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2017年5月25日 (木)

廃校ありきではなく・・・

 以前も何度かつぶやいたが、全国的に少子化が急速に進み、公立学校の廃校の勢いが止まらない。これ以上この傾向が続けば、日本全体が活気のない幽霊の集団のような社会になることは明らか。

何とか廃校にしないですむたいさくがないものかと、現職時代は地方に訪れて実体を調査して、何としても学校を残したいと思う人たちは話し合うなどして、対策を模索したものである。その行動の過程で、地方のいろいろな方と知り合い、廃校ネットワ-ク的な連絡網の構築にほんの少しでもお手伝いができたのではと自負している。

そんな私なので、『廃校』という文字に敏感に反応し、新聞紙上に見つけると、ついつい食いついてしまう習性がある。5月22日の東京新聞社説の『少子化と廃校 地域主体で未来図を』という見出しは、まさにその典型。

書き出しの、学校は地域住民の『よりどころ』であり、子どもの数だけで拙速に判断はせず、廃校と決めても地域の未来を見すえた活用をしたいという文面に、その通りとうなずく。

私が『廃校』に興味を持ちだしたのは今からおよそ20年前。当時は、全国の公立小学校の数は約2万5千校、中学校は約1万2千校という記憶が頭の隅に今でも残っている。

これがどれほどの数値になっているのか調べてみた。『一般財団法人日本私学教育研究所』が発表している昨年度の統計として、小学校は20011校、中学校は9555校となっている。私の記憶が正しければ、わずか20年間で、小学校は約5千校、中学校でも約2千5百校が姿を消していることになる。

社説には、文科省は一昨年、公立小中学校の統合の基準を60年ぶりに見直し、都道府県教委に手引を出したとあり、その内容は、小学校では6学級以上の一定規模が必要などとして、事実上、小規模校の統廃合を促すものらしい。

東京新聞は丁寧な取材でこの記事を書いたと信じているが、私の記憶によれば、20年前の、文科省や教育委員会が持つ姿勢は(地方都市の基準として)小学校の場合、6学級以上であり一学級の児童数が10人以上となっていたのではないだろうか。

しかし、あくまでそれは目安であり、実際には、少なくとも各学年に児童が在籍している場合は、住民の強い希望もあってすぐに『廃校』という話は出なかったはず。むしろ教育委員会としては、何とか存続させようと努力していたのではなかっただろうか。

それが、文科省の廃校への手好き的な通達が出されたとなると、当時の目安が基準になったことを表していることになり、いよいよ『廃校』という現実が全国に広まったことを感じる。

設置基準に基づくと、学校という形を整えるには、子どもたちを直接指導する学級担任は当然だか、校長と教頭(副校長)に加えて養護教諭が必要とされている。

現在でもマンモス校といわれる20学級以上の小学校は全国でもかなり存在する。自治体に四手は、教員配置の加算は多少あるようだか、校長・教頭・養護教諭は基本的に一人で、それ以上もそれ以下も許されない。

2人の児童のクラスでも、35人のクラスでも担任は一人。これも変わらない。授業時数が同じだから当然だろうと思うのだが、現在の経済重視というか成果主義からの発想では、教員一人の経済効果という面からは無駄だというのが一般的な考え方ではないだろうか。それが文科省の通達に現れている。

確かに、学校を統廃合し算数的な計算をすれば、教員数は大幅に削減され、その分の自治体が負担する人件費などの経費は少なくなることは明らかであるが、そもそも学校、特に地方における小学校の存在は、単に児童の教育の場だけではなく、住民の心の支えであることを忘れてほしくない。むしろそのことを第一に考えてほしいと強く願う。

子どもがゼロになったのでは仕方ないが、一人でも子どもが存在するのであれば、そこに教師が一人でも在籍していれば学校として認めるという発想がほしいもの。名前は分校でも、あるいは時代に合わないが分教所でも良いと思っている。

そこには、わざわざ教員を管理する校長などは必要があるのだろうか。どうしても規定を変えられないのなら、本校の校長が兼任すればすむはず。こんな私の考え方を示して、住民や自治体の人たちは議論したことが懐かしく思い出される。

廃校になってしまったら、復活することはまず不可能。文科省は一片の通達で統廃合を促すのではなく、地元自治体の組長さんはじめ住民と話し合い、残す方法を模索してほしい。そのため、どうしたら若者(子育て世代)が生活できる地域にするかを考えたいものである。

そのために、廃校問題を文科省だけで完結するのではなく、他の省庁に広げて共通の議論の場をも裸体ものである。その結果、尽力至らなくやむなく廃校にする場合でも、住民の学校に対する思い入れを大切にし、校舎を地域活性化の拠点として活用する構想を望みたい。

廃校を実に有効活用している例は私でもほんの少しだが知っている。文科省には成功例が数多く届いているはずだろうから、それらを合わせて提示すれば廃校アリキの議論ではなく、討論に幅ができ、新しい発想が生まれるものと期待している。(田舎親父)

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