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2017年3月

2017年3月31日 (金)

子ども保険?・・・

 『子ども保険』という聞き慣れない言葉をこのところ耳にすることがあるが、私の頭の中で、以前突然制度化され、最近その無茶苦茶な経営で認可取り消しされた姫路市の『子ども園』という言葉と変にリンクする。

 全く関係ないことかもしれないが、何となくだが『子ども』という言葉を頭につけると反対しにくいような雰囲気を持つため、以前から『子ども〇〇』という話には、まず信じられないぞという先入観があるのかもしれない。

朝日新聞の記事によると、この『子ども保険』は、保育や幼児教育を無償にするために、今の社会保険料に上乗せして資金を集める仕組みらしい。

自民党の若手議員たちが言い出したのだそうだが、自分の親分たちの現政権がやっているデタラメを認めていたら、いつまでたっても子育ての方針がしっかりしないという焦りなのだろうと善意に推察したいとは思うももの、これ以上の国民の負担を増やすことを前提にしているところは気に入らない。

私には理解が難しい細かい数値もあるので一部そのまま引用してよることにする。

―――こども保険案はまず、企業と従業員が支払っている厚生年金保険料の料率にそれぞれ0・1%ずつ上乗せして保険料を徴収。30代の年収400万円の世帯で月240円程度加算される。自営業者は国民年金に月160円程度を加算することを想定。年3400億円の財源が生まれ、未就学児への児童手当を1人当たり月5千円増額できるという。

次に、この保険料率を段階的に各0・5%まで引き上げる。年収400万円の世帯で月1200円程度、同様に自営業者は月830円程度の負担増になるが、財源は年1兆7千億円に達し、児童手当は1人当たり月2万5千円増額できる。保育園や幼稚園の平均保育料は月1万~3万円程度のため、今の児童手当と合わせて幼児教育の実質無償化が実現する計算になる。―――

一見、上手い仕組みのようにも感じるが、いつも思うことだが、新しい制度設計が数値通りに筋書きがすんなり進むはずがなく、ここにも落とし穴があった、ここにも・ここにも・・・というのが今までの例、簡単に飛びついたらとんでもない火傷を負うことになりそうだ。

すでに、保育料や教育費の軽減や無料化を進めている自治体もあると聞いている。そのような自治体の組長さんたちは厳しい財源をやり繰りして、市民の生活基盤を安定させて、将来的に人口の原初をくい止め、自治体そのものの存続を願っている切実な現実があるのだろう。

ところが国は、『美しい国づくり』などと称して、恣意的に,教育勅語を基本とするような学校を建設するためには、国有財産を異常な安値(実際には無償どころかさらに予算をつけてまで)で払い下げる愚を繰り返している。

このため、教育現場に回る予算は先細りどころか、教員の削減までやりそうな雰囲気が漂い、教育そのものが奇怪しくなるような方向に進めているのは許し難い。

やっと、その一つのデンデン小学校の悪事が明るみになっているが、トカゲの尻尾切りではないが実際に、このような学校を作ろうとしたカゴイケという人物を切り捨てて、自分たちは無関係だと逃げ回っているのは情けない限り・・・。

そのことは、また改めてつぶやくが、記事には、今回の『子ども保険』は、現政権が進めようとしている、教育費無償化のための『教育国債』に対する対案だとある。

 『教育国債』は、使い道を教育に限定するだけで、国の借金である点は赤字国債と同じであることは、経済音痴の私でも理解できるが、『子ども保険』の財源を、国民から広く浅く集めようと言う発想は同意できるものではない。

 自民党の中には、教育費無償化の実現のためには、消費税を10%にする必要があると主張する部隊もいるらしいが、消費税は元々が国民の社会福祉が目的だったはず。ところが福祉にはほど遠く、消費税で潤うのは軍需産業と建設業・・・。

こんな現実から冷静に判断すれば、消費税が教育の充実には使われる可能性は限りなくゼロ。『子ども保険』などと言うまやかしの制度を作るのではなく、国として、将来を担う子どもの教育には、何をおいても予算を確保すると気構えが大事である。

もしも自民党のなかにも、良心的な議員が存在するならば、声を大にして、まっとうな国家予算を作れと主張してほしいものであるが、期待しない方が良さそうだな・・・。(杉)

2017年3月30日 (木)

常識的な休憩時間確保が大前提・・・

 これまでも何回か現役時代を思い出して、教員の勤務についてつぶやいてきた。40年近くも学校現場にいたことから勤務についての変化をつぶさに見てきたものであるが、昭和の時代は徐々に規制は強くなったとはいえ、かなり自由さがあって、休み時間はもとより、始業前や放課後には子どもたちと遊ぶ時間はあったように思える。

昭和期の勤務を思い出してみると、毎朝の『職員朝会』が始まる時間は8時半。勤務時間はそこから始まるのだが、私は8時ごろには出勤して、早く登校する子どもとソフトボ-ルやドッチボ-ルなどをして遊んだものである。放課後も・・・。

当時の授業時数は、土曜日と何らかの会議が入る水曜日は4コマ、6コマある曜日は週に2日程だった。6コマがあっても終業は3時前で子どもたちが下校時間は4時ごろ。当然のことながら、教員の勤務もここまでというのが現場の認識だったことから、退庁時刻は4時。職員会議もこの時間を厳守したものである。

これが当り前だと思っていたものの正規の勤務時間を知らなかったわけではない。都の規定があって、出勤時刻は8時10分、退庁時刻は5時だと教えられていた。しかし、教員は子どもと過ごしてナンボの世界で、途中に休憩や休息時間がとれないことから、その時間を『みなし』として出勤・退庁時間に繰り上げてカウントすることを東京都教育委員会が認めていたことから、退庁時刻は4時が普通だった。

それが、イシハラ都政になって、教員だけに『みなし』を認めるとはケシカランということで、8時出勤5時退庁を徹底するように厳命されたことから、各校は休息時間のとり方を形式的に決めることによって、かなり窮屈になったものである。

8時出勤が原則になり、8時15分までは勤務。その後15分は休息時間の先取りというような形で、朝会はいつまで通り8時半からという勤務体制だたような記憶がある。実際は、タイムカ-ドがないこともあって、学校(校長)によっては、8時半までに出勤すれば良かったようだが・・・。

それはまだしも、昼休みには給食指導という勤務があるので、本来与えられるべき45分間の休憩時間がとれないので、午後4時から45分までという、常識的には信じられないような勤務体系が押しつけられ、これが今日でも生きているのではないだろうか。

今、教員の勤務時間の長さや中身が問題にされはじめて、タテマエ上からも、教員の負担軽減を目指す改革が、国や自治体で進んでいると聞いている。

特に部活動について、文科省は、学校教育法施行規則を改正し、部活動の外部指導者を学校職員に位置づけ、単独での大会への引率業務を可能にしたことはその改革だとマスコミは報じているが、確かに、それが全国の学校現場で広がれば、かなりの軽減になるだろうとは思う。

しかし、教員には、子どもたちの面倒を断えず見なければばならないという習性がたたき込まれているので、部活に外部からの指導者が入ることは容認できても、全て他人まかせにできないところがあり、外部指導者が見つからないなどと言われれば、ついつい引率などもやらざるを得なくなることは明らか。となると、効果はかなり不透明だろう。

部活がどんどん外部委託になると(とても信じられないが)無理に信じるとしても、現実に休憩がとれないことが、教員の勤務の軽減を進める上で、一番大きなネックになっているのではないだろうか。

前述したように、タテマエ的には『休憩時間』は4時から4時45分の間の45分間と設定されている。労働基準法では45分の休憩時間をとることと規定されているので、一応これでクリアしているように見える。しかし、社会一般の常識として、休憩時間は『勤務の途中』であり、それはお昼休みとしているが、4時からが『途中』とは言えないことは誰もが理解できること。

それ以前に、昼食時は、『給食指導』という、学習時間に匹敵する大切な勤務の時間帯である。学習時間に匹敵すると強調したのは、給食研究部と言う教員の組織があって、これが、国語や算数などの教科研究部よりも、時に強力だからである。

教員の勤務軽減を本気で考えるならば、制度として4%の教員特別勤務手当てが支給されているという理由から、勤務時間は無制限だという意識を押しつけていることをまず取り去ることである。そのための第一歩として、実質的な昼の時間に休憩時間を与えて、労働基準法に従った勤務をさせることが大切である。

これが解決できれば、後は簡単だと私は確信している。以前から、私は教員の勤務を複雑にしている諸悪の根源は給食だと思っているが、給食が当り前になっている現実では、今更、止めることはできないことも理解している。

しかし、給食指導と言う勤務が続く以上、常識的な時間帯に休憩時間はとれないことから、『給食指導』と言う言葉を、学校から取り除くことが、この問題の解決のためのやらねばなら絶対必要条件だと考えている。

子どもたちが給食の準備する時間帯から、45分間、教員は全く責任がない立場にすれば良いこと。さほど難しいことではないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2017年3月29日 (水)

悲しい国になったものだ・・・

環境省は世界遺産の認証を得るためだけの役所なのたろうか。私としては、人間が動植物たち共生できるために何をすべきかを考え、政策を作り実行するために、わざわざ作られた省庁だと捉えたいのだが゛、最近の動きを見ていると、原発を『是』とした現政権の一つのコマとなって動き回るだけの役所に過ぎないような感じを受けるが・・・。

原発事故がなれれば、(それ以前に)津波がおきるのは当り前の地震国日本に原発という悪魔の申し子を建設しなかったら、今日起きている事故の後始末問題などなかっただろうが、『たら』『れば』は歴史を語ることには禁句らしいので、ここではその言葉飲み込むことにしてつぶやきを続ける。

が、原発(事故)がなかったらという『前提』は無しとしても、今後起こり得るさまざまな問題に対しては、あらゆることを想定して、対策を講じることが何より大事なことは私が今更述べるまでもないこと。

ところが、環境省は事故に伴う除染で出た汚染土の行き場がないことについて、根本的な解決策を出すことなく埋め立てに再利用し、あろうことか公園などの造成に利用するという、将来を担う子どもたちのことなど全く考えない、荒っぽい悪魔に魂を売り渡したような政策を検討してらしいという記事に激しい憤りを覚える。

昨年10月のことになるが、福島県の避難地域の農地や林野を埋めつくしている黒い袋と緑のシ-トが一面に広がる想像に絶する光景を目の当たりにした時、これらを一体どこに運びどのように処理をするのだろうと唖然とし、思わずため息を漏らしたもの。

車で半日かけて回った地域はごく限られていることから、(私が見た)それらはごく限られたものであることは間違いなく、実際はとても想像できるものではない。しかも、その黒い袋に入っている汚染土は、住民を強引に帰還させたいために、ごく限られた場所を除染したものであることも忘れてはならない。

国として、この大量の汚染土を何とかしなけれならないことは理解できるが、この汚染土が全て環境省の基準である『8000ベクレル(基準値そのものすら曖昧である)』以下である保証の限りにあらずとなると、防潮堤や道路の下に埋め込むということすら、ハイわかりましたと簡単に受け入れることはできない。

増え続ける汚染土を何頭するために、環境省は昨年6月、強引にしかもマスコミを上手く懐柔して、国民が知らないうちに、1キロ当たりの放射性セシウム濃度8000ベクレルを上限に管理(方法は明示していない)しながら、道路の盛り土など公共工事に再利用する方針を決定したというから酷い話。

それでも処理しきれない大量の汚染土の行き場がないことから、新たに、工事用に土を取った跡などのくぼ地に汚染土を埋めて土地を造成する再利用法を考えているのだそうで、造成後は農地や住宅地だと私有地となり管理と言えないため、自治体などが管理する緑地公園や森林とする方向で進めるそうだ。

安全管理の指標としては、放射線を遮蔽するため数十センチ~1メートル程度の覆土を想定し、植栽も行うとの説明だが、確実に安全だという科学的根拠はない。どうやら国民の命などは二の次三の次で、とりあえず早く、黒袋と緑のシ-トのない風景を作りたいだけのように思えるのだが・・・。

8000ヘクレルという基準値も放射線の知識がない私には、本当に安全なのかもわからないが、先日、環境省が,比較的分かりやすい『シ-ベルト』という単位で現した汚染土の値を、議事録から削除したらしいという記事を毎日新聞の紙面で読んだが、こんなことがあって良いはずがない。

その部分を引用しておこう。

―――削除された部分では、『8000ベクレルの評価で災害時など年間1ミリシーベルトを少し超えるケースが出ているが、これが1ミリシーベルトに収まるとよいのだが』などと環境省が発言していたとのことです/8000ベクレルという新基準値の危険性を環境省が認識していたことを示す発言だと言え、放射能基準値の緩和に安全の根拠が無かったということになります/昨年6月に環境省は8000ベクレルの汚染土を再利用すると決定し、日本原子力研究開発機構(JAEA)から提出された『年間被ばく線量上限の1ミリシーベルトを超える』との試算も無視されました―――

子どもの未来など知ったことか。極論になるが、『今だけ・自分だけ・利権だけ』という発想が透けて見える。恐ろしい国になったものである・・・。(田舎親父)

2017年3月28日 (火)

15の春を泣かしてどうする・・・

 多くの私立の高校や大学が野球やサッカ-などのスポ-ツに力を入れて、全国大会に出場することで知名度をあげて、それを武器にさらに優秀な生徒を集めると共に一般生徒を集める戦略をとっていることは良く耳にする話である。

 今、選抜高校野球が行われているが、出場できる高校はたったの32校。選ばれた学校の生徒たちは、飛び上がるほど嬉しいのではないだろうか。全国の少年野球に汗を流している子どもたちは、テレビの前で、自分も高校生になったら甲子園で活躍してみたいと、わくわく感で試合を見ているに違いない。

 特に、一昨日に行われた、福岡大大濠対滋賀学園戦と高崎健康福祉大高崎と福井工大福井の2試合は、雨の中の激戦となり、園長15回引き分け再試合ということから、一挙にその名を全国に知らしめたのではないだろうか。

 負けても勝っても郷土の誇りである。話は少しそれるが、今年32校の中に、21世紀枠という制度で、岩手県立不来方高校は野球部院10名という小世帯ながら選ばれ大きな話題になったが、岩手県の野球少年たちの関心は大きく、来年度以降志願者は多くなるのではないだろうか。

 前書きが長くなったが、先日、千葉県立幕張総合高校が普通科の入試で、運動などの『実技検査』を受けた生徒130人を優遇し、不合格となった生徒の学力検査(5教科500点満点)の得点より100点前後低くても合格させていたことが分かったという記事を読んで、公立まで知名度あげるためにこんなことをするようになったのかと唖然とする。しかし、その記事の内容は許されるべきではない。

 この高校は、2月中旬に行う前期入学者選抜(入試)で受験生は(1)部活動への参加を前提とした『実技検査』(2)口頭による『自己アピール検査』のいずれかを選択し、A、B、Cの3段階評価を受け、これに学力検査と内申点(中学の成績)を合わせて合否を判定されるのだそうだ。

それぞれの高校には学校の独自性が必要だろう。その意味ではこの制度そのものに問題がないと思いたいが、『実技検査』を優先し、優遇対象となる生徒の多くは運動部の顧問が勧誘するなどして入試前にリスト化していたというからこれは酷い。

その上、こうした仕組みは受験生や保護者には知らせず、一部の教職員だけで秘密裏に数年間行われていたという。しかも、入試に関わる教職員が、『自己アピ-ル検査』でAを極端に少なくするように共通理解していたとゆうからこれは大問題。事実、今年度のA評価は、実技検査組が130人に対して、自己アピ-ル組はたった一人となると、もはや、学校ぐるみの詐欺といっても差し支えない。

結果的にどうなったかというと、記事の書き出しにある100点も低いスポ-ツが得意な生徒が合格しているのが現実。公平・公正さが求められる公立高の入試でこうした選抜方法は許されるものではない。
 こうした仕組みは2011年から続き、校内でも一部から批判の声が出ていたという。元校長の一人は(7年間で数人の校長が赴任した?)『部活動を振興し学校の特色とするためで、前任者から引き継いだ。A評価者を事前にリスト化しているのも事実だ』と証言しているらしいが、現校長は、『実技と自己アピールのA評価者数の差はたまたまだと思っている』と、さほど深刻な問題として受け止めていないことをうかがわす発言。

しかも『具体的には内部の話なので言えない。部ごとに調整しているかは知らないし、知りたくもない』、続けて、『(受験生)に誤解がないようにする必要があるので状況に応じて見直していきたい』と何やら他人事。

『15の春は泣かせない』との名セリフで、高校の小学区制(地域を小さく区分して、決まった高校に入学する制度)を決めたのは京都府の蜷川虎三知事。今から70年以上も前の話である。

一昨日の選挙で3選されたモリタ千葉県知事は、お膝元の高校入試という人生を左右する重要な仕組みの透明化に、直ちに着手するべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2017年3月27日 (月)

パン屋が×で和菓子屋に・・・

 道徳が教科になるということ自体が無茶苦茶だと思うのだが、教科となると教科書が必要で、しかも、何らかの手段で評定をつけなければならない。その教科書の検定結果が出揃ったという記事が先日新聞各紙に掲載されていた。

 文科省は『考え、議論する道徳』を目指していると述べているそうだが、記事の読むとなんともバカバカしいことばかりが目立つ。文科省には優秀な人材が揃っていると聞いているのに、なんともお粗末な限りと情けなくなる。

 指導要領には道徳科の指導目標と内容が、いかにももっともらしく、しかも威厳を持たせるような文言で飾りつけられているが、それらを全て網羅しなければならない教科書会社の苦労は大変だったのではないだろうか。

 理科や算数のように、はっきりとした正解はない。捉え方によっては、全く逆の意味になる恐れもあり、しかも、『正直、誠実』『節度、節制』『礼儀』『感謝』など22項目の『徳目』を全て織り込まなければならないのだから、執筆者は最新の注意を払って言葉を選んだに違いない。

 教科書会社にとって、最大の関門は『検定』に合格しなければならないことである。それほど重要なことなのであるが、『検定』の内幕はあまり知られていない。

 どちらかといえば、当時でも反体制的の思想を持っている私であるが、理科の教科書検定の審議委員を勤めた経験を有している。しかも、退職後も含めて10年以上も勤めたのだから信じられない話。しかし事実であるから不思議であるが・・・。

最初は、かれこれ20年も前だったと記憶している。理科の場合は、審議委員はその道の専門家の大学教授がほとんどであるが、現場を知るという意味だろうが、小中高の校長が一人以上メンバ-になるのが原則だったらしく、当時審議委員の校長から何らかの理由で白羽の矢がたったのだろうと記憶している。

 任命されると、しばらくして大量の表紙が真っ白な検定前の教科書(白表紙)が送られてくる。当時、理科の教科書を発行する会社は10社ほどあったので凄い冊数である。一応、真剣に読み、私なりに表現の奇怪しい部分や、実験の方法などにはチェックを入れたものだが、実際の最初の審議委員会に出席した時にはビックリしたもの。

というのは、審議する白表紙教科書について、文科省の教科書検定官(理科の場合は生物・化学・物理・地学の4分野からそれぞれ2~3人)からは、実に細かなチェックをつけた表が配られて議論が始まるのだが、それぞれの分野から選ばれた専門家の大学教授たちが、私には大したことではないと思われるような細かな表現や、絵図写真に至るまで、こと細かな意見が飛び交う場に、知識の乏しい私には議論に加わることすら難しく感じたからである。

そして、結果的には合格はあっても不合格という教科書はない。必ず、この部分の表現が曖昧、または奇怪しいので修正するように指示をして教科書会社に戻し再提出させるのだが、その後は検定官と審議委員会の座長に一任するのがル-ルだったと記憶している。

そんな経験から、今回の道徳教科書の検定風景も大体の見当がつく。文科省には複数の道徳教科書検定官が存在して、その人たちが提出された全ての白表紙教科書と指導要領との整合性を詳しく調べたに違いない。

それを、10名程度の審議委員会にはかり、審議したのだろう。しかし、審議委員の選定基準は明らかにしていないことから、文科省の考え方に沿った人が任命されただろうから、検定官のチェックリストに沿って、さほど激論を交わすことなく検定官が示したリスト通り修正を求め、結局は、検定官と座長との了解の結果、今回全ての教科書が合格となったことは想像に難くない。

しかし、新聞の記事を読む限り、私の経験した理科の場合とは明らかに違う。指導要領は『感謝』の対象を高齢者ということから、白表紙の元の教科書にあった地域の『おじさん』という表現にチェックがついて、『おじいさん』に書き換えられて合格したというくだりなどは、なんとも不気味な恐ろしさを感じてならない。

また、町探検で出合った『アスレチック』は、伝統と文化の尊重を理由に、『こととしゃみせん店』に変更されたという下りは、『アスレチック』と『ことしゃみせん-がどう関わってくるのか全く理解できない。それ以前に今どき、『こととしゃみせん』の店など普通に見られるはずはない。文科省のセンスを疑うというより強引さに大きな不安を覚える。

もっと笑ってしまったのは、国土や郷土を愛する心を育てるという項目の単元では、『パン屋』という外国の食文化の言葉にチェックが入り、『和菓子屋』にしたところ合格したという記述には、唖然とするより呆れて開いた口がふさがらない。

教科書会社の担当者や執筆者も私以上にバカバカしい思いをしたのだろうが、検定に合格しなければ発行できないとなると、泣く子と地頭ではないが、抗弁する機会も得られずしかたなく、誰が見ても笑ってしまうような話にしてしまう。こんなことがあって良いはずがないが・・・。

私がその立場だったように、道徳の教科書審議委員には小中学校の校長も存在するはずなのだが、彼らは、こんなアホらしい表現を意見も出さずに許容したのだろうかという素朴な疑問を持つ。

が、すぐに、昔から道徳を担当していた校長たちは、ほぼ例外なく極めて型にまった道徳観を持っていることに思い出し、その組織から選ばれた校長が検定審議委員になっているだろうと思うとあり得ることだろうと変に納得する。

 こんな教科書で指導計画を作り、しかも文科省型道徳観を持つ校長から監視をされる道徳の授業でははみ出しは許されることはなく、全国同じような型にはまった道徳科の受業が展開することは疑いのない事実。

これが文科省かのいう、『考え、議論する道徳』となれば、文科省かやろうしていることは、今騒がれているデンデン小学校の教育方針を、全国に広げるだけのことであることは明らか。

改めて、道徳の教科化は許してならないと訴える今日この頃である。(田舎親父)

2017年3月25日 (土)

氷山の一角だろうな・・・

 以前もつぶやいた記憶があるが、『子ども園』という幼稚園と保育園とを一緒にした新制度施設では、監督省庁が違うことからも、きっと問題がおきるだろうとは想像していたが、先日マスコミが取り上げた姫路市の私立認定こども園『わんずまざー保育園』の場合は、凄過ぎると思うと同時に、氷山の一角ではなかろうかという疑念も生まれる。

定員46人のところ実際には70人もの乳幼児を預かっていたらしい。定員オ-バ-の25名の保護者たちからは、高額の保育料を集めていたというから、なんとも凄まじい。保育士の数も、定員46名としての必要数の10人だから25人分の乳幼児を預かるには明らかに不足する。しかも、保育士たちの勤務条件は常識とほど遠い。

もっと酷いのは、給食も46人分しか届かず、それを全員で分けていたというから、人道的に無茶苦茶である。

この数字だけからも、経営者の女の『金儲けの極意的』な計算の凄さに呆れるが、よくぞこれまでバレなかったということの方が気になるところ。この女曰く『預かってくれる保育園がないので、しかたなく・・・』というセリフが、発見を遅らせた最大の原因に違いない。

今、保育園不足が大きな社会問題になっている。子どもを預かってもらわなければ、仕事を持っていたり、生活のために働きたい母親(場合によっては父親)は動きがとれない。当然のことだろうが、多少条件が悪くとも預かってくれるなら・・・という気になるのもいたしかたない。

また、『認定子ども園』という言葉から、たとえ私立であっても自治体の後ろ楯があるのだろうと保護者に思わせるのではないだろうか。定員がオ-バ-していることは、すぐに気付いたはずなのに、自治体が許しているのならしかたないと思うのも心理的にも理解できる。何か奇怪しいのではと疑問を口にしたら、『いやなら退園されても結構ですよ』という一言が恐ろしい。

しかし、どうも子どもの様子が奇怪しいと思った保護者が、姫路市の担当課へ駆け込んだことでこのことが明らかになったと推測しているが、これまでのでこの園のデタラメを許していた行政の甘さも責められてもしかたない。

 市は認定時から交付してきた運営費の返還を求め、詐欺容疑でこの園長を刑事告訴、兵庫県も認定を取り消す方針だという。そのことは当然だろうと思うが、これでお終いで良いのだろうかと素朴な疑問が頭をよぎる。

デンデン小学校の事件?ではないが、国が制度を作り県が認定権を持つこのシステム事態が、そもそも悪意が入るすきを与えているのではないだろうか。

この園長と兵庫県の担当部署とがどんな関係なのか窺いしれないが、権は認可してしまえば後は知らん、市に任せたとなっていたのではないだろうか。市としては県に従うしかない。もしも、園長が県の上層部とつながりがあったとなると、市の担当者は手を出しにくくなるのももっともなこと。

そもそも『子ども園』は保育園不足を補うために、国が強引に作り上げたシステムであり、そこには始めから利権が生じる隙間が存在することは容易に想像がつく。(繰り返すが)これも、認可アリキの縦割り行政の弊害だろう。政府が新しく作る制度そのものが全てこの仕組みになっていることが一番の問題だろう。

市町村の役所の忙しいことは理解しているつもりであるが、県と権限の委譲の合意を取り付けて、月に一度でも土曜日午前中にでも、『子ども園相談日』的な時間を儲けることを、無理を承知でお願いしたい。

その場に、何人の保護者が集まるのかわからないが、顔が見える場で悩みを打ち明ける機会があれば、今回のような無茶苦茶な経営はすぐに明らかになり、行政も対応できるのではないだろうか。

多分だが、『わんずまざー保育園』のらうな『子ども園』はここ一つだけとは思えない。自治体は緊急に洗い直し、怪しい子ども園を発見して保護者と子ども質の被害をくい止めてほしいものである。

それ以前に、『子ども園』そのものの制度を見直す必要があるのでは・・・。(田舎親父)

2017年3月24日 (金)

関係者全員を喚が必要・・・

 昨日は午前中2時間 午後2時間半も真面目にテレビを見てしまった。カゴイケ氏は随分考えて作戦を練ったのだろうがなかなかの役者ぶり。自信満々な態度と答弁に、考え方は難くいものの、権力に梯子を外された思いがあるのだろうなと同情してしまう。

両院とも、党利がはっきり出ていることが良く分かる。自民党は両院とも質問に立った議員は、およそ本質をぼかして親分を守ることに必死になっていることが明らか。特に衆院の議員に至っては、私は警察で働いたことがあるとの言い出しに、思わず、お前それって脅しかとつぶやいたもの。同じ思いをした人も多いのではないだろうか。

冒頭(たった10分しか与えなかった自民党の作戦)首相夫人から100万円を寄付していただいたという話は、実に生々しく、首相は、『カゴイケ氏と関係を持っていたら総理も議員も辞める』と明言しているのだから、このことは絶対に認められるわけはない。

しかし、自民党の議員でも水掛け論だと言っているぐらいだから、いくら首相側が偽証だと主張しても、首相夫人はしめ名前が出た人物も国会に呼んで、カゴイケ氏と同じような条件で喚問しなければ、国民は納得するはずがない。

その意味で、すぐにカゴイケ氏の逮捕・拘束はないだろうが、親分を冒涜したと大騒ぎしている簾中たちにとって、首相夫人を国会に喚問など絶対にできないと頑になっていることは明らか。となると、ひょっとすると『名誉棄損罪(そんな法律があるはずはないだろうが)この政権のやることだから、あり得るのでは・・・と一抹の不安は消えない。

公明党は一貫してこの問題にはダンマリを決めつけている。何か具合悪いことがあるに違いないが、参院での質問に立った女性議員は、理路整然と無駄なことは一切いわず、それでいて、政権側にうとに貸しを作るような質問態度には、敵ながらあっぱれ。自民党の女性議員との質の違いを浮かび上がらせた。

傑作なのは、衆院の維新のナントカという議員は、恫喝とマツイ親分をかばうことに終始していたが、参院の議員は、最後に『マツイ知事を国会に呼ぶことに賛成する』と発言したことである。この議員、昨夜あたりハシモト・マツイの維新のツ-トップに呼び出されて、こってりと絞られたのではないだろうか。

11時50分、共産党の議員の質問途中にNHKの中継が終わった。テロップではこの模様は2時台にビデオを流しますとのことだったので、ネットでは、NHKは共産党の質問は放映しないとの情報が流れていたことから、さすがにそんな露骨なことができないのだと納得。

ところが、2時過ぎにテレビをつけた時には高校野球の中継。番組表では、2時半からとなっているのを信じて、それまで外で一仕事。2時25分につけっぱなしのテレビの前に戻るとすでにビデオが始まっているが、共産党ではなく次の政党。今始まったばかりなのに共産党議員の質問映像はない。やはりネット情報は本当らしかった・・・。それにしても露骨である。

 午後の質問の中で、新たな政治屋の名前が出てきたが、ずっと観ているのに気がつかなったところから、どうも共産党議員の質問の中で明らかになったようだ。

いずれにせよ、カゴイケ氏はまだまだ隠していることが多いことが言葉の端々から窺いしれる。ここで全部のカ-ドを切ったら、身が危ないと思っているのかわからないが、昨日の段階では、謎が残りすぎる。

 しかし、首相夫人はもとより、財務省・国交省・文科省、そして許認可権を持つ大阪府知事や教育長など、デンデン小学校に関係したと思われる人物を証人として喚問しなければ、国民が納得しないと雰囲気が生まれたことは間違いないところ。

 今朝の読売はともかく、朝日・毎日・東京は、関係者の証人喚問が必要と述べていることは、世論の動きが変わるのではという期待をもたらしてくれる。特に、朝日が首相夫人の喚問が必要と踏み込んでいるのは、これまでの動きと少し違う。

さて、デンデン首相はどうする。野党は、国会で徹底的に追及して、共謀罪を成立させないためにも、この内閣に総辞職に迫ってほしいものであるが・・・。(田舎親父)

2017年3月23日 (木)

過度な期待は持てないだろうが・・・

 デンデン小学校疑獄で、国有地をほぼゼロ円で『森友学園』に払い下げたのは、日本会議という右翼組織と現政権が進めている愛国教育によって、教育勅語を具現化できる小学校を作るという大陰謀であることはほぼ明らかになっている。

 現在のマスコミ報道では、ハスイケという人物が、コウノイケという政治屋さんに、小学校を作りたいので、財務省に口利きをお願いしますと、通称コンニャクのようなモノを包んでさて出したとある。

一民間人が学校を作るとなると気が遠くなるほどの時間と費用がかかることは私でも知っていることなのに、今回のデンデン小学校建設には驚くほど短時間で全てが決まっている事から、裏では、一般国民には絶対知られたくない思想がらみ利権がらみの謀略の限りが尽くされていたのは間違いなさそうだ。

 私は、教育改革と称して、道徳を教科にして国家が管理する国作りを進める現政権と自民党、そして与党のうま味を知ってしまった公明党の幹部たちに加えて、同じような教育システムを作るために奔走しているハシモト・マツイのコンビが率いる大阪維新の会?とかが寄り集まり悪知恵を出し合って作った筋書きではないかと想像している。 

首相の近辺(奥方筋?)から、『ハスイケさん、どうですかこんな小学校をお作りになりませんか。土地もカネも全て用意しますよ』と持ちかけられたら、日本会議の大阪府の役員で教育勅語を柱として幼稚園を経営している人物が断わるはずがない。

すぐに『光栄です』と受諾し事が始まったのはわずか数年前の事。直ちに、豊中市の国有地がその候補地になり、国有地を管理する財務省の幹部を、人事をエサに取り込み、すぐに大阪府が問題を無理に隠して小学校設立を認可。建設工事が着々を遺漏のないように進めてきたのだろう。

徹底的に隠蔽した結果、くだんの小学校は間もなく完成というところまできていたのだが、一人の豊中市の市会議員が何か変だと気づき、近畿地方財務局に国有地の売買価格の書面の公開を要求したが、これを教えたら大変なことになると拒否したことから、かえって疑念が広がり、現在の大騒ぎに発展している事は今更私が述べるまでもないだろう。

私は、騒ぎをネットで知るまで、塚本幼稚園という名前も知らなかった。園児に教育勅語を暗唱させていると聞いた時、本当なのとビックリした上に、ハスイケという幼稚園の理事長が、この教育勅語を基本理念の小学校の建設を進めていると知った時には、まさかとしばらく開いた口を閉じる事ができなかった。

 塚本幼稚園とアホベ首相夫妻とはかなりブスブスの関係があり、夫人は卒園式に出席して園の運営方針をべたぼめしている映像も流れている。また、夫も素晴らしいと褒めちぎっているとのことや、首相自身が、国会でも素晴らしい幼稚園だと発言していたことをさまざまなメディアが紹介していた。

 しかし、どうも話が怪しくなると首相の態度は豹変。よほどバレるのが怖いらしく、ハスイケという男など知らないとまで言い出す始末。このことに野党は一斉にかみつくが巨大与党の壁と、身内にも日本会議に加入している議員もいることから、迫力はいま一。  

共産党のコイケ議員が、ハスイケ氏がコウノイケというアソウ財務省の腹心に口利きを依頼したことを暴露し、コウノイケ氏もあったことを認たうえ、コンニャクらしいものは受け取らず、無礼者と追い返したと発言したことで、話がグジャグジャとなり、証人喚問が必要だという世論が競り上がる。

ところがこの御仁を国会に呼んだら何を言い出すかわからないと、その発言を恐れた首相周辺は絶対に認めるなと厳命。そんな時に、ハスイケ氏の口から、首相から100万円の寄付をもらったと野党議員にバラしたことから、『殿の一大事』とばかり、急遽、偽証罪を問われる証人喚問を受け入れたらしい。

その裏には、自民党の面々は数の力で100万円寄付の証拠は出ささない自信があるのでは。その上で、このことは明らかに首相に対する名誉棄損ということで、終わってホテルに戻ったところで逮捕・収監すれば、合法的にこの御仁を社会から抹殺できるとの筋書きではないだろうか。

今日、証人喚問が行われる。自民党はタテマエとして、人権に考慮して証言時間を一度の発言につき10分間なんて決めているらしいが、要は、できるだけ発言を押さえて、殿の一大事に発展しないようにすることであることは明らか。

野党は、与えられた少ない時間で、ハスイケ氏から首相筋や国有地払い下げのカラクリの証拠を引き出すことができるかが勝負だろうが、デンデン首相の100万円寄付にこだわっていたら水掛け論。自民党の思うつぼになりかねない。

共産党が全て取り仕切れば面白くなりそうだが、民進党がしゃしゃりでてくるだろうから、共産党議員にはきわめて限られた時間しか与えられないだろう。

ただ、WBCで日本がアメリカに敗れたことで、NHKが中継せざるを得なくなったこて、国民の多くが注視し政権側の態度に疑問を持つのではないだろうか。

過度の期待はしていないが、今日は私もテレビの前に座り、ハスイケ氏の発言と議員たちの本気度に注目しようと思っている。

さてどうなることやら・・・。(田舎親父)

2017年3月22日 (水)

過度の期待はしない方が・・・

 豊洲移転問題で、自民党都議団が散々嫌がっていた百条委員会が開かれて、渋々イシハラもと知事を呼び出して質問する場面を、一昨日のNHKが実況中継していた。

 どうせ、デキレ-スだろうと思っていたので、さほど興味がなくテレビを観ようとも思っていなかったが、たまたま苗の植え替えに手間取って昼食が遅れた関係で、1時過ぎに高校野球を観ようとスイッチを入れたら、丁度この場面が始まったところ。

 これは観るしかないとしばらくテレビの前で画面を注視。最初に質問にたった自民党の都議が、豊洲移転を決められたのはご自身ですかというようなことを聞いていたが、その答えが、『脳梗塞の後遺症で云々・・・』と、質問とはおよそ関係ないことをおしゃべりした後で、『私は記憶がすっかりなくなって、平仮名すら忘れた・・・』とは、なんだこれはとバカバカしくなってくる。

 要は、記憶がなくなったので、『記憶にないを連発しても偽証にはならない』と考えたのかもしれないが、口をつぼめた老人そのものの話し方と、ぼそぼそきわめて聞き取りにくいところなどは、誰が書いた筋書きかわからないが、演じる役者としてはなかなか堂に入っている。

平仮名も忘れたのでワ-プロを頼りに文章を書いているらしいとのことに、もしも本当ならトンデモない日本語になるに違いないと、私がしょっちゅう失敗している変換ミスを思い浮かべて思わず笑ってしまい、この老人の戯言に付き合う興味を失った。

ここで高校野球にチャンネルを代えたので、その後の展開は夕方のニュ-スで観ることになるが、豊洲移転を決めたのは自分だと認めたのはともかく、築地の地下にも有害物質が埋まっていることが分かっているのだから、豊洲へ早く移らないのがケシカランとコイケ知事を責めたらしいというから、プライドと対抗心だけは健在らしい。しかし、新たな事実は出なかったとのこと。

 昨日の朝刊を読むと、どの新聞も『移転を決裁した責任は認める』としつつ、東京ガスとの用地売買交渉は『ハマウズに任していた』と、先日の記者会見での説明を繰り返しただけで、ガス工場跡地を選んだ妥当性や水面下で行われたとされる交渉経緯は解明されなかったとのことである。

 まあ予想通りである。コイケ知事としたら、豊洲移転問題はこの夏に行われる都議選の格好のネタだろうから、それまでは移転先を決めるはずがないことは明らか。ひょっとして、食の安全・安心ということから、両方とも危険だから、一日も早く移転を決めなければと、大田市場辺りを考えているのかもしれないが・・・。

現在の状況では都議選が戦えないと判断して、渋々ながら百条委員会を決めた自民党としては、元知事と一緒になって豊洲移転の旗振りをしたことから、今更、豊洲移転のからくりなどを正すことなどできるはずがなく、結局のところ、老人の戯言に怒りをイライラの振りをしながら付き合ったというところだろう。

 当初は、証人喚問は3時間の予定だったらしいが、『高齢で体調が不漁なので、長時間の聞き取りは勘弁を・・・』というイシハラ流の懇願で1時間に短縮。しかも、議員の数で時間配分するので、自民党が約30分を奪い、ダラダラとデキレ-スを繰り返していたのでは、新たな事実など出てくるはずがない。

 これで、都民は都議会の無能さというか、既存の政党への不信感だけが大きくなっただけだろう。コイケ都知事の高笑いが聞こえてきそうだが、『食の安全・安心』を政争の道具に使うのは、古い政治体質そのもの。まあどっちもどっちというところ・・・。

 これで都議選の勝負は決まった同然だろう。横浜の片田舎で仙人的貧乏生活を過ごしている私にはどうでも良いことであるが、百条委員会そのものが都議選目当では、コイケ都政への過度の期待は無理だろうな・・・。(田舎親父)

2017年3月21日 (火)

地裁 やるジャン・・・

 先週、前橋地裁が福島原発事故で福島県から群馬県などに避難した住民ら137人が国と東電に計約15億円の損害賠償を求めた訴訟で、『東電は巨大津波を予見しており、事故は防げた』と判断、東電と安全規制を怠った国の賠償責任を認め、うち62人について計3800万円超の支払いを命じた判決に、久しぶりに、司法もやるじゃん・・・と気分がよくなる。

近い将来巨大地震が来るだろうことは、かなり以前から話題になっていた。実際に、政府が2002年には、『福島沖を含む日本海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生する』と予想して、注意を喚起していたが、肝心の当時のコイズミ内閣が本気でなかったことから、東電も緊迫感をもたなかったようだ。

少し話は飛び、あくまで私の推測だが、その後コイズミさんはこのことがトラウマになって『脱原発』を主張していると考えると辻褄があう。

原発事故後、さまざまな事実が明らかになったが、中でも重要なことは、2007年8月に東電は当時の会長を中心に、津波対策の会議をしたこと。しかし、東電首脳部は想定する津波を低めに見積もり、現状で大丈夫だろうという結論に達し、国はそれを追認した。

この辺りを今回の判決は重視して、(記事をそのつま引用すれば)国については、東電のこの会議から社内で自発的な津波対策が難しい状況を認識しており、規制権限に基づき対策を取らせるべきだったのに怠ったとして『著しく合理性を欠き、違法だ』とした。

かなり難しい表現だが、私なりに解釈すると、東電の社内議論に対して、当時の内閣も同じように『そんな大津波など来るはずがない』としたことに対して、これは国の怠慢だと判断し、規制権限に基づき対策を取らせるべきだったのに怠ったとして『著しく合理性を欠き、違法だ』だとしたというところか・・・。

2007年8月、東電は『対策には多大な費用がかかるので、やりたくない』と主張したことに対して、『景気対策が優先するのもやむ得ない』と承認したのが第一次のアベ改造内閣。その後一月で、『ボクチャンお腹が痛いよ』と敵前逃亡し総辞職したのが、現在のデンデン首相である。

なるほど、この御仁が『原発事故は収束した』と言いたくなる気持ちの背景に、東電の事故対策を見逃したのが自分である負い目があるに違いない。一刻も早く、この負い目から逃れたいという焦る気持ちが、『事故は収束』という被災者を冒涜したような文言になったと考えると腑に落ちる。

さらに、今年の東日本大震災で犠牲になった人たちの追悼式で、『原発事故』に触れなかったことも、とにかく原発事故から逃れたいという意識があるのだろうが、人間として許されることではない。

 話を戻すが、原告一人一人について、裁判所がこれまでに支払われた慰謝料を考慮したとしても、137人という大勢の原告団に対して、地裁が提示した金額は、たったの4千万円弱とは、一桁も二桁も違うのではないかと思いたい。

そのことは別に考えるとして、今回の判決は、原発の津波対策を巡る訴訟で国と東電の過失が認められたのは初めて。国の賠償責任を認めたことは極めて大きな意味があることは私でも十分理解できる。

同じように国と東電を相手取って集団で起こしている訴訟が、全国で30件超あると聞いているので、今後、この判決が及ぼす影響は大きいに違いない。

今後の裁判では、各地から、朗報が届くことを期待したい・・・。(田舎親父)

2017年3月18日 (土)

デンデン思想の押しつけ・・・

 アッキ-ド疑獄が面白い展開になってきた。

カゴイケという御仁は、日本会議に所属しているある大物政治家から、『我々が主張している美しい日本を作るためには、教育を根本的に変えなければダメだ。どうだい、首相も応援すると言っているから小学校を作らないか・・・』と持ちかけられたとしよう。

自分も教育勅語に心酔していたとなると、『身に余る光栄』とばかり、大急ぎで動き出す。ねらっていた土地は豊中市の国有地。国と大阪府も、大将同士が同じ発想なので、トントン拍子にそこが小学校建設の候補地となり、デンデン女房を名誉校長に奉り、『安倍晋三記念小学校』という名で寄付金を集めた。

全て順調。デンデン首相と財務省が後ろ楯になっているのが心配は無用。しかし、もうすぐ開校というところで、豊中市の一人の気骨ある市会議員が、何か変だぞと思い調べはじめたところ、出るわ出るわ疑惑のオンパレ-ド。たちまちのうちにネットで広がり事態は急変。アッキ-ド疑獄事件の始まりである。

国民の目を何とか誤魔化したいデンデン内閣は、証人喚問などトンデモナイと拒否してきたが、このままではますます大騒ぎになると思ったらしく、参院の予算委員長がデンデンの茶坊主であることから、参院の予算委員会のメンバ-が現地視察に出かけることになったらしい。ここまでは筋書き通りだったらしいが、そこにカゴイケ爆弾が炸裂。

『首相から100万円寄付された』と暴露したものだから、自民党と公明党は大混乱。てんやわんやの大騒ぎになったらしく、大将にお伺いをたてて『これ以上拒否できません』ということで、23日にカゴイケ氏を国会に呼び出して、証人喚問を行うことにしたらしい。

なぜ23日にというと、デンデン夫妻は揃って例によって外遊とか。直接対決を避けたというところか・・・。ますます臭くなるが、共産党の委員長も、その日アメリカへ出かけて留守だというのもひっかかる。

当日、さすガのNHKでも証人喚問のニュ-スはスル-できないだろうから、『100万円の寄付をいただいた』などの映像が流れたら、たとえ外遊中であっても、『私や妻が関係していたとしたら、首相はもちろん議員も辞職する』と言い切っていたことから、それだけでも首相退陣に追い込まれることは想像に難くない。

カゴイケ氏に好き勝手に発言させては大変なことになると、自民党(公明党も維新も同じだろうが)として、そんな事態だけは避けたいだろうから、23日までに、カゴイケ氏の説得(懐柔)に全力を尽くすことは間違いない。 

 信じられないようなカネを積むか、それとも裏方が、必死になって影で首相の、『俺が悪かった。悪いようにしないから、ここは我慢してくれ』という、署名入りの約束書との交換で口封じという筋書きでも用意するのだろうか・・・。しかし、これも、どこからか漏れることもあるとなると、そこまで露骨な口封じは無理ではないだろうか。

 カゴイケ氏次第だが、妥協点が見つからなかったとしたら、後は、改めて証人喚問を拒否するか、本人が物理的に国会にこられないようにするしかない。今更、自民党側の都合で中止とはいえないだろうから(想像したくないが)カゴイケ氏が物理的に出席できなくなる?。いくらなんでもこれは推理小説の読みすぎだろう.・・・な。

 話は少し飛ぶが、自民党が強引に今国会で提出を目指している『家庭教育支援法案』の全容が明らかになったというニュ-スに、アッキ-ド事件の本質が、日本会議が一貫して主張し、デンデン政権が押し進める『美しい国つくり』という教育施策にあることを改めて感じている。

この法案の目指しているのは、国が家庭教育支援(押しつけ)の基本方針を定め、地域住民に国や自治体の施策への協力を求める(命令して実施させる)ことであることは、今更述べるまでもない。教育は『子ども自身のため』ではなく、限りなく『国家のため』のものするために『愛国心』を植え付けるというのがねらいだろ。

アベノミクスというわけのわからない言葉で、富めるものはさらに富み、貧しき人たちをさらに貧しくする政策を続け、格差は信じられないほど広がっている。しかも富が一部に集中し、圧倒的多数の国民は貧困にあえぐ。

その日暮らしを強いて、思想的にはバラバラにした後、『愛国教育』を注入すれば、日本会議とデンデン内閣が考えている『美しい日本』の実現の運びになるという目論見だろう・・・。教育勅語を柱とした、森友(アベ友)アベ友学園『デンデン小学校』の誕生というシナリオか・・・。

 デンデン小学校が大阪豊中にねらいを定めたことも筋書き通り。大阪府がいち早く、教育特区の指定を受けて学校教育の民営化に乗り出し、私立小学校の設置基準を緩和したためのはつい数年前。そこからデンデン小学校の実現への道は、まさに国家をあげて政策となりそのスピ-ドは信じられないほど速かった。

 アッキ-ド疑獄を追求し、デンデン夫妻には政治の場から速やかに消ただき、加えて自民党に『家庭教育支援法案』を諦めさせないと、『国家戦略特区』を利用して市有地の無償譲渡を受けた今治市のもう一つのデンデン学校である、『加計・アッキ-ド加計学園』はもとより、私が知らないところで進んでいる違いない、『第3、第4のデンデン学校』が全国に拡大することは間違いないようだ・・・。(田舎親父)

2017年3月17日 (金)

子どもを預けるのも命懸け?・・・

 連日、国会をバカにしたような発言を繰り返しているイナダというオバハン防衛相と、辞任(更迭)を求める世論に対して、シラッと下顔で『この程度の発言では辞任する必要はない』とうそぶく官房長官。

 追求を避けるために、真っ黒ケッケのデンデン女房を『私人』と『閣議決定』するバカバカしさに気分がふさいでいるので、違うことをつぶやきたいものだとネットで話題を探していると、『預かり保育で娘死亡 親の願い』という見出しを見つけた。

まさか、最近話題になっている、親の我が子への虐待で、死亡したことは親の希望?・・・。そんなバカなことはあるまいと思いながら本文を開く。

本文の見出しは、――『あんなに元気だったのに・・・・』 預かり保育で乳児死亡 両親が伝えた『教訓』――というゴチック活字。これならば大体の内容は推察できる。私の早とちりと一安心ながら、人を驚かせる見出しである。

全国の多くの自治体は、『ファミリー・サポート・センター(ファミサポ)』という事業を進めているのだそうだが、相変わらず世間知らずの私には始めて聞く。なんともコンビニ的なお手軽な名称に、最近の軽薄さを嘆く。『子どもを預けたい人と預かりたい人をつなぐ事業』なのだそうだがこれも保育園不足のなせることなのだろう。

何かをする時に、子どもを預かってくれる場があれば良いと思うのは当然だろう。預けたいが、友人知人がいないという悩みを持っている人も少なくないだろうことは容易に想像できる。

そんな声に現政権が飛びつき、自治体と共同で始まった事業らしいが、大阪府の八尾市の『ファミサポ』で、生後5ケ月の女の子が、わずか1時間の預かりの間に脳死状態に陥り3年後に亡くなった事故(事件)があったのだそうだ。

『また大阪か・・・』というつぶやきが思わずでてしまう。多分、この事故のことはマスコミが報じたと思うのだか、私の記憶にはない。この事業を利用して娘を亡くした両親が、先日厚労省を訪れ、『事故の教訓を生かしてほしい』と国に要望したという記事である。

事故の内容であるが、この女児の母親は、痛みの治療に病院に行くために、1時間ほどファミサポの紹介で女性宅に女児を預け、戻ってみると、心配停止の状態だったという。状況がよく見えないが、その間はたった1時間。常識的にはとても考えられない。

『フアミサポ』のことは、母子手帳をもらうときに受け取ったチラシや、市役所に置いてあったパンフレットなどで知り、これを利用すれば安心と考えたというから、ここまでは国や自治体のねらい通りである。

ところが、最近は、『ビジネス』という言葉が大流行。チョットのアイデアがお金になるとさまざまなビジネスが横行しているようだから、この『ファミサボ』も、ビジネスチャンスとばかり玉石入り交じった人間が集まることは想像できそうだ。

この制度についての知識はほとんどないが、一応乳幼児を預かるのだから、保育士の資格のない人が応募できるはずはないと信じたい。

しかし、保育園不足を利用?して、保育士を一人雇って『保育園』もどきを開業しているという話も聞こえてくるように、ファミサポ業界にも、そのたぐいが存在しているのではないだろうか。

詳しいことは省くが、女児の意識は戻らず、脳死状態で3年後に亡くなったとのこと。預かった女性は、ずっと責任を認めず謝罪なかったが、しばらくすると代理の保険会社が窓口となり、直接のその女性と連絡がとれなくなったというから、八尾市の対応はまるで交通事故?扱い。なんともいやな感じを受ける。

両親は、預け先の女性と八尾市、市社会福祉協議会を相手に、約7900万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴したが、裁判での尋問の段階でも、預かり先の女性は多くの質問に『覚えていません』『わかりません』と答えというから、事実だとしたら、まるで昨今の国会問答そのもの・・・。

結果として、地裁は昨年12月に、『うつぶせ寝が原因で死亡した可能性が高い』という考えを示し和解を勧めた結果、今年の3月になって(形式的にだろうが)女児を預かった女性が謝罪して、4000万円の和解金を支払うことで和解が成立したのだそうだ。

和解金は預かった女ではなく保険会社から支払われるというから、八尾市としてはこんな事故も想定して保険会社に担保しておいたようだ。

大事な子どもの命が4000万円。保険もしかたないのかもしれないが、子どもを預けるのも命がけというと語弊がありそうだが、なんともいやな時代になったものと後味の悪さを覚える記事である。(田舎親父)

2017年3月16日 (木)

人の血が流れているの?・・・

 権力を握ると人間は『奢る』ものだとは昔から言われていたことである。

日本の最高権力者の総理大臣ともなると、自分の言うことに、周りの誰もが唯々諾々と従いもてはやす。行く先々で『総理大臣さま』と敬われ大歓迎を受けるのだから、『奢るな』ということが、そもそも無理だろうことは、何の権力も持たない貧乏年寄りの歩足しでも十分に理解できること。

 歴代の総理大臣は、それぞれ『驕り』があった。私が知る限りでも、驕りを批判された人物も何人も存在するが、『安倍晋三』という男の『驕り』は、歴代の総理大臣が束になってもかなわないほどの度が越えた『驕り方』を発揮している。

 庶民のことなどは眼中になく、大企業が儲かればそのうち『その一部(おこぼれ)』が回ってきて下々の生活も良くなるだろうという理論を本気で信じているらしく、『アベノミクス』なる言葉を作り出し、ひたすら金儲け命の輩のための政策を推進。結果的に、経済格差が進み、ほんの一握りの人間が富を独占する世の中に変貌したことは衆目の一致するところ。

 また、自衛隊員の命など、この男にかかると大したことがないらしく、憲法を拡大解釈して国連PKO活動と称して戦闘が続いている南ス-ダンへ派遣し続けている。しかも駆けつけ警護なる奇妙な文言を作ってアメリカさまの意のままに動く。

最近になって、派遣地域付近での戦闘が激しくなり、国会で追及されると日報など破り捨てたと強弁する無茶苦茶ぶり。それでも、日報がどこからかでてきたことや、戦闘が激しくなって、いよいよ危なくなったらしく、9月から撤収を考えていたとうそぶいて、南ス-ダン政府の意向など全て無視して5月に撤収することを決めてしまった。

最近になって、急に賑やかになったデンデン小学校事件や、もっと大がかりな疑獄事件だろう加計学園問題なども、この男の『驕り』が背景にあると推測しているが、検察が動かないのはその証左の一つだろう。

この問題は、国民の怒りの声が大きくなるだろうと期待して見守っているが、国会で追及されると、怒り狂って『証拠があるか・・・』と開き直る態度から想像すると、この男の『驕り』に少し陰りがでてきたのかもしれない。

自分の取り巻き連中(よいしょする輩)には、気前良く大臣席を与えるばかりか、集まってくる官僚たちにも望外の地位を与え、手下として使う術は誰かに教えられるのだろうが、できるのは『オレの持つ力』だと思いこむ。これも『驕り』に違いない。

『原発事故は収束した』なんて、どの口から出るのか不思議で仕方ない。都合の良い情報だけしかこの男の耳には届かないように、取り巻き連質が分厚い壁を作っているため、本気でこんなセリフが出るのかもしれないが、これなどは典型的な『驕り』だろう。

今年の、東日本大震災の政府主催の『追悼式』のあいさつでは、ついに原発事故に関する言葉を一階も出さなかったというから、本気で『原発事故は収束した』と思いこんでいるのかもしれない。だとしたら、これは究極の『驕り』である。

恐らく、この男の頭の中には、東北大震災も現発事故も消えているに違いない。亡くなった多くの人たちのことなど雑事であって、自分が思い描く『美しい日本』にとっては、それすら汚点、意識的に早く忘れたい?・・・。

ここまではっきりした『驕り』が現れているのに(日本人の体質なのだろうが)奢る権力者に憧れ感があるらしく、支持率は今でも50%以上あることが信じられない。

これもマスコミの操作だろうと思いたいが、選挙になると、圧倒的に『この男』を大将と祭り上げている自民党が、地方でも勝利するから、思えば思うほど虚しくなる。

おだてられると気分が落ち着くが、少しでも批判されると怒り狂う。ネット上の知人は、この男のことを『狂人』と呼ぶ。当初、ちょっとそれは拙いのでは思っていたが、この男が総理大臣の席に着いてから世の中の荒みが日常化していることを考えると一理も二里もあると納得。

やっていることは、富裕層をより富裕にすることだけ。このことを、言い換えれば貧しい人たちをより貧しくする政策ばかりで、人間の血が通っているとは思えない。まさに『悪魔に魂を売り渡した人間もどき』と表現しても差し支えなさそうだ。その意味で『狂人』の名に相応しいのかもしれないと思いはじめている。

一人の『狂人』のため、圧倒的多数の人間として生きたいと願っている国民が虐げられる・・・。こんなことが許されて良いはずはない。

一日も早く『狂人』を退場させないと、狂人が『是』となってしまったら、狂人に群がる人たちは全て狂人となり、やがて世の中全てが狂ってくるような不気味さが迫ってくる気配を感じる。

もっとも、もうとっくに狂っているよという声か聞こえてきそうだが・・・。(杉)

2017年3月15日 (水)

月100時間残業が合法?・・・

デンデン首相が、経団連は連合のトップを官邸に呼んだのは13日のこと。

両会長は恐縮したのか震え上がったのかはわからないが、首相との会談に先立ち、上限規制に関する合意文書を作成したという。文章は、繁忙期の月間上限は『100時間を基準値とする』という内容で、『以下』や『未満』という言葉を使わず、『基準値』という曖昧な表現だったらしい。

マスコミ記事には、首相は会談で、労使合意について『労働基準法70年の中で歴史的な大改革だ』と強調し、『今回の合意は大きな一歩だが、最初の一歩にすぎない』とも語り、労働時間の削減へさらに努力するよう求めた・・・とある。

随分、デンデン氏に気を使った表現である。実際のところは、『働きかた改革という言葉を広めているところだから、労使強調路線に協力しろ・・・』とでも圧力をかけたのではと想像しているが・・・。

両者は一応持ち帰って検討するということになったらしいが、直後に経団連は『了解しました。未満という文字を入れます』という返事をしたようだ。それが連合にも伝わり『未満』という文字を勝ち取ったと大騒ぎ・・・。

労働基準法には細かい規定が記載されているようだが、私には理解する能力がないのでそのことには触れないが、今回、首相裁定で、『月100時間未満の残業』に労使が合意したということは、労働者にとっては今後大きな足かせになることは間違いないところ。

『繁忙期などは・・・』という文言もかなりひっかかる。会社が『繁忙期』と決めるのだろうが、人で不足に悩む時代だから、人手を確保できれば経営が順調だと主張すれば年から年中『繁忙期』になるのは、経済音痴の私でもわかる理屈である。

さらに、合意文書は過労死・過労自殺ゼロへ『不退転の決意で取り組む』と明記してあるのだそうだが、確か労働行政上では、月80時間の残業が『過労死につながる一種の基準値』という扱いではなかっただろうか。

80時間未満ならまだしも、さらに20時間を超えて残業させても良い?・・・。こんなアホな合意を、こともあろうに労働者側に立っているはずの組合の『連合(組織)』のトップが、唯々諾々と受け入れることが信じられない。極端な表現になるが、この合意文章は、『不退転の決意で、過労死者を生み出す』と受け止めても奇怪しくないブラックジョ-クそのもの。

電通の女性社員が、残業につぐ残業を命じられて、自ら命を落した事件は世の中に大きな衝撃を与え、電通は全社をあげて残業自粛に追い込まれたことを、私も最近つぶやいたばかり。

電通は、『二度と過労死は出しません』と世の中に宣言したはず。現代社会は、次々といろいろな事件や事故が起きるため、電通のその後はあまり話題にならないが、今回の合意を見ると、今でも残業自粛が続いているのだろうかという素朴な疑問が頭をよぎる。

電通は人手があればあるほど業績が上がる会社だと耳にしている。電通は、事件を教訓に労働法を遵守していると信じたいが、体質が体質だけに、極端な産業自粛がいつまでも続いているとは思えない。

自殺した高橋まついさんの母親が、『100時間の残業を認めるとなると、娘に続く犠牲者が出るのでは・・・』と、今回の労使合意を強く批判しているとのことだが、その心境が痛いほど伝わってくる。

確かに、今回の労使合意で、99.99時間の残業は合法だとはかり残業を強要する会社が増えることは想像に難くない。

労働基準監督署には残業時間について労働者からの相談が寄せられているという。これまでは法的な数値が曖昧だったのだが、『100時間未満』とはっきり文章化されたら『あなたの相談は妥当』と真剣に受け止めてもらっただろう相談事が、『あなたの残業時間は、90時間だから受け付ける値ではない』となるのでは・・・。

労働者の味方ではなく、いじめる側になった『連合』など存在価値はない。と同時に、その連合に迎合している民進党もしかり・・・。

民進党は一日も早く連合とは手を切って、脱原発を党の方針として、全野党と連携して現政権と対決するしか生きる道はないのでは・・・。(田舎親父)

2017年3月14日 (火)

ゴミのような事件でも動く検察が・・・

 デンデン小学校のカゴイケという男は、補助金をだまし取る目的(もっと深い汚らしい筋書きがあるのだろうが・・・)で、国や大阪府、あるいは関西空港局の3つの役所に小学校の工事費用として、全く違う金額を書いて申請したことが明らかになっている。

そして、国からは5千5百万円超の巨額の補助金をまんまとだまし取ったという。形式が全く同じで筆跡も同一人であることから、『公(私)文書偽造』という犯罪であることは間違いないところ。いつもなら真っ先に乗り出す検察(特捜部)がダンマリを決めこんでいるのは誰かが『動くな』と命じていることだと誰しもが想像できる。

ロッキ-ド事件では時の最大権力者である田中角栄首相を収賄罪に追い込んだ、あの検察特捜部がである。ところが今回はひたすらダンマリ・・・。

多分、ロッキ-ド事件では、同じ自民党の中での権力争いがあり、角栄氏を追い落したい勢力が、『動くな』という足かせを取り外したのだろうが、当時の私には、そんなことを考える余裕もなく、さほどの関心がなかったことから、その筋書きは読めなかった。

時は移り、小沢一郎氏が関係していると言われた陸山会事件では、検察特捜部がいち早く動きだし、徹底的に小沢氏を追い込んだことは記憶に新しい。

最終的には無罪になったものの、小沢氏の政治的な権威を失墜させ、政界での影響力を著しく低下させたのは、やはり強力な政敵がいたからであることは、政治音痴の私でもその筋書きが読めるほどだったことを思い出す。

今回のデンデン首相夫妻の疑惑を、山本太郎氏が『アッキ-ド事件』と名付けたが、彼のセンスに敬服。私も今後は『デンデン小学校事件』ではなく『アッキ-ド事件』という言葉を使わせていただくことにする。

『ロ-キ-ド事件』と『アッキ-ド事件』、どこか違うのだろう。『ロッキ-ド事件』では、角栄氏追い落しの筋書きで動いた権力者(政敵)が存在したことに対して、今回の『アッキ-ド事件』は、デンデン首相に対する強力な政敵が存在しないということになる。

『アッキ-ド事件』で検察が動かないということは、デンデン首相周辺から『動くな』という命令がでているからであることは私でも想像がつくことなのに、優秀な人材が揃っている日本のメディアはこのことを指摘しない。

これは恐ろしい。カゴイケという男は、明らかに『公(私)文書偽造』という犯罪者であるのに、これを取り締まらない。いや取り締まれないとなると、これはもはや絶対主義というのか全体主義というのかはともかく、あの無茶苦茶な北朝鮮という国の体制と何ら変わらないことになる。

ふと、去年の暮れだっただろか、美濃加茂市長が、わずか30万(貧乏年寄りの私でも何とか調達できる金額)を収賄したというゴミのような事件を検察が執拗に動きまわり、単なる状況証拠だけで起訴したことに対してつぶやいたことを思い出す。 

一審は無罪だったのに、検察は控訴し二審では逆転有罪となった事件である。美濃加茂市長は全国で一番若く市長になったことで、恐らく、このことを快く思わなかった地元の古狸たちが、追い落しのために動いたことは容易に想像できる。

この古狸たちがどことつながっているのかは興味がないが、少なくとも、どうしても追い落したいという強い意志で動き、市長を黒にするための状況証拠を揃え、検察の後押しをしたことは間違いないところ。

市長は一貫して否認し、二審の有罪判決を受けて辞職。やり直し市長選に立候補して、圧倒的多数の指示を得て当選したことは、一部の新聞が地方版で取り上げただけ。私がこのことを知ったのはいつものようにネット記事からである。

市長に返り咲いたが、6月には任期切れとなってまた市長選を戦わなければならないようだが、今回の結果を見れば、最高裁も有罪判決は無理だろうし、対抗馬は現れないのではとひとまず安心しているが・・・。

それにしても、検察が権力者の側に立ったら、よほどのことがない限り、それをはねのけることができないという構図そのものが奇怪しすぎる。この構図を許してはならない。

検察はそんなことはない、公正に扱っていると強弁するのなら、少なくとも、動き出しているという姿勢だけでも出すべきだが、それすらできないとなると、悲しいことであるが、『動くな』という命令は絶対的なのだろう。

検察の中にも、動くなという命令が理不尽だと思っている人物も相当数いるはずと信じたい。この勢力を後押しできるのは世論の力。世論を作るのはメディアであるが、昨日の毎日新聞が社説で、『籠池氏の招致 自民党は何が怖いのか』という題名で、自民党に証人喚問に応じろと論じていることに拍手を送りたい。

これは朗報であるが、圧倒的に世論に影響するメディアはNHKだろう。しかし、国会中継さえも官邸にお伺いをたてているようでは、『自民党よ怖がらずに・・・』なんて言葉は遠い遠い、さらに遠い先の話だろう・・・な。(田舎親父)

2017年3月13日 (月)

疑惑隠しの撤退だろう・・・

 先週の金曜日、デンデン小学校事件で、渦中のカゴイケという男の記者会見があったらしいが、全く同じ時刻に官邸では首相の緊急の記者会見が行われて、『南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊の施設部隊を5月末に撤収』と発表したことを夕方のテレビニュ-スで知って、思わず、長野県の鉢伏山での消防ヘリ墜落を思い浮かべてしまった。

 先日も述べたが根拠はない。あくまで私の推理小説の読みすぎだと思っているが、ベテランの山のことを知り尽くした操縦士と救助のプロたちが視界も良く風もない気象条件だったのにも関わらず、墜落して全員が死亡したことがどうしても納得できずひっかかるからである。

 隊員がカメラを稼働させていて、その画像が一部公開され画像を元に推測すれば樹木の枝にひっかかって墜落・・・という見方が有力らしい。しかし、そのような結論になれば、墜落の原因は、操縦士の単純ミスとなってしまう。そんなことがあるだろうか。

操縦士のミスで仲間8人の命を奪ったなんて考えたくない。繰り返すが、推理小説の読みすぎと言われたらそれまでだろうが、丁度、デンデン小学校の話題が沸騰しはじめた時と同じだったことから、何らかの政治的な力が働いたと考えた方が筋道がおおるのでは鳴いたろうか・・・。というのが私のホンネである。

このことはともかく、突然、南ス-ダンから自衛隊の引き上げを発表とは、いくらひいき目に捉えても唐突すぎる。無理に無理を重ねて、やっと『駆けつけ警護』なる奇妙な言葉をつけてまで、武器の使用を可能にして新たな部隊を派遣したのにである。

しかも、隊員の命が危険にさらされていないと、国会で虚言癖のある右翼思想丸出しの防衛相が発言したのにも関わらず、急遽引き上げなければならなくなったのか、そこには、とてもデンデン小学校問題と無関係とはとても思えない。

私は両方の記者会見とも映像を見ていないが、森友のカゴイケ理事長は、いろいろと釈明したようだ。その中で、小学校の申請を取り下げて理事長を辞任すると語ったことに対して、昨日までは、小学校を必ず作るといっていたのにと大きな違和感覚える。

しかも、尻尾切りは許せないと語っていたのに一夜にして方針が変わった?・・・。そんなことはあるまい。カゴイケ息子は首相とあったことも明らかにしていたのに、急に曖昧な発言になっている。これは、水面下で現政権と何らかの取引があったことはほぼ間違いない。

一方、官邸では夕刻に自衛隊の引き上げ発表の直前には『NSC(国家安全保障会議)』が開かれたらしいが、数分間であっさり終えて、すぐに記者会見になったというから、デンデン首相は集めた閣僚たちに,『事情があって、自衛隊を撤収するぞ』と一方的に告げただけだろう。そして、取り巻き閣僚たちは,『了解しました、総統閣下さま・・・』というマンガのような光景が浮かんで来る。

 翌日の新聞には、現地の自衛隊幹部の、『駆け付け警護の新任務が付与され、今春以降も派遣が延長されると思っていたので驚いた』とのコメントが掲載されていたが、これがホンネだろう。どうやら自衛隊の幹部たちは全く把握していなかったようだ。

 こんなことがあって良いのだろうか。まるで、太平洋戦争時に、将校すら行先も知らず大部隊を移動させ、多くの兵隊が悲惨な環境のもと餓死するなどという場面を思い出す。

例によって、テレビニュ-スの映像では、影の首相と噂されている官房長官は、いつも通りのシラッと冷めた顔で、『5年という節目を見据えて、昨年9月ごろから検討してきた』と、もっともらしい理屈をつけて発表しているが、無理に無理を重ねているのは明らか。何か奥歯にものが挟まったという風にしか見えないのだが・・・。

一部メディアが述べているように、同時期に行われた森友学園の記者会見をねらって、メディアの分散化と国民の目をそらすものだという指摘の方が説得はありそうだ。

自衛隊の撤収は、圧倒的多数の国民が望んでいたことだろうから、世間的には歓迎されることは間違いない。この専権の中には上手いシナリオを作るキレモノがいるものだ感心するが、南ス-ダンの現地政府は寝耳に水だというから、撤収までには外交的な揉め事がおこる可能性があるのではないだろうか。

自衛隊員に犠牲がでたら、政権は吹っ飛ぶことになりそうなので、デンデン小学校の事件のほとぼりを覚ますという一石二鳥をねらった?・・・。

検察も見て見ぬふりを続けていることもあって、いつの間にか、世間の追求が下火になったら、国連からの要請(アメリカさまからの命令?)を拒めないといタテマエを全面に出して、また派遣と言い出すような気がしてならないのだが・・・。(田舎親父)

2017年3月11日 (土)

絶対忘れないために・・・

 6年前の3月11日、金曜日の午後2時46分、突き上げられるような揺れを感じて思わず外に飛び出したが、こんなことは生まれて始めての経験だった。

 自宅前、3つの老人施設の入り口と駐車場スペ-スのために、かなり広い空間が広がっているので、たとえ近所の住宅が倒壊してもその下敷きになることはない安全地帯。そこからみた風景は、電線がいまにも引きちぎられるのではないかと思うほど撓み、地面が波打つ恐怖の世界。

とっさの判断でラジオを持ち出したらしく、そこからは、アナウンサ-の緊迫した様子が伝わる声で、『ただ今、東北地方で大きな揺れを感じました』というフレ-ズが繰り返し流れていたことも鮮明な記憶として残っている。

横浜の片田舎でもこの揺れだとしたら、震源地の付近は一体どうなっているのと心配になるがその時は、あれほどの津波が襲うなどということは想像すらできなかった。まして、福島原発が津波で建物か崩壊し電源を失うことなど誰も考えられなかったに違いない。

私のラジオの周りには、同じように自宅から飛び出した年寄りたちが集まり、アナウンサ-の声に我が身をおいて、真剣に現地を心配したものである。

やがて、揺れがおさまり自宅に戻ったのだが、震度5の揺れにも幸いなことに被害はゼロ。オンボロ我が家に、良くやった・・・と褒美の言葉を送ったものだが、それから延々と続く大津波で町全体が飲み込まれるテレビが映し出す映像に、目を背けたくなるものの目が離せないという奇妙な真理になり、ずっとテレビの前から離れられなかった。

まるで映画や小説の世界がそこにあった。津波の恐ろしさは、学生時代に気象を専門教科として選択したので文献や映像から学んだものだが、あれほどのものとは全く考えられず、被害にあわれた方には申し訳ないが、気持ちが悪くなって戻しそうになったもの。

その翌日、さらに深刻な悲劇が起きた。福島第一原発が制御不能になり、建屋が次々と爆発する光景に、もう日本はお終いだと絶望感を味わう。一部の科学者を除いては、ほとんど全ての国民は『原発は絶対安全だ』だと思っていたに違いないのに・・・。

私も原発には一抹の不安を持ちながら、否定するまでの心境になっていなかった。恐らく、深く考えないようにしていたことから、福島第一原発のある地図上の位置すら、半きりと知らなかったことを事故後に反省したものである。

当時、東電は莫大な宣伝費をかけて、民放テレビ割拠のスポンサ-になって(極端に表現したら)のべつ間もなく、『安全で安心なクリ-ンエネルギ―』を強調する、人気女性タレントのコマ-シャルが流れていたことも今も悪夢として思い出す。

タレントとしたらそれが仕事なのだから仕方ないとは思うが、原発事故後、しばらく姿を消したものの、人気は衰えなかったらしく、すぐに復帰してオリンピックの招致コマ-シャルに出ずっぱりになっていたことも私の民放嫌いの一因にもなっている。

当時の民主党のアホカン内閣のでたらめぶりも腹立たしい記憶として生々しく頭に残っている。風向きを読み違えて、風下の方に誘導したことにも、何の反省も謝罪もなく『安全です人体に影響はありません』と、しゃべり突つけていたエダノという官房長官の姿はオウム時点のジョウユウという広報担当者とダブったものである。

原発事故は、私たちが原子力に対して知らないことを多く教えてくれた。一番大きな問題は、発電のために用いた核燃料の燃えかす(核のゴミ)の捨て場がないこと。これまで、それらのゴミは、原発の構内で保存していたことを知って、愕然としたものである。

このゴミを少なくするためにプルサ-マル計画といういわば永久機関とも言えるような夢の原子炉『もんじゅ』にひた走り、建設はしたものの、稼働不可能という結論となり1兆円以上の巨額の税金が消えてしまった。それでも、現政権はこの永久機関を追い求めているのも変な話だが、裏に膨大な利権が隠れていることを知ると、所詮、カネのためには人の命なんか・・・という姿が浮かび上がる。

事故現発の核燃料はメルトスル-して、原子炉の格納容器の底を突き破って地中深くにたまっているらしいが、近づいたら即死するほど高い放射線値に阻まれて、撮影のためのロボットすら進入できず、いまだにその存在すら把握できないのだから、取り出すなど不可能では・・・。

デンデン男は原発事故は収束したと世界に宣言して失笑をかっているが、国内では除染が進んだから安全だと御用学者に語らせて、住めるようにしてやったから帰還せよと迫っているのも酷い話。しかも、間もなく自主避難している人たちへの援助を打ち切るというのも一種の兵糧攻めで、生活が苦しくなれば帰還するだろうという悪魔の発想。

事故とは直接関連しないが、戦前の教育勅語に象徴される国民のあり方が、理想の国の姿とうそぶき、汚らしい手法で何十億もの税金を手先に与えて学校を作らせる。利権とカネに魂を売り渡しているものにとっては『恥ずかしい』という言葉も失っているようだ。

こんなことは、すでにつぶやいたことばかりであるが、3月11日の大津波と、それに続く原発事故は絶対に忘れないぞという強い気持ちの証として、思いつくままに駄文を綴っている・・・。(田舎親父)

2017年3月10日 (金)

これは危険な臭いがするぞ・・・

 デンデン小学校の問題がかなり面白くなっている。ここまで真っ黒なデンデン男と内閣を倒せなければ野党、特に民進党の存在価値がないと思っているのだが、国会質問などを聞く限り、民進党からは本気度が伝わってこないのは歯がゆい限り。

 こんなことはできない相談だろうが、質問時間を共産党と参院のヤマモトタロウ氏に任せたら、たちまち情勢は変化するだろうなんて想像しているのだが・・・。

 だが、記事の内容はともかく読売新聞までが取り上げるようになったことは変化の現れと歓迎したい。視聴率が稼げる話題なので、テレビのワイドジョ-もかなり気合を入れ出していることから、デンデン小学校関連の記事を出さなければ、読売新聞としては購読者の減少につながるという危機感の現れなのだろう。

このまま大騒ぎがしばらく続くが、民進党の現在の体たらくでは、大阪府が小学校の開校を認可せず、財務省がこの土地買い戻すということで、デンデン内閣は逃げきるような気がしないでもない。もっとも、買い戻しも裏での取引があるのだろうが・・・。

こんな騒ぎの中で、3月7日にデンデン政権が水道水事業の緩和を盛り込んだ『水道法改正案』を決定したという見出しをネットで見つける。本文には、改正案では事業譲渡の項目が大幅に変更され、今まで禁止だった水道事業の譲渡が条件付きで可能になる見通しだとある。これって民営化?・・・。となると、世間知らずの私でも、これは大変なことになりそうだと不安になってくる。

以前、大阪市が水道事業を民営化するという話を耳にしたことがあるので、もしも国がこんなことを決めたとしたら、水道事業の赤字に悩む自治体が多いというから、すぐにでも民営化に舵を切る市町村が出るのではと心配になる。

この記事で、すっかり忘れていた大阪市の水道を思い出して調べてみると、まだ民営化には踏み切っていないものの、(大阪人には叱られるかもしれないが、『紛い物好き』の気質なのだろうが)『おもろい奴や』ということで選ばれたらしい大阪維新という政党所属の現在の市長が、民営化の方針を主張し市議会に提案する段階だと言うから、ひょっとして真っ先に大阪市の水道が民営化されそうな感じ、得も得ぬ恐ろしさを覚える。

そこで翌日(昨日)の新聞には関連する記事が載っているだろうと思い、いつもよりも丁寧に朝日新聞に目を通すが見当たらない。ネットで他の主要各紙の記事を調べてみたがやはり『ない』。

テレビのニュ-スでも報じないことから、メディアはこぞって、水道事業の民営化など大したことがないと捉えているようだが、もしも『民営化』されたとしたらどうなるのだろうと、世間知らずの貧乏年寄りなりに考えてみた。

大阪市の市長の主張は『民営化すれば水道料金が半額になる』とのことだが、そんなはずはない。郵政事業が大騒ぎの末に民営化されてからかなりの年数がたつが、郵便料金が安くなったわけではない。むしろ、郵便局の窓口が狭くなり庶民から見ると不便になり、安くなるはずの郵便料金も高くなったように感じるのだが・・・。

現在水道事業は自治体が受け持っていることは知っている。当然のことだが、地域によっての水事情が違うので、コストがマチマチであることも想像できる。そして、財政が厳しい自治体は赤字続きだと言うことも理解できるつもりである。

赤字解消のために,広域での事業を可能になればホッとする自治体もあるかもしれないが、水は命の大本であることを考えると、金勘定でことを進めることはあってはならないこと。むしろ命の糧となる水はお金以上に大切である琴ら、国が責任を持って全ての国民に公平に与える制度を作るのが先だろう。

しかし、デンデン政権のやりかたをつぶさに眺めてみると、その根底に流れるのは全て経済政策という名の『金儲け主義』、それも自分たちの利権と一部の富裕層や権力者のために行うことばかり。そのことは、今かなり騒がれるようになった、デンデン小学校の国有地をただ同然で右翼思想の人間もどきに払い下げすることなどから証明されている。

『水道事業の民営化』強烈に危険な危ない臭いを感じるが、このことは、少し私なりに調べてから、改めてつぶやくことにしたいと思っている・・・。(田舎親父)

2017年3月 9日 (木)

クロネコ便の悲鳴(その2)・・・

先日の続きになるが、普通の社会では、労働が過酷になると給料が上がるのが常識だろうと思うのだが、流通業界では労働時間が長くなっているにもかかわらず、給料が下がるという異常な状態に置かれているのだそうだ。

宅配業界の最大大手のクロネコ便(ヤマト運輸)もそれが当り前になっているらしく、労働組合が会社側にこれまでの残業代の支払いを求めて交渉を続けてきた結果、ついに妥結したらしいという朝日新聞の記事を見つけた。

 記事によると、会社は、7万6千人の従業員全てに、これまでの未払い残業代の支給を進める方針を決めたのだそうだ。傍で見ていても、配達員たちが明らかに酷使されていることがわかるだけに、残業代支給は当然なことだろうが、その額が、数百億円になるというから、会社としては大変な決断だったに違いない。

 本の題名は忘れたが、ヤマト運輸の創業者の著書を読んだ記憶がある。ほとんど内容は覚えていないが、郵便局に対抗するために、現在のような仕組みを作った人物の独創性に感心したことをぼんやり覚えている。

創業者の発想は時代のニ-ズを捉えて、瞬く間にここまでの大企業に成長したのだろうが、あまりにも国民のニ-ズが増えすぎたことで社内の対応が遅れ、社員にしわ寄せがのしかかり残業につぐ残業が日常茶飯事になっているのだろうとは容易に想像できる。

しかし、その殆どがサ-ビス残業だったというのはいただけない。数百億の支払いは当然であるが、なんでも引き受けるという現在の会社の体質を変えない限り、値上げやサ-ビスの切り捨てだけでは問題の解決はできないのではないだろうか。

ここまで大量に荷物が急増した原因は、ネット通販の影響であることは明らか。アマゾンに限らず、その殆どが、『運送料無料』とうたっているが、ずっと疑問に思っているのは、ヤマト運輸がどれぐらいの運送料で大手のネット通販会社と契約を結んでいるのだろということ。

もう10年も前になると思うが、教育旅行業界では教祖のように敬われている方に、北海道の道東の標津町に連れて行ってもらって以来、その町の人たちの暖かい人柄に魅せられて何度も訪れている。

鮭の定置網の現場にも連れていただいた。鮭児(ケイジ)と呼ばれる最高級の鮭のルイベも食べることができた。塩イクラの最高の味も教えられ、私の頭には『鮭は標津』と擦り込まれている。

そのため、お歳暮の季節になると、送料が2000円ほどかかるのでかなりの出費になるが、この味には代えられないと、お世話になった人に標津の鮭を賞味していただいている。

ネットで探すと、5000円以上送料無料とうたう他の地域の大手業者もかなり見つかるが、運送料が無料となると品質が気になる。それ以前にマヤト運輸はどれぐらいの単価で引き受けているのだろうという゛素朴な疑問が頭をよぎる。

私が払うように2000円などの金額では、こんな商売は絶対に成り立たないだろうから、きっとべらぼうな価格でヤマトは請け負っているに違いない。まして、アマゾンや楽天などと、超がつくほど個数が多い業者に対しては、さらに安い価格で引き受けているに違いない。

先日の新聞には、ヤマト運輸は、社員の待遇改善を計るために、運送料の値上げやサ-ビスの一部変更などを行うと報じていたが、北海道の味を賞味していただくために、私のように、高いと思いながらも2000円を上乗せしてまで、一匹の荒巻を送っている人もいることを忘れてほしくない。

どのぐらいの値上げになるかは知らないが、これ以上の運送料はかなり痛い。大幅な花値上げとなれば、私としては義理を欠くようになるのだろうが、5000円以上無料という他の地域の魚店を選ぶ人も多くなるのではないだろうか。これでは零細業者はとても対応できるはずがない。

数を多く扱えば運送料も安くするのは商売の常識なのかもしれないが、度を越すような注文数を示して、運送料を極端に低くしているだろう現在のやりかたが正常だとは思いたくない。

社員の待遇改善は当然であるが、ネット販売のやりかたを全て『是』として、運送料は極端に安く、しかも注文から1時間以内に届けるという無茶苦茶なシステムは考え直すべきではないだろうか。少なくとも、そのようなネット通販のわがままなシステムに宅配会社が喜んで参入してほしくない。

留守宅に再配達する現在の制度だけでも上手くクリアできれば、現在抱えている問題のかなりの部分は解決できるのではないかと思うのだが、盗難や食料品などの管理には難しい課題が多いのだろう・・・な。

今日もここまでとして、もう少し考えてみたい・・・。(田舎親父)

2017年3月 8日 (水)

またまた花粉症について・・・

季節は『啓蟄』を過ぎて、景色が春めいてきたが、やはりこの時期に目立つのは大きなマスクをつけた人々の姿。横浜の片田舎でも半分程の人がマスクをつけているのだから都心部など人混みでは、マスクをつけない人が変だと思われるのではないだろか。

それほど花粉症は国民病ともいえる感じだが、先日の新聞記事には、花粉の舞う季節になると、罹患した人たちの生産性はいちじるしく低下するとあった。そして、はたで見ていても、GDP(国内総生産)成長率を数ベーシス引き下げるとのこと。もっともベ-シスなる単位は始めてお目にかかるが、0.01%のことだというから、改めて知らないことが多いことを感じてしまう。

この季節は圧倒的にスギの花粉である。この花粉が鼻や喉の粘膜にくっついていたずらをするらしいが、毎年、新しく発症する人が多いというから、伝染病には指定されていないがそれに類すると言っても過言でもなさそうだ。

そう思ってマスク姿の人を見てみると、花粉症が移るのが嫌で、予防のためにつけている人も多いのではと思いたくなる。

花粉症にならないためには花粉をなくすことだが、一番手っ取り早い方法は、スギの木を片っ端から伐ってしまうことだという乱暴なことをいう人もいるらしい。しかし、わが国の森林面積は国土の約7割ともあり、その中でも最も広い面積を占めるのがスギ林だというから、まだ開発されていないような超効率的な方法でスギを片っ端から切り倒したとしても、気が遠くなるほどの年月がかかることは言うまでもない。

それ以前に、伐採しても新たな樹木を植樹しなければ、少しの大雨で土砂崩れが起きることから、この乱暴な意見は狂人の戯言と片づけられているのだろうが、伐採されない真相は、外国産の木材に押されて国内の需要が少なく、売れないからであることは案外知られていないらしい。

スギは樹齢25~30年を経たあたりから花粉を放出し始め、その後、100年ごろまで勢いは衰えることがないのだそうだ。全国のスギ林の多くは、戦争で荒れ果てたハゲ山を森に戻し、復興の手段として戦後に植えられたものだから、まさに今、もっとも樹勢が強い盛り。これからスギを植樹しないでおいたとしても、あと数十年は花粉が少なくなることはないようだ。

ところで、科学の進歩は凄まじく、20年ほど前に、花粉が少ないスギを作ることに成功して、現在、林野庁はこの杉の苗の植樹を進めているとのことだから、花粉症の人には朗報に違いない。しかし、そんな苗木を作ることが自体が、予算と人手不足から進んでいないというのだから、折角の朗報も現在のところ遅々として進んでいないとというから、花粉症の人のイライラはなかなか解決しないようだ。

それでも林野庁は2017年度には花粉症対策苗木を1000万本まで増やすと息巻いているらしいが、林野庁の資料によると、2012年時点のスギ林が448万ヘクタールもあることから、年間1000万本超を植えることができたとしても、すべて植え替えるには約700年という途方もない時間がかかるそうだ。これでは、すぐに花粉症への効果は期待できそうもない。

 こんな悲劇的な情報ばかりだが、先日の新聞記事を信じると、最近になって、スギ花粉対策の画期的な手法も浮上してきたとあった。
 それは、日本在来種で、アレルギーの元となるスギの『雄花の花粉だけ』を餌に繁殖する珍しいカビが発見されて、そのカビを増殖する研究が始まっていて、実際に実験も始まっているとのこと。

このカビを混ぜた液体をスギの成木にまくことで、花粉そのものを出さなくなることができるというからこれは凄い。

実用化されれば、スギの花粉症がなることは間違いなさそうだが、このカビは菌としては強くないため、安全性を確保しつつ、効果が出るように品種改良を施す必要があるというから、これまたとてつもない時間が必要になるとのことだから、こちらもすぐにという効果は期待できそうにない。

やはり、一時的にはかっての私が使っていた『コルゲンコ-ワ』という自分に合う薬剤を使うしかなさそうだが、使い続けていれば必ず薬害が心配だという人も多いようだからなんともやりきれない。

となると、薬害の心配ない素材を使って自分に合った方法を探すしかなさそうだ。私の場合は『繭の煮汁と桑の葉』だが、『アロエ』が効果的だという友人もいる。また、アロマセラピ-で治ったという話も耳にしたことがあるので、ひょっとして『バジルなどのハ-ブ類』などの効能もあるのではないだろうか。

杉は木目が真っすぐで、柔らかく加工もしやすく利用価値の高い木材。何よりも私の苗字についている樹木なので、杉を徹底的に伐採したり、その性質を変えるような方法でなく、今のままで存在させてほしいと願っている。

とりあえず今年は、プランタ-農園でバジルなどのハ-ブ類を大量に植えて『花粉症で悩む人たちはご自由に使ってください』という看板を立てたら面白そうだという計画が浮かんできた。

結果は、自分がボケなければ、来年以降のスギの花粉が飛び散るこの季節につぶやいて見たいと思っている。(田舎親父)

2017年3月 7日 (火)

推理小説の読みすぎだろうが・・・

 『長野県松本市と岡谷市の境界にある標高およそ1900メートルの鉢伏山に9人が乗った県の防災ヘリコプターが墜落しているのを警察のヘリコプターが見つけました』というアナウンサ-の声を聞いて、なんとも言えぬ違和感を覚えたのは私だけだろうか。

 昨日の夕方の時点での事故の概要であるが、5日午後、この『鉢伏山』周辺で山岳遭難を想定した救助訓練をしていた9人が乗った長野県の防災ヘリコプターが墜落。3人の死亡が確認されて、2人が意識不明の状態になっているとのこと。残りの4人は不明だが、警察と消防は、悪天候のために救助は翌朝に再開するとのことである。

 この内容から、すでに消防と警察からなる『救助隊』の一部は現地に到着し事故の様子を見て、5人の状態を確認したことになるが、悪天候なので下山したのだろうか?という素朴な疑問が頭をよぎる。

当日の天候のことも伝えていたが、よく晴れていた上に、風もあまり強くなく視界も良かったとのこと。山の天気は急変することは十分知っているが、夕刻にはかなり荒れはじめたとしても、事故当時の気象は、ずっと穏やかたったことも何かひっかかる。

 また、『鉢伏山』には登ったことがないが、アナウンさ-が『高ボッチ高原』という固有名詞を口にしたことから、大昔その辺りを歩いたことを思い出し、穏やかな起伏が続く風景がぼんやりながら浮かび上がる。

消防隊員とあるが、山岳救助を想定した訓練とあるので、このヘリコプタ-は山岳遭難時には出動する航空救助隊員を乗せていたに違いない。当然、操縦士は山岳の地形や気象条件など熟知していることも想像に難くない。

 そんなベテランの操縦士が、視界良好、風も穏やかな条件の中で操縦していたとなると、操縦士の単純ミスとはとても考えられない。このことが私の違和感が生まれるのだろうが、時が時だけに、あらぬことを考えてしまう。

 こんなことを思ってこの文章を書きはじめたのは昨日の朝。すでに大勢の編成でなる救助隊が出発したというから、間もなく、事故の全容が報じられると思うが、もしも、万が一、残りの4人の方も亡くなっているということになると、ますます、私の違和感が大きくなるに違いない。

 ネットで探しても、この事故に違和感を覚えるような書き込みを発見することはできないことから、恐らく、私の推理小説の読みすぎだろうとは思うが、なんとも気になるので記録に残すことにしてみた次第。

というのは、原発事故は明らかに東電のミスであることは間違いないが、これまで私たちが想定していたことがない大津波が襲ったことから、大津波が起きなかったら事故がなかったはずという国と東電の言い分に、疑問を感じながらも、仕方ない事故だと思っている人も多いのではないだろうか。

このように、国や大企業などが都合の悪いことは、何かのせいにすることはこれまでもよくある話。

何か大きな事件が重大な局面に入った時、突然トンデモ事件が起きて、マスコミは一斉にそちらに向き、大騒ぎをすることで一時的に国民の関心がそれてしまい、いつの間にか、ウヤムヤになったことは一度や二度ではなかったことは歴史が証明している。

もちろん、トンデモ事件は、全て偶然として記録されることは今更述べるまでもない。

そして、昨日の段階で残りの隊員も発見されたが、全員の死亡が確認された。これで、事故の原因に関係するだろうことを語る隊員はいない。

昨日、今回も何の予告もなく北挑戦がミサイル4発を発射したが、もし、この発射が2日早かったら、この事故は起きなかったと推理するのは、さすがに無理がありそうだ・・・。(田舎親父)

2017年3月 6日 (月)

宅配業者の悲鳴が聞こえてくる・・・

 埼玉県にあるアスクルという会社の倉庫の火事が゛やっと鎮火したというニュ-スが流れたのは5日程前のこと。始めてこの倉庫の火事の報道を知った時、迂闊なことだが『アスクル』という会社の名前を知らなかった。

すぐにネット商品を扱う会社であることで疑問は解決したのだが、『アスクル』という名前が『明日来る』に由来していることを教えられて、甚大な被害にあったことに対しては気の毒に思うが、ついつい吹き出してしまった。

 要は、注文を受けてすぐに発送し、翌日(明日)には届くという意味なのだろう。だからあのような物凄い規模の倉庫が必要な訳が納得できるが、それにしても、4日間も燃え続け消防隊が中に入れなかったというから、構造的に問題があったことは容易に想像できる。

窓が極端に少なく、外から放水してもなんの効果もないので、壁を重機でブチ壊し、そこから高所作業車に乗った防隊員が放水している映像が異常に印象に残っている。それほど、物資の保管だけが目的の建物だったのだろう。

黒煙が辺り一面に広がり、近所の人は家の中でもマスクをしなければ過ごせないほどというから大変な数日を余儀なくされたようだが、住民の皆さんの健康被害がないことを願いたい。それにしても迷惑な話である。

そのことはさておき、『アスクル』のようなネットで注文を受けて配達する業者が物凄い勢いで増えていて、中でもアマゾンが群を抜いていることは私でも知っていること。

楽天やヤフ-などのネット大手もこれに類する事業を大々的に展開しているが、最近は個人でネット通販をはじめる人も多く、産地直送型のビジネスが大流行と聞いている。そして今では、大手の通販企業は配送料ゼロをうたうのも当り前になっているというから、一体どうなっているのだろうと首を傾げたくなる。

アマゾンをトップに産直商品を扱う個人事業者に至るまで、自分たちで配達の組織を持っているはずはなく、結局はクロネコ便や佐川急便などの流通大手の会社とそれなりの契約が交わされているのだろうが、ネット通販の方が同じものをス-パ-などよりも安い上に、時間指定で自宅に届くのだから、考えれば考えるほど不思議なシステム。しかし、それが当り前になっているのだから人気が出るのは当然である。

私もクロネコ便をよく利用している一人である。この会社は、あらかじめ登録しておくのが前提になるが、私当てに届く荷物があれば、前日にはその旨のメ-ルが届くので都合の良い日や時間を指定できるようになっている。そのため、めったに二度手間をさせることはないが、郵便局が扱う荷物はすれ違いが多く、その度に配達員には申し訳ないと思うことしきり・・・。

しかしクロネゴ便でも登録していない人も多いらしく、その人たちは留守にしたらすれ違いは当り前。郵便局などはこの方式をとっていないので、配達員の苦労は耐えないのではないだろうか。

アスクルの火事が契機になったらしく、流通業界の記事がかなり取り上げられるようになり、特に、集配に従事する従業員の、苦労に対する評価が少なく、その多忙さと賃金の安さに注目が集まっている。世間知らずの私でも、これは考えれば考えるほど理不尽で気の毒な問題課題が多過ぎるように思えるが・・・。

こんな記事の中で、アマゾンの配送はかっては佐川急便が一手に引き受けていたというニュ-スが目に止まる。アマゾンとの契約では、運賃が低く、採算割れだったため、佐川急便がアマゾンに値上げを申し入れたらしいが、交渉が決裂。結局クロネコ便が現在受け持っているのだそうだ。

交代の裏側の事情は全く想像できないが、クロネコ便としても、佐川の牙城を奪ったものの、大変な苦労を強いられているではないだろうか。佐川急便よりは少しは良い条件で契約しているのだろうが、社内では恨み節も渦巻いているらしい。

一昔前までは、荷物は玄関先に置いたり、隣人にお願いするのが当り前だったが、盗難もさることながら、個人情報の守秘ということから、必ず手渡さなければならないようになっているのだから、留守宅も多く、配達が二度三度になることは当然と言えばこんな当然なことはない。

配達員はそんな場合荷物を持ち帰り、改めて届けることになるのだから、手間と時間のロスは膨大になる。これに見合う給料が支払われていたら問題は表面化しないだろうが、この業界では労働時間が長くなっているにもかかわらず、給料が上がらないというから困った話である。

私に解決の方法があるはずはなが、送料無料、翌日配送。365日24時間営業などは、『運ぶ人』がいないと成り立たないのだから、このままでは日本人が当たり前のように享受する『便利で快適さ』の崩壊は時間の問題では。

このことは、よほど真剣に考えなければ大混乱に陥ることだけは確かである。今日はここまでにして続きは後日に・・・。(田舎親父)

2017年3月 4日 (土)

返上した方が良さそうだ・・・

東京オリンピョク開催までの日数が限られるようになってきた。当初は東京都以外の会場の仮設の費用は全て組織委が出すという約束だったらしいが、最高級のビルに陣取る組織委のシンキロウ親分は,オリンピックは国を挙げての行事だから他県が協力するのは当然と偉ぶって、当初の約束などどこ吹く風で組長さんたちを怒らせているらしい。

神奈川県はじめ、競技会場を引き受ける組長さんたちは話が違うと騒ぎだし、東京都ともギクシャクしはじめているとマスコミの絶好の餌食になっていることに、コイケ東京と知事は、これはマズイと思ったらしく、都外分の438億円を都が負担する意向だと報じられたのは先月の末のこと。

同じ日、知事の言葉に安心したのか、シンキロ-は仮設費のほか大会運営費の輸送、警備などを含め、都外の開催費用は1600億円との試算を明かしたことから、組長さんたちは、またまた疑心暗鬼に陥っているようだ。

オリンピックなどには全く興味がない私には、勝手にどうぞというところだか、東京招致の最大のウリはコンパクトな大会を掲げて、数千億円の開催費でやり繰りするところに原点があったのではなかっただろうか。

それがいつの間にか、一兆円を突破して、2兆だ3兆だと豆腐を売り買いするような符牒になったのは記憶に新しい。あまりにも高額になったために世論の顰蹙を受けて、今日では一応は『最大でも1兆8千億円』となっているようだが、この数字とて、これ以上は上がることはあっても下がることは絶対ないことだけは間違いないところ。

オリンピックの期間中だけ利用する仮設施設の建設費用は、都内分を含めたて全体では確か2800億円だったと思うが、今回組織委が明らかにした金額とは大きく違いすぎるのも変な話。また、コイケ知事が負担すると明言した428億円とは一桁も違う値。こんないい加減なカネ勘定では先が思いやられる。

さらに、マスコミ報道によれば、(現在では)全体で最大1兆8千億円とされる開催費用のうち、どこが分担するのか決まっていない分は、予備費を含め7500億円に上るのだそうだが、どの数値を信じてよいのかわからず、まるでバナナの叩き売り?・・・。兆だ億だという巨額のカネの話だけが暴れ回っている感じにただただ呆れるばかり。

コイケ知事は3月までに費用分担など決めると明言しているそうだか、今日はもう3月4日、残された日数は少ないのだから、かなり焦っているはず。

現在はコイケ劇場の支配人として、おおむね順調な舵取りをしているようだが、これを7月の都議会まで続けて、コイケ党で都議会の過半数を得ようとの戦略だというから、ここで他県の知事との摩擦は避けたいところ。同時に、都民からの批判がでないように気を配っているとなると外野席の私でも同情してしまう。

話は変わるが、福島原発事故は収束どころか、報道される放射線値の値が、マイクロやミリどころか、500シ-ベルトとか650シ-ベルトと、トンデモナイことになっている。

これらの数値は,核燃料の格納容器の中での値であるが、汚染水は海にもれ出していることは事実であることはもちろん、かなりの値の放射能が辺りに放出していることは間違いないだろう。

東京湾の海底の泥からも高濃度のセシウムが検出されているというから、汚染は日本中に広がっていると考えた方が良さそうだ。しかし、大新聞はこのことを報じず、テレビ各局は視聴率さえ上がればよいという発想なのだから国民の危機意識は育つわけはない。

現政権は、オリンピック熱を煽って原発事故を忘れさせたいとの思惑はミエミエ。世界には、原発事故が収束したように見せるために、強引に避難住民の帰還を急がしているが、その手段が、帰還しないのなら補償を打ち切るというのだから汚い限り・・・。

このことは、海外でも話題になっているのだそうで,特にドイツでは日本に対して不信感が大きくなり、オリンピックに不参加という動きもでているという記事を先日ネットで発見した。

そう言えば、昨年の今頃ドイツのメルケル首相が来日したが、その時、日本政府の原発推進政策を批判していたという話を聞いたことがある。ネットで調べてみると、政府はあからさまに嫌な態度を示したことから、メルケルさんは『このままではドイツは東京オリンピックに参加できない』とつぶやいて早々に帰国したとのこと。

あり得る話である。ドイツは、福島原発事故直後、原発政策を転換して原発を停止し、廃炉に舵を切ったはず。メルケルさんは日本政府の発想に呆れたに違いない。

最近、フランスでも原発事故があって、周辺各国では放射能の影響を懸念する声が大きくなっているというから、もしドイツが不参加と言い出したら、ヨ-ロッパの国々は次々に不参加を表明する可能性がありそうだ。

福島第一原発を廃炉にするために、その道筋は全くついていないにも関わらず、20兆だ30兆だと言う天文学的な費用が必要だと言われている。恐らく、先日も触れたが、今の方法を続けるなら50年後でも廃炉にできず、国家予算に匹敵する100兆円がドブに捨てられるということにもなりかねない。

このまま、膨らみ続ける予算に悩まされる上に、世界から呆れられて不参加の国々が増えるだろう東京オリンピックは、早々に返上した方が良さそうだ・・・。(田舎親父)

2017年3月 3日 (金)

野党のだらしなさ・・・

 デンデン小学校の報道が日を追ってマスコミが取り上げるようになってきた。私的には面白いとニヤニヤしながら眺めているのだが、野党議員の質問などを聞いていると、共産党議員の質問はかなり的を得ているが、民進党のそれは焦点が曖昧。

官僚たちから言質を撮ろうとしているのだろうとは思うが、責めるのはデンデン首相とその女房。あれほど黒の証拠映像があるのだから、野党が一致して追求すれば、辞任に追い込めるはずなのに、なんとも歯がゆく思っているのは私一人ではないと信じたい。

各メディアの報道姿勢も少し変化している。今まで徹底してNHKはダンマリを決め込んでいたのに、コウノイケという議員の名前が出てきたことからかなり取り上げるようになっているが、それでも、定時のニュ-スの最初は金正男暗殺事件。続いて、トランプ大統領の動向、その後で、デンデン小学校のなるのだが、悪いのは全て森友学園の理事長であって、首相や妻はむしろ被害者であるような方向に導いているような報じ方はいただけない。

 それでもここまで明らかになり、週刊誌がこぞって取り上げ、しかもアメリカやヨ-ロッパのメディアが首相の醜聞として取り上げているのだから、もはやデンデンさんが首相の座を投げ出すのも時間の問題かもと、その瞬間を楽しみにしているが・・・。

このことは改めて取り上げるとして、野党(特に民進党)は来年度の予算案をほとんど抵抗することなくあっさり衆院を通過させてしまったことに、なんとも歯がゆく思っている人も多いのではないだろうか。

デンデン小学校疑獄がここまで明らかになるとは思わなかったという言い訳をしている野党議員もいるらしいが、共謀罪での法務大臣の答弁は、小学生が聞いてもアホかと思う程度の質の悪さ。その気になったら、すぐにでも首はとれたはず。こんな輩を大臣に任命したデンデンの責任も結果的には曖昧にしてしまったのも許し難いところ・・・。

危険極まりない南ス-ダンに自衛隊を派遣しているが、すぐ近くで政府軍と反政府軍との戦闘があったにも関わらず、防衛相は『戦闘』という言葉を使うと憲法にひっかかるから、『衝突だ』とは正気の沙汰ではない。間違いなく、憲法軽視で国民をバカにした発言なのに、追い込みはここまでで逃げられたのは本気度を疑がわれても仕方あるまい。

野党は揃って、2人の辞任要求をしたらしいが、首相と官房長官の『必要ない』という一言でお終いとはあまりにも情けない。さらに、これまでなら、ある程度の実力行使をしてでも本会議での議決を阻止する動きがあるのが当り前だったのに、今回はあっさり議決に加わり、賛成多数で通過とは・・・。

アメリカさまの要求で、オスプレイやF35戦闘機、あるいは北朝鮮のミサイル攻撃や中国のかいらう進出を押さえるためという名目で、アメリカのお古の兵器をアメリカの言いなりの価格で大量に購入する一方、自民党も(仕方なしだろうが)公約に掲げていた待機児童ゼロ方針はあっさりオシャカ。福祉や医療予算は切り捨ての予算案を、ほとんど抵抗することなく簡単に通過させてしまったことが、私には不思議でならないのだが・・・。

教育勅語を要とする小学校の設立には、不正な手段で、莫大な国の財産をいとも簡単に払い下げるのに、教育予算を押さえ教員の削減まで折り込んでいる来年度の予算であることの重大性を、野党はどう考えているのだろう。

デンデン小学校疑獄の真実が明らかになれば、デンデン内閣はぶっつぶれる可能性は大きいだろうが、解散はないだろうから、デンデンと同じ程度の自民党の派閥の親分に首がスゲ代わるだけで、自民党の汚らしい政治の本質は変わらない。

蓮舫代表が、折角2030年に脱原発という方針を打ち出したのに、連合の反対で取り下げたのも情けない。圧倒的多数の国民が『脱原発』を望んでいるのだから、連合を切り捨てれば、蓮舫代表や民進党の人気は上がったのに、その千載一遇のチャンスまで自らつぶしてしまたようだ。

貧乏年寄りのはかない願いだろうが、次の総選挙までに民進党は体質を改めて、共産党とは連携しないなんてケチな考え方を撤回して、野党の一本化を願いたい・・・。(田舎親父)

2017年3月 2日 (木)

10年後には100兆円?・・・

 廃炉にかかる費用が21兆5千億円に膨れ上がったとのニュ-スが流れたのは、つい最近のことだったと記憶している。2013年度の国と東電と試算では11兆円だったものが、わずか3年で倍になったと驚き、同時に、これまで通りの方法で廃炉は無理だと確信したものである。

 と思っている矢先に、先日東京新聞が一面で報じた『原発処理にかかった費用は現時点で試算すると廃炉には40兆円を要するだろう』という記事に、何となくだが、自分の悪い予感が当たったようで複雑な気持ちにさせられた。

 記事は、原発のある自治体への補助金?などの税金投入も1970年代半ばから2015年度までに17兆円に達していることを明らかにして、すでに国民が税などで負担した分を除き、増大する費用は電気代や税で国民が支払わねばならず、家計の重荷も増していると論じている。

 40兆円は、今生まれた赤ちゃんから明日の命もおぼつかない病人や年寄りを全て含んだ国民一人当たり32万円にのぼるとあるから信じられない。

これをこれからずっと電気代に上乗せられて、無期限に支払わされるのだから、国民はたまったものではない。特に若者にとっては地獄の沙汰なのだが、その若者を含めて殆どの国民はこのことに危機感を感じていないのだから、なんとも間が抜けた話・・・。

本来は、事故を起こした東京電力が支払うべきであることは論を待たないが、国は、こんな無責任で悲惨な事故を起こしながら、原発をエネルギ-の基幹にするという政策を続けたいため、原則を曲げて電気代に上乗せし国民負担を強いているのも許せない。

東電を完全に国有化し、資産など全て没収するのならまだ理解できる部分もありそうだが、『事実上国有化』という言葉で誤魔化し、東電株はそのまま温存。株主や役員たちの負担をなくしているのもふざけた話である。確か日本航空の経営破綻に際しては、上場停止にし株券は紙屑になったことを思うと、なんとも言えない不快さを覚えて仕方ない。

 被災者への賠償金は、原発とは全く縁も縁もない自然エネルギ-を供給する新電力会社とその利用者からも送電緯を使うからという理屈で電気代に転嫁され、さらに、廃炉費用も東電管内では電気代に組みこむというから国民をバカにしている。来年度からは、避難住民を帰還させるための『除染』にも莫大な税金を投入するという。

 21兆5千億と見積もった先日の記事には、溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出すだけで『プラス6兆円』という文面があったことを思い出す。近づくだけで即死するというほど高い放射線量の壁の中では、デブリに近づくことすら不可能に思えるのだが、国は『取り出す』という方針は変えず、方法はこれから考えるということも信じ難い。

 そしてこの発表のすぐ後に、2号機直下にロボットを投入し、溶け落ちた燃料の在りかを探る試みをしたが、結局は2度とも失敗。ロボットは破壊され、得たのは600シ-ベルトという聞いたこともない放射線値のみ。

事故から6年過ぎても、『敵(デブリ)』の居場所さえつかめる手がかりもない状態であることは明らか。なのに、6兆円という数値をはじき出したのも理解できないるはずもない。

 間もなく6回目の3月11日が戻ってくる。国は盛大な慰霊祭を行うに違いない。マスコミも大々的に取り上げ、日本中が6年前を思い出し深い悲しみに包まれることは想像に難くない。式典では原発事故にも触れざるを得ないだろうが、デンデン首相の口から出る言葉は間違いなくおざなりで、決して原発が危険なものだという表現はなく『脱原発』などという発言は全く期待できず、むしろ、安全な原発を際稼働するという話題になりそうだ。

 原発事故を処理するために現地では大変な苦労をしている人も多いことは十分承知しているが、人が近づけないのだから、やりたくてもできないばかりでは・・・。

ロボットの次に、どんな方法で『敵』の居場所を見つけるのかすら、私には想像もできないが、試行錯誤しているうちに、来年の3月11日、さらに再来年の3月11日がやってくる可能性は限りなく大きい。

そして、廃炉にかかる費用も、21兆5千億円からさらに膨らみ、原発事故の処理費用を合わせると、来年度には50兆円、さらに再来年には60兆円だとも予想できないこともない。

こんな悲しい想像は、無知な貧乏年寄りの戯言であってほしいものだが・・・。(田舎親父)

2017年3月 1日 (水)

これでは若者の未来はない・・・

日本学生支援機構から奨学金を借りた人が返せなくなり、給料の差し押さえなど強制執行にまで進むケースが急増しているというニュ-スに気分が悪くなった人は多いのではないだろうか。

私もその一人。両親に早く死別したため、工業高校を卒業して富士通に入社して電話交換機の設計という比較的難しい職場に配属されたのだが、能力の限界を感じて大学進学を決心したのは、今思うと、就学金で何とかなるだろと安易な考えがあったためだったような気がする。

幸い、当時は現在から比べると信じられないほど授業料が安かった国立大学にもぐり込み、学務課に奨学金と授業料免除の申請したところすぐに認可してもらったおかげで、かなりのアルバイトはしたものの何とか卒業できた経験があるので、奨学金のありがたさは十分理解できる。

しかし、記事によると、給料の差し押さえは2005年度には4件だったが、15年度に120倍超の498件に上ったというからビックリする。昔、大学は卒業したけれど・・・という映画があったような気がするが、現在はさらにその傾向が大きくなっているらしく、アルバイトや契約社員でしか就職できない学生も多いという。

当然、返済したくても低賃金ではそれも思うようにならず、結局は、その少ない給料も差し押さえられる?・・・・。なんともやりきれないが、その背景には、富裕層優遇の経済政策の犠牲で、非正規社員の低賃金が慢性化していることがあるようだ。

一方、日本学生支援機構としては、返済できない事例を見逃せば不公平感が高まるうえ、新たな借り手に必要な資金の減少につながるため、回収を厳しくせざるを得なくなっていると説明している。

確かに現在の制度を『是』とするならば、機構側の言い分はもっともなところもある。しかし、国立大学の授業料が、53万5800円というから、私の時代の1万2千円と比べて何と約50倍。この数字は見逃せない。

それでも私立大学から比べると安いという考え方もあるが、学びたい・大学に行きたいという人にとって、これでは国立大学への入学は、学力ではなく経済力が壁となって行く手を遮っている。

50年前の平均の給料が50倍になっているならば、この制度は『是』としても良いだろう。返済しない方が悪いとなるかもしれないが、(今つらつら思い出しているのだが)当時、横浜港の荷揚げ人足のアルバイトは日当1万円もらっていた覚えがある。ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵の身体を清めるバイトで5万円受け取ったが二度とこのバイトはしたくないと言っていた仲間がいたような記憶も曖昧ながら残っている。

現在のアルバイトの主流はコンビニや居酒屋などの店員らしいが、時給が千円としても、1万円を稼ぐためには10時間以上働かねばならない。極端に表現すれば、学生のアルバイト代は、50年前と同じかそれ以下では・・・。

正社員として大企業に就職できたとしても、初任給は月額20万円そこそことなると、私が東京都の職員になった50年前の初任給が4万円(ぐらいだった記憶があるが)と比べても、たかだか7倍程度・・・。

『現在の奨学金の月額』で検索してみると、国立大学の場合、自宅通学の学生の場合は4万5千円とあるから年額で53万円。これでは授業料にも及ばない。

貸与型ではなく給付型にするべしという意見は欲耳にするが、私は、それ以前に、大学特に国公立大学の授業料を安くすることの方が大事だと声を大にして訴えたい。

もしも50年前の1万2千円とはいわないまでも、10万円程度にすれば、奨学金の額も少なくても卒業でき、しかも、普通に就職したら返済可能だろう。ならば、不公平だと批判がある給付型ではなく、現在の制度でも『是』となるのではないだろうか。

時代錯誤なアホなことをのたまうなという批判が聞こえてきそうだが、オスプレ-などというアメリカでも手を焼いている代物を言われるままの金額で購入したり、必要もないのにわざわざアフリカへ自衛隊員を命の補償もなく派遣する愚など考え直せば、授業りょの値下げはさほど難しいことではないだろうと主張したい。

また、議員報酬の見直しなど、誰もが考えつくような、ほんの少しの工夫をすれば可能ではと思うのだが・・・。(田舎親父)

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