« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月

2015年12月28日 (月)

坊さんまでネット通販?・・・

いよいよ今年も押し詰まった感じがする。取り立てて仕事もない仙人的生活をしている私にはあまり関係がないはずなのに、不思議と、何となく慌ただしい気分になるのもこの時期の特徴のようだ。

ところで、一昨日の朝日新聞は『坊さんのネット通販(坊さん宅配便)』という話題を提供していたが、よくぞこんな発想を持つ人間がいるものだとビックリ・・・。

『ビジネス』という言葉には生臭さを和らげる効果があるらしく、もちろんカネ儲けが最大目的なのだろうが、そこには『社会に貢献する?・・・』という意味合いが、ちょっぴり加えられる雰囲気があって、最近は小学生までもが『ビジネス』戦線に参加するのが大流行になっている。

私は利用したことがないので、名前だけしか知らないが、『アマゾン』という世界最大のネットを使ったカネ儲け企業が、『僧侶の手配(坊さん宅配便)』という『サ-ビス(ビジネス)』を始めたとのだそうだ。

記事によると、アマゾンは今月上旬、葬儀社紹介サイト運営の『みんれび』が提供する僧侶の手配サービス『お坊さん便』という名前で、アマゾンに掲載しはじめたとのことである。

世間知らずの私には、『みれんび』という名前すら聞いたことがないが、キ-ボ-ドで『みれんび』と打つと『未練日』と出てくることから、なるほど面白いネ-ミングだとそちらの方に関心が向く。

『みれんび』というサイトは2年前から開かれているのだそうで、定額・追加料金なしで僧侶を法事や法要に仲介するビジネスだという。登録する僧侶を約400人も確保しているというから、世の中には凄いことを思いつく人間がいるもの・・・。

『みれんび』は主な宗派をそろえ、実数公表していないが、昨年度の3倍の受注があったことから、これをより効果的なビジネス(サ-ビス)としてカネ儲けに役立てるために、アマゾンに出品したとのことらしい。

売買されるのは僧侶の手配を約束する『チケット(手配書)』で、基本価格は税込み3万5千円。クレジットカード決済もできるというから、檀家意識が薄れている現代人にとっては、坊さんの出前も音学会のチケット感覚なのだろう。

『アマゾン』や『みんれび』がどの程度のピンハネ(手数料)するのかは明らかにされていないが、残りが坊さんの『お布施』になるシステムらしいから、例え半分ピンハネされても2万円弱が懐に入るとなると、ヒマな坊さんにとっては最高のアルバイトというところだろう。すでに、アマゾン経由で『みんれび』に10件以上の申し込みがあったというから、今後増えることは間違いなさそうだ。

 これに対し全国の仏教界は、宗教を商品としてカネ儲けの手段に使うのはけしからんと大反発しているらしい。

具体的な例として、『全国仏教会』という組織の会長は『イスラム教圏であれキリスト教圏であれ、宗教行為を商品化している例はない』と、『アマゾン』側に話し合いを求めているらしいが、『アマゾン』側は『現時点でお答えできることはなく、コメントは控える』と軽くいなしていると記事にある。

 『坊さんの宅配便』の是非はともかく、最近は、お墓商売が大流行で、気軽にお墓参りができるという理由で、都心はじめ交通の便の良いお寺は、境内に納骨堂を建立して、ボタン一つで目の前にお墓が現れるようなシステムまて現れているというから、仏教界側の『坊さん宅配便』クレ-ムも、私に言わせれば『同じ穴のムジナ』というところ・・・。

 宗教法人法では、僧侶個人が得たお布施は所得税の課税対象になるが、法人に入った場合は法人税が非課税で、しかも坊さんが、葬式などで手にするお布施は喜捨(寄付)とみなされ、法人は消費税を払わなくていいというから、なるほどお寺としては納骨堂などがブ-ムになっていることは納得できる。

しかし、最近では、ある寺が建てた都心のビル型納骨堂に、東京都固定資産税をかけたのに対し、宗教法人が『墓地と同様に非課税』と主張して都を提訴するなど、かなり微妙な問題になっているという。

今回の『坊さん宅配便』の攻防も、宗教行為の『商品化』や『ビジネス化』が広がると、仏教界側としては、宗教法人へのさまざまな税制優遇の根拠が揺らぎかねないとの懸念が背景にあることは私でも想像がつく。

そう言えば、随分前のことになるが、大手ス-パ-が葬儀業に参入し、寺院を紹介するサービスを始めたことがあった。その際、お布施が『ギャラ』のように表示され、寺が戒名を売買している印象も与えるという理由で、料金表示の提示を中止するようにと仏教界が反発したことを思い出す。

その顛末はどうなったのか知らないが、御布施や戒名などに、かなりの金額が必要ということが当り前に語られるようになっているから、ネットビジネスが合法とされている以上、『坊さん宅配便』の需要は今後ますます増えるような気がする・・・。

今年も、いろいろと感じさせられる事件や事故、あるいは政治などの話題が多い一年だったが、人並みにお正月休みは、頭を空っぽにしてぼんやりと過ごしたいので、しばしこのボケ防止のつぶやきコ-ナ-は休載に・・・。(田舎親父)

2015年12月26日 (土)

勝訴には違いないだろうが・・・

 冬至(22日)の夕方のテレビニュ-スは、『山梨県の中央自動車道笹子トンネルで2012年12月、天井板が崩落し9人が死亡した事故で、犠牲者5人の遺族がトンネルを管理する中日本高速道路と保守点検業務を行う子会社に計約9億円超の損害賠償を求めた訴訟の判決が横浜地裁であった』と大きく報じていた。

 結果的には、裁判長は『事故は予見でき、入念な点検方法を採用すべき注意義務を怠った』として、両社に対して4億4千万円超の支払いを命じたというから、原告の勝訴には違いなかろうが、我が子の命を奪った会社への怒りだろうが、原告(被災者の親たち)の顔つきが厳しかったことが印象的だった。

 この事故は、当時、テレビで何度も繰り返し放映されていたので強い印象が残っているが、事故が起きる1週間前に、通過時刻は違うものの、私自身このトンネルを路線バスで通っていたこともあって、もしも・・・と想像しゾッとしたものである。

事故後の検証では信じられない事実がいくつも判明した。その一つが、崩落箇所以外の緊急点検で、1000本を超えるボルトの緩みが発見されたこと。しかも、ボルトをハンマーでたたいて状態を探る『打音検査』は行わず、下から双眼鏡の目視でこれに代えていたというのに驚いてしまう。

確かにトンネル上部となると、道路を一時的に封鎖しなければならず、利用者には迷惑な話だろうが、35年間も放置していたとなると、これは『中日本高速道路』の責任は追及されてしかるべきだろう。

そのあたりを裁判官は、『打音検査が崩落箇所で実施されていれば、ボルトのゆるみは発見された可能性が高い』と指摘し、『老朽化していることは十分分かっているはずだから、適切な点検をしていれば不具合を発見し、天井板が崩落する危険性は予見できた』と、事故と過失の因果関係を明確に認めたのは当然だろう。

今回の裁判では、『中日本高速側』は、トンネルの安全性不備を理由に賠償責任を認めているものの、『天井板の落下は想定外』と過失責任は否定していたとのことだから、全面的に敗訴という結果になったのは、他の高速道路会社に及ぼす影響は大きく今後の成り行きが注目される。

原告は東京都内のシエアハウスで生活していた男女5人の遺族計12人というが、亡くなった人は9人いたのに後の4人の遺族はどうして原告側に名前を連ねていないのだろうという素朴な疑問が頭をよぎる。

そして、私の記憶違いでなければ、被災した車に乗っていた若い女性が、事故直後にトンネルから飛び出して救助されていたはずなのに、この女性に関する情報はその後全くなく、今回も触れられていないことに(関連性がないかもしれないが)、一人生き残っただけに遺族との関係が気になるところ。

そのことはさておくとして、訴訟を起こすのは個人の意思だろうから、同じ家で生活していた5人の遺族が原告団としてまとまったのは当然だとしても、(繰り返すが)後の4人の遺族が何故原告団に入っていないのか、どうでも良いことながらやはり気になる。

4人の遺族たちは、事故は仕方ないとあきらめて訴訟に参加しなかったのだろうか。それとも、何らかの明らかにできない事情でもあって、中日本高速とすでに和解が成立しているのだろうか・・・。

原告団は、中日本高速の元社長と子会社の当時の役員4人も提訴しており、この判決が来年2月に言い渡されるとのことなので注目していきたいと思っている。

そんなことを思っている矢先に、千葉県でトンネルの天井がはがれ落ちるという事故が起きた。幸にも通行者量がなかったことから人命事故にはつながらなかったが、修復工事が完了した直後というのは明らかに手抜きかあるいは工法が根本的に間違っているのだろう。

このことは新たな情報を待ってつぶやくが、笹子トンネル事故裁判は、恐らく被告側が控訴するだろうから、今後確定までにかなりの時間を要することは間違いなさそうだ。

その時間が、この事故の重大性について人々の記憶から徐々に薄れることがあってはならないと、今回の裁判の結果と小さな疑問を記録に留めておくことにする・・・。(田舎親父)

2015年12月25日 (金)

個人情報の流出が止まらない・・・

 堺市の選挙管理委員会の課長補佐が、有権者の個人情報を無断で自宅に持ち帰り、民間のレンタルサーバーに閲覧可能な状態で載せていたという記事に、こんなバカな話があるのだろうかと我が耳を疑ってしまう。しかもその数が全有権者(68万人)だというから尚更である。

記事によると、流出したのは2011年に行われた大阪府知事選時の有権者情報だという。住所・氏名・住所・性別・生年月日などを、課長補佐自作の選挙実務のソフトを、業者や他の自治体に売り込もうとしていたというのも何とも汚らしい。

ソフトの動作確認のために、職権でアクセスした情報をハードディスクに保存し、計9回自宅に持ち帰って、自分のパソコンに移しかえていたとのこと。操作ミスなのか、それとも今流行のウイルスが原因なのかは記事からは窺いしれないが、その情報がネット上に流れ、誰でも閲覧できる状態になっていたというから、ある意味マヌケな話である。

選管で管理している個人情報がどこまで詳細なのか門外漢の私にはまったくわからないが、堺市は『大阪都構想』に対して反対の立場だとなると、何とも怪しい話になりそうな気もするが・・・。

記事にあるように基本的な個人情報でも、業者からみると涎が出るほど入手したいだろうが、万一この課長補佐に市の実務部署が絡んでいたとしたら、家族構成や職業はもとより勤務先、さらに年収や住宅事情なども含まれている可能性もゼロではなさそうだ。

堺市としてはその内容を明らかにしたら大変な騒動になるだろうから、必死に漏れた内容を隠そうとしていることは間違いないところ。

事実、今年6月、匿名通報を端緒に堺市が調査した結果、課長補佐が約68万人分の有権者情報を持ち出していたことが発覚したにもかかわらず、市は課長補佐の言い分そのままの『流出は560人分』と発表していたと記事にある。『削除されたデータの復元に時間がかかった』と説明しているそうだが、何だかなあ・・・と思いたくなる。

 自治体の個人情報の流出数としては過去最多、課長補佐が懲戒免職処分になったのは当然だが、名前も伏せられているのも変な話。ここにも、堺市の、真相が明らかにされては困る事情がありそうな気がしてならない。

 職員が自分の端末などに個人情報を取り込んで持ち出せる状態にしている限り、外部への流出は根絶できないのは明らかだが、実際の場面を考えると、最終責任者(たった一人だとしても)は厳重にロックされたコンピュ-タにもアクセスできるだろうから、結局はその人の責任感や倫理観を信じるしか方法がなさそうだ。

 今年5月、日本年金機構の個人情報約125万件の流出した試験は記憶に新しい。こちらの事件は、年金機構のパソコンがウイルスに感染し、氏名や基礎年金番号などが盗み取られたとのことだが、担当者の意識のあまりにも低さから起きたことは間違いない。

担当職員が、基幹システム(社会保険オンラインシステム)から個人情報を抽出し、個人のパソコンと構内LANでつながるサーバーに取り込んだため、外部とつながっているパソコンから情報が流出してしまったとあるが、職員に常識的な知識さえ持っていれば起きなかったことは確かだろう。

総務省は、個人情報の持ち出しや業務外での使用を規制するため、地方自治体向けにガイドラインを策定し通達をしてあるとのこと。その内容は、恐らく、パスワードを設定したり、個人情報にアクセスできる職員を限定したりするなど、情報を持ち出せないような決まりが細々と書かれているのだろうが、アクセスできる職員を厳選したとしても、結局はその人次第ではなかろうか。

評論家たちは口を揃えて、情報の持ち出しを防ぐシステムを構築するなど、自治体は抜本的な対策を取る必要があると述べているが、厳選された最終責任者がその気になったら持ち出しを防ぐのは難しいのが実情では・・・。

 来年1月からはマイナンバー制度の運用が始まる。すでに通知カードの大量遅配などで国民の間に不安が広がっている中、今回の堺市でのずさんな管理実態が表面化したことで、公的機関への不信感が一層高待っていることは想像に難くない。

いくら厳重に管理しても、人がやることだから、『情報流出ゼロ』など絶対に無理なことは明らか。特に役所が管理するとなると、情報流出は当り前と考えた方が良さそうだ。

となると、(皮肉をこめて)流出したら最後トンデモ事態になることが明らかな『マイナンバ-制度』そのものを行わないことが最良の選択だろうと思うのだが・・・。(田舎親父)

2015年12月24日 (木)

原爆作りの手助けとは・・・

この国の首相閣下は自分の行動を目立たせることが大好きらしく、政府専用機を個人専用機と勘違い、大勢の取り巻きを連れて外国に出かけることが日課となっているのにも驚くが、よくもまあ飽きずに次々と出かけるもの。

その度に、国民から奪った莫大な税金が使われることに腹立たしく思うが、それ以上に出かける先で、自分の功績を認めさせるために、何百何千億円というカネをばらまいていることに、その神経を疑いたくなる。この御仁は、『国民から収奪したカネは俺様のもの、どう使おうと文句言われる筋合いがない』と思っているようだ。

つい先日もインドに出かけてインド首相とニコニコ顔で握手している映像がテレビニュ-ス出流れていた。最近は、この男の顔をみると気分が悪くなるので、瞬間的にチャンネルを変えるようにしているので、その時点で詳しいことは理解できなかったが、翌朝の新聞が,インドに新幹線の売り込みが成功したと報じていた。

加えて、『原子力協定』の締結に原則合意し、インドでの原発建設に日本の技術を提供するとあるのに、福島原発の処理がまったく進んでいないのに、カネ儲けのためなら、人の命などどうでも良いと考えているのだろうが、こんな無神経な男が我が国の首相出あることに、国民の一人として情けなく許し難い怒りが込み上げてくる。

インドから新幹線の技術の提供求められるなら話は通用するが、強引に作ってあげるからでは、何とも怪しい背景があるに違いない。このことは別の機会につぶやくとして、原発輸出は、こよなく平和な民である我が国が、カネのために魂を売り渡す『死の商人』の道を歩み始めたのかと愕然とする。

インドは過去に数回核実験を成功?させており、核保有国の仲間入りしているのにもかかわらず、『核拡散防止条約(NPT)』にも加盟していないという。もっともこんな条約が核抑止にどこまで効力を発揮するか疑問だが、少なくとも、インドは核実験を今後も続けるという意思を持っていると考えても差し支えないところ。

世界で唯一原爆被災国である我が国は、国策として『核』を『持たず・作らず・持ち込ませず』という『核3原則』を続け、国連ではこれ以上の国が核兵器を所有することを禁止するという『核兵器廃絶決議』を提出し長年その実績を評価されていることは、社会科の教科書にも述べられている。

『ゲンパツ』と『ゲンバク』、似て非なるものではなく、基本的に同じものだということは私でも知っていることであるが、国民の多くは、『平和利用』という言葉に騙され、言葉的に似ているが、実際は全くの別物だという意識を擦り込まれ続けてきた。

福島原発事故で、原発がいかに危険なものであることを知り、また、世界に知らしめたのだから、国として、原発に頼らないエネルギ-政策を進めるのが当り前の姿のはずなのだが、利権という巨大な亡霊に魂を売り渡した現政権は、『不便な生活になる』という脅しで国民の口を封じ、事故直後に一斉に沸き起こった自然エネルギ-の開発と利用という声を抑えて、再稼働に邁進しているのも許し難い。

『核』保有国であるインドに、『原爆』と理論的に同じものである『原発』を輸出するとなると、核兵器廃絶や核の不拡散という言葉の意味が薄れて、被爆国としての発信力(信用度)は限りなくゼロになることは間違いないところ。

そればかりか、保有する原爆の数を増やすという意思があるインドに、その原料であるプルトニウムが副産物で生み出せる原発技術を提供(売り込む)することは、『どうぞ原爆を造って下さい』ということを無言で示していることになりそうだ。

このカネ亡者にとって理念などはなしに等しいだろうから、ひょっとして、次はパキスタンに出かけて、同じような商談?でもと考えているのではなかろうか・・・。(田舎親父)

2015年12月22日 (火)

超高層マンションに住む人たちは・・・

 南海トラフが激しく動き列島に巨大地震が発生すると、場所によっては超高層ビル最上階の揺れ幅が6メートルにも及ぶ可能性があるというマスコミ報道を、ふと、超高層マンションに住む人たちはどんな気持ちで受け止めたのだろうかと、不謹慎な思いが頭をよぎる。

 南海トラフの巨大地震による長周期地震動の影響だという。内閣府が専門家の意見を集約して発表したというから、かなりの信憑性があるだろう。地盤の特徴と超高層ビルの多さを考えると、大阪、名古屋、東京の3大都市圏で被害が広がる恐れがあるというのももっともである。

しかし、最近、横浜の片田舎でも地上30数階という超高層マンションが現れ始めているので、あのてっぺん付近が大きく揺れている姿を想像すると何だか変な気持ちにさせられる。

 こんなこと以前は考えたことはないが、3・11の東日本大震災から一月ほど過ぎた頃だと記憶しているが、たまたま横浜中華街で夕方食事をしていた時に、突然大きな揺れを感じて、店を飛び出した時に目にした光景を思い出す。

飛び出したのは中華街の入り口近くの交番の前、4階建ての1階の店で食事をしていたのだが、その隣の6階建て程度の細長いビルが、まるで『しなる』という言葉がぴったりのように、左右に揺れ、その揺れの幅は、隣のビルに届くほどだった。

不思議なことに、他のビルの揺れはさほどでもなく、このビルだけ揺れが激しかった。このまま倒壊するのではという恐怖感が襲ったが、それ以上に、こんな経験はめったにできるものではないという思いが強かったらしく、揺れが収まるまでそこで立ち尽くし目をそらすことができなかった。

免震という考え方の一つに、建物全体が『しなる』ことによって揺れを分散することがあるというから、このビルは免震装置を設置していたのではと思ったものだが、この経験から、超高層ビルの揺れの激しさは、ある程度想像ができる。

建物がしなるように揺れる現象を長周期地震動というのだそうだが、東日本大震災以前のデータが少なく、まとまった予測はなされてこなかったのだという。それにしても、地上100メ-トルのてっぺんが左右に6メ-トル幅で揺れるとなると、建物は倒れなくても被害は甚大に違いない。

こんなに大きな揺れでは、家具などを相当頑丈に固定していないと、動くのは当り前。全て固定するなど不可能だから、家具や電化製品、事務机などが転倒したり、飛んできたりすることは間違いないところ。こんな動きに対応できる人がいるのだろうか。

 このような長周期地震動は遠く離れた場所にも影響を及ぼすというから厄介である。実際に、東日本大震災の時には震源から約770キロも離れた大阪府の地上55階の庁舎が最大で横に2.7メートル、約10分間揺れたという。

 長周期地震動によるビル倒壊の恐れはないというが、設計段階の数値のごまかしはもとより、最近は杭の長さ不足も問題になっているほど偽装が大流行では、耐震性の実態は限りなく不透明。

常々、横浜の片田舎などには高層マンションなど不似合いだと思っているのだが、計画段階で完売になってしまうほど大人気らしいとなると、今後も増え続けるのではないだろうか。争って購入する人の心理は、自然派の私にはとても理解できない。

もっとも、築40年の超夏向きのオンボロ住宅を終の住まいとしている私が心配することではないだろうが・・・。(田舎親父)

2015年12月21日 (月)

老人施設の倒産が増えているらしい・・・

 東京商工リサーチの調査によると、2015年1~11月の『老人福祉・介護事業』の倒産件数は66件と過去最悪を記録したという記事に目に留まる。

すでに前年の年間件数(54件)を上回っているという。企業業績が上向き、全体の倒産件数はバブル期並みに低いのに、例外的に『介護事業者』の倒産だけは急増しているとある。

記事の言う、企業業績が上向いているのはホントかなと疑問符をつけたくなるが、設立から5年以内の『新規事業者』と『小規模事業者』倒産が目立ち、その原因は、深刻な『人手不足』と断定していることは注目に値する。

ある介護業者は、老人施設は建てたものの、働く人が集まらないため、いつまでたってもオープンできず、賃料がかさみ倒産してしまったというくだりは、先日、介護の実態を伝えるNHK特集でも、入居希望者が多く新しく部屋を増設したのだが、やはり介護士が集まらずに未だに空き部屋だという映像を紹介していたことから、人手不足の深刻さは半端ではないことがよく分かる。

ハロ-ワ-クのお世話になったことがない私が言っても説得力がないが、現在、求人で圧倒的に多いのが介護業種だという。ところが、給料が安いので、若者には極めて不人気で、仕方なく就職したもののすぐに逃げ出す傾向があるとのこと。中年の失業者も、敬遠する傾向があって、なかなか人が集まらないそうだ。

原因がはっきりしているのだから給料を上げれば解決するはずだと思うのだが、介護報酬は政府が決めているため、事業者も高い報酬を払えないことから勝手に上げられないとなると、国の介護の仕組みに欠点があることは明らかなのだろうが、現場の声が政治に届くことがないのが現在の我が国の姿って一体何なのだろう・・・。

現政権は弱いものいじめが大好きらしく、介護報酬を上げて人集めの後押しをするどころか、逆に4月からは、そんな実態を知りながら、9年ぶりに介護報酬を下げたというから、人集めはほとんど不可能に近いと言っても過言ではなさそうだ。

現政権は、耳ざわりのよい言葉を並べるのは大好きで、今回も『新3本の矢』などとうたい、その中で『介護離職ゼロ』などとのたまっているが、介護現場がこんなお寒い状態では、自分が面倒を見なければならない立場に追い込まれて、やむなく退職する人は増えるだけ。介護のための退職者は増えることはあっても、減ることなど考えられるはずがない。

マスコミ報道によると、現在、特別養護老人ホーム(特養)を利用している人は54万人だという。さらに、入居待ちをしている老人が52万人だというから、希望者の半数しか入居できていないらしい。

実際には、民間の、しかも不認可老人施設に入居している人も多いというから、52万人という数値もあまり信頼性がなく、それ以上であることは推察できる。

これら多くの空き待ちの年寄りを入居させるためには、すぐにでも特養を建設しなければならないのは当り前の理屈で、現政権も建設を進めると述べているが、ハコモノを作っても人が集まらないことには、『介護離職ゼロ』など絵に描いた餅以前。

ハコモノ行政が行き詰まり、『バ-ドよりソフト』という言葉の意味の重要性が言われて久しいのに、現政権はハコモノにしか目がいっていないらしい。ハコモノなどは毎年嫌というほど出る廃校を、ほんの少し手直しすれば、すぐにでも全ての需要に答えられるほどの数が揃うはず。自治体も、廃校をどうするなどという議論もしなくてすむので大助かりだろう。

介護現場で働く労働者の賃金は、平均より月に10万円も少ないというから、よほどの人しか集まらないことは日を見るより明らか。給料を現在より10万円アップし、しかも正社員となれば、あっと言う間に人が集まる二違いない。

しかも、現在よりはるかに質の高い人たちが揃うことは、小学生どころかサルでもわかる理屈だろうに・・・。(杉)

2015年12月18日 (金)

どちらでも大差なし・・・

新国立競技場建設の案がようやくでてきたが、たったの2案だというもの、何かしっくりと受け止められない。しかし、いくら悪名が高く秘密主義がまかり通っているオリンピック委員会(JOC)であっても、そこまで隠すとは思わないから、実際に応募があったのは2案だけだったと納得するしかないのだろうな。

ところが、両方が『杜のスタジアム』というネ-ミングまで同じとなると、何か裏で談合でもあったのでは・・・という疑念は消えない。

巨大な建造物となると、ゼネコンしかできないことは間違いないが、木材をふんだんに使って、日本らしさを強調というコンセプトまで同じだとなると、設計段階からゼネコン間で談合?を疑いたくなるが、マスコミは『出た出た、2案が・・・』と、完成予想図を示して、どちらが良いかという話題ばかり。

 誰の設計なのか正式には明らかにされていないが、マスコミはA案は建築家の隈研氏と大成建設のグループ、B案が建築家の伊東氏と竹中工務店、清水建設、大林組の3社が組んだグループだと伝えている。

何故B案に3つのゼネコンがタッグを汲んだのかはわからない。それぞれがス-パ-ゼネコンという自負があり、それぞれに設計思想がありだろう。ならばもっと面白い案が出てくるのではないかと思いたいが、こんな結果となったのは、きっと私にはとても想像できない、企業のホンネや互いの思惑が絡み合ったことは間違いなさそうだ。

両案とも『神宮の杜』の自然と周辺環境との調和を前面に打ち出し、木材をふんだんに使って『和』を強調しているのは単なる偶然なのだろうか。しかも、同じ形の(フレームというらしいが)部分を繰り返して組み合わせ、楕円形のシンプルなスタンドを構成する工法も似ている上に、2019年11月末という完成時期も1500億円弱の総工費まで酷似しているのも気になるところ・・・。

それはともかくとして、2案しか青写真が出なかったので、どちらかに選ぶしか選択の余地がないが、今後、その決め方がどうなるのかは明確ではなさそうだ。

ここまで似ているのだから、国民の投票ででも決めたらスッキリするのだが、決める過程で巨大な利権が絡んでいることは間違いないだろうから、審査を担当する組織(部署)が国民に委ねるはずがない。

新国立競技場の建設を仕切っているのは『日本スポーツ振興センター(JSC)』という組織だそうだが、今回公開したのは、設計から施工までを一括で担う『応募業者』が出した技術提案書というものらしく、それをどこまで透明性を担保し、民意を反映させるかは明確にされていないようだから、これまでのやり方を見ているとあまり期待できないというところか。

 旧計画では、デザイン選定から工費や工期、設計の変更まで全てが秘密裏に行われ、その全てを、全ての業界の利益代表者が水面下で交渉していたことは明らか。その結果、建設費がどんどん膨れて、金額が明らかになるとあまりにもいい加減だと大騒ぎとなり、このままでは文科相の責任が問われるという事態になったことに慌てたアホベ首相が唐突に白紙・やりなおしの号令を出したというのは既報の通り。

 白紙撤回は当然として、今回、その反省に立ち、決定前に提案の中身を公開したとすれば一歩前進といえるだろうが、マスコミが明らかにしているにもかかわらず、正式には、中立公正な審査がゆがめられかねないとして業者や建築家の名前を伏せているのも変な話である。

これまでも度々感じていることだが、役所が発注する時に行われる『入札』という制度は当然必要なのだろうが、不思議なことに、業者は役所の想定予算を嗅ぎつける術に長けているらしく、同じような入札価格をつけるのがこの業界の日常らしい。

今回は、国が上限を1550億円と明らかにしているので、ギリギリその選に近い数値を出すのは当然と言えば当然だろうが、あまりにも酷似しているのも気になるところ。

私としてはどちらでも良いと思っているが、工事が始まったら、互いに協力という形で今回計画に参加した4つのス-パ-ゼネコンが、請け負う部分を分け合うという事態になりそうな気がする。

工事が進む過程でJOCが全ての情報を公開し、国民が『是』とするならば、それはそれで良いのだろうが・・・。(田舎親父)

2015年12月17日 (木)

生活保護って・・・

 大学進学のつぶやきが続くが、先日の東京新聞の『こちら特報部』が、生活保護家庭の子弟の大学進学問題を取り上げていた。生活保護を受けている家庭の子弟が、大学進学などは夢のまた夢になってしまいそうだと危機感をあらわにしている内容である。

実際に、厚労省の政務官は『生活保護は稼働能力を活用するのが要件で、保護を受けながらの修学は認めていない』と答弁したというから、『食うために幾ばくかのカネを、お上から恵んでもらう輩が、子どもを大学に通わせるなんておこがましい・・・』という考えと受け止めても差し支えなさそうだ。

この答弁を私なりに素直に解釈すれば、『生活保護家庭の子弟は、義務教育が終了したら働くことが原則』となりそうだ。しかし、さすがに、そこまで言ってしまうと世論の反発があるだろうから、高校進学までは認めるとのことが一般になっているようだ。

国の考え方は、地方自治体にも通達済みらしく、ほとんどの自治体は、生活保護担当者のマニュアルを作っており、そこには『すでに高等学校への就学によって得られた技能や知識によって、当該要保護者がその能力の活用を計るべきである』と明記してあるのだそうだから、子どもの大学進学などまったく想定していないことははっきりしている。

ところが、厚労省は生活保護家庭に限った進学率をまとめているというのだそうだから話の筋が違うような気もする。実際に、2013年のデ-タとして、大学が19.2%、専門学校などが13.7%と、受給家庭の3分の一の子女は、進学しているというから、論理的には何とも曖昧な話である。

日本らしいと言ってしまえばそれまでだが、ここにもタテマエと運用があって、マニュアルには、進学する場合『生活保護上は世帯分離措置によって取り扱うこと』と指示しているのだそうだ。

『世帯分離』という言葉を聞くのは始めてだが、記事には『進学した子どもを受給家庭と切り離し、別の所帯と捉えて、『この子だけは生活保護を受けていない』と位置づけるというのだから何ともややこしい。

考え方によったら粋な計らいと捉えられそうだが、タテマエとしては生活保護を受けていないので進学した子どもの支給分は差し引かれるという。一人が抜けると支給額は4万円程減額されるのだそうだから、何とも切ない話である。

記事には、この抜け道を使って大学へ進学している母子家庭で育った男性を紹介しているが、大学入学直後から、『母親の食事内容が変わった・・・』との部分は、母親の心情が良く現れており涙を誘う。

こんな現状なのに、(昨日の続きになるが)大学の授業料はどんどん跳ね上がるのでは、例え抜け道があっても、大学進学できる子女は限られてくることは当然で、そのことは、生活保護家庭の80%が高校卒業資格で就職するというデ-タが物語っている。

ところで、このところ生活保護を申請する世帯や個人が急増しているという。申請したらそのまま受給になるとは思えないので、条件的にどんな壁があるのかネットで調べてみた。

結果、①援助してくれる身内、親類がいないこと ②まったく資産を持っていない ③(病気やケガなどでやむなく)働けない(例外事項あり)④それ等の条件を満たしていても、付きの収入が最低生活費を下回っている という4つの条件全てに該当していなければならないとのこと。文面をそのまま読むと、なるほどもっともである。

普通に働ける人なら、生活保護を受けられないと思っていたが、非正規雇用が状態的になってきたことが大きな原因だろうが格差が広がり、現在の最低賃金が生活保護水準より下回っているというから、年々申請者が殺到し認定者が増える一方なのだろう。

特に、母子家庭(父子家庭)が増えているのは想像に難くなく、そのほとんどが生活に困窮していることは疑いのない事実。その人たちが、『生活保護』という駆け込み寺のような制度を頼り,今年の7月段階で、約160万世帯で約217万人というから、これは驚くべき数値である。

 この数値を、2000年と比べてみると、約70万世帯で約100万人だとのことだから、わずか15年で世帯数・個人数いずれも2倍以上増えているという信じられないような結果になっている。

格差は物凄い勢いで広がり、このままではトンデモない社会が目の前に迫っていることは間違いないのは明らかなのに、現政権は、さらに格差を広げる政策ばかりとなると、せめて最低賃金を上げなければ、この国には明るい将来はないと言っても過言ではなさそうだ。

 アメリカでも格差が広がり大きな社会問題になっているという。先日は、労働者たちは、時給1500円の最低賃金の支給を要求してデモも広がっているとの記事が目に留まる。

現在我が国の最低賃金は、都道府県で違い、一番高い東京都でも約900円。東北各県は700円に届かないのが現状では、生活保護はさらに広がり、進学問題もより深刻な事態になることは間違いないところ。

誰もが切り捨てられず、安心して生きていける社会に近づけるように努力するのが政治の基本であると信じるのだが、現政権は、『誰もが』という主語を、『俺たちが』と捉え、『俺たちが便利で快適な生活が送れる社会』と言い換えているとしか思えず、その矛盾は広がり続けている。

 今日もまた、『困った話だ・・・』というオチが続く・・・。(田舎親父)

2015年12月16日 (水)

国立大学の授業料が100万円?・・・

 現在の年間約54万円の国立大学授業料が、2031年度には93万円程度に上がるま文科省の試算したのだそうだが、共産党の議員の質問に答えるためとは言え、あまりにも無責任な試算ではなかろうか。

この試算は、財務省は『財政精度審議会』という、最近大流行の有識者(御用学者が多い)による『財務相の諮問機関』に対して、2031年度まで交付金を毎年1%ずつ削減することを提案したことが根拠になっているという。

財務省の教育いじめは趣味ではないかと思うほど露骨で、つい最近も、教員の減員要求がエスカレ-トし、少子化を単純に計算すれば、3万7千人減少できるはずとして文科省に迫ったという記事に、何とも言えない寂しい気持ちにさせられたことを連想する。

文科省も少子化で国立大の志願者が減っており、倍率は04年度の4・7倍から今年度は4・0倍に下がったことを受けて、今後、質の低下が心配されるため、交付金を絞って国立大の競争を煽る施策をとるというから、財務省の教育いじめを跳ね返そうという考えはなく、そのいじめを庶民いじめに転嫁する発想。これでは、文科省管下の学校でいじめがなくなるはずがない。

財務省に言わせれば国立大学の数が多すぎるのだそうだ。財務省の官僚たちにとっては都道府県に必ず存在している地方国立大学などは、駅弁大学程度にしか映らず眼中にないらしく、そんな大学など必要ないとの認識なのだろう。

数を減らすために、大学の収入の核となる国の運営費交付金を大幅に減額するという方針を示したことは想像に難くなく、文科省もこの方針に与したのか、努力目標を与えて達成できない大学を淘汰する目論見があるようだ。

 減収分は大学の努力で何とかやり繰りしろとのことである。そのためには、授業料を毎年2万5000円ずつ値上げろという提案で、これを元に文科省が試算したのが書き出しの数値である。

国立大学は貧困家庭の子弟にとっては、かすかな望みとして存在していることを分かってほしいものだが、実態は、消費者物価などとは比べようがないほどの値上げが続き、近年は富裕層の子弟しか進学できない傾向になっているようだ。

ほぼ50年前、私が富士通を退職し、横浜国大に何とかもぐり込んだ当時の授業料は年額1万2000円、入学金もそれと同額だったことを鮮明に記憶している。

早く両親と死別した私にとっては、その授業料すら払うことができず、入学式の一週間後に、学生課に駆け込んで、『蒼翠寮』という、当時でも日本一汚いと言われていた学生寮の入寮と奨学金を受けることができたと同時に授業料免除という処置で何とか卒業できたことは奇跡に近い幸運だったと今でも感謝している。もっとも,蒼翠寮出の生活によって、今でも持ち続けている対権力に対する批判精神が得られたとのだから幸運が倍加したことも付け加えておきたい。

話がそれたが、卒業後、間もなく3倍の3万6000円になったという記事を覚えているが、その後も上がり続け、1984年度に25万円を超えた後は、ほぼ2年おきに値上げを繰り返して、05年度から現在の53万円超という標準額が続いている。

値上げの度に、私立大学は経済的に無理だとしても、国立大学は奨学金などを利用すれば、年収の低い家庭の子弟でもアルバイトと奨学金でやり繰りで何とかなりそうなのに、その道も閉ざしてしまうのかと、怒りを覚える繰り返し。

大学卒と高卒の人たちの給料を比べてみると、最初から大きな差があり生涯賃金となると、1億円弱の差になるという。その意味で、大学進学率が高まることは当然だろうが、授業料(当然入学料や受験料)がここまで高騰すれば、低所得者家庭の子弟の進学は物理的に難しくなる。

『人の痛みをわかる人間になれ』という格言があるが、人の痛みを経験していない人間にその痛みをわからせるのは難しいだろう。同じように、幼少の頃から貧しい生活を味わったことがない人には、貧乏庶民の苦労はわかるはずがない。

貧しさを経験した若者が大学に進学して、社会の矛盾の克服方法を学び、格差の是正に力を発揮してほしいものだが、そのためには経済的なハ-ドルを低くすることが絶対条件だろう。

貸与ではなく『給付型奨学金』の創設など、学生支援を充実させる施策を急ぎたいものである。しかし現実は・・・。

やはり今日も『困った話だ・・・』というオチになってしまう。(田舎親父)

2015年12月15日 (火)

東京新聞の『筆洗』に拍手・・・

 再来年の消費増税時に食分野で税率を8%に据え置く軽減税率の範囲を巡って、自民党と公明党の綱引きが続いていたが、先日『外食と酒類を除く生鮮・加工食品全般』で手打ちになったとのことに、自民党内から批判がでているそうだが、それ以上に、社会全体になんともすっきりしない消化不良感が漂っている。

 すっきりしないのは、官邸が来年の参院選では公明党の協力がなければ闘えないという手前勝手な発想が先にたち自民党側を強引に押さえつけたようだが、『その財源はあとで考えよう・・・』とは何なのだろう。

国民が納める税金を選挙協力の取引に使われるという実態が明らかになったというところだろうが、国家の根幹である税制が党利党略で決まってしまうお寒い現実が浮き彫りになる。それに対してマスコミがスル-なのも情けないが・・・。

 国会で議論するならまだ許されるが、TPPの妥結内容が議論されたり、バンツ大臣はじめ、閣僚の醜聞やカネ問題を追求されたくたくないためだろうが、国会も開かず国民不在の密室協議でまるで自分たちのポケットマネーのごとくに税金が扱われる、こんなことが許されて良いはずがない。

このことに関しては、それを許している野党にも責任の一端があるはずなのに、理念で追求する姿勢よりも、数集めのために統一会派をという発想は、自民党の数の理論を自ら受け入れてしまっているのだから情けない。

現政権を倒すことは、選挙で勝利することしかない。そのためには共産党の提案通り、『自民党候補対野党候補』という1対1の対決しかないのも、政治音痴の私でもわかる話なのに、民主党のほとんどが共産党とは・・・という発想で進まないのでは勝てるはずがない。

どんな政権ができたとしても、現政権よりマシだという考えで、ぜひ統一候補を立ててほしいのだが、それはまたつぶやくとして軽減税率について話を戻す。

大新聞はこぞって、重税感が減って消費者は『助かる』と歓迎し、景気の下支えも期待されるので、軽減税率の対象が膨らんだので国民は喜んでいると述べているがチョット待ってほしい。

政治の無駄を無くしたら、あるいは必要ないハコモノの建設や、武器弾薬という人殺しの予算をほんの少し削ったら消費税など上げずにすむのは、経済音痴の私でもわかる話だろう。このことについて、13日の東京新聞のコラムが面白いので引用してみたい。

――幕末期、江戸の治安は乱れに乱れ、追いはぎが夜な夜な出没したそうである▼その時代を描いた落語の「蔵前駕籠(くらまえかご)」。追いはぎが出ようとも駕籠で遊びに出かけたいという男と、駕籠屋さんの意気。こんなクスグリ(本筋とは関係なく軽い笑いをとる話)がある▼追いはぎが迫る。「身ぐるみ脱いで置いてまいれ」。仕方なしに脱ぐと「誠に殊勝である。寒い時でもある。襦袢(じゅばん)(肌着)だけは許してやるぞ」。「ありがとうございます」。「…なんて礼を言うが、よく考えてみれば、てめえ(自分)の物。気が動転しているからこういうことになる。襦袢(自慢)にならぬってえのはここからきた」▼冷静に考えれば、これもやっぱり「てめえ」のカネではあるまいか。再来年四月の消費税率10%に引き上げ時に導入する軽減税率で与党が合意した。対象は食品全般。生鮮食品と加工食品は8%のままである。「ありがたい」とおっしゃるかもしれぬが、そもそも、10%への引き上げがなければ、礼なんぞ言うこともない話ではないか▼財源は約一兆円。社会保障制度の維持、財政健全化のために10%引き上げが必要と言いながらのこの額である。引き上げ慎重派から見ても、政府と与党の対応は整合性に欠けており、その分、怪しげである▼「参院選も近い時期である。食品全般は許してやるぞ」。「ははっ」では、襦袢にならぬ。―――ウ-ンとうなってしまう。私も、このぐらいの文章を毎日書きたいものだと思ってはいるのだが・・・。

財源も問題だろうが、庶民にとっては、今回の変な線引きは混乱を引き起こすに違いない。上げられて困る貧乏人心理を巧みに利用して、ほんの少しの還元に『ありがたい』という感情を持たされてはたまらない。

今日も昨日に引き続き、結論は、困った話であるであるが・・・。(田舎親父)

2015年12月14日 (月)

たった300万円の貧困対策では・・・

先日、日刊ゲンダイという大衆紙のネット版に『安倍首相の肝いり“子供の貧困対策” 寄付わずか300万円』という見出しを見つけ、これはなんとも情けないが、いかにこの政権の汚らしさ・嫌らしさが如実に現している記事だとただただ苦笑するしかない。

ただ日刊ゲンダイは、現政権に対してかなり辛辣な批判を繰り返し掲載しているので、私も時に開いているのだが、余りにも酷い内容に、ひょっとしたら視聴率上げのフライングではという感じもしたもの・・・。

しかし、12日の東京新聞が朝刊の一面トップで五段抜きの『子ども貧困対策 黄信号 基金寄付300万円止まり』という見出しで、ほとんど同じ内容の記事を掲載したことに驚き,改めて本当だったことを確認。しかし、朝日以下、読売・毎日という大新聞は、こんな大事な事柄について、何処からか圧力がかかっているのか、全く触れようとしないのが腹立たしい。

先日の日刊ゲンダイは、――安倍首相が発起人となり、鳴り物入りで10月に立ち上がった『子供の未来応援基金』。11月末現在、約300万円しか寄付が集まっていないことがわかった。経済界からの大口寄付は1件もないという。対策には億単位のおカネが必要なのに、このままでは子供の貧困は放置されたままだ―――という書き出し。

一方、12日の東京新聞は――政府が子どもの貧困対策の目玉として始めた『子供の未来応援基金』がふるわない。募金開始の10月から約2カ月間で民間から集まった寄付金は約315万円。基金を原資として2016年度から始める事業の実施に『黄信号』がともる。政府は『周知不足』と釈明する。だが、本来は政府が取り組むべき課題について民間を頼る対策には危うさがあることを露呈した。(我那覇圭)――と記者名を明示した文章はなかなか迫力がある。

この基金は今年4月に提起された『子供の未来応援国民運動』の一環なのだそうで、発起人には首相を筆頭に、第一生命保険会長やNHK会長ら『お友達』の面々が名前を連ねているのだそうだ。もちろん経済界のトップクラスもこぞって名簿には掲載されているのだろうが、それにしてもたった300万円しか集まらないのは笑い話のネタにもならない。

国内の子どもの貧困度は先進国の中ではダントツの18%(6人に一人の割合)もあるという。『一億総活躍社会』をうたうのなら、この問題を本気で解決しようとする政策を打ち出すことが先決。これを民間の『寄付』で賄おうとする発想が浅ましい。

現政権としては、『民間も巻き込んで・・・』という姿勢を見せたいのだろうが、自分たちの宣伝材料に使おうとしているようにしか見えないのは誰の目にも明らか。ホンネはもっと格差をつけて、一部が多数を押さえつける社会を目指しているとしか思えない。

この発想はともかく、『良し、わかった・・・』と経済界が動きだし、たちまちのうちに数億円の寄付を申し出るのならまだ救いがあるが、寄付に応じる企業はたったの2社だけで、自民党に献金した総額は約22億円と、5年ぶりに20億円台となったというから何をか況んやというところ・・・。

自民党に寄付するが子供の貧困対策には出さない、その真意は自分たちの懐勘定だけである。今の経済界は『自分さえ良ければ』主義で、献金すれば見返りがあると計算しているに違いない。

高度成長期の経営者たちは、自分たちの利潤追求はもちろんだが、『社会貢献』も大きな役割だと考える人たちが多かった。しかし、今の企業経営者たちは、『カネ儲け命』が全てで、社会的責任を負っていることを自覚していないと断言できる。

ブラック企業の経営者たちはその典型で、次々にブラック企業が現れている現実は、卑しい経営者が増えていることを物語っている。こんな卑しい大人たちがどんどん増えているのだから、子どもはますます貧しくなっていくのも当然だろう。

何とかこの『負の連鎖』を断ち切るのが、政治の役割だろうが、自分たち富裕層を潤すためには、武器も原発も売り込もうとする現政権では、豊かな感性を持った国民は育たないどころか、卑しさを『是』とする風潮すら広がるのではないだろうか・・・。

今日もまた、結論は『悲しい話だが・・・』となるようだ。(田舎親父)


2015年12月12日 (土)

リケジョに大拍手・・・

 先日、いろいろお世話になっている先輩から、『ご興味がありますか? お知らせまで・・・』という前書きで、――リケジョ高校生、蚕が食べるクワの葉に植物の宝石 『プラントオパール』を新発見 本庄高等学院の高校生の論文が国際的植物専門誌に掲載へ  ・早稲田大学――というメ-ルをいただいた。

私が桑の葉にのめり込んでいることを知っているので、桑や蚕の情報に興味があるだろうということだとありがたく受け止め、早速、添付してあるアドレスを開いて見る。(http://www.waseda.jp/top/news/35479

早稲田大学本庄高等学院』の3年生の二人の女子高生と、今春卒業して早稲田大学に進学している一人を加えて3人の理科系の若い女性(リケジョ)が、指導教諭と東京大学の准教授との共同研究の中で、蚕が食べるクワの葉の中に植物の宝石『プラントオパール』を発見したというのが主な内容である。

『プラントオパ-ル』という言葉はどこかで聞いた記憶があるが、アルツ的年寄りを自認している私には忘却のかなたの話。情けないながらネットのお世話になることにする。

Eテレで過去に放送した理科教師向けの番組の中で、『プラントオパ-ル』を取り上げており、稲の葉の先にキラキラと光る、時に手を傷つけるガラス質の物質であることを思い出す。何のことはない、この番組を見ていたことから、『プラントオパ-ル』という言葉をうっすら記憶していたのだろうが、すぐに思い出せないのはやはり歳のせいだろうと改めて情けなくなってしまう。

このガラス質の正体は『珪酸』という物質で、変化しにくい性質があって、年代考証などに利用されていることも徐々に記憶から蘇る。

『早稲田大学本庄高等学院』は、『スーパーサイエンスハイスクール』として文部科学省から指定されているのだそうで、2010年より有志生徒がキャンパスに自生するクワの葉を対象に研究に取り組んできまという記述で、この女子高生たちが桑の葉に注目したわけを知る。

本庄市一体は養蚕の盛んな地方であったことから、校内に桑の樹が残っていたのだろうと推測するが、桑の葉に『プラントオパ-ル』が存在することなど、恐らく誰も気がつかなかったことだろうからリケジョ女子高生に大拍手。

彼女たちは、今年度より『プラントオパール』が蚕に与える影響の調査も開始しているとのことだから、蚕が桑の葉だけを食べて、あのような細くて強い、さらに美しい繭を生み出すことと『プラントオパ-ル』との関係が明らかになれば、ひょっとして、我が国の養蚕(繭)の復活も夢ではないのでは・・・。

彼女たちの研究対象は『一ノ瀬クワ』という養蚕で用いる桑であるが、桑の葉の『プラントオパ-ル』を分離するのが難しく、このことにはまだ成功していない時ことであるが大学や研究機関と協力して、それが可能になったら、(この記事にあるように)『プラントオパ-ル』をふりかけのようにして蚕に与えることもできるはず。その混合具合で、繭の増産はもちろん、今までにない繭も生まれる可能性がありそうだ。

この記事を読んで、桑の葉には、他の食物にないような栄養素が含まれていることを自分自身の学習から知り、安物の電動石臼を購入して自宅で桑の葉をパウダ-を作って、それを寒天で固めて羊羹状の物を朝の主食としたり、ヨ-グルトに混ぜたりしているおかげで、健康に過ごせているという確信を持っている私には、違う意味で桑の可能性が開けるのではという期待が持てそうだ。

このところ少しさぼり気味だったが、『プラントオパ-ル』とは直接関係ないだろうが、先輩の好意に答える意味でも、桑の葉の成分をもう一度調べ直して、桑の葉の効能について発信しようと決意を新たにしている。(田舎親父)

2015年12月11日 (金)

また一つ混乱材料が増える?・・・

 このところかなり賑やかに『夫婦別姓』が論じられている。先日、毎日新聞がアンケ-トの結果を発表していたが、それによると、結婚しても夫婦が別の名字を名乗る『夫婦別姓』を選択できるようにすることに『賛成』との回答は51%で、『反対』の36%を上回ったとのことである。

 ところが、実際に夫婦別姓が認められた場合も別姓にするかという項目では、『夫婦で同じ名字』を選ぶと考えている人は73%に上り、『夫婦で別々の名字』は13%にとどまったというから、賑やかな議論とは別に、多くの夫婦は本心では今のままで良いと思っているのかもしれない。

私は基本的にはどちらでも良いと思っているので、深く考えたことはないが、一説によると、夫婦の姓はともかく、子どもの姓も別にできる?となると、これは考えないとトンデモない混乱が生じるのではないだろうか。

こんなバカな話はないだろうと思うが、このところ常識では考えられないようなことが突然起きることが多いので、私の勘違いであってほしいと願いながら、もし子どもにも違った姓を与えたらどうなるのだろうとぼんやりながら心配になる。

間もなく最高裁の大法廷が夫婦同姓や女性だけに再婚禁止期間を規定した民法が憲法に違反するかどうかの判断を下すという。子どもの姓も自由なんてあり得ない話だと思いつつ、ひょっとしてという気持ちも捨てきれない・・・。

一軒の家に、(例えば)夫である山田一郎と妻の田中花子の二人が別姓で存在することになったらと想像すると、常識的に考えれば、郵便局員や宅配便の配達人の便宜を考えて、『山田・田中』と二つの姓の表札をつけなければならなくなりそうだ。

 そのことは二世帯が居所に住む住宅も多く、表札が二つある住宅は良く見かけるので、表札さえ掲げておけばさほどの問題はないだろうが、二人の間に子どもが生まれるとどちらの姓を名乗るか、あるいは別の姓を与えるのかで状況は一変しそうだ。

常識的には、別姓を実践する夫婦であっても、話し合いでどちらかの姓にするだろうが、中には,京都が好きなので『京都』という姓を選択し、その姓にあう名前として『雅』と名付けるという、異常?な感覚の持ち主が現れないとも限らない。

そんなことはあり得ないと思いながらも、もしそんな時代になったらと想像する。また、第一子と第二子を別々の姓にする可能性もあるだろうから、学校(保育園や幼稚園も含めて)現場ではかなり混乱が起きるのは経験上明らかだろう・・・。

 今、学校では個人情報について、子どもの名前や住所などが表に出ないように苦心しているようだ。加えて家庭の電話番号さえ外部に漏れないように(そこまでやらなくても良いだろうと思うほど)極端に神経を配っているのが当り前になっているという。

最近は情報が確実になっているので行われていないのだろうが、私が現役時代には、例えば、台風のために登校を1時間遅らせるなど、学校から全家庭に連絡してければならないこともかなりの頻度であったことを思い出す。

そんな場合、一昔までは『緊急電話連絡網』が当り前にあって、学校からはPTAの役員の一人に電話すれば、クラス全員の保護者や子どもに連絡できたのだが、最近は個人情報守秘が徹底されていることからそれも廃止している学校が多いとなると・・・。

また、電話番号も含めて、子どもや保護者の個人情報は全て学校内で管理することが義務づけられているので、校外にいる場合(自宅も含めて)に緊急に連絡する必要があった時、困ったという話も耳にしたこともある。

緊急連絡しなければならない事態になったとして、たまたま校内で個人情報をすぐ開くことができたとしても、子どもが母親の姓なのか父親の姓なのか、あるいは全く別の姓なのかを、日常的にはっきり把握していなければ適切に連絡できるか怪しくなる。担任以外が連絡する場合は、間違う確率も多くなるのではないだろうか。

世の中には往々にしてこういった初期のボタンのかけ違いで話が別の方向に進むことが稀ではなく、話がこじれることはこれまでも度々起きたことを考えると、別姓が当り前になったらさらに多くなることも考えられる。場合によったら、裁判沙汰になる可能性もありそうだから、また一つ学校の苦労が増えるようだ。

 私のこんな心配などは杞憂だろうと思っているが、最近の『個人の権利』意識は強まる一方で、子どもの名前をつけるのは親の権利で他から文句を言われる筋合いではないと、いわゆるキラキラ名前ばかりか、私に言わせればトンデモ名前までつける親さえ存在するのも事実だとなると、『夫婦別姓』はともかく、子どもの姓まで自由では、前述したような面白半分の姓を名乗る輩が現れることは間違いなさそうだ。

女性の再婚禁止期間は、DNA鑑定技術の精度が高まったことから、親子関係が分かるだろうから必要ないように思えるのでこちらはパス。

しかし、別姓を認めても、子どもの姓は現在の父母どちらかの姓を名乗り、違う姓は認めないという最低限の縛りは必要だろうと思うのだが・・・。

さて、最高裁の15人の判事の判断はいかなることになるのだろう。(田舎親父)

2015年12月10日 (木)

合法的?選挙違反・・・

 先日もつぶやいたが、『一億総活躍社会』なんて、アホな標語を掲げ、しかも、それをあたかもホンキであるが如しの政策を始めている現政権が打ち出している(選挙対策だろうとしか思えないが)低年金老人に3万円を支給するという『下層老人対策案』の内容が明らかになってきた。

『臨時給付金』という名称で、来年の前半と後半の2段階に分け、1250万人に配るという。その予算も補正予算と来年度の予算案に組み入れたというから、野党が『選挙対策のバラマキ』と大反対したとしても、今のような力なしでは阻止することはできそうもない。

来年前半に配るのは、65歳以上で、住民税が非課税の約1100万人だという。内訳は、年金収入などが年87万円以下の約600万人弱と、同87万~155万円程度の500万人強が対象で、これらの老人は非課税そうなのだそうだ。

年金が155万円までが非課税だということは迂闊ながら知らなかった。なるほど、それよりちょっぴりだけ高くいただいている私に声がかからないことがわかったが、それにしても、年金生活者の3割が、いわゆる『下級老人』とはなんとも寂しい限りである。

さらに、来年の10月ごろからは、65歳未満の障害基礎年金と遺族基礎年金の受給者約150万人に配るというから、政府は『うちでの小槌』でも持っていて、それを軽く振るだけで、たちまち3000億とか5000億のカネが出てくるのだから困った話。

この『臨時給付金』は、消費税を10%に引き上げる2017年4月以降、年金が少ない人に年6万円を配ることにしている分の前倒しだという。確か、当初政府が掲げていた給付対象者は、年収87万円以下の人と、障害・遺族基礎年金の受給者だけだったのに、参院選前後に多くの人に配ることができるようにというのは、繰り返しになるが、選挙対策としか言いようがない。

現在の野党の体たらくでは、何もそこまでやらなくても自民党が勝利することは疑いないところなのに、このバラマキで『下級老人層』を取り込んで、まずは参院で過半数はもとより3分の2以上の議席確保で、憲法改正に持っていこうとする筋書きがはっきり見えてくる。

数の力で強引に戦争法案を通した現政権にとって、何としてもやりたいのは憲法を改定し、大手を振って『戦争ができる国』となってアメリカさまの手先になって世界を牛耳りたい?ようだ。そのためには、来年の参院選は何としても3分の2以上の議席確保は必定条件だろう。そこで考え出したのが今回のバラマキ。合法的?な不特定多数の有権者の買収というところだろう・・・。

憲法を変えてしまえば何でもできる。国に批判的な良識に対しては現行でも圧力をかけているが、憲法で『国の方針』に反対するのは『否』と明記してしまえば、戦前の治安維持法ではないが、国民を黙らせられる。あとは、一部の輩で思う通り、ますます国民格差が広がることは誰が考えてもわかることだろう。

どうしてこんな子供だましが通用するのだろと歯がゆくて仕方ないのだが、金儲けが何よりも優先すると擦り込まれた一般国民は(悲しいことだが)目先のカネしか見えなくなっているらしく、今回の3万円を買収という合法的?選挙違反だとは思わないようだ。

『一億総活躍社会』というならば、『誰一人落ちこぼさない社会』が原点ではないのだろうか。このことを理想としてでも掲げなければならず、そのためには格差を無くすことが出発点でなければ話が通らないはずだろう・・・。

 お互いに助け合い、支えあう力を強くし、誰もが置き去りにされない社会が、本当の意味での『総活躍』できると捉えたいものだが・・・。(田舎親父)

2015年12月 9日 (水)

また一つ蚊の恐ろしさが・・・

 先日のことである。『ブラジルで、通常より頭が小さく、発育に深刻な影響を与える小頭症の新生児が急増』というネットニュ-スの見出しに目が留まる。

記事によると、今年になってブラジル全土で例年の8.5倍に当たる1248人の小頭症の子どもが生まれているという。最も多い州では75倍の646人が小頭症の疑いありと診断されたというから現地では大騒ぎになっているようだ。

『小頭症』という病名は聞いたことはある。詳しい症状は理解できていないが、読んで字の如しで、何らかの原因で、新生児の頭蓋骨が極端に小さい病気だと認識している。当然なことに脳の容積が小さく未熟だろうから、重い知的障害が出るだろうことは想像できる。

ブラジル政府は緊急事態を宣言し、原因特定を急いでいたが、このほど、保健省は、蚊が媒介する新型ウイルスの流行との関連が明らかになったとして、検査体制を強化、その結果、蚊が媒介してまん延する『ジカウイルス』という名のウイルスが小頭症急増の原因だと断定したという。

このウイルスが妊娠3カ月以内の妊婦の体内に侵入すると感染し、発症するリスクが高くなるというから恐ろしい。

蚊が原因だということで、昨年だったと記憶しているが、代々木公園などで蚊に刺されことによって『デング熱』が蔓延したことを思い出す。熱帯地方に棲息するネッタイシマカやヒトスジシマカによって媒介されるというので、公園への出入りを禁止し大がかりな消毒の様子が連日放映されたもの。一般家庭でも、蚊が発生しそうな水たまりを無くそうという気運が高まったことも記憶に新しい。

これらの蚊は、本来なら暖かい地方に棲息するはずの蚊なのだが、ヒトスジシマカは近年の温暖化で秋田県などでも発見されたというから、日本中の感染が心配されたか、大騒ぎの割にはたいした被害は出ず、寒くなると同時に収束したのではなかっただろうか。

今年も感染が心配されたのに発症したというニュ-スは聞かなかったことは何故なのかと今頃になって考えているのも変な話だが、マラリアや日本脳炎も蚊によって媒介されるウイルスが原因に加えて、今回の小頭症もとなると、実に厄介な昆虫であることは間違いないところ。

ところで『ジカウイルス』なんて始めて聞く名前である。このウイルスに感染すると、発熱や下痢を引き起こすというから、デング熱と共通しているらしい。事実、ジカウイルスを媒介するのもネッタイシマカやヒトスジシマカだというから、小頭症とデング熱はいわば親戚?と言っても良さそうだ。

記事によると、ジカウイルスは1947年にアフリカのウガンダで発見され他比較的新しいウイルスで、これまでに東南アジアや太平洋諸島でも見つかっているそうだ。今年4月にブラジルの大学が、ブラジル国内での存在を確認したとのことだから、ブラジルにはそれまで存在しなかったと考えると、世界的に広がっている可能性が高そうだ。

デング熱騒動でもそうだったが、ジカウイルスの感染を予防するワクチンは現在のところ無いという。しかも有効な治療法も確立されていないので、ブラジル保健省は『蚊に刺されないようにするしかない』と訴え、ジカウイルスを持つ蚊(ネッタイシマカやヒトスジシマカ以外の蚊も含めて)蚊が発生しやすい不衛生な水溜りなどには近づかないよう注意を呼び掛けているという。

昨年の我が国できデング熱騒ぎの場合、ウイルスを媒介する蚊の棲息範囲が限られていたこともあって、徹底した消毒と、立ち入り禁止という処置ができたのだが、国土が広く一年中蚊が棲息できる地域も広いブラジルで、しかも小頭症の発生は広域だとなると、ただただ蚊に刺されないようにという呼びかけ以外有効な手段は無いようだ。

こんな病気をかからないためには蚊に刺されなければ良い。そのため、我が国では多種多様な予防薬が薬局に並んでいるが、絶対にこれだという薬品が無いのだそうだから厄介である。

以前にもつぶやいたことがあるが、先天的に蚊に刺されやすい体質を持っていたらしく、春先から、蚊に刺されないように蚊とり線香とキンチョ-ルやフマキラ-などの噴霧薬、さらに刺された時にはキンカンやメンソレ-タムなどの薬剤が離せなかった。

しかし、繭の煮詰めた液を化粧水がわりに利用するようになって以来、(その理由はわからないが)不思議なことに7月まで、ほとんど蚊に刺されることがなくなっている。昨年からは、ドクダミの花を焼酎に漬けた液体を併用しているので、さらに刺される確率はさらに少なくなったが、8月から効果が消えるのが残念なところ。

専門家がこの事実に興味を持ってくれれば、ひょっとすれば画期的な蚊に刺されない体質つくりのための特効薬ができるのではと期待しているのだが・・・。(田舎親父)

2015年12月 8日 (火)

間もなくクロ-ン人間が・・・

最近はマスコミもほとんど取り上げなくなったが、今日は74年前、真珠湾を不意打ちで始まった『太平洋戦争』の開戦の日。

改めて、当時の政治体制など読み直しているが、まさに『一億総火の玉』という標語が徹底され、幼い時からの価値観は個人や家族などは二の次三の次となり『お国のため』という思想一色。それをほとんどの国民もそれを受け入れていたのだから現在では考えられないが・・・。

一般家庭では、赤紙一枚で内心の悲しみを隠して愛しい我が子を戦場に送らねばならない人々の哀れで悲惨な光景が充満している。

その記憶の深い反省の元、『戦争行為を永久に放棄』した『一億総国民』だったはずなのに、最近は、『憲法改正』は手続き上面倒だからと、『集団的自衛権』という一般国民には分かりにくい用語の解釈を強引に変更して、自衛隊を世界の何処にでも派遣できる国にしてしまったことは恐ろしいこと。

しかも、全てを国が統制する動きが強くなり、報道や集会の自由などが制限されるばかりか、教育内容までもが国の管理が進無現実では、『火の玉』が『活躍』という言葉に置き換えられただけの、標語を恥ずかしげもなく標榜する政権の暴走を許せば、新たな『12月8日』があり得ない話ではなくなったような気がしてならない。

戦争の恐ろしさとは別の話になるが、人間の生命の根幹となる遺伝子を操作して、クロ-ン人間まで作り出そうという研究が世界各地で進んでいるというニュ-スに、なんとも嫌な気分にさせられる。

先日の時事通信が、世界最大のクローン工場の建設を進めている中国人科学者の言葉を紹介していた。この男は、『ヒトのクローンをつくれるほど高度な技術を持っているものの、世間の反応を恐れて実行に移していないだけだ』とのたまっているらしい。

中国で現在進行形とのことらしいが、クロ-ン牛を100万頭生み出すために作られた巨大工場を建設中で、この科学者はその責任者だという。

記事には、巨大工場は中国北部の湾岸都市・天津で同国のバイオテクノロジー企業ボヤライフ・グループ(博雅幹細胞集団)が提携企業と共に建設を進めているもので、向こう7ケ月以内に操業を開始し、2020年までに年間100万頭の牛を生産することを目指しているとあるというから、本当だとしたらこれは大変な問題である。

 しかも、牛のクローンは、この企業の持つ野心のほんの始まりにすぎず、工場では、サラブレッドの競争馬やペット、警察犬のクローンも行う予定だというから、こんなものを許したら、中国社会は大混乱になることはもちろん、この混乱は世界に広がり、トンデモなない事態になりことは明らかだろう。

 サルからヒトへの飛躍は生物学的に見ればごく短い一歩だと何かの本で読んだことがある。すでに霊長類のクロ-ン造りも始まっていることも予想できるが、倫理や道徳上の論争を巻き起こす可能性があるので明らかになっていないのが現実らしい。となると・・・。

この科学者は『この技術はもう存在するし、認可されるのなら、すぐにでも可能だ』とうそぶいているから不気味である。そして、現在はヒトのクローン作製には従事していないとした上で、そうした活動は反発を生む可能性があるため『自制』する必要があるとの認識を示しながら、社会の価値観は変わるのを待っているようだ。

その一例として『同性愛』に対する見方が変化したのと同様、人間は子孫を残す方法について、より多くの選択肢を持つようになるだろうと語っているというから、これは聞き流せない気がする。

つい最近、渋谷区や世田谷区において、同性のカップルの『結婚』を事実上認めるという証明書を発行したというニュ-スに、いろいろな価値観があることは理解できるが、同性同士の結婚となると、物理的に二人の間に子どもが生まれることは絶対にないのに、これでまた出生率が落ちそうだと思ったもの・・・。

しかし、クロ-ン人間を産み出す技術があれば、同性同士の結婚でも他人(優性遺伝子を持つ人間)の精子あるいは卵子を得ることによって、試験管で人間が作り出せる?。となると、出生率などという言葉は死滅するに違いない。

まさか、国(現政権)がこのことを前提に、同性愛者同士の結婚を認める政策を広めているとは思いたくないが、もしもクロ-ン技術を念頭において、出生率1.8などという絶対に不可能な数値を言い出しているとしたら・・・。

さらに飛躍して、国の管理の元、その目的にだけに適したクロ-ン人間を必要数生み出せるとしたら、生身の女性の子宮を借りなくても、兵士など好きなだけ生み出すことができることになりそうだ。それ以上想像したくないが・・・。(田舎親父)

2015年12月 7日 (月)

どうしたJR東日本・・・

 このところJR東の路線ダイヤの酷過ぎる感がある。人身事故で遅延ということは、これだけ人間が溢れていてはある意味避けられないものの、それ以外の原因でのトラブルが多いのが気になるところ。

その例であるが、先月30日朝に大崎駅で大々的に出発式まで挙行して運行が始まった山手線の新型車両が、数時間後にはドア-が完全にしまらない状態で、しばらくの間停車するというトラブルが数件発生したという。

さらに、夜になって大塚駅では、それらのトラブルに加えて停車位置に正しく止まらず運転席のモニタ-に故障表示が出たことによって運転を打ち切り乗客を降ろし、原因を調べているというニュ-スが流れた。

その後、新しく導入した運行システムのソフトの異常だった報告があり、結局は新型車両の12月中の導入は延期したとのことである。これではJR東日本の自信満々の前宣伝は何だったの・・・の突っ込みたくなる。

この記事の翌日の12月2日の朝に、わが町を走る『横浜線』が始発から『運転見合せ』を報じていた。夜間の架線の張り替え工事中にトラブルが発生し、その復旧に数時間かかり、完全復旧は午前11時ごろになる模様とのことに、いよいよ急増しているJR東日本の列車トラブルが横浜の片田舎まできたか・・・とガッカリしながらも耳を傾ける。

横浜線は山手線と車両が良く似ている。JR東日本の首都圏の路線は、それぞれシンポルカラ-を持っており、その色で見分けがつくようになっているが、山手線のウグイス色のラインと横浜線の緑のそれは一見すると間違うほど。

このことを、長年、山手線のお古が横浜線に払い下げになっていた歴史があるからだと誰かに聞いたことがあるが、妙に説得力を感じて、以来、横浜線は兄に当たる山手線に虐げられた弟のようなものだろうという認識が私の中で定着している。

しかし、沿線の風景は全く違う。山手線は東京の都心部を一周するのだから、沿線にビルやネオンが途切れることはないが、横浜線は(随分近代的になったとは言え)ネオンが賑やかなのは駅周辺。しかも限られた駅だけで、田んぼが広がる田園風景や丹沢の峰々や富士山が美しく遠望できる場所も数残っている。

私がこの地に住まうようになって40年。横浜線は驚くほどの変貌を遂げているが,沿線の風景とは別に電車の事故が少ないことが気に入っている。遅延は以前では、大雨で鶴見川の氾濫時には常態化していたが、今は治水が完璧に改良されてその恐れはゼロ。恐らく首都圏では一番事故や遅延が少ない路線ではないのではと思っているが・・・。

当然のことながら、現役時代は電車が遅れて苦労したという経験は余り記憶にない。まして、午前中いっぱい動かないことなどなかったはずなので、2日朝の報道では、『これはえらいことになりそうだ・・・』と思ったもの。

山手線とは乗客数では比較にならないが、横浜線は横浜の片田舎の大動脈。日本全体の人口は激減しているというが、この沿線の人口は増えているので、JR東日本の中では収益率は山手線や中央線に続いて第3位だと聞いている。

沿線の人口が増えるにしたがって、運行ダイヤはかなた過密になり、最近は快速など走っているが、それに比例して多くなったように思えるのは『遅延』の報道。それでも山手線や中央線、あるいは総武線などと比べて比較にならないほど少ないのは間違いないところ。

今回の事故で、小机-町田間が5時間以上運休。町田で接続している小田急に利用者が殺到したことは想像できる。その小田急は乗客を裁ききれずダウンしたというから、なんともJR東日本は罪なことをしてくれたものである。

私が利用する中山駅は数年前から市営地下鉄とつながっていることもあり、東横線や新横浜、あるいは横浜などと直結しているので、近所の通勤する人たちからは混雑は半端ではなかったが何とか始業に間に合ったと聞いているが、東急田園都市線の交わる長津田は別にしても、それ以外の駅を利用する乗客の困難さは大変だっただろう都想像できる。

その日は,横浜線と似た環境の多摩川にそって走っている南武線も事故が重なり大幅な遅延や運休で長時間混雑したことも単純な人為的なミスからとのことに『どうした東日本・・・』と言いたくもなる。さらに翌日には、遅延情報が北関東でかなり発生・・・。

さらに昨日の朝は、東京から品川までの地下をそうこうする部分の排水機の故障で、線路が水に浸かり、東京-品川間が長時間不通。日曜日でその区間は山手線や毛気品東北線が並走しているのでたいした混乱はなかったようだが困ったものである。

利用客が増えるにしたがって、運行システムが複雑になり事故が起きる可能性は多くなることは理解できるが、新型車両の導入にはもう少し丁寧な計画と準備を願いた。

ましてや人為的な単純ミスで長時間不通になる事態にならないよう、最大限の注意は払ってほしいものである。(田舎親父)

2015年12月 5日 (土)

調べてみてビックリ・・・

 私には歯に弱点があるのだろうが、『歯医者』とか『虫歯』という『歯』がつく言葉には敏感に反応するらしく、先日『虫歯の子どもが減っている』という記事に思わず目が留まってしまった。

最近は『虫歯』という言葉を余り聞かなくなっていた気がする。歯磨きの習慣などが徹底したからだろうが、虫歯に代わってとみに良く耳にするのが『歯周病』。さらに原因が『歯周病菌』というバイ菌だというが、バイ菌なら薬剤で根絶できそうなものなのに、葉と歯茎の掃除が必要だというのも何とも厄介な病気である。

同じように、『虫歯』も『虫歯菌』というバイ菌がもたらす病気で、虫歯菌が感染しないように、特に乳幼児が口に入れるお箸やスプ-ンは厳重に消毒が必要だという説が保育園などを中心に広がっているのだそうだ。

 詳しい知識がないので、本当なのか判断できないが、このような説が流行っては、預かっている子どもに虫歯菌がつかないように『歯磨き』がことのほか大切になるのだろうなあと保育士たちの苦労を想像する。と同時に、ますます保育士不足に輪がかかるのではと変な心配をしてしまう。

 それはさておき、私の子どもの頃には、その数は別にしても虫歯は当り前のものだったが虫歯が激減しこの20年余で1人当たりの本数は4分の1になっているという。このことについては、保育園に限らず、小学校でも歯を大切にする指導と家庭でも食後や就寝前の歯磨きが習慣化しているのだからもっともな話として納得する。

この記事を読んで、ふと、『なのに、歯科医の数はばかり増えるのだろう・・・』と素朴な疑問に行き当たると同時に、こんなに歯医者の数が増えては、患者の取り合い合戦で大変だろうなと同情したくなってくる。

確かに多い。多過ぎる上に、さらに新しく開業する歯科医院は後を絶たない。私が住んでいる町の最寄りの駅は、横浜の片田舎を走る横浜線の『中山駅』。何処にでもありふれている小さな町であるが、駅から半径1キロ程度の範囲に歯科医院が一体何軒あるのだろという興味が生まれ、意識的に数えてみた。

エッ、ここにも。アラ、ここにもあった。気がつかなかったがこんなビルの3階にも、新たに開店したス-パ-にも・・・と数える方が忙しい。数ヶ月前、流行っていたお菓子屋が急に店じまいした後には、土日でも診察するという歯科医院が開業している。

数年前に廃業したコンビニの後にできたのも歯科医院だったことも思い出す。そして、現在確認しているだけで、21軒もの歯科医院が存在していることに改めて驚く。中には人通りの多い通りに面して、一軒おいた隣で営業している歯科医院も存在する。

今までは気がつかなかっただけなのだろうが、歯科医院の看板には、そのタ-ゲットをはっきりさせて、幼児を専門に扱う歯科やインプラント治療や歯並びの矯正、あるいは口腔外科をうたったものなど、なかなか多彩である。

診療時間も夜9時までとまるでス-パ-並の歯科医院もある。土曜日も診療可能などは当り前、中には日曜日もという歯科医院も珍しくない。驚いたことに、『土足で診療』という文言まであったが、衛生的にこれで良いのかとかえって敬遠する人も多いのではといらぬ心配さえしてしまう。

私も、現役時代は利便性を重視、駅近くの歯科医に通っていたが、退職後は治療に納得できる全く別の地域の歯科医院に通っている。もっとも、その医院がある場所は、バスしか交通機関がないのにもかかわらず、近くに数軒の歯科医院が存在しているのだから、以下に歯科医院が多いことを現している。

国はこの飽和状態の歯科医院の現状から、業界の将来をにらみ、高齢者を重視した診療報酬のあり方や、歯学部の入学定員について方向性を示そうと検討を始めているのだそうだが、歯科医師の資格を得たら開業したくなるのも世の常だろうから、簡単には結論には至らないだろう。

このことは、その動きを調べて、改めてつぶやくことにして、今日のところは、(自分で調べた)歯科医院が余りにも多いことに驚いたことだけを・・・。(田舎親父)

2015年12月 4日 (金)

これで収まる?・・・

 新国立競技場建設が白紙に戻ったものの、その後の動きが余りにも遅過ぎるのが気になるところ。これまでも何度もつぶやいてきたが、どうしても急いで取り壊さなくてはならない理由があって、それを明らかにできないわけがあるのではと疑いが消えない。

 新しい競技場の案は一部の部署ではすでに基本の絵は作られて、後は設計会社に委託するだけとなっているのだろうと推測しているのだが、マスコミ報道では、あくまで設計段階から造り直すというのが定説になっているらしい。

 まさかあの巨大な宇宙船のような完成予想図は示されないと思うが、どんなものが出来上がるのか姿形は全く不明。のにもかかわらず、先日、都知事と担当大臣との話し合いの結果、都民の税金から395億円を分担金という名目で負担するということで合意したという。新たに、都民は納得するのだろうかという素朴な疑問が頭をよぎる。

しかも、具体的な話は何もないのにかかわらず、本体工事とは別に、道路上空の歩行者デッキや公園整備に53億円もの巨費を負担し、さらに、今後人件費や資材費の高騰があればそれ分も加算し、消費税率が10%への引き上げた時点で3%分を上乗せするとのことであるから、何とも納得しかねない話。

そのことを伝える記事によると、分担の対象になる経費は、本体と周辺整備の1550億円、設計と監理の40億円、旧競技場解体の55億円を基に計算した1581億円として、それを国が50%、都とスポーツ振興くじ(toto)が25%ずつを負担するのだそうだ。

 カネ問題で途中退場させられた前東京都知事が招致を決めて、巨費を投じた大々的な宣伝活動で、招致を勝ち取ったと報じられたが、当時、都民のどのぐらいの割合でオリンピックに賛成したかとなると疑わしい限り・・・。

私は、完全に商業ベ-ス(金儲け主義)の奴隷となってしまったオリンピックなど必要ないという主義なので、招致成功の場面に全く感動はなく、これでまた国民が踊らされるだけだろう気持ちが暗くなったものである。

 招致は決まったものの、それからの展開が極めて不透明で、取り壊す必要なしという声も全く無視して大急ぎで解体。更地になってから当初に比べて何倍にも膨れ上がった建設費に加えて、エンブレスの盗作問題など、今まで隠していたことが一挙に吹き出し、結局は、新国立競技場の建設計画を白紙に戻さざるを得なくなったのは今更述べるまでもないこと。

 恐らく、JOCも文科省もここまでの反対は予測していなかったので、この程度の予算は当然すんなり通ると思っていたはずでは・・・。『たった3千億程度のカネ・・・』という信じられないような発言がそれを証明している。

都知事と文科相の会談で分担金の額で、話が違うということで互いに責任のなすり合いを始めたのも、担当部署間でボタンのかけ違いでもあったのかもしれないが、急に話が奇怪しくなり、結局は白紙ということになったと受け止めている。

 マスゾエという御仁は世論の動きに敏感で、だからこそヌエ的だと言われているのだろうが、国の要求を断ったことによって、都民の支持率は上がったと言われている。

 そのことに気を良くした都知事は、今度は自分が大将という気分で話を進めているのだろうが、どう考えても、青写真すら示されないうちから都知事が上限とは言え分担金額を決めるのは、手順が逆だろう。

 確か新競技場の旧計画出の会談時、文科相が都知事に対して500億円を支出するよう要請したとき、『数字の根拠が理解できない』と突っぱねたと記憶しているが、今回は、当初から国と話し合いを進めたらしく、『きちんと議論した論理の帰結』と妥当性を強調していると報じられている。

 はじめから『俺』を入れたからというのでは、個人的なメンツだけの話のように思えるが、これで都民が納得するとしたら都民はナメられたものである。(田舎親父)

2015年12月 3日 (木)

日本だけが取り残される?・・・

自動小銃を抱える警官が数メ-トル間隔で並び警戒している映像が、連日放映されているが、その厳重警備の元『温暖化対策パリ会議(COP21)』が、先月30日から始まっている。

これだけマスコミが大騒ぎしているのは、『地球温暖化』よりも、先月パリで起きたイスラム過激派による『同時多発テロ』で多くの人の命が奪われたことと、それに対してフランス政府の異常とも思える過激な反応に加えて、テロからの日数が浅いことが影響しているに違いない。それにしても日本人には考えられないような警備態勢である。

『地球温暖化』という言葉が当り前に使われるようになったのは、1997年の『京都会議(COP3)』で、先進国に温暖化対策の法律的な義務を課し、数値目標を割り当てた『京都議定書』の成立あたりからだったのではなかっただろうか。

当時は、このままで二酸化炭素量が増え続ければ、南極や北極の氷が溶け出して、海水面があがり、陸地が少なくなると大騒ぎになったことを思い出す。しかし、キリバスとかツバルという国が成立していたかどうか記憶にないが、『京都議定書』という言葉は先行したものの、日本国内ではさほどの大問題にならなかったのではないだろうか。

『京都議定書』は、先進国には二酸化炭素の削減義務を課したものだったが、世界でもっとも排出量が多いアメリカは国内の意見集約ができないから脱退。折角成立した議定書は画期的だと言われたが実行力が伴わない、いわば『絵に描いた餅』となり、その後は『COP』というアルファベット文字の後に続く数が毎年増えるばかりで、その実はほとんど進展がなかったらしい。

その大きな要因は、排出量世界第一のアメリカの離脱に加え、第二・第三の中国やインドをはじめ、発展途上国には削減義務が課せられないことだったという。特に中国にあっては、石炭をふんだんに使って発電し、経済発展をなし遂げたことは今更述べるまでもないだろう。

ところが、中国の凄まじい大気汚染の様子が、インタ-ネットを通して世界にも知られるようになり、外国メディアが深刻に伝えることから、中国も本腰を入れて二酸化炭素の排出規制を始めたことで、アメリカも『これはイカン・・・』というところらしく、これまでと違い、世界のほとんど国々が会議のテ-ブルについているのだそうだ。

  フランスはリ-ダ-シップの見せ所とばかり、初日から首脳会合を開催し、新たなルール作りに意欲を見せているらしいが、先進国と発展途上国と根本的な考え方が違うため、なかなか前に進まないようだ。

京都会議では、途上国側の共通の認識として、『温暖化は、お前さんたちが散々快適な生活を楽しんだ結果だろう』と述べるのは当然のこと。そして『俺たちにも、快適な生活を送る権利がある』との主張。

だから途上国に対して削減義務を負わせられなかったのだろうが、ツバルやキリギスなど太平洋に浮かぶ島国は、自分たちの快適な生活などいう以前に,国土が.消滅する危険が迫っているとなると、各国に削減目標の数値化と義務を急ぎ、アメリカをはじめ先進国との綱引きが始まっているという。いずれにしても、真剣さは今までの会議とは全く違うのだそうだ。

地球温暖化は化石燃料を燃やすことによって生じる二酸化炭素をはじめ温暖化ガスの増加が原因だということは衆目が一致するところ。この会議で、脱化石燃料の時代へと、世界は一気に加速することが期待されているのだが、はたして・・・。

議長国のフランスは『テロ撲滅』というタテマエもあって、日程を延長してでも『議定書』なのか『協定』七日は別にしても、法的拘束力のある、何らかの合意文書を採択するために必死だと伝えられる。

福島原発の事故の影響によって、ドイツが直ちに『脱原発』を宣言したように、各国の原発依存が少なくなっていることから、温暖化防止に対しての世界的な考え方は、原発に頼らない化石燃料からの脱却で、太陽光や風力発電が主流になっているという。

京都会議では、途上国グループのリーダーとして、削減義務受け入れ反対の急先鋒だった中国でも、アメリカとの首脳会談で、はっきりと『低炭素経済』へ移行する方針を打ち出し、二酸化炭素を大量に排出する企業に対して厳しい規制をかけ始めていると報じられている。

日本は2030年度に13年度比26%減というかなり高い数値目標を掲げているらしいが、原発の停止を口実に、二酸化炭素の大量排出源である石炭火力発電の技術を進展させとして、火力発電所の新増設にまい進しており、その技術を途上国へ輸出して経済を回復させる方針だというから、ここでも『理念よりカネ』の発想。何とも情けない。

しかも、太陽光など再生可能エネルギーの普及には、原発が全て止まっている昨年でも電力供給に何ら支障がないにもかかわらず、『電力の安定供給に支障』という電力会社の言い分をそのまま鵜呑みにして、原発の再稼働に加えて、太陽光発電など再生エネに対しては後ろ向きの施策とあっては世界からの目は厳しいようだ。

このままでは日本は独り世界の流れに取り残されていくことは間違いないところ。オランド大統領は、ぜひアホベ首相に向かって『お前はアホか・・・』と叱ってほしいが、ドイツとは違いフランス自体が原発を基幹電源と位置づけているらしいとあっては、それもかなり無理な注文だろう・・・な。

何も決めないのでは、世界各国の首脳たちがわざわざパリに集結したのか意味が問われるだろうから、『共同声明』的文書は出るとは思うが、その内容に過度の期待は難しいのではないだろうか。(田舎親父)

2015年12月 2日 (水)

与党内で綱引き?・・・

17年4月から消費税を10%にすることが決まっているとのことであるが、低所得者に対する救済措置として、食料品などに対する税率を今のままの8%に据え置く、いわゆる『軽減税率』という制度をマスコミがかなりの頻度で取り上げている。

今の8%でも、高くなったなあ・・・と実感する私だが、これが10%となると間違いなく怒りに変わるのではないだろうか。しかも、5%時代は内税として、普通の売価に5%分の税金を加算した数値が『定価』として印字されていたので余り税金をとられているという感じがしなかったが、8%となった現在、外税としてレジで加算されるので余計に感じるのだろうが・・・。

マスコミ報道によると、食料品など(生活必需品)の軽減税率を巡り与党間で綱引きが始まっているらしい。公明党は支持母体の創価学会(信者に低所得者が多いのだそうだ)の意向があって、かなり強行に対象品目を多くするように働きかけているが、自民党としては間口を広くすればするほど実入りが少なくなることもあって、できるだけ品目を絞りたいのがホンネだろう。

恐らく首相官邸あたりから出された数値なのだろうか、軽減税率による低所得者救済措置(軽減税率による減収分)を4000億円に抑えるということが一般論として広がっている。自民党はこれを楯に、何としても『生鮮食料品』に限定したいようだが、選挙に影響することが確実なので公明党はかなり抵抗しているらしい。

現在我が国の消費税は、所得などに無関係に全ての品目にかかるのだから、低所得者であればあるほど重税感が強くなる。本来ならば、消費税などという庶民いじめの税金などかけず、所得税をもっと細かく段階づけて、富裕層の税率を高くしたり、大企業の法人税を上げれば良いと思うのだが、自民党に言わせると、こんな考えは貧乏人のひがみだそうだ。

特に現政権のやり方は、国民総体が豊になるためには、まず経済の回復が必要だという理屈で、大企業か潤えばその『おこぼれ』がしもじも(庶民)に及ぶと主張し、大企業が海外に工場などの拠点を移さず、利益を得るためには法人税を下げなければならないという論法を展開している。

さらに最近は、大企業が利益を得るための法人税を切り下げるためには、中小の赤字企業の痛みが増えることは仕方ないと言い出しているのも許し難いが、大企業中心の経済団体が、これを歓迎しているのだから、格差はますます広がるばかり。

マスコミは消費税増税に反対の立場で論陣を張ると、現政権から睨まれるらしく、最近は軽減税率について述べることが多くなった感があり、欧米の軽減税率システムなどをかなりの頻度で紹介している。

 欧米では『付加価値税』と呼んでいるところから明らかなように、低所得者への配慮という観点から、各国が軽減税率の対象品目の複雑な線引きを決め、消費者も含めて社会全体がそれに対応しているという。

『付加価値』なので、20%程度の高い税率は当り前の国が多いが、ほとんどの国で生活必需品の税率を低く抑えるために『軽減税率』が導入されているという。特に所得の高低にかかわらず必要な生活必需品(食料など)の場合、イギリスは標準税率20%に対して0%。ドイツは19%に対し7%、フランスも20%に対し5.5%など、大幅に低く設定しているのだそうだ。なるほどなるほど・・・。

当然のことながら、対象品目の線引きは国によって異なり、イギリスでは温かい料理として提供される場合は『ぜいたく品』として標準税率を課すという。このため、スーパーの総菜は税率0%だが、温かいハンバーガーは標準税率20%がかかるというから、国民性とは言えこれは凄い。

ドイツは『外食か、家に持ち帰って食べるか』で分けており、同じハンバーガーでも店内で食べると標準税率、持ち帰れば軽減税率の対象だとのこと。またフランスでは、バターに軽減税率が適用されるが、マーガリンは標準税率というのは、バターの原料である生乳を生産する国内の酪農家を保護するための処置らしいが、いやいや複雑な仕組みを作っていると感心する。

しかし、いずれの国も低所得者に対する細かな配慮である。こうした線引きは大変難しいが、軽減税率導入のために線引きは避けて通れない問題だろうから、我が国でも政府与党は庶民の立場で決断してほしいものだ。

しかし、財務相が『そんなことは面倒だから、貧乏人にスズメの涙程度のカネを配ってしまえ・・・』と言っているのだから、国民にとってなんとも不幸な話である。

ここは公明党に気合を入れて抵抗してほしいものだが、この党は長年自民党にうまくすり寄り、与党として美味い汁を吸うことが体質になっているとなると、自民党から『ならば連立解消・・・』と臭わされたらたちまち変身して、『スズメのお涙で結構です』とならないとも限らない。

残念ながら公明党に余り期待することができないことだけは確かなようだ・・・。(田舎親父)

 

2015年12月 1日 (火)

これでオシマイ?・・・

先月末、オウム真理教のキクチ被告?が控訴していた高裁判決の『無罪』は驚いた。確か、この裁判の一審は裁判員裁判だったはずだが、判決後、裁判員たちが苦労したというコメントが記憶に残っている。

このキクチという女性は高校3年生の時、オ-ム真理教に入信し幹部たちの使い走りをやらされていたらしい。その後、サリンなどを作る化学班に配属されて、爆発物を各地に配る役割を与えられたようだ。

今回の裁判の大元となった事件は、彼女が『爆発物とは知らなかった?』と主張している荷物を都庁に届け、それを開いた役人が指を落とすような大怪我をしたことらしいが、一審の裁判員たちは、中身を知って届けた判断し、懲役5年を言い渡したと報じられていた。その判決後、どこかの刑務所に収監されていたようだ。

裁判員が中身を知っていたと判断したのはもと死刑囚の証言だという。すでに死刑が確定している、元オ-ム真理教のイノウエという彼女の上司が、『爆発物だと教えた』と法廷で証言したことはマスコミ報道で知っていたが、高裁の裁判長は、それを証拠にならないと否定したというから、プロの裁判官と一般国民との証拠の質の捉える観点が違うようだ。

裁判長は、判決を言い渡した後、『法律的には無罪となったが、客観的にはあなたが運んだ薬品で重大な犯罪が行われ、指を失うという結果が生じている。当時は分からなかったとしても、教団の中でやってきた作業がどういう犯罪を生んだのか。きちんと心の中で整理してほしい』と説諭したそうだが、なんとも日本人的なお涙ちょうだい的な話のような気がしてならない。

それを受けて、被告は『私が運んだ薬品で作られた爆弾で、何の落ち度も責任もない方に、重篤な被害を与えてしまった。本当に申し訳ありませんでした』と謝罪したのは当然だと思うが、これでシャンシャンで良いのだろうかと思う気持ちが残る。

若い女性が17年間も名前を変えてまで逃亡を続けなければならなかったのは全てオ-ム真理教のマインドコントロ-ルの強さなのだろうが、人生の一番大事な時を、こんな無意味な逃亡に費やさなければならないのも気の毒過ぎる・・・。

背景に、オ-ムという特殊な事情があったことは十分考慮しなければならないが、『爆発物とは知らなかった』という理由で無罪を言い渡した今回の判決に、彼女に同情しながらも、気持ちの中にひっかかるものがあるのは否定できない。

さらに気になるのは、マスコミの対応。すぐさまトップニュ-スとして取り上げてはいるが、ほとんどの新聞はそれで終わり。一面に掲載するほど大事件(大問題)ならば翌日の社説で新聞社としての姿勢を示すだろうと、かなり気をつけて調べてみたが朝日・読売・毎日はスル-。東京もないのには少しガッカリする。

テレビの民放各局は、今後もこの話題を取り上げるだろうが、それは所詮は視聴率稼ぎだろう。検察が最高裁への上告をすれば別だが、世間の反応が薄いと判断した時点でこの事件はオシマイになりそうだ。

話は少し飛ぶが、振り込め詐欺が一向に減らないという。毎日、NHKテレビで『私は騙されない』といい特集をしているのに、いとも簡単に騙される年寄りの迂闊にも呆れるが、それを上回る巧妙な手口が用意されているのだろう。

最近は、銀行やコンビニのATMからの振込は衆目が監視しているので成功率が落ちているので、それに変わるのが直接犯人の手下に現金を渡してしまうという手口だという。本当のワルに雇われた使い走りの受取人は、アルバイト感覚でやるのだろうが捕まった時に、全員が『現金だとしらなかった』というセリフを吐くのだそうだ。

オ-ム事件とは質が違うと言ってしまえばそれで終わりだが、かたや『爆発物とは知らなかった』で無罪。こなた『現金とは知らなかった』で懲役刑・・・。なんともチグハク感はぬぐえない。

 検察は慎重に上告を検討しているらしいが、上告しても最高裁が『無罪』を言い渡す可能性が大きいことを心配しているらしいから、このまま無罪が確定しそうな情勢らしい。確かに最高裁が、『知らなかった場合は無罪』という判断を下したら、検察として今後の裁判に影響することは間違いない。

かといえ、上告しなかったら検察の弱腰をなじられかねない。今後、『知らなかったのだから無罪』という弁護側の発言も強くなりそうだ。

高裁も罪な判断をしたものである。せめて、執行猶予なのついた懲役刑でも言い渡していれば、そんな心配はなかったのだろうが、またまた『裁判員裁判制度』の是非が話題になるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ