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2016年11月30日 (水)

これは記録としてのこしておかねば・・・

 今年も明日からは12月。私の部屋に吊ってあるカレンダ-も残り1枚になり、いよいよ今年も終わるのか・・・とため息をついている。

それにして、月日の流れるのが速過ぎる。歳をとったせいもあるのかもしれないが、横浜で、ほぼ仙人的生活を送っている私には,時間はたっぷりあって、毎日のんびりとした時を過ごしているはずなのに、気がつくと、『エッ、もう日曜日・・・』という感じで一週間が瞬く間。そして一ケ月もそれ以上に早く過ぎ去る感じがする・・・。

あまりのんびりしすぎると、ボケる恐れがあるというので、ボケ防止のために世の中の動きに対して、自分の生き方と比べて批判や納得をしながらつぶやくことを日課にしているのだが、その題材が多過ぎて、あれこれ考えていると午前中が過ぎてしまう。これも、月日があまりにも早く過ぎるように感じる原因の一つかもしれないが・・・。

そのことは別に考えるとして、先日、天皇皇后両陛下が長野県の阿智村の『満蒙開拓平和記念館』を訪問され、その翌日、朝日新聞と東京新聞はコラムでこのことを伝えていたことはすでに述べた。しかし、両新聞とも、本文のこれに関する記事にないことに疑念を覚えたことが未だに疑念として残っている。

天皇の気持ちなど察することなどできるはずはないが、戦争の責任を人一倍感じられておられることは、慰霊のために国内外の戦争の遺跡を訪ねられ、黙祷を捧げておられる姿を拝見すると、その真摯な気持ちが伝わってくるような気がして自然に頭が下がる。

また、天皇は公務として進んで最近絶えず起きている感じがする災害現場を訪れ、被災者に慰めの言葉をかけられているが、同じように、ご自分の一生の責務として、太平洋戦争で亡くなった人々に哀悼の意を捧げ、遺族の方たちに声をかけられることはそれ以上の強い気持ちの現れのように思えてならない。 

『満蒙開拓平和記念』への訪問も、公務として希望されていたのではないだろうか。しかし、官邸(歴代政権)は折角隠し通していた『満蒙開拓』の事実が明らかになったら具合悪いものだから、公務として認めなかったことから、しかたなく私事旅行という形でも行くぞということを示されたのでは・・・。

官邸は天皇の強い意志から反対できず、私事旅行ならばということで仕方なく認めたというところではないだろう。同時に、マスコミには、『伝えてほしくない』という信号(命令)を発し、今や政権の御用メディアになっている新聞各紙は、そのことについて了解したという筋書きではと想像している。

しかし、そんな新聞社にもジャ-ナリスト精神を失っていない記者は存在し、それが翌日のコラム記事になったのではないだろうか。

コラムに取り上げるのは、時の話題であるが、ほとんど二度と取り上げることがないのがこれまでの常識だから、もう、この種の文面はないのだろうとあきらめていたが、先月末の東京新聞は、社説でこの問題を取り上げたことに驚き、その良識に大感激する。

先日も、述べたように、東京新聞はどちらかといえばマイナ-の新聞社。読者も多くないだろうから、私の記録という意味も含めて、そのまま引用しておきたい。(引用はじめ)

長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館を先週、天皇、皇后両陛下が訪問された。戦中、戦後と、苦難を強いられた開拓民の記憶を語り継ぐ場だ。“負の歴史”の実相をさらに多くの人に伝え続けたい。/記念館は、二〇一三年四月にオープンした。/一九三二年、現中国東北部に建国された旧満州国へ渡った開拓民の苦難を伝えようと、その証言や資料を集めた全国で唯一の民間施設でもある。/今回の訪問は両陛下の希望で実現したといい、体験を語り継ぐ三人の引き揚げ者と懇談もした。/その語り部の一人、豊丘村の久保田諫(いさむ)さん(86)の葛藤をたどるだけでも筆舌に尽くしがたい。/約二十七万人とされる開拓民のうち、長野県からは最も多い三万三千人が送り出された。/だが、終戦間際のソ連軍侵攻と敗走中の惨劇の数々によって、帰国できたのは、同県でわずか一万七千人にすぎなかった。/敗戦直後、久保田さんの村の開拓団は、ほぼ女性と子どもだけ。現地の住民の略奪におびえ、逃げきれずに集団自決に走った。母が子をあやめ、親同士が「今度は私を」と続いた。まだ十五歳だった彼も、いやいやそれを手伝う。/七十余人が息絶えた。/彼ともう一人、男二人が残された。一緒に死のうと石を手に、気が遠のくまで額を殴り合ったが、結局、死にきれなかった。/懇談の後、天皇陛下は「こういう歴史があったことを経験のない人にしっかり伝えることは、とても大事なこと」と話した。/これまでも書いてきたが、何度でも書かねばならぬ。/開拓民は国策で渡ったが、開拓とは名ばかり。その多くは現地の人から取り上げた土地や家をあてがわれ、意識せずとも侵略の加担者になっていたことを。/今も残留孤児の支援さえおぼつかないのに、七十余年前と同じように前のめりになっている国のありようや、それに無頓着な空気の危うさが漂っていることも。/偽りの国策に踊らされた過ちを繰り返すまいという地元の熱意が実った記念館だ。/今月、修学旅行なども含めた来館者は十万人を超えたが、知名度は低かった。それが両陛下の来訪でひときわ脚光を浴びた。何より遠目に見ていた地元の人々の関心が高まった。/いわば“負の歴史”ともいえる当時の実相を、揺るがぬ資料や証言でもっと伝えていきたい。(引用ここまで)

よくぞ書いてくれた。この論説担当者に最大限の敬意を表し、今日の私のつぶやきとすることに・・・。(田舎親父)

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