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2016年10月

2016年10月27日 (木)

教員いじめのお馴染み提言・・・

 昨日の朝日新聞の、――いじめ対応、教員の『最優先業務』 情報共有は『義務』――
という見出しに目が留まる。またまた教員いじめの記事だろうと流し読み。

 文科省というより現政権の大好きな『有識者会議』という御用学者集団組織が、いじめ問題について、教職員の業務の中で『自殺予防、いじめへの対応を最優先の事項に位置付ける』という提言をまとめたという、お馴染みの記事である。

 こんなことで、いじめを苦にして自殺する子どもがなくなるならバンザイというところだろうが、いじめがなくなるどころか陰湿化し、自殺する子どもが後を絶たないのだから有識者会議と称する会議に集められた輩の提言などは、かえって現場を混乱させているだけではないかと覚めた眼でみてしまう。

今回の提言の中で、特に笑ってしまうのが、『いじめの認知件数が少ない都道府県には同省が指導することも求めた』という一文。文科省はいじめの件数をカウントすることか大好きと見えて、各学校にいじめの件数を報告させているが、この数が、自分たちが予想している数値より少な過ぎるというのだから困ったもの・・・。

(以前もこの欄でつぶやいた記憶があるが)『いじめ』についておさらいと私見を改めて述べてみたい。

文科省の『いじめ』の定義は、『子どもが心身の苦痛を感じているもの』だという。言い換えれば、『相手が嫌がる行為』はすべて『いじめ』ということになる。

きわめて曖昧な表現で、これを拡大解釈すれば、『本を貸してくれ』と頼んでも貸してくれないとか、『一緒に遊ぼう』といっても遊んでくれないという、ごく日常的に繰り返されている子ども同士の会話や行動も、文科省の指針に置いてはすべて『いじめ』となる。

貸さない事情、遊ばない理由など、始めから『ない』という。大人の社会でも、こんなことは日常的に存在することではないだろうか。最近は、

職場で上司から、教えてもらえないと悩んで鬱になる大人も多いという。このことに対して『大人のこども化』という言葉も流行っているらしいが、私にはどこかピントが違っているという感じ・・・。

 学校内における、子ども同士のこのような些細なトラブルが、これがいじめだとして強制的に教師(大人)が干渉することが『義務』になり、それを記録して校長に報告しなければならないとなると、教師は授業どころではなくなるのは想像に難くない。

授業中、答えを教えてくれないからいいじめだと言い出す子どもがいるという話を耳にした時、思わず『ウソだろう・・・』と叫んでしまったが、ある意味、答えを教えてくれないという行為は、自分にとって『いやなこと』だから、文科省的には『いじめ』になるのも理屈だろう。

表面的には、お願いをそのまま断わらず、物を貸してあげ、仲良く遊んで上げるとなることが、『いじめをなくす』ことだという捉え方が正当だとなると、これこそ異常ではないだろうか。

貸さない正当な理由もあるだろう。遊びたくない気持ちにもなるだろう。仲間外れにする方も、言い分があるはずなのに、それは全て弁解だとされる。一方的に、いじめという言葉が一人歩きして、反省を強要される。

こんなことでいいのだろうか。こんなことを強要していては、大人(教師)の前では徹底的に良い子としてその場を取り償うことが当り前になり、子どもたちの間にストレスが溜まり、教師の目がないところで、陰湿ないじめが始まるというブラックジョ-クとしか言いようがない、笑えない笑い話になりかねない。

 有識者の中には、中学校の校長経験がある大学教授などという肩書の人物も存在するらしいが、この御仁は、自分が中学校長の時代と、現在の教師たちを取り巻く環境や仕事内容を比べてみたことがあるのだろうか。

 少なくとも、この御仁の校長時代は、教師たちには今とは比べ物にならないほど時間的な余裕があったことは間違いないところ。子どもたちの環境もはるかに異なるだろう。当時と違って、子どもたちの関係は比較的直接的で、スマホはおろか携帯さえ存在しなかったはず。現在のようにラインなどという安易な連絡方法はなかったことを議論に生かしているのだろうか。

 そんなことを全く考慮しないで、一方では『学力テストの点数をあげろ』と尻をたたきながら、子どもの行動に目を光らせ、『いじめの兆候を見逃すな』とは、全ての教員にス-パ-マンになれということに等しく、あまりにも酷い話としか言いようがない。

 長くなりそうなので、具体的ないじめに対する私見などは後日つぶやくことに・・・。(田舎親父)

2016年10月26日 (水)

理解不能な言葉や文章の氾濫・・・

先日、毎日新聞のネット版に『SIMフリー機多彩 VR付きで3万円台も』という見出しを見つけた。

最近はやたらとカタカナ語や英字の略語が大流行なので、私のような世間知らずの貧乏年寄りには、『?』ということが多々あるが、その中でも、この見出しは横綱級。ほぼ完全に理解不能である。もっとも、これに類する文章が身の回りには溢れているが・・・。

こんな見出しには、日頃の私ならまず食いつかないのだが、あまりにも意味不明なので記事を読んでみた結果、どうやら最近流行のスマホのことであることが判明。

そう言えば、私が購入した格安のスマホには『SIMカ-ド』というものが搭載されているという説明を受けた記憶が蘇る。このカ-ドが機能を決定づけているらしく、最近は

特定の通信事業者でしか使えない、ロックされていないこのカ-ドが搭載されたスマホが出回っているのだそうだ。これまた意味不明だが・・・。
 記事には、2月に総務省のガイドラインを先取りする形で、大手通信事業者の『実質0円販売』が店頭から姿を消したあと、その勢いが拡大。調査会社BCNのデータによると、元々10%を下回っていた比率が、8月には18.9%まで上がったとある。

 さらに、SIMフリースマホのシェア上位は、中国ファーウェイと台湾ASUS。日本からは、ベンチャー企業でフリーテルのブランドを使うプラスワン・マーケティングが食い込み、三つどもえの戦いを繰り広げていると続いているが、カタカナと英字の略字のオンパレ-ド。

私にはほとんどチンプンカンプンであるが、殆どの若者には理解できるのだから、これまた不思議。しかし、そのことを情けないと思うこともないのは、理解することにそれほどの価値を持っていないからだろう。

 それにしてもあまりにも難解過ぎて途中で読むのを放棄したのだが、『VR』なる略字が『バ-チャルリアリティ』を現すことを知って、この言葉なら以前から聞いていたこともあり、どうやら、バ-チャルリアリティ(具体的にどんな機能なのかは分からないが)がついたこれまでは5万円台がギリギリの価格だったスマホが、3万円台で購入できる機種が出たという記事であるらしい。

スマホ業界では生き残りをかけて、さまざまな機能を搭載し、しかも価格を下げるための過酷な競争をしていることは分かっているつもりだが、記事の最後にある『明快な特徴を持った製品も増えており、ユーザーにとっては、選ぶ楽しみが増えることになりそうだ』という一文に、改めて私とは無縁の世界の話だと思うことしきり・・・。

 このような機種のスマホを使いこなせば、確かに便利で快適な環境が生まれそうだが、ここまで進化させる必要があるのだろうかという疑問と、これでは、ますます自分で考えたり、主体的に行動する能力が衰えるのでは思えてならない。

 話は変わるが、最近、スマホに搭載されたラインという無料の通信アプリが大流行だという。最近のいじめや暴力沙汰の事件の陰にラインの存在があることは間違いないのにも関わらず、マスコミは何故かこのことは及び腰らしく、深く追求しないところも気になるところ・・・。

 つい先日、内子座で行われたグリ-ンツ-リズム全国大会に参加してきたが、出席者の多くの人の口から出るのは、『うちらの町には何もない』という言葉。

しかし、その裏には『東京や大阪などから遠く交通の便は悪いが、新鮮な魚と美味い野菜や果物はふんだんにあり、綺麗な景色が広がっている』という自信がうかがえ、改めて、便利になり過ぎた身の回りに、これで良いのだろうか・・・と振り返えさせられたもの。

 今日もまた饒舌な意味不明のつぶやきになったが、難解な言葉に追いかけられたスマホが手放せない生活よりも、便利さは程々にしても、のんびりとした自分の時間を大切にする生き方の方が、価値があるように思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年10月25日 (火)

いよいよ迫ってきた?・・・

 珍しく仕事で松山空港に降り立ち、迎えの車へ移動中の今月20日の11時過ぎ、私の携帯にけたたましい警告音。開いてみると、横浜市緑区に震度4との緊急情報に驚き、すぐ自宅に連絡するが、返ってきた答えは『布団を干していたので気がつかなかった』とのことに、一安心するが何とも奇妙な気分にさせられる。

 この違和感が気になって、松山から愛南町へ移動中、ネットで情報を確認したら、震源地は房総半島の東方沖。震度4は茨城県と千葉県の一部の地域であることを知り、横浜の片田舎では気がつかなかったという返信に納得する。どうやらこの情報に、地域防災情報を登録しているので携帯が反応したようだ。

 それはさておき、翌日21日の午後2時過ぎ、愛南町でマグロの養殖の現場を見学するために、漁船で現地に向かう途中、島根県から参加している男性の携帯が激しく反応。鳥取県で震度6とのことに、船上の全員がびっくり。

 島根県の県庁の職員である彼の職場や自宅には被害がなかったとのことだというが、震度6でも局地的な地震らしいと推定する。しかし、どこにどんな被害ということは、こちらも、海の上のことなので、目先の見学が優先し、鳥取地震の詳細を知るのはかなり後になる。

 推定通り、震度6を記録したのは倉吉地方だけだととのこと。ただ、これまでも局地的地震の場合震度6でもかなりの被害がでていることから、徐々に被害が広がっているのではと心配になるが、実際に、その夜のニュ-スで市役所の階段の崩落など、被害状況の映像が映し出され、避難している人もかなりの人数に及ぶとのこと、本当にいつどこで起きるか分からないことを改めて肝に命じる。

 人的な被害がなかったことが不幸中の幸いと一安心するのも束の間で、翌22日の午前3時半ごろ、ガクンという揺れに思わず目が覚める。地震情報で確かめると、大分県佐市で震度4とのことである。震源が日向灘だったこともあって、震度3程度の揺れが愛南町にも伝わったようだ。

 今回の地震騒動で、4月の熊本地震が思い出される。倉吉を襲った地震はマグにチュ-ドは6.6というから熊本地震の一回目とほぼ同じ。熊本では、すぐ後にマグにチュ-ド7.0のダブルパンチで大被害を出したが、今回は、今のところ被害が広がるほど大きな余震の情報はない。

 わずか3日の間に、こんなに身近に地震の情報や実際に揺れを感じるのはかなり珍しいことから、日本列島全体が揺れているような何とも不気味な気分になってしまう。

 毎日のように、各地に地震に夜大きな揺れが日常茶飯事になっている感じ。地震列島の上にある国で、これ程頻発に起きている地震にも関わらず、原発再稼働を進める自民党政権とこれに与する公明党の神経が理解できない。

が、それ以上に愕然とするは、にもかかわらず選挙ではこの輩に投票する有権者の多さに加えて、自分に与えられた微々たる武器である『選挙権』に気づかず、これを放棄してしまうことを繰り返していることである。

せめて、甚大な被害を出した福島原発の事故原因がはっきりするまでは、原発の再稼働には反対するべきだと思うが、3.11もすでに遠い過去となり、収束していると思いこんでいる国民が多いとあっては、こんなはずではなかったという後悔を味わう日が来るのは遠くなさそうだ・・・。(田舎親父)

2016年10月19日 (水)

学校選択制に思う・・・

 全国的に公立の小中学校の選択制が流行っているらしい。そもそもこの制度は、子どもの数が少なくなり統合が必要になったことから生まれた考え方だろうと思っていたものだが、ここ数年のこの制度の動きが少し変なような気がする。

 現職時代、公立学校の横並びに何となく物足りなさを感じていた私は、日頃から学校の個性を全面に出せないかと思っていろいろと実践してきたものである。しかし、教員の資質や地域住民の意識に加えて、教育委員会の保守的な体質に阻まれたことが多くかなり苦労したものである。

校長職として最後に赴任した小学校は、区の中では環境的に恵まれた地域ではなかったらしく、行政は地域住民の慰撫のためだろうが、校内に地域開放型の地下温水プ-ルを建設した直後だったことから、地上のプ-ルを取り壊した場所が空き地として残っていた。

この出会いで瞬間的に浮かんだのが、『畑』というイメ-ジ。都庁が見える大都会で、この広さの畑は魅力である。農作業の経験を持っていたこともあって、早速、畑作りに精を出したもの。区教委の理解を得るのが大変だったが、養護教諭の協力もあって最低限の施設を作り『サトイモ』の栽培から、自然体験を柱にした学校として徐々に知られるようになった。

同時に、インタ-ネットやAETを受け入れて国際理解ということを柱にして『畑と英語とコンピュ-タ』というキャッチコピ-はかなり有名になったもの。

さらに、異業種の勉強会で知り合った人たちが無償で来校してくれて、子どもたちと交流が日常的になると内外からの評価は著しく高まり、学区域外からも通わせたいという声が区教委に届くようになり、私の評価も高まったようだ。

都内の学校の特徴は、とにかく学校の数が多く、極端に場合には、歩いて数分で隣の学校があるという状態。都(区)は統合を進めてきたが住民意識がそれ許さず、子どもの数がどんどん減少したにも関わらず存続させざるを得なかったことから、区教委としては渡りに舟とばかり、徒歩通学の安全が確認できる範囲で許可という方針をとったもの。その意味で、私は学校選択性の先鞭をつけたのかも知れないが・・・。

学校を住民に選択させて自然淘汰を待とうねらいだろうが、元々通学時間などあまり問題にならなかったこともあって、保護者に学校を選ばしたところ、年々新入生の数は増え続け、4年後には90人以上となってしまった。1学年3学級と学級数が増えたことで周りの校長からは総スカン。それでも、『アエラ』という雑誌で,『通わせたい小学校全国100選』にも選ばれたのも懐かしい思い出である。

しかし、私が犯した根本的な間違いは、校長職によって方針が変わると、たちまち元の木阿弥で、数年後には2学級すらおぼつかなくなり、今度は、統合されて消えそうになるという動きすら見えてきたという噂。この経験から、公立小中学校の学校選択制度に対して疑問を持つようになり、それが現在も続いている。

またまた、脈絡も怪しい前書きがダラダラと長くなったが、大阪市は24区(そんなにあるのだと驚くが)のうち、23区が『中学校の学校選択制』を導入しているという記事を見つけた。

その大阪市が、区別に発行する来年度分の市立中学校案内に、学校ごとの進学実績を掲載し、小6の子供がいる各家庭に配布したという記事に、学校の序列を『学力テスト』で決める大阪市の体質そのものが良く現れていると、ついつい苦笑を覚えてしまう。

確かに、学力テストの成績や進学先の高校を細かく公開するやり方が、市内共通になれば、校長職が変わろうと変化することはなさそうだ。しかし、生徒を集めるためには高校入試の偏差値を競う『競争』に勝つことが校長職の任務になっていることは良いに想像できそうだ。

保護者や生徒からは、学校を選択する上では、『参考になる』だろうが、偏差値の高い高校に生徒が多く合格する中学校に人気が集中することは当然で、学校そのものの序列がはっきりすることは免れない。

大阪市教委か市立の各中学校に偏差値を当てはめているとは思いたくないが、有名高校へ何人合格などという情報か誰もが知るとなると、『〇〇中学は偏差値60』というような露骨な評価につながる懸念は免れない。暗黙のうちに偏差値が決められるとなると、何だか、塾の競争のように思えるのは私だけではないだろう。

校長の教育考課は子どもの数?・・・。凄まじい争いが起きているのではないだろう。学校教育の目標は、単に文科省の全国一斉学力テストの点数や、自治体が行っている共通テストの偏差値を上げるだけではないはず。

心身ともに健全な人間の育成が学校教育の大目標だと信じている私には、テストの点数はそれなりでも、優しさとか自主性などを重んじる校風作りを重視してほしいと願うのだが、今の時代には、そんな考え方は甘いのだろうか・・・。(田舎親父)

2016年10月18日 (火)

『過労死』なんて死語にしたいもの

  『電通』という企業名はかなりの頻度で耳にする。広告代理店最大手の会社で、大学生の就職活動の話題では必ず出てくる人気企業。

先日、その電通の新入社員だった女性が自殺したのは、長時間の過重労働が原因として労災認定されたという記事に目が留まる。いわゆる、典型的な『過労死』ということになるのだろう。

女性は昨年4月に入社し、試用期間だった9月までは残業時間が1カ月約40時間だったが、10月以降は1カ月約105時間と2・5倍に増え、うつ病を発症し自殺に追い込まれたという内容には気の毒としか言いようがない。

この記事の中にある『試用期間』という言葉を久しぶりに目にする。私が世間知らずなのは自分で十分承知しているが、今どき電通は『試用期間』という制度を設けているらしいことに、『なんとも上から目線の会社だなあ・・・』と厭な気持ちにさせられる。

人気があって優秀な学生が集まる企業ならば、内定後でもいくらでも能力や才能を調べる機会があり、足りないところは指摘して修正させることは可能だと思うのだが私の考え方が甘いのだろうか。

新入社員にとっては『試用期間』となると、会社に滅私奉公をしなければ採用を取り消しされるかも知れないという恐怖感があり、上司の命令にはただ『ご無理ごもっとも』と従わねばならない雰囲気があるのだろう。

それにしても暗い話題である。最近良く『ブラック企業』という言葉も度々耳にするが、残業が月に100時間を越すのは当り前で、200時間などということもあり得るのだそうだというから私には想像すらできない。

一応、私も高校卒業して富士通に務めた経験がある。仕事は、当時では最新の技術であるクロスバ-電話交換機の端末の設計。大企業の工場などで稼働する私設の電話交換機が対象である。

納期がありそれに遅れてはならないことは厳重に指導されていたが、要領の良い私は、上司から『どのぐらいでできる』と聞かれたら、さばを読んで『20日程いただければ・・・』と答え、最初の7日間ほどは、数時間の残業をして残業代を稼ぎ、メドを立てば後はのんびりというパタ-ンだったことを思い出す。

甘い・・と言われても仕方ないだろうが、当時はその程度で会社は動いてのではなかったろうか。その意味では、社会全体がおおらかで、最近流行の『過労死』なんて話題とはほど遠い会社務めであった。

当時から比べて、厭な時代になったものだ。この女性は、母子家庭で育ち『お母さんを楽にしてあげたい』と猛勉強して東京大学に入り、電通に就職したというから、何のために東大を卒業したのかと思うと可哀相でならない。

試用期間をやっと明けて、さあ正社員だと思ったのも束の間で、100時間を超える残業を言いつけられ、辞めるに辞められず、モンモンとした日々を送っていたようだ。

そのことを、『体も心もズタズタ』『毎日次の日が来るのが怖くてねられない』『もう4時だ。体が震えるよ・・・死ぬ』などと、自分が疲弊し、次第に追い詰められていく状況を友人たちに伝えていたという。そのことを見抜けなかった上司や周り、電通という会社の雰囲気にも腹が立つ。

記事によると、電通では1991年にも入社2年目の社員が過労で自殺したとある。当初は会社として責任を認めなかったが、2000年の最高裁判決が『会社は過労で社員が心身の健康を損なわないようにする責任がある』と認定し、過労自殺で会社の責任を認めたことから、電通は損害賠償と謝罪をすることで遺族と和解したらしい。

ところが、今回の労災認定の中で、最近も社内の飲み会の準備を新入社員に担当させ、その『反省会』を深夜まで行い、先輩社員から細かく指導されたことなどが明らかになったが、上司からは『君の残業時間は会社にとって無駄』とのパワハラ発言を繰り返されていたともいうから、これが事実だとしたら、電通は前例を全く反省などすることなく、過酷な労働を強いる体質を改善できていないことになる。

悲しいことに、この女性の自殺を巡って、武蔵野大のハセガワという教授が『月当たり残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない。自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない』とネットに投稿したという。

ネット住民はこのことに猛烈に抗議したらしく、本人は発言を取り消し謝罪したという。武蔵野大学も謝罪したそうだが、昔のモ-レツ社員を念頭においたとしても、軽率な書き込みをする人物を教授に迎えたものと校内で話題になっているのではないだろうか。

電通には、東京労働局が抜き打ち調査に踏み切ったらしいが、徹底的な捜査を願い、その結果として、電通は体質を根本的に反省し、『過労死』という言葉はこの女性に最後にして社会から無くして欲しいものである。(田舎親父)

2016年10月17日 (月)

地裁の判事は時代遅れ?・・・

 新潟知事選に米山さんが当選。良かった。新潟県民の良識の勝利だと敬意を表したい。このことは別につぶやくとして、こんな話題を・・・。 

 先週のことになるが、結婚して姓を改めた女性が、職場で旧姓を使いたいとの訴えを東京地裁が『まかりならぬ』という判決を出したという記事に目が留まる。

 最近は、夫婦別姓が当り前のごとく通用するようになっていると聞いているが、裁判所の体質は昔通りらしい。

 結婚して民法上『姓を改めた』東京の日大三中・高の女性教諭が、時間割表や生徒の出席簿、成績表、保護者らへのお知らせ、タイムカードなどに旧姓を記載するよう学校側に求めた裁判で、東京地裁はその全てを却下したとのこと。

 女性が裁判を起こしたという文面から、私立の日大三中・高という中高一貫校が女性教諭の主張を認めないところから出発したのだろうが、公立学校の場合はどうだったかなと現職時代を振り返ってみた。

 私が属していた小学校では半数以上が女性の教職員だから、毎年のように、結婚して姓が変わる女性が周りにいる職場だったが、旧姓を名乗りたいという声を聞いた記憶はない。むしろ、そのほとんどは、嬉々として新しい夫の姓を名乗っていたような気がする。校長職なってからも、旧姓で通したいという申し出は一度もなかったと記憶している。

毎月出している『学校だより』に、『〇〇教諭は結婚して××教諭と改姓しました』という一文を掲載するだけで保護者も納得、子どもたちからは祝福の声が圧倒的だった。私も含めて周りはしばらくの間、旧姓で呼ぶこともあるが、新学期や新学年を迎えると、当り前のように新しい姓に馴染むのが普通だったのではなかっただろうか。

 この記事を読んで、ふと、『星』という女性が結婚した時、『佐藤姓になります』という申し出に、『もったいないね・・・』と言ってしまったことがあッたことを思い出す。佐藤姓を侮蔑する気持ちはなかったが、当時佐藤という女性教諭が在籍したことことを気に止めずにでた言葉であるが、佐藤教諭から『佐藤で悪かったですね・・・』という、冗談的な厭味を言われたような苦い記憶が浮かんで来る。

私自身に『星』という姓に、(今でも)憧れに似た気持ちがあり、あの時『しばらくの間、星姓で通したいと思います』という申し出があったら、恐らく間違いなく賛成し、許可しただろうと当時を思い出している。現在でも、星姓に限らず、由緒ありそうな姓はなくしたくないと思うことは変わっていない。

当時、星姓の教諭から旧姓を続けた糸の申請があったら、改姓民法的な手続きは別として、保護者や地域には『星教諭は、結婚しましたが、校内では星姓のままで通しますのでご理解ください』という一文で、何ら問題も起きなかったのではないかとも回想している。

 東京地裁の裁判官は、『女性の社会進出の状況などに照らせば、旧姓使用を認めるよう配慮していくことが望ましい』と全文で述べ手いることから時代をしっかりと見据えているように思えるが、『学校側が、戸籍上の姓の使用を強いても違法とはいえない』という、なんとも曖昧な表現で、この女性が旧姓を使うことを却下するとという判決には、どう考えても時代遅れのような気がしてならない。

日大三校という私立学校が,なぜ旧姓使用を禁止しているのかは分からないが、裁判官の言う『結婚後の姓は戸籍制度に支えられており、個人を特定し識別するうえで、旧姓に比べて高い機能をもつ』という表現は気に入らない。

生徒や保護者らが長年親しんできた姓よりも、戸籍上の姓の方が、『本人を特定するうえで優れている』という発想は、どう考えても私には理解できない。時代の流れを読めないカチカチの脳味噌が、このような言葉を言わしめているのではないだろうか。

現政権は、女性の人権を守るというよりも、社会の働き手とする考え方を優先して、国の成長のため女性が働きやすい環境をつくる方策の一つとして、旧姓を使える範囲の拡大を企業や団体に働きかける方針を打ちだしているが、この方針ともそぐわない。

原発再稼働などの政治的案件で、国の方針に反対する判決ならば、『さすが・・・』と大々的に拍手するが、この旧姓云々の、個人の人格をも踏みにじるような表現で女性教員の訴えを却下するのはいただけない。

この女性教員がこのまま『わかりました』と引き下がるとは思えないから、控訴するだろうことは想像に難くない。

さて高裁は、どんな判決を用意するのが、続報を楽しみにしておこう。(田舎親父)

2016年10月15日 (土)

2階からの二階の声で動くコイケ・・・

 衆議院の2つの補欠選挙選が始まった。小池さんの後釜選びの東京10区と、鳩山邦夫さんが亡くなって空席になった福岡6区である。

 東京10区は、コイケ知事誕生に奔走したワカサという比例区の自民党議員。今話題になっているコイケ新党の秦降り役だというから、コイケ知事が真っ先に応援の声を上げるのではと思っていたが、その様子は今のところ見えない。

これは『私が動かなくても楽勝よ・・・』という余裕の現れだろう。都議会もうまく乗り越えて、今や『都民派』というレッテルが浸透しているのだから、民進党が担ぎ出したスズキという元NHK記者が勝利する確率などほとんどゼロではないだろうか。

一方、野党が連合して応援しているらしいが、明日投票日を迎えた新潟県知事で、民進党の支持母体の連合が、原発再稼働をはっきり打ち出しているモリ候補を推薦したことをから、蓮舫新代表と民主党政権を崩壊させた超A級戦犯の汚染ドジョウ幹事長がつるんで野党連合を拒否したというのでは野党の結束など屁のつっぱりにもならないのでは。

新潟知事選は、原発再稼働が争点になってきたというから、再稼働反対を公約に掲げる民進党以外の3野党の推薦するヨネヤマさんが、互角の戦いをしているらしいから、勝利することも十分あり得そうだ。

現政権は、このことに危機感をもったらしく、一昨日には、泉田知事を官邸に呼び出して『モリを応援しろ』と要請したと朝日新聞が伝えている。朝日は、現政権に睨まれるのが恐ろしいから、『要請』と書いているが、実際は『脅し』だろう。

こんなことが許され良いとは思えないが、官邸は白紙領収書も問題ないという輩の集まりだから、倫理観はイヌ・ネコ以下だとなると、何がなんでもモリを知事にして、柏崎原発を再稼働したいということなのだろう。

朝日のある意味、勇気ある行動は評価するが、私が知る限りでは、他の新聞やテレビはこのことを伝えていないようだから、殆どの新潟県民にはこの事実が知らされていないのがなんとも歯がゆい限り。

話を補欠選挙に戻すが、福岡6区は自民党が候補者の一本化ができず、二人の有力候補が立候補しているというから面白くなりそうだ。一人が、鳩山邦夫さんの次男で、もう一人がアっソウ財務相の覚えめでたいサイウチという候補。こちらはアッソウ氏とは犬猿の仲だったと言われているコガ元幹事長がアッソウ氏と手を携えて応援しているというから外野的には面白い。

自民党の二人が票の奪い合いをすれば、民進党の推薦するアライという候補もかなりの能力を持った女性だというから、ひょっとして当選の芽もゼロではなさそうだ。

私にとって、福岡6区のことなどどうでも良いことであるが、告示前の10日に、コイケ都知事が福岡に飛んで、街頭で『邦夫さんの朋友として駆け付けた』と演説していたということがなんともひっかかる。

十日は体育の日でと都庁も議会はお休みだから、どこへ飛ぶのも勝手だろうが、豊洲をはじめ懸案が山積しているのに、わざわざハトヤマ候補の応援のため福岡まで行くとは、裏には相当深い理由がありそうだ。

これも日刊ゲンダイの伝えるところだが、『裏には小池―二階のタッグがある』という自民党のベテラン議員の声を紹介している。
 この記事は紹介する価値があるので、そのまま引用しておこう。(引用はじめ)

小池さんの鳩山応援は、二階幹事長が東京都連の頭越しに、早々に東京10区で若狭さん公認の道筋をつくったことに対する“返礼”みたいなものです。分裂選挙の福岡は麻生財務相以下、1人を除いて県連所属の国会議員が蔵内支援。鳩山支援は武田良太衆院議員だけですが、彼は二階派です。二階さんは自分に連なる子分を増やすためなら、手段を選ばない。分裂選挙で勝った方を後から追加公認することになっているのですから、幹事長は本来中立な立場じゃなければおかしい。それなのに、いまや全国的に絶大な人気の都知事に鳩山陣営にだけ応援に入ってもらうとは……。やりたい放題が過ぎます』

鳩山応援は6日の小池―二階会談で決まった。これで東京では、小池知事が“7人の侍”と呼ぶ離党勧告を突き付けられている区議たちも、二階氏が都連を抑えるシナリオなのだろう。
 『今後はカジノ推進でも二階―小池がタッグを組むんじゃないか。二階さんは党内バランスなど関係なく、幹事長としての権限を自分のために徹底的に利用するつもりでしょう』(自民党中堅議員)率先して総裁任期延長で党をまとめようとしてくれる二階氏に、安倍首相も文句を言わない。いよいよ暴走が止まらなくなってきた。(引用終わり)

あり得そうな話である。アホベ閣下は、自分の任期を延ばすために二階さんを幹事長に任命したことは明らかだが、この御仁は以前からかなりの曲者として知れた人物。ハトヤマさんが当選となれば、ますます力をつけてアッソウ氏など軽くあしらわれる?・・・。

下らない駄洒落ではないが、『2階からの二階の声に反応して飛び回るコイケ』という構図というところか。

圧倒的多数の都民(国民)は、ジャンヌダルクの再来だと、諸手を挙げてコイケ応援団に変貌しているらしいが、この女史は巧みに政界を泳いできた自民党員だということを忘れてはならない。どうやら都民の思いとは全く違うトンデモない方向に進みそうだ。

ニカイもコイケも同じ穴のムジナだとしたら、批判的な眼を失っては『気がつけば・・・』となる可能性が大きいような気がしてならない・・・。(田舎親父)

2016年10月14日 (金)

豊洲に巨大な墓地出現?・・・

 もはや移転は不可能だと思わせる雰囲気が日々濃くなっている最近の『豊洲市場』問題、移転中止となると、その跡地をどうするのかという新たな難題が発生するが、都(コイケ知事)はどうするのだろうと他人事ながら心配になる。

ビックサイトのように、巨大な展示場にするのが一番現実性があるらしいが、もしもできたとしても、『汚染』という言葉が人々の頭にあっては、よほど興味のあるイベントならいらしらず、わざわざ出かけることに二の足を踏むのではないだろうか。

そんなことを思っていたら、数日前の『日刊ゲンダイ』という大衆紙のネット版に、『巨大な墓地を建設』というトンデモ見出しを発見する。

このところ、『日刊ゲンダイ』は、話題性のある事件や事故を、実に面白い視点で捉えて、『そんなこともありそうだ・・・』と思わせる記事が多いので、私のボケ防止のつぶやきの題材探しのためほぼ毎日チェックするようにしている。

記事によると、当初はAmazonの倉庫やカジノ等が有力視されていたそうだが、土地の汚染状況を考慮すると運営が厳しいのだそうだ。確かに、多くの人が出入りする施設は危なくて作れないことも、私の想像と一致する。そこで、イヘント会場は無理だから、汚染の影響が少ない墓地という選択肢が浮かんできたという。

スゴイ発想である。横浜の片田舎には、新しい墓地が毎年のように作られ、瞬く間にその殆どが完売しているというから、墓地不足はかなり深刻だろうことは理解できる。また毎日のように、新聞の折り込みはもとより、電話での勧誘が毎日のようにかかってくることから、墓地商売はビジネスとして十分成り立っていることも想像できる。

ここ数年来、私の徒歩圏内の地域は人口増加が著しいらしい。結構有名な企業も多く、その工場が経済事情で移転して広い更地が現れるのも稀ではない。そこにはすぐに塀ができて建築仕様が掲示されるのだが、殆どの場合、大型のマンションという表示。数ヶ月後には風景が一変している。

また、一山全ての樹木が伐採されて、あれよあれよと思っていると、重機が入りダンプの出入りが激しくなると、数年後には今風の一戸建ての住宅が建ち並ぶ街になっていることも、ここ10年の間に何度も目にしている。

さらに、散策の途中で、こんなところで山を崩しているという場面も遭遇することも数多く、次に通った時には、数軒の雛壇ができているのに驚いたり、テニスクラブが立ち退いて一戸建ての住宅街に様変わりしているのにもびっくりしなくなった。恐らく相続がらみだろうが、大きな屋敷が壊されて十数の区画に分割されて、たちまち住宅の建設が始まっている場面がすぐ近くで存在する。 

横浜線の沿線は、どこも同じように開発が進んでいるらしいとなると、人口増加は当り前だろうが、人気の東京都となるとそれ以上の勢いで人が集まるのは当然で、その分お墓の需要が多いのも想像に難くない。

最近では、核家族化が進み『家』という概念が薄れているという。故郷には先祖の墓はあるものの、そこに入る気がない人も増えているというから、都会の墓を求めるのはごく当り前の成り行きだろう。記事にある『公用墓地も常に満員状態で、意外と現実味がある提案だと言えそうだ』という一文には、ある意味説得力感じる。
 霊園になるとしても、造るのが都なのか、宗教団体なのか、企業なのか、現時点では全く不明だとのことだが、埼玉、茨城、福島など全国に240施設を持つ『さがみ典礼』という葬儀社の名前まで挙げているところから、ひょっとしてひょっとするぞと思わせる。

今日は、トンデモつぶやきになってしまったが、移転中止となったら、たちまち跡地をどうするかが大問題になるだろう。

あの広大な土地に、無数の墓地が立ち並ぶと想像すると、これは一大壮観。世界の話題になることは間違いない。そうなると、すぐにも『世界百選』の一つに・・・。

日刊ゲンダイの記事から、現実離れした面白い空想を楽しんでいる。(田舎親父)

2016年10月13日 (木)

うるさくしろ?とは?・・・

 田舎でも軽自動車が大流行。確かに『横浜』とは名ばかりで、むしろ『横山』と言っても良い地域だから幹線道路をはずれると農道に毛が生えた程度の狭い道路が多いので合理的なのだろう。が、その軽自動車も最近はハイブリッドというマ-クがついているのには驚く限り・・・。

 ハイブリッド車という自動車に始めて乗ったのは、飯田市に住む友人が当時購入したての『プリウス』という車。10年ほど前のことになるが、飯田市内の一本桜を案内してもらった時だったような記憶がある。

 当時は、何ヶ月も待たなければ手に入らないほどの人気だったという。なるほど乗り心地は良い。当時私か乗っていたカロ-ラに比べると格段の差。特に、エンジン音が、本当に『動いているの?』と感じるほど静かなことに驚いたものである。

 車は、途中でエンストすることなく動いてくれれば良いと思っている私には、車の車種や構造などほとんど興味がないことながら、プリウスは走行中のタイヤの回転を利用して発電し、低速ではその電力で走るらしいから、ガソリンの消費は少なく環境には優しいことは間違いないと感心したもの・・・。

 ただ私は、死ぬ前日まで自分の足で歩きたいと思っているので、できるだけ足腰を鍛えるために歩くこと中心の生活をしていることから、車を利用するのは買い物や外食に出かける程度。

時には一・二泊程度の旅行などで使うが、少し遠方に出かける場合も現地でレンタカ-を利用することが多いので、所有していたカロ-ラ十分。となると、環境に良いことは分かっているものの、欲しいという気持ちは全く起きず、現在もない。

 そんな私であるが、3年前に車を買い換えなければならなくなった事情が生じて、一瞬プリウスの小型版の『アクア』というハイブリット車に魅力を感じたものだが、一ケ月の走行距離が千キロ程度では、ハイブリッドの意味があまりないという販売店のアドバイスで、一番安価な『パッソ』を選択したものであるが、プリウスやアクアには相当強い印象があるらしく、今でも、この2つの車種だけははっきりと見分けがつくようになっている。

ところで、ハイブリット車は燃費の良さと静けさがウリだと思っていたが、最近、歩行者から、『あまりにも静か過ぎるので、車が近づいたことに気づかず危険だ』という声があるのだそうだ。聴覚障がい者の人からの意見なら、なるほどもっともと理解できるが、普通の聴力を持つ人ならば、少し注意すればすむことではないかと思わないでもない。

ところが、この声に国が反応して、走行音が非常に静かなハイブリッド車や電気自動車に、『大きな音を発する走行音装置』の設置を義務付けるということを決めたという記事を見つけて、『?・・・』と目が点になる。

記事によると、ハイブリッド車や電気自動車の走行音が静か過ぎて、通行人が車に気が付かずに事故となる事例が発生しているのだそうだが、燃費の良さと、排気ガスが少ないことに加えて、『静かさ』が、この種の車の開発のコンテンツであり国も奨励していたはずなのに、何か変だぞ・・・と思ったのは私だけではないだろう。

最近は、子どもの声が煩いと保育園の建設が進まないという。さらに驚くことに、学校生活の一部になっている部活で、特に運動部の活動時に生徒が出す声が煩いとの苦情で、声を出さない活動(想像しただけで気持ち悪くなりそうだが)をさせている中学もでてきたというから、なんとも住みにくい世の中になったものである。

考え方には多様さは必要なことはその通りだから、子どもたちの声が煩いと、保育所の建設に反対する人たちの言い分は分からないこともないが、静かな車を目指して作り上げたハイブリッドという仕様に、今度は静か過ぎるので『音を出せ』とは、ちっと変ではないだろうか。

記事に、現在の『走行音装置』はドライバーの方で自由に音を消すことができるが、今回の決定ではそれも禁止になるという一文がある。私のパッソにはこんな装置が付いていないが、プリウスなどハイブリッド車には、この装置はすでに義務づけられているのだろうかという新たな疑問が頭をよぎる。

音を出すようにする装置が義務づけられたら、車の価格はその分高くなることは当然だろう。となると、ハイブリッドでない燃費の良い普通車の人気が高まりそうだが、これでは、環境に優しいというねらいと違う方向に動くのでは・・・。

そして近い将来、静けさを求める人々から、『ハイブリット車の騒音が煩い』という苦情が起きそうな気がするが、その時、国は『我慢しろ』とい立場をとるのだろうか。

 この音を出せという国の命令の裏には、得体は知れないが、裏で、『走行音装置』に群がる利権が蠢いているような気もするが・・・。(田舎親父)

2016年10月12日 (水)

なぜ 熊本ばかり・・・

 今年の熊本県は、あまり適切な言葉ではないが、『災害のあたり年』と表現しても差し支えななさそうだ。4月には宇城町や南阿蘇村など阿蘇周辺地域は震度7のダブルパンチでこの地方では、史上稀に見るような大災害を被る。

私も去年の10月に実際に車を運転して、熊本空港から阿蘇大橋を通り、阿蘇の草千里で大阿蘇の雄姿を眺め、内牧温泉を通り大観峰からぐるりと回って阿蘇神社も訪れたが、地震で阿蘇大橋は完全に崩落して、今やその姿はない。

阿蘇神社も全壊状態のままで復旧のメドは立っていない。熊本県民のシンボルとも言われている熊本城も瓦がすべてはげ落ち、主要な建物がボロボロになっている映像は今も変わらず痛々しい。

 この地震災害に追い打ちをかけたのは台風による大雨。地震で瓦を失った家々はブル-シ-トで雨を避けていたのだが、降り続く大雨にはあまり効果がなく、天上からはまるでバケツをひっくり返したような状態で水が屋内に流れ込む有り様だったというから凄まじい。河川の氾濫で田畑は水没、地震で脆くなった地層は大雨で至るところで土砂崩れ。

それを伝える映像に、お見舞いの言葉すら忘れてしまうほどで、復興などとても口に出せない状態である。私にできることは、時にス-パ-に出かけた時に見かける熊本産の野菜を籠に入れるだけ・・・とは、情けないがそれが現実。

それでも、熊本の知人がフェイスブックに投稿している、『頑張っている姿』に、被災した県民の姿をダブらせていたものであるが、またまた人々の復興を急ぐ気持ちを奪ったのが、先日突然何の前触れもなく阿蘇山の噴火。思わず、『またか・・・』と叫んだものである。

爆発が起きたのは今月8日未明。未明というが、午前1時過ぎというから、殆どの人々は完全に寝静まっている時刻。少し離れた地域では、雷でも落ちたのかと思う程度時ことだったから、朝起きて異変に気づいた人も多かったらしい。

しかし、爆発的噴火によって上空に巻き上げられた噴石は周囲3キロにもおよび、火山灰は南西の風に乗って、神戸大阪にまで降り落ちたというから、物凄い規模の大きな噴火だったことが想像できる。

さらに、翌日には、かなりの降水量があったというから始末に悪い。火山灰の降り積もった地域では道路は大半がグチャグチャになり車の走行はもとより、歩くのさえ困難な状況になったという。

水と混じった火山灰はドロドロになり乾くとコンクリ-トのように固まるのだからこれがまた厄介。雨が上がると、人々は固まりかけた火山灰を、完売に流し落とす作業に追われている映像に,ただただお見舞いの言葉しか口から出ない。

今回の噴火は過去30年間でも最大規模だという。多くの住民は『こんな酷いのは初めてだと』つぶやいていたが、まさに泣きっ面にハチというところに違いない。

 そして、昨日の朝、ニュ-スの途中に『熊本地方に震度3』というテロップに、何度目かの『またか・・・』のつぶやきの声が出る。4月の大地震からずっと余震が襲っていたことは知っているが、このところ地震報道が少なくなっているので、やっと収束に向かったのかと思っていた矢先だった。

4月大地震と8日の噴火との因果関係は専門家でも分からないらしいが、噴火の後に、思い出したように起きた昨日の地震は何とも不気味。

今回の噴火で、気象庁は慌てて警戒レベルを3にしたという。昨年に阿蘇山で噴火が観測され、一度はレベル3にしたのだが、その後活動が収まっていたのでレベル2に戻したそうだ。4月の熊本大地震後に再び活発化していたのだが、緊急の事態はないと判断したというが、ナントも言い訳がましく聞こえてしまう。

この説明を聞いて、昨年の秋に阿蘇山を訪れた時に、当時はレベル3の状態で、草千里より向こうは立ち入りが禁止だったことを思い出す。

この事実が、現在の科学では地震予知どころか,火山の噴火そのものすら予知できないということを的確に現している。2年前の御嶽山も突然噴火した。今回の阿蘇も後からはなんとでも理屈をつけられるが、突然であったことは変わりない。

となると、富士山の爆発は近そうだと表現しても奇怪しくない。そして、南海トラフとの関連で日本列島を飲み込むような大震災になっても不思議ではない。その詳しい筋書きはともかく、『日本沈没』という小説の題名が頭をよぎる。

白紙領収書などふざけたことを『問題ない』という、腐った政治がまかり通っているわが国の現状に呆れて、さすがの我慢強い『神様』でも、そろそろ動き出したのではなんて思うのは、その種の小説の読みすぎだろうか・・・。(田舎親父)

2016年10月11日 (火)

白紙の領収書?・・・

 2年前だったと思うが、兵庫県議員のノノムラ某が、『政務活動費』を領収書を偽造したり、空出張を繰り返して数千万円?という莫大な金額を誤魔化して手に入れていた事件の釈明の記者会見で号泣していた姿に、呆れるよりバカバカしさが先にたったものだが、こんな議員が日本中に溢れているというから困ったものである。

 富山市議会の議員はさらに酷く、自民党の議員を中心に結託して、お手盛りで議員報酬を月額10万円を増やした上に、領収書さえ添付すれば何に使ってもかまわないとばかり自分の飲み代や遊興費に使っていることが判明。それが芋づる式に明らかになり、すでに10数人が辞職願いを出しているというからなんとも情けない。

中には、20.000円という数値の前に、もう一つ数字を買い足して、22万円としているものもあるというから、これは明らかな犯罪。一般市民なら、すぐに逮捕される案件だろうが、議員だから辞職すればそれで終わり・・・とはなんとも腹立たしい限りである。

こんな議員の話が出るわ出るわ・・・。連日のように、やれ大阪府下の何とか市とか、岐阜県下の某町などと賑やかなこと夥しい。

そんなことを思っている矢先に、自民党の国会議員の間では、白紙領収書を受け取り、自分で勝手に数字を書き込んで、『ハイ・これが証拠の領収書です』と堂々と通用させていたというのだから呆れ果てて開いた口がふさがらない。

このことを追求したのが共産党のコイケ書記局長だというから、今や『コイケ』という名前が世直しの立役者という感すら覚え、うっかり東京都庁知事室や共産党本部には足を向けて寝られないというところか・・・。

コイケ書記局長は6日の参院予算委員会で、その事実を追求しこところ、渋々ながらイナダ防衛相とスガ官房長官が、ほかの国会議員の政治資金パーティーに出席した際に白紙の領収書を受けとり、支払った金額などを自らの事務所で記入していたことを認めたのだそうだ。

コイケ氏が明らかにした事実では、イナダの団体宛で、同一人物が書いたとみられる領収書は2012年からの3年間で約260枚、約520万円分、スガの団体あては約270枚、約1875万円分見つかったという。恐らく、これは氷山の一角だろうから、金額は想像を絶する額になっているに違いない。

さらに、このことに対して、名前も覚える気さえおきない法務大臣は、『法律的には問題ない』と答弁したというから、この連中の倫理観は間違いなく小学生以下、下手すると最近の賢いイヌ・ネコよりも劣るのではないだろうか。

超経済音痴の私でも、領収書というものは、後で数字を改竄できる余地がない形式で、金額と発行先が明らかになっていなければ証拠価値は全くないということぐらいの知識は持っている。

10年以上も前からは、100円ショプでたった1ケの買い物をしても、はっきりと店の名前(例えばダイソ-)が印刷された100円+消費税8円の合計108円という金額のレシ-トを渡すことが義務つけているのに、自民党の国会議員は『それらは下々の話で、オレたちはこれで良いのだ・・・』という神経らしい。

 こちらもいつのころか記憶がないが、献金を規制するという名目で、政党には国民から収奪した税会から何十億円という莫大な『政治資金』が配られるらうになっていて、政党は所属議員に『ハイ・お小遣い・・・』という感覚で渡しているのだから、『ただでいただけるカネだから領収書など必要ない』という感覚を生むのも当然かも知れない。

元々数千万円もの議員歳費に加えて、新幹線や飛行機も乗り放題など信じられないさまざまな特典が与えられているのだから、こんな怪しげなカネを政党に与える法律などあってはならないのは当り前だろうが、共産党以外は何の抵抗もなく受け取っているというから、議員という輩はどうしょうもない連中の集団としか表現できない。

この怪しげなカネを法律的に所管するが総務相だという。その親分の総務大臣が、『白紙領収書を問題ない』は明言したというから、法務大臣の『法律的に問題はない』発言に加えて、このカネの使い方にはシバリがないとお墨付きを与えたことになる。

なるほど、現内閣の大臣たちが、そろって政治資金の使い方は、『うまくやりさえすれば良いのだ・・・』という姿勢だとなると、自民党に席を置く地方議員が領収書の偽装を思いつくもの当然だろう。さらに、その行為を横目でみているイヌ・ネコ並の倫理観の他の政党の議員たちが『こんな方法があるのか・・・』と我先に追随するのも理屈的には分からないでもない。

もっとも、そんな議員を選ぶ方も問題だろう。しかし、そんな議員の質は、白紙領収書や偽造領収書の存在が明らかになっことで判明することだから、有権者だけを責められない。

諸悪の根源は『政治資金』という怪しげなカネを渡している法律を、即刻廃止にすることだろうが、そのためにメディアはさらなる不正や矛盾を追求して、国民の意識を高めてほしいものである。(田舎親父)

2016年10月 8日 (土)

面白いアイデアかも?・・・

 このところ豊洲移転問題がマスコミの餌食になっているらしく、NHKの義理で放映している国会中継より、民放が取り上げる豊洲問題中心のワイドショ-の方が視聴率ははるかに高いらしい。

 先日、強い雨で動きが歩く気にならなかったので、午後の一時チャンネルをいろいろと変えて確かめてみたら、まさにその通り。内容的にはあまり代わりばえしないが、元県知事やお笑い芸人を交えて、面白奇怪しくおしゃべりしている映像を見ると、なるほど、原稿片手に棒読みしている閣僚たちの答弁を聞くより、こちらの方が人気が高くなるのは当り前だと納得・・・。

 しかし、局が違うのに同じ人物が出ていたり、同じような構成ではどこを見ても対して変わらず、これではマスゴミと言われるのももっともだと改めて感じた次第。また、コマ-シャルを見るのもつまらないので、チャンネルを切り換えたが、不思議なことに、どこもコマ-シャルタイムになっているのもいただけない。ひょっとして、局の担当者が事前に打ち合わせて、チャンネルの固定化を狙っているのではと、変な想像までしてしまった。

 国民の殆どが、『コイケ知事がんばれ・・・』という雰囲気になっていると言っても過言ではないほど、日本中が『コイケ劇場』に注目、コイケ知事の一挙一動を見守っている感じさえする。

 そのことはさておき、コイケ知事は選挙の公約に『満員電車ゼロ』という項目を掲げていたことを先日はじめて知るが、その方策の一つが『2階建て車両の導入』ということを知って、思わず面白い・・・と叫んでしまった。

 今は、電車に乗ることすら稀になっているが、現役時代は、横浜の片田舎とはいえ、JR横浜線の選の朝夕は通勤客でラッシュだった。菊名や町田から継続して乗車する東横線や小田急選は、さすがに渋谷・新宿という東京の中心地に向かう人気路線なので、さらなる満員すし詰め状態だったことは今では懐かしい思い出になっている。

『2階建て車両』という言葉で、昔私が空想した山手線だけに応用できる満員解消の秘策が、『電車をすべてつなぐ』というものだったことを唐突に思い出した。

実にバカバカしい発想で、慣性の法則に背くものであるが、駅の間隔を全く同じにできたらという前提で、すべてつながれた電車は、発車して数分後に次の駅に到着するといういわばエレベ-タを横にしたようなものである。

コイケ知事にアイデアを提供した元JRマンの構想では、列車だけでなく『駅そのもの2階建て』という。こんな発想は思いも寄らなかった。

 現在も2階建ての車両は、東海道や横須賀線のクリ-ン車で使われているので、時に横浜駅のホ-ムでお目にかかることがある。また以前は、上越新幹線や東北新幹線の『各駅停車の特急』は『Max・・・』という名前で呼ばれていた記憶があり、調べてみると、現在でも上越新幹線の一部に残っているようだ。

しかし、これらの二階建て車両は、乗車口は同じなので、座席数は多くなるが、出入りがかなり面倒だったことも記憶に残っている。となると、ラッシュの解消にはなりそうもないが、駅そのものが二階建てで、車両が一階と二階が完全に別れているとなると、確かに、計算上は現在の2倍の収容スペ-スとなり、かなり混雑は軽減されることは間違いなさそうだ。

現在でも2階建ての車両が走っているのだから、技術的には問題はなさそうだ。駅の大改修が必要だろうが、複々線にするための工事や用地確保など考えれば、費用的にははるかに少なくてすむだろうことも、経済音痴ながら理解できる。

 コイケ劇場は、今後もかなり長期間『満員御礼』が続くだろう。豊洲問題が一段落したタイミングで、こちらの公約を、豊洲問題と同じような勢いで発信すれば、ひょっとするとひょっとするのでは・・・と大いに楽しみになってくる・・・。(田舎親父)

2016年10月 7日 (金)

廃炉費用も国民に押しつけ・・・

 政府の原発政策がデタラメを極めている。先日は、悪名高い原子力規制委員会か、国が決めた原発の寿命を40年を無視するかごとく、寿命間近の美浜原発3号機を、しかるべき手入れをすれ安全には問題がないと決めたのにあきれ果てる。以前から言われていることだが『規制委』ではなく『推進委』であることを自ら認めたというところだろう。

出力が小さな原発は、安全維持に莫大なカネがかかるので『廃炉』にし、出力が大きな原発は、今後金儲けが見積もれるから『再稼働』とい政府の方針を、『規制委』は政府の忠実なイヌのごとく、ひたすら突き進んでいる。

悲しいことに、この政権は国民の半数の支持を受けているので、野党、特に民進党のデタラメさもあって、国民の支持が得られず、国民自らが自民党の騙しに、『お国のためには・・・』という状況では、この流れを止めることは難しそうだ。

唯一、止められる方法は、重大な原発事故が起きて、原発がいかに危険なことだと国民が気づくことなのだろうが、『それを言ってしまってはオシマイよ・・・』というところとなると、次々と原発の再稼働を指を加えて見ているしかないのが悲しい限り。

民進党のアホさ加減など口にも出したくないが、新潟県の泉田知事が、恐らく身の危険を感じさせられるような圧力受けて出馬を辞退したのだろうことは、今更確かめようがないとしても、こともあろうに、原発再稼働を明確に反対して立候補したヨネヤマ候補を推薦や応援することなく自主投票とは、ヘドが出るほど気持ちが悪い話。

その背景には、連合に加盟している東電はじめ電力労組が、再稼働に賛成している候補者を推薦しているからだということに、この政党は国民の安全・安心な生活など二の次で連合の一部幹部たちの言いなりという筋書きがはっきりしている。

後は、新潟県民の良識を信じるしかないが、ヨネヤマ知事の誕生を心から祈念している。それでも連合を、支援団体の筆頭として票集めのため切れないのなら、民進党はその役割がすべて終わることになることだけははっきりするだろう。

間もなく結果は判明するだろうが、現政権の悪巧みは、原発の再稼働だけではなく、原発の廃炉費用を、電力小売りの全面自由化で新規参入した電力会社(新電力)に負担させる魂胆であることがはっきりしてきた。

原発は、国の後押しはあったのだろうが、建設したのは金儲けができると確信した大手の電力会社であることは誰の目にも明らかだろう。建設当時から、廃炉にカネがカかのということは分かっていたに違いないが、何十年も先の話として、政治屋山谷電力会社の歴代の幹部たちは先送りにしてきたことは想像に難くない。

それが福島原発事故によって、事故原発を廃炉にするために莫大なカネがかかることが明らかになり、一挙に廃炉問題が浮上したに違いないようだが、少なくとも、東電は、どんな事情があるにせよ、自社の責任で廃炉にしなければならないのが企業の常道だろう。

東電はそんな企業の矜持などどこ吹く風という姿勢で、現政権に泣きついたというところだろう。政権奪い返した自民党としては、再稼働アリキの論理で突き進んでいるとあっては東電を救済しなければということで、例の有識者会議という御用学者総動員して、廃炉の費用を国民負担という発想が生まれたに違いない。

そのための第一段階が、『電力の自由化』という美味しそうな言葉で、国民の関心を集めるともに、金儲けの種としてバラまいたというところでは。

原発事故後、自然エネルギ-がブ-ムになり、太陽光などから得られる電力を東電はじめ大手の電力会社が高く買い取るという政府の発表に、次々と、新規企業に加えて大手の他業種の企業などが電力市場に参入し、どこから電力を購入するかは国民の選択という政策を打ち出したことはほんの数年前の話。

しばらくして、大手電力会社の買い取り価格を引き下げという政策変更は、国のサギ行為そのものだろう。今回の、廃炉費用も新電力参入の企業に負担させるとは、サギどころかペテンとしか言いようがない。結局はすべて国民負担とする算段であることも・・・。

 話は少し飛躍するが、原発事故でやむなく避難を余儀なくしている人たちの補償も東電の責任であるが、こちらもアホへ政権は国民からむしりとった税金を惜しみもなく投入している。そしそ、そろそろヤバイと気づいたのか(補償を打ち切るために)『人が住んでも安全な段階まで除染したから、避難住民は帰還せよ』という政策を強く押し進めはじめている。

 帰還しないのなら補償を打ち切るなんて、どんな顔で言い出せるのだろう。

それでも、自民党政権は安泰どころか、アホベ閣下の総裁期限の延長を言い出し、それがすでに規定の事実化している?・・・。

何なんだろうこれは。今日もまたグチの部や気になってしまったようだ。(田舎親父)

2016年10月 6日 (木)

パリ協定の批准が先だろう・・・

最近すっかり聞かなくなったが、20年ほど前は『酸性雨』という言葉が連日新聞テレビで溢れていた。『酸性雨』が主な原因で立ち枯れている風景の写真も、毎日のように目にしたものである。

それら立ち枯れの原因が、すべて『酸性雨』のせいにされていたことに疑問の声もあり、当時教科書検定に関わったことから、会議の場では『これは間違いない』『この映像は怪しいぞ』などと真剣に議論をしたことを懐かしく思い出している。

『酸性雨』という言葉に変わって、盛んに使われるようになったのが『温暖化ガス』という文字列。特に二酸化炭素(CO2)の激増が諸悪の根源で地球温暖化を招いた世界中が大騒ぎになり、危機感をもったヨ-ロッパを中心に先進諸国が中心になって、『京都議定書』なるガイドラインが作られたのではなかっただろうか。

当時はかなり先進的な内容だったと理解していたが、一番CO2を発生させていたアメリカはもとより、石炭を主なエネルギ-源としていた中国やインドはこの『条約?』には署名していなかったことから、発効はしたものの効果は全くなく『幻の約束事』になったことは記憶に新しい。

しかし、近年地球規模で起きている自然災害の主要な原因に『気候変動(温暖化)』が関与していることが明らかになり、世界各国は緊急課題として真剣に減らす努力をはじめているようだ。温暖化ガスを減少させることが、温暖化をくい止める最善の方法だという共通認識が生まれてきたようだ。

地球温暖化についての国際会議は『京都会議』後も毎年続けられていたが実効性のある合意に至らずに今日に至っていない。しかし、ことの緊急性と重要性は高まり、昨年12月にパリで行われた『第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)』で、『気候変動(温暖化)抑制』に関する多国間の国際的な協定(合意)が得られたことは歓迎すべきことだとつぶやいた記憶がある。

『パリ協定』での合意内容は2020年以降の地球温暖化対策である。ここにはアメリカや中国を含めて、世界の196ケ国が参加する会議で枠組みが出来上がり、実効性は怪しいが、新しい国際ルールが整ったことになる。

詳しい数値は省くが、協定は、すべての国が二酸化炭素(CO2)などの削減にとりくむことを定めた地球温暖化対策のルールである。EU諸国はもとより、京都議定書に署名をしなかったアメリカや中国などはすでに国内での協定締結の手続きを終えているとのこと。先日インドもがこの手続きを終えたと発表しており、数字的にも発効の条件が揃ったことになる。

『パリ条約』は自動的に30日目に自動的に発効することになる。具体的には、来月5日に、世界が温暖化対策で動き出すことになるが、悲しいことに日本は、国内手続きをしていなので仲間外れということになりそうだ。

 20年前に、先頭に立って『京都議定書』を作成した日本が、発効前に批准できないとなると先進諸国ではただ一カ国だけ孤立することになってしまう。これでは、アメリカや中国から、地球温暖化への取り組みが『口先だけだった』と批判される可能性は限りなく大で、世界の笑い物になるのは目に見える。

批准は国会の議決が不可欠なのに、今行われている予算委員会でもこのことに対する質疑など全く聞こえてこない。現政権は、TPPの批准を最優先にしているので、政府筋からは当然ながら『バリ協定』という言葉はない。

自民党は下っぱ議員に至るまで、強行採決してもTPPは通すぞと息巻いているが、アメリカ議会はTPPの批准に前向きでなく、時期大統領候補のクリントンもトランプも反対しているというから、何ともチグハグで理屈に合わない変な話。

環境問題は、人類にとって経済以前の重要課題であるはず。なのに、アメリカでTPP批准を進めているとされているオバマはすでに死に体。アメリカに梯子を外され、これまでは環境汚染の源だと世界から批判の的にされていた中国に先を越されては、日本の立場は地に落ちたと表現しても間違いなさそうだ。

それはこれから明らかになるだろうが、一番気になるのは、これ程重要な緊急事態になっているのにも関わらず、全てのメディアが、完全に『パリ協定』という言葉を封印しているのではないかと思えるほど『見ない・聞かない・話さない』状態。一体何事が起きているのだろう。先程、NHKニュ-スが来月5日の発効をごく簡単に伝えていたが・・・。

どこからか『書くな・しゃべるな』という命令でも降りているとしか思えないのも不気味であるが、次の時代に『負の遺産』を残さないためにも、TPPよりもバリ協定が先だろうと声を大にして叫びたい。(田舎親父)

2016年10月 5日 (水)

ゾウの絶滅に力を貸すのか・・・

 横浜動物園(ズ-ラシア)までの裏道は、我が家から歩いて20分程度の距離にある私のお気に入りの散策コ-スの一つである。退職以来、年額5000円で12回まで入園できる特典がついたて動物園の賛助会員に登録していることから、時間かできたらふらりとでかけるらうにしている。

入場して、最初に出会う動物は、『インド象』。いつ出かけても3頭が他の動物園よりはるかに広いエリアでのんびりと過ごしている。ただ、広過ぎて、望遠レンズがなければ、表情の変化を撮れないのが唯一の悩みだか・・・。

3頭のインド象を紹介する表示盤の隣に、『アフリカ象を助けよう』というステッカ-とその意義などをかいた看板が並んでいる。

その全てを記憶しているわけではないが、現在アフリカ増の数が急激に減っているのは、象牙の需要から、密猟が横行しているからだという主旨の説明がある。その文章によれば今の時点でも、『15分に一頭』の割合で殺されているのだそうだ。

昨年一年度、38000頭のアフリカ象が密猟の犠牲となっているという。牙を奪われて放置されているむごたらしい写真が掲載してある。ハンコや装飾品など、日本や中国を含むアジアの象牙需要を満たすためだという説明も付記されている。

象牙の国際取引は『ワシントン条約』によって禁止されているのにも関わらず、需要が減らないので、金儲け命の輩たちが暗躍し、お得意の『札束横っ面作戦』で現地の貧しい人たちを密猟に走らせているのだろうことは想像に難くない。

『このままでは、後10年で地球からアフリカ象が消える』という一文が、何とも生々しい。『日本人として、アフリカ象の絶滅に手を貸すのではなく、未来の地球に、私たちの子どもたちに、野生のゾウを残せるように、私たちの活動に賛同して下さい』とある。

私自身『象牙のハンコ』など必要と思ったことがないので、さほど興味がなかったのだが、これは大変。何と しても協力しなければならない。確かに『象牙のハンコ』は人気の的らしく、かなり頻繁に新聞の下面の広告欄には、大々的に『福を呼び込む象牙のハンコ』などという文言があることから、国際的に禁止されているのにも関わらず、わが国では、禁止などどこ吹く風とばかり相当出回っているようだ。

野生のアフリカ象が生存しているアフリカ諸国も、密猟を取り締まっているのだが、十分な資金がないために、ほとんど不可能なのが現状だという。

なんとも悲しい話である。人間の業の恐ろしさに心を曇らせていたが、先日、9月の末に南アフリカのヨハネスブルグで野生動植物保護のための『ワシントン条約締結国会議』が開かれ、アフリカ諸国は『すべての象牙市場を閉鎖すべき』という提案をしたという朝日新聞の記事に希望が灯る。(ネットで調べたら朝日だけではなく、毎日や東京も、同じような文意の記事を掲載していた)

アフリカ諸国のこの提案に対して、悲しいことに、日本政府は象牙取り引きの全面禁止に反対を表明し、アメリカなどと対立しているという。アメリカ政府は『日本も賛成するべき』と呼び掛けているが、現政権は、『例外的に取引』を認めるよう要求しているというから驚いてしまう。

反対の理由として、日本国内では、90年の禁止以前に輸入された象牙は『種の保存法』に基づいて登録すれば売買可能で、印鑑の材料や装飾品などとして流通しているからだそうだが、こんな話は国際社会には通用しないことは、素人の私でも分かること。

しかも、環境省は『日本国内での取引が海外での密猟や密輸を助長している事実はない』と大見得を張っているらしいが、日本は象牙の規制が緩いことは世界から指摘されているとなると、環境省はここでも、金儲け命の輩を擁護する立場としか受け止められない。

 軍事的にはアメリカさまのご命令には、ポチ状態で従うのに、アフリカ諸国の要求には強気なのも変な話であるが、この会議が今日採決されるというから、アメリカや西欧諸国の賛成多数で、『全面取引禁止』となることは間違いなさそうだ。

 採択されても法的な拘束力はないのだそうだが、それでも反対という立場を変えないとなると、アホベ閣下が国連安保理事国の仲間入りしたいというホンネを隠して、経済協力という名目でアフリカ諸国に巨額のカネをバラまいたのも、夢まぼろしとなる可能性は大だろう。

 そればかりではなく、アフリカ諸国はもとより、世界の国々から『信用できない』というレッテルが張られて、ますます中国の台頭を許すことになりそうだ。(田舎親父)

2016年10月 4日 (火)

学力テストの意味は失した

文科省は、本来は8月末には集計がまとまり発表するはずだった4月に行われた小6と中3の全員を対象にした『全国学力調査』の結果を、先日一月遅れで先日発表した。遅れた理由が、中3の採点を担当した業者の集計ミスが直前になってわかったからとは何ともみっともない話。

 今回の発表では、都道府県別の一覧表での表示方法を改めたという。これまで平均正答率を小数点以下まで出していたが、四捨五入して整数で示すようにしたのは『正答率のわずかな差は学力の違いを表すものではないから』という理由からだそうだ。

 文科省の内部でも、数字のもつ意味を正しく理解し、わずかな差異や変化に一喜一憂すべきではないという考え方が大きくなったことは一つの変化であろう。が、もう一歩踏み込んで、都道府県別の1点を争う点取り合戦になっている『テストのあり方』を考え直そうという発想を持つ文部官僚の出現を期待したいもの・・・。

 今回表示方法の変更のきっかけは、4月のテスト終了後間もなく、当時の文科相に届いた現場からの投書だったという。その内容は、『教委の内々の指示で、4月に行われる調査の2カ月くらい前から、過去のテストを解く練習をしている』というものだというから、なんとも次元が低過ぎる。

 これまでは都道府県別の小数点以下まで数値を発表していたのだから、上位の県知事が鼻だかのコメントを出しているのに比べ、下位の自治体の知事さんは面白くないのは人情として理解できる。

そこで、教育長に『我が府県の点数を上げろ』と命じていることは、これまでも何度も話題になっている。中には、教委の権限を飛び越えて、成績別の学校の校長名を公表すると息巻く知事も現れる有り様・・・。

都道府県教委としても、知事の命令はともかく、点数で『学力差?』が現れるとなると一点でも点数が上がるように、管下の市町村教委に圧力をかけるのは、これも当然の成り行きだろう。

その圧力は、すぐに校長会にそのまま持ち込まれることになる。特に、点数がよくなった小中学校の校長を表彰するなんて話がマスコミ情報として流れては、点数争いが学校間に蔓延することは当り前だろう。

現在では『無』と信じたいが、担任に命じて、テスト中は机間巡視して、間違った答えを出している児童生徒に、それとなく注意をしろという校長も過去ではあったことは忘れてはならない。そのことに対して、自分の教員考課につながるとなると、情けないながら理解できる話。

また、こちらは毎年問題になっているので、一部では密かに行われていると想像しているのだが、明らかに理解が不足している児童生徒をその日欠席させたり、あるいは意識的に答案用紙を除去しているというのでは、何のためのテストなの・・・と言われても反論などできるはずがない。

それでも点数を上げろとなれば、過去のテスト問題を解くという『予備テスト』は大変効果的であるので、多くの学校で行われているようだ。そのことを、文科省の役人は知っているはずだろうが、新しく大臣になった人物が、現場の声で初めて知って驚いて対策を支持したという筋書きなのだろう。

その対策の一つとして、各都道府県の平均正答率について、県別の詳しい資料『調査結果概況』では小数点以下も公表する一方、都道府県を並べた一覧表では小数第1位を四捨五入した数字を使うことになり、その理由として、『微少な差異を比較するなど、数値の上昇が主な関心事になるのを避けるため』を上げているのでは。

どちらにしても、都道府県別の一覧表が出ることは変わらない。それはともかく、都道府県別の点数を見ると、上位の県は相変わらず、秋田県や福井県などが並んでいるが、前年の下位の県はかなり底上げがなされていることに気づく。

要は、上位と下位の点数の差がかなり詰まっていたことになるのだが、それを『全国的に学力が向上した』と分析して良いのだろうか・・・。

全国の自治体の多くの教委は優秀な教員?に、『秋田詣』『福井詣』をさせて、そのノウハウを得て、どうしたら点数が上がるかを各学校に伝授する研修が流行になっていることも気になるところ。

 秋田県や福井県など上位県がどんなテスト対策をしているのか詳しくは知らない。しかし、前述したように、現場の教員が文科相に直訴していた『過去の設問を解く』というテスト対策は、恐らく多くの学校がやっていると想像している。

 繰り返しになるが、文科省は以前の設問を指導に使うことを禁止できるはずがない。本番の調査前に子どもたちにそれらを解かせ、慣れさせるのは『指導』でないことは明らかで、塾の得意な『テスト対策』であることは論を待たない。

 毎年60億円も注ぎ込んで、点取り狂騒の意味合いが大きくなった(あまり意味があるとは思えない)テストを繰り返す愚は改めるべきであろう。どうしても、全国の子どもたちの理解の傾向を調べる必要があるのなら、抽出調査で事足りるはず。それも5年に一度で十分ではないだろうか。毎年行うのはまさに無駄である。

 私はむしろ、『全国一斉学力テスト』の分析で明らかになっている『点数と経済格差』とが見事に関連していることを問題にするべきだと指摘したい。この問題が明らかになったことこそ、10年間600億円も注ぎ込んだ、全国一計学力テストの『最大の功績』というと叱られるかも知れないが・・・。

経済格差をなくし、親の所得を上げれば、点数が上がることが明らかになった以上、学力テストの必要性は無くなったはず。文科省の猛省を望みたいが・・・。(田舎親父)

2016年10月 3日 (月)

現政権は庶民いじめか趣味らしい・・・

 先日、国税庁が『民間企業で働く給与所得者が2015年の一年間に受け取った平均給与が、前年を5万4千円上回る424万4千円(前年比1・3%増)で、3年連続で上昇した』と発表したが、まず頭をよぎったのはホントかし?という疑問符・・・。この文言のすぐ後には、注釈として『給与所得者には正社員や非正規社員、役員が含まれる』とあるのもわざとらしい。

 経済問題は大の苦手なので、勉強のためにこの記事を詳しく読んでみた。正社員の平均給与は1.5%増の484万9千円、非正規は0.5%増の175万5千円で、差額は314万4千円だとのこと。私には何の情報もないので信じるしかないが、こんなに差があるのかと改めて嘆息する。しかも、この差額は前年が308万円だというから、さらに広がったことになる。

 記事は、給与所得者の人数にも触れており、一年を通じて勤務した給与所得者の数は0.8%増の4794万人で、内正社員は3141万人(1.2%増)、非正規は1122万8千人(3.0%増)だったという。この数字からも非正規従業員の増えかたか異常に高いことが分かる。

 国税庁は『経済が拡大基調にあり、失業率が低いためではないか』と分析しているらしいが、超がつく経済音痴ながら自分も含めた一般庶民の生活の話題にはかなり敏感に反応するようになっている私には、そんな説明では納得できるはずがない。

ここで、給与所得者には『役員』が含まれるという注釈の意味に気づく。最近の、役員給与がベラボ-に高くなって、大企業ともなると億単位の役員がゴロゴロいるというから、なるほど、その連中も含めた平均となると、所得が増えたという数値の誤魔化しが見えてくる。

ふと、かなり以前のことになるが、厚労省が『賃金はここ数年下がっている』と、今回の国税庁とは違った見解を出していたようなことを思い出し、ネットで探してみると、『実質質賃』が5年連続マイナスと発表したという記事がヒットした。

今年の5月20日の朝日新聞がこのことをとり上げている。やはり、かなりのインパクトがあって、記憶に残っていたのだろう。

記事によると、2015年度の毎月勤労統計で、物価の伸びを超えて賃金が上がっているかを示す『実質賃金指数』が前年度より0・1%減ったとある。14年4月の消費増税の影響が薄まり、下げ幅は前年度の3・0%より縮んだが、5年連続のマイナスとなったとあるから、給料は少し上がったようだが、暮らし(家計)は厳しくなったと解釈しても良さそうだ。

『実質賃金』とは、労働者労働に応じて得た賃金(名目賃金)が、実際の社会においてどれだけの物品の購入に使えるかを示す値だという。

計算式は省くが、記事によれば、『給与が2割増加しても、同時に物価も2割上昇しているならば、労働者が購入できる物資の量は変わらず、実質賃金は不変となるが、賃金が変化せずに物価が上昇した場合や賃金上昇率より物価上昇率が高い場合は実質賃金は下落する』という。なるほどこの解説はわかりやすい。間違いなく、国民の暮らしは5年続けて根本的に改善されていなことになる。

また大きく話は飛躍するが、このところ、『配偶者控除見直し』という言葉が頻繁に聞こえてくる。『配偶者控除』とは主に、パートで働く妻の年収が103万円以下だと、夫の課税所得から38万円を差し引くことができ、結果として夫の所得税が低くなる仕組みだと理解している。

言い出したのはいつもの通りアホベ内閣である。『女性の社会進出を後押しするため』の説明しているらしいが、ウソと誤魔化しが常套手段になっているとなると、この説明も眉唾物で、実際は、増税を狙っていることは間違いなさそうだ。

103万円の制限をなくせば、主婦層がもっと働きやすくなるとのことだが、年収103万円以下とは、配偶者という言葉からも主にパート主婦だろう。現政権の担当者は、この人たちの中に、すぐに長時間働ける人がどれだけいると思っているのだろうか。

夫(配偶者)の所得から38万円の控除が無くなれば、38万円分を妻が稼がないと生活は今より苦しくなることは、誰が考えても分かる話。だから長時間働くだろうというのでは、とにかく家計を助けるために馬車馬のごとく働けということ。これはあまりにも酷く非情である。

子育てや家事の負担もあるだろうし、家族の介護を担い働きたくても働けない人もいるはずなのに、それを言い出したら、女性軽視だと反論するのだろうか。同じ勤務時間で、38万円分増収の仕事など転がっているはずがない。

自分の能力ではそんな仕事など見つけられるはずがないので、せめて家計の足しにとパ-トで稼いでいることなど、庶民の税金の上であぐらをかいている政治屋は、見て見ぬふりしているだけだろう。

話を戻すが、貧乏人から搾り取ることだけを考えないで、共働きしなければ生活が苦しい賃金水準の低さ、非正規労働が4割に達したという『いびつな労働環境』の改善にほんの少しでも気配りかできる指導者が現れてほしいものである。

悲しいかな、こんな声が政府に届くとは思えないが・・・。(田舎親父)

2016年10月 1日 (土)

面白くなりそうだぞ・・・

 コイケ知事の動きに目が離せなくなった。昨日は、2020年東京オリンピックの競技会場となる3施設の建設中止の検討に入ったというニュ-スに、オリンピックには全く興味がない私でも、これは面白くなりそうだとニンマリする。

さらに、利権の巣窟だとされている、サメの脳味噌シンキロ-氏が率いる大会組織委員会を都の『傘下』に収めるような発言は実に愉快である。

また、築地市場の解体工事入札参加の企業をあらかじめ決めていたのではないかという疑念が以前から囁かれていたことにも触れたというから、関係する都の官僚や都議会の幹部たちは、昨夜あたりは秘密の場所で鳩首会談でも開いて、対策を話し合っていたのでは・・・。

もう一つ面白いことに、昨日のニュ-スでは豊洲の地下に溜まった地下水から、基準値を上回るベンゼンとヒ素が検出されたというのも偶然ではないのでは・・・と推測したくなる。今まではすべて基準値を下回っていたという発表なのに、知事が延期を発表した直後に盛土がなかったことが明らかになったと同じく、まるでこのタイミングを見越して計算づくで発言しているのではないだろうか。

ひょっとして、コイケ知事はすでに豊洲の移転は無理だと判断して、都民の圧倒的多数が、移転反対に回るような世論を作ろうとしているのではないかとも思える。

現在でも、移転中止を決めても都民の支持はある程度得られるだろうが、このままでは一兆円とも言われる都民の税金がドブに捨てられることになり、一部に納得できないという意見もくすぶるだろうから、慎重にことを進めているに違いない。今まで検出されなかったベンゼンとヒ素が現れたのもその筋書きの一つかな?・・・。

加えて、耐震性にも問題があることも新たに明らかになったというから、ほぼ、移転中止は仕方ないという世論ができつつあるが、もう一つ二つ、決定的な移転してはいけないと思わせる何かが必要と考えているように思える。

それが、来年1月に明らかにされる予定の、地下水の最終分析の結果であり、すでに分析情報が知事の手元に届き、その露払いの役割が、昨日のベンゼンとヒ素の検出だとしたら,この知事のしたたかさは半端ではない。

豊洲の問題は昨夜の会見で解明できずとなったらしいが、知事の顔には悔しさがにじみ出ていたので今後の動きを待つことにして書き出しの話題に戻るが、オリンピックの予算のデタラメさを検証する東京都の調査チームが、総費用は3兆円を超える可能性があるとする推計を発表したというニュ-スがこちらも一昨日大きく報じられた。

調査チ-ムは予算削減のために、ボート・カヌー会場の『海の森水上競技場』など三施設の大幅な見直しを求める報告書を知事に提出したことに、シンキロ-組織委員会長が額に青筋を立てて怒っている姿に思わず吹き出してしまった。 

当初、IOCに提出したオリンピックの予算は7500億円だということも明らかになっているが、利権が利権を呼んで、すでに3兆円まで膨らんでいるようだ。この3兆円も推計らしいから、このまま放置すれば5兆だ10兆だということも絶対あり得ないと言い切れない。

現在でも、組織委員会が集められる民間資金は5千億円程度だと言われている。組織委員会は、残る2兆5千億円超は都民の税金など公的資金で賄われるのが当然だと湯水のごとく使っているらしい。その一つが、この組織が入居しているビルの家賃が年額4億円超というから、デタラメな予算執行を行っていることも明らかである。

都民ファ-ストを掲げている知事には、この際、利権がらみの『ムダ』には徹底的なメスを入れてほしいものである。

昨日の東京新聞がイメ-ジ図を使って3施設と代替え施設を紹介していたが、特に、ボート・カヌー会場の『海の森水上競技場』は無駄の上に無駄を重ねたようなイメ-ジ図。当初の予算が69億だったものが、いつの間にか491億円として、ヌエ・マスゾエ時代に契約したというから、まさに利権の固まり。

ここは東京湾の風の影響をもろに受けて、ボ-ト競技には不適切だと以前から指摘されていたのにも関わらず、コンパクトをウリにして強引に絵を描いたもので、実際に出来上がってから、やはり、実績のある戸田ボ-ト場になるのではというからかう声もあった代物。

私は2020年の東京オリンピックそのものが、福島原発の収束のウソが世界に知れ渡り、中止になることを期待しているので、都民・国民の税金をドブに捨てるような被害はできるだけ少なくしてほしい願っている一人。

一方、コイケ知事はオリンピックの成功のための大ナタだろう。出発点が違うことは十分承知の上だが、それでも、コイケ氏の一連の言動には心から賛辞を贈りたい。(田舎親父)

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