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2016年2月

2016年2月29日 (月)

内定と明言すべき・・・

 昨日、出場者が3万7千人という『東京マラソン』がまるでお祭騒ぎの中で行われていた。日本テレビが中継していたが、とにかくコマ-シコルが多過ぎる。極端な言い方をすると、5分毎に1分間のコマ-シャルという感じに、さすがに嫌になって途中から消音。画面を時に見ながらコンピュ-タと遊ぶ、いわゆる『ながら観戦』をしてしまった。

唯一、先頭集団に食らいついていた村山選手も10時15分ごろからは遅れだしたのはいつも通り。まあこんなものだろう・・・とは思いながらも、日本人選手はやはり通用しないのだなあ・・・と一抹の寂しさを感じる。

最近、東京オリンピックを盛り上げるためだろうが、『オリンピック出場権』という言葉が巷には溢れている。それぞれの競技団体がオリンピック出場選手枠を決める権限を握っているらしく、選考基準もまちまちである。

 世界に通用しないことが明らかな選手でも、マスコミは『メダルは確実』とか『メダルが期待できそう』などと煽っているうえに、政府までが、東京オリンピックでは『金メダル〇個』などと、数値目標まで上げているものだから、日本中がメダル狂想曲のオンパレ-ドになっているようだ・・・。

 ならば、絶対にメダルに届かないような選手を出場させなければ良いのにと皮肉りたくなるが、全ての競技団体は、そのことに触れられるととたんに『参加することに意義がある・・・』という、変にオリンピック精神を打ち出すから、見ていてシラけてしまう。

昨日の東京マラソンも、リオデジャネイロオリンピック出場権枠をかけた大会だったらしいか、結果的に高宮という無名の選手が2時間10分台で8位(またまたここでも『日本人一位』という変な称号がまかり通っているが・・・)。青山学院大学の学生が、それに続いていることが救いといえば救いだろうが、それにしても選手の層が薄過ぎる。

優勝したエチオピアのリレサ選手は5分台。世界からは大きく離れているのに、今回の10分台の高宮選手は代表に選ばれるようだが、オリンピック本番では100%、8位までの入賞はない。残りの枠は別のマラソン大会で決めるのだそうだが・・・。

出場権を得るためには、2時間6台という基準を設けているが、現代のレベルでは『絶対』に出るはずがない。それでも、天候などが影響すると『ひょっとして?・・・』という、あり得ない期待をこめて、陸連はどうしても男子マラソンは3人を出場させるらしい。

男子に比べて、女子マラソンは、ある意味メダルの可能性が高いのは、素人の私でも理解できるが、女子選手の選考基準に客観性がないのは何なのだろう・・・。

『出場権枠大会』と銘打ちながら、優勝した選手を代表に選んでいないという曖昧さがあって、実際に選ばれた選手が結果的に期待外れという繰り返しが続いている。

 先日、出場権という冠をつけた大阪マラソンで、福士選手が優勝した。しかも、陸連女子マラソン部が作った、記録の2学校間22分30秒を越えたのだから、ゴ-ルした福士選手が『リオ・決まったベイ・・・』と喜びの声を上げたのは当然だろう。

優勝して記録をクリアしているのだから、福士選手はもとより、ほとんど国民は、これで決まり『福士、期待するぞ・・・』という気持ちになったはずなのに、陸連は内定を出さない。

これに対して、福士選手サイドは、ならば、名古屋マラソンに出場して、実力で代表権をとって見せるとばかり、来月の名古屋で走ると宣言。その強い意思に拍手すると同時に『ゆっくり休みなよ。どうせ貴方の記録を越える日本人なんかいないのだから・・・』と誰しもが思っただろうが、以前も、優勝した選手が選ばれなかったことがあったというから、福士選手側の態度も分からないでもない。

慌てたのは、陸連の女子マラソン部会である。しばらく様子を見ていたか、福士選手の気持ちが本気だと見て、『お願い出ないで・・・』と言い出したのには笑ってしまう。

そこで『代表選手に内定する』という一言があれば、『ハイ分かりました・・・』となるのだろうが、この言葉は言わないものだから、福士選手としては『出ます』というのは当然だろう。

名古屋マラソンはコ-スが平坦だというから、ここで日本人が優勝・準優勝し、その二人が福士選手の記録を上回る可能性はゼロではないが、常識的に考えると、それはまずない。22分30秒をクリアするとは思えない。

少ないメダルの可能性を期待する意味でも、そして何よりも選手生命を守るため、陸連が福士選手に『内定』という言葉を与えることが大事である。結果的に、例え名古屋マラソンで、福士を上回るタイムであっても、優勝が優先すると明言する勇気を望みたい。

そして、以後の選考基準を大幅に見直して、本来ならば一発勝負が良いのだろうが、利害関係があって、その大会が決められなければ、『優勝』を絶対条件として、しかも、標準記録を設定して、それをクリアすることを付記すれば良い。

全ての競技に言えることだろうが、それぞれの競技団体は該当者がいなければ、代表権枠を『次回に回す』ということを国際的に認めさせることが、各種競技団体の大きな仕事だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月27日 (土)

介護殺人が続きそうだ・・・

 川崎の老人施設で看護士が入居老人を次々に4階~6階から投げ落として殺害する事件は、驚きというか、日本の社会もここまで来たのかと何とも得ぬ恐怖心を覚えたもの。

 こんな介護士はこの男だけだと思いたいが、この施設では、かなり日常的に入居老人に対して暴言や暴力を振るっていたことも明らかになっているというから、まかり間違えばもっと酷い状態になっていたこともあり得ないことではなさそうだ?・・・。

 裁判になっているので、関係者は口をつぐんでいるようだが、よほど精神的に異状をきたしていない限り、理由なき殺人はあり得ないだろうから介護士は日頃から、被害老人たちに憎しみの心理的な拡大があったことは疑えない。

 入居している老人は、カネを払っているのだから、(当然の権利として)要求を素直に聞くのが介護士としての条件だろうと思うのも分からないでもない。このあたりは、入居時には施設側との契約書を交わしているだろうが、その契約書を家族も含めて読んだとは思えない。百歩譲って、虫メガ目を使って一文字も漏らさず読んだとしても、そこで発見するのは、『相談に応じる』という程度の文言ではないだろうか。

 施設側は、間違いなくきれいごとを並べているだろう。一日も早く入居させたい家族としては『看護士さんは親切だから、何でもやってくれるよ・・・』程度で深く追求せず。後はお任せ・・・というバタ-ンはお馴染みの筋書きである。

 ネットの世界では、利用条件という一項目があって、実に細々とした文字で分かりにくい文章が出てくるが、その利用条件を『是』としない限り先に進まないようになっているのがごく普通。一言で言うなら、老人施設も、『利用するなら、まず署名』というところだろう。

 老人施設の契約書というのも見たことがないので、断言できないが、全国で特養の入居待ちが50万人以上と言われるように、老人施設への入居希望は、本人はもとより家族の数は想像以上に膨大に違いない。施設に入居したい立場では、施設側の条件を『是』としない限り入居の話が進まないのだからネットで買い物と同じ。当然、条件面の詳細は入居老人に正確に伝わっていなかったのだろう。

介護士の待遇が極端に悪いことは今更述べるまでもない。その劣悪な条件でも、ほとんどの介護士は真剣に、年寄りの面倒を見ているに違いないが、中には、ストレスがたまり暴走する輩が出てくるのも理解できないことはない。

何度も述べていることだが、介護士の待遇、具体的には報酬を少なくとも無条件に現在の1.5倍程度に引き上げなければ、殺人はともかく虐待はなくなることはないことだけは断言できる。

 ところで、施設に入らず(条件が合わずに入れないことも多いらしいが)自宅で、夫婦や親子がどちらかを介護している人が年々増え続けているという話は、毎日のように耳にする。

 介護に疲れて、思い余ってついつい相手の首を締めたり、刃物で刺して殺害し、自分もという無理心中事件も稀ではなく、その場合、死に切れず、警察に逮捕されて裁判沙汰になるという話題も最近では日常茶飯事になっている。

今月はじめに、埼玉県で、介護に疲れ、無理心中を図ろうと妻を殺害したとして83歳の夫が逮捕された事件があった。その報道を知って、『ああ・またか・・・』と思った人も多いと思うが私もその一人。

つい先日、その続報が・・・。その夫が、その後、食事を拒み続け死亡しましたというニュ-スに、『なんと嫌な国になったのかと・・・』と思わず天を仰いだものである。

こんな悲しい事件か再び起きてほしくないが、今の政治体制が続く限り、この願いがかなうことは100%ない。

せめてもの希望であるが、自分の意志で判断ができなくなった時のために、自らを命を絶つ自由と、安らかにその瞬間を迎えられる手段を保障してほしいものである。(田舎親父)

2016年2月26日 (金)

市販テストを義務づけ?・・・

 私は、3歳ごろから高校卒業までの約15年間、京都の校外で過ごしたので、今でも京都に対しては、良い印象と悪い印象が折り混ざっているものの、総じて『京都』という活字に対しては、人より反応が早い。先日、京都新聞の、テストをしないで成績をつけた教員に対して、明らかに批判的な文面の記事が目に留まる。

 記事によると、35歳の6年生担任の男子教諭は、学校で決められたテスト回数の約4割を実施しないまま成績を付けていたことに加えて、実施したテストも大半を返却していなかったことが明らかになったのだそうだ。校長は『あってはならないこと。大変申し訳ない』と謝罪しているとのことである。

 担任が全て悪いように書き方であるが、果たしてそうだろうか。この学校では、前期中に4教科で計28回のテストをしなければならないという決まりがあるのだそうだ。4教科というから、国語・算数・理科・社会だろう。

そしてそれぞれが7回というと、テストは一冊になった『市販テスト』であることは明らかである。5~10枚で構成されている『教科書準拠』の市販テストは、単元が終了後に実施されていることが前提になっているのだが、指導要領には、テストに時間についての記述は一切ない。

こんなことを言うと、『テストをしないのはけしからん』とか、『市販テストを使うのは常識だ』という声が聞こえてきそうだ。しかし、『テストをしないと・・・』という批判はあっても奇怪しくないが、『市販テストが常識だ・・・』が常識としてまかり通るとなると、これはかなり意味が違ってくる。

『市販テスト』は教材費として、学期ごとに親が学校に支払う教材費で購入されていることは案外知らない人が多いのではないだろうか。その上、日常的に今日小学校で使われている市販テストは、現場の教員(校長なども含めて)が、アルバイトとして執筆していることは、この業界では公然の秘密であることも・・・。

さらに、この市販テストを塾業界は古くから利用し、あらかじめ該当の小学校で使われている市販テストを模擬的に使っていることも・・・。これを知れば、塾に通えば、成績が上がるのは当然だということも、これまた当り前だろう。

この結果、塾に通える・通えないという経済格差が,そのまま教育に反映される。こんなことがあって良いはずがないのだが・・・。

今日はごく短く、市販テストについての情報提供に留めておくことにして、このことに対する自論は後日改めて・・・。(田舎親父)

2016年2月25日 (木)

コリアンダ-に睡眠効果?・・・

 『コリアイダ-』というハ-ブをご存じの方も多いと思うが、私はもともとハ-ブという言葉に(理由なき反抗ではないが)日本にも優れた香草・薬草があるのにそちらの方が性に合うという、何とも大人げない意地のようなものがあって距離をおいていた。

そんな私でも、魔が差したわけではないが、サカタの展示場で『バジル』の香りを知ってやみつきになり、自分で作ってみたいという気持ちの変化が起きて栽培するようになっている。以来、イタリアンパセリをはじめルッコラやペパ-ミント、また、ボジリやセ-ジなどのハ-ブ類もレパ-トリ-に入っており、去年から『コリアンダ-』がメンバ-に加わっている次第・・・。

数年前からプランタ-農業というアホなことを始めているが、新鮮な野菜を、いつでも好きなだけの量を採ることができるので、手間はかかるのだがその魅力にとりつかれ、年々プランタ-の数が増えている。

その仲間に、今日の主役の『コリアンダ-』が入ったわけだが、昨年秋に蒔いた種が、順調に発芽した苗が春分を過ぎたあたりから俄然成長が速くなり、プランタ-から溢れるばかりになっている。

 『コリアンダ-』という地中海が原産の香草は、古代エジプトでも大変有用で身近な薬草として人々に利用されていたというから歴史は古く、あらゆる病気に効能があり、特に体内の毒素を排出させる効果は抜群なのだそうだ。精神安定効果や抽出した成分は美肌にも素晴らしい効能があるとのことで、あのクレオパトラも常用していたという記録まであるそうだからなかなか奥が深そうだ。

 『コリアンダ-』という意味は、『カメムシのような臭い』という意味があるらしく、ある文献には『カメムシ草』と紹介されているという。確かに強烈な臭いがあるが、カメムシのある独特な嫌な臭いではなく、感じ方にもよるが、『強烈な香りのハ-ブ(香草)』という表現の方が相応しいのではないだろうか。

このハ-ブは、その伝搬の歴史は調べたことはないが、タイ国ではなくてはならない野菜(調味料)として料理には欠かせないという。『パクチ-』と呼ばれており、万能の野菜としてタイ料理ではほとんどのレシピに必要不可欠なものとして良く知られている。

前書きが長くなったが、先週、このコリアンダ-を収穫し、豚肉と炒めて食べてみた。確かに強烈なクセのある臭いには抵抗があるものの味は決して悪くない。悪くないどころか、下手するとはまりそうだと、ビ-ルと焼酎のお湯割片手に一皿ペロリと平らげてしまった。

その翌日のことである。妻が下痢と嘔吐症状を訴え寝込んでしまった。熱があるわけではなく、風邪の症状とは違うらしい。そのまま寝るというので寝かしておくが、原因は『コリアンダ-しか思い当たらない』と言いだす。しかし、その時点では私には全く異変は表れないので、そんなはずないだろう聞き流す。結局、何かとの『食べ合わ』としか思えないので、コリアンダ-との関連についてはウヤムヤに・・・。

翌日の朝になっても妻の症状は変わらず。食中毒なら私にも、ある程度同じ症状が出るはずなのに不思議だねと慰めるが、妻は『コリアンダ-』しか思い当たらないと譲らないのは昨日と同じ。しかし、その時点でも私の身体には全く異変は現れない。

ところが、昼過ぎになって、何とも身体がだるくなり、起きていることが苦痛になってきたので布団にもぐり込んだのだが、それから眠る・眠る。食べるのも忘れて眠り通して、気がついたのは翌日(月曜日)の朝、それでも身体は寝ることを要求しているらしく、朝食も抜きにしてそのまま起き出せない。

困ったものだが、昼過ぎに、やっとコンピュ-タの前に少し座って情報収集をしたが、すぐに気分が悪くなり、また横になる。そして気がつくと次の日(火曜日)の朝。何とか、横にならなくても良いようになったのはその日の夜方になってから・・・。

原因が何だか分からないが、私の場合も、どう考えても『コリアンダ-』しか思い当たらない。そこで、『コリアンダ- 睡眠効果』というキ-ワ-ドで検索してみた。

物凄い量の情報がヒットする。改めて『コリアンダ-』という香草の効能の凄さを感じるが、『沈痛』や『精神安定』にはかなりの効能があることを知るが、『睡眠』という言葉を効能の中に見つけることができない。

その時、ただ何となくだが、タイ料理であっても『バクチ-(コリアンダ-)』を、今回の私のように、大量に豚肉とだけ炒めたレシピはないのではという妄想?が頭をよぎり、古代エジプトでも外科的手術はあっただろうから、痛み止めのために大量に食べさせたのでは・・・というトンデモ発想が閃く。今回の私のように大量に眠り続けている間に外科手術、いわゆる麻酔効果が出るのではなかろうかというたぐいのものであるが・・・。

こんな思いつきだから全く根拠はないのは当然である。恐怖心があるので、しばらくは『コリアンダ-』を食べようとは思わないだろうが、いつか、『コリアンダ-と睡眠』について、もう一度実験する価値がありそうだという思いは捨てきれない。

特筆しなけれならないことは、以来、大好きなビ-ルを飲んでもあまり美味いとも思えず、晩酌が進まなくなっている。このことが、一番の『コリアンダ-効果』かも知れないと思うと、ひょっとして世紀の大発見?かも・・・。

それにしても、強烈な体験だった・・・。(田舎親父)

2016年2月24日 (水)

大人の対応を望みたい・・・

 北朝鮮のミサイル発射に対して、これを迎撃するためのシステムに天文学的な金額が使われていると、東京新聞が昨日一面トップで伝えている。

記事によると、北朝鮮の脅威に備えた弾道ミサイル防衛(BMD)に関し、政府が整備を始めた2004四年度以降、16年度予算案を含めると、13年間のBMD関連費用は累計で約1兆5800億円を投入しているのだそうだ。

今回、北朝鮮が人工衛星と主張する事実上の長距離弾道ミサイル発射を受け、新たなミサイル迎撃システムの配備検討を表明したが、導入したら、さらに費用が膨らむことは間違いないというが、打ち上げたのは長距離ミサイルでないことはほぼ間違いないとなるとその費用は、トンデモない金額になるのは私でも想像できる。

 政府は08年4月の国会答弁で、BMD整備費を全体で『8千億円から1兆円程度を要する』説明していたとのことだが、すでに、1兆5800億円という累計額はほぼ2倍だからどこまで膨らむか恐ろしくなる。

 この金額を、介護や保育のために使えば、たちまち問題が解決するのでは・・・と恨み節をうなりたくなるが・・・。

 現在のBMDは、海上自衛隊のイージス艦4隻に搭載したSM3ミサイルと、全国に34基を展開する地上配備型のPAC3ミサイルの二段構えで弾道ミサイルを迎撃するのだそうだが、実際に迎撃に使われたことはない。

 BMDは『スパイラル開発』と呼ばれ、順次能力向上を図る手法で開発が進むため、数が増えなくても費用が上乗せされるのだそうだから、配備したらそれで終わりという代物ではなく、絶えず性能強化に、毎年度数百億~一千億円超の予算がかかるという。

いっそうのこと、迎撃してみればその効果が分かるのだろうが、うち損じたら世界の笑い物。それ以前に、迎撃したとなると、全面戦争に発展しかねないので、それもできないのだから、困った話としか言いようがない。

そして、今回の発射に対して、さらにBMDの強化を打ち出し、SM3搭載イージス艦を8隻体制に増強するという。

アホベ首相は北朝鮮による弾道ミサイル発射前は『国民の安心・安全のための対応策はしっかりと整えた』と発言していたが、発射後は『国民を守るため検討を加速する』と新システム導入に意欲を示しているとあっては、さらなる装備の拡充を決めていることは明らかだろう。

恐らく、新たな拡充には北朝鮮は敏感に反応して、『お前がそうならば俺はこうだ』とばかり、本確的な核を搭載し、いつでも標的を攻撃できるミサイル(人工衛星)の開発に力を注ぎ、打ち上げるに違いない。この挑発(どちらが挑発しているのか分からないが)に対して、『絶対に迎撃できない』SM3やPAC3をさらに増強するしかないというのではあまりにも情けない。

 しかも、政府は絶対に言わないが、今回北朝鮮が打ち上げたミサイルが人工衛星であったとしたら、こんなシステムの必要性は根底から失うことになりそうだ。

軍備というのは、一方が進めれば相手はそれ以上の殺傷能力の強い兵器の拡充と開発に取り組んできたことは歴史が証明していること。巨費を投じて際限ない競争が果てしなく続き、歯止めが利かない『負の連鎖』に陥ることは、小学生でも理解できること。

北朝鮮がミサイルを打ち上げたかったら打ち上げさせれば良い。その時、迎撃できると豪語しているのだから、性能を試してみたら良い。結果的に、BMDが役に立たなかったとしても現時点での北朝鮮の性能では日本国壊滅には至らないだろう。さらに言うと、被害は限定的あるはずだろうから、それから本気で戦っても遅くない。

いくら北朝鮮の独裁者が愚者であっても、周りがそこまでは許さないだろう。自浄作用が起きると信じたい。万が一、核弾頭を日本や韓国に打ち込めば、自分の命はもちろん国家の消滅することぐらいは分かっているはずだから、一方的に攻撃を仕掛けるとは思えない。

そのことを踏まえて、必要以上の軍事目的のために膨大な予算をかけるのではなく、社会保障などを確立し豊で平和な国家であることを内外に示し、その事実を持って交渉に望むという大人の対応をするべきである。(田舎親父)

2016年2月23日 (火)

どうするJR北海道・・・

 北海道新幹線が3月26日に開通するという。青函トンネルを貨物列車と共用とするとのことだが、新幹線用のトンネルを造ることは技術的にも資金面からも不可能だろうからこの方針は納得できる。しかし、早速(当然のことながら)トンネル内では新幹線のスピ-ドを上げられず、東京駅から函館北斗駅まで4時間を切れないという問題が生じ、かなりの話題になっている。

 記事によると、JR北海道が発表した時間は4時間2分。私には、わずか2分ぐらいたいしたことではないと思うのだが、鉄道関係者にとっては、この2分が大きな気味を持っていて、4時間を切れないと飛行機との競争には勝てないのだそうだから、そこまでして新幹線が必要なのかなあ・・・という素朴な疑問が浮かんでくる。

 しかも、函館北都駅とは、函館市内ではなく20kmほど離れた北杜市という別の自治体にあり、在来の函館駅までは、新しく作る路線の急行でも20分弱かかるというから、乗り換えなど入れると、4時間半を切ることは難しいようだ。これでは、首都圏から函館を目指して出かける人は、飛行機を選択するのも当然だろう。

 それでも観光客には新幹線という響きは魅力に感じるらしく、最近届く旅行大手旅行業者の案内パンフレットには、『新幹線で行く北海道・・・』というようなキャッチコピ-が目立っている。

 確かにツア-で出かける観光客にとっては、函館北斗駅に到着すれば後はバスで函館はじめ各地の観光バスでつれて行ってもらえるのだから、新しい駅で乗降できるという興味に加えて、荷物検査などという面倒な登場手続きのある飛行機より気軽な旅を楽しめるるのだから魅力なのだろう。

 しかし、新幹線は首都圏からの観光客だけに頼っていては経営が成り立つはずがない。ビジネスマンにとっては時間との勝負が決め手になるだろうから、これからの生き残りは大変だろうと想像している。

 そんなことを思っている矢先、北海道新幹線で、本州方面からの終着駅・新函館北斗からJR北海道の在来線への乗り継ぎに懸念が浮上しているという記事に目が留まる。

てっきり、新しく開業する新線の不具合で、間に合わないのかと思って記事を読んでみると、そんな物理的な問題ではなる、JR東日本のICカード『Suica』がJR北海道では札幌近郊以外では機能しないというから、なんとまあ間が抜けた話だとビックリするやら呆れるやら・・・。

私のうよな超アナログ人間ならば、乗車する日にちと時間が決まったら、新幹線を含めて目的地までの切符を買い求めるから、乗り継ぎには支障がないが、最近はスマホが普及からして困る人が多いのだそうだ。

『モバイルスイカ』という機能で、特急も含めて全ての列車の切符が割引料金で購入できるうえ、紙の切符無しで改札を通れるということが魅力なって、その機能を利用するのがごく普通になっているらしいとのこと。なるほど、当然だろう。

『Suica』が利用できないとなると、スマホで切符を購入した利用者は、一旦、函館北都駅で改札を出て、改めて、函館までの切符を購入して、在来新線に乗らなくてはならないことになる。

『Suica』の導入時は首都圏でしか使えなかったので、こんなことは当り前。名古屋圏や大阪県で流通している、違うICカ-ドとの互換性がなかったので、かなり戸惑った経験を思い出す。現在は、さらに利便性が進み、スマホが間に入っているので、こんな話は今は昔。

全国ほとんどの地域で、互換性ができているので、『Suica』さえ持っていれば全てか解決するようになっているのだから、通用しないとなると、利用者にとっては不便極まりない。

不祥事続きのJR北海道としては、まずは安全対策に力を入れることは当然だろうが、この問題を深刻に受け止めて、早急に具体策を打ち出さねば、開業したのは良いが、新幹線の車両はガラガラということにもなりかねない。

さて、JR北海道はこの課題になんと答えるのだろう・・・。(田舎親父)

2016年2月22日 (月)

お手手つないでゴ-ルイン?・・・

  ここ数年、組み体操による事故の報告が賑やかに報じられている。特に、ピラミットやタワ-という種目は、人の上に人が乗り、最近はその高さを競うのが当り前になっているものだから、一人でもボランスを崩すと、たちまち全体におよび、下敷きになったり、あるいは上から崩れ落ちたりして大怪我につながるのはだれでも分かること。
  それでも止められないどころかさらに盛んになっている背景には、組み体操は『運動会の華』だともてはやされ傾向が強く、より高く、よりダイナミックにという周りの声に押されて、担当の教師は挑戦することが義務づけられてような気持ちにさせられることがあるようだ。
 保護者や一部教師の中には、危険なものをわざわざやるのはいかがなものか・・・という意見もあるのだろうが、学校に限らず閉じられた社会であっては、声の大きい人や、先に言ったもの勝ちというという雰囲気があって、反対の声が全体だと広がらないことが多いようだ。
 運動会そのものを考える時期に来たのではないかと思っている私としては、そろそろ組み体操の難易度競いも含めて、教科の授業時間をつぶしてまで練習の必要なプログラムではなく、子どもと保護者・地域住民たちが集まって、楽しんで過ごせる運動会(いわゆる村の運動会である)にしてはと何度もつぶやいているが・・・。
 去年だったか、大阪府下の自治体の教委が、中学校のピラミッドを5段を上限にするという通達出したことを思い出す。
 10段というとてつもなく高いピラミットに挑戦することが流行になり、ケガが相次いだことに対して、教委が強権を発動したのは,ある意味止む得ないと歓迎する声が大きいらしいが、教育の場での一斉規制には否定的な考え方を持っている私には大きな違和感が残る。
  難易度競争に疑問を呈している教師や保護者は『当然だ』という思いで受け止めているかも知れないが、中には『残念・・・』と悔しがっている生徒や教師、保護者や町の人たちも存在することは疑えない。
 組み体操一つをとっても、こんなにも教育現場では価値観が違う。それぞれの価値観があって、それを主張し、互いに議論しながら内容を深めていくという手法が、教育では何より大切なのだろうが、近年は、価値観の議論など一切認めず、『お上』が決めることが多いのは悲しい事実・・・。
  ピラミットを5段と決めたこともその一つだが、それでもピラミットを禁止していないところに救いはある。私の経験からも、中学校の組み体操においての5段ピラは、さほど難易度がたいものではなく、付帯する動きでさまざまアピ-ルできるだろうから教師と生徒には工夫の余地が残る。
 しかし、先日、千葉県柏市教委が、2016年度から市立の小中学校で『組み体操』を全面的に禁止するらしいという記事には、教育現場もここまできたかと、嘆きの言葉しか口からでない。
 記事を読む限り、校長会の要請らしい。校長会にも声の大きいもの勝ちの雰囲気が定着しているのだろうが、困ったものだとしか表現できない。確かに、止めたい校長もいるだろうから、お上が禁止にしてくれたら、大手を振って止めにことができるだろう。
  しかし、運動会の種目までお上に決めてもらうことが当り前になったとしたら、これは教育の一大事と言って間違いなさそうだ。
 一時、学校(特に小学校)では、競争することが『悪』だという価値観で、お互いに手を取り合ってゴ-ルするなどという、異常な光景が全国的に話題になったが、今回の組み体操禁止はそのことを思い出される。
  校長会の、『みんなそろって・・・』という発想を一番喜んでいるのは、教委そして文科省かのような気がするが・・・。(田舎親父)
 何故か今日は、同じように操作しているのに、画面が違う。時間的な余裕がないのでそのままにしてオチが・・・。

2016年2月20日 (土)

障がい者と農業・・・

 このところ足首のケガで歩くことが極端に少なくなり、例年なら、毎日のように散策している恩田川の川岸の道にはご無沙汰続きだったが、昨日、陽気に誘われて、足を気遣いながら久しぶりに歩いてきた。

 横浜市内でありながら、遠く富士山をのぞむこの一帯は、田んぼや畑が広がり、田植えや稲刈りはもちろん、季節に適した野菜作りを楽しむ人たち(多くは年寄りだが)の姿が見られる実にのどかな風景が牟田氏のお気に入り・・・。

まだ、『春は名のみの風の冷たさ・・・』という早春譜の歌詞の通り、風が冷たい季節なので、農作業のオジサン・オバサンの姿は少ないが、若者たちが集まって畑を耕している姿が目に留まったので近づいてみる。

知的な障がいを持っている人たちの集団らしい。2.3数人の健常者が引率しているらしく、その指示に従って黙々と土を耕している姿は、見る人にとっては,違和感を持つかも知れないが、間もなくこの畑に青々とした野菜が育ち、その収穫によって障がい者たちが何がしかの糧を得ているのだと想像すると、何とも微笑ましくなってくる。

ここ数年、障がい者の集団は、この畑だけではなく(この日は見られなかったが)かなり日常的に目にすることが多くなっていることから、彼らをまとめる組織にとって、農業というキ-ワ-ドが広がっているに違いない。

こんな書き出しをしたのは、先日の東京新聞の一面トップに、――『農福連携』広がる 農家は人手確保、障害者の自立に道――という見出しを見つけたからである。

記事によると、障害(東京新聞はまだ、この漢字を使っているが)のある人が農業の現場で働く例が急増しているのだそうだ。横浜の片田舎でも日常的に見られるのだから、全国的にも増えていることは疑いがなさそうだと納得する。

『農業従事者の高齢化で働き手が不足するなか、農家は障がい者を貴重な労働力として歓迎し、障害者にとっては安定収入を得られ経済的自立を目指すことができる』という一文には少しの違和感があるが、次に続く『農福連携』という新しい言葉に、誰が言い出したのかしらないが、なかなか上手い四文字熟語だと感心する。

記事は、一例として十勝平野で障がい者を雇用している企業(九神ファームめむろ)の活動を取り上げている。この会社の知的障がい者は約20人、白衣に身を包んだ知的障害者らが、秋に収穫したジャガイモの皮むきやパック詰め作業を続けているという『風景』を紹介している。

 2013年に設立された会社らしい。3ヘクタールの農地でジャガイモなどを栽培しポテトサラダやコロッケの材料に加工。総菜メーカーに販売しているのだそうだ。従業員である障がい者の月給は約11万円だという。

広い土地を確保できている確保しているからかも知れないが、こんなに支払えるものなのかとその経営手法に驚く。彼らには障がい者年金が約6万円出るそうなので、住居さえある程度の保障をすれば十分生活できるレベルだろう。『九神フォ-ム』に大拍手を送りたい。

記事をここまで読んで、恩田川のほとりで農作業をしている障がい者はと比べ、果たして11万円の給料が支払えるのだろうかと考えると、農地の広さや野菜の収穫量などから、これは絶対に『否』である。

しかも、障害者を雇うことにちゅうちょする農家も多いと聞いている上に、農地の確保が極端に難しい都市部では、農業に活路を求めている障がい者支援組織の苦労は大変なものがあることは想像に難くない。

農業に勤しんでいる障がい者の姿が、違和感なく横浜の片田舎の風景に溶け込むようになれば、徐々にではあるが、障害者を雇ったり農地を貸す農家も現れてくるのではないだろうかと願いながら、遠くからではあるが応援していこうと思っている。

ふと、私がやっているプランタ-農業でも、ほんの少しの農業技術が収得できるのではないだろうかというアイデアが浮かんできた。これは使えそうだ・・・。(田舎親父)

2016年2月19日 (金)

株価が下がり続ければ・・・

 先週末の株価は1万5千円を割ったと大騒ぎになったが、今週になって、アメリカ経済が少し回復したという見通しが流れて、東京市場は大反発。日経平均株価は1000円以上高騰し、一挙に1万6千円台を回復し、その後の動きは、昨日は反発して300円も上がったようだが、今日はどうなるのか誰も読めないという不透明な相場が続く。いわば一進一退の状態を続けていると表現しても差し支えなさそうだ。

 今年は、年明けから6営業日連続の株価下落は戦後初だと騒いでいたが、その騒ぎも、すぐに慣れる日本人の体質もあって、たいしたことはないという『お上』頼みの世論となり、あきらめて静観する人が増えたことをマスコミが伝えていたことを思い出す。

このまま下がり続けると、アベノミクス(私には実態がほとんど理解できないのだが)の失敗だという雰囲気が蔓延することを恐れたのだろうが、政府の御用機関と成り果てた日銀が『マイナス金利』という、私には想像したこともない、いわば『禁じ手』を発表したのは先月の末、さすがにこの前代未聞のこの政策は市場を刺激したらしく、数日間は株価が上昇して、一旦は元に戻ったと安心した国民も多かったようだ。

しかし、それも数日のことで、あれよあれよという間に、1万5千円を割り込んだからさあ大変。極端に値下がりした株価の前に政府と日銀は大慌てして、次の打つ手のために鳩首会談を続けていたことは想像に難くない。

超経済音痴の私にはほとんど理解できないことばかりだが、世界の経済事情は大変な混乱期を迎えていることぐらいは何とか理解できる。何より大きな原因は、ずっと2桁の成長率を誇っていた中国経済の減速だというが、そればかりでないことも予想できる。

その一つに、アメリカのシエ-ルガス開発の影響や中東情勢の不安も重なって原油価格が大幅な下落という海外要因が語られている。経済の専門家なら、このあたりは折り込み済みだったと思っていたが、ここまでの株安になるとは、誰も予測できなかったようだ。

これらを打開するために、本来は政府から独立して経済政策を実行する機関であるべき日銀が、市場にカネが回るだろうという目論見で『マイナス金利』を打ち出したようだが現在のところ裏目になっていることは明らか。

円安の効果も期待したようだが、その円相場は、現政権が誕生してアベノミクスと言い出したころには110円。大騒ぎしてきた3年間過ぎた今、当時と同じレ-ト近くになっているのは皮肉である。

今後の為替レ-トの動きなど全く分からない私だが、マイナス金利が影響していることは何となくだが想像できる。今週から、実際にマイナス金利政策が実施されたらしいが、早速、すでに実施していた地方銀行に続き大手銀行も、普通預金の金利を引き下げたというから、これはすぐにでも経済全体に影響するのではないだろうか。

もっとも、今までだって定期預金でさえ金利は、0.03%程度だったらしいので、100万円を1年間預けたとしてもたったの30円とは全くバカにした話であるが、今回発表になった数値は、普通預金の0.02%を半分の0.01%にするというのだから思わず笑ってしまう。 

 住宅ロ-ンの金利も下がるから、マンションや戸建ての住宅を求めやすくなるというメリットがあるとする意見もあるようだが、現在の住宅ロ-ンの金利は、私が支払っていた当時は比べるとタダ同然らしいので、果たして、飛びついてロ-ンを組んで住宅を購入する人はどれぐらいいるのか疑問である。あっとしても、金利云々以前に消費税の増税より前という時期的基準に違いない。

むしろ、生命保険業界が今の形態では運用できず、中止や内容の変更を加入者に通達し始めているらしいとなると、こちらの影響が今後大きくなりそうだ。

さらに、2015年10~12月期の国内総生産(GDP、季節調整値)が、実質で前期比0・4%減とのことだから、大企業はともかく、庶民の暮らしはますます厳しくなっていることだけははっきりと読み取れる。

さて、株価であるが、今後どう動くのだろう。日銀は、これ以上の円高にならないために今後も強力な政策を追加すると強気な発言を繰り返しているが、マイナス金利そのものが最後の懐刀という専門家も多いことから、これ以上の強力な政策という言葉が虚しく聞こえる。

私としては、株価の動きなどどうでも良いことだが、このまま下がれば、いかにお上に寛容な国民であっても、アベノミクスが形のない幻で、国民を騙す言葉だけのものだと気付くのではと、むしろこちらに期待している。

そして、支持率が下がり、政権の最後の切り札である『国会解散』となり、ウソをウソで固めた自民党政権にNOを突きつけるという展開になってほしいのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月18日 (木)

こんな事件を繰り返さないために・・・

 一昨日のこと、川崎の有料の老人施設で、入居している老人をベランダから投げ捨てて殺害した23歳の元職員の男が殺人罪で逮捕されたというニュ-スが大きく報じられ、昨日は大新聞が社説で(ニュアンスは少し違うが)この問題を取り上げていた。

 子どものころには記憶力には自信を持っていたものだが、ここ数年めっきり衰えたらしく、以前にこの事件の概要が報じられたことは覚えているが、いつだったかとなると全く自信がなくなっていることに愕然とする。もっとも最近はこんなことばかりだが・・・。

 老人施設に入居している80歳台の男性が、3階のベランダから転落し、その後一月もたたないうちに、同じような年齢の男女の老人もベランダから転落して死亡したという内容だったと記憶しているが、昨日の記事では、3階ではなく、4階と6階だったことだというから、ここでも記憶力の減退を思い知らされる。

 そのことはともかく、深夜に90歳前後の年寄りが、一人で自分の胸あたりまである1.2mの手すりを乗り越えるなんてことはまず考えられない上に、連続して同じような状況が続いたとなると、誰が考えても間違いなく事件だろう。しかし、施設側は全て事故として届け出ており、市もそれで処理したということに愕然とし、しょせん老人問題なんてこの程度かと、何ともやり切れない思いを抱いたものである。

 その後、この施設では職員の入居者への暴行が報じられていたこともあり、警察も少し力を入れて捜査していたようだ。

私は当初から、施設ぐるみの殺人とは思わないものの、人目につかない深夜のことでもあって、担当の職員が意図的に投げ落とした可能性が強そうだと確信し、酷い施設もあるものだと憤ったものの、それ以上はなにもできない非力を嘆くしかないこともあって、いつのまにか記憶が薄れてしまっていた。そして、一昨日の記事で俄に蘇ったというところ。

 警察は最初の転落死は死因特定のための司法解剖もしていなかったというから、単なる事故死として処理したのは明らかだろう。二件目の段階で、解剖をしておけば、事件性が明らかになったのだろうが、やはりしなかったようだ。川崎署には、事件を疑った警察官もいただろうに県警まで上がることがなかったのは、県の警察組織のどこかに反故があったことは疑えない。

神奈川県警の組織図は見たこともないが、完全な縦の命令・管理態勢がひかれているだろうことは容易に想像できる。普通の感覚では、同じ施設で、短期間に次々に老人が死亡しているのだから、連続殺人を疑うと思うのだが、いずれの事件も県警上層部に伝わっていなかったとすると、川崎署の取り返しのつかない失敗であることだけは間違いない。

手すりを乗り越えた事故が連続するなどおきるはずがないと思うのだが、川崎署の上部の誰かが『事故』と判断した上に、職務に忠実な良心的な警察官の疑問など取り上げなかった?としか思えない。

この介護士は『入所者の言動に腹が立った』『職場でもいろいろあった』と供述しているというから、ストレスがたまっていたことは理解できる。だからといって、無抵抗な(多少の抵抗はあっただろうが)年寄りをベランダから投げ落とすという行為は許せないのはもちろんだが・・・。

今日のように、全てが『ビジネス』という考え方が浸透している社会では、老人施設の運営もビジネスであり、金儲け目的で参入している業者が紛れ込ではことは当り前だろうから、この施設に類する運営をしている老人施設はゴマンとあるに違いない。

そんな施設内において、介護士たちは待遇の悪さに加えて、手がかかる年寄りを担当しなければならないとなると、過重なストレスが原因で(ベランダから突き落とすなどは論外だが)言葉の暴力はもちろん、頭や身体を叩くなどのことは起こりえることは想像に難くない。

特に夜間は話し相手もいない一人勤務となると、給料も安く先が見えないこんな仕事に何故・・・と自暴自棄に陥ることもあるだろう。それを避けるためにも、本来は複数勤務が当り前でなければならないはずなのに、人件費はギリギリに抑えなければ経営が成り立たないとなると、当直勤務を増やすことなどできるはずがない。

職員の質の向上が第一という意見もあり、再発防止に外部の目を導入すべきという声も聞こえてくるが、これから増え続ける老人の介護にとって、今現実にもっとも必要なことは『人手』だとということは小学生でも分かること。

『介護離職ゼロ』などと言うきれいごとを並べるのではなく、介護職員の給料を、せめて無条件に1.5倍にすれば、たちまち人手不足は一機に解決し、老人施設内での虐待数はゼロはともかく一挙に減ることは間違いないところ。これは保育士にも言えることだろうが・・・。

そう言うと、すぐに予算がないという答えが返ってくるばかりか、それを社会が許しているのだから困った話。困難な問題に立ち向かい解決するのが政治家の仕事だろうと強く主張したい。肝心の仕事を忘れて、党利党略にうつつをぬかし、私腹を肥やすことばかり考えているのだから、世の中良くなるはずがない。

国の防衛は必要ないとは言わないが、戦闘機やオスプレ-をアメリカの言いなりの値段で大量に購入するカネの一部を福祉に回すという柔軟な発想を持ちたいものである。

 中国もロシアも、そして中東諸国もイスラエルも、内戦を繰りえしている諸国も、近い将来、超高齢社会を迎えて、現在の我が国が抱えている問題に直面することは疑いのない事実であり、この問題の解決が何よりも大事になることも明らかだろう。

その時、柔軟な発想法で作り上げた『普遍的な老人福祉のモデル』を示したら、『侵略』などという考え方はもとより、言葉まで死語になるというと言い過ぎだろうか。

そんなことを考え実践する政治家の出現が、今一番必要だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月17日 (水)

世界の動きに逆行・・・

 最近の世界的な規模で起きている異常気象について、原因はと問われると、やはり温暖化ガスによる地球全体の大気温度が上昇しているとしか思えないことが多過ぎる。

 つい最近、寒ブリで有名な氷見でブリの姿が見られなくなり、不漁が続いていることで地元の漁師は落ち込んでいるという映像が流れたが、その反面、鳥取県ではブリが例年の数倍どころか数十倍という豊漁が続き、境港を中心に水揚げ港では歓声が溢れているのだそうだ。

 東北から北陸にかけて陸地に近い海域の海水温度がいつもの年よりかなり上昇し、例年なら、ブリの大群はこの海域を回遊して能登半島にぶつかり氷見付近の定置網にかかるのだそうだが、今年は海水温度が高いことがあって、そこを避けて日本海の真ん中を南下するル-トをとっているという。

そして。比較的に日本海の幅が狭まっている鳥取や島根県に沖に回遊したところを、地元の漁師が待ち構えているという図になっているようだ。

 これも温暖化の影響らしい。このように温暖化が原因とされるいろいろな話題が日常茶飯事になっているので、世界の潮流は温暖化ガスの排出量を抑えることに動き、先日バリで行われた国連気候変動会議(COP21)では、今まで俺は知らんぞ・・・と言っていた、アメリカでさえ本気で排出規制を作り、中国などもかなり真剣にこの問題に対応しているというニュ-スが流れたものである。

 最も顕著な温暖化ガスは、物を燃やした時に出る二酸化炭素であり、植物はその二酸化炭素を吸収して光合成で成長に必要なエネルギ-を得ているので、森林は温暖化を防ぐ主要な役割を果たしていることなどは小学校でもかなりの時間を割いて指導している。

その授業では、木材は長年吸収してきた二酸化炭素を自分の体内に蓄積しているので、燃やした時に二酸化炭素は発生するが、ト-タルとして温暖化ガスは増えないということに加えて、化石燃料と言われる石油や石炭はその限りになく、燃やせば燃やすほど二酸化炭素は増えるので、できるだけ使わないようにしなければならないと教えている。

現政府が、原発の再稼働を進めるのも、この根拠があるからだろう。しかし、福島原発事故で明らかになったように、副作用として放射能というトンデモ物質が自然界を汚染することが明らかになったことに加えて、核燃料の燃えかすである高濃度の放射能汚染物質を処理するところもなし。これが『トイレなきマンション』と称される所以だが、こんな物騒で汚らしい原発は、即刻廃止しなければならないはずなの現政権は固執しているのも許される話ではない。

原発の話はここではおいておくことにするが、電力を大量にしかも安価に得るためには原料が石油に比べてはるかに割安な石炭による火力発電であることは誰も否定しない。しかし、石炭火力発電は天然ガス発電に比べて二酸化炭素の排出量が極端に多いこともあって、環境省がこれまで許可してこなかったことは広く知られている。

ところが、先日この方針を変更して、条件付きながら、石炭火力発電所の建設を許可したというからビックリする。明らかに地球温暖化対策に逆行するのは、電力自由化で早急に、しかも『安価な電源』を増やしたいという電力業界と、その後ろ楯になっている経産省に押し切られたというところでは・・・。このあたりも、あの女性環境大臣の不見識が背景にあるのも間違いなさそうだが。

素人の私には、数値的に石炭火力の二酸化炭素の排出量を天然ガスに比べてどれほど低く抑えられるの理解できないことが多いが、最新の技術を持ってしても、逆転する数値が出るとは思えない。調べる限り、たかだか2倍程度に抑えるのが席の山らしいから、火力発電所が増えれば増えるほど゛二酸化炭素の排出量は限りなく増え続けることは明らかである。

昨年末、パリで開かれたCOP21で、各国はこぞって温暖化対策に積極的に取り組もうという歴史的な『パリ協定』を採択したが、政府の動きをみている限り、何ら具体的な政策を打ち出していないところが気になる。

あの会議では、日本は最終日、より野心的な取り組みを主張する国々の『野心連合』に駆け込みで加わったことが伝えられたが、あれも現政権お得意気ポ-ズだったようだ。しかも、日本の代表団は、2030年度の温室効果ガスの13年度比で26%減を掲げると大見得を切っていたが、それすらヨ-ロッパ諸国は、現時点の目標は不十分とシラッとしていたのではなかっただろか。

カネ儲けを『是』として、発電量を民間の電力会社まかせにしていれば、安価な石炭発電に群がるのは当然の結果だろう。国が、本気で二酸化炭素を減量するという明確な指針を出さない限り、この傾向は続き、結果として目標としている削減量を達成など机上の計算、夢のまた夢ではあるまいか。

確か、2030年の26%減に加えて、『2050年に80%削減』という、極めて実現が難しいとされる数地目標も閣議で決めたのではなかっただろうか。

政府は、30数年後には原発に依存しないで、且つ80%削減を本気で取り組む姿勢を示してほしいものだが、今回の石炭火力発電所の建設は、その意欲がないことを示しているように思えて仕方ない・・・。(田舎親父)

2016年2月16日 (火)

北朝鮮はすでに核を保有・・・

 先日、北朝鮮が打ち上げたロケットを、日本のマスコミは全て横並びに『長距離ミサイル』と報じているが、アメリカやヨ-ロッパ諸国は『人工衛星』とは断定しないまでも、『何らかの物体が地球を周回している』という違う表現をしているが、長距離ミサイルと人工衛星では、その意味が全く違うものになるのではないだろうか。

 日本政府は『国際世論と連携して』とか『アメリカと韓国と緊密に連携をとって』という、お馴染みのセリフを繰り返し、独自の制約として、送金の一部停止や北朝鮮船舶の入港制限などを打ち出したようだが、それに対して返ってきた答えは、拉致問題の調査打ち切りという、拉致家族にとって最もグサリとくる耐え難い残酷な一言。

朝日・読売などの新聞各紙はもとよりマスコミは全て、社説などでこの問題を取り上げ、北鮮の対応を許せないと非難しているが、この声が北朝鮮の独裁者に届くはずがないことは私でも分かること・・・。

 恐らく、北朝鮮としては日本の制裁措置など十分折り込み済みで、『この程度の制裁など痛くも痒くもないぞ』というところ。『拉致協議の破棄は、全ては日本政府が責任』と声明を出している以上、今後日本政府の対応はますます難しくなるのではないだろうか。

 全く根拠のない、私の単なる思いつきであるが、北朝鮮が打ち上げたのが『長距離ミサイル』ではなく、本当は『人工衛星』だったら、中国が積極的に制裁を言い出さない理由が読めるのではないだろうか。しかも、その人工衛星には核が搭載されているとしたら・・・限りなく恐ろしい話になってくる。

 北朝鮮の建国の歴史を読むと、中国共産党の後押しがあったからこそ現在の姿があることは疑いのないところ。軍事力も中国の支援によってここまで強大化したことも誰の目にも明らかである。

中国は建国以来、共産党一党支配を続けている。言論の自由すら制限してこの制度を維持しているのだが、北朝鮮も金王朝と言われるように個人の独裁政治であることは変わらない。中国が仲間として、ずっと支援してきた理由はここにあるのではないだろう。

 マスコミはこぞって、中国は北朝鮮の核武装には反対していると伝えているが本当だろうか。現在は、確かにそんな面があるのかもしれないが、過去にアメリカと本気になって戦った中国は、必死になって核武装化を進めてきたことは周知のことである。今日のアメリカに対して軍事や経済などあらゆる分野で強気の姿勢を保持しているのは、核を背景にしていることは多くの専門家は認めている。

 となると、過去には北朝鮮の核武装化に力を貸したことは十分予想でき、北朝鮮は中国の支援で核実験を繰り返してきたのではないだろうか。そして、今日では核を保持していることは疑いのない事実らしい。いやむしろ、核の技術を各国へ輸出して、莫大な資金を得ていることも間違いなさそうである。

 あり得ないとバカにされそうな破天荒な想像だが、今回打ち上げた人工衛星に核兵器を搭載しており、中国はこの事実を知っていたら・・・と考えるとどうだろう。

北朝鮮が『核技術は中国の指導』という一言を口にしたら、国際世論は一斉に中国非難が起き、トンデモ自体になることも予測できそうだ。となると、北朝鮮に対する制裁に極めて消極的でならざるを得ないことは理解できる。

北朝鮮が、主に開発途上国の中国を盟主にしている国々に対して、それとなくこの情報を臭わしていたら、表面上は世界平和を見だす北朝鮮の行為は非難できても、それ以上踏み込めないことも当然と言えば当然ではないだろうか。国連決議が実行できない理由もそのあたりにあるのでは・・・。

アメリカもうっすらとこの事実を気付いているに違いない。韓国も我が国の政府も、ある程度のことはアメリカから示されているのだろうが、この情報を国民に知らせることは絶対にできない。しかし、何らかの制裁を加えないと国内世論を抑えることができないので今回の限定的な制裁になったという筋書きでは・・・。

政府がマスコミに社説で北朝鮮を非難させて、国民のガス抜きをしていると考えるのはうがちすぎかもしれないが・・・。

韓国に至っては、もう少し踏み込んで、北朝鮮に経済的に大打撃を与えるということでケソン工業団地からの引き上げを示唆したのだろうが、北朝鮮は、待ってましたとばかり、軍隊を派遣して韓国人を追い出し、施設を含めて全てを自分のものにしたのだから、韓国政府は最大の窮地に追い込まれているに違いない。

韓国が北朝鮮に対するには核武装しかないという考え方になるのは時間の問題。我が国もそのような動きが出てくること予想できるが、韓国や日本の核武装は中国にとっては最大の脅威になるので絶対に許せない。北朝鮮への強い制裁措置など、言葉だけであってもできるはずがない。

ではどうするか、アメリカが北朝鮮の核保有を認めるしか方法がなさそうだ。アメリカの世界警察権はすでに崩れているのだから、中国と妥協して、ロシアも加えて北朝鮮と話し合うという道を選んでほしいもの。

その場合でも、拉致問題はカヤの外になることだけは確かだと思うしかないのが酷であるが・・・。(田舎親父)

2016年2月15日 (月)

輝き方が違う・・・

 (何度もつぶやいているが)『女性が輝く社会』というキャッチコピ-に対して、いちゃもんをつける気持ちはないが、政府の言っていることやっていることが全く違うことに、よく言うよ・・・とシラけているのは私だけだろうか。

 女性の管理職が欧米諸国と比べて極端に少ないので、せめて3割ぐらいの比率に増やそうと努力していることは、時にマスコミが伝えているが、今までごく稀にしか存在しなかった女性管理職を、短時間で3割というのは、しょせんは机上の計画であって、現場では無理が重なることは当然だろう。政府はラッパを吹き鳴らしているようだが一向に進んでいないのが現状らしい。

 国会議員に至って、女性議員がごく限られているのにもかかわらず、女性大臣を増やすことが、女性が輝く社会の象徴だという考え方があるらしく、アホベ閣下は女性なら誰でもかまわないとばかり、勉強(能力)不足?と思われる女性議員を閣僚や党内の重要ポストにつけるのがお好きなようだ。

 しかし、抜擢された女性大臣たち(いわゆる『輝く女性』の代表)の輝き方が、国民に対してではなく、任命してもらってアホベ総理大臣閣下の方に目線が行き、その覚えをよくしようとしているらしく、ボロを重ねるということが多過ぎるのも情けない話。

 先日、タケイチ総務相は、『放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる』と発言したそうだが、その裏には、我が『アホベ閣下サマのやることに対して反対する奴は許さん・・・』という考え方があることは明らかだろう。

 『再発防止が十分でないなど非常に極端な場合』と言っているらしいが、公平性を欠くという『公平性』とは何なのか、恐らくこの御仁は自分の価値観(アホベ閣下)で決めると言うことなのだろう。が、これは恐ろしい。権力を持った側が、その価値観で公平性を決めるとなると、どんな世の中になるのか、想像すると暗澹たる気持ちにさせられる。

もっとも、権力の価値観に対してペンの力で批判するのがジャ-ナリズムだと教えられてきたが、近年、マスコミがその批判力がすっかりなくなり、むしろ政府の御用機関に成り果てているのも情けない話だが・・・。

今回のタケイチ発言は、ここへきて、アホベ閣下の意向を先取りして、マスコミを大本営発表機関にする意図を固めたというところなのだろうが、強制的に放送をやめさせる停波に踏み込んだのは唐突で、極めて異様なこと。

さすがのマスコミも、黙っていては・・・というところらしく社説などで、批判しているが、4コママンガは読んでも『社説』など縁がないという人が多いのでは、しょせんは犬の遠吠え、政府に届くはずがない。

 マスコミのタケイチ発言に対する批判は各社が社説で述べているので、ここまでとするが、沖縄・北海道担当相という肩書をつけられているシマジリという女性が、記者会見で北方四島の一つである歯舞群島についてふれた際、『歯舞』という感じを嫁で、『何だっけ・・・』と言葉に詰まったというから驚くやら情けないやら・・・。

これはビックリどころではない。小学校の5年生の児童でも、『はぼまい』と読めるだろうから、この大臣の地理の知識は小学生以下と断言しても差し支えなさそうだ。歯舞が読めないのだから、恐らく『色丹』は当然として、『国後』も『択捉』も読めないことは像像に難くなさそうだ。

この4島の漢字を読めない議員も多いかもしれないが、担当が北海道・北方四島の返還を担当するトップに任命されているのだから唖然とする。返還を強く求め、北方領土へ帰島を強く望んでいる人たちに対してはまさに裏切り行為。怒りより、『バカバカしくて呆れる・・・』という旧島民の言葉はナンセンス漫画そのものに映る。

この事実を一番喜んだのはプ-チンはじめロシアの政府筋。もはや『日本に北方四島の返還など頭になし』と、今でも力が入っていない返還交渉など、事実上の打ち切りにすることは間違いないところう。

 さらにもう一人、マルカワ環境相は、国が決めた『年間被ばく線量1ミリシーベルト』という除染のメドに対して、『何の根拠もなく時の環境大臣が決めた』と発言したことには呆れるという以前に、一体この女性は、放射線に対する最低限の知識すら持っていないとしか言いようがない。

後になって、周りから『親分のメンツをつぶすな』という注意でもあったのか、発言を撤回したらしいが、撤回したからそれで終わりになるような問題ではなく、こんな女性が大臣サマでふんぞりかえっていては、福島原発事故処理が進まないのもうなずける。

 どう考えても、この3人の女性大臣の発言や行動は、『女性が輝く社会』の実現とはほど遠く、むしろ逆に進んでいるように思えるのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月13日 (土)

担任は昔から『同一労働』・・・

最近良く聞く言葉に『同一労働同一賃金』がある。文字の組み合わせから、『同じ内容の仕事ならば同じ賃金を支払う』という意味だろうと解釈しているが、現在我が国は、派遣社員が多く、そのほとんどは正社員と比べて過酷な労働環境を強いられているというのでは、こんなシステムが通用するのだろうかという疑問が先に立つ。

ヨ-ロッパの各国では、この『同一労働同一賃金制』が定着しており、職種に応じた時間比例の賃金が産業別の労働協約によって整備されているのだそうだ。この制度では、年齢や勤続年数、性別に関係なく、職種と能力によって賃金が決まるため、正規と非正規の格差が基本的にはなく、転職も容易で雇用の流動性は高いとのことだが、日本の労働システムしか知らない私には、こんな話を聞いてもフ-ンとしか言いようがないが・・・。

ただ、この制度が確立しているのなら、正規とか非正規と大騒ぎになるはずがないことだけは理解できる。しかし、職種によって基本的な給与は違うだろうから、同じ職場では待遇の格差はないとしても、職種間の格差はかなりはっきりしているのではないだろうか。

日本の正社員の労働システムは、4月に新卒一括採用し終身雇用が原則になっている。年齢や勤続年数が増すにつれ、グラフの角度は業種や会社の規模にもよるが、右肩上がりになる年功序列賃金が多くの企業で定着している。ところが、派遣社員制度が導入されてどんどん派遣労働者が増えている現状では、この格差の是正しないで、こんな制度を導入するのは乱暴過ぎるように思えてならない。

超経済音痴の私には理解できないことが多過ぎるが、もし現状で『同一労働同一賃金』を制度化するとなると、非正規社員の賃金を正社員と同じにするためには、その分の人件費を企業が負担する必要があるだろう。そんなことを企業が賛成するはずがない。

それでも、経済界はこの制度を歓迎しているというから、従来型の賃金体系を廃止し正社員の給与水準を下げるということだとしか思えない。ごく優秀な少数な正社員以外は全て年齢に関係ない派遣社員に受け持たせようということでは・・・。

ここまで書いてきて、ふと小学校の教員の労働環境が頭に浮かぶ。現在は、教諭の前に冠をつけて、主任教諭だとか主管教諭だという立場の教員も生まれているが、つい20年ほど前までは、校長と教頭という二人の管理職以外は全て『教諭』という身分で、しかもほとんどが学級担任を受けもたらされていた。

順調に22歳で教員養成大学を卒業して都道府県の教育委員会に採用されると、管下の小学校に配属され、数日後に入学式(始業式)の日からは『学級担任』として一国一城の主という立場で、ことに当たらねばならないのが最大の特徴である。

教科や生活指導など未熟なことは当然である。先輩教員が面倒を見てくれはするが、彼らも担任を持っているので、『ちょっと代わってやろう』なんてことは絶対にできない。結局は悪戦苦闘し試行錯誤を繰り返して、『担任術』を身につけるのであるが、この収得には個人差があり、これをどうするのかが校長としての腕の見せ所だった。

技量は違うが、新人もベテランも担任としてやらねばならないことは、基本的には同じである。言い換えれば、これは『同一労働』そのものではないだろうか。

現在は、一般教員にも一部身分差ができているが、『学級担任』という視点から個々に『同一賃金』を当てはめたらどうなるだろうと想像してみると、いやはや凄い現場になるに違いない。

しかし、最近の現場からの声を聞くと、『同一労働』であるにもかかわらず、成果を数値で持ち込むことによって身分格差を作り、かなり窮屈な職場になっているようだ。

確信はないが、教員に『教育考課』というなんとも奇妙な名称の、成果主義が導入されて、教育委員会が教員を数値化し、報酬に差をつけルようになってから、子どもたちのいじめを苦にした『自殺』報道が多くなったような気がしてならない。

『同一労働同一賃金』と『いじめ』との関連は、誰も言い出していないが、成果主義とからめて、本気で考える時期にきているのではないだろうか・・・。

話は全く違ってしまったが、非正規社員は現政権の下で増え続け、2000万人を超えるまでになり、そのうち7割が年収200万円以下というから格差はますます広がっていることだけは明らか。

  『同一労働同一賃金』を言いだす前に、働いても貧困から抜け出せないワーキングプアの解消を第一に考えるのが政府の責務であると思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月11日 (木)

ウソつき九電・・・

 九州電力は、原子力規制委から安全だとお墨付きをもらったと言って川内原発を強引に再稼働したが、その内容は見切り発車だったことに加えて、規制委には『分かりました、必ずやります』と約束しながら再稼働した以上こちらのものとばかり、『そんな約束などしましたっけ・・・』とすっとぼけているようだ。

免震重要棟の建設である。この建物は2007年の中越沖地震の際に、東電刈羽原発の緊急時対策室のドアが地震の揺れで変形して中へ入れなくなったり、室内の電子機器が倒れて使えなくなったりしたことを教訓に東電が導入したものだという。

福島原発のあの凄まじい大事故にもかかわらず、チエルノブイリ原発事故より被害が少なかったのは奇跡だと言われているが、この建物の存在があったからこそだということは定説になっている。それほど重要な建物である。

自家発電や通信設備、休憩施設や資材置き場なども備え、大地震で原子炉が緊急自体になった場合、この建物は『初期対応のセンター』として威力を発揮するとして、原子力委はその重要性を認識し、新規制基準では、『地震で機能を喪失しない緊急時対策所』の設置を義務付けたことは私でも知っていることである。

川内原発は、この建物がないのに再稼働したのは、再稼働を急ぐ国の動きを九電は巧みに嗅ぎつけて、『必ず、今年度に作ります・・・』という空手形を切って、原子力委を説き伏せたに違いない。

 九電が出した当初の申請では、地上3階建て、延べ床面積は6600平方メートルの免震棟を造るとしていたそうだが、昨年末に、『免震構造の原子力施設を国の許認可を経て建設した経験がない』という訳の分からない理由で、約束を撤回したというから許せない。

この建物を,当初は今年度に完成させると約束していたが予算がないので、当面は現在あるの平屋建ての『代替緊急時対策所』(170平方メートル)存続させ、地上2階地下2階の『耐震支援棟』を作るとうそぶいているらしい。『免震』ではなく小規模な『耐震』にするのはカネがかかり過ぎるというから、まさに、人の命を軽視した『カネ儲け命』の発想でしかない。

規制委は変更に不快感を示し、九電に対して『主張は根拠に欠ける』として申請の再提出を求めている(らしい)が、果たしてどこまで本気なのか、これまでの動きを見ていると怪しい限り・・・。

私が知らなかっただけかもしれないが、規制委は『免震』とははっきり文面に記していないのだそうだ。免震装置の上に建物を載せる免震構造にすれば、手続きがスム-ズに運ぶと考えて、九電が『免震構造』という申請書に記したのだろうが、これを規制委は鵜呑みに再稼働にGOサインを出したというところでは・・・。

何だか、キツネとタヌキの化かしあいというか、はじめから仕組まれた、できレ-スのような感じさえ受けるが、こんな大事な約束事が、いとも簡単に反故になっては、日本人の倫理感は地に落ちたとしか言いようがない。

すべての対策が整う前に再稼働を許す規制委は、再稼働を急ぎたい政府の御用機関だという印象がますます強くなる。何のための規制なのか、規制を軽視するということは、福島の教訓が生かされないということ以外なにものでもない。極論すれば安全よりカネを重視し、国民の命なんて赤紙で・・・という戦前の思想が透けて見える。

さらに、九電は玄海原発も免震棟の建設計画を白紙に戻すと表明しているという。九電の言い分をなし崩し的に追認したとしたら、免震構造がないまま再稼働した高浜原発の関電も同じように撤回することは明らか・・・。

 規制委は九電に対して約束を履行することを強く求め、できないのなら原発を直ちに停止するという強権を発動してほしいのだが、無理だろうなあ・・・。(田舎親父)

2016年2月10日 (水)

蚊に宣戦布告・・・

 このところ、毎日のように新聞テレビが取り上げている『ジカ熱』という病名は蚊が挽回する感染症だという。蚊が媒介というと、一昨年だったか、『デング熱』というこちらもあまり馴染みのない病名が巷に溢れ、都内の日比谷公園や新宿中央公園が封鎖されるという騒ぎになったことは人々の記憶に新しい。

 ジカ熱は、主に熱帯に生息するネッタイシマカなどがウイルスを媒介するそうだから、デング熱とはいわば親戚関係?。主な症状は微熱や発疹、筋肉・関節痛、頭痛などだというのも良く似ている。

しかも、感染者の約8割は無症状なので感染そのものに気付かないというところもデング熱とそっくりらしいが、妊娠中の女性が感染すると、胎児に強い影響を及ぼし生まれてくる子どもが『小頭症』という脳が少ない大変な障がいが出る可能性が大きいというから恐ろしい。

しかも、対応するワクチンもないらしく、予防法はひたすら蚊の退治と蚊に刺されないことだけとなると、大騒ぎになるのはもっともな話である。

昨年の後半からブラジルで大騒動になりだしたのだそうだ。今年になってブラジル全土で例年の8.5倍に当たる1248人の小頭症の子どもが生まれているというから想像すらできない大事件に違いない。最も多い州では75倍の646人が小頭症の疑いありと診断されたというから現地ではパニックに陥っているのでは・・・。

報道からは、ジカ熱が流行りだしたのは、少なくとも一昨年以前からジカウイルスが活動していたことがうかがえるが、具体的に、『小頭症』という感染症による重い知的障害の子どもが多数生まれたことで、妊婦をはじめ若い女性の危機感が高まり、オリンピックを控えたという時期と重なり、政府もその撲滅に躍起になっているのだろう。

 我が国のデング熱騒ぎは、秋になり蚊が棲息できなくなったことで自然に収まり、去年は流行が報じられなかったことから、すでに過去の事件として人々の頭から離れているようだが、赤道直下にあるブラシルでは、一年を通して蚊が棲息しているだろうから、現地は我々が想像する以上に恐怖感と危機感が広まっているに違いない。

 WHO(世界保健機関)は今月はじめ、『国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態』を宣言し、各国にジカ熱の感染状況の監視強化や流行拡大を防ぐ措置とワクチンの開発研究などを勧告したというから、『ジカ熱』に対する危機感は世界に広まり防疫体制が強まることは疑えない。

 しかも、アメリカでは南米への渡航歴のない人が発症したことや、性交渉によって感染することが明らかになり、さらに輸血での感染例も報告されているというから、感染経路は『エイズ』並?・・・。どこまで広がるのか極めて不透明な情勢である。

 WHOは、感染地域への渡航や貿易の制限は勧告に盛り込まなかったが、女性事務局長は、『予防は蚊の大量発生を抑え、妊婦が蚊に刺されないようにすることだ』と述べて、妊婦に渡航延期を検討するよう促しているというから、WHOの危機感は相当なもの。

ブラジル政府は警察はもとより軍隊まで動員して、蚊の撲滅に当たっているという。まさに蚊に対する宣戦布告である。兵士が自動小銃ではなく、消毒液を担ぎ大型噴霧器で強力な殺虫剤を散布している映像を度々テレビニュ-スが紹介している。

横浜の片田舎で仙人的逼塞生活を過ごしている私には無縁の話だが、観光はもとより世界各地で活躍(生活)している日本人も多く、海外の事件の度に、日本人が巻き込まれることすら稀ではないとなると、ブラジルはじめ流行地域から帰国する人も数知れず。国内にジカウイルスが侵入することも考えられないことではない。

いやむしろ、感染しても8割の人は自覚症状がないというのでは、すでに防疫の網をかいくぐって、国内に侵入していると考えた方が理にかないそうだ。

このウイルスの寿命がどのぐらいなのか明らかではないが、体内でひたすら生き残っているとなると、エボラ熱でも犯人(犯蚊)に仕立てられた、日本ではごくお馴染みのヒトスジイエカの繁殖期は間もなくやってくる。

オリンピック騒ぎは仕方ないが、日本人全体が本気でジカ熱対策に当たらないと、トンデモ事態になりそうな気がする。

いよいよ、蚊に刺されにくい体質になりそうな『シルクロ-ション』の出番なのかもしれないが、どこまで信じてもらえるのかが問題。

上手い戦略が立てて、世のため人のために役立ちたいと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年2月 9日 (火)

身近の植物で殺害計画?・・・

最近私には到底信じられない事件や事故報道が多過ぎる。深夜バスの事故は、一儲けを企てた旅行業者やデタラメ経営のバス会社など、金儲けのために手段を選ばすといった輩が、事故など起きるはずがないという勝手な思い込みで、目茶苦茶な運行を運転手に押しつけた結果だろうが、バス会社を営業資格取り消しにして、行政の責任はチョン(差別用語かな)になりそう。

全国に5000社もの観光バス会社があり、そのほとんどが、バスを数台しか保有しない零細企業だというから、その経営は似たりよったりではないだろうが、これだけ群がっていることから察すると、法令の網をかいくぐることができれば、金儲け命の輩にとっては、この業界は相当美味しいに違いない。しかし、そんな輩の餌食になって命を落とした学生たちと遺族は浮かばれない。

この事故はある程度原因がはっきりしているが、先日報じられた広島県のスキ-場で、小学6年生の女児が、中年男性が乗るスノ-ポ-ドと衝突して死亡という事件報道には、当初から何故?・・・という疑問が浮かび、その疑問に対しては現在でも何一つ納得する答えがない。

いずれ続報があるだろうから、このことは別の機会につぶやくとして、栃木県で夫が飲む焼酎パックに毒を混ぜて殺害しようとしたとして、自衛官の妻が逮捕、起訴されたという事件報道には、手段はもちろん、その毒の入手先に今までにない、えもしれぬ恐ろしさを感じてならない。

使われた毒はアメリカでテロ計画に用いられたこともある猛毒の『リシン』だという。リシンという言葉は聞いたことがあるが、これが、身近な植物から簡単に作れるということは始めて知る。

事件が起きたのは昨年10月末のことらしい。殺人事件なのでマスコミが取り上げなかったとは思えないのだが、何故か私の記憶にはない。別居中の夫の自宅で、台所にあった焼酎パックにリシン入りの水溶液を混入させたのだそうだ。

この妻(女と表現した方が良いらしいが)は、夫を殺鼠剤で殺そうと思い、医薬品販売会社から偽名で購入しようとしたらしい。不審に思った会社から通報を受けた警察が夫から話を聞いたところ、以前にも自宅で焼酎を飲んだ際に体調を悪くしていたということから、これは臭いということで夫婦の周辺を警戒していたという。

そこに、夫の留守中にこの女が合鍵で家に入ったことを確認。台所の焼酎を分析すると、焼酎は白濁し、致死量をはるかに超えるリシンが検出されたということから、女には明らかな殺意があるとして殺人未遂で逮捕したという顛末らしい。

女はこのリシンを『トウゴマ』植物から抽出したという。『トウゴマ』は公園に植栽されていたり、鑑賞用として市販されているから恐ろしい。別名『ヒマ』とも言われ、下剤などに使うひまし油の原料なのだそうだ。

ネットでその映像を見ると、確かに見たことがある。大きな手のような葉っぱの草で゛猛毒のリシンを含んでいることで有名だという。そう言えば、大麻草に似ているようにも思えるが、こんな植物が普通に栽培され、観葉植物として流通しているというからなんとも不気味になる。

知らなかったことばかりなので調べてみると、トウゴマの種からはひまし油はもちろん、エンジンの潤滑油やポマードなど工業や美容品の原料になるそうだが、その副産物として、微量のリシンが取れるという。

リシンは5大毒の一つに数えられるほど猛毒で、体内に入ると細胞が壊死し臓器不全などに陥るのだそうだ。解毒剤はなく、水を飲むなどの対症療法で回復を待つしかないという。こんな猛毒が身近な植物からとなると、その気になれば一般人でも作れないこともなさそうだ。

昔から、『薬と毒は紙一重。どのように使うかは個人の倫理観に任せるしかない』というが、いよいよ日本人の倫理観が奇怪しくなってきたことを、この事件は端的に現わしているのでは・・・。(田舎親父)

2016年2月 8日 (月)

さらに少子化が進む・・・

 大分以前になるが、卵子の老化による弊害を避けるために若い時に卵子を冷凍保存し、子どもを産みたいと思った時に凍結卵子を解凍し、人口受精で出産という話題に、何だかなあ・・・とつぶやいたことがある。

 その内容の詳細は覚えていないが、この卵子凍結は、元々は若い女性のがん患者が化学療法放射線療法を受ける前に卵子を体外に取り出すことによって、治療による生殖細胞への影響を回避する方法だったと聞いていた。なのに最近は、未婚の女性が将来の妊娠に備えて自分の卵子を凍結保存する事例が増えていることに対して、私なりの考え方を述べたものと記憶している。

 このことに対しては、日本産科学会も批判的な立場だったことから、今すぐの凍結卵子での出産はないだろうと願っていたが、先日、健康な45歳の女性が、独身の時に凍結保存した自分の卵子を使い、結婚後に出産したというマスコミ報道に、掟破りというか、話題性に飛びついた医者が早々と出てきたことに驚きと今後の危惧を覚える。

 記事によると、この女性は41歳の時の凍結卵子を使ったという。加齢による卵子の老化に備え、卵子を凍結保存しておいたそうだ。

 技術的にはすでに確立されているといわれている。一部では、女性が高齢になっても出産できる選択肢の拡大として歓迎する声もあるというが、(精神論だと笑われるかもしれないが)こと生命の誕生の分野は、『ヒト』がかかわってはいけない最後の領域にすべきだと考えている私には、単に話題性を求めたり、ビジネス(金儲けの手段)にしてはならないと訴えたい。

 ところが実態は、晩婚・晩産化による卵子の老化に対応する技術として注目が高まり、産婦人科クリニックが『ビジネス』として、かなりの産科クリニックが行うようになっているというから困ったもの。毎日新聞の調査では、昨年4月段階で、全国12施設が卵子の凍結保存を行い、350人以上の女性が利用していたというデ-タもある。

 『卵子の老化』という知識は、ごく最近になって明らかになったことだが、晩婚が進む今日の社会にあっては、働く女性にとって、生きの良い卵子を凍結保存しておけば、ある程度の高齢出産が可能だと言われると、私も、もっともなことだと思わざるを得ないが、やはり・・・。

現代は、男女とも大学を卒業して就業することがごく当り前になっている。22歳で社会に出た女性が(ある程度緩和されたと言われているが)まだまだ女性差別が残る職場にあって、自分の地位を確保するのには相当な努力が必要であることは想像に難くない。

ついつい仕事中心になり恋愛の機会も少ないことも推測できる。また、自分の学歴や仕事に相応しいパ-トナ-となるとなかなか見つからず、30代・40代の独身も増えているという話は良く耳にするし、実際に近くにも存在する。

『女性が輝く社会』という耳障りの良いお題目が日常的に聞こえてくる。素晴らしい言葉であり反論の余地はないが、私には、『輝く』という言葉の意味が、『外で働く』ということと同義語になっているように思えてならない。

言葉とは裏腹に、セクハラだマタハラが、そしてパワハラだと、女性にとって決して男性と平等ではない職場で輝くためには、仕事に追われる毎日を過ごさねばならない。そして同僚の男性に負けない結果を求められることも想像できる。

そんな過酷な環境であっても、パ-トナ-を見つけ結婚し子どもを産む。それだけでも頭が下がるが、次に待つものはは、例え産休・育休が保障されていたも、子育てという現実。仕事を続けながらの保育園の送り迎えは神業ではないかと思うほど。

そんな周囲を見ていると、将来のために『卵子凍結』を希望する女性の気持ちは理解できないことはないが、今回出産した女性はすでに45歳、この先、再び凍結した卵子で出産する可能性は限りなく少ないのではないだろうか。

この女性の環境は全く知らないが、輝いている女性の典型ではと想像し、こんな素敵な女性が、45歳にしてリスクが大きいとされる卵子凍結という技術で念願の子どもを授かったのだろうが、これに勇気づけられて続く女性も出てくるのでは?・・・。

しかし、この女性(夫婦)にとって唯一の子どもだとしたら、少子化はどんどん進み、高齢化がさらに伸びるのは当然といえばこんなはっきりしたことはない。これでは実質的には、中国の『一人っ子政策』と変わることはない。

 晩婚・晩産化の理由はさまざまだとしても、女性が仕事と出産・育児を両立しにくい状況が晩産化を助長しているのは確かだろう。

少子化に歯止めをかけつつ、女性が社会で活躍することを望むのなら、産みたい時に産める社会を実現することが、国(政府)のもっとも重要な責務である。

卵子凍結など考えず、卵子が老化する前に結婚して、安心して出産できる。そして、夫婦が協力すれば、仕事と育児を両立できる社会環境の一日も早い整備を願う毎日である。(田舎親父)

2016年2月 6日 (土)

『蒲蒲線』とは懐かしい・・・

先日、ネットで遊んでいると、『蒲蒲線』という言葉にぶつかった。恐らく、ほとんどの人にとって聞き慣れない、しかもどんな意味なのか見当もつかないだろうと思うが、現役時代のほとんどを大田区勤務で過ごした私には、実に懐かしい言葉であり、その界隈の風景が蘇る。

『蒲蒲線』とはJR蒲田駅と、京浜急行電鉄の京急蒲田駅の間を結ぶ計画線の名称であり、当時から、夢物語として住民たちが語り合っていたばかりか、JR蒲田駅地下には乗り入れのための空間まで作られているという話も聞いたことも思い出す。

かなりロ-カルな話になるが、東京都大田区という地名は、戦後、大森区が蒲田区を飲み込む形で合併してできた名称である。ここは東京の縮図とも言われているように、その町並みも風景も極めて狭い範囲で特徴を持ち、さまざまな文化や風習が存在している。

当然住民たちの気質もそれぞれの地域によってはっきりとした違いが感じ取れるが、その大きな境が、平行して走っているJRと京浜急行という二本の鉄路である。

二本の鉄路がもっとも近づいている地点に、蒲田駅と京浜蒲田駅があるのだがが、駅間は徒歩で約10分。今では京浜急行は高架になっているが、つい最近までは、それぞれの線路には何本かの踏切はあるものの地域を分断していた。JRは現在でもこの状態は続いている。

JR蒲田からは池上線と多摩川線(昔は目蒲線)という東急線が伸びているが、蒲田駅から離れるほど山の手という表現が相応しい町並みが広がる。また、京浜蒲田から空港線で羽田空港と結ばれているが、京急線から海側は、最近注目されている町工場が広がる下町風景が続く。このように、実にはっきりとした違いが現在まで続いている。

二本の鉄路で囲まれた地域は、いずれとも違う顔を持つ。JR蒲田駅は両方繁華街が広がるが、京急蒲田駅の南側は国道1号線が走っているので、開けているのは北側だけで、JR蒲田駅に続く細い路地状の商店街が走っている。

それぞれの駅からのバス便もあるのだが、踏切が降りるとさあ大変。いつまで待たされるのか分からないのだから、空港線の糀谷を利用している約10年間は、JR蒲田駅にいったん降りて、それから京急蒲田駅まで歩いて空港線というコ-ス。それぞれの駅で渡線橋を渡るのだから乗り換えの不便さは相当なもの、『蒲蒲線』の実現を痛切に願ったものであるであるが、夢幻の世界であったことは懐かしい思い出。

当時から京急の高架化の話はあったが、京浜蒲田駅の特殊な事情があって、近くの商店街や繁華街の同意が得られないという話がしばしば耳に入っていた。その結果なのだろうが、この付近が高架になったのは京急沿線では一番遅い。結果的には羽田空港へのアクセスが格段に良くなったことは、時に利用する私でも感じること。

それでも、JR蒲田駅から京急蒲田駅へは迷路きような細い道は変わらない。JR蒲田駅からは多摩川線は田園調布で互いに乗り入れできるような設計になっているので、『蒲蒲線』が開通したら、即渋谷や目黒と直接結ばれることになる。

となると、京王線や東京メトロなどと乗り入れて、新宿・池袋とも乗り換えなしでつながり、直通区間は東京の西北部の全地域はもちろん埼玉県まで網羅するのではないだろうか。それどころか、神奈川県内各地との利便性も一段と良くなりそうだ。

また、池上線が山手線の五反田に伸びているので、今後の展開次第では、羽田への足の便は想像以上に良くなりそうだ。大田区がなんとしても実現したいと願っていることは十分納得できる。

国際路線も成田から羽田へという動きが加速し、羽田の発着枠広げるためにさまざまな方策が見当されているようだから、羽田が今後さらに発展することは疑う余地はないが、成田闘争に参加した経験を持つ私には、だったらあの闘争は何だったの・・・という割り切れない気持ちが大きくなる。

外国とのつながりは必要だということは十分理解できる。羽田との利便性の向上も必要だと思うが、なんともやり切れないモヤモヤとした気持ちが消えることはない。

大田区に通勤していた当時と比べ、一段と少子高齢化が進み,地方の過疎化が進んでいる我が国において、東京一極集中をこれ以上進めることは、国の将来にも悪影響を及ぼすことは間違いないとなると、『蒲蒲線』の歴史とその必要性など知っている私には、簡単に『大田区ガンバレ・・・』とエ-ルを送るのにはためらいがある。(田舎親父)

2016年2月 5日 (金)

ふるさと納税の過競争?・・・

最近、『ふるさと納税』という言葉をよく耳にする。いつから始まったのかは確かめていないが、自分の出身地や応援したい自治体に寄付という名目で申請すると、今住んでいる地域の住民税などが控除されるという制度だという程度の知識は持っている。

この制度の存在を知った時、私も生まれた故郷や、仕事上いろいろなお世話になっている自治体に『ふるさと納税』しようかと思ってもみたが、一つの自治体に絞れないとなると、たいした額ではない住民税を分割しなければならなる。

となると、寄付する額はまさにスズメの涙程度であるだろうし、些細な額であってもその分が横浜市の税収から減じられるとなると、横浜の片田舎がいたく気に入っている私の心に躊躇が生まれ、未だに実行していない。

『ふるさと納税』をしている人たちは、純粋に自分の故郷を応援したいという気持ちで行っていると信じたいが、寄付のお返しとして、自治体からその地の産物を送ることが当り前になっているとなると、その答礼品目的で、故郷でもなんでもない自治体に寄付する人が増えていることに漠然とした不安を以前から抱いていた。

『最近よく耳にする』のは、この答礼品を巡って自治体同士の競争が激しくなっていること。本来納められるはずの税金が、答礼品目当てに他の自治体に流出してしまい、損失分を取り戻そうと、この制度を導入する自治体がでてきたというから、過度な寄付争奪戦への発展という私の疑念が形として出てきたようだ。

先日読んだ記事に、『町に目立った特産品はないが、返礼品でお金を取り戻すしかない』と、担当者が苦心しているという文面がある。

この自治体は、これまで答礼品を設けてこなかったのだそうだが、年々寄付は少なくなり、15年4~9月は3件31万円しか集まらなかったという。反対に、住民から他の自治体への寄付は年間約800万円に上るというから、担当者が深刻になるのは当り前だろう。このままでは、ますます税収に陰りが見えると危機感を持ち、何とか注目される答礼品を作ろうと自治体として動きだしたというから、なんとも変な気分にさせられる。

この制度の本来の趣旨は、大都市と地方の税収格差緩和だと聞いている。税収の豊かな都市部の高額納税者が、自分のふるさとに寄付する、その見返りに住民税から還付されるとなると、よし自分も・・・と広がる、そんな制度設計だったに違いない。

ところが、本来の趣旨と離れ、寄付を受ける方の地方自治体間で答礼品合戦が始まり、今では答礼品の格差に比例して『勝ち組』と『負け組』が生じているというから、一体何のための『ふるさと納税』なのかと首を傾げたくなる。

また、都市部でも、このままの状態が続けば、ますます制度を利用する人が増えると危機感が生まれ、北九州市や札幌市をはじめ、多くの県庁所在都市でも、答礼品を準備しているというから、これは少し真剣に考えてみる必要がありそうだ。

『ふるさと納税』とは、故郷に限らず好きな自治体に寄付をすると『2000円の自己負担』を超える部分について住民税や所得税が限度額まで控除されるという。

素直に解釈すると、2000円を負担すれば、2000円以上の答礼品が送られてくること可能性が大きいようだ。例えば、7万円を寄付すれば、6万8000円の住民税などが免状され、(寄付金額によるのだろうが)さらに、高額なその自治体の特産品がいただけるとなると、答礼品に魅力を感じている人にとってはおいしい話に違いない。

しかし、6万8000円は自分の住んでいる自治体にとっては減額となる。自分一人ぐらいは・・・と考えがちだろうが、数が多くなれば、実際に上下水道やゴミの収拾など、日常的に必要なサ-ビスの提供を受けている地元自治体にとっては、これは大変なことであることは考えるまでもない。

大都市と地方自治体の税収格差を少なくすることについては依存がないが、『もの』で釣るような政策は、『札束横っ面作戦』の変形で、人の心を荒ませる方向に動く可能性は否定できない。

もう少し丁寧な制度設計への検討を願いたい・・・。(田舎親父)

2016年2月 4日 (木)

必要なのは巨大防潮堤よりも個々への支援・・・

宮城県が先の震災の津波を想定して、住民の命と財産を守るため、巨大な防潮堤で県内の海岸を覆い尽くすという、私には到底信じられないような計画を持って、一部では実際に建設に取りかかっているという話は、時にマスコミ報道が伝えている。

何度か、そんなアホなことは止めた方が良いとつぶやいたものだが、宮城県としたら言い出したメンツがあるらしく、がむしゃらに防潮堤建設を作ろうとしているのだろう。知事はじめ役人たちの頭の固さには呆れるばかり。

またまた、そんなアホなこととつぶやきたくなったのは、先日の朝日新聞の記事である。硯の生産やホタテ養殖で知られた宮城県石巻市雄勝町で、今まさに津波で壊滅した町中心部に、130億円をかけて高さ9・7メートル、延長3・5キロの防潮堤を築く計画が進行中なのだそうだ。

現在の町の様子を移した航空写真も掲載されている。その写真の中央には、まだ住宅建設が始まっていないので更地のままでままの高台の集団移転地が写っている。ここは、今見ると荒涼とした土地だが、数年後には住宅で満ちあふれる計画らしい。

津波をかぶった部分は、災害危険区域に指定され、もう人は住めないのだという。高台の集団移転地が完成し、町外で仮住まいを続ける人が戻っても、中心部に住むのは震災前の620世帯から約80世帯にまで減ると文面から推測すると、中心部であっても津波から逃れられた場所が少しはあるようだ。
 写真でははっきり分からないが、高台の更地に仮説の商店街ができているという。そこの一室で、昨年12月25日、防潮堤計画をめぐり、宮城県と『持続可能な雄勝をつくる住民の会』の話し合いが持たれたが、『景観を破壊する』と建設に反対する住民と、道路や再建された水産加工場など、保全すべき施設があると主張する県とが対立し、平行線が続いたという文面である。

記事には、いろいろな人の意見を掲載してあるが、それを読まなくても話し合いの様子は想像できる。県の言い分は、『津波から人命を守るのは行政の責任だ』という前提で、どんな津波が来てもビクともしない堤防を造るから安心しなさいということだろう。

そして、これまで何度のこの防潮堤建設計画については説明したので、このまま続けますよという結論なのだろうが、大津波の直後は恐怖におののいて、大規模な防潮堤が必要だと思っていた住民も、時に過ぎると冷静になり、海が見えなくなればどうなる・・・という将来に対する不安が大きくなり、県の計画に疑問を持つようになるのは当然の成り行きではないだろうか。
 石巻市が県に要望した復興計画は、海沿いを走る県道や国道を20メートルの高さまで移し、道沿いに山をきりひらいて住宅地をつくるというものだったらしいが、県は、数十年から百数十年に一度の大津波に対応する『L(レベル)1』の高さにこだわり、道路移転には費用がかかり、L1の大津波では持たないと、約10メ-トルの案を出し、それをずっと押し進めているのだろう。

当初から、あまりにも高過ぎるという意見があったそうだが、『防潮堤の上げ下げを議論していても、まちづくりは進まない』ということで、県の計画案を了承したという経過があり゛それを元に住民は納得したという県の主張を続けているという筋書きらしい。

10メ-トル防潮堤となると、その基礎工事は一体どんなものになるのだろう。大津波が釜石の防潮堤を基礎から破壊した映像が蘇る。あの防潮堤は、過去の記録にのっとって計算して作られたに違いない。それが、あれほど簡単に破壊されたとなると、手抜きなどなかったと信じたとしても、人間の作る前提など役に立たないことを裏付けている。

コンクリ-トの寿命は80年程度だと、何かの本で読んだことがある。となると、100年後に、再び今回に匹敵するほどの大津波が襲ったら、基礎部分のコンクリ-トの寿命が過ぎているのだから、破壊されないという保障はない。

いやむしろ破壊されると考えた方が理に適う。もっと恐ろしいのは、100年後の住民は、10メ-トルの巨大防潮堤がどんな津波でも押し戻すという、ある意味原発の安全神話と同じような、防潮堤神話が生まれ、津波に対する日頃の警戒心が安易になっているのことも十分考えられる。となると、被害は今回に増して大きくなるのではないだろうか。

三陸地方は文献で残っているだけでも何度も大地震・大津波を経験している。人々は、さまざまな事情を乗り越えて、津波の被害にも負けず、再び・三度この土地で生活してきた歴史を持っている。

昔の人々は、本来は経験から、津波がきたら高いところに逃げろという不文律を生活の中で守ってきたに違いない。それが今回、防潮堤神話や過去の教えや記憶をないがしろにしたことによって完全に履行できず、しかも想定外の津波の規模からあの大惨事を招いたのではないだろうか。

3・11の大惨事から半年後に石巻の市内を歩いた時、恐らく20年後にはまた家が建ち並んでいるだろうと想像したことを思い出す。人が住みやすい場所だと感じたからであるが、大津波がきた時の逃げ場の確保と、復興に公的な支援が約束されていれば、震災前の賑やかさを取り戻すために20年の時は必要ないのではないだろうか。

この記事から強く思うことは、行政の役割は、人々を海から離すことではなく、また巨大な防潮堤で海を隠すことでもなく、被災者一人一人の希望にそった復興に耳を傾けることではないだろうかという持論に落ち着く。(田舎親父)

2016年2月 3日 (水)

吊り革が盗難?・・・

先月末の新聞に『吊り革の盗難相次ぐ・・・』という見出しを見つける。記事によると、東京メトロや都内の私鉄電鉄各社の電車内で、去年11月ごろからつり革が相次いで無くなっていることが分かり、その数は、首都圏で少なくとも合わせて400個以上に上るというから驚いてしまう。

最初に被害が集中したのは東京メトロで、12月2日、千代田線の車内から、つり革6本がなくなっているのを車両点検中の社員が発見したという。その後、別路線の車両でもつり革がなくなっているのが相次いでわかり、東京メトロだけで約80本のつり革がなくなったとのことである。

一体誰が何の目的で・・・と詮索がはじまっているという。ネットオ-クションで売って、小遣い稼ぎが動機になっていることが考えられるが、首都圏の私鉄の吊り革は出品されていないというから謎が深まっているのだそうだ。

ネットオ-クションに出品したことはないが、お金を回収するために、出品者の個人情報は必須だろうから、オ-クションで出品されれば、動機も含めてこんなバカないた面をした人間も特定されそうだ。

吊り革がどんな仕組みでぶら下げられているのか、今まで興味の対象ではなかったので全く知識がない。そこで、実際に調べてみた結果、特殊な金具をビスで留めただけの簡単な構造になっていることを知る。また、吊り革のリングの部分だけが対象となれば、鋭いカッタ-で革の部分を切り取ればもっと簡単に取り外すことはできそうだ。

そんな荒っぽい方法ではなくても、その気になれば、ドライバ-とベンチがあれば、取り外せないことはない。しかし、一本の吊り革のネジを外すとなると、乗客に見とがめられないための姿勢も必要だろうから、熟練すれば1分以内で可能かもしれないが、私のような不器用な人間には少なくても3分ぐらいかかるのではないだろうか。カッタ-で切り取る荒っぽいやり方では時間はぐっと短縮されるが、車内でカッタ-となると乗客の目は避けられないはず。

いずれの方法にせよ、ラッシュ時にこんなことをやる人間はまずいないだろうから、犯行は、早朝か深夜の乗客の少ない時間帯に限られるだろう。

深夜や早朝の電車に乗る機会は皆無な私だが、よほどのロ-カル線でない限り、車両に乗客が自分一人なんてことは考えられず、まして東京メトロをはじめ、都内の私鉄電車であれば、相当数の乗客が乗っていることは間違いないところ。

最近はとみに、人間関係が薄れてしまい、よほど目につくような行動をしていない限り気にすることすらなくなっている。私自身、変な動きをする人がいるなあと思っても、自分に直接関係するような場合以外、無視して通り過ぎているので偉そうなことは言えないが、普通の心理であれば、釣り革をドライバ-で外している人がいれば、関わりを恐れて直接注意はしなくても、駅員に伝えると思いたい。まして、鋭い大型のカッタ-となると、これは間違いなく届け出するのでは・・・。

最近は、SNSやLINEなど簡単に投稿することが流行っているというから、そんな現場を見つけたら、これは恰好の機会だとばかり、スマホで撮影して、『こんな映像が・・・』とネットで広がるのではと思うのだが、記事からはそんなことはうかがえない。

すでに、首都圏の鉄道会社は軒並み被害があるという。そして、ここまでマスコミが取り上げるようになっていることから、愉快犯というか模造犯も現れてきそうだ。

しかし、新聞で大きく報道されたことで、ドライバ-で外すなりカッタで切り取るなどして吊り革を奪うような行為が、乗り合わせた乗客全員に気付かれず行うことができるとは思えない。

一人一人が、こんなバカなことを許さないという気持ちさえもてば、すぐにでも犯人は特定できるはずだが、今後も吊り革盗難事件が同じようなペ-スで続くとなると、乗客はただの木石?。

これでは血の通った人間関係は存在しない。そんな世の中が望ましいとはだれも思わないだろうと信じたいが・・・。(田舎親父)

2016年2月 2日 (火)

マイナス金利?・・・

先月の29日に、突然、日銀が『マイナス金利』という新たな緩和策を打ち出したことによって、株式相場がそれに刺激されてかなり大きく変動したと、その夜のテレビニュ-スのキャスタ-が株価のグラフを示しながら興奮気味に取り上げていた。

超経済音痴の私には、よく分からないことばかりだが、『マイナス金利』というから、預けた預金に利子がつくのではなく、手数料を払って保管されるということだろうと見当をつける。しかし、これがどうして『緩和策』になるのかは全く理解できない。

キャスタ-は、『普通はお金を借りる方が貸す方に金利を払うが、マイナス金利は逆になります。借りる方が借りるだけ得をし、貸す方が損をするという金融の常識が根底から覆る領域に日銀は足を踏み入れたのです』と語っていたので、これはトンデモ事態になりそうだという予感がしたものである。

 マイナス金利を導入するのは、銀行が日銀の当座預金に滞留させているお金を、企業への貸し出しに回すように促すためだそうだ。

詳しいことは分からないが、一般銀行も家庭と同じように、緊急に必要としないお金は日銀に預けていること程度の知識は持っている。今まで、その利息が極めて低いながらプラスだったものをマイナスにするのが、今回の『マイナス金利』なのだろうが、確かに、手数料をとられるとなると、銀行は日銀には預けなくなるだろうことは漠然と理解できるが・・・。

 ここからは乏しい知識での推測になるが、一般銀行は手持ちのお金を何とか貸し付けに回したくなることが間違いことは分かる。そして、まずは回収が確実な大企業に対して、政府の方針に従って、『設備投資に使っていただけませんか』と話を進めるという筋書きも読めるつもり。しかし、大企業は十分の内部留保という隠し金?を持っているとのことだから、『ハイ・分かりました。お借りします・・・』となるだろう?。

マスコミ報道によれば、今回のマイナス金利で、資金繰りに苦しんでいる中小企業は銀行の財布のひもが緩むと期待しているらしいが、銀行の本質は『金儲け』であり、貸した金が必ず回収できるとうい前提にたっているのだから、経営基盤が不透明な中小企業に融資には、よほどの条件を課していることは間違いないようだ。

となると、銀行に蓄えられた金の行方はかなり限られたものになり、今まで庶民から手段を選ばず金を集めていたことをすっかり忘れて、もうこれ以上の集金は必要ないとなるのではないだろうか。ここまで考えていると、利率が今以上に下がるのは当然としても、ひょっとしてだが、一般預金もマイナス金利となる可能性もあり得るのではないだろうと心配になる。

現在の金利は正確には把握していないがまだプラスであることは間違いない。が、先日、私宛に届いたダイレクトメ-ルに、『100万円預けていただければ、金利が0.1%に増えます』とあったから、これよりはるかに低いことは間違いない。

この数値は年率であるというから、年利0.1%で100万円を預けた利息が1000円とはなんともふざけた話である。しかし、すでにここまで金利を下げているということは、一般庶民から集めなくて差し支えないということを意味しているのでは・・・。むしろ、預けたいのなら預かって上げるよという態度と受け止めて差し支えなさそうだ。

恐ろしい話である。庶民から金を集めて、それを企業の運転資金やや住宅建設のロ-ンの手助けをするのが銀行の業務だと思っていたが、これからは、お金を預かって上げるので手数料をいただきますという、大名(トンデモ)商売になりそうな気がしてならない。

 そのことは、今後の株価などの動きではっきりするだろうが、気に入らないのは日銀の総裁ともあろう人物が、ウソを平気でついて、この原因を作っていることである。

この御仁はマイナス金利についてこれまで『検討していないし、考えが変わることもない』と国会などの場で否定し続けてきたのではなかっただろうか。結果として、日本の金融を司るトップが平気でウソをついたということであるが、そのことはあまり追求されず、さあ大変・・・とマスコミが大騒ぎしている。なんとも本末転倒である。

最近学校では道徳教育が最重要になっていると聞いている。ほとんどの小中学校が、授業参観の目玉に『道徳の時間』を当てていることでも明らかである。その道徳の主題の一つに『嘘をついてはいけない』と教えているのだが、日銀総裁が平気で国民を騙すことは道徳的には絶対にやっては行けないことである。

国が国民にウソを信じ込ませたことから、あの太平洋戦争という不幸な歴史を経験したことを忘れてはならない。当時は、国の命令で逆らえなかったのだろうが、時の日本銀行総裁はクロダ某という現総裁と同じように、国の政策に迎合するようなウソをついて国民を戦争に駆り立てたことは想像に難くない。

日銀総裁は、『デフレ脱却』という現政権の政策を押し進めるために、マイナス金利という禁じ手を打ったに違いないが、こんな大ウソをそのまま容認したら、不幸な歴史が繰り返される懸念が大きくなる。

そこまで大げさに考えなくても、この日銀総裁のこのトンデモないウソが、庶民のほんの少しの金利を頼りにした貯蓄意欲をなくすことになったら・・・。

背筋が寒くなるのは私だけなのだろうか。(杉)

2016年2月 1日 (月)

マンション価格に驚くことばかり・・・

 できればもっと自然の中で暮らしたいと思っているが、諸事情が許さず横浜の片田舎を終の住まいと決めている私のような者には関係ない話になるが、24時間人とモノが集まり、しかも便利で快適な生活を望む人たちが、都心に住まいを持ちたいと考えるのはごく自然で、決してそのことを非難するつもりもない。

しかし、都心に一戸建ての住宅を求めるのは、よほど経済的に恵まれなければ難しいとあって、都心部のマンションが大人気だという。それ希望を叶えるためにも、次々と新しい高層マンションが建造されている。

需要があれば価格が上がるのは当然のことで、最近、横浜の片田舎の新聞の折り込みにも都心のマンションの広告が入るが、価格表示が見当たらないのが最近の流行のようだ。希望者は足を運びなさいというトノサマ商売が成り立っているらしい。

かなり以前になるが、都心のマンションの売り出しを取り上げているテレビ番組があり、その画面を見るともなく見ていると、港区の一等地にあるそのマンションの最高価格は5億円超で、一番安い物件でも8千万円とのことに肝をつぶしたもの。

こんな価格で購入する人がいることも理解し難いが、テレビのキャスタ-によれば、ほとんどが抽選だというからさらにビックリである。はじめから、日当たり面などで倍率の低い北側の低層階を申し込む人もいるというから、世間知らずの私には到底想像もできず、一体どうなっているのと思ってしまう。

 一昨日、部屋を整理していた時古い新聞を見つけた。何故こんな新聞が残っていたのか分からないが、パラパラとめくっていると、『マンション平均価格 6000万円突破、24年半ぶり』という見出しに思わず食らいつく。日付は昨年12月の中旬。

その記事によれば、首都圏のマンションの平均価格は、大型高級物件の販売が相次いだため、約24年半ぶりに6000万円を突破したのだそうだ。『不動産経済研究所』という組織があり、そこが発表した昨年12月の首都圏のマンション価格は、平均6328万円で、1年前よりも1104万円アップしたというから物凄い。

6000万円を超えるのはバブル末期の1991年以来だそうだ。先に述べた、東京・港区で平均2億6000万円のマンションが152戸完売するなど都心で大型高級物件の販売が相次ぎ、平均価格を大幅に引き上げたのが原因だそうだが、それにしてもこんな高価な買い物ができる人がいるのもだと驚いてしまう。

この記事に刺激されたわけではないが、新聞広告の住宅の折り込みに興味を持つようになって、ここ数日通すのが日課になっているのは貧乏人の習性だろうな・・・。

横浜の片田舎に住みたいと思っている人は、マンションより一戸建て住宅の希望が強いらしく、広告もそれにそったモノが多いが、駅近くというのは開発し尽くされているので、新築物件が出ることは稀でである。

その多くは駅から20分以上という空き地に、一区画30坪程度に切り売りした建て売り住宅で3000万円から4000万円というのが相場になっている。

駅近くとなると、大きな屋敷の(相続が関係しているのだろうが)古家が解体され更地になったかと思うと、たちまちの打ちに木造3階建ての細長い一戸建てが、数軒(場合によったら10軒以上)建て売り住宅になるのが今日の流行のようだ。

こんな狭っ苦しい家に住みたいとは思えないが、それがあっと言う間に売れて、次に訪れた時には、小さい子どもが遊んでいるなどが日常になっているほど、人口が増え続けているのが実情である。

一方、マンションの広告もかなりの頻度に折り込まれてくるが、その価格を見て驚くことは、一戸建ての住宅と変わらないどころか、かえって高い物件が多いことである。

野村や住友、あるいは三井などの名前が入った不動産業者が売り出すマンションの徒歩圏友なると、70平方メ-トルの広さなら8000万円台も稀ではない。少しランクが落ちるだろうと思う物件でも5000万円となると、普通のサラリ-マンでは手が届かない代物。中古でも3000万台後半も珍しくないが、このクラスでもだいたいは完売というから驚いている。

金利が安い(私の時と比べるとほとんどゼロ)のでらロ-ンが組めるのだそうだが、管理費や修理代と合わせて月3万円以上となると、合計どのぐらいになるのだろうと心配になってくる。

こんなことも少子化とつながり、一人とはいえ子どもを育てるために、保育園に預けてまで働かねばならなくなる原因だろうなどと、毎日の新聞の折り込み広告が社会を見る目を育てる先生役になってくれることに気付く今朝である。(田舎親父)

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