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2016年11月

2016年11月30日 (水)

これは記録としてのこしておかねば・・・

 今年も明日からは12月。私の部屋に吊ってあるカレンダ-も残り1枚になり、いよいよ今年も終わるのか・・・とため息をついている。

それにして、月日の流れるのが速過ぎる。歳をとったせいもあるのかもしれないが、横浜で、ほぼ仙人的生活を送っている私には,時間はたっぷりあって、毎日のんびりとした時を過ごしているはずなのに、気がつくと、『エッ、もう日曜日・・・』という感じで一週間が瞬く間。そして一ケ月もそれ以上に早く過ぎ去る感じがする・・・。

あまりのんびりしすぎると、ボケる恐れがあるというので、ボケ防止のために世の中の動きに対して、自分の生き方と比べて批判や納得をしながらつぶやくことを日課にしているのだが、その題材が多過ぎて、あれこれ考えていると午前中が過ぎてしまう。これも、月日があまりにも早く過ぎるように感じる原因の一つかもしれないが・・・。

そのことは別に考えるとして、先日、天皇皇后両陛下が長野県の阿智村の『満蒙開拓平和記念館』を訪問され、その翌日、朝日新聞と東京新聞はコラムでこのことを伝えていたことはすでに述べた。しかし、両新聞とも、本文のこれに関する記事にないことに疑念を覚えたことが未だに疑念として残っている。

天皇の気持ちなど察することなどできるはずはないが、戦争の責任を人一倍感じられておられることは、慰霊のために国内外の戦争の遺跡を訪ねられ、黙祷を捧げておられる姿を拝見すると、その真摯な気持ちが伝わってくるような気がして自然に頭が下がる。

また、天皇は公務として進んで最近絶えず起きている感じがする災害現場を訪れ、被災者に慰めの言葉をかけられているが、同じように、ご自分の一生の責務として、太平洋戦争で亡くなった人々に哀悼の意を捧げ、遺族の方たちに声をかけられることはそれ以上の強い気持ちの現れのように思えてならない。 

『満蒙開拓平和記念』への訪問も、公務として希望されていたのではないだろうか。しかし、官邸(歴代政権)は折角隠し通していた『満蒙開拓』の事実が明らかになったら具合悪いものだから、公務として認めなかったことから、しかたなく私事旅行という形でも行くぞということを示されたのでは・・・。

官邸は天皇の強い意志から反対できず、私事旅行ならばということで仕方なく認めたというところではないだろう。同時に、マスコミには、『伝えてほしくない』という信号(命令)を発し、今や政権の御用メディアになっている新聞各紙は、そのことについて了解したという筋書きではと想像している。

しかし、そんな新聞社にもジャ-ナリスト精神を失っていない記者は存在し、それが翌日のコラム記事になったのではないだろうか。

コラムに取り上げるのは、時の話題であるが、ほとんど二度と取り上げることがないのがこれまでの常識だから、もう、この種の文面はないのだろうとあきらめていたが、先月末の東京新聞は、社説でこの問題を取り上げたことに驚き、その良識に大感激する。

先日も、述べたように、東京新聞はどちらかといえばマイナ-の新聞社。読者も多くないだろうから、私の記録という意味も含めて、そのまま引用しておきたい。(引用はじめ)

長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館を先週、天皇、皇后両陛下が訪問された。戦中、戦後と、苦難を強いられた開拓民の記憶を語り継ぐ場だ。“負の歴史”の実相をさらに多くの人に伝え続けたい。/記念館は、二〇一三年四月にオープンした。/一九三二年、現中国東北部に建国された旧満州国へ渡った開拓民の苦難を伝えようと、その証言や資料を集めた全国で唯一の民間施設でもある。/今回の訪問は両陛下の希望で実現したといい、体験を語り継ぐ三人の引き揚げ者と懇談もした。/その語り部の一人、豊丘村の久保田諫(いさむ)さん(86)の葛藤をたどるだけでも筆舌に尽くしがたい。/約二十七万人とされる開拓民のうち、長野県からは最も多い三万三千人が送り出された。/だが、終戦間際のソ連軍侵攻と敗走中の惨劇の数々によって、帰国できたのは、同県でわずか一万七千人にすぎなかった。/敗戦直後、久保田さんの村の開拓団は、ほぼ女性と子どもだけ。現地の住民の略奪におびえ、逃げきれずに集団自決に走った。母が子をあやめ、親同士が「今度は私を」と続いた。まだ十五歳だった彼も、いやいやそれを手伝う。/七十余人が息絶えた。/彼ともう一人、男二人が残された。一緒に死のうと石を手に、気が遠のくまで額を殴り合ったが、結局、死にきれなかった。/懇談の後、天皇陛下は「こういう歴史があったことを経験のない人にしっかり伝えることは、とても大事なこと」と話した。/これまでも書いてきたが、何度でも書かねばならぬ。/開拓民は国策で渡ったが、開拓とは名ばかり。その多くは現地の人から取り上げた土地や家をあてがわれ、意識せずとも侵略の加担者になっていたことを。/今も残留孤児の支援さえおぼつかないのに、七十余年前と同じように前のめりになっている国のありようや、それに無頓着な空気の危うさが漂っていることも。/偽りの国策に踊らされた過ちを繰り返すまいという地元の熱意が実った記念館だ。/今月、修学旅行なども含めた来館者は十万人を超えたが、知名度は低かった。それが両陛下の来訪でひときわ脚光を浴びた。何より遠目に見ていた地元の人々の関心が高まった。/いわば“負の歴史”ともいえる当時の実相を、揺るがぬ資料や証言でもっと伝えていきたい。(引用ここまで)

よくぞ書いてくれた。この論説担当者に最大限の敬意を表し、今日の私のつぶやきとすることに・・・。(田舎親父)

2016年11月29日 (火)

あの大騒ぎはなんだったの・・・

 東京オリンピックの競技会場建設費が、当初の計画より桁違いに莫大になることに対して、コイケ知事は勇ましく他県に会場を移すことも視野に入れて改めて精査すると発言したことに、今回のオリンピックは止めたほうが良いと思っている私には、どうでも良いことながら、いいぞ・・と拍手したものである。

 ところがこの際、新しいハコモノを得る最高のチャンスとばかり、それぞれの競技団体は、上部の『国際なんだか連盟』の会長や役員を動員して、猛烈な反対運動を展開。水泳会場はその圧力が通ったらしく、当初の計画通り新しいハコモノを造ることに成功したらしい。

 水泳連盟の幹部たち(アスリ-トと呼ばれている選手もだが)は東京オリンピックの輝かしい遺産(レガシ-)として、今後生き続けていくと発言しているが、ホンネは『オレたちがこの晴れやかな会場でメダル争いすれば将来が約束される』とでも思っているのではないだろうか。

『レガシ-』なんて、なんともわけのわからないカタカナ言葉を流行らせているが、これらのハコモノは間違いなくオリンピックの『負の遺産』となり、今後数十年は都民・国民の経済的な負担となることは明らかになるのだから、まさにブラックジョ-クそのものだろう。

水泳よりバカバカしい話がボ-トの競技場。ボ-ト競技は、その種目によらず、風の向きや強さに大きく影響されることは誰の目にも明らかだから、天気が比較的安定している内陸の河川での競技するのが常識で、その代表コ-スが埼玉県の戸田ボ-ト場。

ここでは、大学の選手権などが開かれているので、私も名前だけは昔から知っている。ところが、コイケ知事の口から出た名前は宮城県の『長沼ボ-ト場』。こんなところに国際標準のボ-ド場があったことにも驚くが、知事は、オリンピックを『東北大震災復興』とリンクさせる意味で、宮城県のボ-ト競技場を選んだようだ。

宮城県知事は大喜びで、県としたら大金だが、オリンピック全体から見たらススメの涙金程度の分担金を拠出する発言。コイケ知事と一緒に現地視察までする熱の入れようだったので、これで決まったのかなと思っていたが、どっこい組織委員会のシンキロウ会長がIOCのバッハという会長の抱き込みに成功したらしく、急に話が奇怪しくなったことは今更私がしてきるまでもないだろう。

IOCが打ち出した、都・IOC・政府・組織委の4者による協議会で決めるという案に落ち着き、議論が繰り返されていると報じられているが、都以外の3者は新しい競技施設を造ることが前提らしいので結果はミエミエ・・・。

結局、当初の計画通り臨海部の『海の森水上競技場』に決まることになりそうだ。コイケ知事が、『500億円を海に捨てるようなもの』と批判し、宮城県知事と相乗りで視察したことも、単なるパフォーマンスに終わりそうだ。
 東京都の埋め立て地に作る新たな『海の森』という施設は、オリンピック招致のために組織委が作り上げたアホ丸出しの施設。当初69億円と提示した工事費も、始めから数値アリキのもので、実際の本体工事費は、五輪決定直後は1038億円まで膨れ上がり、すでにゼネコンと一部(全部だろう)契約済みで工事も始まっているのだそうだから呆れた話・・・。

組織委は『長沼』に移転されたら、折角の利権が台無しになるばかりか、自分たちのやっていたことがバレるとマズイと思ったらしく、急遽工事費を491億円に減らしたのもなんとも呆れるが、それでも、念には念を入れてだろうが、結局300億円前後にまで圧縮するとのこと。どこをどう削ったら、1千億が3分の一になるのだろう・・・。

『海の森』という施設の詳細は知らないが、東京湾といえど海の中。水門で締め切って波の影響をなくすという説明に、物凄いでかい水門を作るのだろうと想像する。と同時にこの水門という言葉で『諫早水門』を思い浮かべる。

何千億円という巨額の税金を費やして作られた『諫早水門』は、今や漁民と農民の争いの愚の『張本物』。国は双方に莫大な違約金を払っているが、『海の森』も、ボ-ト競技を行うたびに、開門・閉門を繰り返すのだから何だか同じたぐいの無用の長物。その水門の開け閉めの費用だけで年間6000万円超がかかるというから、形は違うが『諫早水門』の二の舞になることは間違いないところ。

しかもとの推計では、この『海の森ボ-ト場』はオリンピック後の維持費が年間3億円程度かかるという。都は年間約1億円の収入を見積もっているとのことだが、これもとらぬタヌキお何とかになりそうだ。

年間どのぐらいのボ-ト競技があって、そのイベントにどのぐらいの観客が集まるのかはわからないが、マイナ-名な競技だけに、それほどの収益が得られるとは理解し難い上に、会場費は戸田ボ-ト場の方がはるかに安委というから、常識的に考えても、わざわざ海の森で開催する競技が多くなるとは思えない。

組織委は『レガシー(遺産)を残したい』という発言はしているそうだが、この『海の森』は、オリンピックが終わったらすぐにでも、広大な『廃虚』になることは想像に難くない。

もう一つのバレ-競技の会場も、『横浜アリ-ナ』という話も出たらしいが、結局はバレ-協会も国際団体の力を借りて都に圧力、その結果『横浜アリ-ナ』では、周辺の立地条件が整わずということで当初の案のように有明に新設ということになりそうだ。もっともオリンピックに反対している横浜市民の一人としては、ありがたいことであるが・・・。

 水泳とバレ-競技は、比較的集客条件は良さそうなので、『海の森』のように、すぐに廃墟になる可能性はないとしても、その維持管理には年間数億円の費用がかかることは明らかとなると、入場料などで回収できるはずがなく、大部分は都の負債になることも当然だろ。

 こんな膨大な負の遺産を都民だけが負担でいるはずがなく、オリンピックの強引な招致に加担した国が、一部を負担すると言い出すことも予定の筋書き。その財源は全て国民から搾り取る税金。何だかんだと名目をつけて増税をもくろんでいることは間違いないところ。

それでも、都民・国民はオリンピックをやりたいのだろうか・・・。(田舎親父)

2016年11月28日 (月)

横浜市教委にもの申す・・・

 福島原発事故で福島県から自主避難した子どもが、横浜市立小学校で数年間にわたり、『いじめ(恐喝)』を受けていた問題がマスコミの絶好の餌食になっている。

新聞各紙が福島からの避難家庭を追いかけているらしく、横浜だけではなく東京をはじめ関東各県でも同じような経験をしたという子どもや保護者も多いというのも気になるところ。

関係者からは、今回の横浜市の問題は『氷山の一角』という声も上がっているというから、福島から避難している人は、原発による直接被害に加えて、避難先での今回のような仕打ちが加わるのだからたまらない。

それでも、今回報じられた横浜市教委と学校の対応の拙さは特筆もので、あまりにもいい加減さと無責任さには呆れて開いた口がふさがらない。

マスコミ報道だけで判断してはならないことは肝に命じている。が、少年の手記(果たして本人の意志で書いたのかもわからないが)を公開し、よくぞ自殺を思い止まったと著名な評論家のコメントを載せて、美談に仕上げているのも何となくだがひっかかる。

当時の4年生の児童が『原発の補償金?がでただろう』というセリフを持ち出して恐喝まがいのことをしていたという部分は間違いなさそうだ。その細かい経緯などは別にして、(私にはまだ信じられないところが多いが)小学生の間で、繰り返し万単位のカネの受け渡しが続いていたというから、なんとも気分が滅入ってしまう。

市教委と学校の内部調査では、『8万円のやりとりはあったことは事実だが、そのほとんどは被害者から差し出したもので、恐喝には当たらない。150万円という金額は不明である・・・』という結論を出しているのも到底納得できる話ではない。

このことに対して全国から批判の声が上がっているというがこれも当然。横浜市民の一人として、市教委と学校に改めて教育行政を預かり教育者として子どもたちを守るという、基本的な姿勢を持っているのかと問いかけたくなる。

事故当時を思い浮かべてみるが、福島原発事故では『放射能』という恐ろしさが改めて認識されたが、『横浜には放射能被害はない』とが擦り込まれたことは間違いないところ。そして、原発で放射能被害が心配で避難してきた人に対しては、すでに『放射能』に犯されてしまったのではという意識があったことも否定できない。

当時、放射能は感染するという誤った知識が風評として流れたら大変なことになりそうだと心配したことを思い出す。ただ、心配はしたが、このことに対して深く考えなかったことも確かで、今思うと、市民感情として『放射能は感染する』という風潮が広がっていたことはあり得る話で、『放射能がうつるから・・・』という一言を、我が子に話した親がいただろうことは容易に想像できそうだ。

事故当時の新聞記事を改めて読み返してみると、あまりにも酷い混乱ブリが当時よりも客観的に理解できる。放射能に浴びると、一生その影響が残ると騒いだのもマスコミだったことは明らかで、特に甲状腺ガンについては、当然だと思うが、あまりにもセンセ-ショナ過ぎる報道が目立っていた。

福島の人々は先を争って安全な地域に避難するのは当然だが、受け入れ先は放射能、特に甲状腺ガンにについての先入観はどうだっただろう。甲状腺ガンは絶対に感染しないという知識が共有されていただろうかと思うと、かなり怪しい。

横浜市も受け入れ体制を整えて、市営住宅の空き部屋を提供、私の近くの団地にも、かなりの人たちが避難していることはこれまでも何度も述べたこと。当然、学校としては、十分な受け入れ体制をとっていたと信じていたが、今回のようなことが明らかになると、横浜市の行政の幹部たちとしては、『オレたちの仕事はここまで、後は市教委だ』という縦割り行政意識があったことは間違いないところ。

市教委としては、できればこんな面倒なことを受けたくないのがホンネで、管下の校長を集めて『うまくやれよ・・・』と訓示したのだろうが、肝心の学校の体制が『しかたないから・・・』では、今回のような話が生まれるのは当然で、横浜だけの話ではなく、今後各地で起きていることもなるほどと納得できる。

ただ、常識で考えると、被害者の児童にとって、『いじめられたくない・友だちの歓心をかいたい・・・』ということが切実だという背景があったとしても、小学4年生の子どもが、自宅から数万円単位でカネを持ち出していることが、保護者がわからなかったことはひっかかる。一度や二度ならともかく、総額150万円以上の現金が持ち出されていることに気づかなかったことは、私には理解し難いこと。

もっとわからないのが、学校の対応である。如何に最近の教員の勤務環境が劣悪だったとしても、担任(いかにボンクラであっても)が子どもの行動を少し注意していれば、クラスの雰囲気に何か奇怪しいものがあると気づかないはずがない。たとえ、担任が見落としていたとしても、周りが指摘するのが、私が経験してきた学校の普通の姿である。

まして、親からの相談があり、警察からも金品の授受という情報を受けていたにも関わらず、何も動かず、結果として不登校にさせてしまい、現在もフリ-スク-ルに通っていることに、さほどの反省もない?・・・。

 今後、どんな展開になるのか想像しているのだが、現在のように、国そのものが無責任の権化となっているような社会では、自治体はもとより、教育委員会と学校にも無責任体制が蔓延していることは当然かもしれないとなると、今回の事件もウヤムヤになりそうな気がしてならない・・・。

 しかし、市教委が市民の納得できる説明責任を果たさなければ、明らかな『犯罪であるいじめ』問題はなくならないことだけはは間違いないところ・・・。

今からでも遅くない。横浜市教委と学校(校長)には、真摯な自己批判と責任を認める発言と行動を願いたいものである・・・。(田舎親父)

2016年11月26日 (土)

いよいよ『クマコロリ』の出番かな?・・・

 今年は、例年になくクマとの遭遇が多いようだ。であうだけならまだしも、クマに襲われるという記事が多いのが気になる。

特に秋田県では、5月下旬以降、山林でクマに襲われたとされる死亡事故が4件相次だ後、6月上旬には、その人たちを襲ったと推定される体長1メ-トルのツキノワクマを駆除したという記事があった。

地域の人たちはこれで一安心だと思っただろうが、そのクマの胃の中から発見された『人体の一部』を詳しく調査した結果、前日に襲われた74歳の女性であることが確認されたという内容にギョッとする。これでは安心どころの話ではない。

先日、ズ-ラシアでツキノワグマの飼育員の話を聞く機会があった。この動物園は『飼育員のとっておきの話』と言って、曜日と時間を決めて解説してくれるのだが、その日のお客は私ともう一人だけ。

そこで、ツキノワグマは人を襲うこととはよくあるのか尋ねてみた。答えは、このクマの性格は非常に温厚で、人を見たら逃げるのが普通なのでまず考えられないそうだ。ただ、子育て中の母グマは本能的に小グマを守る習性から、出会い頭に人間と遭遇した場合は襲うこともあると教えられたが、私としては稀な例だと考えているとのことである。

また、人間を襲った場合も、相手を倒したら子どもを安全な場所に急いで隠す習性があるので、人間を食べるということはまず考えられないとの説明であった。

実際に人間が食べられた記事に対してどう思うかを聞いてみたら、自分は信じないが、人が持っている食べ物の匂いにつられ、人を襲い一度でも人を食べてしまうと、その味に執着し、人しか食べなくなるということを先輩から聞いたことがあるという。

クマが人間を食べるとは信じ難いが、ネットで調べてみると、稀に、不幸にも人間の味を知ってしまうと人間だけを食べるクマも出現することもあり得るとのこと。特に女性や子どもの場合は、無抵抗になる場合が多いので、女性や子どもにねらいを定めて食べることを目的に襲うこともあるのだそうだ。これは恐ろしい。

先月のことだが、東京都青梅市で、国道沿いの飲食店にツキノワグマが現れ、調理場の冷凍庫を開けて中をあさっていたという記事を思い出す。詳しい住所はないが、一帯は住宅地というから、こんなクマが人間の味を知ったとしたら、おちおち寝てもいられなくなる。続報はないが、住民たちはどんな気持ちで過ごしているのだろう・・・。

さらにこれまでの記事を調べると、今年になってクマの全国の目撃情報は、8月末までの約1万1千件だとのことに、一瞬ウソだろう・・・との言葉が口から出るが、既に昨年度一年分の約9千6百件を上回ったというから、この数値は正しいらしい。今年は特に人里に現れる件数が多いのだそうだが、全国でとはいえ、この数字には驚く限り。

私が感じた限りでは、横浜の片田舎のクヌギなどのどんぐり類は例年より多いのではと思うのだが、東北地方を中心に、主にこの時期のクマの餌になるブナなどの実は凶作気味だというから、すでに冬眠の準備期に入ったと言っても出没する可能性は増えそうだ。

 環境省の作った、クマの生態や被害対策について一般向けのパンフレットには『冬眠中の人身事故もある』とあるのだそうだから、冬眠とは言え眠りが浅く、空腹を耐えかねたら穴から出てエサを探すこともありそうだ。その時、人間と出会った場合を想像すると背筋が寒くなる。

 また、暖冬や餌の不足で冬眠を遅らせたり、完全に冬眠しないクマもいて、仮眠状態でいる時に刺激を受けると瞬時に目覚める習性が近年目立つという専門家もいる。

人間の過疎化に連れて、クマと人間の棲み分けの境界が曖昧になっていることから、最近は東京都下の住宅地にも現れたり、中には、人里のすぐそばで冬眠してしまうクマさえいるのだそうだからなんとも恐ろしい話。

 クマが人里に現れるのは、これまでは人間と獣たちの生活の場が歴然と棲み分けができていたのが、過疎化と共に高齢化が増えるにつれて、人間の方が領域を獣たちに明け渡したことは、専門家でなくてもわかる理屈。

しかも、明け渡す際に、柿やクリなどの果樹をそのまま放置するのだから、クマたちにとっては大いばりで縄張りを広めて、今度はクマが人間の入ってくることを拒むようになるのも自然の理だろう。

 自治体などのマニュアルが近年は充実して、クマよけの鈴や単独行動の回避といったことが必ず書かれているが、それらはしょせん対処療法。猟師も年々その数を少なくしているのが現実となると、駆除などできるはずがない。

 クマに限らず、ここは人間の生活圏だから、お前さんたちは立ち入ってはならないということをクマにどう教えるかが大問題。

このままでは、人間の味をしめたクマが増えることは間違いなさそうだ。本気でクマを徹底的に駆除するために猟師を増やすことも一つの方法だろうが、なり手もままならないと、クマにだけ通用する、私冗談でよく使う『ババコロリ』ではなく『クマコロリ』という超劇薬でも開発するしかないのでは・・・。

ひょっとして、『ババコロリ』に対して本気で人権侵害だと騒ぐ人たちも、『クマコロリ』には、諸手を挙げて賛成するかもしれないと思うと、何だか知らないが笑みさえ浮かんで来るような気がする。これこそまさにブラックジョ-クだろう・・・な。

何だか、クマも高齢者も、便利で快適なだけのこの世にとっては、『不必要・迷惑物』となり、現政権に代表される都会の富裕層にとっては、駆除の対象になっているようにも思う今日ころ頃の私の気分・・・。(田舎親父)

2016年11月25日 (金)

やめませんか、早食い・大食い競争・・・

 年末からお正月にかけて、毎年必ずマスコミを賑わすのが、『餅を喉に詰めて死亡』という事故。その殆どが高齢者というのが定番になっているが、時に、乳幼児が飴玉やプリン体の食物を喉をつまらせるという記事に、またか・・・と厭な気分になるのは私一人ではないだろう。

 若い頃に習慣的に餅を食べ育った年代(私も含まれそうですが)は、今でも、お正月ぐらいは餅を食べなくてはという脅迫概念でも持っているらしく、ついつい年齢から来る筋肉の衰えを考えず、餅を飲みこもうとしても喉を通過できずに苦しみ病院に運ばれるという事故が相次ぐらしい。

 乳幼児の場合は、せめて親がほんの少しの注意をしていれば起きないのだろうが、最近は、0歳から保育園に預ける場合が稀ではなく、親と一緒の時間は休日を除くたかだか日に数時間。

現在の保育園の保育士が担当する乳幼児の数が多く、全ての子どもに細心の注意を払うことすら難しい環境では、この種の事故が起きるのは当然だと言えばこんな当然なことはないが・・・

それでいて、事故が起きると『保育士の責任』ばかりが追求されるのだから、保育士のなり手がないのも当り前だろう。えっ、またまた、保育士の地位を向上するべきだといういつもの論理が出てしまう。

それはさておき、全国各地で人集めのイベントが目白押しで、横浜の片田舎の土日曜日に限ってのことであるが、散歩の途中『何だこの人だかりは・・・』という光景に出くわすことも珍しくない。

その殆どが,消費者の心を揺さぶる安売り・特売であるが、中には、マグロの解体ショ-やジャガイモの詰め放題というイベントも数多い。さらにもっと大勢の人を集めるために真っ先に考えられるイベントが、『〇〇の大食い・早食い競争』というたぐい。

これはテレビの影響だろうが、大食いの女性優勝者が俄然人気者になり、芸能人並のタレント活動をしているということも話題になる世の中だから、簡単な人集めとしてきわめてきわめて有効で安易な手段なのだろう。

こんな前書きになったのは、先日、おにぎりの早食い競争で、28歳の男性が死亡したという見出しに、何故またこんなことで若い男性が・・・と残念な気持ちにさせられたからである。

記事によると、事故が起きたのは11月13日。やはり日曜日である。彦根市の総合地方卸売市場でJAが主催した『おにぎり早食い競争』でのことだという。滋賀県はコメが美味いと評判の県で、JAはそのことを十分意識してのメダマ企画だったのではないだろうか。当日はきっと大賑わいだったのではと想像している。

この早食い競争は、『5個のおにぎりを3分以内にどれだけ早く食べられるか』を競うもので、この青年は5個目のおにぎりを口に入れた際に倒れ、苦しそうな様子を見せた後意識を失い、慌てたJAの当者が救急車を要請、病院に搬送されたが意識は戻らず3日後に息を引き取ったというから気の毒としか言いようがない。

喉に詰まらせないよう飲み物は用意してあったというが、勝ちたいという意識が先に立って、それを飲むゆとりもなくしてしまったというところだろう。

主催者のJAの責任者は、『二度とこのようなことが起きないよう再発防止に努めます』と話しているようだが、喉に詰めることを想定し,飲み物を用意していたというから、これ以上の再発防止策を持っているとは思えない。

再発防止のたった一つの策は、早食いという競争をなくすことだけだろう。このJAでは,来年から中止になることは間違いないが、早食いに勝るイベントは早々考えつくものでないだろうから、この言葉も、他の主催者に対するアピ-ル力は小さいのでは・・・。

この記事で、10年も前のことになるが、町おこしのお手伝いで、十勝地方でソバ早食い競争に参加したことを思い出す。

自分自身がソバ好きなことと、是非主催者側の応援団として参加してほしいとのことで挑戦したのだが、途中で、折角のソバの味がもったいないと気づき、3杯目は、早食いどころか超遅食いとなって、集まった地元の人から猛烈なブ-イングを食らった情けない記憶が蘇る。

しかしこのことから、食べ物は素材を大切にすること、早食いや大食いなどはとんでもないことで、決して食べ急がないことを身をもって知ったことが大きな収穫と、参加して笑われたことが良かったのだろうが・・・。

 こんな記事は、ほとんどの人の目に止まらないのかもしれないが、食べ物の早食いや大食い競争は命に係わる行為であることを、この青年はかけがえのない命で教えているように思えてならない。(田舎親父)

2016年11月24日 (木)

しょせんは増税・そして選挙対策・・・

 『女性が輝く社会』とはなんとも怪しげなキャッチコピ-だが、最近は、この言葉が『配偶者控除』という税金システムと妙にリンクし、ほとんど互換性がある言葉として使われるようになっているような錯覚?に陥っている。

 『専業主婦』という言葉すら、最近あまり聞こえなくなっているが、これも政府筋の使うなというお達しではないかと気になるが、既婚女性が生活の拠り所としている、配偶者控除という仕組みをいじって、何とか主婦層を引っ張りだして人手不足解消の一助にしたいという思いがミエミエである。

主婦が103万円を超えなければ、夫の収入の38万円が控除されるというのが『配偶者控除』という制度だということぐらいは、経済音痴の私でも知っていることだが、このために、この金額ギリギリの収入にするために、働き手である主婦たちはもとより雇用主もかなり神経を使っているのだそうだ。

何とも悲しくわびしくなるような議論である。『女性が輝く社会』という言葉は、どうやら選挙対策だけだったらしく、あえて乱暴な表現をするならば、しょせん,専業主婦という『税金がとれない』層をなくして、女性全員を何らかの職業に就かせて、税金がとれるような立場にしてしまえということだろう。

当初、自民党案は、『配偶者控除を止めてしまえば、イヤイヤでも働くだろう・・・』という乱暴なものだったらしいが、廃止すると専業主婦世帯などが広く増税となり、取りざたされる年明けの衆院解散-総選挙で不利になりかねないとして廃止論を封印したと言われている。

その裏には、主婦層が支持母体の一つになっている公明党から、廃止すれば選挙が戦えないという切実な意見が多数を占めたことで、自民党も譲歩したと噂されているようだ。

代わって出てきたのは、逆に配偶者側の年収要件を拡大するという案。現在の『103万円』を『130万円』にするという。いや130万円ではなく、150万円に増やすべきだという案もでているらしいが、どちらがより多くの税金がとれるかという机上の計算論から出る方法論だろう。

 なくしてしまえ・・・が、どうして一転して枠を拡大させるというのも理解し難いところだが、103万円の壁を少し高くすれば、より多くの時間パ-トで働きやすくなるだろうという姑息な発想としか言いようがない。

 そもそも要件を緩和したところで『103万円の壁』が、『130万円(150万円の壁)になるだけ。女性全員が価値ある働き甲斐のあるある職業につく『女性が活躍する社会』という理念はどこかにすっ飛んでいる。

 しょせん、現政権は、『女性の輝く』などといっても、現実には子育てや家族の介護などで働きたくても働けない人が少なくないことなどを棚上げして、選挙対策程度としか考えていない口からでまかせのネ-ミングというところだろう。

保育所や介護サービスさえ不十分の一語につきるのにどうやって働けというのか。結局は、書き出しで述べたように、親や子どもをほったらかしても良いから『もっと働け、もっと税金や保険料を納めろ』というのがホンネだろう。これでは世の中よくなるはずはない。

こんなことをつぶやいていた等、昨日の新聞に、『妻の年収要件引き上げに伴う税収確保策として、夫の年収に上限を設ける案とともに、夫に適用する控除額を34万円に引き下げる案が政府・与党内に浮上している』という記事を見つける。

 記事によると、(途中略)控除の適用を受ける世帯が増えれば税収が減ってしまうため、財務省は控除額を変えずに税収を維持するために、配偶者控除の対象を、夫の年収が1120万円以下の世帯に対象を絞る必要があると試算しているらしい。

この水準で対象を絞れば、適用を受けられない高所得世帯が比較的多く住む都市部で影響が大きいことから、東京では来夏に都議選が控えていることもあり、選挙戦で不利だと判断して、代わりに控除額を引き下げる案が浮上したのだそうだ。

 配偶者控除を受ける主婦の収入を引きあげる代わりに、配偶者の非課税額を減額して結局は増税に緒尻を合わせる?・・・。全てが増税アリキの選挙対策。

何とも浅ましい気持ちが悪い酷い話ではないか・・・。(田舎親父)

2016年11月22日 (火)

天皇訪問をマjスコミはスル-・・・

 11月18日の朝日新聞の『天声人語』に、天皇・皇后両陛下が長野県阿智村の『満蒙開拓平和記念館』へ訪問されたことを取り上げていたが、紙面そのものには、これに関する記事は見当たらず、一面トップは『日米首脳会談』という活字が踊っていたことを、その日の私は、つぶやきコ-ナ-に皮肉を込めて書いたもの・・・。

 両陛下が飯田市を訪れることは、友人のFBへの投稿で知っていたので、17日のご訪問当日の飯田市は、歓迎行事と同時に厳重警戒で大変だろなと思っていたが、マスコミが一切報じなかったのでどんな様子だったのかは全くわからず・・・。

両陛下の『満蒙開拓平和記念館』ご訪問は、私的なことだから記事にしないという方針なのかもしれないが、実際に満蒙に開拓団の一員として送り込まれた人たちや、その子・孫などにとっては、両陛下の訪問はそれぞれの思いが重なり、見逃すことができない大変重要なことではなかっただろうか。

この日の『天声人語』によって、数年前のことになるが、飯田市とつながりの深い法政大学のある学部の主催で開かれたシンポジウムに招かれて参加したことを思い出す。そのプログラムの一つに、今回両陛下が訪問された平和記念館の開館のために大変努力され、現在も専務理事として運営に当たられている方のご苦労話があり、それをうかがった記憶が蘇ってきた。

名刺を探して確かめると、寺澤秀文さんという方のお話だったが、ご両親が旧満州に入植した経験があったことから、中国残留孤児の帰国支援ボランティアなどをしているうちに、父の話がよみがえり、自分のルーツを知りたい・満蒙開拓団の歴史を残したいと思うようになり、この記念館の建設に奔走したことなどの内容だった。

私は、それまで満蒙開拓団という言葉は知っていたが、その実態は寺澤氏の話で始めて知り大きな衝撃を受けたものである。長野県からの移民がもっとも多く、特に阿智村は当時の村長はじめ、指導的立場の人たちが率先して宣伝したことからことさら人数が多かったらしい。

両陛下の訪問については、東京新聞の『筆洗』というコラムも取り上げていた。天声人語よりも具体的に述べられていることと、東京新聞は朝日や毎日、読売と比べて読者もかなり少ないと思うのでそのまま引用しておくことにしたい。(引用はじめ)

南信州から旧満州国(現中国東北部)へと「阿智(あち)郷開拓団」が渡ったのは、一九四五年の五月だった。団員は二百十五人。僧侶で教員をしていた山本慈昭(じしょう)さんも開拓地で教職をと説得され、海を渡った▼わずか三カ月後に彼らを待っていたのは、敗戦と逃避行だった。山本さんは妻と幼い二人の子らを守りつつ、その日その日の出来事を書き留めた▼<八月十五日 徒歩にて悪しき道を歩く有様は…鬼にむち打たれて逃げまどうに似たり>。十九日には幅三十メートルほどの川を渡った。<母親の名を呼びながら濁流にのまれる子供、泳ぎを知らず死んでゆく老人…>▼そうして生きて帰れた阿智郷開拓団員はわずか十三人。その中に山本さんの妻らの姿はなかった。長野県は全国で最も多くの人を満蒙(まんもう)開拓に送り出したが、三万三千人のうち一万五千人もが命を落としたという。きのう天皇、皇后両陛下が訪問された阿智村の満蒙開拓平和記念館は、そんな歴史を語り継ぐ場である▼山本さんの著書『再会』には、彼の叫びに似た言葉がある。<死んだ母親に…すがりついて泣いていたあの子は、そして川を渡れずに置き去りになったあの子は、どうなったのだろうか…>▼彼は、中国残留孤児の帰国に道を開き、九〇年に八十八歳で逝去するまで日中間に橋をかけようとし続けた。川を渡れなかった子供らを思っての、目に見えぬ橋だ。(引用終わり)

味わい深い文章である。読み終わってさらに寺澤氏の話の内容が蘇流。送り出した側(国、軍部)には、開拓団を前線での補給基地とし、また『人間の盾』としようとする軍事上、国防上の思惑があったということも、私の心を刺激した語りだった。

送り出された側(開拓団員)も結果として侵略の加担者であったことに気づき、戦後もあまり語りたがらなかったのだそうだ。加えて、国はできるだけこの事実を語らないようにしていたので、記念館の開設に大変なご苦労があったことも語られていた。

満蒙開拓というと悲惨な引き揚げがまず思い浮かぶが、実際には入植した人たちには、中国の人たちから、半ば強引に取り上げたり、安く買い上げた家や土地が準備されていたというから、当時の軍部のおぞましいやり方が目に浮かぶようだ。具体的な話は新鮮であり胸に突き刺さることばかり・・・。

分刻みの公務がびっしり詰まっている天皇は、年齢的にも無理ができないと悩まれて、生前退位まで願われているという中、どうしても、この『満蒙開拓平和記念館』へ訪問したいという強い希望で『私的』という言葉をつけた上で実現されたとのことだが、戦争責任を感じて、戦跡はもとより戦争に振り回された国民の安寧を願っての訪問は、戦争の犠牲になった多くの国民の慰霊という意味も深いのではと私なりに受け止めている。

天皇は、本心ははっきりと語られないが、戦争に対する贖罪であり、二度と戦争を繰り返してていけないという決意であり、憲法9条を守りたいという強い意思の現れではないだろうか。

それに対して、現政権は何としても憲法9条を変更し、戦争ができる国にしたいという動きがミエミエ。国連の要請と称して、派遣の必要性も曖昧であるにも関わらず、自衛隊を天文学的な膨大な国民の税金を投じて、わざわざ南ス-ダンまで派遣して『駆けつけ警護』という武器を使える場面を作り上げている。なんともやりきれない話である。

私には、このところの両陛下の動きを見るにつけて、憲法9条もないがしろにして、金儲けのためには戦争も利用するという発想を明確にしている現政権に対して、身体を張って反対の意思を示されているように思えてならない。

この天皇の気持ちと行動に最大限の尊敬を捧げたい。その上で、全てのマスメディアに対して、真摯に受け止め、政権に対して批判を強め、戦争への動きをくい止めるキャンペ-ンを張ることを強く願いたい・・・。(杉)

2016年11月21日 (月)

不登校について、私的なつぶやき・・・ 

 『不登校』なんとも厭な気分にさせられる言葉である。それに比べて『登校拒否』という言葉の方は、その責任の所在が明らかになっている感じがして私には抵抗がない。

というわけで、以前から、私は、できるだけ『不登校』という言葉を使わないで、必要に応じて『登校拒否』という言葉を使うようにしている。そこで、今日は、『不登校』と『登校拒否』という言葉について、20年近い担任生活において、たった一つだけ実際に経験した『不登校』の拙い経験をつぶやいてみることに・・・。

新任で配属された学校で、あまりにも頑な考え方の校長に腹をたてて、職員旅行の席で酔ったフリをして(本当に酔っていたのかもしれない)蹴飛ばしたのが、その校長の逆鱗に触れて、配属されて2年未満にも関わらず、大田区のK小学校に転勤になったことから話は始まる。

今思うと凄い学校だった。赴任した日の午後、しみじみと廊下から校庭を眺めていたが、そこには樹木はほとんどなく、土ぼこりが辺り一面を覆う光景に、酷い学校があるものだと思ったことが思い出される。

しかし、私を引き受けてくれた校長は、『あんたの武勇伝は知っている。教育長から面白い男だから好きなようにさせろという連絡を受けているので、あんたの考えと行動力でこの学校を変えてごらん・・・』と言われたことに感激。

この言葉に騙された?らしく、翌日から学校に緑を作ろうと動きだす。保護者を巻き込んで削岩機とコン諡リ-トミキサ-を学校予算で買いこみ、子どもたちと毎日汗を流して花壇をつくり ヤマモモの植樹と.桜並木の完成のためにがむしゃらに汗を流したものである。そのかいあって、今では、区内でも有名な桜の名所となり、季節になると大勢の見学者があると聞いている。

そのことはさて置くとして、私の受け持ちのクラスに、3年生の中程からずっと『不登校』を続けているKという男の子がいたことを後で知る。

前年に何らかの理由で急に子どもの数が増えて、組替えで7クラス編成になったこともあって、前年度の担任からの引き継ぎなど何もない。元々、まともな引き継ぎなという雰囲気などなかった学校であるが・・・。 

始業式が終わり、教室に子どもたちを誘導して、とにかく好きなところに座らせてみたら、一つだけ席が空いていた。そこで出席をとってみたて、始めてKという児童が休んでいることを知る。子どもたちに聞くと、『ずっと休んでいるよ・・・』という答えが返って来るだけで、全く理由はわからない。

その日から、Kを登校させることに私の挑戦が始まる。当初は、何度も自宅に迎えに行くが、木造アパ-トの2階の自室には、いつ行っても両親の姿はなく、恐らく部屋に閉じこもっているだろうKは私を無視・・・。

いろいろと調べるうちに、父親は酒乱の気があり、現在所在はわからないらしい。母親は生活を支えるために,昼夜をあげず働いていることもあって、なかなか会うことができなかった。それでも、やっと会えた母親から、『Kのことは全て任せる』という言質をとったので、クラス子どもたちと彼を登校させる作戦開始。

3年の時に同じクラスだった子どもから、『太っていることを、誰かに指摘されたのがいやだったらしい』という情報も届く。また、『勉強は大嫌いだが将棋が好きだ』ということを知って、ドアの隙間から、『とにかく出てこいよ、将棋をしよう・・・』と書いた張り紙を入れて見るのだが反応はない。4年生の1年は虚しく過ぎる。

5年生になる時、近くに新しく小学校ができたことがあってクラスが削減。7クラスが5クラスになるのだが、どうしてもKを登校させたかった私は、強引にKを持ち上がって5年生の担任になるのだか、そのクラスに1・2年生の時にKと良く遊んだ児童がいたことがあって、その子に中継を依頼・・・。なんとなく希望が生まれてくる。

その甲斐があったのだろう。5年生の3学期に突然彼が登校したことにビックリ。喜ぶべきだろうが、それ以上に私はパニック状態に陥る。

それからが大変である。約束だから、彼を一番前の席にして、連日将棋をするのが日課となる。将棋盤を置いて、彼の相手をしながら算数を教える姿を想像してほしい。これは何とかなるが、国語となると、これはかなり難しい技術を要し、今思うと,どうして乗り切ったのかも曖昧な記憶・・・。

不思議なことに、将棋を通して互いに意志が通じ合うようになり、クラスの子どもたちも仲間として受け入れてくれたことで、Kにとって居心地のよい空間になったのだろう。卒業するまでの1年と少しは、一日として休みはない。

私は、この経験から、主席簿は必要ない、子どもたちは『楽しい、居心地がよいという意識さえあれば、学校を休まない』という信念を強く持つようになり、その後、出席をとるという担任の定番の仕事とはおさらば。

彼は,中学校に進学して間もなく、『登校拒否』状態になり、そのままの状態で卒業したらしいが、持病の白血病学校再発してなくなったと聞いたのは,それから10年以上過ぎたころだった記憶している。もちろん私は他校に異動。線香の一つでもと彼のアパ-トに出かけたが、一家はすでに転居。その後のことは全く不明。

今じっくり彼の行動を考えてみる。Kが3年生のある日、学校を休みはじめたのは、彼なりの何らかの原因があるはず。強い意志がなくても、『学校に行きたくない』という気持ちがある以上、これは『登校拒否』というべきだろう。それを放置したことで、『不登校』になったのではと受け止めている。

今日は学校に行きたくないなあ・・・という気持ちになるのは誰もが経験したことがあるはず。

その時、(昔の私のように)教師に相当な権限を持たせて、日常的に、『学校が楽しい、休んだら損だ・・・』という気持ちにさせてしまえば、ある日の『登校拒否』はあったとしても、継続的な『不登校』にはならないのではと思う気持ちは今ももち続けている。

今日も饒舌なつぶやきになってしまったが、たった一人の教師の、しかもたった一度だけの『不登校』児童に対する経験であるが、教師にのんびりと子どもたちと接する時間的余裕と、上から監視されるような雰囲気がない学校であれば、『不登校』といういやな言葉はなくなるのではと、今でも頑固に信じているのだが・・・。(田舎親父)

2016年11月19日 (土)

死の商人が喜びそう・・・

 数日前、南スーダンに派遣される自衛隊部隊に『駆け付け警護』などの新たな任務を追加する閣議決定というが新聞見出しに、また一つ、戦争ができる国へ動きだしたことを強く危惧する。

『駆けつけ警護』という言葉自体が少し曖昧に感じるが、政府の説明している定義では『離れた場所にいる国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らが武装集団などに襲われた場合に助けに向かう任務』だという。

政府は、現地の治安当局や国連PKOの部隊などからの情報を得て、自衛隊の部隊長の判断で実施を決めるのだそうだが、何となく、戦国時代の武将たちの行動を連想し、自衛隊の制服組の手柄争いになるのではと厭な気分にさせられる。

自衛隊員の安全が確保できて、現地の治安当局や他国の部隊よりも速やかに対応できる場合に『駆けつける』というが、救出するためには相手と戦闘になるのは間違いないとなると、友軍を助けるという言葉の陰に隠れているが、隊員の命の保証はどうなっているのという深刻な疑問が頭をよぎる。

さらに『宿営地の共同防護』という項目も加わるという。こちらは、自衛隊が他国の部隊とともに活動拠点とする宿営地が、現地の武装集団に襲撃された場合、『共同で対応する任務』と定義されている。

 こんな任務を閣議決定したというから、現政権には日本の自衛隊(軍隊)の存在感を世界に示したいという思惑があることは間違いない。

 憲法を私なりに素直に読む限り、『自衛隊』という実質的な『軍隊』の存在が違法であり、本来は、『災害復旧部隊』、あるいは『専守防衛部隊』であるべきだろう。そのことは今更議論する気はないが、海外でドンパチをはじめるというのだから、今回の閣議は明らかに憲法違反である。

 自衛隊の国連平和維持活動(PKO)は、1992年にカンボジアへの派遣が最初だったと記憶しているが、当時、気持ち的には強い反対の意見を持っていたので、職員会議や全校保護者会などでは、それとなく議論の高まりを誘導した記憶が蘇る。

以来20年余、幸いなことに、一人の犠牲者を出さずに今日に至っているが、実際には派遣された自衛隊員の中には、(マスコミは一切取り上げないが)帰国しても緊張感が取り去れず極度のストレスに落ち込んで自殺したり、未だに後遺症に悩まされているという話を耳にする。

もっともストレスとは無縁の高級士官たちは、帰国後は、自民党の国会議員や企業の幹部、あるいは何の苦労もなく悠々とした人生を過ごしている人物が存在することはかなりの国民が知っている事実・・・。

派遣された部隊の司令官は、PKOの任務はあるものの、一番大事なことは隊員の命を守ることだと信じたいが、司令官の一部には、ドンパチ大好きな人物もいるただろうことは想像に難くない。

これまでは、武器使用はほぼ全面的に禁止されていたので、『撃て・・・』という命令を下す機会がなかったので、命令を下したくてもできなかったか、これからは環境が全く違う。

今回の『駆けつけ警護』を強引に決めたのは現政権。特に、アホベ首相と取り巻きのドンバチ大好き閣僚たちとなると、現地から『武装勢力に囲まれ、救出は難しいです』という現地の情報に対して、『隊員の命が大切、救出はあきらめて撤退しろ』という言葉は絶対にない。

彼らから出る言葉は,『難しい任務であることは十分理解するが、隊員の犠牲はできるだけ少なくして、包囲されている人々全員を速やかに救出しろ・・』という命令であることは想像に難くない。

それ以前に、現地司令官は政権の思惑を先取りして、『救出は難しい』という言葉を飲み込んで、タテマエとして『部隊の安全には十分注意』という枕詞?のあとには、力強く『必ず、任務を遂行し殲滅します』という決意が返ってくることは間違いないところ。

まして、『宿営地の共同防護』となれば、国同士の政権のメンツがかかっているだろうから、両国の司令官は、互いに『撤退』など口にできるものではない。

南ス-ダンは政情不安が続いているという。私が心配しても仕方ないことだが、現地の司令官の判断が本気少しでも狂ったら、ドンパチが始まることは歴史が証明している。政情不安は、両方に武器を法外の値段で売り込める絶好の機会と、死の商人がもっとも喜ぶところ。

日本政府は、死の商人からの貢ぎ物に魂を奪われ、平和を願う南ス-ダンの人々の切実な希望と未来に背を向けた(と言っても過言ではない)今回の閣議決定に、強く抗議する。(田舎親父)

2016年11月18日 (金)

この分野には成果主義は似合わない・・・

 世を挙げて、全ての物事に成果を求める考え方はいつ頃から始まったのだろう。戦後の荒廃から立ち直るために、経済の復興が第一に掲げられて国の復興に尽力された先人たちたちに続いて、私の年代も含めて段階の世代といわれている人々が遮二無二働き、現在の豊かな社会ができたことは否定しないが、経済の成長の速度が鈍くなると、俄然注目されるようになったのが『成果主義』という考え方であることは忘れたくない。

私は『成果主義』という言葉を、全ての仕事を商品化し、その売り上げをいかに延ばすかというのが基本という考え方だと受け止めている。最近は、ノルマを決めその達成を強いることが企業として当り前になり、その負の結果として、先日は電通の新入女性社員の過労による自殺が大きな社会問題として取り上げられてはいるが、これは氷山の一角。

無理が祟り精神的な病気に追いやられる人々が続出し、そのために自殺に追いこまれたりうつ状態になる例は、私の現役時代でも日常的に聞く話であったが、騒がれてもすぐに忘れられる繰り返し。これも誰もが認めるところであろう。

 経済成長が少し鈍った段階で、このことを反省すればもう少し違う社会が実現したのかもしれないが、経済成長を止めることは『犯罪に等しい』という考え方か全てに優先してきたものだから世の中変わるはずがない。最近はその傾向に、さらに拍車がかかっているというところでは・・・。

教育の分野では、何よりも『ゆとり』が大事にされなければならないはずなのに、20年ほど前から、教員一人一人に『教育考課』という、自分の能力以上の目標を掲げさせて、その達成が求められるようになり、管理職がその監視の目を徹底。その達成率によって、報酬に差をつけることが当り前になったことを何度も嘆き悲しみつぶやいている。

その格差のつけ方が、各教育委員会に割与えられた総額を変えないで、相対評価で評定し、C・Dランク教員の減額した分を、A・Bランクの教員の給料に上乗させるという姑息なやり方。なんともいじましい情けない話である。

そして今この考え方が、教育よりさらに縁が薄いと思われていると同時に、現在の社会でももっとも重要な課題になっている『保育や介護』の世界にも及んできたらしいとなると、この国の行く末に大きな不安を覚える。

こんなことをつぶやくのは、先日の新聞記事が原因である。アホベ首相は、高度成長戦略を検討するという会合で、『介護が要らない状態までの回復を目指す』と発言したことに、なんとも狭量で危険な発想を感じたもの・・・。

介護保険の破綻を何とかつくろいための言葉だろうと思うが、介護保険について、介護を必要とする高齢者の自立支援を中心にした制度へ転換するのだそうだ。アホベという男は、実にいろいろな言葉を使い分けできる、ある種の『誤魔化しの天才』という表現ができそうだが、私には突然『自立支援』と言われても戸惑うことが多過ぎる。

高齢者が自立できることは否定するものではない。このあたりの心理を巧みについた発言だろうが、自立することは良いことに違いないと感じて、(意味不明ながら)なるほどと納得させてしまうのは、この男の得意中の得意技・・・。

ところが、今回の発言の真意が『高齢者の要介護度を改善させた介護サービス提供事業所の報酬を引き上げ、自立や回復に消極的な事業所の報酬を引き下げる』ということだと気づくと、これは介護の社会にも『成果による報酬』を導入するというもの。これは危険この上ない発想である。

これが正式に導入されたら、自分で歩けて認知程度も軽い(これが自立)高齢者を多く集めた事業所の報酬が高くなることは明らか。反対に、自立できるまでになるには、事業所や職員に相当な努力が必要な寝たきりの高齢者は、金儲けにならないと敬遠されるのは、世間知らずの私でも理解できる当然の理だろう。

高齢者本人も、どんなに自立に励んでも、年が加われば心身が衰えていくことは当り前で、一旦寝たきりになると、自分で歩けるようになることなどごく稀だろう。まして、全ての面で自分で用が済ませるとなると、これは不可能に近いのでは・・・。

なのに、自立できない高齢者を抱えていれば、事業所としての利益はもとより、現在でも給料の低いことが問題になっている介護士をさらに差をつけることになる。

要介護度の高い人ほどサービス提供事業所への報酬は多く、要介護度が低くなると報酬が下がる現在の介護保険のシステムは問題があるが、成果主義が取り入れられたとしたら要介護度の高い人をベッドに寝かせきりにしている施設が高い報酬を得る一方で、質の高いサービスで要介護度を改善させた事業所は報酬が少なくなりそうだ。これは酷い・・・。

 介護サービスによって高齢者の心身がどう変わったかという結果で報酬を決めること自体は間違っていないという意見も多いだろうが、改善の成果が、事業所の提供するプロクラムによるものか、高齢者本人や家族の努力によるものかはっきりしない中で、事業所だけを対象にしての『成果主義』には反対である。(田舎親父)

2016年11月17日 (木)

国のメンツ?・・・

先月の中旬、原発再稼働には慎重だった前知事の路線を引き継ぐと知事選に立候補した、米山候補が、大方の予想に反して圧勝したことで、これで、刈羽原発現発の再稼働は遠のいたと大喝采をしたものである。

そのこととどこまで関連するのかずっと気になっているきだが、翌日の新聞記事であるが、東電刈羽原発の防潮堤の一部が、地震発生時に『液状化』を引き起し、想定する津波を防げない恐れがあることが分かったという記事があったことを、記憶している人は少なくないと思う。

不思議な記事である。水分を多く含む軟弱な地盤が地震で泥水のように変化する液状化の恐れは、『規制委』の適合審査の過程で発覚したとあるが、前日まで、こんな事実はどこを探してもない。またすでに再稼働を許可した再稼働の原発の理由にもない。

あるのは、刈羽原発は規制委がほぼ確実に合格と判断するだろうという記事に満ちていた。だからこそ、与党推薦の候補者が『原発』を争点したくなかったのにも関わらず、新潟県民に原発再稼働近しという危機感が生まれ、『泉田県政を推進する』という米山候補の訴えか急速に浸透し、あの逆転勝利を呼んだと受け止めている。

その記事によると、柏崎刈羽の敷地海側には2013年に、想定する7メートル前後の津波を防ぐ防潮堤(高さ15メートル、長さ計約2.5km)が完成したとある。東電と国は、これで再稼働ができると核心していたことは確実だったはず。

あとは、このことが知事選の争点にならないことを願っていたのだろうが、『反原発』ということに、民進党以外の野党が結束し、原発再稼働が否応なく争点に浮かび上がり、結局は、自主投票にしていた民進党の幹部たちも動きだしたことで大逆転。このことは、完全に国のメンツがつぶれたことになる。

民意がまかり通って原発の再稼働が阻まれたということになれば、全国全ての原発の再稼働路線が危なくなると、それ以外の口実を作るための悪知恵どうしても必要になってくる。それが、『防波堤が液状化の影響を受ける』という苦肉の理由ではなかっただろうかと勘ぐると、何となく辻褄が合うように思える。

今朝も、規制委は、40年という原子炉の寿命が近づいている『美浜原発3号機』も再稼働可能としたという新聞記事があった。

この一事でもはっきりするが、最近の原子力規制委は、以前にも増して、頭から『規制』という言葉を忘れて政府の御用機関に成り下がっていることは明らか。規制委の委員たちは、政府のメンツを損なうことなく理由を構築することが主な仕事になっているとなると、『防波堤の液状化』はなるほどもっともだと納得する。

 恐らく、東電と国は県の動きを注意深く見ているに違いない。防波堤の地下(海底)の液状化となると、相当な大がかりな工事が必要になるだろうが、実際に、そんな工事が始まったという情報はない。

 そんな工事などハナからやる気などなく、再稼働の機運が動きはじめたら、東電と国は『兼ねてから進めていた液状化防止の工事は終了した』と声明を発し、規制委が『安全は確保された』と言い出すような気がしてならないが・・・。(杉)

あとは、このことが知事選の争点にならないことを願っていたのだろうが、『反原発』ということに、民進党以外の野党が結束し、原発再稼働が否応なく争点に浮かび上がり、結局は、自主投票にしていた民進党の幹部たちも動きだしたことで大逆転。このことは、完全に国のメンツがつぶれたことになる。

民意がまかり通って原発の再稼働が阻まれたということになれば、全国全ての原発の再稼働路線が危なくなると、それ以外の口実を作るための悪知恵どうしても必要になってくる。それが、『防波堤が液状化の影響を受ける』という苦肉の理由ではなかっただろうかと勘ぐると、何となく辻褄が合うように思える。

今朝も、規制委は、40年という原子炉の寿命が近づいている『美浜原発3号機』も再稼働可能としたという新聞記事があった。

この一事でもはっきりするが、最近の原子力規制委は、以前にも増して、頭から『規制』という言葉を忘れて政府の御用機関に成り下がっていることは明らか。規制委の委員たちは、政府のメンツを損なうことなく理由を構築することが主な仕事になっているとなると、『防波堤の液状化』はなるほどもっともだと納得する。

 恐らく、東電と国は県の動きを注意深く見ているに違いない。防波堤の地下(海底)の液状化となると、相当な大がかりな工事が必要になるだろうが、実際に、そんな工事が始まったという情報はない。

 そんな工事などハナからやる気などなく、再稼働の機運が動きはじめたら、東電と国は『兼ねてから進めていた液状化防止の工事は終了した』と声明を発し、規制委が『安全は確保された』と言い出すような気がしてならないが・・・。(田舎親父)

2016年11月16日 (水)

これは紛れもない『犯罪』・・・

 今日も話が少し古くなるが、福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学一年男子生徒(13)が、天候当時から゛嫌がらせを受け、高学年になってからは、周りの悪ガキから執拗に金銭を要求され、100万円以上も強奪されていたとの報道に、またかと厭な気分にさせられる。

しかも、マスメディア全てが『いじめ』だと大騒ぎしていることになんとも違和感を覚える。この種の事件が起きたら、なんでも『いじめ』という言葉でくくってしまうことが、いじめ報道はもとより、『いじめ』そのものがなくならない大きな原因の一つではないかと思えてならない。

以前から何度もつぶやいていることであるが、学校内で暴力や金品の強要などの事実があれば、それは『いじめ』てはなく、『犯罪』であるという認識をもち、学校と教育委員会はその事実を把握したら、すぐに警察に連絡し、犯罪行為として躊躇なく補導するという強い姿勢を望みたい。

マスコミ報道なので、どこまで信頼性があるのか疑問もあるが、この一家は放射能の影響を恐れて横浜に避難しているという。当然だろう。先日実際に私自身で確かめてきたことだか、避難指定解除地区といっても、未だに毎時1マイクロシ-ベルト以上の数値が常態化しているのだから、特に子どもが生活できる環境ではないことは明らか。本来ならば東電の責任において、せめて、毎時の放射線量が0.1マイクロシ-ベルト以下に下がるまで、安全な場所に避難するのは当然のことだろう。

被災した人たちは、できれば避難したいと思うのが普通の感覚である。全国各地の自治体も、事故直後は受け入れを宣言したことから、子どもの将来を考えて、親戚や知人が住んでいるということだけでも、その地に自主的に避難した人も多いのではないだろうか。

横浜市も、市営住宅を提供していおり、私の近くの団地にも、複数避難してきていることを知っている。横浜市内全体でどのぐらいの人が避難しているのか正確な情報は知らないが、相当数の方が存在していることは間違いないところ。避難している人たちは、生まれてから事故当日まで心安らかに過ごしてきたのに、生活そのものの基盤すら奪われての避難生活は不安で一杯だろうと、同情して余りある。

この生徒は小学2年の2011年8月に横浜市立の小学校に転入したという。直後から同級生から『菌』や『放射能』と呼ばれたり、蹴られたりしたとある。また、支援物資として提供された文房具などを強制的に奪われたりしたこともあるという。3年のころから休みがちになったというから涙が出てくる。

ここまでは『いじめ』の範囲だろうが、担任や周りの教員が、そのような雰囲気があることを知らなかったはずがない。もしも、担任が知っていて、これを単に子ども換気間の単純なトラブルだと捉えていたとしたら教員としての資質を疑われても仕方ない。

子どもは実に残酷で、自分たちと少しでも違うことがあるとかなり意識的に注目し、気に入らないことがあれば、物を隠したり、厭な言葉を投げつけることはごく日常的に見られる行動である。これを『いじめ』と称することは依存はない。

いじめられる方もそれなりの問題があることも経験的に知っている。普段から行動が緩慢だったり、身だしなみが不潔だったりするのは原因の筆頭にあげられる。こんな環境の中、いじめる側の子どもたちの周りの大人たちが、何気なる『放射能を浴びた』という言葉を口にしたら、2年生ぐらいの分別がつかない年齢では、これを聞き逃すことはない。

聞きかじった言葉で『放射能』とか『放射能菌』などとはやし立てることは、特に悪気がなくても表面に現れる現象である。中でも、仲間のうちの有力な子どもがこのような行動をすると、たちまちクラスに広がるのだが、さほど優秀でない教師であっても、アンテナを子どもに向けていたらすぐに気づくのは私の経験からも明言できる。

しかし、こんな基本的な資質を育っていないことから、ことが大きくならないと重要性が認識できない教員が多いのも否定できず、この当たりもかなり現職時代には気を使い、すぐに相談するように助言をしていたこと。

初期の段階で、校長に相談することはもちろん、学年会や職員会での話題にして、いじめる側の子ども達を指導すれば、『いじめ』の段階の、ごく初期的なトラブルなどは簡単におさまったもの。このことも経験として断言できる。

ひょっとして、避難してきた子どもに、動作の緩慢さや税勝つのだらしなさ、あるいは避難生活から起きる情緒の不安定な部分があったとしも、原発事故の重大さから鑑みて、教員たちが本気でフォロ-していれば、今回のように金銭の恐喝までに至るはずがない。

100万以上のカネを、親に内緒で持ち出せたいのかという疑問もあるが、この子にしたら、危害が及ぶという恐怖心から必死だったのではないだろうかと思うと、その追求はここではしたくない。

 保護者が何度も小学校の担任や校長に相談したのに事態が改善できなかったというのも私には俄に信じられないが、横浜市教委の『学校が調べたところ、被害者と加害者の証言が食い違い、いじめの認定ができなかった』との言い分から、担任はもとより、校長も市教委も事態を深刻に考えず、責任逃れのアリバイつくり的な方策しかとらなかったことは明らか。そしてその結果が、いじめた側の子どもたちに、犯罪者という汚名をかぶせなくなってしまうことの責任は重く受け止めてほしいもの。

文科省はこの問題を重視して、第三者委員会の立ち上げを命じたとあるので今後の展開がどうなるか見守りたいが、小学校時代に適正な指導をしていれば・・・と思うと、教育に携わってきた一人として、残念でやりきれなくなる。(田舎親父)

2016年11月15日 (火)

高齢者の運転事故が激増?・・・

 話は少し古くなるが、前月末の朝、横浜市港南区の市道で、軽トラックが軽乗用車に追突、軽トラックが横転し、登校中の小学生の列に突っ込むという事故の報道があった。

この事故で小学校1年生の男児が死亡、8人の児童が重軽傷。軽トラの運転手と軽乗用車に乗っていた2人が怪我をしたとのことであるが、軽トラを運転していたのは87歳のジイサンだというから、またか・・・という思いが強くなる。

マスコミ報道によると、軽トラは一方通行の直線通道路をかなりのスピ-ド走り、バス停で客の乗降で止まっているバスの後ろで停車していた軽自動車に追突、その弾みで、登校中の小学生の列に突っ込んだという。

軽トラを運転していた87歳のジイサンの挙動がテレビで映し出されていたが、悪びれる様子は全くなく、むしろ、ぼんやりとして意識があるのかさえ分からないところから、直感的に、差別用語と批判されそうだか『ボケ(痴呆症)』であることは明らか。

その後の続報によると、本人は、前日の朝から『ゴミを捨てに行く』と家族に伝えて出かけたそうだが、その後、どこをどう運転したかも分からないというから酷い話。この言い分を信じるとしたら、どこで寝たかもわからないどころか、飯も食わずにやみくもに軽トラを運転していたことになる。

警察は刑事責任がとれるかどうか検査をはじめたらしいが、テレビで見る限り、このジイサンの様相では、かなり難しいのではないだろうか。

亡くなった子どもは気の毒(可哀相)としか言いようがない。大事な息子の命がこんな理不尽な事故で奪われた家族の悲しみと怒りは想像を絶するが、遺族に対して法律ができることは(任意保険に入っていればであるが)カネで賠償するシステムだけとはなんとも虚しい限り・・・。

刑事責任がとれないとなると、民事賠償ということになるのだろうが、87歳の男ではよほどの資産を持っていない限り、支払える金額は限られて,たとえ裁判所が一億円以上の賠償金を命じても、結局のところウヤムヤになりそうな気もしないでもない。

さらに、この事故に追い打ちをかけるように、今度は東京都立川市の病院構内で、83歳のバアサンの車が暴走し、歩道を歩いていた30代の男女を死亡させるという事件報道に、同じような事故は続くものだと呆然とする。さらに続いているが、ここでは省略。

このバアサンはブレ-キをかけたが止まらなかったと供述しているらしい。目撃者の話では猛スピ-ドで歩道に突っ込んできたとのことだから、ブレ-キとアクセルの踏み間違いだろう。

この病院に入院している夫を見舞いにきたとのことだから、認知症症状は出ていないのかもしれないが、やはり高齢による一種の脳と身体的な機能の低下であることは明らか。83歳になっても運転しなければならない事情があったにせよ、その責任は重い。

逮捕は当然だろうが、こちらも刑事責任となると、どうなるのだろう。年齢を考慮すると、たとえ起訴されたとしても、過失運転致死罪で懲役数年程度?ではないだろうか。民事訴訟も、事故を起こした後悔などでボケ症状は酷くなるだろうから、こちらも実質的に賠償はウヤムヤになりそうな気がするが・・・。

(かたや)80歳超のボケたジイサンやバアサンは無罪かたかだか数年の収監。(こなた)小学1年生の男児や働き盛りの年代の男女が死亡とは理不尽としか言いようがなく、遺族は賠償もとれないとなると、こんなバカな話はない。

しかし、この二つの事故に限らず、最近の高齢者による高速道路の逆走や、ブレ-とアクセルの踏み間違いなどによる重大事故が、ほとんど連日のように報じられ、大きな社会問題になっていることから、何とかしてもらわないと、明日は我が身が、殺されるか遺族になりそうだ。車が走る道路はおちおち歩いていられないと言っても過言ではない。

車の免許取得には18歳と下限があるのだから、80歳と上限も決めるべきだという意見も多いという。なるほどと納得するところもあるが、80歳でもシャキッとして毎日安全運転をしている人もいれば、先日愛知県で運転中にポケモンGOをしていて、小学生の列に突っ込み、死亡させたという35歳の男も存在するとなると、果たして年齢の線引きで事故がなくなるとは断言できない。

また、横発の片田舎でも車がないと不便だと毎日車を運転している、私と同年代の人も多いが80歳で免許を取り上げられても15分も歩けばバスがあるのだから、日常生活は大変だが何とかなるのに比べて、ハスもない過疎地で生活している高齢者は、自分で車を運転することだけしか移動の方法がないとなると、簡単に運転免許を取り上げることは、死刑を宣告するようなものだと言っても大袈裟ではないだろう。

間もなく後期高齢者の仲間入りする私も、現在は緊急時に備えて、運転技術を確認するためにしか車を運転しないようにしているが、環境が整えば運転免許を返上するつもりである。

私の場合はハ-ドルが低いものの、限りなく高い人をどうするのか、一番大事な、免許返納の『環境』を真剣に議論する世論が高まることを期待したい・・・。(田舎親父)

2016年11月14日 (月)

毎日新聞の放射線値が気になる・・・・・・

先日、毎日新聞のサイトを開いたら、『東日本大震災・大気中の環境放射線量 福島第1原発・正門周辺 8日正午現在』という見出しを見つけた。その内容は『8日正午現在 0.589マイクロシーベルト毎時』とある。ただそれだけの記事。

普段ならそのまま見過ごしてしまうような小さな記事であるが、つい先日、国道6号線で富岡町から浪江町の間を往復し、この道路に設置してある放射線量表示装置に表示されている『1.182μsh』という数値が頭にこびりついている私には、『そんなはずはないのでは・・・?』となんとも奇妙な気持ちにさせられた。

もう一つひっかかることは、今までも何度も毎日新聞のサイトを開いているが、このたぐいの記事は見たことがないこと。そこで、この文面をコピ-しておいたのだが、何故、11月8日に限って、こんな記事が掲載されたのかがずっと気になっていた。

ところが、TPPのことやアメリカ大統領選、あるいはイベントの展示物から出火して幼稚園児か亡くなるという事故などが続いたため、この疑問が少し彼方に行っていたのだが、一昨日現政権がインドと原発推進協定を結んだということで、福島原発事故も全く収束の兆しも見えないのに正気の沙汰ではないと思うと同時に、この放射線値の記事を急に思い出すと、ますますこの記事が気になって仕方なくなる。

国道6号線を通った時、事故原発の建屋ははるか向こうだったらしく、確認できなかったが、『福島第一原子力発電所』という道路標識があったので、思わず緊張したことはいまでも忘れられない。当然ながら、国道6号線の両方はバリケ-ドで固められ立入禁止区域である。 

線量の表示機器は、それより1キロほど富岡町寄り。線量は毎日・毎時、風向きなどで変化することは分かっているつもりだが、第一原発正面と、原発からかなり離れた国道でこれ程の線量に違いがあるのが納得できない。常識的に考えると、国道が小さい値にならねば奇怪しいのではないだろうか。

気になったので、『8日正午現在 0.589マイクロシーベルト毎時』と打ち込んで検索してみたら、一番に『福島第一原発 正門周辺5日正午現在-毎日新聞』がヒットし、次が6日、8日、7日と続いている。

どの項目も有料会員登録が必要となっているが、8日だけはコピ-していた文面そのものが現れるから、他の日はともかく、8日にこの記事が毎日新聞の無料サイトのネット版に掲載されたことは間違いなさそうだ。

昨日も今朝も『毎日新聞』のネット版を開いて確認したのだが、この種の見出しはない。以前も見たことかないのに8日だけというのが、不思議で仕方ない。

8日に限って、毎日新聞が意識的にこの数値を読者に擦り込んだ時思いたくないが、これは気になる。そこで、第一原発付近の線量をネットで調べてみると、かなりの項目がヒットする。しかし、それぞれのサイトで数値が違いすぎる。

原発周辺の東電が設置したモリタニングポストは、大まかには3μs/h程度の数値が並ぶが、全国の放射線値というサイトでは原発からかなり離れた、私が実際に見た表示装置近くの大熊町のモリタニングポストでは最高で10μs/h。付近の値も、おおむね5μs/h程度となっている。また、福島県の設置しているポストでは、この付近の値は軒並み6~7μs/h。これらと比べて毎日新聞の値は、0.5μs/hとはあまりにも違いすぎる。

何なのだろうこれは。やはり、8日に限って掲載したことははっきりとした意図を感じないわけにはいかなくなる。

これは、直接毎日新聞に問い合わせることしかなさそうだと思い、一昨日、住所氏名など明記して質問コ-ナ-に投稿したが、(まだ)返事は届かない。

届いた段階で改めてつぶやいてみたいと思っている。(田舎親父)

2016年11月12日 (土)

実験と実体験の大切さ・・・

 6日日曜日の夕方、明治神宮外苑で開かれたイベント会場の展示物が燃え、中で遊んでいた幼稚園児が死亡という第一報は、何のことだか分からなかったが、次々と報じられる続報には、正直信じられないことばかり。

燃えたのは木製のジャングルジムのような展示物だという。記事にはおがくずが突然燃えだしたとあるが、おがくずの役割は何のと首をひねるばかり。

実際にこの展示物を見ていないので、想像だけになるが、おがくずとはカンナで薄く削ったようなもので、それを木枠にびっしり張り付けて、来場者が木の感触や香りを楽しめるようにしたものではないだろうか。

10年以上前になるが、幼稚園長を兼任していた頃、『お泊まり保育』として、一度だけだが、奥多摩の都の施設に連れて行き、木を切ったり削ったりさせた経験がある。その時、切り口に鼻を押しつけて香りを嗅いだり、カンナで削った薄い削り屑をほっぺたにくっいけたりして遊びんでいる姿を見て、子どもたちは木の香りが大好きなのだと実感したもの。

こんな経験から、新しいヒノキの木枠に、薄いカンナの削りくずを張り付けただけのきわめてシンプルな、ジャングルジム仕様の展示物は子どもたちにとっては人気だったに違いない。

ジャングルジムそのものにも人気があるのに加えて、カンナくずで香りをつけたというアイデアは実に素晴らしく、これを作り出した武蔵工業大学の学生諸君には敬意を表したいもの・・・。

ところが、夕暮れ時になりになって、周りが見えづらくなったので、学生の一人が、工事現場でよく見かける、照明機具(投光器)をこの展示物の中に入れて内部がよく見えるようにしたようだ。

私も暗いところで、この投光器を使ったことがあるのでその構造は分かる。中の白熱電球が明るさはもたらすが、高温になるので電球に直接触れられなくするために鉄の粗い網で覆われているものだが、白熱電球が出す温度は半端ではない。

その原因は忘れたが、ほんの少しの水滴が当たったとたんに、ポンと音を出して割れてしまったことを思い出す。以来、この照明器具は使い物にならず物置に入れたままになっているが、高温になっていることは理解していたものの、あれほどの高温になるとは思いもしなかったという記憶が蘇る。

これもまた想像であるが、夜間に交錯するために投光器を使ったというから、学生たちはこの投光器を使って組み立てをしたのだろう。ひょっとして、その明かりの下でカンナくずを張り付ける作業をしたのかもしれない。

この季節であるので、投光器の周りが温かくなることで温度が高くなることは、イベントの準備の冷えた身体には心地よく、実際には、電球が物凄い高温になっていることには気づかなかったのではないだろうか・・・。

投光器を中に入れた学生は悪気もなく、単に明るくすればお客が安心するだろうという親切心が先にたったと推察している。ジャングルジム仕様の展示物の中が明るくなり、これで良かったと安心していたところに、突然燃えだしたという光景が浮かんで来る。

投光器周辺の薄いカンナくずは、徐々に温度が高まり突然火がつくと、展示物はヒノキなどの木材で作られているのだから、(例えは悪いが)まさに井桁に組むキャンプファイヤそのもの。たちまち木組みに燃え広がり手がつけられなくなっては中に入っていた幼稚園児が逃げ出すことなどできるはずがない。

父親は助けようと必死になったが、到底中に入れるものではない。もう一人の男性も同じだったに違いない。気の毒としか言いようがなく、冥福を祈るしか私にはできることはない。

大学生の責任も重いが工業大学というのがひっかかる。普段は、発熱の少ないLED電球を一つ使っていたとあるが、光の出すものには熱が伴うのはエネルギ-を学ぶ基本中の基本である。この当り前のことが、白熱電球が極端に少なくなりLEDがあまりにも身近にあり過ぎて意識が薄くなっているとなると、この種の事故は今後もありそうな予感がする。

また話はそれるが、最近は小学校の理科の授業では、実験で確かめる時間的余裕がなくなっていることは度々耳にする。という。また、実験するにしても、市販の実験器具を使って教室で済ましていることも、私の現職時代でさえあったこととなると、今では、殆どがそのたぐいになっていないとも限らない。困った話であるが・・・。

電熱線に電流を流せば、温度が高くなると同時に電熱線が赤く光るということは、市販の小さな実験キットを用いて知ったとしても、それはテストに答えるための知識として頭に入るだけではないだろうか。

せめて、理科室に連れて行き、ニクロム線を使って実験した上で、理科室に必ずある白熱電球を点灯するだけで、実験通した知識として生きてくるはず。

この事故で、小学校の先生たちが、実験の必要性とその応用の大切さを知り、また、工業と名のつくだいがくや学部に属している教官と学生には、もう一度基礎的な知識を、実技を通して身につける謙虚さを求めたいものである・・・。(田舎親父)

2016年11月11日 (金)

日本の良さを取り戻すチャンス・・・

アメリカ大統領選挙の開票当日の様子を映し出すテレビの映像に、久しぶりで食いついてしまった。アメリカの選挙方法は理解できないことも多いが、刻々と各州での開票結果か報じられ、選挙人を何人獲得したかをグラフで現している。

しかも、それがどの州でもかなり接戦になっているので、見ている方も固唾を飲む思い。さすがに二大政党が交代で政権を担っていることが、アメリカの国力の源になっているのだと改めて感じる。

『史上最低の醜悪』とか『憎まれもの同士の争い』などと言われたが、大接戦の末、共和党のトランプ候補が制したことが判明したのが午後5時過ぎ。さしずめ日本ではバンザイ三唱ということになるのだろうが、まず副大統領候補のペイン氏の一家が登壇しひとしきり演説。

その後、ペイン氏がトランプ氏を大統領として紹介し、それに答えてトランプ氏の一家か大勢で登壇、そこで落ち着いた演説という演出は、アメリカ嫌いの私から見ても、バンザイ三唱よりもはるかにスマ-トですがすがしく感じたもの・・・。

アメリカ大統領選挙は長丁場。トランプという名前を知ったのは今年の初めごろだったような気がするが、『メキシコとの国境に壁をつくる』という言葉を聞いてビック。さらに『イスラム教信者の入国禁止』や『中国がアメリカの雇用を奪っている』と発言して世界中で物議をかもしたことは記憶に新しい。

猥褻な醜聞も数多く、アメリカ国内の大新聞は一斉にトランプ批判に回り、発行部数上位100紙中、ヒラリー支持を表明したのが55紙だったのに対し、トランプ支持はわずか1紙だけだったという記事もあったほど。それでもトランプが勝利したのは、アメリカ第一主義で、『強いアメリカを取り戻す』というフレ-ズだったというのが共通の見方だろう。

トランプの主張は、ハッキリしている。一言でいえば、アメリカ第一という、他の国のことは知らんぞという『排外主義』と言っても良い代物なのだろうが、経済の発展が全てで、カネ儲け命の輩が跋扈し一部の金持ちだけに富が集中する、アメリカが30年間にわたり主導してきた『グローバリズム』を、アメリカの次期大統領自らが真っ向から否定したというところに、現状に対して不満を感じている多くの国民の心をとらえたのではないだろうか。

それほど、アメリカ国民の多数は、変革を求めていたに違いない。当然のことながら、トランプは、立候補した当初から、『グロ-バリズム』の象徴的な『TPP』には反対していた。TPPに対して政府の怪しげな説明を信じられない私には、この御仁が大統領になると面白いと、密かに期待していたもの・・・。

トランプは大統領に就任する1月20日には、TPPの会議そのものから抜けるとまで明言しているというからこれはホンネに違いない。なのに、アホベ内閣は、昨日衆議院本会議を強引に開いて、TPPを可決させてしまったというから気の沙汰とは思えない。どうやら、世界の笑いものに進んでなりたいらしい。

一昨日は、物凄い株価の変動があったが、昨日はすっかり落ち着いたのも、一夜明けてヒラリ-支持の国民もトランプ氏の持つ経済的センスに期待してドルに誇りをもったことから、世界がドル買いに流れ、その反動として円安が進んだからではは推測している。

アホベの取り巻き連中の中には、この当たりの空気が読める人物がいると思うのだが、諫めたら自分の首が怪しくなる恐怖に怯えて正論が言えなくなっているのではないだろうか。まさに、『裸の王さま』の雰囲気を感じて仕方ない。

それでも、アホベは、アメリカさまへ従属する気持ちは人一倍強いらしく、早速、『貴方さまへの貢ぎ物をどっさり持っていくから会ってほしい』と交渉したようだ。そして、今月17日に会えることになったと、昨日の新聞各紙や各局のテレビが報じている。

まさか、アメリカの51番目の州にさせていただけませんかとは言わないまでも、この男は世界中に出かけては、外交以前にカネをバラまくことが大好きなだけに、トランプ氏がもっとも喜ぶ、『アメリカさまのおっしゃる通り、カネも苦役も厭いません』ぐらいのことは言いかねないのではと心配になる。

いずれにせよ、日本の今後には大きな影響があるだけに、政治音痴の私でも、ここしばらくはトランプ氏の動きから目を離せないことだけは確かなようだ。

折角トランプ大統領が誕生するのだから、わが国としても『グロ-バリズム』の呪縛から脱却して、日本の本来の伝統的な経済システムの良さを取り戻し、『派遣社員』などという人権すら侵害するような言葉をなくす動きが広がることに期待したいものである。(田舎親父)

2016年11月10日 (木)

経産省の悪だくみ・・・

今年度から『電力の自由化』が始まっているという。できれば、太陽光で発電した電力を使いたいと思っているのだが、東電などの電力会社の太陽光電力の買い取り価格が国のご都合でどんどん下がっていることに加えて、どの企業を選べば本当に自然エネルギ-の電力なのか曖昧なため、しばし様子見というところ。根底には、国の方針がコロコロ変わっていることも決めかねているのが最大の要因であるが・・・。

『電力自由化』について、政府(経産省)は、現在地域独占している大手の電力会社の発電部門と送配電部門を分け、新規参入を促すことによって公平な競争が生まれ、消費者に選択の幅ができる、いわば規制緩和の一貫だと説明していたのではなかっただろうか。

公正な競争で、電力料金を安くする・・・。魅力的な文言だが、これまで政府が打ち出した政策を表現する文章の中に、『規制緩和』とか『合理化』という言葉が入ると、それはタテマエだけで、その裏には利権が隠されていることばかりなので、ナンダかなあ・・・という疑問符をつけて眺めるようにしている。

『電力自由化』はかなり以前から話題になっていたが、福島原発事故を受けて、自然エネルギ-を広げることが大切だということで太陽光パネルの需要が急速に広がり、発電する企業や個人が増えたことを受けて、電力会社に買い取らせるということから、この言葉が広まったと私は受け止めている。

この政策を受けて、新たなビジネスチャンスとばかり、住宅関連会社や家電メ-カ-、またガスエネルギ-の提供会社やその関連企業、はてまた、新規に起業する個人やNPOまでが名乗りを挙げていることはよく知られるところ。

私もさまざまな会社からお誘いを受けているのだが、前に述べたように、東電とは決別したいと決めているか、どの会社が本当に自然エネルギ-で電力を生み出しているのか、しかも料金が正当かということがはっきりと見えないので、今のところ様子見を決め込んでいる。そして、新たに参加した企業などが作り出す電力を『新電力』という呼び名も生まれていることも承知している。

全てが5年前の福島第一原発の事故が引金になっている。これまで何度も述べていることだが、メルとダウンした原発の内部は、未だにどうなっているかも分からないことから、デブリと呼ばれる核燃料の取り出しは全く見込みが立たないという。さらに、汚染された地下水は海に垂れ流しになっているのが現状。

福島第一原発の4基の廃炉を決まっているがその行方は闇の中。工程表はあるらしいが、それは全てタテマエであって、廃炉への道は半永久的に見通せないというところではないだろうか。

東電としては、原発を建設した当時はイケイケドンドンで、事故や廃炉など頭になかったのだろうが、実際に事故を起こし,廃炉しなければならなくなったのだが、収束はおろか、廃炉への道筋が全く立たないことことから国に泣きつき、国としてはこれまでのしがらみから、いくらかかるともしれない天文学的数値の金額を、国民から搾り取った税金で肩代わりという筋書きが進んでいるのは腹立たしい事実である。

原発は国策として進めてきたことなので、ある程度の救済はいたしかたないのだろうが、少なくとも、東電を国有化して全ての資産を差し押さえるのが先決だろう。しかし、国の方針は、東電をそのまま生き長らえさせることが前提になっているのだから許し難い。

このことは改めてつぶやくことにするが、東電に限らず、既存の電力会社は『電力自由化』を受けて、事故や廃炉などを考えない安易な方法として、発電効率の良い原発の再稼働を画策しているようだ。

しかし、『御用規格』ながら、発電能力が小さく40年を過ぎた古い原発を再稼働するためには、安全性の確保のために相当額の予算が必要ということで、泣く泣く廃炉にしなけれならない原発が出てきている。

廃炉にすることは疑義がないが、このためには莫大なカネが必要なことに、国と電力会社は大慌て。秘密に必死になって何とかならないか共謀していたに違いないが、経産省が廃炉費用を『新電力』に負担させるという案を出してきた。

『有識者会議』という御用学者を集めた組織からの『提言』というお馴染みの手口である。新電力に廃炉費用をださせるために、大手の送電線を使う時に払う『託送料金』』に上乗せするという、悪意がミエミエの発想である。

自然エネルギ-で電力自由化に参入する企業にとって、火力発電はもとより原発や事故とは縁も縁もない全くの無関係。そんな企業に今更、新ル-ルを作るとは言語道断で許せる話ではない。こんな後出しジャンケン的な、法律ができたとなると、ツケは電力料金に上乗せされて払わされる消費者に及ぶことは自明のこと。

通産省の官僚たちは、『電力自由化』とか『公平な競争』などとはどんな面で言い出しているのだろう。こんな連中のことを例える諺が、『蛙の面に小便・・・』というのだろう・・・な。

何の力を持たない貧乏老人としては、ボケ防止のために、こんなことをつぶやくことしかできないのが情けないが・・・。(田舎親父)

2016年11月 9日 (水)

姿を消したイカ・とれ過ぎのタコ・・・

横浜の片田舎のス-パ-にイカの姿が見えなくなったと気づいたのはいつ頃からだろう。イカはさほど大好物ではないのでさほど気にならなかったが、つい最近、『このところス-パ-でイカの姿が見ないのよね・・・』という家内の声で、そう言えば、随分長いこと見ないなあと感じることしきり。

以前は、季節をあまり問わず、その朝運び込まれたという『スルメイカ』が一杯150円程度の価格で売り出されていたが、スルメイカどころか小さなヤリイカなど、イカと名がつく固体が姿を消している。

そんなことを思っていると、先日の新聞に、『姿を消したスルメイカ』という見出しを見つける。八戸港での漁師たちのやりとりを中心にかかれた記事であるが、八戸港ではスルメイカの不漁が2年連続となり、販売価格も天井知らずで上昇し、スルメイカの全国一の水揚げを誇る八戸にとっては死活問題になっているのだそうだ。

『こんなに取れないのは初めて』とベテラン漁師も口をそろえるというから、その危機感が伝わってくるが、この記事からも、横浜の片田舎からスルメイカの姿が消えていることはもっともだと納得する。

記事の中身は始めて知る知識が多いので、一部そのまま引用しておく。(引用はじめ)

1年で寿命を終えるスルメイカには二つの『群』がある。一つは秋に山陰沖~東シナ海北部で生まれる『秋季発生系群』で、もう一つは冬にもっと南側の九州~東シナ海で生まれる『冬季発生系群』だ。/秋季群は日本海を回遊して成長。冬季群は太平洋を北上し、南下の際は主に津軽海峡を日本海へ抜ける。八戸などの三陸沖や、北海道東沖で夏~秋にかけて取れるのは冬季群となる。/今年の不漁は、太平洋の方が著しい。特に主要産地の一つである道東沖は壊滅的。釧路港は前年比2割以下で、ほかは軒並み1割以下だ。そこより南の八戸近海は比較的健闘しているが、それでも不漁だった前年の7割にすぎない。

(引用終わり)

記事は続くが、スルメイカの不漁は八戸ばかりではなく、三陸から北海道沖はもとより全国的だという。原因は海水温度が地球規模で変化らしいとなると、漁業関係者も含めて仕方ないと頭を抱えるだけしかなさそうだ。

スルメイカは姿を消したが、かつては、全国的に肥やしにするほど捕れていたのに最近は全く取れなくなったと話題になっている『マイワシ』が大豊漁になっているのは救いかもしれない。加えて、どちらかといえば温かい海で捕れるブリが北海道近海で豊漁が続いているという。

話は少し飛ぶが、10年ほど前から北海道の道東、知床半島の根っこの部分にある標津町と縁ができて、その地で最近魚店を開いた青年と知り合い、毎年鮭を注文しているのだが、彼曰く、かつては、鮭の水明け日本一を誇った標津でも、ここ数年は不漁が続いているとのこと。

今年も、お歳暮にお願いするために電話したところ、去年よりさらに不漁だという。姿も小振りで価格も高いのは仕方ないとしても、電話での話の中でタコが鮭の定置網に入るほど豊漁で、漁師たちもビックリしているということを耳にする。

ここまでは、ヤリイカに変わってマイワシやマサバ。鮭に変わってタコというような魚種の変化であるが、タコの驚くほどの豊漁が、3・11の前の年と同じだという彼の話は聞き捨てならない。

数年前に起業した彼は当時のことはあまり記憶にないのだそうだが、漁師や取引先の人たちが口を揃えて、『あの時もタコが驚くほど捕れた・・・』と言っているとのことに、何となく不気味さを感じているのだそうだ。

タコについての知識はほとんどもたないが、私が日頃ス-バ-などで目にするマダコは手の平に乗るサイズが多い。しかし、道東沿岸で捕れるタコは普段でもかなり大きいそうだが、捕れる数が半端ではないという。そんな大物が大量に捕れるというのは、大人のタコたちがどこからか集団で逃げ出して来たのではと思いたくなる。

試しに、実際に最近捕れたマダコを少し送ってもらったが、タコの足一本の一部(30センチ程度)で600グラムもあるから、その大きさは凄いものがありそうだ。

東北大震災が起きたのは2011年の3月11日。その前の2010年の今頃も、現在と同じような大きなタコが、大量に捕れたとなると、なんとも厭な予感を覚える。

まさか、来年のはじめにまた三陸沖・・・とは思いたくないが、近い将来日本近海で大地震が起きることは間違いないとなると、この話から、日頃からの用心を忘れないようにしなければと、改めて強く思っている次第である。(田舎親父)

2016年11月 8日 (火)

野菜の高騰が給食に・・・

 私は毎年ダイコンを狭い庭で栽培しているのだが、8月下旬から10月中旬までの多雨と日照不足によって発芽が揃わず、発芽しても本葉が虫に食べられられたり、あるいは苗そのものが溶けてしまうという事態が続き、それを抜き取り、石灰で消毒したあと種を蒔き直したこともあって、今年は成長が遅く収穫に至らない。

 これは私だけの個人的な理由であるが、北海道の十勝地方では台風による大雨で畑の土が流出するという大被害で農作物が壊滅的被害を受けたことに加えて、全国的な日照不足などから野菜の価格が信じられないほど高騰している。

 一昨日、例年この時期に北海道から送られてくる鮭を使って、恒例にしている、『鮭ダイコン』を作ろうと庭のダイコンを探すが、太さが足りないので使い物にならず、近所の農協まで車を走らせる。

そこで見た価格が、何と一本が『270円』。思わず、うそだろう・・・と声を出してしまい、買い物に来ていた女性から、『今年は野菜の値段が凄いのよ・・・』と笑われてしまった。

例年ならこの時期のダイコンは一本100円程度だろう。なんとも凄いことになっているものだと、他の野菜の価格を見てさらに驚く。ハクサイやキャベツは一玉では500円だとか600円となるので、半分や4分の1に切られて並べられている。しかもここは、ス-パ-ではなく、農協の直販店。何なんだこれは・・・。

私はプランタ-で野菜を育てるのが日課にしているので、野菜を買うことは比較的少ないのだが、この価格では人々の暮らしを脅かしているに違いないことを実感。改めて、プランタ-農園を広めたいと意を強くするが、それはともかく野菜の価格がここまで高騰すると野菜が敬遠されて、人々の気持ちが荒むのではと心配になってくる。

先週あたりから、天候が持ち直しここ数日は全国的(北海道は荒天続きらしいが)に晴天が続いているらしいので、秋野菜は回復すると期待しているが、この野菜の価格高騰によって、学校給食に影響が出はじめているというから驚く。

先日、『野菜高騰で給食中止へ 30小学校、13幼稚園で 三重』という見出しの、三重県鈴鹿市立の全30小学校と13幼稚園が今年度の給食を2日間中止するという記事である。もっとも市長が知らなかったことが明らかになり、市教委としては撤回の意向らしいが・・・。

野菜価格の高騰が理由だそうだ。安い食材に切り替えて給食を続ける自治体が多い中、鈴鹿市教委は『安全面を重視』して判断したというが、学校給食が授業時数確保のコマ数計数の前提になっているのだから、教委としたら大変な決断だったに違いない。

 記事によると、2学期最後の12月20日と3学期最初の来年1月12日の2日間給食をなくし、各校や園が、弁当を持参させるか授業を午前で終えるかを判断するのだそうだ。私の現職時代には、こんな学期終わりや始めという間際の日まで給食はなかったような気がするが、最近はぎりぎりまで行わなくてはならない諸事情があるのだろうと、ついつい校長さんたちに同情したくなる。

 鈴鹿市の小学校の給食費は1人あたり月額4100円。物価高で昨年ごろからやりくりが厳しくなり、今年の1学期末時点で、調理施設を持つ19校中14校が赤字に。9月以降はニンジンやタマネギなどの値上がりで赤字が膨らんだという。

2日間の中止で1人あたり482円の節約とはなんともいじましいが、それでも赤字の小学校は、さらに中止日を設ける予定だというから、市はもちろん、学校も保護者にとっても深刻な話題になっているに違いない。

 年末年始の2日間だけの中止とはいえ(繰り返しになるが)現在では学期の始業日・終業日ぎりぎりまで午後の授業をしなければ、年間授業時数が確保できないようなので、給食会計が赤字の小学校では、給食は『コッペパン一つと脱脂粉乳』と、私の年代が経験した冗談のような内容になるのではと変な想像をしてしまう。なんとも凄いことになっているらしい。

 話は少しそれるが、学校教育に『給食はなくてはならないもの』になってしまった現在、今更給食を止めろとは言わないまでも、給食費の滞納が常態化して給食会計を圧迫し、それを学校が回収しなければならないことが社会問題になっているという。

『払えないのではなく払わない』という保護者が多いというのもよく耳にするが、学校としては何とかしないと給食が維持できないのだから、教員にカネ集めの業務をさせなければならなくなる。こんなことがまかり通って良いはずがない。

 野菜の価格の高騰が家計を圧迫し、それが原因で、さらに『払わない・払えない』保護者が増えることも考えられそうだとなると、教師の負担が増えるという問題も起こりそうな危惧を覚える。

 またまた饒舌なつぶやきになってしまったが、早く天候が安定し、野菜の価格が下がることを願うと同時に、こんな時こそ、たとえ少しの野菜でもプランタ-で作っておくと、気分的に楽になることを伝えたいと、強く思う今朝である・・・。(田舎親父)

2016年11月 7日 (月)

なぜそんなに急ぐのか・・・

 先週の金曜日、またまたシラけたような映像がテレビニュ-スで流れていた。例によって、自民党が数の力で押し通すお得意の強行採決の場面である。

今回は、『おこぼれ頂戴』という節操のない輩の集まりである『維新』というわけの分からない政党が与党にすり寄り、委員長が何を言っているのかも分からない中、さっさと起立をして、それが可決という形になったのだから、日本は本当に民主主義の国なのだろうか・・・と改めて考えさせられる。

この場面を見て、先月末のニュ-スの場面を思い出す。アホベ(首相という肩書もつけたくない)は、この委員会で『我が党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない』と発言していたが、この男の辞書には、『強行採決』という言葉はないのだろうか。

政治にはど素人の私でも、民主主義とは数の力だということは分かるような気がするがそれでも、法案の持つ意味を国民に丁寧に、しかもわかりやすく説明する必要があるのが最低限必要なことだと理解している。しかし、アホベとその仲間の、国民はバカだから何をしても反対の声は上がらないとの態度丸出しのやりたい放題は許せない。

これまでも何回も同じ場面があったことは、アホベという男は知らないというのだろうか。自分でも上からの命令で、平気で同じようなことをしていたことは忘却の彼方になっているらしい。そして、首相になって何度も強行採決を平気で続けている。

先日のテレビが映し出していた、あの採決も『強行』ではなかったとなると、こんな男を首相にしている国と国民には、つくづくと未来はないと感じさせられたもの・・・。

 『TPP』とは『環太平洋経済連携協定』の英字の略語で、太平洋を囲む12の国が集まって、互いの関税などの規約を決めために話し合う会議である程度のことは知っているが、話し合っていることは秘密だというから、具体的に何がどう決まるのか国民には何も知らされていない。こんな会議があって良いはずがない。

現政権は、農産物や酪農には聖域を設けて絶対に守ると言うが、先日もつぶやいたように、すでに農水省自らが外国産米が低価格で出回わるようなシステムを作っているのだから、どこまで農山漁業や酪農の立場に立って交渉しているのか全くの不透明。わざわざ自国の第一次産業を殺すような方向に進めているような気さえする。

 TPPは『12カ国の国内総生産(GDP)の85%以上を占める六カ国以上が国内法上の手続きを終えると発効する』のだそうだ。なんとも分かりにくい約束事であるが、この文言は、経済規模一位のアメリカの国内手続きが必須の条件になっていることは私でも理解できる。

確かにオバマ大統領が、しゃかりきに国内の承認を取り付けようとしているらしいが、すでに、大統領としての権限を行使できる時間的余裕がない死に体。間もなく、クリントンかトランプのどちらかが次期大統領に決まるようだが、両方ともTPPには反対だということが話を複雑にしているようだ。

両候補とも、ウソを平気でつくような雰囲気を漂わせているので、TPPに対するアメリカの姿勢がどう変わるのか読めないが、トランプは絶対反対。クリントンは現段階で反対と明言していることから、どちらが大統領に選ばれても、速やかな批准の可能性がきわめて少ないというのが一般的な見方らしい。

なのに、わが国のアホベ政権はとにかく、何がなんでも国会を通してしまえと大号令をかけて、農水相などは自らはTPPに反対との主義を持っているらしいことも隠して、強行採決に加担しているようだから実に分かりにくい筋書きになっている。

もっとも、ヤマモトという農水大臣は、非常にうがった見方をすれば、わざわざデタラメな発言を繰り返して、今回で大騒ぎの種を振りまいているのは、採決を遅らせて今国会での成立を阻んでいるのではという見方もできそうだが、もしそうだったら褒めてやりたい。しかし、現実には、そんな腹の座った男ではなさそうだ。

アメリカが批准しない以上、TPPは発効できないのに、アホベ首相がここまで急ぐのは、きっとこの男には急がなくてはならない理由があるはず。

巷で噂されている、オバマのレガシ-(なんだかこの言葉が大流行だが)としてオバマのTPP批准を後押しするためだとしたら、日本という国の主権はもはやなく、アホベは地位を利用して日本という国をオバマに差し出していることになる。

冗談でもこんなアホな話がまかりとってはかなわない。メディア(マスコミ)は、この隠された『都合の悪い真実』を国民に広く知らしめる義務があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年11月 5日 (土)

ドゥテルテは腹の中でウフフ・・・ 

少し話が古くなるが、今年になってフィリピンの大統領に選出されたドゥテルテという御仁は強烈な個性を持っているらしく、麻薬の取り締まりには問答無用で『撃ち殺せ』と警官に命じていることはかなりひっかかるが、アメリカに対して、『出て行け』という意味の言葉を何度も浴びせているというのは、なかなか勇気あると評価したくなる。

フィリピンとってアメリカはいわば宗主国。そのアメリカに対して『出て行け』まがいの発言は国民からかなり批判が噴出するのではと思っていたが、世論調査では支持率が90%以上と言うから、どこかの国の首相に聞かせたいものである。

そのドゥテルテ大統領が先月末来日した。その様子をテレビで見たが、羽田には在日フィリピン人がどこからこれだけの人が集まったのと思うほどの大歓声で迎えられていた。その後、大勢のフィリピン人の人たちとの対話集会でも、圧倒的な支持を得ている雰囲気が伝わってくる。

この御仁が、大統領就任後、いの一番に訪問したのが、宗主国のアメリカでもなければ日頃から大好きとお世辞を言っている日本でもなく、南シナ海で係争中の中国だったことに、オバマもアホベも怒り心頭というところらしい。

フィリピンは、アキノ前大統領が中国の南シナ海の南沙諸島と言われる周辺を埋め立てて巨大な軍事施設を建設し実効支配をしていることに対して、国際裁判所に違法を訴えていた裁判では中国の違法性を認めたことから、アメリカと日本が大喜びでフィリピンと連携して中国を牽制すると声明を出していた矢先のことである。

日本は、これもアメリカさまのご命令だろうが、フィリピンに巡視艇(軍艦だろう)10隻を供与するという約束をして、つい最近、そのうち2隻を引き渡したそうだからなんとも間抜けた話では・・・。

ドゥテルテ大統領は、中国からの資本援助を引き出すために、真っ先に習主席と会談したそうだが、アメリカの意図で日本からの供与した軍艦の威力を背景に、中国に『南シナ海から手を引け・・・』という言葉を投げかけたとは思えない。

むしろ、『フィリピンはアメリカの飼い犬ではない』という言葉からは、日本からせしめた軍艦の砲台は、中国ではなくアメリカに向けられているように思えるが、このことは、アメリカのポチ状態に大満足している現政権を徹底的に嫌っている私としては、政治的の難しい話は抜きにして実に痛快である。

政治音痴の私ながら、ドゥテルテ大統領誕生までは、フィリピンの最大敵対関係にあった中国を、アメリカや日本をさし置いて真っ先に訪問したことの意味がことのほか深い程度は理解できる。それなりに、計算尽くされたドゥテルテ外交戦略なのだろう。

アメリカよりも先に日本を訪れたのも、何とも意味がありそうだが、先月末に行われた日本とフィリピンの首脳会談では、マスコミ報道によれば、『両国関係の強化と南シナ海問題での法の支配重視を確認した』とのこと。ホントかな?・・・。

さらに、会談の翌日に掲載された新聞の共同声明の解説を読むと、ドゥテルテ大統領が最重視する麻薬対策でも、日本は中国と同様に協力姿勢を示し、麻薬常習者の更生支援を表明したというから、人権無視とアメリカが非難している強権的な麻薬取り締まりを許容したことになりそうだ。

また、南シナ海問題を巡っては、その中身は、海洋安全保障や南シナ海での連携に言及した程度で、ここには国際裁判の判決云々はなかったことから、日本が求めたものとほぼ遠い内容だったらしい。

また、これもマスコミ報道であるが、歓迎の夕食会では、アホベ閣下自らが、大統領の好物の和食やワインを指示するなど異例の厚遇ぶりを示したのだそうだが、この歓待に対してドゥテルテ大統領は『日本は兄弟より近い関係にある真の友人』と持ち上げたというから、なんとも役者である。

中国は、このことに対して『想定内のこと・・・』と静観しているとなると、先に訪れた中国の習主席との首脳会談では、お互いに、日本での言動に対してあらかじめ打ち合わせていたのではないだろうか。

ドゥテルテ大統領の中国訪問後は、南シナ海ではフィリピン漁船に対して中国からの圧力はすっかりなくなっているというから、上辺だけの『日本大好き・・・』発言以上の重要な打ち合わせがあったと推察しているのだが・・・。

アメリカさまの、フィリピンとの友好関係を壊すなという命令で、軍艦を供与はもちろん今まで以上に経済協力と称する資本提供をするらしいが、いやはやドテゥテルという男はただ者ではなさそうだ。

アメリカに対しては強面で、日本に対しては柔和な笑顔。中国との間でこのことが了承済みとなると、何とも凄い外交手腕。バカを見るのは日本ばかりで、さらに莫大なカネをむしりとられそうだ。

今頃、大統領宮殿では、『アホベという奴は御しやすい男よ・・・』と、連日側近たちと大笑いの祝宴が開かれているのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2016年11月 4日 (金)

都合の悪い真実を隠す体質は変わらず・・・

 今までも何度かつぶやいたことであるが、84名の児童と教職員の命を奪った3・11の大津波は、教育関係者にとっては『衝撃』という言葉では言い表せないほど前代未然の大事件。

あれほどの大津波は誰もが想定外だっただろう。しかし、よりにもよって、児童を50分間も校庭に集めて待機させた上で、津波が来るという情報を知りながら、津波の来る方向に避難?しはじめたことが私には全く理解できないところ。

 少なくとも、教員の中の誰かがこの避難経路を強く進めたに違いない。裏山に逃げようと声を上げた子どもがいることが明らかになっていることから、裏山避難と強く主張した教師も少なくないと想像している。

大川小学校のことについて、以前の私の記録を調べてみると、校庭で待機させた時間は『30分』とある。しかもこの『30分』という数値が何度もあることから、当時の新聞報道が全て30分だったと確信しているが、今回の訴訟記事では『50分』になっているのには大きな違和感を覚える。

新聞はじめ各メディアが『50分を30分』と意識的に短くしたとは思えないから、当時の石巻教育委員会が30分と発表したことをそのまま記事にしたに違いない。となると、始めから教育委員会は責任逃れを画策していたのではという疑いが生まれる。

それは別につぶやくとして、学校現場では職員会議の位置づけが大きく、決定権者がはっきりしない場合、堂々巡りの議論が果てし無く続くと多数決で決めることは、現在でもかなりの頻度で耳にする話。

その日は、偶然だろうが、校長か不在だったとのことだから校庭で児童たちを長時間並ばしながら、どこへ誘導したら良いかという議論を続けていたことも想像できないこともない。教務主任一人が残り生き残ったのも何かこのことと関係がありそうだとひっかかるものがあるが・・・。

結果的に、裏山へという一部の意見を聞かずに川の方へ誘導した教員たちの判断の誤りで84名の児童と教員の命が奪われた事実は重く、この過程を徹底的に検証し明らかにしなければ、今後の教訓にすることも言葉だけになる恐れが十分ある。

これも古い記録にあるが、子どもの証言などの記録はもとより、生き残った教員の聞き取り調査の記録も早々に廃棄処分したしたというから、当時の石巻教育委員会は組織として不都合な真実は徹底して隠蔽していたことは明らか。

子どもを失った保護者としては、一連の市教委の説明は許し難いことばかりだったろう。子どもの命は返らないことの虚しさを知っても、責任を明らかにしたいというのは当然で23名の保護者が原告団として訴訟に踏み切ったのは当り前の理である。

訴えられた石巻市と宮城県は、大川小は浸水予想区域外で津波は予測できず、裏山は崩壊や倒木の恐れがあったから、この判断はいたしかたなかったと反論していたらしい。

その判決が先日下った。仙台地裁の裁判長は『津波は予測できた』と明言し、『学校(教職員)の下した避難指示に明らかな過失があった』として、23人の原告遺族に約14億円の賠償を命じる判決に、私も含めて納得した人も多いはず。

津波の場合は、一国も早く高台に逃げろということは、津波被害を受けたことがない私でも常識として持っている知識である。当然、三陸沿岸に住む人々は、私以上にその思いはしっかり胸に抱いていたと信じたい。

判決は、教職員は防災無線やラジオなどで、大津波警報や避難指示が出ていることも知っていたことは間違いないと断言している。

サイレンが鳴り、市の広報車が高台への避難を呼びかけてもいたにも関わらず、それでも教員たちは、どちらに逃げるかと無駄な議論を繰り返していたとなると、児童の命を守るという基本的な任務を放棄したことであり、教師たちの責任は重い。

しかし、石巻市教委は仙台地裁判決を不服として、仙台高裁に控訴する方針を固め、市議会も16対10の賛成多数で控訴に賛成したという。加えて、宮城県教委も石巻市教委の方針を支持。県として控訴に踏み切ったという。

地裁の判決を受けて、23名の遺族に14億円を支払えば、残りの遺族との不公平が起き、さらなる訴訟問題が起きるという判断があったのだろうが、遺族気気持ちを逆撫でしていると言わざるをえない。

確かに、カネがらみとなると裏で暗躍する輩が出てくることは間違いなく、補償額がどれぐらいになるかも見当がつかないところもあるだろうが、全てが、悲劇後の市教委の責任逃れのための真実隠しにあったことは今更述べるまでもない。

二度と同じような悲劇を繰り返さないために、今回の判決を真摯に受け止め、新たに発生するだろう諸事情に対して、これまでの情報を全て公開し、時間をかけて誠意に対応することだけが解決の道だと思うのだが、結果として選んだことはその真逆・・・。

高裁の判断が注目されるところだろうが、石巻市や宮城県(全国全ての自治体に当てはまりそうだが)の、この都合の悪い真実を隠す体質が改まらない限り、学校における子どもたちの悲劇が繰り返される可能性は今後も続くことは疑いのないとしか言いようがなさそうだ・・・。(田舎親父)

2016年11月 2日 (水)

ジャガイモ中毒の9割が小学校の学校園?・・・

 『ジャガイモの皮や芽に含まれる有毒成分による食中毒の9割が学校で起きていることが国立医薬品食品衛生研究所の調査でわかった』という、私には俄に信じられない記事に、思わず『本当なの・・・』とのつぶやきが口から出る。

研究所のチ-ムが、国や自治体の公表資料を基に、1989年から2015年のジャガイモ食中毒を分析した結果、98年以降、02年と08年を除く毎年発生し、計30件で718人が食中毒になっていたことが明らかになったそうだ。そのほとんどが小学校で、幼稚園や中学校なども一部あったとなると、これをバカバカしい記事だと笑ってすませることはできない。 

学校園で十分な大きさまで育てずに食べたのが主な原因だという。私も担任時代毎年のようにジャガイモを育て、余分なものは自宅に持ち帰らせたり、茹でて子どもたちに食べさせたことがあるが、食中毒など考えたこともなかったし、私の周りでもこんな話題は耳にしたことはない。

 ジャガイモの芽には、有毒成分があり、食べると腹痛や吐き気をもたらすらしいことは、誰に教えられたわけではないが、食べる時には芽の部分(凹んだところ)を切り取るのは当り前の知識として擦り込まれている。しかし、最近はこのような、普通に生活する上に必要な基本的な情報が伝わっていないのだろうか。

また、ジャガイモの新しくできたイモに日光が当たると緑色に変色することも何度も経験している現象で、この部分も有毒成分があるので食べないことは常識なのだが、こんな最小限の知識すら、現在の教師たちは持ち合わせていないとなると、これは気になるところ。

ジャガイモの植え付けは、芽の部分をできるだけ少なくして、しかも木灰を表面にまぶして植え付けるのが基本である。それでも成長のためにある程度の体積は必要なので、植えつけるイモには芽の部分が複数あることから、かなりの茎が立ち上がってくる。

大きなイモを収穫するためには『芽かき』という、余分な芽を取り除いて、丈夫な茎を一本だけ残す作業が大切になる。それでも、少し油断すると、2本3本になることが多いのだが、『芽かき』の知識もない?・・・。

『芽かき』を忘れると、小さなイモがたくさんできて、その一部のイモが地面から顔を出すとたちまち緑になるために、『芽かき』をして余分な芽をつみとった後も、定期的に見回り、イモがはみ出さないために茎の周りに土を盛る『土寄せ』という作業が必要になる。

こんなことは、教師用指導書に明記してあるはずなのに、これができず植えっぱなしにしているとなると、最近の小学校の教師たちは、指導書を読む時間すらないほど雑用?に追いかけられているのかも知れない。が、それにしても・・・である。

 恐らく、学校園で栽培する場合、給食で使うほど大量のイモを育てることはほとんどないだろうから、塩ゆでして食べたのだろうが、煮沸消毒と勘違いして茹でたら有毒成分が消えると言う思い込みがあるのではないだろうか。

 この記事で特に気になる部分は、この種の食中毒は97年以前は発生ゼロで、昭和期までさかのぼっても数件程度だったというところ。このことは明らかに、栽培知識がない教員が増えていることを現しているのだろうが、何とも言えない不気味さを覚える。

 これまでに何度もつぶやいたことだが、私の現職時代でも、理科を得意とする教員が少なかったが、最近はさらに減っているという声は良く耳にするところ。

教員養成大学の課程でも、座学による教科指導や児童理解などの対処的な指導法が中心になり、理科の指導で必要な栽培や飼育、野外観察などの実地の体験ができていないことが、およそ信じられないような中毒騒ぎを起こすのだろう。

 新規採用教員に対して、理科に限らず自然体験が重要な教科の指導に必要な最低限度の知識や技能を、長期合宿研修などを通して習得させる時間的なゆとりがあれば、少なくともこんな眉につばするようなアホらしい話題が新聞紙上を賑わすことはないと信じたい。

教育行政の根本的な改革を望みたいものである。(田舎親父)

2016年11月 1日 (火)

原発街道を走ってみた・・・

 福島原発事故で避難を余儀なくされた人々の奪われた故郷の様子を実際に自分の眼で確かめたくなったと思ってからもう数年過ぎてしまった。この思いを実行に移すために、南会津町での町おこしイベントの仕事のお手伝いをした29日の午後行動開始。

その日、会津若松を経由して郡山で泊まり、翌日早く、友人の運転のレンタカ-で磐越自動車道に乗る。多分、帰還困難地区には入れないだろうから、どこをどう通るかという細かい計画はなく、できるだけ福島第一原発に近づき、国道6号を走れればと、『船引・三春ICで降りて、一般道に入る。

途中『浪江』という道路標識を見つけ、途中で閉鎖場所があるのは覚悟の上で、その標識に沿って浪江に向かう。田村市に入ると、何のためにこんな道路作っているのだろうと思わせるような、山を削った晴らしい道が作られているかと思うと、少し先に進むと、極端に狭くなるという変化が激しい。

すぐに、黒の巨大なビニル袋が並べられている場所が現れ、それを大量に集めて緑のシ-トで覆われた何とも気持ちの悪い風景が当り前のように次々に目の前に迫り、この風景が当り前のようになってくる。このシ-トがなければ、そこは広々としたのどかな田園風景であり、まさに人々の暮らしが息づく豊かな里山が存在したに違いない。

かと思うと、次の山を越すと、そこは少ないながら人が住み、明らかに今生活している地区や、トラクタ-で畑を整地している場所もある。今頃になっても稲刈りが終わっていない、黄金色した稲穂が風に揺れる風景にも出会う。

さらに、現在進行形で解体が進んでいる家や、お城を思わせるような立派な建物ながら、屋根の上部がはがれはじめている住宅も幾棟も目にする。一般車が通れることは、ここは一応帰還しても良いとされる地区なのだろうが、かなり放射線値が高く、帰還しないと決めた人たちも多いと聞いているので、このような空き家が多いのもうなずける。

細かい地図がないので、どこをどう走ったのかは記憶がないが、目の前に、頑丈なゲ-トが現れて、警備員が怖い顔で睨んでいる。降りて、事情を聞くと、この先は帰還艱難地区に指定されているので、関係車両以外は立ち入りが禁止されているとのこと。そこには小さな小屋があり、簡易トイレも備えつけられていることから、24時間体制で警備活動が行われているのだろう。

警備員に、浪江を入るための方法を聞くと、一本だけ富岡方面に向かう道があり、そこから国道6号線を北上するしかないとのこと。これは良い情報と、教えられた通りのル-トを選択。確かに警備員が言うとおり、至るところに『この先立ち入り禁止』という表示が次々に現れる。恐らく、その全ての先にはゲ-トがあり、警備員が配置されているに違いない。

途中、車をじっと見ている野生動物を発見したが、目を合わせた瞬間猛ダッシュで森の中に走り去る。体つきから、明らかに身体の小さなイノシシである。どうやら、関係者以外立ち入る人がないことから野生動物の天国になっているようだ。キツネかハクビシンのような動物が車にひかれた死骸を危うく踏みそうになったが、それらの死体を片づける必要も余裕もないのだろう。

いくつかのゲ-トで行先を阻まれるが、やっと常磐高速のガ-ドを通り越して、国道6号線に出る。そこから北上するが、そこはまさに福島事故原発のお膝元。この国道は、最近になって、4輪の車だけが通行可能になったという。

通る車は多くない。パトカ-が目立つのは、怪しい車を厳重に監視しているのだろう。そう言えば、山道にも『監視カメラ作動中』という標識をいくつも目撃したことから、我々の動きは確実に監視されていることを改めて思い出し、あまり良い気分にはなれない。

しばらく北上すると、放射線値を示す表示器があり、その値は『毎時1.18マイクシ-ベルト』とある。風向きなどでかなり変化するのだろうが、仮にこれが平均だとしても、一日約30マイクロシ-ベルト。一年では10ミリシ-ベルトになる計算。

現政権は年間20ミリシ-ベルトを安全基準としているが、国際基準はこの値は非常時であって、平常時は1ミリシ-ベルトであることから,かなり危険な値であることを再認識。この区間は窓を閉め切った自動車だけが通行できる『原爆街道』である。

沿線には、ガソリンスタンドやいろいろな店があっただろうが、その全ては完全に封鎖されてている。国道につながる道路は頑丈な鉄の柵が行く手を遮っている。主要な道路には警備員が張りついて緊張した雰囲気に包まれている。しかし警備員たちはすべて、防護服を着用していないのも気になるところ。

福質第一原発を示す、古ぼけた標識の遠くの先には、何となく原発の存在が分かるような建物らしき陰が現れるが、もちろん確認する術はない。しばし走ると、左手に『浪江町役場』という標識が現れる。そこにはゲ-トはない。ということは通れるということ・・・。

我々は、そこは後ほどにして南相馬市の入口まで走るが、ここからは寂しいながらありふれた地方の国道風景になっていることを確認して、Uタ-ン。先程の浪江町入り口を右折すると、突然的に浪江町役場が現れ、大勢の人達で賑わっている。

ここは最近新しく建てられた浪江町のマルシェ広場らしく、その落成を記念するイベントが行われていた。海鮮丼の店やカフェも作られている。小さな舞台では、『ふるさと浪江』の曲に合わせて踊る婦人たちと、それを楽しげに見守る人々。

明るい雰囲気が溢れているが、たった今、自分の眼で確かめた『只今の放射線量は1.18マイクロシ-ベルト』という表示に、本当にここに住んで大丈夫なのだろうかと言うつぶやきが心に浮かぶ。

もちろん口にはできない。人々が、ふるさとに帰還し今後の再建に力をそそいでいる姿には拍手を送りたいが・・・。

我々もそこで海鮮丼を注文して食べてしばしイベントを見学。今度は北から南へ国道6号線を走ることにする。

たった半日と少しのことだったが、改めて原発の恐ろしさ、そしてふるさとを奪われると言う理不尽な光景を目の当たりにして、ますます反原発の思いを強くした。

富岡から、常磐高速道路に乗るが、途中楢葉町だったと思うが『只今の放射線値、毎時1.6マイクロシ-ベルト』の表示にはびっくりする。単純計算で、年間14ミリシ-ベルトになる。これは怖い。

しかし、しばらく走ると『0.5マイクロシ-ベルト』という数値に、風向きだろうが放射能の恐ろしさに何ともやりきれなさを感じる。

今日のところはここまでにしておき、感想などは次の機会に・・・。(田舎親父)

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