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2018年6月

2018年6月29日 (金)

国民の範になる政治が全てでは・・・

 交番を襲撃して警察官をナイフで視察させて拳銃奪う・・・。ここまで凄い筋書きは、小説の世界でもメッタにお目にかかれない。それが、大都会ではなく地方の町で起きたことに、日本中が震え上がっている。

 実行したのは21才の元自衛隊員の男。手口などは、連日新聞テレビが報じているのでここで繰り返す必要はないだろうが、包囲されて拳銃を構える男のテレビ映像をみると、映画の1シ-ンではないかと思うほど様になっているように見える。

新潟で起きた、小学2年生の女児を殺害して、線路に遺棄して電車に轢かせるという残忍な事件報道がやっと下火になってきたと思っていたのに、まるでテレビのワイドショ-のために、このようなトンデモ事件が連続して発生しているのではと思いたくなる。

新潟県での事件は、犯行自体絶対に許せない。しかし、犯人としては弱い女の子を誘拐して、性的な欲望を果たしたいという目的があったのだろうから、何とも虚しいことながら、その動機と犯行は想像できなくもないが、今回の事件では、その目的が全くわからない。

小説や映画の世界では、例えば、恋人や家族の命を縛った男に復讐するために何としても拳銃か必要になるという背景を作って、てっとり早い方法として、拳銃をいつも下げている身近な警察官を襲うという筋書きになるのだろうが、今回の事件は、奪った拳銃で襲ったのは小学校の正門で工事のための車の整理をしていた警備員となると、出会い頭に発泡したようにも思える。

先日、彦根の交番で上司を殺害した事件で、『事実は小説より奇なり・・・』だとつぶやいたことを思い出す。

この事件では、突然後ろから撃たれ命を奪われたのが上司である警部補というから、ある意味、日頃から恨みが発生する可能性があり、私には全く想像できなかった人間関係が発生していたとも思えることから『事実は小説より奇なり・・・』というつぶやきは大袈裟だったのかもしれないが、今回の事件は、一段と『事実は小説より奇なり』という思いが強い。

話は少し飛躍するが、世界一安全だと言われていた新幹線の走っている車内で、突如ナイフで女性に切りつけ、止めに入った男性を殺害するという事件では、犯人は『人を殺したかった、誰でも良かった・・・』と言っているらしいが、『誰でも良いから人を殺したい

と』いう動機での殺人事件がこのところ多過ぎるような気がしてならない。

 誰でも良いから殺したかった・・・。なんとも身勝手な言い分であるが、秋葉原の歩行者天国で賑わっている道路に、車を突っ込ませて、大勢の人の命を奪った事件が、この種のル-ツではなかっただろうか。

 以来、だれでも良かったという信じられない動機で、ナイフで抵抗できない人を殺すというトンデモ事件が全国に広がっているが、私には、政治の乱れと比例しているように思えてならのだが・・・。

 特に最近は、総理大臣という最高権力者をはじめ、副総理とかナニナニ大臣と呼ばれる国民から尊敬の対象にならねばならない指導者たちが、『自分だけ・今だけ・カネだけ』という、『3ダケ主義』で政治を進めるものだから、一般国民はイライラがつのるのは当たり当然だろう。

 自制心が不足している輩が、こんな世の中やってヤレネエ・・・と、ナイフを手にして獲物を物色?・・・。

 今回の警官を殺害して奪った拳銃で小学校に乗り込んだ事件では、殺害された警備員さんには申し訳ないが、児童の下校時刻とほんの少しずれたため被害が子どもたちに及ばなかったことが何より。ほんの少し遅れたら・・・と思うと背筋が冷たくなる。

 それでも、為政者たちは、『お悔やみ申し上げます』という決まり文句を口にするだけで事件の背景が自分たちにもあるということは、露ほど思わないに違いない。そして、縦の命令系統で、『拳銃を奪われないようにしろ』と訓示することでお終い?・・・。

 お前の言っていることは的はずれだと言われるのは、自分でも十分分かっているつもりだが、日頃からなんとも虚しさを感じていることから、結論は、為政者の国民の範にならない言動が続く限り、この種の犯罪は今日にも全国のどこかで起きる可能性はゼロにはならないのでは・・・。(田舎親父)

2018年6月28日 (木)

『産めや増やせや』は党是?・・・

 明治から戦前まで、この国の指導者たちは『富国強兵』を旗印にして、周辺諸国の迷惑省みず、自分さえ栄えれば良いのだというトンデモ理念で突っ走り、ついには世界を敵に回した戦争に大敗して、国民を不孝のどん底に突き落としたことは忘れたくない。

 しかしある意味では戦争に負けたことで、民主主義という素晴らしい制度を得たのだという人も多い。しかし、その大変な思いで得た民主主義を、国民のために使うものではなく、オレたちの解釈で動かせるのだという輩が台頭しているのは悲しい事実。しかも、その輩を何故か国民の多くが支持しているのだから、社会が奇怪しくなるのももっともなことである。

 自民党と鵺党の議員たちと、それを支持する右翼勢力は、モリ・カケ疑惑などはゴミみたいな問題だ。親分のお友達を大事にしているだけの話。お前らには関係ない話だから、ガタガタ騒ぐな・・・というという態度を改めないのだから、この国が良くなるはずがない。

それどころか、驕り高ぶった自民党の幹部たちは、勝手放題に自分の思いを一方的に発言し、しかも時に批判されても、マスコミはもとより検察や裁判所までの人事を握っているので、いつの間にか尻すぼみとなると世も末という感じすらする。 

ネットでアホウと呼ばれている財務相は『自民党の支持者は新聞を読まない・・・』発言したそうだ。自民党支持者が聞いたら『ふざけるな・・・』と怒り狂うと思うのだが、ほとんど批判めいた意見か聞こえてこないのが不思議でならない。まさか、自民党支持者は本当に新聞さえ読まないバカになってしまったとは思いたくないが・・・。

若者の活字離れが話題になっているが、それだけではないだろう。私が思うに、この御仁に対する批判派なしで、むしろ崇めるような記事が多いヨミウリやサンケイは、オレたちの機関紙だという感覚だとしたら、この発言は言い得て妙。なるほどもっともである。 

しかし、自民党支持者の中には、朝日や毎日の読者もいるのではないだろうか。朝日や毎日もチョウチン記事が多いことは間違いないが、その中には、キラリと光る政治批判の文章を見つけることができ、それを読んだ人が政治に対して不信感を持つのは当然だろうと思うのだが、そんな人たちからの批判もあまり聞こえてこないのが、私にはどうしても納得できないのだが・・・。

モリ・カケ疑惑に対しても、普通なら憤慨するだろうに、親分がやることだから仕方ないと思っているかどうかはわからないが、いま一つ盛り上がりにかける嫌いがあるのは、彼らが読む、サンケイやヨミウリの記事を無意識的に機関紙だと信じるように訓練されているのかも知れない。もちろん鵺党支持者の大半か読むのは新聞と名がついていても、れっきとした機関紙であることは衆目の一致するところだろうが・・・。

アホウ財務相に続いて、今度はこちらもネットでは2Fと呼ばれている幹事長が、『戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら大変だから産まないようにしようと言った人はいない。この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないか、誇れるんじゃないかと勝手なことを自分で考える(人がいる)』と発言したとのこと。まあなんとも大時代的な発言だと驚き呆れる。

恐らく、この記事は朝日や毎日だけのスク-プではないはず。表現は多少違っても、発言の内容は、ヨミウリもサンケイの愛読者も目にしたに違いない。

アホウ財務相的な発想は、機関紙なのだからまあ良いか・・・というところなのだろうが、私のように、ごく普通の国をなってほしいと願っている者にとってはこの発言は見逃すことはできない。

戦前は、とてもではないがこんな発言をしたら、たちまち『非国民』と憲兵につかまり監獄にぶち込まれるのだから、思っていても口にできなかっただけだということぐらいは小学生でも知っていること。

また、戦後の、まさに『食うや食わずの時代』は、単に社会が混乱していただけで、落ち着いて自分を省みる余裕がなかっただけだろう。食欲と性欲に飢えていただけだと断言する学者も少なくないはず・・・。

幹事長が公の場で発言したのだから、個人的な見解ですまされるはずがないのだから、自民党として、『子どもを産まないという選択を否定する』党だと言っていることと同じであるのにもかかわらず、党内からも批判もほとんど聞こえてこないのも理解できない。となると、これは自民党としての考え方『党是』だと認めているとみなして良さそうだ。

幹事長も含めて自民党の議員たちが歴史を学んでいないはずがないだろうが、彼らの学ぶ歴史と、ごく普通に個人の幸せを願っている一般国民が学んできた歴史とは全く異質な者だと思うしかない。

そう言えば、『子どもは3人以上産みなさい』や『子育てはママの仕事』と言った閣僚や幹部もいたことを思い出す。また以前には『女性は子どもを産む機械』だと発言した大臣もいたことも記憶に新しい。

どうやら自民党と鵺党が考えている理想の国は、『富国強兵』で、軍隊を構成するために必要な国民を増やすために、『結婚してたくさんの子どもを産み育てることがお国のためになる』という、戦前の日本であることは間違いない。

イヤだ、イヤだ。この先は想像したくない心境になる今朝の私・・・。(田舎親父)

2018年6月27日 (水)

日本人などどうでも良かった・・・

 『優生保護法』という法律は、迂闊なことだが、つい最近までこの法律は戦前の遺物でと思っていたということはかなり以前つぶやいた。

ところが、この法律は戦後1948年(すでに私の小学校時代)に成立し、以後半世紀にわたって、『優性でない』遺伝子を持っている人とに対して、強制的に避妊手術を行ったというから、なんとも凄く残酷な話。

 『優性でない』という表現は、先天的に障害のある子どもが生まれる可能性があるということなのだろうと解釈しているが、戦後、せっかく民主主義という理念を取り入れることができた日本という国で、こんな発想がまかり通っていたことに驚くばかり。

人権などあったものではない戦前に、軍部の命令ならこんな法律を作ったこともわからないでもないが、少なくとも、今後は民主主義の国として生きていくことを世界に宣言した日本がこんな法律をつくり、以来、内容的には改定された部分があったらしいが、1994年まで存在していたというから信じ難い。

 ところが、この法律の成立に当たって、当時日本を占領していた合国軍総司令部(GHQ)は反対していたという、毎日新聞のネット版の記事に目を奪われる。

 こんなことってあるのだろうか。当時の日本はアメリカの占領下、『GHQ』が社会体制の頂点にたっており、GHQの承認なくして、法律などで成立するはずがなかったということは歴史で学び、私自身子どもたちに伝えてきた。

もしもGHQのトッフが、『待った・・・』という意思を示したら、こんな法律などできるはずがないのち、現実はできたのはなぜなのダロウという疑問が頭をよぎる。

話を戻す毎日新聞の記事によれば、法案に強制不妊の対象として盛り込まれていた大半の疾患の遺伝性について再三にわたり『医学的根拠が不明』だと批判し、ナチス・ドイツの断種法以上に問題視していたことが、GHQの記録から判明したのだそうだ。

日本の現政権では、文書の破棄や改竄などは日常茶飯事だが、欧米諸国では議事録はじめ全ての記録文書を破棄したり改竄するなど、まさに『絶対にない』というから、GHQの記録の信憑性は高いはず。

『ナチス・ドイツよりも酷い』という表現が気になる。ならば、本気で待ったをかけてくれたら、こんな法律ができるはずがないのち、実際には生まれている・・・。

記事には、日本側は、対象疾患を記した『別表』(省略)を加え、訴訟の権利を記載するなど修正し成立させたとある。GHQは、別表に列挙された疾患の遺伝性について『ごく少数の例外を除き』疑問があると再修正を要求したそうだが、日本側は49年、削除に応じた改正案を作成後、遺伝性疾患の大半を復活させ可決したというから、私のような政治音痴にとっては、なんとも理解できにくい構図である。

日本側が、人口急増に伴う食料難を挙げ『望まれざる集団の出産の防止』と主張したとある。確かに当時は第一次ベビ-ブ-ム。海外からの帰還兵が溢れて、人口が爆発的に増えたことは歴史が証明している。日本の政権は、食料を確保することが第一で、人権など考える余裕などなかったことは、私でも理解できそうな気がする。

そこで、『遺伝性精神病』や『遺伝性精神薄弱』などの疾患を持った子どもが生まれたらその分の救済に予算を削らねばならず、人権など毒吹く風とばかり、GHQ側に泣き落とし作戦をしたのではないだろうか。

そして、それが功を奏して、『優性保護法』という、トンデモ法律が誕生したのではと想像しているが、それにしても、ナチスより酷いと表現していたのに、それをGHQが許したのはなぜなのだろうという疑問は消えない。

ここからは私の想像であるが、もともと日本という国は、食料難が講じると、『間引き』という習慣があり、それが人々の間でごく普通のこととして受け入れてきたという歴史をGMQのトップが知ったからではないだろうか。

そして、GHQ=アメリカの判断だろうが、到底自国では許されることではないが、日本人が、食料難を切りきるために、遺伝子的な『間引き』したいというのだから、オレたちには関係ない。好きなようにさせやろうでは・・・というところでは。

しかし、記録だけは残さないと後で予想外の問題になりそうだということで、詳細で膨大な文書を残し、それが毎日新聞の知るところとなったのではと推察している。

当時のGHQ(=アメリカ)のその判断基準が今も残り、『沖縄』は日本人がオレたちに差し出したのだから、好き勝手にするのは当然だという思想が残り、それを歴代の日本政権が容認しているということだとしたら、こんな情けないことはない。

 『優性保護法』の犠牲になった人々が声を上げだした今日、この法律が、GHQ(=アメリカ)の間違った判断基準で生まれたことを毎日新聞が報じたことは重要である。

この事実を毎日新聞だけのスク-プにおわらせることなく、全てのメディアが取り上げて、国民に広く広めてほしいものである。そして、今こそ、ひたすらにアメリカに隷属する現政権にNOを突きつける気運が高まることを願ってやまない。(田舎親父)

2018年6月26日 (火)

ボランティアという名の勤労奉仕?・・・

 『ボランティア』という言葉を日本語では何と現したら一番わかりやすいだろか。

『勤労奉仕』と言うと、戦中や戦後のドタバタ時代に本来は国や自治体の仕事なのに、それを国民に肩代わりさせ、義務的・強制的に駆り出されて働かされるようなイメ-ジがあることから、ちょっと場違いな感じを受ける。

ならば、自ら進んで行うことから、『自主的な勤労奉仕』と表現すると、無理に付け足しか感じは否めない。

普通に使われる『ボランティア』という言葉の裏には、『無償』とか『代書を求めない』という条件がついていることから、あえて言うなら『困っている人のために、無償で手助けすること』とでも訳するのが適切なのかも知れないが、長過ぎることから、やはり『ボランティア』というカタカナ言葉で表現するしかなさそうだ。

外国ではごく普通に行う行為だそうだが、日本人は、人のために自ら進んで・・・ということに抵抗がある人が多いということは私もよく耳にする。しかし、助け合わねば生きていけない昔の貧しい、特に農民たちのような被搾取階級の人々にとっては、ごく当たり前の行動だったのではないだろうか。しかし、このような助け合いの行動は、身分格差が現れる頃から変質したようだ。

身分格差は、弥生時代と呼ばれる頃よりはるかに古い時代から存在していたと思われるが、人々の間に身分格差が生まれると、権力者は、人間として当たり前に所持している『助け合いの心』を巧みに利用し、村における『五人組』や、町民の職種の『講』などという組織を固定することによって、互いに助け合わなければならないような仕組みを作ったと思われる。

権力に反抗する精神を徹底的に摘み取り、権力者の意図に沿った精神を作り上げて、協力しないと『村八分』にしてしまうということが慣例化し、戦後まで続いていたことを忘れてはならない。

『助け合いの心』は、現在も存在していると信じている。災害が発生すると、多くの人たちが駆けつけて、汗と泥にまみれながら働いている姿に、感動することしきりだが、その感動は、日本人、いや全ての人間と表現した方が相応しい生まれながら秘めている『助け合いの心』が、行動に駆り立てるに違いない。

そのことに疑義はないが、『オリンピックのためには、助け合うのが当たり前』という考え方が当たり前のように広がっていることに、『オリンピックより前に、やることがあるだろう』と、冷やかに眺めている私には、この風潮に『勤労奉仕は当たり前』という時代の再来ではと恐ろしさをおぼえる昨今である。

誰が言い出したのか知らないが、今回の東京オリンピックのボランティア募集に対して『やりがい搾取』と表現しているらしいが、なるほどもっとも。

前回の1964年の東京オリンピックが、日本の発展につながったことはだれも否定できない事実だろう。しかし、『オリンピックがなければ発展がなかったか?』と問われると、『100%その通り』だと思うことに躊躇する人も多いのでないだろうか。

そんな声を無視して、夢よもう一度ではないが、できればオリンピンクを誘致して、平和をアピ-ルしたい広島や長崎などの都市があったにもかかわらず、『東京しかない』と強引に札束ホッペタ作戦で誘致をはじめ、何とか成功したことは今更述べるまでもない。

誘致が決まると、都は国と協力してマスコミに命じて、『オリンピックは日本という国にとっての大行事。国民として最大限の喜びを現し、自分ができることには協力することは当たり前』というキャンペ-ンを広げて、たちまちのうちに、オリンピックのために行うことは全て『是』という思想とも表現して良い考え方を作り上げ、それでも足りないとばかり、『是』を『パラリンピック』に広げて、今やその思想が当たり前になっている気配を感じている。

その気配つくりに成功すると、運営に携わる『組織委員会』は、本来は自分たちの仕事であるはずの、莫大な予算が必要な人的な業務を『ホランティア』という名で、実質的に丸投げして最低限の予算で賄おうという作戦は、歴史が証明しているように、権力を握った連中の常套手段と変に納得しているが・・・。

組織委員会というオリンピックでの権力者は、東京オリンピック・パラリンピックを成功させるためには、8万人のポランティアが必要だと発表しているという。

その8万人は誰でも良いという訳ではなく、『競技に関する基本的な知識がある』『スポーツボランティアをはじめとするボランティア経験がある』『英語、その他言語および手話のスキルを持っている』などの人だと規定しているのだそうだから、典型的な上から目線。

しかも、必要とされる語学や競技知識の習得は、自分のスキルアップなるのだから、当然自己負担で努力するとし、活動期間も大会期間中とその前後で『連続での活動は、5日以内を基本ながら、それぞれ10日以上』働くのは当然だとの態度だそうだ。

ロンドン大会では10万人のボランティアが活躍し、リオデジャネイロ大会でも同じ程度の人々かボランティアが活躍したから成功したから我等も負けられないという着せ血を煽り、連日30℃を軽く越す酷暑の東京で8時間拘束を10日間以上『ただ働き』させるのだから、下手なブラック企業よりはるかに格上である。

オリンピックには無関心な私にはおよそ関係ないことだが、それでも『、オレもワタシも・・・』と応募が殺到となると、日本人の心の底には『搾取されることが快感』というDNAが宿っているとしか思えないのだが・・・。(田舎親父)

2018年6月25日 (月)

格差を広げるだけのバラマキ・・・

 毎年のことだが、沖縄慰霊の日での子どもの詩の朗読には涙させられるが、今年の中学3年生の女子生徒の姿には神々しさを感じ、沖縄の誇りを目にした。

臨席していたデンデン首相を意識してなのかは知らないが、『(あなたも)わかるだろう・・・』と語りかけている姿に、首相は恥ずかしくないのだろうかと、こちらの方が恥ずかしくなる。

それでも、辺野古の海を埋め立てるとは、『お前には、人間の血が通っているのか』と最大限の怒りをおぼえる。

 話題を変える。最近の有識者会議のメンバ-を選ぶ基準は、まずはデンデン一家が牛耳っている現政権の考え方を忖度できる人物かどうかで決まるらしく、本気で国の将来憂える専門家は除外されるのが当たり前になっている。しかも、委員会に凄い名称をつけて、いかにも格式があるように印象づけるのが流行になっている。

 『人生百年時代構想会議』というのもそのひとつで、選ばれた御用学者たちが、現政権が作り出したこれも大仰な名前の『人づくり革命』という政策の基本構想を取りまとめたというマスコミ記事が大分前に新聞でみたことがある。

現政権はもっぱら人民が悪政に反発して蜂起する場合に使う『革命』という言葉に気に入っているらしく、『〇〇革命』という名前が多いことに強い違和感をおぼえている。ここでも『人づくり革命』となんとも木を竹で継ぐようなムリムリ表題。この政策?の柱が教育課題の解決だそうで、その大本に幼児教育・保育の無償化をあげている。

2019年10月、消費税率10%への引き上げるという『閣議決定』という(これまた大好きらしい)イベント的合意をしたようだが、この時期に合わせて幼児教育・保育の無償化を全面実施するとのこと。しかし、その内容が低迷する支持率を何とか上げるためだけに、カネで関心を買うといういつもの手法となると、なんとも気持ちが悪くなる。

当初の無償化案では、認可保育施設に通う3~5歳児と住民税非課税世帯(年収260万円未満)の0~2歳児が対象としていたが、これでは不公平だという声か七聞くなったため、認可外保育施設も対象とし、月3万7千円を上限に補助するというもので、これまた先日閣議決定したというニュ-スが流れていた。

小さい子どもを持つ家庭では、『無償化』という言葉の魔力なのだろうが、『タダになるのはありがたい・・・』、政策を支持している国民も多いのだから、なにおか言わんや・・・という心境になってしまうということは先日もつぶやいたこと。

6月6日のこのつぶやきは繰り返さないが、このことに関連して、みずほ証券のシニアマーケットエコノミストという肩書を持つ、末広徹さんという人物が、国が定める保育料の利用者負担の上限額などを基に試算したという記事に目が留まる。

それによると、無償化による年収別の一人当たりの負担軽減額は、住民税非課税世帯が約6万5千円なのに対し、年収640万円以上の世帯は約30万9千円となり、その差は4.7倍になるとのことである。

 現行の認可保育施設の保育料は、所得に応じて設定されていることから、生活保護世帯は無料になるなど低所得世帯ほど低く、高所得世帯ほど高い前提になっているからだか、公平という立場に立つと当然だろう。

現政権の案では収入による差を考慮せず無償化するのだから、高所得世帯ほど払わなくてもよい金額が大きくなるため、必然的により多くの恩恵を受けることになることは、経済には全くの素人である私であるが、専門家の指摘を仰がなくてもわかること。

 しかし、専門家がこうして試算し、それが記事になって国民の目にすることによって、幼児教育・保育の無償化という現政権の政策が、格差を広げるだけバラマキだけであることが明らかになったことは意義がある。

 低所得者にとっては、無償はありがたいに違いない。しかし、このことは単にカネだけの話であり、無償化分は日常生活に消えることは明らかだろう。将来への投資として、英語だスイミングだ、ピアノやフィギャ-スケ-トだ。さらにエスカレ-タ-四季の森公園に大学まで保障された私立有名小学校への受験準備に回すという発想そのものはない。

逆に、高所得者になればなるほど、日常生活は安定しているのだから、無償化された分は、いわば浮いたカネ。我が子の将来への投資に使うのは当然といえばこんな当然な話はない。

 無償化予算全体からみると、総額を8千億円とした場合に低所得の非課税世帯に使われるのは約2百90億円。これに対し年収8百50万円以上の世帯には、およそ4.5倍の約1290億円が使われることになるとのこと。なんともアホラシイとしか言いようがない。

 少子化対策としての効果に関し、末広エコのミストは、『予算の配分先として一番効果のある年収は200万~290万円』と説明し、『年収が高くなればなるほど配分しても効果は薄くなっていく』と指摘しているとのことだが、これも私でも理解できる。

 さらに、認可保育施設が無条件で無償化となると、誰でもが認可施設に通わせたくなり、通わせなければ損という考え方になることは、小学生でもわかる理屈。今でも待機児童問題で明らかなように、認可保育施設の絶対数が不足しているのに、ますますこの問題が深刻になること明らか。

私のような、知識の乏しい貧乏老人でもわかることが、なぜ大学教授という知識人がわからないのだろうと思いたくなるが、それは現政権に忖度できる学者であるからで、この政権が続く限り、このようなアホラシイ政策がドンドン決まるのだろうと思うと悲しくも情けなくなる。

とにかくカネをバラまけば、支持率が上がるという発想のデンデン一家ではもう何もかもデタラメそのもの。一刻も早く退場させなければ国が奇怪しくなるのは誰の目にも明らか。
 先日の繰り返しになるが、格差を少なくして、安心して子どもを産み育てられる層を広めて、出生率を高めなければ、少子化に歯止めがかからないことを真剣に考えられるリ-ダ-の出現を切に祈る今朝の私・・・。(田舎親父)

2018年6月22日 (金)

これもトランプさまのご命令か・・・

 どうしてこの政権は、国民の幸せとは真逆の法律を作ることしか考えないのだろう。そして与党とは言え、自民党と鵺政党に所属する国会議員たちが、批判一つすることなく諾々と従っているのかが不思議でならない。

さらに国民の多くが、ここまでいじめられているのにもかかわらず、選挙で自民党候補者に投票するのはなぜだろう・・・と考えると情けなくなる。

『カジノ法案』は、その典型だろうが、『残業代ゼロ(過労死続出)法案』なども、金持ち優先というか、企業がいかに人件費を減らすということのために、デ-タを捏造して、しかも国会を延長して成立させるというのは、まさに悪魔の代弁政権、代弁政党と表現しても差し支えなさそうだ。

 そんななか、『種子法の廃止で、地方で生き残っている希少な野菜が消える』という記事に目が留まる。その時点では何のことかわからなかったが、現政権のやることだから、

間違いなく国民をいじめことにつながるに違いないと、私の頭の中の情報キャッチシステムの危険信号が点滅する。

 正直『種子法』という言葉も聞いたことはない。そこで、まずこのことを調べてみると、正確には『主要農作物種子法』という法律で、稲、大豆、はだか麦、小麦、および大麦という主食系の種子の保護を主とするわずか8ケ条からなっている法律であることを知る。

 全文を期することは省略するが、この『種子法』が制定されたのは1952年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を取り戻したとほぼ同時だったという。

第二次大戦末期から戦後、人々は米やムギなどの食料を求めて大変な苦労をしたことことは、今でも小学校の歴史で教えていること。と言うより、戦後は私自身が育った時代と一致することから、その実体はおぼろげながら記憶にある。

軍部は戦争を継続させるために、コメの一粒でも多く食用に回さねばならなくなり、農民が種にするために貯蓄していた籾までも供出するように命じたことから農村が疲弊し、種を取る余裕を失ったことが、戦後の戦後の食糧難を一層深刻にしたという記事は理解できる。

そのため、時の政府が日本の主権回復に合わせて、もう二度と、種が途絶えて人々が飢えることのないように、穀物の優良な種子の開発と安定的な供給を都道府県に義務づけた法律だという。

 これを元に都道府県は、その土地の気候風土に合った奨励品種を定め、公費を使って作出し、その種子を安く農家に提供し続けてきたのだそうだ。各都道府県には、農業研究所があるのはそのことに由来することも改めて知る。

 日本の復興・発展には大変重要な法律だったことは明らかなのだが、現政権は、昨年4月、この法案の廃棄をお得意の閣議決定し、わずか3ケ月足らずで審議時間は衆参合わせて12時間という短さで『廃止法案』を決めてしまったという。迂闊なことに、今回、危険信号を関知して調べてみるまで、このことについて全く知らなかった。

主要穀物が対象というたことで、野党の抵抗もあまりなかったらしい。ということは、野党の議員自身が、廃止に伴う人々の暮らしへの影響を考えられなかったのではないだろうか。まして私同様、そもそもそれがどんな法律なのかも、そして廃止すればどのような影響が及ぶのかすら知らなかった国民がほとんどたったに違いない。

唐突にこの法律を廃止した現政権の言い分は、一言で言うとお得意の『規制緩和』だという。『種子法』で都道府県が独占?している種子の研究開発は、このままでは進まず、国益を阻害しているので民間の力を借りるという主旨なのだそうだ。

『規制緩和』という言葉は、『ビジネス』という言葉の広がりと比例するように、人々の心の中にスッと入る麻薬のような魅力があるらしい。特に最近は『ビジネス』イコ-ル『お金もうけ』でその全てが『是』であるとなると、この言葉に反論もできず、わずか数ヶ月の12時間の審議でこの今回を通過したのも頷けないことはない。

『ビジネス』と『競争原理』は同意語であることから、種子の開発・販売が今後、自由競争になるのだろうが、中小の種子を扱う会社は経営が難しくなることは、超経済音痴の私でもわかること。

地方には地場野菜の種子を扱う会社も存在するが、種子法が消えれば、競争原理によって衰退することは間違いなさそうだ。となると、地場野菜を作る人も少なくなり、当然価格は高くなることも自然の原理。食料の多様性という言葉も、一部富裕層の人たちだけなりそうだ。

世界最大の種子メ-カ-はアメリカのサイモントという会社であることは私でも知っているが、アメリカに有利になることだけを考えているトランプという大統領が、サイモントが世界を席巻すれば良いと考えるのも、認めたくないが、ある意味当然のことだろう。

『種子法の廃止』もトランプさまのご命令で、彼のポチのウンコであるデンデン首相が大急ぎで国会を通したと考えるとなるほどもっとも。唐突に『種子法』が廃止になった理由がわかるような気がする。そして、この競争原理が全ての野菜に及ぶのも時間の問題だということも想像に難くない。

日本中のコメやムギなどの穀物はもとより、ニンジンやタマネギなど日頃ごく普通に目にして、食している全ての野菜が、サイモントなど大資本を背景にした海外の製種会社の種子で作られる?・・・。

しかも、それらは全て遺伝子組み替えの作物。想像するだけでゾッとするのだが、そんな社会がヒタヒタと押し寄せているようだ・・・。(田舎親父)

2018年6月21日 (木)

タイミングが良過ぎるぞ・・・

 6月10日の知事選での最大の争点は、県民の65%が反対と伝えられていた柏崎刈羽原発の再稼働の是非だろうと思っていたこともあって、新潟県民は『再稼働反対』を明確に打ち出していた女性候補を選ぶだろうと安心しきっていた。

 ところが、当選したのは自民党と鵺党が推薦するハナズミという元官僚。このことは先日もつぶやいたが、自民党の『ちえ者』が、この候補の経歴を隠すと同時に、原発再稼働については、前知事の方針を受け継ぐと明言する作戦を考え出したため、『原発再稼働』という争点がぼけてしまい。再稼働に反対している県民の37%がこの候補に投票するという結果になってしまったようだ。

 そのことを今更愚痴っても仕方ないと思うのだが、(翌日のこと)、福島県から出されていた『福島第二原発』の廃炉要請に対して、これまでノラリクラリを決めていた東電が、唐突に『福島第二発電所の4基全てを廃炉にする』と発表したことに、大きな違和感を覚えた人は多いのではないだろうか。

 私もその一人である。福島第二原発の廃炉は福島県民(国民)が望んでいたことなのでそのことについては全く疑義はない。諸手をあげて歓迎したいが、新潟県に原発再稼働を党是としている自民党推薦知事が誕生した翌日のこととなると、これはあまりにもタイミングが良過ぎる。誰がみても、新潟県知事選の結果と無関係だとは思えない不自然さだ。

福島第二原発を廃炉となると、東電が持っている原発は刈羽原発だけになってしまう。知事選で公約どおり、前知事の方針が続けば、再稼働の可能性は限りなく難しくなり、下手すると刈羽原発の廃炉という県民の意見が大きくなりかねない。そんなことに東電が黙って従うはずがない。

自民党系の知事誕生で、刈羽原発の再稼働が確実になった判断したのだろうが、知事選の翌日に、福島第二原発の廃炉を明らかにするとは・・・。これが、国民感情を逆なですることを得意技としている東電という会社の体質なのだろうと呆れてしまう。

そしてさらにタイミングか良過ぎるニュ-スが聞こえてくる。新潟知事選で、自民党と鵺党が推薦するハナズミ陣営が選挙違反に該当するような悪辣な手法が明らかになりはじめているが、それ以上に許せないのは、就任後3日後には、自民党関係者の集まりの席上で刈羽原発の再稼働に関しては『0か1か予断を持っていない・・・』と発言したというから事実上、選挙で公約した『私が知事でいる限り、慎重な姿勢は崩さない・・・』はホゴにしたも同然。

これも自民党(鵺党かも知れないが)の『ちえ者』は、再稼働を口にしたら当選はないことを知って、自民党の2F幹事長の覚えめでたい男を候補者にする時、『前知事の方針を守ることを公約するが、当選したらこっちのもの・・・』という筋書きを作ったのだろうが、まさにそのシナリオどおりの展開になっている。

さらに、この『ちえ者』は東電とも事前に打ち合わせして、『ハナミズが当選したら、再稼働をするから、福島県民はもとより国民が願っている、福島第二原発の廃炉を発表する』ことを決めていたのではと想像している。そのことで、低迷している内閣支持率の回復ができると読んで・・・。

この国は総理大臣が『ウソを平気でつける男』なのだから、オレたちも見習おう・・・という風潮が限りなく広がっていることは、何度もつぶやいてきたが、新潟県民はまたまた見事に騙されたようだ。しかし、私には、ここまでウソの連発している自民党と鵺党というか、デンデン一家を許している国民の存在か信じられない。

まさか新知事が、今年度中に刈羽原発再稼働・・・なんてことはないだろうが、鹿児島県の例もあることから、来年度(あるいは再来年度)というようなごく近い将来の再稼働は十分視野に入れているのではないだろうか。

現在の世の中は、情けないことに、まさに『右をみても左をみても、ウソがまかり通るご時世になってしまいやした・・・』なんて歌謡曲が似合う時代になってしまったものである。(田舎親父)

2018年6月20日 (水)

何とも姑息なやり方・・・

先日、東京オリンピックによる交通機関の混雑緩和のため、3つの祝日を移動して開会式当日などを休日にし、開会式の前後が4連休、閉会式の前後が3連休となる法律が参議院本会議で可決・成立したことに、反対した共産党の議員は別だが、各党の地方選出の議員たちは、地元に帰ってどんな説明をするのだろうと要らぬ心配をしてしまう。

四国九州(東北や北海道も同じだろうが)選出の議員たちは、ホンネはこんな法案は東京だけももので反対したいのだが、オリンピックという名前には逆らえず、仕方なく『オリンピックは国家の一代事業だから誰もが参加できるようにするのは政治の責任だ』とか『我が県の皆さんが参加しやすいように賛成した』なんて言い訳を考えているのではないだろうかと想像するとアホらしくなる。

開会式のチケットが2万円とか3万円と聞いた時、東京まで往復の交通美だけでも数万円とすると、地方から出かけられる人間はごく一部の限られた階層だけで、普通に生活している人々にとっては異次元の話。

開会式を自分の目で見たいと思ったとしても、はじめから無理なことは小学生でもわかることで、一般家庭の子どもたちが親にねだることなどできるはずがない。となると、議員の『我が県民も・・・』という説明が虚しく聞こえるだけではないだろうか。

カレンダ-がどうなるのかというと、2020年に限って、7月第3月曜日の『海の日』を開会式前日の7月23日、10月第2月曜日の『体育の日』を開会式当日の7月24日に、8月11日の『山の日』を、閉会式翌日の8月10日に、それぞれ移動させるとのことである。
 これによって、2020年は7月24日のオリンピックの開会式を挟んで4連休に、8月の閉会式を挟んで3連休になり、交通機関の混雑緩和につながるという理屈だそうだがこれは東京はじめ競技会場周辺だけで地方には全く縁のない話。

東京都が旗振り役をしたのだから、当然交通混雑などは折り込み済みでなければならないはずなのに、そんなことなどなにも考えず、札束をばらまいて誘致した以上は交通混雑や酷暑対策などはすべて東京都と組織委員会の責任だろうが・・・。
 オリンピック期間中は日本中の学校はすべて夏休み期間中だというのも考えさせられること。夏休みの期間の『山の日』はともかく、『海の日』や『体育の日』を夏休み期間中に移すとなると、詳しく2020年のカレンダ-を調べていないが、少なくとも10月の祝日はなくなることになる。

ふと、以前もつぶやいたことがあるが、現在多くの公立の小中学校が選択している2学期制屁の影響が頭に浮かんび、出かけるには季節の良い秋に、何とか家族旅行ができるように数日間の休日を作ろうという発想が起点なっていたことを思い出す。

文科省はじめ7つの省庁が合同で立ち上げた(名称は忘れたが)今でいう『有識者会議』なのだろうが、その委員会の委員として私自身が何故か選ばれて参加した光景が蘇ってくる。会議の冒頭に、座長の大学教授から、学校を2学期制にして数日の『秋休み』を作り、家族旅行を推進することが、このた委員会の主なねらいだという説明があったことが記憶に残っている。

そして秋休みの中心が『体育の日』で、この前後を数日休業日にするというものであるが、当時(現在はそれ以上だろうが)は授業時数を何とか確保するのが現場の一番の苦労で、そのため1学期の終業式と2学期の始業式をやらなくてすむので、10時間以上の時数確保ができると、全国の小中学校が飛びついたことは、当時、マスコミが大きく取り上げなかったことから、今でも知らない人も多いのではないだろうか。

そんな曰く付きの『体育の日』が、2020年のカレンダ-から消えるとなると、秋休みの確保はもとより、またまた授業時数の計算で、現場(特に、オリンピックとは関係ない地方の学校)にとっては迷惑な話としか言いようがない。

それでも決まったのだから今更愚痴っても仕方ないが、20年は前期が終わって、家族旅行などのんびりとすることなどできずすぐに後期が始まるのだから、子どもたちからはブ-イングが起きることは間違いないところ。それ以上に、観光地はかなりの影響を受けるのではないだろうか。

国や都、そして組織委員会は、オリンピックに負けず劣らずパラリンピックに力を入れているような雰囲気づくりを演じているが、こちらの方の対策はほとんど伝わってこないのも変な話。

本気でやる気になっているのなら、こちらも交通規制なども真剣に考えるべきだと思うのだが、ホンネは『パラリンピックなどは付け足しだ・・・』というところか。

 商業主義に侵された現代のようなオリンピックやパラリンピックなど無用だと主張している私には、どちらも関係ないことだが、なんともその場限りの考え方が通用する時代になったものだと呆れる限り・・・。(田舎親父)

2018年6月19日 (火)

学校耐震化の盲点・・・

昨日朝の大阪北部を震源にした震度6弱の地震にはビックリ。戦国時代に伏見城が崩させるほどの大地震が起きたことは知っているが、あの地域は、以来地震らしい地震がなかったのではないだろうか。

私は高校2年生に父親を亡くしたので、高槻市の兄宅に卒業まて世話になったので、高槻という土地名には愛着を感じてからだろうが、高槻市立の小学校のプ-ルの外壁が崩れ落ち、通学途中の4年生の女の子が亡くなったとの報道に、なんとも言えぬ悲しみかこみあげてくる。

テレビの映像を見る限り、女の子を押しつぶして命を奪ったプロック塀は、鉄筋が入っていないことは間違いなさそうだが、私には、そんなブロック塀が現在時点で、学校の外壁に使われていたことが信じられない。

しかも、その高さはブル-サイドまでではなく、さらにその上に2メ-トルほど積み上げられているようだ。多分、後から目隠しの意味で継ぎ足したのだろうと推測しているのだが、その積み上げた部分が完全に倒れ落ちている。

隣接する道路は通学路になっているとのことだから、女の子と友人たちは昨日も危険だという意識はこれっぽっちもなく、安心しておしゃべりを楽しみながら歩いていたに違いない。子どもたちが卒業記念にでも描いたと思われ樹木や子どもの遊んでいる構図の上半分が倒れている映像は悲惨過ぎて言葉を失う。

私には、こんな危険な箇所を、誰も『あそこ危ないのと違う・・・』と大阪弁で言い出す人がいなかったことも信じられない。地域の住民は何年もの間、誰一人として学校に連絡しなかったのだろうか。また、校長はじめ教師たちも全く無関心だったとしたら、地域住民や学校が女の子の命を奪ったと表現しても差し支えない。

私としては、校長は何よりも子どもの命を守るという意識を持っているはずだから、気づいていなければいけないと断言したい。そして、毎年のように教育委員会に改修を要望していたにもかかわらず、教育委員会は予算がないと動かない・・・という筋書きを想像したい。

これなら経験上考えられるが、このことは、恐らく女の子の保護者や弁護士が、責任問題として取り上げるだろうから、今後マスコミが騒ぎだすのではないだろうか。また、そうであってほしいと願っている。

学校の耐震強度が不足していることが大問題になったのは、1995年に起きた、あの阪神淡路大震災後だったと記憶している。

確かにあの大地震では、高速道緒が横倒し。高層ビル倒れたり傾いたりする凄まじい映像が流れ、多くの被災者が小学校に避難していたことから、学校をさらに安全な場所にする方針は間違っていないと思うが、当時も指摘したが、小中学校はたかだか4階で横に長く、しかもだいたいは、L字に建てられていることから、私に言わせれば一番地震に強い構造。そのことを踏まえて、もう少し議論が必要だと発言した記憶が蘇る。

緊急課題はむしろ付帯する塀など危険箇所の見直しだと主張したことも思い出すが、教育委員会が私の意見など採用するはずがなく、見た目に頑丈な太い鉄材でHやXの形で校舎を取り囲む無粋な耐震工事が進められ、各地の学校では今もその姿のまま。

 高槻市立寿栄小学校も耐震工事が進められたと思うが、その当時、誰かか『あのプロック塀が危ないのでは・・・』と気づいていたら、今回の事故は回避できたと思いたい。

 タラ・レバは歴史を語る上では禁句だと知ってはいるが、悲惨な事故を繰り返さないために、もう一度、学校の回りの危険個所を洗い出し、改修を急ぐべきではないだろうか。

多分、主に都市部の学校には、不審者対策として特にプ-ル周辺には外部からの目隠しとして、同じような構造があるはず。そしてそこには、今回の寿栄小学校のように卒業製作の絵があるのも不思議に共通するような気がする。

さらに行政が撤去するという姿勢を示したら、学校や卒業生の保護者、また地域住民から反対意見が生まれるのもお馴染みのパタ-ン。

今回の惨事を繰り返さないために、行政はこの事故が過去のことになる前に、多少の反対意見など無視して、直ちに撤去することを強く進言したい・・・。(田舎親父)

2018年6月18日 (月)

横発の老人施設が危ない?・・・

 何度もつぶやいているが、横浜の片田舎の私の住まいの目の前に、徳島県の美馬一族の経営する3つの老人施設に加えて、同じ通りに古くからある施設と合わせて4つの老人ホ-ム並んでいる。いずれもかなりの費用が必要な有料老人施設である。

古くからある施設は、特別老人施設と看板にあるので特養なのだとわかるが、目の前の3つは、それぞれが特養や医療、リハビリが主体だと説明されているが、この方面の知識がない私には、何回その話をいても区別がわからない。

というのは、経営母体が同じなので当然かも知れないが、どの施設からも入居者の家族や職員(この見分けもはっきりしない)が老人を車椅子に乗せて出入りしていることや、週に必ず一度は必ずと言って良いほど、あのお馴染みのサイレンを鳴らしてやってくる救急車が、私の目からみると、ほぼ均等に向かうからである。

しかも、何故か、ほとんどの場合、救急車が消防車を伴っているのは何なのだろう。以前仕事中で話しかけるのは悪いと思ったものの、この点を消防隊員に聞いてみたら、横浜市の決まりになっているとのこと。私にとってどうでも良いことなので、納得できないことながら今日に至っている。

そのことは別にして、目の前に老人施設が並んでおり、勤務時間がマチマチなのだろうが、職員の送迎のために5、6台のミニバス下手の車が四六時中行き来していることに加えて、通勤の職員(中には幼児を抱えた女性も稀ではない)が夕方も含めてバラバラな時間帯であることなどから、人の出入りはかなり賑やか。

今日も書き出しが長くなったが、そんなことを思っていると、ネットのニュ-ス欄で週刊ポストの記事として、『介護付き有料老人ホームの事故件数に関する聞き取り調査を行なった』という記事を見つけて、これは面白そうと目を通す。

『親が老人ホームに入居するとき、不安なのはもしも何らかの事故が起きたら、ということだろう。施設内で起きる出来事は、外から窺い知ることが難しいからだ。まして、自分が入居するとなれば、その心配はなおさらである』という文章から始まるのだが、なかなか読者心理を読んでいる。

どの施設でどんな事故が起きているのか。その情報は老人ホーム選びにおいて、重要な判断材料となるはずだと続いているが、老人施設を管轄する厚生労働省は、『そんな調査は行なっていない』ということから、ならば調べてみようと言うことになったと記事の文章は続く。

介護付き有料老人ホームは設置の際に所定の都道府県にあり、その県の老人ホーム数が多い場合は、政令市または中核市のいずれかに届け出る義務があることから、週刊ポストの取材班は、届け出を受理し、指導監督を施設に行なう全国112自治体で、該当する老人ホームの施設数は3775施設(届け出が完了している2016年度時点)、定員数は45万7918人に聞き取り調査を行ったという。

その結果を現す数値をみると、神奈川県の事故報告が全国の7割を占めていることびっくり。さらにそのうちの半数が横浜市となるともう一度びっくり。東京よりお凄いとは、なんとも言えない気持ちにさせられる。

なるほど、週に一度は必ず救急車がやってくるのは当たり前だと納得するが、だからといって横浜市の老人施設が『危ない』とは限らないと文章は続いているは私にはにくい演出。つんつん続きを読む気にさせられる。

結論を急ぐと、神奈川県は老人介護の先進県で、中でも横浜市は特に力を入れているのだそうで、有料の老人施設の数が他の自治体に比べて格段に多いのだそうだ。しかも、どんな軽微な事故であっても報告の義務を課しているとのことだから、数値が突出しているからといって『危険』ではないという。

事故報告の例がいくつか紹介しているが、横浜市は『事故』と判断する基準が厳しく、『利用者のビタミン剤の飲み忘れ』でも、一件として報告したという文面は、さすがにわかに信じられないが、学校に課せられた『いじめ報告』と相通じるものがあるのかも知れないと変にうなずける。

なるほどもっとも。よくもこんなに気楽に救急車を呼ぶものだという自治会の役員もいるが、横浜市として『どんな些細な事故でも・・・』という方針があるとなると、施設としては気兼ねなく119番通報ができるのだろう。

今も救急車の音が近づいているが、行き先は4つの施設のいずれかに違いない。隊員に『どんな事故ですか・・・』と聞くのは失礼だが、この記事で『まあ大したことでないだろう・・・』と思えるのが幸いだとしておこう。(田舎親父)

2018年6月15日 (金)

間もなく刈羽原発が再稼働?・・・

 刈羽原発の再稼働が現実味を帯びてきた。先日行われた新潟知事選に、自民党と鵺党が推薦するハナズミという元官僚が当選したからである。

野党の統一候補である女性の新潟県議は、はっきりと再稼働反対を選挙公約で打ち出した事から、前の知事が女性問題で辞職した事背あって、是非この女性に当選してもらいたと(具体的には天に祈るだけしかできない私だか)心から応援したものである。

しかし、その願いは叶わなかった。その訳は、自民党の中(鵺党かも知れないが)『ちえ者』が、徹底して『刈羽原発の再稼働』を選挙の争点から隠す作戦を打ち出したからだと思っている。

ハナズミ候補は、この作戦に沿って、前知事の『新潟県独自の調査で安全が確認できるまでは再稼働はない』という姿勢を、『しっかり守る』と選挙運動の期間中に繰り返し明らかにした事に尽きるのではないだろうか。

その上で、元新潟県の副知事であった実績を強調し、経済発展を公約に掲げたものだから、新潟県民の多くが、『再稼働に慎重で経済が発展するなら悪くないか・・・』とこの御仁を選択したのだろう。

事実、朝日新聞の出口調査では、再稼働に反対の立場の有権者の37%が、この候補の名前を投票用紙に記入したというから、まさに、この作戦を打ち出した『ちえ者』は笑いが止まらないに違いない。

しかし、選挙途中からハナズミという御仁の経歴を知るにつれて、これは拙い・下手すると、再稼働反対を公約に掲げながら、当選したとたんに態度を豹変させた鹿児島県知事と同じテツを踏みそうだという不安が高まる。

ハナズミという候補は、確かに元新潟県知事であるが、何故か2F自民党幹事長の秘書官だったらしいことや、あのモリトモ疑惑で影の主役演じた国交省の大阪航空局の幹部だったという経歴が隠されていたことを知ったからである。

ある情報によれば、2F幹事長の覚えがめでたく、『全力で応援するから、当選したらオレの言うことを聞け・・・』という約束があった?・・・とももれ聞こえてくる。真偽はわからないが、この幹事長のやり方から、似たような筋書きがあったのではないかと想像している。となると、最悪のパタ-ン・・・。

ところが、こんな情報は大マスコミは報じないので、ほとんどの新潟県民は知るよしもない。しかも、実際には自民党と鵺党の幹部たちも応援に新潟入りしていたはずだか、ほぼ表に出ず、デンデン一家の主だった人物は動かないのに比べて、野党の党首たちが連日野党統一の女性候補の応援していることを伝えるのだから、善良な市民は『政治色がない』と好感を持って迎えられたようだ。

かくして、ちえ者の大勝利で、新潟県にハナズミ知事が誕生した。早速、知事は『前知事の方針を堅持する』と発言しているが、果たしていつまでこの発言を続けられるだろうと一抹(どころではない)の不安を持って眺めている人も少なくないはず。私もその一人であるが・・・。

鹿児島県の場合、自民党と鵺党が推薦する現職を破ったのだから、公約を実行することは自然で県民の支持をえられるのに、それでも再稼働に走ったのは、現政権から物凄い圧力があったことは間違いないところ。

一方、新潟県知事選ではハナミズ候補は、当初から自民と鵺党が推薦。しかも、自民党は党是として原発再稼働を打ち出していることから、刈羽原発の再稼働は緊急課題として動いているに違いない。

東京電力に至っては、ハナミズ知事誕生で、これで刈羽原発再稼働が決まったものと大喜びしているという情報もネットは伝えている。昨日になって、福島第二原発き全てを廃炉にすると言いだしたのも気になるところ。

政権側から圧力、東電からは実弾を懐にした陳情・・・。恐らくまたまた、政権の意見を代弁するような御用学者の集まりである『有識者会議』なる組織が、ハナズミ知事に、再稼働すればこれだけの経済効果が・・・と答申することも間違いなさそうだ。

さて、ハナズミさんはどうするか。あくまで独立した立ち位置で判断し、問題点を正す姿勢を保てるだろうかと問われると、悲しい推測だが『否』。

近い将来、刈羽原発の再稼働を(お得意の)閣議決定という報道に、新潟県民の落胆は想像したくない。

が、この国の政治は、重大な原発事故を起こさないと、原発政策を変えないのでは、あまりに情けな過ぎる。(田舎親父)

2018年6月14日 (木)

新幹線も危なくなったもの・・・

 東海道新幹線は『世界一安全な乗り物』が売り物だったのではなかっただろうか。

3~5分おきに発着する物凄いダイヤで、しかもほとんどの列車が数秒の狂いもなく運行され、数年前までは事故らしい事故がなかったことから、この称号は相応しいと思っていた人も多いはず。私もその一人でだった。

ところが、記憶が曖昧になっているが、焼身自殺を計った男が車中でガソリンをかぶり死亡した事件が起きたのは数年前のこと。この事件では、たまたま同じ列車の違う車両に乗っていた女性が巻き添えになって死亡したことから、新幹線の安全神話が怪しくなったという記事は私の中にかなり重い比重で残っている。

このところ新幹線を利用することが少なくなったが、横浜の片田舎の我が家は、比較的新横浜駅が近く、そこまでへのアクセスも良いので度々お世話になったものである。

焼身自殺事件の報道を受けてとんでもない時代になったものだと思ったものの、これからはあまり乗る事もないだろうという気持ちもあって、しばらくすると心の底には記憶として残っていたのだろうがこの事件のことをすっかり忘れていた。

しかし、去年の暮れには車体の整備不良で危うく脱線顛覆事故の可能性という重大事故につながる欠陥が見つかったというニュ-スが流れ、マスコミが一斉にワイドショ-的に報道合戦を始めるに至って、焼死事件の記憶が蘇り、いよいよ新幹線も安全では無くなったようだと思いを改めて感じたものである。

そんな不安が現実に起きてしまった。先週の土曜日。夜10時過ぎの東京発大阪行きの『のぞみ』の車内で、男が突然ナイフ?をとりだし、隣の座席の女性に襲いかかったというから、にわかに信じられないことである。

最初に襲われた女性は新横浜から乗り込んだという。『のぞみ』の12号車というから指定席だろう。隣の席にはすでに男がじっと動かずに座っていたらしく、女性が席に窓側の席について間もなく、その男が突然ナイフで切りつけてきたという。

女性はキャ-と悲鳴を上げて逃げたというが、よくぞ逃げられものである。男は、今度は通路を挟んだ席に座っている女性にも切りつけたが、この女性も何とか逃げ出したらしい。

この騒ぎに気がついた少し前の席に座っていた男性が立ち上がって止めに入った瞬間に、不孝にも男のナイフが男性の致命的部分を直撃、たちまち動けなくなったという。その後男はは逆上して、ほとんど動けなくなっていた男性に馬のりになって何度も刺していたという。そんな場面は想像したくないが、回りの乗客はパニックになり我先に逃げ出したに違いない。

焼死事件後、新幹線の全ての車両には防犯カメラが取り付けられていることから、車掌はすぐに反応し、普段は停車しない小田原駅に緊急に停車する措置をとって、現場車両に駆けつけ男と対峙し、小田原駅から乗り込んだ警察官によって取り押さえられたという。

事件の詳細を私が述べるまでもないが、犯人の男は、生きているのがいやになって、とにかく人を殺したかったと供述しているというから、10年前の今頃の季節に起きた『アキバ事件』と動機が重なる。

アキバ事件の後、似たような事件が続いた記憶があることから、今回も同じようなことを考えられ、ひょっとして同じような凶行に出る男が現れないとは限らない。

このような事件を防ぐ方法として『防犯カメラ』はかなり有効だろうが、今回でも車掌が駆けつけた時にはすでに事件が起きていたのだから、事件の検証には欠かせないものだろうが、犯人に躊躇させる働きはあっても、完全に防げるとは言えない代物。根本的な解決方法は、新幹線に凶器を持ち込むことができなくするしかないようだ。

安全のために凶器を未然に発見することは必要且つ欠かせないことであることは十分承知しているが、飛行機に搭乗するのにあれほど厳重な検査が必要なのだろうかとは常々思っていること。

何故ならば飛行場の金属探知機は、時計やベルトのバックル、場合によっては靴の金具にまで反応するものだから、あらかじめ引っかからないためにかなりの神経を使うのだが、現在の技術なら、そこを通るだけで瞬時に金属(凶器)が発見できるのではないだろうかと思うのからである。

そんな探知機がないのなら至急開発するべきである。よほどの地方でなければ、駅の改札は自動化されていてスイカなどICカ-ドで通過するようになっているのだから、全くの素人考えであるが、そこに強力な金属感知器を組み入れれば、今回のように複数の刃物(ナイフなど)の凶器を持っていれば、瞬時に発見できるのでは・・・。

 新幹線は多くの国民にとって身近な乗り物だから日常的な安全対策の強化が必要だという意見は当然である。駅員や車掌の車両やホームの巡回頻度を高め、不審者や危険物の発見に力を入れることも正論だろう。警察官が新幹線車両に乗り込むべきだという意見にも、安全対策となると反対する根拠は薄くなる。

現在の予期中には『テロ』という言葉が氾濫しており、今回の事件も『テロ』の範疇にはいるのかも知れないが、『テロ』の原因というか背景には必ず『憎しみ』が存在している。

『テロ』をなくすためには『憎しみ』をなくすことしかないことは語り尽くされているが、世界が狭くなり、さまざまな民族・宗教が存在している以上、全ての『憎しみ』を消すことは不可能だろう。

 『テロ』を根絶することは不可能だろうが、日本人はもちろん、日本を訪れる外国の人たちがそこを通るだけで、さりげなく凶器が発見できる装置があれば、少なくとも未然に『テロ』を防止できる一助にはなるのではと、相変わらず甘い空想を描いている今朝の私・・・。(田舎親父)

2018年6月13日 (水)

これもトランプ従属・・・

 昨日のトランプ・キン会談は、まさに私の予測どおりの展開だった。合意文書に署名するとは想像できなかったが、その内容は『即非核化』どころか、トランプのノ-ベル賞ねらいそのもの。これでノ-ベル賞が与えられたら、それこそノ-ベル平和賞の価値は一挙に下がるのではないだろう。

 今朝のマスコミはトランプさんが拉致問題を提起してくれたと大騒ぎしていますが、トランプ陣営から『話したよ』という程度の情報があっただけで、『金よ、少し考えてやれ』なんて言うはずはない。真実は、話題に出した稼働かも疑わしいというところでは・・・。

何を勘違いしたのか、デンデンさんは『トランプ大統領に感謝する』とお礼を延べて『直接会談』などと言い出したが、やる気があるならとっくの昔にできたこと。尻に火がついたものだから、お得意のその場限りの逃げセリフ。超政治音痴の私でもわかることなのに、なぜかマスコミはゴマスリ報道を垂れ流して、国民にはあたかもすぐにでも会談ができるような幻想を持たせる?・・・。 

毒なのは拉致被害者家族である。マスコミが政府に圧力をかけるのなら拍手ものだが、やっていることは、横田さんなど家族にカメラを向けて、お礼めいたことを言わせているのはなんとも薄汚い。

キンさんが例え会ってくれたとしても、『拉致解決済み。ピョンヤン宣言を読んで見ろ』と言われるのが関の山ではないだろうか。さらに『戦争の賠償をするのが先』と、莫大なカネを請求されることは私でも想像がつく。その証拠に、トランプ親分は『カネは日本が払う』と言っているではないか。

ところで昨日・今日とマスコミの馬鹿騒ぎが情けない限り。ところで、先日、何気なるテレビニュ-スを観ていたら、アメリカの西武海岸に位置する都市の海岸で、人々が清掃活動をしている映像が現れる。アメリカでも、時に湘南海岸にでかけた時に目にする大勢の人たちで海岸清掃をしているのかと、微笑ましく思いしばらく観ていたが、清掃の対象が細かい『ストロ-』だとという字幕に、なんとも違和感を覚えた。

しかし、続いてアナウンサ-の『プラスチックストロ-をあまりにも安易に使い、捨てることによって、この海岸でもこんなにも見つかるのです・・・』という発言と、実際に拾った実物の映像に、確かに簡単に捨てられるだろうと違和感が吹っ飛ぶ。同時に、このことは日本でも放置できない問題になりそうだという気持ちが強まる。

さらに関連して、この都市では5月1日から、飲食店での『プラスチックストロ-』の仕様を禁止した条例が施行されたとのことから、スタ-バクスなどの大手のチエ-ン店では紙でできたストロ-や、店によってはパスタをそのままストロ-として利用しているということを伝えていた。このことに、最近のアメリカに対しては良い印象が持てない私でも、さすがアメリカと感心することしきり・・・。

アメリカ以上に環境問題に敏感なヨ-ロッパ諸国はどうなっているのだろうとネットで調べてみたら、予想通り、欧州連合(EU)はストローなど一部の使い捨てプラスチック製品の流通禁止に踏み切るという記事が間を入れずに飛び込んでくる。

現在、海洋ゴミの85%をプラッチックが占めているのだそうだが、なかでもプラスチックストロ-がかなりの比率になっていることを、自分がストロ-を使う習慣が全くないこともあって、今まで全く気がつかなかった。

確かに、コップや皿などに比べて、目立たず使用後利用することがないことから、誰もが無意識にポイ捨てするのだろうと納得する。

記事の詳細は省略するが、つい最近カナダで開かれたG7では、6月9日の拡大会合でこの問題を協議したそうだ。その場で、イギリスやEU諸国の首脳は『プラスチックコミの問題は世界全体の課題として対処する必要がある』と提案し、海洋の保護と持続可能な漁業の実現、沿岸部のコミュニティへの支援などを各国に促す『海洋プラスチック憲章』まとめたそうだが、その合意文書への署名をアメリカと日本だけは拒否したという。

テレビでゴミ清掃の映像を見せられた後なので、なぜアメリカが反対するのか理解できないが、環境問題には関心を示さずバリ条約も脱退したトランプ政権の方針なのだろう。そして、またまた、トランプのポチのウンコと揶揄されている我が国のデンデン政権は追随したのかと情けなくなる。

核拡散条約では、アメリカやロシア、中国などの核保有国や、インドやイスラエルなどのグレ-ソ-ン各国が署名を拒否したことは、ふざけるなと思いながら何となく分かるのだが、日本だけがアメリカの核の傘で守られているからという訳の分からない理由で拒否したということに唖然としたもの。

唯一の被爆国として率先して条約の批准に努力しなければならないのに、『アメリカに右へならえ』で反対とは納得できないと強い怒りを覚えたことが蘇る。

G7の報道記事によると、日本は『プラスチックごみを減らしていく趣旨には当然、賛成しているが、国内法が整備されておらず、社会にどの程度影響を与えるか現段階でわからないので署名ができなかった』という、今回もカネ勘定が先に立ち、本気でプラッスチックゴミを減らそうという意図が感じられない説明にはガッカリさせられる。

 世界で唯一原爆の被爆国が、これ以上の原爆が広がることを禁止した条約に反対したことも許し難いが、四方を海みに囲まれた海洋大国を自ら称し、海からの恵みで文化を培ってきた国が、こともあろうに、これ以上プラスチックゴミを増やさないという提案に反対では、わざわざ世界から孤立する道を選んだとしたとしか思えない。

 マスコミは、サンマを中国や台湾の大型船が大量に捕獲するために、年々漁獲高が落ちているという話題をかなりの頻度で取り上げている。(本当かどうか疑わしいが)このことを受けて日本政府は中国など関係国に改善を要求しているらしいが、海洋資源を守れというなら、まずお手本を示す必要があるはず。

 プラスチックゴミ問題は国内の法整備が進んでいないと放置し、福島原発事故では海を汚染したことも曖昧にして、首相が放射能は完全に管理しているとうそぶくのは世界の趨勢からして全く理に合わない話。

現政権は、海洋汚染など知ったことではないらしいが、それでいて、他国の漁業に対して、大型船で無秩序にバカスカ捕るのはケシカランと、(直接抗議するならともかく)マスコミを使って危機感を煽るのは筋か通らない。

先月末、タイ南部の海岸に打ち上げられ、5日後に衰弱死したクジラの腹の中から、袋や容器、ストロ-など8キロものプラスチックごみが見つかったという映像には世界中がショックを受けたもの。これに類するニュ-スは世界各地からら報じられており、世界の海はプラスチックゴミに満ち溢れ、生態系に対する影響は深刻な事態になっていることは私でも理解できること。

日本がプラスチック製品の大量消費国であることは統計的にもはっきりしている。なんでも中国・アメリカについで第3位らしいとなると、自分たちが目先の便利さから無秩序にプラスチック製品を使ってきたツケが目の前に迫っていることを緊急課題だと認識する必要がある。

手遅れにならないために、国をあげてすぐにでもプラスチックゴミ対策を実行しなけれ、『海洋国日本』という言葉も死語になるのでは・・・。(田舎親父)

2018年6月12日 (火)

新民泊法 何だかなあ・・・

 今日行われるシンガボ-ルでのアメリカと北朝鮮の大将同士の一騎討ちの結果を全世界が固唾を見守っているが、私に言わせれば、ここまできたのだから、トランプさんが『悪いようにしないからオレに任せろ』と突っ込み、金さんは『よろしくお願いします』という程度で、握手してお終いとなるような気がしてならない。

 後は、共同記者会見(あるかどうかは分からないが)トランプ『北朝鮮が少し時間がかかるかも知れないが、私が言っている完全非核化をすると約束した』。金『完全非核化は進めていくことを約束する。そのために少し時間をいただくことをトランプ大統領から許しを得た』程度ではないだろうか。

超政治音痴の私の当てずっぽうの予測なのでどうなるのかどうなるかわからないが、デンデン親分が今後、アメリカと北朝鮮に加えて朝鮮戦争気当事国の中国と韓国、さらにロシアを加えた枠組みから外されて、日本国はカネだけふんだくられることになるのは間違いないのでは・・・。 

 ところで今日のつぶやきだが、自分の家の一部屋を他人に一夜の宿として提供する。困った人に、無料でこれを実行すれば『最高に』という形容詞がつくほどの美談となるだろうが、困った人が安全な人かと言えば、新幹線でとなりに座った人であっても突如命をねらわれる恐れさえある現代の状況では、そんな奇特な人はまずいないのではないだろうか。

しかし、何でもビジネスといえば『是』の現代では、他人に部屋を無料で提供するのではなく、貸すことで某かの代金がいただけるとなると、これ立派なビジネスとなり、これを厳密に取り締まる法律もこれまでなかったということから、ヤミの『民泊』は全国に広がっているのだそうだ。

特に外国人観光客に格安の価格で部屋を提供し、同時に彼らとの交流できるメリットがあるという理由で、実行する人が次々に生まれ、今では外国人観光客向きの案内書にも『民泊(MINPAKU)』とい言葉があるというほど広がっているとのこと。

 この風潮を、規制緩和だ国の国家戦略特区だと、カネ儲けを推進する自民党政権が見逃すはずがない。外国人観光客を誘致することを国策として推進していることもあって、そのために、『特区制度』を口実に新しい法律を作って『民泊』を奨励しようと、今月の15日には新法が施行されるのだそうだ。

 しかし、この新しい法律が、真面目にビジネスとしてやっていこうという人たちには不評だという記事に目か留まる。

横浜の片田舎の貧乏老人には、『民泊』でカネ儲けなどという発想は無縁であるが、マスコミが伝えるところによると、新法では、旅行客の滞在中、同居する家主は原則一時間以上自宅を不在にできないというシバリがあるらしい。

『民泊』業だけで生活ができるとは思えないことから、これはかなり難しい条件ではないだろうか。私のような暇人ならば、毎日の野山の散策を我慢すれば何とかなりそうだが、例え、決まった時間働かない人であっても、1時間でも留守にできないというプレッシャ―は尋常ではないだろう。

さらに、民泊が当たり前のビジネスとして、これまでも回りの人たちに認知されているかというと、ほとんどの場合『否』で、むしろ治安が心配という人が圧倒的多数という背景から、内緒でアルバイト的な間隔で『民泊』をビジネスとしてきた人が多いと聞く。

新法の施行に、全国のほとんどの自治体においては、治安が悪くなるのではという住民感情を考慮して、国の新法にプラスして条例で、必ず事前に民泊を始める説明会の開催と、その際に近隣の全ての住宅には、『具体的な民泊計画と、決してご迷惑をかけない』という一文の入ったチラシを配布することを義務づけているとのこと。

となると、近隣の住民には直ちに、そして実に『〇〇さんは民泊を始める』ということがはっきりし、それでなくても治安が心配だという隣人たちとのトラブルの一因になることは避けられず、理解を得られるどころか反対運動も起きかねないと心配する声が起きているのだそうだ。

 そのため、新法に基づいて、自分の所有する住宅に有料で旅行客を泊める『民泊』の届け出が伸び悩んでいるという。特に観光客が押し寄せて、宿泊施設を見つけることが極めて難しいと言われている『京都』ですら、わずかに3件だけというから、全国での届け出はほとんどゼロではないだろうか。

 もともとが、この法律の根拠が、タテマエは違法な『ヤミ民泊』排除のため規制を強化であるが、ホンネは『公認して、税を徴収』がねらいだろうことは、経済音痴の私でも想像がつくことから、お上の思惑が外れたというところか・・・。

 正式に民泊を営業するには、館業法の許可や旅館並みの防火設備(スプタンクラ-など)を備える必要があるなどハードルが高いことから、これまでいわばヤミで営業していた人たちも廃業するという人が多いという。

なるほどもっともである。これでは、外国人誘致に加えて、税収の増加とという一石二鳥に加えて、地域の活性化などとなると一石で何鳥にもなるせっかく霞ケ関の官僚たちが考え出した妙案も台無しである。

自治体の規制を外し、誰でもが簡単に営業できるようにすれば問題はないか、それでは旅館やホテル業界が黙っていないだろう。

さて、どんな動きになるか、およそ私には関係ないことながら、第三者の意識での見物と洒落こもう・・・。(田舎親父)

2018年6月11日 (月)

正体みたり地検特捜部・・・

デンデン小学校を企てたモリトモ学園疑惑では、あれほどまで悪質な公文書改竄を続けた財務省の官僚たちを大阪地検特捜部は全員を不起訴としたことに、いよいよこの国はデンデン一家が検察・警察までをも完全に牛耳っていることを実感。あまりにも酷い話に激しい怒りと悔しさを感じたもの。

検察がこの一家に平伏した事実は以前もあった。その一つが、デンデン親分のお友達の一人であるアマリという経済担当の大臣がカネ問題で辞職したことに対しても、それでお終いにして刑事罰はなく、しばらくしたらシレッとした顔で、禊ぎ済んだと話している姿の醜悪さに身振まいしたものである。

さらに、もっと酷いのは、やはり親分の友達だった元TBSのアメリカ局長のヤマグチ某が女性ジャ-ナリストへの強姦事件では、裁判所が逮捕状を用意したにもかかわらず、帰国した際の羽田空港で逮捕寸前に警察上部からの『手出しするな』との命令を受けてそのまま通過させて、しかも不起訴にしたことも忘れてはならない事実。

その対角線にあるのが、疑惑の主役のカゴイケ前理事長が国会の証人喚問で、デンデン女房のかかわりをバラしたらすぐに逮捕、そのまま裁判も開かず、1年近く拘留という無茶苦茶な手法を平気で実行したこと。このことから、サガワはじめ官僚たちを不起訴にすることはある程度予測していたが、それにしても酷いもの。

ところが、サガワ不起訴が明らかになったすぐ後に、以前から品質のデ-タ改竄が明らかになっていた神戸製鋼を、東京地検特捜部と警視庁が、虚偽表示容疑で品川区の東京本社や製造所など関係先5カ所を家宅捜索したという報道に、官邸が裏で絡んでいないらしい案件には、これが検察のやり方だとばかり平然と強権で対応する姿に強い違和感を覚えてしまう。 

神戸製鋼の不正が明らかになったのは昨年後半だった。国内の多くの工場で生産したアルミと銅製品で検査データを改ざんして出荷していたことがバレ、しかもそのまま外国に輸出していたことから大騒ぎになったことは私でも記憶に新しい。
 神戸製鋼は、発覚直後に主に元検事の弁護士たちで構成される外部調査委員会を設置して原因を究明していたが、今年になって、改ざんされた製品が国内外数百社に出荷されたことと、その改竄には新旧の執行役員の多くが黙認するばかりか、改竄を指示をしていたことなどがはっきりしていることに加えて、この不正が遅くとも1970年代には行われていたことを明らかにしていたが、こんなに素早く検察が動くのは誰もが思わなかったのではないだろうか。

検察や警察のこれまでのやり方を観ていると、民間企業のデ-タ改竄は、神戸製鋼に限らず、ニッサンやスバルなどの自動車業界や建設業界では当たり前になっており、リニア新幹線の建設では、ゼネコンの悪質な談合など明らかになっているにもかかわらず、検察は厳しい方針を出さずに時間稼ぎをしていることからも明らかだろう。

民主主義の原則は、立法・行政・司法が完全に独立していることと教わり、なるほどと納得していたものだが、世間しらずの私でも、実際には独立などとはほど遠いことをイヤというほど教えられているが、ここまで検察が露骨に『官尊民卑』を平然と示すとは思わなかった。

検察や警察は、どうやらデンデン官邸の下請け機関に成り下がったようだと断言しても差し支えなさそうだが、こうなるとデンデン一家に睨まれたら最後である。法律が守ってくれるなどということは『世迷い言』ということになりそうだ。いやはや想像するだけで背筋が寒くなる。

となると、今カケ疑惑で正論をはいている愛媛県のナカムラ知事も、今の姿勢を続けていれば、早晩に何らかの罪をでっち上げられて、下手すると大阪地検特捜部か動きだす?・・・。

もっとも,すでに知事周辺には圧力がかかっていることだろうが、なんとも民主主義とはほど遠い国になってしまったものだ。これでは、北朝鮮の閉鎖社会を笑えるどころではない。(田舎親父)

2018年6月 8日 (金)

『筆洗』に喝采・・・

 最近のニュ-スを見聞きしていると、日本という国全体がか狂い出したと感じて仕方ないが、その根源が、この国を舵取りをしている指導者たちが、国民に対して『平気でウソをつく』ようになったからではないだろうかと考えるとストンとおちる。

 昨日つぶやいた、神戸市教委の筆頭指導主事が校長に『ウソをつけ』と命じたことなどはその典型だろう。

 マスコミ記事では『課長級の筆頭指導主事』という表現をしていたが、この男は教育委員会の指導室(あるいは指導課)という、学校現場から見たら『鬼より怖い組織』である指導室長(指導課長)であることに、迂闊なことに今頃になって気がついた。

 指導室長に『ウソをつけ』と言われたのでは、それでなくても、回りのイジメが原因で生徒を殺したとビクビクしている校長にとっては、まさに渡りに船・・・。これで指導室がもみ消してくれると喜んで応じたのではないだろうか。

 『ウソをつけ』と命じる指導室長は狂っているとしか表現できないが、『ハイわかりました』と変事した校長も明らかに狂っている。

 こう考えると、モリ・カケ疑惑の主要な登場人物も、同じ舞台装置の中で、『ウソをつけ』という役者と『ハイわかりました』とう役者の揃い踏みであることが見えてくる。そして、その背景には絶対権力者である演出者(舞台監督)の意図が働いていることがはっきりしてくる。

 登場人物を紹介すると、『何としてもオレと女房を守れよ』と言ったか臭わしたデンデン親分はさしずめ舞台監督か。

財務省はじめ文科省、国交省など全ての省の大臣たちは見て見ぬ振りを決め込んで、官僚たちのウソを正当化・・・。この国の首相はじめ内閣の閣僚と官僚たち全員が『平気でウソをつく症候群』に罹患していると表現しても差し支えなさそうだ。

 権力を持った人間が『平気でウソをつく症候群』にかかり、その人物が組織のトップになったら、当然のことだが組織そのものが『平気でウソをつく症候群』にかかってしまう。そしてこの『平気でウソをつく症候群』の恐ろしいのは、罹患してしまったら精神が破壊されて『ウソをつくことが正しい』ことだと思い込むことである。

 日大アメフト部の殺人タックル事件も同じ構図。こんな結論に達した後で、昨日の東京新聞の『筆洗』というコラムの文章に出会う。これは面白い、久々に大笑いしてしまった。すでに読んだ人も多いだろうとは思うが、私の備忘録としても記録に残したいので、そのまま引用させていただくことにする。

(引用はじめ)

『うそくらべ見立評判記』は江戸時代のうその番付である。当時は料理屋、名酒からうその類いまで相撲の番付表に見立てたランキング形式の評定が流行したそうだ▼うそ番付最高位、東の大関は「女はきらいだといふ若い衆」。西の大関は「早く死にたいといふ年寄り」だそうだ。説明はいらないか。おもしろいところでは「見せやうがおそいといふやぶ医者」「おばけがきたといふおふくろ」。だだっ子におばけが来るよとなだめすかすのは昔も今も同じか▼いずれのうそも加計、森友やらでひしめく「最新版」に比べれば罪はなく、かわいいものである。先日の朝刊に載った、この「大うそ」もまた横綱、大関クラスに入るだろう。神戸市の中学生が自殺した問題で自殺直後、級友から聞き取った内容のメモを、市教委の首席指導主事と学校長が相談の上、両親に対し存在しないと虚偽の説明をしていた▼自殺を最も深刻に受け止め、真相を解明すべき立場にある人間が真実を待つ両親にうそをつく。しらばくれる。くやしさでこちらの身もよじれる。その学校では、これからどうやって正直な人間たれと教えるつもりだろう▼メモがあると言えば「処理が煩雑になる」と考えたという。面倒だからと両親をだまし、亡くなった後まで中学生を傷つけた▼うそ番付のみならず、「不人情」「大馬鹿者」の番付でも最上位に入る。

(引用終わり)

 横浜の片田舎で静かに仙人生活を楽しんでいる私には、あらゆる人と組織に対して利害関係がないので、『平気でウソをつく症候群』にかかるような原因がない。しみじみと、こんな症候群と無縁であることが嬉しいと本気で思う今朝・・・。(田舎親父)

 

2018年6月 7日 (木)

教育界もデンデン化・・・

子どもの自殺が流行病のように広がっている。そして、何よりも悲しいのが、自殺の原因だとされるのが、いわゆる『イジメ』と言われる回りからの嫌がらせということ。

私は、『イジメ』と称する行為は人間が複数存在すれば必ず起きる現象だと思っていることは常々語っていること。これは子どもの世界だけではなく、大人の社会でも必ず存在する現象で、最近、盛んに取り上げられているセクハラ・パワハラなどハラスメントという言葉で表現される嫌がらせと同じ性質のものだろう。

このことに対抗するには、真正面から戦うか、それとも我慢するしか方法がないというのが通説だったが、ハラスメントは『悪』だということを世間が認めるようになり、このところ、法律で禁止するという動きが徐々に広がりつつあることは、このような理不尽な対応を受ける立場の人たちにとっては喜ばしいことである。

ところが、教育界という閉じられた世界にあっては、法律で縛ることは人格形勢には似つかわしくないという意識があるらしく、教師のセクハラや校長のパワハラは犯罪だという認識がやっと生まれつつあるが、子どもたちを縛る『校則』や子ども同士の諍いというか、いわゆる『イジメ』についてはなかなか議論が前に進まない傾向があるようだ。

書き出しが長くなったが、一昨年神戸市の中学3年生の女生徒か、友達からのイジメを示唆するようなメモを残して自殺した事件で神戸市教委の(今や必ずといって良いほど立ち上げられるようになった)『第三者委員会』は、イジメはあったことを認めたという。しかし、自殺原因は『特定できない』という報告書をまとめたが、その際、回りの子どもたちなどから聞き取ったメモは『破棄された』としていたという。

なんだか、財務省官僚の一連の公文書破棄や捏造と同じような話である。不信感を抱いた保護者は、今年4月に再調査を要望を市長に提出したところ、市長が再調査を指示したらしく、その結果、何と破棄していたはずの『メモ』が見つかったというから、呆れて開いた口がふさがらない。

このことを報じた記事によると、市教委の筆頭指導主事が『情報開示など事務作業が増える』として、当時の校長に『メモはない』と答えるよう指示した文章が見つかったというから、なんとも情けなく悲しい話。

筆頭指導主事という立場は、学校現場に対しては絶対的な地位である。メモを破棄したことに加えて、遺族の求めに応じて裁判所が関係書類を証拠として、保全する手続きのために学校を訪れ裁判官に対しても、校長に対し『腹をくくれ』とメモを隠すよう指示していたという。校長としては、何らかの疑念があったとしても従わざるをえなかったのではないだろうか。

この校長は退職したのか異動したのかは報じられていないが、今年4月に新しく赴任した校長がこのメモが金庫に保管されていたことを発見して、市教委に報告したことから、市教委はこれ以上隠しきれないと判断したらしく、メモの存在を認めたという。

そのメモは当時在職していた複数の教員も保管していたそうだから、早晩には見つかったことは間違いなさそうだ。

なんとも気分が悪くなる話である。教師たちはいつの世にも教育目標に『明るく元気で素直子ども』を掲げ、『ウソをつかない』ことが、何よりも大切なこととして教えてきたこと。道徳の授業でもこのことを真っ先に取り上げてきたことではないだろうか。

それが子どもの手本となるべき教師の元締めである教育委員会の指導室という権力者と現場の親分である校長が、平然とウソをつき通しているのだから、社会がウソに対して無感覚になっているのは当然といえばこんな当然なことはない。

この筆頭指導主事と校長は万死に値すると言って過言であるまい。いやいやそんな生易しい表現ではすまず、時代小説の言葉を借りれば、明らかな犯罪者である両名には『市中引き回しの上火あぶり獄門・・・』が相応しいが、このような人物をその地位に任命した教育委員会及び市の責任者にも同様の処分を課すべきだろう。

まさに、疑惑がますます膨らんでいるモリカケ事件と同じ構想である。どちらの罪が重いかは比べるべきではないかも知れないが、私的には、国民全体にウソをつき続けているデンデン一家に軍配を上げたいものであるが・・・。(田舎親父)


2018年6月 6日 (水)

バラマキ政策を続ける愚?・・・

モリ・カケ疑惑がますます深まる中、現政権は、幼児教育・保育の無償化というバラマキ政策を発表したが、とにかく人気取りで支持率アップが先決で、デンデン親分の三選のためにはなりふり構わずとしか言いようがない。

それでも、与党(自民党・ヌエ党)内では、こんないい加減な政権に対しても、まともに批判すらする人もないとなると、自浄能力はとっくの昔に捨ててしまったらしい。

困った話であるが、『幼児教育・保育は、0~2歳児は住民税非課税世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化する』という文面だけを読んで、この法案を支持している国民も多いのだから、なにおか言わんや・・・という心境になってしまう。

この後に続く『3~5歳児は、保護者の所得に関係なく認可保育所や幼稚園、認定こども園の利用者は無償化する』という一文を読んだ人は、認可保育園に入らなければ損だという気持ちになり、入園競争が激化するのは、子育てには縁のない私でも分かる話。

現政権内では、無認可保育園については当初『親が勝手に通わせているのだから、無償化する必要はない』という姿勢だったらしいが、さすがに御用学者の集まりの有識者会議でも疑問がでたらしく、不認可保育園でも、3~5歳児で認可施設の全国平均額である月3万7千円を上限とした所得制限を設けて実施するという案になったらしい。

無認可保育園に通わせるのは親の勝手とはどの口でいうのだろう。これも人気取りのためだけにムリムリ作った『女性が輝く社会』というキャッチコピ-の仕業だろう。無条件で外に出て働かねばならないという脅迫概念を植え付けたことをまず指摘したい。

このため、多くの女性が、例え低賃金であっても外で働くことが『是』という世論が広げられ、『子育ては保育園が行うもの』という概念が出来上がったような気がしてならないのだが、そのことは別の機会につぶやくことにして話を進めてみよう。

『子どもは国の宝である』という考え方はその通りである。だから『社会全体で育てることが必要』ということも、自分で育てるという自由が保障されているという前提なら否定しないが、何が何でも外で働かねばならないという脅迫概念を作っていることから、全面的に『是』とは言い難い。

その是非はともかく、子育て世代の家庭であっては、女性が外に出て働くには、夫が専業主夫となる以外は別にして、我が子を誰かにどこかに預けなければならならず、世の女性たらは夫と共に保育園探しに躍起になっていることは私が今更語るまでもない。

そしてできれば、自宅に近く且つ自治体が認可している保育園に預けたいと思ううのは当然といえばこんな当然なことはない。しかし現実は、そんな条件に見合う保育を探すのは難しく、さらに見つけたとしてもと入れる可能性は極めて低いのが現実だろう。

次善の策は、自宅近くでなければ、最寄りの駅近く。それでも無理だった人は、勤務先まで我が子を抱えて満員電車で、回りの人に気兼ねしながら通勤している姿は現役時代には時に目にしたことがある。きっと現在では、さらに増えているのではないかと想像している。

それでも預ける保育園が見つからないという声は横浜の片田舎で仙人的生活を送っている貧乏老人の私の耳にも入ること。多くの女性たちは、仕方なく無認可の保育園・施設に預けているのだが、こともあろうに、それを勝手だから少しイロをつけてやろうとはなんという言いぐさなのだと怒りがこみ上る。

無認可保育園・施設は利用料が決まっていない場合が多く、より条件の良いとなると、自分の給料が飛んでしまうということも、マスコミはこぞって取り上げている。

 マスコミ情報によれば、認可保育園への入所は、就労状況などを勘案して決められるらしく、一般的に長く働く正社員が利用を認められがちなのだそうだ。その結果、低賃金の非正規社員が無認可保育園・施設に子どもを預けざるを得ず、高い利用料負担を強いられている面もあるというから、二重三重の格差つくりといっても差し支えない。

 なにより、無認可保育所にも入れない『待機児童』の数が昨年10月時点で約5万5千人いることを為政者は分かっているのだろうか。女性が社会に出て働くことが『女性が輝く』というならば、まず誰でもが安心して預けられる保育園を作り、そこで質の高い保育を行うことである。

 質の高い保育をするためには、保育士の質はもとより数の確保が重要である。このためには、保育士の給料を上げることに尽きるのだが、一時は話題になったものの、大幅に改善されたというニュ-スにはお目にかかれない。そして、この話題は最近トント聞かれなくなっているのも悲しい話。

 人気取りだけからの今回の制度設計は、政治音痴の私でもこれだけの欠点を指摘できる。こんなことをやっていては、この国では、子どもを産み育てたいという女性とその伴侶の数は減り続けることは間違いない。

 とにかくカネをバラまけば、支持率が上がるという発想のデンデン一家ではもう何もかもがデタラメそのもの。一刻も早く退場させなければ、国が奇怪しくなるのは誰の目にも明らか。

出生率を高めなければ、少子化に歯止めがかからないことを真剣に考えられるリ-ダ-の出現を切に祈る今朝・・・。(田舎親父)

2018年6月 5日 (火)

わざわざ虹色のステッカ-?・・・

 最近、『性的少数者(LGBT)』という言葉が新聞やテレビデなどで頻繁に使われるようになっている。『同姓同士の結婚』も、さほど珍しい話題で無くなっているが、何とも不思議な社会になってきたものだと思うのは、私が時代遅れなのだろうか・・・。

 同性愛という言葉は昔からあり、侍社会を描く小説などでは、殿様と小姓などの間で『衆道』と称される男性同士の性愛の場面がよく登場することから、昔から、言葉は違ってもLGBTは珍しい現象ではなかったようだ。

 それはさておき、LGBTが社会的に認可されるようになると、当然のごとく自治体が後押しするのもわが国の特徴なのだろうが、無闇にサ-ビスを提供しなけれという意識が強くなると、かえって差別を助長することになるという話題もチラホラ聞こえてくる。

 先日、大阪市が男女どちらでも使える『多目的トイレ』に、LGBTを象徴する虹色のステッカ-を貼ったそうだが、当事者から批判を受けて取りやめたという記事などは、まさにその典型だろう。

大阪市としたら、LGBTの人たちが気兼ねなく使えることをねらって、虹色のステッカ-を貼ったのだろうが、そこを利用すると、あたかもLGBTだということを自ら示しているように思われることから、苦情が殺到したのだそうだ。

虹色のステッカ-がLGBTを象徴するマ-クであることをはじめて知る。横浜市の行政が、大阪市のようにこの虹色ステッカ-を『多目的トイレ』に貼るとは思わないが、もしもそんな場面に出くわしたらどうするだろう・・・。

毎日のようにボケ防止のために、他人から見たら愚にもつかないことをつぶやくと同時に、この世にお別れする前の日まで、自分の足で歩きたいと思い、こちらも毎日のように野山をさまよい季節を楽しんでいるのだが、その過程でトイレを探すのも日常茶飯事。

めったにないが、急にお腹の具合が悪くなってトイレに駆け込みたくなることもあるのだが、ほとんどのように毎日歩いている『四季の森公園』などでそんな事態になると、車椅子の人が利用するための洋式の『多目的トイレ』の扉を開くようにしている。

膝の負担のことはもちろんだが、便器を汚しては申し訳ないという思いからであるが、もしもそこに虹色のステッカ-が張ってあったらとしたら、よほどお腹が緊迫している場合をのぞいては敬遠するだろうと、この記事の内容に納得する。

LGBTのことが社会的に認可される世になってきたとはいえ、自分がLGBTだと言い出すには抵抗があるだろうことは、この問題にあまり興味がない私でも容易に想像できること。その人たちが、例え『優先的』に利用できるトイレであっても、人目を気にせず利用できるかと虹色ステッカ-に誘われるというと、その答えは『否』であるに違いない。

というよりも、『車椅子』という表示『誰でもトイレ』のあればそれだけで十分ではないだろうか。一応は気を使いながらでも私でもでも利用できるのであるが、わざわざそこに虹色ステッカ-を張ってしまったら、『あの人LGBTかも?・・・』と思わせることになるのは容易に想像できること。

大阪市では、批判の高まりを受けて3月にステッカー表示を取りやめることを決めたそうだが、市長は『当事者の声を聞くことがまず大事だ』と、今後もLGBT政策に意欲的に取り組むと前向きならしいかが、次にはどんな手を出してくるのだろう。

前向きに取り組むことは悪いことではないが、四季の森公園の『多目的トイレ(誰でもトイレ)』に貼ってある男女両性のシンボルマ-クだけで十分なように思えるが・・・。

記事には、京都市のホテルの例を紹介している。この大手ホテルは、多目的トイレに男女の姿を半分ずつ合わせたマークを使用しているのだそうだ。

『半分ずつ合わせたマ-ク』とはどんなマ-クなのか想像するのもアホらしいと思うのだが、京都はこだわりがあるのだろう。私が見慣れている両性のマ-トを貼っておいた方が良さそうな気がするが、担当者は『アメリカの小学校でも普及している・・・』しばらくこのマ-クを使い続けるらしい。

元々、『支援』とは『個別の困難に対して手を差し伸べる』ことなのだから、LGBTの 人たちが、気兼ねなく入れるトイレがあれば良いだけの話。そのためには、現在の『多目的トイレ(誰でもトイレ)』を増やせばすむでは。

わざわざ『虹色のステッカ-』を張ることはないと思うのだが、行政にかかわる人たちは、『予算をつけて何かやらねば』と思うことが、習性となっているのかも知れないのかも知れないと思う今朝・・・。(田舎親父)

2018年6月 4日 (月)

何となく気になる動き・・・

 このところ、世の中が完全に狂ったのが、モリ・カケに代表される首相や閣僚という立場を利用した犯罪が横行、それを繕うために財務省はじめ諸官庁の役人たちのウソの連発も聞き飽きてきた。

さらに、首相が平気でウソをついているのだから、オレもオレもと、ウソをつくことが当たり前の社会になってきたことに、なんだか全てか虚しく感じることばかり。。

ならばこんなつぶやきなど辞めたらという声も聞こえてきそうだが、元々が自分の勝手で始めた『ボケ防止』の手段なので、世の中に動きに悲観して辞めたら、それこそボケが進むのではと思いなおして、今日もまたあまり意味きないつぶやきを続けることに・・・。

外国の事情には全くと言って良いほど疎い私だが、先月の末にマスコミが報じていた、

欧州連合(EU)が発表した『個人情報保護』に関する法規制の強化は、何となくだが、今後わが国にかなり影響するような気がしてならない。

 個人情報については欧米諸国が厳しいらしいことは、私でも知っていることであるが、今回の改定によってさらに一番と厳しくなったらしく、個人情報に関するさまざまな権利を、情報の本来の持ち主である個人に戻すことがねらいだという。

私は、住所や電話番号などは『個人情報』として大したことではないと思っているのだが、EUの情報を担当する部署は、こんな些細な情報でも重要で、これまでは企業が無料の検索サービスなどを通じて集めた個人情報を、好き放題に利用していたことを問題にして、今後は勝手に利用すると莫大な罰金を支払わねばならなくなる法を整備したのだそうだ。

その原因になった出来事が、この春のフェイスブック(FB)の情報流出だという。私にはその仕組みは到底理解できないが、企業などによって利用者が選択した『いいね』が分析され、戦略的にターゲットをしぼった広告などに利用されていたというから驚きである。そこで、今後はそのような行為は一切は認めず摘発するとのこと。

 今後は、個人情報を得る企業はFBなどの検索サ-ビス機関に対して、何に利用するのか、わかりやすい言葉で説明し、同意を得ることが求められ、情報の漏えいや不正利用があれば、当局に72時間以内に通報することが義務づけたという。また、過去に提供された情報の消去を求められた管理者は、バックアップ分も含め、短期間に完全な削除を完了させる必要があると報じている。

違反と認定されたら、最大で2000万ユーロ(約26億円)か、その企業が、世界で年間に売り上げる額の4%のいずれか高い方が課されるというから、個人情報の扱いには細心の注意を払わねば、トンデモ事態になることは想像に難くない。

恐ろしいことに、この法規制は、欧米各国だけではなく、EU圏内に事業所などを持たない企業にも及ぶというから、当然ながら日本の全ての企業も対象になることは間違いない。

日本人の多くは、私も含めて欧米人に比べて、個人情報についてさほどの重要性を感じていないのではないだろうか。振り込め詐欺が広がっていることもあって、私もここ数年来、電話の対応には慎重になっているものの、今でも電話番号に特別な規制をかけようとは思っていないし、ごく当たり前に特段の警戒心もない。

個人情報の厳格化によって、学校では緊急連絡網すら簡単に作れないと苦労していると聞こえてくる。せめてクラス内の電話連絡網ぐらいは常備おかないと、緊急事態が起きた場合困るのではと思うのだが、電話番号は重要な個人情報だから知らせたくないという保護者が増えているのだそうだ。

時代の趨勢と行ってしまえそれまでだが、今回のEUの規制によって、さらに厳しくなることは明らかだろうが、日本人や企業経営者には、私同様、『電話番号程度はさほど重要な個人情報ではないだろう・・・』と思っている人も多いのではないだろうか。

 これも私が心配してもどうなるものではないが、記事の解説を読むと、日本企業が発する情報を、インタ-ネットを通してロッパに在住の人が受け取り、ビジネスとして利用しても、今回の規制の対象とな流というから、これは凄いことになりそうな気がする。

 現在のグローバル社会においては、先に言い出した者勝ちの傾向があり、今回のような『規制』が、事実上世界の標準となる場合が多いというから、『電話番号は個人情報なのですか?』と呑気なことを言っている私などは時代遅れそのもの。

なんでも利用して国民の口を封じたい現政権が、今回のEUの規制を利用することもあり得ない話ではない。下手すると、ネットから入手した、個人情報(私には区別がつかないが)を使って、ネットに発信することも犯罪に値することになる?・・・。

恐ろしい時代になったものである。こんなことで犯罪者にされてしまったら、何事に対しても『見ざる・聞かざる・言わざる』という態度を頑に守ることしか、自分の身を守れなくなってしまう。

かなりピント外れのつぶやきになってしまったが、こんな社会はゴメン蒙りたいものである。(田舎親父)

2018年6月 1日 (金)

類似したことがゴマンと起きるだろうな・・・

 小学校の道徳の教科書に、無償で働くことを推奨しているような文章があった話題になっているとの記事に目が留まる。

 光文書院が発行する小学校2年生向け教科書『どうとく ゆたかなこころ』に、この文章が乗っているらしいが、小学生の母親が、ツイッタ-に『うわあ!娘の道徳の教科書が?ポン太くんたち・・・お給料のない会社で働いてはならないよ!』と投稿したことがきっかけだという。

 小学2年生向けの文書だから、露骨に働くことが『美』だということではなく、学級でのそれぞれの役割を自覚させるための教材なのだろうが、この母親が指摘するように、扱い方に、滅私奉公的な意味合いになる危険性もあり得るだろう。

 道徳を教科にしたことによって『評価』がついて回ることになるが、恐らく、教科書会社は、検定で合格するための趣意書の中で、『このような観点』とか『子どもたちが得てほしい考え方』というものを記載しているだろうから、学校現場の教員はその観点での評価になる恐れ場十分にあり得る話。

ということは、望ましい考え方や意見という言葉で、道徳という言葉が持つ価値観を一つに絞らざるを得ないような文章が増えることもありそうだ。

教師が、よほどしっかりとした考え方を持っていない限り、知らず知らずに、一つの価値観が全体を占めることは十分可能性があり、『?』を感じるのは今回の母親の意見は、現場では無視される恐れがは十分にあり得る。

指導要領には、職業観の第一歩として『働くことの良さを感じて皆のために働く』と自覚できることという一文があるのだそうだが、何とも権力を持った側の論理で書かれている。

このことを受けて、この教科書には、『わたしたちもしごとをしたい』という単元が設定されているのだろうが、隣の町で地震が起きて大人が出払ってしまったため、タヌキを擬人化したキャラクター・ポンタくんと仲間たちが進んで仕事を引き受けるという筋書きになっているという。

『隣の町が地震・・・』という設定が少し無理がありそうだが、そのまま引用しておこう。

―――「隣の町が地震で大変です。たくさんの大人の人たちが、助けに出かけました。町に残った人も働く人が少なくなって大変です。ポンタくんたちは自分たちにできる仕事はないか、相談しました。町長さんから『自分たちから進んで働き始めたのは偉かったです。』と、たくさんのご褒美をいただきました」(※編集部で一部ひらがなを漢字に変換 以下同)/こうした物語の後に、「ポンタくんたちは、『ご褒美をいただかなくても、仕事を続けたい。』と言いました」と続く。そして教科書では「ご褒美がなくても仕事を続けたいのはどうしてかな」と問いかけている。/光文書院の「編修趣意書」によると、この項目は「将来の社会的自立や職業観の第一歩として、『はたらくことのよさを感じてみんなのためにはたらく』ことがしっかりと自覚できるような教材」として用意されたという。―――(引用終わり)

 この教科書を見た母親が、ツイッタ-に書き込んだところ、『なるほど、今は社畜教育を道徳の授業でするのか』とか『子どもの頃から学校で、やりがい搾取を吹き込まれるなんて』といった反応が相次いでいるという。

 考えすぎだという意見も多いらしいが、繰り返しになるが、『隣の町が地震』になったから、緊急時の助け合いを説いた内容という筋書きには無理があり、きっと現代っ子たちは『自分たちの町も同じように地震に合っているのだから、自分たちの町のことを手伝うのが先だよ・・・』と言い出すに違いない。

それはともかくとして、この教科書に沿って教えるとなると、教師はよほどしっかりとした価値観を持たないと、ボランティアという言葉を使って、『人のために進んで働くことの素晴らしさ(無償の献身の美化)』を強調する授業になる可能性は高いだろう。

私は道徳の教科書を読んだことがないが、教科書会社は、指導要領に沿って検定に合格するために、文科省に忖度する文面がゴマンとあるに違いないことは、教科書検定にかかわった経験から間違いないところ。

その意味で、この文面に反応した母親の感性を評価すると同時に、世の親たちには、道徳の教科書の内容をチエックして、授業でこのことを教えられた我が子の変化に気をつけてほしいと願うのだが・・・。(田舎親父)

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