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2016年11月22日 (火)

天皇訪問をマjスコミはスル-・・・

 11月18日の朝日新聞の『天声人語』に、天皇・皇后両陛下が長野県阿智村の『満蒙開拓平和記念館』へ訪問されたことを取り上げていたが、紙面そのものには、これに関する記事は見当たらず、一面トップは『日米首脳会談』という活字が踊っていたことを、その日の私は、つぶやきコ-ナ-に皮肉を込めて書いたもの・・・。

 両陛下が飯田市を訪れることは、友人のFBへの投稿で知っていたので、17日のご訪問当日の飯田市は、歓迎行事と同時に厳重警戒で大変だろなと思っていたが、マスコミが一切報じなかったのでどんな様子だったのかは全くわからず・・・。

両陛下の『満蒙開拓平和記念館』ご訪問は、私的なことだから記事にしないという方針なのかもしれないが、実際に満蒙に開拓団の一員として送り込まれた人たちや、その子・孫などにとっては、両陛下の訪問はそれぞれの思いが重なり、見逃すことができない大変重要なことではなかっただろうか。

この日の『天声人語』によって、数年前のことになるが、飯田市とつながりの深い法政大学のある学部の主催で開かれたシンポジウムに招かれて参加したことを思い出す。そのプログラムの一つに、今回両陛下が訪問された平和記念館の開館のために大変努力され、現在も専務理事として運営に当たられている方のご苦労話があり、それをうかがった記憶が蘇ってきた。

名刺を探して確かめると、寺澤秀文さんという方のお話だったが、ご両親が旧満州に入植した経験があったことから、中国残留孤児の帰国支援ボランティアなどをしているうちに、父の話がよみがえり、自分のルーツを知りたい・満蒙開拓団の歴史を残したいと思うようになり、この記念館の建設に奔走したことなどの内容だった。

私は、それまで満蒙開拓団という言葉は知っていたが、その実態は寺澤氏の話で始めて知り大きな衝撃を受けたものである。長野県からの移民がもっとも多く、特に阿智村は当時の村長はじめ、指導的立場の人たちが率先して宣伝したことからことさら人数が多かったらしい。

両陛下の訪問については、東京新聞の『筆洗』というコラムも取り上げていた。天声人語よりも具体的に述べられていることと、東京新聞は朝日や毎日、読売と比べて読者もかなり少ないと思うのでそのまま引用しておくことにしたい。(引用はじめ)

南信州から旧満州国(現中国東北部)へと「阿智(あち)郷開拓団」が渡ったのは、一九四五年の五月だった。団員は二百十五人。僧侶で教員をしていた山本慈昭(じしょう)さんも開拓地で教職をと説得され、海を渡った▼わずか三カ月後に彼らを待っていたのは、敗戦と逃避行だった。山本さんは妻と幼い二人の子らを守りつつ、その日その日の出来事を書き留めた▼<八月十五日 徒歩にて悪しき道を歩く有様は…鬼にむち打たれて逃げまどうに似たり>。十九日には幅三十メートルほどの川を渡った。<母親の名を呼びながら濁流にのまれる子供、泳ぎを知らず死んでゆく老人…>▼そうして生きて帰れた阿智郷開拓団員はわずか十三人。その中に山本さんの妻らの姿はなかった。長野県は全国で最も多くの人を満蒙(まんもう)開拓に送り出したが、三万三千人のうち一万五千人もが命を落としたという。きのう天皇、皇后両陛下が訪問された阿智村の満蒙開拓平和記念館は、そんな歴史を語り継ぐ場である▼山本さんの著書『再会』には、彼の叫びに似た言葉がある。<死んだ母親に…すがりついて泣いていたあの子は、そして川を渡れずに置き去りになったあの子は、どうなったのだろうか…>▼彼は、中国残留孤児の帰国に道を開き、九〇年に八十八歳で逝去するまで日中間に橋をかけようとし続けた。川を渡れなかった子供らを思っての、目に見えぬ橋だ。(引用終わり)

味わい深い文章である。読み終わってさらに寺澤氏の話の内容が蘇流。送り出した側(国、軍部)には、開拓団を前線での補給基地とし、また『人間の盾』としようとする軍事上、国防上の思惑があったということも、私の心を刺激した語りだった。

送り出された側(開拓団員)も結果として侵略の加担者であったことに気づき、戦後もあまり語りたがらなかったのだそうだ。加えて、国はできるだけこの事実を語らないようにしていたので、記念館の開設に大変なご苦労があったことも語られていた。

満蒙開拓というと悲惨な引き揚げがまず思い浮かぶが、実際には入植した人たちには、中国の人たちから、半ば強引に取り上げたり、安く買い上げた家や土地が準備されていたというから、当時の軍部のおぞましいやり方が目に浮かぶようだ。具体的な話は新鮮であり胸に突き刺さることばかり・・・。

分刻みの公務がびっしり詰まっている天皇は、年齢的にも無理ができないと悩まれて、生前退位まで願われているという中、どうしても、この『満蒙開拓平和記念館』へ訪問したいという強い希望で『私的』という言葉をつけた上で実現されたとのことだが、戦争責任を感じて、戦跡はもとより戦争に振り回された国民の安寧を願っての訪問は、戦争の犠牲になった多くの国民の慰霊という意味も深いのではと私なりに受け止めている。

天皇は、本心ははっきりと語られないが、戦争に対する贖罪であり、二度と戦争を繰り返してていけないという決意であり、憲法9条を守りたいという強い意思の現れではないだろうか。

それに対して、現政権は何としても憲法9条を変更し、戦争ができる国にしたいという動きがミエミエ。国連の要請と称して、派遣の必要性も曖昧であるにも関わらず、自衛隊を天文学的な膨大な国民の税金を投じて、わざわざ南ス-ダンまで派遣して『駆けつけ警護』という武器を使える場面を作り上げている。なんともやりきれない話である。

私には、このところの両陛下の動きを見るにつけて、憲法9条もないがしろにして、金儲けのためには戦争も利用するという発想を明確にしている現政権に対して、身体を張って反対の意思を示されているように思えてならない。

この天皇の気持ちと行動に最大限の尊敬を捧げたい。その上で、全てのマスメディアに対して、真摯に受け止め、政権に対して批判を強め、戦争への動きをくい止めるキャンペ-ンを張ることを強く願いたい・・・。(杉)

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