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2016年12月

2016年12月28日 (水)

彦根城にもイノシシとは・・・

 いよいよ今年も、残すところ今日を含めて後4日になってしまった。毎回同じことのつぶやきであるが、歳と共に時間が過ぎるのが早く感じられ、70歳を過ぎた頃からは、一月が一瞬に過ぎ去り、さらに、一年も同じがごとく・・・。

 昔ならとっくに人生を終えていても奇怪しくない歳になったのだが、一応五体満足で過ごせる幸せを感じながら、最近流行の認知症(私の中では痴呆症)になってしまったら自分がわからず、当然生きていることもはっきりしないだろうと思うと、それだけは御免蒙りたいと、ここ数年は社会の面白いニュ-スを探しては駄文をしたためている毎日・・・。

 そんなある日(つい最近のことだが)彦根城の中堀沿いの遊歩道で、イノシシが暴れ出して、30~70代の男性4人が指や頭をかまれるという事件報道に、怪我をした人には申し訳ないが、イノシシが国宝の城にまで侵入とは、いよいよ凄い世の中になったものだと驚くばかり。

4人のうち3人は遊歩道を観光や散歩で別々に歩いている途中、1人は堀で魚釣りをしていて被害に遭ったのだそうだ。釣りをしていた男性は、命は助かったものの薬指をかみ切られたというから恐ろしい。

 イノシシの被害は過疎地では当り前になっていることは良く知られている。このところ、人前に現れることも稀ではないらしく、以前には神戸市の郊外で目撃されたというニュ-スを聞いたこともある。さすがに東京や横浜の市街地には姿を見せないが、横浜の片田舎でもそのうち現れるのではと、ある意味、覚悟(楽しみに)しながら毎日野山を歩いているのだが、今のところその気配は感じられない。

 実際に現れたらどうなるだろう。恐らく、日頃から『焦るな、刺激するな・・・』と教えられているが、その通り、焦らずゆっくりと、そしてさりげなく離れられるかというと全く自信はない。

 実際に彦根城でイノシシと遭遇した人たちは、恐らく仰天して逃げまどったのではないだろうか。あるいは、イノシシに傘か杖で立ち向かったのかも知れないが、どちらにしても、イノシシは自分の身が危ないという防衛本能が働き、正当防衛とばかり自分から突っかけたのではないだろうか。

 それにしても、このイノシシはどうして彦根城の堀端に現れたのだろう。イノシシに聞いてみなければ真相はわからないが、イノシシとしても好き好んで人前に現れたわけではないだろう。専門家は、イノシシは琵琶湖を泳いでいる姿を目撃されていることから、何かを追い求めて琵琶湖から中堀に入ったと推測しているという。

しかし、『何か』をはっきりさせてもらわねば、住民はもとより観光客は、また現れるのではと思うのは当り前、国宝の城を見るために多くの観光客が集まるのだろうが、これでは彦根市の観光産業にも影響することは間違いなさそうだ。

 結局、このイノシシは捕獲困難と言うことで、射殺されたというが、人前に現れなかったら殺されることもなかっただろうにと気の毒でならない。

 ところで、最近は野生動物と人間とのせめぎ合いの話題をよく耳にするが、いずれの場合も人間の都合によることばかり。過疎化が急激に進み、先祖が営々と気づいてきた田畑を放棄するのだから、イノシシたちにとっては絶好の進出の機会。それっとばかり人間社会に近づくのだろうが、人間から見たらこれは侵略?・・・。

 何とか折り合いをつけたいところだが、この国は経済(金儲け)とアメリカさまのご都合が何より大事な課題らしく、過疎化対策などは掛け声だけで、大都市でも過疎化と高齢化が進む地区があることから、来年の今頃は、『エッ! こんなところで』という目撃情報も現れそうだ。いやそれ以前にかな・・・。

 明日から,私も人並みにお正月休みとして、かえってボケが進むこともありそうだが、しばし浮世を忘れで、飲み・食う・寝る世界に浸ることにしたい。

よいお年を・・・。(田舎親父)

2016年12月27日 (火)

経済音痴の根拠のない経済予想・・・

私が一番苦手としているのが経済問題であるが、このところ円安傾向には、『?』を通り越して、何となくだが恐ろしい目に見えない魔の手が身近に迫っているのではないかと不気味な気がしてならない。

 ドルに対して円安とは、『アメリカの景気が上向いていると感じる投資家たちが、円を売ってドルを買うからだだ』と言うのが一般的な見方だそうだ。確かに、ドルの価格が上がったら、相対的に円は安くなることは私にでも理解できるが、つい一月ほど前は、1ドルが100円程度だったのが、昨日は117円だから、わずかの間に2割近く上昇しているのは驚く限り。

 また、『円安が進めば株価か上がる』のは、この世界の常識らしい。確かに、株価もここ二ケ月ほどの間に1万6千円台から3000円以上上がって、2万円を突破する勢いになっていることから、理屈はわからないが、そんなものかなと納得するしかない。

円安が進めば輸入品は高くなることは理解できる。ということは、外国からの原料を輸入している製造業などの経営は苦しくなるだろうに、日本全体の株価は急激に上昇しているのが、私には不思議でならない。

 株価とは『日経平均株価』をさすのだそうで、この値は東京証券取引所に上場している大企業を中心とした株価の平均値だという。株価と連動している『トピックス』という数値があるのだが、こちらの方はどんな意味なのかさっぱりわからないが・・・。

トピックスのことはこれから勉強するとして、新聞の経済欄には、企業別の株価の動きが一覧表として詳しく掲載されているので、私も試しに、大昔に勤めていた『富士通』の株を買ったつもりでその表を眺めてみた。

 昨日の価格は660円。企業によって株数が決まっており普通は1000株単位だそうなので、富士通の株を買うためには、最低でも66万円ほどのお金を用意して証券会社に依頼しなければならないことになる。

 66万円とは貧乏老人には大金だが、株価が100円上がれば10万円が儲けになることは理屈的には理解できるので、これは面白そうだ。しかし、逆に100円下がると10万円がパ-になるのだから、これはまさに博打・・・。

ただ、ル-レットのように運まかせの博打とは違い、かなり経済のことを勉強しないと勝てない博打であることは間違いなさそうだ。もっとも、株屋さんたちはこの博打にはまっているのだろうから、重度の博打依存症患者と表現しても良さそうだが・・・。

この円安と連動している?株価の動きは、トランプが大統領選に勝利した日には、急落したことは、私も鮮明に覚えている。しかし、何故だか翌日から右肩上がりが続き今日に至っている。

 トランプ時期大統領は、巨額インフラ投資や大型減税を公約にうたっているのでその通りに実現されれば、アメリカの景気はさらに上向くだろうという期待感で『ドル高(円安)』が進んでいるのだそうだが、実際にどんな政策を打ち出すのか、経済のプロでも読めないとのこと。その意味で、今の動きを『トランプ相場』と言うのだそうだ。
 確かにトランプ氏がいつも使う『アメリカが第一』という言葉からして、アメリカの好景気がずっと続くような印象を受ける。

しかし、このためには、関税を高くして自国の産業を守ると宣言していることから、トヨタを中心とした車業界などを先頭に輸出産業は現在はウハウハ状態らしいが、来年1月トランプ大統領の就任で一挙に冷え込まないとも限らない。

 また、このまま円安が続けば、輸入物価が上昇することは間違いない。わが国の食料自給率が40%だと言われているので、このまま円安が続けば、食料品も値上がりするのではないだろうか。

さらに、原油価格も産油国の減産が確実になったというから、石油製品の価格は上がるだろうから、ガソリンや需要期の灯油の価格が上昇し、燃料コスト高から電気料金などにも跳ね返る恐れがありそうだ。

結局、そのツケは庶民に回ってくるだろうから、立春の頃には、新聞各紙に『経済の厳寒』なんて見出しが踊りそうな気配を感じる。

ここまでつぶやいてきて、迂闊なことながら、『円安になったら株価が上がる』というが、アメリカから見たら『ドル高』になるのだから、アメリカ株は下がるのではということに始めて気づく。

繰り返すが、トランプ大統領はアメリカ第一を宣言しているのだからアメリカ株の値下がりを容認するはずがない。となると、意図的に『ドル安』政策を押し進めるのではないだろうか。その結果、わが国は円高が進み、株価は下がり景気はさらに落ち込むような気がしてならない。

これは、経済音痴の貧乏老人の、全く根拠のない立春期の経済予想・・・。(田舎親父)

2016年12月26日 (月)

首都圏で堕ちるしか国民の意識は変わらない・・・

もう過去の話になってしまったら感がすらする沖縄でのオスプレ-の墜落事故。事故は必ず起きるのだから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが、もっとも大事なことは『何故事故が起きたのか』ということを、真剣に考えその究明に全力をあげることだろと思うのだが、アメリカ軍と日本政府は原因究明など知ったことではないらしい。

アメリカ軍は、『安全手順や機体を徹底的、慎重に見直した。安全な飛行運用を継続できると高い自信を持っている』との一言で、事故後たった6日で全面運行はじめたことに激しい怒りを覚え、少し日が過ぎたが忘れてはいけないこととつぶやくことにする。

 日本政府は、飛行再開に対して『アメリカ側の説明に疑問はない』と、何の疑義をはさむことなく追認したのだから、まさにアメリカさまの奴隷状態といっても何ら差し支えない。

アメリカ軍は、今回の墜落は、空中給油訓練中、事故機のプロペラが乱気流で給油ホースに接触して破損、飛行が不安定になったため起きたと説明しているが、それを示す具体的な証拠などは一切公表していない。

日本は独立国で、先進国の中の重要な位置しているというのが、日本人総体の意識である。ならば、たとえ戦争で負けてアメリカ軍の駐留を受け入れているとはいえ、国民に正しい情報を与えるために、せめて『捜査に参加させてほしい』程度の申し入れはしてほしいところだが、そんなことは一切なし。

 滑走路が要らない輸送機開発の目的はただ一つ。『あらゆる地形であっても離着陸でき戦場に大量の物資と兵士を運ぶこと』という戦争に勝つことが目的であることは今更私が言うまでもないが、それにしても、アメリカという国はトンデモ発想を実現するもの。

オスプレ-は開発段階から実戦配備後まで墜落事故を繰り返しているにも関わらず、戦争のために『見切り発車』で生み出したのだから安全性には疑問が残ることは言うまでもない。それが今回の事故の大きな要因で、さらに、ほぼ同時に起きた、別機の胴体着陸という事故につながっていることは疑いのない事実。

ヘリコプター機能も持つオスプレイは、(当り前のことだろうが)前方にプロペラが固定されている通常の飛行機に比べてプロペラが大きいのは、ど素人の私でもわかること。その大きい二つのプロペラの間から、長い給油ホ-スの延ばして給油するらしいが、少しで気流が乱れたらプロペラと絡まることは当然だろう。

こんなことを私が述べるまでもないだろうか、すでにオスプレイは陸上自衛隊も17機導入しており、千葉県の陸自木更津駐屯地では普天間に配備された米軍の24機の定期整備も始まるという。

また、アメリカ軍の横田基地にもアメリカ軍の特殊作戦用機が配備されるらしいとなると、首都圏は沖縄とは桁違いな人口過密地対だけに、ひとたび事故となると想像もつかない惨事になることだけは間違いない。

数年後には、オスプレイは日本の空を我が物顔で飛び回るにちがいない。危険にさらされるのはもはや沖縄県だけではないことを、すべての国民が直視すべき現実であるが、政府が何の根拠もなく『安全だ』と言い、それをマスコミがそのまま垂れ流すものだから、オスプレ-に対する意識は一向に変わらない。もっともオスプレ-に限ったことではないが・・・。

それどころか、沖縄県の事故より金儲けが大事だという国民性が定着しているのもだから、こんな無茶苦茶な政治を繰り返しているにも関わらず、内閣支持率が50%以上というのだから助からない。

心を悪魔にしてはっきりと言うならば、木更津や横田、あるいは厚木などのアメリカ軍や自衛隊の基地に配備されたオスプレ-が首都圏の人口密集地に墜落し、何千何万という犠牲者がでれば、いかに鈍感な日本人であっても、『アメリカ出て行け』『アホベを許さない』という心底からの怒りの声が上がるはず・・・。

たとえ、私がその事故で命を落とそうとも、それしかオスプレ-(アメリカ軍)を追い出す方法がないとしたら、喜んで犠牲になりたいものである・・・。(田舎親父)

2016年12月22日 (木)

給食費より先に・・・

 朝日新聞の『公立小学校や中学校の給食を無償で提供する自治体が、全国で少なくとも55市町村あることが本紙の調査でわかった』という記事に目が留まる。

記事によると、給食費を全額補助して無償にしているのは北海道三笠、栃木県大田原、滋賀県長浜、兵庫県相生の4市と28町23村で、その75%以上を人口1万人未満の市町村が占めるのだそうだ。

また、給食費の負担を部分的に補助する制度を導入する自治体も増えており、全1741市区町村のうち少なくとも396市区町村。第3子から無償とし、子育て支援を前面に出す自治体もあるのだそうだ。

それぞれの自治体には、給食費を無償や補助しなければならない事情があるのだろうが人口が『1万人未満』という文言が気になる。うがった味方をすれば、給食費を無償や補助して、『子育てに力を入れている自治体』という評価を期待しているのではないだろうか。第3子からというのは、まさにその典型のようだか・・・。

人口が少ない自治体となると、総体的には財政が厳しいにちがいない。そんな中、給食費を無償とするとなると、隣接の自治体の組長は、わが町でも無償にしなければ、お隣さんに子育て世代をとられるのでは・・・という恐怖感がわくのではないだろうか。

そして、『隣町に負けるな・・・』と職員の尻を叩いて検討させ、次年度から無償化をすすめる?・・・。私には、何だか、地方の自治体が過疎化対策のために、少ない予算を削って、給食費軽減合戦をしているように聞こえるのだが・・・。

恐らく、無償化に踏み切る大きな要因は、給食費の未払い問題があるのではと推測している。どの自治体でも,生活保護や就学援助の制度があるので、月々4000円程度の給食費が滞納するなどは、当初は想定外だったのではないだろうか。

ところが、30年ほど前から、『憲法には義務教育は無償とある』というタテマエ上では正しそうだがホンネはエゴだけの自分勝手な理屈をつけて、給食費を意図的に支払わない保護者がでてきたことは私も経験上知っている。

当時、記憶は定かではないが、ある気骨のある教員が『お前の親は給食費を支払いを拒否しているのだから・・・』と発言したところ、大変な騒ぎに発展したこともことをぼんやりと思い出す。そして、この教員は『人権を無視した』という汚名を着せられ、何らかの処分を受けたのではなかっただろうか。

学校給食には大きな疑問を持っていた私は、給食費を担任に集めさせることが問題であって、教育委員会は給食が必須だとするならば、給食費の徴収などという教育とは何ら関係ない業務を担任に求める方が奇怪しいと、度々発言したものである。

この事件?は、確かマスコミも『人権問題』だと騒いだはず。結局は、ゴネ得というのか、支払わなくても罰則規定がないので、給食費の不払い問題は学校や自治体にとって大きな負担となり、教育委員会は住民の公平性に加えて、財政的にも不払いをどうしたら減らせるかという、なんとも奇妙な問題が重大視されるようになり、それが今日に至っている。

私は、『食べる』のは人間にとって避けて通れないことで、子育てを親の義務とうたう以上、その質や料量はともかく親の責務だ考えている。もっとも、最近は格差が広がり、このことを声高に言うのも憚る世になっているが・・・。

この親の義務(ある意味何を食べさせるかは親の権利だろうが)を奪ったのが学校給食という制度であることを公言し、支払うのが嫌なら弁当持参しなさいと保護者会でも発言していたことも懐かしい思い出になってしまった。

不思議なのは、『義務教育は無償』と主張している保護者が、中学校の制服(最近では小学校にもこの傾向があるようだ)は、きちんと支払って揃えているということや、学校として使う市販の教材やテスト代金にも文句は言わないこと。さらに修学旅行費用なども滞納しないのは何故なのだろう。

恐らく、給食に対しては『頼みもしないのに、勝手に食わせている』というのが、その理屈なのではないだろうか。ならば、行政(教育委員会)は、給食がいかに学校教育に必要かを説明し、それでも支払わない保護者には、『ならば食べさせません』という一言添えれば良い話だと思えるのだが、人権問題が怖いので踏み込めないようだ。

給食費を無償にする以前に、制服やその他の学校に納める諸経費を無償、あるいは補助して、『昼飯を与えるのは親の義務だから、給食を食べさせるなら給食費を支払うのは当り前です。不服なら弁当などを用意しなさい・・・』との姿勢を明確にすれば、給食費云々などが、教育問題に絡むことはないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2016年12月21日 (水)

明らかな負の遺産に1兆8千億円超?・・・

 東京オリンピックの会場問題がやっと決着したようだ。本来なら、東京都が招致したのだから、都が仕切るのが当然だと思うのだが、イシハラなのかイノセなのか、当時の知事は(その経緯は知らないが)『組織委員会』なる名前だけは立派な組織を立ち上げ、こともあろうにシンキロウという利権大好きの元首相にトップの座を与えたことから、この男の勝手放題・・・。

当初は、7000億円程度の予算(これでも莫大だろう)で、『コンパクト』な大会をウリに招致成功したと報じられているのに、決まったとたんに『世界一のオリンピック』という言葉が、当り前のようにマスコミが垂れ流すものだから、ますます組織委員会を強気にしたらしく、『コンパクト』という言葉は吹っ飛び、予算はまさに天上知らず。

日本の国威高揚の場だとばかり、反対意見が盛り上がる前に、さっさと国立競技場を解体することを決めてしまい、デザインか世界一のオリンピックに相応しいという理由で、なんとも奇妙な設計案を決めたのだが、あまりにも建設費が高過ぎるという理由で取りやめ。結局は、日本人の設計案に落ち着いのだが、こちらもかなり問題がありそうな雰囲気。

ところが、マスゾエゾンビ氏が不祥事でクビ。『自民党公認』の候補を破って当選した『自民党員』のコイケ知事は、新国立競技場などはすでに動いているので仕方ないとしても、ボ-トなどの新しい競技施設の建造費が無駄ということで、3つの会場の見直しを計ったが、結果はオリンピック組織委員会(シンキロ-氏)がIOCをうまく抱き込み、費用をほんの少し削減しただけで、当初の目論見通り全て新設という組織委の一方的な勝利に終わったというところ・・・。

そこで、気をよくしたシンキロウ氏は、東京オリンピックの費用について、最大で1兆8000億円になるという試算結果を発表し、そのうちの1兆円超を東京都に負担させるとぶち上げているらしい。

このところ、これまでに『もんじゅ』に注ぎ込んだ費用が1兆数千億円とか、福島原発の廃炉と復興に21兆円などと原発がらみの桁違いの天文学的な信じられないような大金が、誰かがどこかに打出の小槌でも隠しているがごとくの無茶苦茶な話がまかり通っている。それでも、内閣支持率が50%以上もあるというのだから、私にはとても信じられないのだが・・・。

これら大金の使い道の共通項は国民の幸せのためではない。将来的な展望を持てなかった歴代政権の失敗の尻拭いのために使われるというカネ。全て国民の税金である。

今回のオリンピックの費用とて、元を正せば、一部の利権亡者がオリンピックに目をつけIOCの幹部達の横っ面を札束でひっぱ叩いて招致したものだから、負の遺産になるのは始めから分かっている筋書き。その意味では原発と同じ運命なるだろうことは自明のことだろう。

当初は開催費用の多くを組織委員会が負担する計画だったと報じられている。しかし、この組織は当初からこんな大金を予算化していたのだろうか?・・・。そしてその財源は?と言う素朴な疑問に、マスコミはただ黙っているだけで深く追求することなく、がむしゃらに国民をリンピックに誘導している。

マスコミを信じる国民も、『オリンピック』という言葉が、全ての人類に幸福を与えるかのような誤った印象を与えているらしく、まるで黄門さまの『三葉葵』の印籠のごとくこの言葉の前に跪いているのだから、私には到底理解できない。
 改めて、将来に大きな負の遺産になることが確実な、一部の『カネ儲け命』の輩の懐を潤すだけの『オリンピック』に大金を注ぎ込むよりも、原発事故で故郷を追われた人々のささやかな将来の幸せに本気で取り組む政治を願って止まない・・・。(田舎親父)

2016年12月20日 (火)

理念は悪くないが・・・

つい先日の新聞に、社会的な交通手段としての自転車の役割拡大に向け、国に計画作成を義務づける『自転車活用推進法』が今国会で制定されたという記事を見つける。超党派の議員連盟の提言を基にした議員立法で、9日の参院本会議で全会一致で可決、成立したのだそうだ。
 この国会は、わかりやすく表現すると『博打依存症症候群作り法』や『国民年金減額法』あるいは『積極的に戦争に参加できるる法』などなど許し難い法案を、自民党とおこぼれチョウダイ政党が次々と強行採決したことばかりが報じられたことから、自転車に関するこんな法案が決まったことなど、国民の何割が知っているのだろう。

確かに自転車は環境に優しい。災害時にも動ける利点もある。安全に配慮しながら活用を進めることができれば,現在の車依存症候群はかなり減じることも納得できる。しかし、『国に計画作成を義務づける』という文言には、少し首をひねらざるを得ない。今の政権に事を任せるとロクなことにならないことが明らかだからである。

記事には、専門家からは『自転車の活用は、国民の健康や交通混雑の緩和につながることはもちろんだが、何よりも交通の転換を図る一歩』と評価している声が高いそうだが、現政権のやっていることをつぶさに眺めると、何一つ庶民のためになるものがないことから実効性のある施策ができるかきわめて不透明・・・。
 自転車の活用推進を国や自治体の責務とし、目標や制度・財政上の必要措置を盛り込んだ『自転車活用推進計画』を定めるよう政府に義務づけ、同時に、都道府県や市区町村にも計画作成の努力義務を課すとなると、利権だけは自民党の幹部達が山分けして、あとはお前だがやれとばかり押しつける今までのやり方と同じ。どこまで、国民の側にたった計画ができるのか疑わしい。

重点施策として・自転車レーンなどの整備・(走行空間確保のため)パーキングメーターの見直し・シェアサイクル施設の整備・安全性の高い自転車の供給・情報通信技術による自転車管理・交通安全の教育・啓発・災害時の有効活用・自転車を使った観光客誘致支援の14項目を列挙している。

なるほど結構なことばかり。しかし、利用者が一番困っていることは、駅前など一番自転車を置きたい場所に駐輪スペ-スがないことではないだろうか。

横浜の片田舎出の現状確かめるために、先日、調査する眼で散策してみた。駅前にはおざなり程度の『自転車預かり所』があるが、そこは『満車・満杯』という看板がぶら下っていた。このことも影響しているのだろうが、駅の近く道路やス-バ-、銀行の周りに放置された?自転車で歩くのに邪魔なほど溢れている。

校外の駅の周辺はどこも同じ状態であることは、これまで多くの人が指摘しているので今更私が調べてみるまでもないことだろうが、自転車を日常的に足として利用させるためには、14項目の重点施策は大切なことは認めるが、それ以前にまず、駅近くに駐輪場の確保が最大の課題ではないだろうか。

しかし、再開発がうまく進んだ駅でも、駐輪スペ-スはお粗末極まりなく、あぶれた自転車は駅近くに放置されているのが現状だろう。もっとも、駐輪場の利用料を惜しんで、当り前のように放置する輩も多いことは否定できないが・・・。

次に気になるのは、自転車専用レ-ンをいかに確保するかという問題だろう。車道を通行することは大分周知されるようになってきたが、逆に、車道で車と接触するのではと思うような危ない場面を目撃する回数は格段に増えている。

一月ほど前、都内で自転車レ-ンのある道路を歩く機会があったので、しばし自転車の動きを調べてみた。そこはほとんど勾配のない、広い道路だったので、自転車の動きは実にスム-ス。さすが東京と感心したもの。

しかし、多くの自治体の幹線道路以外は片側一車線が殆どで、歩道すらないのが現状となると、自転車レ-ンなんて夢のまた夢というのが実情だろう。さて、この法は国に解決策を求めているらしいが、どんな具体策を提示するのだろう。

次に、坂道の多い地域では、年寄りはもちろん自転車でスイスイなどできるはずがないが、電動アシスト車は一台10万円もするとなると、おいそれとは買えないのも現実。

しかし、車中心主義を見直し、自転車を主要交通手段と位置づける理念は評価したいので、この法案がどう進展するのか、注目して見守りたいものである・・・。(田舎親父)

2016年12月19日 (月)

またしても民進党の裏切り・・・

 正式には『統合型リゾート(IR)整備推進法』というらしいが、一言でいうと『カジノ場』を作り、そこで行う『博打』を日本国として正式に認めるという法案だろう。

 天皇制を否定している共産党の議員ですら、『平安の昔から、天皇の名において博打は禁止』という意味の発言したとのことだかこれは正しい。国を統治するタテマエであったとしたも、朝廷・幕府・そして明治からの政府も、一貫して博打を禁止してきたことは日本紙の授業で習った記憶がある。

 ところで戦後、庶民の娯楽という理屈を作ってパチンコを許可し、当初は、景品との交換だったものが、いつの間にか、未成年の目に触れないところでというただし書きがあったのだろうが、店の裏に『換金所』を設けたあたりから、国民のパチンコ熱が一機に高まり、全国津々浦々にバチンコ店が並ぶようになっていることは、今更私が述べるまでもないだろう。

 パチンコはどうみても博打だと思うのだが、国が法律で『是』としているのだから、貧乏年寄りには『困った話』としか言いようがないが、『博打』の胴元になれば、絶対に損しないことは、大昔からの、やくざの親分達は先を争って、非合法な賭場を開いてきたという歴史が証明していること。

 これを国がやろうというのだから、この『法案』に賛成した輩は、やくざの論理の実行者と表現しても差し支えない。しかもやり方がえげつない。たった6時間の審議時間を作らず、しかも自民党の議員の中には、質問することがないので、般若心経についてのたまったというからどうしょうもない。

シンガポ-ルではカジノへの入場は外国人は無料だが、自国民からは入場税約8000円を徴収し、本人や家族の申告で入場制限もできるという、日本人に比べて、博打依存症になる可能性が格段に低い国民性にも関わらず、依存症予防にこのようなシステムを作っているのだそうだ。

ところが今回の日本のカジノは、『カネ儲け』が最大の目的となると、日本人を入れないなんて良識などあるはずはなく、入場料を課したとしてもたかだか500円とか1000円単位、これでは制限どころか依存症になれと言っているのと同じこと。

すでにアメリカのカジノ業者は、日本への進出を決めているという情報もネットでは盛んに流れている。

経営は民間業者と決めているというから、パチンコ協会も参入してくるだろうが、裏で、アメリカさまが、『カジノ経営のノウハウを教えてやるぞ』と、政権に囁いていることも十分考えられる。

ひょっとして、アホベ閣下は手土産を持ってトランプに『当選おめでとうございます。私めにできることがあれば・・・』とばかり、いそいそと出かけたが、その席で『カジノ法案を急いで成立させろ』とでも命じられたのではではないだろうか。

カジノの経営にアメリカ資本が深く関わってくれば、これはもはや、下司の勘繰りと片づけられないものもありそうだ。しかし、この事実を国民が気づいたとしても、時はすでに遅いのでは・・・。

本来なら、この法案を審議する委員会の委員長は民主党の議員であることから、徹底的に抗戦すれば、こんなにあっさり成立などするはずがないのだが、何を血迷ったのか、具体的な文言もない形だけの付帯事項を評価して採決に応じたものだから、あとは自民党と公明党、さらに、何としてもおこぼれが欲しい維新とかいうわけのわからない政党の思うがまま。

折角、野党共闘という機運が起きはじめたというのに、全ては、またまた民進党の裏切りでことは決まってしまったというところ・・・。(田舎親父)

2016年12月17日 (土)

絶対反対の意思は示しておかねば・・・

 ある意味、高速増殖炉『もんじゅ』という(不可能なことが理論的に証明されている『永久機関』のたぐいだろうと私なりに想像している)トンデモない原子炉を、国策として打ち出して完成?させたものの、全く使い物にならないことが分かって、ついに廃炉を正式に決めるらしい。

20日にも開く原子力関係閣僚会議で確認するのだそうだが、マスコミ報道によれば、

『原子炉として再開せず、廃止措置へ移行し、安全・着実な実行体制を整備する』という、私には到底理解できない文言が並んでいる。

廃炉は当然だろうが、『もんじゅ』に群がる利害関係者の反対を押さえると共に納得させるために、廃炉に伴う地域振興策として『もんじゅ』を含む周辺地域を高速炉の研究開発や、原子力の研究・人材育成の中核的拠点に位置付けるとなると、結局は形を変えた第2の『もんじゅ』を作ることとしか思えない。

かなり以前に、政府は『もんじゅ』の廃炉を決めたという報道があったが、その情報と合わせて、この後継となる高速実証炉の開発を『もんじゅ』のある福井県で進める方針を示したということも流れていた。今回の決定はそれを裏付けるもの・・・。

鳴り物入りで始め、強引に稼働させた『もんじゅ』は、すぐにナトリウム漏れという決定的な事故を起こし、その復旧の過程で初歩的なミスを重ね、1994年の稼働から20年余りで、たった220日しか動いていないことは私でも知るデ-タ。

さらに、これまでかかった費用は1兆円以上で、廃炉には今後30年超という想像に絶するほどの長い時間と、試算もできないほどの莫大な費用が必要だということも・・・。

『もんじゅ』の失敗について検証や反省はない。検証がないというより、検証すればするほど、この装置はムリという結論が出てくるのだから、『できない』というのが真相なのだろう。反省などできるはずがないもの当然だろう。

結局は、利権アリキの原子力ムラの住民たちが美味しい話を作り上げて、それに群がった輩たち集まり、密室で不合理な政策を決めていく手法で生み出した『もんじゅ』のやり方を今後もまた続けるのだろう。その厚顔無恥としか表現できない無責任さに驚きあきれるばかり・・・。

 今回、密室で決められた『高速炉』は、『もんじゅ』のように原子炉で燃料のプルトニウムを増やしていく増殖機能はないとのことらしい。私には詳しいことはよくわからないが、原理的には同じものだというから、やはり第2の『もんじゅ』としか映らない。

これを外国の支援を得て作る計画だというが、頼りにするフランスの『ASTRID(アストリッド)』計画(何のことか全くわからないが)は、フランス政府が建設の是非を数年後に決めるという段階だというから、まだ海もものとも山のものともわからない不確定な技術らしい。となると、お先真っ暗な話としか言いようがない。

 それでも、利権は絶対に存続させなければならない連中が雲霞のように集まる原子力ムラの体質は、『高速炉』という言葉にこだわり、原発で生じた使用済み核燃料(ゴミ)を再処理して、取り出したプルトニウムを燃料に使うという発想は捨てられないようだ。

今回も、あたかもバラ色の夢の話を再び国策として進めるのは、国民の生活向上などハナから考えず、そこにあるのは利権者たちの生き残りだけ・・・。

 間違いなく、『もんじゅ』の二の舞になるのだろうが、副産物として生まれるのはプルトニウムという悪魔の物質をすでに日本は48トン有しているという。

この悪魔は人類が絶対悪としている原爆を6千発も作れる量なのだそうだ。高速炉の実用化に具体的な展望がない上に、経済性も欠く悪魔づくりのサイクルへのこだわりは、世界が求める、核兵器廃絶とは全く違う動きであることは私の乏しい知識でも明らかな話。

 福島原発事故というトンデモ事故にも目をつぶり、お手盛りの会議で、技術的にも無理で国際社会からも批判が出ることは間違いない『高速炉』の開発に莫大な税金をつぎ込もうとしていることは愚かとしかいえないシナリオ・・・。

何の力もない貧乏老人であるが、『絶対反対』という意思だけは示しておかねば、人間としての尊厳はない・・・。(田舎親父)

2016年12月16日 (金)

こんな世の中を想像したくないが・・・

 オスペレ-が13日夜、沖縄県の名護市沖の海上に『墜落』したことは、いつか起きるだろうと予想していたのでさほどの衝撃は受けなかったが、これが、万一住宅密集地で墜落したらと思うとゾッとする。と同時に、数十年も前の話になるが、横浜の片田舎にアメリカ軍機厚木基地所属の戦闘機が墜落し、何人かの命を奪った事件を思いだす。

 こちらの事件は記憶が薄れているので今日はさておくとして、オスプレ-は安全性に大きな欠陥があるらしく、その後すぐにもう一機が飛行中に不具合が生じて、緊急に普天間基地へ不時着したというニュ-スが入る。基地内部のことなので正確な情報はないが、目撃したアメリカ軍兵士によれば、胴体着陸で機体は大破しているらしいとネットは伝える。

映像で見る普天間基地周辺は住宅が密集していることから、本の少し場所が狂うと信じられないほどトンデモ事故になったことは間違いない。

アメリカ軍のトップは、『空中給油訓練中のオスプレイのプロペラが給油機の給油ホースに当たり損壊し、事故原因となった可能性がある』とした上で、パイロットは基地へ向かおうとしたが無理だと判断し海上に『不時着』したのだから、『県民に被害を与えなかったから感謝されるべきだ』と、沖縄県の抗議に不愉快さをあらわにしたという。

ふざけた話である。この司令官の頭には『オレたちは、日本政府からお願いされて駐屯してやっている』という意識があるのだろうが、事故を起こしてパイロットに感謝しろとはなんという不遜な言い方と怒りが込み上げる。

パイロットが住宅地を避けて、意識的に海上に着陸したのだから『不時着』という理屈なのだろうが、あのバラバラになった機体の映像を見せられたら、『不時着』なんて生易しいものとはとても言い難い。

私のような貧乏老人にとって、飛行機を操縦などとてもできるはずはないが、安全に着陸できない場合は、できるだけ波が穏やかな海上に『不時着』を試みるのが常識だという程度は知識は持っているつもり。

今回パイロットが向かった場所は浅瀬の岩礁。そこまでしか機体を誘導できなかったことになる。このあたりの定義の仕方は難しいだろうが、常識的に考えると、明らかに『墜落』だと考えて間違いないところ。

ところが、防衛相は、アメリカ軍からは『不時着』と報告を受けているので、それに間違いないという、いわばアメリカさまのポチ状態の発言一点張り。官房長官に至っては、『今までの飛行時間などの指数でオスプレイは安全だと思っている』とは情けないという一語に尽きる。

現政権は、海外で何度も事故を起こしていることを知りながら、アメリカさま要請で、普天間基地はじめ国内の数カ所のアメリカ軍基地にオスプレ-の配属を容認しているばかりか、すでに17機も『安全性は補償されている』と強引な理屈で購入することにしているので、今回の事故も『不時着』にしたいことはミエミエ・・・。

何としても、話を大きくしたくないので、マスコミには『必要以上のことを書くな、伝えるな』と厳命したらしく、翌日からのマスコミ各紙各局はピリピリム-ドが漂い,扱いがかなり慎重になって、事実はゆがめられるばかり。

もっとも酷いのがNHKである。昨日(15日)の朝のニュ-スを注目して見ていたがトップは『アメリカの金利上昇』のこと、続いては今日行われる日ロ首脳会談と北方4島の話題がムリムリ落語家まで引っ張りだして、ついに最後まで(30分でコンピュ-タの前に席を移す)まで『オスプレ-墜落』のことには従兄弟とも触れずじまい。

この日の新聞も、朝日・毎日はそれなりに扱っているが、読売のネット版には大きな活字(トップニュ-ス項目)はなく、活字が小さくなった場所に、政府の発表をそのまま伝える記事が乗っているだけ。

これは恐ろしい。テレビも昼間ともちろん夕食時でも、お笑いタレント達が繰り広げるパラエティ番組が幅を聞かせて、よほどしっかりとした親がいれば別だが、家族と共にニュ-ス番組を見ることはほとんどないのが現実だということは何度も聞かされる話。

せめて朝の6時・7時のテレビのニュ-スで世の中の動きを知ろうと、かなりの国民がこの時間のNHKニュ-スを視聴しているのだろうが、そこが報じないのだから、オスプレ-の墜落事故はすでに過去のもので記憶から消え去られている?・・・。

新聞講読者は年々少なくなっていることも良く耳にする。それでも朝日と読売がトップ争いしているのだが、最近は、毎日や産経も含めて大新聞は政府の広報誌に成り下がり、特に読売と産経とくると、広報誌どころか,大本営発表ばかりの記事が目立つ。唯一、東京新聞だけが、まだかろうじて良識を守っている感があるが、購読者は朝日・読売に比べたらごく少なく、ネットで意識的に読む人も稀だろう。

NHKテレビが意図的に報じず、民放はお笑い主体。新聞は政府に気兼ねや、意を介しての記事ばかり・・・。

歴史で習った戦前の『言論統制』という言葉が頭に浮かんでくる。このまま進めば、自衛隊は国防軍と名を変え、博打症候群でカジノ狂いの国民は増え続け、経済のためならなんでも『是』と、原発が次々に再稼働されるばかりか新設も。

経済的には、10%の勝ち組と90%機負け組に分かれ、勝ち組負け組の中で、さらに細分化されるほど格差は広がることは確実。

こんな世の中は想像したくないが、やがて現実になるのだろう・・・な。(田舎親父)

2016年12月15日 (木)

廃炉費用は全て国民へツケ・・・

事故が起きることは間違いないと何度もつぶやいてきたが、やはり起きた。しかも続けて2機もである。マスコミは不時着と報じているが、海上でバラバラになっている機体を見たら、とても不時着などという生易しいことではなく、明らかに墜落。

いよいよこの国は奇怪しな方向に迷いだしたと改めて確信するが、このことはもう少し情報を集めてつぶやくことにしたい。そこで今日は・・・。

経産省が福島事故原発の処理に、これまでの約倍に当たる『21兆5千億円』ほどかかると発表したことに、なんとも厭な最大限の違和感が襲ってくる。

この数値は、現政権の得意中の得意技である『有識者会議』という組織を立ち上げ、そこで試算させたものだろうと見当をつけたが、まさにその通り。『東京電力改革・1F(福島第一原発)問題委員会(東電委員会)』という長ったらしい名前の組織は、『カネ儲け命』を隠さない経済人と、政府にベッタリ名御用学者を10人ほど集めた、いわゆる『有識者会議』。そこで、おざなりの議論したのだろう。

初会合からたった2ケ月でまとめたというから、何回会合を持ったのかは知らないが、始めから『結論アリキ』の馴れ合いだったことは明らか。

ドロドロに溶けて原子炉すら突き破ったデブリと呼ばれる核燃料の燃えかす?の行方もはっきりわからず、それを現在無人ロボットを使って捜索中だと伝えられているが、ロボットすら破壊するほどの高濃度の放射線の中、何時はっきりした所在がわかるかさえ見当もつかない段階なのに、この委員たちは、何を根拠にこんな数値を出してきたのか私には全く理解できない。

廃炉にはこれから数十年(百年以上では・・・)かかるだろうと言われている。『廃炉』という言葉が一人歩きしているが、その定義は(厳密には)、『原発そのものが完全に姿を消して、元の風景を取り戻す』ことは当然としても、もう一つ『完全に安全な状態』という文言が付け加えられなければならないと解釈している。そして、それは不可能だということも・・・。

ここは百歩譲って『建屋が完全に姿を消して、一応防御服を着なくても近づける』と定義したとしても、信じられないほどの時間がかかることは疑いのない事実。

これを経産省のエリ-ト官僚たちは、この定義の廃炉にはおおよそ数十年と見越し、そこから廃炉にはどれぐらい、損害賠償や除染にはどれぐらいとシナリオを描いたにちがいない。有識者会議?の委員達たちは、このシナリオに沿ってばたばたと結論を導き、今後の政策展開のお墨付きを与えたというところだろう。

3年前に出した約11兆円という廃炉費用の数値のおよそ2倍に当たる、今回の経産省の出した21兆5千億円の内訳をマスコミが取り上げていた。その記事によると、『廃炉』が4倍の8兆円、『賠償』が1.5倍の約7兆9千億円、『除染』は約1.6倍の4兆円だとのこと。

本来なら、この費用は事故を起こした東電が負担するのが常識だろうが、莫大な利害が複雑に絡み合っているのだろうが、前提が『東電の存続』で、国が東電に巨額のカネを融通するというやり方が続き、今回の方針もそのことが基本になっているようだ。

『東電委員会』の答申は、一応は『東電の解体』も含めて東電の改革とうたっているが、電気料金に上乗せして、薄く広範囲に集めるという、いつも通り国民に負担させるというものだから許し難い。

しかも、電力自由化で参入した新電力にもこの負担を及ぼすという。原発事故には何の責任もないのだから、全く理不尽な負担だろうことは委員たちは十分分かっているはず。なのに・・・である。

答申は、東電に無利子に貸す枠を、9兆円から13兆円に増やしているが、その返済にも及んでいる。しかし、これが酷過ぎる。

東電の収益を捻出するために、『送電線事業の合理化』で年1500億円を見積もっているのは、新電力が東電の送電線を使わざるを得ないことから、国民に負担させるというトンデモない発想だろう。

さらに、新潟県の『刈羽原発の再稼働』で年1000億円の収益を出すとのことだが、原発事故の費用捻出のために、現発の再稼働とは正気の沙汰ではない。

事故が起きないとの前提が崩れても、まだ原発が安全だと言い続ける神経は、まさに出来の悪いマンガを見るごとく、ブラックジョ-クそのもの。

何より、新潟県民を愚弄しているとしか言いようがないが、新潟県民はそのことをいち早く見抜いたからこそ、再稼働に慎重な米山さんを選択したのだろうが・・・。

それにしても原発事故の処理費用の巨大さには驚かされる。しかも、21兆5千億円で収まるとは思えず、5年後には50兆円、そして10年後には・・・。想像したくない。まさにその金額は青天井というところか。

国をはじめ電力会社(経済界&カネ儲け命の亡者)は、場当たり的に費用の概算を出すのではなく、原発そのものに焦点をあてて、原子力という技術を採用することの妥当性の議論こそが求められていることに気づいてほしいものであるが、求める方が無理だろうな・・・。(田舎親父)

2016年12月14日 (水)

100兆ベクレルの放射能?・・・

先日、ネットで遊んでいたら、誰が投稿したのか忘れたが、『福島第一原発の排気塔が先月のマグニチュ-ド7.4の地震で倒壊の恐れがある』という、衝撃的な文言を見つける。

元東電の社員が週刊誌のインタビュ-に答えたものらしいが、地震で排気塔を支えている部分に異常がみられ、『もし倒壊したら、中にたまっている100兆ベクレル以上とされる放射能に汚染された粉じんが、大気中に一気に噴き出される恐れがある』と答えているとのこと。これは恐ろしい・・・。

この排気口では、2011年の大事故以来、毎時20シーベルト超えるような高線量が観測されており、今もこの周辺は超が撞くほどの危険区域となっているのだそうだ。この文面から、つい最近、この線量を測定するためにドロ-ンを飛ばしたが,線量計が排気口内部に転落したというニュ-スを思い出す。

そこで、『福島原発 排気口』で検索してみると、河北新報の9月30日付けで、東京電力は小型無人機『ドローン』を使った福島第1原発1、2号機の共通排気口の放射線量調査でワイヤが切れて線量計が排気口に落ちたと発表したという記事にヒットする。

記事には、今回は、9月27日に引き続いて2度目の失敗で、3度目の計画はないとのことから、今でも排気口からは、線量計も破壊する(もちろん人は瞬時に死に至る)ほどの高濃度の放射線が大気中に放出していることは間違いないところ。

記事には、排気塔のサビが露出した映像が添付され、かなり腐食が進んでいることがわかる。この排気塔が、先月の地震で痛めつけられたことは確かだろうから、もし、もう一度、3・11のような大地震が襲えば倒壊する可能性はないとはいえない。

この排気塔の倒壊防止工事は、事故直後から見当されているらしいが、未だに、ドロ-ンの技術向上待ちの状態だというからお手上げ状態なのだろう。

現在、福島発事故に関わる工事に従事している人たちの被爆限度は、タテマエとしては年間に250ミリシ-ベルトだと記憶している。そして、普通時での国際基準は1ミリシ-ベルトだが、この国は20ミリシ-ベルトを限度にしているのも酷い話。

しかし、それでも原発作業員の10分の1以下。いかに過酷な環境にさらされているのか想像できるが、排気口付近では1時間あたり20シ-ベルトとなると、その数値の桁はどれぐらい違うのかも計算したくなくなる。

そして、もし倒壊したら100兆ベクレル?・・・。その時の風向きにもよるだろうが数百万人が瞬時に死亡するのでないだろうか。素人の私でも、事故収束は道半ばどころか、まるで手つかずの状態であることぐらい想像できるのに、原発収束のための机上でのカネ勘定が一人歩き。

つい先日経産省が発表した、原発の復興に費やす費用は、これまでの倍で、21兆5000億だという。しかし、これには科学的な根拠は示されていないのだから、今後増えることがあっても減ることは絶対にないことだけは断言できそうだ。

なのに、その計算根拠に『新潟県の刈羽原発再稼働』が折り込まれているのには、この数値を出した経産省の役人はじめ御用学者達の達神経を疑う。

 今年の漢字は『金』だそうだ。『金』からオリンピック命の人たちは『金メダル』を連想するのだろうが、今、世界を覆い尽くしているのは『経済』という『カネ儲け』。『カネ儲け』は全てに優先し、泣かされるのはいつも貧乏人。

それでも『オリンピック』という言葉には、貧乏人をも黙らせる絶大な魔力があるらしいが・・・。

 歴史に『たら・れば』は禁句であることは承知しているが、福島原発の事故がなかったら、いや、それ以前に原発を稼働させなかったらと考えたら、21兆円という天文学的な無駄なカネは必要なくなる。

 この半分、いや10分の一でも人々の生活に回せたら、今問題になっている子育てや子どもの貧困問題などはたちまちのうちに解決するだろう・・・な。(田舎親父)

2016年12月13日 (火)

除夜の鐘まで中止?・・・

 凄い時代になったものだ。つい先日のことだが、静岡県のお寺が近隣の住民の『うるさい』との強い抗議で、『除夜の鐘』を中止したという文面をネットで見つけて、思わず『ホントナノ・・・』と口走る。

 数日後、この記事の訂正が掲載されていたが、10年前の深夜に複数回の怒鳴り声のクレーム電話があり、先代住職が『中止』を決めた事は間違いなく、現在の住職は、何とか復活させるために知恵をしぼり、数年前から『除夜の鐘』ではなく、夕方に108つの鐘を撞く『除夕の鐘』にしているとのことである。

それにしても、最近の住民のクレ-ムのつけ方は凄まじく、運動会の練習でも、『うるさい』という抗議が殺到していることに学校が大変な苦労をしているという話は良く耳にするが、現政権の意のままになっている感じの最高裁が、厚木基地での騒音訴訟で自衛隊の戦闘機の訓練は『お国のためにやっていることだから文句を言うな』と、折角の高裁判決を否定するのだから、なんとも不公平極まりない。

ところが、自治体となると住民サ-ビスが第一というわけでもないだろうが、苦情には敏感に反応する習性がついているらしく、保育園一つ作るにも近隣住民全員の理解が必要というから、大きな声で文句を言ったもの勝ちになっているようだ。

話は少し横道にそれたが、静岡県の寺の『除夜の鐘』の話題の数日後、今度は東京の小金井市のお寺でも中止にしたというから、『除夜の鐘』の中止騒動は全国にひろがりそうだぞという、なんともいえぬ気持ちの悪い予感がする。

確かに大晦日といえど、深夜に108つもの鐘の音が鳴り響いたら、近隣の住民はうるさく感じるのは理解できないこともないが・・・。

昔は、一家団欒でこたつに入ってみかんを食べながら『NHKの紅白歌合戦』を見て、それが終わってから、除夜の鐘の音を聞きながら『明けましておめでとうございます』という挨拶が定番だったが、最近は、テレビ番組そのものが、ただやかましいだという人も多くなっていることなので、静かな環境で一年を振り返りたいと思っている人には鐘の音など迷惑そのものにはちがいない。

しかし、なんでもうるさいから中止で良いのだろうかと違和感を覚え、『うるさい』をキ-ワ-ドにしてネットで情報を集めていると、ある地域では、夏の風物詩の一つの『盆踊り』も近隣住民から、うるさいという苦情で音を出さない方式に変えたという文言にぶつかり、またまた『ホントなの・・・』とビックリする。

投稿した人は実際にその光景を目にしたそうだが、踊りが実にそろっていることに驚いたという。何故揃っているかを観察すると、踊ってる人は耳にイヤホンをつけて、そこから盆踊りの曲が流れるという仕組みになっていたことに、『そこまでやるか・・・』と感じたという。本当なら、これはいただけない。

横浜の片田舎では、『除夜の鐘』も『盆踊り』もうるさいとの声は聞こえてこないが、一人でも声か大きいと、その音に比例して反対の声が大きいと勘違いする風潮が広がっていることを考えると、人口が増え続けているだけに、いつこんな事が身の回りで始まるのかわかった事ではなさそうだ。

『除夜の鐘』も『盆踊り』も、拡大解釈すれば仏教にまつわる『宗教行事』。最近は葬式仏教と呼ばれるようになるほど葬式でしかお経も聞かなくなっている代わりに、クリスマスとかハロインという、キリスト教における『宗教行事』が幅を利かすようになっているのも変な話。

『除夕の鐘』を実施している住職は、お昼に撞くことで、安全性が高まり参加者が増えて地域に定着してきたとのこと。なるほどと感心しないでもないが・・・。

私としては、『除夜の鐘』は千年以上続いている大晦日の伝統行事。出かけて、自分も鐘を撞きたいとは思わないが、大晦日の深夜、一杯やりながらどこからか聞こえてくる鐘の音に耳を傾けながら、一年を振り返るのも乙なもの。

できれば近い将来、突然中止にならないことを望みたいものである。(田舎親父)

2016年12月12日 (月)

国が博打を奨励してどうする・・・

 この国はどこに向かって進もうとしているのだろう。無茶苦茶なやり方で、ほとんど審議することなく、『カジノを解禁する統合型リゾート施設(IR)の整備推進法案』というわけのわからない法案を通過させてしまった。

自民党や公明党の中にはここまでは許し難いと棄権した議員もいたらしいが、大将が率先して悪魔に魂を売り払うのだから、殆どの手下は右へならえ。そして大阪維新の党?は全員賛成したというから酷いもの。

 実際に『カジノ』の現場を見た事はないが、映画や小説で知る限り、ル-レットなどの用具を使って、庶民感覚では考えられないほどの大金をかける賭博場だと言う程度の知識は持っている。カジノという言葉で、時代小説に度々登場する博打症候群の輩を集めて、壺振りがサイコロを転がす丁半博打を思い浮かべる人も多いだろうが、さほどの違いはなさそうだ。

 こんな場が世界にはいくつか存在し、夜な夜な、カネと麻薬と女を得ようとする哲学のない輩が集まるのだろうが、昔から博打で大儲けするのは極々稀で、ほとんど全部といっても差し支えないほど、かけたカネは胴元に巻き上げられて裸で放り出されるのが関の山と相場が決まっている。

 現在の法律では博打は禁止されているはず。去年だったか、将来がある巨人軍の野球選手たちが暴力団がらみで『野球賭博』をやっていたと永久追放になったことも記憶に新しい。大相撲の世界でも、博打に手を染めた現役の大関が追放されたのもつい数年前の話。

 パチンコも博打の一種にちがいないのに遊技として認められているのも変な話だが、それでも毎年のように、子どもを車に残してバチンコに熱中し残された子どもが熱中症で死亡するという事件が起きていることを忘れてはならない。

中には幼い子どもを連れてパチンコに熱中して我が子のことを忘れ去り、その間に子どもが行方不明になり未だに見つからないと、先日もマスコミが大きく取り上げていたが、父親が『悔やんでも悔やみきれない』と涙ながらに語る姿を生々しく思い出される。

法で禁止されていないパチンコであっても、賭け事に心惑わせる人々がゴマンと存在することは、ちょっとした都市の駅前には必ずパチンコ店が存在し繁盛していることから明らか。しかも、出口が二つあればそれぞれの一等場所にでんと店を構えている。

ギャンブルの副作用を直視せず、まともな議論を欠いたまま成立させるとは異常としか言いようがないが、政府は野党を含む議員が出した議員立法だと涼しい顔で強行採決。実際に民進党の議員も、この法案の作成に何人かが名を連ねているのだから世も末である。

何かの本で読んだことだが、日本人のギャンブル依存症の予備軍は推計500万人を超えているのだそうだ。この数値は成人の5%近くを占め、1%前後にとどまった先進諸外国に比べて格段に高いという。

現政権はカジノを作れば外国人が大勢集まり、経済が潤うと力説しているが、失うものの方がはるかに大きいことは誰も目にも明らか。それがわからないほど狂っているのだろうが、怒りを通り越して呆れるしかない。

カジノは国の監視、管理下で運営するのだから心配ないというが、国そのものが『カネ儲け命』の輩が牛耳っているのだから、監視などできるはずはない。

 外国資本も我先とばかり集まるのは目に見える。国内外の犯罪組織が利権に群がったり、マネーロンダリング(資金洗浄)に悪用されることも間違いなさそうだ。

カジノが入る大型商業施設に家族連れも含めて、出入りするのがステ-タスだという風潮が生まれ、我先に飛びつく事も疑えない。知らず知らずにカジノ狂いになったり、暴力団員と接触し麻薬に手を出すという小説や映画の世界だけだった光景が、わが国で当り前に見られるようになりそうだ。

 先日、世論調査では、カジノに対して国民の60%が反対しているのだそうだ。しかし、同じ調査では、この法案を強引に押し進める現内閣支持率が60%とのこと。

こんな事は私には到底信じられないのだが、どの調査でもこの数値はほとんど変わらず、実際に選挙をすれば、自民党が推薦する候補が勝利するのだから気分が塞ぐ。

今日もまた、『困った話だ』という終わり方に・・・。(田舎親父)

2016年12月11日 (日)

タクシ-がらみの事故が続く・・・

 このところタクシ-や路線バスなど、運転のプロと思われる運転手が絡む事故報道が多過ぎるのはどうしてなのだろう。しかも、普通では考えられないような事後ばかり・・・。

路線バスの事故は別につぶやくとして、最近起きたタクシ-が絡んだ2件の事故を考えてみよう。

(その1)福岡市の病院に個人タクシ-が暴走し3人が死亡、7人が重軽傷を負うというトンデモ事故報道があったが、このタクシ-の64歳の運転手は、ブレ-キが利かなかったと供述しているらしい。しかし、この車両は、今年の6月に点検を受けた時は、どこも異常がなかったというから俄には信じ難い。

警察は、ブレーキの操作状況などを記録する装置『イベントデータレコーダー(EDR)』(そんな装置が装備されていたことを始めて知る)を押収して、詳しく調べているとのことだから、いずれ結果は判明するだろうが、もし、プレ-キが故障していたことがわかれば、事実としては、運転手の言う通りになってしまい過失致死傷だけに終わってしまうのだろうか。

まともな業者に車検を依頼したとしたら、ブレ-キの故障が見つからないはずは絶対にないはず。となると、運転手がウソを言っているか、それとも(本当に車検に出したとしたら)車検業者がでたらめで、ブレ-キの点検を怠ったこと以外考えられない。んなことあったとしたら、世の中、何を信じて良いのかもわからなくなってしまいそうだ。 

私も一応安物の小型車を所有している。交通事故の加害者になったら、被害者に申し訳ないと思うと同時に、我が身の破滅だろうから慎重な運転を心がけているが、車に異常があったらその努力も水の泡。そのため、6ケ月事の点検と車検は必ず買った店(トヨタのディラ-)に直接依頼している。

そんな時間とカネをかけないので、車検なども含めて格安業者に出しているという声も良く聞くが、今回の事故で、この主義は変えてはならないと改めて強く思っている。

(その2)翌日だったか、今度は港区青山というから東京のど真ん中の交差点で、乗用車と衝突したタクシーが歩道に乗り上げ4人が負傷するという事故を大きく報じられた。

タクシ-は先方に駐車していた車を避けるため車線変更をしたところ後ろからきた車と接触し、その弾みで他の車やバイクとぶつかり歩道に乗り上げて歩行者をはねたとのことだが、タクシ-の運転手なら周りを見ろよ・・・と言いたくなる。

翌日になって、はねられた80際の女性が死亡という記事かあったが、この記事にも69歳という年齢はあるが、運転手の実名はないことに違和感を覚える。

タクシ-の運転手は、事故直後は意識不明だったが、その後回復して怪我はなかったらしいとなると、このところ流行っているというと語弊があるが、運転中に突然意識が朦朧として、ミラ-を確認せず車線変更したことも考えられないこともないが、こんなタクシ-が走り回っているとなると、オチオチ道も歩けなくなりそうだ。

両方とも事故の原因はタクシ-の運転手にあることは明らかだが、いずれも60代の男性というのがひっかかる。この年齢では高齢者扱いとはならないようだか、タクシ-の運転手として、客の命を預かる職業を考えるといかがなものなのだろう。

年齢による線引きはしたくないと思っている。しかし、私も70歳に近づいた頃から、体力と記憶力(認知力)が少し落ちていると自覚しているので、運転はできるだけ控えるようにしていることから、特に東京の事故を起こしたのが69歳というのは気になるところ・・・。

この年齢になっても現役の運転手を続けている背景に、ただ働きたいという意識だけではなく、働かねばならない理由がありそうにも思えて仕方ない。そんなことを考えながら駅前に止まっているタクシ-の運転手を観察すると、若い運転手は皆無に近く、どうひいき目に見ても50歳は超えている人ばかり。

直接運転者にインタビュ-をしたわけではないが、運転するのが好きでたまらないという人や、お客と話すことが生きがい感じている人もいるに違いないとは想像できる。しかし、この中には生活のために仕方なくという人も存在しているのではないだろうか。

タクシ-業界は規制緩和で車の台数が多くなり運転手不足なのだそうだ。熾烈な競争でノルマも厳しいとなると、若者は敬遠するのは当然だろうから、高齢者が多いことも問題になっている。

今回取り上げた二つの事故は、社会全体がこのことを議論しなければタクシ-がらみの事故は増えることはあっても減ることはないことを顕著に現しているのではないだろうか。

どんなに警戒していても事故は起きるのだから、不運とあきらめろという声も聞こえてきそうだが、せめて、運転のプロであるべきタクシ-や路線バスの運転手がらみの事故だけはなくしてほしいものである。(田舎親父)

2016年12月 9日 (金)

独自の修学旅行は無理?・・・

 先日、ネットで姫路市内の小学校の修学旅行の行先が、『伊勢・奈良』から『京都・奈良』に変更されたという記事を見つけた。

 普通なら、つまらないと見落とされるのだろうが、(かなり古い話になるが)私は東京の多くの区が行っている、小学校長会の連合形態の日光への移動教室に疑問を持っていたことから、独自に行先を探したことがきっかけで、飯田で『ドングリの森創り』というトンデモないことを始めたことを思い出し、ついつい読みはじめた次第。

 記事には、姫路市内のほぼ全校(69校もあることにも驚く)が1泊2日の行程で5月~6月に集中して実施している『伊勢・奈良』修学旅行は約60年前から続けてきた行事だとある。

ところが、6年前、ずっと利用してきたJRの貸し切り列車が故障し、修繕は困難と言われたためバスに切り替えたところ、その年から児童の車酔いが相次ぎ問題になっていたそうだ。

 姫路から伊勢までは約300kmとある。姫路駅を朝早く出発して、奈良で途中下車して、東大寺の大仏を見学、再び列車で伊勢・二見浦の宿舎で一泊。翌朝、『夫婦岩』の日の出を拝み、その後,伊勢神宮や鳥羽水族館を見学するという日程というから、これは相当強行軍。

 どんな日程なのだろうかと、現在の時刻表を参考に想像してみる。貸し切り列車となると、出発はこの列車を利用する全手の学校の児童が姫路駅に集まれる時刻だろう。となると、早くても8時前後かな。

姫路駅から東海道本線の快速で大阪を経由して関西本線というル-トになりそうだが、快速でも2時間はかかることから、臨時の団体列車となると、姫路-大阪間は相当な過密ダイヤであることを考慮すると快速並の運行は無理だろう。机上の想像だが、奈良に到着するのは、速くても午前11時ごろというところだろう。

そこから、姫路の小学校はどうするだろう。安全を考えると、貸し切りバスだろうが、乗り降りの時間と経費を考えると歩きかな?・・・。どちらにしても、30分ほどかかりそうだから、奈良公園でお弁当。となると、東大寺到着は1時前ぐらいになりそうだ。

大仏さまを拝んで奈良駅に戻り、2時過ぎの列車を、現在の時刻表から選んで見ると、乗り換えが最低でも4回あり、一番早いル-トでも2時間半はかかることがわかる。臨時列車は乗り換えないだろうが、少なく見積もっても同じ程度の時間はかかるだろう。となると二見浦駅到着は午後4時半くらい?・・・。

ゾロゾロと並んで歩いて宿にたどり着くのだろうが、それからが大変。入浴と夕食を想像するだけでも頭が痛くなる。先生達は、急げ急げと大ハッパをかけてもすぐに消灯時刻になりそうだ。

朝早いとはいえ列車の旅、児童たちはあまり疲れていない上に興奮が重なり、すぐに寝つけるものではない。生後の児童が寝るまで気が許せない先生たちの苦労は想像に絶するものがある。

翌朝、この季節に日の出を拝むためには、遅くとも5時には宿を出ることになるのだろうが、この時刻に全員起こすのも一苦労。そして、宿に戻って朝食と今日の準備などして出発はやはり、早くて8時ごろだろうか。

この日は、恐らく貸し切りの観光バスを使うはず。伊勢神宮に参拝して鳥羽水族館を見学して,鳥羽駅から臨時列車で姫路に帰るという日程になるのだろうが、学校にたどり着くのは・・・と思うと想像したくない。

どこからか文句が出なかったのだろうか。そんなはずはあるまい、恐らく、異論は校長会という権威で門前払いにしたのだろうが、よくぞこれを60年間続けてきたものである。

いかに学校(校長・校長会)というところが、前例に習うという体質かがよく現れている。もし、6年前にJRから断わられなかったら、これからも半永久的に続くかもしれなかった?・・・。

行先の変更は、児童達のバス酔いが酷いとのことらしいが、旧態依然の校長会が変更を余儀なくされるほど凄かったのだろう。『伊勢から京都』へ、確かに距離的には短くなってバス酔いは軽減されるかもしれないが、乗り物酔いは体質的なことが大きく左右するのではないだろうか。

そのことはともかく、何故、修学旅行が全ての小学校が同じ場所いかねばならないのかという根本的な議論がなかったのだろうか。中には『伊勢』を続けたいという声があっても奇怪しくないという疑問が頭をよぎる。

最近少しは修学旅行を見直す風潮が現れているが、それでも圧倒的多くの公立小中学校は、行ける範囲内の著名な観光地や都会の有名商業施設を選んでいる。それどころか、地方の中学校などは、殆どが東京へなびき、その日程の中で必ずディズニ-ランドを組みこんでいることが情けないというしかない。しかも、自治体単位で校長会が温度をとっているのも何だかなあ・・・と思うことしばし。

それぞれの学校には『教育目標』があるのだから、本来は、学校独自で計画するのが最良だろう。私が、日光に疑義を唱えたのも、このことが原因だが、議論すらされることなく否決され、日光には参加を拒否できなかったことは悔しい思い出として今も心に残っている。もっとも教育目標そのものがお飾りで、似たような文言が並んでいることから、連合体に異論がでないのかもしれないが・・・。

今、学校は超がつくほどの時数の帳尻合わせに追いかけられ、宿泊行事は修学旅行程度だけという自治体も多いはず。宿泊を伴う修学旅行は折角のチャンスと受け止め、学校独自で子どもに一番学習させたいことを見学・経験させる目的で、しかも時間的なゆとりを持って計画をたてたいもの・・・。

今日も饒舌な拙い文章になったが、子どもに何をさせたいのかという、はっきりとしたビジョンを持ち、折角の修学旅行の機会を使ってほしいものであるが、これも、現状では無理だろうな・・・。(田舎親父)

2016年12月 8日 (木)

過疎地が狙われる・・・

少し古い話になるが、長野県大町市の山間部などに移住してきた男女22人が、大麻を自分達で栽培し乾燥させていたことが明らかになったという記事に驚くと同時に、なるほどこんな手があったのかと感心させられる。

『大麻』は日本で自生していることはよく知られている。私も数年前に北海道のオホ-ツク地方で、地元の人から『これが大麻で、このあたりにはどこでも見つけられる』と大麻の自生している現場を見せられたことがあり、『これは面白い、探してみよう』横浜の片田舎で散歩途中にキョロキョロしたものである。

残念ながら、葉っぱの形の似ている植物は見つけられたが、図鑑で調べてみると似て非なるものばかり。いつしか情熱も覚めて、大麻探しは過去のものにあっているが、この事件で、また探してみようかという気持ちが動きだしたことは間違いなさそうだ・・・。

『大麻』というと、覚醒剤や麻薬の原料という悪い印象だけが先に立つが、麻の仲間であることから使い道は多様で最近見直され、アホベ首相の奥方が『大麻は捨てるところがない』という意味のことを話していることも話題になっている。

確かに。古くから日本各地時自生していたことから、古くは、縄文人たちもこの繊維で衣類をつくったのは足しかのように思える。またこの草には覚醒作用があることも知っていたに違いなく、宗教行事などに使っていたことは多くの専門家も指摘していること。

北海道でも全道で自生しているとなると、アイヌの人たちは確かアットシイというシナノキの皮から作る繊維で、あの独特の模様の衣類を作っていたと何かの本で読んだ記憶があるが、大麻繊維も一部で利用していたのでは想像が膨らむ。

自分で栽培しようとは思わないが、種さえ入手できれば、このところプランタ-農業に凝っていることもあり、種から育てることに、ある程度の技術ができたと思っているのでその気になればできるはず。

横浜の片田舎では人目があるので大麻栽培は無理だろうが、長野県の大町周辺の山間部では、人里はなれた場所で密かに栽培することは十分可能だろう。となると、最近盛んに地方の行政が進めている『Iタ-ン・Uタ-ン』、いわゆる移住促進計画に思わぬ一面が現れるのではと心配が頭をよぎる。

実際に、逮捕された22人のうちの殆どが、東京や神奈川などの都市部から大町市と池田町に移住し、それぞれ自給自足のような生活を送っていたのだそうだ。記事には、音楽イベントなどで交流を深め、『ゆるやかな大麻コミュニティー』を作っていたとみているというから、何となくだが、その背景が想像できそうだ。

首謀者の一人だと見られている64歳の男は、十数年前まで地元の森林組合に勤務していたとのことなので土地勘は十分。音楽イベントなどには進んで参加していたというから何らかのきっかけで大麻の栽培をするようになり、移住してきた住民と音楽関係のイベントを開いて、仲間を広げてきたのではないだろうか。

また、夫婦と子ども二人で神奈川県から移住してきた一家は、市営住宅で暮して、夫は地域の副地区長を務め、妻は陶芸に励んでいたとある。何を生業にしていたのかはわからないが、昨年4月に移住してきたのに、早くも副地区長という肩書をもっていることに違和感を覚える。

それほど若い人がいないことと、子どもの声を届けてくれたということで、周りの住民の信頼を得ているのかもしれないが、もしもこの環境を利用して、大麻栽培をしていたとなるとこれは許されるものではないだろう。私が心配してもどうなるものではないが、二人の子どもの今後はどうなるのだろう・・・。

 事件の場になったのは大町市の『美麻地区』だという。ここは人口約970人。高齢化率は3割を超え、住民の約4割が移住者だそうだから、大町市は移住に力を入れていたことが良く分かる。30年ほど前までこの地区は、布の材料となる麻の栽培が盛んだったというから、なるほど地名の『美麻』はここからきたのだろう。

 最近は移住が大流行だが、よほどしっかりとした計画をもたないと失敗することも度々耳にすること。経済的に余裕がある高齢者の失敗のほとんどは地域に溶け込めないことであるが、若者、特に家族ぐるみの移住では生活の基盤である収入源の確保。4割もの移住者を抱えている、この『美麻』地区はどうだったのだろう。

 繰り返しになるが、過疎対策の有効手段である移住計画について、この事件をマイナスにするのではなく、教訓としてより有効で継続的に可能にするために英知を集めてほしいと願って止まない。

何よりも、『地方創生』と公言する国の支援を望みたいものである・・・。(田舎親父)

2016年12月 7日 (水)

廃線ではなく将来像を描きたい・・・

 4日の日曜日は、朝からJR北海道の留萌-増毛間(16.7km)の廃線のニュ-スが流れていた。最後の日の車両を自分のカメラに納めるために、早朝から『増毛駅』周辺は大勢の鉄道ファンが集まり混雑しているとのこと。

そして翌5日の朝のテレビ各局は、最終列車が『増毛駅』を出発するシ-ンや、その列車を見送る人たち、あるいは車内の様子などを繰り返し放映していた。2両編成の車内は通勤列車並の混雑。恐らく外は相当冷えているだろうに、窓は開け放されて見送りの人々に手を振っている顔は満足感で一杯のように見受けられた。

駅で見送る大勢の人たちは、手にはペンライトを持ち、それを左右に振って最終列車を名残惜しそうに見送っていた。また人々のインタビュ-も盛りたくさんじ、その殆どが『お世話になりました』とか『長い間ありがとう』というたぐいのものだったが、多分地元の男性だろうが『このぐらいの人がいつも乗ってくれたら・・・』という一言が、私の心にスザッと突き刺さる。

この男性は、無理は承知でこんなことをつぶやいたのだろうが、こんなに惜しんでくれるのなら、廃線反対の声を上げてくれても良いのでは・・・という気持ちが、心の隅にあったのではないだろうか。

このニュ-スの中では、私が聞く限り、全国から集まって大勢の人々の口から『残念』という言葉はなかった。あるのは『ありがとう』『ご苦労さま』という、長年走り続けてくれた列車に向かっての擬人的な感謝を現すものばかり。人々が掲げるプラカ-ドも同じ傾向・・・。

人口が少なくなり利用者が、一日数十人となれば、JR北海道としては廃線・廃駅も仕方ないとは思うが、人口減少は今始まったことではあるまい。これまで鉄道の維持にどれぐらいの企業努力をしていたのだろう・・・と無理を承知でつぶやきたくなる。

JR北海道が、単独では維持が困難とする路線を公表したことを知ったのは、つい最近のことだと記憶しているが、その席で存廃を含む今後のあり方について、地元自治体と協議に入る考えを示していると発表したのではなかっただろうか。

その時に、留萌線の廃線は既定事実だと発表していたが、あまり真面目に聞いていなかったこともあるが、先日の増毛駅の映像は私にとって唐突な感じだった。

私は『益子駅』を訪れたことはないが、高倉健主演の映画のロケ地になったこと程度の知識は持っている。(私が知らなかっただけかもしれないが)映画ファンと鉄道ファンに、この廃線と廃駅のことをもっと以前に、しかも効果的に知らせていれば、廃線の期日を少し遅らせられたのではないだろうか。

先日もつぶやいたが、せめて、JR北海道の窮状を少しでも助けるという気持ちが、JR東海やJR東日本がもっていれば、やはり少しは廃線にする期日を遅らせたのではないだろうか。

ここで少しひっかかるのが『北海道』の行政の立ち位置であるが、積極的に、JR北海道に対して-廃線を思い止まるように説得したという情報は入ってこない。廃線は仕方ないものだと受け止めて、地元の自治体とJR北海道との調整という、いわば第三者的になっているように感じるのだが・・・。

JR北海道が単独維持困難とするのは、10路線13区間の計1237キロと、現在の鉄路のおよそ半分に上るのだそうだ。その多くは道東や道北、旧産炭地などに集中しているのも気になるところ。

広過ぎて車の方が便利だということはあるだろうが、自分で運転できない高校生以下の子どもや年寄りにとっては、鉄道がなくなることは出かけることがより不便になることだろうから地域の将来を左右する大問題。バスを走らせるというが、住民にとってはべらぼうなバス代金は耐えられない。

 鉄路が消えたら、そこは人が住めないとなると、北海道の大部分は江戸時代の蝦夷地になりそうだ。道内全体を見渡す立場にある『道』が果たすべき役割として、鉄道を含む交通網全体のビジョンを構築し、前面に立って国やJRとの交渉を進めるべきではないだろうか。

 北海道新幹線は着々と工事が進められているという。札幌まで延伸すれば、JR北海道としては一息つけるのだろうが、その時はすでに道の大半の鉄路は消えている。一旦消えた鉄路を復旧することはまず不可能・・・。

 アホベ首相よ、真の国の指導者を自認するのなら、ほいほいと外国に出かけて100億だ1000億だとばらまくのではなく、またオリンピックのためなら何兆円でも・・・というアホラシイ考え方でもなく、さらに博打で金儲けなどというゲス的な発想でもなく、日本全体、そして北海道の将来像を真剣に考えてほしいものであるが、奢り高ぶっているアンタには無理だろうな・・・。(田舎親父)

2016年12月 6日 (火)

福島をオリンピック会場に?・・・

 オリンピック組織委員会のシンキロウという委員長が、原発事故が完全に収束していることを世界に発信したいアホベ首相の意を受けて、福島県内で2020年の『東京大会』で競技種目に返り咲いた『野球』の試合をするというシナリオを持っていることはマスコミ報道もあって私も知っていたこと。

ところが、『世界野球・ソフトボール連盟(WBSC)』の会長が、難色を示しているという記事を先日見つけ、思わずニヤリとしてしまった。

シンキロウ委員長の強い要望があったらしく、WBCのプラッタ-会長が来日し、組織委員会が推薦している福島県内の3つの球場を視察したのだそうだ。

そこまでは思惑通りだったようだが、WBC会長は、『土のグラウンドでトップレベルの試合をするのは日本ぐらいで、国際標準は内外野ともに芝。福島県内の球場が五輪にふさわしいのか、疑問符がついた』発言したのだそうだ。

恐らく、この会長の本心は福島原発事故が収束していないことを知っていて、世界が放射能に厳しい目を向けている中、『こんなところで試合などトンデモない・・・』というところではないだろうか。

私は、それをあからさまに口にしては影響が大きいことを警戒して『土のグランドでは・・・』という話にしたのではないだろうかと推察しているのだが、もしその通りだったとしたら、この会長はなかなかの人物のようだ。

会長の口から『原発』という言葉が出なかったことから、組織委員長はじめJOCの幹部たちは、『ならば人工芝にすれば問題ないだろう』という動きがあるのだそうだが、そのことについて、実に情けないとある大衆紙が揶揄していたが、まさにその通り・・・。

WBCの会長が原発事故に触れなかったのは、政治的な話題にしたくないので『土のグランド』という言葉を使ったのは、いわば武士の情け的発言だろう。それを全く分かっていない?・・・。

 まさか、シンキロウ委員長が『芝に入れ替えろ・・・』という号令を出すとは思いたくないが、組織委員会の周りには、金儲け命の輩が雲霞のごとく集まっているとなると、オリンピックならなんでもありという理論で、本当に芝に張り替える工事が始まる可能性もあり得そうだ。

 オリンピックなど興味がない私としては、それも面白かろうという心境。

芝に張り替えて実施計画を提出した段階で、WBCとIOCから『アホカ・・・』と一喝されたら、国民が本当のところをほんの少しでも知って、『オリンピックなんて』という気持ちになることを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2016年12月 5日 (月)

これは酷い・・・

 福島原発事故から横浜市に避難している少年の『いじめ(犯罪)』事件については、横浜市教委と学校の対応の拙さは特筆もので、あまりにもいい加減さと無責任さには呆れて開いた口がふさがらないとつぶやいた。

 繰り返しになるが、常識で考えると、被害者の児童にとって、『いじめられたくない・友だちの歓心をかいたい・・・』ということが切実だという背景があったとしても、小学4年生の子どもが、自宅から数万円単位でカネを持ち出していることが、保護者がわからなかったことがひっかかる。

一度や二度ならともかく、総額150万円以上の現金が持ち出されていることに気づかなかったことは、今でも私には理解し難いこととして未だにスッキリしない。
 それ以上に、理解不能なのは学校の対応である。担任が子どもの行動を少し注意していれば、クラスの雰囲気に何か奇怪しいものがあると気づかないはずがないと信じたい。もし、たとえ担任が見落としていたとしても、周りが指摘するのが、私が経験してきた学校の普通の姿である。
 まして、親からの相談があり、警察からも金品の授受という情報を受けていたにも関わらず、加害者の児童にまともな注意もしていないというのも、ウソだろう・・・としか表現できないが、新聞に掲載された校長のコメントを読む限り、全く反省をしている様子がない。教育者の資格はないと断言しても差し支えない。

今後、どんな展開になるのか続報を待っているのだが、もう過去の話になっているのかここ数日、この件がどうなっているのかという記事はない。

やはり、心配したとおり、国そのものが無責任の権化となっているような社会では、保護者の方から訴訟という話もでていないようなので、自治体はもとより、教育委員会と学校にも無責任体制が蔓延しているとなるとウヤムヤになってしまったのだろうか。

この事案の替わりといっては語弊があるだろうが、新潟市の小学校で4年生の担任が、やはり福島原発事故で家族と自主避難しているクラスの男子児童に、バイ菌の『菌』をつけて、この児童を呼んでいたという報道が大騒ぎになっている。

いじめの初期には、上履きを隠されるという事はよくある話であり、その段階で、適切な指導が入ればそこで事が収まるのだが、最近の教師はその指導すらできないほど忙しくなっているらしく、『無視する』という次の段階に入るようだ。さらにいじめが進むと例えば『アベ菌』とか『アソウ菌』というように、苗字に『菌』をつけてはやし立てるのが流行るという話は稀にだが聞いたことはある。

しかし、担任が児童に向かって『〇〇菌』と呼んでいるという事は、私の知る限り聞いたことがない。しかも、その担任というのが、一番アブラが乗っていると想像できる40代男性教諭だというからこれは酷い。とても信じられないというのが正直な気持ちである。

しかし、教育委員会はこのことを調査し、事実だと発表しているのだから、教員の質はここまで落ちたのだろうか。
 この児童は周りの悪ガキから、『〇〇菌』と呼ばれていて、物凄い屈辱感を持っていたに違いない。この『いじめ』に必死に耐えていたのだろう。このクラスでは、すでにいじめの度合いが『菌』まで進んでいたことは明らか。

私が許せないのは、担任がこのことを知っていたということ。マスコミの続報で、担任の言い訳が掲載されているが、インターネットの動画サイトで人気の『ヒカキン(私には何のことだかわからないが)』さんなどの影響で、クラス内で親しみを込めてカタカナの『キン』をつけてやりとりすることがあり、ほかの児童の名前にも『キン』をつけて呼んでいたとのことには呆れるしかない。  

まして、この担任は、この言葉を発する直前に、児童から『いじめ』にあっていることの相談を受けていたという。こんなことが実際に現在の小学校で起きていること自体信じられないが・・・。

担任から連絡帳を渡された際、名前に『菌』を付けて呼ばれこことから,翌日から学校を欠席しているという。児童の気持ちを考えると胸が張り裂けそうになるが、学校と教育委員会は、何としても児童が元通り登校できる環境作りをする義務がある。

しかし、これは簡単ではなさそうだ。ある意味、横浜市の150万円の恐喝よりも、学校と教育委員会の責任は重いと言っても良いだろう。

新潟市教委は担任を『懲戒免職』にする度胸と同時に、校長も即刻謹慎、教育長はじめ担当の指導主事なども厳罰という、内部に厳しい処分ができれば、該当児童はもちろん全校の保護者も納得するだろうが、無理だろうな・・・。(杉)

2016年12月 3日 (土)

互いに補完しなければ・・・

JR北海道が完全な経営危機に陥り、全体の3割もの路線を廃線にする方針を打ち出しているが、赤字だから廃線という結論は『経済』という言葉の上ではでは『是』なのかもしれないが、沿線の住民にとっては死活問題であることは、『田舎が元気でなければこの国の未来はない』と言い続けている私には痛いほど理解できること・・・。

そもそも、JR東日本やJR東海などと、地方に応じて『JR〇〇』という鉄道会社?は元をただせば全て『国鉄』という国が運営していた鉄道網を、『民営化』という名の元に、6つのJR〇〇に分割したものである。この分割の方法が実に不公平で、発足当時から、JR北海道と四国は赤字が続くだろうことは誰の目にも明らかだったはず。

特に、北海道はその面積が広く、しかも気候条件などから通常の維持管理だけでも、他のJR各社に比べて倍以上の経費がかかることは、経済音痴の私でも当り前のことと理解できるのだが、このあたり分割時に何らかの約束事がなかったのだろうか。

高速道路も民営化されているが、民営化に当たっては、互いに補てんするという約束があったらしく、圧倒的に交通量が多い東名や名神の超黒字を、他の高速道路管理会社の赤字路線の補てんにあてていると聞いている。

常識的に見て、国鉄が分割して誕生したそれぞれのJR各社も、それに倣っていると思っていたのだが、JR北海道の廃線問題が明らかになってくると、こんな約束事はなかったようだ。しかし、こんな不合理な話はないのでは・・・。

JR東海が運営している『東海道新幹線』についていえば(私もよく利用するので)新横浜のホ-ムで列車の動きを見る機会が多いが、各駅停車の『こだま』はほぼガラ空き状態だが、『のぞみ』はその殆どが指定席だろうことを割り引いても、季節を問わず、何人かで乗車すると、座れても席はバラバラになるのが普通に状態。それほど乗車率が高いことを現している。

それに比べると、つい最近続けて四国のイベントに参加した帰りに、高知から岡山、松山から岡山に乗り込んだが、岡山に近づくと徐々に混みだすが始発の高知や松山では一両貸し切り状態。これではJR四国の経営は難しいだろうなと実感したものである。

 特急は1時間に一本程度走らせているが、普通列車はそれよりも少ないのだから、幹線鉄路であっても特急の停車する町以外の利用者は2時間程度の待ち時間は当り前?になっているのではなかろうか。

 JR北海道には,今年の5月、札幌から余市まで利用したが、札幌と小樽間はさほどの不便さと、首都圏との大きな違いは感じなかったが、小樽・余市間は1時間に一本程度だったことを思い出す。

それても、余市はニッカウイスキ-の故郷なので、その工場だけを訪れるために鉄道を利用する私のような旅行客もかなり多いが、JR北海道の廃線計画の路線を見ると、超がつく過疎地の地方。利用するのは、地元の高校生だけではとすら思いたくなる。

 JR北海道は、廃線後はバスを走らせる方針らしいが、バスの運賃は全国的に見て、鉄道の数倍になるとなると、若者達は誰かの歌ではないが『こんな町いやだ・・・』という気分になるのももっともである。

 同じ日本国民であるのにこれは不合理。首都圏の鉄道は、私が住む横浜の片田舎を走る『横浜線』でさえ日中でも10分待つことはなく、朝夕のラッシュ時には5分おき時刻表になっている。

 まして、東京都区内を走る山手線や中央線ともなれば、日中でも数分間隔で走っているのだから、よくぞ事故なく時刻表通りに走るものだと感心するほど・・・。これでは、『おら、こんな町いやだ・・・』という気持ちをもった若者達が、東京へ首都圏へと動くのは当り前。

それでいてアホベという首相は『地方の時代だ』とか『地方創生』などと、およそ心にもないことを口走っているのだから呆れてしまう。

選挙における一票の格差には最高裁も乗り出して是正議論が賑やかだが、こと生活の足である鉄道の格差については、政治の話題にもならないのは許し難い。

先日私が利用してJR四国の特急列車はでは1時間に一本。それに比べて東京の山手線は3分に1本。単純計算でも20倍の格差である。ましてJR北海道の過疎地域の住民の足は4時間に一本程度となると、その格差は80倍。

JR東海は自前で東京と名古屋を2時間で結ぶリニア新幹線を作るというから、莫大な利益を得ていることは間違いないところ。

リニアのことはさておくとしても、武士の情けではないが、膨大な赤字を抱えて、このままだと札幌近辺の路線以外は廃線にしなけれならない状態の、JR北海道を思いやる気持ちぐらい持ってほしいもの。

是非、昔の仲間であることを思い出し、金儲けだけでなく、国民全ての足を確保することを共通の理念としてほしいものである・・・。(田舎親父)

2016年12月 2日 (金)

後ろで誰かが何かを・・・

 石川五右衛門が釜茹での刑にされたということは、真偽はともかく小説や戯曲、歌舞伎の題材にもなっているが、その大泥棒が残したとされる『石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ』という一句は、数限りある辞世の句の中でも、3本の指に入る名句だと何かの本で呼んだ記憶がある。

天下の盗人らしいと私も時にこの句を使わしていただいているが、『盗人』という字句を『悪事』という文字に置き換えたら、現在でも十分通用する。

特に、殺人や暴行などは簡単に法で罰則を課すことで、ある程度は少なくすることは可能だろうが、贈賄・収賄の種はまさに鳥取砂丘の一粒の砂ではないが、いかに厳罰で取り締まろうと、絶えることはないと言っても過言ではないだろう。

贈賄とは、事故の都合の良い方向に進むために、それをかなえてくれそうな相手に、某かの金品を贈ったり、酒席などの接待をして『よろしく』という意思を示すことだと私なりに解釈している。

方や収賄とは、自分の地位を自覚して、相手の下心を知りながら、金品を受け取ったり接待を受けることになるのだろうが、この線引きがかなり微妙だろうことは、世間知らずの私でも何となくわかること。

酒席などの接待は、一対一とはいえ、店の証言などで、いつ誰々が・・・ということが調べようがあるが、どこで金の受け渡したかとなるとこれは難しそうだ。

時代劇に出てくるような悪徳商人が菓子折りの下に小判を忍ばせて゛ほんの手土産ですと代官に差し出すシ-ンは定番。密室で行われているにも関わらず、これを暴く正義の人物が登場するのがお馴染みの筋書きであるが、大体の小説はこのあたりに無理があり作者が苦労するところ。

現代風でいうと、正義の味方は検察であり裁判官というところになりそうだが、裁判官が案件によっては『是』であったり『否』あったりするのだから、真実は双方の当事者のみが知るというところ。これが、方や『渡した』・こなた『渡していない』というのだから話はややこしくなりそうだ。

現金計30万円を設備業者から受け取ったとして受託収賄などの罪に問われた現職市長の控訴審で、名古屋高裁が一審の無罪判決を破棄し、逆転有罪を言い渡した美濃加茂市長が被告になっている裁判のことである。

プール水浄化設備の導入をめぐり、設備業者(贈賄罪などで懲役4年確定)が『飲食店で市長に現金を渡した』と主張しているそうだが、市長は一貫して現金の受け取りを否定しているとのこと。

飲食店で渡したというのなら、調べればその飲食店はわかり、実際にいつ誰と誰が会食したかなどははっきりしそうなものだが、検察はそのことはあまり問題にしていないというのも私には納得しかねるところ。

一審の名古屋地裁は、巨額融資詐欺で取り調べを受けていた業者が『余罪の追起訴を免れるため虚偽供述をした疑いがある』と踏み込んだ見解で、『現金授受があったと認めるには合理的疑いが残る』という、素人にはなかなか理解しにくい裁判表現で無罪を言い渡したのだそうだ。

 検察側の控訴で、名古屋高裁は裁判所の職権で設備業者の証人尋問を実施したところ、『虚偽だとするとかえって説明困難』などの理由で、業者が現金を渡したという事実を推察し有罪の判決を出したという。

 私流に、この判決を解釈すると『渡したという事実は証明できないが、渡しただろうと推察できる』というところ。これは少しどころか乱暴過ぎる。

このやりとりは市長になる以前の市会議員時代だったらしく、しかも金額が30万円というのも、なんだかなあ・・・という思い。このところ、アホベ内閣の閣僚達が続けさまに数百万円の誤魔化しや白紙領収書の乱発。さらに、莫大な利権の橋渡しなどの疑惑がもたれていることから比べると、まさにゴミのような話・・・。

この市長は史上もっとも若く市長に当選した人物だという。どんな思想や信条を持っているのか全く知らないが、若過ぎるということが、何らかの圧力になっていることも考えられないこともなさそうだ。

たった30万円の受け渡した場所さえはっきりさせないで、強引に『控訴』したとなると、検察のメンツだけではなく、どこからか圧力でもかかっているのでは・・・というのが正直な感想。

 市長側は上告することは間違いないとなると、決定的な証拠がないまま進む裁判に、市民の多くは、こんなアホらしい問題で自分達が選んだ市長をどうしたいのかと、消化不良で迷惑千万な話と検察と司法に疑問を持っているのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2016年12月 1日 (木)

こんなアホな競争は・・・

 『ふるさと納税』については以前もつぶやいたことがあるが、最近は、納税してもらいたいために、およそ『ふるさと』と関係ない金券や食事券などが多いのだそうだ。その背景には、ほとんどの自治体が納税者の歓心を買うための答礼品競争になっているという実態が浮き彫りになっている。

 『ふるさと納税』とは、一口で言うと、自分が応援する自治体に寄付すると、手数料?の2000円を除いた額の住民税が減額になるシステムだと教えられている。

元々は、地方を応援するために、東京はじめ大都市の住民が『ふるさと』を応援するという主旨で創設されたらしいが、『自分のふるさと』が拡大解釈されて、生まれ育ったふるさとではなくても、『応援する自治体』を選んでも良いというところから、おかしな動きが始まったらしく、答礼品目当てにこの制度を利用する人が激増しているという。

当然のことながら、自治体としては、『ふるさと納税』する人が多くなれば、その分、他の自治体に納税した住民が多い自治体は住民税が減ることになるのだから、してもらう方は大歓迎だが、される方はたまったものではないというのがホンネだろう。

私も、この制度が始まった頃には、生まれ育った自治体に納税するべきではと迷ったことがあるが、50年以上神奈川県、特に横浜市の住民として、さまざまなサ-ビスを受けていることと、現在の棲家である横浜の片田舎の環境が気に入っていることもあって、私のささやかな税額など横浜市としてはズスメの涙程度だと思いながらも横浜市に義理立てを続けている。

そんなことを思っていると、先日、東京23区も『ふるさと納税』で住民税が減少しているらしく、他区、他県の人々を対象に,『わが区にふるさと納税を』という動きが始まり、寄付者に返礼品を用意する動き生まれつつあるというニュ-スに、これでまた東京への一極集中が加速されるのではという懸念が頭をよぎる。

確かに、23区の都民が、高級和牛や魚介類といった豪華な返礼品がある地方への寄付がこれ以上増えれば、財政が潤沢だと言われている東京の区であっても、税収減を見逃すことはできなくなったのだろうが、地方には『東京』という名に憧れを持っている人も多いとなると、地方の自治体としては大変な脅威となるに違いない。

ある区の担当者は『返礼品(答礼品)競争に参入するつもりはないが、財政への打撃が大きすぎる』と語っているらしいが、その区が用意した答礼品は、私でも名前を知っている区内の有名レストランの食事券だというから、これは首都圏に住む人間にも魅力に違いない。

東京への交通の便が良い首都圏の人々にとっては、実質2000円の出費で有名店の数千・数万円の食事券が送られてくるとなると、首都圏の自治体にとっては大変な脅威になりそうだ。横浜の住民などはその先兵になるのでないだろうか。

恐らく、横浜市などはすでに対抗策を用意しているはずだろう。都内のある区が用意する有名店の食事券に対抗して、横浜中華街で使える食事券などが準備されているような気がしてならないが、こんな競争事態、本末転倒だろう。

横浜のことはさておいて話を進めるが、食事券に限らず、東京には全国からさまざまなものが集まっているのだから答礼品には事欠かない。『東京』と名前の入った、よく知られるみやげ品も多く、そんな答礼品を求めて東京23区へ『ふるさと納税』する地方の人が激増することも予想できる。

こんなアホな競争が始まって、役所が、住民サ-ビスよりも『いかにふるさと納税を増やすか』などが重要な仕事になってはたまらない。

そろそろ、『ふるさと納税』を考え直さねば大変なことになりそうな気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

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