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2017年3月27日 (月)

パン屋が×で和菓子屋に・・・

 道徳が教科になるということ自体が無茶苦茶だと思うのだが、教科となると教科書が必要で、しかも、何らかの手段で評定をつけなければならない。その教科書の検定結果が出揃ったという記事が先日新聞各紙に掲載されていた。

 文科省は『考え、議論する道徳』を目指していると述べているそうだが、記事の読むとなんともバカバカしいことばかりが目立つ。文科省には優秀な人材が揃っていると聞いているのに、なんともお粗末な限りと情けなくなる。

 指導要領には道徳科の指導目標と内容が、いかにももっともらしく、しかも威厳を持たせるような文言で飾りつけられているが、それらを全て網羅しなければならない教科書会社の苦労は大変だったのではないだろうか。

 理科や算数のように、はっきりとした正解はない。捉え方によっては、全く逆の意味になる恐れもあり、しかも、『正直、誠実』『節度、節制』『礼儀』『感謝』など22項目の『徳目』を全て織り込まなければならないのだから、執筆者は最新の注意を払って言葉を選んだに違いない。

 教科書会社にとって、最大の関門は『検定』に合格しなければならないことである。それほど重要なことなのであるが、『検定』の内幕はあまり知られていない。

 どちらかといえば、当時でも反体制的の思想を持っている私であるが、理科の教科書検定の審議委員を勤めた経験を有している。しかも、退職後も含めて10年以上も勤めたのだから信じられない話。しかし事実であるから不思議であるが・・・。

最初は、かれこれ20年も前だったと記憶している。理科の場合は、審議委員はその道の専門家の大学教授がほとんどであるが、現場を知るという意味だろうが、小中高の校長が一人以上メンバ-になるのが原則だったらしく、当時審議委員の校長から何らかの理由で白羽の矢がたったのだろうと記憶している。

 任命されると、しばらくして大量の表紙が真っ白な検定前の教科書(白表紙)が送られてくる。当時、理科の教科書を発行する会社は10社ほどあったので凄い冊数である。一応、真剣に読み、私なりに表現の奇怪しい部分や、実験の方法などにはチェックを入れたものだが、実際の最初の審議委員会に出席した時にはビックリしたもの。

というのは、審議する白表紙教科書について、文科省の教科書検定官(理科の場合は生物・化学・物理・地学の4分野からそれぞれ2~3人)からは、実に細かなチェックをつけた表が配られて議論が始まるのだが、それぞれの分野から選ばれた専門家の大学教授たちが、私には大したことではないと思われるような細かな表現や、絵図写真に至るまで、こと細かな意見が飛び交う場に、知識の乏しい私には議論に加わることすら難しく感じたからである。

そして、結果的には合格はあっても不合格という教科書はない。必ず、この部分の表現が曖昧、または奇怪しいので修正するように指示をして教科書会社に戻し再提出させるのだが、その後は検定官と審議委員会の座長に一任するのがル-ルだったと記憶している。

そんな経験から、今回の道徳教科書の検定風景も大体の見当がつく。文科省には複数の道徳教科書検定官が存在して、その人たちが提出された全ての白表紙教科書と指導要領との整合性を詳しく調べたに違いない。

それを、10名程度の審議委員会にはかり、審議したのだろう。しかし、審議委員の選定基準は明らかにしていないことから、文科省の考え方に沿った人が任命されただろうから、検定官のチェックリストに沿って、さほど激論を交わすことなく検定官が示したリスト通り修正を求め、結局は、検定官と座長との了解の結果、今回全ての教科書が合格となったことは想像に難くない。

しかし、新聞の記事を読む限り、私の経験した理科の場合とは明らかに違う。指導要領は『感謝』の対象を高齢者ということから、白表紙の元の教科書にあった地域の『おじさん』という表現にチェックがついて、『おじいさん』に書き換えられて合格したというくだりなどは、なんとも不気味な恐ろしさを感じてならない。

また、町探検で出合った『アスレチック』は、伝統と文化の尊重を理由に、『こととしゃみせん店』に変更されたという下りは、『アスレチック』と『ことしゃみせん-がどう関わってくるのか全く理解できない。それ以前に今どき、『こととしゃみせん』の店など普通に見られるはずはない。文科省のセンスを疑うというより強引さに大きな不安を覚える。

もっと笑ってしまったのは、国土や郷土を愛する心を育てるという項目の単元では、『パン屋』という外国の食文化の言葉にチェックが入り、『和菓子屋』にしたところ合格したという記述には、唖然とするより呆れて開いた口がふさがらない。

教科書会社の担当者や執筆者も私以上にバカバカしい思いをしたのだろうが、検定に合格しなければ発行できないとなると、泣く子と地頭ではないが、抗弁する機会も得られずしかたなく、誰が見ても笑ってしまうような話にしてしまう。こんなことがあって良いはずがないが・・・。

私がその立場だったように、道徳の教科書審議委員には小中学校の校長も存在するはずなのだが、彼らは、こんなアホらしい表現を意見も出さずに許容したのだろうかという素朴な疑問を持つ。

が、すぐに、昔から道徳を担当していた校長たちは、ほぼ例外なく極めて型にまった道徳観を持っていることに思い出し、その組織から選ばれた校長が検定審議委員になっているだろうと思うとあり得ることだろうと変に納得する。

 こんな教科書で指導計画を作り、しかも文科省型道徳観を持つ校長から監視をされる道徳の授業でははみ出しは許されることはなく、全国同じような型にはまった道徳科の受業が展開することは疑いのない事実。

これが文科省かのいう、『考え、議論する道徳』となれば、文科省かやろうしていることは、今騒がれているデンデン小学校の教育方針を、全国に広げるだけのことであることは明らか。

改めて、道徳の教科化は許してならないと訴える今日この頃である。(田舎親父)

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