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2017年1月

2017年1月31日 (火)

会談の中身は?・・・

 就任してまだ10日。トランプ大統領の無茶苦茶が続いている。大統領令を連発し、その署名の様子を、嫌というほどテレビのニュ-ス番組が紹介している。カメラに向かって、親指を建てて得意そうな顔は見飽きた感じがする。

 まさに自分の権力を世界に見せつけたいだけのようにも見えるが、アメリカ大統領の持つ権威と権力は物凄いらしく、新たな大統領令を出すたびに、世界中の人々が影響を受けるのだから迷惑千番というしかない。

 先日は、テロ防止のためだと称してイスラム圏の人々の入国を阻止する大統領令に署名したことから、アメリ国内の空港では大変な騒ぎになっているようだ。テロとは全く関係ない人たちが、やっとのことでアメリカに到着しても空港で『入国お断り』となるのだから、気持ちを想像するだけで胸が痛くなる。

 お前は入国させないからすぐに引き返せと送り返すのだそうだが、中には、アメリカの官憲に拘束される人もいるというから明らかにやりすぎでは・・・。

 あまりの横暴に、それぞれの州や連邦の司法当局が異議を捉えて、大統領令に背いていると伝えられるが当然のことだろう。アメリカの市民の間にも反トランプの抗議の行動が広がっているというから、この御仁も自分のやっていることの愚かさに、そろそろ気づいてほしいと願うばかり・・・。

 それでも世界の国々の首領たちは、何とかトランプ大統領と意思を疎通させたいと願っていることを見越して電話会談を持ちかけ、28日には、ロシアやフランス・ドイツなどの主要国の首脳と会談したという。

その中で、我が日本が真っ先に声がかかったらしいから、『でんでん閣下』は有頂天で応じたことは想像に難くない。それにしても、実に計算しているのはこの御仁の後ろには相当な策士が存在していることを示している。

 EU脱退を決めているイギリスの首相には、特別の配慮で招待したらしく、先日ホワイトハウスで会談した様子が紹介されていたが、手を取り合ってホワイトハウスの廊下を歩いているのは、親密さというよりもなんとも気持ちの悪さを感じたのは私だけなのだろうか・・・。

 ところで、就任早々トランプ大統領はTPPから永久に脱退するという大統領令に署名したことからPTTが完全に消えたにも関わらず、我が『でんでん閣下』は(国民向けのパフォ-マンスとして)『トランプ大統領を説得する』なんて大見得を切っていたが、二国間で話し合おうと持ちかけられると(実際は脅されたのだろうが)、『ハイ、わかりましたトランプさま』と、TPPはすでに昔事にしてしまった感じさえ受ける。

 電話で42分間もおしゃべりしたそうだか、決まったことは、2月7日に大統領に謁見できることだけ。マスコミは、日米防衛協力を確認したことが大きな成果だと発表しているが、トランプ大統領自身が、軍事・防衛のことは専門家である、狂犬と呼ばれているらしい軍人上がりの防衛長官に任せてあり、彼に従うと述べていることから、この電話会談とは明らかに別の話。

しかも2月7日には、『でんでん閣下』だけではなく、外相はじめ財務と経産大臣まで呼び出されているという。自分の持つ権力の誇示に酔いしれているトランプ大統領のねらいは経済問題であることは、全くの政治・経済音痴の私でも容易に想像がつく。

日本の首脳たちは、トランプ大統領以下取り巻き連に囲まれて、震え上がるのではないだろうか。『首脳会談において経済、安全保障全般について率直な意見交換をしたい』と記者会見で述べていたが虚勢を張っているとしか思えない顔つき。

恐らく、『トヨタを説得して、メキシコの工場建設を中止させろ』と言われることは間違いないところ。そして、『アメリカの国債をもっとたくさん買え』とも脅されるのではないだろうか。

それ以外の経済問題は、二国間の実務家同士で話し合うが、基本的には『アメリカフ-スト-の俺の考え方に従え』と言われ、『ハイ かしこまりました・・・』となりそうな気配を感じる。

その時、トランプ大統領にせめてのお願いとして、『日本国民が、こんな約束知ったら騒ぎますので、内緒にしてください』という密約を交わすことだろう。このことは、これまでの核問題や沖縄の基地問題の例から明らか・・・。

2月7日の会談の後、日本の首脳たちはそれぞれの成果を誇らしげに発表するに違いない。しかし、トランプさんの性格から、日本を屈伏させた成果を見せたいという気持ちが強いだろうから、大得意のツイッタ-で密約なんて何のそのとばかり、内幕をばらしてしまうのではないだろうか。悪趣味と言われそうだが、それを正直楽しみにしている。

ツイッタ-でばらすのを我慢したとしても、トヨタはじめ自動車大手がメキシコから撤退すると言い出したら、会談の内容は明らかだろう。

悲しく情けないことだが、それでも、日本のマスコミは、大本営発表しか伝えないのだろうな・・・。(田舎親父)

2017年1月30日 (月)

エンゲル計数の上昇は喜ばしい?・・・

総務省の調査で、2016年のエンゲル係数が過去最悪レベルの水準に上昇していることが分かったという記事に、久しぶりで『エンゲル計数』という言葉を見たとその文面に食らいつく。

エンゲル係数は家計支出に占める食費の割合を示す数字であることは、学校で習ったので知っている。当時、戦後しばらくは、この数値は60%以上にもなっていると教えられ、改めて戦後の食糧事情の悲惨さを思ったことはぼんやりと記憶に残っている。

そのことも、先日つぶやいた学校給食の始まりのきっかけになったのだろうが、経済と教育の関係がいかに密接なものであるあることを改めて感じるところ。

このことはさておき、エンゲル計数は、朝鮮戦争の特需あたりから急速に改善され、20年ほど前からは20%程度で安定していると言われていたが、先日の記事によると、昨年のエンゲル係数は1987年以来の高水準になるのだという。
 常識的には、エンゲル係数が大きくなるということは食費の比率が増えていることになるのだから、これは気になる。この数値が、2015年から急上昇しており、2016年末は二人以上の世帯で25.9%になるだろうというからビックリする。

日本におけるエンゲル計数の推移は、2001年から10年以上も継続して約23%だったが、2014年の消費増税の影響から2%も上昇したという。

平均的収入の国民が、4分の一以上を食べることに当てなければならないという数値は、先進国の中ではトンデモ酷い値なのだそうだが、これが不気味なことに少しずつ上昇しているとなると、この先、先進国などと称することもおこがましくなりそうだ。

この傾向について、日本経済新聞が『外食の増加や食のレジャー化による支出の増加が原因』と報じたのだそうだが、このことがかなり話題になっていることをネットで知る。

日本経済新聞というのは、私とは全く対極にいる新聞なので読んだこともない。しかし、どんな記事なのだろうと興味がわき,『日本経済新聞 エンゲル計数の記事』と入力してみた。

かなりの日経の記事がヒットする。が、そのほとんどが頭の100字ほどだけの『会員限定』記事。読みたい人は登録しなさいとのことである。無料会員もあるらしいが、それほどまでして日経の読者になりたくもないので、この記事に関するブログなどを探してみる。

すると、1月2日の日経の記事の一部が掲載されていたので、それを引用してみる。『エンゲル係数 上昇中 食費の負担、バブル期並み』という見出しに続いて、(引用はじめ)消費支出に占める食費の割合を示し、生活水準が上がったか下がったかどうかの目安となる「エンゲル係数」に異変が起きている。本来なら経済成長とともに下落するパターンが崩れ、急ピッチで上昇しているのだ。世帯人数の減少に伴う個食化や外食化に加え、増税や原料高が重なったためで、新たな食スタイルが生まれつつある。(引用終わり)

これは、どう解釈してもエンゲル計数の増加は『大した問題でない』としか受け取れない。むしろ、『個食化や外食などの新しい食スタイルが生まれたこと』ことで喜ばしいとも解釈できる。なるほどネットが大騒ぎになっているわけだ。

このような捉え方は、経済界(カネ儲けを目的)を相手にしている『日本経済新聞』という特質なのだろうが、エンゲル計数の上昇は決して悪いことではなく、日本人の食スタイルの変化によるものだという発想はいただけない。

TPPというわけのわからない貿易協定は、中身が全く見えなかっただけにどんな影響が出てくるのかわからなかったが、あれほどTPPに固執していた我がデンデン閣下は、TPP協定から永久に離脱の大統領令に署名し、代わりに2国間での貿易協定を結ぶというトランプ大統領に喜んで応じるとなると、いよいよアメリカから農・畜産物が大量に入ってくるような気配を感じる。

個食化や外食で使われる材料は、ほぼ全てが輸入品といって差し支えないだろう。これを『是』とすると、国内の『食糧自給率』はますます下がるのではないだろうか。そして、日経の見方のように、これがエンゲル計数を押し上げていることは間違いなさそうだ。 

外食できることは懐が豊になった?との解釈で良いのだろうか。作るのが面倒だからという理由もあるのだろうが、外食産業の値下げ競争が繰り広げられて、限りなく安くなっていることも原因の一つでは・・・。

外食や個食産業が、儲けを度外視して食品を提供するはずがない。500円のハンバ-グ定食なんて普通に考えればできるはずがないことから、それらが安全安心であるか、考えなくても答えは明らか。

経済音痴の直感であるが、外食は悪いことではなく、むしろ経済的に豊かになった証左であるという発想が、ますますわが国の自給率を下げ、エンゲル計数を押し上げていることは間違いなさそうだ。

危険が身近に迫ってくるような不気味さを感じる・・・。(田舎親父)

2017年1月28日 (土)

筋が違う・・・

 去年の暮れに読んだ朝日新聞の記事であるが、公立小中学校の給食を無償で提供する自治体が少なくとも55市町村あり、少しずつ広がっているのだそうだ。

 その続報というか『議論の広場 フォ-ラム』という欄には、学校給食について、いろいろな人たちの意見を紹介していたので、ひと通り読んでみた。無償化に賛成という人が多い多いことは予想していたが、給食費の徴収事務が大変だからという理由が多いのには『ウ-ン?』と首を傾げたくなる。

 大阪府の弁護士という女性は、『無償化は学校現場の労力を考えると価値がある』と言い切っている。その理由として、この方は教育委員会から委託されて、給食費の未納対応に苦慮している公立小中学校から相談を受けているので、学校の事情をよく知っているからだとのことである。

学校が給食費を集めているので、先生たちはその徴収事務で苦労しているが、各家庭の状況を知っているだけにどこまで踏み込むべきか、どういう言葉をかけるべきかまで悩んでいると、教師の給食費を集める苦労を考えれば・・・との立場で論を進めている。

日頃から教師が忙し過ぎると思っている私からみたら、徴収事務がなければ、本来の教育活動に専念できるようになり、子ども一人ひとりに向き合うことができる効果があるという意見は理解できる。

しかし、この苦労は、集金を当り前のように教師の仕事にしている制度に問題があるのであって、それを認めるような発言は感心しない。まして、給食は『教育の一環』として給食費は国費でまかなうべきという論理には賛成しかねる。

私は、教育問題を語る時『学校給食』がその根源にあると何度もつぶやいてきた。ここまで給食が当り前になっていることから、対案もなく『給食が諸悪の根源だから即刻中止』と主張する気はないが、『給食が学校教育の一部』であるという考え方を『是』とする風潮には異論を挟みたい。

給食が始まったのは戦後間もなく気頃。まさに自分の小学校時代と合致する。最悪の食糧事情を少しでも補うためにはじめられたのが、コッペパンと脱脂粉乳が給食の献立。このことは、うっすらだが記憶に残っている。

私は、小学校入学前から母親が結核を患っており、子ども心にも『ニワトリの生き血が結核の特効薬』という言葉を信じてニワトリをかなり飼育していた。毎日卵が得られることと、生き血をとるために屠殺した日は、ニワトリの肉(カシワ)のすき焼を堪能できたので給食のありがたさなど感じたことはなかったが、こんな内容の給食であっても多くの子どもたちにとっては楽しみの一つだったようだ。

何時思うと、先生たちは大変だったのではなかっただろうか。当時の担任の様子など全く記憶はないが、給食室から熱くて重い脱脂粉乳が入ったバケツを運ぶのを子どもたち任せっきりだったとは思えない。

当時は、先日もつぶやいたが、『い組』・・・『は組』といろは順の学級名、そこにはいろは順の名簿には60人近い子どもが名前があったことから混雑はすごいもの。それをさばいて公平に与えなければならないのだから大変だったと想像している。

食糧事情の悪かった頃だったことから、特に脱脂粉乳を分けることに争いもあったのではないだろうか。勝手に飲んでお代わり(それほどの量があったとは思えないが)してはケンカが始まるだろうから、給食時の約束事を作るのも担任の大事な仕事になったはず。やがてその約束事が校則になり、食事マナ-の指導ということに発展するのだが。

また、低学年は6年生がお手伝いをしたのだろうが、万一こぼしたら大変なことになるから、先生たちは、かなり神経を使っていたのではないだろうか。

食糧事情の改善のメドがたった時に、給食を止めれば良かったのだろうが、文科省の勘違いなのか学校現場の思い入れがあったのかわからないが、『学校給食』を受け持つ部門の重要度がどんどん増してくる。

脱脂粉乳が牛乳になり、子どもたちに暖かい美味しい食べ物を・・・とそのねらいが広がり、他校との連携が重要になり、『学校給食部会』という研究部が生まれた。

親の意識も変わり、給食が当り前となり、中でも料理が苦手な親たちにとっては、給食の献立を真似ることが広がる。やがて『学校給食の味』が『家庭の味』の原点になり、それが今日に及び、中学高校生まで給食が必要という声が高まっている。

このことは、仕方ないことだと思っているが、我が子の『衣食住』を保証することは、親の責任であり義務であることは忘れてほしくない。その意味では、給食費は親が払うのは大原則で、滞納する親がいて、その徴収に教師が困るから無料という発想は筋が違うのでは・・・。

所得が低い家庭には別に手当てをすれば良いこと。払えるのに払わない親には、それなりの罰則を与えればすむこと。

給食費を意識的に払わない保護者も、市販教材費は滞納しない。修学旅行や見学費用も、そして制服代なども・・・。

義務教育はこれを無償にするという憲法を素直に解釈すれば、もしも文科省か学校教育上制服は必要と認定するならば、市販テストで成績を評定すべし、そろった体育着が必要と認めるのなら、これを無償にするのが先決だろう・・・。(田舎親父)

2017年1月27日 (金)

正気の沙汰なの?・・・

20日に誕生したトランプ大統領の動きに目が離せない。

経済については超がつくほど音痴なので、就任そうそうの『TPP離脱の署名』の影響はかなり大きいだろうと思うものの、それ以上にこの御仁の動きの早いことの方に感心させられる。

しかし、『メキシコ国境に壁を作る』という大統領命令に署名したという昨日の朝のニュ-スには『エッ 正気なの・・・』とビックリ仰天。

メキシコからの不法移民の流入を防ぐためだという。不法移民にアメリカ人の雇用が奪われているのが気に食わないことことらしいが、『国境を取り戻す』という表現には時代錯誤を感じさせる。

『国境に壁』という言葉は、大統領選挙中の看板政策だったことは知っていた。しかし、そんなことをアメリカ世論が許すはずがないだろうとタカをくくり、常識的に考えて不可能だろうから、選挙戦術の一つだろうとも思っていたのだが・・・。

アメリカ世論もトンデモない御仁を大統領に選んだものである。アメリカ大統領の権限は想像できないほど大きいという。民主主義を標榜する国が、かっての中国の皇帝のようになんでも思い通りになる?とはとても考えられないか、強大な権力者が事実署名したのだから、この命令は現実味を帯びてくる。

これ程の大プロジェクトならば確かにアメリカ人の雇用を促進するだろう。そこに集まる人と物は、かってないほどの規模になり、最大の公約である『アメリカ人の雇用増大』は間違いなく実現しそうだ。

さらに、どこから建設費をひねり出すかは別にして、巨大な壁つくりとなると、人とカネは集まるダロウから、アメリカ国内経済は限りなく上昇しそうな気がする。

『とりあえずアメリカのカネで壁を作るが、かかった費用全てはメキシコが支払う仕組みを作る』と明言していたが、それこそ、そんなことができるはずがないだろうと思いたい・・・。

テレビのニュ-スには、すでに一部作られている柵の映像が映し出されていた。凄い物である。しかし、柵では人と人との行き来は防げても、物(麻薬など)の往来は止められないことから、壁となるのだろう。

アメリカとメキシコの国境線は3200kmもあるのだそうだ。その長大な国境の全てに壁(それも半端な高さではないだろう)となると、現代の『万里の長城』というところ?・・・。

出来上がった壁のある風景は想像したくない。それ以前に、メキシコは絶対に壁の建設に合意するはずがない。アメリカが勝手に作ることには拒否できないだろうが、費用の支払いいを断固拒否したら軍事力でメキシコを制圧して支払らわせるのだろうか。

こんなことが許されるはずがないが、アメリカのポチ状態の日本政府は、国内の名目的な景気がよくなれば良いと考えているデンデン首相はじめ、カネ儲け命の輩は、壁の建設という対プロジェクトはビジネスチャンスだと群がるような気もする。

実際に、でんでん首相は早速トランプ大統領に貢ぎ物を持参してでも会いたいと申し入れているらしいから、下手すると、壁建設の一部工事なども受け持たされる可能性もゼロではなさそうだ。

壁ができたとしたら、確かにメキシコ側からは勝手にアメリカに入ってくることはできなるが、東西の海岸線全てを封鎖できるはずもなく、カナダ経由で移入することは防げないのは明白だろうから、トランプがいう不法難民や不法薬物の侵入を完全に防げるとは思えない。

これは私の想像だか、アメリカ国民がそれほど愚かではなく、国内から反対の動きがうねりとなるに違いない。4年後の大統領選挙では、候補者にも選ばれないことは確実だろう。また、1.2年で大統領職を投げ出すという見方も広がっているらしい。

その場合は、壁は未完成でそのまま放棄?・・・。どちらに転んでも、アメリカ版『万里の長城』は、壮大な負の遺産になり、今後長い年月アメリカ国民を苦しめるだろう。

こうなると、アメリカ経済は限りなく疲弊し、アメリカにとことん従属している日本はさらに酷い事態に追い込まれることは想像に難くない。

『こんなバカなことをお止めなさい・・・』とアメリカ国内の諫める声が大きなうねりとなり、すぐに中止になることを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月26日 (木)

輝ける環境つくりが先だろう・・・

 『女性が輝く社会』とは、誰が作ったのか知らないが、実に計算し尽くされたキャッチコピ-である。

少しでも疑義をはさむと、すぐにどこからか非難の矢が飛んできて血祭りにされる可能性があり、現在の男社会が作り上げた矛盾がたちまちのうちに解消されるような錯覚を誘う感じがする不思議な言葉である。

この『言葉』に反対する気持ちはないが、実際には、『輝く』ことが社会に出て『働く』ことと同じような使われ方をしているので、逆に働かない女性は輝いていないというようなイメ-ジの広がりには危険な臭いがしてならない。

 『働く』ことは結構だが、子育て中であれば、自分の子どもをどこかの誰かに預けなければならないのだが、共働きで核家族となると選択肢は一つ。保育園だけ。しかし、一番肝心の条件に合った保育園か見つからないという最初の難関が待っている。

育休という制度がない中小の企業もあるが、一応法律的には育休の制度があり申請すれば1年間は子育てに専念できるはずなのに、保育園を確保するために、数ヶ月で社会(会社)復帰しなければという話は頻繁に耳にする。

また、1年間も休んでいると、その間に、自分の能力が落ちる(仕事がなくなる)のではという脅迫概念を持つ女性も多く、できるだけ早く復帰したいと願う人が多いのも事実らしい。

能力云々(でんでんと読むアホがいるらしいが)はともかく、『保育園落ちた 日本死ね・・・』という一言の書き込みが社会問題化して、一挙に保育園問題が広がったことも記憶に新しい。それほど保育園が不足しているにも関わらず、住民の合意が得られず、保育園を受け持つ自治体としても建てたくても建てられないというジレンマも広がっているようだ。

さらに、最近は『小学1年生の壁』という言葉も流行り出しているらしく、保育園では手厚く保育されていたのに、小学校入学と同時に、保護者の負担が増えるという問題が深刻になっているという。

一応は小学校に入学した児童は、『学童』と呼ばれている保育所で放課後から親の帰宅時刻まで過ごすことになっているが、当然のことながら、定員があり待機学童がでているのが現実だという。

こちらも、需要があればビジネスになるのだろうが、民営の学童が増えているそうだが、手厚い保育をしてくれる学童は人気が殺到し、入所するためには1年も前からプレ会員にならねばならないというような話もちらほら聞こえてくる。

 私は、妻が専業主婦を選択してくれたおかげで、学童について悩んだ経験がないので、教育関係の仕事をしてきたのに学童の知識はほとんどなし。勉強不足と反省してネットで調べてみると『学童』呼ばれる保育施設は統一した名称がないことなど、始めて知ることばかり。

 『学童』という呼び名には、『学童クラブ』『放課後(児童)クラブ』『学童保育所』『留守家庭児童会(室)』『児童育成会(室)』などがあり、『学童』というのは、これらの略称だとのこと。

そのほか、設置基準や指導員の身分保証など、預かる以上はさまざまや約束事が細かく決められ、それらを承知で自分の子どもを預けなければならない。いやあ大変なものである。

子どもが小学生になれば厄介なPTAの役員問題も絡んで来ることは容易に想像できる。さらに、自治体が運営している公営の学童でも無料ではあるまい。預かる時間だって、6時ごろまでだろうから、それ以後預かってもらうためには、民営の学童になるのだろうが相当な費用がかかることは間違いない。

そこまでして輝きたい(仕事をしたい)のだろうか。根が怠け者の私には,とても理解できないが、そんなことを言うとまた批判が来るのだろうな・・・。

昔は3世代同居が当り前で、じいちゃん・ばあちゃんが面倒みていたものだが、都会では(最近は地方でも)それもかなわず、誰かに我が子を託さねばならない。女性を輝かす(仕事をさせる)なら、それなりの制度を作るのが先だと思うのに、まずは輝けとは矛盾した話。

フルタイム働きたくない女性も多いはず。子育てに専念したいという女性もしかり。そんな女性に、自分の子どもと一緒に、友だちの子どもをみてもらえる制度ができないだろうか。

私の自論である、『専業主婦(主夫)も職業』だという考えで、それに見合った報酬を支払い、その上で、輝きたい(働きたい)女性の子どもを預かる制度を作ってみるという研究が必要になってきたのでは・・・。(田舎親父)

2017年1月25日 (水)

横浜市民としても恥ずかしい・・・

 福島原発事故で横浜市に自主避難している一家の小学生が、『原発菌』などと呼ばれていたという報道に、学校は気づいていたはずなのに何故止められなかったのかと思うと悔しくて仕方ない。

このことに加えて、悪がキから補償金をもらったのだから仲間外れにされたくなければカネももってこいと言われ、その都度5万、10万と自宅から持ち出して渡していたという事件は、なんとも痛ましく、この事件の舞台が横浜だったこともあって、限りなく情けなく思ったことは、以前にもつぶやいた。

 その後の調べでは、小学校側はこのことを把握していたのにも関わらず、ダンマリを決め込んでいたことも、悲しいことだが明らかになっている。

 当時小学校5年生の児童は、総計150万円ほど親の目を盗んで持ち出したとのこと。きっと、仲間外れというよりも、身体的な攻撃なども加えられて、意志が弱くなっていたにちがいない。何とか、いじめられりくないと願う子どもが哀れである。

 親がお金の持ち出しに気づき、子どもを問い詰めたのだろう。そして、ポツリポツリ語られた事実に愕然とし周りに相談したのではないだろうか。また、学校の校長や担任にも調べてほしいとお願いしたこともはっきりしている。が、学校は煮え切れない態度を繰り返すばかり・・・。その背景には市教委の指導の影が?・・・。

 保護者やその周りの人たちが思い余って弁護士に相談して、この問題が明らかになったという筋書きだろう。慌てた学校と教育委員会は、『第三者委員会』を立ち上げて,調査すると約束。保護者としては、150万円を返済してほしいのはもちろんだろうが、それ以上に、真相を知り、学校に謝罪を求めたに違いなかろう。

 確かに、150万円もの大金を持ち出されても気がつかなったのは、普通では考えられないが、このことはそれぞれの家庭には細かな事情があるだろうから、ここは触れることをしないで話を進めることにしたい。

 一応第三者委員会が立ち上がったらしいが、人選が学校や教育委員会側ばかりだったらしく、その結論は『金銭授受はいじめから逃れるためだった』と指摘したまでは良かったが、『おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない』という、なんとも恥ずかしく凄まじい常識はずれの結論には、横浜市民の一人として納得できるものではない。

 この第三者委員会の判断を受けて、先日横浜市教育長が、『第三者委員会の答申を覆すのは難しい』とのことで、『(同級生からの)金銭要求をいじめと認定するのは困難』との見解を出したことに対して全国から強い批判が集まっている。

 当然だろう。『おごってもらう』という言葉は、基本的に同じレベルの生活圏の人たちが普段使う言葉であり、また、自分より経済的に豊かな人たちと会食した時には、おごられるのが当り前になっているため、無意識的に『御馳走さん』という気があるので、それほど悪意がある言葉ではない。

 しかし、いじめから逃れるための金銭を与えることが『おごってあげた』になり、脅したワルガキが『おごってもらった』とは、どんな論理で生まれるのか私には全く理解できない。

 以前から繰り返しつぶやいていることであるが、文科省のいう『いやだと思っていることを言われたりされたりする』を『いじめの定義』だとすると、『いじめ』は、一般社会でも絶対になくならないように、学校においても日常的に起きて当り前。

 それを見つけて、いじめる側に注意を与え、いじめられる児童生徒に寄り添った指導で乗り越える力を育てることが教師の務めであり学校の役割である確信している。

そして、暴力による身体的に苦痛を与えることや、恐怖感を与えて金銭を奪う(恐喝)ことは『いじめ』ではなく、『犯罪』だというのが、現職時代から私が主張しているいじめ論である。

ところが、世間一般が、『いじめ』と『犯罪』を明確に区別しないことが諸悪の根源であり、このために悲惨が自殺か後を絶たず、今回のような理不尽な事件が続発するのではないだろうか。

横浜市教育長がこのことが理解できていないとなると、横浜市内ではこの種の、脅しが伴う子ども間の金銭のやりとりは『いじめ』でもなく、もちろん『犯罪』でもないことになる。

こんなトンデモないことを口にする教育長を即刻辞めさせなければ、親の心配は限りなく膨らみ、常識的に考えても子どもたちは安心して通学できなる。

横浜市をこよなく愛する市民の一人として、市長はじめ教育関係者の猛省を求める。(田舎親父)

2017年1月24日 (火)

恥ずかしくないのか 文科省よ・・・

 文科省かの高等教育局の局長が、現職時代から早稲田大学に働きかけて、退職後2ケ月後に教授になったことが天下りに当たると大騒ぎ。大学が記者会見をして、文科省の依頼を受けて教授に迎えたことを認め謝罪し、当の教授は辞任したと発表した。

文科省に限らず、あらゆる省庁の高級官僚たちは、こんなことは昔からゴマンとあるはずなのに、今回、何故こんなに大々的に特に取り上げられるのだろうという素朴な疑問を覚えるが・・・。

 内閣府に『再就職等監視委員会』という組織があるそうだ。官僚の天下りに対して国民の批判をかわすために作られたのだろうと推測しているが、この組織に『大学局長が早稲田大学の教授になっているのはけしからん・・・』というような内部告発でもあったのではないだろうか。

内閣府の中に同じ穴のムジナである各省庁の官僚の素行調査などする組織を作ること自体、大がつくほどの『ざる法』であることは政治音痴の私でもわかること。

なのに、その内閣府の中のこの組織が調べざるを得なくなったのは、今回の天下りは、大学の補助金などの権限を握っている高等教育局長が早稲田大学の教授への天下りは明らかに利権が絡んでいることから、内部の人間でも告発したくなるほど露骨さと、ドロドロした人間関係があって、それが表面化したのでは・・・。

現在では半数近い大学で『定員割れ』を起こしているということはよく耳にする話。文科省の補助金なしには経営がグラつく私立大も少なくないことから、高等教育局とのつながりを求める大学が多いことは容易に想像がつく。

『日刊ゲンダイ』という大衆紙がある。そのデジタル版が、このところかなり面白い記事を連発しているので、時間があれば開くようにしている。その中に、今回の天下りについての記事もあり、15年度の『私立大等経常費補助金』額(全566校)とカッコ内はその順位を現している一覧表が掲載されていた。

凄い金額が並んでいる。早稲田大学へは90億円超で第2位。慶応大学は86億円超で3位となっている。ちなみに、500位の東京純心大学(聞いたことがないが)は7000万円弱となっているが随分差があるもの。このあたりに今回の大騒ぎのヒントが隠れているのではないだろうか。

そして、何故か1位の大学名がない。わざと掲載しなかったのか、それとも掲載できない理由があったのかはわからないが、普段からよく耳にする首都圏のかなりの数の大学名がないのも気になるところ。

この記事の中で、大学関係者の話として『ある関西の私立大は天下りをめぐって文科省と揉め、補助金をカットされて潰れたなんて噂もあるほど。ウチの事務局長は年収1500万円を超えますが、それで億単位の補助金につながれば安いものでしょう』というコメントを紹介しているが、真実はともかく大学と高等教育局との係わりが垣間見られる。

さらに、昨日の朝日新聞はこの事件の続報として、退職後2カ月未満で私立大などの学校法人に再就職した文科省職員(高級官僚だろう)は、2011~15年度で計42人(うち14人は退職翌日)いたことを明らかにしている。
 『国家公務員法』は、許認可権を持っていたり補助金を交付したりする利害関係を持つ企業や団体に対し、在職中に求職活動することを禁じているのだそうだから文科省高等教育局長が退職後早稲田大学へ転職したことは明らかに法律に違反する犯罪。

なのに、この局長に限らず、天下りした官僚たちの退職時の肩書が『大臣官房付』のみだったというのも、前述した『ざる法』が、退職時に利害関係がある場合と規定していることから直接利害関係がないから・・・という逃げ道にちがいない。

文科省は、退職から短期間で再就職している事例について、法の規定に触れていないかどうかについても調べ、年度内に結果を報告する方針だというが、退職時には『大臣官房付』だから問題ないという結論がでるのだろう・・・な。

ホンネは児童生徒の考え方の国家統制なのだろうが、子どもたちに『世のため人のため正しい生き方・・・』と、わざわざ『道徳』を教科とする文科省が、自分の利益や特定の組織のために生きる・・・のは明らかに『反道徳』。

恥ずかしいと感じ入ってもらいたいものだが・・・。(田舎親父)

2017年1月23日 (月)

安心安全は人のつながりだ・・・

 『欄干がない橋』というと、すぐに思い浮かぶのが四万十川に多く架かる『沈下橋』ではないだろうか。ここ数年、四万斗に出かける機会に恵まれて、私も何度かこの橋を渡ったことがあるが、どうしても真ん中を歩いてしまうのは、無意識的に安全を求めているのだろう。

土地の人たちは、この橋を生活道路にしているので、なんの躊躇もなく車で行き来しているが、旅行者の立場としては自分で運転して渡りたいとは思わないのも同じ心境ナノだろう。

今日も変な書き出しになったが、誰が言い出したのかは知らないが、視覚障がい者の人たちにとって、駅のホ-ムを『欄干がない橋』という表現はなるほどと感心する。

目が見える私でも、真ん中しか歩きたくなるのだから、目が不自由な人が白状を頼りに沈下橋を渡る姿を想像するだけで身震いがする。まして、都会の数分間隔で電車が入ってくる駅のホ-ムは、『欄干のない橋』どころではなく、まさに戦場。ほんの少しの手違いで命を落とす危険な場所である。

その『欄干のない橋』から視覚障がい者が転落死する事故が、昨年8月の東京メトロ銀座線の青山一丁目駅に続いて、10日程前に、埼玉県のJR京浜東北線の蕨駅で起きた。

どちらの事故(事件)でも盲導犬がついていたのにである。メトロの事故は柱でホ-ムが狭くなっていたことが大きな要因だと言われているが、今回はJRの地上駅なので、行方を塞ぐほどの柱はない。

そんな中、盲導犬に導かれた『人が線路に落ちて犬はホ-ム残った』という文言に、アレッと思ったのは私だけだろうか。

常識的にこの記事を読んで事故の様子を想像すると、盲導犬は視覚障がい者の人たちのために設置してある黄色の凹凸線より内側(ホ-ムの中央より)を歩いていたことになるがそんなことがあるのだろうか。

盲導犬についての知識は全くないが、(30年も前のこと)盲導犬にするための犬を飼育していた人から、生まれて間もなく盲導犬に適した性質を見抜いて、愛情をかけながら過酷な訓練をしなければ候補にもなれないという話を聞いたことを思い出す。

主人には絶対的に従順であることはもちろん、どんな理不尽なことをされても(例えば尻尾を踏まれても)吠えることすら許されないほどの徹底した訓練が必要なのだそうだ。 

私は、そんな訓練を犬にさせるのも悲しいことだなと思ったものだが、目の見えない人にとっては、盲導犬が生活を守る重要な手段であることは理解していたので、その批判は口にできなかった。その気持ちは現在も変わらない。

それほどの訓練を受けた盲導犬が、ホ-ムの内側を歩いていた?・・・。

ひょっとして転落した人が右と左を間違って、自分がホ-ムの内側を歩いていると錯覚したのかも知れないとも思うが、この方は『マッサ-ジ師』という職業をもっていたことから、毎日とはいわないまでも、蕨駅を利用したことがあるだろうと思うと、こんな間違いをするとは思えない。

 盲導犬の訓練の実際は全く知らない。犬と保育士とを一緒にしているわけではないが、保育士たちの基本中の基本は、歩道がない道路では、右手で幼児の手をつないで右側通行をすることだろうことは理解している。

このことは幼児に限らず、小中学校でも教師(指導者)はいつも必ず、危険な側に位置するのが原則だと教えられているはず・・・。

 だから、犬がホ-ムに残った今回の素朴でしかも強い疑問は消えないが、犬に責任をとらせてすむ問題ではなく、体に障がいがある人にとって、駅のホ-ムという公共の場が安全であるべき環境を整えなければならないことは当り前の話。

 目の不自由な人の転落事故を防ぐためにはホームドアが効果的だが、このところ、歩きスマホや泥酔者のためにもホ-ムドアが必要だという論調が目立つのが気になる。自分の行動に全く責任を持たず、事故が起きたら、遺族が鉄道会社の安全管理責任を問うのが当り前になっている風潮はいかがなものだろう。

 ホ-ムドアの設置を進めることは必要だろうが、全国全ての駅に設置するなどできるはずがない。現在では、人間が多い都会には絶対に必要だということから、首都圏では当り前に見かける風景になったが、大都会でのホ-ムドアはただ人口が多いという理由だけの都会と田舎との差別ではという疑問は消えない。

 本物の安全は物で守られるのではなく、安全を確かめる意識を育てることだと確信している。視覚障がい者に出会ったら『何かできることはありませんか』という一声を当り前に言える世の中になればこの種の事故は激減するはず。

ところが、私も経験あるが、声のかけ方にもよるのだろうが、無言だったり無機質的な答えが返ってくることも多いことから、一度そんなことを経験すると、声をかけるべきだと思いながら、避けてしまう・・・。

そこで、視覚障がいをある方にお願いであるが、声をかけられたら遠慮なく『ありがとうございます。では、これこれをお願いします』という答えを返すという徹底した申し合わせがあればと思うのだがいかがだろう。

鉄道会社は利益を得なければ運営できないことは十分知っているが、最近はあまりにも合理化という言葉が幅を聞かせて、安全を監視したり喚起させたりする駅員がどんどん減り続け、ホ-ムに駅員がいない場合すら当り前は納得できない。

 古いと言われるかも知れないが、混雑するホ-ムには駅員を複数配置し、困っている人を見かけたら声かけをする。何よりも白状を手にして歩いている人を見かけたら、安全に電車に乗せる手配と、乗客にさりげなく『お願い』をする。

 ホ-ムドアを設置すれば絶対に安全だという錯覚に陥ることが何よりも気になる。安全のための基本中の基本である、相手を思いやる『声かけや見守り』という発想がなくなるのではという危惧は消えない・・・。(田舎親父)

2017年1月21日 (土)

雪の中での女子駅伝に思う・・・

 昨日も寒かったが、1月15日の朝の冷え込みは半端ではなかった。私は、庭の水やりに便利なように、エンビの管を使って、かなりいろいろな場所に蛇口を取り付けているのだが、その日の朝の冷え込みでエンビ管の中の水が凍りつき破裂という思いも寄らぬ事態になってしまった。

一応、元栓は締めて蛇口を開けておくという初歩的な凍結防止対策はしていたが、建物に構造に合わせてエンビ管を自己流で引っ張っているのだから、いくつもの場所に高低差ができている。このため、元栓を閉じると部分的に水が閉じ込められることになり、逃げ場の無くなった水が凍り各所のL字部分を破裂させ他というから情けない話。

すでに設置して数年過ぎているので、エンビ管その桃の老朽化も間が得られるが、同じようなことをしていた過去には一度もこのような破裂がなかったことから、この日の冷え込みはこれまでとは桁違いに強かったことは間違いない。

現在修復計画中であるが、この教訓を生かして、元栓を締めても、確実に水が逃げられるようにする工夫を考えているところ。大体の構想ができたので、明日あたりから工事にかかろうと思っている。

比較的温暖な横浜の片田舎でも、こんなことが起きるほど冷え込んだのだが、全国的には大雪警報がでるのも当然で、前夜から降り始めた雪が10cmも積もった京都では、この日、『全国都道府県対抗駅伝大会』が行われることになっていた。

もっとも行われていることを知ったのは、偶然お昼にテレビをつけた空であるが、スタ-ト地点の西京極競技場は雪が舞っていた。選手たちが走るトラック部糞は綺麗に除雪されているが競技場ですらこの雪、折返点の宝ヶ池付近では凄いのではと想像する。

アナウンサ-と解説者は、大会関係者は前夜から大変な心配だったらしいが、朝早くから関係者や大勢のボランティアが競技場はもちろん選手たちが走るコ-ス全てに渡って除雪をして準備万端整っていると話していた。

京都で育った私には見慣れた風景であるが、この雪では選手たちは苦労するのではと心配しながらも、どんなレ-スになるのかと虚実をもってテレビ観戦。凄い日に走らねばならなくなった選手たちには気の毒だが、さすが代表に選ばれた選手たちはそれぞれ力強い走りを見せている。

レース中は、時折強く雪が降り懸命に走る選手の頭に積もる。時には、視界が極端に悪くなり、後続のランナ-も確認できないほどの吹雪。我が神奈川県代表選手の健闘が目立ち、折り返しを一位で通過。これは上手くすれば・・・という期待が膨らむが、結局は後半ダウン、7位に終わった。ウ-ン残念。

優勝は京都。さすがに地の利を知っているのだろうが、アンカ-が追い上げられて、わずかの2秒差の優勝。追いこんだ岡山の選手に拍手を送る。

良かった良かったで終わったはずなのだが、翌日、トランプ氏の常套手段になっているTwitterには、悪条件の中を駆け抜けた選手を称賛する声があがる一方、同日開催予定だったが中止された『京都競馬』を引き合いに大会主催者を批判する声も多く見られたという記事に、なんでも文句を言う人が増えたものとちょっと驚く。

『大雪で競馬ですら中止なのに開催強行の女子駅伝・・・もはや虐待では?』という論調を見出しにするマスコミもあったことにもビックリ。

特に中学生を参加させたことに批判が集まっていたようだが、中学生区間が『都道府県別駅伝大会』の特色で、広島で行われる男子も中学生が参加しているはず。選考基準は窺い知れないが、代表に選ばれた中学生ランナ-には、『虐待』という意識は全くなく、むしろ、この悪天候の中で記録を作りたいという思いが大きかったと想像している。

 大会事務局(関係者)は『中止』などという選択肢は絶対になかったはず。それより、『どうすれば事故なく開催できるのか』を議論したのではと推測している。

そのために、早朝から全コ-スの除雪に力を入れたのにちがいない。京都のこのコ-スは全国高校駅伝も行われるので、京都人にとっては楽しみの一つになっていることから、大勢の人がボランティアで除雪に協力したことも想像に難くない。

 マラソンや駅伝は公道を規制して行うのだから延期という言葉はない。箱根駅伝は物凄い悪天候であっても中止という話も聞いたことはない。今回、このレ-スを中止していたらそれで今年の大会はなし。一番ガッカリするのは、この日に合わせて体調を整えてきた選手たちではないだろうか。

 『京都競馬』は中止したとあるが、こちらは基本的には『博打』であり、足場の悪さが

即、馬の順位につながり『賞金の差』になるのだから、主催者は『博打症候群』の人たちの怨嗟の声をいつまでも聞くことになる。ならば、今日のところは中止とし、後日改めて行うとなるのは当然だろう・・・。

 『馬が中止なのに人間は・・・』という批判の論理は、本質的に違うと思うのは私だけではないだろう・・・。(田舎親父)

2017年1月20日 (金)

台湾を見習いたい・・・

 台湾政府が『2025年までに原発の運転を完全に停止する』と発表したという報道に、思わず『凄い・・・』と大拍手したのはつい先日。

その記事には、『原発ゼロ』を法律に明記し、併せて電力事業を段階的に自由化し、再生可能エネルギーへの移行を図るというから素晴らしい。全ては福島原発事故に学んだのだそうだ。

東京新聞の社説によると、25年までという年限には明快な根拠があるという。台湾の原発は、第一原発から第三まで3カ所6基で、そのうち二基はすでに稼働していないのだそうだ。

 最も新しい第三原発が1985年の運転開始とあるから、すべての原発が、2025年で原発の寿命とされている『40歳』を超える計算。昨年5月に発足した蔡英文政権の英断である。

 台湾政府は、福島原発事故前までは日本の後押しもあって新しい原発を建設していたらしいが、福島原発事故が起きたことで、国民の危機感が盛り上がり、翌年大規模な反対デモが起きたことで運転延期と工事停止を決めたという。

増設は世論が許さず、寿命を終えた原発を順番に停止させ、再生可能エネルギーに置き換えていくことで、自然に原発ゼロが可能になるのだという。なるほどなるほど・・・。

3・11直後は、当時の民主党政権もこのシナリオを描いていたと思われるが、アホな政権運営と内部揉めを繰り返し自滅。復活した自民党政権は、当初こそは2030年までに原発に頼らないエネルギ-をなどと言っていたが、国民が数の力を与えたことから態度を豹変させて、こともあろうに、原発をエネルギ-確保のベ-スにすると言い出し、再稼働に躍起になっていることは今更述べるまでもない。

 台湾はわが国のようなモザイク模様と表現できるほど何枚ものプレ-トが複雑に入り混んではいないものの、プレ-トの境界付近に位置しており、過去にも何回も大地震を経験している。現在でも何時どこで起きても奇怪しくない上、四方を生みで囲まれ、原発ゴミの捨て場がないのもわが国と共通している。

 何よりも共通していることは、3・11以降は、両国の国民の圧倒的多数が脱原発を望んでいること。なのに、台湾は脱原発に成功し、日本は国民の意志とは反対に原発再稼働が進むどころか寿命の延長や、新しい原発建設が行われているのだからなんとも悲しい話である。

 台湾の総統は、民進党の党首である蔡英文という女性である。日本にも、民進党という同じ名前の政党が誕生し、蓮舫という女性が党首になっているが、こちらは本気で政権を奪う気力がないらしく、民主党政権をあっさり自民党に差し出した汚染ドジョウと呼ばれる当時の日本国首相(超A級戦犯)を幹事長に起用しているのだから助からない。

『台湾にあってこの国に欠けているものそれは、福島に学ぶ心、民意を聞く耳、そしてその民意を受けて、国民の不安を解消し、命を守ろうとする政治の意思である』と東京新聞の社説は述べているがその通り。

野党共闘で何としても現政権を倒すという強い意思しか脱原発の道はない。民進党が生きる道は野党共闘のリ-ダ-になるというはっきりした自覚だろう。

国民がどちらの方向を望んでいるのかは新潟知事選の結果を見たら明らか。民主党が東電労組を抱える連合の支援が得られないという理由で、共闘に逃げ腰ではますます自民党の一党独裁を許すことになる。

蓮舫代表には『日本の明日は私が創る』という強いリ-ダ-シップをもってほしいと願っているのだが、共産党とは相いれない・・・などと泣き言を言っているのだから、国民の期待は望み薄。  

何よりも、率先して街頭に出て、『諸悪の根源はアホベ首相だ。この男を引きずり降ろさない限り、この国の未来はない。そのためには・・・』というぐらいの力強い演説を願っているのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月19日 (木)

今になって後悔している・・・

 2020年東京オリンピックの費用が、まるで豆腐を数えるように2兆だ3兆だと天文学的に膨らんでいる。先日の発表では、『1兆8千億円を上限とする』とあるがこれはあくまで希望であってこの額で収まるとはとても思えず、終わってみればやはり3兆円超・・・なんてことも十分あり得る。

たった2週間のために、これ程の金を使い、貴重な自然環境を破壊してまで新しい施設を作るなど、貧乏老人の私にはきちがいじみた発想だとしか表現でいないが、日本人にとって『オリンピック』は神の声に聞こえるらしく、これを許してしまうから困ったもの。

当初の『コンパクト』という言葉はどこかに消えてしまい、ヨット競技(セ-リングというらしい)は神奈川、サ-フィンは千葉、自転車は静岡などというように、かなり広域で競技が行われ展開になっている。

さらに、無理につなげたのだろうが、東北復興のためにサッカ-の予選を宮城、福島原発事故の復旧が進んでいることをアピ-ルするために野球やソフトの予選を福島県内で行うという無茶苦茶な話になっているようだ。

福島原発と野球やソフトとの係わりは問題の意味が違うのでここでは論じないが、2020年東京開催が決まった直後は,必要な仮設の施設建設の費用は全て組織委員会が負担するという原則だったことから我も我もと立候補する自治体が現れた結果、このように広域開催になったと聞いている。しかし、ここにきて、費用はそれぞれの自治体で負担せよという話になりそうな雰囲気に、自治体の組長さんたちは真っ青になっているようだ。

前からこのような動きはあったらしいが、実際に形に見えてきたのは去年の暮れに組織委が出した、『仮設には2800億円かかり、組織委は800億円を負担する』と発表したことからのようだ。

この数値もどこから出したのかはっきりしないとなると、2800億がいつの間にか5000億になることもあり得る。が、いくら増えたとしても組織委としては800億円が限度だよという宣言に等しいのでは・・・。

 サッカ-の予選会場になる仙台の競技場がある宮城県の組長さんは、その必要な整備費を県独自に試算したところ、照明や芝生、バリアフリーなどに25億~30億円が必要だと発言した上で、『その中でオリンピック後に撤去するものやオリンピックだけに使うものが出てくる。県がそれを負担するのは筋が通らない』と主張したという。

 仙台の競技場は予選の何試合だけを受け持つだけ。そのために、大改造が必要なこともバカバカしい話だが、知事としてはたとえ予選でも他のスタジアムにはるかに劣るとは言われたくないので、このような試算をはじいたのだろう。

 予選会場でこれなら、準決勝や決勝が行われる首都圏の埼玉や神奈川は、人件費も宮城県より大幅に割高になるだろうことなどから、同じ程度の改装だとしても30億円は確実に超えるのでは・・・。これでは県民を納得させられないのは当り前。

 宮城県知事の主張に対して、組織委のシンキロウ親分は『宮城県でのサッカー開催は都が決めたことだから、組織委に文句を言われるのはちょっと筋が違う。組織委には全く関係ない』とどこ吹く風というからなんともこの男らしい無責任な発言である。宮城県知事が怒るのも無理はない。

 私の住む近くにある収容人数が8万人とも言われている『ニッサンスタシアム』では、現在でも国際的なサッカ-試合が行われているのだから、なにもオリンピックだといって改装する必要はないと思うのだがいかがだろう。これは埼玉スタシアムも同じこと・・・。

我も我もと手を挙げた手前、今更『お断り』は難しいのなら、一切改装しないという立場を共通にすれば良い。組織委が国際的に恥をかくと文句を言うなら、それはそれで『どうぞ恥をかいてください・・・』と返せば良いこと。その度胸が組長さんにあるかだけだろう。

全ては組長さん次第だが、サッカ-や野球(福島の問題は別)などは既存の施設を改装なしで使えば何とかなりそうだが、セ-リングやサ-フィンとなると話はややこしくなる。

さて、この話題の行方は?・・・。(田舎親父)

2017年1月18日 (水)

同じ事故が繰り返される・・・

 サッカ-ゴ-ルの下敷きで児童生徒が死亡する事故の記事は、これまで何度読まされたことか。確かにあの重いゴ-ルの下敷きになったら、一瞬で気絶し、そのまま呼吸困難になることは想像に難くないが、繰り返されるのは何故なのだろう。

 つい先日の話である。小学4年の男児が体育の授業中にハンドボ-ルのゴ-ルの下敷きになんて死亡したという記事に、『エッ、ハンドボ-ル・・・』と我が耳を疑った。サッカ-ゴ-ルならばわかるが、ハンドボ-ルのゴ-ルの下敷きとは理解に苦しむ。

 気になったので、このニュ-スを放映したNHKの記事を見直してみた。そこには、実際に使われたゴ-ルと思われる映像があったが、背景などから判断すると、校庭に常時固定されているサッカ-ゴ-ルのような気がするのだが・・・。

 記事には、教育委員会の話として、当時、校庭では4つのゴールを使い授業を進めていたという。このうち3つは、くいなどで固定されていたが、倒れてきたゴールは固定されていなかったとある。

これが間違ってないとすると、この小学校は校庭に4つのゴ-ルを決まった位置においていることになる。小学校でハンドボ-ルのためにゴ-ルを固定しているとはまず考えられないことからサッカ-ゴ-ルゴ-ルであることは間違いなさそうだ。

それ以前に、4年生でハンドボ-ルの試合という文言も気になる。指導要領にはハンドボ-ルという言葉が掲載されているので授業で試合をしても奇怪しくはないが、私の経験からは、ハンドボ-ルは体育館で児童でも持ち運びができる軽量のゴ-ルというイメ-ジが強く、屋外の固定されたサッカ-ゴ-ル?を使ってというのが腑に落ちない。

それはともかく、高校生ならば理解できるが、小学4年生の男児がぶら下がった程度で倒れるものなのだろうかという疑問も消えないが、このゴ-ルに限って、固定していた杭がなかったというのがもっと気になること・・・。

記事は続く。学校側はゴールの固定状況を含めた学校の設備について毎月、点検することになっていたが、去年10月を最後に点検していなかったとある。ということは、2ケ月の間に誰かが意識的に杭を抜いたことになる?・・・。

警察は事故当時の状況や学校側の安全管理の状況などを詳しく調べているという。常識的には学校(校長や教員)が抜くことは考えられないことから、例えば町内の餅つきなど行う際に邪魔になるので、ゴ-ルを移動したこともあり得るのではないだろうか。

10月を最後に点検しなかった学校の管理責任を問われても仕方ないが、サッカ-ゴ-ルの杭が抜けているなどとは誰が像像できるだろう。町内の行事に、校長はじめ教員が出席して、杭を抜いたとしたら間違いなく杭は元通り打ち込み固定したはずだと信じたい。

このような事故が起きると、即、学校の管理責任が問われることになるのがこれまでの常識だが、警察は『杭が抜けていた』ことは全て学校の落ち度と決めつけないで、十分でしかも慎重な捜査を願いたいものである。

このような事故が起きると、文科省はじめ教育委員会は一片の『危険防止について』という通達で、学校に全ての責任を押しつけるのが常。しかし、教員は授業を進める上ではプロだろうが、安全管理には素人であり、サッカ-を行う上でゴ-ルが完全に固定されているか調べたうえで、授業をはじめるなどはほぼ100%ないのが私の経験でも断言できる。

 強風や子どもがぶら下がった拍子にゴールが倒れ下敷きとなる事故は、この10年で全国で少なくとも7件起きているという。その全ては、ゴ-ルが安定に固定されているかどうかを確認さえしていれば防げた事故である。

文科省や教育委員会は、一片の通達で済ませるのではなく、具体的な方策を行わねば今後も、ゴ-ルが倒れるという事故は繰り返されることは間違いないところ。

施設管理の専門家というと大袈裟だか、月に一度程、小中高校にゴ-ルの固定を確認する人員(たった一人)を派遣すれば、この種の事故は確実に無くなることは明らか。

再任用の校長や教員をその任に当たらせることは十分可能だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月17日 (火)

オリンピッック症候群を利用・・・

 圧倒的多くの日本人が『オリンピック症候群』というなんとも奇妙奇天烈な病気に犯されていることを良いことに、カネ儲け命の輩がさまざまなサギ的な行為を働いている。

金銭的なサギならば、個人の努力で元に戻すことができるが、制度的な詐欺となると一代や二代、下手すると末代までその負の遺産を受け継ぐことになることは少し考えればわかること。

今日も変な書き出しになったが、アホへが画策している『この法案がなければオリンピックは開けない』という『テロ等組織犯罪準備罪』という法案を今国会で強引に成立させようと企んでいる話である。

『・・・準備罪』となんとも分かりにくい名前をつけているが、これまで何度も廃案になった、反社会的?な話をしているだけでもしょぴかゃるという『共謀罪(戦前の治安維持法だろう)』という絶対に世の中にあってはならない法律である。

アホベはこの法案は『テロ防止』には欠かせないと主張し、こともあろうに、『この法案を成立させないとオリンピックが開けない』とはチャンチャラ奇怪しい限りであるが、自民党に集まる輩は、親分の命令を何も考えることなく『ハイ わかりました』とばかり、数の力で悪法を次々成立させていることから、オリンピック云々の発言をアホカで済ませられることでなさそうだ。

IOCの役員たちを札束横っ面作戦で懐柔したことに加えて、『世界でもっとも治安が良い都市は東京だ・・・』というで殺し文句でオリンピックを誘致したことは、誰の目にも明らかなのに、(マスコミが真実を報じないので)世論が『オリンピック症候群』に罹患しているとなると、『オリンピック』という言葉を出せばなんでもまかり通ってしまうのが悲しいことながら現実である。

『オリンピックはテロの標的になる』とは、オリンピックも随分悪者にされたもの。ならば、テロが起きる可能性があるオリンピックなど開かなければ良いだけなのに、このあたりの風を読んだ発言にちがいない。

それにしてもよくもこれだけ恥ずかしいことを言えるものと呆れる限りである。この男のウソで固めたレベルの低い発言は今に始まったわけではないが、今回はトップクラス。その超がつくほどレベルの低い発言が現在の日本では通用してしまうことが限りなく情けない。しかも、これが一番恐ろしいことであるが・・・。
 繰り返すが、名前を変えているが、集まって反社会的な謀議をするだけで拘束できるという戦前の『治安維持法』と本質的に同じもの。

反社会的という言葉は、時の権力が『是』でありそれに対して批判することが『反社会的』であり、『否』であることはいうまでもない。以前、『国会前のデモもテロだ』と発言した閣僚がいたが、この一言が全てを言い表している。

デモを『うるさい』と表現した閣僚もいるが、これらの輩たちの発想は自分たち(権力側に立つ者)への批判は許せない。批判そのものがテロがという思考回路をもっているようだ。

誰かの言葉をかりれば、サラリーマンが居酒屋談議で『あの課長のやることはけしからん。殺したくなる・・・』と話しただけで、逮捕される可能性があるほど危険な法案であることは、私が解説するまでもない。

今回は政府の御用機関に成り下がったマスコミでさえ、この法案を『共謀罪』と報じていることは、いかに危険なものであるかを認識するジャ-ナリズム精神が少しは残っているからだろう。

ならば、自らの首を締めるこの法案に対して、はっきりと反対の立場で、国民にわかりやすい文言で危ないことを知らせてほしいもの。

加えて、こんな危険な法案がなければオリンピックが開けないのなら、この際、返上するべきだという一文があれば申し分ないのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月16日 (月)

トランプ対メディアの戦い・・・

 先週、次期大統領のトランプ氏が、当選後始めての開いた記者会見の様子をテレビ各局がニュ-ス番組で放映していた。

当然生中継ではなく、番組の時間を限っての放映なので、全体像は窺い知れないが、前半のトランプ氏自身の演説はいつも通り『アメリカ第一』の繰り返し。しかし後半の記者の質問を受ける段になると、会場の雰囲気は全く違ってきたことがテレビの画面を通して伝わってくる。

 最前列にいた記者(後で大手メディアCNNのホワイトハウス担当のジム・アコスタ氏だと知る)が挙手して発言を求めると,『あなたじゃない』と遮って他のメディアの記者を当てようとしていた。

もちろん、英語は理解できない私には字幕の日本語がたよりだが、雰囲気的には『あなた』というより『お前』という日本語訳の方が相応しい感じ。さらに、アコスア記者が立ち上がって発言の機会を求めると、『静かにしなさい・・・』と発言を遮る。トランプ氏の口元を見ると、どうやら『黙れ(シャラップ)』と怒鳴っていたような感じを受けることから、かなり興奮していたことがうかがえる。

私はその映像を見て、アメリカ人はよりにもよって、一番大統領に相応しくない人物を選んだものだと感じる。トランプ氏がこの会見で、大統領選でのロシアのサイバ-関与を認めたというから、共和党の候補者選出時点から、背景にロシアのアメリカの世論操作があったことをうかがわせる。

アメリカが今回の大統領選挙を無効としない限り、後数日でトランプ大統領が宣誓をして誕生。絶大な権力が付与されるとなると、将来を憂いるアメリカ国民はいっそうの敗北感を味わうのではないだろうかと気の毒になる。もっとも、その気の毒さ加減は、現在の日本国民には及ばないだろうが・・・。

 それはさておき、何故トランプ氏がCNNの記者の発言を、強引にしかも常識破りのような強権で封じたのかが不思議に思い。それに関する情報をネットで集める。

 すると、アメリカ国内でトランプ次期大統領がロシアの情報機関に弱みを握られたという情報が流れて大騒ぎになっており、その情報源がCNNだということで、トランプ氏が記者会見であれ程までにアコスタ氏に発言をさせなかったというサイトにヒットする。

 そのサイトには、トランプ氏は数年前にロシアのホテルで、その筋の女性を集めて乱痴気騒ぎを起こしたという文面があり、しかも、その一部始終が何者かによってビデオで撮られていることから、トランプ氏はその火消しに躍起になっているとある。

 さらに、今回のロシアの大統領選挙に対するサイバ-攻撃の情報をつかんだのが、アメリカの中央情報局(CAI)や連邦捜査局(FBI)であり、これがきっかけにトランプ氏の醜聞が明らかになったことも掲載している。CNNが何らかのル-トで、この秘密文書を入手したのだそうだから、スパイ映画を見ているような展開である。

CNNはその真偽を見定めるために検証していたところだったが、アメリカの大衆ニュースサイト『バズフィード社』にその一部が流れ、そのまま公開したから大変な騒ぎに発展しているのだという。

俄には信じられない話だが、トランプ氏が大統領選挙でのロシアの関与とその背後にはプ-チン大統領が存在することも認めたとなると、あながち荒唐無稽な話で済まされる問題では無さそうだ。

さらに、これらの情報は、イギリスの対外情報部(MI6)からでたもので、西側同盟国の分断を狙うロシアは、少なくとも5年以上にわたってトランプ氏を支援していたことに加えて、その過程で、トランプ氏の個人的な『強迫観念』と『性的倒錯』に関する情報を掴んだというから、これが事実だったことが明らかになったら致命的。下手すると任期途中で大統領を辞任するということにもなりかねない。

 これらの情報が一部であっても真実だとしたら、トランプ氏はプーチン大統領が周到に仕立てた操り人形となる可能性は大きい。先日の来日で、アホベを手玉とった行動からもプ-チンという人物の凄さに戦慄する。

 アメリカのメディアは、一社が凄い情報を得て政権を揺さぶったとしても、時の権力にすり寄って事実を消し去ったり無視する日本のマスコミとは違うのだそうだから、アコスタ氏にとったトランプ氏の行動は、今後ブ-メランのように自分を襲うのではないだろうか。

実際に、CNNのライバル局であり保守的なFOXニュースのキャスターが、番組内でCNNを擁護し、権力者のジャーナリストに対する攻撃を許さないという姿勢を明らかにしたそうだから、トランプ対メディアの戦いは楽しみになってくる。

日本のマスコミ各紙各局は、FOXニュ-スのキャスタ-の爪のあかでも煎じて飲んでほしいもの・・・。(田舎親父)

2017年1月14日 (土)

美談仕立てで医師の確保?・・・

 福島原発事故の避難命令が出されている地域で唯一医療を続けていた広野町『高野病院』の81歳の院長が亡くなったのは昨年の末。

この院長は、生前メディアのインタビュ-を受けて、『何も大袈裟なことではない。逃げるに逃げられない入院患者が多かったことから、その人たちを医師として見捨てることができなかっただけ・・・』と語っていたことに、『凄い医師がいるものだ』と感心したことがずっと頭に残っている。

ただ、あの高濃度の放射線の中、残って医療を続けて良いのだろうか?・・・という素朴な疑問が消えず、『尊敬と疑問』という相反する価値観が私の中で葛藤し続け、それは今も続いている。

話は変わるが、現政権は内外に原発事故は収束しつつあるというメ-セ-ジを発するために、除染が進み放射線の値が下がり、生活する上で安全性が確保された(間違いなくウソだろう)として無理にでも住民を帰還させる政策をとり続けててる。

去年の10月、自分の眼で確かめたいために帰還困難地区周辺を走り、車内からではあるが、除染した土などが入っていると思われる黒いビニ-ルが大量に並べられ、その上をグリ-ンのシ-トで覆っている光景に衝撃を受けたことはすでにつぶやいたこと。

その数がまりにも多いことにビックリ、こんな環境の下でも生活している人たちが存在し、中には家の新築現場もあることを目の当たりにして、改めて、大丈夫なのだろうかと、疑問を口にしたが、あれから3ケ月過ぎた現在でも、黒と緑の面積は増え続けていると聞くと、まだまだ安心して住むにはほど遠いことだけは間違いない。

そんな私の思いなどこ吹く風で、政府は今春、事故原発周辺の富岡町と飯舘村の大部分で、年間の放射線量が20ミリシ-ベルト以下になったことを理由にして、避難指示を解除する方針だという。加えて、浪江町も一部が近く解除される見通しだと報じられている。

故郷を追われて避難生活を余儀なくされている人々はできれば帰還したいと望んでいるだろうことは想像に難くないが、帰りたいとは思いながらも、子どものためにはもう少し様子を見たいと思う人たちも多いはず。事実、避難解除となった地域に戻る住民の殆どが高齢者であることは、多くのメディアが繰り返し伝えていること。

高齢者に限らず地域住民にとっては生活環境(インフラ)が整っていなければ、日常生活に支障がきたすことは当り前で、特に、高齢者が暮らすためには、医療の整備が必定だろうが、国は解除を宣言するための医療環境を整備しているとはとても思えない。

私が走り回った範囲では、比較的大勢の人が集まっていた『浪江町マルシエ』がある浪江町役場の近くに病院(浪江町病院?)の看板があったのが唯一で、他の集落には医療機関を思わせる建物は見られなかったことから、人が住めるという意味での復旧とは言い難いのでは・・・。

 話は戻すが、避難命令が出された地域でたった一つ医療業務を続けていた高野病院の院長は残りたくて残ったわけではなく、入院患者が避難に耐えられなかったからだと語っているように、他の医療機関は避難したのは批判できるはずがない。医師といえど放射線は怖いはず。いや医師だから放射線には知識が深く、たとえ避難解除がなされたとしても、すぐに戻る決心などできるはずがないのは明らか。

 このことは、福島県が昨年9月に公表した医療復興計画によると、双葉郡内の八町村では原発事故前の11年3月1日現在で、6つの病院が診療活動をし、常勤医は39人いたのだが、一昨年12月には、病院は高野病院だけ、常勤医は高野院長一人だけという記事で良く分かる。

 高野院長が亡くなったことで常任医はゼロ。県と国は、今までは個人病院の経営の支援はできないとの方針を変えて全面的に支援すると表明しているという。支援とは病院の存続ということだろう。存続のためには常勤医の確保が必定だが、病院というハコモノを作るのは簡単だが、『お前行ってこい・・・』という命令一本で確保できるような簡単な問題ではない。

先日の新聞記事では、東京都立病院の医師が、高野院長の意志としての矜持に感銘して志願したというが、実際に赴任するのは2~3月だけというから将来的な常勤につながるかはまだ未定・・・。

県と国は、無理にでも帰還させた住民の医療帰還の確保は、今後の政策を進める上でも緊急案件なだけに、高野病院の話題はよほど魅力があるらしく、亡くなった老院長の意思を高く評価することで、常勤の意思の確保につなげたいという思惑が垣間見られる。

原発事故から間もなく満6年。関心が薄れ、多くの国民は遠い出来事のように感じているだろうことは想像に難くない。

私は、院長は自らの死をもって『原発事故は終わっていない』ことを訴えているように感じてならない。院長の死を美談仕立てにして病院の存続をさせることは、院長の意志とは明らかに異なり許されることではないと叫びたい。

国が真っ先にやらねばならないことは、住民を帰還させる以上(安心して生活できるためにも)医師自身が安全だと確信できるデ-タを示し、納得して常勤医師として赴任する環境を整えることだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月13日 (金)

神を冒涜する人体実験?・・・

 最近は臓器移植が当り前になったらしく、マスコミはあまりこの種の話題を取り上げなくなったような気がしていたが、つい先日,病気で子宮がない女性に第三者の子宮を移植する臨床研究を、慶応大などのチームが今年中にも学内の倫理委員会に申請するという記事に、ついにここまで来たのか・・・と何ともいえない恐ろしい予感を覚える。

 臓器移植は、以前は外国での手術しか道がなかったらしいが、いつごろからかは記憶はないが、日本でも可能になり、提供者が現れるたびに臓器移植が行われるようになっていることはマスコミ報道で知っている。

脳死になった本人が、生前に臓器移植を受け入れる意思をはっきりさせていた場合や、保護者や親権者が、本人が生前提供者になることを承知していたと確認し、移植に同意した場合に取り出した臓器を全国で順番待ちの人に移植されると聞いている。

確か『日本臓器ネットワ-ク』という組織がその窓口になっているのではなかっただろうか。そこに登録している人たちは、重い病気で臓器移植しか方法がないことは十分理解しているので、今回は臓器移植や『日本臓器ネットワ-ク』には触れることは避けたいが、子宮移植はこれらの臓器移植とは全く範疇が異なる。

 記事にもあるが、臓器移植しか生命を維持する方法がない場合と違って、子宮移植は出産することが目的である。確かに、生きたいと切望する人があるように、子どもを産みたいという思う人はいるだろう。しかし、『生きたい』ということと『子どもを産みたい』という願望心理を同等に扱って良いものだろうか・・・という素朴な疑問が頭をよぎる。

 記事によると、慶応大が出した計画の申請書には、生まれつき子宮がない『ロキタンスキー症候群』の女性が対象だという。医学には全く知識がない私には、当然ながら始めて聞く病名。それ以前に、子宮がない女性が存在していることすら知らなかった。

 母親や親族など出産を終えて子宮を必要としない?年配の女性から子宮の提供を受けて3年間で5人程度の移植を目指すのだそうだ。

移植を受けた女性は、体外受精させた夫婦の受精卵を子宮に入れることで妊娠、出産が期待できるとのことだが、生まれてくに子どもは、たとえ血縁関係がある夫婦の受精卵であっても、倫理的に考えさせられることが多過ぎる。

いやむしろ、親戚筋となると生まれる子どもとの関係は、かえって難しくなるのではなるのだろうか。自分の子どもとして育てるとしたら、受精卵の提供者は秘密にするとも聞いているが、今後、親子の間の起きるだろうと予測されるさまざまな問題を、誰が解決できるのだろう。移植した医師たちはその責任をとれるはずがない。

 子どもを産みたいという願望は理解できないではないが、子どもを産みたくないという女性も大勢存在し、その要望を実践するのも本人の勝手だというご時世。本人の産みたいという要望だけで、に、医師が実験的に5人を選んで移植するということ事態、(以前にもつぶやいたことがあるが)命の誕生は『神の領域』だと思っている私には到底納得できる話ではないのだが・・・。

さらに、慶応大のチームは2013年に、一度摘出した子宮を再移植したサルが出産に成功したと発表しているという文面が気になる。

そのまま解釈すると、『子宮移植だけのため』に、大人のメスザルの子宮を取り出し、その子宮を(時間軸は不明ながら)同じサルに移植し、体外受精させた受精卵を移植した子宮に着床させて出産させたということだろう。

実験のためとはいえ、サルにこんなことをして許されるのだろうが。ネコやイヌを蹴飛ばしただけでも、動物虐待だと非難される時代。命を玩具にしているようなこんな実験は倫理的に許されるとは思えない。そして、サルで成功したから今度は人間に・・・とは何とも神を冒涜する話ではないだろうか。

まさかまさかまさかの想像であるが、慶応大のチ-ムは、サルの子宮の中に、人間の受精卵を入れて、人間として命を作り出すということを視野に入れている?・・・。

絶対に国民には知らされない『人間を増やせる研究』に莫大な懸賞金がかけられ、いくつかのチ-ムが飛びついている最中で、その一つが今回の慶応大の反応ではという恐ろしい想像もチラつくのだが・・・。(田舎親父)

2017年1月12日 (木)

素直に謝ることから・・・

『韓国併合(日韓併合)』という言葉は小学生の社会科の教科書にも既述されていたと記憶している。私の乏しい知識でも、この言葉が持つ意味は、日本が武力で韓国を制圧し、完全に植民地にしたことだと理解している。

1910年(明治43)のことであり、以後、『朝鮮総督府』という役所をおいて1945年(昭和20)の日本の敗戦まで支配し、日本語を『国語』として使うことを強要したことに加えて、韓国の人たちを徴用し、日本人が嫌がる労働に従事させたことは歴史が照明している。

韓国の女性を『従軍慰安婦』として、外地の戦場に送り込んだことに対して韓国の国民の怒りは激しく、その象徴として『慰安婦像』を日本大使館前に設置し、日本に対して謝罪を求めていることは知識として知っている。

日本政府は、この像のことを『少女像』と表現することをマスコミに強要しているのだろうが、日本国内ではこの言葉がこく普通に使われているのも変な話。正式な謝罪をしない日本政府に対して、韓国の人たちはこの像を世界に広げる運動を繰り広げ、アメリカにも何体か設置されていると聞いている。

そのことはさておき、歴代の日本政府は旧日本軍が韓国女性を、戦場に送り出し『性奴隷』としたことを絶対に認めたくないことから、韓国の民衆の不信感が高まり日韓の複雑な外交問題の根本的な原因になっていることは間違いない。

現政権は、何としても大使館前におかれた慰安婦像を撤去させたいために、アメリカの後押しで10億円を出資して、元慰安婦の女性のために用いる資金にするという約束を韓国と取り交わしたのが一昨年の年末。

ところが、韓国政府は民衆の抵抗が激しいので撤去することができず、さらに朴政権は違う問題で完全に死に体になっていることから、(何故、椅子に座った姿なのかわからないが)韓国の民衆が新たな像を釜山の日本総領事館前の道路に設置したことから、騒ぎが大きくなったようだ。

当初は、釜山の行政は撤去する姿勢を構えていたが、民衆の怒りにあってあっさり設置を認め、韓国政府も指導力を失っていることから、一昨年暮れの、慰安婦問題に関する不可逆合意?が崩れる可能性がでてきたことで、現政権は怒り狂い外交的圧力をかける展開になっている。

 当時を思い出してみると、難行していた交渉が、たった10億円(政治感覚ではゴミのような金額)で合意したのも良く分からない話。しかし、アメリカが介在していることは明白な事実となると絶対に知られてはならないような裏取引で、朴大統領も仕方なくうなずいたという筋書きではないだろうか。

 間もなく朴大統領は失脚すると言われている。となると、この問題で朴大統領が日本と取り決めた背景が白日にさらされたら、韓国民の怒りはますます大きくなり、韓国世論がこの約束事を白紙に戻そうとするのは当然の成り行きだろう。

日本人の私でからみても何故こんな金額で韓国政府が納得したのかわからないのだから、長い屈辱的な植民地としての虐げられた歴史を持つ韓国の民衆が理解できるはずはない。

今回、韓国に対するアホベ政権の圧力は半端ではなさそうだが、韓国政府がいくら困ったとしても、民衆の怒りが沸点に近づいているので、ソウルに加えて釜山に設置された2体の『慰安婦像』を取り除ける可能性は限りなくゼロ・・・。

こんなことを思っていると、韓国の弁護士団体『民主社会のための弁護士会』の代表弁護士が韓国外交部を相手取り、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる2015年末の韓日合意の交渉に関する文書の一部を公開するよう求めた訴訟で、ソウル行政裁判所が文書を公開するよう言い渡したという記事がネットに流れた。

判決が確定すると、外交部は日本との交渉で、慰安婦を日本軍と官憲が強制連行を認めるかどうかを協議した文書を公開しなければならないというから、これは面白くなりそうだ。

現在の朴政権にいくら圧力をかけても、死に体に陥っているとなると国民の怒りを静められないのだから意味がない。特に、韓国の若者たちの怒りが凄まじいというから、たとえ大統領が後退したとしても収まる問題ではなさそうだ。

 今回のアホベ政権の圧力は、どう考えてもピントはずれ。裁判で、ことの真相が少しでも明らかになったら、世界からアホカと言われるのは避けられないのでは・・・。 

 全くの政治音痴な私なので、外交問題など語るなどおこがましいが、今回の圧力で、日韓関係は冷えきるのは間違いないだろう。

圧力をかけても撤去できないことは明らかとなると、振りかざした拳を降ろすために、10億円は元慰安婦の人たちへの補償である明言し、もう一度話し合う場を作ることしか方法がなさそうだ。

国として、間違いを認めることは勇気がいることかも知れない。しかし、認めなければこの像は、ずっと日本大使館と総領事館の前で、日本に対して無言の圧力をかける像として、『世界遺産』になることもあり得ない話ではない。

 さて、どのような展開になるのだろう。何もできない私としては、無責任ながらしばらくは高見の見物を決めて見守るしかなさそうだ・・・。(田舎親父)

2017年1月11日 (水)

いよいよトランプ政権の始まり・・・

 『アメリカが第一』というキャッチフレ-ズが、アメリカの比較的貧しい白人層にとっては、トランプなら勝ち組の仲間入りが可能かも・・・という幻想を生み、予想を覆して共和党の大統領候補になり、民主党の対抗馬がどちらかといえば人気がないヒラリ-という女性(今まで女性の大統領は選ばれたことがない)だったことから、ついに大統領という椅子を獲得したトランプ政権がいよいよ始まる。

この御仁は、とにかく凄腕であることは間違いない。メキシコとの国境に高い壁を作ると宣言している。実際にこんな壁はできるはずがないだろうと思っていたが、アメリカ大統領という権限は際限がないらしいことを思い知らされる報道が続いている。

まだ就任前であるので、実際に法に則ったものではないのだろうが、アメリカ国外内の企業に対して、直接あるいはツイッタ-で思いを語るという手段でメキシコとの国境に壁を作りはじめている。

 アメリカの人件費は世界に類を見ないほど高額だという。比べて隣国のメキシコの人件費は、アジアの国々と変わらないとなると、企業としてはアメリカで製造するよりメキシコで作った方が格段に安くなることは、超がつく経済音痴の私でもわかる理屈。 

実際に、アメリカの自動車大手、フォード・モーターが、メキシコでの工場新設計画を進めていたらしいが、『メキシコから輸入する車には高率の関税を設定する』という脅しに白旗を挙げて、メキシコで工場設立を断念したという報道があったのは昨年暮れのこと。

このことに気をよくしたらしく、もう一つの大手自動車会社のゼネラル・モーターズにも、アメリカで生産するように迫り、つい最近、ゼネラル・モ-タ-ズも、その意に沿ってメキシコへの進出を断念したようだとも報じられている。

そしてついに、今度はわが国の自動車業界トップのトヨタが、メキシコで新しい工場を建設していることに対して、ツイッタ-で『メキシコで生産した自動車には34%の関税をつける』と発言したところ、翌日の市場は大混乱。トヨタをはじめニッサン・ホンダ・マツダという大手の自動車会社の株が急落するという事態になった記憶は生々しい。

トヨタは焦ったにちがいない。が、豊田社長は記者会見では、表面上は実に冷静に,『基本的には、方針は変えない』と発言している映像に、『やるじゃないか・・・』と思わず拍手したものだが、いつまで持つのかとひやひやしながら見守っているところ・・・。

トヨタの社長がメキシコから撤退しないと発言したことがトランプの自尊心を傷つけたらしく、トランプはさらに発言を硬化させたことを受けて、豊田社長はこれ以上ケンカは拙いと思ったのだろう、『トヨタはアメリカの雇用を守る。それを理解してもらえると信じている。そのことで大統領と協力することを楽しみにしている』と返したというから、なかなかの肝っ玉と、さらなる大拍手。

実際に、トヨタはアメリカに工場を持ち、13万人ものアメリカ人の雇用を確保しているという。アメリカの工場をメキシコに移すという話ではなく、メキシコに新たな工場を作るのだから、話せばわかるというところなのだろう。実に大人の対応である。さらに、今後5年間で、1兆円を投資すると発言していることから、カネに対する嗅覚が鋭いトランプも少し態度を軟化させるのでは・・・。

トヨタは自らの経営判断を貫いてほしいが、一社でアメリカの大統領に抵抗するのは容易ではない。ここは、現政権は何をおいても自国の産業を守る意味でも、トランプに対して、せめて『それはないだろう・・・』ぐらいのコメントがあって良いはずなのに、官房長官は『まだ就任前で、コメントは控えたい』とのこと。

この男は、大統領選挙からわずか9日後に、オバマよりもトランプだとばかり、いそいそと押しかけて、『信頼できる指導者だと確信した』と述べていたのは、『自分の親分』だったことを忘れたのだろうか。何とも情けなく国際的に恥ずかしい限りである。

経産相に至っては、『民間企業の問題』と無責任極まりない。『政府として伝えるべきことがあれば伝えるが政権が発足してから検討したい』というから、始めからアメリカさまには従いますという意思がミエミエ・・・。

 トランプの恫喝に、哲学を持つトヨタの社長に対して、大統領当選が決まると、世界の指導者の誰よりも早くトランプに跪くために出かけたのは、わが国のアホベ首相閣下だったことを忘れてはならない。

一企業の社長と日本国首相との人間の大きさと質の違いを実感する。できれば、一国民としては、首相と社長を即取り替えたいところだが、トヨタの関係者は『御免蒙りたい』と言うことは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2017年1月10日 (火)

定義変更のホンネは?・・・

新年早々、高齢者という言葉の定義を変更するという記事に目が留まる。

『日本老年学会』という学会(どんな分野でも学会という組織?があるものだと感心するが)が、現在は65歳以上とされている『高齢者』の定義を75歳以上に見直し、前期高齢者の65~74歳は『准高齢者』として社会の支え手と捉え直すよう求める提言を発表したそうだ。

医療の進歩や生活環境の改善により、10年前に比べ身体の働きや知的能力が5~10歳は若返っていると判断したことに加えて、活発な社会活動が可能な人が大多数を占める70歳前後の人たちの活躍が、明るく活力ある高齢化社会につながるという理由を挙げている。

朝日新聞の『天声人語』によれば、この学会の発表資料に登場したのが『サザエさん』の父『波平』さんは、昭和20年代にマンガの連載が始まった時の設定は54歳だったのだそうだ。確かに、かつおつ君とわかめちゃんという二人の孫を持つおじいちゃんとして描かれているところから、現在の雰囲気からは75歳前後というところか。

このことが見直しの議論のきっかけになったことはうなずけるが、このところ、『有識者会議』という言葉と、この輩が提言することが全て政治に利用されていることから、『ハイそうしましょう・・・』と納得する気にはならならない。

学会は、年金支給年齢の引き上げなど社会保障制度の見直しに関しては『国民の幅広い議論が必要だ』と強調しているらしいが、この提言のまとめ役の学者は、『高齢者に対する意識を変え、社会参加を促すきっかけになってほしい』と述べていることから、制度の見直しを前提にしている臭いは隠しきれない。

私のうがった見方であるが、一つは、現行の高齢者の定義では、75歳以上を『後期高齢者』としているが、高齢者を中心に『早く死ねというように聞こえる』と悪評紛々であることから、この言葉を言い換えたいということではないだろうか。

単に『高齢者』を75歳以上に引き上げるとすれば、年金支給を75歳にしたいからでは・・・と国民がさ騒ぎ出すのはミエミエなので、65歳~74歳を『准高齢者』という大学の准教授を参考にして新しい言葉を作ると同時に、90歳以上『超高齢者』とし、高齢者を3つに分けたのでは・・・。

そして、ホンネは、65歳以上を『支えられる側』として設計されている社会保障や雇用制度の在り方の見直しだろうとすると、何となく筋書きがはっきりしてくる。

 現在では、誰も『サザエさん』の父親の波平さんを54歳とは思わず、75歳と言われてもなるほどと納得する。当時と比べて、生物学的な年齢が5~10歳若返っていることは私でも認めるところ。

知能を司る仕事でも、世代的には40代から50代に変化していることも理解できる。歯医者の統計でも、残った歯の数も同一年齢で比べると年々増える傾向にあり、60代で死亡する人がほとんどいなくなり、75歳でも若いねえ・・と言われる時代。

さらに、いろいろな世論調査でも、65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が大半であることも事実であることから、今回の学会の提言には反論しにくい雰囲気があることもあって、案外すんなり受け入れられる恐れがある。

しかし、総務省の推計によると、65歳以上は約3400万人で人口の約27%であるが、高齢者を75歳以上とした場合は約13%に半減するという事実を簡単に見逃すと大変なことになりそうだ。

提言の『准高齢者』は、仕事やボランティアなど社会に参加しながら、病気の予防に取り組み、高齢期に備える時期としているという文面は、年金が支給されなくても仕事ができる年代だという含みがありそうだ。

 『准高齢者』という言葉がやがて『准教授』のように、働き盛りのようなイメ-ジが定着すれば、当然ながら、年金なんて当然要らないよね・・・という雰囲気が生まれるのは間違いないところ。

 13%ならば今の枠内ですむというのが、政府の偽りのない隠された真実だとしたら、この高齢者の定義の変更は危ない意味を持つ。

 ただ、先日もつぶやいたが、生まれる子どもの数が、たった50年で半分になり、寿命がますます伸びてくるとなると、75歳以上の『新定義の高齢者』が増え続け、近い将来年金支給が75歳以上となるのは必定で、『高齢者』の称号が90歳以上ということもあり得ない話ではなさそうだ。

 私も今年で74歳。自分では十分『高齢者(貧乏年寄り)』であることを自覚しているが、新定義では、バリバリの准教授ならぬ准高齢者。仙人的生活などと言っていた、どこからか石が飛んできそうな気配すら感じる。

そんな恐ろしい世の中にならないうちに、ある日突然姿を消せれば幸いだと思っているが、できれば、その日がこの世のお終いであることを願っているのだか・・・。(田舎親父)

2017年1月 7日 (土)

たった50年で半分か・・・

 思わず『たった50年で半分か・・・』とつぶやいてしまった。わが国で生まれる子どもの数である。

 私は、ほぼ50年前の、1964(昭和39)年3月富士通を退社して、奇跡的にその年の4月に横浜国大に入学できたのだが、入学式での学長の祝辞の内容はほとんど覚えていないのに、何故か『君たちの同じ年代は200万人・・・』という言葉が鮮明な記憶として残っている。

実際には、1943(昭和18)年生まれの人はおよそ210万人で、この数字は、太平洋戦争の真っ只中ということもあって、若い男性は赤紙で戦場に招集されていたことから、数年後に比べてさほど多くないことも後で知るところ。

敗戦で、一挙に若い男性兵が帰国するようになった1945(昭和20)年の後半から47(22年)にかけて、生まれる子どもの数は急増。いわゆる『ベビ-ブ-ム』という言葉もこのころ生まれ、一番多かったのは1947(昭和22)年の270万人だったことも、ネットで調べて改めて知る知識・・・。

昨年の暮れ厚生労働省が発表した『人口動態統計の年間推計』では、2016年に国内で生まれた子どもの数は『98万1000人』と推計されるという記事に、思わず、大学入学式の学長の『200万人・・・』言葉が蘇ったということで書き出しにつながる。

1950(昭和30)年からは生まれる子どもの数が減り続けるが、ベビ-ブ-ムで生まれた子どもたちが成人になり、結婚適齢期になると、空前の結婚と出産がブ-ムとなった1970年(昭和45)年には200万人を越す『第二次ベビ-ブ-ム』が到来。しかし、それ以後は急減し、2000年以後は、100万人すれすれがずっと続いている。

つい最近の推計では、2030年には1億人を割り込むと言われているが、『わずか50年で半分』という驚異的な数字を示されると、この推計もある意味希望的観測ではと思いたくなり、1億人どころか9000万人にもなりそうな気がしてならない。

70歳で強制的にてもこの世から姿を消せば、100万人の出生数でも、日本というは国の形態は保つことはできるだろうが、実際はどんどん寿命が延びて、現在では平均寿命が80歳を超え、100歳以上が10万人以上となると、とても国として存続できなくなることは、全くの素人の私でも十分認識できること。

このまま放置しておけば、日本は崩壊(消滅)することは必定となると、何を置いてもやらねばならないことは、出生数を増やすことだろう。なのに、この国の政治は『経済が第一』という金儲けの話ばかり。一部の選ばれた者たちが富を独占する社会に突き進み、働き手がいなくなったら外国から連れてくれば良いなんて世迷い言をのたまわっているだから始末に悪い。

移民問題はさて置くとしても、国を存続させるためには、何としても女性に子どもを産んでもらわなくては話にならない。そのためには、富裕層に限らず全ての若い人たちに『結婚』しても生活できる給料を与えることに尽きるが、ブラック企業という言葉が定着するほど、若者には生きることも難しいのが現実。

もっとも大事なことは、女性に産み育てることが魅力だと思ってもらう社会を作ることだろうが、政府の言う『女性が輝く社会』というタテマエに隠された実態は、自殺に追いやるほどこき使う酷い話ばかり。20代では『結婚』という言葉さえ死語にしているのではないだろうか。

結婚が30代後半から40代がザラになるほど晩婚が進んでいる。当然、それから2人、3人の子どもを産むのは無理となり、否応なく一人っ子が増え、そのたった一人の子どもでも保育園に入れないというのだから話にならない。

きれいな言葉だけでなく、本気で『産みたい』『産んでも良い』と思わす社会にするためには、(繰り返市になるが)何を置いても若者の身分を保証し給料を増やすこと。そして子育てしやすい環境を作るためにも保育園の充実は欠かすことはできない。その最低必要条件は、保育士の給料の倍増であることは論を待たない。

そして、私の自論である『主婦も立派な職業』として、女性が輝くことの定義に『専業主婦・子育て』を社会が認識するためにも、年300万円程度の『給料』を支給すれば、きっと子どもの数は増えると信じている。

そんな予算はあるはずがない・・・という声が聞こえてきそうだが、たった2週間のオリンピックのために、2兆だ3兆だと豆腐を数えるような天文学的な巨額のカネがどこからか現れることを始めとして、政治の無駄をほんの少し押さえるだけでもこの程度の予算は生み出せるだろうに・・・。

『たった50年で半分・・・』を日本人全員が真剣に考えなければ・・・。(田舎親父)

2017年1月 6日 (金)

高校授業料無償化は良いが・・・

 迂闊なことながら、昨年暮れの新聞記事で、東京都では公立高校の授業料が無償になっていることを始めて知る。

 記事によると、東京都の小池知事が、教育機会の平等化のため私立高校の授業料の実質無償化を検討しているのだそうだ。世帯年収910万円未満を対象に、都内の私立高の平均授業料の年44万円を国と都で肩代わりする案を軸に、新年度予算に都独自の上乗せ分として新たに約140億円を計上する方針で、庁内の慎重論を押さえて、小池都政の目玉にしたい考えだとのこと。

 教育費を無償にすることは反対ではないが、東京都だけで高校の授業料を無料にすれば今手も東京一極集中が進んでいるのに、ますますそれが進むのでは・・・という危惧感が頭をよぎる。

 この記事で、ふと我が神奈川ではどうなっているのだろうと、『高校授業料 神奈川県』をキ-ワ-ドにして検索してみたところ、2010年に全国の公立高校の授業料は無償になっていることを知って自分が情けなくなる。

 かなり社会の動きは耳に入れているつもりと自負しているのだが、こんなニュ-スを全く知らなかったのは、私の注意不足だけなのだろうか。しかも、この制度が、2014年に、保護者の所得が高額(年収910万円)だと授業料は納めなければならないとなったことを知らなかったのは私だけだろうか・・・。

 記事には、2010年に始まった全国の公立高校の授業料を無償化は、始まった直後から、公立高校と私立高校に通う生徒の間では教育費負担に大きな格差があり、低所得世帯では教育費負担が依然として大きいという問題があり、その格差を少しでも解消するために制度を改めたとの解説が付記されている。

確かに公立高校は無料なのに私立高校ではその制度が適用されないのは、まさに片手落ち(差別用語かな)。義務教育でないので公立高校に通いたくても、選抜試験で不合格となると、私立高校を選択せざるをえないのに、公立だけとはトンデモ制度を作ったものだと呆れるが、その経済格差を埋めるために、所得制限というのもかなり怪しい話である。

 やむを得ず、私立高校に通学せざるを得ない家庭に対して、2010年の旧制度では、『高等学校等就学支援金制度』により月額9600円の受給を受ける事ができたそうだが、こちらも、2014年からは年収910万円以上の家庭にはそれが適用されなくなったとのことである。 

 『新制度では、収入の多い世帯は私立公立かかわらず学費を全額払ってください。その代わり私立高校に通う収入の少ない世帯は学費を援助します。こうする事により家庭の収入にかかわらず進路を選択できますという制度になったのです』という文科省の説明が付記されているが、こちらもなんだかなあ・・・と言うのが正直な感想。

 都は現在、私立高生の半数の8万5千人程度にあたる910万円未満の世帯を対象に、収入に応じて段階的に国の支援金や都の奨学金(いくらなのかまだ調べていない)を支出しているとのことだが、それでも公立高とは自己負担の差が大き過ぎるという声があって、補助金を支給している世帯に一律44万円を支出する実質無償化を検討しており、しかも、都内在住の私立高生に、都外の私立高に通う生徒も含める予定だという。
 このことについては、
実態は良く分からないのでこれから勉強するとするが、都内在住者全てに適用するとなると、やはり都に住みたいという願望を持つことは疑いのないところ。やはり私が一番気になっている、東京陰極集中がますます進むことは間違いなさそうだ。

 授業料無償化には疑義はないが、そこまで議論するのなら、経済問題だけの議論から、高校の義務教育化の議論へと進んでほしいもの・・・。さらに、義務教育は無償といういるのに、制服や市販の教材費などさまざまな教育費を国民に負担させている矛盾を解決する方が先だと思うのだが・・・。

そして、教育の機会均等をうたうのなら、まず手をつけなければならないことは、入試は仕方ないとしても、能力があれば、低所得の家庭の子どもでも通えるために、国公立大学の授業料を大胆に値下げしてほしいものである。ちなみに、私が在籍して50年前は、年額1万2千円だったことも付記しておこう・・・。(田舎親父)

2017年1月 5日 (木)

これも利権のためだろう・・・

 明けましておめでとうございます。
 例年に比べて穏やかな天候が続き初詣をする人の数が多いようです。私は、今年も横浜の片田舎で、プランタ-で野菜作りを楽しみ仙人的生活をしながらボケ防止のために、季節の変化を求めて毎日野山を歩くことをもっとうに、健康に留意してのんびりと生活していこうと思っています。
 加えて、世界や日本の動きにも注目し、ボケ防止のために、なんの役には立たないことは十分分かっていながら、好き勝手なつぶやきを続けたいと思う気持ちは残っているらしいので今年もできるだけ駄文を綴ってみようと思っています。今日はそのはじめになります。

去年の暮れの話になるが、『日本年金機構』という世の年寄りの味方のような名前を名乗りながら、実態は、いかに数字を誤魔化し、自分たちの利権だけを追い求めている組織がファイルの整理に、『アイウエオ』という、いわば英語のアルファベットに匹敵する五十音順ではなく、『いろは順』を採用しているという記事を見つけ、エッ・・・と言葉を失った話からはじめよう。

ネタ元は自民党のコウノタロウという議員のブログらしいが、『いろは』という言葉そのものを知っている人は少ないだろうに、まさか公の役所が、未だにこの順序で国民の個人情報を管理しているということ自体が信じられない。

この『いろは』という言葉で、小学校の6年生のクラスが『は組』だったことをふと思い出す。また、名簿もいろは順だと『す』は『・・・あさきゆめみしゑひもせす』だから、一番後ろ、それが中学では『アイウエオ順』で、比較的前の方になったことで、何となく得をしたような思いをしたことが記憶に残っている。

タロウさんも例に出しているようだが、私と同年代で、小学生時代のいろは順が中学生になって名簿が一番になったアベ姓やアソウ姓の人たちは、私以上に驚きと喜びを感じたのではないだろうか。

『いろは』順は、平安時代の頃の和歌が基準になっているという知識は持っているが曖昧なのでネットで確認してみたところ、『色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず』という七五調の歌が元になっていることを改めて確認する。

これを、(もっと以前から始まったことかれ知れないが)明治政府が(多分意識的に)順序を現す言葉として、平仮名で現して『いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん』を当てはめたようだ。それが、現在でもカルタ遊びとして残っているのだろうが・・・。

現在の年金の前進である『労働者年金保険法』が制定されたのが、昭和の17年ということから、当時は『いろは順』が当り前だったことは理解できる。しかし、昭和の30年(1955年)を境にして、多くの役所はもとより、時代には一番鈍感な学校でさえ『アイウエオ順』を採用したのに、年金機構は未だにいろは順が続いているというから、年金そのものの管理が、始めから時代錯誤があったのではと思わないでもない。

タロウさんはこのいろは順に疑問を感じて、組織のトップに質問したところ、『変更するのは技術的に難しいと』とのことに加えて、『調査します・・・』という答えが返ってきたそうだ。

いろは順をあいうえお順に並び替えるのが難しい?・・・。そんなアホな話は聞いたことはない。むしろボタン一つで、安物のソフトでも簡単に直してくれることは小学生でも知っていること。

この国では、『調査します』ということは、『何もしない』と同義語であることは常識だから、年金機構はこれからもこの整理方法を続けるということだろう。ということは、この時代錯誤の整理の仕方をしているのは、偶然ではなく明らかな意思を持っていると見たほうが良さそうだ。

最初にも述べたが、『日本年金機構』という組織の幹部たちは、いかに国民を誤魔化して自分たちの利権を守ることを第一にしてきたことは間違いないところ。だとすると、部下たちに自分たちのやり方を押しつけて、知らずしらずの間に組織の利権を守る意識を植え付けるために、このいろは順を頑に踏襲しているのではという発想が頭をよぎる。

この組織に採用されたり配属された職員は、最初はいろは順に戸惑ったことだろう。多分、多くの若手職員は上司に疑問を投げつけて改善を求めたのだろうが、上司は『慣例だよ・・・』とそのまま改めない。

職員は、時の経過にしたがって、職場の雰囲気に慣れ、幹部たちに逆らう気持ちが無くなり、しかも『いろは順』に疑問を感じなくなくなるだけではなく、むしろその意味を知るようになり、疑問を口にする後輩に対して『慣例だよ・・・』と深く考えないようにさせるのでは・・・。

下司の勘繰りだと言われるかも知れないが、当たらずとも遠からじ・・・と言うところではないだろうか。(田舎親父)

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