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2018年1月

2018年1月31日 (水)

再度部活について考える・・・

最近やけに教員の勤務時間の長さが話題になっている。中学校の教員は、望む・望まないは別として、部活の顧問を押しつけられていることから、土日曜日の対外試合などにひっぱりだされて家庭サ-ビスなど高値の花になっているというような記事が多い。

そこまで騒いでくれるのなら、もっと教員側の立場で、ならば正規の残業代を支払うべきだとでも書いてくれれば良いのだが、そんなことを書けばたちまち政権から目の仇にされかねないとなると、その種の記事は握りつぶされ、結局は読者を喜ばす興味本位の文章が目立つというとお叱りを受けるだろうか。

 学校には『教育課程』と呼ばれる特殊な文言がある。一言でいうと、一年間の教育計画で、それを具現化するための実践方法などの集積である。各学校はこの『教育課程』なるものを作って所轄の教育委員会に提出する義務が課せられている。

その内容は、文科省の決めている『学習指導要領』を決して逸脱してはならないことから、それぞれの自治体の教委は、教育課程そのものが、指導要領の範疇に収まっているか徹底的に検閲し少しでも怪しい部分は差し戻し、作り直しを要求するのが日常。

 学校としても作り直しなど面倒なので、細かいところまで気を使うのが当たり前となると、学校の独自性なんては空文句になりがちで、自治体内の全ての学校の教育課程は似たもの同士になるのは当然だろう。

 文科省という役所は私に言わせると、趙がつくほどずるい役所である。『学習指導要領』に書かれている文言を読めば、ごく当たり前の表現で、締めつけなど感じないことから学校の自由裁量を認めていると感じるが、指導要領には付帯する解説書という曲者がついているから、なんともイヤらしい。

都道府県教委は文科省かに忖度することが習慣になっており、文科省の意図を嗅ぎ取って、文科省かからの通達に、細かな指示を加えて市町村教委に通達するのが習性となっている。市町村教委は,さらに都道府県教委に忖度するものだから、さらに細かな文言で学校現場に通達する。だから、学校の自由なんて始めからゼロに近いと言っても過言ではない。

ところが、今話題になっている『部活』については、教育課程に組み入れていないことが案外知られていない。はじめから教育課程の一貫だと明示しておけば、今日ような、『ブラック部活』などという話はでてこないはずだから不思議な話。

現行の学習指導要領では、『部活動は,学校教育活動の一環として,スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が,教職員の指導の下に,主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するもの』と定義されており、その内容については、『スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること』と規定しているが、教育課程に組み入れろとは一言も書いていない。

文科省としては、部活を教育課程に組み入れると、授業時数が確保できないことになるので、始めから指導要領から部活を外しているのである。このあたりも私がずるい役所だと批判する根拠になっている。

教育課程との関連をしっかりとれとはなんともお役所的であるが、文科省が曖昧だから自治体教委は当然学校まかせ。任された学校では、教育課程には載せていないのに、回りの学校の様子を見ながら、部活を行ってきた。そしてそれが現在さらに加熱している。

まして、数年前から学校選択制などを取り入れるようになったものだから、都市部の学校では学校の特色を出すために、妙に部活に力を入れるようになったことも事実。それにつれて、子どもたちはより上手くなりたい、より勝ちたいという気持ちが強くなり、それを保護者が応援するとなると、各学校間の部活競争が激しくなるのも当然の理である。

指導しなければならない教員は大変である。中には、野球(サッカ-などの競技)が三度の飯より好きだという教員や、部活いのちという猛者もいて、自ら顧問(事実上の監督)を引き受ける者も少なくないが、そんな大好き人間はごく一部という事から、ムリムリ顧問を引き受けざるをえないのが現実である。

文科省のずるいところは、教育課程と上手くすり合わせて上手くやれとばかり、各学校の自主性を尊重し口出ししないよという姿勢。しかし、学校は顧問のなり手がないのでその部活を閉鎖することなど簡単にできるはずがない。むしろ、こんな部活も、あんな部活もほしいという子どもたちや保護者の要望が強くなり、部活の範囲は広がる一方・・・。

私は以前から一貫して、学校の教育課程外の部活など教員がやるべきではないと主張している。中には、教育課程に位置づけて時間を区切ってやれば良いという意見もあるが、これはすでに、指導要領の中で特別活動の一つとして『クラブ活動』が位置づけられているのだから、現在行われている部活とは本質的に同居できるはずがない。

現在でも、授業時数の確保のためにクラブ活動をつぶしたいという現場もあると聞いているのに、部活を週2コマあるいは3コマなど頭から無理な話であり、狂気の沙汰と一蹴されるのがオチだろう。

部活をやめて、授業が終わった段階で後は教員も児童・生徒もフリ-にすれば、野球をやりたい児童・生徒は学校とは違う団体が指導する組織で指導を受ければ良いだけの話。部活いのちの教員はその指導者として、組織に所属し某かの手当てももらえばスッキリするはず。こんな簡単な理屈がどうして通らないのだろう・・・。

ここまで文章を綴ってきて、夏休み教育のプ-ル指導のことを思い出す。当時、私が所属していた東京大田区教委は、夏休みとは言え教員は勤務日だから、教員のプ-ル指導は本務であると主張。私は、夏休みは教員も休みであり、本務とするのはおかしい。第一、本務なのに、スズメの涙ほどの手当てを出す事はさらにおかしいと、真っ向から対立したもの。

結果は、外部指導員が確保できれば、教員は一人だけ事務的な仕事をすることで妥協。私は、教育課程に支障のない限り自由に校庭を使って良いと約束して生まれた有志保護者が指導するサッカ-クラブにプ-ル指導(監視)を依頼した。この事は教員からも歓迎された事は言うまでもない。

ことさら左様に、区市町村教委が、学校で行っている部活を地域の保護者などに託そうと言い出せば、今議論されている部活問題や教員の働きすぎという課題の解決の一助になることは間違いないと思うのだが・・・。(田舎親父)

2018年1月30日 (火)

クロ-ン人間誕生序幕・・・

 先週の木曜日の朝日新聞が報じた『サルの体細胞から、遺伝的に同じ情報をもつクローン2匹を誕生させることに中国科学院の研究チームが成功した』という一文に、中国という国は、やはりとうとう神の領域に踏みこんだのかと愕然とすると同時に、共産党一党支配故の日本人的価値観など無視できる社会の恐ろしさを感じる。

『クロ-ン動物』という言葉を知ったのは、かなり以前のこと。確かイギリスの科学者チ-ムが遺伝子を操作して、全く同じ体形・性質のヒツジを生み出したというニュ-スだったと記憶している。

当時も、医療技術の進歩だともてはやす人も多かったが、倫理的にいかがなものかという声が高まったことも思い出す。クロ-ン生命を生み出したいという願望を持つ事自体、精神的欠陥人間だという考えを持っている私は、遺伝子組み替えなどという分野は神の領域だという信念から、クロ-ンヒツジなど許される話ではないとつぶやいたもの。

しかし、クロ-ン技術にのめり込んでいる科学者たちは、そんな私の意見などクソクくらえというところで、彼らの好奇心を満たしたいという欲望は、倫理や道徳などとはおよそ縁がない代物なのだろう。

となると、複数の国の遺伝子おたくたちは、くる日もくる日も、必死になって人間に近い動物のクロ-ン作りに没頭しているのだろうなとは思っていたが、マスコミが全く取り上げないことに加えて、ネットでもこの種のニュ-スがないこともあって、全くと言ってよいほど忘れていた。

そこに今回の記事だからその衝撃は尋常ではない。何よりも、人間に近いサルの仲間で実験を成功させたことに、多くの国の生命研究機関では、すでにクロ-ン人間を作り出す実験を密かにはじめているに違いないという確信が沸いてくる。

随分昔のことになるが、私が場違いな審議委員会に出席している席上で、ある大学の高名な遺伝学の先生からチンパンジ-と人間では、遺伝子のごく一部が違うだけだと教えられたことを思い出す。

どこが違うのかという説明を受けたはずだが、そんな事は全く理解できなかったので頭に残っていない。ただ、今回実験に使われた『カニクイザル』は、チンパンジ-よりは人間との遺伝子の違いが大きいかもしれないが、かけ離れるほどの違いはないような気がする。

記事をそのまま転載しておく。『研究チームは、カニクイザルの胎児の体細胞から遺伝情報が入った核を取り出し、あらかじめ核を抜いた別のメスの未受精卵に移植。成長を促す特殊な処理を施して代理母となる21匹のメスの子宮に移したところ、6匹が妊娠し、そのうち2匹が生まれた。2匹は生後8週間と6週間のメスで、いずれも健康。核を提供したサルと遺伝的に同じ体細胞クローンと確認されたという。』

何となくだが、クロ-ンの発生過程は理解できそうだ。そして、その全ては、実験室の小さな空間で完遂できそうな気がする。やり方さえ習得できれば、大学はもとより高校の生物クラブの生徒たちでもできない話ではなさそうだ。

このニュ-スに刺激された遺伝子技術おたくの科学者たちは、ますます研究のスピ-ドを上げることは間違いない。ひょっとしてだが、日本のどこかの大学では、ニホンザルの被害が多発していることに何らかの理由づけして、ニホンザルを対象にクロ-ン作りをはじめているのかもしれない。

となると世界のどこかの研究機関では、すでに『チンパンジ-』を材料にしていることもあり得る。そしてそのクロ-ン技術を密かに人間に・・・。

クロ-ン人間が簡単に生み出す技術が完成したとなると・・・。どんな社会になるのかこれ以上想像する勇気は今の私にはない・・・。(田舎親父

2018年1月27日 (土)

今週の雪と寒さには驚くばかり・・・

 今週の寒さは半端ではなかった。今週は、月曜日の大雪にもビックリしたが、翌日からの冷え方は異常と思えるほど。

天気予報では木曜日が寒さの底と言っていたが、横浜の片田舎の今朝の冷え込みは、40年近く住んでいるがこれまで経験した事がないほど凄いものがあった。

今朝と一段と酷い。7時に目覚めて枕元の温度計を見ると、なんと『0.0℃』とある。ビックリして何度も確認するが、デジタルの数値が変わるはずがない。我が家が、超がつくほど夏向きであることは何度もつぶやいていることだが、まさにこれはトホホ状態。夏場の暑さしらずは自慢できるが、何とか考えなければ凍死するのでは・・・なんて笑えない冗談が口から出てくる。

起きてからまた一騒ぎ。トイレの水が出ないのに一瞬顔が引きつる。水はすぐに出てきたのでホッとするが、次には台所のお湯が出ない。多分お湯の出る配管の中の水が凍っているのだろうがこんな事ははじめて。

私が住む横浜の北部は,山の中とはいえ関東地方では南も南。温暖な気候の横浜市の一部。横浜市の今朝の最低気温は0℃。気象台の外の気温が我が家の寝室と同じとは、まさにトホホ状態。しかし、埼玉県のさいたま市では最低気温はマイナス9℃というから、寒い寒いとという泣き言もわがままだと叱られそうだ。

それでもまだ関東地方はましな方で、北海道や東北ではマイナス20℃などはざらだというから、この歳になっての移住どころか、数日過ごすのが関の山で、すぐに逃げ出す事は間違いなさそうだ。

日常生活を送る上でのマイナス20℃の世界がどんなものか想像もつかないが、大分以前に、カラフトで生まれて育ったという年上の同僚曰く、『風呂上がりのタオルが一瞬で凍りつき、たちまちチャンバラゴッコかできる・・・』というセリフを思い出す。

さらに先日、ロシア・シベリアのヤルク-ツクという町では、マイナス60℃がざらだという新聞記事を見つける。そんな地方でどうして生活できるのだろうと思うのだが、20万人以上の人々が住んでいうから驚きである。

寒さのことはここまでにして、22日の午後から本格的に降り始めたに雪には驚いた。天気予報ではあらかじめ大雪を予想していたが、マスコミのあまりにも大騒ぎに、ひょっとして空振り・・・という心配もあったが、今回はご名答。庭で育てている、あんどん作りのキヌサヤに傘をさしていたのだが、あっと言う間に数センチの積雪。さお竹で雪落しする作業を夜中に降り止むまで何度も繰り返す始末・・・。

都心で20cm以上の積雪は4年ぶりとのことであるが、大雪が降ると首都圏、特に東京に近い地域では、交通網がズタズタになるのが恒例になっている。今回も首都高速道路か特段の影響を受けて金曜日まで通行止めになった区間があったとのことだから、迷惑を蒙った人も多いようだ。

この日の雪は間断なく降り続き、各局が先を争って都内の各地からリアルタイムの映像を届けていたが、東京近辺の雪は、いつもの通り水気を多く含んだ雪質なので、たちまちのうちに辺り一面銀世界。

これは鉄道にも影響が出るなと思って間もなく、JR各線はもちろん私鉄の各線に、列車の遅れが賑やか報じられるようになる。これだけの雪が降っているのだから、運転手は安全確認のため、いつもよりはるかに神経を使わねばならないのだから遅延は当然でだろうと思いたい・・・。

しかし、山手線などは2、3分き間隔で走らせていることから、10分遅れで到着した電車の後に、こちらも10分遅れで次の電車が到着すると考えると、名目的な遅れはあっても、利用者への影響は基本的にはゼロではないかと思ってしまう。

しかし、テレビの画面を注目すると、『運転本数を減らして運行している』という文言が添えられていることから、10分遅れでやってくるはずの電車が間引きされているとなると、次の到着まで2、3分というわけにはいかず、次々に遅れは大きくなり、数本の間引きでトンデモ事態になるのは想像に難くない。実際にそれが現実になったようだ。

テレビ各局のキャスタ-は、『早めに帰宅するように・・・』というセリフを繰り返しているが、大企業などはならいざ知らず、その日暮らしの中小の企業や、ス-パ-やコンビニ、あるいは外食チエ-ンなど、流通や客相手の職場では、早期帰宅命令などは別世界の話。時間がたつにつれて混雑は激しさを増すのも当然であろう。

以前から,大雪になれば、必ずと言って良いほど、鉄道各社は間引きするのは何故なのだろうと、初歩的な疑問を持っていたが、先日、読者の声の欄に、『大雪時には、むしろ増発するべき・・・』という文言を見いだし、その文面を読むと、なるほどもっともと目から鱗・・・。

鉄道会社は、間引きをする理由を、架線に必要以上に負担をかけないためだと説明しているが、間引きをしたら降り積もる時間を長くするだけで、かえって架線に負担をかけるになるのではという意見はもっとも。

ポイントの切り替えなども同じことで、電車の運行間隔を短くすればするほど負荷は軽減され、もちろん線路につもる雪も、間隔を空ければそれだけ深く積ことになり、除雪にさらなる負担がかかるのはいうまでもないとのことに、そうだよなあ・・・と納得する。 

多分、私と同じように、なるほど・なるほどとうなずいた人もいると思いたい。この投書が鉄道会社きエライさんたちに届く事を願い、そして、なるほどとうなずいて、経営会議の議題になってほしいと願う、趙がつくほど冷え込んだ朝・・・。(田舎親父)

2018年1月26日 (金)

さて日光市はどうする・・・

 日光には一体何度訪れたのだろう。華厳の滝や東照宮には少なくとも20回、いやそれ以上に足を運んだのではないだろうか。

宿泊はほぼ決まって湯ノ湖畔の湯元温泉の旅館。修学旅行という名前はつけないが、東京都の各区は小学校の5、6年生に、林間学校や移動教室の定番として、必ずといって良いほど日光を選択していたからである。

 行きはじめた当時から、サルたちの姿はかなり見慣れていた。中には、自家用車の窓からバナナなどを与えている場面を目撃したこともあり、これはマズいぞと真剣に危惧感を持ったものである。

以後、サルとの遭遇の機会は増え、退職間近の引率時、交通渋滞に巻き込まれいろは坂で動きがとれなくなった経験があるが、その時、大勢のサルたちが食べ物欲しさで道端に群れている光景を目撃。子どもたちは、サルだ・サルだと大興奮。教員もいっしょになって騒ぐものだから、どうして良いかわからなくなって困ったことを思い出す。

こんなことをしていたらサルは人を恐れなくなり、勝手気ままに出没することは間違いないのだが、バスの中で、子どもたちが納得するように手短に説得できるはずはない。

当時は、中禅寺湖畔にも時にサルたちは出没していたような記憶があるが、遠くにその姿を目撃する程度でおみやげ店の中に入ってイタズラという話は聞いたことはない。しかし、最近は厚かましくも、中禅寺湖畔はもとより、東照宮近辺のお店の中にまで現れることも多くなったというネット記事に、ホントなのと驚いてしまう。

そこには、民家の庭先に入り込んでいるシカの映像も掲載されていることから、サルやシカなどの野生動物たちは、近隣の住民をエサを与えてくれる隣人とでも思っているらしい。これはたいへんな事態である。官民あげて有効な対策を考えないと、日光が野生動物に乗っ取られるのではないか・・・という漫画的な発想がさえ浮かんでくる。

シカの被害については、私が引率していた頃でもかなり頻繁に耳にしたが、その被害は戦場ケ原から続く小田代ケ原一帯に限られていた。当時でもこの周辺には、金網が張られて鹿の侵入を防いでいた光景を思い出すが、中禅寺湖近辺はもとより宿泊地の湯本温泉付近で見かけたことはなかった。もちろん、東照宮の近くでなどで野生のシカに遭遇することなど想像もしなかった。

それがわずか15年程度で事情が一変したらしい。日光市は『ロケット弾』などで脅かしているそうだが、慣れてしまい自分たちに危害を及ぼさないと学習してしまえば、この種の効果はその時点でゼロ。サルたちにバカにされるだけ?・・・。

今のところ観光客への大きな被害はないというが、観光客はサルやシカを見ると大喜びすることは以前の経験上十分理解できる。危険だという意識はほぼないので、エサを与えたくなることも当然だろう。

強引にバナナなどを奪われたら瞬間的にキャ-と悲鳴を上げるだろうが、そのことがかえって強烈な思い出になってしまい、サルやシカを追い払うことに『何故?・・・』という気持ちが生まれるのも困りもの。

この話題で、つい最近京都市内でイノシシが目撃されたという新聞記事を思い出す。神戸では街中でイノシシ闊歩する姿が頻繁に見られるという。さらに東京の23区でも、野生のサルが目撃されているとのこと。

近づくな。近づくと危険だぞ・・・という情報を正しく発信できれば良いが、ここまで野生の動物の姿が目撃されるということは、これまでのやり方では、人間の行動が相手に正確に伝わっていないことになりそうだ。

今のところ、日光に足を運ぶ気にはなれないが、今後も修学旅行はじめ、林間学校や移動教室、あるいは家族旅行などの観光地として人気は衰えることはないと思っている。

奈良のようにシカを呼び寄せて観光資源にするのも一つの手だろうが、東照宮の境内に鹿の糞が溢れる映像は想像したくない。サルを餌つけしてペットのように扱うのは不可能だろう。

野生動物へ正しい情報を伝える方法があれば良いのだが、さて日光市はどうするのだろう・・・。(田舎親父)

2018年1月25日 (木)

何だかイヤな予感がする・・・

 このところ、つぶやきたくなる事件や事象が次々に思い浮かび、ついつい話のタイミングが合わなくなる傾向があるが、一昨日の草津白根山が突然噴火したというニュ-スにはビックリ。4年前の御嶽山の噴火を記憶の中から強引に引きずり出された感じがする。

23日のお昼頃、たまたまネットで、『草津白根山で雪崩が発生、訓練中の自衛隊員が多数巻き込まれた模様・・・』という文面を発見したが、瞬間的に、かなり以前に読んだ日本陸軍の『八甲田遭難』の本の内容を思い出す。

まさか、あんな馬鹿げた訓練をしていたとは思わないが、大雪の中の訓練で雪崩という言葉に、続報を待っていたところに、雪崩は誤報で、噴火での事故との訂正が夕方のテレビのニュ-スで知り、これほど情報が発達した時代になんとも腑に落ちない思いをしたものである。

そのことはさておき、テレビが映し出す映像に、自然の恐ろしさをつくづくと感じる。

噴火となると気象庁の出番である。火山担当の課長だろうが、『噴火前に火山活動の高まりを示す観測データが得られず、噴火前に噴火警戒レベルを引き上げることは難しかった』と、想定外の噴火だったと発言していた姿がなんとも虚ろに見えたもの。

記憶は定かではない。が、4年前の御嶽山の噴火で多数の死傷者を出した時でも、担当課長は違う人物だったが、同じように想定外き噴火だったと発言していたような気がするが・・・。 

気象庁が全ての火山を詳細に観測できないことは、予算や人員、また機材などのことがあって不可能だと言うことは十分理解できるが、御嶽も草津白根も地元では人気の観光スポット。

気象庁の専門部署が、警戒レベル的には噴火するなど思えないという姿勢から、地元ではリフトとかロ-プウエイを作って手軽に出かけられる環境を整備していたという共通項がある。そこに前ぶれなくドカンでは、居合わせた人は運が悪かったというだけではあまりにも気の毒。

地元草津町では御嶽山の噴火以来、全く頭の中に噴火という言葉がなかったわけではなく、かなり警戒していたという。しかし、その対象が、私も以前登ったことがある『湯釜』と呼ばれている噴火口跡の池がある(いわゆる)『白根山』であり、今回の『本白根山』は全くの無警戒だったようだ。

気象庁によると、本白根山の噴火は3000年年ぶりだというから、噴火の記録はどこにもなく、『火山には違いないが突然噴火する火山ではない』というかなり曖昧な定義に基づく火山だったらしい。

気象庁としては、それだけに今回の噴火は衝撃が大きく、日本列島全体が前代未聞の活動期に突入した証拠だと警告を発しているが、具体策となると示せないのが現状。これは恐ろしい限り・・・。
 こんな火山は日本中にゴロゴロしているのではないだろうか。あいつは危ない奴だと警察が監視体制を敷いている人間が犯罪事件を起こす確率よりも、あんな目立たないおとなしい人と言われている人間が、突然トンデモ事件を起こすのは日常的によくある話。

自然界では人間界以上にそんな傾向が強く、あの東北大震災なども、まさかという油断があったのではなかっただろうか。まして、福島原発の大災害は、油断に加えて絶対安全だという慢心があれほどの大災害を引き起こしたことは今更の述べるまでもないこと。

去年の伊方原発の再稼働を認めない判決を出した広島高裁の判断に対して、その理由が中央構造帯の活断層の大きなずれが引き起こす大地震ではなく、阿蘇山の大噴火に伴う火砕流ということに驚いたことをつぶやいたが、広島高裁の裁判官の判断をなるほどもっともと改めて大評価・・・。

阿蘇の大噴火は誰もが想定できること。伊方原発を再稼働などはまさに狂気の沙汰で論外だが、火山列島と言われているわが国では、どこででも火山の脅威があることを思い知らされた今回の噴火は、原発などという『悪魔のささやき』に惑わされてはならないという天の声と受け止めたい。

蛇足ながら、草津白根の噴火の日、フィリピンのマヨン山の大噴火に加えてアメリカのアラスカ沖でマグニチュード7.9の大地震が発生。また今月5日にはパプアニュ-ギニアの島では、ラバウル火山が有史以来発の大噴火。島民が全員避難するというニュ-スが伝えられている。

さらに、昨年には、日本人が多く訪れる人気の観光地として知られている、インドネシアのバリ島のアグン山が大噴火して、航空機の発着ができなくなったということも思い出す。

どうやら日本だけではなく、世界中の地底ではトンデモ現象が起きていることは間違いなさそうだ。こんな時に、原発の再稼働はもとより、北朝鮮の脅威を宣伝して、わざわざキナ臭くすることばかり考えている現政権の危うさを情けなく思うのだが・・・。(田舎親父)

蛇足になるかもしれないが、昨日知人から届いた情報によると、雪上訓練をしていた自衛隊員たちは、直ちに救助活動に移行し、逃げ後れてゲレンデでうずくまっている母娘を10人ほどの隊員が囲んで守っていたという。

その一人の背中に噴石が直撃し死亡したとのことだが、そんなことはマスコミは一切伝えない。知人は、目撃者から聞いたと話していることから、かなり信憑性があると断言している。

真偽はともかく、自衛隊員の献身的な活動があったことは想像に難くない。このことを何故マスコミは一切スル-しているのかが気になるところ・・・。

2018年1月24日 (水)

戦争の足音を大きくする愚・・・

 1月16日の午後7時のNHKニュ-スで、女性アナウンサ-が『先程出されたJアラ-トは誤報でした お詫び申し上げます』というような発言をしたことを思い出す。

 その時点では何のことなのと思っただけだが、しばらくして、6時55分ごろに『北朝鮮ミサイル発射の模様』という情報をニュース・防災アプリなどに流されたことを知り、なんともお騒がせの話と憤慨したもの。

突然のミサイル発射情報とJアラ-トに利用者は一時騒然となったというが、それはそうだろう。NHKのニュ-スアプリを利用している人は、その信憑性を評価しているだろうから、北朝鮮がミサイルを発射したものと受け止めるのは当然。中には、大慌てで地下鉄構内や地下街に逃げ込んだ市民も多かったに違いない。

その後の報道で、誤報の原因についてNHKは『配信する装置を誤って操作した』と説明しているそうだが、Jアラ-トは現政権が莫大な税金を使って作り上げた危機管理システムであることから、ボタンを押す人物は限られていることは言うまでないだろう。

NHK内で、誰がこのボタンを押す権利を与えられているのか一切情報はない。しかし、ミサイルが発射されたという一速い情報が届く立場にいる人物であることは想像に難くない。その人物は、情報の発信源である首相官邸とも絶えず連絡をとっている・とれている立場にいることも間違いない。

話は変わるが、海上自衛隊最大の護衛艦『いずも』を戦闘機の発着が可能な空母に改修する検討を巡り、政府が日米による同艦の共同運用を想定していることが分かったという記事に、現政権が、『戦争の放棄』と高らかにうたわれている日本国憲法を無視し、アメリカに従属して本気で戦争ができる国に動きだしたことに背筋が寒くなる。

同時に、一昨年だったと記憶しているが、友人の誘いで『知っておくのも悪くないか』と軽いノリで海上自衛隊の観艦式を見る機会を得て、そこで護衛艦『いずも』を実際見たことからその姿が蘇る。

観艦式とは海上自衛隊に所属する、最新鋭装備を誇る軍艦(自衛艦というらしいが)の殆どが一列縦隊で総理大臣はじめ防衛相や幹部たちの前を、威儀を正して走行する行事と理解している。当然のことながら、今盛んに報じられているイ-ジス艦に加えて、海上自衛隊が誇る護衛艦『いずも』も目の前を横切ったもの。

そのデカさと異様な船体に驚く。はじめて見るイ-ジス艦も私の知っている数少ない知識の中にある軍艦、例えば戦艦『大和』や『武蔵』とは全く違う。さらに『いずも』はそれらとは根本的に違う構造で、殆ど船上部分がまっ平らな船体。

観艦式にはアメリカ海軍の航空母艦『ドナルドレ-ガン』も参加、その姿を見せていたが、大きさは比較にならないが、『いずも』は外観はそっくりで空母そのもの。現在はヘリコプタ-の発着用とのことだから、殆ど改良しなくても戦闘機の発着は可能になり、まさに化粧直しした航空母艦『いずも』が、アメリカの艦船と共同で戦地に赴く日が近づいているような気がする。

東京新聞の記事によれば、自衛隊幹部は、改修後の空母『いずも』が『重要事態で特に必要になる』として、有事にアメリカ軍機が発着拠点に使用し、自衛隊が給油や整備を行う可能性を指摘しているというから、共同運行というより、アメリカ軍の一員として戦争に参加することを想定しているようだ。

戦争というものが、世の中の『愚の行動』を全て集約したものよりはるかに愚の質と量が大きい『最大の愚』であることは、先の大戦で日本国民がイヤというほど学んだこと。祖き集約として、このような愚を繰り返さないという誓いが『憲法9条』に凝縮されているはずなのに、現政権は再びその『最悪の愚』を繰り返そうとしている。

そして、想像したくないが、NHKのJアラ-トを押すボタンを管理している人物が、国民の危機感を煽ってくれと政権から要請を受けたか、それとも、そのニアンスを感じて忖度したかして、このボタンを押して、数分後に『間違って押しちゃった』ということにして、訂正放送を流したとしたら・・・。

 こんな『クダラナイ愚』のために、悲劇が繰り返されてはたまらない。(田舎親父)

2018年1月23日 (火)

またまた凄い近未来予測?・・・

先日、人口減少が進む中、将来の公共施設をどう維持すべきか研究している東洋大学の根本祐二教授は、国が示す小中学校の適正規模を基準に統廃合が進んだ場合、全国の小中学校が今から30年後の2050年ごろにどのくらい残るかを推計したという文面を発見した。

野本裕二さんいう名前に、現役時代に何らかの会合でご一緒して、名刺交換した記憶があるので、何となく懐かしく感じ、どんな内容なのかと記事を読む。

野本さんによると、人口減少により2050年ごろまでに公立の小中学校は現在の3分の1ほどのおよそ1万校に減少し、現在は子どもの数が増えている東京などの大都市でもその数が半減するというから、俄には信じられないトンデモ推測である。

さらに、この問題はすべての国民に関係があり、究極の姿を想定することで一人一人が考えてほしいとあるが、一人一人が考えてどうなる問題ではすまされないのではと何となく無責任なように思える。

野本さんは、『国が示す小中学校の適正規模を基準に統廃合が進んだ場合』という前提で、全国の小中学校が今から30年後の2050年ごろにどのくらい残るかを推測し、その結果、小学校は一昨年の1万9800校が2050年ごろにおよそ6500校に、中学校が一昨年の9500校がおよそ3100校に、といずれも3分の1程度に減少するという結論に達したのだそうだ。
 具体的な数値も一部掲載されており、都道府県別に今の小学校が残る割合を見ると、島根県が10.7%、和歌山県と高知県で11.3%、岩手県が11.7%など、人口の少ない県では今の10分の1ほどに減ってしまうとある。一方で大都市部は、神奈川県は68.2%と7割近く残るものの、東京都は52.7%、大阪府は52%、愛知県は48.4%で、ほぼ半減するのだそうだが、この推計もとても信じられない。

現在でも、統廃合が続き小中学校の数は減り続けていることは事実であり、子どもたちは徒歩ではとても通えないこともあって、自治体はスク-ルバスで送り迎えしているのが当たり前の風景になっている。中には、バスで1時間という距離が『学区』になって自治体や小中学校も数多い。

人数が減り続けたら、否応なしに自治体の統合という動きになることは理解できる。現在でも統廃合によって小中一校ずつという自治体も多い中、もしもそんな事態になったら、学区がさらに数倍広がるのだから、スク-ルバスで送り迎えするのに、物理的に何台も用意できたとしても、通学に2時間以上かかるということにもなりかねない。

野本さんもそんな事態を予測して、統合した自治体の人口が減り続けて、自治体としての機能がマヒするような事態になれば、近隣の都市に統合ということになり、最悪の場合自治体の数が現在の数の30%、50%になり、それにつれて小中学校の数が、既述の数値になると推測したのではないだろうか。

しかし、50年.100年後なら、こんな凄い推測も考えられないことはないが、わずか30数年後の2050年に、いくらなんでも思えないのだが・・・。

限界集落という話題がこのところ頻繁に聞こえてくるが、その中にあって、新しい命の誕生とか、都会からの移住で子どもの数が増えたという情報は一服の清涼剤。良かったなあと思わず頬が緩むもの。

このような話題から、そこで生活したいという強い意思を持つ人がゼロにならない限り、自治体として維持できなくても、集落は存続し子どもも存在すると信じたい。

しかし同時に、人口が減少する時代に合わせて学校を統廃合し、持続可能なレベルに引き上げる必要があることは十分理解できる。学校のあるところに図書館や子育て施設、高齢者施設などさまざまな世代が一緒に使う拠点を整備すれば、住民にとって便利な拠点が残っていくとという野本さんの主張も正しいのだろうが、それでは地方では、県内の都市部の中でも一番か二番に人口の多い都市以外には人が住めないことになる。

ちなみにネットで島根県の小学校き数を調べてみたら、現時点では204校、児童数は約3万5千人弱とある。これが2050年には20校になり、児童数は島根県全体で3万人と少し・・・。単純に計算すると一校あたり1500人。趙がつくマンモス校ばかりになってしまうが、この当たりに関しては野本さんの説明はない。

それはともかく、小学校が20校となれば、松江市とごく一部の都市でしか小学校が存続できなくなり、極端な場合、スク-ルバスで小学校に通うのに4時間もかかるという、笑えない笑い話を真剣に議論することにもなりそうだ。

あくまで、この推計は、国が示す小中学校の適正規模を基準に統廃合が進んだ場合であるから、実際には質の悪いおとぎ話の域をでないと思いたいが、それにしても、なんとも気味悪いデ-タである。

私としては、例え50年100年先であっても、その地域でそこで生活する人々の子どもが一人でもいたら、義務教育を受ける権利を無視して、こんな事態が実際に起きないことを切に願うばかりだが・・・。(田舎親父)

2018年1月22日 (月)

国がハゲ山つくり?・・・

先週木曜日の東京新聞のこちら特報部というコ-ナ-に――林野庁が「森を無くす」?「皆伐」に補助金――という見出しにビックリ。何なのこれは・・・と思いながら読み進む。

 この見出しからもわかるように、林野庁は2018年度から、森林を丸ごと伐採する『皆伐』を含む作業に補助金を出す新規事業を始めるという。従来、『健全な森の育成』を目的に、間伐にしか補助金は出なかったが、この事業で林業の成長産業化を目指すとのことだが、またまた、現政権お得意の自然環境よりもカネ儲けが優先するようだ。

 同庁は『あくまでも再造林とセット』と説明しているらしいが、『皆伐』とは山全体の樹木を切り倒すこと。新たな樹木を植えるというが、樹木が育つのにはかなりの時間がかかるのは当然としても、その間は『ハゲ山』状態になってしまうことは、小学生でもわかる話。

伐採した樹木を麓まで降ろすことは容易なことではない。そのため多くの場合、重機を通す林道を作り、同じ時期に植林した樹木を一斉に伐採する、いわゆる皆伐という方法をとることは知っている。

50~60年過ぎると伐採適齢期になるという。戦後植林された樹木の現在がその時期にあたるので、バイオマス発電のために木材の需要が上がっていることから、経済効果を高めるための補助金の新設だと林野庁は説明しているらしいが、元に戻す事業とセットという部分には何かイカサマを感じる。

皆伐されたばかりの現場を見たことがあるが、それは酷いもの。まず重機を通すために林道を作り、小型の重機で一気に伐採したとの説明を受けるが、よくぞこんなに根こそぎ(根は残っているが)伐採できたものだと変に感心する。そこは、草一本もない表土がむき出しになった『ハゲ山』以上に荒廃した風景が広がっていた。

私は現職時代、飯田市の篤農家の協力を得て『ドングリの森づくり』を永年続けてきた経験から、いかに植林というものが難しく時間が必要なことを体験しているつもり。私が行ってきたドングリの森は、トンネルを掘ったあとの残土で谷を埋めた場所だったので、子どもたちでもスコップで穴が掘れたが、『皆伐』したハゲ山は、樹木の根はそのまま残り新しく苗を植えるのは困難極まりないことは想像に難くない。

コナラやクヌギなら切り口から新たな芽が生まれ、10年もすれば二次林となり、豊かな緑を蓄える山になるだろうが、皆伐した林が樹齢50年を越すスギやヒノキとなると、残った根の間を縫うようにして新たな苗を植えなければならなくなる。

地方の植林された山を観光する客などはいないだろうが、森作りに興味も持っていたので、普通の人より以上に植林された伐採適齢期を迎えた山を見たと自負している。そして、私が見た殆どの植林の現場はトンデモないほどの急斜面。どうしてこんな急斜面に植林できたのかと思うのだが、不思議に育っているのだから凄いもの。

恐らく林業家の血の滲むような努力があったのだろうと想像しているが、苦労を知っている山林の持ち主の殆どが高齢者になり、あとを継ぐ後継者はいないのが現状らしいとなると、高齢地主たちはこの林野庁の方針に飛びつくような気がしてならならない。

林野庁としては、皆伐した山に植林して山を元に戻すことが補助金の対象だとのことらしいが、急斜面になったはげ山に苗を植えることは容易なことではない。100歩譲って、そのハ-ドルを克服して植え終わり、直射日光から守る敷き藁や水やりをして育てたとしても、苗がある程度森の姿になるためには10年以上の年月を要することは私が今更述べるまでもない。

さらに問題は、このところ何度もつぶやいているが、野生のシカの増え方は半端でなく、シカの好物がこれらの樹木の葉っぱとその樹皮となると、まさに野生のシカにエサを与える行為であり、野生のシカを増殖させているようなもの。高齢地主たちには、それを防ぐ体力と経済力があるとは思えず、再び森を作り出す気力が残っていないのでは・・・。

記事は、最近他人の山を勝手に皆伐する、いわゆる盗伐が流行っていることも話題にしているが、そのことは別にしても、木材を燃料とする発電需要の高まりなどを背景に、産業振興をうたい文句に、補助金をつけて皆伐する施策は、全国的にはげ山を作るだけという結果になりそうだ。

さらに、皆伐された樹木が、現在は山に放置されている樹木しか使ってはいけないとされるバイオマス発電の材料に使われる可能性があるとの文面にが、柱などの建築資材として利用されるならまだしも、燃やしてしまってなにも残らなくするのは、それこそ人間のエゴ以外にはないのでは・・・。(田舎親父)

2018年1月19日 (金)

またまた教員いじめ・・・

 数日前、岐阜市の教育委員会が教員の負担をできるだけ少なくするために、夏休みの16日間を完全に学校を閉庁にするということについて『一歩前進か・・・』とつぶやいたが、閉庁にするどころか、授業をするために夏休みを短くする自治会もあるというから、この国の教育行政は何が指針になっているのだろうと思わず笑ってしまった。

全国一斉学力テストの弊害は、なんといっても自治体が点数を上げることに血眼になり子どもたちの健全な成長はもとより、いじめの発見などには後ろ向きにならざるを得ないことだろうが、教育委員会は『点数を上げろ』という組長の命令には逆らえないらしい。 

宮城県の小学校は、全般的にこの学力テストの点数が隣県の秋田県に比べてかなり低いどころか、多くの学校が全国平均より下回っているのだそうだ。中でも、特に東松島市はかなり下位に位置しているとのこと。

日頃このことにイライラをつのらせている組長が教育長に『何とかならないのか・・・』とでも言ったのではと想像しているが、市教委は鳩首会談の結果、ならば夏休みを短くして授業を・・・という筋書きではないだろうか。

市教委としては、学力テストの点数の底上げを急がねばという脅迫概念でもあったらしく、今年から小中学校の夏休みを5日短縮して授業時間を増やすとのこと。学力テスト点数上乗せ策として長期の休みを減らすのは、県内の市町村で初めてらしいが、私には何となくだが、この動きが一人歩きして宮城県内に広がりそうな危惧を感じてならない。

 記事には、市教委によると、昨年は36日間の夏休みがあったが、今年は31日間に減らし、例年よりも5日早く2学期を始め、授業時間を30時間増やすとある。

確かに8月の最終の週が月曜日から始まるので、5日早く2学期が始まるが、私の感覚が古いのかもしれないが、学校では学期のはじめの日は『始業式』を行い、学級のいろいろな決まりや分担を決める時間が必要だと思うのだが、点数を上げるためならこんなことはどうでも良いと考えているのだろうか・・・。

8月27日の月曜日、市教委の言う2学期の始めの日に給食を実施すれば確かに6時間というワクを作れるだろうが、私の経験上、この日に始業式もやらずに授業は、子どもたちに取ってはかなりの負担。まして、教科の授業を6時間は無謀としかいえないことだけは確かである。

もっとも、東松山市は2学期制を敷いており、始業式など必要ないというならば、形としてだけなら31日(金)までの5日間で30時間は、机上計算ではカウントできそうだが、それが来年の学力テストの点数に大きく反映するとは思えない。

5日間の授業で来年のテスト科目である、数学(算数)・国語の点数が、数点上ったら、成果はあったと大喜び、それでも県内の下位から脱しなければ、夏休みを7日短縮しようと動きになりそうな気がする。

これでは、やっと最近になって公立小中学校の教員の勤務時間や体制を見直そう、そのため夏休みを(私に言わせれば、全面的ではなく)少しだけ閉庁にするという世論の動向とは真逆。顕著な効果かなければ、お前らの教え方か悪いという圧力になり、さらに教員を追い込むことになることは間違いない。

教育長は『震災時に小学2年だった中学3年生は、避難所や仮設住宅といった、勉強がしにくい生活環境に長くいた』と語り、家庭でテレビ視聴や携帯ゲームをしている時間が県平均よりも長く、それが学力低下につながっていると分析しているらしい。

大震災の影響はかなりあることは当然だろうが、東松島市だけが甚大な被害を蒙ったわけではない。県は違うが、石巻や陸前髙田など、宮城・岩手両県の太平洋に面する地域は壊滅的な被害を受けたことは、私自身がこの眼でも確かめたこと。

手元に詳しいデ-タがないので何ともいえないが、この地域が今でも全国平均より低いというなら、これは自治体だけの責任ではなく、それでもあえて格差をつける全国一斉の学力テストを続ける国の教育行政の貧困さとしか言いようがない。

学力テストの点数を少し上げる少し上げる程度なら私にでもできる。このことは決して大ボラでもなんでもなく、これまでの学力テストの傾向を分析して、5年生と中2の授業内容に手を加えればすむことである。事実、秋田県や北陸3県では、これを実践していることは周知の話。

かたや、夏休み期間中の16日を完全閉庁にする岐阜市教委。こなた、学力の点数を上げるために夏休みを5日間短くする東松島市。どちらが子どもたちや保護者、あるいは教員に優しいのはいうまでもないだろう・・・。(田舎親父)

2018年1月18日 (木)

現代版『生類哀れみの令』?・・・

 スイス政府がロブスターがまだ生きている場合、調理のために熱湯に入れることを禁じる新たな法律を成立させ、今年3月から発効するという記事をみてぶったまげる。

この法律は、ロブスターは痛みを感じる神経を持っているという研究が元になっているのだそうだが、もしもこのような法律が日本でもできたとしたら、ロブスタ-の仲間の生きている伊勢海老に包丁を入れることなど絶対に許されることではなく、伊勢海老の活き作りなど食べたくても食べられないことになりそうだ。まして、アワビの踊り焼きなどももっての外というところ。

ロブスタ-に関しては、すでにイタリアがレストランの台所で氷詰めでの保管を禁じる新たな法が成立しているというから、ヨ-ロッパの人々の『食べ物』に関する価値観は私たちとはかなり違うようだ。

要は、食料にするものであっても、生きている間は、苦痛を与えてはいけないということなのだろうが、法律でこれを禁止するとは、私には理解し難いものがある。

この記事でかなり以前つぶやいたことがある捕鯨の国際協定のことを思い出す。私は読んだことはないので本当かどうかわからないが、キリスト教の原点的書籍である旧約聖書にクジラは神聖な動物として扱われているのだそうだから、捕獲して食べるなんてもっての外・・・という概念がキリスト教圏では当たり前になっているという。

なるほどキリスト教圏の人々が、捕鯨に対して何がなんでも反対する理由はわからないでもないが、人間を含めて動物たちはすべからず、生きるためには他の命を奪うことが宿命になっていることを思うと、資源として増え続けているという説もあるクジラだけは神聖な動物だから殺して食うのは許せないという論理は、一種のわがままといっても差し支えなさそうだ。

ヨ-ロッパのゲルマン系白色人種の祖先は、狩猟が生活の基盤だったと何かの本で読んだことがある。その本には、加えて、現在では食料を得る方法は真逆になり、自然に棲息する動物を捕獲して殺して食料にすることは『非』で、基本的には人間が飼育したもになっているという意味の記述があったような気がする。

先祖が散々動物たちを殺したことを反省しているから真逆の発想になっているのかもしれないが、人間が飼育しようが、自然に棲息しているものも命は命。命の価値には変わらないと思うと、こちらもご都合主義というか、わがままな論理だと思わないでもない。

ヨ-ロッパの法律がすぐにわが国に影響を与えるとは思わないが、どちらかというと外国文化、特に西洋のそれには弱い日本人のことだから、伊勢海老を含めて活魚の刺身は可哀相だから自粛してはと言い出すこともあり得そうだ。まして、トランプさんが、スイスやイタリアのいうことはもっとも、アメリカでも・・・なんてことになると、現実性がますます高くなりそうだ。

話は少しそれるが、数年前にウナギの稚魚であるシラスウナギの踊り食いだったか、網ですくったシラスウナギをそのまま噛まずに飲み込む食べ方が最高だというテレビの映像に、可哀相だから止めろという議論になったことを思い出す。もっともその後、自然界のシラスウナギが激減して、一匹でも貴重となっていることから、こんな習慣は絶滅したようだが・・・。

確かに、命を奪うことは残酷なことに違いないか、命を奪わなければならないことは絶対事。生活が豊になればなるほど、同じ食べるなら美味しくとなることも人間の性。

魚の種類にもよるだろうが、生きたままき刺身の味を一度でもたべた人からすれば、今回の西洋版の『生類哀れみの令』は、あまり大きく取り上げてほしくない話題であることは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2018年1月17日 (水)

そして日本人がいなくなる・・・

去年の暮れの話になるが、『2017年に生まれた子どもは推計94万人で過去最少となったと』いう記事に目が留まる。

何度もつぶやいたことだが、私とほぼ同年代の学年の人数が、200万人超だとはじめて知ったのは、横浜国大の入学式での学長の『君たちのと同じ学年の人たちは全国に220万人、そのうちのわずか2千人が本校に入学・・・』という言葉であった。

この言葉はなぜか心に残り、後年、卒業式の式辞や入学式の保護者へのあいさつなどで使わせてもらったものである。

200万人という数値が年々減り続け、15年前の最後の卒業式での式辞では『120万人(だったと記憶しているが)の同級生のうち、たった60名が本校かちら巣立っ行く・・・』という文言になったことを思い出す。

わが国で生まれる赤ちゃんの数が100万人を割り込んだとはじめて耳にしたのは、確か一昨年のこと。確認すると『976,979人』という数値。わずか15年で、20万人も減少したのかと寂しく思ったものだが、去年の統計は、さらに1年で3万人超の赤ちゃんの数が減ったことになる。

1943年生まれの私と同年代が220万人だということはすでに述べたが,そのあとベビ-ブ-ムと呼ばれる年代が続き、一番出生数が多かったのは統計表で読み取ると、1947年の約270万人だから、わずか70年で生まれてくる赤ちゃんの数が170万人減ったことになる。

平均寿命は延び続け、人生100年という言葉も盛んに使われるようになっているが、100歳になるためにはさらなる医療技術の発達が必要で、数年で達成できるとはとても思えず、たかだか男女平均すると85歳を少し越す程度が限界ではないだろうか。

去年の統計から、生まれる数が100万人弱、死亡する人が140万人適度で、自然減は約40万人だという。ベビ-ブ-ムで生まれた人が85歳になるのは約15年後。私流の単純計算では、その全ての人が存在していないのに、生まれるのが80万人?・・・。

となると、軽く100万人減。国の統計ではそこまで極端ではないらしいが、2025年には64万人、2040年は89万人、2060年には94万人が1年間に減っていくのだそうだ。

 このため、最近盛んに言われていることは、『深刻な労働力不足』という言葉。私の身近でも、『人手が足りない』というセリフを良く耳にする。特に、建築や道路、水道や電気の工事などの業界は深刻で、募集しても集まらないとのこと。

 親しい水道工事の請け負い会社の社長に、『そんなに集まらないの・・・』と聞いたところ、『親会社から受け取る金額では、払える日当は2万円が限度だが、最近の若い者はそんな金額では見向きもしない』という。オリンピックの施設の建築で求める働き手を全てゼネコンが奪っていると不満をあらわにしている。

 雇える人間は年寄りばかりというから、仕事がはかどるはずがない。私より一歳年下の彼は、仕方ないから自分が動かざるを得ない・・・という。

 オリンピックについてはここではつぶやかない。そして、人手不足のことについては改めて考えるとしても、ゼネコンだけを儲けさせるシステムが確立して中小企業に人が集まらないのは本末転倒。

 労働力不足を補うために外国人をあてにしているようだが、現政権は大企業を守ることが大前提なので、外国人を研修生として安い賃金で働かしているのが現実となると、やがて外国人にも見向きされなくなる日は近そうだ。

 北朝鮮の脅威だと煽り、ミサイル迎撃システムだ航空母艦の建造だなどと軍事予算だけを増大させることにうつつを抜かしていて、根本的な人口減対策をおろそかにしていてはますます人口減少は進み、気がつけば、日本人がいなくなるという事態になることも考えられないこともない。

 外交交渉で平和解決の道を探るのが国としての基本中の基本。それを忘れては人口問題はもとより、高齢化なども語れるはずはない。

先制攻撃の武力を持つのでなく、東京一極集中するシステムを改め、若者が地方で生活できるだけの給料が得られ、安心して結婚・子育てができる環境を作る努力を第一に考える政治家の出現を望みたい・・・。(田舎親父)

2018年1月16日 (火)

生まれてくるウミガメが全てメス・・・

先日、――『オーストラリアにある世界最大のサンゴ礁グレートバリアリーフ(Great Barrier Reef)の北部に生息するアオウミガメは現在、雌が圧倒的多数を占めているとの研究結果が8日、発表された。気候変動に起因する気温上昇が、卵からふ化する期間の性別決定に影響を及ぼすことが原因だという。――という記事に目が留まる。

カメの性別が気温の変化で決まるとは、私の今までの知識では到底想像できないことだが、記事にはウミガメの卵は、ふ化する温度によって性別が決まるとある。これは面白そうだと読み進めると、砂浜に穴を掘って作られる巣の温度が上昇するほど、メスが多く生まれるのだそうだ。

はじめて知る知識であるが、ウミガメの場合、温度にしてほんの数度の差が、雌雄の比率の均衡が保たれるか破れるかの分かれ目になり、その温度が29℃なのだそうだ。赤ちゃんカメが卵から出てくるときの回りの温度が29℃より高ければメス、低ければオスになるというから実に不思議な話である。

この生態は、ウミガメに限らず、トカゲやワニにもみられるという研究論文もあるというが、何故そうなるのかというのは全くわからないとのこと。何故は解明されていないがウミガメ育てる研究者たちは、ウミガメを人工孵化には、29℃に保ち、オス・メスの比率をできるだけ一定に保つ工夫をしているという。

この記述で、随分昔のことになるが、ある一時期、学習指導要領で小学5年生の理科で『命の誕生』という単元が新しく導入され、ニワトリが卵から孵化する場面を観察させることを指導内容に盛り込んだことで『孵卵器』という器具が流行ったことを思い出す。

私は、ニワトリの飼育は小学生のころからやっていたので、この単元に興味を持ち、すぐに数台の孵卵器を購入し各クラスに配ったもの・・・。

当時き手頃な価格の『孵卵器』は、仕組みは実に簡単で、卵を入れる容器をヒ-タ-で温め、内部の温度をサ-モスタットで37℃前後に保つだけ。そこで、一日2、3回卵を回転させる必要があったことから担任たちは相当苦労した記憶か蘇る。

何故回転しなければならないのかはいうまでもないだろうが、理屈では分かっているものの、その手間を忘れたり、日曜日は児童に任せるのだが、その場合しっかりと指導が行き渡らない場合が多く、途中で失敗することも日常茶飯事だったこともから、次の指導要領ではこの教材はなくなったのではなかっただろうか。

学校や理科主任によっては、高価な価格の自動的にゆっくり回転する機能がついた孵卵器を購入したようだが、指導要領の改定でこの単元がなくなると、高価な『孵卵器』もすぐにお蔵入り、今不用品として邪魔なものとしてあるのなら、花や野菜の発芽に使いたいものだと変なことを思い浮かべている。

話が横道にそれたが、浜に埋まった卵の性別を判定するのは困難なため、研究チームはウミガメを捕獲し、どの地域で生まれた個体かを調べるために遺伝子検査を使用したとある。

遺伝子を調べれば、どこで生まれた固体なのか判明するのだそうだが、グレートバリアリーフ南部の比較的気温が低い地域の砂浜で生まれたウミガメは約65~69%が雌で『性比の雌への偏りは中程度』であるに比べて、北部の気温が高い地域で生まれた個体群は99.8%が雌だったというから、性別と温度との関係ははっきりしている。

地球温暖化が現在進行中で、2100年までに世界の平均気温が2.6℃も上昇するのだそうだが、これでは、その時点で産卵期を迎えるウミガメが存在していても、生まれる子どもは全てメスということになりそうだ。当然、次の世代へ種を残すことは不可能で、やがて地球上から姿を消すことになるのは生態に詳しくない者でも明らか。

地球温暖化は全て人間の欲望から生まれた結果であることは歴史が証明しているが、この記事は、地球上の生き物が心置きなく命を受け継ぐためには、人間の存在が負の要因であることを端的に現している。

折角、ほんの少しこのことに緊急性を感じた国々がパリで、人間の欲望を少し押さえようと協定を作ったが、アメリカは『オレはイヤだよ』と早々に脱落、アメリカさまに隷属している現政権も、ホンネは『オラ関係ねえ』・・・。

この輩たちは、ウミガメがメスだけになることに危機感はないようだが、こんなわがままを通したら、間もなく地球からトンデモないしっぺ返しがくることだけは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2018年1月15日 (月)

値上げラッシュとは聞きたくない言葉・・・。

 日本社会は近年ずっと『デフレ』が続いているのだそうだ。

デフレという現象は需要と供給のバランスが崩れ、値段を安くしても売れない状態だと大昔、学校で習った記憶があり、デフレの定義としてそのまま信じてきた。そして、今もそのように理解している。

 物が売れないと、物を作る会社は経営が成り立たなくなって倒産に追い込まれることは理解できる。しかし、貧乏老人にとって、物価は安ければ安いほど助かるのも事実なので、『デフレで結構・・・』というのかホンネである。

 ところが経済の専門家に言わせると、デフレは社会悪だという。従って、経済的に健全な社会にするためにはデフレと反対言葉の『インフレ』にする必要があるのだそうだ。

 そこで政府と日銀は随分以前から、インフレにするための施策を続けているらしく、総合的な物価を現在より2%上げなければならないと、目標を定めて盛んに市場にお金をばらまいていると報じられている。

 銀行の金利を下げれば、銀行からお金を借りやすくなって、企業の経営は楽になるという理屈はわかるつもりだが、いつからか金利がゼロになっている上に、さらにはまだまだ効果が出ないとあって、『マイナス金利』という言葉まで世の中に広がっているから、経済音痴の私にはなんとも不思議な気がしてならない。

 利子をつけて国民から預かるという形でお金を集め、その金をできるだけ高い利子で貸し出して利益を出すのが銀行の本質的な経営の基本だと思うのだが、企業が設備投資などお金のかかることには消極的になり、利潤は内部留保にしてしまい社員には還元しないのだからお金が循環しないのは当然だろう。

さすがに、利子をほんの少しでもつけなければお金は集まらない。高度成長期には7%程度あった定期預金の金利は、今では下がりに下がって0.01%にも満たないというから驚きである。この数値は、例えば100万円を定期で1年間預けても、100円しかつかないのだから、なんとも凄い話である。

そして、ついには、お金を預けるのではなく、預かってあげているのだから、当然某かのお金を『預け賃』としていただくという案が実際に浮かび上がっているらしいとなると、銀行って何なの・・・という素朴な疑問がわいてくる。

 それはさて置いても、現政権はインフレの実現のためには何としても物価を上げなければという政策が強めていることから身近の物価がどんどん上がっているのは許し難い。というより、庶民は否応なく買い控え。買いたくても買えなくなるのだから、ますますデフレが進むのではないだろうかとついつい考えてしまう・・・。

 またまた長ったらしい文面になりそうだが、新年早々、聞こえてくるのはこの値上がりの情報ばかり。まず、正月早々、製粉大手3社がそろってパンなどに使う強力粉やお菓子などに使う薄力粉など家庭向けの小麦粉を5%も値上げしたとのこと。

 さらに減反政策が見直された影響で、米の価格が値上がっているため、来月1日から外食チェーンが牛丼や天丼の値上げを発表しているらしいが、その値上げが500円が540円になるのだそうだから、庶民にとっては相当こたえそうな気がする。また、電子レンジで温める『パック入りごはん』も、やはり2月から、最大17%k 値上げというから、こちらは一般家庭を直撃しそうだ。

 また、3月から4月にかけては、アサヒ、キリン、サントリー、サッポロの大手ビールメーカー4社が、瓶ビールや飲食店向けにたる詰めで出荷するビールなどを値上げするとのこと。1年前に比べると、私が大好きなサッポロ黒の500ml缶の6缶パックが100円以上値上っていることに加えて、これは『ビ-ルは贅沢品、この際止めなさい』という宣告のように聞こえてくる。

 製造会社としてはできれば値上げなどしたくないはずだと信じたい。経営をほんの少しでも安定させるためにやむえず値上げるのでは、常識的に考えても、利益が大幅に増える訳ではないのだから、社員の給料が大きく上るとは考えられない。

 大企業でも給料の値上げが難しいのだから、中小企業では望む術もないだろう。元々の富裕層や給料が上った一部の人たちは、今回の物価の値上げは、口では困ったなどと言いながら、生活にはさほど影響しないのだろうが、そうでない人はさらに節約志向が高まるはず。

 ところで、こちらは自然災害ともいえるのだろうが、このところ、野菜の値上がりが凄すぎる。先日も価格を調べるために、ス-パ-巡りをしたが、ハクサイをそのままの姿で並べている店は皆無。半分はまだましで、4分の1で200円にはビックリを通り越して気絶しそうにさえなる。

ダイコンも一本が300円とは私の知る限り、今まで経験がないほどの超高値。野菜まで節約指向が及ぶとなると、庶民の生活はますます厳しくなることは間違いなさそうだ。

野菜の値上がりは気候が安定すればいずれ解消するだろうが、『値上げラッシュ』という言葉は、私のような貧乏老人はもちろん、ごく普通の市民にとって、一番聞きたくない言葉であることだけははっきりしている。(田舎親父)

2018年1月12日 (金)

クマさんが気の毒・・・

 8日の朝日新聞朝刊の『クマ800頭捕殺 悩む秋田県』という見出しに目が留まる。見出しだけで大体の内容は理解できるが、それにしても捕殺数が私の想像をはるかに越える。気になって全文を読んでみた。 

秋田県内で今年度、ツキノワグマの捕殺数が前年度の1・7倍に急増し、推定生息数の6割弱にあたる817頭に上っているとのこと。

秋田県では昨年、春から秋にかけてクマとの遭遇事故が多く、山菜やキノコ取りの取りに山に入った高齢者が襲われるという事件を何度か新聞やテレビが報じていたが、800頭のクマを撃ち殺さねばならないほど、人間との遭遇が繰り返していたとは信じられない思い。

そう言えば、数年も前のことになるが、秋田縦断鉄道という情緒豊かなロ-カル線の列車に乗車したことがある。途中、昔からクマやイオシシなどの山の獣たちを鉄砲で撃ち、肉や毛皮を得ることを生業にしていた『マタギ』という職業に由来する駅名があった。ここにはマタギという人々が多く暮していたということから命名されているという車内アナウンスを思い出す。

『マタギの故郷』といえば聞こえは良く観光の売り物になっている感じがするが、秋田のこの地方では、昔からクマをはじめイノシシなどの獣が数多く棲息し、それらを狩猟して暮していたマタギと呼ばれる人が多く生活していたということだろう。

そんな生活習慣が受け継がれて、この地方の人たちは当たり前のように山に入ることが日常になっていることのだろうが、このこともクマとの遭遇する機会が多いことにつながっているようだ。

自然保護団体が捕殺(駆除)の中止を求めているとあるがこれも当然のこと。しかし、クマによる死傷者も2009年以降、最多の20人となり、住民の要請に応じた結果、捕殺数が増えたというから、こちらも行政からみれば仕方ないというところかもしれない。県は人とクマの共存に頭を悩ませているとのことらしいが、当事者でなくても頭が痛い問題である。

昔、マタギたちは里でのんびりと獲物(クマなど)を待っていたわけではない。奥山深く分け入って獣たちを探し求め、彼らと命をかけた争いを繰り返していた様子は小説の題材にもなっているので、私も読んだことがある。

マタギが活躍してた時代にはクマは絶対に人里に姿を現さなかったが、縦貫鉄道の開通もその一つの原因に違いないだろう『観光という名の開発』で、クマの棲む領域が狭められ、加えて自然環境の変化で山に食べ物が少なくなっては、クマとしても致し方なく人里近くに出現することは道理であり、クマが悪いわけでは決してない。むしろクマは被害者だと言っても奇怪しくないはず・・・。

しかも、この地方でと極端な過疎化に伴い急速に進む高齢化によって、これまでのクマが人間を恐れるのではなく、人間がクマを恐れるというパタ-ンが定着したものだから、クマとの遭遇は人間にとって最悪の場合は命を落とす恐れがあるとなると、ついつい捕殺してほしいと行政に要請することも理解できる。

 記事によれば、秋田県でのクマの捕殺数は全国で群を抜いているとのこと。今年度はもちろん、昨年度も全国最多の476頭、この10年で唯一、2年続けて300頭以上を捕殺しているという。

さらに。今年度は冬の猟も9年ぶりに解禁し、解禁の昨年11月15日から12月末までに26頭を捕殺したとあるが、ツキノワグマは冬眠すると教えられているのに、この季節になっても人里に現れるとはなんとも腑に落ちないのは、やはり地球全体の温暖化の影響なのかもしれない。

ますますクマが気の毒になってくる。ツキノワグマは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで危急種に分類される動物で、日本各地に棲息していたのに、すでに九州で絶滅したといわれている。

四国では絶滅の恐れがあるとされているらしく、東北地方や長野県などの限られた地方ではクマとの遭遇は時に話題になるが、それ以外の地方では、クマの姿を見たというだけで大ニュ-スになることから全国的にはクマの数は激減していることは間違いない。

県や環境省は、今年の春に新しく生まれる数を900頭超と計算しているので、生態系には影響なしとしているらしいが、この調子で、クマト遭遇しただけの情報を元に、クマを殺戮し続ければ、いずれ日本からツクノワグマが絶滅することは間違いなさそうだ。

出会ったり探し出したりしてズドンではなく、奥山の自然環境を良好にして、クマさんたちが暮しやすくするのも我々人間の務めであることはだれも否定しない。

秋田県の役人たちも、好んでクマを殺したくないはず。クマを駆除するという発想ではなく、クマトと共存を考えていると信じたい。そしてそれは決して無理な話ではない。

例えば、クマ対策として秋田県に100億円の予算をつけたら、優秀な秋田県の役人はたちまちのうちに対策を建てるに違いない。そのことは、アメリカさまのご命令に対して、『そこはちょっとご勘弁を・・・』と言うだけで可能になる。

しかし現在のデンデン政権が続く限り、クマ対策に飛行機一機分という発想は生まれないことも間違いのない事実。一日も早く、現政権を退場させることだけが、唯一クマの命を助ける道だと断言しても決して極論ではないのでは・・・。(田舎親父)

2018年1月11日 (木)

やっと動きだしたが・・・

このところ、教員の働き過ぎについての話題がマスコミ界を盛んに賑わしている。

特に中学校の場合は、部活の顧問になることは義務化していることから、野球やサッカ-などの人気スポ-ツの顧問となると、土日曜日には対外試合が毎週のように組まれているという。そのため、生徒たちを引率することが当たり前になって家庭サ-ビスなどは二の次というのが日常茶飯事らしい。

このことは、私の現職当時からも言われていたことだが、自ら進んでスポ-ツ系の部活を引き受ける教員が多かったことから、今ほど大々的に取り上げられなかった。ただ、学校によっては教員構成に差があり、この当たりを調整することが管理職の主な仕事になり、教員の方もこの特技を売り込んで異動するという話も良く耳にしたものである。

時代が移り、生徒や保護者の意識が変わり、部活の質が『楽しむから勝つこと』に変わって、他校より強くなることに重点が置かれるようになると共に、部活での指導の質を求める風潮が強くなった上に、教員との認識のずれで、ほんの少しの怪我でも大騒ぎになり、すぐに裁判ざたになることも当たり前になったように思える。

となると、教員の間では、進んで顧問にはなりたくないという気持ちが広がり、今まで当たり前だと思っていた土日曜日の生徒引率に、何故オレが・・・という疑問が生じることは当然だろう。

小学校においても、部活そのものは義務化されていないが、以前から教員が得意な技能を活用して、ブラスバンドやダンスチ-ムなどを創部、指導を繰り返して伝統を作り上げるのが大流行。今では殆どの小学校にこの部活(まがいのもの)が存在していることは良く知られた話。

となると、その教員が異動すると、後釜探しが大変な仕事。児童や親からはブラバンやダンス部などを続けるのが当然という意識があるのだから、後釜に選ばれた教員に与えるプレッシャ-は半端ではない。

ことさま左様に、教員たちが自分の首を縛ってきたことも間違いないが、教育行政機関(文科省・教育委員会・校長)の教員の勤務管理が強化され、さらに、指導内容まで細かくチェックされ学力の向上(学テの点数を高めること)を要求されるのだから、教員の勤務はますますきつくなるのは当然といえばこんな当然なことはない。

またまたいつもの愚痴っぽい書き出しになったが、何とか教員の勤務を軽減したいと思う教育委員会も現れはじめたらしく、岐阜市教育委員会は、2018年の夏休みから市立の全小中学校と特別支援学校で、補習や部活動の指導を原則として行わず、日直も置かない『学校閉庁日』を16日間連続で設けるとの方針を明らかにしたという記事を見つける。

市教委は閉校期間の設置で、教員の長時間労働を是正するのが狙いで、・期間中は、教員を対象とした会議や研修は開催しない・保護者から緊急連絡があった際は、市教委の職員が専用の携帯電話で対応するという。

校長会で周知し、教育委員会で認められれば、18年は8月4~19日に実施する予定だと、日程まで決めていることから、かなり本気度が感じられる。

しかし、学校という組織は教員だけではなく、事務職員や用務作業職員、あるいは給食担当職員などさまざまな職種を抱えているので、学校閉庁の期間中、この職種の人たちの勤務の問題はどうするのだろうという素朴な疑問がわいてくる。

市教委は『有給休暇や夏季特別休暇が取りやすくなる。しっかり休んでもらいたい』と発言しているらしいが、教育以外のこのような職員もこの期間中は有給休暇扱いとなると、彼たちは年間通して(ある意味では)自分の都合にしたがって自由に有給を使っていることはあまり計算に入れていないのではないだろうか。このことを真剣に考えて進めなければ、全く質が違う問題が発生しそうだ。

それをさし置いても、なかなかの決断である。岐阜市には負けてはならじとばかり20日間・いやもっと長い期間と続く自治体が現れる事を望みたいが、校長や教頭(副校長)など管理職までも完全に休ませるほどの大胆な発想はないのでは・・・。

文科省も、教員の働き方改革に向けての緊急対策として、一定期間の学校閉庁日を設定するよう促すとのことだが、この役所の官僚たちは官邸はじめ大臣や自民党の幹部に忖度することが大の得意技となると、『教員ばかり優遇するのはいかがなものか・・・』との雰囲気がでたら、たちまち前言撤回となるのもあり得ない話ではなさそうだ。

またいつもの繰り返しになるが、子どもがいない夏休みは教員にとっては学校に出勤する意味が全くないないというより苦痛であると断言しても差し支えない期間。思い切って、夏休み全てを閉庁という発想を持てないものだろうか。

そしてもう一歩踏み出して、教員は子どもたちを教え導く『プロ』であるという考え方ができれば、プロ野球の選手同様、年俸制度で、夏休み期間中は教育委員会の管理外というシステムが取れるのではないだろうか。

やっと動き出した教員の勤務体制を、さらに先に進める議論を望みたい・・・。(田舎親父)

2018年1月10日 (水)

今度は水道事業を民営化・・・

 『国家戦略特区』という訳のわからない制度を強引に作り、それを悪用して愛媛県知事や今治市長などのカネ儲け命の輩たちとつるんで、デンデン親分のお友だちであるカケという男が理事長をしている私学に数百億(もっと凄い数値かもしれない)と言われている国有地を無償で払い下げに加えて、莫大な補助金を与えたという加計学園疑獄が、このところあまり騒がれなくなった。

一部の市民団体が摘発の動きを展開しているが、マスコミが報じないのだから一般国民に情報が伝わるわけはない。伝えないだけではなく、むしろ、何故騒いでいるの・・・という論調さえ、産経などの保守系(右翼)新聞が論じているのだから世も末期。

野党ももう少し気合を入れて追及する姿勢を見せなければならないのに、選挙で当選することが最優先となると、追及の矛先は鈍くなるどころかゼロと言っても奇怪しくないことも情けない限り・・・。

今思うと、緑のタヌキ女史が『希望の党』なる、自民党の補完となる政党を立ち上げてマエハラという当時の民進党の代表といっしょになって野党を分断したことは、デンデン一家のこれらの陰謀がバレるのを防ぐためだったと思える節さえ出てくる始末。

背後にデンデン女房が動いていることを証言したことで、親分の怒りをかった森友学園のカゴイケ理事長が逮捕されてすでに5ケ月。証拠隠滅の恐れありという理由で、弁護士や子どもとの接見すら許されないとのこと。まさに、オレに逆らう奴はこうなるのだという見せしめとしか思えない。

こんなことが法治国家で許されるはずがないのだが、これまた保守系の新聞や大マスコミは一方的にカゴイケが悪いと報じ、現在では一番真実に近い報道をしていると思っている東京新聞でさえ、紙面から『カゴイケ』という言葉が消えているように思えるのも、デンデン勢力の圧力なのだろうな・・・。

 現政権(デンデン一味)はしてやったりというところだろう。加計疑惑も過去のことになりそうだという情勢に満足して、次の恐ろしい悪巧みの実行に移しはじめたらしい。

ネットニュ-スの『安倍政権は地方自治体が運営している公共インフラの自由化を促す方針を決めました』という見出しに目が留まる。

この文言を見て、去年だったか、一家の金庫番(財務相)を兼務するアソウ代貸しが、『水道を民営化にすれば、水道料金が安くなる』と発言したが、瞬間的にこれは恐ろしいとつぶやいたことを思い出す。

国鉄が民営化されたのは随分の大昔。当時の政権は、巨大化した組織活性化の切り札で、互いが切磋琢磨すればより良いサ-ビスが受けられるようになるとの大宣伝。国鉄労組を切り崩し、JR〇〇という名で地方別に分割されたのだが、高度なサ-ビスを受けられるようになったのは一部の地域と富裕層の人々だけで、むしろ地域の格差が広がり、現在大問題になっている過疎化を進めた最大の要因と言っても過言ではないはず。郵政の民営化もしかりであることは今更私が述べるまでもない。

マスコミ記事によると、現政権は公共インフラの民間への売却を促すために『PFI(民間資金を活用した社会資本整備)法』を改正する方向で検討しているとのこと。

この法案の内容は殆ど知らないが、要は、多くの自治体が予算不足で悲鳴を上げている水道事業を指していることは想像に難くない。そんなに苦労しているのなら『民営化にしてやろうか・・・』という話だろうと受け止めている。

水道管の老朽化や水質確保のための施設設備の改善など水道事業の課題や問題点が多いことは世間知らずの私でも理解しているが、だからといって民間にという話は乱暴過ぎるというより、どう考えても無茶な話。

民間に委託することは、委託(払い下げ)された企業は、経営を維持するために利益を出すことが大前提になる。現在、自治体が受け持っている水道事業はいずれも大赤字なのだが、代金を値上げするには議会の承認が必要になっていることから、無闇に値上げができないことも良く知られていること。

民営化すれば、議会はストップをかけることができず、確実に値上げは避けられない。しかも信じられないような大幅な値上げが待っていることは間違いない。今でも、料金が支払えない人に対して、電気や水道を止めるというトンデモ処置が当たり前のように実施されているが、民営化すれば水道料金は上がり支払えない階層が増えることは、これまた容易に想像できる。

下手すると、水道の配給制度ができて、貧乏人は風呂にも入れず、洗濯も満足にできない人が増え、『貧乏人は人にあらず』という、『富裕層による富裕層のための政治』がまかり通る社会になりそうだ。

またいつものグチになるが、日本人は何故、こんなトンデモ社会作りを目指しているデンデン政権を選挙で選ぶのだろうという強烈な疑問がわいてくる。

一億層痴呆が完成し、全ての国民が無気力無抵抗になっているばかりか、いめられることが快楽になっているとは信じたくないのだが・・・。(田舎親父)

2018年1月 9日 (火)

昨日は成人式・・・

 このところお天気続きだったのに、昨日は朝から厚い雲に覆われて、いつ泣き出しても奇怪しくない天気。横浜の片田舎では午後からは冷たい雨。その中で、全国各地で行われた『成人式』の様子を夕方のニュ-スが流していた。

中には、横浜の晴れ着をレンタルする会社が夜逃げしたことから、晴れ着が着れないというトラブルが発生したとのことに、騙すのにこと欠いて新成人を標的にするとはなんとも嫌な世相になったものだと情けなくなる。もっともかなりの自治体では、一昨日の日曜日に、成人式を行ったことはその日のテレビの映像で知り、ますます分散化が広まっているようだ。

 また、過疎化に悩む自治体では、1月では就職や進学で20歳の青年たちの多くは、東京はじめ大都会へ出てしまっていることから、『成人式』をお盆や正月に行うことも珍しくないという。

 以前もつぶやいたことがあるが、ただ単に連休にしたいという理由だけで、成人式や敬老の日、あるいは体育の日などを、その月の第二月曜日に持っていった経緯から、これらの祝日の日が毎年変わる。

私だけが感じることかもしれないが、そのため『成人式』という伝統の行事の価値が下がり、扱いも雑になっているような気がする上に、今年は1月1日が月曜日ということで、七草がゆの翌日。何となく慌ただしい気分が漂っていたように思える。

 私の『成人式』はどうだっただろうと記憶を繙いてみる。当時川崎市の富士通で就職して1年と8ケ月、同期会の多くの仲間たちと市の主催する成人参加したことをうっすらと思い出す。

 そこでふと、私の場合は両親と死別したことから、早く一人立ちしたかったことから住民票を川崎市に移した記憶があるが、他の高卒の仲間たち全員が住民票を移したとは思えないのだが、何故いっしょに参加できたのだろうと、今なって変な疑問が沸いてきた。

成人式はそれぞれの自治体が主催する行事ではなかっただろうか。繰り返しになるが、昨日もテレビニュ-スで各地の成人式の様子が報じられていたが、常識的に考えると、参加した成人たちは自治体からの招待状を受け取ったことになる。

このことは頭が混乱するので無視するとしても、成人になると共にえられる選挙権を行使するためには故郷に戻るのだろうか?という素朴な疑問が頭をよぎる。これでは投票率の底上げは難しくなるのではないだろうか。今まで思ってもみなかったことだが、成人式と選挙との関係がますますわからなくなる。

ところで前日の7日の日曜日、朝日新聞の一面トップに『18歳成人式 何月に?』という横文字2段構成の見出しが飛び込んできた。

成人年齢を18歳にしたのは、選挙の投票率が低いという理由がきっかけになり、国民の要望というよりは、政党のご都合で選挙年齢を下げようとなったと理解している。選挙権は18歳からとしたが、飲酒や喫煙はどうする、あるいは競馬や競輪、成人向けの映画はなどさまざまな議論が続いているのではなかっただろうか。

そんなことを後回しにして、現政権は成人年齢を18歳に引き下げる民法改正案を22日から始まる国会に提出する方針だとのこと。今回の衆院選挙でも、与党に過半数を与えてしまっているので、この法案は軽く成立することは間違いなさそうが。

記事は、そうなると1月の成人式は大学受験と重なり、参加者が減ってしまう。晴れ着姿の若者達を見る機会が減ってしまうのだろうか・・・という、極めて具体的で本質的な疑問を挙げて、いろいろな問題を提起している。

特にそんな心配の声を上げているのが呉服業界だという。なるほどもっともな話。最近の成人たち、特に女性の大部分は、その日だけは一生の思い出とレンタルで振りそでを借り、美容院で着付けなどしてもらって参加するのが昨今のトレンドだと聞いている。だから、成人相手の晴れ着詐欺が生まれるのだろうが・・・。

記事によれば、来年度中に満18歳になる学年を対象にすると、大半は高校3年生で成人式を迎えることになり、1月は大学受験直前の生徒も多いと指摘している。そのことを文科省に聞いたところ『より多くの人が参加できるよう、各自治体で判断して欲しい』とのことらしい。まあこの役所らしく、責任は一切取らないということだろう。

また、来年度に限ったことになるが、18歳になった若者に加えて、新しい法律で成人と認められた19歳、そしてこれまで本当の成人である20歳も加わるとなると3年間の成人式を、来年同時に取り扱わねばならない主催者の苦労は大変なものがありそうだ。

最近は大学進学が当たり前になっていることから、1月の成人式はかなりのブ-イングがありそうだ。文科省の『できるだけ多くの参加が可能・・・』という言葉に忖度し、1月を避ける自治体も多いのではないだろうか。

すると、すでに地方で行っているお盆あたりが狙い目になりそうだが、振り袖は難しく浴衣姿?・・・。これは呉服関係者にとっては大打撃。一生に一度だからレンタルでも振り袖が、浴衣となっては和服文化も風前の灯火か・・・。

政治のご都合で成人年齢を18歳にしたことから生じるさまざまな矛盾は、ムリムリ第二月曜日にしたことよりもはるかに大きいことは明らか。

さて、18歳成人という法令と実際の成人式、そしてさまざまな成人の特権など、世論はどう受け止めるのだろう。

私にとっては大した問題ではないが、新成人たちにとっては大問題。興味深くこれらの推移を見守ることにしよう・・・。(田舎親父)

2018年1月 5日 (金)

『ビジネス』という名をつければ・・・

 外国人、特に中国・台湾を始めとして東南アジアからの観光客が増加しているというニュ-スが、大きな事件がない時のマスコミの切り札になっている感じがする。

私の身近でも(昨年の暮れの話になるが)鹿児島県の出水市で民宿を営んでいる方から鹿児島県は外国、特に台湾の学生たちに人気らしく、連日大入り満員が続き大忙しですという連絡をいただいた。

元々、出水市はナベヅルの飛来地として知られており、この季節はかなりの日本人観光客で賑やかだそうだが、民宿は宿泊料金が手頃とあって台湾や中国の高校生や大学生の人気の的になっているとのこと。

言葉を通じるのかと聞くと、最近はタブレットが強力な味方だそうで、タブレットがあれば何とか意思の疎通が可能になりさほどの不便はないとのこと。加えて、毎日のように同じ年代の年代の若者たちと接していると、自然にカタコトの台湾語(中国語)を覚えてくるので楽しいというから結構な話。

このように外国人(特に若い世代)を受け入れることを『インバウンド』というらしく、各地の民宿や民泊農家(漁家)は、インバウンドの受け入れに活路見いだしているという話題は良く耳にする。

特に地方の民宿・民泊施設では人口減少と高齢化が進んでいるので、言葉が通じなくても若い声が溢れることを歓迎しているというから申し分ないことであるが、最近は、昨日も少しつぶやいたが、なんでもが『国家戦略特区』という名の元に、都会でも外国人を民泊させ流ことが大流行になっていることはマスコミがかなりの頻度で報じている。

外国人観光客の増加により都会における宿泊場所の確保という問題が起きていることは想像に難くないが、ならば普通の家庭で受け入れれば良いのではという発想が広まり、国としてもその方向が良かろうとなっているのだそうだ。

先日、一般住宅に有料で客を泊める『民泊』の基本ルールを定めた『住宅宿泊事業法(民泊新法)』が6月に施行されるのを前に、分譲マンションの管理組合が、民泊使用の可否を管理規約で明記するよう求められているという記事を見て、マンションも対象になっている事を知る。

記事には、訪日外国人の増加による宿泊施設不足の解消に向け、新法はマンションでも民泊営業を可能としたからだが、一戸建ての住宅でもさまざまなトラブルがあるのだからマンションの住民たちは不安視しているとのこと。

外国人観光客とのトラブルについては、時にマスコミが報道するのである程度知っているが、外国人との交流を望む家庭が宿泊させているのだから、家族が何故防げないのかと不思議に思うだけで、さほど深く考えたことはない。

ネットで調べてみると、国は16年4月、民泊を旅館業法の『簡易宿所』に位置付けて許可制の形で解禁したそうだが、厚労省の同年10~12月の調査では、民泊仲介サイトの登録物件のうち、許可を得ていたのは約17%にとどまるなど無許可の民泊が横行しているというから、これまたざる法もざる法、大ざる法というしかない。

都会でも空き家が増えていることから、ならば民泊施設として利用しようという家主も多いのだそうだが、そこに目をつけて、家主に替わってビジネスにするという輩がでてきてもぐりで営業をはじめているのだそうだ。

またまたカネ儲けは『是』という話になるが、生活する上では、例えばゴミき出し方一つにしても決まりがあり、守らないと生活できなくなることは当然だろうが、はじめて日本に来たそんな外国人にとっては、そんな決まりがあることも知らないだろうし、例え教えられていたとしても理解できないことが多いのは当然だろう。これではトラブルにならない方が奇怪しいのは当たり前。

まして、マンションにもこれを適用するとなると、トラブルがさらに増えるのは増像に難くないが、その対策を管理組合に求めるというのは本末転倒ではないだろうか。

これもネット記事であるが、兵庫県は『民泊が地域の生活環境を悪化させるおそれがある』とし、昨年12月に教育施設周辺や住居専用地域での営業を全面禁止とする条例骨子案を公表したというが、なるほどもっともだが、大半がもぐりで営業しているのが現状では、どこまで徹底できるかとなるとこの条例も、国の後追いの『大ざる法』のように感じる。

外国人観光客の増加は悪いことではないが、少なくとも、そこに住む住民にとって歓迎できなければ意味がない。

出水市の民宿ではないが、住民がこぞって歓迎するのなら大賛成だが、都会の空き家やマンションの一室を俄に改造して、近隣の人たちの迷惑省みず『カネ儲けのネタ』にする輩を国が後押し?・・・。

『なんでもビジネス』という発想を変える必要がありそうだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2018年1月 4日 (木)

農家に外国人を派遣?・・・

 年末年始で、しばらく休んでいたつぶやきを今日から再開。今年もボケ防止のための独り言を、平日限定で続けていこうと思っている。

 基本的に世間知らずで視野が狭いことは自覚していること。知識の範囲は極めて狭いのだから、思い込みや誤解も多々あることも承知している。

ただ唯一の強みは、カネ儲けなどとは無縁で、横浜の片田舎で仙人的生活を楽しんでいる年寄りなので、少なくとも権力に迎合する必要がないことから、全てが自分だけのためにボケ防止と割り切って、好き勝手につぶやけることだろう。

ということで今年最初のつぶやきは、一番苦手としている経済問題を・・・。

 最近、外国人の技能実習生が逃げ出す事件が多発しているのだそうだ。人手不足のため日本人の雇用ができず、外国人に頼る業界が広がっているのにも関わらず、技能を教えてやるのだから安い賃金は当たり前という考え方が当たり前として通用しているらしく、極めて劣悪な環境で働かせているのが実体だということは以前から指摘されていること。

 タテマエとしては、開発途上国の若い人たちに技術を習得してもらい、それを帰国して生かすことによって、途上国の経済的・技術的な発展に貢献するという制度だとされているが、ホンネはできるだけ低賃金でこき使うというものらしいとなると、逃げ出したくなるのも十分想像できる。

 世情に疎い私なので、どんなル-トで外国人を受け入れているのか詳しいことは理解できないが、外国人を受け入れることは政府間の契約ではなく、自治体や農協がその窓口になっていると聞いている。

また、途上国側では日本で働きたい人を集める組織があって、その組織が日本に出稼ぎにいけば、大金が手に入るという甘い誘い文句で人を集めるということもテレビなどのドキュメント番組が度々取り上げている。

日本の農業はじめ建築などの業界は安い賃金で働かせたいという思いがあり、送り出す組織もホンネはカネ儲け。当然、不透明な部分が生まれるのも当然といえばこんな当然なことはないようだ。

本来、外国人に頼るのだから、日本人と同じ待遇を用意すれば良いはずなのに、それをしないのだから、不透明な部分広がり幾多の矛盾も表面化してのだが、根本的な問題の解決を後回しにしているのが現実らしいことも、ドキュメント番組では必ず語られていることである。

そんな中、昨年の暮れに、外国人の農業労働を『国家戦略特区』という、モリカケ疑惑とおなじような怪しい制度を適用すると現政権が決めたことから、この制度の人集めしたいという自治体が数多く手を挙げているのだそうだ。そんな記事を年末の東京新聞で見つけた。

記事によれば、現行で外国人受け入れの窓口となる技能実習制度は国際協力を名目とするが、新制度は農家での労働力の確保を目的としていることから。人手不足対策として各地で期待が高まっているのだという。だだ、昨今、技能実習生が失踪するケースが増加しているほか、新制度で派遣労働の形態を導入することについての懸念も専門家から出ているとある。

『新制度で派遣労働の形態』という文言がかなり気になる。これまでの実習生は、窓口は自治体や農協などが受け持っていたが、実際には農家が直接や外国人を雇うという形をとっていたはず。それを新制度では、『派遣会社』が外国人労働者を集めて、『派遣社員』や『アルバイト』として、農家に派遣できるということになるのだそうだ。これはいただけない。

新制度では、技能実習生ができない農産物の販売などを認めていることから、農家にとってはどんなことでも外国人を使えることになる。となると、技術の習得などは単に名目となり、契約が曖昧になることは確実で、雇用主の責任の所在が不透明になり、現在以上にトラブルが増えることは、世間知らずの私でも容易に想像がつくこと。

『派遣会社』というビジネスが、雇用関係の矛盾を生み・広げたことは多くの専門家や心ある人たちは指摘しているところ。カネ儲け命の輩が編み出した派遣という制度と、それをビジネスとして派遣会社を認めたことが現代社会にさまざまな矛盾を生み出していることは明らか。

なのに、現政権は『派遣会社』というビジネスにメスを入れる方向ではなく、人手不足という現実を表面的に解決するためには、もっとも手っとり早い手段として外国人までもを『派遣社員』として、低賃金で農家に派遣するとは許し難い話である。

人手不足を解消するために外国人に頼ることは仕方ないとしても、こんな姑息な方法で外国人を労働力(商品)として集めるのではなく、本当に日本で働きたいという人たちや、内戦状態が続いて生命に危険がおよび日本での生活を望む人たちを、正規の移民として受け入れることが先決だと思うのだが・・・。(杉)

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