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2016年11月21日 (月)

不登校について、私的なつぶやき・・・ 

 『不登校』なんとも厭な気分にさせられる言葉である。それに比べて『登校拒否』という言葉の方は、その責任の所在が明らかになっている感じがして私には抵抗がない。

というわけで、以前から、私は、できるだけ『不登校』という言葉を使わないで、必要に応じて『登校拒否』という言葉を使うようにしている。そこで、今日は、『不登校』と『登校拒否』という言葉について、20年近い担任生活において、たった一つだけ実際に経験した『不登校』の拙い経験をつぶやいてみることに・・・。

新任で配属された学校で、あまりにも頑な考え方の校長に腹をたてて、職員旅行の席で酔ったフリをして(本当に酔っていたのかもしれない)蹴飛ばしたのが、その校長の逆鱗に触れて、配属されて2年未満にも関わらず、大田区のK小学校に転勤になったことから話は始まる。

今思うと凄い学校だった。赴任した日の午後、しみじみと廊下から校庭を眺めていたが、そこには樹木はほとんどなく、土ぼこりが辺り一面を覆う光景に、酷い学校があるものだと思ったことが思い出される。

しかし、私を引き受けてくれた校長は、『あんたの武勇伝は知っている。教育長から面白い男だから好きなようにさせろという連絡を受けているので、あんたの考えと行動力でこの学校を変えてごらん・・・』と言われたことに感激。

この言葉に騙された?らしく、翌日から学校に緑を作ろうと動きだす。保護者を巻き込んで削岩機とコン諡リ-トミキサ-を学校予算で買いこみ、子どもたちと毎日汗を流して花壇をつくり ヤマモモの植樹と.桜並木の完成のためにがむしゃらに汗を流したものである。そのかいあって、今では、区内でも有名な桜の名所となり、季節になると大勢の見学者があると聞いている。

そのことはさて置くとして、私の受け持ちのクラスに、3年生の中程からずっと『不登校』を続けているKという男の子がいたことを後で知る。

前年に何らかの理由で急に子どもの数が増えて、組替えで7クラス編成になったこともあって、前年度の担任からの引き継ぎなど何もない。元々、まともな引き継ぎなという雰囲気などなかった学校であるが・・・。 

始業式が終わり、教室に子どもたちを誘導して、とにかく好きなところに座らせてみたら、一つだけ席が空いていた。そこで出席をとってみたて、始めてKという児童が休んでいることを知る。子どもたちに聞くと、『ずっと休んでいるよ・・・』という答えが返って来るだけで、全く理由はわからない。

その日から、Kを登校させることに私の挑戦が始まる。当初は、何度も自宅に迎えに行くが、木造アパ-トの2階の自室には、いつ行っても両親の姿はなく、恐らく部屋に閉じこもっているだろうKは私を無視・・・。

いろいろと調べるうちに、父親は酒乱の気があり、現在所在はわからないらしい。母親は生活を支えるために,昼夜をあげず働いていることもあって、なかなか会うことができなかった。それでも、やっと会えた母親から、『Kのことは全て任せる』という言質をとったので、クラス子どもたちと彼を登校させる作戦開始。

3年の時に同じクラスだった子どもから、『太っていることを、誰かに指摘されたのがいやだったらしい』という情報も届く。また、『勉強は大嫌いだが将棋が好きだ』ということを知って、ドアの隙間から、『とにかく出てこいよ、将棋をしよう・・・』と書いた張り紙を入れて見るのだが反応はない。4年生の1年は虚しく過ぎる。

5年生になる時、近くに新しく小学校ができたことがあってクラスが削減。7クラスが5クラスになるのだが、どうしてもKを登校させたかった私は、強引にKを持ち上がって5年生の担任になるのだか、そのクラスに1・2年生の時にKと良く遊んだ児童がいたことがあって、その子に中継を依頼・・・。なんとなく希望が生まれてくる。

その甲斐があったのだろう。5年生の3学期に突然彼が登校したことにビックリ。喜ぶべきだろうが、それ以上に私はパニック状態に陥る。

それからが大変である。約束だから、彼を一番前の席にして、連日将棋をするのが日課となる。将棋盤を置いて、彼の相手をしながら算数を教える姿を想像してほしい。これは何とかなるが、国語となると、これはかなり難しい技術を要し、今思うと,どうして乗り切ったのかも曖昧な記憶・・・。

不思議なことに、将棋を通して互いに意志が通じ合うようになり、クラスの子どもたちも仲間として受け入れてくれたことで、Kにとって居心地のよい空間になったのだろう。卒業するまでの1年と少しは、一日として休みはない。

私は、この経験から、主席簿は必要ない、子どもたちは『楽しい、居心地がよいという意識さえあれば、学校を休まない』という信念を強く持つようになり、その後、出席をとるという担任の定番の仕事とはおさらば。

彼は,中学校に進学して間もなく、『登校拒否』状態になり、そのままの状態で卒業したらしいが、持病の白血病学校再発してなくなったと聞いたのは,それから10年以上過ぎたころだった記憶している。もちろん私は他校に異動。線香の一つでもと彼のアパ-トに出かけたが、一家はすでに転居。その後のことは全く不明。

今じっくり彼の行動を考えてみる。Kが3年生のある日、学校を休みはじめたのは、彼なりの何らかの原因があるはず。強い意志がなくても、『学校に行きたくない』という気持ちがある以上、これは『登校拒否』というべきだろう。それを放置したことで、『不登校』になったのではと受け止めている。

今日は学校に行きたくないなあ・・・という気持ちになるのは誰もが経験したことがあるはず。

その時、(昔の私のように)教師に相当な権限を持たせて、日常的に、『学校が楽しい、休んだら損だ・・・』という気持ちにさせてしまえば、ある日の『登校拒否』はあったとしても、継続的な『不登校』にはならないのではと思う気持ちは今ももち続けている。

今日も饒舌なつぶやきになってしまったが、たった一人の教師の、しかもたった一度だけの『不登校』児童に対する経験であるが、教師にのんびりと子どもたちと接する時間的余裕と、上から監視されるような雰囲気がない学校であれば、『不登校』といういやな言葉はなくなるのではと、今でも頑固に信じているのだが・・・。(田舎親父)

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