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2016年1月

2016年1月30日 (土)

また一つ、危険なモノが動きだした・・・

原子力規制委員会という政府の御用機関のトップさえ、絶対安全とは言い難いと語っているのだから゛事故の可能性は決してゼロではない福井県にある高浜原発3号機を関西電力が再稼働させたという記事に、何とも懲りない奴らだと怒りが込み上げる。

今までの繰り返しになるが、一度重大な事故が起きたら、原発近隣の広い地域は人が住めなくなることは福島原発事故で学んだにもかかわらず、国と電力会社は経済(ホンネは利権だろう)が最優先とばかり、住民の命などお構いなく、避難計画すらおざなりにしてどんどん再稼働を進めていることに気分が滅入る。

しかもその動きの速度は早まるだけで、電力各社は全国40数基の原発のうち25基と、建設中の1基について、基準適合審査を原子力規制委員会に申請しているのだそうだから、ごく近い将来には、川内、高浜に続き、四国電力伊方原発3号機なども再稼働されるというからなんとも嫌な気分にさせられる。

福島第一原発事故から間もなく5年。第一原発の1~4号機の廃炉は決まっているが核燃料は溶けて原子炉の底を破って地中に潜ってしまい、専門家でもどんな状態なのか調べようがないという。当然のことながら、取り出す方法も見つからないのが現状だから、廃炉は言葉の上だけで、具体的には何ら進んでいないようだ。

それどころか、建屋内部の放射線値が下がらず、最近完成したといわれている凍土壁も動かしたら汚染水が溢れだす可能性があって運用のメドが立っていない上に、作業員が近づけない場所も数多いというのでは、何処から手をつけて良いのかすら分からないといった状態ではないだろうか。

それでも国と東電は、廃炉への日程表だけは適当に変更しながら、首相自らが、原発は完全にコントロ-ルされているなど天につばする言葉を平気ではいて、あたかも着々と安全に廃炉になるだろうと見せかけている。

恐らく、政府筋からの圧力だろうと推察しているが、このところマスコミ情報もどんどん少なくなっている。それでも時に聞こえてくる情報は前述した通りで、遅々と進んでいないことを現すことばかり・・・。

福島原発の事故前は、東電はじめ電力会社は原発をクリ-ンエネルギ-と位置づけて、電力の3割近くを原発に頼っていた。あらゆる民放番組のスポンサ-になって、毎日・毎時間チャンネルをひねるたびに、原発を美化するコマ-シャルが流れていたが、その中身は、原発をゼロにすれば、電力不足や電気料金の高騰で国民生活に深刻な影響が出ると、半ば脅しのような内容だったことも、思い出すと腹立たしい。

しかし、事故後『計画停電』というトンデモ脅しの手段にもかかわらず、全ての原発が運転を停止してほぼ3年間、人々の節電意識が高まったこともあって、夏場で電力ピ-クでも電力不足に陥らなかった。

このことから、原発を再稼働させる必要などないことを国民は知ってしまったのに、現政権は国策として原発をベ-スロ-ド電源と、がむしゃらに原発の再稼働を目指している。何とも傲慢としか言いようがないが・・・。

 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から、すでに30年。昨年末の東京新聞に、現在のチェノブイリ原発と周辺地域の現状を取材した記事があった。それを読むと、現場では爆発した4号機を覆う巨大なカバーができつつあるが、溶けた核燃料など抜本的な対策は未定だとある。

福島原発から約5年、核燃料の行方すら分からないと述べたが、チェルノブイリ原発は30年たっても、廃炉にはほど遠いというのでは、改めて福島第一原発の廃炉への道筋が厳しく先が見えない現実を教えられる。

チェルノブイリ原発は地震で破壊されたわけではない。原子炉の構造的な問題と作業員の未熟さから起きたと教えられるが,人間が作ったモノである以上、単純ミスや構造的な欠陥はあるのが当り前。

福島原発事故では、地震と津波によって主電源に加え呼び電源も喪失したのが主要な原因だとされているが、東電は、想定外の震度と津波の高さだと言い訳している。人間が自然の脅威を想定できるはずがなく、津波の高さなどを想定すること自体、驕りだと思うのだが・・・。

事故の凄まじさと復興の難しさを嫌というほど見せられているのだから、日本は原発依存から脱し、再生可能エネルギー中心の社会を目指すべきである。事故の教訓がなおざりにされたまま、原発がなし崩しに動き出していく現状に強い危機感を抱く。

高浜原発がウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を燃やすプルサーマル発電であるということも見落とすことができない。この方式は、燃料を燃やした燃えかすをもう一度利用できると説明されているが(何度もつぶやいているが)こんな永久機関的な発想そのものがマユツバもの。百歩も千歩も譲って、例えうまく稼働しても、生じたプルトニウムを処分する場所はない。

 さらに、事故が起きた時の『最後の壁』である住民の避難計画もほとんど整備されていないというから恐ろしい。

高浜原発は避難計画の策定が義務づけられた半径30キロ圏に福井、京都、滋賀の3府県12市町が入り、薬18万人生活している。18万人は、こと事故が起きると(最悪の場合)福井、兵庫、京都、徳島の4府県56市町へ避難することになるのだそうだ。何故、兵庫や徳島という県名が出てくるのも不思議であるが、それだけマニュアルの製作段階からムリを承知で作ったことが推察される。

しかも、住民の受け入れ計画をつくったのは56市町のうち7市だけだというから、もしもの場合はこの計画は混乱に輪をかけるだけではないだろうか。何もかも不備で、事故が起きた時の責任がだれもとらないことも福島原発事故ではっきりした。

急いで再稼働すれば、どこかに必ず歪みが生じることは誰の目にも明らかなのに、再稼働の道を選択しているのは、この国は、自ら滅びの道を進み始めたとしか思えないのだが・・・。

逃げ出せるものなら逃げ出したいが、それ以上に、存命中に、最後の瞬間を見てみたいという好奇心の方が強いのも悲しい心理である。(田舎親父)

2016年1月29日 (金)

我が国も『一人っ子政策』?・・・

 直接の要因は人口の増え過ぎを抑えるためだと言われているが、中国政府が『一人っ子政策』を始めたのは50年ほど前のことではなかっただろうか。

 詳しい文書は読んでいないが、二人目の子どもを産むことを法律で禁止し、違反すると莫大な罰金が待ち受けているのだそうだから、いかに共産党一党支配体制の中国とはいえ、常識ではとても容認できることではない。

新聞報道でこの話を知った時、ウソだろう・・・と思ったが、共産党政権は本気も本気、実際に厳しく取り締まっているとの続報に呆れたことを思い出す。

 確かに、当時の中国の人口問題は深刻で、公称は10億とか12億と言われていたが、実際は20億以上の人口を抱えているのではと囁かれていたことも記憶にあることから、この問題を解決しなければ、国として成り立たないと考え実行したのだろうが、人権意識など全く育っていない中国だからできた話だろう。

少数民族には二人目も許すらしいが、それにしても無茶苦茶な政策である。若い夫婦が夫婦として当り前の生活をしていれば子どもが生まれることは当然なのに、これを権力で禁止し、それでも妊娠が分かると中絶を強要するとは、この国の民として生を受けなかったことが幸運だと思った記憶が蘇る。

当時は、中国自体が鎖国状態で、国民は情報を完全に遮断されて、権力に屈伏するしかなかったようだが、時は移り、全世界的に携帯やインタ-ネットなどが広く普及し、それらを通して、さまざまな情報や必要な知識を得られのだから、人権意識も発達するのは当り前。近年になって『一人っ子政策』に強い批判が集中したことは容易に想像できる。

中国政府も、このまま続ければ急速に進み始めている高齢化に対応できないこともあって、すんなりこの政策を廃止すると宣言し、今年の1月1日からは二人目を産んでも良いとなったという。そのニュ-スに他国のことながらホッとしたものである。

この『一人っ子政策』の後始末のひとつだろが、先日、たった一人しか産めなかった大事な子どもを亡くした親たち約180人が、昨年5月、『2人目の出産が認められなかったために、老後の介護などで子供から得られる利益を失った』などとして、国に補償を求めて一斉提訴していたことがわかったという記事に、同様の訴訟が中国全土に広がるのではという漠然とした予感がする。

記事によれば、原告側は多額の罰金を科されるなどした一人っ子政策を守ったために第2子を産めず、精神的苦痛や、子供による介護が受けられなくなるといった損害を受けたと主張しているという。そして、『公共利益のために犠牲になった』として、1人当たり最高約60万元(約1080万円)前後の補償などを国に求めているのだそうだ。

中国政府がどこまで取り上げるのかは不透明だが、この訴訟は世界から注目されていることは間違いなく、門前払いなどすればたちまち大批判が集中するだろうから、これまでの都合の悪いことは権力で封印するという手段は通用しないのではと、権力側の変化に期待が膨らむ。

このことについては、きっと続報があるだろうからそのことにまたつぶやくとして、我が国も、『産めや増やせや』という、前々を連想させるような声こそ大きくなっているが、実際には『一人っ子政策』を自主的?に実践させられているのでは・・・と思わないでもない。

自主的というより、現実には『そうなってしまうしか仕方ない』のだから、他主的?と表現した方が良いのだろうが、子育てに専念したいのに『外で働く』ことが国策として掲げる現政権の元では、専業主婦を職業として認められないのが現実。

女性が輝く社会に依存はない。夫婦が協力し合って、互いが能力を出せる社会が現実になることは心から願うが、我が国の現在の体制は、そんな場を享受できるのはごくごく限られた一部の恵まれた人たちだけだろう。

経済的に厳しくとも協力して子育てをしている夫婦も多い。しかし、子どもを保育園に預けなければ働けないので、預けることが当り前になっているが、その経費が一方の稼ぎに匹敵するなどという話はかなりの頻度で耳に入る。

保育園に預けるためだけに働くようなものだという嘆き節も巷では氾濫しているらしい。しかも、保育園の実態は、数は不足し、望むような条件の保育園に入園できることが宝くじ的幸運だと言われているのだから、二人目・三人目の子どもを産み育てるという気にはなれないのではなかろうか。

そして、晩婚化もこの自主的?『一人っ子政策』を後押ししているようだ。最近では、20代後半のカップルの結婚でも『若いねえ』と言われる時代。アラサ-とかアラホ-などという言葉さえ過去の異物になっているほど、30代・40代で独身という女性が溢れている。これでは、結婚したとしても、産める子どもは一人だけ。中国の実態と変わらないのでは・・・。

親が子どもに期待しない、子どもの親の面倒など見なくて良いというのなら、それなりの制度と環境が必要なのに、それらが全く整備されていないのだから困った話である。

その意味でも、我が国においても、国の政策が間違っていたためという訴訟が、近い将来起きることを期待しているのだが、恐らく間違いなく、個人の勝手と退けられるだろうな・・・。(田舎親父)

2016年1月28日 (木)

宜野湾市民の選択は・・・

 先日行われた宜野湾市長選挙の結果は、私の予想と願いが大きく外れ、現政権があらゆる宣伝文句と、トンデモないようなエサを持ち出して応援した現職が当選。翁長知事はじめ、辺野古移転(県内基地新設)反対の陣営が圧倒的に強いと信じていたのに、何とも言えない虚脱感を覚えてしまった。

 投票率の68.72は決して低くないが、それでもこんな大事な選挙に30%以上の有権者が棄権とはなんとも悔しく情けない。その差が6000票弱、あと10%投票率が上がったらと、ここでも『たら・・・』を繰り返したくなる。

 現職の候補者は『辺野古のへの字』も口にしなかったという。もっとも両候補とも、普天間基地が世界一危険な基地であり、その返還が何よりも重要だと訴えたのは当然だろうが、辺野古を争点にしなかったことはあまりにも見え透いている。

現政権は、とにかく勝ちたい一心で、アメリカさまに頼み込んで、普天間基地の全体の0.07%に当たる、重要な施設などない放置されている土地7ヘクタ-ル分の早期返還を駐日アメリカ大使の口から出して貰ったのは昨年もの光景が目に浮かぶ。

そんな些細な返還を、全面返還への礎石だと大マスコミが煽ったものだから、市民に現政権の成果だという印象を与えたことは間違いない。そして、すぐにでも全面返還が可能だと言う幻想を与えたことも否定できない。それが、『辺野古のへの字』も口にせず、辺野古を隠し通した現職に有利に傾いた要因の一つなったようだ。

さらに官房長官は、普天間基地が全面返還された暁には、跡地に、東京デズニ-ランドをイメ-ジしたディズニーリゾート施設を誘致する計画をちらつかせたそうだが、これまた、近い将来一大観光地になるかのような、トンデモ幻想を用意してまで宜野湾市民をたぶらかしたとしか表現のしようがない。

この計画は自民党が推薦する現職候補側からでた話らしいが、アメリカとしては、たった0.07% の返還で、こんなに現政権と市長側が喜んでいることを知った以上、この手は何度も使うことは十分推察できそうだ。となると、普天間基地の完全返還までには気が遠くなるような時間がかかるのではないだろうか。

この結果を受けて、官房長官はあたかも沖縄県民が辺野古容認したと受け取られても仕方ないような発言で、辺野古の基地建設を急ぐと明言したが、自民党推薦候補は『辺野古のへの字』も口にせず、選挙の争点にしていないのだから、この選挙結果と辺野古容認とは全く関係ない話。ここにも見え透いたウソを平気でつく自民党政権の体質がでているようだ。

オ-ル沖縄を率いる翁長知事は『万が一敗れれば、辺野古反対の沖縄の民意は消えたと、東京では100倍、200倍の勢いで宣伝される』と危機感をあらわにしていたが、これが現実になってしまったことで、苦しい立場に追い込まれたことは想像に難くない。

しかし、知事はあくまで辺野古に新しい基地を作らせないという決意を語っているので、戦略を建て直し、反対運動を盛り上げてくれると信じている。

 マスコミは6000票弱の差を、大差と表現しているが、私は、はっきりと辺野古移転反対と打ち出して、選挙に挑んだ候補に2万票以上の票が投じられたことを評価したい。身近な問題よりもむしろ沖縄の将来を考えて、辺野古移転に明確に反対している市民が約半数存在するということに他ならないと受け止めている。

 沖縄では、2014年の名護市長選、知事選、衆院選など一連の選挙で辺野古移設反対派が勝ってきたことを県民は忘れていないと信じたい。知事も、移設予定地を抱える名護市長も辺野古への移設を絶対反対の立場を変えていない。

今回の結果で、民意を得たと政権側は強弁しているが、辺野古問題は6月の沖縄県議選、夏の参院選でも引き続き問われるはず。県議選と参院選でオ-ル沖縄の底力を見せて、現政権をキャフンと言わしてほしいと心の底から期待している。

無力の私ができることは、沖縄県民がこの問題を自分のこととして危機感を持ち、せめて80%以上の人が投票に参加してくれることを切に願うだけだが・・・。(田舎親父)

2016年1月27日 (水)

北陸新幹線の延伸・・・

 昨年末に、東京と名古屋を結ぶリニア新幹線の山梨と長野を結ぶトンネル工事がはじまったと新聞テレビが報じていた。

いわゆる南アルプスを横断するトンネルであるが、ここは静岡糸魚川構造線という地質学的にもっとも複雑な地層が走り、その内容は地学の専門家でも解明できないほどグジャグチャであることは、浅学の私でも知っている。

長野県の南部、南信と呼ばれる地方に『大鹿村』という山村がある。大鹿歌舞伎が有名で、その興行はテレビ各局が取り上げているので知名度は全国版だが、賑やかなのはその時期だけで、それ以外はほとんど観光客は少ないらしく、実際に足を踏み入れたという人は極めて珍しい村である。もちろん人口は少なく、若者は都会へ流出し残るのは老人だけという、過疎の典型といっても差し支えない。

この村には、塩分濃度が極めて濃い鉱泉が涌きだしていることから、現在も塩を作っている人がいることを教えられ、実際にその人と話をするために飯田市の友人の案内で訪れたことがある。こんな山奥に塩の地層があることが不思議で、改めて静岡糸魚川構造線の複雑さを感じたものである。

その大鹿村が、リニヤ新幹線の工事で大変なことになっているらしい。南アルプスを横断するトンネルの出口がこの村に生まれるとのことで、土砂を運ぶためにダンプ専用の道路が作られて、工事関係者が続々村に入っているそうだから、一種のリニアバブル現象が起きているようだ。

果たしてグチャグチャな地層を堀抜けられるのだろうかとなると少し不安にあるが、津軽海峡の地下を掘り進め、新幹線を通してしまった技術を持っていることから、20年後にはリニア新幹線が、一瞬地上に現すその瞬間をねらって、大勢のトリ鉄と呼ばれる鉄道ファンで溢れるのではないだろうか。

リニア新幹線はJR東海、東北・北海道新幹線はJR東日本と互いに技術や営業を競っているが、JR西日本も負けてはいられないとばかり、金沢まで延伸した北陸新幹線を京都・大阪に伸ばす計画を進めているという。

数年前に福井駅を訪れた時、すでに工事が行われていたことから、金沢から福井を通って、敦賀まではコ-スが確定し、着々と準備は進んでいるようだ。しかし、福井から先は、各地域の誘致合戦やいろいろな団体の思惑が交差して、まだ正式には決まっていないらしい。

滋賀県としては敦賀から米原につなぎ、あとは東海道新幹線というル-トを推奨しているようだが、福井県からすると、県内の新幹線区間を長く持ちたいのは当然だろう。そのため、国の整備計画で北陸新幹線は『小浜市付近』を通ることが定められていることを強く主張して滋賀県と綱引きが激しくなっているのだそうだ。

リニア新幹線は長野県側の要望をあまり斟酌せず、JR東海がコ-スを決めたことが影響しているのかもしれないが、JR西日本もここにきて、『小浜―京都ルート』という新しい案を打ち出し、それが有力になっていると先日の新聞が伝えている。

50年も前に作られた国の整備計画では、京都を通らずに直接大阪と結ぶという構想らしいが、京都はJR西から見たら、観光資源としてはドル箱で素通りさせるわけにはいかないのだろう。しかも、京都から大阪までをトンネルで結ぶと言うから壮大な計画である。

東海道新幹線は満杯状態でこれ以上ダイヤを増やすわけにはいかないと同時に、やはり独自の経営で運賃収入を増やすのがねらいだろうが、京都と大阪をトンネルとなると本当なのと疑問符をつけたくなる。

東京一極集中を少しでもなくす方向としての北陸新幹線の延伸は必要なのかもしれないが、何十年先に開通した時、その恩恵に属せる沿線住民がどのぐらい存在するのかと想像するとなんとも寂しくなるのは私の杞憂だろうか。

昨年開通した北陸新幹線に続いて、この3月には北海道新幹線が営業開始。地元の熱狂的な歓迎ぶりがテレビニュ-スなどで紹介されているが、新幹線網の広がりが地方の過疎化にブレ-キをかけるほど効果的なのだろうかという疑問が消えない。

結局は首都圏に人とモノを集める手段に利用されるだけで、沿線の過疎化はむしろ進む方向に流れているように思えるのだが・・・。

天文学的数値が並ぶ巨額の予算を新幹線網の拡充に費やすのではなく、一億総活躍と言うお題目を唱えるのなら、地方都市を中核とした交通網の整備と、流通に費用をかけないシステムの開発を進めてほしいと願う私である。(田舎親父)

2016年1月26日 (火)

国産食材が締め出される?・・・

東京で開催されるオリンピックが4年後に迫ったこともあって、何となく気ぜわしくなった感があるがあるが、このところ、『オリンピック』より『パラリンピック』という言葉をよく耳にするようになってきたように感じる。

障害の『害』という漢字が相応しくないとのことから『障がい者』と現す方が良いとの意見が広がっているようだ。どちらでも良いような気がするが、そのことにこだわる必要もないと思うので、私もすの 意見に従うことにして、『パラリンピック』とは、身体に障がいがある人たちが競技をする世界大会だという認識を持つことにする。

世界中のスポ-ツを愛する『障がい者』が一堂に集まり、その技量を競うことに異議をはさむものではないが、『障がい』には程度の差があるのに、その差をどれほど考慮しているのかということを考えると、果たしてパラリンピックが『障がい者』という言葉の範疇において正しく運営されるのだろうかと言う疑問をずっと持ち続けている。

片足を失った人たちが、義足を用いて参加するというが、最近は義足の技術が高まって、バネを利用すると健常者よりも凄い記録も夢ではないらしい。そうなると、身体能力というよりも技術を競うことにもなりかねないのではないだろうか。

視覚障がい者の競技もいろいろと紹介されている。しかし、一概に視覚障がい者と言っても、全盲なのか弱視なのかとなるとこれは医学的な問題で、さらに、弱視の程度となるとその差は個々バラバラでとても客観的に区別できないのではないだろうか。

パラリンピックの運営のマニュアルなど全く知らないのだが、その程度をきちんと決めて、ランク分けした上で競技をすることなど可能なのだろうか。

『障がい』持っている人がスポ-ツを楽しむことは素晴らしいことだが、そこで『障がい』の度合いを客観的に区別できないのにもかかわらず、金メダル競争など全く意味があることとは思えない。

元々、オリンピックに興味がない私だが、何となくパラリンピックまでが、商業ベ-スに踊らされて、金メダル競争になっているように思えてならない。

先日、新聞紙上で目に留まった、『2020年東京五輪・パラリンピックの選手村などで提供される食材に、国産品を使えるよう推進する協議会が発足した』という見出しから変な書き出しになったのだが、このことに対して何とも違和感を覚える。

記事によれば、国内では『安全』と思われている国産食品が、オリンピックで要求される国際基準への対応は遅れており、このままでは国産品が締め出されるという不安が関係者に広がっているのだそうだ。

厳しい基準が課せられるようになったのは、12年のロンドン五輪からだという。『GAP』と呼ばれる安全認証で、農薬や肥料の使用履歴や、家畜にどのようなエサを与えたかなど細かい記録を残すことが必要なのだそうだが、こんな国際認証が存在することを始めて知る。

そう言えば、ロンドン大会は福島原発後のこと。その影響で日本の食材に対して、世界各国から厳しい目が向けられ、輸入禁止措置が相次いだのではなかっただろうか。今でも福島県を中心に近県の農産物の輸入禁止や制限をしている国もあるという。これは、福島原発事故が収束にはほど遠いことからある意味当然だろう。

記事には、『GAP』と原発事故との関係は一切ないとのことだが、事故からほぼ1年後に開かれたロンドン大会だけに、何とも気になるところ。ロンドン大会の数年前に、2016年のオリンピックに東京が名乗りを上げ、リオデジャネイロに敗れたという事実も何ともいわくがありそうな気もする。そして、再び挑戦するだろうと言われていたことも思い出す。

日本国内では、『GAP』の実践に危機感を覚えて、大日本水産会や中央畜産会など7団体が発起団体となり、全国農業協同組合中央会も会員に加わる、いわば農業団体のオ-ル日本体制を立ち上げたそうだ。

しかし、これらの団体は、これまでも食の安心・安全について、大まかな安全基準の指標は示しても、生産者に肥料やエサなど細かな履歴を残すことを指導しているとは思えない。大慌て対策を進めているようだが、残り4年で(オリンピック仕様の)『GAP』が示す食材基準を生産者に理解させ、徹底することは難しいのではないだろうか。

さらに、廃棄されたはずの冷凍食材が大々的に出回っていることが明らかになっては、全世界の監視の目は激しくなるばかり。

東京オリンピックの選手村で、安全基準が満たされていないという理由で、国産食材が使えないとしたら、こんなバカな話はない。と同時に、世界から、日本人は危ないものを日常的に食していると思われかねない。

となると、オリンピック後の観光にも痛手になることは間違いなさそうだ。どうやら、2020年の東京オリンピック・パラリンピックについては、新国立競技場にしても、エンブレムにしても、はたまた運営組織のデタラメさにも、良いことを探すのが難しいのが実情のようだ。

こんな暗いイメ-ジばかりのオリンピックなら、できるのであれば、『返上』して、福島原発事故の復興に本気で取り組むべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年1月25日 (月)

下り坂をニュ-トラルで・・・

 碓氷バイパスの下りカ-ブで、15人の命が失われた『一泊3日』のスキ-バスの転落事故の続きであるが、長野県警が検証した結果、事故車両のギアがニュートラルの状態だったことが明らかになったと言う。

このことをテレビのニュ-スで知ったが、唖然というか驚きで『エッ-』と一声発した後、しばらく声も出なかった不思議な感覚が今でも生々しく思い出される。

こんな事ってあるのだろか。私も下手ながら、車の運転をしているがギア-をニュ-トラルにしたまま運転を続けた事は一度もない。大昔に知人から、『スピ-ドがでたらニュ-トラルにして惰性で走るとガソリンの節約になる』と言われた事をうっすら覚えているが、そんな器用なことは私には無理というか、そこまでガソリンをケチッてまで運転したくないというのが正直な気持でこれまで一度も試した事はない。

むしろ、下り坂でのスピ-ドの出し過ぎを抑えるには、エンジンブレ-キをつかえと言うことを耳にタコができるほど聞かされ、実際に山道が大好きなこともあって、この事を肝に命じてこれまで運転を続けている。

また、エンジンブレ-キを利かせるためには、できるだけロ-ギアにすることも合わせて教えられた事もあって、マニュアル車当時は、下り坂では勾配に応じてこまめにギア-をセコンドやロ-に切り換えるようにしてきた。

人並みにオ-トマ車にしてからは、全てが自動でやってくれるものと信じて、多少の坂道ではフットブレ-キだけでスピ-ド制御をしたものだが、オ-トマ車であっても、エンジンブレ-キをより有効にするために、『B』とか『S』のシフト表示があるのだと教えられてからは、やはりこまめな切り替えを行い、できるだけフットブレ-キを使わないように心がけている。

大型免許を持たない私だが、この事は大型車の運転も同じだろう。こんな当り前のことをバスの運転手が知らなかったとは思えない。しかし、実際にギアがニュ-トラルになっていたとしたら、基本中の基本を身につけていなかったのか、(持病もなく、薬物などの服用がなかったというから)何らかの理由で気持ちが動転し、ギア-操作を忘れてひたすらにフットブレ-キで必死になって減速させようとしていた?・・・。

死者を鞭打つようなことは考えたくないが、(記事には)バスのメーカーによると、ギアが事故などの衝撃で外れてニュートラルに戻ることは考えにくく、仮にそうなってもギアなどが損傷するため分かるという。

この検証に間違いがなければ、ニュ-トラルで走行していたことは確かなようだ。となると、責任は運転手の過失だけ?・・・。これでは旅行会社とバス会社の責任は極めて限定的になり、遺族への補償も不透明になりそうだ。

しかし、例え事故原因が運転手の過失であったとしても、はじめの企画書通り、上越高速を走っていれば、こんな急坂でスピ-ド制御の必要性となかったことから、全ての原因は、一昨日つぶやいたように、一般道路に降りたことであることは間違いない。

一部の新聞や週刊誌は、指導役の運転手が意識的に(運転手仲間では比較的難度が低いと言われているらしい)このコ-スを練習に使ったのではないかと報じているが、そんなことが会社の指示であったとしたら、何ともやり切れず、バス会社の責任はさらに重くなるはずだろう。

やはり、何故コ-スを変更したのかということが全てではないだろうか。このあたりの解明を期待したいが、マスコミはこのことについてほとんど語らない。

何故?・・・。(田舎親父)

2016年1月23日 (土)

カネ儲け主義にピリオドを・・・

 深夜のスキ-バスの不可解な事故で、大勢の大学生たちが亡くなってからもう一週間過ぎた。いろいろなことが明らかになっているが、そのほとんどが企画会社(キ-スツア-)とバス運行会社(イ-エスピ-)のデタラメばかりとなると、遺族の怒りとやり切れなさは想像に難くない。

それにしても、予定のル-トとは違う場所で事故を起こしたというのはどう考えても納得できない。キ-スツア-の仕様には、高速道路を通ることになっているらしいか、運転手は深夜のカ-ブの多い、はるかに事故のリスクが高い一般道を選択、それが事故につながっているのだから、関係者全てにどうなってるの聞きたくなる。しかし、運転手の口から聞く事は永久に不可能・・・。

運転手が高速代を浮かせるためにという説が出回っているようだが、たかだか数千円のこと、わざわざ危険な一般道を選ぶとは考え難い。しかも、一人ならともかく、交代要員も仲間でなければならないと、その額はタバコ銭程度ではないだろうか。まして、この運転手は大型バスを操るのは4回目だというから、ますます自らの意志で一般道を選択したとは思えない。

私には詳しい知識はないが、無事、会社に戻ったとしても、車の走行距離などで高速を走ったのかどうかは分かるのではと考えると、運転手を一般道に誘った要因は他にあると想像する方が自然だろう。

イ-エスピ-は、キ-スツア-から約19万円でバス運行を請け負っているという。バスの運行契約に関しては国には基準があって、最低運賃が決められているのだが、その額は26万円余とあるから、この額でも引き受けなければならないとなると、私には到底想像もできない、この業界の過激な競争の実情があるのだろう。

スキ-客はここ数年激減しているという。それでも客を集めなければ成り立たないのだから、当然のことながら『格安』という言葉を使うしかない。試しにネットで検索してみたが、『夜行日帰りおすすめプラン 9400円』とか『夜発日帰りバスツアー 9300~11000円(リフト券付)』などといった文言がヒットする。

今回の企画は『一泊3日 13000円』だというから、この当たりが相場なのだろうが、そもそも一泊3日という意味が分からないので調べてみたら、夜を2回経験することなのだそうだ。という事は、行きも帰りも夜行バスを使えば、この定義に当てはまることになりそうだ。

若者にとっては可能なのだろうが、私のような年寄りには想像すらできない。なるほどこの時期に、平日こんな強行軍でスキ-に出かけられるとなると、大学生しかないだろうから、被害者が全て大学生だったことにも納得する。

それにしても、一体こんな価格で、どうしてやって行けるのだろうかというのが私の素朴な疑問である。

今回乗客は39人だったという。集めた金額は総計50万7千円。バス代金として19万円支払ったとしたら、残りは38万8千円となり、残高は一人9千円程度か。消費税もかかるだろうが、計算上無視したとしても、スキ-用品のレンタル料や休息場所への支払い、何よりも食事が少なくとも3食となると、利益を出すことすら難しくなりそうだ。

一方バス会社も、19万円の中に、二人の運転手の往復の手当てはもとより、ガソリン代など必要だとすると、例え数千円でも高速代金を浮かせたくなるに違いない。はっきりと一般道をつかえという指示はなくても、状況に応じて一般道を走るようにという程度の指示があったと思った方が良さそうだ。

まして、イ-エスピ-というバス会社は、『運転手の健康把握が不適切』だとして今月13日付(出発日前日)で国土交通省から行政処分を受けていたという。その理由が、昨年2月の定期監査で、運転手213人中10人に健康診断を受けさせていなかったというから、デタラメを地でいくような話。しかも、死者に口なしとなると、全てが闇の中。

わずか数千円をケチったため、15人の命が亡くなる・・・。なんとも悲しい話であるが、先日つぶやいたココイチが廃棄したビ-フカツを金儲けのために、他人のことなどなんとも思わず横流しする輩がゴマンと存在することを思うと、今回のキ-スツア-にせよイ-アスピ-にせよ、同じ穴のムジナというところだろう。

他人の迷惑省みず、且つ手段を選ばずカネ儲けを『是』とする風潮にピリオドを打ち、相手(客)を思いやる優しい経営にシフトしてほしいものである。そして、これを日本人の良識として、子や孫の世代に伝えたいものである。

(追記)事故から一週間、いろいろなデ-タが明らかになるにつれて、運転手は下りの急坂でギア-をニュ-トラルにして、フットブレ-キを踏みっぱなしだったことが明らかになったという。

何とも唖然とすることばかりだがこの事は改めて・・・。(田舎親父)

2016年1月22日 (金)

抜本的な制度改革を・・・

 先週、衆院議長の諮問機関である、衆院の選挙制度に関する『有識者調査会』が改革案を答申したというニュ-スに注目する。その案は、以前から囁かれていた通り、その目玉は、議員定数を10減らし、465とするものであるという。

増税などで国民に痛みを押しつけているので、議員数の削減は一定の犠牲を強いる内容になっていると、マスコミ受けは良いらしいが、私にはなんとも不可解でひっかかるところが多い答申である。

詳しい答申案の内容は今更述べる必要はないと思うが、概略は、東京、神奈川、千葉など人口の多い5都県の小選挙区を増やす一方、青森、岩手、鹿児島、沖縄など人口の少ない13県の選挙区を1ずつ減らすことに加えて比例にも手を加えて結果として10議席削減するとのことである。これにより『一票の格差』が、前回の総選挙の2.13倍から1.62倍に縮小されることになるという。
 格差是正問題は、最高裁が『違憲状態』と判断しているので、衆院議長としては、自分の手で国民が納得する程度の数値は出したと思うのも分からないでもない。ただこの数値は、有権者が最大の小選挙区と最少の選挙区を比べたもので、(最近知った事だが)都道府県別の比較では1.79倍となるのだという。

答申では,より有権者数と議員数の格差が生じないために『アダムズ方式』呼ばれる方法を用いるという。『アダムス方式』という言葉も方法もほとんど理解できないので、なんとも言いようがないが、例え答申が受け入れられたとしても、1.62倍になるだけで現在の(明らかにされていないが)都道府県別の格差との差は0.03縮まるだけだそうだ。

答申通り改定されたら、今度の選挙では一票の格差はある程度少なくなるだろうが、小選挙区制度を維持し続ける以上、ごく近い将来、また広がるだろうことは確実となると、今回の格差の是正などは空論そのものになりそうだ。

むしろ、小選挙区を止めて、中選挙区、または都道府県別の大選挙区や、全国を一区とした超広域選挙区を採用して、人口による議員定数を決めれば良いと思いたい。そうすれば、比例代表並立制などというおよそ理解不能な選挙制度など必要なくなるのでは・・・。

それはともかく、自民党の選挙対策委員会はこの答申には不満があるという。地方の声が国勢に行かされなくなるとのことだが、それはタテマエで、ホンネは減らされる県は全て自民党の牙城で、こんな答申が通ってしまうと、自分の立場が危なくなるというだけのものらしいが・・・。 

ホンネはともかく、私も地方人口が大都会と比べて少ないから、議員の数を減らすという議論は乱暴過ぎて、そこがひっかかる最大の理由である。

都道府県(さらに昔は『藩』だろうが)は、現在における、文化や伝統をまとめる基準になっている事は誰も否定しないだろう。民主主義は数の理論でもあるとなると、これ以上、地方選出議員の数を減らすのは、地方の軽視につながることになる。その意味では、自民党のタテマエ論と一致する。

以前にも述べた事があるが、私は、本気で格差を少なくするのであれば、一番人口の少ない鳥取県の約60万人という数値を基準すべきだと考えている。鳥取県の小選挙区は2つ、比例が何人存在するのか不勉強で理解していないがこちらを一人と仮定すると、3人の議員となり、一人当たりの人口は20万人。荒っぽい発想であるが、これを最低基本単位にして議員数を決めれば良いと考えている。

3人を小選挙区制で決めるのも良し、あるいは全県一区とするのも住民の総意で決めれば良いとすれば、ブロック別の比例とか比例代表併用制などという、私のよう者にはとても難解な制度など必要なくなる。

単純に計算をしてみよう。現在我が国の人口を約1億3千万人として、これを20万人で割ってみると650人となる。この数が多過ぎるという人も政治の無駄を省く事や議員の歳費を減らす事には異論がないのではないだろうか。

議員の数が増えても、議員に支払う歳費や政党助成金などという不透明な資金を減らせば現在よりはるかに無駄は省け、予算削減ができることは明らかである。日本より人口の少ないイギリスの下院では650、フランスの下院も575、ドイツも598と、日本の議員数が多すぎるわけでは決してない。議員一人当たりにかかる費用もはるかに少ない。

議員は多様な民意を国会に反映させる役目を負う。繰り返すが、人口が少ないからという理由だけで定数を減らせば、地方がますます無視され、疲弊する可能性は誰の目にも明らかだと声を大にして訴えたい。

『身を切る改革』をするならば定数の削減ではなく、無駄をなくすためにも、歳費などの削減はもとより、根本的な選挙制度の改革だと思うが、いかがだろう・・・。(田舎親父)

2016年1月19日 (火)

廃棄したはずの食品が店頭に・・・

 『CoCo(ココ)壱番屋』(通称『ココイチ』)いうカレ-チェ-ンの店が、横浜の片田舎にもできたのは随分昔のこと。以来、その場所に存在し続けているところを見ると、かなり繁盛しているなとは思っていたが、時に空腹を満たすために利用するだけの店で、特に気に止めるほどの存在ではなかった。

 その『ココイチ』が身近な存在になったのは、地方の活性化のための研修会に参加して、講師の、『野生の鹿肉をココイチという有名全国チエ-ン店でカレ-にして貰えるようになった』という話を聞いたからである。

 最近、全国的に野生のイノシシやシカによる農作物の被害が激増。その対策にほとんどの自治体は頭を痛めているのは今更述べるまでもないが、講師の滋賀県職員の松井さんはこの課題に正面から取り組み、シカ肉の販路拡大に努力している第一人者だとのこと。

自分で猟銃免許を取得し狩猟はもとより解体方法まで習得し、施設を作りそこで素早く解体し、京都の有名なフランス料理店に出荷している話は実に新鮮で説得力を感じる。加えて、さらに大量の肉をさばくために、『ココイチ』と共同で『シカ肉カレ-』という新たなメニュ-を開発したというくだりには、凄い人がいるものだと脱帽。以来『ココイチ』が身近な存在になっている。

 そのことは別の機会に述べるとするとして、『ココイチ』の本社が廃棄した冷凍のビ-フカツが大量に愛知県のス-パ-に出回っているという記事に、これは大変な事件になりそうだと気味の悪い予感が頭をよぎる。

 偶然、ココイチに働くバ-トの主婦従業員が、一般の店に出回るはずがない『ココイチ』の商品をス-パ-の店頭で見つけて上司に報告した事から事件は発覚したそうだが、以来、日を追ってその被害は広がる一方・・・。

このトンデモ犯罪が明らかになった翌日に、例の深夜バスの大惨事が起きたので、国民の関心はそちらに向いたが、こんな事が、数年前から、日常的に行われていたのかと想像すると心が寒くなる。

 今回の事件は、『ココイチ』は昨年9月2日に自社工場で作った冷凍カツ約4万枚に異物混入の疑いがあるとして、『ダイコー』という産廃処理業者に処分を依頼したのが始まりだそうだ。

この『タイコ-』という業者が、こともあろうに、解凍されて埋めるだけになっていた冷凍カツを再度冷凍し、『みのりフ-ズ』という食品取り扱い業者に、30枚で1000円という価格で横流ししたというから俄には信じられない。

 『みのりフ-ズ』の経営者というジイサンがテレビ局のインタビュ-に答えていたが、私の印象では、『今思うと申し訳ないことをしたと反省している・・・』と口にして、全ては『タイコ-』の指示通りだと言い訳している姿が、まさにカネ儲けには手段を選ばすという、浅ましい亡者そのものに見えたもの・・・。

 マスコミは、4万枚のうち,7千万は地面に埋めたと報じているが、これとて、何処に埋めたのかが明らかでない事から怪しいもの。むしろ、これもどこかに転売していたと考えた方が話の辻褄は合いそうだ。

 『みのりフ-ズ』はこれまでも数回『タイコ-』から、ビ-フカツに限らず、チキンカツなど、『ココイチ』が廃棄を依頼した商品を、受け取り、近隣のス-パ-などに転売したと証言している。『タイコ-』が横流しした業者は『みのりフ-ズ』だけではなく複数存在することも明らかになっているというから、この闇はさらに広がるのは確実だろう。

 ス-パ-は『ココイチ』のマ-クが入ったものを1枚80円で売っていたという。近場のス-パ-で調べてみたが、これは安い、安過ぎる。あまりの安さに疑問を持つ客もいただろうが、まさか、ココイチが廃棄したものだとは思わないのは当然だろうから、先を争って購入したに違いない。

 一体どのぐらいの量が回っていたのか不明だが、すでにそのほとんどは購入した客とその家族のお腹に入っているのではないだろう。今のところ健康被害の報告はないとのことだが、こんな事が繰り返されていたとなると安心できるはずがない。

 廃棄の費用を受け取った上に、廃棄するモノが売れるのだから、これは『カネ儲け命』の輩にとっては、涎が出るほど美味しい話に違いない。こんな業者は『タイコ-』だけだと思いたいが、ひょとして・・・と考えると恐ろしくなる。そのひょっとしてを確かめるためだろうが、愛知県は県内の54の産廃業者全てに立ち入り検査をするという。

 結局は、自分で身を守るしか方法がないのだろうが、安いから飛びつく愚は避けるべきだと分かっていても、貧しさにつけ込まれては防ぎようがないのも悲しい事実。

 二度とこんな酷い話は聞きたくないが、この願いが叶えられるかというと、格差が広がれば広がるほど難しくなるのは明らかなことは間違いないところ。

また今日も、『困った話だ・・・』という言葉で締めくくらねばならないのも、まさに『困った話』であるが・・・。(田舎親父)

2016年1月18日 (月)

警察の恐ろしさ・・・

数日前のことになるが、鹿児島市の路上で3年ほど前、当時17歳だった女性に性的暴行を加えたとして強姦罪に問われた23歳の男性に対し、福岡高裁宮崎支部は、懲役4年の一審判決を破棄し、逆転無罪を言い渡したというニュ-スに目が留まる。

地方の殺人でもない事件が全国版に掲載されるはずがないので、私が知らないのは当り前だが、夜中の2時ごろ、この男性が自転車で通りがかった女子高生を暗闇に連れて行き、そこで暴行を加えたのだという。

夜中の2時に女子高生が自転車というのも少しひっかかる。どのような経緯で警察が逮捕したのかも不明だが、女子高生は偶然通りかかった警察官に『この男が犯人だ』とでも訴えたのかもしれないとなると、これはするとチョットでき過ぎた話。警察としては、女子高生の証言を鵜呑みにして即刻逮捕したらしい。

この男性は、どうして逮捕されたのかも分からないほど酔っぱらって、当時のことは全く覚えていいないと一貫して無罪を主張していたそうだか、数日拘留された挙句、状況証拠を並べて起訴され、結果的に地裁から懲役刑を言い渡されて、2年数ヶ月拘置されていたというから恐ろしい話である。

恥ずかしながら、実は私も酔っぱらい運転で逮捕された経験がある。今でも、どうして事故を起こしたのか全く記憶にないが、『覚えていない』という文言は警察にはあり得ないらしく、拘留されている間、繰り返し繰り返し『いつ何処で何を・・・』と聞かれたことと、その誘導に負けた事は悲しい汚点として記憶に残っている。

警察と検察は逮捕した以上起訴しなければというのが必定になっているらしく、事件前後の容疑者?の足どりを詳しく調べ、いつどの店で、何をどれぐらいのみ食べたのかまで克明に調べているので、現場検証に連れられると、記憶が全くことから『ここでこんな事をしたのだろう£という言葉が事実のように聞こえて、警察の筋書きに仕方なくうなづくのが常になっているようだ。

この男性もそうだったのだろう。覚えていない事を『こうだった』など言えるはずがないのだが、実際に飲み屋に連れて行かれ、ああだったこうだったと並べられると覚えてないだけに反論できず、取り調べのプロである警官が作る辻褄が合うような筋書きに追い込まれたことは想像に難くない。繰り返し書かれる調書には、あたかも、その現場に居合わせたような見事な文面が並んでいるはず。

これを何日もやられたら、いかなる猛者でも根負けし、認めた方が早く拘束から解き放たれるのではないかと錯覚して受け入れてしまうのだろうが、これが冤罪の最大の原因である事は論を待たない。

私の場合は、人身事故でもない事から起訴を免れ、無事今日に至っているのだが、この男性は2年以上も『覚えていない』というセリフを繰り返していたとしたら、その意思の強さは尊敬に値する。

それでも起訴されて、地裁で有罪判決を言い渡されるのだが、弁護士もこの男性の冤罪を信じて改めてDNA判定を求めたのだろう。その結果、女性の体内から検出された精子が、男性とは別人のものと判明したというから、最初からこの検査をしていたら、こんな結果にならなかったはず。

記事によると、初期の捜査段階で鹿児島県警はDNA鑑定を行ったらしいが、微量だったので正確には本人のものである事を確かめられなかったのにもかかわらず、本人のものだと断定し、しかも、鑑定後、残ったDNA溶液を捨ててしまったという。

加えて、鑑定経過を記したメモも廃棄したというから、とにかくこの男性犯人に仕立てるというお膳立てがあって、地裁の判決と同時に証拠を隠滅したとしか考えられない。それにしてもなんとも呆れた、そして恐ろしい話である。

性犯罪は、目撃証言などが少なく、立証は被害者?の証言に頼りがちになることは、電車の痴漢騒ぎでは、手首をもたれて『この人痴漢です』と言われたら万事休すで、人生が狂った人も日常茶飯事だと言われていることから明らかだろう。現役当時、そんな事が起きないように、できるだけ満員電車を避け、さらに男性たちに囲まれる位置取りした事を思い出す。

路上で起きた今回の事件では、その場で男性を犯人だと決めつけず、恐らく近くに設置されていただろう防犯カメラの映像など、他の証拠と照らし合わせれば、取り調べ警官でも疑ったという女子高生の証言の曖昧さもあるというから、こんな結果にはならなかったのではないだろうか。

さらに、高裁の裁判長は捜査機関が立証に不利な証拠を隠そうとしていた疑いを指摘し、捜査のあり方を厳しく批判したとある。鹿児島県警と検察は、捜査過程のどこに問題があったのか徹底的に検証すべきだと思うのだが、果たして反省の記者会見が行われるかとなるとどうだろう・・・。

むしろ、警察と検察は独自のDNA型鑑定をするため、裁判所や弁護人には無断で、全て廃棄したはずなのに、わずかに残っていた試料を使い、御用学者に依頼して、精子が男性のものだという鑑定を準備していたというから今後の成り行きが気になるところ。

 今回は有能な弁護士の努力で一審の判定を覆す事ができたが、鑑定を行う者の技量や意図次第で都合のいい結論に置き換えられる危険性がある事が明らかだとすると、これがまかり通れば冤罪事件はいくらでも起こり得る。

 検察と警察は謙虚に反省し、これ以上の裁判の断念はもとより、この男性が元の生活環境に戻れるよう、最大限の努力してほしいものである。(田舎親父)

2016年1月16日 (土)

トラブルが増えそうだが・・・

オリンピックが近づいていろいろと賑やかな話題が多くなってきた。大田区が民泊特区として、外国人観光客を一般家庭?に宿泊できるような条例を作ったとというのもその一つである。

大田区には羽田空港があるので、外国人観光客をできるだけ受け入れたいと願っているのだろうと、そのことは好意的に解釈しているが、特区条件に5日以上の連泊という項目があったことに、そんな条件で宿泊希望者がいるのだろうかという素朴な疑問が今でもひっかかっている。

オリンピック期間中、大勢の外国人が羽田に到着するだろう。しかし、それを受け入れる宿白施設が都内では限られており、都心部ではすでに予約を始めているホテルもあるというから、近づいたらトンデモ騒ぎになることも予想される。このことを見越して、大田区はいち早く手を上げたのだろうが、それにしても5日も連泊というのは厄介な縛りではないだろうか。

私は大田区での勤務経験が長いので、地域の特徴や住宅などの事情ははだいたい理解しているつもりであるが、条例が求めている広さや施設をとなると、一般家庭ではかなり難しいのではないだろうか。

しかし、心配ばかりしていても仕方ないので、いろいろな場所を観光下糸願う外国人がここを拠点にすれば、都内はもちろん神奈川県などへの交通の利便性は良いことから、これらの縛りをうまく切り抜ける方法があれば、かなり期待できそうだと思うようにしているが・・・。

 そんな矢先に、厚生労働省と観光庁が、住宅の空き室に旅行客を有料で泊める『民泊』について、旅館業法で定める『簡易宿所』として扱う新たなルール案を専門家検討会に提示したというニュ-スに、大田区などの民泊特区との関連はどうなるのだろうと少し気になる。

 地方の活性化に少しかかわっている私は、少なからず民泊を経験している。そのことから、民泊の意義と、民泊が地方における活性化にかなり有効な手段であることを肌で感じているので、この動きは歓迎したいが、都市部も含めてとなると、地方の民泊の機会が奪われて、またまた都市部への集客に終始するのではという疑問が生まれる。

 そんなことを思っていると、京都市内でネットを通じて所持しているマンションの部屋を外国人観光客に貸したのだが、実際に泊まった10人超の外国人の若者たちで、彼らの、傍若無人の大騒ぎが原因でトラブルになっているということを、宴の後の、悲惨な状態の映像を添えて民放テレビが報じていた。

記事によると、ネットに『宿泊紹介サイト(詳しいことは知らないが)』があるらしく、マンションのオ-ナ-はそこを通して部屋を貸したらしい。借り主は、しっかりした職業の大人の外国人だということを信じての契約だったらしいが、実際には、大勢の若者が報道にあるようなどんちゃん騒ぎをしたのだそうだ。これは十分あり得る話だろう。

京都ではその他にも、マンションに外国人観光客を無許可で宿泊させるという行為が数多く発生しているという。それとは別に、最近、外国人に人気なのが京都の町家に泊まって町探検をする事だという。京都には、一見さんを嫌う風潮があり、始めての人には敷居が高いのだが、外国人にはその規格がゆるやかになるらしく、外国人を受け入れる民家も増えているそうだ。

一年を通して観光客が多い京都では、慢性的な宿泊施設の不足から、民泊がそれを補う施設として正式に許可されている民家も多いと聞いている。しかし、最近は民家に加えてマンションも民泊の対象になっているらしく、それに比例して前述したトラブルも増えているとのことである。

話は大田区の民泊に戻すが、大田区には京都の町家の雰囲気はない。前述した通り、狭い住宅が無規則に並ぶ地域が多く、一般民家が受け入れることはかなり制約があり、受け入れ施設としては、マンションの空き部屋や、あるいは町工場の空間となる可能性が大きいと想像している。

マンション一棟を全て宿泊施設とする場合ならまだしも、空き部屋となると文化や生活様式が違う一過性の外国人と、長く大田区を生活の場としている住民とのトラブルは必ず起きるだろうことは、誰の目にも明らかだろう。

しかも、田舎の民泊とは違い、一歩外に出ると、信じられないほど多くの雑多な人間が住む町のこと、その人たちの持つ価値観も多様も多様、全ての住民が快く外国人観光客を受け入れるかとなると、こちらも疑問符がつきそうだ。

このあたり、大田区は十分勝算を持っているものと信じているので、ぜひ上手に乗り越え、全国にお手本を示してほしいものである・・・。(田舎親父)


2016年1月15日 (金)

出産適齢期が18歳?・・・

 『成人の日』が毎年クルクルと変わることに違和感を持っている人も少なくないのではないだろうか。

私もその一人である。第二週の月曜日に決まってからかなり年が過ぎているが、『成人の日』と『敬老の日』は、家族や地域でお祝いするという意味でも(根拠も曖昧なのに『建国の日』を2月11日に固定しているように)連休にすることを第一に考えるのではなく、元通り、1月15日と9月15日に固定するべきだと思っている。

今年の『成人の日は』は11日の月曜日。全国的にはこの日に式典を行った自治体が多かったらようだが、前日、あるいは前々日の日曜日や土曜日に『成人式』を移した自治体もかなりの数あったと聞いている。

その理由は、式の翌日に普段どおり通学や出勤するよりも、ゆっくりした方が良いというのが主なのだろうが、ならば、わざわざ月曜日に移して連休にする必然性はないのではないのではと思ってしまうのだが・・・。

 それはともかく、総務省によると、今年1月1日時点で20歳の新成人は、前年比5万人減の121万人(男性62万人、女性59万人)で、『第2次ベビーブーム』(1971〜74年)世代が成人に達した1995年以降、ずっと減じているという。

 何度が述べているが、富士通を退職した直後の横浜国大の入学式で、学長の祝辞の内容は全く覚えていないが、唯一『同じ年代の200万人超の中で、大学進学者はおよそ40万人?。その中の、たった2千人がここ横浜の入学式場で・・・』という言葉だけが記憶に残っている。

 学長は、縁を強調し、今後の学業に励むようにと述べたに違いないが、私の記憶に残っているのは、やっと念願の大学に入学できた喜びと誇りから、200万人超という同年代の数として、この数値がインプットされ、未だに忘れられないのだろうと受け止めている。

私が生まれたのは戦争中なので、かなり数が少ないと言われている。それでも200万人超だから、戦後間もなくの1946年以降の『ベビ-ブ-ム』(段階の世代とも)と呼ばれる年代は、出生する子どもの数は200万人をはるかに越えていたに違いない。

それに比べ、なんとも少なくなったものである。新成人が総人口に占める割合は0.95%で、6年連続で1%を下回ったというから寂しい限り。

ところで、ここ数年報じられなくなったので収まっているのかなと思っていたが、今年の各地の成人式で新成人たちがバカ騒ぎをしている姿をテレビが映し出していた。私に言わせると、不満があるのなら出席しなければ良いのにと思うのだが、式には超ど派手な晴れ着を着て出かけて、式の進行を妨害するのだから困った輩だとしか言いようがない。

荒れた成人式の対極にあるのが『千葉県の浦安市』。こちらは会場が若者に大人気のデズニ-ランドとあって、毎年ニコニコ顔の『成人式』が行われているのだから浦安市としてはウハウハものだろう。舞台でお馴染みのキャラクタ-が歌ったり踊ったりするのに加え、新成人たちが一緒に記念撮影をしている姿を、この日の夕方のテレビニュ-スに取り上げるのが定番になっている。

今年は、この様子に加えて、市長の祝辞がほとんどのテレビ局が放映していた。市長は『人口減少のままで今の日本の社会は成り立たない。若い皆さんにおおいに期待をしたい』などと発言したのは当り前だが、『これまで結婚適齢期というのはあったが、少子化で日本産科婦人科学会は出産適齢期ということを若い皆さんに伝えようと努力し始めている。18〜26歳を指すそうだ・・・』というくだりは、少しひっかかる。

最近、『卵子の老齢化』という言葉が当り前にまかり通っている。なるほどと思うが、以前はこんな言葉を聞いたことがない。いつの間にか、結婚年齢が高くなり、それに比例して出産年齢も上がったことを専門家が危惧して言い出したのだと思っているが、18歳とは信じ難い。

本当に、学会が言っているのかホ-ムペ-ジを調べてみた。確かに最多出産年齢は年とともに高くなっているが、18歳は含まれず、適例年齢は20代後半だとある。市長は人口を増やすために早く出産してほしいというホンネから、ついついこんな言葉を選んだのだろうがこれはマズイ。またまた問題になりそうな発言である。

そう言えば、浦安市は、少子化対策の一つとして、今年度から順天堂大浦安病院と共同で将来の妊娠と出産に備えて健康な女性の『卵子凍結保存』を支援する事業をスタートさせたというニュ-スに反応したことを思い出す。

早く産めという祝辞とは裏腹に、若い時に卵子を凍結したら、いつでも産めるという意識がごく普通になり、ますます晩婚化し、晩産化を助長させるのではないだろうか。

門外漢ながら、素朴な疑問がわいてくる・・・。(田舎親父)

2016年1月14日 (木)

コ-ヒ-中毒で死に至る?・・・

 かなり以前のことになるが『コ-ヒ-は身体に良い・・・』という評判が広がり、全国にコ-ヒ-を飲ませる店が増え、最近では、どのコンビニでもコ-ヒ-を低料金で提供するのは当り前になっている。

ところが、昨年末、九州地方の20代の男性が『カフェイン中毒』で死亡との記事に、一瞬『エッ、コ-ヒ-の飲み過ぎなの・・・』と驚いたが、この男性は日常的にカフェインを含んだ清涼飲料水『エナジードリンク』を大量に摂取していたとの続きの文面で、コ-ヒ-の飲み過ぎとは直接の因果関係はなさそうだと一安心・・・。

世間知らずの私には、『エナジードリンク』という言葉も始めて聞くが、また一つ苦手なカタカタ言葉が増えたとガックリ。しかし、カフェインと言えば、コ-ヒ-にもかなり含まれているだろうから、コ-ヒ-の飲み過ぎも危ないことになりはしないかといらぬ心配をしてしまう。

この男性は、ガソリンスタンドで深夜から早朝まで勤務し、眠気覚ましとして1年以上前から、カフェインが大量に入った『エナジードリンク』が離せず常飲し、亡くなる約1週間前から家族に体調不良を訴えていたというから中毒症状が進んでいたらしい。詳しい家族構成は記事にないが、家族は、この男性の訴えを受け止めることができない事情でもあったのだろうか?・・・。

 解剖で男性の血液1ミリリットルから致死濃度(79〜567マイクログラム)に当たる182マイクログラムのカフェインを検出したという。この男性の胃の中からはカフェイン錠剤の粉末が見つかったことから中毒死と結論づけたのだそうだ。

 通常1杯のコーヒーに含まれるカフェインは、約60ミリグラムで、エナジードリンクには1本約80ミリグラムだという。眠気覚ましをうたうドリンク剤には1本120ミリグラムのカフェインが含まれているのだそうだ。

はっきりとした致死量は明らかではないらしいが、専門家によると、血中濃度から推定される経口摂取による致死量は3000ミリグラム(3グラム)程度だとのこと。

血中濃度が半分に下がるのは3〜6時間後なので、短期間に大量摂取すると頭痛やめまい、吐き気などの中毒症状が表れるというが、単純計算でも、一度に数十杯も飲まない限り、コ-ヒ-による中毒は考えられないようだ。

それにしても、錠剤を含めて、こんなに大量のカフェインを摂らねば精神が安定しないとは、よほど勤務が過酷だったに違いない。そんな勤務が日常的になっていることに大きな疑問と激しい怒りを覚える。

 我が国において、カフェイン中毒で死亡が確認されたのは今回が始めてだというが、似たような勤務を強要されている人も多いのではないだろうかと心配になる。

ところで,この記事で始めて知ったことだが、健康志向の高まりなどから、覚醒作用などがあるカフェインをカットした『カフェインレスコーヒー』が注目されているのだそうで、妊産婦や授乳期の女性などを中心に需要が増えているという。

何でもいい加減な私には、ここまでしてコ-ヒ-を飲まねばならないのかと思うが、コ-ヒ-を芯から好きな人にとっては、コーヒー豆が持っている独特の香りや味の魅力は何者にも代えられないのだろう。

いつものことながら、唐突に話は変わるが、私は10年以上も前に、コ-ヒ-に素晴らしい成分を持つ桑の葉を加えることを思い立ち、実際に調合してドリップで試してみたところ、これがなかなかまろやかなことを発見した。

そこで、一番飲みやすい配合が、コ-ヒ-と桑の葉の比率を6対4であることに注目して、『kuwaffe(クワヒ-)』と名付け必ず毎朝欠かさず飲用している。おかげで、体調はすこぶる良い。

すでに鬼籍に入ってしまったが、養蚕学の世界的な権威である大学教授と同席する機会があり、『kuwaffe(クワヒ-)』飲んでもらったことがある。

その方に言わせれば、蚕の臭いがするとのことだが、健康が気になっている方やコ-ヒ-は飲みたいのだけど事情があってという人は、一度試して見る価値があるのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2016年1月13日 (水)

地方の水道が危ない・・・

 蛇口をひねると飲める水が無尽蔵に出てくる。我が国では当り前のことだが、こんな恩恵を受けられるのは、全国津々浦々まで引かれた水道管のおかげであることは、私が今更述べる必要はないだろう。

 その水道管がピンチだという話題がこのところかなりの頻度で耳にする。先日も『水道管の水漏れなどで水道水がむだになる割合(無効率)が20%超と極めて高い水道事業体(自治体や企業など)が、全事業体の16%にあたる236に上り、老朽化した水道管の更新が追いついていない』という記事に出会う。

この背景には、地方を中心に人口減によって料金収入が減り、予算不足で更新費用を捻出できないというのだから、今吹き上がっているさまざまな諸問題と同じで、過疎化への対応が緊急課題であることは明らか。

しかし、その対策はとなると、遅々として進んでいないどころか、むしろ東京一極集中をあおるような政策ばかりが現実となると、この先、過疎化が収まる見込みがない。

唐突だが、東京オリンピックもその一つ。せめて、招致段階で広島と長崎の共同開催案を日本の提案として、採択されたとしたら、競技場の馬鹿騒ぎやエンブレム問題などは起きず、もう少し国民全体が歓迎する動きになっていたのではないだろうか。

『もし・たら』は禁句だろうが、それでも広島・長崎で開催されるとなると、核兵器廃絶の動きと連動し、世界にアピ-ルできただろうと残念だたまらない。地方の活性化にも有効に働くことは言うまでもない。

外国人の観客も、羽田や成田に到着したとしても、競技会場に行くために新幹線や航空機に乗り換えることになり、オリンピックを楽しんだ後は地方を観光。さらに帰国の際には首都圏に立ち寄るとなると、二重・三重の経済効果があると思うのだが・・・。

こんなグチ話はともかく、最近は腐食しない強化塩化ビニ-ルの材質が主流になっているが、つい最近まで、水道管といえば鉛を中心にした合金が多く、その耐用年数は約40年とされているそうだ。我が国の水道敷設率が飛躍的に伸びたのが1970年代で、そのほとんどが鉛管を中心にした敷設だというから、多くの水道管の寿命がつきる時期になっているのだという。

全国的に一斉に取り替えなければならない時期を迎えているのだが、水道事業を引き受けている多くの自治体では、資金不足から更新の工事が進まず、管の破損事故が頻発しているとのこと。破損したら、応急的にでも対策工事をとらねばならず、これが地方財政をますます厳しくする要因になっていることは私でも理解できる。

厚労省は毎年全国の水道についての調査結果である『水道の基本統計』によると、水道の破損事故は、13年度には182事業体のうち133の事業体で計1万1097件も発生したという。この数字は、10年前より2千件以上増え、断水時間は5千時間以上延びたというから、次は我が町かと言う状態らしい・・・。

またまた唐突だが、横浜の片田舎の我が町は、40年ほど前に東電の火力発電所から出るコ-クスの燃えかすの捨て場を宅地に転用した住宅地である。計画段階から、全ての道路には水道管とガス管を埋設していたので、住宅建設時の負担はたいしたことがなく、その後も快適な生活を過ごせている。

最近、頻繁に『寿命が長い水道管に取り替える工事をしています』という看板が目立つようになり、実際に水道管の取り替え工事をしているところから、やはりここでも40年前の水道管が鉛管で取り替えを余儀なくされていることがよく分かる。

ご多分に漏れず、横浜市の財政も緊迫しているらしいが、破裂して緊急の工事をしなければならないことに加え大量の水を失うリスクよリ、取り替え工事費の方が安いと言うことで工事が始まっているのだろう。比較的新しい私の町でも取り替え工事が必要なのだから、全国の状況はかなり切迫しているに違いない。

地方の自治体では、水道事業を続けるために、仕方なく水道料金の値上げでしのぐしか方法がないとのことだが、激増している高齢者世帯の理解で得られないので、ますます取り替え工事が遅れており、水道管破裂のリスクはさらに大きくなっているという。自治体の水道管理する部署の職員は、毎日『何処が・・・』とヒヤヒヤものではないだろうか。

このままこの傾向が続けば、近い将来水道事業が崩壊することは明らかだろう。現政権は地方の創生をうたい、(次の首班選びの戦術だろうが)自民党内では人気が高い実力者を、その担当大臣にしているのだから、至急地方の水道事業の実態を克明に調べ、必要措置をとってほしいと願うばかり。

しかし、首都圏では、ますます交通アクセスが整うような話ばかり耳に入るとなると、国は、地方を野生動物たちに明け渡そうとしているとしか思えない。(田舎親父)

2016年1月12日 (火)

困った国だが・・・

 一番寒い季節に入るという『小寒』の6日に、北朝鮮が4度目となる核実験をしたという報道にはビックリ。しかも、『水爆』だというから、これはトンデモないことが起きそうだと背筋が寒くなる。

 アメリカはすぐに『北朝鮮に水爆をつくる能力はない』と、水爆実験を否定したが、北朝鮮という国は、一人の独裁者が支配する?(私には想像もできない)軍事体制が当り前にまかり通っているというから、その独裁者が『水爆』と言えば、周りは全て『水爆』となるのだから、真相はまったく闇の中。

 この国の正式訳称は『北朝鮮民主主義人民共和国』と習い、私も子どもたちにそう教えてきたが、何処か民主主義なのかとずっと違和感を持ち続けてきた。この違和感は、現在さらに大きくなっている。 

 建国当時の中国の指導者である毛沢東は、日本軍との戦いの中で、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざすという共産主義を選択し、その実現のために共産党の支配によって、一人一人が差別のない平等な国家建設に力を注いだと本で読み、私自身、一時的には共産主義に傾倒したものである。

しかし、中国(正式訳称・中華人民共和国)のその後の動きをみると、毛沢東は神格化され、『共産党員でなければ人にあらず』とも言われるごとく、共産党の一党独裁が固定化するする姿を目にして、真の共産主義など存在しないことを確認し、以来『共産主義』という言葉すら口にしたくもなくなっている。(まったく脈絡はないが)そのことが、日本共産党に名称変更を促すきっかけとなっているのだが・・・。

それはさておき、1948年に建国された朝鮮民族を分断する二つ国が、互いに統一というスロ-ガンを掲げて戦った『朝鮮戦争』は、後ろにアメリカと中国の姿があり、いわば代理戦争という形になり、結局は北緯38度線で分断され現在に至っていることは周知のことであろう。

北朝鮮建国の時の思想は、中国の名称の下に『民主主義』という名前を入れて、まさに『人民の国家』であることを国の名前として世界に高らかに宣言したと想像しているが、実際は封建国家そのものでは・・・。   

随分話が古くなるが、私が通っていた、宇治市の西宇治中学の南側には、『ウトロ』と呼ばれていた朝鮮民族の人々が住む部落があった。同級生がいたので、一度だけその部落に足を踏み入れたことがあるが、家とは名ばかりで、粗末な小屋という代物の中でかなりの人数の一家が生活し、その周りにそれぞれが豚を飼っていたことをぼんやりだが覚えている。

豚の糞尿とニンニクの強烈な臭いが混ざり何とも表現できない強烈な臭いは、私に衝撃を与えたらしく、二度と訪れる気をなくすと同時に、しばらくの間ニンニクを受け付けない体質として残ったもの。今では逆にニンニク大好きになっているが。

こんなことを書いているうちに、同級生の名前が『朴』君であったことを思い出す。その朴君が、慌ただしく帰国したのは中学3年生の時だったと記憶しているから、1953年前後ではなかっただろうか。当時は、政治的な背景はまったく理解できず、不安顔の彼に、クラスメイト全員でガンバレと声援を送って送り出したこと何となくだが思い出す。

ところが、絶対的指導者だった金日成が、次第に大王さまとなって君臨し、共産主義とはまったくかけ離れた『金一族』の王朝の国家になったことを知り、ずっと彼のことが気になっている。しかし、当然のことながら、その消息を知ることはない。

この国は、当時は人口が少なく、在日の人たちを強引に呼び戻すだけではなく、日本人を強制的に拉致するという暴挙にでて、未だに生死すら分からない拉致被害者が数多く存在することは今更述べるまでもないだろうが、無茶苦茶な国家である。

金王朝が3代目となり、この王様がトンデモ思想の持ち主で、一段と独裁体制を強めていることは間違いないところ。軍事力で人民を支配しているのだが、この独裁体制を続けるためには、内外に軍事力を見せなければならず、それが原爆、ついでは水爆という悪魔の兵器を作るという動きになっているのだろう。

 実際には核兵器を所有しているらしいが、これにはアメリカはじめ核兵器を保有国が大反発。世界の核保有国間では、一応これ以上核兵器を拡散しないという協定ができているようだが、これらは大国の身勝手に違いなく、インドやパキスタンはその協定に関わりなく原爆を保有し、イスラエルなども隠し持っているのではと疑われているらしいから、北朝鮮の金大王としては何故俺だけよけものにするというところなのかもしれない。

 国連では、いち早く今回の水爆?実験に対する反対決議がなされ、北朝鮮に対する制裁などが話題になっているが、中国やロシアは元々金王朝とは友好関係を保っていたことから推察すると、果たして足並みが揃うかは疑わしい。

それよりも素人の私がもっとも恐れるのが、韓国内に『核兵器を持つべきだ』という思想の広がることである。そうなると韓国の動きは即我が国に伝搬し、右翼思想の輩は、時を移さず『原爆』の開発と保持を言い出すのではないだろうか。すでに一部では、核武装するべきだという声も上がっているというから、油断はできない。

原爆にせよ水爆にせよどこかの国が実際に軍事目的で使用したら、取り返しできない結果になることは、どの国の指導者も知っているだろうから、それを持つ意味がないのは分かりきっているはずなのに・・・。しかも、保持するだけで莫大な維持費がかかり、また、破棄するために捨てる場所もない。

こんなバカな話はないのだが、北朝鮮の水爆実験を非難するのは当然としても、大騒ぎして戦争に備える動きを強めるのではなく、意味のない核兵器を、全世界で一斉に破棄(使えなくする)約束に力を入れたいものである。(田舎親父)

2016年1月 9日 (土)

日本の若者の未来は暗い?・・・

 経済音痴の私であるが、国内総生産(GDP)という言葉にもようやく慣れ、この種の話題についていけるようになりかけてきたので、時に『GDP』という言葉(アルファベット)を探すのも稀ではなくなっている。

戦後の日本経済は、世界が驚愕したほど急激に伸び、とくに高度成長期の経済の成長は著しかったが、今世紀に入るとその伸びが急激に落ちていることは私も理解できるようになっている。そして、その原因が世界で類がないほど急激に進んでいる老齢化であり少子化であることも・・・。

先日、ある新聞に2000〜13年の経済成長率を、日本とアメリカで比較したグラフが掲載されていた。グラフは、『国内総生産(GDP)そのものの伸び率ではなく、働き手世代(15〜64歳)1人あたりで計算した成長率を比べると、米国の約11%に対し、日本は20%超もあったと国際決済銀行の報告書などで紹介されている』という解説文が添付してある。これは面白そうだ・・・。

この文面からはっきり分かることは、生産活動を担う日本人の現役世代一人一人の活躍は、アメリカよりはるかに大きいのにもかかわらず、日本全体が伸び悩んでいることである。そしてその理由がこの世代の数の急減だろう。

グラフから、00年以降の13年、15〜64歳の人口は米国で12・9%増加したが、日本では8・5%も減少したということが読み取れるので、そのことは誰の目にも明らかである。

日本社会の働き手の年齢を15歳からとしていることには少し違和感があるが、働き手世代は、消費の担い手でもあり、生産と同時に消費の主役であることは論を待たない。ということは、いかにこの年代の存在が大事ということを教えてくれているのだが、我が国では、この層が世界に類を見ない速度で縮小しているのだから救い難い。

急激な高齢化は、以前から数は少ないながら専門家の間で指摘されてきたが、政府はもとより国民総体としての危機感は薄く、あまり気にも止めず、目先の経済環境の改善だけに目を向けて、この問題を極めて軽視していたことは間違いない。

現政権も最近になってようやく気付いたらしく、重い腰を上げて、昨年打ち出した第二弾のアベノミクスという訳の分からない言葉の中にも、将来にわたって1億人を維持するすと言い出し、そのためには、出生率を現在の約1・3から1・8に引き上げるという目標を打ち出しているが、現実から見ても実現できる数値にはほど遠いのは私でも分かること。

現政権は、このあたりも言い訳を用意していて、若い年代が『結婚できたらいいな』『子どもは何人欲しいな』という希望が完全にかなうことを前提にした、『希望出生率』だとン実不明な言葉を作り出しているのだから、自ら不可能だと宣言しているようなもの。

ある機関の試験的な計算では、この希望出生率が完全に達成できたとしても、30年後には1億人を維持できなくなるという。そしてその後、第2次ベビーブーム期に匹敵する出生率が2・07まで回復し、それをずっと維持できたとしても2060年の人口は9800万人だというから、何とも凄まじく暗い未来予想である。

日本よりはるかに人口が少ないのに、生活環境が優れている国があるという声が聞こえてきそうだが、単に人口が減るだけでなく、生産と消費能力のある働き手人口の減少が半端ではないことを無視しての議論は意味がない。

働き手世代が減る一方、高齢者の比率は増え続ける現状を容認していたら、今の20歳が高齢者の仲間入りをする60年には、65歳以上の1人を現役世代1・3人で支えなければならない計算になるのだという。

そんな時代を見なくてすむ私は良いが、こんな数値をマスコミが報じているのだから若者にとっての未来は地獄。ますます自殺者や鬱病が蔓延するに違いない。

本来なら、何とか若者に希望を与えることが政治の務めであるべきなのだが、現政権が行っていることは、女性の労働参加とか高齢者の再雇用促進、あるいは少子化対策やロボットなどの技術革新と口先ばかりのきれいごとのオンパレ-ド。

そして、裏で考えていることは、大幅な社会保障の負担増であり、給付の削減といったことだろう。これではますます若者世代のやる気をなくし、高齢者も疲弊することは間違いないところで生活の質や経済の活力が損なわれルことは明らか。そして、少子化も一段と進むだろう。

 そこで囁かれるようになったのは外国人の受け入れだろうが、日本らしさが失われるとか、犯罪が増える、あるいは、最近ではテロリストが入ってくる、といった不安が理由となって、議論すら始まっていないようだ。

 現実的には、横浜の片田舎ですら、聞き慣れない言葉が飛び交い、ここは何処なのと思わせるほど外国人が増えている。私が無神経なのかもしれないが、特に争いごとや苦情が増えているなどという話は耳にしないところから、町全体として彼らの存在を積極的とは言えないだろうが受け入れているのではないだろうか。

しかし、地域によっては、『外国人技能実習生』が、低賃金労働力として利用されのというのが定説になり、失踪したり、不法就労者となったりするケースが頻発していることが明らかとなれば、日本全体が、ごく普通に外国人を受け入れるという雰囲気をつくるのは難しいようだ。

 また、外国人を多く受け入れて(10%以上が外国人だという町も出現している)も、日本人との就業差別によって、貧困が当り前となり半数以上の外国人が生活保護を申請しているために財政的に逼迫している自治体もあるとも耳にする。

 何とも悩ましい問題であるが、もはや日本人だけで日本社会を守るのは困難になったことだけは確かである以上、働き手の年代の外国人を、単なる労働者としてではなく、一市民として迎え入れるという考え方が生まれても良いのではないだろか。(田舎親父)

2016年1月 8日 (金)

教科書問題が賑やか・・・

 『三省堂』という主に国語の教科書を発行している会社が、『白拍子』と称する検定中の教科書を有力校長に見せて、謝礼を渡していることが明らかになったと報じられたのは昨年末のことだった。

このことに追い打ちをかけるように、今年になって、今度は算数や数学を得意としている『数研出版』が、三省堂と同じように校長や教員らを集めて意見を聞く会を催し、なにがしかの謝礼を渡していたことが明らかになっているが、『ひょっとして・・・』と内心穏やかでない校長さんも多いのではないだろうか。

というのは、教科書と縁がなくなって久しく、もはや時効だろうと勝手に思っているので気楽に言えるが、私も若い頃には、いろいろな教科書会社からの誘いがあったことを思い出すからであるが・・・。

私の場合は、主に小学校の理科の教科書で、出版する主な会社は東京書籍・教育出奔・大日本出版・啓林館・学術図書の5つだったと記憶している。理科教育に熱心な教員を調査する部門があったのだろうが、少し名前が知られてくるといくつかの教科書会社の営業部員から声がかかるようになってくる。

その中で、それぞれの教科書会社のお眼鏡にかなった教員が、まず手がけることが、『教師用指導書』という、理科が得意でない教師でもこの本を読めば一通りのことが分かるように書かれ、授業の進め方などを詳しく解説して代物の執筆である。蛇足ながら、この本は一般的な本屋に並ぶことはなく、都教委も学校には指導書が必要だと認識していたことも記しておこう。

特に優秀な校長(将来期待された場合は教諭や教頭でも)が『奥付け』という教科書の裏表紙に執筆者として名前が載るのだが、指導主事という役職になったら、教科書会社とは(表向きには)いったん関係を切らなければならないシステムは今も変わらないようだ。もっとも、指導主事が校長など現場に復帰すると元のような関係に戻るのも昔通りだろう。

今回、集められた校長たちは、いろいろな立場だったのだろうが、共通していることは教科書採択に何がしかの力を発揮する人物だったと推測している。

教育界においては、こんなことは昔から当り前のこととして、教育委員会は見て見ぬふり、教科書会社も互いに干渉しないことが暗黙の了承になっていたことから、(私の知っている限り)このようなことが明らかになることはなかったが、最近は、ネットの広がりと共に監視が厳しくなり、また内部からの告発も賑やかだと聞いているので、今後もマスコミの絶好の餌食になるに違いない。

文科省は(これも表向きだろうが)金品のやりとりを極端に嫌う体質があり、このことが明らかになったので大慌て、早速、再発防止に力を入れ、先日は、その具体策の検討を始めたとマスコミが伝えている。

その一つが、教科書会社の営業に関する2007年の通知を見直すことだそうだ。これまで教科書会社が検定終了後の選定(採択)期間中に教科書の説明会を開くことを禁じていたがこれを解禁するのだそうだ。

教科書会社が集まって教科書を学校関係者に紹介するオープンな場を設けることで、水面下で行われていた金品供与などを防ぐ狙いがあるというが、何だか昔に戻ったような感じも受ける・・・。
 文科省は今春にも各教科書会社に新しい通知を出し、次に小学校の教科書(道徳)の選定が行われる17年度からの適用を目指すとのことだが、道徳という特殊な分野は、文科省や教委のお気に入りの校長たちが、採択に深くかかわっていることから、果たしてどんな方式になるのやら・・・。

また、検定中の教科書については、引き続き外部に見せることを禁止するという方針も出しているようだが、私の経験から言うと、まず、この方針の徹底は無理だろう。そしてまた、新たな醜聞が明らかになりさらに大慌てとなりそうな気がする。

文科省として今回の方針変更は、これ以上暴かれたくないという、現場への圧力(あがき)かもしれないが・・・。(田舎親父)

2016年1月 7日 (木)

政活費を給料に組み込む?・・・

 北朝鮮が水爆実験との報道に、この国は何があっても奇怪しくないと思っているので、さほどの衝撃は感じないが、これを実際に使いかねないということには人一倍恐怖と怒りを覚える。

 特に、福島原発事故に際して、いかにもごまかしだけしかできなかった政府の慌てぶりを十分分析しているだろうから、『距離が短い、福井の原発群をねらうぞ』という一言で、有利に進められると知っているはず。

そして、まかり間違って実際に原発が・・・。最悪の想定だが、この想定が実際に起きないという保障はない。しかし、確率が高くならない限り、我が国の『脱原発』が進まないだろうことも予想できないこともないことが恐ろしい。このことは、ゆっくりと考えつぶやくとして、今日は、政治とカネ問題を・・・。

国の政治が自民党一強で、勝手放題になっているが、これが地方自治体の議会にまで蔓延しているらしい。

ことの起こりは、地方議員に経費として支給される政務活動費(政活費)について、東京都千代田区の(国のやり方を真似ているのだろうが)流行の『有識者審議会』が、使い道に制限がない議員報酬に付け替えるよう答申したというから、何とも常識では考えられない無茶苦茶さである。

 多くの地方議会が政務活動費の透明化に取り組む中で、使途の報告義務がない報酬にしてしまう発想は何処から出てくるのだろう。この有識者会議の座長は『政務活動費に対する積年の課題に一石を投じることができた』と自画自賛しているというから呆れる限り。

 このことを伝える記事によれば、千代田区議会の定数は25で、区議は月額15万円の政務活動費が支払われているのだそうだ。人口が4万人弱で25人の議員数というのも常識では考えられないが、区長の諮問機関である『有識者会議』はこのうち10万円分を議員報酬に付け替えるとともに、政務活動費は5万円に減額するよう答申したという。

区長がこれを受け入れると、報酬は月額約72万円になるというから、ほとんどの議員としてはウハウものではないだろうか。反対するのは共産党だけ?となると、この案はすんなり通ってしまう恐れも十分ありそうだ。区民も、『反対しても・・・』と覚めた感覚だというから、ここにも現代風の『何を言っても仕方ない』というあきらめム-ドが蔓延しているのかもしれない。

答申には『制度そのものを廃止し、自分の報酬の中から自らの責任で支出する時代へと向かっている』とあるらしい。一見、その意見はもっともらしく聞こえるが、『議員のなり手を増やすには報酬引き上げが必要だ』という部分は、庶民から見たら納得できるはずがない。

しかも、座長の大学教授は、『政務活動費の支出には領収書が義務づけられているので使いづらい』と、領収書などの添付すら必要ないという見解となると、こんな発想が全国で広まったら、ますますカネと政治の悪循環を招くことは明らかだろう。

 政務活動費は、号泣事件で一躍有名になった元兵庫県議による多額の流用事件が有名だが、それ以外にも国・地方を問わず、議員たちのずさんな使い道に世論が厳しくが厳しい批判を浴びている。主に自民党所属の議員だというが、野党議員もその例外にない。

 このような批判をあびて、多くの地方議会では領収書の添付は当り前で(現在主流になっている)事前に全額支払う方式を見直したりするなどの改革に取り組んでいると報じられているが、千代田区のやり方はその動きとは逆である。

 報酬に付け替えれば、これまで批判が多かった飲食などに政務活動費分をあてていくことも自由になるだろう。これでは、良識的な議員や市民が主張している、『使い道をできるだけ透明にして、住民の理解を得ていく』という努力を否定することになってしまう。

 この記事で、もう一つ気になるところは、『有識者会議』の存在が、地方議会の権限をも越えていることであり『有識者会議』という言葉が、反対意見を押さえつけるム-ドを作っていることではなかろうか。

『有識者会議』は現政権のお得意の手法である。御用学者やお友だち、あるいは財界人を委員に任命し、都合のよい答申を出させて、『偉い人たちが議論を重ねて出してくれた意見なので尊重しなければ・・・』と言って答申通り動く、まさに『まやかし』の政治手法と言っても過言ではない。

今回千代田区の『有識者会議』も区長の諮問機関だということから、そのメンバ-は区長のお気に入りやお友だちだろうことは間違いないところ。だとすると、この答申の原型は区長の案だろうことは想像に難くない。

政務活動費の改革に対しては、地方議会自らがあり方を議論し、金額や公開方法を自律的に決めるのが原則で、区長が自分の利益を優先し、一部の区議や御用学者の意見を『有識者』に代弁させて、議会をリ-ドすることがあってはならない。

首都・東京の中心区の千代田区議会の議員一人一人が、こんな悪しき(浅ましい)前例を作らぬよう明確な反対姿勢を示すべきだろうと思うのだが、現在の議員たちに、果たしてそんな良識があるだろうか・・・。(田舎親父)

2016年1月 6日 (水)

常識では考えられない・・・

これも昨年の暮れの話になるが、福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機の『再稼働を差し止めた仮処分決定』を取り消したというニュ-スには唖然とさせられた。

すでに地元の同意手続きは完了しており、原発大好きな福井県知事も再稼働に了解したというから、関電は九州電力川内原発1、2号機に続く運転再開に向けて、これで再稼働に対する障害はなくなったとばかり準備を進めているというから、桜で世間が浮かれている頃には再稼働するのではないだろうか。

 福井地裁が、安全性が確保できないという理由で、再稼働を禁ずる判断をしたのは去年の5月。これに対して、関電側が異議を申し立ていたのだが、同じ地裁で、別の裁判長が、新規制基準に基づく原子力規制委員会の審査の判断に合理性があるとして差し止め判断を覆す判決を出したとは何とも不可解な話。

このことを伝える記事によると、担当の裁判長は、原発施設の耐震性評価に最新の科学的、技術的知見が反映され、規制委に高度の専門性、独立性があるとし、新基準による審査は合理性があると判断したのだそうだ。その上で、関電側の主張を認め、安全性に欠ける点があるとは言えないと結論付けたという。

 こんなことがあるのだろうか。高裁が地裁とまったく逆の判決を出すという話はかなりの頻度で聞くことがある。その意味では、判断の是非はともかく、手続き上は理解できるが、同じ福井地裁の裁判官の中でこんなことが起きるとは想像すらできず、何かが裏で蠢いているような雰囲気を感じる。

 昨年5月の、運転差し止めを命じた仮処分決定は、深刻な災害が万が一にも起きない厳格さを新基準に求めたもので、事故のリスクがわずかでもあれば運転を認めないという考えだったと理解しているが、今回の裁判長はリスクはゼロだと判断したのだろうか。常識では考えられない。

 原発に対して司法の判断の基本は、1992年の四国電力伊方原発訴訟での最高裁判決だと言われている。その時の最高裁は、『高度で最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている』との見解であり、裁判所が原発の安全性を自ら判断するのに消極的なことを自ら認めている。

しかし、福島原発事故は、国の審査に合格しても事故は起き、多数の住民の生命が脅かされることが明らかになょた以上司法としては、より厳格な判断が必要と認識して、昨年5月の『再稼働指し止め』となったのではなかっただろうか・・・。

 それが、一人の地裁の裁判長が覆した。いや下地はすでにあった。川内原発の再稼働を認める鹿児島地裁の判断である。この裁判では、新基準に不合理な点はなく規制委の審査も妥当と認め、それを唯一の根拠として、再稼働したのだが、今回の判断を見る限り、司法は従来の、判断を行政に委ねるという消極的姿勢に戻ったとしか言いようがない。 

 今回も川内原発再稼働判断と同様、絶対に事故が起きないという保障はない。事実、今回の裁判長も、判決文を読む限り、安全を保証するとは言っていないだから、大事故が起きた時、誰も責任を取る覚悟も力もないままに再稼働を許可してしまっている。どうやら、この国の原発に対する考え方は福島をまったく忘れてしまったようだ。

 福島原発事故で原発は危険だという考え方が広まったのだが、原発を『是』とする逆回転が加速し始めた。『原発ゼロ』の歯止めが、また一つ外され『次は大飯か玄海か・・・はたまた三方か浜岡か・・・』という雰囲気が漂い始めている。

 県は、安全確保は電力会社の責務であり、安全性に対する規制は国の仕事だと逃げ回っている。責任は両者にあって、県は監視するだけという姿勢がまかり通るはずがない。福島原発事故から間もなく5年過ぎるのだが、復興とは名ばかりで、実態はなにも進んでいないことは、現地の様子を伝えるネット情報からも明らか。

東電も国も『責任能力』がないことは福島の現状を見ればはっきりしている。安全性も責任の所在もあいまいなまま、国が安全性を保障しているのだからとばかり、電力会社も自治体も、周りの反対の声は聞こうとしないで再稼働へひた走る。

もう一度大事故が起きないと気がつかない?・・・。いや、もう一度起きても気がつかない振りをして、再稼働にひた走るのは間違いなさそうだとなると、この国の未来は暗くなるばかり。

そして捨て場のない核のゴミが増えても、そのツケは全て子や孫の代へでは、あまりにも情けない。(田舎親父)

2016年1月 5日 (火)

解決したと報じているが・・・

『明けましておめでとうございます』完全に頭を空っぽにするつもりでいたが、そんなヒマさえないほど、あっと言う間に正月が終わってしまった。

今年も、ボケ防止の勝手なつぶやきを続ける予定でいるが、このところ、脳の働きが衰えていることを痛感しているので、いつまで続けられることやら心もとない。まあ、気張らず焦らず、文章の練習としてのんびりと感じたことを書いていこうと思っている。

最初は、私の苦手な政治絡みのつぶやきを・・・。

昨年暮れに急遽開かれた日韓の外相会談で、ずっと懸案だった『慰安婦問題』が合意したとマスコミが大きく取り上げていた。

確かに、テレビの映像では、日韓の外相がにこやかに共同記者会見を開き、互いに確認し合っているように見えたので、政治的には一応決着したと思われるが、私には、ある日突然、ここ数十年以上懸案になっていたこの問題が、両国の外相レベルで全て解決したなんてとても信じられなかった。

そんな心配は杞憂であってほしいと願っていたが、早速、翌日には、日韓双方のこの問題への基本的姿勢が違うことが明らかになるような記事が出回ったので、やっぱり・・・という思いがしてしまう。

その一つが、日本大使館前に建てられた『慰安婦の像』に対する姿勢であり、もう一つが、慰安婦問題を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の『記憶遺産』に関連資料の登録の申請についての行き違いである。

 『従軍慰安婦』について詳しく調べたわけではないが、今回問題になっている慰安婦問題は、太平洋戦争時において、時の侵略者である旧日本軍が、ある意味強引に現地の女性たちを招集し戦場に伴って兵隊たちの性の道具にしたことは間違いないところ。当時の日本軍の発想として、戦意高揚のためは現地の女性はいわば『モノ?』だったのではなかろうか。

戦国時代では、戦勝者が敗者の支配していた一族の女性たちを勝手に扱っても良いという考え方が当り前に通用する、いわば女性は政治の道具の時代だったが、旧軍隊の根源の思想はそれに変わりなく、『韓国の女は、帝国陸軍(海軍もかな)の持ち物である』といったたぐいの感覚だったと考えても差し支えなさそうだ。

 戦後、この考え方が完全に否定され、慰安婦だった女性たちが立ち上がり、償いを帝国陸軍(戦後の日本政府)に求めたのは当然だろう。女性たちを支援する組織として『韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)』が生まれ、拡大したのも当り前の姿であることは、国際事情に疎い私でも常識として理解できる。

その『挺対協』が、日本政府の曖昧な態度に業を煮やして、慰安婦をモチ-フにした若い女性の像を2011年に日本大使館前に設置したのだが、これが日韓の対立をあおったことは想像に難くない。日本日本政府としては国際的にみっともないということで、韓国政府に移転を求めたらしいが、韓国側は『像は民間が設置したもの』譲らなかったという曰くがあるのだそうだ。

今回、韓国外相は『関連団体と話し合いを行い、適切なかたちで解決するよう努力する』と明言しているらしいが、『挺対協』は、そんなことを韓国政府ができるはずがないと表明し、韓国世論も移転には反対が大部分では雲行きは怪しいのでは・・・。

キシダ外相としては、韓国がこの像を移転する内諾を得たと判断したようだが、韓国政府が世論の反発を抑えてまで、力づくで移転を強行するとは思えないから、日本政府が描いた筋書き通りに、すんなりとことが運ぶとは思えない。
 日本政府は、元慰安婦の女性救済のために韓国が設立する財団に10億円を拠出する条件として、少女像の移転を強要しているというのも、何でもカネで解決する現政権お得意技の『札束横っ面作戦』に違いないだろう。
 そしてもう一つ、韓国が『国連教育科学文化機関(ユネスコ)』の記憶遺産に慰安婦問題の関連資料の登録を申請する動きはなくなったという日本政府の認識に対して、韓国外務省報道官は定例記者会見で、『事実無根』だと否定し、日本との間で合意した事実はないと強調したというから、このことに対しても両国の認識の齟齬が早々に露呈した形。となると根本的な解決にはほど遠いようだ。
 新しい年が始まったが、日韓関係がどう進捗するのかを注意深く見つめていかなくなったことだけは確かなようだが・・・。(杉

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