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2017年2月15日 (水)

尊厳死(安楽死)を考える・・・

 わが国には、ずっと『尊厳死』の定義や手続きについて明確に規定した法律は存在しないという。

これまで患者の苦しむ様子に耐えきれずに、医師が人工呼吸器を外して死にいたらしめた行為が時にマスコミの餌食になるのだが、その場合、警察が介入し『殺人容疑』で医師を拘束(逮捕)するという話がごく普通に報じられ、さほど医師を擁護する声が聞こえてこないことに、なんともしっくりしない気持ちになる・・・。

私と同じような気持ちを持っている人も多いらしく、中には国会議員に尊厳死を認めるように圧力(お願い)をかけている有力者もいるらしい。そして、そのお願いがかなり浸透してきたらしく、尊厳死関連の法制化に向けての動きがかなり出てきているという記事に目が留まる。

記事によると、法制化に向けた動きとしては2012年に超党派の国会議員連盟により『終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)』が2案、公表されているようだが国会提出には至っておらず、現在も議論が続いているのだそうだ。

公表された法案の内容であるが、患者が『回復の可能性がなく、かつ、死期が間近である』状況において、医師が患者の意思に基づいて延命治療を差し控えたり、中止したりした場合、『民事上、刑事上及び行政上の責任を問われない』という医師の免責を規定するものだとのこと。

この法案が成立すれば、患者や家族からの強い要請があり何らかの方法で安らかに死にいたらしめた医師が逮捕されることはないだろうが、患者の意思という文言については、よほどきちんと法を整備しておかないと別の問題も起きそうな気もする。

そのことはさておき、2030年には5人の一人が75歳以上という超高齢社会が到来すると言われて久しいが、2030年を待たなくても、現在でも周りを見渡せば年寄りだらけ。かくゆう私も今年には75歳になるのだから立派な年寄りであり、いくら長生きしたとしてもたかだか後10年ぐらいではと覚悟している。

その最後を想像したくないが、自分が何者であるかわからない前に死を迎えたいというのが最大の希望である。そして、たとえそこまでボケなくても寝たきりになる前にこの世から姿を消したいと思っている。しかし、自ら命を絶つ勇気があるかあるかと問われたら自信はないが・・・。

話は少しそれるが、現在ではどんな分野でも『協会』や『学会』があるらしく、尊厳死について考える『尊厳死協会』という組織があり、『尊厳死』の定義を『不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死』と規定しているという。

随分狭い解釈である。私は死が迫っても自殺する自信がないと述べたが、最後まで苦しみ続けたくないという気持ちが強いので、薬物を投与して静かに死に至りたいと願うのは協会の定義に従えば、それは『安楽死』であって『尊厳死』ではなさそうだ。

 協会の主張は、本人も家族も望んでいないにもかかわらず、ただ単に命を延ばすだけの治療で生かされ続けるような事例をできるだけなくしていきたいということらしいが、医師は本人も家族も望んでいないのに、勝手に延命装置をつけるのだろうかという素朴な疑問がわいてくる。

 私は一度だけ延命装置のスイッチが切られたその瞬間に立ち会った経験を持っている。大変お世話になった方である。入院先の病院で延命装置をつけていたが、奥さんはじめ家族の強い希望で延命装置の電源をきることになり、その場に居合わせたのである。

その方のずっと手を握っていたが、スイッチが切られた時から冷たくなり、そして全く温度を感じなくなり、これが『死』なのだと実感したことを、いまでも鮮明に思い出すことができる。もちろん、その方は静かに死を迎えられたことはいうまでもない。

 家族も本人も強く願っていたことなので警察が関与することもなく、電源を切った医師も良心の呵責などなかったと信じたい。私自身、この経験から『尊厳死』ということについて深く考えさせられたものである。

 そして、延命装置の電源をきることと、薬剤を持って静かに死を迎えさせられることとの違いはどこにあるのだろうかという疑問を強く感じるきっかけになり、現在は、『尊厳死』の定義の中に付帯する『薬物』という言葉を消しても良いのではないかと思っているのだが・・・。

 ともあれ、重度の介護が必要な身になったとしても、自分で物事を考える能力が衰えていないのならば、生きたいと願うことも当然だろうが、意識も全くなくただ寝たきりになってしまい、しかも延命治療を否定し家族も同意していれば、何らかの薬剤を使い安らかに死を迎えさせることも必要ではないかという気持ちになっている。

 その意味で、尊厳死と安楽死を明確に分けるのではなく、尊厳死の中に安楽死を含めても良いのではないだろうか・・・。(田舎親父)

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