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2017年4月

2017年4月28日 (金)

エアバックが死因?・・・

しばらくさぼっていた間に、イマムラというアホな復興相がまた信じられないような暴言を吐いたことから、さすがのデンデンも覚悟をきめたらしく即クビにしたことは当然だが、その翌日には、辺野古の工事を沖縄県民の気持ちを逆撫でするかのごとく、強引に開始したというニュ-スには心が張り裂けるような怒りを覚える。

同じ日本人が憎しみ合うなんて悲しいとしか表現できないが、その原因を作っているのは全て自分だと気付かない愚かしさ。今だけ・俺だけ・金儲けだけという連中の集まりである現政権の無茶苦茶なやり方は許し難い。

何の力も持たない私には、どこにこの怒りを、どこに・誰にぶつけて良いのかわからず、ただただ、お前らには良心というものがあるのか・・・とつぶやくだけしかできないことが悔しい限り。

『沖縄の負担軽減』だなんて調子のよいことを言っているが、どこが負担軽減なのか、自分たちの安泰のためアメリカさまに沖縄を差し出していることを徹底的に隠してより以上の負担を沖縄県に課していることは私が述べるまでもない。

日米安保条約の強化がわが国の平和を保つ唯一の方法?とはトンデモナイ話。はるかかなたのアメリカに基地を提供して、守っていただくなんてなんとも情けなく恥ずかしいと考えないのだろうか。 

いじめられるのが嫌だから、いじめる側に回るの子どもの話をよく耳にするが、アメリカの力を頼ってすりよって、その傘の下で『俺は強いんだ』と息巻いているデンデン一味の姿と重なって見えるのだが・・・。

私は、平和は互いを認め合うという大原則から始まり、相手国と徹底的に話し合って、妥協点を探すことだと解釈している。それが外交であり、政治家や外務省官僚は祖きための努力が仕事であるはずなのに、現政権は、その大原則を忘れて、アメリカのポチを選択しているのだから困った話・・・。

それどころか、デンデンは自分を認めてほしいために、内政をほったらかしてノコノコと外国に出かけ、やれ数百億円だ護衛艦だ巡視艇だと気前よくバラ蒔いている。そして、これが外交だと思っているらしいとなると、日本という国は脅せば(上手くあしらえれば)なんでも聞く国だという評判になっているというのもうなずける。

そんなにカネが余って(実際にはうなるほどあるのだろうが)いるのなら、原発被災者の救済はもとより、東北大震災はじめ熊本地震などの自然災害の復興に回せば、たちまちのうちに国民の怨嗟の声は収まるばかりか、保育園落ちた日本死ね・・・などという声はなくなることは誰の目にも明らか。

こんなことから、最近はテレビでデンデンの顔を見ると、以前から嫌悪感を覚えているある宗教団体に所属するタレントの顔と重なり、すぐに電源を切るのが習性になっている私は、その日一日が何となく憂鬱になる精神的重症患者になった気分。

デンデンの暴政に対しかなりの人々が反応して、ネットで糾弾している。その人たちの文章は鋭く説得力があることから、私がくりかえすまでもないと思い、デンデンがらみの政治的な話題はさておくとして、最近の話題について・・・。

出かける前日(4月24日)の新聞に『埼玉・車転落 衝撃でエアバッグ作動?前見えず 4人死傷』という見出しの記事が掲載されていたが、エアパックが邪魔をして死亡した?ような文面に違和感を覚える。

 22日の午後10時ごろ。埼玉県秩父市の緩やかな下りの片側1車線の直線で、突然車が暴走して対抗斜線にはみ出し、反対側のガードフェンスを突き破り約15メートル下に転落したという事故の記事である。

運転手は死亡したが、助手席の大学生は『走行中に車が何かにぶつかり運転席のエアバッグが開いて前が見えなくなった』と話しているという。警察の調べでは、どうやら落石が車を直撃した衝撃で、エアバックが作動して視界が消え、運転していた大学生が運転を誤ったらしいとのことに、身を守るためのエアバックが原因で死に至る矛盾を感じる。

最近は運転の機会が少ない私でも、自分の車にエアバックが搭載されていることは知っているが、それがどう膨らむのかなど経験したこともない。しかし、この装置については、車が何かに衝突した瞬間に、運転手(助手席)飛び出し、風船のように膨らみ衝撃を和らぐ装置だと教えられている。

この記事通りだとすると、落石でも膨らむらしい。膨らんだら当然視野が消え、パニックになることは容易に想像できる。今回の事故で、もしもエアバックが作動しなかったら、ある程度の事故にはなっていただろうが、命を落とすことがなったのではないかと思うと、運の悪さを気の毒に感じる。

自動車メ-カ-はこの事故を教訓として、上からの強い衝撃でエアバックが作動することは当然としても、せめて視野が奪われない構造になるよな研究を進め、二重・三重の安全な装置を開発してほしいものである・・・。(田舎親父)

2017年4月24日 (月)

幻の八女遷都計画・・・ 

 東京一極集中の弊害は語られるものの、それは言葉の上だけで、実際はますます東京にヒトとモノが集まり、全ての機能が集中する傾向が強くなっている。しかも、東京の都心部付近だけに限られるとなると、これは異常である。

東京に近い神奈川県の北部は、その恩恵?に預かって、特に横浜の中心部は平日の日中でも観光客も含めてかなりの人が集まる賑やかな場となっている。おかげで?横浜の片田舎もおこぼれ頂戴ではないが、横浜花博なるイベントが始まっており、我が家の前などはまさにメインストリ-トになった感じすらするほど、今までになくゾロゾロと人が通るようになっている。

ところが、同じ神奈川県であっても、南部の三浦半島などは人口が減り続けているという。一時は、京浜急行が三浦海岸まで延伸した頃には、海に憧れて三浦半島によく出かけたものである。また、新鮮な魚介類を求めて、日曜日の早朝に行われる三崎港はじめ、近隣の漁港の朝市には、毎月のように車を飛ばしたことも良き思い出。

当時は、本気で移住も考えたが、海の魅力も新鮮な魚も、結局は横浜の片田舎の静かな自然に代え難く今日に至っているのだが・・・。

また、県内の西域,丹沢に近い地域も人口が減り続けているというから、東京に距離的に近いが、交通の便が少しでも悪くなると人気が薄れ、より便利なところに移住する傾向が続いているようだ。

神奈川県でもこうなのだから、地方の大都市近郊以外の人口減少はと留まることを知らぬようで、このままなにも策を打たずにいたら、日本という国が維持できなくなることは明らか。しかし、ス-ダラ節ではないが、分かっているけど止められない・・・というところなのかも知れない。

優秀な官僚組織の一部では、以前からそのことには気付き、時には首都機能の地方への移転などということも検討されたと聞いている。しかし、実際に行われそうなのは文化庁の京都移転だけで、一時は消費者庁が徳島に移転するような話が出て、実際に実験が始まったらしいが、いつの間にか立ち消えしている現実を聞かされると、所詮は、国の本気度はこの程度なのだろう。

日頃から、こんなことを思っているのだが、昨日のネット記事に、『福岡に首都 戦中に政府が検討』という見出しに俄然興味がわき、文章に食いついてしまう。

『八女(福岡)が日本の首都になっていたかも知れない・・・』という文章から始まるこの記事は、太平洋戦争の最中に政府が本気で遷都を検討していたという。この計画は『八女遷都論』というらしいが、内閣総理大臣直属の組織で、戦時下の国家総動員体制の諸計画を立案した『企画院』が作成したもので、その具体的な内容を記録した文書が、国立公文書館の『アジア歴史資料データベース』で公開されているのだそうだ。

記事には、この文書は朝鮮、中国、東南アジアにおける権益確立を目指す『大東亜共栄圏』建設を見据え、政治、経済、産業、文化、防衛などを含めた国のあり方について方向性を示したもので、計画の対象は日本、朝鮮、台湾。遂行目標を『一応15年』」としていたとある。

『遂行目標15年』というから、15年かけて遷都を行うことだろうと解釈しているが、当時の戦局から切り離された『企画院』という組織の幹部たちは、『大東亜共栄圏』という途方もない広い地域を支配する首都をできるだけ中央に置きたいという意識を持っていたことは疑えないようだ。

1943年というから、昭和18年である。奇しくも私の生まれた年に当たるのも面白い偶然であるが、当時、大本営発表では向かうところ敵なしの勝利だったが、実際にはミンドウエイ海戦で壊滅的な打撃を受けて、制海・制空権を奪われて敗戦が濃厚になってきた頃である。

それでも大本営は、撤退を転進と言い換えて無意味な戦争を突つけるのだが、本土が軒並み爆撃されるようになり、ついに2年後の1945年(昭和20年)広島と長崎に原爆を投下され、未曾有の惨状を招いた後無条件降伏を受け入れ、八女遷都論は幻となったという話である。

タラ・レバは歴史では禁句であることは十分分かっているつもりでいるが、それでも万が一、ミッドウエイ海戦出完璧にやられていなけレバ、今頃、福岡が首都圏になっていたかも知れないとなると、どんな社会になっていたのだろうと空想は広がる。(田舎親父)

2017年4月22日 (土)

国は解決する鬼無?・・・

 以前もつぶやいたことがあるが、20年ほど前だったかテレビニュ-スで流れた、諫早湾を分断する水門が、ドミノ倒しのように次々に閉められていく映像には気持ちが悪くなり、思わず目を背けた記憶が蘇る。

当時のアナウンサ-が『まるでギロチンのように・・・』というような表現をしていたのではなかっただろうか。300枚もの鉄板が、海を切り裂く光景は、まさにギロチンそのもの。漁民たちが命をかけて反対闘争を繰り広げてきたことをあざ笑うような印象を受けたもの。

このギロチン水門は国の事業として、戦後の食糧難がまだ続く1952年に構想が示されたという。当初から漁民の激しい反対運動が繰り広げられたが、例によって補償をチラつかせて、政治的な圧力で賛成派を増やすという国の得意技である札束横っ面作戦で漁民の分断をはかり、強引に工事を進めた結果、ようやく完成させた代物である。

海を水門で締め切り農地を作る。当時としては、食糧の確保が最優先されたのだろうが、経済成長が右肩上がりで国民生活は豊になり、農業も機械化が進む時代になっていく。その結果、むしろ米余りで減反政策がとられるようになるのだが、当然のことに干拓田の必要性はほぼなくなったにも関わらず、国は『決めた以上作る』という方針は変えず、止らない公共事業として工事を進めてきた。

あの、首都圏の水確保も流域の治水の必要性もなくなったにも関わらず、一度決めたら何がなんでもやるという姿勢で強引に工事を進め、一時的に民主党政権が中止をきめたにも関わらず、現在も完成を急ぎ工事が進められている『八ツ場ダム』と同じ構造なのだろう。事情が変わった時点が中止する勇気があればと思うことしきり・・・。

反対する佐賀県の漁民は、完成後も開門を訴え、ついに佐賀地裁が『試験的に開門』という判決を出し福岡高裁も支持し(当時の民主党政権が上告を断念したことで)3年間の余裕期間をおいて5年間開門することが確定したことに拍手を送ったもの。

しかし、開門すれば農業に多大な影響があると、すでに完成した開拓田で営農をはじめていた長崎県側の農民が『開門阻止』の訴訟。長崎地裁がこの訴えを『是』としたことから、ますます話がこんがらがることに・・・。

生活を守るために農民たちのこの行動は理解できないわけではないが、開門を命じた高裁と開門してはならないという、司法が真っ向から違う判断をするのは異常としか言いようがない。国は開門をしないで様子見と決め込み、一日90万円だったかを、漁民側に支払って現在に至っているというバカバカしい話が現実に続いているという。

漁業者たちは折角開門が決定したのに、開門を『否』とする判決は納得できず、やはり福岡高裁に控訴したが、先日、『開門する必要がない』という農民側の主張を支持した判決を出したことで、ますます事態は複雑になってきたようだ。

福岡高裁の試験的に5年間開いて環境への影響を調査するように命じた判決が確定しているのだから『開門』すれば、少なくとも今日の混乱はなかっただろうが、自民党が政権を奪い返したこともあり、ホンネとして開門したくない現政権は、一審の長崎地裁の審理で十分に反論せず、わざと敗訴に持ち込むような姿勢だったと伝えられていた。

被告は国である。本来ならば、敗訴を受けて最高裁に上告するところなのに、漁民に払うカネは国民から搾り取れば青天井だという発想なのだろうが、今後もカネを払い続ければ何とかしのげるという驕りから、開門しないですむ長崎地裁とこれを『是』とした福岡高裁の判決を歓迎しているのだそうだが、こんなバカな話がまかり通って良いはずがない。

国が断念したとしても、漁民側は当然最高裁に上告するだろう。この問題は最高裁で争われることになるのだろうが、果たして現在、司法の権限が怪しくなっている最高裁がどう扱うのか見物である。

しかしどう考えても私には、司法の内実など全く理解できないが、全く判断が違う判決出した佐賀地裁と長崎地裁を合わせて2で割るような美味い解決策は出るとは思えない。

今日の事態を招いた責任は国にある。税金だからというバカな発想で逃げ回ることを続けるのではなく、まず、水門建設は間違っていたという立場を明らかにして、漁民に謝る場面から、話し合いの場を設定するべきではないだろうか。

国には、無制限に続くバカバカしい、形だけの補償ではなく、何らかの妥協案を見いだす努力をする義務があると思うのだが・・・。(田舎親父)

2017年4月21日 (金)

小選挙区制度は限界・・・

 『一票の格差』を解消するという名目で、選挙のたびに小手先の対策を続けている姑息さに呆れる。前回の参院選挙は、掟破りと思える県をまとめて選挙区として、何とか一票の格差を是正しているという姿勢を見せていたが、阿呆らしくて投票にも出かけない有権者も多かったという話もよく耳にする。

 解散という噂も出始めたようだが、またまた衆院選挙区の区割りの記事が昨日新聞紙上を賑わした。横浜の片田舎も、かなりの影響がありそうだが、選挙区の見直しによって市内・区内が分断される自治体が数多く、相当な混乱が予想されそうだ。

 記事によると、定数が一減となる青森、岩手、三重、奈良、熊本、鹿児島の6県を含む19都道府県の97小選挙区で区域を見直す内容で、これにより小選挙区間の最大格差は2020年の見込み人口で1.999倍となり2倍以内には是正されるのだそうだ。

『一票の不平等』の是正は、選挙権が憲法で重要な基本的人権と規定しているのだから当然であるが、現行の衆院小選挙区を前提とする限り、一時しのぎにすぎないことはこれまで何度もつぶやいたこと。

私は、小中学校はもとより高校も小学区制にして義務教育とする方が望ましいという考え方をずっと持っているが、選挙区に関してはその逆で、一人の候補者だけがが当選で、他の候補者に投票した人の意見は無視される小選挙区には反対している。

タテマエとして、欧米のように二大政党が誕生して、政権交代ができるという意見があって小選挙区制度になったようだが、選挙区と有権者の数との整合性の上で、格差が生じることは始めから分かっていた話。

なのに、選挙のたびに、『格差是正』が叫ばれ、そしてその格差が大きくなると、大慌てで区割りを変更するといういたちごっこは、いわば政権政党(自民党)のご都合主義だろう。

今回の変更で、関係者は格差を2倍以内にしたと胸を張っているらしいが、1.999倍というから、数値の上でムリムリに2倍以下にもっていったというところ。これを滑稽と思わないで提案するところが実に滑稽である。

神奈川県の座間市は、選挙区が完全に分断されるということに市長が激怒しているという記事が目につく。他にも分断される自治体もかなり生まれるもあるらしいが、同じ自治体で、道路一つ隔てた向こうとこちらで候補者が違うとなると、選ぶ方は大混乱。

座間市長が激怒し見直しに反対するのはもっともであるが、小選挙区制の維持を前提に境界線を引き直す限り、こうした問題は今後改定のたびにおきることは間違いない。

 また、小選挙区制では当選できる候補者は一人に限られ、切り捨てられる『死に票』が多いのも大きな矛盾である。『比例代表』という小手先発想の制度を作り、並立制で誤魔化しているが、小選挙区では民意を正確に反映する制度でないと断言しても差し支えない。

 さらに、最近の内閣の閣僚たちの目に余るふざけた発言や行動でも明らかなように、議員の質の劣化はどうしょうもないほど酷過ぎる。これは、政党の幹部に選挙での公認や政治資金の配分などの権力が集中し、所属議員らが異論を唱えづらくなったため、当選さえすれば良いという風潮が蔓延しているからであろう。

 繰り返しになるが、小選挙区制度を維持する限り、このような弊害は選挙のたびに多くなることは確実であることから、早急に見直さない限り、社会の歪みはさらに大きくなり、『議会制民主主義』を劣化させていることになる。これではブラックショ-クとしか表現のしようがない。

 参院でも一票の格差の拡大は見過ごせないが、参院の特性を維持しながら何とか数合わせのために、二つの県を合わせて定数2などとは、県民をバカにした発想で、こちらも急いで是正する必要があることは誰の目にも明らか。

 世間知らずの私であるが、参院選の場合は、一番県民の少ない鳥取県の50万人を一つの単位として、これに議員2を割り当てて、人口比で議員定数を決めれば良いという考えを以前から持っている。この方法では、首都圏の議員が多くなりすぎるという弊害があると反対も多いようだが、2県を合わせるよりはましだろう。

さらに、50万人に二人で計算すると、参院議員の数が500人弱と現在の約二倍になるという意見に対しては、議員報酬を現在以上に出さなければ良いだけであって、それでもやろうという意志がある議員なら、質の劣化はないことだけは確かである。

衆院は小選挙区ではなく、人口に比例して県単位に議員定数を決めて、全県一区という選挙区制度にすれば、民意はかなり正確に国会に反映されるはず。

また、衆院の特性として、国の方向性を出すことを最大の要因にあげるなら、比例代表を基本とした制度も考えても良いのではないだろうか。ただ、それでは、現在の国民性から考えると、名前を知られたもの勝ちで、国会議員はお笑いタレントばかりという笑い話のような国になりかねない恐れがありそうだが。

いずれにせよ、衆参一体で『抜本改革』を検討が急務であることだけははっきりしている・・・。(田舎親父)

2017年4月20日 (木)

気になる社説?・・・

 このところ新聞社の社説が、誰を対象にしているのだろうと思うことが多い。社説は論説委員が受け持つのだから、当然その人の主観が入ることは仕方ないとは思うが、その新聞社の理念をはっきり示し、読者が正しい判断ができる材料にするべきだと思うのだが、そうなっていないことが多いように思えて仕方ない。

また、時にはさらに踏み込んで、時の政権に対する苦言や論説委員の高い識見でこうあるべきという主張を堂々と展開してほしいのだが、最近は新聞社そのものが政権に遠慮しているらしく、単なる批評にとどまっていることが多いのがひっかかる。

 その一つ。4月19日の朝日新聞の社説は『韓国大統領選 権益政治を断つ論戦を』という見出しだった。

二人の有力候補者が朴大統領の二の舞になることなく、見出し通り、権益政治をたつ論戦堂々すべきだという書き出しから続く前半部分は当り前のことで特に気になるところはない。しかし、途中から、北朝鮮の問題を取り上げて、日本との連携が必要だと話が展開すところから、待てよ、朝日新聞はもう少し政権に批判的ではなかったかという気持ちになり、素直に受け入れられない展開になる。

そのまま引用すると、『2人とも日韓の慰安婦合意に難色を示すが、両政府が知恵を絞って交わした約束であり、履行すべきだ。首脳会談もできなかった朴政権前半のような関係を繰り返してはならない』というものであるが、まるで現政権の主張をそのまま認めなさいと言っているように受け止められる。

以前にもつぶやいたことであるが、少女像(慰安婦像)問題は、日本の戦争責任を明らかにすべきだという韓国国民の感情の強い現れであり、それをアメリカさまの後押しもあって、たった10億円(だったか)という金額で、ムリムリ朴政権を押し切ったのではなかっただろうか。これに対して韓国では民衆の激しいデモが繰り返され、合意が履行できなくなり今日に至っているのでは・・・。

慰安婦像は現政権のいわば喉にひっかかった骨のような存在で、何とか、撤去させないとメンツに関わることらしく、必死に朴政権に働きかけていたが、強要すればするほど、国民が加熱するという悪循環の繰り返しだったことを思い出す。

そこで社説に書くのなら、せめて、『選ばれた新大統領には、国民の感情を無視してまで問題の解決に当たるのではなく・・・』という意味も文言がほしかったと思うのは私だけだろうか。

 また、4月17日の毎日新聞の『ミサイルに固執する北朝鮮 危機を深める挑発やめよ』という社説の見出しは、毎日新聞の論説委員としての叫びには違いなかろうが、聞き入れる相手ではないことは十分分かっているならば、この叫びは無駄そのものでは・・・。

 『北朝鮮がまたミサイル発射を試みた。日本海側の東部・新浦(シンポ)近くで1発を発射し、直後に爆発した』という書き出しはともかく、『失敗だったとしても、見過ごすことはできない』とあるのは、論説委員の気持ちとしてはわかるももの、何か対抗のために強行手段をとらなければならないような印象を受けてしまう。

 この問題で日本にとって一番の危機は、アメリカと北朝鮮との間にドンパチが始まることである。しかし実際は、アメリカ頼みなのだろうが、デンデン首相が北朝鮮に対して高圧的に接し、北朝鮮に対して『アメリカさま、この際、徹底的に叩いてください・・・』と受け取れるような発言が繰り返され、かえって北朝鮮を刺激していることになるぐらいは、世間知らずの私でもわかること。

 ジャ-ナリスト精神が生きているならば、現政権に対して『冷静になれ』という諫めがあるべきで、アメリカの姿勢を肯定することではないはずである。

北朝鮮が毎日新聞の論説委員の意見に耳を傾ける気があるのなら、特区の昔にこんな問題は解決していること。むしろ毎日新聞として『アメリカの力の外交に懸念・・・』というぐらいの見出しはほしいのだが・・・。

ごく最近の二つの社説の見出しであるが、良識的で比較的批判精神を持っていると思われていた朝日新聞や毎日新聞であっても、現政権に取り込まれているようなみだしや文面となると、これは恐ろしい・・・。

読売や産経は始めから現政権ベッタリであることは今更述べることではないが・・・。(田舎親父)

2017年4月19日 (水)

居留守が大はやり?・・・

 『先日、ある団地の自治会の役員さんたちとおしゃべりする機会があった。その席で、『最近は、訪問しても留守が多い』とつぶやいていたことに、ついつい『そうなのですか、役員さんも大変ですね』と相討ちを打つと、『留守ではないと思うのだが、インタ-フォンを押しても応答がないのが日常的になっているらしい・・・』という答えは考えさせられる。

 今日も変なか書き出しになったのは、『荷物の再配達が宅配便のドライバーを苦しめている』という意味の記事を読んだからであるが、なるほど団地の自治会の役員にでも居留守を決め込む時代になったのだから、あり得る話だと変に納得する。

 記事によると、1人暮らしの女性や高齢者を中心に本当に宅配かどうか疑って居留守を使い、不在連絡票で荷物を確認してから再配達で受け取るケースが多くなっているとのことである。宅配業者を装う殺人事件や窃盗事件も現実に現実に起きていることから、確かに、ハ-イと玄関を開けられないのもわかる気がする。

団地やマンションでは各戸にドアチェ-ンついているが、宅配員に似た服装で、手に荷物らしいものを持っていれば、受け取るためにドアチエ-ンを外すだろうことは想像に難くない。実際に、そのような手口で侵入する輩がいるとなると、一概に留守を装うことにダメ出しは難しくなる。

記事には、横浜市内のマンションに1人で暮らす幼稚園教諭の女性の場合として、『在宅中にインターホンが鳴ってもほとんど応対しない。誰か分からないと怖くて出たくない。特に夜は絶対に出ません』という声を紹介している。そして、ポストに入った不在連絡票を確認した上で、再配達を依頼するのだという。

確かに、本物の宅配の場合は不在連絡表がポストに入っている。業者によって、再配達の依頼方法は違いがあるが、確実に受け取り時間が指定できるので、独り暮らしの女性や高齢者にとって安心できることは間違いない。

また、この記事には面白い数値がある。国交省の調査らしいが、『家にいたが知らない人にドアを開けることに抵抗があった』という回答が1%あったという。女性や高齢者の独り暮らしとなれば居留守率はもっと高いだろうが、仮に1%だとしても、昨年1年間の宅配総量約38億6900万個のうち2割が再配達ということから、その1%なら年に800万個規模となるという。実に、1日に2万個規模が『居留守で再配達』になっているのだからこれは凄いというより何とかしたいものである。

この数値からも宅配業者の嘆きも理解できそうだ。昔のように、荷物を玄関先において置ければ良いのだが、なくなったりしたらそれこそ大騒ぎ。現政権の批判はしない大マスコミが、絶好の餌食とばかり大々的に報じることは確実・・・。

配達員は二度手間を覚悟しているというが、過重労働の原因になっていることは間違いないとなると、何とかこれを解消しないと、人手不足が当り前になっている昨今、ますます過酷な環境にさらされるのは当然だろう。

最配達をできるだけ少なくするために、駅に宅配ボックスを置くという方法も進んでいるらしいと聞くが、駅をめったに利用しない私のような老人には、あまり意味がないようにも思える。もっとも、駅を利用しない老人やなどは、宅配利用者の計算の枠外なのかも知れないが・・・。

クロネコ便の一部では、あらかじめメ-ルで送り主の名前と届ける日時が知らすシステムをとっている。都合が悪ければ、日時の変更が一度だけ可能であるのでこれは助かる。クロネコ便の全部が対象でないのが気に入らないが、全ての荷物にこの方法がとれれば,(年寄りも当り前にメ-ルを使っている現在)かなり再配達は解消できるはずだと思いたい。

それより手っとり早いのは、あるいは、再配達を有料にするか、最寄りの郵便局か事業所で受け取る方法も考えるべきではないだろうか。

宅配便の最大手のクロネコヤマトは値上げを決めたそうだが、値上げ以前に、不在連絡表に、『生もの』で急な受け取りを要する場合は有料で最配達、急がないものは事業所で受け取る方法を提案してほしいもの。

受取人の責任で、必要なら最配達を依頼すれば良いことで、全ての荷物の一律値上げは回避できるのではないだろうか。(田舎親父)

2017年4月18日 (火)

いよいよ?・・・

 北朝鮮の強気の姿勢が収まらない。アメリカの威嚇も中国の説得も何するものぞとばかり、核兵器開発に邁進し、ミサイルを次々とぶっ放し、やるならやって見ろとの姿勢を続けているから恐ろしい限り。

 アメリカがその気になれば、北朝鮮を制圧するのは決して不可能なことではないと思うが、アメリカにとってその代償は計り知れなく大きいことから、アメリカの歴代大統領は、警告は発するものの直接行動には慎重な姿勢を崩さなかったことで、かろうじて平和?が保たれていたのだろう。

 ところが、今回のアメリカ大統領選挙で、現状に不満を持っている国民をあおる『アメリカ・フア-スト』というキャッチコピ-で急速に人気を博し、トランプならアメリカを過去の栄光を呼び戻してくれるだろうという期待が膨らみ、世界中の誰もが予測してかったトランプを大統領が誕生したことから事態が急速に変化しはじめる。

トランプという人物は、自分の意に添うものを集めて、カネ儲けの力で台頭したと言われている。このことから、『オレのいうことを聞いていれば間違いない』という考え方を持っていることは疑えないところ。

『アメリカファ-スト』という本質も、『オレのいうことを忠実に実行すれば、アメリカが世界で君臨し、国民も全て豊になる』というものだろう。そこには、議会で真摯に議論するという発想は薄く、強大な権力さえあればどんなことでも可能になるとばかり、就任以来、次々に大統領令を連発している。

テラ-ソンという国務長官はトランブのお気に入りだと言われている。この人物はロシアの石油業界とつながりが深く、プ-チン大統領と仲良しだと伝えられていたことからロシアと手を結んで、トランプ-・プ-チンラインで世界が御せられるのではという推測が流れたのはついこの間のことだった。

そのことも気にはなる情報だったが、アメリカとロシアが仲よくしてくれるなら少なくとも、世界各地の内戦は少し下火になるのでは期待したもの。しかし、シリア情勢から話がややこしくなってくる。

 シリアのアサド政権が、反政府勢力の拠点に、サリンと同じような猛毒の化学兵器をぶち込んだことに激怒して、ミサイルを60発ほど打ち込んだのだが、これがアサド政権を後押ししているロシアを刺激し、今やアメリカとロシアとの間は一発触発の危険性すらあるという。

 シリア政府の化学兵器使用の証拠など、私が知る方法などないが、よしんば使用したとしても、即爆撃という方法は乱暴過ぎる。シリアの内戦が収まるどころか、ますます激しくなることは、趙がつくほどの世間しらずの私でもわかることなのに、トランプは『毒ガスを使ったことは許せない』として、爆撃を命じたようだ。まさに瞬間湯沸器的発想だとしか思えないのだが・・・。

 また、北朝鮮のアメリカ本土を脅かすミサイルの開発は絶対に許さないという姿勢はオバマの比較にならないほど強く、度重なるミサイルの発射に対して忍耐の限界にきたらしく、史上最強だと言われる原子力空母艦隊を北朝鮮近海に向かわせ、いつでも攻撃できるぞという脅しをかけているのも物騒な情勢。

 これに対して北朝鮮の将軍さまは、内心とともかく、表面的には『来るならこい、オレは受けてたつ・・・』という姿勢を崩さないのだから困った話である。

 もっと困ったことに、現在の日本は明治憲法を敬い、教育勅語が母体になった道徳観を国民に押しつけて、基本的人権など必要ない皇国の再現を目指しているデンデン親分が実験を握っていること。そして子分たちが次々に親分の考え方を忖度して、良識が通用しなくなっていることである。

 デンデン親分のホンネは北朝鮮をこの世から消滅させたいのだろうことは疑えない。自衛隊を軍隊に改称し、今すぐにでも北朝鮮に攻め入りたいのだろうが、そこまでの自信もないとなると、今回のアメリの軍事行動は、まさに神風。

デンデン小学校事件や加家学園の深くて暗い話が徐々に明らかになりつつある現実も、アメリの北朝鮮殲滅作戦が始まったら、全てがパ-になるのだから、世界の世論など全て無視して、『アメリカさまの攻撃を全面支持』との声明を発している。

 アメリカが本気になれば北朝鮮を焦土にすることは可能だろうが、北朝鮮も必死で反撃することは疑えない。潜水艦から打ち上げられる技術も実用化しているというと、全てのミサイル基地を殲滅す前に、アメリカ本土への犠牲は少ないだろうが、韓国や日本の特にアメリ軍基地が壊滅することもあり得ない話ではない。

 平壌が焼け野原にする代償が、ソウルと東京の焼け野原では、国民はたまったものではない。日本と韓国は共同で『トランプさん、ここは落ち着いてまず話し合いましょう』とアメリカの行動を諫めて、ドンパチを回避しなければ両方の国が滅びることになることは、私でも十分理解できること。

なのに,韓国は大統領が失脚し、日本ではデンデン親分が『早く攻撃したください』というのだから恐ろしい。

アメリカではトランプが権力を握り、デンデンが日本を牛耳ることに加えて、韓国には指導者が不在だという最悪の条件が揃ったようだ。

いよいよ・・・。(田舎親父)

2017年4月17日 (月)

疑心暗鬼が蔓延?・・・

 千葉県の小3女児殺害事件は、下手すると長引くのではと懸念していたが思いもよらぬ展開になり容疑者が逮捕された。急転直下の男の逮捕は、あらかた犯人を絞り込んでいたにも関わらず、徹底的に秘匿作戦をしてメディアに情報を流れることを防いだ警察の作戦勝ちというところだろう。

昨日の報道では、死体や慰留物が発見された場所の近くい防犯カメラに容疑者の車が写っていたというから、ほぼ間違いなく逮捕された男が犯人と断定してよさそうだ。しかし、いまだに男は黙秘を続けているという。

ここでも圧倒的に数を増やした防犯カメラが活躍し、この増設の必要論が高まるのだろうが、防犯カメラが必需品になる社会はやはり歪んでいると思いたい。犯罪捜査だけに使われる保証がなく、今、現政権が画策している共謀罪(事実上の治安維持法)にとっては、最高の武器になることを考えると複雑な気持ちにさせられる。

このことはさておくとして、私がボケ防止のつぶやきをはじめたのは、2005年の12月のことである。そのきっかけは、この年に全国で連続した小学校1年生女児の殺害事件に許せない思いの末のことである。

特に、12月に起きた栃木県今市市(現日光市)で起きた下校と途中の小学1年生の女児が、何者かに連れさられ、数日後に茨城県の山林に無残な姿で遺体が発見された事件は全国の学校関係者は言うに及ばず、社会全体に大きな衝撃を与えたもの・・・。

この事件の一週間後に、私は『日本の優秀な警察が懸命に捜査をしているのだから犯人が逮捕されないということ考えられない』とつぶやいたが、その予測に反して、今でも犯人は捕まっていない。

そして、当時は現職を退いてまだ年月が浅かったことから、小学生をよく知っている私から見てかなり不可解な部分が多いとつぶやき、その一つが、友だちと別れた三叉路からわずか数10mで警察犬が突如痕跡を追いかけられなくなったということである。

その場所で、車に乗せられたのだろうが、犯人が複数ならば助手席の一人が強引に抱き抱えて拉致できるが、運転席から声をかけられてすっと乗り込んだと考えるならば、女の子が日頃見慣れている者に違いないと推理したものである。

先週のはじめ、千葉県での女児殺害事件を知った時、12年前のこの事件が瞬間的に蘇り、今回の事件もこの女児と日頃から顔見知りの男が犯人だろうと確信したが、やはり、逮捕された男は・・・。

日頃から、見守り隊のリ-ダ-を勤めているのだから、どこに防犯カメラがあるのかということも頭の中に入っているはず。数多く設置されているカメラに捉えられない場所で女児を車に押し込めたというより、言葉巧みに誘い込んだのではなかろうか。

女児はベトナム人で日本語に熟達できず、クラスに馴染んでいなかったとしたら、毎日親切に声を掛けてくれるおじさん、しかも父母の会の会長であるこの男に安心感以上も心理が働いたのは当然ではなかっただろうか。

ひょっとして、女の子がいつもより遅く自宅を出たとしたら、『リンちゃん、今日は少し遅いようだから、学校まで送っていくよ。乗りなさい・・・』と声をかけたら、何の疑いもなく乗り込むに違いない。

この保護者会の会長という男にも同年代の子どもがいるのだそうだ。よほど家庭内が上手くいってないのかも知れないが、自分の子どもと同年代の女児を全裸にして乱暴して殺害するなどと言う行為は、普通の人間として考えられない。まさに、私には狂気としか表現できないのだが・・・。

今後の警察き調べで、動機などが解明されると期待しているが、見守り隊で一緒に活動していた他の保護者たちは、日頃からこの男の行動に不審を感じてしなかったのだろうか。また、どう関わり合っていたのだろうか・・・という疑念が持ち上がる。

こんな事件を起こす人間だから、日頃から少し変だったと感じる保護者もあって不思議でない。そんな男が保護者会の会長に選ばれるのは、保護者会(PTAも同じだろう)の役員は、できれば自分はやりたくないという保護者意識が働いたのでは・・・。

時間に自由が利く男性がその気になり、回りの誰かがこの男性を推薦すると、異議なし、賛成という声が全体を多い、間違いなく決まることが多いことは、私の経験からも十分あり得る話で、このような過程を経て選ばれた会長は全国に多いのではないだろうか。

蛇足になるだろうが、現在年度始めということもあって、小学校のPTA(保護者会も同じ)のあり方も含めて、役員の選び方にかなりの影響を与えることは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2017年4月15日 (土)

酷い話が続く日々・・・

これまでも強行採決などは日常茶飯事だったが、野党議員が『国民の知りたいこと』だと森友学園の不透明な部分を質問したところ、自民党の委員長が『本題とは関係ないことを質問するな』と注意する場面がニュ-スで流れた。

それでもめげず、さらに質問を重ねデンデン首相に答弁を求めたそうだが、『オレのいうことが正しいことは支持率が示している』というたぐいな意意味のことをのたまい、激怒して質問を受け付けなかったという。『首相のオレには50%以上、それに比べて民進党はたったの7%』とも発言したそうだから゛この男の思考は無茶苦茶というしかない。

こんな話は今まで聞いたことはない。『忖度』が一家の不文律になっている『デンデン一家』の一人である厚労委員会の委員長が、親分を怒らしたのはお前たちだとはばかり『強行採決』したというから、もう現在の自民党は支離滅裂。民主主義など日本には存在しないということになる。

厚労委員会で審議していた法案は、年収340万円(年金収入のみの場合は344万円というから理解不能だが)以上の単身者など、比較的収入の高い高齢者の介護サービス利用時の自己負担割合を、2割から3割に引き上げることが柱になっている『介護保険関連法改正案』家なのだそうだ。

高所得の年寄りが対象だから仕方ないように思うが、そもそも340万円という基準が曖昧であり、全国でたった12万人の対象者の自己負担額を1割上げて何の足しになるのと言いたくなる。

介護保険制度が行き詰まっていることはよく耳にする。詳しい内容は知らないが、今回の改定案が通ったとしても、制度を維持するのには焼け石に水と言うところではないだろうか。

それでも、強引に通したいのは、もっとカネ集める仕組みを作るための基礎になるからに違いない。その仕組みというのは、年収の低い老人をも対象にして搾り取るという徳川時代の悪代官を参考にしているらしいと推理している。今回の厚労省の考え方は、さらに自己負担を3割から5割というように値上げしていくねらいにつながることは想像に難くなさそうだ。

5割が自己負担となると、うっかり介護受けることもできなくなる。高額の介護料を払ってきた人たちがサ-ビスが受けられない。こんなバカな話が実際に生まれる社会が現実味を帯びてきたようだ。いよいよ貧乏人は早く死ななければいけない脅迫感が漂いはじめている・・・。

話は戻すが、法案と関連しない質問がケシカランということがまかり通ったら、政府の思い通りで、国会など存在すること自体がナンセンスになってしまう。

このことはさておくとして、デンデン小学校事件は、国費(国民の税金そのもの)を勝手に使って、デンデン親分とその仲間たちが『教育勅語小学校』を作ろうと企てたことだが、最近になり、一部のメディアであっても報じるようになったことで面白くなりそうだ。

教育勅語小学校建設のために使われた国費を、介護保険料に回せたら、たった12万人の年寄りの介護費用1割値上げ屁のようなもの。その意味でも、デンデン小学校事件の質問は、この法案に関連するのは明らかである。

さらに、デンデン一派は、何百億円という国費・公費をただ同然で加計学園に横流しした疑いが濃厚になっているが、これを介護保険に組み入れたら、貧乏年寄りの介護保険の値上げなど話題にしたくてもできるはずもない。

要は、デンデン親分とその子分たちのあいだには、この世はオレたちのものだという驕りが背景にあることは間違いない。そして、その驕りが永遠に続くように、モノ言わぬ国民、(それ以前に)真実を知ろうとしない国民を作るための布石を打っているように思えてならない。

奢るもの久しからずや・・・というが、早くその久しからずやの日が来ることを願っているのだが・・・。(田舎親父)

2017年4月14日 (金)

50年後・・・

 日本の人口は2065年に8800万人ほどになるのだそうだ。『国立社会保障・人口問題研究所』という役所が10日に発表した将来推計である。

現在は1億2500万人程度だ聞いている。これからの50年間で人口が3割ほど減というのだから俄には信じられない数値だが、このところどこに行っても老人ばかりが目立つことから素直に受け止めなければならないのだろう。かくゆう私も、そろそろ後期高齢者になるのだから・・・

それにしても物凄い減じ方である。すでに少子化だ、核家族化だ、超高齢化だと言われて久しいが、3割もの減少という数値を突きつけられると、現実を直視しなければならない脅迫概念に襲われる。

去年だっただろうか、現政権は『50年後も人口1億人を維持』と自信満々に発表していたことを思い出す。女性が輝く社会にして、子育てしやすくして出生率を1.8まで引き上げればこの数値は可能だだということだったではなかっただろうか。しかし、その期待は見事に裏切られた。

8800万人というのは1950年代と同じ水準なのだそうだ。1950年というと私が小学校に入学した年である。記憶はほとんど残っていないが、老人らしい老人という姿をあまり目にすることがなかったような気がする。このことは、後で、その頃の平均寿命が60歳前後だったと知って納得したものだが・・・。

当時は、これも後で知ることだが、一家で農業や漁業などの第一次産業に従事する人々も多く、老人ホ-ムや保育園という言葉すら必要がないほど、多世代が同居して育児や介護を家族内で担っていた時代だった。

それが、あっと言う生活環境が便利で快適になり、それに加えて医療技術の進歩によって、平均寿命は70歳から80歳に伸びた上に、生まれる子どもの数が激減しているのだから、この減じ方は当然といえばこんな当然な話はない。

私の母親は58歳、父親は65歳で亡くなった。母親は結核でずっと自宅で寝たきりの生活をしていたが、老人施設なんて話は聞いたことはない。子どもが面倒を見るのが当り前だ教えられたこともあって、小学校入学前からニワトリを常時二十羽以上飼育して、卵はもとより、結核に効くと言われていた生き血を時に飲ませていたことを思い出す。

時代は移り、現在のような年金制度ができたのだが、ここまで寿命が延びる事を想定していなかったらしく、(私自身が受け取る身になっているのだが)これから先をどうなるのだろうと不安になってくる。

私は決められたル-ルにのっとり、年金積み立てを給料から天引きされていたので受け取る権利はあると思っているが、積み立てる年代が少なくなっているのだから、このままの状態がずっと維持できるはずはないことは理解できる。

しかし、歴代政権は本気で年金制度を維持するという発想に乏しく、先々のことは考える、潤沢だった資金を湯水のごとく無駄なハコモノ建設など浪費し続けたことは腹立たしい限り。

このままでは年金や社会保障制度が破綻するということから、このためにのみ使うと理由づけて消費税なる制度を導入したのだが、その使われ方は全く異なっていることは衆目が一致するところ。

特に現政権は、国民の将来を本気が考えるのではなく、今(目先)だけ・自分だけ・カネ(私腹を肥やす)だけで、国を私物化し、その御国に命を捧げる国民にするためだけに全力投球しているのだから、何の力もない貧乏老人にとっては『困った話だ・・・』とつぶやくだけしか抵抗のしようがない。

それでも、今のまま少子傾向が加速すれば、現政権の考える国であっても維持できるはずはないのに、その対策も、今だけ自分だけ・・・なのだから、それこそ本当に困った話である。
 話を戻すが、
2065年には現役世代1・3人が高齢者1人を支える『肩車型』になるとのこと。独り暮らしの高齢者も大幅に増え、年金や介護サービスが今以上に必要になることは明らかだが、それを急減する現役世代が担うことになるのだが、理屈としてもできるはずがない。

想像すると恐ろしくなる。この問題は決してわが国だけの問題ではない。早かれ遅かれ世界中が直面する大問題。今だけ・自分だけ・・・では破滅することは明らかなのに、人間の愚かさは一向に改善する気がなさそうだ。

50年後など想像しなくてすむたった一つの方法は(いつものつぶやきになるのだが)人類が消滅することだけだろう・・・。(田舎親父)

2017年4月13日 (木)

不吉な符牒・・・

 『〇〇道』という言葉が氾濫している。今私が思い浮かべても、茶道・華道・歌道・画道・作法道・・・柔道・剣道・空手道・相撲道・合気道・弓道・・・などなど。

私が現在はまっている『プランタ-農業』も、万が一だが巷に広がり、ブ-ムにでもなれば、誰かが『箱農道』などと呼び出すのではないだろうかと思うと笑ってしまう。それほど多数の『道』がありそうだ。

 一つの趣味?を系統立てて理論武装すれば『道』になるのだろうとは理解しているが、2021年春に中学で実施される新学習指導要領の本文に、保健体育で武道の選択肢として『銃剣道』が初めて明記されたことには大きな違和感を覚えている。

 私の回りには存在しないが、実際に『銃剣道』という道場があって、そこで真剣に教え習っている人もいるという。その人たちは『銃剣』を扱い試合をするのだろうが、勝つための型や試合のル-ルなど、真剣に武道としての銃剣道を極めるために、日々鍛練されているのだろうと想像しているが・・・。

しかし、偏見だと言われたらそれまでであるが、旧日本軍の存在とその象徴的な武器が銃剣であったことから、軍隊を否定する私には、どうしても銃剣=旧日本軍というイメ-ジが払拭できない。

 『銃剣』は小銃の先に装着する短剣と一体にした武器であり、『敵を殺す』こと以外にその目的を位置づけらない。広辞苑にも、『①銃と剣 ②平常は鞘に納めて腰に帯び、突撃または接戦の場合、小銃の先につけて敵を刺すのに用いる短い剣。または、それを先につけた小銃』とあることから、私の解釈に大きな誤りはないと信じたい。

 フランス軍もこのような武器を用いていたらしく、明治維新時フランス式軍隊の官軍が用いたものが、そのまま日本軍の象徴として定着していったと推察している。

 戦後、こんなものはすっかり忘れられたものだと思っていたが、どっこい『銃剣の使い方』に型を作って、『銃剣道』として生き残っているのだそうだ。ネットで調べて、その試合の道着やル-ルまでが決められている事を始めて知る。

小銃を模した『木銃』で相手に突きを入れ、剣道のように打つことはできないのだそうだ。突く場所は『致命傷』を与えるために『左胸と喉』と限られ、その部分を守る防具を着けるという。試合に勝つためには『相手が左胸を左腕で隠せば小手、体勢を崩せば左肩を突く』とあるが、私には、その意味はよく理解できないが、まちがってもこんな防具をつけたくない。

 さらに、1980年には国体競技となったことも始めて知る。『全日本銃剣道連盟』という組織も作られて、3万人もの会員を有しているというから驚きであるが、その大半は自衛隊員か元自衛隊員だとことに、なるほどと納得。

ただ、『銃剣道部』を持つ高校は全国で15校程度あることに加えて、中学では全国でただ一つ、神奈川県平塚市の市立中学校が体育で教えているという文言に驚くのは私だけなのだろうか。

剣道も真剣もどきとして竹刀を使って試合をするのだから、究極の目的は人殺しだ考えても奇怪しくないのだから、その意味では銃剣と変わらないという乱暴な意見もあるようだが、私には、少なくとも剣道は人を殺すのが究極の目的とは思えない。むしろ、防御と自己鍛練のために剣道に打ち込んでいる人が圧倒的多数ではないだろうか。

最近、『教育勅語』という言葉が、デンデン小学校事件が明るみになって、突然、水を得た魚のように、世の中に氾濫しはじめている。

現政権の閣僚たちが、堂々と『教育勅語』を肯定し、むしろ美しい日本を作るために必要なものだと発言し、それを受けて文科省も『教育勅語を道徳の教材で使うことを否定しない』とまで踏み込んでいることに大きな違和感と恐ろしさを覚えている人も少なくないはず。

そのタイミングで『銃剣道』という言葉も広がりはじめて、数年後には、公立の中学校でこれが流行り出す?・・・。想像したくない光景である。

突然亡霊のように姿を表した『教育勅語』と『銃剣』。さらに、デンデン首相とその子分たちが最近堂々と口に出している、お国のために命を捧げる愛国心が基調の『美し日本』という国の形。

私には、不吉な符牒と感じてならないのだが・・・。(田舎親父)

2017年4月12日 (水)

やっと見直す?・・・

 私は以前から、現政権の中に如何に自分たちの懐を温めるために、できるだけカネをかけずに国民に夢を与えることだけを考える部署が存在しているのではないかと疑い、その中で練られた政策の一つが『ふるさと納税』ではという捉え方をしている。

 自民党の中で『地方創生』という、聞こえだけは良い言葉は考えついたのだが具体的な方法が浮かばない。そこで、『国の予算は使わずに、これを実現する方法を考えろ』と、この部署に命じたところ、早速でてきたのが、自分の『ふるさと』を応援しようというキャッチコピ-。これは良かろうとその具体策を一流大学卒業のたエリ-ト集団が知恵を絞り出したという筋書きである。

そこで生まれたのが、都会で暮らす比較的富裕層をタ-ゲットに、住民税を自分のふるさとである地方へ回すという発想では・・・。

住民税を『自分のふるさとに寄付』という考え方は、オレ一人ぐらい住民税の一部を自分のふるさとに回しても行政は困らないだろうという、都会の住民真理を実に上手くついた官僚らしい思いつき。

私は当初から『ふるさと納税』に疑問を持ってるので、一度もその制度を利用したことがない。従って、制度そのものの細かい仕組みは理解できないが、回りにはこの『ふるさと納税』を利用して、各地から名産品を取り寄せているという話を得意気に語る人も多いのも事実で、この手の話にはウンザリしている。

その上、官僚らしい拡大解釈が行われて、自分の生まれ育った『ふるさと』だけでは範囲が狭いということで、対象が本当の『ふるさと』だけではなく、『応援したいと思う自治体』ということになってしまったことで、寄付を受ける自治体の組長は、『もっと寄付をしてもらえるように、方策を練れ』と命じるのは当然の成り行き。

2000円の手数料で、今納めている住民税が自分のふるさとは寄付できるのだから、ふるさとを愛する人には、ならば自分も・・・と人気が高まり、おまけに、答礼品として美味しい牛肉などの名産品が送られてきたら、これは美味しい話だと人気が広がるのは当り前だろう。

となると、価値のある答礼品を用意するかが、ふるさと納税の勝ち組と負け組を分ける境目。そこで生まれるのは答礼品合戦だろうことは当初から分かっていたこと。

政府の目安として、1万円の寄付を受けた自治体は4千円程度の答礼品となっていたらしいがカネを集めるためには、こんな枠組みなど全く意味がなく、寄付を集めるために、商品券や金券を配る自治体も生まれるのも当然の理である。

以前も述べたが、住民税は,ごみ収集など『行政サービス』を受けるための対価であるはず。これを、全く関係のない自治体へ回わして高価な答礼品が贈られてくるとなると、ふるさと納税の利用者は、実質住民税を払わずにゴミの収集などのサービスだけは享受するのはもとより、豪華な答礼品を受け取るという不公平が生まれるのは、小学生でもわかる理屈だろう。

そのことは当初から指摘されていたにも関わらず、国は、自治体同士が競争することは地方の活性化につながると、こんな意見を無視してずっと放置してきた。こんなバカな話があって良いはずがない・・・。

中には、『ふるさと納税』は東日本大震災や熊本地震などの被災自治体を支援する役割を果たし手いると評価する人もいることや、特産品の認知度を上げるための努力をする自治体が増えて,地方の活性化につながっているという声も聞こえてくるが、見返りの特産品を目当てにした国による『お取り寄せ通販』制度に成り果てているのが現実では・・・。

しかも、富裕層ほど減税額が拡大し、有利な節税手段として利用されていることで、ますます経済格差を生む要因にもなっている。しかも、住民税がこっそり入ってこなくなった都市部の自治体の中には、行政サ-ビスの低下を招く事態にもなりかねないという深刻に悩んでいることが度々話題になっている。

『地方創生』を打ち出すことに疑義はないが、それを実現するために何より大事なことは、地方の自治体自身に『カネを集めるのが義務だ』とばかり、無理に寄付集めさせるののは筋違い。国が地方の危機を理解し、そのための物心の支援をすることが何より大切なことは今更私が指摘するまでもない。

 国が見直しに動きだしたという記事を見た。が、寄付という国民の善意に頼るのではなく、かつ、税の原則をゆがめているこの制度は即刻止めるべきだと思うのだが、自らの否を絶対に認めないという姿勢が強い現政権には無理だろうな・・・。(田舎親父)

2017年4月11日 (火)

奇怪しい話のオンパレ-ド・・・

最近、奇怪しい感じることがあまりにも多過ぎる。

昨日つぶやいた、イマムラという復興相の『被災者の自己責任』という発言は、早く原発事故という言葉を消したいという現政権のホンネに違いない。常識的な神経の持ち主なら、恥ずかしくてこんな言葉を口にできないと思うのだが・・・。

 デンデン小学校事件では、ただ同然で国有地が払い下げられたことが明らかになっているが、財務省曰く、売り主の財務省と学園側との交渉・面会記録を廃棄したとのこと。これは究極の奇怪しい話で唖然とする。

文書管理規則で保存期間一年未満に分類され、契約を締結すれば用済みにするのが財務省流のやり方らしいが、すでに全てが廃棄されたというから信じ難い。なんでも保存しておくのが役所の常識だと教えられていたのだが、(首相と財務相の指示があったのだろう)最近は財務省に限らず、都合が悪くなるとさっさと関係書類を破棄して隠蔽するのが大流行らしい・・・。

しかも『コンピュ-タには復元不可能なソフトを導入しているので、記録は絶対に元に戻らない・・・』とは奇怪しいというのを通り越して無茶苦茶な答弁。それを財務省の主計局長が平気でのたまうのだから、現政権に規範なんてあるはずがない。

この事件では、デンデン女房付きの、れっきとした経産省所属の女性職員が、当時の学園理事長に送ったファクスの文書は政府側にも残され、その一部は公表されたが、これは職員が勝手にやった私文書であると、わざわざ『閣議決定』。こんな掟破りをしてまで『私文書』と決めつけた文章はしっかり保存しているのにもかかわらず、公文書は破棄とはこれいかに・・・。

保存されなければ、過去の経緯が検証できないだろうから、正しい政事はできないはずなのに、都合の悪い公文書は全て破棄で私文書が保管されている。どう考えても奇怪しいだろうに、堂々とまかり通らせている?・・・。

現政権は数の力でカゴイケ前理事長の証人喚問を、私人だというわけのわからない理由でずっと拒否していたのに、当のカゴイケがデンデン女房から100万円の寄付を受けたと発言したとたん、首相を侮辱したという理由で態度を急変させ証人喚問したのに、女房の方は怪しい施設に隠れてしまったらしいというから卑怯極まりない。

私人のカゴイケを喚問したのだから、デンデン女房も喚問するのが筋なのだろうが、首相は絶対拒否。やましいことがなければ堂々と姿を表し国民の疑問を晴らせばすむことなのに逃げ回っているのは、真実が明るみになると辞任せざるをえないからに違いない。

デンデン小学校以上に大がかりな疑獄事件だとされているのが加計学園騒動。私のような世間知らずの貧乏老人でも、そのあらすじは知っているのに、これがほとんど報じられないのも奇怪しいと言えばこんな奇怪しい話はない。

しかし、理由は至って簡単。民主党がこれらの疑獄事件を本気になって追及する気がないことである。本気で追及すればデンデン小学校事件だけで内閣が吹っ飛ぶ大疑獄なのだから、加計学園疑獄を持ち出せば、政権の御用機関に成り果てているマスコミといえど報じないわけにはいかなくなるはずなのにである。まあ、民進党に期待する方こそが奇怪しいのだろうが・・・。

 文部科学省のデタラメさにも腹が立つ。国家公務員法違反に当たる組織的な天下りのあっせんが同省だけで62件に上り、歴代の事務次官や人事課長ら計43人が停職や減給などの処分にしたが、こんなものは氷山の一角であることは想像に難くない。文科省としては、アマアマながら処分したということから、もはや過去のものとしてしまう腹づもりなのだろう。

『ウソはつかない・人の道を踏み外さない・誰もを愛する優しい心を・・・』などと聞こえの良い文言を並べながら、その実は、教育勅語まで持ち出して、『お上には逆らわない』という価値観を押しつける。

 教育を司る立場にある者が法律を平然と犯す一方で、道徳を教科として、お上にとって都合のよい『人の道』を説く?・・・。まさに笑えないマンガとしか言いようがない。

道徳教育を進める前に、国民の手本となるべき官僚自身に倫理観や順法精神を教え込んだ方がいいのではと言いたいが、教えなければならない立場の人間が、常識的な道徳心を放棄しているのだから、良い国など望むことが無理なのかも知れない。

奇怪しい話は、まだまだゴマンとあるが、今日のところはここまでにして、続きは改めてつぶやくことにしたい・・・。(田舎親父)

2017年4月10日 (月)

酷い輩をかき集めたものだ・・・

 自民党には人かいないのだろうかと思うほど、よりにも寄ってアホカとしか言いようがない顔ぶれが並んでいる閣僚たちに唖然とする。現政権の話である。親分が親分だけに仕方ないののかも知れないが、それにしても酷過ぎる。

イマムラという復興相が、福島原発事故の避難者たちが置かれた複雑な状況を全く理解しない発言には、さすがの内閣広報と揶揄されているNHKはじめ大マスコミですら黙っていられなくなっているらしくデンデン小学校事件とは違いかなりの頻度で報じている。

ことの起こりは、記者会見の席上だったという。国の支援のあり方をフリ-の記者から重ねて問われているうちに、イツムラという男は興奮し激高して、『勝手に逃げたのだから自己責任だ』とやってしまったらしい。

さらに、そのことの矛盾を記者につかれると、ますます激怒したらしく、『出て行け』と叫んだと言うから、まるでアメリカの大統領選挙時、トランプ氏が記者に対して同じような暴言を履いたシ-ンを思い出す。

トランプにはまだ愛嬌があったがイマムラにはそれがない。映像を見る限り悪相をさらにひん曲げて、『文句があるなら裁判でもなんでもやればいい』とは、原発事故そのものに対して、国の責任など全く感じていないのには呆れて開いた口がふさがらない。

翌日になって、興奮が冷めたらしく、感情的な態度は謝罪したものの、『自己責任』という発言については『客観的に言ったつもりだ』と撤回しなかったというから、本心から『勝手に逃げ出した奴が悪い・・・』と思っているらしい。これは許せない。

親分は、こんな発言をする輩は即罷免するべきだと思うのだが、自分の責任は絶対に認めないとなると罷免などさせるはずがなく、その手先である官房長官は、いつものようなヌエ顔で『辞任するような発言ではない』とシラ-と言ってのける。まさに厚顔無恥というか、国民をナメきった態度である。

それでも、内閣を支える影の策士がいるらしく、親分に『復興相の発言は取り消した方が良さそうですよ』とささやいたらしい。そして、その気配を感じたイマムラは『自己責任』発言を取り消して、形だけでもゴメンナサイ・・・。

これも、親分が福島の富岡町に出かけることが決まっていたからで、このままでは地元から総スカンを食らうのではという焦りがあったに違いない。

そしてその翌日、富岡町の満開の桜並木を背景にして、デンデン親分はバカ子分イマムラをそばに立たせて、『率直におわびしたい。今後も福島の皆さまの気持ちに寄り添いながら復興を進めていく。この安倍内閣の方針は全く変わらない』と謝罪したとNHKニュ-スが報じていた。

さしずめ、瞬間湯沸し器的なバカ社員のミスを上司がついて行って顧客に謝る図というところか。あるいは、私の経験から言うならば、子どもの指導で拙いことを犯した教員を連れて、保護者に頭を下げている校長というところだろう。

皆様に寄り添いながら・・・というのなら、『除染が終えてやったのだからすぐに帰還しろ、言うことを聞かないのなら住宅費を打ち切る』なんて発想は出てこないはず。よくぞまあ、『福島の皆ランに寄り添って・・・』なんて言葉を平気で口にするものだと皮肉りたくなるが、相手は原発事故など特区に収束していると思っているのだから始末に悪い。

ホンネは『お前らに早く帰還してもらわなくては、オリンピックの体裁が悪いのだ・・・』というとでは。いかにも口からでまかせ男の面目躍如というところ・・・。

さらに、福島に寄り添ってというなら、復興予算を福島の復興のために使うべきだろうに、こともあろうに、農水省のOBたちが談合して、自分の天下っている団体や企業の都合の良いように予算を割り振っていたというニュ-スに吐き気をもよおす。

長くなりそうなのでこのことは改めて・・・。(田舎親父)

2017年4月 8日 (土)

道徳科で教育勅語が必須?・・・

 『朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我ガ國体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。/爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、学ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進ンデ公益ヲ広メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。/是ノ如キハ、独リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン。/斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ。/朕、爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。』

これが、明治23年10月30日に発令された『教育勅語』の全文だと言う。理解できるどころか読むことすら難しく、嫌になるよな難解な言葉の羅列であるが、デンデン幼稚園では園児に暗唱させ、毎朝声を揃えて朗読させていたということが、私にはいまだに信じられないのだが・・・。

しかし、およそ幼稚園児には意味不明のこの文章も、この思想を信じる教師たちが日々それなりにかみ砕いて擦り込めば、何となく、自分たちが大きくなったら、天皇を崇拝する理想の国を作ろうと言う気持ちにさせられることは想像に難くない。

デンデン幼稚園で実践されていた日課は、戦前の全国津々浦々の(たとえ私立であっても)全ての小中学校で行われていた日常だったことは疑いのない事実。権力者の都合のよい解釈で、『国民として当り前のこと』として徹底させられたのだから恐ろしい。

 現政権は先月末、この『教育勅語』を『憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない』との答弁書を閣議決定したというニュ-スに我が耳を疑う。

 戦後、歴代の政権が『教育勅語は憲法に違反する』という姿勢を保ってきたことから、憲法に違反することが明らかであるのにも関わらず、『憲法に違反しないような形』で閣議決定とは、まさに『オレたちの言うことは全て憲法に違反しないのだ』という、無茶苦茶な論理としか言いようがない。

官僚の総理大臣夫妻はじめ閣僚たちへの『忖度』が話題になっている。官僚が出世するために何よりも身につけなければならないことは、『誰に忖度するか』をかぎ分けられる能力だと聞いたことがある。

デンデン小学校事件の財務官僚の答弁を聞いて、なるほど、言い得て妙だと感心したが、現政権の姿勢をいち早くかぎ分ける文部官僚たちが、道徳の教科化を進め、教科書に色濃く現政権の思想を反映させるように事を急いでいる。

教科書会社も、文部官僚に忖度するのが習性として身についているので、『愛国心をもう少し強く表現しろ』と言われたら、パン屋でなく和菓子屋にしたという笑えない笑い話が議論の的になっているらしいが、それですんなり検定に合格したと言うのだから、わが国の教育の動きは信じられないというより正気の沙汰ではなさそうだ。

 教科書会社以上に文科省に忖度する達人が『教育委員会』という組織であり、そのトップである『教育長』。恐らく、新年度が始まった今日、都道府県の教育長は、管下の市町村教育委員会の『教育長』を集めて、文科省かの方針を忖度して『校長』たちを指導しろという命令する準備をしているのではないだろうか。

そして間もなく、全国の教育委員会では、校長たちを集めて、『教育勅語』と、都合よく解説した資料を配って、これが文科省の求めることだから、各学校できちんと教員たちを指導しろと訓示するだろう風景が目に見えるようだ。

しかも、文部官僚の忖度の動きはスピ-ドを早め、さらに踏み込んで、学習指導要領に体育で指導する武道として、柔道や剣道と同じように『道』をつけて、戦争で人を殺すためだけの『銃剣』を使い、その戦い方を『銃剣道』として指導することを可とすると決めてしまった。

こうなると教育とはほど遠く、常識的な『道徳』とはかけ離れているが、このことは、また改めて・・・。(田舎親父)

2017年4月 7日 (金)

世論調査の数値に『?』・・・

コイケ都知事の人気が続いていることは何となくだが像像できる。朝日新聞の世論調査によくと、コイケ知事を時事すると答えた都民は74%だとのことである。

もっとも同じ朝日新聞の世論調査で、デンデン首相を支持すると答えた国民は50%そこそこという数値が続いていることに疑問をもち続けている私には、コイケ都知事に対するこの結果には、デンデンが50だとしたら、もう少し高いのでは・・・と思わないでもない。

都議選が間近に迫っていることから、特に党勢が低迷している民進党の現職都会議員たちは、少しでもコイケ都知事の人気を自分にも分けてほしい思いでゴマスリに走っているという。中には離党する輩も出ているというから、民進党は都議会選挙の結果次第では消える可能性もでてきたようだ。

コイケ氏もはっきりと都議会での過半数確保をねらっているらしく、ヌエ政党である公明党に続いて、連合とまで選挙協力を結んだというから、数さえ得れば・・・という自民党の従来の手法そのものに、これがコイケという女性の本質なのだろうと覚めた眼で成り行きを見ている。

ところが、同じ朝日新聞の世論調査で、築地市場豊洲市場への移転を今後も目指すべきかを尋ねたところ、『今後も目指すべきだ』が55%で、『やめるべきだ』の29%を上回ったという記事に、『?』を覚えたのは私だけなのだろうか。

今、都議会には百条委員会が設置されて、豊洲への移転を決めた当時の幹部たちの証言が続いているらしい。呼ばれる証人たちが揃って、他人へ責任を押しつけているのだから都民の間には、百条委員会って形だけという不信感が充満しているのではないだろうか。

常識的に考えても、世界で認められる『築地ブランド』を、老朽化と言う理由だけで、豊洲に移転したいと思う関係者がいるとは思えないのに、いつの間にか豊洲への移転が決まってしまったのも思えば不可思議。やはりそこには、『今だけ・自分だけ・カネ(利権)だけ・・・』という汚らしい政治力が働いたのだろうが・・・。

そして、いざ豊洲へ移転が始まろうとする段階になって、ヌエ・マスゾエがカネに対する汚らしい問題が発覚して辞任に追いこまれ、誰が書いたのかわからないが、『自民党と対決』という筋書きでコイケ劇場が幕開け。都民が熱狂して誕生したのがコイケ都政。

そのタイミングと合わせるように、豊洲の地下が空洞でしかも汚染物質が存在するとわかったことから、コイケ氏が食の安心と安全を訴えて豊洲移転を先送りにした判断は圧倒的多数の都民が大拍手したと思っていた。なのに、豊洲への移転賛成が過半数?・・・。

電話による調査だという。我が家では電話は私が出ることにしているが、最近の固定電話にかかってくるのは、お墓かカネ儲けのインチキ話。あるいは、よほど景気が悪くなっていることから、小さな工務店からの屋根や外装の話がほとんど。

時に、しばし無言で、切ろうとすると『こちらは、世論調査云々・・・』という機械音が始まる電話もある。私自身、機械音が嫌いなのですぐに切ってしまうのだが、切ってから思うことは、よくぞこんな無礼な電話に対応するものだという憤慨ばかり。要は、こんな世論調査の仕方では信用できないと言う思いが強いからであるのだろうが、それにしても、今回豊洲移転賛成が55%という数値そのものにも首を傾げているところ・・・。

コイケ氏は、豊洲移転は今回の都議選の争点にしないと言っているが、自民党が豊洲移転を進めるという立場を鮮明にしたことから、否応なしに争点になりそうだ。

さて、コイケ氏は、今回の朝日新聞の世論調査をどう読むのだろう・・・。なかなか面白いことを教えてくれた記事である。(田舎親父)

2017年4月 6日 (木)

薄っぺらな発想にあきれる・・・

 最近『国家戦略特区』という言葉をよく耳にする。なんとも怪しい日本語であるが、私が受ける感じは、『金儲けのためならなにをやっても良いことを政府が保証する』という意味と解釈すると、その実体が見えてくる。

 今、大騒ぎになっているデンデン小学校事件も大阪府が『教育特区』と言うこの制度を強引に引っ張ってきたことが原因だが、今度は外国人による家事代行が『戦略特区』で解禁され、第1陣としてフィリピン人女性25人が3月に来日したというから、現政権はまたまた、利権と金儲けのための悪事を企んでいるようだ。

 今や、コンビニ、居酒屋は言うに及ばず、町工場やなど人出不足の場所では、外国人が当り前のように働いていることは、横浜の片田舎でも、聞き慣れない外国語が飛び通っているということからも明らか・・・。

今回政府が進める『戦略特区』は、これまではタブ-とされていた個人の家庭にも、外国人を『派遣』できるようにするというから、またまたトラブルが生じることは想像に難くなさそうだ。

このことを一番喜んでいるのは、派遣会社である。フィリピンはじめ東南アジアの国々から、札束横っ面作戦で若い年代を集めて日本に送り込めば、懐にガッパリ現なまが入ってくるのだからウハウハものだろう。

私も一度だけだがフィリピンに旅行したことがあり、現地の人々との交流の中で、生活レベルは日本人と比べて雲泥の差であることを目の当たりにした。給料は恐らく日本人の数分の一、ひょっとすれば10分の一ぐらいなのかも知れないのだから、日本人を派遣社員として雇うことから比べると、札束横っ面作戦の軍資金は極端に少なくてすむことは間違いない。

仮に、日本に派遣する若者に現地の給料の3倍出すとなると、求職希望者は無限といっても良いほど集まるのではないだろうか。日本で働けば、驚くほどのお金が稼げ、生活を少し切り詰めたら母国の親兄弟に十分な仕送りができるのだから・・・。

この戦略特区について、政府の表向きの見解は『女性が輝く社会の実現』だと説明している。家事や育児から開放すれば、もっと働く女性が増えるだろうという発想だろうが、あまりにも薄っぺら過ぎる。

そもそも、日本人の女性が働くために、外国人の女性を雇うということ自体ブクジョ-ク。なんともいえない嫌な違和感を覚える。

『女性活躍』というなら、労働時間の規制を大幅に緩和するなど働き方改革を徹底するのが先決であろう。また、日本の伝統的な男女の役割分担の見直しを議論し、私の自論である、主婦(主夫)も職業として給料を払うなどの根本的な意識改革を促し、その上で、社会全体で『自分の働き方』を考えるべきだろう。

人手不足という言葉をよく耳にする。このために『外国人の活用』が叫ばれることは、ある意味仕方ないことだと理解できるつもりだが、ならば正式な『移民』として受け入れという議論が始まっても良さそうなのに、移民は嫌だから『特区』として、一時的に外国人(それも東南アジアの人々に限り)利用するという発想なのだろう。

今日もまた困った話だというオチになるが、本気で『移民』を考える時が近づいていることだけははっきりしてきたようだ・・・。(田舎親父)

2017年4月 5日 (水)

危険手当が300円?・・・

 4月2日の日曜日、東京新聞の一面に、我が目を疑うような記事が掲載されていた。廃炉危険手当『中抜』という見出しであり、福島第一、『1万円が最低300円に』というサブタイトルから、中身を想像して、これは酷いと唸り声を上げてしまう。

 この元請けから孫請け、さらに二次下請けなどの構成から、中間搾取が行われていたことは、以前から話題になっていたので私もあるだろうなとは思っていたものの、これは『中間搾取』なんて言葉ではとても言い表せないほど酷い話。実際に現地で一番危険な仕事を押しつけられている作業員に支払われる金額がわずか300円とは想像に絶する。

 (原文)東京電力福島第一原発の収束、廃炉作業で、事故直後から放射線量の高い現場で働く作業員らに支払われてきた危険手当が大幅に中間搾取(中抜き)され、支給時に日額「三百円」に減額された事例があったことが、本紙が入手した内部資料や関係者の証言で分かった。――という書き出しで始まっている。

 『危険手当』というのは、生命の危険すらある放射線量が高い場所で働く作業員が、その代償として、給料とは別に支給されるものだろうが、実際に危険な作業を請け負う業者は、下請けのさらに下請けというような縦系統構造になっていることから、こんなことが日常的に行われているようだ。

 これまでも、何となくありそうだという雰囲気があったようだが、具体的に裏付けられたことはほとんどなかったというから、この記事は見逃せない。

 東電の社内規定では、危険手当は『(工事の)設計上の労務費の割り増し分』と位置付けられ、工事費に上乗せする形で支払っており、事故直後からの『従来分』と2013年12月以降の発注工事から上乗せした『増額分』の二種類あり、それぞれ日額『1万円』程度らしいが、実際には明らかにはされていないとある。

 何の脈絡もないが、1万円という金額は私が50年以上前に、横浜港での荷揚げのアルバイト料と同じだが、当時は、一応8000円ほどは解散時に手渡ししてもらった記憶が蘇る。もっとも、その後バクチに誘うと言う搾取方法だったことも・・・。

 記事には、発注者は東電で『東芝』が元請けで、グループ会社の『東芝プラントシステム』が一次下請けに入ったとある。作業員は主に『三次下請け業者』が集め賃金を支払ったようで、その原簿が添付されている。

私には、あまりにも酷い実態を自分の言葉で表現する自信がないので、そのまま記事を引用させてもらうことにする。

(引用はじめ)書類は、二次下請けから三次下請けへ支払われた工事費の項目があり、二種類の危険手当のうち「従来分」に対応する手当が「震災対応協力金」の名目で記載されている。放射線量の高い順に(1)原子炉建屋や建屋と同レベルの環境下は「二千五百円」(2)その他の構内は「千円」(3)免震重要棟や入退域管理棟施設内が「三百円」-となっている。/いずれも東電が代表例とする一万円と比べ、大幅に少ない。危険手当をめぐっては、作業員側から中抜きを訴える声が相次ぐが、支給側の証言などがなく、多くの場合、実態は不透明だ。だが今回、二次下請けの建設会社の社長が本紙取材に対して「事務手数料や振込手数料として徴収した」と、中抜きを認めた。/ただ、この社長は「うちが受け取ったのは五千円(1)、二千円(2)、七百円(3)だった」と語り、既に一万円を大幅に下回っていたと証言する。一方、一次下請けの東芝プラント、元請けの東芝はともに「個別の工事の金額はお答えできない」とした上で、危険手当については「適切に支払っている」と答えた。/危険手当(従来分)に関しては一二年三月、東電の小森明生常務(当時)が福島県いわき市議会で「作業されている方に仕事の成果としていくよう引き続き努力してまいりたい」と発言。しかし、今回のケースについて東電は取材に「作業員と契約しているのは雇用主である業者で、東電としてどうこう言える話ではない」と回答した。(引用終わり)

ここでも『東芝』と言う原発企業の名前が出る。東電は、『東芝と契約しているからオレは知らない』というが、東電には莫大な公的な資金(国民の税金)が投入されているとなると、企業倫理からも『東芝まかせ・・・』は許されない。

東電と東芝はブスブスの関係があるのだろうが、最低限の良識として、2万円が300円という実態を調査し、国民に明らかにしなければならない義務があるはずだろう。

関連記事が社会面にもあり、そこには『危険手当は被爆しているオレらの権利。机で仕事をして人が受け取るもんじゃねぇ』という作業員の怒りの声を掲載しているが、この実態を知ったら、阿呆らしくて働く気にもならないのではないだろうか。

そして人が集まらない。東電はどうせ国民の税金だろうからと危険手当を倍増して東芝と契約。儲けるのは東芝だけ・・・。

東芝だけではなく、大手のゼネコンが中に入っていることは明らか。国民には知らさない『危険手当』の額だけが膨らみ、その殆どが一部の大企業のふところに・・・という構図が見えてくる。

なるほど、廃炉の費用計算が膨らむわけである・・・。(田舎親父)

2017年4月 4日 (火)

住宅手当打ち切りとは酷過ぎる・・・

 今日は二十四節気の『清明』。鳥が歌い草花が咲き誇る、春の清らかな空気の包まれる季節だと自分なりに解釈しているが、世の中の動きは清らかとはほど遠く、ドロドロの『今だけ・カネだけ・自分(利権)だけ』と言う輩が跋扈し、庶民の願いからかけ離れた話題ばかり・・・。

 昨日もつぶやいたが、教育というか将来を担う子どもたちに対して、価値観を統一するために保育園の乳幼児にも対象を広げて、一面的な『愛国心』を植え付ける現政権のやり方であるが、支配者の都合のよいお題目を、乳幼児期から強制的に唱えさせられたら一体どんな若者になるのだろう。想像したくない光景が現実になりそうだ。

 国連で開かれた『核兵器禁止』を話し合う会議に、現政権は出席すらせず条約そのものにも反対を明言したことも酷い話である。もはや日本政府が『被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする』なんて言っても説得力はなくなり、世界から失笑を買うだけになってしまった。

 これらのことはまたの機会に私論をつぶやきたいと思っているが、新年度に入って心を痛めていることは、福島原発事故で県内外に自主避難している人たちが、住宅手当の支給が打ち切られた後の生活である。

 除染が終わったから住民は帰れ。お上の命令に逆らうのは非国民、住宅手当など甘ったれるな・・・という、何としても福島原発事故が収束したいと見せかけたいデンデン親分と取り巻きの幹部たちに『忖度』した官僚たちの、ニタニタした嫌らしい笑い顔がチラつくのは私だけではないはず・・・。

『兵隊など赤紙一枚で何人でも集められる』これが、あの悲惨な、そして朝鮮はじめ中国や東南アジアの国々に迷惑をかけ、人々を苦しめた日韓併合から始まる太平洋戦争を進めた輩の共通でもっとも恐ろしい発想だと捉えているが、国民の命など一顧もしない本質は全く変わっていないことに背筋が冷えてくる。

その原発事故に関してであるが、先日、東電が(何とか事故を収束させるための努力をしていることを示すためにだろうが)ロボットによる福島第一原発の内部調査で、2号機の格納容器内部で湯気が立ち上っていることを確認したとの記事が目に留まる。

東電サイドは『溶融燃料のほかに発熱する原因は考えられない』と事故が収束していないことを認めているらしいが、それでもなお『注入している溶融燃料にかかった冷却水が蒸発している』と、何やら他人事のようなコメントに怒りを覚えるが・・・。

爆発の心配はないと信じたいが、2号機(1号機や3号機も同じだろうが)大部分の核燃料が溶け落ちていることが確認されていることから、現在でも冷却水と溶けた核燃料が激しく反応していると考えても間違いなさそうだ。

冷却水をかけ続けなければ、溶け落ちた核燃料は爆発的に温度を上げて危険な状態になることや、核燃料を冷やすために使われた水は、即『汚染水』となり、増え続けることなども素人である私でも想像できること。事故は収束どころか、現在進行中と表現しても差し支えなさそうだ。

そんな進行中の原発事故から、自分が安心だと思う土地へ避難することは当り前。まさに基本的人権の一つである。ところが、現政権のやっていることは、避難地で家賃が払えないとなると仕方なく帰るしかないだろうという、いわば兵糧攻め。こんなバカな話があって良いはずはない。

政府の言い分を信じてふるさとに帰ること選択した人を非難する気はない。が、放射線値が高いふるさとに戻り、異常が出ても政府が責任をとる保証は限りなくゼロであることも明らか。

せめて、避難している人たちが普通に生活できる保証をした上で、帰還する・しないは個人の意志で決める程度の選択権は与えるのは、事故を起こした国と東電のせめてもの責務であると訴えたい・・・。

その一つが住宅手当であることも論を待たない。(田舎親父)

2017年4月 3日 (月)

保育園で君神?・・・

 厚生労働省は31日、3歳児以上を対象に、保育現場で国旗と国歌に『親しむ』と初めて明記する保育所の運営指針を正式決定したという、東京新聞の4月1日の記事にビックリする。

丁度『4月バカ』のつぶやきをコラムに掲載した直後だったので、『エ-プリ-ルフ-ルのつもりなのか・・・』と思ったものだが、どうやらウソではないらしいと知ると、森友学園が経営する、教育勅語を暗唱させているとい塚本幼稚園を『バカだなあ・・・』と笑えなくなりそうだ。

記事は、文科省が同様の趣旨を幼稚園の教育要領に盛り込んだことを受けた見直しで、幼児教育の整合性が理由で、2018年度に施行するとある。

しかし、幼稚園の指導要領との適合性ということに違和感を覚えて、幼稚園でも国旗・国家の押しツケがあっただろうかと記憶を繙くが、私の時代にはなかったはず。

私が幼稚園長を兼任ながら勤めていた期間は、ほぼ20年前からの5年間。それまでは、幼児教育には全く関心がなかったので、当初は幼稚園と小学校の違いに当惑し、しょっちゅう幼稚園の教頭や教員からひやかされ笑われたものである。

保育園との違いを、『幼稚園は教育機関なので文科省ですが、保育園はあくまで保護者から委託されて預かる、いわば厚生機関なのだから、厚労省が所管しているのですよ』と教えられ、そうなんだ・・・と納得したのもその頃のことである。

兼任だが幼稚園が小学校と徒歩で5分も離れていたので、できるだけ幼稚園に出かけて園児たちと遊ぼうとは努めたが、なかなか難しく、このことにも『園長先生なのですから、もっと幼稚園にきてください』と言われたことも、今では懐かしい思い出・・・。

だからだとは思わないが、日頃の授業?などは全く口出ししなかったが、少なくとも、国旗とか国家などと言う言葉を園児はもちろん、保護者からも教員からも聞いたことがなかったと記憶していることから、幼稚園の指導要領にもなかったのではないだろうか。

今回の記事で、幼稚園との整合性と言う文言に違和感を覚えて、少し調べてみたら、文科省は幼稚園においても、新しい指導要領には、『国旗・国家に親しむ』ことが明記されており、18年度からは実施されるとのこと。

これは知らなかった。そう言えば、数ヶ月前に、あのヌエ顔の官房長官が『幼稚園で、園児に国旗・国家を教えることは重要だ・・・』という意味のことを話している映像がニュ-スで流れ体たことを思い出す。

その時は、幼稚園まで国旗・国家の押しつけが始まったのかと不快に思ったが、内閣の意を汲んで文科省が幼稚園の指導要領を改定したことに、ヌエ官房長官が満足感を表していただけのこと。迂闊なことに、それを今気付く。

どうやらデンデン閣下とその取り巻き連中で構成された内閣の方針を推し量って、厚労省は、教育機関でない自省が管轄する保育園に、『幼児』と言う幼稚園と共通する言葉だけを取り出して、文科省の方針に合わせて、国旗・国家を押しつけたのだろう。

デンデン小学校と現政権との絡みが明らかになって以来、盛んに『忖度』と言う言葉が使われるようになっている。私は『忖度』なる言葉は今まで聞いたことがないので、広辞苑で調べてみたところ『忖も度も計る意味で、他人の心中をおしはかること』だとのこと。相手の気持ちを忖度する・・・というように使うようだ。

不思議なことにデンデン首相は、『云々』は読めなくても、『忖度』は読めるらしく、盛んに口にしているのは、『お前らオレの考えを推し量って、物事を考えろ・・・』とでも命じているのかも知れない。

だから今回、いち早く文科省が、デンデン首相の戦前の教育観を『是』とする思想を『忖度』し指導要領を改定したのだろうが、その文科省との不整合さを責められる前に、厚労省が『忖度』して、文科省に『見習えならえ』となったようだ。なんとも質の悪い漫画を見るような虚しさを感じる。ブラックユ-モアとしか表現的ないが・・・。

つい先日は、教育勅語を教材にしても良いということを閣議決定したと言うニュ-スも流れたが、これも、デンデン首相の考え方を『忖度』して、他の子分たちがヨョイショした結果だろう・・・。

教育勅語は、国民は全て天皇のために命をささげよという教えであり、現憲法とは相いれないものとして、文科省も完全に否定したいたのに、デンデン首相の戦前の天皇崇拝思想をそのまま復活させようとする動きは恐ろしい。

脈絡がない話題に飛ぶが、イシハラ都政で、ヨネナガという将棋差し(他の棋士の方には申し訳ないが、この人物だけには、あえてこのような差別的用語を使う)が、私の退職の年に東京都の教育長に任命されたことを思い出す。

そのヨネナガ教育長が、(確か)『教育効果』をはじめるにあたった時だと記憶しているが、都内全ての小中高の校長を集めた会場で、行事の度だけではなく、日常的に『国旗を掲揚し君が代を歌わせろ』と檄を飛ばしていた。殆どの校長は『アホカ・・・』と聞き流していたが・・・。

そのヨネナガ教育長に対して、天皇は園遊会で『(教育現場において、国旗・国歌は)強制になるというようなことでないほうが望ましい』と発言されたと新聞テレビが報じていたことを、今回の『忖度』騒ぎで記憶から飛び出してきた。

あくまで私の推測であるが、天皇陛下は、国旗・国家の押しつけ(戦前の天皇崇拝思想につながる『国旗・国家の押しつけ』には迷惑を感じておられるのではないだろうか。できれば、もっと民衆に寄り添った政治を望まれていると信じている・・・。

デンデン首相も、真に天皇を敬愛するのなら、天皇の気持ちを『忖度』して、幼稚園やまして保育園での『国旗・国旗の押しつけ』は止めるべきだろう・・・。(田舎親父)

2017年4月 1日 (土)

四月バカに願うつぶやき・・・

 はや今年の四分の一が過ぎてしまったことになる。歳をとると時の過ぎ方が一段と速くなるとは聞いていたが、最近はこれ程まで速いのか・・・と自分ながら呆れる。それほど毎日があっという間に過ぎ去っていく。

 寝て過ごしているわけではない。6時過ぎには床から抜け出し、朝食後、外が温まる10時ごろまでは、世の中の動きを新聞やネットで勉強して、ボケ防止のために『これで良いのだろうか』とつぶやきの文章を書き発信。

その後は、このところ関わるようになった横浜の緑を増やす運動のために、自分なりのできることを模索している。特に最近は、種から発芽させて苗を作ることに興味を持ち、かなりの技術を習得できてきたことを自覚している。

昼食後は,季節を探すために野山を散策。先月末から開かれている横浜花博の里山ゾ-ンにはできるだけ出かけるように努め、植物の手入れの仕方と草花の名前を覚えたり、その栽培法法などを学んでいる。

帰宅後は、プランタ-農園で育てた野菜を収穫し、夕食の献立に加えてもらうように準備。晩酌を伴った夕食を終えて風呂に入って一日の反省後しばらくは、社会の現実をえぐった題材の小説を読み、11時ごろをメドに就寝する生活を繰り返している。

かなり規則正しい日程の毎日であるが、時には都会に出たり、遠出をすることもあるので、後期高齢者の仲間入り目前の貧乏老人としては、人生の残りの時間を、ある程度有効に過ごしていると思っているが・・・。

ところで最近は、今日『4月1日』は、『エ-プリ-ルフ-ル』と呼ばれる日だが、この言葉も新聞のコラム以外ではなかなか見かけられなくなってしまっている。昔は、『四月馬鹿』ともよばれて、たわいないウソをついて人をからかって良い日だと教えられていた。

こんな書き出しをしたのは、先月末の28日には悲しいニュ-スが続き、心が寒くなったものだが、今日改めて思い出し、それらが全て時間がずれて、今日『4月1日』のことであり、『エ-プリ-ルフ-ル(四月馬鹿)』であってほしいと願うからである。

 その一つ。

核兵器禁止条約の制定に向け、国連本部で開幕した最初の交渉会議で、日本の政府代表は不参加を表明したというニュ-スである。

 もはや日本政府が『被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする』と説明しても何の説得力はなくなったと、ヒロシマとナガサキの被爆者たちは涙を流して抗議しているという。被爆者ばかりではない、何の力もない貧乏老人までもが、こんなつぶやきで抗議の声を上げている。

世界の100以上の国が集まって核兵器の使用を禁止するル-ル作りをつくろうとの会議の席に、わが国は着こうともせず『、親分から反対しろとの命令なので、オレは出ないよ・・・』とは全く理解できない。

親分が反対する理由ははっきりしている。アメリカさまが核兵器廃絶に真っ向から反対しているからである。しかし、さすがのトランプでも『反対しろ』という命令は出していないだろうに、要は、アメリカさまに良く思われたいために気を使ったと言うところだとしか考えられない。

反対する理由として、デンデン一家の外務大臣は、『核保有国と非核保有国の対立を深め、逆効果になりかねない』述べたそうだが、これを理解できる日本人は、デンデン親分とその取り巻き連に加えて、いまだに日本が神の国だと信じているような超右翼的な思想を持つ輩たちだけではないだろうか。

その二つ。

1年前に、稼働中の高浜原発を、『耐震設計の目安となる最大の揺れの策定方法に問題があり、起こり得る地震の大きさの評価が過小、津波対策や避難計画についても疑問が残る。従って、住民の人格権が侵害される恐れが強い』と、3・11後の新たな『原発新規制基準』の在り方に疑問を呈し、停止を命じた判決を出した大津地裁に大拍手をしたことを思い出す。

『国民の命を守る司法からの重いメッセージ』だったこの判決が、国と東電が控訴していた大阪高裁では、真逆の『規制により、炉心の損傷等を防止する確実性は高度なものとなっている』となり、新規制基準を評価し,再稼働を『是』と覆されてしまった。

高裁は、『これら(既存の計算式など)の手法に基づいて策定した基準地震動が過小であるとはいえない』『避難計画等の具体的内容は適切なもの』として、『新規制基準が福島第一原子力発電事故の原因究明や教訓を踏まえていない不合理なものとはいえない』と断じて、大津地裁の判決を全面的に否定。事故など絶対におきないと言う、まさに3.11日以前の国と電力会社の言い分の受け売りそのもの。これは、司法の独立などないに等しく酷過ぎるとしか言いようがない。

司法は上級審にいけば行くほど現政権の方針通りの結論を出すことから、もはや日本には『三権分立』と言う言葉すら存在していないのではという思いにさせられる。

来年のこの日には、これらの不合理がウソだったと笑えることを期待したいのだが、世の中の動きを見ていると、やはり絶望感の方が強いようだ・・・。

前日に起きた、那須高原のスキ-場での高校生7名と教員一人が亡くなるという悲惨な事故も、4月馬鹿でウソだと思いたいが、このことは改めて・・・。(田舎親父)

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