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2018年5月

2018年5月31日 (木)

日大ってそんな大学だったのか・・・

 例の『日大の殺人タックル』事件で、一昨日、関東学生連盟は臨時理事会を開き、反則には監督とコーチの指示があったとし、前監督と前コーチを最も重く永久追放に相当する『除名』処分を発表した。さらに、守備を統括するヘッドコーチは除名に次いで重い『資格剥奪』としたことも当然だろう。

一方、タックルをした選手とチームは、2018年度シーズン終了までの『出場資格停止』という処分にしたようだが、反省文の提出や再発防止策の実施などで再発の危険性がないと認められれば理事会の承認で解除するときうから、なかなか意味深な判断。

前監督とコ-チは記者会見で、タックルしろとは命じていないと弁明していたが、その後雲隠れ。病院に入院したという報道に、まるで悪徳議員と同じだと批判を集めていたが、ネット情報によれば、都内の超高級ホテルでのんびりとしているらしいというから、反省などこれっぽっちもしていないようだ。

今回の除名処分を決める会議では、22人の理事のうち4人が処分に反対したというから、ホテルで復権を策しているのかも知れないが、ここまで問題が大きくなった以上、もはや諦めたほうがよさそうだ。

ところで、日大には『危機管理学部』という学部があるのだそうだ。どんなことを教え学んでいるのか知らないが、前監督とコ-チはこれまでも学生に対しては、まるで奴隷のような扱いをしていたというから、日大には『危機管理』そのものの概念がなかったことは間違いないところ。要は、学生集めの道具に使っていたようだ。 

この『危機管理学部』という学部がある大学が、日本には3つしかなく、他の2つが、日大以外は『千葉科学大学』と『倉敷芸術科学大学』だという。両方ともが、デンデン親分のお友達のあの悪名高い『カケコウタロウ』という男が経営している学校だというから、まるでマンガの世界。思わずアホカと笑ってしまう。

しかも、この3つの大学の『危機管理学部』の上位の団体として『日本安全保障危機管理学会)』という団体があるそなのだが、その会長が、デンデン親分だというから何をかいわんや・・・というところ。

公式にホ-ムペ-ジがあるというから、のぞいてみたら、たしかに会長として『安倍晋三』という名前が目に飛び込んでくる。役員や顧問には、大臣経験者を含めて10名ほどの国会議員や元警視総監、元大銀行役員などの名前がずらりと並んでいるのには驚く限り。

私にはすべてはじめて知ることばかり。ネット記事によると、『危機管理学部』は、元々、知る人ぞ知る学部なのだそうだ。政治関係者は『天下り学部』と呼んでいたのだというから驚く。

 なるほどと納得することばかり。今回のアメフト部の殺人タックルの背景には、日大の本質が隠れており、それが今、疑惑の的になっているカケ学園と深く関係しているとは、因縁めいた話である。

 日大の理事長という男も、暴力団との付き合いが深いとマスコミは伝えているが、さてこの問題はどこまで明らかになるのか楽しませてもらいたいものである・・・。(田舎親父)

2018年5月30日 (水)

介護する人がいない社会・・・

 何とも空虚な毎日が続いている。私事ではなく、日本という国の話である。この国の総理大臣が、『教育勅語を基本にした小学校をつくりたいのだお力を・・・』『獣医学部で一儲けしたいので頼むよ・・・』と、女房や友人からオネダリされ、子分たちに何とか実現させろと命じたことは明らか。

 すべて数年前の話になるが、天が見逃すはずがなく、このところ、事実が明らかになって、昨日の国会などはかなり面白かったらしい。このことを受けて、やっとジャ-ナリズム精神が少し蘇ったらしい昨日の朝日・毎日・東京各紙は、社説で首相の退陣を求めるとも取れる文面を掲げている。

そのことは社会の変化として評価するが、一方の大新聞である読売は、『加計学園に加え、森友学園への昨年からの疑惑では、首相が直接関与した証拠は出ていない』と完全に首相側に立った立場を崩さず、問題はむしろ野党に対して『繰り返し同じことを・・・』という論調に終始し、北朝鮮問題を取り上げろと延べている。

読売新聞は、その強引な手口で購読者を増やしていることはよく聞く話であるが、それはさておいても、こんな社説を連日読まされた読者は、ついつい『そうだよなあ、今は北朝鮮問題が大事なだよなあ・・・』と思うのも当然だろう。

しかし、現段階で北朝鮮問題を国会で取り上げても、トランプから『黙ってオレについてくれば良いのだ・・・』と言われているデンデン現政権に、まともな方針があるはずがなく、野党が真面目に質問しても、それこそ時間の無駄であるのは明らかなのに、読売の読者はそれ自体が理解できない。

要は、国民を質の低下を計っているとしか思えないが、自民党と読売新聞が結託して、読者の白痴化をねらっているとしたら、これは明らかな犯罪である。読売新聞の上層部はともかく、記者たちや一般的な関係者はそこまでの悪意はないと信じたい。

しかし、どの新聞を購読するのは読者の勝手だが、東京新聞などの政治記事を目に通すと違いは明らか。是非、ネットで他紙の記事を読んで、何故こんなに違うのだろうと思うことだけでも社会をみる目が違ってくるのではと期待している。

 そのことはまたつぶやくとして、このところ自分自身が間もなく後期高齢者入りの年齢になったせいか、やたらに高齢者問題の記事に敏感に反応するようになっている気がしてならず、年寄り関係の記事を読むたびに、相当真剣に取り組まねば、のたれ死にする人が続出するのではと気持ちが滅入ってくる。

 財務省のデタラメさには怒りを通り越して呆れる限りであるが、厚労省も負けず劣らず財務省と汚名競争を繰り広げている。特に、最近無茶苦茶な強行裁決で法案を通した『働き方改革(残業代ゼロ)』法案のデ-タの捏造は酷過ぎる。

このまま現政権の『残業代ゼロ法案』が実施されたら、過労死が増えることは明らかだろうが、生き残ったとしても、私が今感じている以上に厳しい社会情勢を経験するに違いない。

そんなことを思いながら、急速に深刻さを増している高齢者社会を想像してみる時、さすがに、高齢者の数的デ-タまで改竄する必要はないだろうと思うので、先日厚労省が発表した、数値をそのまま使ってつぶやいてみたい。

 『介護職員が2025年度時点で約33.7万人足りなくなるとの推計』という一文である。
 必要数約244.7万人に対し、今後人材確保に取り組まなかった場合の職員数は約211万人にとどまり、必要な人数に対して実際に何人が働いているかを示す充足率は、20年度の94.2%から25年度は86.2%と10ポイントも下回るというから聞き捨てでならない。
 推計は全国の市町村の介護サービス見込み量に基づき算出したものだとある。16年度時点の介護関係の従事職員数は約190万人で、団塊の世代が全て75歳以上になる25年度までに新たに約54.7万人確保する必要があるのだそうだ。

何とも凄い数字が並んでいる。私も生きていれば、25年にはゆうに80歳を超えることになるが、現在は誰からの介護も必要としない生活を送れているが、果たしてどうなるのだろうと一抹の不安を覚える。

唐突に話は変わるが、先日、大腸の内視鏡の検査を受けてきた。医者曰く『問題はありません。なんでも好きなものを食べてください』と嬉しい診断であるが、私なりの結論は自分がプランタ-で作る野菜のおかげだと自己満足しているのだが・・・。

単に、新鮮な生野菜をふんだんに食べられることに加えて、野菜を育てるという毎日の肉体を使った努力のおかげだろうと思っているのだが、これも時間との勝負。

時間は確実に過ぎていくのだから、無駄な勝負だと笑われるかも知れないが、少なくとも介護される時間が少なければ、仕事と割り切って介護する人も、介護されたくないと思いながら仕方なく介護される私にとっても幸せであることは間違いない。

悟ったような表現であるが、生きていくということは時間との勝負と達観して、政治の虚しさを嘆く心境とは裏腹に、今朝もまた、楽しい気持ちでトマトの世話でも始めようと動きはじめる・・・。(田舎親父)

2018年5月29日 (火)

女性省?何だそれは・・・

 昨日、ネットで自民党が『女性省』の設置を柱とする内政と外交の国家ビジョンを発表したとの一文を発見して、またまた人気取り(実際は国民の目をごまかすため)だけに走っている自民党らしいと呆れる。

 親分が、何とか世間受けするために『女性を輝く社会』などと言い出したものの、全てが見え透いた一時しのぎの政策であることが明らかになっている今。いよいよ追い詰められてこんな案を出してきのだろうが、この党に属している議員たちは、『ハイわかりました』と深く議論することなく『自民党案』として提示しているのだから情けない限り・・・。

 この『女性省』は各省庁に分散している女性政策部門を統合する形で設置するとのことらしいが、何のことはない、この党のボスには女性がなることは『絶対にない』ことを前提にした、今後も男がまとめて女性を統括するということを示すメクラマシにしか過ぎないのは明らか。

このことと直接の脈略はないが、もう30年以上も前に、小中学校において、『出席簿など学校すべて男女が別々で、しかも男が前で女が後になっているのは男女平等の精神に相応しくない』という議論が急に広がったことを思い出す。

いわゆる『男女混合名簿』と呼ばれているシステムである。現在では当たり前のように全国に広がっていると聞いているが、当時は、いわゆるキラキラネ-ムの流行で、字(主に漢字)からだけでは、男女の区別が分からない名前が増えていたことから、混合名簿では支障をきたすことがあるという反対意見も多かったことが記憶の片隅から蘇る。

混合名簿に反対する根拠は何だったのだろうと記憶を辿ってみると、当時は、体重測定などの諸検査や、校医による健康診断は権序別の名簿で行っている学校が普通だっため、男女混合名簿では、いろいろと支障が生じるということが直接の理由だったのではなかっただろうか。

さらに混合名簿にするための大きな支障として、卒業生台帳はすべて男女別の名簿順で記入しているが、混合名簿での台帳記入は教育委員会が認めなかったことから、この制度を進めた学校では、普段出席簿などに使っている名簿(混合名簿)とは別に、健康診断と卒業台帳のための従来の名簿が作ったのではなかっただろうか。

今思うと、なんとも無駄な議論だったように思えるが、当時は、誰もが現在のように、ジエンダ-とか性同一障害などというという言葉や運動が当たり前に広がるとは思いもよらなかったので、こんなことが教育界の問題となっていたのだろう。

話を戻すが、『女性省』を設立というのも、繰り返すが、各省庁に分散している女性政策部門を統合するという設立目的だというが、何とも取ってつけたような言い訳である。

以前のように、男と女という明確な区別(差別かな)が必要だという社会ならいらしらず、微妙に重なり合うのが現在の常。女性政策を統合するというのは名ばかりで、かえって煩雑になることは明らかである。

国民からは『金の無駄』『無用の長物』『女性蔑視の推進』菜とという批判が殺到しているというのは当然のことだろう。

こんなバカバカしい制度をつくる以前に、セクハラなどとという言葉を死語にするための女性の基本的人権を守る法律の制定が必要であることは誰の目にも明らか。

そのことを真っ先に政権を担当する自民党が言い出さねばならないのだが、肝心の自民党に属している女性議員たちが、それぞれの派閥の男のボスの言いなりになっているのだから、そんなことは夢のまた夢なのだろう・・・な。(田舎親父)

2018年5月28日 (月)

絶望感を覚える今朝・・・

過去に、誰だったかはすっかり記憶を失っているが、『運転免許の更新を忘れて、免許が無効になってしまった。困った・・・』愚痴った同僚がいたが、その時、特に安全協会に入っていなくても、その時季が来ればお知らせがくるのではという疑問を持ったことを思い出す。

こんな書き出しになったのと、先日、『教員免許の更新忘れで失職』という文言を見てビックリ仰天したからである。

教員免許は医師や弁護士などと共に、その免許は一生持ち続けられると思い込んでいたので、ウソだろう・・・と半信半疑でその文面を追う。

教員免許は、10年前までは更新の必要がないものだったのだが、09年4月に『教員免許更新制』が導入された結果、有効期限が定められ、10年ごとに講習を受けて免許を更新しなければならなくなったとある。

迂闊なことながら、このことは全く私の頭から抜けていた。09当時は、すでに現場を離れていたことから、教員免許について関心がうすれていたのかも知れないが、09年4月となると、自民党政権だったはず。

そう言えば、愛国心などという言葉が盛んに使われはじめていた頃ではなかっただろうかと、記憶を呼び起こしている。となると、この教員免許の書き換え法は自民党の教育政策の一つだろうと見られるが、すんなり決まったのだろうか。

気になって当時の記録を調べてみたら、教員免許更新制を入れ込んだ教育職員免許法『改正(改悪だろう)』法案は、2007年通常国会半ばの3月30日に国会提出されたものだということを知る。

当時の内閣は第一次アベ政権となると、なるほどと納得する。3月30日に法案を提出したのにもかかわらず、先日強引に可決した『働き方改革(過労自殺推進)法』と同じ手法で、常識はずれの強引なスピード審議と強行採決で通したようだ。

更新が10年に一度ということは、今年が10年目に当たり、これまで更新手続きをしていない教員は、これを忘れると失効することになる。その際に、30時間もの講習を教員養成学部を持つ大学に通い受講しなければならないという。しかも、すべて自分で費用を払うというから信じられないの一言。

このことを今まで知らなかった自分が情けないが、2009年以前に教員免許を得た稚園や小中高校の現職の先生たちは、得た年度によって、夏休みに30時間もおよそクダラナイ講義を受けたのだろうと思うと、気の毒というより背筋が冷たくなる。

講義内容は大学が決めるのなら、まだ救いはありそうだが、文科省がこんな自由を与えるはずがない。間違いなく、文科省作成のマニュアルが配られ、大学の非正規教員がそれをそのまま現場の先生たちにおしゃべりするたけ・・・。

マニュアルには政権側の明確な意図が入り、数年前からは道徳の教科化に伴い『愛国心』などがたっぷり盛り込まれた道徳思想が詰め込まれていることは間違いない。そして、忙しくさせられて考える自由を奪われた教員が、学校現場で子どもたちに教える(伝えるだけ)。この国の将来を思うと絶望しかなさそうだ。

途中で3年間の民主党政権があったことを思い出すが、民主党政権は、この法案をそのまま継続させたのだろうか・・・という疑問が頭をよぎる。

このことは、もう少し調べてつぶやくことにするが、読みはじめている記事には、この制度が導入されてから、更新を忘れて免許を失効する教員が後を絶たないとある。

その一例として、去る4月24日には、滋賀県の公立小学校の40代女性教諭が、手続きを忘れ免許失効となり、失職したことを取り上げているが、滋賀県教委は、あらかじめこの教員に、更新が必要だと知らせなかったのだろうかと、強い疑念と怒りを覚える。

このことも調べてみる必要がある。調べて見たところで私ができることはないだろうが、こんなに教員を追い詰める、無茶苦茶な制度が動きだしていることを知らなかったことの情けなさと絶望感を覚える今朝・・・。(田舎親父)

2018年5月25日 (金)

20歳の青年の今後が気になる・・・

 連日マスコミが過熱気味に報じている、日大と関西学院大とのアメフトの試合で、日大の選手がトンデモ反則をした事件では、先日、やっと日大の監督が、すべて私の責任だというい、言葉ははっきりしているものの肝心のことは曖昧にした辞任したが、無防備の相手選手の後ろからタックルしたのは監督の指示かと問われると、明確な答えはせず、後日文章で回答するとなんとも歯切れの悪いコメントを繰り返していた。

 これでは逃げきれないと思ったのが、監督とコ-チが記者会見をしたようだが、これがあまりにも酷過ぎたと各方面から避難の嵐。監督は政治屋さんたちに習って、病院へトンズラしたという。何なのだろう日大という大学の体質は。

 曖昧な表現と雲隠れで時間を稼ぐやり方は、この国の最高責任者であるデンデン一家と同じ手法だが、この監督は、肝心なところは説明せずに、何となくゴマカシながらも、アメフト部の監督だけは自分の責任だと辞任したところと、少なくとも、何の責任もとらずに居すわっているデンデン首相よりは潔い感じがする。

 しかし、この男は日大の筆頭経営理事も辞任するのかと問われると、『問題が違う』とすっとぼけ、先日の会見の後は一時的に自粛という逃げの一手。大学の理事席さえ失わなければ、いずれ監督に返り咲けると思っているのではないだろうかと勘繰ってしまう。当面は陰で指図する、いわゆる院政を敷き、ほとぼりが覚めたら復帰する筋書きでも考えているのかも知れない。

 NHKはもちろん民放各社は、ニュ-スやワイドショで、現在でもしつこいほど繰り返し、無防備な関西学院大のクオ-タ-バック(QB)のを後ろからタックルで倒す映像を流している。アメフトのル-ルは全くといって良いほど分かっていない私でも、これはトンデモ反則であることは無条件に理解できる。

 ところで審判たちは、即退場としないで、反則の繰り返しを容認した後で、この選手を退場にしているのが私には不可解なのだが・・・。

 日大の選手は、明らかに反則だと知った上でタックルしていることは間違いないが、常識的には、よほど何か特別な事情がない限り、まかり間違えば死にいたらしめるような無茶苦茶な反則をするはずはない。それほど悪質な反則であることは明らか・・・。

 これらの事情が、監督とコ-チの記者会見をした前日に、当の日大の選手が大勢の記者に囲まれて、このような反則を起こさなければならなくなった経緯を説明したことで明らかになった。それにしても、本名を名乗り、物凄い数のカメラに自分の顔をさらしてまで、真実を語る20歳の青年の記者会見は圧巻だった。

悪質な反則を犯したのは事実ながら、心から反省し、その背景を語る姿はすがすがしい雰囲気がでていた。私はその映像を目にして、思わず、『見てるかデンデン。そしてサガワやヤナセ、お前らも潔く真実を語れよ・・・』とテレビの画面につぶやいたもの。

 監督・コ-チから、相手を潰せと言われた選手が、『相手選手をつぶすから試合に出してください』とは、強豪チ-ムの一員として試合にどうしても出たからことから、心身共に追い込まれた言葉に違いない。

監督は、この男なら本気でやるだろう、相手のQBを試合にでられないほどの怪我をさせてしまえば、わがチ-ムが有利になるとの悪魔のささやきに、何の疑問をはさまずに、『良しやってこい・・・』と送り出したのとしたら、もうこればスポ-ツではない。

 『潰す』という言葉がアメフトでは日常的に使われる言葉だという。監督やコ-チからは『怪我させてこい』とは言われなかったらしいが、選手としては『潰す』ことと『怪我をさせる』ことは同義語と受け止めなけれならないほど追い込まれていたことをうかがわせる,時系列に沿った弁明は、まさに『怪我させてこい』と受けとめざるをえなかった真実が目に見える。

 日大側は『怪我させてこい』とは決して言っておらず、選手が勝手に受け止めたと釈明しているそうだが、まさにモリ・カケ疑惑のデンデン一家と財務省はじめ官僚たちのやり方と全く同じでは・・・。

 ここからは私が心配してもどうしようもないことだが、精神誠意反省し、相手側の選手や家族、そして大学に対して謝罪した日大の20歳の学生の将来が気になる。

 真実を知りたいと、怪我をさせられQBの選手と父親は警察に被害届けを出し、刑事告訴も辞さないと報じられている。検察も日本の最高権力者の犯罪とは違い、特段の忖度をする必要がないだろうから被害届けを受理し、刑事告訴があれば本気で捜査に踏み切ると信じたい。

日大の知らぬ・存ぜぬを見逃すとは思えないが、真摯な態度で真実を語って選手が、このまま日大の学生として卒業まで平穏に過ごせるとはとても思えない。

 場合によれば退学に追い込まれることも想像に難くない。むしろ、彼にとって日大という大学には魅力どころか、嫌悪感が先に立ち、自分から退学届けを出す可能性の方が大きいのではと想像している。

監督の命令とはいえ、反則したことを自分の罪として潔く謝罪した勇気ある20歳の青年が、大学生活を断念しなければならないのは理不尽である。

 できれば、相手の関西学院大学とアメフト部がこの学生を受け入れて、日大相手に快勝する場面を描きたいのは私のわがままだろうか。

日大から追われることがあった場合、こんな素晴らしい人物なら、わが社が・・・という声がかかれば良いなあと思う今朝の私・・・。(田舎親父)

2018年5月24日 (木)

なぜ、1.6倍が190兆円?・・・

 先日の新聞に、『65歳以上の高齢者数がほぼピークを迎える2040年度に、社会保障給付費は188兆2千億~190兆円となるとの推計を、政府が21日の経済財政諮問会議で公表した』という文面が踊っていた。

そんなことは、ずっと以前から分かっていたことにもかかわらず、高齢者の医療や介護、年金にかかる費用が増えるため、18年度の約1.6倍になるとのこと。しかし、なんとも他人事のような文章に、ここにも大本営発表をそのままというメディアの姿勢に違和感を覚える。

それ以前に私が強く疑問に思ったのが、『190兆円という数値が現在の1.6倍』という部分である。単純に計算すると、現在の社会保障費は約120兆円ということになるが、たしか、国の一般会計の総額が100兆円弱だったのではなかっただろうか。

今までは、国の予算などは私とは無縁のものだと思っていたことなので、ほとんど関心を持たなかったか、気になって本年度の予算をネットで調べてみたら、97兆7128億円となっている。そのうち、社会保障費として計上されているのは、32兆9782億円である。

1億円でも凄いと思っている貧乏老人にとって、信じられない数字が並んでいる。特に社会保障費の32兆円という数字には、ただただ滅入るだけ。しかし、計算から求めた『120兆円』という数字との隔離が大き過ぎる。

恐らく私にはとても理解できないような計算式があるのだろうが、それにしても、22年後には、現在の32兆円の1・6倍が190兆円になるのが理解できない。

それは後で考えることにして、記事を読み進める。社会保障を誰がどう支えるのか。推計を踏まえ、負担増や給付カットに向き合う議論が求められるという一文は、経済音痴の私でも当たり前だと思うこと。

その後に細々とした数値が並んでいるが、何度も繰り返し読んでみたが、なぜ、190兆円になる疑問が消えることはない。その文章をそのまま引用して見る。

―――社会保障給付費は医療や介護、年金、保育などの制度に基づき支払われた費用。財源は主に税と社会保険料で、自己負担分は含まれない。/40年度の推計を出したのは、今回が初めて。年金は18年度の1・3倍、医療費は1・7倍、介護費は2・4倍と介護費が大きく伸びる。また、税負担は79兆5千億~80兆3千億円と18年度の1・7倍、保険料負担は106兆1千億~107兆円と1・5倍に膨らむ見通し。国内総生産(GDP)に対する給付費の比率は18年度の21・5%から23・8~24・0%になるとした。推計にあたっては、経済成長率を年2%前後に置き、過剰な病床の削減や在宅ケアの重視、後発医薬品の普及など、医療や介護の計画が予定通り25年までに進むとした。/ 前回の推計は12年。民主党政権(当時)が「税と社会保障の一体改革」の中で、団塊世代(1947~49年生まれ)が全員75歳以上となる25年までを推計し、目指す社会保障の姿とかかる費用を示した上で、消費税を10%に引き上げることも決めた。―――

『年金は18年度の1・3倍、医療費は1・7倍、介護費は2・4倍と介護費が大きく伸びる』これは、国民の社会保障の予算であることから、私でも理解できるが、『税負担は79兆5千億~80兆3千億円と18年度の1・7倍、保険料負担は106兆1千億~107兆円と1・5倍に膨らむ見通し』とあるのがどうしても不可解。

『税負担』とあるからには、国民が負担する税額だろう。言葉は悪いが、国からみたら国民から巻き上げる税額だろうが、確かめたところ、今年度は59兆790億円。これが1.7倍で約80兆?・・・。数値的には合っているが、常識的には考えられない。

『保険料負担』という言葉であるが、国が予算化している金額ではないのだろうか。となると、現在の約33兆円が107兆円に・・・、私にはとても納得できない。お前が理解できないだけだと笑われるかも知れないが、疑問は深まるだけである。

さらに記事は、これほどまでに社会保障費が増加するのにもかかわらず、消費税10%への増税がのびのびになっていることを暗に批判しているようだが、2%増税しても焼け石としか言いようがないのでは・・・。

もしも、本当に社会保障費としてこれほどの予算が必要ならば、所得税を50%にした上で、さらに消費税は10%どころか30%にしても追いつかないのではないだろうか。

私には理解できないことばかりであるが、全てがデタラメと無視するには少し引っかかる部分もありそうだ。となると、たった22年後には、今の私にはとても想像できないトンデモ社会が待っていることは間違いないような気がする。

22年後というと、下手するとまだ生きている可能性はゼロではないとなると、この世の終末をこの目で確かめたいと思っていたが、どうやらそれほど簡単に終末は来そうでないことがはっきりしてきた。

と同時に、そんな鼻叫喚の地獄絵のような社会がくる前に、この世から消えたいと思う気持ちが徐々に強くなってくる。(田舎親父)

2018年5月23日 (水)

認知症機能検査を受けてきた・・・

 運転免許書の有効期限が3年間ということは常識として知っていたが、迂闊なことに、70歳以上になると2年に短縮されることは、70歳になってはじめて受けた前回の高齢者講習会で知らされたことである。

その時、75歳以上になれば高齢者講習に加えて、『認知症検査』を受けることが義務づけられていることも聞き、改めて自分の免許書有効期限を確かめると『平成30年8月20日』とある。ならば、今回はギリギリセ-フかなと思っていた矢先の3月に、神奈川県考案委員会から『認知症機能検査のお知らせ』という書類が届いた。

どうやら、今年に有効期限が切れる74歳の老人には、みなし75歳とされることになったらしい。前回の高齢者講習でもつぶやいたことであるが、公安委員会が主催するなら各地の警察や交通安全協会で開けば良いのに、会場はすべて民間の自動車がだということに、自動車学校のための講習会では・・・と思うことしきり。

かといって、反対だとこの講習をボイコットすれば、問答無用で免許書は失効となるだけなので、『どんなものか楽しんでこよう』という気持ちを切り換えて受けたものだが、今回の認知症検査も気分は同じ。早速近くの自動車に予約をとって、18日の金曜日に受けてきた。それでも2ケ月先の予約だからいかに対象老人が多いことを物語っている。

まさか認知症と診断されることはないだろうが、12時40分から開始なので20分には会場に着いてほしいとのことなので、散歩をかねてのんびりでかける。ちょっと早めについたのだが、すでに老人たちでひしめいている。そこで750円の手数料を徴収されて、時間になったので、数組に別れて検査会場に誘導される。

私が案内された教室には、正確に数えたわけではないが、30人ぐらいいたように思えたので、私と同じ時間帯では100人ぐらい受講したのではないだろうか。

私が指定された12時40分開始ということは、自動車学校は係員の確保ということもあってお昼休みにするのだろうと理解しているのだが、もしも、午前・午後も開いているとしたら一体どれぐらいの老人たちが集まったのだろう思うと、なるほど自動車学校の救済策だという噂も真実味が出てくる。

配布された『認知機能検査の判定や計算等について』という1枚のプリントには、その全ての漢字にフリガナがふってある。高齢者をバカにするなと憤慨するが、認知症の老人にはこのぐらいの親切も必要なのかも知れないと怒りを納めることに。

76点以上、19点以上76点未満、49点未満の3段階で評定するらしい。問題は3つあって、第一問は自分の姓名や生年月日、今日の日にちと曜日、そして『今の時刻は何時だと思いますか』という設問で、検査が始まる前に、時計を外させた訳が分かったが、同時に自動車学校の午後の開始(多分1時だろう)を知らせるチャイムが聞こえてきたことには、思わず笑ってしまった。

第二問はOPHを使って4つのイラストが描かれた画面が4枚映し出される。係員が ススメのイラストに対して『これは動物です。これはスズメです』とゆっくり2度復唱する。声を出した方が覚えやすいので声を出しましょうとのことで、私の回りの受講者たちは最初のうちは係員に続いて声を出していたが、3枚目当たりになるバカバカしくなったらしく声はなし。

私ははじめからこんな検査を頭からバカにしていたことに加えて係員が、『後で、ヒントがでますから・・・』という意味のことを言ったので、無理に覚える必要がないだろうと漠然とイラストを見ていただけ。しかし、問題用紙をめくると、16のイラスト全てのものの名前を書きなさいという回答用紙の設問にはあわててしまう。

最初から、全てのものを覚えろと言われたら、16ぐらい簡単だろうが、バカにしたのがイケなかったらしく、結局(情けないことに)2つがでてこなかった。これが敵のねらいなのかも知れないが、我ながら記憶力は衰えていることを実感する。次の検査は、やはり今見たイラストの名前を書くものであるが、『これは昆虫です』というようなヒントが添えられているで、実に簡単。

そして最後の設問が、白紙に丸を描いて時計の文字盤を書きなさいという設問に加えて、2時45分をさす針の絵を描きなさいという問題で検査は終了。

こんなアホらしい検査に付き合わねばならない自分がいやになるが、まさに幼児向けと受け止められるような問題にも応えられない人もいるのだろうと思うと、しみじみと『老稚園』という言葉が真に迫ってくる。

認知症という言葉を巧みに利用して、こんなあまり意味があるとは思えない検査を自動車学校で受けなければならなくされても、有効な免許書が必要なのだから、この制度を受け入れなければならないのも情けない限り。

ほとんど車を転がすことがない私なので、免許書など必要ないと思うのだが、運転できなくなるのもしゃくな話。

ここまで幼稚園児的な扱いをされても免許が必要な老人もいるのだろうな・・・と切なくなりながら、こんなことをつぶやく今朝・・・。(田舎親父)

2018年5月22日 (火)

朝日新聞に大拍手だが・・・

 朝日新聞の夕刊にごく小さい枠であるが『素粒子』という欄がある。朝日新聞という題字のすぐ下という目立ちすぎる場所にあるのが私には災いして、大体が斜め読みか素通りすることが多い。先週18日の土曜日の夕刊もそのまま素通り・・・。

 日曜日の朝、いつものようにネットの面白い情報を探していると、朝日新聞の素粒子でアソウタロウザイムダイジンの頭文字をもじった皮肉たっぷりな文面を発見。すぐに、前日の夕刊の『素粒子』欄で確認する。

 いやはや面白い、一人で大声を出して笑ってしまった。

この欄は当然のことだが縦書き。横書きに直してそのまま引用してみると

ア あっけらかんとした顔で

ソ 反っくり返るように座り

ウ うるせぇなと言いたげに

タ 高飛車な態度を延々続け

ロ ろくでもないこと次々に

ウ うんざりするわ、本当に

ザ 雑な言いぶり、放言重ね

イ いっさい責任とりません

ム むちゃな答弁も数知れず

ダ 誰も首に鈴をつけぬから

イ いつまでも懲りない人だ

ジ 常識はずれもほどがある

ン ん? なぜ居座れるの?    という文面である。

おそらく、論説委員の一人が日頃の気持ちを正直に書いたものだろうが、よくぞ朝日のトップは許したものと感心する。イヤ、トップに言えば即反対されることは明らか、となると論説委員の判断だけで載せたのだろうが・・・。

ここからは私の愚にもつかない想像である。この御仁はマンガ大好きで、新聞の活字名とは別世界の人間らしいから、この素粒子欄も見ていなかったに違いなかろうが、子分の中の誰かが『親分、こんなことを朝日が書いていやすで・・・』とご注進。

そこでアソウ代貸しは、これは許せないとばかり、日曜日にもかかわらず、すぐに閣僚を集めろと号令を出して臨時閣議を開いたとしたらこれは面白い。

内閣として朝日新聞に謝罪を求めるべきだとワイワイガヤガヤのマンガのような閣議立ったに違いないが、中には一人二人良識がある閣僚もいるらしいことから、そんなことをしたら朝日新聞の人気を高めるだけだから無視するべきだという反論もあったのではないだろうか。

そして結論は、『朝日許すまじ』という閣議決定をして、社長を呼び出し水面下で、書いた委員の降格を求めた・・・という筋書きはどうだろう。

今日の夕刊から、『素粒子』の欄は見逃さないようにしなければ・・・。そして、論調がゴロッと変わったとしたら、朝日新聞は完全にデンデン一家に無条件降伏?・・・。

 私としては、『アベシンソウソウリダイジン』をもじって、言葉遊びを続けてほしいと願っているが、ちょっと難しそうだ。(田舎親父)

2018年5月21日 (月)

デンデンではドンドンおいてきぼり・・・

 福島第一原発の事故が未だに収束していないばかりか、先日などは、新潟や栃木の山菜が放射能に汚染されているというニュ-スに、原発周辺で汚染というならば、理解できそうだが、新潟県の山間部で今年になって急に放射線値が高くなっているというのも何となく変な話である。

 専門家という人たちがいろいろな説明をしているらしいが、どれも納得に値するものではなさそうだ。素人的に考えたら、これまで正確に線量を計らなかったとしか思えないのだが、マスコミ記事にはこの当たりはダンマリを決め込んでいる。

 2年ほど前に、福島県の会津地方で役所や農協の人たちと懇談したことを思い出す。じっさいに測定している現場は見ていないが、彼らの真剣な話すぶりから、会津地方では、全ての食材を定期的に計っていることは疑う余地はない。

実際にその数地表をみせてもらったが、そこには国の基準値を超える数値は皆無。むしろ大幅に低い値が並んでいた。この地は事故原発から100km以上離れているうえに、安達太良山系の高い山々が屏風になって、放射能を遮っているとのことを自信満々に話していた農家の人の顔が目に浮かぶ。

その説明に不満はないが、原発事故以外に原因があるとは思えないにもかかわらず、新潟県産の山菜が汚染されて出荷できないとのことは、どう理解すれば良いのだろう。

こんなそんなことを思っていたら、経済産業省が2030年のエネルギ-基本計画の素案で、将来の電源構成を決める際に大前提となる各電源のコスト推計に近年の原発建設費の高騰を反映させていないことが分かったという東京新聞の記事に目が留まる。

記事には、現政権が重要政策として世界に原発を輸出する展開をはじめているそうだが、その建造費は、政府が4年前に前回計画を策定した際に前提とした『一基4千4百億円』から、原発メーカーや商社の受注価格はほぼ倍の『1兆円以上』になっているとある。

にもかかわらず、経産省は『最も安い電源』とした前回の推計は変えていないというから、またウソで固めた話を国民に示し手いることは確実。電源構成に占める原発の割合は22%にするというからむしろ増えている。驚くほどの頑迷さに加えて時代錯誤も甚だしい。

 経産省の素案が前提にしているのは政府が15年にまとめた試算だそうだ。一基当たりの建設費を4千4百億円と推定して、原発の発電コストを『1キロワット時当たり0.1円』と推計し、このうち3.1円が建設費に相当する計算となり、石炭火力(12.3円)や水力(11円)より安い電源と位置付けているとのことである。

 ところが、現在三菱重工がトルコで進める計画や東芝がアメリカで着手した事業(現在は米企業が継承)では建設費が一基あたり1兆円を超えているのは、福島原発事故後、安全規制が強化されたため、単純計算で発電コストに占める建造費き割合は6.2円以上になり、原発の発電コストは13.2円以上に上がり、石炭火力や水力を上回ると記事は指摘している。

数値の根拠については、素人の私には理解できないことばかりであるが、4000億円超の建造費が、1兆円以上になっているのだから当然納得。専門家筋からは『原発がコスト競争力を失っている状況を反映しないのはおかしい』という批判がでているというが、私もその意見に追随したいものだ。

さらに、前回の政府試算以降に明らかになった福島事故処理費の膨張を勘案した事故リスク対応費の増加分なども算入すれば、原発発電コストは『17.6円以上』に上がり、太陽光電力の入札価格の17.2円(17年度、大規模設備対象)も上回るという。

 これらの状況にもかかわらず、経産省は素案では原発について『低廉で変動がない重要な基幹電源』の位置づけを変えていないというからおかしな話。

経産省の官僚たちは素晴らしい頭脳の持ち主たちが揃っているはずなのに、私でも理解できる単純な理屈を完全に無視しているのは、その底流に流れているのは、モリ・カケ疑惑と同じ構想。デンデン一家への忖度以外考えられそうもない。

アメリカやヨ-ロッハ各国はじめ、世界の国々は将来的には自然エネルギ-への比率を増やしていることは、今では小学校でも教えていること。

石油の代表的産油国のアラブ首長国連邦(UAE)さえ、20年後には自然エネルギ-の比率を44%の目標を掲げているというから、デンデン一家(現政権)は自分たちの利権しか考えていないことは明らかだろう。

このまま進めば、2030年には、日本だけが自然エネルギ-から取り残された唯一の国になることは間違いないところ。私流に表現すれば、『デンデンではドンドンおいてきぼり』というところか。こんな表現しかできない自分が悲しく情けなくなるが・・・。

今の野党の体たらくでは、とても政権交代は望めないことは、政治音痴の私でも分かることだが、せめてデンデンとその茶坊主たちだけは退場させないと、この時代遅れが致命傷になるのは明らかだろう・・・な。(田舎親父)

2018年5月18日 (金)

私が心配することではないが(その2)・・・

 首都圏、特に東京都内の中古マンション成約価格がここ数年上昇の一途を辿っているそうだ。たしかに、地方では、世間では少子化だ過疎化だと大変な騒ぎになっているのに、東京だけは人口が増え続けているのだから、住む家を求めてマンション需要が高くなっていることは私でも理解できること。

しかし、その値上がり方が半端ではないという。ネットでこのことを伝える記事では、不動産の専門機関が調べたところ、2013年3月では2021万円だった販売価格が、その後年々上昇を続けて、今年の3月はじめには3000万円を超えたとのこと。何と5年間で1000万円も上ったというから驚きである。

この記事に興味がわいたわけではないが、横浜の片田舎の我が家にも、週末には新聞折り込みの住宅情報のチラシが届く。その中にも、中古マンションの情報も多い。築年数や居住面積、あるいは階数などでその数値は大きく差があるようだが、駅に近いと3000万円に近い物件も稀ではないことから、こんな片田舎でも中古マンション価格が値上がっていることは確実らしい。

マンションの場合は、付帯する費用として、管理費と修理の積み立て費が必要になるのだが、ここに注目して折り込みチラシを見ると、両方合わせて3万円程度が普通で、5万円以上という物件も稀ではない。

私が現在の住宅を求めた時のロ-ンは年利7%程度だったと記憶しているが、現在は金利がほとんどゼロ。長期のロ-ンを組めば、月に10万円程度の支払いで購入できることから、さほどの年収がなくても可能なのだろうが、それにしても大変な負担になることは変わらない。

時代遅れの私から見れば、鉄筋コンクリ-ト作りだから、耐用年数は木造建築よりはるかに長いと思っていたが、たかだか50年だというから、田舎の木造の古民家より短いとなると、私的には住みたくない代物である。

そう言えば、近くの市営住宅などは、数年前には耐用年数が過ぎたということから、すっかり建て替えられているが、今思うと、その間住民たちはどこに住んでいたのだろうと、私が心配することではないが疑問が生まれてくる。

話を戻すが、東京の特に都心部での中古マンションの需要は上昇の一途であることから、早く買わないとさらに価格がさらに上がるのではないかという脅迫概念も影響しているのではないだろうか。

最近はリフォ-ムという言葉をあまり聞かなくなっているが、内部を改造すればいつまでも新鮮な気持ちが住めると思っているかも知れないが、築30年のマンションの場合を考えてみると、すくなくても2、30年後には建て替えが必要になってくるはず。そのために、月々数万円の積み立てをしているのだろうが、同じ程度の建物が建てられるかどうかも疑問符がつきそうだ。

それ以前に、建て替えとなると住民全員の賛成が必要になるという話はよく耳にすることから、それだけでも大変な労力。また、建て替えの間、一時的にせよどこかへ引っ越さねばならないのだろうがこちらも大変なこと。公営住宅ではある程度の補償があるとしても、民間では自前では・・・。

中古マンションの人気は、新築マンションの価格が高過ぎることであることは誰の目にも明らかだが、新築マンションの価格を押し上げているのが、東京オリンピックだというから困ったもの。数多くの競技場建設で、物資と人件費が跳ね上がっているのだそうだから迷惑な話である。

となると、オリンピックが終わると、全体的に建築費用そのものが落ち着くのではと考えると、新築マンション価格も下がるような気がする。当然、それ以上に中古マンションの価格にも影響するのも需給の原則では・・・。

どうしても都心部に住まねばならない事情を抱えている人は別にして、いつでも売れると現在の中古マンションブ-ムに便乗して購入したら、数年後トンデモ事態に直面するのではないかと気がかりになる。

もっとも今日もまた、私が心配することではないことであるが・・・。(田舎親父)

2018年5月17日 (木)

私が心配することではないが・・・

新国立競技場の工事が進んでいるらしいことから、ここ数日、マスコミのオリンピックの話題がかなり賑やか・・・。

その全てがおよそ私には関係ないことばかりであるが、『開会式の入場料が28万8千円』という記事には、さすがに呆れてしばらくの間、開いた口がふさがらなかった。

組織委員会は、一般向けのオリンピックの最高価格は28万8千円で、陸上競技は10万8千円とする方向で検討しているとのこと。また、パラリンピックは開会式の14万4100円、競技は陸上や水泳の6500円を最高額と設定する予定なのだそうだ。

いやはや驚く限りであるが、この入場料はロンドン大会を基準にしているというから、もう一度ビックリ。2012年のロンドン大会は、最高が2012ポンド(約30万円)、最低が20ポンド(約3000円)だったというから、貧乏老人にとっては俄には信じられない。

高過ぎるという批判を交わすためには、最低価格を2000円程度に押さえる案も打ち出しているという。正式には、今後『有識者会議』で協議するとのことだが、有識者会議の実体は、組織委員会の御用学者の集まりだろうから、今回明らかにされた入場料価格はほぼ決まりというところらしい。

横浜の片田舎の貧乏老人には、この価格が妥当だと思う人が存在するとは思えないのだが、日本人の『オリンピック命』と相当なものらしいので、一生に一度の散財というか、それこそ清水の舞台から飛び下りる心境で購入の列に並ぶ人たちも多いのかも知れないと想像すると、なんともバカバカしくなってくる。

ロンドン大会の最低価格の3000円や今回の2000円席が、どの競技場でどんな場所かは分からないが、開閉会式の行われる新国立競技場であるはずがない。また、人気がある陸上や水泳、あるいは野球やサッカ-などの団体競技でも絶対にないとなると・・・。

普段なら、そんな競技など見たくもないという人が圧倒的だろうが、オリンピックとなると、2000円で見られるならという人が殺到することもあり得ない話ではなさそうだ。

例え特別入場券をいただいたとしても、オリンピック会場へ足を運ぶことはない私には、この話題は無縁であるが、くれぐれも、オリンピックで命が奪われる人々がいないことだけは祈りたいと思っている。

というのは、パラリンピックは少し後ろにずれるようだが、7月末から8月始めという、日本中が猛暑にみまわれる可能性が高い今回のオリンピックの開催期間が気になるからである。

50年間前に開かれた東京オリンピックも国際オリンピック協会(IOC)は、当初は8月を予定していたが(誰が言い出したのかは別にして)8月に無理に開催すれば死人がでるという懸念が話題になり、一番天気が安定する10月にするようにIOCを説得し、聞き入れられたと何かの文献で読んだ記憶がある。

しかし今回は、IOCの決定したこの日程に対して、当たり前に受け入れてきたような動きではなかっただろうか。そして当当然のごとくこの日程が決まり、いまさら動かすことは不可能になっているとなると、2年後の夏、日本中が大騒ぎになっていることは間違いない。

年々、暑さは厳しくなっていることは誰でも感じていること。夏だけではなく、ここ数日は日本列島がすでに真夏を思わせるような気温になっている。それでも、空気が比較的乾燥しているので風が涼しく感じて過ごしやすいのだが、これが梅雨明けの真夏ではそうはいかない。

35℃をこえる酷暑の中で競技する時程になっていないことを祈るが、この季節の東京は午前中から30℃をこえるのは当たり前。その中で、競技を強いられる選手たちの負担は想像を絶するのではないだろうか。

選手だけてではない。30万円の入場料を払えば、日射しが遮られた場所から競技を観覧できるだろうが、数万円以下のチケットとなると、そんな恵まれた席にはありつけないことは、経済音痴の私でも分かること。

もう少しうがって想像すると、オリンピックを楽しみにしている人ばかりではなく、この期間にも外回りを強いられる人も多いだろうが、普段でもそうだが、それ以上に東京中は内外からの観光客などでごった返しているに違いない。

交通機関も乱れることも想像に難くない。となると、首都圏の競技場周辺はどこも救急車の音が絶えない日常?になりそうだ。

こんな日程の原因は、すべてアメリカのテレビ局の都合らしいとなると、30万円の入場料でも明らかなように、いかにオリンピックがカネまみれであることがはっきりしてくる。

繰り返しになるが、2年後の夏、こんなバカバカシイ騒ぎに巻き込まれて、命を奪われる人がいないことを心から願う。もっとも、お前が心配することではないよと、どこからか聞こえてくるような気もするが・・・。(田舎親父)

2018年5月16日 (水)

トランプ命令で参戦?・・・

 外交など全く分からない私であるが、アメリカのトランプという大統領と、そのポチのウンコを自認して喜んでいるアベ・デンデン日本首相が行っている外交は、明らかに間違っている程度のことは理解できる。

 デンデンはトランプの言動がそのまま当てはまるので、トランプ外交について私の疑問を述べれば、それが全てだろうから、デンデンは無視してつぶやきを始めたい。

 トランプという男は、オバマ前大統領に対して、『オレはお前よりはるかに偉いのだ』という狂気と言っても差し支えない優越感をもっているのかも知れないが、私には逆に、オバマに対して強烈な劣等感の塊が、心の内に充満させていることがこの男のエネルギ-になっているように思えてならない。

私のうがった見方なのかも知れないが、オバマが黒人の血をひいていることと無関係ではないのではないだろうか。アメリカの事情はよく飲み込めていないが、未だに、白人による黒人への人種差別が日常的に起きていることは、白人警察が問答無用に黒人を射殺する事件が度々報じられることからも明らかである。

そして、このような事件での白人警官が逮捕されたという報道はあまり聞かない。というより皆無ではないだろうか。逆に、黒人警官が白人を問答無用で射殺する事件も皆無。もしもあったとしたら、大問題になることは間違いない。

それ以前に、黒人警官が銃を構えるような場に白人警官が居合わせたら、条件反射的に黒人警官を射殺するという私の想像は間違っていないのでは・・・。

トランプの心の奥底には、オバマは黒人という、劣等感の裏返しの優越感があり、黒人であるオバマの8年間の大統領としての功績はすべて間違っているという意識が働いているように思える。それが、アメリカファ-ストという発想につながり、アメリカ(白人)の利益にならないことはすべて排除するというトランプのやり方になっているに違いない。

経済政策もすべてここから発していることはいまさら私が語るまでもない。そしてなにより、オバマが得たノ-ベル平和賞に対しては、『オバマは核のない社会』と演説しただけだという侮蔑の意識がありそうだ。

だからこそ、トランプ流のより実質的な平和賞を得るために、北朝鮮の核凍結を急いだのではないかと推測している。北朝鮮との直接交渉を6月12日にシンガポ-ルで行うことがそのすべて。どんな話会いになるかは、すでに両国で決めていることだろうから、この会談がシャンシャンで終わることは明らか・・・。

それはそれで疑問符をつけながらも評価したいが、中東での行動が間逆なのはいただけない。

これもオバマが築いた、イギリスやフランス、ロシアなど核保有国が一致して、イランの核凍結の見返りに経済封鎖解除という協定を、イスラエルのイランが核開発をしているという主張を受け入れて、アメリカが一方的に離脱したことに加えて、アメリカが率先してパレスチナとイスラエルの停戦協定をも一方的に破りかねない、アメリカ大使館をエレサレムに移転を強行するという暴挙につながっている。

世界中が、トランプは意識的に中東でことを起こすのではという懸念が広がっているという。識者は、イスラエルがイランと戦争を仕掛けたら、アメリカも加わるだろうと予言している。そのために、北朝鮮との和解が必要なのだと言う。なるほどもっともと思えるが、そんなにことを急いだら、自分のノ-ベル平和賞がトンでしまう恐れがありそうだ。  

しかし、ノ-ベル平和賞の剪定基準が極めて曖昧であり、沖縄をアメリカに差し出したサトウエイサクという日本の首相も授賞したことを考えると、表面上の平和功績が平和賞の対象になっていることは間違いなさそうだ。となると、イスラエルをけしかけてイランとの戦争を始めたとしても、イスラエル有利の時点で、和平協定を仕掛けるというウルトラ筋書きを考えているのかも知れない。

ヨ-ロッパ諸国とロシアは戦争に発展することに強行に反対していると伝えられているが、イラク戦争では、アメリカの主張を丸ごと飲んでイギリスが最初から参戦していることから余談は許せない。

さらに恐ろしいのは、ポチのウンコで満足しているデンデンが、喜んで参戦しますということになる可能性・・・。

杞憂であることを心から祈る今朝の私・・・。(田舎親父)

2018年5月15日 (火)

銀行が文書を書き換え?・・・

かなり以前話になる。ある日のこと、テレビのニュ-スでアナウンサ-が『かぼちゃの馬車』と発言したことに、しばらくは何の話なの・・・と唖然としたことを思い出す。そのニュ-スを最後まで聞いて、詐欺の話題だとわかるのだが、昨日の記事は、その会社の倒産で被害が広がっているという続報である。

またかという思いにさせられると同時に、次々と悪知恵を働かして、口先三寸でカネをだまし取ろうとする輩の多いことに情けなさを覚え、これではとても認知症などになれないと気を引き締める。

『かぼちゃの馬車』とはなんともメルヘンチックなネ-ミングを考えたものである。おとぎ話の題材から考えたのだろうが、美しい王女さまの乗り物は、この手の詐欺とは対局にありそうだと悪知恵に感心してしまうが、こんな名前で、『絶対に儲かる』と、いろいろと付帯条件をつけて耳障りのよい話を吹き込まれたら、騙されるのも無理ならことかも知れない。

詳しい仕組みは良く分からないが私なりに思うことは、最近は女性の独り暮らしが増えていることに目をつけて、『安全な女性専用のマンションのオ-ナ-になりませんか・・・』という話を持ちかけたというところだろう。

こんな話はゴマンとあることから、すぐに記憶から消えてしまっていたが、昨日の東京新聞に、『かぼちゃの馬車』という活字を見つけて、何気なく読んで見ると、何とスルガ銀行が裏で暗躍しているらしいと知り、これでは騙されるのは当然かも・・・と改めて寒気を覚える。

女性専用シェアハウス『かぼちゃの馬車』のオーナーになれば、家賃収入を30年間保証する。そんなうたい文句で事業を拡大した運営会社『スマートデイズ』(東京)が4月に経営破綻したということから始まる記事である。

シェアハウスを建てたオーナーの多くは会社員だという。被害にあった会社員たちは、融資基準となる給与所得や預金残高が勝手に水増しされて、一億円を超えるローンの返済の見通しが立たず、途方に暮れる人が相次ぐというからこれは酷い。

記事は、4月に完成したばかりの東京都板橋区のシェアハウスのオ-ナ-である49歳の会社員を取り上げている。この男性のローンは土地建物代の計1億4千万円で、返済額は月67万円だというから、貧乏老人の私には想像もつかない。

しかも、他に自宅のローン返済も月約20万円あるという。給与の手取りは約50万円だというから、どちらかといえば高級所得者である。しかし、シァアハウスが満室にならない限り、生活が破綻すること誰の目にも明らか。

 この男性が所有するシェアハウスは全15室だという。『スマートデイズ』が一括管理し、入居者の有無にかかわらず、男性に月88万円の家賃保証する約束だったという。この文面から推測すると、会社の手数や儲けなどを考えると、家賃は、少なくとも12、3万円を設定しなければ成り立たない程度のことは、超経済音痴の私でも推察できること。

 東京の板橋での月々の家賃が13万円が高いのか安いのかは、私には理解できないが、昨日も話題にしたように、『女性が輝く社会』であるはずの現代の、女性が圧倒的多数を締める保育士や介護士の独身女性の給料が、平均すると月18万円程度というから、この女性たちが簡単に入居できるとは思えない。

 記事を読み進めると、この男性が『かぼちゃの馬車』を知ったのは昨年2月だという。

不動産業者からの売り込みで、最初は怪しいと感じたらしいが、人気タレントが登場するテレビCMで警戒感は薄れ、入居する女性にスマート社が就職を仲介する取り組みに共感したのだそうだ。この阿多の感覚は私にはとても理解できないが・・・。

 何故こんなに簡単な筋書きに騙されたのだろうという疑問は消えないが、この不動産業者は『スルガ銀行がビジネスモデルを評価している』とPRして、わたしでも名前は知っている(横発のかたいなかにも支店がある)『スルガ銀行』への融資申請を勧めたとのこと。男性が自宅のローンを組んだのもスルガ銀行だったことから、銀行に一切任せたようだ。

 記事は続く。銀行は男性からの申請を受理して、すぐに建築が始まったのだが、間もなく不動産業者から『家賃保証が止まる』という電話がきたことから、弁護士に相談して調べてもらったところ、『不動産業者を通じてスルガ銀行の融資審査に提出した預金残高の資料の写しは、本来70万円なのに、2200万円に書き換えられていた』ということが分かったとある。

 銀行が勝手に金額を書き換える?・・・。そんなことがあるのだろうかという疑問が生まれるが、スルガ銀行は、金融庁からも疑念をもたれており、現在立ち入り検査中らしい。しかも内部調査で、複数の行員が審査書類の改ざんを知りながら融資した疑いが浮上しているというから、『スルガ銀行』と『スマ-トデイズ』に加えて、事情を知っていた不動産業者の結託の疑いが強くなっているらしい。

男性は『詐欺ではないのか。行員が改ざんを知っていたとすれば、許せない』と怒りをにじませているそうだが、この国は内閣総理大臣夫妻が、いかがわしい話を率先して進めるのだから、銀行といえども信じたら痛い目にあう・・というところか。

酷い世の中になったものである。貧乏老人にはほど遠い話だが、振込詐欺が後を絶たず、数千万円を簡単にだまし取られる事件が連日報じられていることからも、くれぐれも甘い話には乗るなということを教えてくれる記事である。(田舎親父)

2018年5月14日 (月)

輝かしたくないらしい・・・

 いやになるほどこの手の発言が続いているが、またまた自民党のカトウという衆院議員が、身内の結婚式の席上とはいえ、『結婚する女性には三人以上の子どもを産み育ててほしい。これが世のため人のためになる』と発言したことに、出席者が問題視。それをマスコミが大きく取り上げたものだから、日本中が大騒ぎになっている。

この男は、さらに『あなたが結婚しなければ、子どもが生まれないわけですから、人さまの子どもの税金で老人ホームに行くことになります』とも発言したというから、時代錯誤も甚だしい。仲間うちから、『それはマズいよと』批判されても、『何が悪いのか』と開き直ったらしいのも自分の立場が分かっていないとしか思えない。

その発言がアッと言う間にネットで拡散したらしく、親分筋から『謝罪して撤回した方が無難だぞ・・・』とでも注意されたのか、すぐに、政治屋さんたちのいつものパタ-ンで『誤解を与えたとしたらおわびしたいと思う』と、まるで日本語になっていない言葉で発言を撤回したという。

ことさら左様に、わが国の指導者層と言われる国会議員たちは、子どもを産む・産まないのは個人の自由であるという基本的人権のいろはが分かっていないらしい。随分以前に『女性は子どもを産む機械だ』と発言して、世論の大顰蹙をかい大臣を辞任した自民党議員がいたことを思い出すが、このアホな大臣の発言と基本的には同じである。

カトウという議員は、今や流行語になっている『自民党の無能の3回生』らしいが、どうしてこんな議員たちが自民党に揃っているのだろうと心底疑問に思うしかないのが悲しいかな現実。それに加えて、自民党の先輩議員たちは、後輩に自分の失敗談すら教える親切心の持ち合わせがないらしい。

しかし、今は2回生・3回生議員が目立っているだけで、権力を握っているデンデン一家の親分を筆頭にして、口曲がり代貸し以下幹部たちも似たりよったりとなると、自民党の国会議員の質が低下していることは間違いない。もっとも、自民党だけではないぞという外部の声は私の小さな耳にも届いているが・・・。

世の中には、子どもがほしくて仕方ない夫婦が、何とか子宝を授かりたいと、不妊治療に通うという話題をよく耳にする。昔は、結婚後数年しても妊娠しなければ、離縁は当然という、信じがたいような話が通用していたことは私でも知っている歴史的な事実であるが、その場合も、女性に原因があるのではなく、むしろ男性に生殖機能に欠陥があったというのも、時代物にかぎらず小説の筋書きには欠かせない筋書き。

また、親の介護で余裕がなかったり、夫婦で働かないと生活が成り立たなかったりと、不妊以外にも産みたくても産めない事情を抱えている人は多い。こうした事情に無自覚な発言が、いかにこの人たちを傷つけるか自覚すべきである。

そこまでは貧乏年寄りでも言えることだが、官僚や議員たちという、いわばこの国のリ-ダ-たちが発するセクハラ発言に対して、リ-ダ-の一角を締める女性官僚や女性議員から、アホな男共への抗議の発言や行動が少ない気がしているのは私だけではないと思いたい。

デンデン内閣にあっても、アホウ財務相の信じられない発言の繰り返し対して、数少ない女性閣僚であるノダ総務相は、被害女性に会って話を聞くとか、あるいはセクハラ罪を考えるとは言いながら、本気少しでも実行に移したという話は聞こえてこない。まして、法の総元締めの法務大臣を務めている、ナントカと言う女性はその声すら国民が聞くことはごくごく稀。今回のセクハラ問題ではゼロというより知らん顔。なんとも酷い話である。

デンデン内閣の看板のひとつが『女性が輝く社会』だそうだが、男性上司に対しては何事もその通りと崇め、奇怪しいと声を上げることを、寄ってたかって否定しているのだから話にならない。

女性が活躍する社会ということで、外に出で某かの賃金を受け取ることが全ての女性の義務であるごとくの脅迫概念を生み出しているが、現在も女性が主役の業界や業種は多いことを忘れてはならない。

保母とか看護婦という呼び方が男女同権という言葉に馴染まないという理由で、保育士・介護士・看護士に変えているが、それらの職種に加えて、幼稚園や小学校の教師などは女性が主体の職場である。そして酷いことに、幼稚園や小学校の教諭職はまだしらしいが、仕事の質や量と裏腹に、給料が安いことが一致している。

さらに、こんな女性が大多数を締める職種であっても、管理職は圧倒的に男性が多いのだから、女性の地位が向上する訳はない。

本当に男女同権と叫ぶなら、問題発言をした議員や官僚には即刻退場していただくシステムを作り、『女性が輝ける社会とは・・・』という議論が必要だと思うのだがいかがだろう・・・。(田舎親父)

2018年5月11日 (金)

少年?それとも大人?・・・

 一月ほど前に、彦根市の交番で発生した19際の巡査が、指導役の41歳の巡査部長を背後から自分が日頃勤務中に携行が義務づけられている拳銃で射殺した事件には、日本中が震え上がった。しかし、その後の報道はごく稀で、動機としてパワハラが原因と伝える記事が目についた程度とは何か奇怪しいのではと大きな違和感を覚えている。

 加害者が19歳ということで、巡査の本名などは一切報じられていない。マスコミ各紙各局は、少年法にのっとり匿名にしているのだろうが、市民の安全を守ることが第一義の任務とされている警察官が、市民を不安の渦の中に突き落としたのだから、このままお終いで済まされて良いはずはない。現地では滋賀県批判がくすぶるのは当たり前だろう。

 確かに20歳未満であるのだから、少年法が適用されてしかるべきだと思いたいが、ならば半ば強引に18歳で選挙権を与えたのはなんだったのとい声が起きても奇怪しくないのに、こちらも何故かマスコミはほとんど完全にスル-。

 選挙権を18歳にしたのは、一般的には投票率を上げるためだと説明されているように思えるが、私の記憶が正しければ、憲法改定のために国民投票を行う必要があり、選挙に初な若者を投票所に橋を運ばすために、自民党というよりデンデン一家が陰で暗躍したのではなかっただろうか。

 事実、現政権は着々と憲法9条を骨抜きにしてきたことで、憲法改定のための国民投票を行う時が近いと判断し、選挙権だけが目的だという意図を隠すために、今年の3月に成人年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案を閣議決定したことを忘れてはならない。

 それも、飲酒や喫煙の禁止年齢を20歳未満に据え置くなどという、現行法との整合性は後回しにして、今国会で成立させようとしているのも変な話であるが、そんな理屈論などにはお構いなく、なんでも数の力で成立させてきたことから、国会でロクな議論もせずに、この民法改定案が可決する可能性は大きいのではないだろうか。

 そして、今国会で成立すれば、4年後の2022年4月1日に施行され、明治時代以来続く『大人』の定義が変わるらしいが、これが実に曖昧だから困ったものである。

18歳から『大人』と定義するということは(選挙権を例とれば)18歳になったら、この人が政治家として資質があるかどうか見極める判断力がつくということだろうが、酒やたばこの良否は判断できないから、20歳まで禁止にする?・・・。

競馬や競輪、あるいは競艇などの公営ギャンブルでも、馬券、車券、舟券を購入は20歳据え置きも説得力がない。にもかかわらず、パチンコ・パチスロ店や麻雀荘には18歳から入ることができるとなると、大人の概念がもうグジャグジャで、何がなんだかわからなくなっている。

さらに不思議なことに、大人としての判断力があると認めると法律で明記するのにもかかわらず、少年法の適用は現在の20歳を据え置くというのも意味不明。

19歳の巡査は少年法に守られて本名すら報じられないのに、指導役の巡査部長は2階級特進という措置はあったものの、後ろからうたれて命を奪われたあげく、パワハラが原因だと言われては、この巡査部長の人権はどうなっていると言いたくなる。

滋賀県県の各交番では、新しい巡査の指導係に任命されたベテランの警察官はかなり混乱しているに違いない。これまでは、警察官としての職務をたたき込むことが第一だと言われてきたことから、警察学校で教えられた復習の意味でも、現場で徹底的に上下関係を教え込んできたはず。ところが、厳し過ぎると今回のように後ろからズドンでは・・・。

少年法が適用される未成年に、警察官として拳銃を携行させた結果起きたこの事件はさまざまなことを考えさせられる。

その中で一番重要なことは、『大人の定義』を、現在のような極めて曖昧なまま国会で民法改定を案を成立させる前に、国民一人一人が真剣に、『大人とは・・・』という議論を交わす必要があるということである。

その結果、18歳で大丈夫としてから選挙権を与えても遅くない。その時は、酒もたばこも自己責任とすするのはもちろんだが、今回事件を起こした19歳の警察官は、大人として裁かれることになるのも当然だと思うのだが・・・。(田舎親父)

2018年5月10日 (木)

バイブリット車も時代遅れ・・・

 昨日、いつもなら外で野菜と遊ぶ時間だが、寒さと雨で震え上がって外にでる気力をなくし仕方なくネットで遊んでいたら、『イギリスでは電気自動車の時代』という見出しを見つけた。

 イギリス政府が2040年までにハイブリッド車(HV)の販売を全面禁止とする可能性が高まっているのだそうだ。その根拠として、昨年に、イギリスは排気ガスによる汚染を防ぐために、内燃機関で走る車の販売を40年までに禁じるという法が発効したことから、ハイブリット車もジィ-ゼル車と同じ運命にあるのだという。いやはや凄いものだと感心することしきり・・・。

 記事には、イギリスだけではなくフランスやドイツなどヨ-ロッパ諸国でも同様の動きがあり、今後数十年後を目処に従来の自動車は規制され、電気自動車が中心になる時代がやってくると予測しているとある。

 私の回りでも、最近電気自動車をチョクチョク見かけることはあるものの、そのほとんどは軽自動車をさらに小型にしたような車種が多いように感じられる。これは私自身、自動車にあまり関心がないので、見ただけでは電気自動車と普通のガソリン車の見分けがつかないだけなのかも知れない。しかし、案外私と同じようなことを思っている人も多いのではないだろうか。

 それはともかく、日本で現在圧倒的な人気を誇るのは、運転中は車輪の回転で発電して蓄電するハイブリッド車と呼ばれる車種だそうだ。

私が外見だけで、ハイブリットだとわかる車はトヨタのプリウスだけだが、トヨタに負けじとばかり、ニッサンやホンダをはじめ自動車メ-カ-は社運をかけて、ハイブリット車の開発に力を入れているという。

そのことは、少し注意して見ると、『HYBRID』というマ-クをつけている車が多いことから、今やハイブリッド車が当たり前になっていることが理解できるが、そのハイブリッド車が時代遅れとは信じ難い思いがある。

 電気自動車というからには、大型の電池に充電してモ-タ-を回す車だと理解している。今では『電動アシスト自転車』と呼ばれている自転車も、出回り始めた頃は、大きな電池が必要なこともあって『電動自転車』と呼んでいたような記憶がある。

 現役時代は、役所に出かける出張時などには、バスよりもはるかに便利なので愛用していたものだが、途中で電池切れを起こした時の悲運は、それから帰り着くまでの悪銭苦闘の連続だったことは今でも忘れられないイヤな思い出。

 電気自動車も充電が原則となると、充電し忘れでもしたら重労働ながら自分で動かせる自転車とは比べ物にならない大変さがあるだろう。また、電池の大きさも半端ではないはず。もっとも今では、電池の性能も上がり、一度の充電で数百キロも走れると聞くが、それでも電気自動車の宿命としては、『うっかり電池切れ』はついて回るのでは・・・。

そして、なにより気になるのは、充電する元の電力はどこかで発電しなければならないはずだろうが、これに化石燃料を使うのなら、電気自動車そのものの意味が失われる恐れがありそうだ。

ヨ-ロッパの国々の発電は、太陽光や風力などの自然エネルギ-が主だそうだからこんな大胆な政策が打ち出せるのだろうが、わが国では、未だに原発が基幹エネルギ-ということに加え、電力会社が送電線を開放しないこともあって、自然エネルギ-の普及は追いついていないのが現状。当面はハイブリッド車の全盛期が続きそうだ。

この記事を読んで、20年ほど前に、一度だけ試乗した、で『水素自動車』のことを思い出す。ドイツの自動車メ-カ-であるBMW社の幹部と勉強会で知り合い、その関係で日本ではじめて走らせるという水素自動車に試乗させてもらった経験である。

現在でもそうなのだろうが、日本では水素を燃料にする車は公道を走れなかったことから、栃木県のホンダのサ-キット場での試乗だったが、動きだして、あっと言う間に、現在時速100キロという声が記憶に残っている。

水素のタンクを後方に積んでいた。水素と聞いて爆発の危険性を覚えたが、衝突などの事故の際は、瞬間的に水素は空気中に放出することから、まさに杞憂だと教えられたことも忘れられない。

当時、ガソリンスタンドのように、全国に水素スタンドがあれば、水素自動車の普及は間違いないと確信したのだが、現在は、水素自動車は夢物語?・・・。

話を戻すが、トヨタをはじめ日本の自動車メ-カ-が力を入れているハイブリッド車がヨ-ロッパに輸出できないとなると、日本経済をも押しつぶすような大変な問題になるのは間違いない。

私の気持ちの中に、水素自動車の姿が消えないのだが・・・。(田舎親父)

2018年5月 9日 (水)

史実に忠実に?・・・

 連休中の新聞記事であるが、『名古屋城に観光客が殺到・・・』という見出しに、私もこの城を仕事関係で数回訪れたことがあるが、あえてもう一度私的に訪れるほどの魅力を感じていないこともあって、大きな違和感を覚える。

 ところが、『木造復元に向けた建て替えのため・・・』という書き出し文を読んで、違和感は吹っ飛んでしまう。いつだったかは忘れたが、以前、名古屋市長が名古屋城を木造で建て替えるということを表明したという記事を思い出したからである。

カワムラという市長は、『税金党』なる地域政党を立ち上げて、市民税を減額する政策を全面的に打ち出して名古屋市民から大きな支持を得ていたと聞いているが、最近は、その人気も下降中らしい。そのため、私が覚えている記事の中には、人気回復をねらって『史実に忠実』と言い出しているとも噂されているという内容もあったような気がする。

今回の記事でも、わざわざ鉄筋コンクリ-トの城を壊して、木造で建て替えるという政策に疑問を持つ市民も多く、反対運動も起きているとあるが、建て替えの費用が500億円をはるかにオ-バ-するらしいとなるとそれも当然だろう。

しかし、いつ可決したかは記事にないが、名古屋市議会は、市長が示した建て替え案に賛成していることから、5月7日から入場禁止となるというのだから、人々が押しかけたことに納得する。

市長案は、現在の名古屋城は1959年に鉄筋コンクリ-トで復元されたが、老朽化が進み、耐震問題もあって、いずれ建て替えが必要となるのなら、いっそうのこと、太平洋戦争で消失した元の姿に戻そうという計画なのだそうだ。

1959年当時には、今日のような耐震基準はなかったのだから、震度6以上の揺れで倒壊する恐れがあると言われたら否定でいないことは仕方ないのだろうが、だからといって、『史実に忠実』に完全に木造で建て替えるとの市長の意気込みには、門外漢ながら、時代に逆らっているような気もしないでもない。

こんなことを感じるのは、今年の3月末、桜の頃に建て替えられた小田原城の天守閣に登ったからかも知れないが・・・。

小田原城の天守閣には以前も訪れたことがある。その記憶は曖昧ながら、天守の入り口で、スリッパに履き替えて、ビニ-ル袋に靴を入れて持ち歩かなければならず、物凄い急勾配の階段の上り降りに難儀したようなことを思い出す。

ところが今回は、靴を履き替える手間はない。階段もゆるやかになっており、後期高齢者の仲間入り目前の私でも楽々と登れるようになっていた。内部の照明は明るく、展示にも工夫がされていた印象を受け、子どもたちも楽しそうに見入っていた。

ただ、バリアフリ-というか、車椅子の人たちのためのエレベ-タが見られないことに気づき、かなり入念に探したが見つけられなかったのが引っ掛かった。実際に、車椅子の人の姿は見られなかったことから、ひょっとしてエレベ-タ-を設置していなかったのかも知れないが、ここまで利便性を追及して建て替えたのだから、私の見落としかも知れないと疑問に思いながら今日に至っていた。

今回の記事で、改めて『小田原城・エレベ-タ-』で検索してみると、小田原市のホ-ムベ-ジがヒットし、エレベ-タ-の設置はないということを発見。私の見落としではなかったことに納得するが、今どき、車椅子の人はお断りで良いのだろうか?・・・という新たな疑問が浮かんでくる。

名古屋城は史実に忠実に建て替えるという。となると、エレベ-タ-など組み入れたらそれこそ時代錯誤で、当時の城の持つイメ-ジとして怪しくなるのは当然だろう。しかし、はじめから車椅子の人を排除するというのはいかがなものだろう・・・。

2022年には、1612年に立てられた当時の姿を見せるというが、その時、今の疑問を持ち続けていたら、確かめに訪れようとは思っているが・・・。(田舎親父)

2018年5月 8日 (火)

それでも元号制度維持?・・・

 来年の5月1日から、現在の皇太子が天皇に即位することが決まっているのだそうだ。天皇制には興味がないものの、現在のような自民党政権に象徴される、国民から収奪した税金を、私利私欲・党利党略のためだけに湯水のように浪費する現実を見ていると、自民党に属するような人間が、天皇に代わる国家元首となったら、トンデモ社会になることは間違いないことから、天皇制も悪くないと思うようになっている。

 天皇が亡くなり新しい天皇が誕生すると、元号が代わる制度が明治・大正・昭和・平成と4代続いているが、今回は、生前退位となるのだから、何事にも政治利用することを得意技にしている現政権は、ここぞとばかり『元号』をどうするかという話題作りをマスコミに命じているのではと思うほど姦しい。

 元号が本当に必要ならば、現天皇と新天皇の希望を優先すれば良いだけではないだろうかと、私は極めて覚めた見方をしている。また、本当に元号が必要なら、国民が日常使うのだから、上野動物園のパンダの赤ちゃんの名前を公募したように、国民から広く求めれば良いだけだと思うのだか、現政権は、徹底的な箝口令を強いて、秘密裏に新元号の決定を画しているらしい。

 元号という制度は、これも中国から伝搬してきた制度だったという程度の知識は持っている。古代から、中国では皇帝が即位する時はもちろん、天変地異や社会不安などが起きるたびに、新しい元号(改元)にしてきたことは、歴史小説でもよく出てくる話。

その根拠は、皇帝による『時間の支配』が根源にあり、そのことによって皇帝の権威に箔が付くと教えられた記憶がある。この制度がわが国に伝わり、天皇の権限として何かあれば、改元が度々行なわれてきたことも・・・。

 そのため、日本史では、『元禄〇年』とか『天正×年』という記載が幅を聞かせていることから、日本史の学習では時系列がわからず、いちいち年表で確かめなければならないことをずっと不便に感じていた。ただ、私の青少年時代の日常生活には、『昭和』という元号が当たり前について回っていたことから、さほど大きな違和感はなかったが・・・。

しかし、昭和63年の1月だったと記憶しているが、昭和天皇が亡くなったと同時と言って良いほど時を置くことなく『平成』となったことに、何となく違和感を覚え、以来『元号って必要なの・・・』といういう疑問は消えない。というより、元号がなければもっと、歴史がわかりやすくなるのにという気持ちは大きくなっている。

恥ずかしながら、天皇の死亡を現す言葉が『崩御』であることも、平成になった時の騒動ではじめて知ったこと。

 繰り返しになるが、私は元号が平成になった頃から、意識的に西暦を使うようにしている。しかし、官庁の公文書は元号の使用が原則になっていることから、教育委員会へ提出する書類はすべて元号で記載しなければならなったことは仕方ないとしなからも、ある保護者から、卒業証書には西暦でお願いしたいという要望が届いた時には、世の中でも元号への疑問が広がっていることを知り嬉しく思った記憶が蘇る。

当然その要望を聞き、西暦で記入したが、教育委員会は、卒業証書は親に渡すものだから仕方ないと認めたものの、卒業生台帳は西暦記入を認めなかったことを思い出す。恐らく、未だに台帳は平成記帳になっているのではないだろうか。

調べてみると、元号を使わなければならないという法的根拠はないらしく、実際の表記は各行政機関の判断に任されているとのこと。確かに、最近見かけるさまざまな文書では、西暦と元号を併記していることが多いが、卒業生台帳のような官庁の中の文書はやはり元号で統一されているのではないだろうか。

 ところで、今後わが国は人口減少や超高齢化など長期的な重要課題と向き合い続けなければならないことを考えると、その議論や結論を記した文章には、天皇の在位期間でしか通用しない元号よりも、時間の連続性がある西暦で記入した方が合理的であることは、小学生でもわかること。

元号の本家本元の中国では、現在では元号を廃止しているというのだから、日常生活の利便性はもとより、今後日本史を学ぶ立場からはもちろん、わかりやすいことを考えると、元号は必要ないという議論が始まってもしかるべきだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2018年5月 7日 (月)

ズ-ラシアでの子供の多さにビックリ・・・

 去年から、横浜市は3月になると、横浜の片田舎の私の住居の近くに『里山ガ-デン』と称する花を中心にした、結構豪華な長期間のイベントを開いている。横浜動物園の北門付近が正面入り口になっていて、高低差を利用した大花壇をメインに、広大な雑木林や谷戸からなる里山一帯を植物公園的な憩いの場として市民に開放している。

私的には、以前のようなほとんど手入れされていない樹林帯である方が勝手気ままに歩き回れたので理想的だったのだが、以前から動物園を囲むような植物園構想があったらしく、一昨年あたりから整備が進み、去年から菜の花の季節に合わせて開園している。

生活道路は別にして、大花壇と周辺の樹林帯の立ち入りは、午前9時半から午後4時半まで。ゲ-トが設けられてその時間帯以外は雑木林などには立ち入れないのは残念だが、昔のような体力もなくなったこともあって、安全管理などから仕方ないと諦めている。

市の広報などで知った人たちが足を運ぶことから、3月末から、昨日まで連日大賑わいだった。平日は、高齢者が圧倒的だが、週末になると家族連れが多く、子どもたちものびのびと走り回って楽しそうだ。特に、この連休中は、開園時間も午後5時半までとあって、横浜の片田舎にこんなに人が集まっていることに驚き・・・。

最近は人込みが苦手なので、連休中はもっぱらトマトやキュウリなどの野菜と遊ぶのがここ数年の恒例になっていることは今年も変わらず。それでも、一度ぐらいは混雑も経験するべきだと思い、5月5日の子どもの日に、この里山ガ-デンをひと通り回って、横浜動物園ズ-ラシアに入園してみた。

ここは、平日はさほど入場者を気にすることなく動物の姿を楽しむことができることから私のお気に入りの散策コ-スのひとつ。年会費5千円を払って家族会員になり、主に平日ぶらりと入園するのだが、この日の人出は覚悟していたとはいえ半端ではない。

こんな書き出しになったのは、数日前に、『子供の数が激減し、総務省の統計によると、今年の子供の数は1553万人となり、37年連続の減少を記録した』という記事に、いよいよ人口減少が身近に迫っていると感じたものだが、この日のズ-ラシアは、子どもの日で子どもの入園料が無料ということもあるのも関係しているのだろうが、右を見ても左を見ても、乳幼児を連れた家族のオンパレ-ド。本当にこどもの数が減っているの?・・・と首を傾げるほどの光景を目撃したからである。

少子化を伝える記事によると、子供の定義は15歳未満。男子は795万人、女子は758万人、前年度比で約17万人の減少しているのだそうだ。総人口に占める子供の割合も12.3%で過去最低を更新。前の年より増えているのは東京都だけで、ほかの46道府県では減っているとのこと。
 少子高齢化と都心への人口集中が合わさった影響で減少が加速したと見られ、同時に経済的な不安も子供不足を拡大しているのも原因のひとつだと報じていることを思い出し、なるほど、こんな大型連休なのに、ここ横浜の片田舎に集まること自体、経済的な要因が第一になっているだろうと納得した次第・・・。

経済格差が広がり始めたのは何時のことだろう。私の若い頃は、日本経済は右肩あがり、国民全体が、その恩恵に属し、『一億総中流』という言葉が流行ったものだが、バブルがはじけたという表現が良いのかどうかはわからないが、人件費を押さえるためだろうが、正社員とは別に派遣社員という言葉と制度が生まれた頃から確実に経済格差が広がっていることは間違いないところ。

経済的に余裕がないと、子育ても難しくなるのは当然の話。子供を産み育てたいという願望があっても産めない・育てられない。結局は、子どもの数は2人なら御の字で、一人が多くなるのも自然の理。中国の一人っ子政策を笑えないのが現実。

このまま進めば、いくら年寄りが長命になっているとしても、年々人口は減少し、統計的には今世紀末には6000万人を下回るというから、日本という国が存在しているのかも不透明・・・。

こんなことは、以前から分かっていたことだろうに、それでも未だにカネもうけのためには手段を選ばずという考え方を是正しない政治の貧困さに涙する。

さて、今年も大型連休が終わり、横浜の片田舎も静けさを取り戻すのだろうが、来年の子どもの日の横浜の片田舎を想像すると、いかにカネをかけずに子どものためにという家族連れは、今年以上に大幅に増えるような気がしてならない・・・。(田舎親父)

2018年5月 2日 (水)

教員の自主性がすべて・・・

 あの大津波で84人の犠牲者を出した、石巻市立大川小学校の児童の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟で、先日、仙台高裁が14億円超の賠償を命じたというニュ-スに目が留まる。

 マスコミは基本的に、子供の命を預かる学校が担うべき防災責任を重くとらえた判決だと、この判決を評価している。

 一審の仙台地裁は、津波の襲来を知った後、津波を回避し得る裏山とは別の場所に児童を避難させた教師の判断ミスだけを認めたことに加えて、学校の日常的な安全管理にまで踏みこんでいる。

ある意味、学校と教員には子どもの命を守らねばならない義務があることから、当然だろうと思うが、この判決は全国の教育関係者、特に学校現場の管理職にとって、震え上がるほどの問題を含んでいるのではないだろうか。

こんな表現をすると、『避難訓練を重ねて、日常的に安全管理に万全を期している』というお叱りを受けそうだ。私は避難訓練を否定している訳ではない。しかし現実は、アリバイ作りの避難訓練になっている学校だ多いのでは・・・ということを言いたいのである。

私の現職時代でも、避難訓練は月一回必ず行うものだと義務づけられていた。このため、教育課程という年間の教育計画に、日にちまで記入して教育委員会に提出することになっていたが、東京都区内の学校だったこともあって、その想定が『校内の火災』が多かったような気がする。

校内で火災が発生しそうな場所といえば、まずは給食調理室。その次は、理科室や教職員室、あるいは近隣の民家など、避難訓練担当教員は、これまでの想定条件を参考にしながら、かなり苦労して計画を立てていたような記憶がある。

地震発生もそのひとつであるが、児童の関心を呼ぶために、数年に一度程度の割合で、起震車体験や煙体験も計画に組み入れたり、年に一度は、二次避難として、校外の公園などに児童誘導する訓練も行っていたが、校内の火災という設定と違って、これらの訓練は完全に1時間分(下手すると2時間)の授業時間がつぶれてしまう。しかも、校外避難となると、途中の安全管理も加わってくる。

当時は、かなり授業時間数にゆとりがあったので、何とかこのような特別枠の避難訓練を確保することができたのだろうが、最近の学校事情は、授業時間をいかに確保することすら難しくなり、朝の子どもたちとの顔合わせの時間である15分も授業時数に数えなければならなくなっているのだから、現場の苦労は倍加しているに違いない。

 話を戻すが、記事には、石巻市教委は、宮城県沖の地震の発生に備え、危機管理マニュアルを2010年4月までに作成するよう各学校に求めたとあるところから、当時の大川小学校にも津波時の対応マニュアルがあったに違いない。

 しかし、それが全く機能しなかった。以前、この問題を、校長が不在だったことが大きな要因ではなかっただろうかとつぶやいた記憶がある。そのことは今も変わらない。

 あくまで私の想像であるが、当時の大川小学校は校長の権限がかなり強かったのではなかったのではと推測している。権限が強かったというよりも、校長のワンマン経営が日常的に行われていたという表現の方が相応しいよなような気がするが・・・。

 結果に対して、いまさら『・・・れば・たら』と言ってもしたかないが、校庭に整列させていた無駄な時間に、『高台に逃げろ』という『津波時の原理原則』を教頭か教務主任、いや若い教員であっても大声で叫べば、この惨事はなかった可能性が高い。

それができなかったことが悔やまれてならないが、日頃から、校長の判断を仰がねばならない環境に慣れ過ぎていたのではないだろうか。要は、教員としての自主性が決定的に欠如していたのでは・・・。

現場を離れてすでに15年も過ぎているので、最近の学校現場の事情は疎いが、少なくとも文科省の方針を見ていると、授業数が増え、しかも英語や道徳が教科にしたことから、時間数確保に象徴されるように、全ての面でさらなる締めつけが強くなっていることは疑いのないところ。

教員の自主性は、当時に比べて高まったとはとても思えない。それどころか、文科省・都道府県教委・区市町村教委・現場の学校長という縦の管理態勢の強化によって、『自主性って、何のことですか・・・』という教員(校長も含めて)が増えていると考えた方が良さそうだ。

となると、大災害に出会った時、校長はじめ教職員は右往左往、結果として大川小学校の悲劇が教訓として生かされない大惨事に発展することもあり得るのではないだろうか・・・。(田舎親父)

2018年5月 1日 (火)

大本営発表の時代へ・・・

 昨日の新聞各紙が、こぞって、北朝鮮が日本と対話する用意があると書いている。これは、先に行われた板門店で南北朝鮮の首脳会談で、金委員長が文大統領に語ったことだとのこと。 

しかし、実際に金委員長が本当にこんなことを言ったのかどうかは、知るのは本人と文大統領だけである。なんでも、蚊帳の外におかれたデンデン首相が、文大統領に電話で『どんな内容だったのですか・・・』問い合わせた文大統領の答えなのだそうだ。

そこまではあり得そうだ。北朝鮮としては太平洋戦争での賠償問題も棚上げされていると考えると、莫大な補償を請求する権利を保有しているだろうし、日本としてもこれに応える義務があるとしたら、デンデン首相を平城に呼びつけて、『支払ってもらおうもらおうしゃねぇか・・・』と手ぐすねを引いて待ち構えていることは、決して小説の世界の話ではないだろう。

金委員長としては、アメリカのトランプ大統領と握手さえすれば、デンデンなんてなんてゴミのようなもの。トランプとの会談で、賠償問題に触れて了解をとることは、政治音痴の私でも想像できる。アメリカファ-ストのトランプとしても、いかに莫大な金額であっても支払うのは日本で、アメリカの腹が悼まないのだから反対する必要はない。

日本と北朝鮮との首脳会談の可能性は十分あることは理解できるが、さらに新聞各紙は文大統領が金委員長に『日本人の拉致』も伝えたと書いている。これは、デンデン首相からの願いだったからだという。

日本の首相として、拉致問題を支持率のアップにだけ利用するという姑息な発想しかできないのが悲しく情けないがいが、全く打つ手がないことから、トランプに続いて文大統領にもお願いしたのだろうが、私の想像では、金委員長は『拉致問題は解決済み』との認識をもっていることはまちがいないとなると、アッソウ・・・という片道通行だった見た方が合理的である。

ところが新聞テレビは、拉致問題に進展あり・・・と捉えられるような書き方・言い方をするのは、何とも滑稽で、現政権に忖度しているといっても差し支えないのではと思えてならない。 

この情報はすべて官邸の広報からのもの。韓国の大統領府が世界に発信したものならいらしらず、会談の様子を電話で聞いたことを日本側(現政権)の都合が良い部分を、しかも世論に希望を持たせるような表現でマスコミに提供。それを新聞各紙はほとんど同じ文章で国民に伝える。

事実かどうか新聞各社は自分で調べた訳ではない。文大統領が記者会見で述べたことでもない。全ては政府の発表したことであることであることを見逃してはならない。私の頭の中で、これは『大本営発表』だという危険信号がチカチカ光りだしている。

今流行っている言葉が『一億総アベ化』だそうだ。この言葉を作った人物は、術的日本人が考えることを放棄して、政府のいうことに反論できない状態が、現政権を続けさせているのだから、これを『アベ化』という言葉で表現したという。

言い得て妙だとは思えるが、何とも情けなく悲しい話なので、私はこの言葉を使いたくない。しかし、朝日や東京というリベラルな新聞までもが、拉致問題が進展しそうだと受け止められるような表現には、『アベ化』という言葉がなるほどもっともとうなずくしかなさそうだ。

この情報を受けて、拉致被害者家族の一人はテレビで『日本との会話という良い受け答えをしたのは、初めてではないか。ありがたいことだ。世界に向けて言った言葉だからいい加減なことはできないと思うし、ようやく動いていくのかなという期待を持っている』と大きな期待感を示したという。

拉致家族の藁をもつかみたい気持ちからすれば当然だろう。しかし、繰り返すが、日本との対話の用意があるという部分は本当かも知れないが、それは日本からカネをふんだくるということだけではないだろうか。

拉致問題を話題にしたということは、文大統領が言ったかどうかもわからない。本当にいったとしても、何かのついでに『日本が気にしていたよ』という程度だと想像している。電話でデンデン首相が、『伝えてくれたでしょうか』と聞いてきたので、『一応話題にしましたよ』という程度では。それを、政府が都合よく編集して発表という形にしただけ。話題にした稼働かも含めて、そもそもが眉唾もの・・・。

このことで、内閣支持率が上がるようなことになれば、確実に『大本営発表』の時代に近づいていることは間違いないのでは・・・。(田舎親父)

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