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2017年1月23日 (月)

安心安全は人のつながりだ・・・

 『欄干がない橋』というと、すぐに思い浮かぶのが四万十川に多く架かる『沈下橋』ではないだろうか。ここ数年、四万斗に出かける機会に恵まれて、私も何度かこの橋を渡ったことがあるが、どうしても真ん中を歩いてしまうのは、無意識的に安全を求めているのだろう。

土地の人たちは、この橋を生活道路にしているので、なんの躊躇もなく車で行き来しているが、旅行者の立場としては自分で運転して渡りたいとは思わないのも同じ心境ナノだろう。

今日も変な書き出しになったが、誰が言い出したのかは知らないが、視覚障がい者の人たちにとって、駅のホ-ムを『欄干がない橋』という表現はなるほどと感心する。

目が見える私でも、真ん中しか歩きたくなるのだから、目が不自由な人が白状を頼りに沈下橋を渡る姿を想像するだけで身震いがする。まして、都会の数分間隔で電車が入ってくる駅のホ-ムは、『欄干のない橋』どころではなく、まさに戦場。ほんの少しの手違いで命を落とす危険な場所である。

その『欄干のない橋』から視覚障がい者が転落死する事故が、昨年8月の東京メトロ銀座線の青山一丁目駅に続いて、10日程前に、埼玉県のJR京浜東北線の蕨駅で起きた。

どちらの事故(事件)でも盲導犬がついていたのにである。メトロの事故は柱でホ-ムが狭くなっていたことが大きな要因だと言われているが、今回はJRの地上駅なので、行方を塞ぐほどの柱はない。

そんな中、盲導犬に導かれた『人が線路に落ちて犬はホ-ム残った』という文言に、アレッと思ったのは私だけだろうか。

常識的にこの記事を読んで事故の様子を想像すると、盲導犬は視覚障がい者の人たちのために設置してある黄色の凹凸線より内側(ホ-ムの中央より)を歩いていたことになるがそんなことがあるのだろうか。

盲導犬についての知識は全くないが、(30年も前のこと)盲導犬にするための犬を飼育していた人から、生まれて間もなく盲導犬に適した性質を見抜いて、愛情をかけながら過酷な訓練をしなければ候補にもなれないという話を聞いたことを思い出す。

主人には絶対的に従順であることはもちろん、どんな理不尽なことをされても(例えば尻尾を踏まれても)吠えることすら許されないほどの徹底した訓練が必要なのだそうだ。 

私は、そんな訓練を犬にさせるのも悲しいことだなと思ったものだが、目の見えない人にとっては、盲導犬が生活を守る重要な手段であることは理解していたので、その批判は口にできなかった。その気持ちは現在も変わらない。

それほどの訓練を受けた盲導犬が、ホ-ムの内側を歩いていた?・・・。

ひょっとして転落した人が右と左を間違って、自分がホ-ムの内側を歩いていると錯覚したのかも知れないとも思うが、この方は『マッサ-ジ師』という職業をもっていたことから、毎日とはいわないまでも、蕨駅を利用したことがあるだろうと思うと、こんな間違いをするとは思えない。

 盲導犬の訓練の実際は全く知らない。犬と保育士とを一緒にしているわけではないが、保育士たちの基本中の基本は、歩道がない道路では、右手で幼児の手をつないで右側通行をすることだろうことは理解している。

このことは幼児に限らず、小中学校でも教師(指導者)はいつも必ず、危険な側に位置するのが原則だと教えられているはず・・・。

 だから、犬がホ-ムに残った今回の素朴でしかも強い疑問は消えないが、犬に責任をとらせてすむ問題ではなく、体に障がいがある人にとって、駅のホ-ムという公共の場が安全であるべき環境を整えなければならないことは当り前の話。

 目の不自由な人の転落事故を防ぐためにはホームドアが効果的だが、このところ、歩きスマホや泥酔者のためにもホ-ムドアが必要だという論調が目立つのが気になる。自分の行動に全く責任を持たず、事故が起きたら、遺族が鉄道会社の安全管理責任を問うのが当り前になっている風潮はいかがなものだろう。

 ホ-ムドアの設置を進めることは必要だろうが、全国全ての駅に設置するなどできるはずがない。現在では、人間が多い都会には絶対に必要だということから、首都圏では当り前に見かける風景になったが、大都会でのホ-ムドアはただ人口が多いという理由だけの都会と田舎との差別ではという疑問は消えない。

 本物の安全は物で守られるのではなく、安全を確かめる意識を育てることだと確信している。視覚障がい者に出会ったら『何かできることはありませんか』という一声を当り前に言える世の中になればこの種の事故は激減するはず。

ところが、私も経験あるが、声のかけ方にもよるのだろうが、無言だったり無機質的な答えが返ってくることも多いことから、一度そんなことを経験すると、声をかけるべきだと思いながら、避けてしまう・・・。

そこで、視覚障がいをある方にお願いであるが、声をかけられたら遠慮なく『ありがとうございます。では、これこれをお願いします』という答えを返すという徹底した申し合わせがあればと思うのだがいかがだろう。

鉄道会社は利益を得なければ運営できないことは十分知っているが、最近はあまりにも合理化という言葉が幅を聞かせて、安全を監視したり喚起させたりする駅員がどんどん減り続け、ホ-ムに駅員がいない場合すら当り前は納得できない。

 古いと言われるかも知れないが、混雑するホ-ムには駅員を複数配置し、困っている人を見かけたら声かけをする。何よりも白状を手にして歩いている人を見かけたら、安全に電車に乗せる手配と、乗客にさりげなく『お願い』をする。

 ホ-ムドアを設置すれば絶対に安全だという錯覚に陥ることが何よりも気になる。安全のための基本中の基本である、相手を思いやる『声かけや見守り』という発想がなくなるのではという危惧は消えない・・・。(田舎親父)

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