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2018年6月26日 (火)

ボランティアという名の勤労奉仕?・・・

 『ボランティア』という言葉を日本語では何と現したら一番わかりやすいだろか。

『勤労奉仕』と言うと、戦中や戦後のドタバタ時代に本来は国や自治体の仕事なのに、それを国民に肩代わりさせ、義務的・強制的に駆り出されて働かされるようなイメ-ジがあることから、ちょっと場違いな感じを受ける。

ならば、自ら進んで行うことから、『自主的な勤労奉仕』と表現すると、無理に付け足しか感じは否めない。

普通に使われる『ボランティア』という言葉の裏には、『無償』とか『代書を求めない』という条件がついていることから、あえて言うなら『困っている人のために、無償で手助けすること』とでも訳するのが適切なのかも知れないが、長過ぎることから、やはり『ボランティア』というカタカナ言葉で表現するしかなさそうだ。

外国ではごく普通に行う行為だそうだが、日本人は、人のために自ら進んで・・・ということに抵抗がある人が多いということは私もよく耳にする。しかし、助け合わねば生きていけない昔の貧しい、特に農民たちのような被搾取階級の人々にとっては、ごく当たり前の行動だったのではないだろうか。しかし、このような助け合いの行動は、身分格差が現れる頃から変質したようだ。

身分格差は、弥生時代と呼ばれる頃よりはるかに古い時代から存在していたと思われるが、人々の間に身分格差が生まれると、権力者は、人間として当たり前に所持している『助け合いの心』を巧みに利用し、村における『五人組』や、町民の職種の『講』などという組織を固定することによって、互いに助け合わなければならないような仕組みを作ったと思われる。

権力に反抗する精神を徹底的に摘み取り、権力者の意図に沿った精神を作り上げて、協力しないと『村八分』にしてしまうということが慣例化し、戦後まで続いていたことを忘れてはならない。

『助け合いの心』は、現在も存在していると信じている。災害が発生すると、多くの人たちが駆けつけて、汗と泥にまみれながら働いている姿に、感動することしきりだが、その感動は、日本人、いや全ての人間と表現した方が相応しい生まれながら秘めている『助け合いの心』が、行動に駆り立てるに違いない。

そのことに疑義はないが、『オリンピックのためには、助け合うのが当たり前』という考え方が当たり前のように広がっていることに、『オリンピックより前に、やることがあるだろう』と、冷やかに眺めている私には、この風潮に『勤労奉仕は当たり前』という時代の再来ではと恐ろしさをおぼえる昨今である。

誰が言い出したのか知らないが、今回の東京オリンピックのボランティア募集に対して『やりがい搾取』と表現しているらしいが、なるほどもっとも。

前回の1964年の東京オリンピックが、日本の発展につながったことはだれも否定できない事実だろう。しかし、『オリンピックがなければ発展がなかったか?』と問われると、『100%その通り』だと思うことに躊躇する人も多いのでないだろうか。

そんな声を無視して、夢よもう一度ではないが、できればオリンピンクを誘致して、平和をアピ-ルしたい広島や長崎などの都市があったにもかかわらず、『東京しかない』と強引に札束ホッペタ作戦で誘致をはじめ、何とか成功したことは今更述べるまでもない。

誘致が決まると、都は国と協力してマスコミに命じて、『オリンピックは日本という国にとっての大行事。国民として最大限の喜びを現し、自分ができることには協力することは当たり前』というキャンペ-ンを広げて、たちまちのうちに、オリンピックのために行うことは全て『是』という思想とも表現して良い考え方を作り上げ、それでも足りないとばかり、『是』を『パラリンピック』に広げて、今やその思想が当たり前になっている気配を感じている。

その気配つくりに成功すると、運営に携わる『組織委員会』は、本来は自分たちの仕事であるはずの、莫大な予算が必要な人的な業務を『ホランティア』という名で、実質的に丸投げして最低限の予算で賄おうという作戦は、歴史が証明しているように、権力を握った連中の常套手段と変に納得しているが・・・。

組織委員会というオリンピックでの権力者は、東京オリンピック・パラリンピックを成功させるためには、8万人のポランティアが必要だと発表しているという。

その8万人は誰でも良いという訳ではなく、『競技に関する基本的な知識がある』『スポーツボランティアをはじめとするボランティア経験がある』『英語、その他言語および手話のスキルを持っている』などの人だと規定しているのだそうだから、典型的な上から目線。

しかも、必要とされる語学や競技知識の習得は、自分のスキルアップなるのだから、当然自己負担で努力するとし、活動期間も大会期間中とその前後で『連続での活動は、5日以内を基本ながら、それぞれ10日以上』働くのは当然だとの態度だそうだ。

ロンドン大会では10万人のボランティアが活躍し、リオデジャネイロ大会でも同じ程度の人々かボランティアが活躍したから成功したから我等も負けられないという着せ血を煽り、連日30℃を軽く越す酷暑の東京で8時間拘束を10日間以上『ただ働き』させるのだから、下手なブラック企業よりはるかに格上である。

オリンピックには無関心な私にはおよそ関係ないことだが、それでも『、オレもワタシも・・・』と応募が殺到となると、日本人の心の底には『搾取されることが快感』というDNAが宿っているとしか思えないのだが・・・。(田舎親父)

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