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2016年8月

2016年8月31日 (水)

謝罪も訂正もない天下のNHK・・・

オリンピックの政治利用を禁止したのは、ナチス・ドイツが、オリンピックを『国威発揚』に利用したことの反省に基づいていることも事はよく知られている。

ベルリンオリンピックを徹底的に政治利用し、聖火リレーの導入やサーチライトを使った光の演出など、当時独裁者であったヒットラーが、その権力を世界に示した事は、教科書はもとより、数々の小説や文献が明らかにしている。

ベルリン大会は第二次世界大戦がまだ始まっていない1936年。当時からヒットラ-はユダヤ人を徹底的に嫌い、選手団から徹底的に締め出したことは有名な話であるが、アメリカをはじめ欧米諸国が最終的にこのベルリンオリンピックに参加した事から、ナチズムがドイツ国内で台頭し、あれほどの悲劇を生んだと言われている。

その反省から生まれたのが、オリンピック精神の根本原則を示した『オリンピック憲章』だと認識しているが、最近のオリンピックを見ると、まるでメダル獲得合戦。メダルをとる事が目標になって、そのために政治や経済の介入など当り前になっていることから、私はオリンピックというイべントを冷やかに観るようにしている。当然、パラリンピックも・・・。

しかし、実際に『オリンピック憲章』のどこにどのような文言でで記されているか確認していなかったのでネットで調べてみたところ、『宣伝と広告』という章に、以下のように記されている。
 『オリンピック・エリアにおいては、いかなる種類のデモンストレーションも、いかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない。オリンピック施設の1部であると考えられるスタジアム、およびその他の競技エリア内、およびその上空ではいかなるかたちの広告も許可されない。スタジアム内あるいはその他の競技グラウンド内では、商業目的の装置や広告用の看板などの設置は許可されない』
 さらに『なんらかのかたちでの宣伝や広告を許可するための原則および条件を決定する権限は、IOC理事会だけが持つものとする』とある。

前項で、『政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められない』との一文は、確かに政治利用を禁止していると受け止めて良いだろう。が,後の項では、IOCの許可があれば、経済的な宣伝は可能だと解釈できるところがかなり気に入らない。

IOCが物凄い力を持っていることが確認できるからである。これでは、オリンピックの招致合戦で、IOC委員たちを接待し、何とか良い返事をもらいたいと狂騒するはず。そこには、ワイロまがいの不透明なカネとモノ、利権が横行するのも当り前だろう。

ところで、リオ・オリンピック閉会式は、わが国のアホベ首相閣下は、東京を紹介するアトラクション映像の後、人気ゲームの主人公であるマリオの姿で土管から姿を現したらしいが、この事について『オリンピック憲章が禁じている政治利用違反に当たる』として国内外から顰蹙を買い、厳しい批判の的になっているという記事を見つける。

確かに、ヒットラー総統が、『ベルリンオリンピックを政治利用した』という構図そのものである。これは『日本のトップは、オリンピック憲章も知らないのか』という極めて恥ずかしい批判で、世界に恥を晒したことになるが、あらかじめ、IOCに届け出ていて許可を受けたとしたら・・・。拡大解釈すれば、これもIOCの強大な権力の一つだと強弁できない事はなさそうだ。

この事は、改めてつぶやくとしても、公共放送なのだから、国民から視聴料を集めるのは当然だとする『天下のNHK』の、それもさまざまな事件や事故、あるいは難しい問題などを国民に、物知り顔で解説する立場の解説員が、オリンピックのメリットの第一に『国威発揚』を上げているのは、明らかに『オリンピック憲章』と真逆のビックリ解説。

まさか、この発言をあらかじめIOCに了解を求めたとは考えられない。了解を求めたら,拒否される前に『お前はアホカ・・・』という一言が返ってくるだけで、『オリンピック憲章を知っていながら、こんな解説をするのなら、東京大会を取り消すぞ』と言われても仕方ないだろう。

要は、NHKのこの解説委員はオリンピック憲章を理解していないことを世界に発信した事になる。これは恥ずかしい。これでは『国威発揚』のためのメダル獲得合戦を、最も影響力があるNHKが率先して煽っていることになる。これも世界の笑い物・・・。

私でもわかる初歩のさらに初歩的なミス。すぐにゴメンナサイがあるのかと注意深く見ているのだが、今日までこの事についての謝罪はない。

もう少し批判が高まることを期待しているのだが、JOCはもちろんIOCも委員たちが『オリンピック憲章などは飾り物』だと思っているのでは、国民が、この解説にうなずくのも、そして、オリンピック憲章に違反していることに気づかないのも(情けないが)仕方ないと思わざるを得ないようだ。

金メダルを獲得した選手には絶大な賛辞を与えるのはともかく、日本人として史上初めてとなると、銀でも銅でも、金メダルに負けないほどの称賛の声を上げるが、レスリングや柔道の選手が、期待されていた金メダルではなく、銀メダルや銅メダルを手にして『すみません』と謝罪するのも、わが国だけの変な風習らしい・・・。

そして、その涙の謝罪を称賛するマスコミ自体、『オリンピック憲章』を理解できていないことになる。オリンピックの前には、なんでも『是』とする風潮は、まさに『一億総痴呆症』を端的に示しているような気がするが・・・。(田舎親父)

2016年8月30日 (火)

自衛隊員の命が?・・・

 先日、自衛隊の大規模な演習で、一日の訓練に実弾使用など含めて約4億円の費用が吹っ飛んだと一部のメディアが伝えていた。この何ともバカバカしい無駄遣い対して、怒りを通り越してむしろアホらしくなってくる。

その訓練の一部をNHKが放映していたが、戦車が駆けめぐり実弾が炸裂する模擬戦場で、言葉は悪いが、壮大な戦争ゴッコのような光景。それを観覧席(だろう)で、抽選で当たったとされる2万5千人以上の国民が、決定的瞬間を見逃すまいと真剣な顔でカメラを構えて待ち受けている姿に、この人たちは興味だけで集まり、『実際に自分が戦場で戦う場面』は思い浮かべることなどできないのだろうが、そんなお気軽なことで良いのと問いかけてみたい衝動が走る。

今日も変な書き出しになったが、自民党政権は野党の反対などを数の力で封じて、国会無視ともいえる強引な手法で、『集団低自衛権の行使』など国の根底を揺るがすような安全保障に関する政策を強引に通してしまった?ことで、自衛隊の任務に深刻な変化が起きようとしていることに厭な予感がするためである。

書き出しでつぶやいた大演習も自衛隊の新たな任務に関する訓練の一つだとのことらしいが、いよいよ『安全保障関連法』は運用段階に入ったようだ。

今まで戦後70年間守り通してきた平和国家という『国のかたち』を、政権の強引な憲法解釈で変えてしまい、自衛隊員を地球上どこにでも派兵できるようになると、もしも偶発的に何らかの理由で小競り合いが生じことはあり得るだろう。その結果、一発の銃弾が自衛隊員の命を奪ったら、誰が責任を持つのだろう。

国を守るためには自衛隊員の命が奪われても仕方ないというのだろうか。そんなことは許されることではない。が、現政権のいう『国』とは一体何を指しているのかは、新しく任務に加わる『アメリカ艦船の護衛』という言葉が、端的に現しているように思えてならない。

確か、アホベ首相は、『邦人を乗せたアメリカ艦艇を守るのは当り前』と、アホなことを繰り返していたが、そんなことは絶対にあり得ないことが明らかになると、『同盟軍の艦艇を守るのはわが国の務めで当然あり得ること・・・』と言い方を変えているのだから、アメリカさまから『守備につけ』という一片の命令で出動もあり得ない話ではない。

アメリカ軍に弾を打ち込む国などないと断言する評論家も多いが、アメリカを敵国と名指している北朝鮮は、射程距離が1000キロ以上ものミサイルを何発も発射し、かなりの成果を上げていることから、こんな説明は何の意味も持たないことは明らか。最近だけでも日本海に何発も落ちており、その殆どが、事前にいつどこから発射されるのかもわからないとなると、偶発的に自衛隊員の命を奪うことも十分あり得る話である。

 自衛隊の新たな任務には、アメリカ艦艇警護以外にも、現在の国連平和維持活動(PKO)で、関係者らを襲った武装集団などへの反撃に向かう『駆け付け警護』や、他国軍と協力しての『宿営地の共同防衛』などがあるという。

日本のPKOは国際的な『人的貢献』だとされている。そのことにも疑義を持つが、このことはともかく、現在南ス-ダンに派遣されている自衛隊の部隊が、11月から交代し、新たに派遣される部隊からは、『駆け付け警護』や『宿営地共同防衛』などの任務が加わるとのこと。

南スーダンでは、停戦合意が7月に破られて、政府軍と反政府勢力との間で戦闘が再燃し、数百人が死亡したというニュ-スも最近流れていることから、そこは戦場そのものである、どこから弾が飛んでくるかわからないとなると、自衛隊員は死と隣り合わせの環境の中で任務についていると言っても過言でないだろう。

私自身、映画でしかこのような光景は知らないが、派遣された自衛隊員は(下級隊員であればあるほど)自動小銃を構えて、いつ襲ってくるかわからない相手に対応できるような緊張の連続だろうことは想像に難くなく、犠牲者が出るのにさほどの時間は必要ないような気がしてならない。

話の筋書きは大きく飛ぶが、これまでも帰国後ストレスで自殺した自衛隊員が複数存在することは公然の秘密ながら、マスコミが表立って報じないのだから国民の殆どはそんなことには無関心。

自殺した自衛隊員と遺族の気持ちを思うと、なんともとも情けなく悲しくなるが、現政権は、これまでは一発の弾も撃たず一人の犠牲者がないことを自慢し、これからも犠牲者は絶対出さないと胸を張っている。しかし、今回の任務追加で、全く根拠のない話になってしまったようだ。

近い将来、戦闘に巻き込まれて命を落とす自衛隊員が出る可能性は限りなく大きいと想像している。その時政権は大慌て、現地での事実関係などの情報を徹底的に隠し通すだろう。最初の犠牲者は国葬扱いで、遺族には(公表されない)莫大な補償を約束して口を封じるだろうことも、これまでのやり方から何となく想像できる。

現政権はそれで責任をとったことにするのだろうが、戦争に駆り出されることが明らかになれば、いくら待遇がよくても・将来を保証されようとも、命には替えられないという若者(親も)は増え、自ら自衛隊志望者と確実に少なくなることは明らか・・・。

こうなると、自衛隊という名の国防軍組織は成り立たない。隊員確保には今まで以上の露骨な方法が講じられることも想像に難くない。

当然、現実味を帯びるのが『徴兵制度』だろう。現在も、実際には『経済徴兵』だと指摘しても間違いなさそうだが、このため膨大な人件費が必要になっている。この予算が殺傷能力の高い兵器の充実に回せたら・・・。

兵役が国民の義務となれば、それが可能になる。権力者たちが発する気持ちの悪い舌なめずりの音が聞こえてくるようだ・・・。(田舎親父)

2016年8月29日 (月)

五輪がらみで『共謀罪』成立?・・・

 昨日は、日曜日(つぶやきを忘れる日)であるにも関わらず、つぶやかざるを得なくなってしまったのは、土曜日の東京新聞の一面トップ記事。

 その扱いは、昨日述べたように、東京新聞では最も大きな横文字活字でしかも下線つき。・・・共謀罪を『テロ準備罪』・・・という文字列である。しかし、ネットでは活字の大きさや並び方などは現せないことから、実際の紙面の様な迫力が出ないのが残念なところ。

東京新聞の読者はそれほど多くないだろうから、その記事の前文だけそのまま引用しておこう。(引用開始)政府は、重大犯罪の計画を話し合うだけで罪に問えるようにする「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を、九月召集の臨時国会に提出する検討を始めた。政府高官が二十六日、明らかにした。「共謀罪」の名称を「テロ等組織犯罪準備罪」に変え、対象となる集団を絞り込むなど要件を見直す。二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックを見据えたテロ対策強化を強調している。〇三~〇五年、三回にわたって国会に提出されるたびに国民の反発で廃案となった法案が、復活する可能性が浮上した。(引用終了)

 記事には、官房長官は記者会見で、『国際社会と協調して組織犯罪と戦うことは極めて重要』と発言したあるところから、記者会見には他のマスコミ各社の記者もいただろうに、読売や産経はともかく、朝日や毎日が取り上げないのがひっかかる。

長官は、この種の法整備を進めていく必要があり、法案の内容は、慎重に検討していると例によってシラッ-としたヌエ顔でのたまっていたのだろうが、この御仁が言う『慎重に検討している』とは、すでに具体的に決めていることと同義語である事は、今までの会見からも明らか・・・。

提出時期も『決まっていない』と述べているらしいが、オリンピック熱が冷めない秋の臨時国会で提出し、国民の反応を眺める作戦は疑うことはない。

記事では、今まで提出し廃案になった『共謀罪』と今回出された法案との差を一覧表で現している。それを見ると、改正案は、以前の法案の『団体』から、テロ行為などの重大犯罪の実行を目的とする『組織的犯罪集団』に限定している。

罪となる要件として、犯罪の計画を話し合うだけでなく、実行のための資金確保といった準備行為が行われていることも対象になるというから、話し合いだけでも逮捕するぞという脅しは変わらない。

しかし、この政権にはチエ者がいるらしく、この文書を読んで、一般国民を納得させる反論は難しい気がしてならない。特にオリンピックが終わった直後の今なら、『テロがあったら大変』『テロはなんとしても防止しなければならない』と一億総論になっても奇怪しくないほど、テロが防止できるなら、この法律はどうしても必要だと思わせる雰囲気を感じる空である。

確かにテロ対策は重要な課題である事は否定しないが、日本がテロ集団の標的になるようにさせたのは誰あろう、首相とその取り巻き連中の安全保障に対する考え方や行動であることは忘れてはならない。

アホベ首相に至っては、わざわざ中東に出かけて、過激派集団を殲滅するためにと数億円をバラマキ、さらには、イスラム諸国の憎しみの対象であるイスラエルの首相と両国の国旗を背にして握手をしているのだから、テロ集団としては『日本も標的』としたくなるのは当然の成り行き。

一部メディアは、昨年11月のパリ同時多発テロを受け、『共謀罪』が必要だという声が政権内部で広がったらしいが、また廃案になっては顔が立たないという慎重論で見送ったと伝えているのも気になるところ。

オリンピックで盛り上がった頃合いを見計らって、国民の理解は難しい『共謀罪』という名称ではなく、東京オリンピョクの成功のためには、『テロ犯罪防止』というオブラ-トで、中身を包んでしまえば、国民は『必要だ、わかった』となるとの読みに違いない。

まして、7月の参院選挙で勝って、数の力で圧倒しているのだから、怖いものしらずで、一挙に閣議決定ということもあり得そうだ。

この法案の中身は三度も廃案になった『共謀罪』が狙う本質は変わらないことは、添付されている表からも読み解ける。『テロ対策』という国民にとっては必要だと思わせる言葉の持つ力を利用して『共謀罪』の本質を隠している。実に悪意に満ちた狡賢いやり方である。

テロ防止は現行法でも十分対応できるはずなのに、この法案を成立させたら、拡大解釈されて、ネットで政権を批判する書き込みをするだけで処罰されることもあり得る。私のつぶやきなど読む人が少ないので、治安当局の眼に届いているとは思えないが,もしも誰かか『こんなことを言っているが・・・』と密告したら、アブナイ・アブナイ・・・。

 そこまでは考えすぎだとしても、何らかの行動を準備していることを調べるためには、密告は当り前になるだろう。相談や合意があったと証明するために、警察がマ-クしている個人や団体に対して日常的な監視活動(盗撮や盗聴)が必要になるだろう。

現に、参院選挙では別府警察が野党支援団体などの入る建物の敷地に隠しカメラを設置していたことが明らかになっていることから、準備はすでに始まっている。

 こんな恐ろしい法案について、東京新聞だけが取り上げている。私はこの事実がなによりも恐ろしいのだが、こんなつぶやきが広がるのは難しい。

 現政権は、秋の国会に『テロ防止法案(共謀罪=治安維持法)』を提案するようだが、その時、野党はどう反応して、マスコミがどう報じるのか注意深く監視しなければと強く心に決めているが・・・。(田舎親父)

2016年8月28日 (日)

台風に教えられる屈辱?・・・

 最近は日曜日はつぶやきをやめる日としているが、昨日の東京新聞の一面に横文字の最大限の横線入りの活字で―― 共謀罪を『テロ準備罪』 ――という文字列を見てビックリ。つぶやかざるを得なくなる。

 早速、朝日新聞に『テロ準備罪』という文言を探すがない。ネットで他の新聞を調べるが、いずれも見当たらない。となると、東京新聞の特ダネ?となりそうだが、こんな重大なことを見逃しては、大新聞の沽券に関わるはず。

この『テロ準備罪』は数日様子を見てつぶやくとして、2020年の東京オリンピックがらみである事は間違いないので(商業主義に成り果てているオリンピックには全く感心がないが)東京で開催されることになっているオリンピックのアホさ加減について少しつぶやくことにする。

先日、リオデジャネイロで開かれていたオリンピックの閉会式があり、アホベ首相が土管から人気ゲ-ムの主人公の姿を真似て登場したらしい。国を上げて東京大会を成功させるというアピ-ルだとマスコミは大喜びで伝えていたが、これってオリンピックの政治利用そのものではないだろうか。

天下のNHKは解説員に、オリンピックの一番大事な意味として『国威発揚』と言わせているのも恐ろしいが、政治利用も国威発揚もオリンピック憲章では禁止していること、これらを平気で破っているどころか国民に力で示しているのは許し難い。さらに酷いのはマスコミが追随して国民に不信を持たせないところ・・・。

この事も後日にするが、リオ・オリンピックの閉会式の行われていた日本時間の8月22日は、強い台風9号が首都圏を直撃したことを忘れてはならない。

東京オリンピックの日程は、7月24日から8月9日になっている。日本人が絶対に忘れてはならない事は、2回も原子爆弾の被災国になり、数十万人もの犠牲者を出したという事実である。しかし、広島原爆忌の8月6日は卓球や陸上で盛り上がる日、長崎原爆忌の9日に至っては閉会式でマスコミは大騒ぎになるだろう。

誰がこんな日程を決めたのか知らないが、原爆被災のことを意識的に忘れさせるような日程といっても差し支えなさそうだ。日本人で構成されているJOCや大会運営委員会が自らこの日程を決めたとは思いたくないが、嬉々として受け入れていることから、東京オリンピックは原爆を忘れさせるイベントになる事は間違いないところ。

なんとも情けなく虚しくなるが、パラリンピックの開催が8月25日~9月6日。今年は、台風の発生が遅く上陸台風が8月の中旬になってからだが、台風の上陸は、例年7月~9月に集中していることに注目したくなった。

暑さ対策は、競技時間の変更などで何とかなるのではと思うが、新国立競技場は屋根がない設計だとすると、台風が直撃した場合、中止にせざるを得なくこともあるだろう。まして水上で行うボ-トやヨットはもちろん、はじめて取り入れられるサ-フィンなどは風雨の影響をもろに受け、いち早く中止にしなければ選手の命の危険が出てくる事も十分あり得る。こんな議論はこれまで一切マスコミが取り上げなかったのも変な話である。

ちなみに、気象庁によると、2015年までの過去60年間に、台風が北海道から九州に上陸したのは170回で、このうち85%の144回が7~9に集中しているというのも不気味なデ-タである。

 台風10号が、ジワジワ首都圏をうかがいそうな動きをしていることも不気味だが、最近の台風には、頭脳を持っているのではと思わせような動きが多く、4年後、こんな台風が、今回のトリプル台風ではないが、襲ってくると想像するとこれは面白くなりそうだ。

 原発事故の収束には気が遠くなそうな時間が必要。私は、世界の良識は、日本が東京オリンピックを返上するのが、今後のためにも正しい選択と思っていると想像している。ところが、日本人の殆ど全員が、この事に気づかない?。あるいは、気づいていても気づかないフリをしている(させられている)。

台風に、さらにアホな国だと教えられる屈辱を回避する意味でも、もう一度考えた方が良いと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年8月27日 (土)

焦りと欲張り過ぎ・・・

何度かつぶやいた話題だが・・・。学校教育の基本となっている『学習指導要領』は、ほぼ10年に一度の割合で改めているが、次は、小中高校では2020年度から順次、新しい指導要領が実施される段取りになっている。

文科省は『改定』と称しているが、学校現場からみると『改悪』が続いているといっても奇怪しくない。次の『改定』も、あの悪名高い『中央教育審議会(中教審)』が公表した青写真をみると、ますます学校が窮屈になりそうだと思うのは、私の偏見だけではなさそうだが・・・。

学校の先生が楽しくなるような改定なら大歓迎だが、改定の度に、先生たちに余裕がなくなるのは困ったもの。

 中教審の言い分には反論しにくいようなご立派な文言が並んでいる。『グローバル化や情報化、少子高齢化が進み、社会の将来予測は難しい』とはその通りで、そのために『与えられた課題を効率良くこなす力よりも、新たな価値を創り出す力の育成が大切だ』というのも、なるほどごもっともかもしれない。

 しかし、何を学ぶかに加えて、何ができるようになるかという成果主義の考え方を重視しているのは気になるところ。それらを可能にするための学力保障の手段として、授業の柱に『アクティブ・ラーニング』を据えるよう促しているが、この言葉の意味を理解させるためだけに、現場には新たな研修が課せられることになりそうだ。

 『アクティブ・ラ-ニング』とは、一般的には、先生が一方的に教えるのではなく、子どもたちが主役となって議論したり、調べたりして協力しながら考え、学ぶ方法だと定義されているようだが、その事を本当に理解できない限り、(言葉は悪いが)『考えろ』と言うだけで子どもたちほったらかしにしてしまいそうな予感がする。

 『総合的な学習の時間』が新設された時、私は、やっと学校が授業を作れる時代がきたと大歓迎したが、残念ながら(殆どといっても過言ではないほど)多くの学校では、何を教えるかが理解できず、すぐに文科省にSOSを出した苦い経験を思い出す。

結局、それが主因(だと私は思っているが)で、始まった時から『学力低下』と騒がれ、『ゆとり教育』などという言葉を生み、それが諸悪の根源であるかのごとく広がったことは忘れられない。その反動で、前回の『改定』では、週のコマ数を同じで学習内容を増やしたものだから、ますます学校の余裕がなくなっていることは今更述べるまでもないだろう。

 討論の場を増やして、さまざまな見方や発想と触れ合えば、参加意識が高まり、やる気に火がつく子が増えるかもしれないという説明はわからないでもない。うまくかみ合えば、他者を思いやり、個性を認め合うという成長も期待できるだろうが、繰り返しなるが、これらの事は全て先生に相応の指導力があればの話である。

 ほったらかしにして子どもたちの討論が深まるはずがない。そこには、周到な授業の準備と、教材づくなどこれまで以上に工夫が必要になる。クラスには自分から進んで挙手しない子も多いことから、積極的に発言する子の意見が、そのまま通ってしまうことも少なくない。それを教師は正しく導き、しかも一人一人を成長させ、それを評価しなければならないのだからこれは大変である。

しかも、自信のない子も控えめな子、さらに障害のある子への目配りを欠いては、学力格差はさらに広がることは間違いない。

 今回はその上に、グロ-バル化に対応するためには英語が大事だとして、小学校では週1時間だった5、6年生の『外国語活動』が英語を『教科』として、週教2コマを割り当てるなど、年間総計で140コマ増えるが、これをどうひねり出すか具体的な指示はない。学校に丸投げ?・・・冗談ではない、学校は現行指導要領で時間割はいっぱいである。どう折り合いをつけるのだろう。学校の裁量で何とかなる問題ではない。

 それ以前に、小学校で英語を教えることなど想定していなかったのだから、現在の小学校の教員養成課程には『英語』という言葉はない。恐らく今では、教員免許状を得るために英語が入っているだろうが、少なくとも30台後半から上の年代の教員には、英語教えるなどできるはずがない。

他の教科なら、『教師用指導書』で何とか誤魔かすことができそうだが、文科省の言う英語は、外国人と英語を介して意思の疎通ができこととなると、このハ-ドルは大きい。このために、各学校にはALTという外国人の英語補助教員を置いているが、いつまでもこの制度で乗り切れるはずがない。

 さらに、インタ-ネットが当り前の時代で今後ますます進むだろう情報化をにらみ、小中高校の『プログラミング教育』を充実するというのも、少しどころか多いにひっかかる。

『プログラミング教育』や小学校の教員免許状と英語との兼ね合いなどは、ここでは省くが、中教審の示した新指導要領『案』には、このままでは世界に遅れをとるという焦燥感が漂っているように感じるのは私だけではないだろう。

しかし、そのために一番必要な、先生の過重労働を改善し、創意工夫のための裁量を担保がないのだから、この案が、そのまま実施されたら現場は疲弊することは間違いないと断言できる。

 私には、この底流に『一流国にならなければならない』という文科省(政府・政権)の焦りがあるのだろうが、欲張り過ぎとしか思えない・・・。(田舎親父)

2016年8月26日 (金)

農地保全の政策に期待する・・・

 このところ横浜の片田舎では、大きな敷地の旧家(元農家)が突然取り壊されて、たちまちのうちに更地になり、その後時間を経ず、細かく分割されて『高級住宅』として売り出されることが、(私が実際に眼にして記憶している限り)ここ5年ほどで10数カ所近くあるから大流行と表現しても言い過ぎてはないだろう。

つい最近取り壊された旧家の後地は、一区画が40坪ほどに分けられた10数区画に分割された建て売りの住宅地として売り出されたが、たちまちのうちに売り切れて、現在そこに住宅の建築が始まっている。

 取り壊される前の旧家はどっしりとした門構えの屋敷で、時に開いている門から中を眺めると樹木が生い茂る空間が広がっていた。表札から、この地域の昔からの農家の一族であことは推察できる。

 何故、突然取り壊されたのかは定かではないが、同族の方の話しによると、相続税を収めるためには仕方なかったのだそうだ。

そんな光景を目の当たりにして、(かなり前の話しになるが)親しくしていただいた先祖代々続く農家の方が、税金に泣かされると嘆いていた事を思い出す。その方は男の子が3人おられるのだが、それぞれが会社勤めで農業を継ぐ気はない。

自宅周りの農地は市街化地域で宅地並課税。(記憶が曖昧だが)一反(300坪)に年間30万円の税金がかかるとのこと。しかし、『市街化農地』を選択したら、税金は10分の一に軽減され、しかも誰かが相続したら、相続税もかなり優遇されるのだそうだが、息子たちは農業が厭だと言っているので強要できないという悩みを抱えていたようだ。

長男が不動産業界に入ったのは、税金対策に悩む親が働きかけたのか、それとも、折角の相続できる財産を、税金で持っていかれないための知識を得るためだったかは定かではないが、しばらくしたら、広い農地の大半はアパ-トや駐車場、あるいは建て売り住宅に姿を変えていた。

間もなくその方は亡くなり、長男が不動産会社の社長として、親から引き継いだ農地の管理をしているようだが、今回取り壊された農家は、何らかの理由でうまく相続できず、相続税を収めるために土地・建物を手放したのだろう。

これ以上横浜の片田舎の人口が増えてほしくないと思うのは、自分の利己主義だということは十分承知している。が、今回のようにが、大きな屋敷がなくなり、そこに最近流行の住宅が建つのは仕方ないとしても、四季折々の野菜が育っていた農地は、近所の人々にとっては広い空が広がる憩いの空間に違いない。となると、なんとか残したいと思うのはごく普通の感覚ではないだろうか。

農地が突然、相続がらみで数棟のアパ-トや駐車場になってほしいと思う人はまずいないだろうが、農地の所有者の事情がある事から、役所に不平や不満をぶつけても取り上げてもらえるはずがない。ただただその変貌を受け入れるだけしかない。 

そんな事を思っていると、先日の新聞に、『国交省と農水省は、全国の市街化区域にある農地を相続する際に税を猶予する特例制度について、農地を賃貸して耕作が継続される場合も対象とする方針を固めた』という記事を見つけた。

やっと国は重い腰を上げるらしい。市街地の農地(緑)を守ることで美しい景観を維持し、防災機能も強化できると判断して、相続人自身が農業を続ける場合に限り、相続税の大部分が猶予される制度にメスを入れるようだ。

 市街化地区の農地は、(すでに述べたように)基本的に相続税などが宅地並みに課税されているため、相続に伴い、農業を継ぐ後継者がいないと泣く泣く農地を手放さざるを得なかったが、農地として人に貸しても良いとなるとこれは朗報。

 市街化調整地区では、税金が安いので、農業を続けられなくなった高齢な農家の人たちは税金分の賃料で農地を貸出しているが、多くの場合、借り主は自宅からはかなり距離があるため、よほどの体力と気力が無いと、借りた土地を有効に使うのが難しいのが現実でである。

 しかし、隣の農地が安く借りられるとなると、希望者が殺到するのは想像に難くないが、よほど上手いシステムを作らないと、トラブルが発生しないとも限らない。

国が打ち出した今回の方針には期待したい。が、ご多分に洩れず、法改正にはビジネスチャンスとはかり、金儲け命の輩が群がってくることも容易に想像できるとなると、しっかりとした制度設計が必要だろう。

『法は改定するが後はどこかに丸投げ』という今までのやり方では、かえって混乱することは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2016年8月25日 (木)

トンデモ事態に・・・

 中国の動きがかなり露骨になっているようだ。南シナ海では、岩礁に毛が生えた程度の陸地を我が領地だと宣言し、そこに大量の物資を投入して埋め立て、たちまちのうちに3000m級の滑走路を持つ一大軍事拠点にして、実際に軍事拠点として使用しているというから恐ろしい。

この中国の拠点獲得戦略は一カ所に留まらず、複数におよび、しかもその海域はフィリピンはじめベトナムやマレ-シアが自国の領海だと主張しているというから、これらの国の一つでもが、対応を間違えればアジア全域でドンパチが始まりそうな雰囲気が漂いはじめている。

中国のこの動きは東シナ海でも顕著になり、日本が自国の領域だと宣言している尖閣諸島周辺への中国公船の侵入が連日続いているとマスコミが報じている。記事には、『中国海警局所属の公船』とあるように、明らかに巡視艇(軍艦?)を想像させることからいよいよ危なくなってきたぞという恐れを感じる。

領海内に浸入した公船を見つけると、海上保安庁の巡視船が、領海外へ出るよう呼びかけ手いるが、中国公船は無視するどころか、『わが国(中国)の管轄海域でパトロールをしている。貴船は我が国の管轄海域に侵入した。我が国の法律を守ってください』と応じるというから、なんとも始末に困る話。

実際にこの様子を伝える映像がないので、中国公船が本当にこんな事を言っているのかはっきりしないが、事実だとしたら、互いに自国の領海だと言い合っていることになる。これはやっかい名古とで、まるで動物同士の縄張り合戦という構図。

日中の指導者たちは、それなりの見識を持った人物だろうから、『けしからん、武力で追い返せ・・・』という短絡的な発想にならないとは信じたいが、中国公船の乗組員の中には血の気の多い輩もいるのではないだろうか。

完全に、軍隊の組織の中に組み入れられているのなら,(命令がない限り)いきなり機関砲をぶっ放す跳ね上がり行為はないだろうが、数年前に海保が公開した中国漁船と海保の巡視艇の、かなり緊迫した映像のように、水や煙で応酬することは十分あり得えそうだ。

この海域には、ここ数年、中国の多数の漁船が日常的に操業しているという。ある情報によれば、数年前には日本の漁船も操業していたが、現在では、トラブルを避けて殆ど近寄らなくなっているのだそうだ。

まして、中国の軍艦がウロウロして『わが国の領海で自国の漁船の安全操業を守るのは当り前』と言っているのだから、ますます日本の漁船は危なくて近づけなくなるのは当然だろう。

(私には理解できないのだが)尖閣諸島は個人の所有になっていたそうだ。それを元東京都知事のお騒がせジイサンが、都が買い取ると言い出して、募金をはじめ、相当額集まったことはマスコミが賑やかに伝えていた。

そこに、当時の民主党の汚染ドジョウ首相が、国のメンツとばかり、国が所有者から買い取り、国有化すると宣言したのではなかっただろうか。これに中国が激しく反発して、意識的に多数の漁船をこの海域に出して操業するようにしたという話がネットを賑わしていた記憶がある。

あり得る話である。中国は共産党が一党支配する国なので、周首席の考え方で政策が決まるのだから、力でもって『是』にすることが可能である。

あくまで私の想像だが、日本の国営化宣言に対して、中国共産党中央の命を受けた地区の役人が、漁民たちを集めて、中央の方針として『尖閣諸島はもともと中国の領土であるのにも関わらず、このほど日本政府が勝手に自国の領土だと宣言したのはけしからん。武力で屈伏させるのは簡単だが、アメリカが煩いので、ここは日本の漁船が近づけないほど、皆さん船を大量に出し操業しなさい』と訓示をたれたら、雲霞のごとく尖閣諸島に中国漁船が集まることは容易に想像できる。

海保の数隻の巡視艇だけでは、これらの漁船をとても制御することは不可能。『ここは日本の領海だから近づくな・・・』とボリウムを最大にした拡声器で、漁船を威嚇するのが席の山ではないだろうか。悲劇的な想像だが、国有化宣言をした直後から、この海域は中国漁船だけの漁場となり、日本の漁船が近づけなくなっているような気がしてならない。

 そして中国は、ここにきて公船(軍艦)が4隻を常駐させて、自国の漁民を守るというのだから敵ながらなかなか考えた戦略である。

 手詰まりというか、打つ手がないアホベ政権としては、例によって、『アメリカと緊密に連携をとって適切に対処する』というお得意のフレ-ズを繰り返しているが、本心はアメリカさまの援護を頼りに、海保に代わって自衛隊を派遣したいのではないだろうか。

 話は唐突に飛躍するが、先日、アメリカ軍岩国基地に、アメリカ本土以外では初めてになる最新鋭ステルス戦闘機F35を16機配備ということが明らかになったという新聞記事がひっかかる。

 まさかとは思いたいが、現政権は自衛隊を国防軍にすることを目標にしていることから、自国の領海から中国公船を追い出すのは、まさに『国を守る』という説明ができる。マスコミもそれを『是』とするように圧力をかけるだろうから、自衛隊に国防軍としての働きさせて、既成事実をつくる絶好のチャンスと思っているのでは・・・。

16機の最新型の岩国基地への配備は,中国に対する威嚇で、中国からの手出しを誘い、国防のための武力行使というシナリオを描いている?・・・。

いよいよ『平和』という言葉も、実態の伴わない上辺だけの『綺麗語』になりそうな気配が漂いだしたようだ。(田舎親父)

2016年8月24日 (水)

公立中学校の制服について・・・

 先日、朝日新聞が公立中学校の制服の価格についての話題を提供していた。私も、随分昔、このコ-ナ-で、中高の制服の価格が高過ぎるとつぶやいたことを思い出し、過去の記録を探してみた。

この10年間、殆ど毎日のようにつぶやいているので、その数は3千をくだらず、しかも、ジャンル別に整理していればまだしも、ただ月ごとにまとめているだけとなあって探すのは難しかったが、やっと2006年の2月にその一文が残っていた。

当時は、退職してさほど時間が経たない時なので、小学校から届く卒業式の案内に、そんな時期になったのかは感慨深い気持ちになると同時に、保護者にとっては物入りな季節がきた事を思い出してつぶやいたのだろう。

公立中学校に制服が果たして必要かどうかは別にして、実際に入学時に制服の購入に数万円も親に負担をさせて、何ら疑問すら持たない公立中学校の体質に対して苦言を申し述べたい気持ちは、今でも変わらないので、当時の文面を思い出しながらつぶやいてみよう。

最近は、親の立場が以前に比べて信じられないほど強くなったと聞いているが、それでも、金額が高いとか、業者との癒着があるのではとはなかなか言い出せないようだ。しかし、誰もが少しは気にしているはずでないだろうか。
 10年前の記録であるが、当時でも、全国全ての中学校とという表現が大袈裟ではないほど、標準服という名の制服が存在し、その着用が生徒手帳に記載されていたことはこの目で確かめている。標準服(制服)だけではなく、体操着やYシャツ、制服はブレザ-が当り前になっているのでネクタイやリボンなども誂えとなるのが普通である。

ちなみに、当時の区立中学校の入学説明会で示された標準服関係の代金を記しておく。ブレザ-2万3千円 ・スラックス1万3千円・スカ-ト1万4千円・Yシャツ2200円 ・ブウウス3100円・ネクタイ1600円・リボン1500円。ここまでが必需品であり、さらに季節になると着用が義務づけられるベストが6000円、長袖のポロシャツが3500円とある。自分の通勤ス-ツの方が安いとのメモもでてきた。

これだけではなく、この他、体操服としてトレシャツとトレタイツ、学年を表す色の上履き、ハ-フパンツなどが、中学入学時に必要になってくるのだから、親の苦労は大変なもの・・・。多分今でも変わらないだろう。

10年前の記録は、この数字を見て、もし疑問を持たない人がいたらある意味の敬意を表したいが、いくら考えても『何故、公立の学校なのに、こんなに多額の支度金が必要なのだろう』という思いを持つのは決して私だけではないだろうと述べているが、この気持ちは今でも全く変わっていない。
 中学校に制服が必要だという意見も理解できないわけではない。今日のように大変不透明な時代にあって、制服を着ていたら○○中学校の生徒だという事は一目瞭然。犯罪防止や自分の学校に対する誇りを持たせるためには効果的であることは否定しない。しかし、はたして全て同じものでなければいけないという必要性があるとは思えない。
 例えば,『基本的に色調として紺のブレザ-』だけでもよさそうだ。『Yシャツは白の襟のあるもの』とか『ネクタイやリボンだけ統一する』などなど・・・というように緩やかな決まりを作ることはできないのだろうか。

保護者の負担は随分軽減されるはずだろう。それ以前に、育ち盛りのこの時期に、何も数万円もする服を着せる必要があるとは思えない。近年片親の家庭が増え、しかも貧困問題も深刻になっているのは周知のこと。

経済的に貧しい家庭の子どもほど、汚したり破れたりすることに、親に迷惑をかけるという気持ちを強く意識するのは当然で、友だちとの付き合い方が変わってくることも考えられる。これが一つの原因となりいじめが始まることもあり得ない話ではないだろう。また、運動量も落ちるに違いない。

多くの中学校の例を詳しく調べたことはないので、私の示した10年前の価格が全て正しいとは言わないが、現在でも学校という組織は何でも横並びの大好きなことは変わらないだろうから、近隣の中学校も含めて大きな差は無いと考えてもよさそうだ。

制服を決める時に、複数の御者から見本を持ち寄らせて職員会議で議論するという話を耳にする。恐らくその通りだろうが、選ばれた業者は、今後何年かはそれで某かの儲けが得られるとなると,わずかでもお礼の気持ちを示したくなるのも当り前だろう。今はそんな時代では無いと言われるかもしれないが、私の経験から言うと、お礼の品物などは一切受け取っていないと胸を張れる学校は少ないのでは・・・。

また、地場産業の育成のために積極的に地域の業者を選んでいるという話や、制服は礼服と同じ価値があって、同じ服でどこでもでも行けることから,かえって経済的だという意見もよく耳にしたことも思い出す。

一見説得力があるように思えるが、前述した『紺のブレザ-』というようなゆるやかな制服でも、礼服として通用するはずだろう。これらの言い分が保護者の負担は当然という免罪符になっては本末転倒である。

公立中学校の制服については、以前から多くの人が疑問に思っていることながら、不思議にマスコミが取り上げなかったので、議論として盛り上がらなかったことは明らか。

今回の朝日新聞の話題提供で、いろいろな方が意見を述べることを期待したい。

蛇足ながら、制服にまつわる経験談を一つ。40年以上も前になるが、担任をしていた女の子が、『制服がないこと』という理由で、『女子学院中学』を選択したことが何故か鮮明に記憶している。

それまでは、この中学校は受験が難しいことは知っていても、私立なら制服は当り前だと思っていた私には,思わず『そんな学校があるのか・・・』と感心したことも・・・。

今も女子学院中学校は制服が無いという伝統が続いているのか確かめた事はないが、続いているはずだと思いたい。そしてこの中学校は、当時はもちろん現在でも女子児童や保護者の憧れだと耳にしていることを、あえて追記しておく。(田舎親父)

2016年8月23日 (火)

経済弱者は早く死ね?・・・

『沖縄いじめ』という言葉がぴったりするほど、沖縄に対して、民意・人権よりはアメリカさまのご命令が優先した強権政策が続いているが、沖縄に限らず全ての弱いものに対して血も涙もないようにいじめるのがアホベ政権の趣味ではないかと思われるほど、『国民(特に貧乏弱者)いじめ』が目立っている。

汚染ドジョウ首相が、『民主党政権では消費税を値上げしない』というハトヤマ初代首相の公約をあっさり撤回し、突然値上げ言い出したことから、急激に国民の心が民主党から離れ、あっさり民主党政権が崩壊したのだが、民主党はあまりにもダメ-ジが大き過ぎて以来立ち直れないのだから自民党アホベ政権のやりたい放題。

代わった自民党アホベ政権は、そのやり方が実に狡賢く、支持率が落ちない様にマスコミを巧みに操って、野党が束になってかかっても叶わないのが現状・・・。

消費税の値上げは、福祉の充実のためには消費税の値上げは避けて通れないと言いながら、5%から8%に上げて国庫に入ったはずのカネの行方は殆どわからぬまま。

それでもシラ-とした顔で、さらなる福祉の充実のためと称して10%に値上げる閣議決定しそれを数の力で押し通したのだから呆れる限り。しかし、さて値上げという時になって、経済の低迷でできなかったというのでは、経済音痴のわたしには、アベノミクスというわけのわからない政策が破綻したからだとしか思えない。

 公約をあっさり覆すのはお手のもののアホベ政権は、この失敗を全て国民に押しつけるのはいつもの手で、国民生活に不可欠な福祉予算の切り捨てをはじめているが、戦後、ここまで露骨な庶民いじめをする内閣ははじめてだろう。

それでも国民は文句も言わず、アホベさまと信じてじっと我慢している姿は、なんとも質の悪いマンガを見ているような気になってしまう。

そんな思いを切実にしたのは、先日明らかになった、要介護度の軽い人たちの福祉用具レンタルを原則自己負担化すると言い出したからである。車椅子があれば動けるがこれを借りる費用が今までは5000円程度だったものが、一挙に5万円になると言うからこれは聞き捨てならない。

『地方創生』と言っていたが、実際にやっていることは地方の切り捨て。東京一極集中のスピ-はかえって増しているのが現実であることは何度もつぶやいているが、『地方創生』が通用しないとわかると、次に言い出したのは『総活躍社会』と言うから呆れるばかり・・・。

『総活躍』というのだから、言葉通りを読めば、生まれたばかりの赤ちゃんから、今まさに息を引き取ろうとしている高齢者はもちろん、孤独な老人、病気で苦しんでいる人、障がいのある人などを含めた国民全てが前途に何らかの希望を持って生きていくことが前提だろう。しかし実際に活躍できる人は経済的に豊かな人たちだけ・・・。

 記事によると、福祉の予算が大婆に膨れ上がり、これを削らねば社会補償制度そのものが崩壊するとのことで、自己負担化を言い出したようだが、この根拠は昨年に閣議決定した福祉介護政策の『骨太の方針』にあるのだそうだ。

政府の都合のよい政策に殆ど例外なく『骨太の方針』という言葉をお題目のように使っているが、『どこが骨太なの?』と首を傾げる人も多いはず。私には、むしろ『骨細』だとしか思えないのに、マスコミはこれらの疑問の声を取り上げることはない。

今回明らかになった、福祉用具のレンタルを含む軽度者向けサービスの廃止に加えて、訪問介護の生活援助やバリアフリー化の住宅改修費なども介護保険の給付から外し、一部還付(政府の大好きな雀の涙程度のバラマキ)で誤魔化す原則『自己負担』にするというから『総活躍』が聞いて呆れる限り。『骨細』どころか『骨そのものを取り除いた』と表現した方がぴったりする。

動くために車椅子が必要な人に『軽度』という表現も納得できないが、車椅子が購入できない人や生活保護で細々とその日を生きている経済的に貧しい人は、存在そのものが社会悪だから動けなってのたれ死にしてしまえと言うに等しいようだ。

『動けなくなった障がい者がいない方が世の中が幸せになる・・・』とは、最近、相模原の福祉施設で、無差別障がい者大量殺人を引き起した植松某が語った犯行の動機だという。これは、対象は違うがナチ・ヒットラ-の思想に通じである。植松某とアホベ政権は似たような発想をもっている?・・・。

貧乏老人や障がい者を切り捨てる現政権を早く退場させなければ、一億総活躍どころか、現在の総人口1億2千万人のうち、バラ色の老後は2千万人だけで、残りの1億人は切り捨てられのたれ死にするしかない。

『お前は甘い。2千万人はタテマエの数値で、近い将来現実になるだろう1億500万人となった時の500万人だけがホンネだ』という声が、どこからか聞こえてくるよな気がする・・・。(田舎親父)

2016年8月22日 (月)

痛ましい事故だが・・・

 東京メトロ銀座線の青山一丁目駅で目の不自由な男性がホームから転落し、電車にはねられて死亡した事故に、またか・・・と思った人も多いのではないだろうか。

退職して以来、横浜の野山を歩くことが仕事?のように生活をしている私は、電車に乗る機会がめっきり少なくなったが、それでも、時に利用する電車内で白い杖を手にした人を見かけることは稀ではない。盲導犬と一緒という場面も数少ないが目撃している。

その度に、目が不自由なのに一人で電車を利用して出かける前向きな生き方に、正直腑凄いなあ・・・と賛意を送っている。同時に、何かできることがあれお手伝いしたいと思うのだが、声をかけるのも勇気がない自分が情けなくなるだけで、結局、横目でちょろちょろと観察しながら、困っている様子が見えたら行動に移そうと思っているのだが、未だに声をかけたことはない。

ホ-ムで出会う場合も同じで、『何かお手伝いすることがありますか・・・』と言うべきなのだろうが、自尊心を傷つけないだろうかとか、かえって失礼ではないかと言う思いが強く、できるだけ白い杖にぶつからない様に行動するようにしている程度で、あ・危ない・・・と驚くような場面には出会わないことを言い訳にしている。

事故が起きたのは15日の午後6時前という。この日はお盆の中日、本来ならば首都圏から極端に人が少なくなる日であるが、今年は、『山の日』という祝日ができた影響もあってお盆休みが変則的になり、しかも月曜日という時間帯では首都圏の各駅には相当数の人であふれていたのではと想像している。

目撃者によると、男性はホ-ムにつけられた黄色の点字ブロック上を、盲導犬に導かれながら歩いていたようだが、点字プロックから線路寄りに方向を変えて、突然線路に落下したという。

この事故を伝えた最初の報道には詳しい状況はなかったので、私は、盲導犬が不慣れだったのかなと一瞬思ったものであるが、続報によれば、転落場所から少し先には柱の列が立ち並び、ホームの幅が狭くなっていたとのことである。

加えて、点字ブロックの上に柱の一部が重なっているというから、このままではご主人様が柱にぶつかると判断した盲導犬が障害物を避けたことから、男性の体が線路側にそれたらのだろう。これは盲導犬とすれば当り前の行動であり、事実がはっきりすれば、東京メトロの責任論が出てくるのでないだろうか。

この駅にホームドアが設置されていたら,今回の事故は防げたことは間違いない。ホ-ムドアの設置の声が大きくなるのは当然だろう。マスコミ各紙も社説でホ-ムドアの必要性を訴えていることから、これは世論のうねりとなり東京メトロは設置の方向で動かざるを得ないだろうが、簡単に設置できるとは思えない。

銀座線というのは日本で最初に開通した地下鉄で、渋谷と浅草を結ぶ選だと記憶している。私も現職時代は良く利用したものだが、最初に開通した地下鉄とあって、地下の浅いところを走っているので、少しの階段で地上に出られるのが特徴になっている。

開通した当時は、ここまで利用者が増えるとは想定していなかったので、ホ-ムが狭いのはある意味当然だろう。また、全盲の人が一人で利用することなど誰も考えなかっただろうから,点字ブロックなどという発想など持つはずがなく、設置する時になってはじめて柱が邪魔になることに気づいたに違いない。

しかし、柱を撤去などできるはずがない。移動することも無理だということで、結局は柱と点字ブロックの一部が重なる現在の状況が生まれたようだ。

私の想像だが、当時は現在ほど人間関係は希薄でなかっことから、責任者たちは、周りの人の善意とホ-ムの駅員の気配りで大丈夫だとなったのではないだろうか。しかし時は移り、利潤を上げることが何によりも大事だという経済の論理が当然の世の中になり、ホ-ムの駅員はどんどん削減され、今では防犯カメラに頼りきるのがごく普通になってしまっている。しかも人情は限りなく薄れ、私も含めて、声かけの大切さは理解しながらも、声をかける勇気を持てない人が大半を占めているのではないだろうか。

その上に、互い干渉しないのが世の中の共通ル-ル?になり、障がい者はもちろん、高齢者や病人、妊娠している女性など弱い立場の人たちを気づかう習慣が薄れ、白いつえにも無反応になってしまっていることも今回の事故の背景にあるのでは・・・。

私を含め、周りの人のほんの少しの気配りがあれば、そして、乗客の安全を確かめるためにたった一人でもホ-ムに駅員がいれば、この事故は防げたと思いたい。

話を戻すが、ホ-ムドアの設置が必要だと言う声が大きくなるだろう。しかし、目の不自由な人は地方にも大勢生活していることを忘れてほしくない。転落事故が東京だけで起きるわけではなく、東京に住む視覚障がい者だけを安全な環境にするという発想には大きな違和感を覚える。

人口が少ないからホ-ムドアなど無駄だ。あるいは、田舎ではその前に声をかけるだろうから必要ないという論理がまかり通りそうだが、先日はスマホを見ながら転落した事故でも、ホ-ムドアの設置を求めていたことを思い出してほしいもの。

死者を鞭打つ気持ちはない。が、スマホを見ながら歩いていた歩行者に責任がないのだろうか。少しの注意さえ払えば、転落など絶対にしなかったはず。

スマホを見ながら転落しても、悪いのは安全対策をしていない社会(企業)だという声が大きくなり、単純不注意を含めて、事故を防ぐためにホ-ムドアの設置となると、安全管理は全て社会(企業)の責任だという論理になってしまう。

その結果、東京の全ての駅に今後何年間でホ-ムドアが設置されたとしたら、東京ではこの種の事故はなくなるだろうが、引き換えに、別の問題が生じるのも間違いなさそうだ。そして、ますます人間関係が過疎になることは想像に難くない。

技術的にも困難を究める場所への設置を決める前に、このことを十分語り合う必要があると思いたいが・・・。(田舎親父)

2016年8月20日 (土)

国民のひとりや二人の命なんて・・・

自民党の暴走が止まらない。自民党の組織の一つに『東日本大震災復興加速化本部』と部会があるのだそうだが、先日の総会で、福島原発事故の被災地の復旧・復興について第6次提言の骨子案が常軌を逸した凄まじさ。

原発事故に伴い立ち入りが制限されている福島県内の『帰還困難区域』の取り扱いが柱で、同区域内に2017年度から除染とインフラ整備を優先的に進める『復興拠点』を設置し、5年後をめどに避難指示を解除するというから俄には信じ難い。

先日も南相馬市の避難指示地域を解除したように、年間の放射線量が20ミリシ-ベルトを下回ったということを根拠にして、次々に避難指示地域の解除を進めているが、帰還困難地域に設置してある放射線測定装置30台を故障だという理由で交換したことが明らかになったことからも推測できる様に、政府が発表する放射線値には信頼性が乏しいことは多くの人が指摘している。

まさかそこまではと思いたいが、30台もの装置が同時に同じような故障をするなど常識的にはあり得ない。内部情報によると、これらの装置はそろって『異常に高い放射線値』を示していたというから、『ご都合故障』はあり得ない話ではなさそうだ。

政府は、原発事故を受けて設定した避難指示区域のうち、放射線量がより高い『帰還困難区域』の外は17年3月までに避難指示を解除する方針を打ち出しているが、今回はさらに、『帰還困難区域』まで踏み込んでいる。この名称が存在する限り、原発事故の収束とはいえないことから、避難住民を何としても帰還させるために躍起になっていることは間違いない事実だろう。

『帰還困難区域』は年間放射線量50ミリシーベルト超の地域であることは私でも知っていること。国際的な放射線値の安全基準は、平常時に置いては1ミリシ-ベルトと規定されているのでこの数値がいかに危険であるかは一目瞭然。

しかし政府は、国際基準にある、事故などが起きて平常時でない場合『一時的には20ミリシ-ベルト』を基準とするという一文を拡大解釈し、20ミリシ-ベルトを『平時』と解釈しているというから許せる話ではない。

事故周辺地域では甲状腺異常の子どもの数が増え続けているというデ-タもある。しかし、このことを福島県が設置している第三者委員会は『原爆事故との関連は薄い』とシラッとした顔で言っているのも、なんとも汚らしい思惑がありそうだが、統計学的に普通の状況では、信じられないほど発生率が高いということも明らかになっているという。

しかも、チエルノブイリの例によると、事故後5年過ぎた頃から,甲状腺異常の子どもたちの数は飛躍的に多くなるというからこれからが心配である。現政府がやっている、何がなんでも避難解除の方針は、言葉を選ばす表現したら『緩慢な殺人』と言っても言い過ぎではない。

まして、50ミリシ-ベルトもの高線量の『帰還困難地域』を5年後には除染して人が暮せる様にするなどとは無茶苦茶な話。健康な人たちを『安全だから故郷へ帰ろう』と騙して、放射線地獄に追いやることそのものでは・・・。これも言葉を選ばす表現すると、ヒットラ-がユダヤ人をガス室に送ったと基本的には同じである。

『5年後をメド』という言葉にも意味があり、この言葉の裏には『オリンピョク』が隠れていることは今更私が述べるまでもない。『オリンピックが国民の命より重い』なんて絶対にあり得ない発想だが、政府のやり方はそれを肯定しているとしか思えない。

繰り返しになるが、そんな政権を国民の半数以上が支持している?となると、避難住民は、抵抗したくても物理的精神的に追い詰められて、結局は、高線量地域(ガス室)に戻らされることになるのでは・・・。

そんなことは絶対許してはならないが、公共放送であるはずのNHKまでが政府の工法機関となり、国民が全て『見ザル・聞かザル・言わザル』の環境に置かれているのだから国民は許されないことすら気がつかない?・・・。想像するだけでもゾッとする。

完全な復興の一つの指標は、甲状腺異常患者が、統計学的に平常に戻ることである。そのためには、チルノブイリの現在と比較できる少なくとも30年程度は、20ミリシ-ベルと以上の高線量地域は、原発事故の記憶を失うことがない『負の遺産』として、立ち入り禁止地区として残すべきだと強く発言したい。

もちろんオリンピックを返上し、まだ原発事故が収束できず、太平洋を汚染し続けていることを世界に向かって謝罪しなけれならないことは言うまでない。(田舎親父)

2016年8月19日 (金)

変だぞ文科省・・・

一昨日の朝日新聞の一面に二段抜きの『私立小中の授業料/年最大14万円補助』とい大見出しが踊っていた。

副題として『年収に応じ検討』という一文があるが、地域の公立の学校に通う子どもたちの中には給食費すら払えない家庭の子女が存在するというのに、どこからこんな発想が生まれるのだろうと、大きな違和感がわいてくる。

記事によると、文科省は私立小中学校に通う子どもがいる年収590万円未満の世帯に対し、授業料の一部を補助する制度の整備に乗り出したのだそうだ。

600万円ではなく590万円という線引きも何か意図的だが、それはさておき、年収に応じ年10万~14万円を補助する内容で、来年度予算の概算要求として約13億円を盛り込む方針だとのことであるが、約600万円の年収と言えば、子どもを持つ家庭では標準以上ではないだろうか。

 副題にある様に一応は年収によって差をつけているようだが、補助額の内訳をみると、世帯年収250万円未満なら年14万円、250万円以上350万円未満なら12万円、350万円以上590万円未満なら10万円を想定しるとのこと。590万円の世帯と250万円の世帯との差が、年間でたったの4万円とはどんな計算をすればこんな数字が出てくるのか私には到底納得でき話ではない。

記事は続き、文科省の調査では、『私立小中の年間平均授業料は小学校約43万円、中学約41万円。私立に通わせる世帯は比較的高年収の場合が多いが、地元の公立でいじめを受けたなどの事情で私立に通う例もある』とのこと。

この文面を素直に読めば、『いじめから逃れる』ために私立に通わせている家庭を救済するためと受け取れるが、だとすると、文科省は公立の学校でのいじめは仕方ないものと考えていることになる。

あれほど、各学校に対して『いじめ』について把握と防止の徹底について何度も通達を出しているのに、いじめ受けたから私立に転校することを進めている?・・・。いじめを学校の力で防止せよという通達とは少し筋が違うのではないだろうか。

いじめはどんな世界でも存在することは明らかだが、それでも学校は必死に努力していることは疑いのない事実。時雑につながる様な重大ないじめをなくすためには子どもを見る目を多くするのが大原則。現場を少しでも知っている人間ならば、教員の質はもちろんだが、教員の数を増やすこと以外あり得ない。

しかし、財務省の子どもの数が減っているのだら、教員の数も減らすという方針にわずかばかりの抵抗の姿勢を示しているが、やることは、教員の忙しさを軽減するためと称して、休日の部活手当てをわずかばかり上乗せするだけは情けない限り。これとても、教員を休日勤務をなくすのではなく恒常化するだけとあっては、現場からは怨嗟の声すら上がっているのも以前につぶやいた通り・・・。

それ以前に、普通の場合は、将来のために自分の能力が公立よりも延ばせると考えた子どもと保護者が私立を選択するのであって、いじめを受けたからといって私立へ転校するという話はあまり聞いたことはない。むしろ私知る限り、私立の中学校に入学したが、学力的についていけなかったり、校風があわないという理由で、地元の中学校に転校することの方が多いようだが・・・。

地元の教育委員会もいじめには敏感で、保護者からの相談を受けたら、私立へ進めるよりも、近隣の公立学校へ転校することを認める傾向があるのだから、いじめ防止のために私立小中学校に通う子どもの救済のために補助とは、本末転倒といっても差し支えなさそうだ。

ここからは私の少ない経験でつぶやきを続けるが、私立の小学校は数的にも少なく、保護者がその小学校の教育内容に憧れて選択することから、高額な授業料(付帯するもろもろの費用を合わせると年間100万円は下らないだろう)を払えるだけの高所得の家庭が殆どといっても過言ではない。

中学校になると、系列高校から一流大学へ進学の可能性が高いことや、エスカレ-タ-的に大学までつながっている場合、あるいは、中学からはあまり例はないが、野球やサッカ-などの運動競技の技術を延ばしたいなどという理由が生まれるので、600万円程度の世帯でも子どもの希望という部分が増えてくる。しかし、これとて家庭にある程度の余裕がない限り選択の余地はないのが現実だろう。

文科省の調査では、年収590万円未満の世帯の私立小中学生(特別支援学校を含む)は昨年5月時点で推計約4万人だという。ここに正確なデ-タはないのでなんともいえないが、いじめという言葉からうがった見方をすれば、フリ-スク-ル対応とも考えられないこともない。

全対象世帯に支給した場合は年約43億円かかるときう。来年度の小1と中1から順次導入したい考えで、予算編成に向け財務省と協議するのだそうだが、財務省としてこの程度の金額で教員の数を減らせれば御の字だろうから、案外すんなりとまとまるのではないだろか。

話は飛躍するが、小学校高学年の英語の授業を週2コマにして、細切れで時数合わせも現場を苦しめるだけで数年先の見直しは目に見える。口先では、多様性と言いながら、道徳の時間にして評定するのは価値観一律にすること押しつける真逆の動きも許し難い。

その批判には何ら答えることなく、600万円の低所得者?に10万円の補助というのは、現政権お得意の『バラマキ』と受け止めても差し支えなさそうだ。

なんとも不可解な話であり、猛省を促したい。(田舎親父)

2016年8月18日 (木)

地方創生ってどこに消えたのだろう・・・

 先日、歩きの途中で『地方こそ、成長の主役・・・』というキャッチコピ-すらはっきり読み取れないほどボロボロになった(大昔の?)アベ安倍自民党総裁とイシバ幹事長というツ-トップの顔写真入りのポスタ-を発見した。もちろん顔写真もボロボロながら、こんな時期もあったことを思い出す。

 当時は、『地方創生』担当などという名称もなく、当然大臣は存在しなかった。その後改造人事でアホベ首相は(マスコミ報道によれば)ポストアホベを目指しているイシバ氏を牽制する意味で、内閣に閉じ込めたとというのがもっぱらの評判だったが、イシバ地方創生担当大臣が誕生した。当時、何となくだがマスコミ報道が当たっているような気がしたものである。

 当初は、イシバ氏は(本心かどうかは別にして)首相に従う姿勢を見せていたが、そのト-ンはどんどん後退して、ついには今回の内閣改造では本人の強い希望?で閣外に退いたという。

これもマスコミ雀によれば、時期首相をねらうためというのがもっぱらの噂であるが、あれほど内閣の大きな柱としていた『地方創生』大臣の立ち位置が曖昧になり、その後、)『地方創生』という言葉さえ参院選でも全く取り上げなくなっているのだから、ポストアホベをねらうためかどうかは別にしても、地方創生大臣などは全くの飾り物。辞めたくなるのも無理はない。

『地方創生』という言葉は、アホベ政権が打ち出した目玉政策。そのために、当時幹事長だったイシバ氏を任命したはずで、20年度までに東京圏の転入超過ゼロにすると宣言したことは記憶に新しい。付け加えて、地方に若者30万人の雇用を創出するなどとぶち上げたことも・・・。

 ところが、総務省による今年1月の人口動態調査によると、日本の人口は7年連続で減少したが、東京圏は逆に19年連続して増加し、一極集中はむしろ加速しているというから、これも現政権の得意中の得意技でなる『空手形』だったことを明確に証明している。

当初、地方創生担当大臣のイシバ氏は気合が入っていた。口を開くと地方の時代とか一極集中の弊害とかを語っており、すぐにでも、地方への移転が始まり一極集中をなくするような勢いだったが、彼の勇ましい言葉と裏腹に、政権がやっていることは真逆そのもの。
 地方では働き口が見つからず、日本中の若者は東京(首都圏)に集まるような仕組みは変わらないどころかどんどん加速している。外国からの観光客を増やすために、成田は不便だから羽田を拡張するというのも、あれほどの犠牲を払って開港した成田には失礼ではすまされない。

成田よりもまずはアメリカが絶対支配している横田基地の返還を求めるか、できなければ共同使用できるぐらいの交渉が先決だろうに、そんなことはハナからできないと決めつけて、日本人の血を流す手法はアメリカさまの命令通り。このことは、沖縄を見るまでもなく現在も変わっていない。

従来は、大阪(関西圏)だった北陸を長野から金沢まで延伸させ、北陸を東京と直結させたことで動きは全て東京へというの変な話。理屈からいえば、金沢と大阪間の新幹線開通が先だろう。将来的には福井から京都・大阪につなげるというものの、その時はすでに、最終目的地は全て東京になっていることは想像するまでもあい。

赤字が確実なのに北海道新幹線の開通も、リニア構想もつまるところ、草木までをも全て東京へなびかせるための政策としか受け止められない。

本気で、一極集中をなくすなら、東京(首都圏)にモノとカネが集まりにくい環境にすれば良いはず。東京に本社のある企業の法人税をべらぼうに上げれば、本社を地方に移転する企業が増えると思いたいが、これとて、海外に移転されるというわけのわからない論理からできず、むしろ住民税を上げるのが手っとり早いという話になりそうだ。

首都を大阪にして、天皇のお住まいは京都御所。東京には大学を作らないないとい政策が実現すれば、一極集中の動きは留まるだろうが、そんな動き全くない。

一時、官庁を地方へ移転するという計画があったらしいが、結局は、官僚や議員たちが東京から離れたくないというホンネが勝ったらしく、今では、文化庁が京都へ移転することが決まっただけの有り様。これとて、今後どうなるのかわかったものではないというのが一般的な見方というから、実際にどうなるか・・・。

それどころか『地方創生』という言葉は『一億総活躍』に置き換えられ、バラマキ政策で誤魔化している今日。

一億総活躍社会には当然地方の人々の活躍が必要であるが、政府が示した地方の戦略は、いかに人口を増やすかだけ。いわば、地方同士で人口の奪い合いだけが目立ち、殆ど自治体が一様に掲げている政策は移住促進、雇用創出、少子化対策など同じ言葉の羅列ばかりでは競いある地方の個性が逆に互いに無しにしているといっても過言はなさそうだ。ふるさと納税などはその典型ではないだろうか。

今日もグチのオンレ-ドになってしまったが、東京一極集中を止められる良い方策がないものか苦悩している自分が情けない。

こんなことをつぶやくのもボケ防止そのものに役立っていると、一人慰めるしかないのは、なんとも悲しく困った話である・・・。(田舎親父)

2016年8月17日 (水)

『お盆』が死語に?・・・

 すでに過ぎてしまったが、今年から8月11日が『山の日』という祝日になったことに、違和感を覚えた人も多いのではないだろうか。

私もその一人。8月の前半は、8月は6日の広島原発忌に続き9日は長崎の原爆忌、そして15日は終戦の日と、太平洋戦争の悲惨さを忘れないためにも、日本中が平和を祈る、いわば追悼の日々が続く上、31年前には御巣鷹の尾根に日航ジャンボ機が墜落し520人という史上最悪の犠牲者を出した航空事故の日とあっては、祈りの日々が続く毎日。

それが、日本人の心の中にある先祖を供養する『お盆』行事にダブり、この期間はより追悼の意味合いが深くなっている。

そんなことを思っている中、さほど議論されたとは思わないうちに、数年前に『山の日』という名称で祝日に加わり、しかも、同じような主旨でもって生まれた『海の日』と違い『8月11日』をカレンダ-上に固定するという決め方が、書き出しの一文のように違和感が消えないのだろう。

祝日法には『に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する』とある。わが国は国土の70%以上が起伏のある土地(山)であり、その恵みを受けて人々が暮していることから、この文面には疑義はないが、山からの恵みは、夏だけではなく,むしろ春や秋からの方が大きく、夏のこの時期では恵みに感謝するというよりは、むしろ楽しみに山に登るという意味合いが大きいのでは・・・。

お休みにする以上、レジャ-として山に出かけることも山に親しむということも含まれているとは理解できるが、8月11日という日は哀悼の行事が続く中、なんとも中途半端日だと多いに気になるところである。

(仏教思想なのだろうが)先祖を供養するという『お盆』は、本来旧暦の7月15日の前後をさす。意首都圏などでは、現在のカレンダ-と同じ7月15日としているようだが、地方では圧倒的に、月遅れの(旧暦に近い)8月に行われていることが多く、最近は、8月のお盆を『月遅れ』とか『旧盆』という言い方をしているようだが、昔からの季節行事は旧暦の方が情緒があるのではないだろうか。

それはさておき、『山の日』の設定についていろいろな理由があるのだろう。その一つが、何よりも8月11日は学校の夏休み期間で子どもたちが動きやすいことだという。合わせて親たちも休みが取りやすいように、(お正月と同じように)正式な祝日ではないのだが、8月13日から16日をお盆休みとする慣習に便乗したようだ。

最近は、お正月といえど休まないで営業する店が当り前になっていることから、お盆休みなどは死語になりつつあるらしいが、『山の日』を祝日にするために議論する組織としてはお盆休みが頭の中にあり、これと前後すればお休みが取りやすく、しかも連休となる可能性が大きく、経済的にも望ましいと考えたことは容易に想像できる。

実際に調べてみると、当初は、8月12日にするという案が主流だったとのこと。が、前出したように、御巣鷹の日は祝日には相応しくないということで11日になったというから、ホンネは単に連休に結びつけたかっただけのようだが・・・。

今年は8月14日が日曜日なので、11日が祝日になった関係で、お盆を故郷でという習慣が前倒しになり、11日が帰省のピ-クになったらしい。そして、14日がUタ-ンのラッシュとなり、すっかり従来の『お盆』という意味合いがうすれてしまった感じがする。しかもオリンピックの重なったとで、『お盆』という言葉そのものが、どこかに吹っ飛んでしまった。

来年度以降はまた違った形になるだろうが、『山の日』という祝日と、従来のお盆の中日である8月15日との間が開き過ぎて、国民の『お盆』という意識は年々薄れるうすれことも想像できそう。

お盆など関係ないよといえばそれまでだろう。そして今更愚痴っても仕方ないことであるが、『山の日』の出現は、日本人の心の中にある、一つの美意識を亡くしたように思えてならない。

この意識が、先祖を敬う『お盆意識』や戦争や大事故で犠牲になった人々を『悼む習慣』の薄れることに加えて、経済のためなら、原発も武器も戦争も・・・という考え方につながらないことを祈るだけだが・・・。(田舎親父)

2016年8月16日 (火)

お墓じまい・・・

最近、横浜の片田舎の我が家近くに出現した大規模な墓地の凄さに驚く。また老人施設の建設かと思っていたが、車道に面した場所に、突然、特大の大仏涅槃銅像が現れたことに驚いたものだが、今ではこの大仏に加えて、滝の大仏まで姿を現し話題になっている。

反対の声は聞こえて来ない。私としては産廃施設やいかがわしい工場よりましだと思っているのだが、派手な折り込み広告が,横浜市内だけではなく近隣の地域に配られているらしく、時にその前を散策すると、見学者の車が賑やかに出入りしている様子に、間もなくかなりの数の墓が並ぶのではないだろうか。

このところ数は減ったとはいえ、平均すれば日に一度程度の電話がかかってくる。屋根の張り替えや外壁の塗装や水回りの清掃などという家関係はもとより、光通信に代表されるネット環境のこと、また最近は、時計屋カメラ、骨董品などお宝はあませんかという電話も多いが、それらの中にあってお墓に関するものが群を抜いている。

恐らく、地方出身者で首都圏に永住するだろう人の名簿でも流れているのだろうが、これ程頻繁に電話があるということは、それなりに対応する人が多いとを現していのに違いない。そんなことを考えながら、墓地の見学者の姿とダブらせている。

日本人の多くは、仏教徒だと言われている。最近は家族葬が大流行であるが、それでも坊さんの読経は欠かせないものらしく、それゆえだろうが、『葬式仏教』という言葉が生まれたのは現在感覚では大昔のこと。最近は、(以前もつぶやいたが)お坊さんの宅配便が大流行だというが、これも、葬式には坊さんの読経が必需品?になっているのだろうと納得する。

首都圏に住む人たちの圧倒的多数は、遠近は別にして地方出身者であるのだろから先祖のお墓は出身地にあるのは当り前。若い時には、実家の健在な親に孫の顔を見せるために盆暮れには帰省し、そのおりにお墓参りが恒例になっていたようだが、親が亡くなり子どもが中学・高校になるとお墓まりどころか、足が遠のくのは当然で、お墓の管理そのものが難しくなっているという話は良く耳にする。

地方のお墓を、墓ごと自分の住まいの近くに移せば墓参も便利になることから、都会地でのお墓ブ-ムになっているのだろうが、この『墓じまい』というお墓を移すことがなかなか面倒だという。

私は宗教には全く興味がないので墓など必要ないと思っているが、それはごく少数派らし。多くの人たちは、骨は先祖と同じ墓に埋葬されることを願っているからこそ『墓じまい』をするのだろうが、菩提寺としては、大事な(カネづる)檀家がなくなることになるので、簡単にはウンと首を縦に振ってくれないことも何となくわかるような気がする。

お寺と檀家とのしきたりなど詳しい知識はないが、以前勤めていた池上本門寺近くには、相当数の塔頭が存在していた。その寺の本堂を足並み揃えるように次々に建て直ししている場面にぶっかった時に、お寺って随分金持ちだと思ったもの。

しかし、檀家には菩提寺を維持する義務があるらしく、その費用は全て檀家からの寄付で賄っていることを知って、檀家とは大変なものと(菩提寺を持たない)身分の気楽さを味わったものである。檀家には収入に応じて、一口数十万円という寄付金を押しつければちょっとしたお寺(塔頭)でも数億円が集まるというから凄い話である。 

ところが、過疎の地方の寺では、世帯主の高齢化に加えて、子どもたちが戻らないものだから、お寺の収入は先細り。となると『墓じまい』に協力したくないという住職の気持ちもわからないでもない。

『墓じまい』は、墓から遺骨を取り出し清める開眼供養が必要になるのだそうだ。このために(葬式)仏教のしきたりとして菩提寺の住職の立ち会いと読経が必要で、ことをスム-ズにことを運ぶためには高額の『離檀料』が当り前になり、これがトラブルの原因だという。

それでも『墓じまい』を望む人が後を絶たず、菩提寺との軋轢が増えていることから、それをビジネスにする組織が生まれ、流行っているというから驚いてしまう。

このビジネスについての是非は別にして、『墓じまい』が増えれば、過疎化をますます加速させることになることは想像に難くない。

今日は、お盆で家に戻ってきた先祖たちを、送り火で戻す日であるので少し感傷的になっているわけではないが、涅槃仏をある横浜の片田舎の大型墓地が繁盛すればするほど、地方のお寺は傾向くことになると思うと、仕方ないことだとはいえ、『墓じまい』ということについて考えさせられる・・・。(田舎親父)

2016年8月15日 (月)

オリンピックの負の遺産

 私にできることは、静に手を合わせて、犠牲になった方々の霊をなくさめさめることしかないが、二度と戦争に巻き込まれないためにも現在の憲法を堅持することが『是』とする世論になってほしいと、『太平洋戦争終戦日』の朝に願う。

暑さには強いと自信を持っていた私だが、今年の猛暑の連続と、マスコミのオリンピック騒ぎに嫌気が生じてつぶやく気力がなくなってしまう。腰痛もあってここ数日はぼんやりと過ごしてしまった。

 その間にも、オリンピック騒動は続いていたらしく、朝夕のテレビニュ-スのトップはメダルの数と色の話題ばかりのことに、もっと大事なことがあるだろうにといらだちを感じたもの。

特に12日は、あの日航ジャンポ機が御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員合わせて520人もの死者を出す大惨事が起きた日であるが、少なくとも毎朝チェックしているNHKのニュ-スにはその話題は一切触れられずオリンピック中継などばかりだったことは、記録と記憶に留めておく必要がありそうだ。

念のために、その日の朝日新聞のテレビ番組表を調べてみる。かなり丁寧に探した結果見つけたのは、TBSの『あさちゃん!』というワイドショウ番組?のタイトルの一番下に『日航事故から31年』という一行だけ。

すでにあの事故は、マスコミが取り上げる価値もなくなっているのだろうか。事故の翌日、炎天下の中で繰り広げられた警察と消防に自衛隊も加わった大がかりな、そして国民全てが手に汗を握って見つめていた捜索活動の様子のテレビ映像が、未だに私の瞼には鮮明に残っているのだが・・・。こんな大きな違和感を覚えるのは私だけではないと思いたい。

ところで、マスコミのオリンピック一色の大騒ぎとは裏腹に、ブラジルの政治や経済についての不安材料が囁かれていることに注目する。ギリシャの経済が破綻したのは、オリンピックの開催に無理があったことに起因していることは私でも知っていること。

ギリシャは、オリンピックだけのために大規模なハコモノを次々に建設し、それ国の財政を圧迫しているのだそうだが、ブラジルは大丈夫なのだろうかとい素朴な疑問を持っているところに、タイミング良く東京新聞の『こちら特報部』という紙面がこの問題を取り上げていた。

―――南米初の開催となるリオデジャネイロ五輪は異例ずくめだ。大統領代行による開会宣言はブーイングで迎えられ、競技場の外では五輪開催に反対するデモ隊が治安部隊と衝突した。厳戒態勢下の「平和の祭典」とは矛盾もいいところだが、歓迎ムード一色にはなれないのがブラジルの現実だ。祭りのあとに残るものは何か。五輪がもたらす「遺産」について考えた。 (池田悌一、白名正和)――という記者の署名入りの文面で始まるその記事は実に興味深い内容である。

  テレビニュ-スで見る限り、開会式の様子は実に華やかものだった。アナウンサ-は『ブラジルは開催前には政治と経済不安が言われていたが、このような素晴らしい開会式を迎えられたことはブラジルの人たちの努力が実った賜物・・・』というような意味の言葉を並べていたが、実態とは離れていたものだったようだ。

  特集記事の中に、『ブラジル政府は、サッカ-のW杯でもオリンピックでも、ハコモノばかりにカネをかけて、教育や医療など肝心の施設をおろそかにした。競技場建設などでお解き名利益を上げたのは欧米の外国で、国内の労働者に低い賃金しか渡らなかった。今後、膨大な借金という負の遺産が国民に重くのしかかっていくだろう』と、元外交官の言葉を掲載しているが、このことについては経済音痴の私でも十分理解できる。

  オリンピックの『負の遺産』についても、過去のオリンピックの例にとって、わかりやすい実態を取り上げている。そして、負の遺産は経済問題だけではなく、メキシコ大会では組織委員会が、当時アパルトヘイトを続ける南アフリカに招請状を出したことや、ミュンヘン大会でのテロ事件など、すでに記憶から忘れ去ってしまっていることも思い出させてくれる。

 記事から思うことは、4年後の東京大会のこと。先日の都知事選で勝利した小池氏が知事に就任し、早速、オリンピックの予算の透明化委員会を設けたと報じられているが、その一方で、大会委員長はじめ事務局との手打ちなども囁かれるとあっては、根が自民党の体質を持っている御仁だろうから、その行く末は怪しい限り・・・。

 新しいオリンピック担当大臣に至っては、福島県で予選競技を行い、世界に福島原発事故が完全収束していることを世界に示したい・・・という意味のことをのたまっているらしいが、これこそ究極の『負の遺産』。

 そんなことを本気で世界に発信したら、たちまち、東京大会ボイコット運動が起きるに違いない。それ以前に、凍土壁も行き詰まり、原発事故の収集どころか、手がつけられないことになっていることが次々に明らかになっていることから、国際世論から返上を求められるのではないだろうか。

 返上ということになれば、少なくとも経済的な負の遺産は少なくなり、日本の将来にとっては明るくなることだけは間違いないが、利権とメンツに凝り固まった輩が運営を牛耳っているとなると、事は簡単に進むとは思えない。

 そして、ギリシャやブラジルの二の舞に。国民にとってこんな迷惑な話は御免被りたいいものだが・・・。(田舎親父)

2016年8月10日 (水)

テロ性はなさそうだが・・・

 オリンピックと高校野球に加えて、8日には天皇がお気持ちを伝えるビデオに一億国民が釘付けになっていqだろうから、マスコミの扱いは、3面記事の片隅事件のような、『杉並区のサンバのお祭に火炎瓶』という事件を翌日になって知り、何か恐れていたものが出現したような厭な気持ちにさせられる。

 事件が起きたのは7日の午後7時半ごろだという。東京都の杉並区の商店街で行われていた夏祭りのサンバパレードに、近くの3階建て住宅から火炎瓶のようなものが投げられ、1歳から40代の男女15人が手足にやけどを負ったという報道である。

 投げたのは60代の男で、現場近くで首をつった状態で発見され、その後死亡したとのことだが、殺傷能力が低いガソリンを詰めただけの火炎瓶とはいえ、明らかに不特定多数の人間をねらったことは間違いない。そして、事件後自殺するという形だけをみると、世界を震撼させている過激派による自爆テロと同じに見えてくる。

 後の調べて、サンバの音が煩いという不満を持っていたことから、衝動的に火炎瓶を投げつけたて直後に自殺を計ったもので、政治的なテロ行為とは質が違うらしいが、サンバの行列に火炎瓶が投げ込まれるとは誰も予測できなかったことは、各地で頻発しているテロ現場と同じである。これは注目に値する事件である。

 もし、男が何らかの方法で拳銃を入手していたとしたら・・・と想像すると、トンデモ事件に発展した可能性は大きい。

 私の住む横浜の片田舎でも、毎年11月3日に行われる、商店街のお祭ではサンバ行列が大人気。サンバのリズムが聞こえてくると、お祭はクライマックス。そんな最中に火炎瓶が投げ込まれたとしたら・・・・想像したくない話ではないが、そんな光景を連想してしまう。

大音響でのサンバのリズムとダイナミックな踊りに人々が大興奮するのだろうが、子どもの声すら煩いと保育園建設に反対するご時世なのだから、サンバの音を絶対的に拒否する輩が存在しても奇怪しくない。

 ここまで綴っていると、この男が単に衝動的に起こしただけだろうか・・・。横浜の片田舎では聞こえてサンバに対する批判だが、杉並の商店街では、煩いと騒いでいるこの男の存在を開催側は知っていたのではないだろうかという素朴な疑念が頭に浮かんで来る。

知っていたが、きちんと対応していなかった?・・・。お祭に集まった人たちは楽しむためにやってくるのだろうから、厭なら来なければ良いだけ。しかし、この男がお祭から逃げられない生活環境(近所の住民)となると、事情が変わってくる。

 まさか、このような衝動的な行動に出るとは思わなかったという安易な姿勢で放置していただけだとしたら、大勢の人を集める側として配慮が欠けていたと言わざるを得ないのではないだろう。

事前にこの男の存在を知っていたら、お祭に協力を求めることが第一であることは論を待たないが、主催者側(商店街)は無視した?としたら、これは考えさせられる。

最近、『価値観の多様性』という言葉が巷にあふれている。この言葉を素直に解釈すれば価値観は一つではなく、『誰もが違ってそれで良い』ということだろうから、サンバを不愉快に感じる人が存在することも否定することはできない。

 不特定多数を死傷におとしめるテロ行為は絶対に許されることではないが、テロ組織にはそれなりの理屈があり、相手が巨大過ぎるので、テロという卑劣な行為しかとれないという見方もできないこともない。今回の事件も、開催者側に苦情を言っても、取り上げてもらえないので、仕方なく、自分の命と引き換えに仕方なく火炎瓶を投げつけた?という見方をするなら、テロと根は同じかも・・・。

先日もつぶやいたが、アメリカはじめ関係国はISはじめ過激派組織を壊滅させる作戦を実行しているが、暴力で暴力を押さえ込むのは無理があり、テロを殲滅できるとは到底思えない。

 話は飛躍するが、沖縄においては、現政権は沖縄の民意を無視して、辺野古への移転を進めている。さらに、マスコミはほとんど取り上げないが、最近は、それは並行するように、こちらも民意を無視して、全国から集めた機動隊が力で反対する住民を排除する中でヘリバット工事が再開されたという。

住民の良識によってテロ行為は行われていないが、常識的に考えれば、一部住民がテロ行為に走っても奇怪しくないし、それを支持する人がいても当然ではないだろうか。

沖縄の抗議行動とサンバの音や子どもの声とは全く次元が違い、関連性はないことは分かっているが、なんともひっかかる事件である。(田舎親父)

2016年8月 9日 (火)

これで良いのだろうか?・・・

 今日は『長崎原爆忌』であるが、マスコミはオリンピック一色といって良いほど、朝から晩まで、『誰(選手)がどうした・・・』という話題ばかり。

 特にNHKはほぼ同時に始まった高校野球の放映も並行して放映しなければという思いが強いらしく、地上波の総合とEテレに加えてBSの1CHの3局をフル稼働。まるでスポ-ツ専用局になった感じがする。

 それで国民が納得しているらしいので仕方ないことだろうと思うが、一昨日の夜、東京の杉並区では夏祭のパレ-ドに向かって火炎瓶を投げつけて、大勢の観衆に怪我をさせた上、犯人とされる60台の男は首をつって自殺を計ったというから、まるでこれは自爆テロそのもの・・・。こんな重大な事件を取り上げず、女子卓球の試合をライブ中継していた神経はいささか気にかかる。 

 そのことはさておくとして、少し古い話になるが、生まれつきに心臓に障がいがあって、心臓移植の必要がある子どものために寄付をつのり、3億円以上の募金が集まったたというニュ-スに私のアンテナが少し震える。

 今までも、この種のニュ-スを耳にする度に,私の語彙能力の不足だろうが、適切な言葉が思い当たらないので、つぶやくことを回避してきたが(一度あったかな?)、その都度これで良いのだろうかという思いを自分自身に問いかけていたもの・・・。

札幌市の2歳の女の子の心臓移植の募金活動で3億円が集まったというマスコミ報道である。一人女の子に対して募金が3億円以上集まることに、募金活動をされている保護者をはじめ関係者の皆さんのやる気とご苦労はもちろんだが、周りの人たちの人情の豊かさに頭が下がる。

募金活動は出勤・退勤時をはじめ、人が大勢集まる駅前などが中心なので、最近は出会うことが全くない。しかし、現職時代、稀に今回と同じような、アメリカでの移植手術のための『募金活動』に出会った時、そのまま立ち去るほどの勇気がないので、100円玉を募金箱に入れることを常としていたことを思い出す。

同時に、その後すぐに、『この子だけではないはずなのに・・・』と考えてしまうことに自己嫌悪。

今回の募金は、活動を開始してわずか4ケ月半で目標額の3億2千万円が集まったので活動は中止するとのことらしいが、『環ちゃんを救う会』という団体の集金力には驚くかぎり。札幌の女の子を救う外の本部が仙台市というのも少しひっかかるが、4ケ月あまりの街頭募金だけではこれほど集まるとは、私には理解できないことから、よほど大口の支援があったと考えて良さそうだ。

かなり以前に,この種の募金を行い2億円超の金額を集めながら、子どもの命が失われた結果、募金の使い道で団体の内紛が起きたという事件があったことや、始めからサギ目的で、募金活動している輩が存在するなどという報道を思い出す。その意味で、この子が無事移植手術に成功することを祈るのみ・・・。

 両親の思いは理解できるつもりである。しかし、冒頭のつぶやきに戻るが、この子は周りのサポ-トがあったので、移植手術にかかる膨大な費用は集まったが、心臓移植が必要な子どもは少なくないはず。ここでも、一言では言い表せないが、歴然とした格差があることは間違いないところ。

アメリカでも心臓手術の順番を待っている子どもがいるだろうに、費用がないから諦める例も多いはず。なのに・・・である。

ここでもカネがモノ言うとなると、貧乏人の子どもは心臓手術の可能性などは始めからゼロ。

これで良いのだろうか・・・とまたまた同じつぶやきが口からでてしまう。(田舎親父)

2016年8月 8日 (月)

授業時数についてのおさらい・・・

 文科省は学校教育の基本としている『学習指導要領』をほぼ10年単位で改定しているが、先日、2020年度の小学校のから中高と年を追って新要領にする骨子をあの悪名高い中教審が明らかした。

 授業時数に関しては、先日もつぶやいたが、小学校高学年(5・6年生)では、英語が週2時間増えことなどの影響で、年間授業数が中学校でもギリギリだと言われている現在の980時間から、一挙に1150時間になるというから、現場の嘆きが聞こえてくる。

時数の算定について少しまとめておこう。まず、どんどん薄くなる私の記憶ひもといて思い出して話を進めるが、各学校は文科省が示した200日程度を基準にして『教育課程』と称する授業日数や各教科の目標を含めて授業時数など年間の計画を作っている。実際は、各自治体の教育委員会が主導しているのだが・・・。

月曜日から金曜日までの5日間、毎日6時間(1コマは45分)とすると年間の授業時数は単純掛け算で1200時間となる。だから、1015時間は十分確保できると考えがちだが、この時数は純然とした教科だけをカウントしたものであることは案外知らされていない。

小学校では運動会や、最近は、国語科や社会科などの教科に読み替えることができるという考え方で『学習発表会』と名前を変えている学芸会などは保護者の関心も高く、教員はその演出に苦心するのだが、見栄えを良くするためには練習時間の確保確保するのが至難の技。

運動会の練習の時間をどれぐらいカウントしたのかはっきり覚えていないが、全体練習も含めて、20コマ(時間)は下らないのではないだろうか。タテマエは体育や特活の授業時数として計数するのだが、その分体育で教えなければならない他の内容がおろそかになるのは誰でもがすぐわかること。

学習発表会(学芸会)も同じで、国語などで読み替えるのだが、学習指導要領の国語科には『演技』という言葉はないので、そのあたりの誤魔化しには苦労させられたものである。

以前のような『遠足』という言葉は、現在ではほとんどが『社会科見学』と名前を変えて6時間分を社会科として読み替えているのではないだろうか。その他、昔からの慣行として家庭訪問があるが、それとて時数計算上無理ということで廃止している学校も多いという。

2泊3日の修学旅行(校外学習)は18時間を、理科や社会、国語や家庭科などに読み替えてカウントしているはず。また、『研究授業』という教師の研修の場も必要で、その日は、該当学級以外は、午後はカットになる。その他、『学校だより』の日程をみると、一週5日が全て6コマの授業が成立することはきわめて稀なことか良くわかる。

現在、多くの自治体で前期・後期の2学期制をとっているが、これとて、授業時数の確保ということが前提で、始業式と終業式をそれぞれ1回省けるというのが主な理由になっていることも、現在の保護者も知らないのではないだろうか。若い教員も知らないのかもしれないが・・・。

まだまだ、とても授業として『?』がつけたくなる時間もあるが、そのことは無視したとしても、あっと言う間に200時間などは消え去り、1000時間を確保することは、まず絶対に無理。だから、朝の会の時間や中休みや昼休み、あるいは放課後の時間を細切れにして足し算して、時数にカウントするという無茶苦茶なことをやりなさいという指令・・・。

980時間を確保することすら至難の技で、(言葉は悪いが)これいかに誤魔化すかが教務主任の腕のみせどころでだったのではなかっただろうか。

さらに、文科省の示す『標準時数』という言葉も曲者で、『標準』なのだから学校の創意工夫で授業の効率化をはかり、時数を少なくカウントできるはずなのに、そんな計画を示すと、教育委員会は間違いなく『ダメだし』。文科省のいう『標準時数』とは『最低時数』であって、各学校は、決してこの時数を下回ることは許されない。

こんな状況で、英語に加えて道徳まで教科となるばかりでなく、授業形態を『アクテブ・ラ-ニング』にせよとの要求。この夏休みは、校長はじめ現場の幹部たちは、『アクティブ・ラ-ニング』とは何なのかという基礎研修に追われているのではないだろうか。

『アクティブ・ラ-ニング』の定義については別の機会にするが、改革は共通の認識が持てるかが成否のカギになることは論を待たない。かつて教科横断的な『総合的な学習の時間』を導入するに際し、現場に十分な共通理解が得られず、現場は大混乱したことを忘れてはならない。

老人施設の慰問だとか、町の清掃活動など、およそ『総合的な学習の時間』にそぐわないことまで授業に取り入れた結果、それが『ゆとり教育』を否定する拠り所になったことも悔しい思い出であり、先の指導要領では、授業数の大幅な増加につながったことも許し難いこととして記憶に留めている。 

多くの学校で、総合的な学習の時間をもてあましたのだから、成果など上がるはずがないことの検証もおざなりにしているのも気になるところ。

『アクティブ・ラ-ニング』もその意味を取り違うと、トンデモ授業が全国各地の学校で展開されて、結局は、教科書中心にした、昔流の授業形態が復活することも可能性としてゼロではさそうだ。

ひょっとして、それが文科省の真のねらいだったり?とは考え過ぎかもしれないが、そのこと含めて、続きはそのうちに・・・。(田舎親父)

2016年8月 6日 (土)

いよいよ臨戦態勢?・・・

 今日は、71回目の原爆忌。間もなく、慰霊行事が始まるのだろうが、政府関係の来賓諸氏はこぞって、『哀悼の誠を捧げる・・・』という決まり文句で始まる挨拶をするのだろうが、聞いていてこんなに空虚な気持ちにさせる文言はない。

 そこには、何故戦争を起こしてしまったのかという問題意識など微塵もうかがえない。(タテマエだろうが)戦争・特に太平洋戦争で『お国のために』という思想で命を亡くした兵士たちを『英霊(神様)』として祭っているのが『靖国神社』だという説が世間的に語られている。 

このことはどうぞご勝手にというところだが、最終的に原爆の惨禍を招いた太平洋戦争を引き起こした『A級戦犯』とされる人物たちは、一部は処刑されたものの、いつのまにか、『神様』である英霊と共に、靖国神社に祭られるようになっていることに憤りを覚えることしきり・・・。

時は、その原爆惨禍から70年余が過ぎ、再び世の中のきな臭さの度合いが濃くなってきた。

自衛隊が憲法違反であるかどうかは別にして、少なくとも、『専守防衛』に徹するべきだと思いたいのだが、いつのまにか世界のどこにでも出かけて、国連(実際はアメリカさま)の命に従って軍事的な行動ができる国になってしまっている。

アメリカからテロ国家と名指しされて、国際的に孤立を深めている北朝鮮はゴメンナサイと頭を下げては、民衆の暴動が起き、体制崩壊につながることになりかねないことから、金王朝維持のためには軍事力の増強あるのみの姿勢を続けている。

それも原爆とそれをミサイルに搭載する技術の開発に血眼になっていることは容易に想像できるが、最近の動きは急で、トンデモ事態になる可能性が大きくなっている。

今までは、北朝鮮はミサイルの発射に関してある程度予告していたが、先日は予告なくミサイルを発射したらしく、それが秋田沖の日本海に落下したというから事は穏やかではない。

アメリカは24時間瞬時休まず、北朝鮮の軍事施設の動きを衛星から監視しているという。そして、打ち上げられたミサイルをアメリカ本土に届くまでの間に打ち落とせる体制ができているのだそうだが、日本は迎撃システムを搭載しているイ-ジス艦8隻?と『パックスリ-』と呼ばれる地対空ミサイル迎撃装置を自衛隊のいくつかの基地に配置しているだけらしい。

政府は、これを拠り所にして、日本国中に迎撃体制を完備できていると胸を張り、いつどこからミサイルが飛んで来ようと打ち落とせると自慢しているが、その自慢の監視体制でも先日のミサイル発射は感知できなかったというから話が怪しくなってきた。

早速、政府・防衛庁は、『今回の打ち上げは、きわめて小型の発射装置を搭載した移動式発射台を使ったものだった』と、なんともマヌケな言い訳の声明を出しているが、要はこの監視体制がザルだったことを世界に示したというところだろう。

慌てた官邸は、『破壊措置命令を常態化させる方針』を打ち出したと昨日の朝のNHKが伝えていたが、こんな命令一本でミサイル迎撃ができるとはとても思えない。

これまでの発射実験では予告通報があったので、その都度『破壊命令措置』を出して対応しておけば、実験に失敗して日本の領域に落ちる可能性があれば、打ち落とせるのであって、予告なしの場合は、全く役に立たないことが証明されたことになる。

これは北朝鮮にとっては凄い成果に違いない。北朝鮮が無予告で発射したことは、これまでの実験とは違って、攻撃を想定していたとなると、いつでも日本の標的に命中させられるという自身を持たせた事以外何ものではないだろう。
 常時『破壊命令措置』とは、政府はイ-ジス艦をずらりと日本海に並べるのだろうか。それとも『パックスリ-』と呼ばれる、何やら箱のような代物を、日本海の海岸にずらりと並べる?・・・。

パックスリ-を引っ張り出して、ミサイルが飛んでくるだろう方向に向けている映像は何度もテレビが放映しているが、その都度私は、こんなチャチな装置で本当にミサイルが打ち落とせるのと首を傾げている。

それはともかく、この装置はいくつかの自衛隊の基地に配備してあるだけとなると、どこに常時配備するのだろう・・・と素朴な疑問が浮かんでくる。

北朝鮮が日本に大打撃を与えるとしたら、まず狙う標的は『永田町界隈』と考えて、国会周辺に配置する事は容易に想像できるが、一番恐ろしいの原発ではないだろうか。特に日本海の、北朝鮮から見たら至近距離にある福井県には原発がずらりと並ぶ『原発銀座』ここを狙い撃ちされたらお手上げだろう・・・。

新潟にも島根にも、少し距離があるが北海道にも、あるいは韓国越しになるが、九州にも原発がある。一発でもそこに命中すれば,広島原爆以上の被害が出ることは間違いないところ・・・。

アメリカさまに泣きついて、今すぐ北朝鮮という国を壊滅させられるなら、北朝鮮の脅威はなくなるが、現実問題としてそんなことはできるはずがない。できもしない迎撃体制を常時とるというのは、ある意味、北朝鮮にいつでも戦争を受けるぞという意思表示として誤解を与えるだけで、ミサイル発射の口実を与えるようなモノ。こんな戦術は無意味だろう。

恐らく、現政権は、防衛力強化のためにイ-ジス艦の増強やパックスリ-の充実配備などということを言い出すに違いない。パックスリ-一基がどのぐらいかかるものか知識はないが、こんなものを日本海にずらりと並べることなどできるはずがない。

もっとも望ましい防衛策は北朝鮮との関係を改善する事だということは、外交など全くわからない私でも考えられる事。

現政権の中核にある部署は、一流大学卒業したエリ-ト集団だろうから、そんなことは十分分かっているに違いないが、中には戦争で決着をつけたい?という人物がいて、その輩が主導権を握っているとしたらゾッとする。(田舎親父)

2016年8月 5日 (金)

反省のできない(しない・感じない)面々・・・

 東電は福島事故原発の復興の筋書きが全く立てられないようだ。除染や賠償訴訟に対しても明確なビジョンがなく、国に対してこれまでより(政府=現政権)多額の支援限度額の上乗せを望んでいるという。

政府が設定した東電支援のための上限は当初5兆円だったが、2年前に9兆円に増えたのだそうだ。しかし、このニュ-スを知っているのはごく一部の人たちで、私も含めて一般大衆は、いつのまにか、東電のやるべき賠償などは全て政府が肩代わり、全てが国民の血税で賄うようになっていることを後で知るだけ・・・。

東電が今年の3月の時点で、除染も含めての賠償額は,すでに6兆円を超えることが明らかになり、慌てて政府に賠償額などの上限をなくすように要望したとなると、これからどのぐらい膨らむかと思うと気が遠くなそうだ。

『兆』がつく金額などは貧乏老人にとっては想像すらできないが、福島原発事故処理に関しては、ごく当り前に『〇兆円』などと曖昧ながら具体的な金額が示されている。しかし、これとて正確な数字ではなくご都合だろから、今後増えることはあっても減ることはない。

加えて、福島第一原発は廃炉が決まっているが、その見通しが全く立っていないというから、最終的には、一体いくらになるのか誰もが想像できない額になりそうだ。政府と東電は、国民にきちんと説明する責任があるはずなのに、対岸の火事のように無責任態度に終始している。

重大な原発事故が起きるとトンデモ事態になることを学んだにも関わらず、原子力規制委員会は原発安全という前提に立って、再稼働するどころか、大飯原発の寿命まで、従来の40年から60年に延長したというから、何を考えているのか全く理解できない。

さらに、関電は同じ福井県にある美浜原発の1、2号機は廃炉にすると決めながら、同じ年代の3号機の延伸を申請、原子力規制委はこれも認めるというから信じられないような無茶苦茶な話。常軌逸しているとしか言いようがない。

まだある、一旦強引に再稼働させたものの、住民の運転停止を求め訴訟で、大津地裁が2度まで、関電の申し入れを拒否して、現在は運転を停止している1、2号機に加えて3号機までも含めて、今後20年延伸申請、規制委はこれを認めたというから、『規制』委員会ではなく、国の僕の『再稼働推進』委員会と表現しても差し支えなさそうだ。

規制委の前副委員長が4月の熊本地震を基にして計算し直して、大飯原発の基準地震動が過小評価』と指摘した問題も、内部で意見が分かれて散々迷走した挙句、見直す必要はないとなったというのも、規制委は東日本大震災からなにも学ばす、ひたすら、現政権の再稼働する方針を追認するだけの御用組織であることを世に示しただけ。

 福島原発の廃炉の話題に戻るが、東電と国は、当初は2兆円と試算していたらしいが、すでにこの金額は、廃炉作業につく前に幻と消えている。

最近になって、2号機のメルとダウンした核燃料(デブリというらしい)の大部分が、圧力容器のそこに存在している(これとて疑わしいが)と発表したが、他の原子炉の様子は全く分かっていないとなると、廃炉という言葉すら虚しく聞こえて来る。

人か近づくだけで即死するほどの高い放射線量の中、私にはとてもデブリを取り出せる日が来るとは思えない。専門家でも無理という意見が対瀬を占めているらしく、先日、賠償委員会?が、デブリを残したまま福島第一原発の4つの原発建屋ごとコンクリ-トで覆う『石棺』を臭わしたら、とたんに地元から猛反発をくらい、すぐに『石棺を検討していることは全くない』という釈明したというから、廃炉の工程は全く闇の中。

困った話だと嘆いていると、山口県が、中国電力が申請している上関原発の建設予定地の公有水面を埋め立てるのに必要な免許の延長に関し、条件付きで許可する方針を固めたという報道が、先日マスコミが取り上げていた。

中国電は建設に向けた動きを本格化させる可能性がある都のこと、国とそれぞれの電力会社が結束して、再稼働はもとより新規の原発建造も本気らしいとなると、一体あの福島事故は何だったのだろう。

事故でふるさとを負われた人々の気持ちを思うと、なんとも痛ましく・落ち着かなくなる。

今夜も、またその鬱憤を紛らわすために酒量が進みそうだ・・・。(田舎親父)

2016年8月 4日 (木)

老々介護の悲劇が続く・・・。

 先日、千葉県船橋市で73歳の妻の首を絞めて殺害しようとしたとして、80歳の夫が逮捕されたというマスコミ報道に、またかと感じた人は多かったのではないだろうか。

逮捕された夫は、『妻が認知症だった・・・』と供述しているらしいが、ひょっとして妻の方から、『殺してほしい・・・』という言葉を口にしたのではと想像している。
 『殺してほしい・・・』とまではいわないとしても、いわゆる老人が老人を介護していることが日常増えているだから、介護する方もされる方もお互いに耐えられなくなり、ついつい手をかけることもあり得ないことではなさそうだ。

また、認知症が進むと、自分すら誰だかわからなるという。夫が赤の他人に見えるそうで、『おたくさんは誰でしょうか・・・』などと口走る妻もいるのだそうだ。

私の知人にも、同じような悩みを抱えている男性がいるが、長年連れ添った妻から、このような意味の言葉を上げられると『なんとも虚しい思いになる・・・』と告白されたことを思い出す。

彼は、殺したくなるとは絶対に口にしていないが、そんな場面に遭遇した時、何とか楽にしてやりたいと思うのは当り前だろう。しかも、医者からは治る見込みがないと宣告されたら、考えたくないが・・・。

私も今月末で73歳、幸いなことに認知症の傾向は今のところ見られない。妻も同じ歳で、こちらも認知症の気配は私よりも格段に少なく、毎日、習字だ卓球だ絵手紙だ・・・と飛び回っているが、いつ、どちらかが奇怪しくなるかわからない年代に差しかかっていることは間違いないところ。

関白宣言ではないが『おれより先に死ぬな』と命じているが、返ってくる答えは『わたしが先よ・・・』というセリフ。この繰り返しに、『介護が必要になった時は、遠慮なく老人ホ-ムに放り込んで・・・』というのだが、最近の事情は、受け入れ先がないというのだから困った話である。

困ったどころではなく、要介護3以下が自宅介護が原則ながら、介護度3と認定されることすら難しいとなると、自分で命を絶つしか道はなさそうだ。まして認知症で自分すらわからなくなるというならば、今のうちに、こんな場合になったら『殺してほしい』という遺言状を書いておかねばと真剣に考えることもある。

 介護されてでも生きるべきだと人には語っている。それがタテマエと分かっていても生きなければならない人もいるだろう。そんな人たちのために、誰もが入所できる施設を作るのが政治の仕事だと思うが、ここまで老人が増え続けている現実では、いかに清廉潔白で自分のことは後回しにして他人を思う(現在では絶対に存在しないと断言できる)ス-パ-政治家でも、待機老人ゼロは不可能だろう。

となると、せめて自分で命を絶つことを容認することも必要なのかもしれないなんて思う今日であるが、薄汚い政治家ばかりの昨今では、これが口実になってはたまらない。

 妻殺しの話から道がそれてしまったが、自分にできることは、死ぬ前日まで自分の足で歩けて、自分のことは自分でできる体力をつけること。そのため毎日、意識的に野山を歩き回ることしかないようだ。

 今日もまた『おれより先に・・・』『わたしが先よ・・・』と他愛ない言葉の応酬をすることを幸せと感じなければならないのかもしれないが・・・。(田舎親父)

2016年8月 3日 (水)

教員をバカにした話・・・

 昨日の朝刊に、2020~22年度に小中高校で順次始まる新しい学習指導要領について、悪名高い『中央教育審議会』のこれまでのまとめ案が掲載されていた。

小学5、6年生の『外国語活動』が教科に格上げされ、『英語』と限定されて年間の授業時数は70コマ(1コマは45分)に倍増する。他教科も合わせた総時数は1015コマになるというから学校現場の悲鳴(断末魔といっても差し支えない)が聞こえてくる。

現在、中学校の標準事業時数が980コマだから、それより35コマも多くなる。これだけでもいかに無茶苦茶な話だということが良く分かるが、押しつけられた小学校では、(以前にもつぶやいたが)朝の会や中休みを授業時間に振り替えて、10分×4.5日で1コマ文の45分を確保するしかないとという、信じられないよな芸当を強要されるのだからたまったものではない。

このことは別につぶやくとして、中学校では部活が日常的に当り前になっているが、教員の苦労など、その中身は案外知られていない。特に運動部の顧問を押しつけられた教員は、他校との試合に土日をかまわず駆り出されていることが最近問題になっているが、その手当てを2割増額するという記事に目が留まる。

学校現場を知らない、特に派遣やアルバイトで生計を立てている低所得労働者からみると、『2割も増額とは羨ましい限り・・・』となるかもしれないが、本来は休業日であるにも関わらず3000円の手当てで、ほぼ強制的に出勤させられていることを知っている一般人はほとんどいない。

文科省には、休日の部活に対して顧問教員には『4時間以上で3000円』という基準があるが、『4時間で』ではなく『4時間以上で』となっていることに留意しなければ、その酷い実態が見えて来ない。

対外試合に出かけるとなると、4時間で終わるはずがなく、朝早くから夕方まで、8時間以上も生徒の健康はもとより事故にあわないように見守らなくてはならないのだが、いくら引率の時間が長引いても、手当ては『3000円』ぽっきりで超えることがない。

文科省はこれを改善するために、2割の増額を決めたそうだが、3000円が3600円になるだけの話。これが改善とは笑わせてくれる・・・。

 部活が教員職務として明記されているなら、3000円を支払うこと自体違法なのかもしれないが、文科省の規定でも、部活動は教員が『自主的に指導』していることになっているはず。

教員が自主的に指導するのだから、『教員特別手当』として加算されている本給の4%の中に含まれるという解釈によって学期中の平日は夜遅くまで指導しても残業代は一切支払われない。ただ休日も全くの無給では文科省も体裁が悪いので、3000円(自給計算では数百円)の手当でお茶を濁しているというところ・・・。

 しかし、現実には、自主的というボランタリーな活動ではなく、『全員顧問』が慣行となっているので、全国の中学校ではほぼすべての教員が『部活動の指導』にあたっているのだから、指導をしたくなくても、『自主的』の名のもとに、強制的に駆り出される仕組みになっている。

 運動部の指導に熱心な教師の存在は否定しない。自分の専門とする競技の部活の指導にやりがいを持っている教員も少なくないことも理解しているつもりだが、特に小規模の学校では、教員の絶対数が少ないので、全く技能はもとよりル-ルも詳しく知らない競技の顧問を押しつけられることも多く、言葉は悪いがイヤイヤながら顔を出している教員も多いことも事実である。

古い話になるが、私の知っている中学校の教員の中には、『休日は休みたい』という声は日常的だったし、『カネを払うから休ましてほしい』という、本末転倒な話も良く耳にしたものである。

文科省もこの現実は無視できなくなっているらしく、全国の教育委員会に対し、部活動において休養日の設定を徹底するなど、教員の長時間労働を少なくなる用にという通知を出したのはつい最近のこと。

しかし、部活のあり方などに言及せず、3000円に600円増額することで、部活の現状維持を計るとは姑息過ぎる。休日にまで部活動指導に時間を費やしている現状が『正常ではない』ことを認識し、それを根本的に改めるのが先決だと大きな声で叫びたい。

部活動が児童生徒の、心身とも健全な発育に必要なことであるならば、『自主的』などという曖昧な言葉ではなく、その指導に長けた外部の指導員に正当な報酬を払って委託すべきである。得意な教員が外部指導員となっても良いが、その場合は、少なくとも休日は外部指導員と同じ額の手当てを支払うのが当然ではないだろうか。

文科省は現実的に休日の部活の時間を短くできるはずがないことを知っているのにも関わらず、教員の長時間労働を改善するための通達の中に、『日曜日に実施する場合でも3~4時間以内で練習を終えることを目処とする』との一文があったことを思い出す。

皮肉を込めて、もう少しうがった見方をすると、これは『600円上げてやるから我慢しろ』ということと同じである。

多くの教員たちは『バカにするな・・・』という声を上げたいだろうが、上げられないような仕組みがすでに出来上がっているように思えるのだが・・・。

ますます締めつけが厳しくなる一方の教育現場に、同情しかできないのが心苦しい限りである。(田舎親父)

2016年8月 2日 (火)

またまたバラマキ無駄遣い・・・

 このところ選挙の予想はおおむねマスコミの報道通りなので、小池さんの当選は予想できたのだが、300万票に届こうかという票数にはビックリ。さらに二位が鳥越さんではなく増田さんというのも普通では考えられない話なのだが・・・。

 今回は小池さんは『自民党の小池』として立候補すると真っ先に手を挙げたのだが、自民党都連は挨拶がないとのことで増田さんを担ぎ上げ、自民党本部もこれに乗っかったのだから、誰が見ても自民党の分裂選挙になったことは明らか。

 先日の参院選挙でも、自民と公明の3人に対して、民進と共産で3人と、ほぼ保革が互角だったことから、野党統一候補の鳥越さんが有利なはずだが、あまりにも後出しジャンケンにこだわったことと、健康問題が囁かれ、事実テレビニュ-スで見る限りでも、私でも感じた『今度は病気交代がありそうだぞ・・・』というヨタヨタした動きに都民の不安が集中したようだ。

 さらに、事実かどうかは別にして、恣意的と思われる女性問題を取り上げた週刊誌報道に対して、具体的に反論しない態度も『ひょっとして本当では・・・』という疑惑を生み女性票の多数が逃げたことも考えられる。それにしても、小池さんの半分にも足りないとは予想外。

 小池さんは現政権の政策を肯定していることは明らか。増田さんもその通りで、二人とも改憲には前向きで原発の再稼働は当然という路線である。今回の選挙結果は、個人的な思いはあるだろうが、結果的には現政権を路線を『是』とする票としてカウントすると、都民の3分の2以上(もっとだろうが)が支持したということになる。

 自民党としては推薦候補が破れたことなので、結果的には敗北したことに違いないが、小池さんは知名度のある自民党の有力者であることから、自民党としては事実上は勝利したことになる。それも圧倒的多数の都民の支持によって・・・。これが恐ろしい・・・。

 都政のことは、小池さんのお手並み拝見とするしかないが、現政権が、経済の底上げを狙って、またまた低所得者を対象に1人あたり1万5千円をバラまくことを決めたというマスコミ報道に、こんなカネがあったらもう少しましな政策に使えよ・・・とブツブツ言いたくなる。

このバラまきを『簡素な給付措置』というのだそうだが、末端の事務を行う自治体の平職員はもちろん、郵便局の配達員たちの苦労から何が『簡易』なのかと怒鳴りたくなってくる。

対象が2200万人というから、全体の金額は(私のような貧乏老人にとっては)まさに天文学的な数値。今や政権の僕となってしまった『日銀』という『打出の小槌』をフルに利用するのだろうが、こんなことを繰り返していたら、ますます経済が混乱すのではないだろうか。

2200万人というのは住民税が非課税の低所得者だという。以前もつぶやいたことがあるが、私は最低額の住民税を支払っているので、低所得者とは位置づけられていないらしいが、受け取る年金額は200万円をかなり下回っている。ということは、政府のいう低所得者とは、年収150万円以下?となりそうだ。

私よりも所得が低い人たちが2200万人も存在するというところがなんとも納得できないが、派遣やアルバイトでその日の生活を賄っている人たちも年収が200万円を大きく下回っているという話も良く耳にすることから、先進国だ・経済大国だという言葉が虚しく聞こえる。

1万5000円をもらえるとなると悪い話ではないだろうが、2回に分けて年額7500円のこのカネが経済を押し上げるかと考えると『?』。何かを買って市場に回ればある程度の経済効果はあるかもしれないが、その効果はごく限定的だろう。

これから先の生活のためにとタンスにしまい込む年寄りも多いはず。90歳の貧乏老人でも『老後』のための蓄えという行動も批判できるはずがない。

今回のバラマキは総活躍社会の実現のための政策の一つでもあるらしい。この政策の一つに、出生率を1.8倍にすると意気込んでいるが、これがいかに無理な数字かということは、世間知らずの私でもわかる話。しかも、今回バラまく範囲には、子どもを産んでくれる若者が入っているとは思えず、出生率のアップには全く意味のない無駄金だろう。

一人当たりたった1万5000円をバラまくのではなく、総額数兆円のこの財源を、保育や介護分野で働く、毎日の生活にも事欠くような若者たちの給料を上げようとする発想がないのが悲しい。

介護や保育で働く若者たちの総数は手元にないが、一律5万円程度のアップは可能ではないだろうか。増え続ける年寄りの介護も大問題に違いないが、将来を見据えたら、若者が結婚できる環境を作ることが先決だと断言したい。それが出生率のアップにつながることは、今更私が述べるまでもないこと。

しかし、現実はバラマキしか能がないとなると、この国の将来は決まったようなモノ。『お前に文句を言われたくない・・・』というお叱りが聞こえてくるが、ならば、実効性のある政策を示してほしいものである。(田舎親父)

2016年8月 1日 (月)

8万人の応募?・・・

昨日行われた東京都知事選挙、途中の開票率が前回より勝っているという情報に、ひょっとしてという期待を持たせたが、8時の締め切りとほとんど同時に小池候補の当選確実の報道には、結果は予想していたがあまりに早過ぎると驚く。

二位が増田氏、そして三位に鳥越氏とは、マスコミの結果の予想があまりにそのまま当てはまることに、なんともやりきれない思いをした人は私だけではないだろう。週刊誌の恣意的な攻撃も原因の一つ、連合の裏切り行為もあったことは間違いないが、それにしても、都民の7割が改憲を画策し、原発政策を押し通すことが明らかな保守勢力を支持したことに得もしれぬ恐怖感を覚える。   

小池氏が知事として公約通り?都議会とどこまで対決するのか興味があるが、官邸との裏での手打ちもあり得るとなると、大した期待はできそうもなさそうだ。

そのことは後日にして、8月最初の今日は、東京オリンピックのボランティアについてつぶやくことにする。

2020年東京オリンピックに参加できるボランティアについて、組織委員会がその条件を明らかにしたという記事を読んで、思わず『ウヘ-・・・』と叫びたくなった。

『コミュニケ-ション能力がある』という文面は、外国人の相手することも多いことから、外国語に堪能だということには当然だろうと思うが、1日8~10時間以上ボランティア活動に参加してほしいというのには、ちょっと虫が良過ぎる?・・・。

ボランティアというから基本的には無償だろう。ユニホームは支給されるそうだが、交通費はもちろん食事も自費だという。しかも、地方からの出てくる人は東京までの移動手段や秀句初も全て自分たちで考えろとのことらしい。

組織委員会は、4年前のロンドン大会を参考にしたとサラリと語っているらしい。ロンドン大会では組織委員が約7万人を募集したところ、応募者は24万人に達したというからビックリする。

英語が基本的な国際標準になっているのだから、『語学力』という条件は必要ないことに加えて、ボランティアの経験が就職に有利に働くというお国柄だそうなので、この数値にも納得するが、日本では語学に堪能で1日8時間というのは、いくらなんで瀬ハ-ドルが高過ぎると思えるのだが・・・。

私にとってはオリンピックは遠い世界のことだからどうでも良いのだが、組織委員会のデタラメぶりが目立つことから、なんとも勝手な物言いだと腹が立つ。

改修すれば十分使えるだろう国立競技場を、新しい競技場で行うのが当り前だという傲慢な思が先に立ったのだろうが、その後に、最初のデザインを費用が高過ぎるという、わけのわからない理由で没にして、今回の設計が採用されたようだが、具体的な費用算定は不透明な部分が数多いというから、今後どこまで膨れ上がるかは闇の中。当然ながら、裏では莫大な利権が動いていることは想像に難くない。

各競技の場所も、当初は東京都内の既設の会場で行うという『コンパクト』をウリモノにしていたが、都内の既設の会場では予想観客人数を収容しきれないので、新しく建設することになり、そのための費用が膨らんでいるという話も何度も耳にする。

組織委員会という組織は、ご都合主義の典型で、ワイロまで使って招致が成功すると、コンパクトな大会などという話はどこかに吹っ飛び、ヨットは江ノ島、ボ-トはまだ決まらず、サッカ-は埼玉や横浜など・・・というから、デタラメという一語につきる。

IOCに提出した最初の計画案は,東京オリンピックにかける費用は全体で5000億円程度ではなかっただろうか。それが現在では2兆円は軽く超えるだろうだという声が当り前になり、中には5兆円は必要だとかいう話にもなっているようだ。

IOCの幹部の中には、奇怪しいぞ・・・と疑問を感じている人物もいるはずだろうと信じたいが、開催費用について議論したというニュ-スは聞いたことがない。IOCとしたら、東京と決まったのだから、費用のことなどは開催国の責任だといところなのだろう。

ハコモノだけではなく、組織委員会の職員に対する手当ても膨大なものになっているに違いない。会長や事務局長の給料がどのぐらいなのか明らかにされていないが、間違いなく年収で2千万円は下らないだろう。

職員の給料も、それなりの専門知識のある人材を揃えるとなると、年収で1000万円以下とは思えない。もっとも、派遣やアルバイトなどで集められて低賃金で働かなければならない人たちもいるのだろうが・・・。

ハコモノはもちろん人件費も膨らむ中で、『運営に関われる』というニンジンをぶら下げて、ボランティアを集めて、その人たちをアゴで使ってスム-ズな運営をした魂胆に、自分たちの腹は痛めずに美味しいところはちゃっかりいただく議員や官僚根性を感じる。そんなことを思うのは、お前の考え方が小さいからだと非難されるかもしれないが・・・。

 東京大会の組織委員会はこのような条件で8万人ほど募集するらしいが、ロンドン大会と同じように、20万人以上の応募があるかどうか外野席からニヤニヤしながら眺めようと思っている・・・。(田舎親父)

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