えられる。繰り返すが『岩泉線』はその典型だろう。

JR西日本の説明では『三江線』の乗客は1日平均183人だという。100kmの路線としてこの人数では、年10億円近い赤字ということも大げさではなさそうだから、廃線を言い出すのも当然だろうなと納得したくなる。

 しかし、183人とはいえ、利用している住民にとっては、死活問題に違いない。運転免許と車を所有している人たちは、すでに列車など利用していなだろうが、高校生は通学に利用しているだろうし、老人たちも病院への往復にはなくてはならない足だろう。

 しかし、実際に運行している列車は全路線で一日17本だそうだ。午前に列車が出ると夕方まで1本も来ない駅もあるというのでは、利用者にとって何とも心もとなく、ついつい車を利用してしまうことは当然の理だろう。

民間企業である以上利益を追求するのは仕方ないだろうが、廃線を言い出した時に必ず言われることは、乗客を増やすためJR側が利便性を高める努力をどこまで尽くしたかということ。その場合、最初のボタンのかけ違いが問題を複雑にして、なかなか住民の同意を得られず、トラブルに発展することが多いようだ。今回も、たった20人とはいえ、説明会に参加した人が納得する回答があったのかは気になるところ。

183人が1000人なったから赤字が解消するとは決して思わないが、これから廃線問題が起きそうな路線は数多いと言うから、JRとしてはスム-スに廃線をすすめるために、日常的に利便性を高めて、沿線住民が利用しようとする意欲をしている姿勢を示すことが重要になりそうだ。それも地域住民と一体となって・・・。

『乗客がいないから本数を減らす』のか『本数が少ないので乗らない』と、まるで卵が先かそれとニワトリが先かの、実のない論争になりそうだが、明治以来、鉄道が交通の主役で『地域のシンボル』だった事実を互いに認め合い、工夫を加えて何とかこれ以上の廃線がでないことを願うばかりである・・・。(田舎親父)

2015年11月19日 (木)

老人の性犯罪が増えているらしい・・・

法務省が発表した『2015年版犯罪白書』によると、高齢受刑者が始めて全体の1割を越えたとのこと。これだけ老人が増えたのだから仕方ないかなと思う反面、やはり多くの年寄りが不満を抱えている現れではないかという見方もできそうだ。

そのことを伝える記事によると、昨年1年間に刑務所に入所した2万1866人のうち、高齢者(65歳以上)の占める割合が統計を取り始めた1991年以降初めて1割を超え、2283人となったとのこと。これは凄い・・・。

中でも、高齢者の性犯罪が激増しているというのが気になるところ。白書が今年特集した性犯罪の動向で、高齢者の検挙者数は30年前に比べ『強姦(こんな言葉を法務省が使っているのかと疑うが)』で7.7倍、強制わいせつで19.5倍に増加しているとのこと。その反面、少年の占める割合は低下しているので、犯罪状況にも少子高齢化が反映していると表現している。何だか違和感があるが・・・。

我が国では高齢者が全体の25%を越す超高齢社会になっていることを思うと、刑務所に入るような犯罪者の1割という数字は、ある意味そんなものかなと納得するが、91年には総数2万1083人に対し274人で、わずか1.3%だったというから、これは確かに異常な伸び?である。

半世紀で約100倍。90年というと私はまだ50歳代に届いていないので、今日のように高齢者問題が深刻に受け止めていなかったが、それ以後、自分が歳をとると比例するかのごとく、社会全体が高齢化。そして、この話題が俄然緊急課題として浮上してきたことを思うと、犯罪に手を染めなければならない高齢者も増加したのだろう。

そこまではわかるとしても、増加した犯罪の多くが性犯罪だということが繰り返しになるがひっかかる。『性犯罪』について、法務省は08年7月から1年間に懲役刑が確定した1791人を対象に罪名や被害者の年齢などを元に、単独強姦▽集団強姦▽強制わいせつ▽小児わいせつ▽小児強姦▽痴漢▽盗撮−−の7タイプに分類して動向を調査し高齢者のかかわる傾向を分析したとのこと。(これも凄い分析であるが・・・)

 事件当時の年齢は、単独強姦の50%、集団強姦の80%を29歳以下が占めたというのは当然だろうが、小児わいせつは45%、痴漢では50%が40歳以上だったというからこれは考えさせられる。

 この項目に65歳以上の高齢者の占める割合はないが、40歳といえば昔なら不惑の年代。それがこんな『アホな犯罪』を犯すとなると、確実に何かが狂い出していると言っても過言ではなさそうだ。

 職業別でも、この種の犯罪は有職者が6〜8割で無職者や学生よりも多かったという。有識者と無識者という線引きの基準が曖昧なのが気になるが、『学歴別では、痴漢と盗撮では大学進学者が3割以上となるなど、他のタイプに比べて高学歴者の割合が高かった』という文言から、法務省としては『有識者』というのは『大学卒業者で社会的に地位が高い職業に就いている者』を指しているようだ。

 確かに昔から、警察官や小中高の教員の性犯罪は時に耳にしたものだが、最近は大学の教官、あるいは検事や裁判官などが、盗撮などで逮捕されるという事件も稀ではないとなると、この人たちの環境に変化が現れていることはは間違いなさそうだ。

 そしてもっと深刻なことは、判決確定後5年間の性犯罪での再犯率は、痴漢と盗撮が特に高く、それぞれ約30%だというから、3人に一人がこの種の犯罪を繰り返していることになる。そして、この傾向はデ-タからも初犯では40歳代が多いことから、繰り返しこの種の犯罪で検挙される高齢者が増え続けることも十分あり得る話だろう。

最近は、スマホが年寄りでも当り前となると、無制限にさまざまな情報が手軽に入手でき、中でも性的な情報に刺激され、好奇心から実際に行動に移す高齢者が出てくることは考えられないことではない。

私のように横浜の片田舎で、自然相手に仙人的生活を楽しんでいる者にとっては全く場違いな話題であるが、年寄りが急激に増えることに起因する本来の高齢者問題に加えて、質の違う問題の出現に戸惑う昨今である。(田舎親父)

2015年11月18日 (水)

就活時期が毎年変わるのは・・・

 『性教育』や『道徳教育』などは昔からある言葉であるが、かなり以前から『食育教育』とか『キャリア教育』などと、あらゆる分野の言葉の後ろに『教育』という言葉をつけて、一つのジャンルにすることが当り前になっている。

このことについては何度もつぶやいているが、最近はこの『〇〇教育』という言葉には飽き足らなくなっているらしく、〇〇のあとに『活動』という言葉をつけることが大流行。

さらに、文字を略して『〇活』という言葉が氾濫している。『結婚』をすすめる活動を『婚活』あるいは、『就職活動』を略して『就活』というのは、普通の日本語として地位を確立したかのように、大新聞の見出しにも使われる何とも変な時代になったもの。

先日も『就活日程見直し 採用制度もっと柔軟に』という社説に、私自身が違和感をあまり覚えなくなっていることに驚くと同時に、毎年のように就活時期を見直していることに、大学が企業に就職するための予備校化になっていることに対して、大きな違和感を覚える。しかも企業の論理で進んでいることに・・・。

毎日新聞の社説であるが、先日経団連が2017年春入社の学生への面接開始を前年の8月から6月に早める方針を発表したことに対して、『大卒者の就職活動のルールが、わずか1年での変更に混乱は避けられない』と危惧感を現したものと受け止めている。

ここ数年、電車に乗る機会がめっきり減ったこともあって、明らかに就活途中の学生だと思われる(いわゆるリクル-トス-ツ)姿と出会うことが少なくなったが、それでも、猛暑にもかかわらず、就活だとはっきりとわかる彼ら・彼女らを目にすると、個性・個性と言われる社会なのになんとかならないものだろうかと思うことしきりである。

社説によれば、2年前に面接開始を以前の4月から8月にしたのは、大学側と現政権の要請だったらしい。確かにそんなことがあったと思い出すが、『グロ-バル』という言葉が大好きな現政権は、『学生が学業に専念できるよう』とか『グローバルな人材確保に向け、海外の大学の6月卒業の留学生も就職活動に間に合うように』というねらいで、政治的に押し切ったような記憶がある。

8月開始を本当に大学から言い出したのか疑わしいが、4年生の1学期は『卒論』のテ-マを決める重要な時期であり、『学業に専念できる』ためという理由はもっともだと思いたい。しかし、そのために暑い最中の就活を大学側は『是』としていたのだろうかと、今でも疑問も持っているが・・・。

ところが蓋を開けてみると、弊害は大きかったという。売り手市場の中で、一部の企業が面接時期を早め、外資系や中小企業で早くから内定を出すケースが目立ったというから、8月解禁という約束は経団連内だけに通用していたことのようだ。

どの企業にという具体的な記述はないが、8月1日時点で学生の7割が内定を得ていたらしく、実際に就活が始まる8月になって、内定を出していた学生から入社辞退にあった中小企業が続出となると、就職市場の混乱は極まったというところ。

 学生側にとっても、私が見た光景のように猛暑の中、リクル-トス-ツで走り回ることは苦痛だったとブ-インクが相次いだということからも、経団連は就活の解禁を二ヶ月前倒しにすると発表したのだろうが、これも全て企業のご都合では・・・。

 この決定に対して、大学団体などで構成する就職問題懇談会は、6月は公務員試験もあって学生の日程はきつく、海外留学中の学生はハンディを負うとの理由から、日程変更は拙速だと反対しているらしいが当然だろう。

 社説は、もはや4月入社の『一括採用方式』が時代遅れとの指摘もあるが、若者の失業率が欧米より低い要因とも言われる4月入社を考え直し、その上で『一斉に面接して選ぶ手法に問題はないか』と疑問を投げかけている。

面接で課題解決能力などは見極めにくく、面接対策本やセミナーなどもあり、優秀な人材を『演じる』と述べ、最後に『学生と企業の出会いは、もっと多様であるべきで、企業は効率性ばかり重視せず、柔軟な制度で人材確保を進めてほしい』とまとめている。少し具体性に欠ける嫌いはあるが、主張としては納得できる。

就職のための活動など全く経験が全くない私には、あまりピンとこない話題であるが、厳しい『就活』を勝ち抜いて、大企業に入社しても数ヶ月で離職する若者が多いということをよく耳にする昨今、この問題は考えさせられる。(田舎親父)

2015年11月17日 (火)

いじめが9割解消?・・・

 先日、何気なくネットで面白い話題を探していると、西日本新聞の記事で『いじめ9割解消・・・本当か?』という見出しにぶち当たった。これは見逃せない。

 『被害女性の苦しみ』という副題がついたこの記事によると、文科省か今年の10月、2014年年度に全国の小中高校などで認知されたいじめのうち、その後になくなったことを示す『解消率』が88.7%に上ったと発表したという内容に、思わずゲッ-と叫んでしまった。

 添付に沖縄をのぞく九州各県の認知件数と解消率を示す表が掲載されている。認知件数が8637件と一番多い宮崎県では解消率91.1% 、一番少ない佐賀県は認知件数283に対して、解消率は89.4%。他の5県も認知件数3~5千件に対して役90%とほとんど信じられない数値が並んでいる。熊本県に至ってはほぼ100%解消しているというから、どんな調査なの?と素朴な疑問・・・。

 それ以前に、同じ九州において、宮崎県と佐賀県ではいじめの認知件数がこんなにも違うこと事態信じられない。

先日、岩手県と大阪の中一の男子児童がいじめによる自殺したことを受けて、文科省が異例の調査のやり直しを求めたことをつぶやいた。10月に集計するとのことだったが、今回の記事の数値は昨年度のこと。昨年、この報告をうけた時点で、文科省の担当部署は疑問に思わなかったのだろうか。実に不可思議で変な話である。

さらに沖縄件の数値がないのも気になる。まさか、文科省が意図的に沖縄を外したとは思いたくないが、普天間の辺野古移転問題で国の『沖縄いじめ』が顕著になっていることから何らかの理由があることも考えられないことでもなさそうだ。

 それはさておくとして、副題にある『被害女性の苦しみ』として、過去のいじめで心を病み、大学を休学中だという、熊本県在住の19歳の女性が『そんな簡単になくなるはずない』と訴えている事例を掲載している。
 記事には、この女性が過去にいじめられた実態が掲載されている。このことはここではあまり重要でないので割愛するが、文科省の発表したこれらのデ-タについて、あまりにも基準が曖昧過ぎることには唖然とする。

 文科省の『いじめ』の定義が、『嫌がることをしたりされたりすること』だとすると、佐賀県の1年間で300件弱という数字は少な過ぎる。今回の調査やり直しで、各県のバラツキは少なくなったと想像しているが、佐賀県と宮崎県では『いじめ』だとされる基準が違うことは間違いなさそうだ。となると、当然ながら解消基準も違ってくることは想像に難くない。

 文科省によると、どんな状態を『いじめが解消した』とするかの判断は、都道府県ごとに異なるとサラりと受け流しているらしいが、基準が異なるデ-タに何の意味があるのだろう・・・。むしろ、県民の疑心暗鬼を招くだけではないだろうか。

九州で最も解消率が高い熊本県は『被害者が心身の苦痛を感じなくなった状態』とするとのこと。そして最も低い長崎県は『被害者と加害者と双方の両親が解消と認めた場合』としているというが、長崎県教委はいじめに対して、子どもはもとより両方の親との間を取り持っているのだろうか?。しかも全ての事例に・・・。

さらに認知件数が九州最多の宮崎県は、『アンケートである程度の期間を観察して見極める』とあるが、これでは、誰がどんな基準なのか具体性は全くない。

バラバラな基準で集計したいじめ案件が、これまたバラバラな解消条件での報告で、解消率が90%前後とほとんど変わらないのも納得しかねる。

まさか県教委や学校は達成率競争において、文科省に報告を出す手前、互いに連絡し合ってデ-タを操作しているとは思いたくないが、認知件数がこれ程違うのに達成率はほぼ同じとなるとなんとも変な気持ちになるのは否めない。

私の持論であるが、『いじめ』という言葉の定義は別にして、子ども同士のトラブルはあるのが当り前で、このトラブルを子ども自身が解決することによって成長するのだが、文科省・教委・学校、そして保護者までもがこぞって全てトラブルを全て『いじめ』という言葉で表現し、自分で解決するという成長の糧を摘み取っているごとく、とにかく『トラブル=いじめ』を避けさせるということに汲々としているように思えてならない。

自分で努力し、それでも解決できない時に親や教師に相談できるとうい環境作りをするべきであって、全ての子どもにとってトラブルを未然に防ぐ(温室環境)整えることが『いじめ』をなくすことにはならないと強く主張したいもの・・・。

それ以前に、子どもの本物の関係を構築している教師にとっては(いじめの話題で良く問題にされる)『プスレスゴッコ』なのか、『意識的な暴行』なのかは一目で判断できることであり、そんな教師を育成することこそ教育改革の大元にすべきである。

そのための最低限の条件は、教師自身の『ゆとり』であることは、経験的に確信できることである。(田舎親父)

2015年11月16日 (月)

これは酷い・・・

 NHKの午後6時からの『首都圏ネットワ-ク』という番組で、もう何年も前から毎日『私は騙されない』というコ-ナ-で振り込め詐欺に対する注意を呼びかけている。

 その日のキ-ワ-ドを示して、女性キャスタ-が具体的な振り込め詐欺の事件経過を説明しているのだが、いつも思うことながら、毎日繰り返して『気をつけよう』と呼びかけているのにもかかわらず、何故騙されるのかと思いたくもなる。

キャスタ-が必ず毎日口にすることは『少しでも変だと、すぐに警察へ相談・・・』という言葉である。警察も当然この番組を観ているだろうから、電話があったら丁寧な対応をしていると思いたい。

詐欺クル-プがよくもいろいろな手口を感心させられるが、それにしても、ほんの少し考えれば奇怪しいと思うのが普通ではと、繰り返し騙される人が出ることを不思議だと感じている。しかし反面、認知力が落ちている高齢者にとって、とっさの判断が難しくなることも理解できないこともなく、私も気をつけなければと考えさせられることも度々ある。

そんなことを思っているとつい先日、相談された警察が勘違いで何もせずに、200万円をだまし取られるという記事に、これでは多くの視聴者に、折角NHKのキャスタ-が呼びかけていることが何の役にもたたないのではという疑念を持たせるのでは・・・。

記事によると、このトンマな警察は埼玉県警の草加署だという。市内の77歳の男性宅に振り込め詐欺の電話があり、男性の息子から『父親が被害に遭いそうだ』と110番があったとのこと。

これを受け、署の交番勤務の2人がすぐに現場に向かうことになったそうだが、ここまでは当り前の筋書き。だが、交番勤務の20代の巡査が、署にいる50代の警部補に無線で『ミニパトカーで行ってもいいか』と聞くと『大丈夫』との答えが返ってきたという。

この応答に20代の巡査は『大丈夫』という言葉を『現場に向かわなくて大丈夫』という意味だと誤解したというから、まさにアホカという話。なんとも情けない。質の悪い漫画か三文小説の中の、警察の無能ぶりを面白おかしく描いている一場面のようだ。

結局、77歳の男性は息子の同僚を名乗る男に自宅付近で200万円の現金を手渡し、息子が2時間ほどして,草加署に『どうなったのか』と電話し、署員が現場に行かなかったことが判明したのだそうだが、そんなことが実際にあるとは誰も想像しないのではないだろうか。

交番の2人と同署生活安全課長が、男性と息子に謝罪したのは当然だろう。しかし、署の警部補というから、この警部補は交番勤務ではなく、当時交番には巡査ともう一人の交番勤務の警官がいたことは間違いない。

警察署の人事については全く疎いが、複数の警察官が常時勤務している交番は、ベテランと若手の組み合わせが普通だと聞いているのに、それが事実だとしたら、ベテランの警官も『行かなくて大丈夫』だと受け取ったのだろうか・・・という素朴な疑問が残る。

記事の終わりには(定番になっている)草加署の〇〇副署長は『通報の連絡が徹底されていなかったことは誠に遺憾。指導を徹底し、再発防止に努める』とコメントしたとあるが、こんな重要な案件に対して、署長ではなく副署長というのも違和感を覚える。

うがった見方をすれば(時に読む警察小説でないが)この署の署長はキャリアの30代そこそこの警視だとしたら、汚点を残したくないという配慮が警察組織の内部にあるのではないだろうか。となると、警察の謝罪も何となくうさん臭く感じるが・・・。

続報は期待できないが、二度と同じようなミスの報道がないことを願っている。(田舎親父)

2015年11月14日 (土)

いじめ自殺が止まらない・・・

 以前から気になっているが、いじめによる自殺報道がずっと続いている。特に最近報じられる『いじめを苦に自殺』記事は、保護者も学校も『何故?』と思っているような書き出しで始まり、アンケ-トをとると周りから事後提供のような情報が集まり、学校も教委も自殺と後追いで断定するという経緯があるように思えてならない。

 名古屋市の中一男子生徒が、いじめに苦しんできたことを書き残し、自ら命を絶ったとされる事件もその通り。

 当初学校側は、それまでのアンケートなどで『いじめは把握していない』としていたが、市教育委員会が緊急に校内アンケートをし直したら『20人が生徒へのいじめを見たと答え、57人が本人以外から聞いたという』結果から、自殺と断定したとのことである。教委のアンケ-トでは本人から相談を受けた生徒もいたというが、ならば、そのことを親や教師に何故伝えなかったのか、こちらの方が気になるところ。

 学校のアンケ-トは記名、教委のアンケ-トは無記名だったということも、私にはひっかかる。この学校では、いじめを調べるために、何度もアンケ-トをとっていたのだろうか?・・・。

 その結果、『記名だと、あとで追求されると面倒だ』という意識が生徒に蔓延していたとしたら、教師と生徒の信頼関係はすでに失われていたとしか思えない。事後に教委が同様なアンケ-トを無記名で実施したら、『実は見たことがある』というのではあまりにも寂しい。実際に見たいじめが、自分では耐えられないほどだったのかという疑問も生まれる。

 嫌がるような行為をしたりされたりすることが『いじめ』だという文科省の定義に従えば、(大人の世界でも日常的に起きている)生徒同士の仲間はずれもれっきとした『いじめ』であることは違いないが、それが原因で自ら命を絶つという行為に進んでしまうところが恐ろしい。

実際のいじめ行為の程度は知らないので、時代遅れとお叱りを受けるかもしれないが『いじめ』が騒がれるようになる以前では、仲間外れにあったからとか無視されたから『自殺』など考えられなかったのではなかっただろうか。

以前から、現在でいう『いじめ』という定義が正しいとすれば、『いじめ』と日常茶飯事であったということは経験上自信を持って断言できる。

 『上履きを隠された』という事件には少ないながら遭遇したことがある。当時でもこれは大事件で、朝の職員打ち合わせで学校中の話題にし、その日のうちに全児童に大変なことだということを伝え、『二度と起きない・起こしてはならない』という意識を植え付けたものである。

 上履きを隠された児童は当初はショックをうけたものの、繰り返されないこととから徐々に日常生活を取り戻していたことも思い出す。恐らく(これは私の推測だが)隠したことがバレたら大変とばかり、反省して、その種の行為を繰り返さなかったのはないだろうか。

 何故、こんな簡単なことができないのか。嫌がることをする・されること全てが『いじめ』であるという定義に学校があまりにも振り回されているのではないだろうか。その定義に従って『いじめのアンケ-ト』をとり、その結果に一喜一憂。

子どもから見たら、この定義で『いじめをしたことがある』という質問に、『ハイ』と答えたら、間違いなく教師から呼び出され『誰にどんなことをした・・・』などと追求されることは間違いないとなると、『いいえ』と答えるに決まっているだろう。

反対に『いじめられたことがある』と答えても、教師の対応は同じとなると、こちらも『いいえ』と答えることは想像に難くない。

 いじめによる自殺とされる事件では、『子どもの耐性』を話題にすることはない。文科省もマスコミも、極端にこのことをタブ-視しているように思えるのだが・・・。

 学力テストに力を注ぎ、体力増進には気合を入れているが、『忍耐力』という言葉が誤解を招きやすいこともあって、最近の学校の教育目標にはこの言葉を見つけることが難しくなっている。

 あくまで私の独りよがりの推測であるが、いじめを受けて自殺を試みる児童・生徒は比較的恵まれた家庭に育ったのではと思うことがある。一人っ子か性が違う兄弟が他に一人、同性の兄弟喧嘩など経験したことがないのでは・・・。

 親はなに不自由をさせたくないと、困らないように先回りして、相談することもないほどの環境を整える。子どもの親の困った顔を見たくないとその環境を無条件に受け入れ一見のびのびと育つ・・・。

 教師は子どもとじっくり接することが本務であるのに、テストの点数をあげることが大事だとされる時代では、子どもの内面の悩みを見抜く能力を経験として身につけることが難しくなり、ついつい上辺の指導になってしまっては、子どもからのSOSの信号も(あってはならないことだと言うのは簡単だが)見落としになるのもある意味仕方ないのでは・・・。

 そんな時、ずっと恵まれた環境で育ってきた子どもが、何かの手違いでからかいの対象になったとしたら・・・。相談したくても、できない。親や教師は相談の対象外、同性の兄弟もいないとなると分かってくれる人はないとあきらめると同時に、ゲ-ム感覚が内在して、死と言うものがひょっとしてリセットできるのではと思って首をつったり電車に飛び込む・・・。

 このことについては、長くなりそうなので別の機会に回すとして、自殺した児童生徒を鞭打つわけではないが、学校はもとより社会全体として、自分に自信を持って、多少のことには動じない気持ちの強さを育成することが必要ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2015年11月13日 (金)

解党を言い出したぞ・・・

 国民が悪いのか、それとも自民党の戦術が勝ったのか、さてまた民主党の裏切りなのかは別にして、先の衆院・参院選挙では自民党の一人勝ち。圧倒的な数の力で、一党独裁政権になってしまい、今や何でも思いどおりでできる・・・という奢り高ぶりを許しているのが腹立たしい限り・・・。

 あきらかに憲法違反だと多くの憲法学者が指摘しているのに、国の安全を受け持つのは我々自民党であるとわけのわからない理屈をつけて、強引にアメリカと一緒になって世界中いかなる地域にでも自衛隊を派遣できる法案を通してしまったことは、その驕りの典型の一つだろう。

 あまりにもやり方が汚いので、国民の70%以上が奇怪しいと反対の意思を現したことも無視し、『いずれ我々のやっていることが評価される時がくる』などとほざいているのも許し難い。

世論は今でも国民の過半数は戦争法案に反対しているとなると、このまま来年の参院選になれば、常識的には自民党の惨敗という筋書きが描けるはずなのに、自民党に焦りはなさそうだ。

それは、現在の小選挙区制度では各政党がそれぞれ候補者を立てることが大元にある。民主党に不信感を持つ国民が圧倒的だとなると、反自民層の票が分散し、結果的に自民党の一人勝ちを許しているのは誰の目にも明らか、これが、自民党の強気な態度としてとして現れているのだろう。もっとも、自民党が数の力で小選挙区制を強引に定着していることも・・・。

何度もつぶやいているが、現政権(『裸の大さま』そのものの首相と取り巻き連)が続けば、戦争に巻き込まれることはもとより国民にとってトンデモ社会になることは、政治音痴の私でも痛切に感じている。

そのためには、何としても(手段を選ばずに)自民党の議席を奪うことしかない。具体的には、共産党が提案しているように、野党統一候補を立てて、自民党候補者との一騎討ちすることしかないと思うのだが、民主党の中には極端に共産党を嫌っている部隊が多く存在することから、なかなか前に進まないようだ。

共産党という政党は私も好きではないが、共産党の今回の提案は実に分かりやすい。今更暴力革命を目指しているとはとても思えないので、ほんの少し共産党の方針を真面目に検討すれば、少なくとも野党議員の数を増やすしか方法がないことは、超がつく政治音痴の私でもわかる理屈である。

先日は共産党の書記局長が『野党間の合意がなされた場合は、選挙区によっては候補者調整があり得ると幹部会で決めている』と、民主との調整が付けば既に擁立している候補者を降ろすと明言しているのだから、民主党の執行部は一歩踏み出してほしいもの。

マスコミ報道によれば、オカダ代表は共産党の提案に前向きだという。しかし、党内の保守勢力の力が強く、共産との協議に強く反発し、共産党の委員長との2回目の会談すら開けないというから、コリャダメダ・・・というところ。

ところが、一昨日の報道では、民主党の保守勢力の代表格のマエハラとかホソノという輩が、代表に『民主党の解党』を迫ったというから話は面白くなりそうだ。

解党などという手続きをとらず、勝手に出ていったら党内はすっきりするのだろうが、政治資金というわけのわからないカネを欲しいがために出て行くことができないのは維新の分裂が端的に示している。

政治資金は選挙に勝てばついてくるのだから、オカダ代表はここは腹をくくって解党を決断してほしいものであるが、民主党そのものが寄り合い世帯だとなると、ドロドロとした思惑が絡み合って簡単には前に進みそうな気配はない。

共産党に主導権を奪われるという恐怖もあるのかもしれないが、民主党政権の決定的な失敗が今日の『裸の大さま』を生み出したことを謙虚に反省し、退場させるためには、贖罪の意味を含めて共産党の提案を受けるべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年11月12日 (木)

東電がテレビCM再開?・・・

 福島原発事故の後、テレビコマーシャル(CM)を自粛(葉美化敷く手できないだろうが)していると思っていた東電が柏崎刈羽原発のある新潟県限定でCMを再開したというニュ-スに愕然とする。

 記事によると、この30秒のCMは『柏崎刈羽原発では 福島第一の事故をふまえ 対策・対応を進めております』という字幕で始まるという。外部電源を失った場合に備えて配備したガスタービン発電機搭載のトラックが登場し、手際よく発電機を起動させる様子が映し出されるシ-ンが続くそうだ。

そして、柏崎刈羽の夕暮れをバックに『教訓をふまえて。東京電力』という字幕で終わるとのことであるが、明らかに『刈羽原発の再稼働』をねらってものであることは誰の目にも明らかだろう。

東電幹部たちは、新潟県知事が再稼働に反対という姿勢を変えないことから、強攻策では、県民に再稼働というム-ドを広げられないと判断したのだろうが、新潟県限定という方法は何とも姑息としか思えない。

 首都圏も含めた広範囲で流したら間違いなく批判が集まるだろう。これ以上東電の評判を悪くしたら、再稼働に悪影響が出るとの思惑なのだろうが、新潟県は東京・埼玉に続いて福島から避難者が多い県であることを考えると、何ともその人たちの気持ちを逆撫でしているとしか思えない・・・。

 福島原発の処理は全く進んでいないことは、断片的に伝えられる情報だけからも明らかである。それなのに、国と口裏を合わせて、あたかも事故処理と復興が進んでいるごとく、放射線値が明らかに高く下がる要素がない一部のごく限られた帰還困難地域をのぞいて、住民の帰還を強引にすすめているのも許せない。

福島県内の避難基準をゆるめ、帰還する環境が整ったと避難住民の補償も少なくしているが、農業では暮らせず、働く場が原発の事故処理以外にない現状では、若い子育て世代が故郷愛だけで帰還が進むはずがなく、実際に帰還する住民は車のある高齢者のみだというのももっともな話である。

 テレビ業界に疎い私には、30秒のCMの放映料がいくらなのか理解できないことが多いが、例え新潟県限定とはいえ、かなりの料金をテレビ局側に支払っているはず。このCMの他にも、夜7時というゴ-ルデンアワ-の番組のスポンサーにもなっているというからますます許し難い。

原発事故を起こした責任も曖昧で、当時の経営陣はトンズラしたまま姿を現さない。マスコミも個人情報とか人権とかいう言葉が壁になっているといい、その後の姿を追いかけようとしていない。しかし、全財産を投げ出しての贖罪しているなどとは『絶対』にないことだけは間違いないところ。

それにもかかわらず、事故後たった2年で、刈羽原発の再稼働に動き、再稼働に必要な審査を申請したというニュ-スに呆れたものである。一応『審査は再稼働のためではなく、現時点で原発の安全性がどの程度なのかチェックいただくため』と言い訳していたが、あわよくばという思いがあったことは疑いのないところ。

そのことは、『規制委の審査に合格した原発は再稼働』という国の方針が出されるやいなや、『柏崎刈羽が再稼働すれば、黒字を続ける道が開ける』という言い方に変化していることから明かだろう。

あれほどの事故を起こした東電が、今日もなお『東電でござい・・・』と大きな顔をして存在していること自体おかしな話なのに、黒字を大きくするために現発を再稼働なんて普通の感覚では切り出せないと思うのだが、補償よりもカネ儲けが先だと平気で言い出すことも、人の命より経済というこの国の今の姿なのだろうか?・・・。

東電が再稼働のためのCM・・・とは。苦い砂をかまされているような、強い違和感と嫌悪感をもよおす話である。(田舎親父)

2015年11月11日 (水)

早く退場させないと・・・

 先日『介護離職ゼロ』という発言に、できもしないことを良く言うよ・・・とつぶやいたものだが、アホベというこの国の総理大臣は、何でも『この種の言葉』を口にするのが大好きらしく、今度は『待機児童ゼロ』と言い出した。

介護離職を少なくすることなどすっかり忘れているらしく、その後何ら具体的な方針は示さない。一般人が、言葉として希望を言うのは自由だろうが、一国の首相が発言したら、少なくともその責任をとらねばならないことは当然だろう。せめて担当閣僚に『すぐに具体的な方針を示せ・・・』程度の指示があって叱るべきなのだが、その動きを伝える記事は見当たらない。

いや指示はしたのだろうが、周りはこの男の虚言癖は折り込み済みで、『殿、承りました・・・』とばかりサラリと受け流して、しばしの時間稼ぎをすれは、それで終わりだと本気で思っているらしく何もしない?・・・。

今回も全く同じで、誰かの入れ知恵でもあったのだろうが、埼玉県和光市の育児施設を視察した後、記者団に『待機児童ゼロをしっかりと達成していきたい』と語ったというから懲りない男である。 

 何故、和光市の育児施設なのかは別にしても、視察後、待機児童をなくすため、2017年度までに保育の受け皿を50万人分確保する方針を重ねて示したそうだ。

この発言を素直に解釈すれば、待機児童が50万人で、その分の保育施設を2年間で作ると受け止められるが、育児というものは、単に保育所の数を増やしてそこに収容すればすむものではあるまい。待機児童という言葉の意味が問題だろうが、それはおいておくとしてもである・・・。

50万人の乳幼児を受け入れるとなると、建物はカネの力でなんとかなるかもしれないが保育を受け持つ保育士の確保が何よりも重要だということは、小学生でもわかる理屈。これが長年の課題であったことは全く無視して、2年間で作り上げるとは虚言の突き当たり・・・と言ったところでは。

介護離職者を少なくするためにも、まず人づくりがあってしかるべきなのに、それらのビジョンなにも示さず、『俺の掛け声』で全てが解決すると思っているとしたら、まさに裸の大さまそのものである。

そんな虚言癖の首相が君臨する国の国民は、こぞってこの男の退場を願っているのに、取り巻き連が『おっしゃる通り・・・』とばかり、あらゆる権力を使って周りを恫喝し懐柔。しかも情報を徹底的に隠蔽しているのだから、国民の切実な声が届くはずがない。

今回の『待機児童ゼロ』を打ち出したきっかけとなった育児施設の視察は、政権が掲げる『1億総活躍社会』の実現に向け、現場の声を施策に反映させるのが狙いだとのことだが、そもそもこの『一億云々・・・』という標語に何とも嫌な雰囲気を感じる。

『一億の民』と表現されるように、我が国の人口は(現在では1億3千万人と言われているが)一般的には『一億人』という数値がごく普通に語られる。特に戦前には『一億云々』という標語が多く使われ、それが全ての国民の義務というような形を持っていたことは歴史が証明している。

その意味で『一億総活躍』などと言われると、『一億火の玉』や『国家総動員』など、先の大戦のスローガンを想起してしまうが、(困ったことだが)この男には、この言葉が心地よい響きに聞こえてしまうようだ。・・・。

この『一億総活躍』というキャッチコピ-をブチ上げた直後、官房長官がタレントの結婚話をネタにして『産んで国家に貢献を・・・』と発言したことに、こいつが裸の大さまを裸のままにしている大悪人だと確信する。そして、私でも気付くことだからマスコミが大騒ぎするだろうと期待したが恫喝と懐柔でそれもなし。

 話を戻すが、『待機児童ゼロ』も、先般の『介護離職ゼロ』同様に、日本国総理大臣アホベという男にとってすでに遠い過去のもので記憶にないのかもしれないが、それにしてもこんなできもしないことを、『俺ならできる』『俺だからできる』というように軽々しく口する態度は許し難く、まさに裸の大さまそのものである。

早くこの男を退場ささないとトンデモない社会になることは明らかなのに、唯一選挙という武器を持つ民主党がこの体たらくでは諦めさえ漂うが・・・。(田舎親父)

2015年11月10日 (火)

国内便が『テロ』の標的に?・・・

 『テロ』という言葉を聞く度に何とも嫌な気持ちにさせられるのは私に限ってのことではなく、できればこの世から『テロ』という行為はもちろん、言葉そのものが消えてほしいと願っている人は多いはずだと信じたい。

『テロ』という言葉が日常茶飯事に使われるきっかけになったのは、ニュ-ヨ-クでのツインタワ-の爆破という事件ではないだろうか。小型の飛行機が堅牢なビルに突撃、そのショックでまるで砂の城郭のように、いとも簡単に巨大なビルが崩れさる映像に、単に『テロ』という言葉で片づけて良いのだろうとかと疑問に思ったもの。一説にはアメリカの自作自演だという説が未だにささやかれているほど、不思議な映像として私の頭から消えない。

犯人は『イスラム過激派』のビンラビン一派だというのが通説になり、アメリカはじめ関係国は『テロ』撲滅に血眼になり現在もそれが続いているが、『テロ』行為はエスカレ-トどころか、全世界で増え続けることがあっても減じる気配はない。

先般は、やはりイスラム過激派から進歩した『IS(最初はイスラム国)』によって、日本人ジャ-ナリリストが殺害される映像がインタ-ネットで流れて、いよいよ日本人も本格的に巻き込まれる事態になったと戦慄させられたのものである。

もっとも、日本の総理大臣がわざわざ紛争国に出かけて、こともあろうに、ISに対抗している国に莫大な支援を明言したことが背景にあることは間違いない事実だろうが・・・。

ところが本人は全く反省していないばかりか、アメリカの手下になって戦争ができる国にする法案を数の力で通してしまったとなると、今後も日本人が標的になる確率は限りなく高くなることは間違いなさそうだ。

宗教や民族の憎悪が『テロ』に走らせているということが通説になっている。アフリカ諸国を中心に血みどろの民族間の争いは現在でも続いているようだが、互いに相手を皆殺しにできるほどの武力はなく、それぞれの民族を利害が反する大国が兵器を与えて殺し合いをさせていることは歴史が証明している。

宗教も同じで、中世以後はキリスト教社会が圧倒的優位となり、イスラム教を追い詰めて、第一次対戦後に中東やアフリカ地域をキリスト教徒国の利権争いの結果、民族や文化を無視した国境線の策定という事実が背景にあることは間違いないところ。その中にあって、今日の『テロ』につながる要因はイスラエルの存在ではなかろうか。

それでも、イスラエルとパレスチナとの局地的な『侵略と報復』という図式だったが、今日の『テロ』がここまでエスカレ-トした直接の原因は、アメリカが武力によってイラクという国の制度そのものを徹底的に破壊したことが引金になっていることは私でも理解できること。

国際紛争は全てが秘密のベ-ルに包まれているので、真相が明らかになるのは時間が過ぎてからであるが、シリアが泥沼の状態になっていることは連日マスコミが報じていることから、この先一体どうなるのか気になるところ。記事は一様に、アサド政権と反政府軍、それにISが加わり三つ巴争いになっていることを伝えている。

それを周りの国がそれぞれを支援するのだから、戦闘は収まるはずがない。そこにロシアがアサド政権を守るためISを壊滅するために空爆をはじめ、しかもISだけではなく反政府軍も攻撃の対象になっているというからますます話が奇怪しくなっている。

そんなきな臭い情勢の中、先月末にエジプト上空でロシアの民間機が爆発し、乗客乗員全員が死亡するという事件が起き、すぐにISが犯行声明を出したことは、またかと気分が沈む。乗っていた人たちには何の落ち度もないだろうに、気の毒としか言いようがない。

常識的に考えれば、無差別に爆破するISに対して限りない怒りは当然であるが、ロシアが空爆に踏み切らなければ、今回の『テロ』は起きなかった可能性が大となると、単にIS批判するだけでは解決できる問題ではないことだけは確実だろう。

ロシア政府は今回の事件を『テロ』と認めたくないようだが、直ちに、エジプトとロシアを結ぶ全航空便の運航停止を決めたということは、『テロ』を認めていることを端的に表している。

今後ロシア政府がどうするか注視しているが、アメリカの立場も微妙であり、いつISの『テロ』の標的になるかは誰も否定できない。となると、世界から、アメリカの手下で戦争ができる国になったと観られている日本に対して『テロ』の標的になる可能性は今まで以上に可能性が大きくなっていることは私でもわかること。

願わくば、アメリカがこれ以上の介入をしないことであるが、オバマも任期が1年を切った今、歴史に残ることをしたいと考え、日本に肩代わりを命じる可能性は否定できないとなると、絶えず世界の空を飛び回っている日本の航空機がねらわれることもあり得るのでは・・・。

もっと手っとり早い『テロ』は、国際線に比べてはるかに警備の薄い国内路線、特に地方を結ぶ便では・・・。考えるだけで背筋が寒くなる。(田舎親父)

2015年11月 9日 (月)

ジュネリックが進まない・・・

 昨日の朝、雨が降ってきたので今日の大工仕事はできないと諦め、何気なくNHKの『ニュ-ス深読み』を観ていたら、金沢での福祉一体型の街づくりの紹介をしていた。

 ぼんやりと観ていただけなので詳しい内容まで理解できないことが多いが、高齢者と障害のある子どもたちの住居に加えて、大学生が福祉のボランティアを条件に格安の条件で住居を提供され一緒に生活をしているという。

加えて、そこには外部の地域の人たちが入り込みやすい仕組みとして、温泉設備や野菜の直売所を作って、積極的に交流できるようにしているなど、この施設の運営方式は教えられることが多い。

妻を亡くして横浜から移り住んでいる男性を取材していたが、制約を受けずに耕すことができる施設内の畑で野菜作りを楽しみ、収穫物を施設敷地内の障害者居住区に運んだりする姿に、私も独り暮らしになったら、こんな施設なら入所したいと思わせるほどなかなか説得力がある。

しかし、入所している人が全て健康で生き生きと生活をしているわけはないだろうことは想像に難くなく、今は元気でも数年後にはボケがきたり、体力が衰えて寝たきりの生活になる可能性は決して少なくないだろうに、この形態でやって行けるのだろうかという疑問が頭をよぎる。

この施設では医療機関も完備しているという。ここで生活している高齢者に限らず病気とは無縁でなく、施設内に併設されている医療機関にお世話になっている人もいるだろうが、番組では取り上げなかったのが少しひっかかるところ・・・。

見る限りでは良いことづくめの施設であるが、常識的には入所するには相当額の入所費と月々の住居費はかなたの額になるに違いない。成功例であることは認めるが入居できる人たちは、ごく一部の経済的に恵まれた人たちなのかもしれないのではと思うと、私には入所資格がないようだが・・・。

最近、高齢者問題が日常茶飯事になるに連れてこの種の番組が多い。しかし、老後の生きがい作りは素晴らしいことなのだが、病気との付き合いと、それに対する医療費をどうするかという話題に正面から取り組んでいる企画が少ないように思える。しかし、医療費が物凄い勢いで増えていることについては、マスコミはかなりの頻度で取り上げている。

その医療費であるが、毎年、この季節になると来年度の予算が話題になるが診療報酬改定の議論もその一つ。高齢化や技術革新の影響で医療費は膨らむ一方で、40兆円を越すのだそうだ。中でも薬剤費が4分の一の10兆円を占めるというから驚きである。

 確かに、薬のお世話になっていない老人は皆無だろう。しかも、数種類を日常的に服用することを義務付けされているとなると、薬剤費がここまで占めていることも何となくうなずける。

 かくゆう私も、数回血液検査でコレステロ-ルが少し多いという理由で、リバロという薬を処方され、それが利いたこともあって、もう必要ないと思っているのに薬の服用を義務づけられているのだから笑えないが・・・。

私が服用している薬はジュネリックと呼ばれる特許が切れた薬剤で、70日分が500円程度なので、まあ仕方ないかと納得しているが、多くの人はジュネリックを拒む傾向があり、それだと倍額以上になるものが多いらしい。

この分野の知識のない私には、効能が同じならジュネリックで良いのではないかと思うのだが、シュネリックが普及しないのは、有効成分は同じでも材料や製造方法が完全に同じではないため効果や安全性を懸念して医師や患者が使いたがらないということが通説になっているらしい。

また、製薬会社も利潤の多い新薬をすすめる傾向があり、医療機関への説明やPRが不十分であることが普及が進まない主な原因なのだそうだが、ここにも、最近のカネ儲けが『是』という考え方が広く波及していることを感じてしまう。

何かの記事で読んだ記憶があるが、ドイツでは安価なジュネリック医薬品を処方された患者の自己負担をゼロにする制度を導入しているとのことだが、我が国も、本気で薬剤費を減らそうとするなら、このような強硬な方針が必要ではないだろうか。しかし、この業界は特に利権が横行していると聞いているのでかなた難しそうだ。

テレビの番組から薬剤費のことに広がったが、薬にできるだけ依存しなくても日々健康に過ごせることが何よりと改めて思い、歩くことと桑の葉パウダ-に感謝であるが、それにしても薬剤費がここまで膨らんでいることに対して、せめてジュレリックの容認する世論の広がりを期待したいものである・・・。(田舎親父)

2015年11月 7日 (土)

次に明らかになる偽装は・・・

 マンションの杭打ち関連の偽装問題は、視聴者もウンザリというほどの過剰放送が続きいているが、このところ少し下火の兆候を感じる。しかし、マスコミの視点は偽装した旭化成グル-プに対する批判が主で、中間請け負い日立グル-プに対してはスル-は何なのだろう。また、被害者側の立場での記事が日々少なくなっていくことに、いつものことながら何ともいえない違和感を覚えている。

 私的には、旭化成建材という会社が(恐らく開始この都合で)待遇契約社員にチ-ムリ-ダ-を任していたことが、偽装の遠因としてあるだろうと思っているのだが、マスコミはこのことに対しては全く気にしていないらしく、メディアによっては契約社員だったという事実すら報じていないこともあるのは、官邸や自民党に遠慮でもしているのではないだろうか?・・・。

 今回の偽装に関して、旭化成クル-プはもとより三井不動産という一部上場の大会社が責任を認め、全て建て替えるということを前提に住民説明を行っているということは当然だろう。今までの業者と比べて潔いという印象を受けるが、逆に、住民としては戸惑いが先に立ち、案外意思の統一が遅れるのでないかと、他人事ながら少し気になる・・・。

 その問題はともかくとして、偽装問題は思わぬ分野に飛び火したらしく、一昨日からはJA(農協中央会)が取り扱っている『肥料偽装』という問題が大騒ぎになっている。

 私もプランタ-でかなりの種類の野菜を育てているので、この問題には大いに関心がある。私が使っている肥料の主なものは、まず石灰(苦土石灰)であり、これは違う野菜(植物)を栽培する時には消毒を兼ねて使うようにしている。ある意味、肥料というよりも気分転換(配置転換)剤というところであるが・・・。

その他では、油粕と牛糞・鶏糞堆肥であるが、栽培する野菜によっては『有機配合肥料』と称する粒状のものも混ぜるようにしている。と言っても、有機栽培をしているという意識ではなく、何となく『有機』という表示に何となく安心感があるからである。

私の場合は、これらの肥料は近くの農協に出かけて、自分で選んで購入しているのだが、『有機配合肥料』の詳しい成分を確かめているわけではない。しかし、今回の報道で(あまり気持ちが良い気はしないが)『有機』と表示があるものでも、疑わねばならないことを教えられた感じもしないでもない。

肥料の成分の偽装は、私のようなプランタ-農業愛好家にとってはさほど影響はないだろうが、有機栽培を専門的に行っている農家にとっては、その時点で『有機栽培』というレッテルが使えなくなるというから、その打撃は想像に絶するものがありそうだ。

まさに杭打ち資料偽造と同じで、消費者は今まで全く疑ぐりもしなかったことが明らかになり、絶望の淵に突き落とされるというところ。こんなことが、ごく普通に行われては庶民はたまったものではない。

いつごろから偽装が流行り出したのかと過去の偽装問題を思い出してみる。アルアル、特に食品の表示の偽装は枚挙にいとまがない・・・。このことについては、かなり改善が見られて、最近ではほぼ全ての食品には賞味期限はもちろん、原料や生産地,場合によったら生産者の氏名まで記載されるようになっている。

しかし、食材を生産するのに絶対に必要な肥料が偽装されているとは思いも寄らなかったが、少し冷静になって考えれば、カネ儲けが『是』であり、そのためには何でもありの社会では、当然といえばこんな当然なことはない。

今回、価格の高い物質を少なくして、その変わり普通の土や砂などを混入していたらしい。しかし、その土に有毒な物質が含まれていたとしたら・・・。これは恐ろしいが、そこまでの悪意はないようだ。

今までは、社会倫理や個人の良心として、このような行為は『悪』として、自制していたのだろうが、最近はアイデアの中にはこのたぐいのものが多く、しかもそれが『ビジネス』という言葉で称賛されるとなると偽装はやった者勝ち?。

次に偽装が明らかになるものは、TPPで関税が安くなる、海外からの『モノ』のような気がするのだが・・・。(田舎親父)

2015年11月 6日 (金)

『もんじゅ』が廃炉?・・・

 昨日の朝刊に、点検漏れなどトラブル続きの高速増殖原型炉『もんじゅ』について、管轄している文科省に対して、あの悪名高い原子力規制委員会が『信頼できる運営主体を探すか、安全対策を抜本的に改善するか』どちらかはっきりせよという勧告をするそうだという記事を見て、『えっ、今頃になって何故なの・・・』と何とも気が抜けたような感覚に陥ってしまった。

 記事によると、どちらかを実現しないと廃炉は避けられないそうだが、そんな簡単に結論を出して良いのかと素朴な疑問がわいてくる。さらに、『もんじゅ』は国が推進してきた核燃料サイクル計画の中核的な存在で、廃炉となると10兆円超の巨費をつぎ込んできた計画は名実ともに破綻するとのことだが、この計画はすでに破綻していることは誰もが認めるところではないだろうか。

『もんじゅ』に関しては、今まで私も、何度も早く廃炉にすべきだとつぶやいてきたので、今回の規制委の勧告は当然だと評価したいが、規制委そのものが現政権ベッタリの姿勢に加えて、今なのかという疑問が消えず、裏で誰かかが何か別の思惑があって動いているのではという疑念の方が大きいのが正直な気持ち。

 記事を読む限り、今回、規制委は一応の筋立てと本気度を示しているらしく、来週にも勧告の具体的な内容が決まり文科省に出ストのことだが、これまでの経過からすると、文科省からは、とりあえずの時間稼ぎのノラリクラリという中途半端な回答しか出てこないことは十分あり得ること。

 政府としては、昨年4月にエネルギー基本計画で『核燃サイクルの維持』を明言し、しかも『もんじゅ』を今まで通り稼働する方針を打ち出していることから、常識的には政府と規制委は対立という図式になりそうだが、そんなことはまかり間違ってもあり得ないこと・・・。

 文科省は具体的な方針を持たず、まだ大臣が代わったばかりだということから、どんな回答を出すのか想像はつかないが、規制委として文科省からのノラリクラリ回答を認めれば、組織そのものの存在理由が問われるのは分かっているだろうから、そのあたりのきめ細かい打ち合わせはすでに終わっていると見た方が良さそうだが・・・。

 全くの素人の想像だが、『もんじゅ』の廃炉もあり得るとして、国民の疑惑を棚上げして、川内原発に続いて伊方原発、さらに現在停止中の原発の再稼働を次々に容認する世論づくりではないだろうか・・・。

昨日の、朝日・毎日両新聞は社説で『もんじゅは廃炉すべき』という論調を展開していたが、政府が『ハイわかりました・・・』と同調することは120%あり得ないことは,これまでのことから明らか。

両新聞が共通していることは、一応は反論したぞということを社説で示すことだが、次につながらないのもこれまで通り。

はたして、今日以降、この問題を取り上げるのかも怪しいところ。となると、一国民として、文科省が来年5月までの間に、この問題にどんな対応するかしっかり見定める必要がありそうだ。(田舎親父)

2015年11月 5日 (木)

伊方も再稼働?・・・

 実際に目撃する機会がないが、福島原発事故で発生した大量の汚染物質を黒いビニ-ル袋に詰めて各地に大量に放置されている映像を最近、新聞や雑誌で目にすることが多い。

国は地主と交渉して、3年間に限って保管する契約を結んでいるらしいが、すでに期限が切れているのにもかかわらず、黒いビニ-ルは全く除去される動きは全くないとのこと。各地で、なんとかしてほしいという声が大きくなり、国の窓口がはっきりしないたこめ、苦情は近くの役所へ・・・となり地方自治体は悲鳴を上げているそうだ。

国は一カ所に汚染物質保管地を決めたいのだが、住民の反対があって進まないと責任を住民側にあるというニュアンスの言い訳をしているらしいが、進んで汚染物質を受け入れる地域などあるはずがないのは当然だろう。

そこで、お得意の『横っ面札束』作戦をすすめているようだが、ダム建設などとは違い放射能という目にも見えず、臭いも存在すら全くわからない得体のしれないが、健康には確実に悪い物質を、如何に地下深く収納するとはいえ、何処で漏れ出すのか全く想像がつかないとあっては、受けいれに積極的になる自治体が、今後も現れるとは思えないのだが・・・。

となると、野ざらし状態は果てし無く続き、そこから徐々に放射性物質が空中に放射し、数年後、あるいは数十年後にトンデモ自体にならないとも限らない。そんな目で黒いビニ-ル袋を見るとなんとかならないのかとイライラがつのる。

 原発は『絶対に安全』という神話が作り上げられて、全国至るところに原発が建設されたことは今更述べるまでもないだろう。地図上に、原発の位置を改めて確認すると、こんな場所に作って大丈夫なのかというところばかり。

 中でも、特に事故が起きた時に、逃げ場が限られている(全くないといた方が分かりやすい)のが愛媛県の伊方原発であるが、その原発をこともあろうに再稼働する環境が揃ったということに、暗澹たる重いがする。

環境が整ったのは,原子力規制委という御用機関が『世界で一番厳しい安全審査?』に合格したということに加えて、原発が所在する愛媛県の知事が再稼働に同意したということであるが、その理由が『住民のため』だと言うことがどうしてもひっかかる。

知事ははっきりと『福島原発のような事故は起きない』と断言しているが、恐らく記者の中から、『本当にそんなにはっきり言い切っていいのですか、もしも事故が起きたら、同責任をとりますか』という質問があったはずなのだろうが、そのことについては言葉を濁し、ただ『住民の経済発展のためにはやむを得ない選択』だと応えるばかりだったらしい。

国は原発再稼働をすすめる政策を打ち出しているのだから、今回の知事の発言で、ほぼ伊方原発の再稼働は決まったと同然だろうが、この原発が、万が一事故が起きたとしたら、住民の避難は福島原発事故の比ではなく人的被害は想像を絶するだろう。知事は、この全くの逃げ場がないことに対して、いかなる説明をしたのだろう?・・・。。

知事は決断するになたって、『再稼働を推進する責任は政府にある』という言質を国から引き出したというが、福島はじめ、関東各地に日常的に目にする黒いヒニ-ルすら解決できな国が、全て地方自治体にその責任を転嫁していることを、知っていながら知らぬ振りのしせいとは情けない。

今後、再稼働する原発が増えるのだろうが、黒いごみ袋すら処分できず、国民から収奪した税金で、『我慢しろ、補償はなんとか・・・』という『札束横っ面』作戦で、なんとかしのいでいる国が、責任などハナからとる気などありはしない。

再稼働した(する)原発の事故がないことを祈るが、この国は、2度・3度同じような事故が起きないと、本気にならない体質があるらしい。しかし、それでも責任は全て国民の側だというのは変わらないようだが・・・。

さて、しばらくぶりにつぶやきを拙文にしてみたが、この一週間は、先輩の急死に対して、私なりの気持ちとして墓前に線香をということがあり、九州まで出かけていたので更新はできなかった。

帰宅と同時に、季節的に植物を寒さから守る温室の全面改修をはじめたのだが、この作業が思った以上に面白く、次々にアイデアが沸き出して朝から版まで夢中になっていることもあって、そちらを優先したいので、つぶやきが不定期になりそうだ。(田舎親父)

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