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2016年3月

2016年3月31日 (木)

北海道新幹線は開業したが・・・

 北海道新幹線の開業から一週間過ぎて、早くも話題が少なくなっている。

新幹線の1号車に乗るために、発売日当日、わずか25秒で全ての座席のチケットが売り切れたらしいが、後日の、発表ではその日の乗車率は61%と知り、完売といういみはともかく、新しもの好きの鉄道マニアが大騒ぎしただけで、実際にはシラッとした世相を感じたもの・・・。

 そして、翌日になると、乗車率は37%だというからガラガラ状態と言っても差し支えなさそうだ。さらに、開業日からの昨日までの予約状況は25%というから、この事態をJR北海道は予測していたのだろうか、という素朴な疑問がわいてくる。

 乗車率がどの程度あれば黒字になるのか、素人の私には全く理解できないが、30%そこそこでは、巨額の借金を返済できるのだろうかといらぬ心配もしたくなる。

 もっとも、東北新幹線でも、年末年始やゴ-ルデンウイ-ク、また夏休みや週末などをのぞいては、私の数少ない経験でも、大概、座席は確保できることから、状況的には変わりないのかも知れないが・・・。

 東京から新函館北斗までの所用時間は最速で4時間2分。料金は、乗車券と特急券合わせて22690円はかなり高い感じがする。函館にはさらに別料金?の快速列車で20分もかかるとなると、新幹線に乗ることが目的だという特種な鉄道マニアは別にして、首都圏との往復の場合はよほどでなければ利用しないのではないだろうか。

料金にこだわるわけではないが、函館までの飛行機代金は2ケ月先の予約なら、羽田から最低料金で1万2千円だというから、新幹線で函館までの料金で往復できる事になる。

実は、つい最近、札幌までの一人旅ツア-に申し込んだ。4日間の旅であるが、往復の飛行機代金と、朝食付きのホテル代を含んで3万5千円。

恐らく、指定されたホテルに宿泊することは義務づけられてないだろうから、当日、指定のホテルにチェックインして一泊をして、その後気に入らなければ、小樽あたりでのんびりなんてことを思っているが,宿泊を確保しての往復の飛行機代金を含めてこの料金は魅力である。

 もっとすごい旅マニアの話では、東京-千歳は特割を使えば1万円程度になり、格安のホテルを予約すれば、札幌に限らず足を伸ばすことも可能だそうだから、次の機会には、このル-トを使おうと思っている。

 ただ、物流状況は動くに違いない。東京と現地というだけではなく、北海道と東北とが直結すれば、違った発想も生まれるに違いない。仙台や青森と函館が陸路につながるのだから、利便性は格段に良くなるだろう。このあたりはJR北海道の努力で、収益が出るシステムを開発してほしいものである。

 北海道新幹線は『札幌と結ばなければ意味がない』とか『札幌まで延伸すれば状況が変わり劇的な効果が期待できる』などという声はよく耳にする。実際に、北海道新幹線は札幌までの延伸は決まっているらしいが、開通は2030年というから15年も先のこと。

それまで持ちこたえることができるのか、私には予測はできないが、札幌まで延伸したとしても、首都圏の人たちが札幌まで来るのに利用するのは恐らく空路になるのではと考えると北海道新幹線の未来は不透明。

JR北海道に望むことは、東北との直結なども含めて、東京に頼らない北海道新幹線独自の強力な『武器』を生み出してほしいものである。(田舎親父)

2016年3月30日 (水)

地球の周りはゴミの海?・・・

 北朝鮮の長距離ミサイルが、実際には原爆を搭載した人口衛星?ではとつぶやいたことがあるが、つい最近、フィリピンが小型の人工衛星をアメリカの発射基地から打ち上げたというニュ-スに、経済的に貧しいとされるフィリピンまでもが、人口衛星の打ち上げ競争に参加せざるを得ない国際状況を考えると、なんとも複雑な気持ちにさせられる。

このニュ-スに、『今、地球の引力圏には一体どれぐらいの人口衛星が回っているのだろう』と素朴な疑問が頭をよぎるが、アメリカとロシアの人工衛星だけでも数えるのが難しく、加えて、日本をはじめヨ-ロッパ諸国が打ち上げ競争に参加し、中国やインドもこれに加わっているとなると、その数は『まさに』天文学的な数字になるに違いない。

すでに、任務を終えた人工衛星も数多いことだろう。その多くは、大気圏に突入して燃え尽きさせるのだろうが、機能は完全に停止しながらも、地球からの制御不能(意識的に制御放棄も含めて)の無意味な人工衛星として地球の周りを周回しているものも数多いようだ。その他、何らかの原因で衛星本体や、一部が分解され、『宇宙ゴミ』として、漂っていることは十分考えられる。

いわば、地球の周りの宇宙空間はゴミだらけと言っても奇怪しくないらしく、これ以上人工衛星を打ち上げに警鐘を鳴らしている専門家も存在するというから、今後は、打ち上げ成功と手放しで喜んでばかりではいられないようだ。

そんなことをぼんやり思っていると、2月に打ち上げられた日本のエックス線天文衛星『ひとみ』からの通信が途絶え、衛星の状態が確認できなくなっているというニュ-スが一昨日・機能と続いている。

アメリカの国防総省が、『ひとみ』の軌道近くに5ケの物体を確認したというから、漂っている宇宙ゴミとの衝突の可能性もあり得そうだ。一部には、『ひとみ』内部で爆発したという説もあるという。

しかし、アメリカ国防総省の発表後に、二回にわたり衛星からの電波を受信したと、『宇宙航空研究開発機構(JAXA)』が発表していることから、バラバラになっているわけではなく、搭載している部品が飛び散っているだけの小規模な故障だと受け止めているようだが・・・。

確かに、全長は14メートルだという巨大な(宇宙ではゴミ扱いかな?)人工衛星が、爆発したとなると、追跡しているシステムには相当な衝撃波を観測するだろうから、一部が壊れて周辺に飛び散ったという説は説得力を感じる。

 ならば、以前にも数年ぶりに通信が復活して、地球に帰還した『はやぶさ』のように、太陽電池のパネルに小さな物体(これも宇宙ゴミ)が衝突し、その向きが変わって電源としての役割が機能しなくなっただけで、何らかの作用で衛星の向きが変わったり、軌道が少し変化することにより、突如通信が可能になることもあり得そうだ。

 その可能性を信じたいが、人工衛星の打ち上げ競争が激しくなっているので、今回のような事故は日常茶飯事になりそうだ。

 JAXAは、こんなことは当然把握して、十分な対策をしていると信じたいが、宇宙空間でのエックス線を使っての天文観察は、世界各国の共通の目標だとしたら、日本独自の衛星ではなく、国際的なチ-ムで打ち上げてほしいものである。

もっとも、そんなことは私が指摘するまでもないことは明らかで、軍事的な目的もあって、手の内を見せられないのがホンネなのだろう。

フィリピン衛星打ち上げのニュ-スで、今後、当然ながら、我も我もと開発途上の国も含めて、多くの国が人口衛星の打ち上げ競争に参加するだろうことから、技術的な未熟な人口衛星同士の衝突なんてことが起きないとも限らない。

なんとも恐ろしい空想が広がる・・・。(田舎親父)

2016年3月29日 (火)

まるで子どものけんか?・・・

しばらく横浜の片田舎を離れていたので久しぶりのつぶやきになる。

名古屋市長に自ら立ち上げた『減税日本』の党首であるカワムラ氏が当選したというニュ-スが流れたのはいつの頃だっただろうか。

早速、公約通り議員報酬を半減する法案を出したしたところ、当時、危害で過半数を持っていた自民党や民主党などの既成政党から大反対。公約を実行するために議会を解散して、市議選で『減税日本』の大躍進させて過半数を得て、1600万円だった議員報酬を半額の800万円にした事に、すごい市長もいるものだ・・・と驚くと同時に、大拍手したことを思い出す。

当分の間、名古屋市は『カワムラ市政』が続くのだろうと思っていたが、俄にかき集めた市議の中には、現在、自民党が抱えるアホバカ大臣や議員がいるのと同様、『減税日本』にも質の悪い輩が存在していたとみえて、昨年4月の市議会選で大敗。自民、民主、公明の既存勢力が巻き返し、三会派で三分の二の議席を獲得したというから、カワムラ氏のカリスマ性もここまでだったらしい・・・。

既成政党側は市民の理解を得たとばかり、カワムラ市長に、報酬引き上げを迫ったらしい。ところが、市長は『800万円を恒久化』を譲らなかったことから、議員報酬を1455万円に引き上げる法案を多数で決めてしまったというから、自民党などの議員たちは自分の給料の倍増を市政の緊急課題という認識らしい。

国会議員にも共通することだが、政策には反対しても、自分達の身を切る政策には後ろ向きで、議員報酬の増額には(共産党だけがいつも反対しているらしいが)全ての議員が反対しないというのはいつもの例ながら、なんとも変な話。民主党(すでに民進党になっているようだが)は、この問題で自民党や公明党と対決すれば、もう少し人気が出るのだろうが・・・。

しかも民主党も含めて既成政党は、1450万円を『議員として正当な報酬』と主張しているらしいが、この根拠は明確に示していない。恐らく、そのまま以前の1600万円では市民の理解が得にくいと、15%の減額したのだろうが、こんないい加減な理由で、一挙に650万円もの値上げは、お手盛りと批判されることはあるが市民の理解を得られないだろう。

市長はこのことに猛反発しているらしいが、打つ手はないようだ。いわば、メンツにかけて、議会に抵抗している?ようだ。

市長としたら、俺が勝ったから、理屈はともかくわかりやすく『給料は半分』にしたのだろうが、市議会側が、今度は俺たちが勝ったのだから、市民感情を考慮して、ほんの少し減らして、『前回市長に奪われた額を取り戻すぞ元に戻すぞ』というところ。

まるで子どものけんかと言ったら、市長も議員諸氏も怒る?だろうが、それにしても、名古屋市民はナメられたものである・・・。(田舎親父)

2016年3月22日 (火)

町教委が市販テストを義務づけ?・・・

 今月のはじめにテストをしなかった教員の話題を取り上げたが、一昨日の朝日新聞が、またこの話題を取り上げていた。

テストの回数が足りないと、教育委員会から注意された担任は『テストより授業の質を・・・』と語っている。私は正論に思えてならないが、教委が『テストをやることを決められていた』というのだから、テストをしなかった担任が悪いとなり、校長は今後内容に指導すると発言せざるを得ないだろう。

『静岡県清水町教育委員会は18日夜、町立小学校の6年生の担任の男性教諭(30)が年間に決められた69回のテストのうち、29回を実施せずに成績を付けていたと発表した』という書き出しの記事である。

文章をそのまま受け止めると、清水町教委は、テストを69回もすることを各学校に義務づけているようだが、テストの回数を教育委員会が決めているなんて話は俄には信じられない。

保護者から『子どもからテストをやっていないペ-ジがあると聞いた』という問い合わせ(通報だろう)があって調べたらしいが、最近は、必ず単元の後にテストをするものだという思い込みを持つ保護者が多くなっているようだ。テストをしない教員の話題はかなり視聴率を稼げるようで、先日も述べたように、マスコミの餌食になっている。

記事には『・・・問い合わせで発覚した』という文言が使われているが、町教委(朝日新聞も)は、決められた回数のテストをしないことが、よほどよほど重大事件だと捉えているのだろう。

記事は続く、未実施は国語12回、算数2回、理科8回、社会7回と実に細かい。担任は、成績を授業中の手上げや宿題などの提出物で付けていたとあるが、通報を受けたのが16日となると、町教委は電光石火、校長と担任を呼んで事情聴取(取り調べ)したようだから、やはりこのことは教委には重大事件?・・・。

さらに、男性教諭は採用3年目で担任は初めて。学校の聞き取りに『他のクラスに遅れないよう授業に力を入れてテストをする時間がなかった』と話しているようだが、私にはこの教員の言っていることの方が重大だと思えてならない。

前回述べたように、69回もテストをするとなるから、教委が学校に求めているテストは『市販テスト』であることは間違いないだろう。市販テストについての私の自論は繰り返さないが、決められた時間で単元終了し、必ず、テストをすることが義務づけられているとなると、時数ばかりが気になって、テストのための授業になりかねない。

他のクラスがいくつあるのかはっきりしないが、3年目の教師として何とか全員理解さることを優先すれば、時間がなかったのは当然だろうに・・・。
 記事は、『児童34人の成績の差し替えはせず、3月下旬の7日間、未実施分のテストを活用して複数の教諭で補充授業を実施する』という文面で終わっている。

清水町の小学校の卒業式が何日か知らないが、文面をそのまま解釈すると、卒業式終了後に一週間かけて、市販テストを活用して複数の教諭でというから、保護者が納得するような点数が取れるような授業をするという意味だろう。

先日の繰り返しになるが、小学校での『市販テスト』は通知表の『○』の位置を決めるためのものである。『未実施分のテストを活用して補修授業・・・』というのは、テストを実施すれば、『〇』の位置を変更してければならない場合が出ることを見込んでの言い訳だろうが、なんとも姑息な話である。

子どもにとっては一大迷惑。テストがなくて喜んでいる児童も多いと想像しているが、一部の保護者の通報に対して、重大事件だとばかり、中学入学準備の春休みが奪われるのだからたまったものではない。

春休みには子どもと旅行を楽しみにしている保護者もいるだろうに、町教委の方針とあっては、町立中学に進学する児童と保護者は、進学先で何らかの差別・区別を受けるのではないかという気にもなるだろうから、簡単に補修授業をお休みして・・・とはならないのでは。

もう一度、前日のつぶやきを繰り返す。

保護者は目を覚ましてほしい。ごく一部の保護者からの通報でこんな事態になったのだろうが、自分の子どもの評定に、自分で支払った市販テストで決めてもらうことが当り前になっている風潮に『?』を持つべきである。

言葉を悪いが『私の子どものバカさ加減を、先生方のアルバイトで作られた市販テストで調べて下さい』と言っているようなものである。この市販テストは、半世紀も前から塾では授業の一環として使われているのは常識中の常識であることを知ってほしい。

『市販テスト』の点数を上げるための授業が当り前になり,町教委が、こともあろうに『市販テスト』を学校に義務づけているとなると、清水町では、教委自らが『学校は塾の風下』という認めている事になる。

これでは、この町の保護者の『塾に通わせなければ・・・』という脅迫概念は限りなく広がりそうだ・・・。(田舎親父)

2016年3月19日 (土)

無茶苦茶な話・・・

『スピ-ディ』と呼ばれる、原発などの事故で放射性物質がどのように拡散するかを追跡するシステムが、福島原発事故時では全く機能しなかったどころか、間違ったデ-タ-を示したため、放射線量が著しく高い地域に住民を避難誘導したことは良く知られたことである。

数百億円もかけて開発したシステムだというが、まさに、典型的な税金の無駄遣いというより、むしろ莫大な税金を使って国民の命を奪った犯罪だと表現しても差し支えない代物であるのに、未だに、それを運用している組織が存続しているというから信じられない。

このシステムは国が率先して導入したにもかかわらず、最近になって,このシステムを利用するのは自治体の判断でと言い出したというから、こちらは極論すれば、現政権お得意の責任転嫁というところ・・・。

先日、このスピ-ディについて、国の御用機関の原子力規制委は『信用できない』と明言したというから、国は全く役に立たないどころかマイナスになるシステムを、原子力村の輩の利権のために自治体に押しつけている?のだから、なんとも呆れたものである。

ところで、強引に再稼働させた川内原発には、住民避難でもっとも重要な周辺で放射線量を測定・監視する『放射線モリタニングポスト』というものが、当然設置してあるのだろうが、そのポストのうち、ほぼ半数が高い放射線値を計れないことが、今頃になって分かったというから、避難など全く頭になく再稼働を許可したことになる。

『高い放射線値が測れない』とは、ある一定の放射線値になると、そこから針が動かない?・・・。人為的としか思えないこんな仕組みにしてあるのかと考えると、これはまさに悪魔の仕業としか思えない。

ところが、このポストは一部国の予算も使いながら自治体が整備するものだと記事にあることを発見してビックリ。記事を素直に解釈すると、川内市はこんな役に立たないどころか悪魔のようなポストを設置していた事になる。まさか、川内市がカネのためなら市民の命など・・・とは信じられないのだが一体どうなっているのだろう。

しかも驚くことに、こちらも強引に再稼働させた関電の高浜原発の周辺では、このポストそのものが未設置だというから、高浜町も同じ考え方?・・・。

大津地裁の『運転差し止めの仮処分』がなかったら、そんな状態で動きっぱなしとなっていたところ。国と自治体、そして電力会社は、周辺住民の命など、まるでゴミのようにしか思っていないようだ。

原子力規制委は、『住民避難は権限外』として、一番大事な命を守るための避難には知らぬ顔をしているが、スピ-ディが信用できないから、ポストの実測値で避難を判断せよと自治体を指導しているというから、口先と腹の中は全くの逆。こんなことで、国の原子力について監視はおろか助言すらできるはずがない。できることは、うまく言い繕って国の政策である再稼働を後押しするだけが、この組織の仕事らしい。

すごい話になってきたが、この先、国も自治体も、規制委も電力会社も、住民避難をないがしろにして、再稼働を進めるとしたら、事故が起きたら『あきらめて、死になさい』と言っているに等しい。

大都市の近辺には原発は危険だから作らないのだから、不便が嫌だ、原発が危険だと思うのなら、地方から逃げ出して都会へ移住すれば良いと言うのが原発推進のホンネだとしたら、なるほどますます東京一極集中が進むわけだ。(杉)

大都市の近辺には原発は危険だから作らないのだから、不便が嫌だ、原発が危険だと思うのなら、地方から逃げ出して都会へ移住すれば良いと言うのが原発推進のホンネだとしたら、なるほどますます東京一極集中が進むわけだ。(田舎親父)

2016年3月18日 (金)

いよいよ学校崩壊か?・・・

 英語を教科にすることは、すでに決定され実際に週1コマの授業が始まっているというから、今更反対しても仕方ないとあきらめているが、次期指導要領の改定では、これを週に2コマにするというから驚く。このために、有識者会議(中教審の小学校部会)が密室で良からぬ企みをしているらしい。

 先日の新聞記事であるが、『次期学習指導要領の在り方を議論している中教審の小学校部会が、小学校高学年での英語教科化に伴う授業時間数増に、10~15分の短時間学習で対応するとの案を大筋でまとめた』とある。

 恐らく、中教審のお偉方から『授業時間確保のための答申』をという指示があったのだろうが、小学校部会には何人かの現職小学校長が入っているはず、その校長たちが、口を揃えて『現状では無理です』と抵抗したと信じたい。

 それでも、何とかしろという要求に、現在各.小学校が時数不足を補うために、苦肉の策として導入している、(例えば)『朝の読書タイム』などの話を出したのではないだろうか。小学校の実情が分かっていない大学教授の座長あたりが、『それを使おう・・・』と飛びつき、たちまちまとめあげたのではと想像している。

 最近は、学校のことにあまり興味がなくなっているが、時に送られてくる『学校だようり』などを見ると、チャイムが鳴って、担任が教員間の打ち合わせを終えて教室に来るまでの隙間の時間(10分か15分)を『読書』や『計算』などの自習的な学習に当てていることから、(多分)この時間を教科に計数しているのだろう読み取れる。

 記事には『土曜日や夏休みの活用を含めて、各校の実情に合わせた柔軟なカリキュラム設定での時間確保が必要・・・』という文言もあるので、多くの学校が、時数確保のために行っている、月に一度の土曜日登校や、夏休みを数日短縮することも、話題に登っているのだろう。

現在、小学校の週の45分のコマ数は、月曜日から金曜日までびっしり6時間行ったとしても、最大『30時間』である。一方、文科省の学習指導要領では、『標準』という曖昧な言葉が現しているが、4年生以上は年間では980時間。周あたり27時間となっている。

『標準』時数だから、学校独自で決めて良いはずだが、これを下回る学校はまずない。この標準時数には運動会や遠足などの学校行事が含まれていないので、年間980時間を確保することは至難の業。少しでも曖昧な部分があれば、たちまち教委から指導が入り、週のコマ数をもう一つ増やせとなり、多分全国ほとんどの小学校では、28コマ以上にして、さらに、朝の10分、あるいは15分を積み重ねて1時間と計数する離れ業を強いられている。

ここに、英語をもう1コマとなるのだから、無茶苦茶である。折角『読書』として『国語』の時数を稼いでいても、英語でその分削られるとなると、国語の時数が不足する。計算タイムでは算数、話し合いの会となると特別活動の時数が不足する。各小学校の悲鳴が聞こえてくる。

現在、英語の授業は外国人講師が主導して行われているのだろうが、担任が知らんふりではたちまち校長や教委から指導が入るとなると、教員の精神的・肉体的な負担は、私が知っている10年前とは大違い。ますます余裕がなくなるのは、誰の目にも明らかなのに、文科省かはその部分は全くのスル-。

学校苦肉の策として,土曜日の登校や夏休みの短縮をして時数合わせをしているのだが文科省の高級官僚たちは、そんなことは『当り前』と思っているのだから、学校の悲鳴は極言状態だろう。

これでは、お題目のように唱えている『いじめ撲滅』などは全くの空文句。むしろ、余裕教のない教師の目を盗んで、いじめは陰湿化して、自殺する子どもが後をたたないのも当然だろう。

 世の保護者の皆さんに伝えたい。『このままでは、次は貴方の子どもの番ですよ・・・』と。そして、学力という呪縛に縛られて、塾に通わせなければという脅迫感から抜け出し、『教師に、そして学校にもっとゆとりを・・・』と声を上げてほしいものである。(田舎親父)

2016年3月17日 (木)

都心の保育園増設は両刃の剣・・・

 『保育園落ちた日本死ね・・・』というブログがきっかけで、政府は待機児童をゼロにすると答弁したという話題の続きである。

 国の動きは驚くほど速い。繰り返して皮肉るが、大震災の復興は、時が止まっているのではないかと思うほど極端に動きが鈍く(時には逆行も・・・)、原発事故の解明にはやる気を見せず、避難住民に手厚い補償などには、まるで眠っているが如しなのだが、こと待機児童問題には電光石火と思われるほど気合が入り、わずか1週間足らずの間に、保育士の給与を少なくとも2%引き上げることを決めたというから驚いてしまう。

 ただし、2%というのはいかがなものだろう。以前、『保育士不足は、給料の低さにある・・・』と新聞記事の中に、一般公務員などに比べて、月給で10万円ほど低いとあったような記憶がある。

 このことが事実であるかどうか、教え子の『私立認可保育園』の保育士に質問したことがある。独身の彼女の年齢は40歳、家庭が裕福なこともあって月給額などにあまり頓着していないようだが、それでも『10万円も差があるとは感じないが、同期の幼稚園教諭と比べると、相当な差があることは事実』という答えが返ってきた。

 となると、2%程度の上乗せで、保育士希望者が劇的に増えるとは思えないのだが、新聞記事には、このあたりは深く突っ込んでいないのも気になるところ。

 ところで、このブログを書いた女性やそれに同調して、国会前で反対を叫んだという人たちは、恐らく首都圏在住の若いママさんたちではと、全国のどこで待機児童が多いのかネットで調べてみた。

 圧倒的に首都圏、特に東京都の待機児童数は相当なものである。しかし、不思議なことに神奈川県の待機児童数は東京に比べて格段に低い?のは、何故なのだろう・・・。

数年前『横浜・川崎の待機児童は全国最多・・・』というニュ-スが流れたのに、わずかの間に解消したのだろうかと素朴な疑問がわいてくる。このニュ-スの後、横浜の片田舎にも保育園が劇的に増えたことは確かで、こんなところにまで保育園が・・・と思うこともしばしばだったとつぶやいたことも何度もある。

本当に待機児童が減ったのかも知れないが、私には『待機児童』という定義が甘くなったのではという疑念は消えず、『狙いの保育園ではないが、とにかく預けることができた・・・』という声がかなりの頻度で聞こえてくる。

そのことはさておいて、東京(特に若い人たちに人気の区部)の保育園不足は限界にきているようで、国と都は本気で取り組むと宣言した以上、今後、この地域に横浜の片田舎に数倍する勢いで保育園が生まれるのは想像に難くない。

こんなに保育園を作って保育士が集まるのだろうか・・・という、これまた素朴な疑問をもちたくなるが、私の散歩コ-スに新設された保育園が閉鎖されることはないので、それなりに、保育士は集まるのだろうと思うのだが、今日のところはこの問題はスル-にしておこう。

しかし、特に待機児童が多いのは、交通の便が良い都心部だというから、この地域で保育園がどんどん新設されるとなると、経済的に余裕がある、周辺の保育園探しのママさんたち家族が移り住むのではないだろうか。となると、ますます東京一極集中に油を注ぐことになりかねない。もっとも、こんなことを考えるのは私のヘソがまがっているのかも知れないが・・・。

私が散策中に出会うのは、時に幼児をつれた若いママさん達のクル-プがあるが、ほとんどが私と同年齢かそれ以上の年寄り。しかし、近くの小学校は児童数が千人を越えているというから、子育て世代も増えていることは間違いなさそうだ。そして、その多くの夫婦が都内や横浜の中心部に職場を持っていることも、デ-タ上明らか。

そんな若い世代の不満が前述したように、『狙い通りではないが・・・』となると、都心部で保育園が完備すれば、職場が近い方が良いという希望が生まれ、横浜の片田舎から都心へという動きも起き始めそうだ。

埼玉県や千葉県も待機児童が多いという。ならば、生活の拠点を都心へ・・・と希望する人たちの数は、ここ横浜の片田舎よりも多いのではなかろうか。

子育ては都心が一番という風潮が広がれば、地方の若い人達はますます東京へ憧れるのは当然だろう。となると、現在以上に東京へ・東京へ・・・という動きが加速することは想像するまでもないだろう。

保育士の待遇改善は必要だが、何だか付け焼き刃的で、しかも、東京だけに問題を絞ってしまうと、トンデモ事態になりそうな気がするのは私だけだろうか・・・。(田舎親父)

2016年3月16日 (水)

この問題の今後は?・・・

 先日、『大田区の区立中学22校の・・・』という書き出しで始まる新聞記事に、思わず目が留まるり、このところ、いろいろな意味で『大田区・・・』という名前を見聞きすることが多いが、こんなこともあったなと当時を思い出し、思わず吹き出してしまった。

 私が現職時代大田区に勤務していた頃は、区立中学校は28校あったと記憶しているが、少子化の影響がすすみ、統廃合で22校に数を減らしているようだ。

 記事の内容は、その22校の進路指導担当教員計26人(数が合わないのは、担当の校長が数に入っていたのだろう)、都内の私立高校から食事や酒、図書券の提供を受けていたことが区教育委員会の調査でわかったというものである。

 こんなことを教委がホンキで調査するはずがないので、参加者の中か、それとも校内の人間関係の歪みなどで、このことについて快く思っていない一部の教員が、どこかに漏らしたことからマスコミの知るところとなったのだろうと想像している。マスコミとしてはこれは実に美味しい話。視聴率が稼げると一斉に飛びつき、次々に事実が明らかになったようだ。

 第一報では『都内の私立高校』とあったが、続報では『大森学園高校』とある。この名前には記憶にないのは、ずっと男子工業高校だったが2005年に現校名に改め、普通科を設置し、さらにその後男女共学となったという歴史の新しさにあるようだ。

 それにしても、今どき、生徒を集め目的で飲酒などの接待などといった、極めて時代遅れの方法をとっている学校がまだ存在するのがと不思議な気がするが、反面、いや教育界ほど保守的な体質をもち続けているのも珍しいから、どうもこの学校だけの話だけで終わりそうにないような予感もするが・・・。

 今では時効だろう30年ほど前の話になるが、当時もかなりの数の私立中高校が学校説明会と称して、校長や担当教員を集めて、同じようなことをやっていたなという記憶が蘇ってきたがその詳しいことはここでは省略する。

 違う新聞の記事には、集まった中学校の教員の範囲と数は増えて、『東京、神奈川、千葉3都県の公立中学教諭ら約90人・・・』というから、『大森学園高校』は随分募集範囲を広げたものと、最近の少子化は、こんなところまで影響しているようだ。

 入試説明会は昨年10月5.6日に校内の8階の食堂で行われ、5日は神奈川県の教員40名、6日は東京都と千葉県の進学担当教員50人を集めて行われ、受付で封筒に説明資料とともに2千円分の図書カードを入れて渡し、説明終了後、弁当やオードブル、ビールや焼酎などを振る舞ったと、まるで記者がその場を経験したかのような詳しい描写が続いている。

 マスコミが知るところと勘づいた、大田区教委はこれは大変とばかり、この説明会に出席した進学指導担当校長に連絡し、図書券を返還し飲食代金を支払うように指導したのではないだろう。すでに出席者全員が図書カードを返し、飲食代金を支払いをしたというから、教委の危機感が現れている。

 しかし、都の教育委員会に話が伝わっているというから、この騒ぎはこれで終わりとはならず、調べがさらに続くのではないだろうか。そして、世論の動向を見定めて批判が高まると判断した段階で、何らかの処分をせざるを得なくなることもあり得る話ではないだろうか。

 一般的には、こんな時代遅れと笑ってしまうような生徒獲得方法をとっている私立中高校などあるのかと思われがちだろうが、大森学園高校だけかと問われたら、『否』と否定するしかないのが現状だろう。

 都教委の教育長は、ここまで明らかになっているのだから、区市町村教委に『類する行為が存在するか徹底的に調べろ』と命じているのでは・・・となると、都教委ばかりか区市町村教委の指導主事の中には、以前同じような接待を受けたことがある者もいるはずだろうから、処罰の線引きによっては大変な問題に発展しそうな気がする。

 今頃、同様な方法をとっている私立中高校と、接待を受けた進学担当の校長や教員は、ひょっとして俺のところにも・・・と戦々恐々の心理状態になっているのも想像に難くない。

恐らく、この問題をどんな形で片づいたとしても、接待を伴う『入試説明会』は来年度からは開けなくなるだろう。というより、接待が伴わない(美味しい話がない)説明会に、校長や教員が出席するはずがないだろうから、開いても集まらないと言った方がわかりやすいかも・・・。

一部の人気中高学校は、もともと『入試説明会』などする必要がないだろうが、二流・三流の生徒集めに苦労している私立中高校にとっては、こんなことで、説明会が開けなくなると、まさに死活問題。どうするのだろう・・・。

そちらの方も気になるので、この問題の行方を注意深く見守り、情勢が変わればまたつぶやくことにしたい。(田舎親父)

2016年3月15日 (火)

また風を読めない校長出現・・・

 先日は、『非行歴のある生徒は推薦できない』と、それまで3年の時だけだった期間を、昨年11月に唐突に、1年生からにと校長権限で変更し、『過去の非行歴も見逃すな』と教員に命令したことがきっかけになり、少年の命を奪った事件では、『このバカ校長が・・・』とつぶやいたが、またまたわけの分からない中学校の校長が現れた。

大阪の公立中学の校長だというが、こともあろうに、全校集会で『女性にとって最も大切なことは、子どもを2人以上産むこと。仕事でキャリアを積むこと以上に価値がある』と発言したそうだ。

仲間うちで酒を飲みながら話すのなら気持的には分からないでもないが、全校集会で発言となると、すぐに保護者に伝わり、マスコミがスワッとばかり集まることなど読めなかったようだ。

この校長は、『人口が減るなかで、日本がなくならないためには女性が子どもを産むしかない。間違った発言とは思わない・・・』と新聞各紙が伝えているが、なんとも時代後れの表現に驚く限り・・・。

この文言だけならば問題がここまで大きくならなかったのだろうが、少子高齢化や不安定な年金制度などの課題を指摘し、『男女が協力して子どもを育てるのが社会への恩返し。子どもが産めず、育てられない女性はその分施設などに寄付すればいい』と主張したというから、火にわざわざ油を注いだというところだろう・・・。

これには驚く。特に後半の部分はいただけない。子どもを授かりたくても授かれない夫婦も多く、そのための不妊医療なる分野すら確立している時代に、産めない『女性は寄付を・・・』というのは常識では考えられない。

さらに、『女性は子育てのあと、大学で学び専門職に就けばいい。出産や子育て後も学び直しはできる』とも発言しているらしいが、何だか女性には学歴は必要なく、子育てが終ってから大学に入れとは暴言もはなはだしい。

どうやらこの御仁は、女性は早く結婚して、二人以上の出産するのが理想らしい。子育てに専念するために妻は仕事を辞めればよいとでも思っているようだが、簡単に辞められるのは、よほど夫の給料が高いごく一部だけだろう。たとえ、専業主婦を希望しても、簡単にできないのが現実では・・・。この御仁が、誰もが簡単に専業主婦(夫)で生活できると考えているとしたらアホカとしか言いようがない。

私は、専業主婦(夫)は有りだと思っている。そのためには主婦(夫)を、確立した職業として認めることが前提だとも主張している。主婦という職業に見合う給料が保証されたら、現在大騒ぎになっている、『保育園落ちた 日本死ね・・・』という問題も起きないのだろうが、そのことは改めて・・・。

話はまた唐突に変わるが、この校長は再任用だという。最近は校長のなり手が少なく、再任用校長が増えているらしいが、『校長職を魅力』と感じられるようにして再任用などしなくても人材が集まるようなシステムを確立したいものである。

そして、定年になったら、この魅力ある席は後進に譲れる社会にすることも、今回のような暴言校長の出現に歯止めをかけることになるのではないだろうか。(田舎親父)

2016年3月14日 (月)

まずはお手並み拝見とするか・・・

 12日の東京新聞に掲載された記事である。『(そのままコピ-)安倍晋三首相は十一日の参院本会議で、子どもを保育所に入れられなかった母親らが保育制度の充実を求め塩崎恭久厚生労働相に提出した署名に関し、目を通したことを明らかにし「待機児童ゼロを必ず実現させる決意だ」と述べた。しかし「保育所」を「保健所」と言い間違えたため、一時騒然とする一幕もあった。共産党の吉良佳子氏の質問に答えた。

 首相は署名について「子どもが生まれたのに保育所に預けられない、仕事を続けられないという大変な苦労、切実な思いが伝わる」と答弁した。

 首相の言い間違いについて、吉良氏は本紙に「お父さん、お母さんたちがこの問題を大変切実に思っていることを分かっていないからこその言い間違いだ」と批判した。

 自民党の稲田朋美政調会長は同日、政調会長のもとに「待機児童問題等緊急対策チーム」を設置すると記者団に明らかにした。三月末までに待機児童を解消するための課題を整理し提言をまとめる。

 署名は、子どもが保育園の入園審査に落ちた憤りを国にぶつけたインターネットの匿名ブログ記事が発端となって集められ、二万七千六百八十二人分が九日、塩崎氏に提出された。 (新開浩)(コピ-はここまで)』

 『3月末までに課題を整理』という文言は、今年度中ということだろうが、大震災や原発事故の復興は5年もかかり、進展しているとは間違っても言えないのにもかかわらず、大変な鼻息だと皮肉をこめて述べておきたい。もっとも、定義の解釈を根底から変えるのが現政権のもっとも得意とするところなので、『待機児童』という言葉の意味を変えることも十分可能性があるが・・・。

 全ては『保育園落ちた日本死ね!!!』と題した匿名のブログが発端である。このブログが掲載されたのは先月15日のことらしい。どういうル-トで民主党の議員が取り上げたのかは知る由はないが、『社会が抱える問題を浮き彫りにしている』とアホベ氏に質問したのだそうだ。

 匿名のブログということで、たいしたことではないと思ったらしい御仁は、『匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない。これ以上議論しようがない・・・』と突き放したのが、保育園で苦労している人たちを激怒させたようだ。しかも、このやりとりの最中、自民党の首相の子分たちが、汚い言葉でヤジったことが明らかになり、この問題に関心を持っているネット住民を刺激したのだろう。

 たちまち、若いママさんたちを中心に反論の嵐が吹き荒れ、『保育制度の充実は必要』とする署名活動を始まり、記事にあるように2万7千人以上の名簿を、アホベ氏のお友だちである厚労相に突きつけたというから痛快である。

さらに、数を増やしたママさん達が今月になって国会前で『保育園落ちたの私だ』と書いたプラカ-ドを掲げて結集したと(マスコミが恐らくこの時点では面白半分で)デカデカと取り上げたものだから、一大社会問題に発展したというところらしい。

 『保育とか介護の批判は分かりやすい。参院選挙にこれはマズイ』という、首相の取り巻きの有識者の声でもあったらしく、参院の予算委で再度問われ時に、『受け皿作りは、民主党政権の倍のスピードで進めている』と答弁したのだそうだ。

 ネットでの盛り上がりに対して、自民党の幹事長が、『ネットを利用した社会運動がずいぶん出てきている。情報手段と世論の喚起の仕方、政治、社会運動のあり方も変化している』と語ったようだが、受け止め方によったら、ネットを規制する必要があるととらえられても仕方ない。これが、またまた、この問題で立ち上がっている若いママさんはじめネット住民の怒りに油を注いだことは容易に想像できそうだ。

 その結果『今年度中課題を整理・・・』という発言になったのだろうが、待機児童問題は、随分以前から、さまざまな問題が絡み合い、先送りされ続けていたことから、後20日でまとめられるはずがない。

外野的には面白くなってきたが、今日のところはお手並み拝見とだけつぶやいて、続きは後日に・・・。(田舎親父)

2016年3月12日 (土)

造るなら東京湾の地下に・・・

9日に大津地裁の判決には、涙が出るほど感激した。原子力規制委の安全基準について『安全とは言えず、直ちに、高浜原発を停止しなさい』という判断である。

この訴訟は滋賀県の住民が起こしたもので、2回目である。素人の私には専門用語は理解しにくいので、私なりの表現でつぶやくが、前回も、今回と同じ裁判長が、住民の訴えはもっともと、原発再稼働を認めないという判断だったと記憶している。

ところが、関電は、原子力規制委員が決めた基準をクリア-していると、すぐに異議申し立てを行った結果、同じ大津地裁の違う裁判長が、それを認めたため高浜原発が再稼働することになる。この判決を聞いて愕然としたものである。

同じ地裁で全く違う判断に、住民側は、再度、『再稼働させないように』と申し立てていたようだが、この判決の出る数日前に、関電は稼働スイッチをONにした矢先だったことから、運転中の原子炉を強制的に止めることになってしまったようだ。もっとも、4号機は、再稼働直後、不具合のため警報機が作動して自動的に運転は中止していたというから、関電としてはメンツが二重につぶれたというところだろう。

関電側としては怒り心頭で、直ちに、この判決に対する異議申し立てを行ったらしい。しかも、前回同様、申し立て先は大津地裁だというから、何とも裁判のル-ルはややこしい。

もっとカリカリしているのは現政権で、例によって、官房長官は『規制委が合格を出した原発は再稼働する方針は変わらない』と、シラっとした表情で平静を装っているが、内心はとなると、こちらも地裁の決定には怒りまくっていることは想像に難くなく、大慌てで対策を競技しているに違いない。

早速、大津地裁に圧力をかける方法を考えているのだろうが、今回も違う裁判官が、関電側の申し立てを聞き入れて、仮処分無効という判決になったら、国民の多くは『?』となることは間違いないところだろうから、そこまで露骨なことを、すぐさまとはできないのではないだろうか。

となると、ある程度長期間、高浜原発が稼働することはできない。今国内で唯一稼働しているのは川内原発だけであるが、九電は規制委に、再稼働後『免震管理棟建設』を約束していたが、動かしてしまえばこちらのものとばかり、『そんな約束なんかしましたっけ・・・』という態度をとり続けているのだから、川内市周辺の多くの自治体の住民は運転停止を求める訴訟を起こすのは必定だろう。

そうなると鹿児島地裁は、川内原発停止の仮処分を出す可能性はありそうだ。この動きは次々と広がり、再稼働をもくろんでいる電力会社は、今回の判決でも大きく取り上げている『避難計画』を棚上げしての再稼働は難しくなりそうだ。

原発のある場所は、『人がなるべく少なく近づかない海岸』である。道路など完備されているはずがなく、こと事故が起きたら周辺の避難は一本の道だけとなり、大混乱が起きることは福島原発事故で経験済み。当時の民主党政府は、混乱を避けるために、正確な情報を流さなかったのでは・・・とうがった見方をする人もいるという。

これを絶対にないと断定できないのも悲しいことだが、避難道路も確保できない段階で再稼働するのは乱暴過ぎる。

規制委は『避難計画は権限外』としているが、安全という意味ではこれがもっとも大事であることは誰の目にも明らかだろう。『規制委の基準では安全とは言い難い』という今回の判決の意味は大きく、大津地裁の再稼働容認派の裁判官でも、国の圧力に屈して、あっさり覆すことは難しくなるのではないだろうか。

もともと、都市部の人間の『贅沢な生活』を保障するために、地方の人々の安全を脅かして、原発を造ったのが間違いで、ひとたび事故があれば、地方の人々の生活は徹底的に破壊されることも福島原発事故で学んだはず。

私の自論は、原発がどうしても必要なら、東京湾の地下深くに建設するという発想をもちたいものである。現発ゴミもそこで処分する。首都圏に住む人たちは、エネルギ-を使い放題で誰の目もはばからず贅沢三昧を楽しめば良い。

反対する人は,地方へ移転する。一石二鳥どころか、一席三鳥、四鳥の妙案だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年3月11日 (金)

学校による殺人だ・・・

 ここ数日、万引きの記録がコンピュ-タに残っていたことで、進学指導で担任からそのことを伝えられたことが引金になって自殺しただ中学3年の男子生徒の話題を新聞テレビが大々的に報じている。

散々マスコミが報じているので、今更、経緯など述べるまでもないが、いつものことながら学校の対応が悪過ぎる。しかも、ニュ-スが更新されるたびに、命を絶った生徒が浮かばれないと思うような事が次々に明らかになっていることに気滅入るばかり。

1年生の時の話らしいが、この生徒万引きをしたという記録が、コンピュ-タに残っていたのだそうだ。消したとか・間違って使ったなどと情報が錯綜しているが、この万引きという非行歴を担任は信じ込んだらしく、ことさら強調し私立高校の入学に際して推薦枠から外すと伝えたというから、生徒がショックを受けるのは当然だろう。

どうしてこんな記録が残っているのかも理解しかねるが、昨年の11月にそれまでの非行歴は1年で記録から消していたのが保存期間を3年にしたのだそうだ。

非行歴という言葉は嫌な響きを持つ。校長が独善的に保存年限を変更した上に、事実を確認せよと担任に指示したという。校長命令なので、担任は確実でない情報をそのまま生徒に伝えたのだろうが、その場の雰囲気を想像すると背筋が寒くなる。事件後、校長は保存期間を大慌てで1年に戻しているというから、明らかに情報の隠匿。この校長は万死に値すると言っても過言ではない。

あまりにも学校の対応の悪さに、ある教育評論家は『学校による殺人』だと表現している。いつもは教師の忙しさが招いた・・・と学校を弁護している私でも、今回のことはこの評論家の表現に『その通り』と言うしかない。

そもそも、万引きをしたか・しないかなどさほど大きな問題ではないと思っている。この中学校が、2年以上前の、ささいな万引きが『重要な非行歴』して記録に残し、高校の推薦入学に影響するほど大事な要因としていることは到底理解できない。

随分古い話で今では時効だろうが、私は担任時代、万引きはもとより,喫煙や飲酒などの非行はどこにでも転がっている話だと認識していたので、保護者会の席上で、『世間で言うこんな行動は、誰もが一度は経験することですよ。だから、見つかって良かったと思って下さい』と話していたことを告白したくなる。

さらに、『小学5年から中学2年生の男の子(当時は圧倒的に男子の場合が多かった)なら誰もが歩む道ですよ。私も男ですから似たような経験がありますが、皆さんもどうでしょう?。思い出して下さい・・・』と続けたものである。保護者は一様に安心した表情をしていたことは今でも自信を持って言い切れる。

私の最後の担任時代は、すでに30年も前。しかし当時は実におおらかな時代で、これに類する話は良く耳にしたもの。教員同士の飲み会の席でも『こんなことがあったのだが、何か気がついたら耳に入れてくれ・・・』というのが日常茶飯事だった。今の学校にはこんな雰囲気が全くないのかも知れないが・・・。だったら寂しい限りである。

私は今でも、本心として、この程度の非行?は思春期の一種の登竜門?で、誰もが経験することであり、それが悪いことだということに気付けばそれで良い。繰り返させないことが大事だという自論は変わらない。

この中学校の校長はじめ教員は、子どもの頃にこの程度の悪さ?を行ったことはないなんて私には到底信じられない。なのに、子どもにはそれを強要するとは、まさに自分勝手な考え方と言うしかない。

ただ、この生徒にたった一人でも良いから信頼できる大人(できれば教員)がいて、『万引きした、バカだなあ。親は知っているのか? 知らないのなら、私からソッと話しておくからクヨクヨよするな。ただ、二度とこんなことするなよ・・・』という一言があれば、間違いなくこの少年が命を落とすことはなかったに違いない。

一過性の面白半分で行ったささいな衝動的な万引き(事実とは違ったらしいが)を非行歴と称して記録に残すばかりか、消さずに生徒の進路にまで影響させるなんて、この中学校は、生活指導と称する『管理』という言葉があっても、子どもの成長を見守り、教え育てると『教育』の原理原則は存在しなかったと言い切っても過言ではない。

担任は今月7日から体調不良を理由に学校を休んでいるというが、これも情けない話。這ってでも出てきて、事情を正確に話して謝罪するのが担任としての最低限の務めだろう。それが怖くてできないのなら、即刻辞表を出すべきだ。

最悪なのが、校長の記者会見の様子。聞くともなく聞いていたが、まるで他人事のように淡々とした態度で『組織体制の見直しが最優先。それができなければ学校再生はあり得ない』とは呆れて開いた口がもどらない。できるなら、学校に乗り込んで、『お前が一番悪いのが分かっているのか。バカヤロウ・・・』と怒鳴りたくなる。 

全てが情けない。これでますます文科省と教委による学校管理が強まるだろうなと思うと、『アア・・・ヤダ・ヤダ・ヤダ・・・』という言葉しか口から出せない自分に対する腹立たしさだけが大きくなる・・・。(田舎親父)

2016年3月10日 (木)

言葉の定義を平気で変える政府・・・

普天間から辺野古への基地移転を巡って、現政権と沖縄県が激しく対立、互いに訴訟と言う最悪の状態になっている問題で、高裁が『国も県も頭を冷やしてはどうですか』と和解するように勧告案を出したことまでは知っている。

沖縄県の翁長知事が、『辺野古へ基地建設阻止』を公約に上げて、圧倒的な支持で当選したのだから、民意は『基地反対』。それを全く無視して、強引に建設を始めたのだから、知事としたら『あらゆる方法』を駆使して、阻止のために動くのは公約だから当然である。しかし、現政権は、訴えの却下権を国が持っていると解釈しているのだから、訴訟合戦が泥沼になるのは自明のこと。

この夏、参院選挙が行われる。一部には衆参同時選挙も噂になっているが、少なくとも沖縄県では、現政権のやり方に憤りを感じていない県民は限りなく少ないだろうから、選挙結果は基地反対候補者の当選の可能性が高いことは予測できそうだ。

もし、基地反対候補が当選したら、普天間返還の唯一の手段だと強弁している現政権にとってはメンツがたたない。沖縄県知事は、そのあたりを冷静に読み取っているに違いないが、このまま工事を進めてしまえば、辺野古周辺の環境破壊は免れず、工事を既定事実化させることになりかねないと、高裁の和解案を受け入れると表明したと推察している。

当初、国は和解を受け入れることに反対の立場を崩そうとしなかったようだが、どうしかことか、アホベ首相が突然『国として和解を受け入れる』と言い出したことに、驚きを感じたものだが、このままでは選挙に負けるかも知れないという情勢を分析した結果だろう。

しかし、辺野古基地建設は絶対に引けないとばかり,『20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古移設が唯一の選択肢という国の考えに何ら変わりはない』とわざわざ強調しているのだから、この御仁の和解受け入れは、『選挙まで引き延ばす』と宣言しているとしか思えない。

 市街地に囲まれ、地球上でもっとも危険な基地だと言われている普天間飛行場の返還は緊急課題であことはだれでもが理解しているが、だからといって、同じ県内での代替施設建設を造るのでは、現政権が、ことあるごとく言い繕っている『沖縄県の負担軽減』という言葉が全く空々しく聞こえる。

負担軽減を言うのなら、仮に現有規模の基地が必要なことをみとめたとしても、せめて、県外でなければ、在日アメリカ軍専用施設の約74%が集中する沖縄県に暮らす県民の基地負担は抜本的には軽減されないことは、貧乏年寄りでも分かること。

 私は、『和解』という言葉の持つ意味は、『互いの出した条件を話し合いで了解すること』だと教えられ、そして教えてきた。沖縄県の出した条件は、『辺野古基地工事中止』である。工事を中止するのだから、基地建設はあり得ないのだが、アホベ首相は『中止ではなく中断であり、その期間は選挙まで』というのだから、日本語が持つ『和解』とはかけ離れている。

『沖縄の負担軽減』が本心であるならば、普天間飛行場の辺野古への県内移設を断念し、国外・県外移設をアメリカに提起し、理解を求め話し合いの場を設けるべきである。

さらに、『和解?』が成立した2日後、国は、前沖縄県知事が出した、『埋め立て承認』を取り消しか現知事に対して、『取り消し処分を是正せよ』という命令を出したという。このことは『和解』内容だとしているが、あまりにも早い命令には驚くしかない。

いかにも現政権は辺野古へ固執していることを改めて強調し、すぐに取り消さなければ国として工事を再開するぞという脅しはあまりにも拙速過ぎ、知事の『残念なことだ・・・』という言葉に、激しい憤りを感じる。

 話は突然飛ぶが、この命令が出された翌日の8日に流れた『TPP承認を閣議決定した』というニュ-スに、TPPの合意内容がほとんど明らかにされていないのに、とにかく国会の承認を得るということを急ぐのは、どう考えても奇怪しく、早く国会で承認を得なければ困ることがあるに違いないようだ。

アマリという担当大臣が雲隠れしているこの時期に、こんなに急ぐのは、野党国会議員にも知られてはいけないことを隠して、何かトンデモないことを運ぶ画策しているのではと疑いが先に立つ。

TPPの成立はアメリカ議会の承認が条件になっているらしいが、今は大統領選挙の真っ最中、とても議論などできるはずがなく、アメリカでの承認は、すくなくとも新しい大統領が決まってから議会で議論が始まることが明らかなのに・・・である。

『国会の承認』という言葉の定義も、『全てが明らかになり、議論を重ねた結果納得できる』というのが前提になっていると受け止めている。

その意味でも、現政権は、大事な日本語の解釈を、ご都合主義で勝手に変更することに対する良心の痛みなど、針の先程も持っていないことは間違いない。

これは恐ろしい。また同じ結びになるが、こんな政権には早く消えてもらわねば、この国には明るい未来など期待できないと断言できそうだ・・・。(田舎親父)

2016年3月 9日 (水)

マニュアルでいじめがなくなる?

『いじめ防止対策推進法』という法律ができたということは知ってはいるが、その実効性については限りなく怪しいと思っている私にはたいした話題でもなく、ほとんど関心はない。

しかし、この法案をきちっと守れば、いじめがなくなると思っている人たちも多いらしく、子どもたちのちょっとしたことに対して、何でも『いじめ』と決めつける傾向と、周りの大人がしっかり『監視』していればいじめなどなくなるという考え方が当り前に広がっていることに対して、ちょっと違うのではと違和感を覚える。

『いじめ防止対策推進法』は全国の小中高校や特別支援学校に、学校独自のいじめ対策を定めた『いじめ防止基本方針』の策定を義務づけている、『学校独自』の方針とは形だけで、ほとんどの学校は、自治体が提示する『ひな型』を、ほんの少し言葉を替えて、これが我が校の『いじめを防止する方針』だと、ホ-ムペ-ジなどに掲載している。

このことは、時間があれば、地域にある小中学校のホ-ムペ-ジで調べて見ると、なるほどもっともだと思う文言が並んでいることが分かるが、その実効性というか、文言通りのことをその通り実行できるかと問われると、恐らく『否』というのが、学校関係者の偽らない気持ちではないだろうか。

教育評論家というか専門家のほとんどが『教員がしっかり子どもの行動を把握していれば、いじめの芽は摘み取れる』と言う。恐らく私もその立場になったら、同じことを言うだろうと思うが、この言葉の前に、『子どもをしっかり見つめる時間が保障されていれば』という一文が前提になっていなければ、意味がないことは誰も述べていない。

(これまで繰り返して述べているが)教員にもう少しの時間的余裕を与えることが、いじめの芽を摘み取る最大の方法だというのが私の自論である。しかし、学校の実情は、教科指導に加えて、さまざまな要求を当り前にこなすことを要求されるばかりか、特に小学校では英語まで指導しなければとなると、時間的余裕などあるはずがない。

現状が文科省に届いていないはずがないのに、お偉方というか官僚たちは『時間的余裕』などは教育の本質ではないと思っているのだろう。そして、何か問題が発生すれば、一片の通達を教育委員会に流せば全て完結するとかたくなに信じている?のではと思うことばかり。

いじめが原因とされる子どもの自殺が社会問題になって久しい。起きるたびに、学校の責任を追及するのも当り前のことになっている。『何故子どもが発するSOSの信号に気付かなかったのか・・・』が最大の話題になり、一人の教員の目ではなく、学校全体で見つけるという考え方が必要だと結論づける。

こんな背景があって、文科省が音頭をとって策定されたのが、くだんの『いじめ防止対策推進法』だと受け止めている。都道府県の教育委員会は、この法律のシバリを受けて、教育専門家や有力校長達を集めて議論を重ね文章化したものが、都道府県段階の『いじめ防止方針』と市町村教育委員会に示し手いる。それぞれの自治体は、このひな型を元に管下の学校に対して、『いじめ防止基本方針』を決めるように指導する。

各学校ではこのひな型を『学校独自?』のものにしなければと、職員会議で議論したと思いたいが、『ひな型』以上の内容のいじめ防止方法など生まれるはずがない。結局は、ほんの少し(例えば地域の実情など)具体的な文言を入れただけになるのは、当然といえばこんな当然なことはない。

しかし、こと子どもの自殺が現実となると、マニュアルが生かされていなかったと大騒ぎ、結局は学校の責任が問われそれでオシマイ?・・・となり、時間が過ぎると大騒ぎの波は消え、そしてまたどこかで子どもの自殺が繰り返される。

ここで突然話が変わるが、このところやたら『NPO法人』という言葉が目立つ。『ストップいじめ!ナビ』という『いじめ問題に取り組むNPO法人』もその一つ。

この組織も、周りの大人たちの丁寧な監視の目によって、子どもの自殺は防げるという考え方にたっているらしく、『いじめ防止対策推進法』に基づき各自治体が策定している『いじめ防止基本方針』実効性があるかを採点したという記事が先日の朝日新聞に掲載されていた。

この組織の理事長は、昨年7月に起きた岩手県矢巾町の中学生のいじめ自殺では、教員らが同法の趣旨を十分に理解せず、同法の規定で設置された学校のいじめ防止対策組織も機能しなかったと指摘されたとして、『第三者の立場でチェック』するという立場で活動していると述べている。

組織としてチェックすることや理事長が何を言うのも勝手だろうが、『実効性のある』という言葉にはいささか疑問持つと同時に、自治体が出している『いじめ防止基本方針』に点数で評価することはとても同意できるものではない。

25の評価項目を点数で評定した自治体の順序が記事に添付してあるが、東京都下のH市がわずか7ポイントでダントツの悪評価のトップ。

担当者の言い訳のコメントも掲載されているが、H市民の感情はいかがなものなのだろう・・・。(田舎親父)

2016年3月 8日 (火)

また改悪 理念は?・・・

介護保険サービスのさらなるカットに向けた議論が厚労省の『有識者審議会』でスタートしたというニュ-スに、お馴染みの悪名高い『有識者会議』がでてきたことに、またまた、庶民の暮らしを圧迫するような国(厚労省)の動きを有識者と称する輩が後押しするのかと苦々しい思いが先に立つ。

記事には、介護の必要度が低い『要支援1と2』のサービスを、介護保険制度から切り離すことを検討しているとある。介護費抑制が狙いで、サービス提供の役目を市町村に移すのだそうだ。市町村には、ボランティアやNPOの活用で何とかしのいでもらうととのことらしいが、国に財源はないから市町村で何とかしろと言うのはあまりにも無責任としか言えない信じ難い話だが・・・。

『介護のための退職者をゼロにする』なんて、まず100%不可能な話を恥ずかしげもなく国の方針だとぶち上げたのは誰だったのだろう。そして、舌の根も乾かぬうちにカネがないので、介護保険制度そのものの根幹である『手厚き介護』をばっさりと切って捨てるとはなんとも嫌な気分にさせられる。

介護保険について詳しい知識はないが、『要支援1、2』という基準は、常時介護が必要ではないが、時に掃除や洗濯、調理、買い物といった生活援助サービスを必要する人たちだったと理解している。その場合、必要に応じて、低料金で介護保険を利用することができたのではなかっただろうか。これを介護保険の対象から外し、原則、自己負担とするとなると、介護保険そものの存在など関係ないことになりそうだ。

そもそも『要支援2』という枠組みは、当初にはなかったはず。いつのまにか、この言葉の立ち位置が決まった背景には、介護保険にかかわる国の予算を削るために、受けられるサ-ビスを少なくしたいという思惑があったことは間違いない。そして、『要介護1』の該当者の約6割が対象になったのでは・・・。

そんな私の記憶を確かめるためにネットで調べてみると、2007年に『介護予防』に重点を置くというタテマエで、強引に改定されたことが明らかになる。それを、わずか7年で、『介護を予防』するためのサ-ビスを、制度の対象外にするというのだから、ウソで固めた支離滅裂論理としか言いようがない。

私は一度も介護保険の対象になるようなサ-ビスを受けたことはないが、年金から、月々8千円ほどの介護保険料が天引きされている。

かなりの高額で、毎月こんなに取られているのだと忌ま忌ましく思うだが、介護を家族だけに担わせず、社会全体で支え合う『介護の社会化』という考え方に従わざるを得ないことと、ひょっとして将来的には介護保険のお世話になることもあるだろうと、仕方なしに受け入れている。

しかし、これまで対象だったサ-ビスが、介護保険の対象外としてどんどん切り離されていくとなると、これは国による詐欺と言っても極論ではないだろう。

私の場合は、介護保険そのものを利用したことがないのだから、その内容を具体的に知らないだけにまだ諦め?がつくが、長年介護保険料を払ってきた『要支援該当者』の人たちは、ある日から有料となると、本人はもとより家族にとっては到底納得できる話ではない。さらに、こんなつまらないサ-ビスなどは、お前がやるのが当り前だと押しつけられた市町村としてはたまったものではあるまい。

 急速な高齢化で介護費用が膨らみ続けていることは十分理解しているつもりであるが、今回の厚労省のやり方は、問答無用で乱暴過ぎる。支援サ-ビスを受けて、かろうじて自宅での生活を維持できる高齢者も多いだろうし、定期的に支援の集まりに参加したり、ヘルパーの見守りで症状悪化を防いでいる人も多いはず。

それを全て有料となると、払えない高齢者は続出し、サ-ビスが受けられないとなると、自宅に引きこもること強要していると言っても過言でない。その結果、症状が進み、気がつくと支援が介護に移行し、その介護も度数が進む可能性が大。かえって介護保険の負担が大きくなるのでは・・・。

今回の改定案は要支援を枠外にするばかりだけでなく、介護保険の国民負担を増加するオンパレ-ドが並んでいる。ふんだくれるだけだくり、国負担介の護費用は徹底的に抑えるのがホンネだろう。しかも防衛費だけは天井知らずとなると、現政府のもっとも得意とする、口先で誤魔化してル-ルを変えるいつものやり方である。

こんなウソで固めた現政権は早く退場させないと、トンデモ社会になることだけは確かだということは世間知らずの私でも予見できる。それでも、夏の参院選では自民党と書く人が多いらしいとなると、私には、社会の仕組みが悪いとしか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2016年3月 7日 (月)

アナログ仕事なんてやってられない?・・・

 一昨日は、一年を24に季節分けする二十四節気の一つである『啓蟄』。解説書などでは『冬ごもりしていた虫たちが動き出す時期』とあるが、その通りのポカポカ陽気の一日だった。冬至のころと比べると、日射しはぐんと伸びて、明るくそして強く感じ、日没の時間は1時間も遅くなっている。

この季節の天気の良い日に散歩すると、小川の水が温み、太陽の光を受けてキラキラ輝いて目にまぶしい。そんな光景を見ると、何となく身も心もウキウキしてくるのも『啓蟄』という言葉が持つ魔術なのかも知れない。

その日の朝日新聞の朝刊に『消えたトノサマガエル 生物の観測、都市化で休止相次ぐ』

という見出しを発見する。一瞬、『エッ、トノサマガエルなど、横浜の片田舎では日常的に見かけられるのに・・・』と違和感を覚えたが、各地の気象台の敷地でのことだということに、なるほどあり得る話かも知れないと、ひとまず納得する。

 気象庁は1953年から、季節の移り変わりを動植物の様子でみる『生物季節観測』を続けていることは知っていたが、記事を読み進めると、温暖化や都市化の影響で身近な生き物が見られなくなっていると受け止められる文章である。

 観察の対象になっているのは、ヒバリウグイスツバメモンシロチョウキアゲハトノサマガエルシオカラトンボホタルアブラゼミヒグラシモズの11種の動物と、ウメツバキタンポポサクラヤマツツジノダフジヤマハギアジサイサルスベリススキイチョウカエデの12種の植物である。いずれも、日本中どこでもみられそうな生き物たちばかり・・・。

 気象台の職員が、これらの動植物を観察し、その姿を初めて見た日を『初見』といい、初めて鳴き声を聞いた日『初鳴』というそうだが、最近、そんな話題はごく限られてしまい桜の『開花日』だけが注目されている感じがする。

これは、これらの動植物観察しようにも、気象台の敷地から姿を消しているため、観測が休止に追い込まれる事例が相次いでいるからだとのことらしいが、トノサマガエルやヒグラシなども見られなくなっているとは寂しい限り。しかし、なんとも違和感は残る。

記事によると、『トノサマガエル』がみられなくなっているのは、首都圏などの大都会ではなく、千葉県の銚子地方気象台というから、違和感はますます大きくなる一方。2011年以降姿を見かけないとのことだが、どうも異状気象に結びつけたいような思惑を感じるが・・・。

さらに驚くことは、『トノサマガエル』はかつては、東京都と神奈川県を除く45道府県で確認されたが、15年春に観測を実施したのは22県で、姿が確認できたのは栃木や三重など5県のみだというのも、私が描いている『トノサマガエル』の棲息できる環境では考えられないのだが・・・。

気象台がある場所は、東京はもとより県庁所在地などの都市部が多く、生息に適した場所は減っているという文面だが、これらの生物の観測エリアは各地の気象台の敷地内か、半径5キロ以内にある雑木林や水辺だと定義されていることから、いくら都市化したとしてもトノサマガエルが棲息できる池や湿地はあるはずだという疑問が浮かぶが・・・。

全国的にホタルやヒグラシも休止に追い込まれているのだそうだ。ホタルの棲息地が限られていることは理解できるが、ヒグラシはかっては44都道府県で観察記録があったのが、現在は37都府県しか観測を続けていないというのは、何とも腑に落ちない。日本中で、ヒグラシの鳴き声が聞こえない地域があるとは思えないのだが・・・。

どうでも良いような話題であるが、気象庁内部でも仕事の内容が見直されて、『生物季節観察』など、手間ヒマかかるアナログ仕事は無駄と切り捨てられ、コンピュ-タによる解析の天気予報が主力になって、生物観測などの分野の分野予算を回す余裕がなくなっただけの話ではないだろうか。それを、朝日新聞が温暖化に結びつけて世論を煽っている?・・・。

 ただ、『桜の開花』とカエデの『紅葉』は、マスコミが大きく取り上げることから、各地方の気象台は、それぞれの指標の樹木を決めて、観察を続けているというから、気象庁もこのあたりは抜け目ない。

その結果、サクラの開花は53年以降、10年ごとに1日程度早くなり、カエデの紅葉は10年ごとに約3日の遅れがでているというから、確実に冬の期間が短くなっていることは間違いないようだ。

今年の東京や横浜の『開花予想日』は3月23日だという。東京都内の小学校の卒業式は、私の知る限りずっと3月25日に固定されている。卒業式の定番である児童の呼びかけの出足は、4、50年前には『桜のつぼみも膨らみ始め・・・』だったが、いつのまにか『つぼみもほころび・・・』となり、最近では,年によっては『満開の桜の下で・・・』となっているという話も耳にする。

小学校の入学式では満開の桜の下での記念写真がつきものだったが、4月6日には葉桜になっていることも多いそうだからなんとも寂しくなる。その意味で朝日の意図も分からないでもない。

春の陽気に誘われて、朝日の記事に反応して、なんともしまらないつぶやきになってしまった・・・。(田舎親父)

2016年3月 5日 (土)

これは困った

 このところ車の暴走事件が多発している。その一つが、10日程前に、止まっていた乗用車が突然動きだし、赤信号を無視して歩道に突っ込み、2人が死亡、1人が重体、8人が重軽傷というを負ったという暴走事件が,大阪梅田で発生。

スクランブル交差点だという。この交差点の特徴は、信号が青になるまで待つ時間はイライラするが、歩行者にとっては、どちらに歩こうか勝手気まま。『車は絶対にこない安全地帯』という意識があって全くの無防備であるのが特徴だろう。

そこに、乗用車が暴走してきたのだから、私の正直な感想は、よくぞ、この程度の死傷者で済んだものというところ。お昼休みということが、(被害者には申し訳ないが)不幸中の幸だった?・・・。

第一報を聞いた時、また、てんかんの発作?と思ったものだが、突然の心臓付近の血管破裂と聞いて、そんなことがあるのかと驚くのみ。

数ある車の暴走事件の多くは、例外的に、秋葉原の自暴自棄になった男が、意図的に殺人を企てたものがあるが、そのほとんどが持病(主にてんかん)の発作か、あるいはスマホなどを使用していての前方不注意、あるいは、高齢者に良くあるブレ-キとアクセルの踏み間違いであるが、今回は、その質が根本的に違う。

続報では、(私の驚きに反して)心疾患などで車を制御できなくなったなど、運転中に急病に襲われるケースは決して珍しくないという。ここでも私の世間知らずをさらしてしまうようだが、そんな経験を持つ人の経験談を載せていた。

 記事にある女性は、数年前の6月、勤務先に向う途中の交差点で、先頭で信号待ちしていたとき、後ろから頭を棒で殴られたような衝撃があったという。ハンドルを持つ右手とブレーキを踏む右足がしびれ、冷水に突っ込んだように感覚が薄れていったとのことだが、何とか左足でブレ-キを踏んだので事なきを得たそうだ。

 以来、恐ろしくて車が運転できなくなったという。この事故を自分の経験から『だれでも加害者になり得る怖さがある』と改めて感じたと語っているそうだが、この方のようにスパッと運転をあきらめられれば良いが、仕事上どうしてもという事情で車を運転している人もいるのではと思うと、うっかり歩道も歩けなくなる。

 横浜の片田舎には、スクランブル交差点を見つけるのを苦労するが、東急電車の青葉台駅の駅前にある交差点がその一つであることを思い出す。そこに少しの間たたずんで、周りを観察して見たがそれらしき車を見つけることはできなかった。もっとも、たった一度の観察で、異状な状態の車を見つけられる方が異状ではあるが・・・。

梅田の交差点で暴走した運転手は、普段は身体には何の変調もなかったのだそうだ。幼稚園で保護者に講演した後、自分で運転してこの交差点で信号待ちをしていたところ、突然、車が動きだしスピ-ドを上げて暴走したというから、何らかの原因でアクセルを踏んだのは間違い。

運転手は死亡しているので、原因を特定するのは難しいだろうが、こんな場合、被害者の救済はどうなるのだろうと、私が考えても意味がないことは十歩分かっているつもりながら、やはり気になる。

 私も車の運転はするので、事故保険には入っている。一応対人は『無制限』となっているが、明らかに自分の方に過失があった場合は、決して保険会社は無制限に支払うことなどないことくらいは容易に想像できる。

 今回の場合、例え対人無制限という保険に入っていたとしても、保険会社としては本人の過失はないと判断するとは思えない。それどころか、全てが運転手の過失という結論になる可能性の方が高いのではないだろうか。

 それでも刑事事件にはならないだろうから、巻き込まれて死亡した人の遺族には、どんな補償があるのだろうか。ケガで入院治療した被害者の医療費も気になるところ。

 『突然の病死なら運転者を責められない』という声が大きいのは理解できるが、だからといって、遺族や被害者に対して、そのまま済まして良いはずはない。しかし、運転手に普段の生活状態では医学的な欠陥がなかったとなると、決してこの事故は人ごとでない。

 結論的に何も出てこないが、車は凶器であることを肝に命じるしか自分の身を守る手段がないことだけは間違いないところ。それにしても・・・である。(田舎親父)

2016年3月 4日 (金)

安全などは二の次・三の次・・・

 世論の反対を無視し、国策だとばかり強引に再稼働させた高浜原発4号機はすぐに停止を余儀なくされたが、すでに異常は再稼働前から起きていたこともあって、国民の安全性に対する疑問の声が大きくなっていることは、原発を否定する立場としては力強い限りであるが・・・。

先月の26日の再稼働と発表していた一週間前に、4号機の原子炉補助建屋の配管から放射性物質を含む冷却水が漏れ出したというニュ-スが流れたので、当然、原因追求に時間がかかるだろうから、再稼働は延期になるだろなと思っていたが、そんな期待は全く無視され、配管の弁のナットの緩みが原因だったとして、予定通り再稼働。

人間がやることだから、ミスはあっても奇怪しくないが、原発に限って、万が一のミスを見逃しては大事故につながりかねないことは、福島原発事故の後、繰り返し、しつこいほど言われ続けていたにもかかわらず、あたかも、『こんなミス一つでガタガタ騒ぐ方が奇怪しい』という関西電力の体質の異常性を感じる。

原子炉を冷やすことは原発の根幹にかかわる大問題だとは、福島原発事故で知ったことだが、この冷却水が漏れるということは、重大事故につながりかねないことは、素人の私でも考えられる基礎・基本であるにもかかわらず、単なる作業員の初期的なミスで済ませてしまう。

こんないい加減な再稼働となると、何か起きそうだとの予感がする。その予感通り、三日後、タービンを回し、発送電を始めた直後に、発電機や変圧器の異常を知らせる警報が鳴り響き、原子炉は緊急停止したというから、やはり、全てが安全よりはスケジュ-ルを優先しての再稼働であったことは疑えない。

『世界一厳しい』としている原子力規制委員会の新基準に『合格したから絶対安全』とのことだが、警報がなり原子炉が緊急停止した原因が全く不明だということでは、『もっとも厳しいはずの規制』はやはり大ザル規制だったことをうかがわせる。

 まして、高浜原発3、4号機は、プルサーマル発電による再稼働である。この方式は、プルトニウムを減らしたいためにプルトニウムを原料にするという、永久機関的な発想だというから、無理が無理を重ねての再稼働といって差し支えなさそうだ。その無理を,警報機が察知してくれたというところでは・・・。

 この際は、関電は警報機が発してくれた警告を重く受け止め、トラブルの原因究明はもとより、審査に通ったから新しい免震施設は作らないという無茶な発想を撤回し、安全なうえに安全を求める姿勢に転換してほしいものであるが、金儲け命の輩には、こんな声など届かないだろうな・・・と思うと虚しさが増すばかり。

 話は変わるが、福島原発事故について、早くからメルトダウンしていることは当り前の事実として受け止めていたが、東電が『メルとダウンしているかもしれない』と言い出したのは5ケ月以上たってから。その言い訳は、メルトダウンについてのマニュアルがないからだと言い続けてきたのではなかっただろうか。

 しかし、つい最近になって、実はマニュアルがあって、その規定通りだとすると、『メルトダウンと事故の3日後に起きていた』と発言したことに、なんとも無茶苦茶な話だと呆れてしまう。

 東電には原発非常事態のマニュアルが存在し、そこには、『核燃料の損傷の割合が5%を超えれば、炉心溶融(メルトダウン)と判定する』と明記されているのだそうだ。5年間、このマニュアルの存在に気がつかなかったと言い訳しているらしいが、そんなことがあるはずがない。

百歩譲って、気がつかなかったことが本当だとしたら、マニュアルなどは安全神話を作り上げるために誰かがでっち上げたものであり、東電の幹部はじめ現場の技術者たちは、そんなものはクソクラエ程度にしか思っていなかったようだ。こちらの方がはるかに恐ろしい。

 政府はもとより原子力規制委員会、そして電力会社の幹部たちは、口を揃えて『安全を最優先に情報公開を徹底・・・』と発言しているが、その実は『原発を基幹電力にするためのスケジュ-を最優先し、安全は言葉だけ・・・』というホンネが隠されているとしか思えない。

また、同じ結論になってしまうが、どこかでもう一度重大事故が起きない限り、原発を止められないのが悲しい限り・・・。(田舎親父)

2016年3月 3日 (木)

久々に良識ある判断・・・

『ホッとした』という言葉が真っ先に出る。認知症老人が徘徊して線路に立ち入って列車にはねられた事故で、JR東海が『電車に遅れが出た』として同居の妻や首都圏に住んでいた長男らに約720万円の支払いを求めた裁判の結果である。

この裁判には、最初からかなり興味を持って注目していた。一審はJR東海の言い分を認めた形で、妻と長男に監督義務があるとして、JR東海の言う通り720万円を支払えとの判決。これには正直驚炉いた。

裁判官は十分審議したと思いたい。我々が知らない事情の多々あったと推測できるが、判決をそのまま受け止めると、ボケ老人は鍵のかかった部屋に閉じ込めるか、それでも徘徊が止まらないとなると、首輪でもつけてつないでおけということになりかねない。これは問題で、とても『ハイ・分かりました・・・』とは受け入れることなどできるはずがない。

さしずめ、当時は歩くことが毎日の日課になり、知らない町に出かけることが楽しみになっていたこともあって、もしも自分がボケたら、真っ先につながれるのでは・・・とつぶやいたものである。

当然、この裁判は控訴になるのだが、二審も、長男の監督責任は無しとしながらも、妻にはその責任があると認めて、360万円を支払えという判決に、老々介護をしている年寄りからは一斉にブ-イングが起きたことも記憶が新しい。

私も、85歳の妻に、ボケ夫を監督する責任がある?。そんなバカな・・・と憤慨したものであるが、今回の最高裁は、妻の監督責任はなく、賠償金の支払い義務もないとの判断にホッとするものの、妻と長男に対して、8年間もの間の裁判費用はともかく、何よりもその都度裁判所からの呼び出しに応じなければならない時間と精神的な苦痛を、JR東海はどう償うのだろうと、こちらの方が心配になる。

この裁判で、これまで徘徊老人を抱えている家族(特に、元気でボケた夫を介護している妻などの場合)が、監督義務がないと気持ちがゆるみ、『好きなところを歩いてきなさいよ・・・』という(普段から相手に語りたかけたい)言葉の誘惑が生まれたとしたら、徘徊ボケ老人が溢れることになりはしないだろうか。

社会の責任だという声も多い。確かにその通りだろうが、老人施設に入れるには経済的な余裕がない人も数多い。また、施設に入れるのは忍びないと、無理にでも妻や子どもが身を削る思いで介護している場合が多いのが現状ではないだろうか。

徘徊こそしない、あるいは足腰が弱ってできないが、ほぼ自分が何者なのか理解できないという年寄りを介護している人もいるだろう。妻がその状態で、仕方なく老人施設に入居させたという友人がいる。

彼は言う。公的な施設ではないのでかなりの費用負担が必要だが、自宅ではとても介護しきれないから仕方ないと割り切っている。しかし、毎日面会に行くのだが、友人のことを夫だと認識できないので、その都度『あんた誰・・・』という顔をされるのが何よりも辛いと・・・。

身につまされる話である。いっそうのこと、奥さん亡くなれば良いのに・・・という言葉が口からでそうだが、ぐっと我慢するが、『早く死を迎えられたら、きっと楽になるのだろうに・・・』というのが、偽らない本心である。だからとて、人為的な死を迎えさせろとは口にできないが・・・。

最高裁の今回の判断は、妥当だと受け止めているが、老人介護という(されるかするかは別にして)私自身が確実に近い将来直面するだろう問題に、今回の判決を重ねて改めて考えさせられる・・・。(田舎親父)

2016年3月 2日 (水)

外野的には面白いが・・・

 日本のマスコミは、連日、アメリカの大統領の行方を大々的に報道している。アメリカ国民が選択するのだから、誰が選ばれても知ったことではないが、マスコミが流しているトランプ氏の過激な発言を、そのまま信じるとしたら、アメリカは大変な人物を選出しそうな雰囲気になっていることに面白いと感じると同時に、現代アメリカの持つ矛盾の大きさを知る。

 恐らく、アメリカのマスコミも、そしてそれ以上にアメリカ世論も、ここまでトランプ氏の人気に陰りがこないとは予想もできなかったのではないだろうか。『あんな無茶苦茶なことを言っても、口先だけで、できるはずがない・・・』というのが、普通のアメリカ人の常識であり、世界共通の認識だったはず。

しかし、その過激な発言が、アメリカ人が共通に持っている『世界でもっとも優れた民族』というDNA(プライド)を刺激したらしく、これまでの選挙戦を圧倒的な強さで勝ち上がり、共和党から十数人も名乗りを上げた競争相手を次々に蹴散らし、存在感はますます大きくなっていることに驚く限り。

アメリカでは、親子で大統領になっている、前ブッシュ大統領の弟までもが、まいった・・・と選挙戦から撤退というから、どうやら人気は本物。ここまでくると、トランプ氏が共和党の候補になるのではと思えてくる。 

一方、民主党はといえば、クリントン候補が圧倒的有利だという下馬評だったが、蓋を開けてみると、サンダ-ス氏という、日本人には全く馴染みのなかった候補者が,これまでアメリカの政治家が口にすることを避けていた、『社会主義』という言葉まで使って、経済的弱者や若者の支持を得て、クリントン候補とほぼ互角に戦っているというから今後の展開に目が離せない。

私としては、誰がなろうと知ったことではないと言いながら、サンダ-ス氏が大統領になってくれたら、アメリカが本質的に変わるだろうと期待しているのだが、弱者の代名詞とされている黒人層が、ある意味白人の代表と言っても不思議でないクリントン候補を支持しているというから、サンダ-ス氏は今後苦戦が続くようだ。

日本時間では、昨日の夜から大統領選を占うアメリカ暦の『ス-パ-チュ-ズ』が始まり、今日の午前中から徐々に結果が明らかになるのだそうだ。アメリカ全土の約2割で、候補者選びが進み、毎回、この日を境に流れが読めるらしいから、今日の午後から趨勢がはっきりするとのこと。まあ、半分以上可能性はないだろうが、サンダ-ス氏の票の伸び方に期待している。

トランプかクリントンのどちらかが、時期大統領になるのだろうが、トランプ氏は『日米安保などゴミのようなもの・・・』と常々発言し、クリントン氏も『TPPには反対する』と明言しているらしいとなると、どちらに転んでも、アホベ独裁の現政権は大慌てするに違いない。

アメリカからはこれまで以上に無理難題を吹きかけることもあり得るだろう。それを、今までのように唯々諾々と聞くだけの、いわばアメリカさまのポチに徹すれば、いかにおとなしい日本人でも暴動が起きるのではないだろうか。

その意味で、アメリカ一辺倒の現政権でも、変らざるを得ないだろう・・・という期待をしながら、今後の行方を楽しみたいと思っている。(田舎親父)

2016年3月 1日 (火)

市販テストがまかり通る不思議・・・

『テスト』という意味にもよるが、小学校での『市販テスト』は通知表の『○』の位置を決めるためと言い切っても過言ではないだろう。

仕方ないという声も聞こえてきそうだが、普段から、児童の学習の記録をしっかりとっていれば、少なくとも『市販テスト』などする必要がないというのが私の自論で、このことを一貫して通してきた自信がある。

もし、それでも不安なら、自分で授業をしてきたのだから、自分で問題ぐらい作れと声を大きくして叫びたい。というと、必ず『時間がない・・・』という答えが返ってくるがそんな安易な気持ちで、担任している児童の通知表の『〇』の位置を決めてほしくない。

今回糾弾された教員は、授業に追われて時間がなかったと言い訳しているらしいが、もっともな話である。市販テストをする時間があれば、理解に苦しむ子どもに対して担任として努力したと信じたい。

くり返すが、『これでこの単元は終ったので、テスト・・・』これで良いのだろうか。市販テスト肯定派は、『理解できたたかどうかテストで確認する』というかも知れないが、では、点数が不足している子どものケアをどうするかと問うと恐らく答えられないだろう。結局は、全くなにもしてないで、出来の悪い児童を落ちこぼしたまま次の単元に移るのが一般的ではないだろうか。

一般的どころか、全てと言っても過言ではないようだ。単に点数をつけて返してしまっては、子どもたちの理解度はそこで止まり、同じような問題でまたつまずくのは目にみえる。理解できなければ、塾にでも行けというのなら、あまりにも悲しく、教師としての矜持はとっくに捨てたとしか思えないが・・・。

それ以前に、少なくとも、『義務教育はこれを無償とする』という教育基本法の理念を守ることが、教育に従事する人間の義務であるならば、学校は教材費として親から何がしかの金額であっても、徴収することに躊躇する気持ちがなくては奇怪しい・・・。

現在のシステムでは、残念なことにそれができないことは理解できるが、せめて、できるだけ少なくするように努力することは、公立小中学校の教員として最低限身につけたいものである。

親も変である。今回の問題も保護者からの批判で明らかになったというが、自分の子どもの評定に、自分で支払った市販テストで決めてもらうことが当り前になっている風潮に奇怪を感じないのだろうか。

言葉を悪いが『私の子どものバカさ加減を、先生方のアルバイトで作られた市販テストで調べて下さい』と言っているようなものである。この市販テストは、半世紀も前から塾では授業の一環として使われているはず、塾に通っている子のテストの点数が良いのは当り前。このことが、常識中の常識であることを知ってほしい。

公立の小学校であるならば、子どもを点数で区別するのではなく、全ての子どもが満点を取れるようにすることが、その究極の目標であってほしいもの・・・。

 私の怒りは止まらない。記事によると、この教諭は、担任する児童38人の成績を付けるため、前期中に4教科で計28回のテストをしなければならないが、18回しか行わず、うち15回は未返却だったということに保護者からクレ-ムがつき、校長は緊急の懇談会を開いて保護者に謝罪したというから、何なのこの学校と校長は・・・と言いたくなる。

さらに、教育委員会は学校からの報告を受けて、『懲戒を含めて厳しく対応する』と発言しているという。これでは、現場の教員は、単元ごとにお仕着せの、しかも親から集めたカネで購入した『市販テスト』をやることが必定で、子どもの理解など二の次、三の次になっても良いということに他ならない。

これでは、『市販テスト』の点数を上げるための授業が当り前になり,教委がこれを是とするとなると、『学校は塾の風下』という風潮が広まり、塾に行かねばという脅迫概念は限りなく広がりそうだ・・・。(田舎親父)

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