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2019年2月

2019年2月28日 (木)

今になって10連休の救済措置?・・・

 4月27日から5月6日まで、日本と言う国のお役所や銀行などが完全にお休みになるとのことに、なんともバカバカしい限りと嘆いたことは去年の暮れだっただろうか?・・・。

 そんなことを思いながら改めて、部屋に掛けてあるANAのカレンダ-をめくってみると、4月27日(土曜日)は黒字、28日(日曜日)と29日(昭和の日)は赤字になっている。そして4月30日、5月1日、2日は黒字なので普通の日、3日(憲法記念日)、4日(国民の祝日)5日(子どもの日)、6日(振り替え休日)と赤字で示されていることから、全く普通の年と変わらない表記。

 ということは、全日空という大手航空会社でも、今年のカレンダ-の製作が間に合わなかったほどデンデン政権は、去年の暮れのどさくさにまぎれて10連休を決めてしまったことになる。

 そして何気なく、この時季に10日も連続して休めるのはどんな人たちなのだろうと考えてみた。すぐに出てくる答えは、役人・銀行員・大企業の正社員、さらに幼稚園や学校の教師を含めた関係者と、そこに通っている児童生徒などなど・・・。

反対に休めない人となると、まず、休日は書き入れ時であるデバ-トやス-パ-などに勤めている人たちが頭に浮かぶ。バスや電車など公共交通機関の関係者も休めるはずがない。中小企業も10日も連続して休めば、トンデモ事態になる会社も多いと思われる。

さらに、警察や消防、緊急の医療機関に勤めている人たちも例外ではない。もっとも、この人たちは連休後に調整があるだろうから休めない人の範疇に入れる必要はなさそうだが・・・。

となると、カレンダ-通り誰に気兼ねなくお休みを楽しめる人たちは、いわば経済的に安定している階層の人たちだといっても差し支えなさそうだ。なるほど、海外旅行に出かける人たちが空前の規模になるという報道も理解できる。海外旅行は無理でも国内の観光旅行も大人気になることも想像に難くなく、観光業界はもちろん全国の観光地は手ぐすねを引いているはず。

それぞれの思惑で連休を迎える準備が進んでいるのだろうが、休めない人たちの子どもたちはどうして過ごすのだろうと心配になる。特に普段は保育園や学童保育に通っている乳幼児や小学校低学年児童たちへの対処は深刻な問題である。

このままでは大変な事態になりかねないと気になっていたが、どこからも何とかする方法は示されない。なんとも無責任な話だと情けなくなっていたが、ここにきてやっとデンデン政権が重い腰挙げざるを得なくなったらしく、先日、10連休に伴う国民生活に影響が出る事態を避けるための対処方針をまとめたという文面が流れた。

その中の一つとして、通常の休日よりも保育施設への一時預かりのニーズが増えると想定し、10連休に限って国が補助を加算する制度を創設するのだそうだ。こんなアホな日程を作ったのだから、政府が責任持つのは当然だろう。保育に補助金を出すのには反対はしないが、肝心の保育士確保の具体的な方法を示していない。

仕組みが分かっていないのか、それともカネさえ出せば保育士がどこからか集まってくると思っているのかわからないが、そもそも保育士試験に合格しなければ保育士になれないような制度はともかく、その制度設計の拙さから保育士の慢性的な不足の根本原因が保育士の待遇であることに気がついていないのでと思ってしまう。

この制度設計の拙さは、高齢者の介護に当たる介護士も同じであるが、こちらは、これもムチャクチャな方法であるが、外国人を当てにすれば何とかなると考えているふしがある。しかし、保育士となると根本的に言葉の問題があって外国人を俄雇することは不可能だろう。

保育園に補助金を出すから、何とかしろと自治体に通達するのだろうが、責任を押しつけられた自治体は、今頃どうやって保育士を集めるのか担当部署は頭を抱えているに違いない。

さて、各自治体はこの難問にどう対処するのだろう。自治体から無理難題を押しつけられた民間の保育園では、結婚や出産など個人の事情で退職した元保育士たちを、連休中だけという条件で特別手当を出して呼び集めるという方法があるかもしれないが、小学校の低学年の児童を安心安全にあずかる学童保育には、国は関与しないとなるとこちらのほうがさらに大心配。

一日二日なら、近所や友人、あるいは親に頼ることものできそうだが10日間もとなると誰が考えても無理ではないだろうか。では、どうなるのか・・・。連休中の悲しい事件や事故がないことを願うしかない。

その他、銀行や郵便局がお休みでも、コンビニにもATMがあるので大丈夫だとしているらしいが、ATMの現金が不足して、引き出せないなどという笑えない笑い話が起きる可能性はゼロではないだろう。

政府の通達の中でさらに笑ってしまったのは、競馬や競輪などの公営ギャンブル、パチンコに未成年者が関わらないよう年齢確認を徹底するというくだり。

このところ世間の仕組みには全く関心がなくなっている私には、20歳以上か以下かをどのようにして見分けるのだろうという疑問に、すぐに思い浮かぶのはコンビニでも年齢査証のあり方。

どんなに贔屓目に見ても、70歳を越える貧乏老人にしか見えない私に対して、時に酒類をレジで代金を支払う段になるとほとんど例外なく、20歳以上ならボタンを押してくださいと言われる。

最初のうちはアホカと食ってかかったこともあるが、アルバイト店員はマニュアル通りにしているのだから、文句をつけても意味がないと悟り、最近ではコンビニで酒類を購入することは極力控えているが、こんなことが10連休中は、全国のパチンコ店の入り口でも見られる?・・・。

あまりにもバカバカしいので想像するのもやめてしまうが、お上の都合で、思いつき的に作った今回の10連休は社会が相当大きな混乱になることは間違いなさそうだ。

繰り返すが、10連休の間、仕方なく働かねばならない人々とその子どもたちが、事件・事故に巻き込まれないことを祈るだけである。(田舎親父)

2019年2月27日 (水)

駅名変更が流行り?・・・

 三重県伊賀市は時代小説に良く出てくる『伊賀忍者』の発祥地らしく、『忍者発祥の地』を観光の目玉にして、いつの頃からか、毎年2月22日は、無理して読めば『にんにんにん』と発音できることで『忍者の日』と指定しているという記事が目に留まる。

さらに、市の忍者愛?はこのことにとどまらず、市の中心部を通る伊賀線の『上野市』という駅名を『忍者駅』に変更すると発表し、その看板のかけ替えのイベントが2月22日に行ったという映像入りの記事がネットに掲載された。

このことは、私には縁もゆかりもない地方のことなので、どうぞご勝手にというところであるが、伊賀上野城は徳川家康の股肱の臣である藤堂高虎が築城した堅牢な城であることは時代小説には度々登場するので私でも知っている。となると、伊賀上野というのは歴史的にも由緒ある土地であることは想像に難くない。

『上田市』駅は、この城の近くにあることから名付けられたのだろうが、長年市民が親しんできた駅名を、観光客の人気を得るためという理由だけで、『忍者駅』に変えるとは、なんとも薄っぺらな話ではないだろうか。

この記事で、首都圏の私鉄がここ数年来、駅名を変更しており、特に京浜急行は沿線の駅名をかなり大幅に変更するという話を思い出す。

京浜急行は神奈川県の東部、東京湾の海岸沿いを走る私鉄である。最近は、それほどでもないと聞いているが、以前の京急の快速特急という列車は、信じられないほどの猛スピ-ドでぶっ飛ばすことが有名だった。

 快速特急という名前も変だが、この列車は停車駅が少ないこともあって、あっと言う間にトップスピ-ドになり、そのまま次の停車駅までスピ-ドを保ちながら、とにかくぶっ飛ばすのだから、ある意味やみつきになるファンも多いらしい。

 しかも、この路線の都市部は海岸に近いことから人工の密集地。つい数年前には、蒲田駅周辺が高架になり、交通への影響が少なくなったが、それまでは、国道一号や環状八号という幹線道路を踏切が塞ぐものだから、朝夕のラッシュ時には大変な渋滞が日常茶飯事だったことは今や昔の語り種になってしまったが・・・。

人の迷惑などもろともせず・・・という言葉が当てはまるように、踏切がある市街地のしかも民家の軒先をかすめるような路線を猛スピ-ドで駆け抜けるのだから恐ろしい。今は少し変わったが、以前の車両は赤が主体であることから、『赤い弾丸』という人も少なくない。

この京浜急行が駅名を大幅に変更すると発表したのは去年のこと。20年の春には新しい駅名になるのだそうだが、創業以来馴染んでいた駅名を変更することに沿線の住民では賛否が別れるという。

実際には変名件数は縮小されて、現在決定したのは4駅だという。産業道路駅が大師橋駅に、花月園前が花月総持寺に、新逗子が逗子・葉山駅の3つの駅名を変えるのは、近くに有名な橋や寺があったり、葉山という地名が入ることによってよりわかりやすくなることから、さほどの抵抗はないらしいが、仲木戸駅が京急東神奈川駅になるのは、単に近くのJRの駅に追随するだけだということで沿線住民の間では不評なのだそうだ。

『仲木戸』という駅は、特急はもちろん普通の急行も止まらないのだから、首都圏の住民でもほとんど知らないのではないだろうか。しかし、JR横浜線を利用している人にとっては羽田空港にはこの駅で乗り換えるのが時間的に一番早く、しかも運賃が安いことから人気がある。もちろん、以前は羽田空港を度々利用していた私もその一人である。

普通の急行は通過するのだが、ラッシュ時の朝7時8時をのぞいた時間帯では、かなりの頻度で羽田空港行きに限定された急行列車が停止する。これに乗ると京急蒲田経由で乗り換えなしで羽田空港の地下駅に到着するのだから人気があるのだろう。

京急本社としては、JR東神奈川駅で乗り換えるのだから、『仲木戸』という駅名よりも『京急東神奈川』のほうがわかりやすいと言う理屈なのだろうが、この駅は、かっての東海道の神奈川宿の入り口近くにあり、そこには宿場を仕切る木戸(恐らく仲木戸と呼ばれていた)があったことから名付けた由緒ある名前だと信じている私には、住民たちが抵抗したくなるのは良く分かる。

またこの駅の近くには、江戸から明治に時代が変わる頃、横浜港が開港されると、当時の世界の先進諸国が争って、この駅近辺の神社仏閣をアメリカ領事館(本覚寺)やフランス公使館(甚行寺)など、いろいろな国々が借り受けたという歴史があり、その寺などがそのまま残っていることで訪れる人も多く、私も定期的に出かけては、昔の風景を想像して楽しんでいる。

慣れ親しんだ仲木戸がという駅名がなくなり、何の情緒もない京急東神奈川となるのでは、沿線住民ではない私でも、駅名をわざわざ変える必要があるとは思えないのだが・・・。

地方自治体の観光目的の駅名変更の話題とは何の脈略もないが、こちらもなんとも薄っぺらな話である。(田舎親父)

2019年2月26日 (火)

多少の不便さを受任すれば・・・

 コンビニの歴史には諸説があるらしいが、私がはじめて『コンビニ』という言葉を知ったのは、午前7時に開店して夜の11時まで営業をするという意味で名付けられたと教えられた『セブンイレブン』という名前の店である。

 当時は、朝の7時に開店する商店など皆無。しかも延々と夜の7時まで営業するということ自体が、商スタンスでは考えられないことだったことから、全国的に話題になったことを思い出す。

 確か、当時の『ブンイレブン』コマ-シャルでは、『開いてて良かった・・・』というフレ-ズが一番受け、流行語にもなったのではなかっただろうか。

 このフレ-ズが都会で暮らす人々の心を捉え、東京を中心に首都圏各地や地方の大都会では、次々と『セブンイレブン』の看板が目につくようになった。と同時に、時まさにビジネスという言葉が広がりはじめた頃に合致したことから、現在の大手になったロ-ソンやファミリ-マ-トはもちろん、中小のコンビニ店が開店競争をはじめたものである。

 人々の反応を察知したコンビニ業界は、さらなる競争として、営業時間を夜の11時が12時になり、3時、4時と徐々に延ばし、今日では24時間営業が当たり前になっている。

 このことが、改めて『開いてて良かった』という言葉と共に、全国津々浦々にコンビニが出現している。確かに夜中でも開いているのだから利用者は便利に違いないが、以前、地方に出かける機会が多かった頃には、こんな場所でコンビニがあるが、やって行けるのだろうか思うことも少なくなかった。

 世間しらずの私は、当初はコンビニの運営企業が直接店舗を建設し、社員が覇権されていると思い込んでいたので、ただただ凄いなあ・・・と感じていたが、コンビニ企業は、地元の人とオ-ナ-契約をしていることを知って、なるほど金儲け屋さんは凄いシステムで運営しているのもだと感心したものである。

オ-ナ-契約の詳細は理解できていないが、本社が商品の流通はもとより、売れ筋までコンピュ-タで管理し、地元オ-ナ-は24時間店の店番を確保すれば、かなり利益が上ることから、オ-ナ-希望者が後を絶たず、これが全国に広がっているのだと教えられ納得したものである。

ところが現在では『人手不足』という言葉がどの業界にも溢れている。コンビニ業界はもろにこのことを受けて、日常的に売り手の確保が難しくなり外国人に頼ることは当たり前らしい。特に深夜は時給を高くして人材を確保する努力を重ねているが、人が集まらないという話は良く耳にする。

働き手が集まらないと、オ-ナ-が深夜を含めて長時間店番に立たざるを得なくなるのは私でもわかる理屈。その結果、心身ともに耐えられなくなり、ついには、夜中は店を閉じたいと申し出るオ-ナ-が現れるのも当然の成り行きだろう。

しかし、24時間営業が社是となっていることから、コンビニの運営企業は,夜中に店を閉じるのなら、違約金を支払えという圧力をかけるものだから、各地で運営企業とオ-ナ-とのトラブル(綱引き)が始まっているのそうだ。

実際に、その対立がマスコミの絶好の餌食になり、最近では、大阪府東大阪市の加盟店とセブン-イレブンを運営する『セブン-イレブン・ジャパン』という企業の対立が連日話題になっている。

この店は人手が足りないため午前1時から同6時に閉店する短縮営業を実施したそうだが、これに対し、運営企業側は契約条項を根拠に24時間営業の再開を求め、応じない場合契約の解除と違約金として1700万円の支払いを通告したという。

24時間営業とお客の利便性が企業の生命線となると、違約金の支払いはわからないでもないが、このままではオ-ナ-の過労死も起こり得る。そのためにも、利用する消費者の意識の変革がなによりも大切だと考えたい。

コンビニが深夜開いていなくても、消防や警察などと違って死活問題ではないことは誰も否定しないだろう。一部の人たちの深夜利用したいという消費行動がオ-ナ-の過酷労働に繋がっていることが明らかなのだから、ほんの少し我慢して、深夜は利用できないという意識を持て派良いことではないだろうか。

私の子どもの頃には大手のデパ-トですら、月曜(火曜)定休は当たり前だった。ス-パ-などが現れる以前の小売店も、週に一度はお休みで、それを当たり前として社会が受け入れていたので不便など感じなかった。

ところが、現在はどうだろう。デパ-トやス-パ-がお休みするのは元旦だけ。個人商店も右にならえが目立つようになり、最近はかたくなにお休みを守っていた医療機関ですら、土日診療などという看板さえ見かけるようになっている。

これでは『人手不足』になるのは当たり前。というよりわざわざ人手不足を煽っていることになる。社会全体が時間を少し戻して、多少の不便を受け入れれば、人手不足という言葉ははかなり少なくなるのではないだろうか。

もちろんコンビニが深夜営業などしなくてすむのは当然で、無益な対立など話題にもならない日が来ることも・・・。(田舎親父)

2019年2月25日 (月)

この判決に少し希望が生まれる・・・

 8年前の話になるが、滋賀県大津市で当時中学2年生の男子生徒が、いじめを苦にしてマンションの屋上から飛び下り自殺した事件は、『いじめを無くすことは不可能だが、暴力犯罪は許さないという姿勢を持てば、今いじめと騒がれている事件は半減する』という信念を持っている私は、この事件に接してすぐに『いじめではなく犯罪だ』とつぶやいたことを思い出す。

 学校が見て見ない振りをしていたから引き起こされた事件であり、学校(校長や担任教師たち)が勇気を持って警察に通報し、警察がすぐに動いて日常的に暴行を加えていた同級生を補導すれば、少なくとも少年の命は救えたはずだと述べた記憶がある。

 この事件が国民に与えた衝撃は絶大で、当時の大津市長が意欲的に取り上げたことによって、いじめが社会問題として広がり、学校に常設の対策組織を置くことを明記した『いじめ防止対策推進法』が成立するきっかけとなったことは忘れたくない。

 その意味ではこの少年の自殺は、言葉は悪いが決して犬死にではなかったと思いたいが、理不尽な暴力で命を奪われたことは、両親にとっては何事にも変えられない悲しみであり失った命を決して戻らないことを十分招致の上で、学校と市教委に対して、真実を語ってほしいと訴えたことは当然といえばこんな当然なことはない。

大津市は、かなり本気で真相解明に力を入れた結果、『いじめによる自殺』を認定し、市は、問題が明らかになってから数年後、自殺を防げなかった過失責任を認め1300万円を支払うなどの内容で和解したが、加害側の元生徒は、あくまで『遊びの延長だった』といじめを否定したため、遺族が訴訟で争う判断を選択したことも当然な成り行き。

続報がなかったので、ほとんど忘却の彼方に霞んでいたが、先日、大津地裁は『いじめが自殺の原因になった』ことを認め、元同級生二人に計約3750万円の支払いを命じたというニュ-スが流れ、長い裁判が続いていたことを改めて知った次第であるが、今までにない思い切って踏みこんだ判断をした大津地裁の裁判長に拍手を送る。

3750万円という賠償額は、男子生徒が生きていた場合の将来の利益や慰謝料などを計算して出した額なのだろうが、遺族側の請求額は3800万円というからほぼ請求通り。裁判長は加害生徒の行動が、いわゆる単なるいじめとは違い、暴力行為であると判断したのだろう。

すでに゛加害生徒は成人に達しているが、親が親子の縁を切ったとしたら本人たちに支払い能力があるとは思えず、慰謝料が中に浮く可能性もあり、それに関連したその他の問題が発生することも否定できないが、できれば加害生徒と親たちがこの判決に納得して、誠意を持って支払う姿勢を示してほしいものである。

元同級生二人による顔面の殴打やハチの死骸を食べさせようとするなどの暴行がエスカレートした』との判決文は、単なるいじめの域を越えていると認定したことは明らか。これは、日頃同じように日常的に暴力的ないじめを加えられている子どもたちと親たちには朗報である。

同時に、日常的に弱いものいじめをしている生徒や親たちには、この判決は大変な恐怖に違いない。また、実際に自分の子どもが加害者になっていることを認識していない親たちにとってはなりよりの警告となり、我が子の日頃の行動に少しでも気になっている親たちは、判決後すぐに、『暴力的ないじめをしていないだろうな・・・』と子どもに問いかけているのではないだろうか。

この判決はいじめを通り越した、犯罪的な暴力的な行為に対しては相当な歯止めになると信じたい。しかし同時に、最近の子どもたちが、友達からのいじめにあったということに悲観して、親にも打ち上げずに自分で命を絶つ風潮が気になるところ。

暴力を振うことはなくても、子どもの社会では普段の生活の中で、ちょっとした諍いは日常茶飯事。意識的な悪気がなくても『お前なんか死んでしまえ』とか『殺すぞ』という会話が日常的であることも忘れたくない。そんな言葉がきっかけになって、仲間外れが常体化し、そんな状態に失望して衝動的に命を絶つ子どももいるのではないだろうか。

すると、遺族はいじめられたからだと裁判になり、その結果、裁判長によれば、多額の慰謝料の支払いを命じる可能性はゼロではないのでは・・・と思うと、今回の裁判長の判断は画期的だと評価したいが、考えさせられることも少なくない。

今回の判決の意味を、学校でも家庭でもほんの少し話題にすることによって、いじめによる自殺という事件が少なくなるのではないだろうか。例えそれがはかない望みであっても何となく希望が生まれるような気がするのだが・・・。(田舎親父)

2019年2月22日 (金)

現場の悲鳴が聞こえてくる・・・

 19日に行われた文科省の『やっている振りイベント』に出かけ、その感想をつぶやいたが、その夜に流れた、これまでスマホや携帯の学校への持ち込みを禁止していた文科省が方針を改めるというニュ-スにビックリする。

 例によって閣議で決めたらしく、閣議後に文科相が唐突にこのことを発表したようだが、まさか、私が出かけたイベントの雰囲気や中高生の発言で、心配はいらないと思い込んだのでは・・・などと突飛な想像が頭を駆けめぐる。

『カンファレンス』と称したグル-プ討論の後で、代表者が1分間で話し合った結果一番大事だと思うことを発表する時間があり、そのすべてのグル-プの発表は、子どもたちがしっかり自己管理できていることを知ったというくだり・・・。

私に言わせれば、全国の県単位で、性教育なら〇〇中学、IT教育なら××小学校というように、文科省御用達の公立学校があることは、一般的には知られていないが、学校関係者の間では公然の秘密である。

今回は、全国のスマホ対策を指定校の中で,神奈川県下の学校を選び、選ばれた学校は指名した生徒を担当教員が引率してきたことから、グル-プ討論に参加した大人たちの質問に答えたのは、いわばスマホ保有については最優秀な生徒であることは疑えない。

というより、保護者の理解を得るためにも、スマホをしっかり管理でき、学校の方針に逆らわない生徒を意識的に選んだと表現したほうが良さそうだが・・・。

会場にはカメラも入り、討論(ではなく、大人側からの一方的な質問であるが)の様子を撮影していたことから、子どもたちはしっかりとスマホを管理する能力を持っていることを示したい文科省の意図する映像が出来上がったのではないだろうか。

ところで、学校へのスマホなどの持ち込みを巡っては、大阪府教育庁が、私が参加した『やっている振り集会』の前日に、公立小中学校で2019年度から児童や生徒の持ち込みを認めることを決め、運用のガイドライン素案を市町村教育委員会に提示しているというニュ-スが流れたが、文科省の方針変更はその翌日。

イベントに参加した友人と、新橋に向かう途中で、『大阪は何なのだろうね。大混乱が起きるのは間違いないぞ』と話し合っていたが、ほぼ同時刻に、文科省が同じような方針変更を発表をするとは全く予想できなかった。しかも、文科相は『大阪の動向を注視しつつ、見直しの検討を進めたい』という発言は、文科省と大阪府教委とのデキレ-スを疑ってしまう。

ここからが本題である。全国の学校は文科省の持ち込み禁止を最大の拠り所として、今では児童生徒がスマホを使っているのは日常生活の一部になっていることは十分招致の上で、しかも隠れて学校は持ち込んでいる児童生徒が存在していることを分かっていながら、タテマリとして違反者には罰則を与えてまで持ち込み禁止を校則としてきたのに、肝心の文科省が方針変更となると大混乱は避けられない。

文科省の方針変更に一定数の保護者は賛同しているらしい。災害時に連絡に役立つというのが第一の要因だという。広島県では、すでに高校生の持ち込みを容認しているらしいが、こちらもあの大災害がきっかけになり、子どもとの連絡が何より大事だという保護者の要望が後押ししたという。

中には、これからは人工知能の時代であり、コンピュ-タそのものより利便性のあるスマホをリスクの大きさだけで学校に持ち込ませないのは時代遅れだという意見もあることは、世間知らずの私でも知っていること。

確かに最近のスマホは、私が普段使っている時代遅れのコンピュ-タより機能的に優れていることは否定しない。今盛んに全国の学校に導入されているタブレットと比べても遜色がないが、スマホはあくまで個人の所有物なので、その使い方は児童生徒によって様々であることは誰もが頷くところ。この一点だけは無視してほしくない。

しかも現代社会は、自分だけ・金儲けだけという大人が社会を動かしているので、スマホの普及が優先されるばかりか、次々と子どもたちを刺激するアプリや新しいゲ-ムなどが出回りカネさえ払えばそれを得ることができるのも不気味な話。その結果、家庭や学校内の約束事がなければ、子どもたちは欲望に流されることは誰の目にも明らか。

すべての責任は保護者であり、学校は子どもがスマホ中毒になっても関わらなくて良いのなら、学校におけるスマホ解禁も良いだろうが、解禁した以上その使い方を指導するのは学校の義務だというのが、現在のわが国の一般世論になっていることに加えて、その世論を作っているのが文科省であることを忘れてほしくないもの・・・。

今回の文科省の方針変更は、見事にこのことを無視したもので、運用のガイドライン素案を都道府県の教育委員会に示すので後はよろしくということになりそうだ。

文科省は、学校にガイドラインを示すだけではなく、まず、子どもたちが安心して、しかも安全にス使える環境を作ることが一番大事な義務であり任務であることをすっかり忘れているらしい。

その意識と覚悟もないままに、スマホを解禁すれば、子どもの安全を第一に考える教師たちは右往左往し大混乱が広がることは間違いないところ・・・。

文科省はしっかりと使い方を指導すれば、心配しなければならないような子どもは生まれないと思っているのでは・・・という信じられないような疑問すらわいてくる。(田舎親父)

2019年2月21日 (木)

自国民を助けない政府なんか・・・

 先日、中国広東省広州市の国家安全当局が発表したことで、大手商社、伊藤忠商事の日本人男性社員を昨年2月から拘束していることが分かったという記事に、なんとも言えない違和感を覚えたものである。そして,この違和感が奥歯に刺さった小骨のような不快感として今も続いている。

 記事には、官房長官が拘束を認めたとあることから、伊藤忠の社員が現在も拘束されていることは間違いないようだ。

 男性は40代で、国家の安全を害したとして昨年2月下旬にスパイ容疑で拘束されたらしい。昨年6月に起訴されたが、具体的にどのような行為が罪に問われたかは不明だというから、なんとも不思議な話である。

 これまでも、中東に取材に出かけたシャ-ナリストが過激派組織に拘束されたことが度々報じられているが、その都度日本政府は、危険覚悟で勝手に出かけたのだから、助けようがないという態度を示し、マスコミもこれに対して抗議することもなく、むしろ自己責任だという印象を国民に与える記事を多く掲載していた。

 アメリカやヨ-ロッパ諸国は、理由はともあれ、自国の国民が外国で行方不明になったら、それこそ国をあげて探し出し、危険な環境におかれている場合は、あらゆる外交手段をとっても救助するのが当たり前なのになんとも情けない。

つい最近は、フランスからわが国へ敢行旅行に来ていた女性が行方不明になったことで、フランス政府の関係者が来日して捜査しているとのニュ-スはその典型だろう。残念ながら、女性の行方はいまだに不明らしいが、フランス政府は捜査を断念していないとのことだから、独自で調査していることは疑えないところ。

日本政府は自国民の救助には冷たいことは、私のような世間知らずの老人でも知っていることから、中国に進出している企業は、中国当局にスパイだと疑われるような言動は絶対にしてはならないことは社員教育で徹底していることは容易に推測できる。

まして、日本を代表する商社である伊藤忠の社員がスパイ行為をするとは私にはとても信じられない。しかも、拘束されたのが1年以上前で、これまで政府も伊藤忠も何ら動きをしていないとなると、まるでミステリ-小説そのものだとしか思えない。

何故、伊藤忠がこれまでダンマリを決め込んでいたのかはわからない。下司の勘繰りだと言われるかもしれないが、世界に肩を並べる日本の大商社の伊東忠が社員が勝手にやったことだから自己責任だと突き放しているはずがないと信じたい。

少なくとも、中国当局に問い合わせると同時に、政府にことの事情を細かく説明し、打開のために方法について話し合いをもったことは想像に難くない。

しかし、中国政府との信頼関係を自ら断ち切ってしまっているデンデン政権は中国政府とのまともな交渉もできないのだから、伊藤忠には社員の家族が騒がないようにと命じるだけで、為す術もなく今まで放置していたのではないだろうか。これは、拉致家族に対する構図と一緒である。

1年も放置されているのだから、家族が動き出したことは当然だろう。政府としては、隠しきれなくなって、先日の官房長官の発言になったのだろうが、続報がないのは、マスコミに箝口令でも敷いているとしか思えない。

鵺顔の官房長官は、政府として拘束された男性に『できる限りのしている。事柄の性質上、(事件の)詳細については差し控える』と述べているが、どんな支援?・・・と揶揄しか出てこない。

中国外務省は、男性拘束について『承知していない。担当部門に聞いてほしい』と発言しているという。これでは、どこにどのように拘束されているかすら分かっていないのだから支援などできるはずがないことは明らか。またデンデン政権の大得意の『やっている振り』の大ウソナノは明らかだろう。

記事には、中国では2015年以降、少なくとも8人の日本人がスパイ行為に関わったとして拘束、起訴され、うち4人に実刑判決が言い渡されているとあるが、こんなことは今までマスコミが取り上げたことがあるのだろうか?・・・。

横浜の片田舎で霞を食らっている仙人的生活をしているとはいえ、ボケないためかなり意識的に新聞二紙とネットニュ-スには目を通している私ははじめて知ることばかり。デンデン政権が、中国政府と話し合ったという気配などは一切なさそうだとなると、やはりこのことは意図的に隠されていたとしか思えない。

こんなことが放置されれば、日本の企業は皆中国との関係をしり込みするのは当然だろう。このまま、続報がないとなると、拘束された社員とその家族は、泣き寝入り?・・・。

こんなバカな話があって良いはずがない。こんな情けない国が、世の中にあるとは信じられないが、自分とその一味だけのためのデンデン政権が続く限り、国民の悲しみはもみ消されるのだろうな・・・。(田舎親父)

2019年2月20日 (水)

文科省の『やっている振り』イベント・・・

 友人から文科省がスマホの使い方のイベントをするので参加しないかというお誘いを受けたのは先月末のこと。『中高生も参加するよ』という言葉に、昔の血が騒ぎだし、すっかりご無沙汰している文科省に出かけるのも面白そうだと思い、了解と返信を出す。

 自分で申し込まねばならないことから、文科省の『ネット安全安心全国推進フォ-ラム』というイベントの担当部署が発行している申し込み用紙をダウンロ-ドして、申し込んだところ、現在までにカンファレンス(ワ-クショップ)は定員100名を超過する申し込みをいただいておりますために、貴方はキャンセル町とさせていただきます』という返信が届く。その内容は(受け付け番号120番(カンファレンス;傍聴『キャンセル待ち3』)というものである。

 このところこのようなイベントでは、時代遅れの世間知らずの貧乏老人には、何のこと?と首を傾げたくなるカタカナ用語が目立つことが多いが、この『カンファレンス』という言葉も正直意味不明。

 (ワ-クショップ)とあるところから、グル-プ討論だろうと推理はつくが、その席がすでに埋まっているのだろうと推測し、ならば申し込んだ100名がすべて出席するはずがないので、どこかにもぐり込めるだろうと気軽な気持ちで出かけた次第。

 例によって前書きが長くなったが、昨日そのイベントに参加してきた。文科省は教科書検定の会議のために何度も訪れたので土地勘はあるが、講堂ははじめてである。なるほど中央官庁は凄い施設を持つものだと悪いクセが出てしまう。

 予想通りおよそ十数グル-プの席が設けられている。私は、その後ろの傍聴席に座って開会を待つが、グル-プの席はガラガラ。むしろ傍聴席の人のほうが多いのに、あらかじめキャンセルが出ることを見込んで、多めに人数を集める文科省の戦術に納得する。

受け付けでもらった案内のプログラムを見ると、1時30分から開会挨拶・(文科省・警察庁)とある。20分で挨拶なのだから、定番通りだろうと思っていたら、両者は挨拶どころか、画面を使って趣旨説明をするものだから、始めから時間オ-バはいただけない。

続いて、文科省のこの種の会合ではおなじみの大学教授の基調講演であるが正直酷いもの。手元に配られた資料にはないがと断りはあったものの、その画像は細か過ぎでほとんど判読不明。しかも、原稿を棒読みするだけなので、何を言いたいのかすらわからないので、しばし目をつぶり我慢の時間。

この先生は時間を調整するという気が全くないのだから、時間は大幅に遅れるのは当たり前。やっと終わり、ここでグル-プの席に案内されが、同時にキャンセル待ちの女性と、女子中学生2人が席に着く。

司会が、自己紹介や説教染みた発言は禁止で、中高生とおしゃべりしてくださいとの説明で、これが『カンファレンス』という聞き慣れない言葉の意味かと納得すると同時に、久しぶりの生徒との会話は刺激になると昔を思い出し、ついつい他の人より口数が多くなってくる。

最初に40代の男性が、スマホを持って登校するのかという質問に対して、私の学校では持ってきても良いとしているが、授業中と登下校の時間は電源を切るという約束になっていると答える。さらに『守っているの?』と聞かれると、完全に守っている生徒はごくわずかで、ほとんどの生徒は先生の目を盗んで使っているという。また、中には授業中に使っている生徒もいるとのことに、そうだろうな・・・と納得する。

二人とも実に受け答えがしっかりしている。いろいろ質問に対して、納得できる答えが返ってくる。

学校でこのようなイベントで講師の話を聞く機会があるが、い分かっていることばかりで退屈するという答えには笑ってしまう。私が、大人ってバカだなあと思うかと質問すると、イエスとは言わないが頷く姿に、グル-プの人たちも大笑い。

前半が終わり生徒は交代。これは面白い仕組みだと感心するが、時間が押しているので前半の半分にするとの司会の発言には、仕方ないと納得するが、ここにも前半の大人たちの時間無視が影響するのだから、改めて『大人ってカッテだなあ』と思っているのではと想像すると愉快になる。

4人の女子生徒の話を聞いたが、すべてスマホを自己管理できているという印象を受けこんな子どもばかりなら、心配することがないというのがクル-プの結論になる。

念のために、ここに来るのは自分から手を挙げたのと聞くと、そうだという。ちなみにどのぐらいの学校の生徒が集まっているのとのの質問には、当たりを見渡して、4校と断言したことが印象に残る。

後の飲み会で、友人曰く、去年は関西の中学校だったが、今年は鎌倉を中心に選んだようだとのことに、なるほど文科省の、分野毎に優秀な学校を狙い撃ちするという得意技が背景にあったことを思い出し、大笑いになってしまう。

そう言えば、明らかに教員だと思われる人物が、軌間巡視ではないが、メモをしながら聞き耳を立てていることから、しっかり受け答えができる生徒を選んだに違いないという確信を得る。

恐らく、申し込みをしてまで参加している大人たちは、真剣に現在のスマホ事情を憂えているに違いない。私がクダラないと切り捨てた、基調講演も有意義だと感じる人もいたかもしれない。

このイベントに参加して、自分の意識が高まり参加して良かったと満足した人がほとんどなのだろうなと思いがするが、実際に学校現場を知る私には、恐らく、昔は携帯で今スマホが引き起こす様々な事件を真剣に考え悩んだとしても、『悪用する大人や無関心な保護者たちをどうするのか』という問題に立ち向かわない限り、解決の糸口はつかめないといういつもの結論に達する。

関心のある大人を集めても、また、知ったかぶりで、子どもたちを説教しても、決して解決できないことだけははっきりしていることを再確認。

昨日のイベントに誘ってくれた友人との飲み会での結論は、現役時代に一緒に立ち上げた、『ネットを考える会』で話し合っていたことから一歩も進んでいないということに尽きてしまう。

スマホがらみの悲惨な事件を根絶するためには,フランスのように法律で幼稚園・小中学校は禁止するという荒治療が必要なのかもしれないが、スマホで金儲けが前提のわが国では無理がありそうだ。

その後、休憩があって、パネルディスカッションが予定されているが、知ったかぶりの大人たちの話にあくびをかみ殺して良い子にならざるを得ない、今日のために集められた中高生たちを思いながら、友人と目配せして新橋の飲み屋に向かったことを記すまでもないだろう・・・。(田舎親父)

2019年2月19日 (火)

あまりにも拙速過ぎる・・・

 横浜の片田舎では、回覧板というものが地域の情報の源になっているが、そこには毎月発行されている近隣の小学校と中学校の学校だよりが挟んである。

この地域は、指定された小中学校が遠いために、だいたい同じ距離にある3つの小学校と3つの中学校が、正当な理由があれば選択できるらしいこともあって、他の小中学校のことも気になる保護者にとって好評なのだそうだ。

構成はほぼ同じで、毎回これはという特色を出している学校はないが、小学校に共通しているのは、『英語』という言葉が必ずどこかに入っていることである。多くの場合、校長(副校長)のあいさつに加えて、毎月の予定などに、『英語の日』とか『英語参観日』などという言葉を見付けるのも稀ではない。

学校あげて英語に親しむ雰囲気は整いつつあるのだろうが、小学校で英語を指導する体制はまだまだALT頼みであることは日常的に聞こえてくる話。

そのような状況において、英語を正式な教科にするのは無茶だと、今までも何度もつぶやいているが、文科省は何かにとりつかれたのではないかと思うほど『英語教育』に肩入れし、ついには2020年から小学校の5.6年生に正式教科にしてしまったことで、全国的に小学校がかなり混乱していることは想像に難くない。

指導要領には逆らえない小学校は、保護者に『こんなに頑張っています』という姿勢を示すためにも、英語を重点的に取り上げざるを得なくなっているのだろうが現場の悲鳴が聞こえてくるようだ。

そのことはさておき、10日ほど前の話になるが、東京都教育委員会は2022年度入学の都立高校入試から、英語を話す能力を測る独自の『スピーキングテスト』を導入することを明らかにしたという記事にビックリ。

2022年からというと現在の小学6年生から対象になる。都内の中学校が緊張したことは疑えないが、それ以上に、この記事を読んだ東京都内の小学生の子どもを持つ保護者は、衝撃を受けたのではないだろうか。

東京がはじめれば全国の自治体は追随する傾向があるので、恐らく数年後には『スピーキングテスト』が導入されることは間違いなさそうだ。

記事によれば、『スピーキングテスト』とは、受験生はヘッドホンとマイクを使い、タブレット端末に解答を録音するのだそうだ。英語で質問を受けてその答えをマイクを通して答えることで、発音などをチェックするとのこと。さあ大変だぞ・・・。

テストは中学3年時の11月末~12月上旬の休日に、一人一回限りで実施。会場は大学など外部施設を利用する。約8万人がテストを受ける見通しだというから、すでに細かい日程まで決めた上で、発表していることになる。

 中学の学習指導要領では英語の『読む・書く・聞く・話す』の四技能を総合的に養うとしていることから、ある程度のおしゃべりができるような能力はついているという前提なのだろう。

しかし、現行の都立高校入試では英語の読解と記述、ヒアリングの三技能を問う試験しか行われていないことから、都教委は文科省に忖度して、このテストが加えたというところのだろうが、今頃、都内の公立中学校では職員会議を開いて、この『スピーキングテスト』へ向けて大変な騒ぎになっているのではないだろうか。

 都教委は『外国の人とコミュニケーションが取れるよう、使える英語力を身に付けてもらう』のが新テストの狙いだと説明している。

英語の大切さと英語を使える能力をつけることは必要であり、その到達度を高校入試で確認することを容認するとしても、試験問題の作成から会場の運営、採点まで、主に資格・検定試験の『民間団体』に委託するというのも引っかかる。

 このところ大学入試でも、民間の英語検定などを選定するのが当たり前になっているようだが、自分たちでは難しいから民間へという発想はなんとも薄っぺらい感じがしてならない。

都教委は、客観性は複数人で採点することなどで担保し、『塾で特別な準備をしなくても、授業をきちんと受ければ良い点数が取れる試験にしたい』とのことであるが、民間に委託するとなると、塾産業は待ってましたとばかり保護者の勧誘に血眼になるのは誰の目にも明らか。

当然ながら、保護者の意識は、塾へと草木もなびく風潮はますます高まり、塾に通わせなければならないという脅迫概念が強まることは間違いない。

英語を話せることは重要であることは否定しない。しかし、高校入試は中学校だけの話ではなく、小学校で教科にしたのだから、少なくとも小学校の高学年からの5年間で養成する英語の能力を体形づけた上で、高校の入試を考える必要があるはず。

小学校での英語という教科はまだ始まっていない段階で、現在の小学6年生が、体験せねばならない高校入試に『スピーキングテスト』という、今までなかった項目を入れるというのは、あまりにも拙速ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2019年2月18日 (月)

東京一極集中を進めるだけ?・・・

 土曜日の朝刊各紙は、JR東日本が、羽田空港と東京都心のターミナル駅を結ぶ新路線『羽田空港アクセス線』の建設に向け、近く環境影響評価(アセスメント)に着手する方針を固めたという記事を掲載させていた。

 このアクセス線は3つあり、臨海線は新木場と、西線は新宿と直結するのだそうだ。そして真っ先に工事をはじめるのが東線で、羽田空港の国内線タ-ミナルの地下に新しい駅舎を建設して、そこからトンネルで品川の旧貨物線タ-ミナルまでつなぎ、そこからは旧貨物線で山手線に接続して東京駅と結ぶ計画だという。

 東線が完成すれば、今まで浜松町からモノレ-ルで28分、品川から京急で33分かかっていたのが18分で結ばれるとのことから、一分を争う熾烈な競争をしている一部のビジネス業界には歓迎されるだろうが、そこまでやる必要があるのだろうかというのが私の第一印象。

 話は例によって飛ぶが、先日全国のス-パ-マ-ケットのための一大イベントの招待状をいただいたので珍しく『幕張メッセ』に出かける気になって、横浜の片田舎から、イベント会場の最寄りの駅である『海浜幕張』までのル-トをネットで調べてみると、それこそ無数にあると言っても良い程、行き方が表示される。

一番、わかりやすいのは、東京駅に出て京葉線に乗り換える方法。乗り換え回数も少なくてすみそうだが、東京駅のあの雑踏の中で乗り換えなければならないと思うと、それだけでゾッとする。結局、私が選んだのは、横浜市営地下鉄で日吉に出て、東横線で中目黒から八丁堀、そこで京葉線に乗り換えるというル-ト。

何回かの乗り換えで、やっと京葉線の八丁堀駅の下りホ-ムにたどり着くが、午前10時過ぎの京葉線がこんなに混雑しているとは想像もしていなかった。それだけではなく、間もなく電車は地下から地上辺出たのだが、吊り革につかまりながら沿線の風景を眺めていると、その凄さにビックリ仰天。

このところ横浜線にすら乗る機会が少なくなっているが、横浜線の沿線風景は京葉線のそれは比べてみると雲泥の差で、大都会と過疎化の村と表現しても差し支えないような違和感を覚えてしまった。

それほど京葉線の沿線は、商業ビル・マンション・高速道路の3点セットが延々と続くのだから、横浜の片田舎の老人にとっては、まさに異空間に紛れ込んだような感じを受けて、目的地に着くまでにくたびれてしまった。そしてさらに凄いのが、下車駅での大混雑。現役当時のここは新宿ではと思うほど凄いものである。

もっとも、ほとんどが幕張メッセで行われているイベントに参加する人たちなのだろうが、ここで開かれる国際的なイベントは連日といって良い程行われるというから、私が経験した混雑は日常的なものなのではないだろうか。

話を戻すが、東京(首都圏)の交通アクセスの多様性は半端ではない。地上を走るJRや私鉄各線に加えて、東京メトロと都営地下鉄の路線がそれこそ東京の真ん中の地下を何層にも交わりながら網のように張りめぐらされているのだから、ネットで行き先を探すとまさに無数に表示されるのは当然なのだろう。

しかもそれらの路線の相互乗りが当たり前で、『スイカ』というカ-ドに入金さえしておけば、自由自在に乗り換えができて、行きたい町へほとんど乗り換えなしで出かけられるのだから、なんとも便利な環境になっているものである。その上に、さらに今回の羽田空港と結ぶ3つの新線?・・・。

地方から見たら、何なのこれはというところではないだろうか。有り余る自然があるが、交通アクセスが何とか整っているのは、県庁所在地の都市部付近だけで、そこから少し離れると、極端に表現するとゼロと同じというほど、車がなければ移動することさえ困難だというのが現実。

しかも、働く場所がないとなると、いくら故郷が好きだと言っても、仕方なく都会に出るしかないのも現実であり、地方からの人の流れは年々激しくなり、地方の過疎化は信じられない程のスピ-ドで進んでいることは今更私が述べるまでもない。

この東京一極集中を何とかしなければというのが、まったなしの緊急課題だと言われて久しい。現政権は、地方の活性化を進めルと掛け声は勇ましいが、やっていることはすべて真逆。

地方との格差は広がるばかりで、どこが活性化だと揶揄したくなるが、さらに今回の都心から羽田へ向かうためのたった10分程度の時間短縮をねらった新しい路線もその一つではないだろうか。

JR東日本によれば、東線が完成すれば東京駅を通して東北線、高崎線、常磐線などの在来線からの直通運転が可能となり、それらの沿線住民にも恩恵が大きいと説明しているようだが、私には詭弁に聞こえる。

確かに、これらの沿線の人たちにとって、羽田に乗換なしに行けるのだから、便利になることは間違いないが、沿線の人たちの何人が羽田を利用するのだろう。首都圏ですら東京から離れれば離れるほどどんどん過疎化が進んでいるというから、飛行機に乗る人そのものが少なくなっているのは間違いない。

結局は、東線の開通で利便性の恩恵を受けるのは、東京都内と埼玉県で飛行場を利用する人たちだけで、それ以外の関東各地(特に北関東の各県)は、過疎化が進むことはあっても、この新線によって人口が増えることは絶対にないと断言しても差し支えないだろ。

この東線が開通するのは29年の予定だという。恐らく私はこの世に存在していないだろうからまあご勝手にというところであるが、10年後の東京は、このまま一極かが進んだと仮定すると、身動きするのも大変だというほどの人口増加で膨れ上がっていることもあり得る話。

そんな東京の現実を想像すると、地方の人からみれば、ごくごく近い羽田空港を利用する人たちだけのために、こんな新線が必要だとは思えないが・・・。(田舎親父)

2019年2月15日 (金)

法的措置?・・・

 私はユ-チュ-ブとかいうネット投稿の動画サイトにはほとんど興味がないので、先日テレビのニュ-スがその動画を取り上げるまで、まさかこんなことが行われているとは思いもよらなかった。

その動画とは、アルバイトの店員なのだろうが、調理中の魚をゴミ箱に捨て、しかも捨てた魚をゴミ箱から捨てた魚を拾い出し、まな板で調理を続けている映像である。

字幕には『くら寿司』とあることから、全国で展開している回転寿司の大手であることは一目瞭然。この動画は、どう見ても、いわゆる自撮りとは考えられないので、少なくとも仲間が存在していることは明らか。となると、アルバイト仲間が、ふざけ合って撮影し、ネットに投稿したことは間違いないだろう。

思わず、嘘だろう・・・とつぶやいたもの。この映像が全国に流れ、数えきれない程再生され、日本国内はもとより外国からも、このトンデモ映像が流れていると大騒ぎになっているのだそうだ。

まさか、くら蔵寿の全ての店でこんなことが起きているとは考えられないが、どこでもあるチエ-ン店で、しかも安さを売り物に強いるとなると、日常的に家族ずれ友人と訪れる人も多く、その人たちにとっては、ひょっとしてあの店では?・・・と疑心暗鬼にならないとも限らない。

場合によったら、自分が出かけた店だと確信してしまうと、あの店だけではなく、くら寿司という名前に拒否反応を起こす人も出てくるに違いなく、会社としてのくら寿司としてはきわめて深刻な負のイメ-ジを負うことになる。

くら寿司に限らず、大手コンビニのセブンイレブンでは、やはりアルバイトの店員だろうがおでんの種を口に入れて吐き出し、そのまま鍋に戻すなど、信じられないような映像が流れ、さらには、ロ-ソンやファミマという大手コンビニチエ-ン店での同じような、正視に耐えられないような映像も流れているという。

このようあ動画を『不適切動画』と呼ぶのだそうだが、くら寿司の運営会社は、この動画を投稿した、2人のアルバイト従業員に対して、法的措置をとると宣言。大手コンビニもこれに続くとのこと。

これまでも、同様の不適切映像が流れたことは、その度にマスコミが大騒ぎするので私も知っている。しかし、雇い主の企業側は決して法的措置という言葉を使わなかったことも・・・。

必ずといっしも良い程、指導できなかった自分たちが悪かったので、今後の社員教育に勤めて再発防止に勤めますと、深々と頭を下げるのの定番になっていたことから、企業側は、方針を180度替えたようだ。

こんな映像が次々に流れたら企業イメ-ジは悪くなるばかりなので、社会のルールを知らぬバカどもにはこれくらい毅然とした態度でのぞむべきだと、企業の強い姿勢を肯定している人も多いという。
 確かに、このようなトンデモ映像を見たら、こんな非常識をする輩は許せないという気になることは否定しないが、今や幼稚園生から70.80のジイサン、バアサンがスマホ片手に投稿画像探し(作り)に夢中になるばかりか、それをネットに投稿することが流行になっていることから、今回の法的処置で簡単に収まるとは思えないのだが・・・。

今回は、誰が見ても信じられないほど不適当な画面であることから、断罪されるのは当然という世論になりそうだが、例えこのような、不適切動画を投稿するつもりがなくとも、ついついイタズラ心が生まれて、商品を使った『笑える映像』を撮りたくなるのもあり得ない話ではない。それらも、企業が法的措置の対象にしたら、アルバイトに気楽に応募できなくなりそうだ。それ以前に親や友人たちが止めるのでは・・・。

ここからは世間知らずの横浜の片田舎で霞を食らっている貧乏老人の繰り言になるが、こんなトンデモ映像を流すアルバイト店員の気持ちを考えると、どうしてもこの店で働きたいという気持ちよりも、時間的な条件に加えて、単に時給が10円でも高いということではないだろうか。

要は、職場に対する愛情などは始めからないと考えた方が良さそうだ。

解決策はたった一つ。アルバイトであっても、『この会社・この職場』に愛情を感じさせること。それには、働きがいのある職場作りしかない。具体的には、アルバイトであっても、会社愛を持てるだけの賃金を払うことに尽きる。

甘いと言われるかもしれないが、なんでも競争、それも利益を食い争いしながらの、相手を蹴落とすような現状が、平和に生きていく社会の構築に必要だと思えない。

歩いて数歩の町筋にコンビニが乱立し、駅前には全国展開の居酒屋や外食チエ-ン店が立ち並び、その全ての店が『手不足』という言葉を何の反省もなく受け入れ肯定し、アルバイトの学生を奪い合っているのでは、今回の不適切動画以上の、トンデモ事件が発生しても奇怪しくないのでは・・・。(田舎親父)

2019年2月13日 (水)

信じられない事件発生・・・

 詳しいことは分かっていないが、昨日の朝に届いた、『小学生の女の子が母親を包丁で切りつけた』というニュ-スに愕然とする。

事件があったのは11日の夜のことだという。沖縄県の糸満市で、小学生の女の子が自宅で、寝ていた母親の首を包丁で切りつけて殺害しようとしたという。

母親の首には複数の傷があり血を流していて、病院に搬送されたされたが意識はあり命に別状はないことにはホッとするが、警察の調べに対して女の子は、『包丁で母親を刺した』とはっきり話しているというから明らかに殺意を持って切りつけたと考えても良さそうだ。

騒動に気付いた同居している祖母が119通報したことまでは報じられているが、家族構成などの情報はない。さらに、この母娘の間には日頃のトラブルもなかったという文言も少し引っかかる。

これ以上の情報がないので、その場面を想像するしかないが、それにしても、小学生が母親を・・・という事件が過去にあったのだろうか。

小学校内で、高学年の女児が同じクラスの女児にカッタ-で切りつけて殺害した事件はあった。中学生の男子生徒が、バットで父親を殴り殺すという凄惨な事件も報じられている。

小学生が親の車を持ち出し、暴走したあげく、通行人を殺傷する事件もあった。中には、これも男子中学生が起こした事件だが、同年代の男の子を殺害したことに加えて、その首を晒したという信じられない事件も報じられた記憶がある。

しかし、小学生の女児が自分の母親を、殺害を目的に包丁で切りつけるということはこれまで聞いたことはなく、いよいよここまできたかという絶望感が先にたつ。

私の考え方が古いのかも知れないが、最近、世間を騒がしている児童虐待に関しては、その当事者はほぼ間違いなく父親、それも継父というパタ-ンが圧倒的であることは事実だろう。

ゼロとはいえないまでも、母親が自分で産んだ子どもを虐待する例はまず感がられないのではないだろうか。この例を、今回の事件に適応すれば、この小学生の娘が、普段から母親から暴力を振るわれている可能性はなさそうだ。

今回、父親の姿がないのは、この家族が祖母・母・娘という構成であった可能性も生まれてくるが、その通りだったとしたら、これはかなりこみ入った事情が隠されているような気がするが・・・。

法律の規定で、14歳未満は刑事責任を問われないことになっていることから、警察が対応することはないという。となると、あの悪名高い『児童相談所』の出番になるが、学校よりもさらに対応が見えにくい組織であるだけに、この事件の詳しい事情などが、今後報じられる可能性は限りなくゼロと言っても差し支えなさそうだ。

確かに、児童の将来を考えれば、それはそれで仕方ないと思うが、必ずこのような事件が起きると、マスコミも行政も、そして専門家という人たちも,口を揃えて『二度と起こしてはならない』という。

二度と起こしてはならないことは当然だが、この小学生の娘が育った環境や、家族間の諸事情が分からないと、二度と起こさない対策はとれそうもない。ひょっとして、次は我が身と身構えている母親もいるのではないだろうか。

せめて、児童相談所は詳しい子の事件の背景をしっかりと把握して、二度と繰り返さないためのきちんとした対策を示してほしいものだが。そして、この事件との直接の関連は避けるのは当然としても、何らかの方法で子どもを持つ家庭には知らせるべきだと思うが、今の児童相談所では、求めるほうがムリだろうな・・・。

14歳という線引きで、担当部署を決めるのではなく、このような事件が二度と繰り返されないためにも、警察・児童相談所・学校、さらに行政も含めた新しい組織が必要だと思うのだがいかがだろう・・・。(田舎親父)

2019年2月12日 (火)

殺処分という言葉が蘇る・・・

 豚コレラが岐阜県で発生したという記事を読んだのは、去年の暮れの頃ではなかっただろうか。しばらく、その話題がなくなったので、どんな方法で乗り越えたのかは想像もできないが一応解決したものだと思っていた。

ところが、つい先日、長野、愛知、滋賀、大阪を含めた計5府県に広がったことが確認されたというニュ-スにビックリ。テレビ各局は、早速、発生した養豚場での『殺処分』が始まったと大々的に報じていた。なんでも、対象になる豚は1万5千頭以上に登るというから、現場の凄惨さが伝わってくる。

愛知県の養豚場が、豚コレラに感染した豚を各県の養豚場に出荷したことが広域に広がった原因らしい。岐阜県での発生で収まっていたのに、愛知県の養豚場の豚が原因というのも不可解な話だが、業者の間での取引によって、岐阜県の養豚場から、豚コレラのウイルスを体内に宿した豚が愛知県に送られたようだ。

そして、愛知県の養豚場では、気付かなかったのか、それとも症状を見過ったのかどうかは分からないが、やはり豚コレラに感染した豚を、他県に出荷した結果広がったらしいが、豚コレラと判明した後も出荷していたとなると責任は重い。

かなり以前のことになるが、宮崎県の養鶏場で鳥ウイルスの発生という報道が続いたことがある。その度に、県の職員や警察官、さらには地元の消防団や自衛隊員たちが、インフルを確認した養鶏場で飼育している全てのニワトリを殺処分(数万羽だという記憶も残っているが)している現場の中継映像を思い出す。

重機を使って深い大きな穴を掘って、そこに殺されたニワトリを片っ端から放り込むという映像だったが、何故こんな酷い映像を平気で流すのだろうと思わずチャンネルを替えたものである。

すぐにどこからかかく放送局にクレ-ムが入ったらしく、その後の殺処分の現場はブル-シ-トで隠されルようになり、ニワトリをゴミのように穴に投げ込むという凄惨な映像はなくなったのが救いだったが・・・。

今回の豚コレラ事件では、豚を殺処分する場面や、死体を穴に投げ込む場面の映像はないが、重機とブル-シ-トは写っていたので、やり方としてはニワトリの殺処分と同じように穴を掘って埋めるのではないだろうか。

ニワトリとは比較にならないほど大きな固体でしかも1万5千頭となると、地元の職員や養豚場の関係者だけではとてもできないことから自衛隊に出動が要請されて、相当数の自衛隊員が動員されているようだ。命令とはいえ、死体を穴に投げ込まねばならない隊員の中には、思わずその場にうずくまりおう吐したりする姿があるとの記事に、任務とは家気の毒だとしか言いようがない。

豚コレラはウイルスによって『豚とイノシシ』だけに感染するの病気だという。致死率が高く、治療法はないというから厄介な話であるが、この豚コレラウイルスは人にはイタズラをしないことから、例え感染した豚の肉を食べても問題はないのも不思議である。

素人的に考えると、全ての豚を殺処分して穴に埋めるのではなく、違う用途に利用すれば良いのにと思うのだが、現行法では殺処分しかないののだろうな。

 豚コレラの発生は、1992年以来だというから、養豚業界では完全に撲滅されたという油断があったことは考えられる。

30年以上発生していなかったのだから、よほどの年配の獣医師でないと豚コレラに感染した豚を見たこともなかったのだろうが、最初に発生した岐阜はともかく、愛知でも豚を診た獣医師らがすぐには豚コレラを疑わず、単なるカゼだと判断したかというから、人災と言われても仕方ないようだ。

 岐阜の感染は、ウイルスを含む食品を海外旅行者が持ち込み、それを食べた野生のイノシシを経由して広がったのだろうと推測されているが、人には感染しないウイルスなら、今後も国内に入り込む可能性は大きいのではないだろうか。

 10年以上養豚場に出入りしたことがないので、どのような防疫体制をとっているのか分からないが、少なくとも10年前の養豚場でも、畜舎に入る時は専用の靴や衣服に替えたことも記憶にある。養鶏場では野鳥が出入りできる穴を徹底的に塞いでいたことも目の当たりにしたこともあることから、野生のイノシシが養豚場に入り込むなど常識的には考えられない。

なのに、最初に感染した岐阜と愛知の養豚場でウイルスが見つかったということは、どこかにその抜け道があったということだろう。

 豚コレラの感染予防にはワクチンの投与が有効だが、使用すると、国際機関が認定する豚コレラの『清浄国』の扱いから外れ、復帰するのに長い年月がかかることから、農水省は使いたくないというのも厄介な話。昨日には、今回の豚コレラ騒ぎでは、ワクチンは使用しないで、殺処分と消毒で乗り切るという農水省のコメントが報じられていた。

全ての豚の殺処分となると養豚場の経営者は莫大な損害を受けるのだろうが、救済措置はあるのだろうか。

TPPが発効し、また貿易の自由化という不気味な波が押し寄せて、国内の酪農や畜産の経営が過酷になっている昨今、何の救済措置もなく、豚コレラに感染させたのだから責任は全てお前だとなっては、それこそ経営など成り立たないのではと心配になる。

このことに答える記事は今のところないのも気になるところが・・・。(田舎親父)

2019年2月10日 (日)

こんなアホな制度は即刻廃しすべし・・・

 ふるさと納税が凄い話になってきた。先日、これまた以前から、地場製品とは無関係にビ-ルや肉を答礼品に指定して、莫大な寄付金(この表現も奇怪しいが)を全国から集めていた大阪府の泉佐野市が、今度は、大手ネット通販『アマゾン』のギフト券100億円分を還元するキャンペーンを打ち出したという記事に、何とも大阪人の根性の凄さを教えられたような気にさせられる。

 元々、ふるさと納税と制度は、都市部と地方との格差を是正するものとして登場したと説明されているが、自分が生活している自治体に納める住民税を、地方の自治体に寄付するとなると、その分、ゴミの収集などの基本的な住民サ-ビスに割り当てる予算が削られる可能性があり、ブ-メランではないが自分に返ってくることになることから、私は一貫してこの制度に反対の立場をとっている。

実際に、今朝のテレビニュ-スでは世田谷区では富裕層の住民がふるさと納税で全国の他の自治体にふるさと脳性するために、世田谷区の住民税の税収が、正確な金額は忘れたが、50億円ほどの税収が落ち込み、住民サ-ビスに滞りが輝とのこと。世田谷区の何不自由なく暮している住民たちの良識はどうなっているのだろう・・・。

百歩譲って、自分が子どもの頃に生活していた町が過疎にあえいでいるので、この制度で援助するならともかく、全く縁もゆかりも自治体に、答礼品目的で納税するなど、日本人としての矜持というか道徳心まで無くしてしまう制度ではないだろうか。

 それにしても100億円のギフト券とは凄い話。泉佐野市がどのように方式で、ギフト券を配るのか分からないが、この話を聞いて、全国の少しでも得をしたいと思う住民税を比較的支払っている、いわゆる小金持ち富裕層が色めきだって、我先に応募するだろうことは想像できる。

 となると、泉佐野市がアマゾンならこちらは楽天のそれだ・・・と考える自治体も出てこないとも限らない。そして行き着くところは、総務省の30%枠など何のその、ますますより魅力ある答礼品合戦が始まることは目に見える。

傑作なのは総務省の慌てぶり。30%とすることに加えて地場産業品に限るという通達したのに、完全に顔にドロをぬられたとカンカンに怒り狂って、総務大臣が異例の記者会見で、泉佐野市は自分だけ良ければ良いという考え方だと真っ向から非難していた。

大臣が怒り狂っているだけなら子どものケンカだと笑えるが、何事に関してもデンデン親分のおっしゃることを聞かない奴は潰すまで・・・という一家の掟があるらしく、早速、以前総務省が通達した文言を、法令化することを検討すると言い出し、そしてその通り8日に閣議決定したとのこと。

閣議決定はデンデン一家の伝家の宝刀、本来なら法律にするためには、国会の承認を受けなければならないはずなのに、全てこの『閣議決定』という言葉さえ出せば、後はマスコミが国民を宥めてくれるのだからこの言葉は値千金。

それにしても、与党も含めて国会議員はナメられたものであり、もっと酷いのは、善良な一般大衆。一家の閣議決定という言葉で全てが決められ、それに絶対に逆らえないこの国の体制では、国民はまさに奴隷状態だと表現しても差し支えない。

今回の閣議決定の内容は、返礼品を『調達費が寄付額の30%以下の地場産品』に規制するとして、6月1日以降、違反自治体に寄付した場合は、制度に基づく税優遇が受けられなくなるという。

総務省は以前から、答礼品合戦に規制をかけねばと、度々自治体には30%を守るように申し入れをしていたらしいが、泉佐野市長は『魅力的な返礼品が失われることで国民の関心を低下させ、ここまで広まったふるさと納税制度を縮小させる結果につながってしまう』と批評して、馬耳東風を決め込んでいたらしい。

その上で、同市は今回の100億円キャンペーンについて『総務省に対抗する意図では全くない』と強調する一方、『返礼品は各自治体がアイデアを絞って実施している。総務省のやっていることは地方分権を脅かすものだ』と批判しているというから、全国の答礼品選びに苦労している組長さんたちは影で拍手をおくっているのではないだろうか。

この制度が始まり、実際に寄付金が自治体の欠かせない収入になれば、寄付金を集めることに知恵を出すのは当たり前。泉佐野市のような自治体が現れることは始めから予想できていたはずだが、デンデン一家のチエ者(官房長官らしい)が、そんなアホなことを考えないだろうとタカを括っていたとしたらなんとも間が抜けた話。私的にはアホカの一言・・・。

今回も、閣議決定は大都市と地方の間で生じている格差を是正するものだと言い訳がましいしく説明しているが、国民が等しく穏やかな生活ができるようにするのは国の義務であることは論を待たない。しかし、ここまで過疎化が進んでは自治体の努力だけでは格差は是正できるはずがない。

国は、ふるさと納税なる国民に責任を転嫁する方法など即刻取りやめて、過疎自治体に余りある補助金を交付して、地方の住民が都会以上の豊かな暮らしができるようにするべきである。ならば、過疎化という負の言葉もなくなるのではないだろうか。

しかし、アメリカさまのご命令には逆らえないデンデン政権が続けば、戦争に必要な空母やミサイル・戦闘機の予算は大幅に増えることはあっても、国民に幸せを運ぶ医療や福祉の心配りは減ることはあっても増えることは絶対にあり得ないのは明白。まして、過疎化対策などの有効策など期待する方が無理だろう。

私のような貧乏老人でも分かることが、デンデン一家に忖度したマスコミが、真実を知らせないことによって、多くの国民が理解できない状態になっていることに、あきらめさえ感じ始めているが・・・。(田舎親父)

2019年2月 8日 (金)

野党やマスコミは本気なのだろうか?・・・

 厚生労働省の組織的と思われる不正統計問題を、野党が国会で追及していることを連日マスコミは大々的に取り上げている(いや、取り上げているフリかな)ようにも思える。

野党は、いち早くデンデン政権が責任の所在を曖昧にするために他の部署に左遷?した官僚を国会に招致するように攻めているようだが、デンデン親分はじめ子分たちも柳に風というごとく、ノラリクラリとはぐらかしているように思えるのは、モリカケ疑惑を乗り切ったと自信を深めているからに違いない。

攻められている政権側には緊張感がない。緊張感がないどころか、ほんの少しテレビで見た国会中継の映像では、デンデンとアホウは、にやにやしているだけではなく、ヤジまで飛ばしているのだから常識では考えられない。

今日になって、参考人招致で与野党が手打ちしたらしいというニュ-スが流れるが、罰則規定がない参考人なら、またまた同じこと。確信をついた証言など絶対に出てくるはずがない。

閣僚たちも親分たちに習い、これでもかとばかりトンチンカンな答弁の繰り返しに加えて、好き勝手に言いたい放題。

これら閣僚の中でも、特に常識では考えられないような発言を意図的に繰り返しているアホウ代貸しは、今回も『年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんだから・・・』と、全く論点をそらすような、女性蔑視の発言を繰り返しているののだから救いようがない。

この種の発言ははじめてではなく、確信犯。この男の思想なのだろうが、こんな男が、この国の副首相だとふんぞりかえるだけではなく、経済の大本を握る官庁を牛耳っているのだから国民の暮らしは良くなるはずがない。

本来なら、厚労省の統計隠しは、内閣が吹っ飛ぶような大問題だと思うのだが、このふざけた姿勢は、もっと大きな問題(私は外交問題の行き詰まりだと推測しているのだが)を隠すために、わざわざ野党議員を怒らせて、時間稼ぎをしているような気がしてならないのだが・・・。昨日の北方領土の日のポスタ-からは『固有の領土』という文言が完全に消えてしまっていることから明らか。

そのことは、別の機会につぶやくとして、厚労省の毎月勤労統計の不正による失業給付などの支払い不足で、対象となる可能性があるのは2004年以降に受給した延べ約2000万人だという記事に目が留まる。

大半が失業給付を含む雇用保険で、人数は04年8月以降に受給した延べ約1942万人というから驚くばかり。ただ、1人当たりの追加給付額は平均でたったの約1400円となると、これも聞き捨てならない。
 労災保険では同7月以降の受給者が対象。年金給付が延べ約27万人に平均約9万円、けがをした場合の休業補償が延べ約45万人に、平均約300円を追加給付するとのことらしい。

住所が判明している対象者については、厚労省から順次支払いの通知が郵送で届くという。また、支給が受けられるか知りたい人は、同省が開発中のホームページ上の簡易な仕組みを利用し、給付金額や対象者であるかどうかの見込みを知ることができるようになると何やら、まるで払ってやるからおとなしく待っていろという態度にはあきれる。

それ以前に、雇用保険の受給社の追加として1400円とは情けない。何だこれっぽっちという程度の涙金。ちっとも喜びないのではと思ってしまう。

しかし、追加給付は企業向けの助成金や金利分も含め、総額約600億円。必要なシステム改修などの費用としてさらに約195億円がかかる見通しというから゛何ともアホラシイ話である。

意図的に賃金を低く見せたことは許し難いが、バレたら謝れば良いとの態度はまさに国民をなめきったもの。しかも、素直に誤るのではなく、知らなかった官僚が勝手にやったという姿勢。官僚を証人喚問はするかというとこれば絶対に拒み通し、参考人でおちを濁す。手直しは全て税金を投入するのだから、国民は二重に税金をとられていることになる。

なるほど、数の力で国会牛耳っているデンデン一家が動じないわげである。経産省の統計の改竄は、ニヤニヤ笑って時を稼いでいれば、外交や経済の失敗は追及されず、そのうち元の木阿弥になることを分かっているのだろう。

マスコミは決して根本的にはデンデン政権を批判しないで、適当に野党に与しているのも大いなる茶番。

わざわざ、厚労省の統計問題や北方領土から国民の目をそらせるために、ここぞとばかり、小4の女の子の虐待死を取り上げて、父親の非道を暴き、児童相談所や教育委員会の不都合を非難しているが、女の子の命はかえってこないのだから、結果的にデンデン政権を喜ばすだけ・・・。

児相や教委が責任をとるはずがなく、また取れるとは思えない。たかだかほんの少しの懲戒処分(減給や戒告程度だろう)でお茶を濁すのが席の山だろうと思うと、何もかもが虚しくなる。(田舎親父)

2019年2月 6日 (水)

ディケンズ病が警鐘?・・・

 昨日のこと、ネットのイギリスCNN発の記事である。イギリスで19世紀から20世紀初頭にかけて流行した猩紅熱や栄養不良など『ディケンズ病』と呼ばれる疾病が再燃し、患者数が急増しているという記事に目が留まる。

『猩紅熱』は主に幼児がかかる皮膚病の一種だという程度の知識は持っている。以前はわが国でも伝染病として恐れられていたが、抗生物質のおかげで現在では、撲滅されたと聞いている。

しかし、『ディケンズ病』という病名ははじめて目にすることから気になって例によってネット辞典で調べてみると、特定の病気のことではなく、『ヴィクトリア朝時代に流行した病』のことを指すのだそうだ。

『ヴィクトリア朝の病』と言わずに『ディケンズの時代の病』『ディケンズの小説に出てくるような古い病気』とした方が、大衆に訴えるには効果的な意図から、当時の有名な作家の名前をつけて、一般的に『ディケンズ病』と言われているとのことになるほど納得。

そして、『ディケンズ病』と総称されている病気には、猩紅熱や栄養不良、百日咳や痛風などが含まれているという。

『栄養不良』という病名があるかどうかは別にして、イギリスの『民保健サービス(NHS)』という組織の統計をもとに野党労働党の専門家が調査の調査した結果、2010年以来、猩紅熱や栄養不良、百日咳や痛風(いわゆる『ディケンズ病』のために病院を受診した患者は、年間3000人(52%)のペースで増加しているのだという。

ここでも栄養不良という項目があるのが気にいらないが、この文言を無視しても、イギリスというもっとも医学が進んでいると思われている国で、年々50%以上増えているというのは不気味である。

記事は続く。イギリスでももはや過去の病気になっている1900年代初頭に乳幼児の死亡の筆頭原因だった『猩紅熱』については、2010~11年にかけて429人だった患者数が、17~18年にかけては1321人と208%増加したというから、明らかに猩紅熱が亡霊のごとく蘇り、子どもを中心に流行り出していることは間違いないらしい。

さらに、1950年代に英全土で予防接種を推進した結果、イギリスではほぼ根絶されたはずだった『百日咳』の患者数は2010~18年にかけて59%増となったというから、かなり深刻な問題になっているらしい。
 この調査結果はイギリス国会でも議論され始めており、野党労働党は、こうした疾患が増えているのは、政府の『緊縮策の影響で検査や予防対策などの予算が削減されている』として政府を追及しているというから、国民の健康に対する予算がかなり削られていることを想像させられる。

この記事で、確かつい最近、わが国でも『百日咳』が流行っているという文面を何かで目にしたことがあることを思い出し、これはイギリスだけの話ではなさそうだぞという気持ちにさせられる。

本来は子どもがかかることが多いのに、最近は大人の患者が増えているというのも引っかかる。時に思考回路が幼児化という話題を聞くこともあるが、まさか最近の大人の病気の耐性も幼児化しているとは思いたくないが・・・。

また、梅毒などの性病も増えているらしいが、こちらはある意味原因がはっきりしているので、さほど驚くことでもなさそうだが、一昔前までは不治の病と恐れられた結核までもが徐々に復活しているというのも、イギリスでの『ディケンズ病』の流行と一致しているような気がする。

そこに、病名としては疑問だった『栄養不良』という言葉が関係しているのではという考えが一瞬閃く。

最近、『子ども食堂』なる奇妙な言葉が流行っているが、家庭の貧困から、満足に食事をとれない子どもが増えていることから、無償あるいはごく低料金で食事を食べさせる場だという。なるほど、ここで『栄養不良』という言葉に繋がることに気づき、病名ではないが、病気の原因として使われていることに納得する。

となると、『ディケンズ病』はじめ、梅毒は別にして最近蘇った過去の伝染性の病気の主因は、経済格差として捉えて間違いなさそうだ。

こんな話題にまで格差が主役とは言い切れないだろうが、格差を広げるデンデン政権をいちにちでも早く消さなければ、ますます健康被害も酷くなるぞとの警鐘のように聞こえるのは、果たして私だけなのだろうか・・・。(田舎親父)

2019年2月 5日 (火)

核の最前線に?・・・

去年から、トランプ大統領がロシアに対して、条約違反だと非難していたアメリカとロシアの2国間で結んでいるINF条約(中距離核戦力全廃条約)を破棄すると、2月1日に正式に通達したことに対して、翌日にはロシアも離脱を表明したニュ-スで、トランプという男の独りよがり的発想にアホらしくなってくる。

これで、この条約は半年後の8月2日に条約そのものが消えることになるのだそうだが、何とも不気味な足音が聞こえてくるような気がする。

外交のことなど全く分からない私であるが、かなり以前(調べると1987年)にアメリカのレ-ガン大統領と、当時のソ連のフルシチョフ第一書記が、東西冷戦をそろそろ終わりにするために、まずはこれ以上核兵器の開発と保有をしないようにしようではとこの条約を結んだと教えられた記憶にある。

後で、全ての核兵器を廃絶するという約束ではなく、地上発射方式の中距離核戦力(戦域核)を全廃することを目的としていることを知りガッカリしたことを覚えている。同時に何故中国が入っていなだろうと疑問に感じたが、当時は、中国が核開発に力を入れていることは米ソ両国は懸念があったものの、現在のような脅威は予想できなかったようだ。

以後、アメリカとロシアの核兵器開発競争はなくなり、核戦争の危機は遠ざかっていると信じていたが、トランプの登場で世界が俄然キナ臭くなり出したことは確実である。トランプ曰く、ロシアは巡行ミサイルを開発しているのはINF条約違反だと発言し、そんなロシアの動きが気に入らないのだろうが、条約の破棄を臭わしたことに対してロシアが反発、真っ向から反論し物別れになっていたようだ。

トランプ大統領としては、ロシアの動きに対抗すると同時に中国が条約に縛られないのが何よりの不満で、この際、ロシアへの不信が高じたことから一旦条約を破棄して、中国を入れた3ケ国で、新しい仕組みを作りたいのがホンネなのかも知れないが・・・。

実際に中国に、このことを提案したようだが、中国はその呼びかけに対して頭から無視しているそうだ。これには誇り高い?トランプはカンカンになり、中国にナメられたらアメリカの沽券に関わると、ボルトンなどの強硬派の側近からの強い要請もあって、今回の強権発動に至ったというところではないだろうか。

最近の中国を見ると、空母の建造はもとより、南シナ海に人工島を作り、回りの国々に圧力を加えるだけではなく、宇宙へも覇権を広げる様子がアリアリ。つい先日は月の裏側に着陸したことなども、単なる科学の成果というよりも、明らかに軍事目的だろう。防衛費もウナギ登りで増え続け、核兵器の開発にも活発的だと伝えられていることからも、中国が核大国を目指していることは間違いなさそうだ。

アメリカとロシア、そして3ケ国による(小型)核兵器の開発競争が盛んになることも確実である。そして恐ろしいのは、日本はアメリカのポチのウンコ状態であり、ロシアとは北方領土、中国とは東シナ海や尖閣諸島という火種を持っていること。

さらに、核を一番搭載しやすいミサイルが中距離ミサイルだということと、このミサイルではアメリカ本土に発射台を設けても、ロシアや中国には届かないことから、アメリカは間違いなく、中国の中心部とロシアの極東が射程距離の日本に発射基地を設けるはず。そしてもっと悪いことは、デンデン政権は、アメリカの言いなりで限りなく軍事予算を増大化していること。

となると、トランプは『シンゾウよ、高い買い物だと、子分からも文句を出ているらしいが、イ-ジス・ジョアがすく役立つぞ。急いで、山口と秋田に発射基地を作る手配をよろしく・・・』という脅しに対して『ハイわかりましたトランプ親分さま・・・』。

すでに、こんなマンガの世界のような会話が買わされている可能性が大きくなる。ロシアも中国も過去日本との戦争で、屈辱的な敗北をしていることからも、両国の国民は日本に対して警戒感を持っていることは間違いなさそうだ。

それを、プ-チン、習などの両国の権力者は徹底的に利用して、国民を誘導するに違いない。日露戦争で樺太の南半分を割譲させられことから、北方4島は太平洋戦争の戦後処理において、正当な手続きでロシア領になったという認識を固定させ、返還などとんでもないという世論を作り上げている。

中国に対しても、明らかな日清戦争の結果とその後の日本政府と軍部のやり方が太平洋戦争を引き起こしたことは歴史が証明していることから、アメリの言いなりでことを運んだら、中ロ両国からトンデモないしっぺ返しにあいそうな予感がする。

現政権は、ロシアや中国と仲よくしたら、たちまちアメリカから『オレに逆らうつもりなのか・・・』とすごまれてはスゴスゴ尻尾を巻くしかなさそうだ。

となると、核の脅威は増すことはあっても減ることは絶対にない。本当は即日米安保破棄という政権ができるのが望ましいが、せめて、今回のINF条約破棄について国会で論争し、日本人全体で核の脅威に対する認識を高めねばならない。

その論争を踏まえて、基地協定を見直し、日本国内に点在しているアメリ軍基地を整理する方向を示す政党や政治家が、有権者の心をつかみ、デンデン政権に取って代わることしか日本の平和を守れないのでは・・・。

趙がつくほどの外交音痴の貧乏老人のたわごとだろうが・・・。(田舎親父)

2019年2月 4日 (月)

大渋滞間違いなさそだぞ・・・

またまたオリンピックの話題になるが、東京オリンピックの開催期間中の渋滞緩和策として、大会組織委員会、東京都、国が競技会場を結ぶ首都高速道路で交通量抑制を目的に通常の料金に上乗せすることを決めたという記事に目が留まる。

この措置を『ロードプライシング』というらしい。私的には、単なる『上乗せ』で良いのではないかと思うが、何となく問題を曖昧にさせるような言葉を広めることは現政権の得意技。

これまでも、例えばアベノミクスなる全く意味不明のカタカナ用語を事あるごとに繰り返し、あたかも景気が良くなっていると思わせる詐欺的な政策を進めてきたことから、この『ロ-ドブライシング』という言葉も警戒が必要だろう。

このことを伝える記事によると、国土交通省を中心にそれぞれの効果を検証し、対象の区間や時間帯、車両を含めた検討に入るのだそうだ。そして、今月6日に東京都内で開かれる有識者を交えた『交通輸送技術検討会』で『ロードプライシング導入』を確認して議論を開始するというから、すでに上乗せすることは規定の事実になっているらしい。

現在、首都高は走行距離に応じて料金が異なり、普通車(ETC利用時)で3000~1300円に設定されているが、大会期間中、これに一律500~3000円(金額は未定)を上乗せするとのこと。

いつものことだが、国民の声など聞く耳もたない現政権は、『有識者』という政府のいうことを代弁する御用学者を数人集めて、非公開な会合(書面だけのことも多いようだが)、『ハイ3000円を上乗せします』ということにもなりかねない。となると、貧乏人はもとより中小の企業は『オレたちを殺すのか・・・』という悲鳴が上がることは疑いない。

賄賂で誘致したオリンピックであっても世界中から、選手はもちろんその数をはるかに越えるスタッフに加えて、メディアら大会関係者が集まるのだから、トンデモない数の人間が集まることは容易に想像できる。

その移動はほぼ全員バスや乗用車で、主に高速道路を利用することが決まっているのだそうだから、それこそ何らかの措置をしないと、大会がスム-スに運営できないことは私でも分かることだが、そんなことは大会日程が決まった時から分かっていたこと。今頃になって議論するという方が間違っているより無責任甚だしい。

組織委員会の試算では、首都高は何も対策を行わずに大会を迎えた場合、通常の約2倍の渋滞となることが見込まれているという。当初は、諸外国で渋滞緩和に効果があるとされているナンバ-プレ-トの末尾が偶数か奇数か通行できる車両を決める案が検討されたらしいが、わが国では現実的でないと一蹴されたと聞いている。

どこが現実的でないのか私には分からないが、都は経済団体や各企業に交通量を抑制、分散する『交通需要マネジメント(TDM)』(またまた難解な用語)の協力を要請したのだそうだ。具体的には時差出勤や在宅勤務、物流企業には配送時間の変更や回数の抑制を求め、交通量を平日から15%削減し休日並みとする計画だったらしい。
 ところが、昨年10月に開かれた交通輸送技術検討会のシミュレーションではTDMにより全体の交通量を一定程度減らしてしまうと、一般道から『首都高は混雑していない』と逆に流入する車両が相次ぐ結果が出たことで、この案をあきらめて、今回のように料金の上乗せ方式になったらしいが、やることなすことがどうでも良いが遅過ぎる。
 開催期間だけとはいえ、高速料金にこのような大幅な上乗せをしたら、物流が滞り経済に大影響を与えることは世間知らずの私でも分かること。都と組織委員会は、このためにトラックなどは対象外にする方針だというが、現在のETCカ-ドは自家用車と営業車を区別できているのだろうか・・・。

できているとしても、スタッフを運ぶバスと遠隔地からバスを仕立てて来る見学者用のバスを見分けることは難しいのではないだろうか。となると、検問的なゲ-トが必要となり、そのためだけで渋滞が大きくなりそうな気がするが・・・。

何らかの手段を講じないと、トンデモ事態になることは私でも分かることだが、ここまで考えると、私にとってはもうどうでも良いことなので思考停止。

さて、実際にどんな混乱が起きるのか、根性が曲がっていると言われるかも知れないが、これは楽しみだ・・・。(田舎親父)

2019年2月 3日 (日)

ご冥福をお祈りする・・・

 現在では、ネットで時にその名を発見する程度になってしまったが、権力に対して真っ向から立ち向かうような文章を掲載していることで、隠れた人気だった『噂の真相』という雑誌があった。ただ、私は直接講読したことはない。

ただ、この雑誌社が直接投稿していたわけではないダロウが、ツイッタ-などでこの雑誌の記事をそのまま引用した文章が掲載されることがあると、思わず、本当なの・・・と飛びついて読んだものである。

昨日、朝日新聞のネット版に 月刊誌『噂の真相』の編集長を務めた岡留安則さんが1月31日、右上葉肺がんのため、那覇市内の病院で亡くなったという記事を見付ける。

岡留さんがこの雑誌の編集長だったことはうっすらと記憶がある。しかし、かなり年配の方だと思っていたが、71歳だったというから惜しいというしかない。

この訃報を知る前後して、岡留さんの死を『リテラ』というネット情報メルマガが届き、詳しい岡安さんの足跡を知らせてくれた。

『リテラ』の愛読者も多いと思うが、私のボケ防止と共に、岡留さんの権力対する不屈な抵抗を忘れないようにするためにも、その文章をそのまま引用させていただくことにする。

(以下そのまま引用)政界や芸能界のタブーに斬り込んだ「噂の真相」を1979年に創刊し、25年間にわたって編集長を務めた。99年には、当時の東京高検検事長の女性問題を報じ、後の辞任につながった。2004年4月の休刊後、沖縄県に移住。飲食店を経営しながら、沖縄の米軍基地問題について積極的に発言し続けてきた。16年に脳梗塞(こうそく)を発症。その後、がんが見つかり、治療を続けていた。

「噂の真相」編集長だった岡留安則が1月31日、死去した。「噂の真相」といっても、若い読者にはなじみがないかもしれないが、“タブーなき反権力雑誌”を標榜し、2004年に休刊するまで、マスコミが書けない皇室や警察、検察、政治家のスキャンダル、大物作家のゴシップなどを暴露してきた雑誌だ。

 森喜朗首相(当時)の買春検挙歴、安倍晋三首相のパチンコ業者との癒着や自宅火炎瓶事件の背景にあった暴力団との関係、則定衛東京高検検事長(当時)の愛人スキャンダル、宗像紀夫東京地検特捜部長(当時)のパチンコ業者による接待疑惑など、マスコミを震撼させるスクープを連発してきた。

 岡留編集長はその「噂の真相」をなんの後ろ盾もなくたったひとりで立ち上げ、度重なる圧力やトラブルにも一切屈することなく、25年にわたってその過激で自由な言論の場を守り続けてきた。

 岡留編集長の死去とその経緯については、本日夕方、「噂の真相」元スタッフ一同が正式に発表している。「噂の真相」には現在、公式サイトなどがないため、副編集長だった川端幹人や元デスクの神林広恵が編集スタッフをつとめている「リテラ」で、その全文を掲載する。
(編集部)

***************

 元「噂の真相」編集長・岡留安則が2019年1月31日0時16分、右上葉肺がんのため死去いたしましたことを、「噂の真相」元スタッフ一同より、ご報告申し上げます。

 2016年に脳梗塞を発症し、その後、肺がんが発見されたため、治療につとめておりましたが、力尽き、那覇市内の病院で息を引き取りました。享年71でした。

 岡留は、1979年3月に月刊誌「噂の真相」を自ら創刊し、以来、25年間、編集発行人として、権力を撃ち続けました。その間、東京地検特捜部からの不当起訴、右翼の襲撃、警察の家宅捜索、森喜朗や安倍晋三との名誉毀損訴訟など、数多くの圧力やトラブルに見舞われましたが、一切屈することなく、言論の自由を守るために闘い続けました。

 また、「噂の真相」が2004年4月に休刊してからも、その姿勢はまったく変わりなく、沖縄の地に移り住み、基地問題をはじめ日本という国の矛盾を押しつけられてきた沖縄の現状について発信し続けました。

 岡留はいつもわたしたちに「体制が変わろうが、政権がどうなろうが、権力は信用できない。常に疑っていかなくては騙される。だから、知り得た情報をすべて市民に公開していくんだ」と語っていました。

 そのゆるぎない覚悟、そしていかなる困難も生来の明るさとアイデアで乗りこえていくかろやかな姿勢は、わたしたちスタッフから見ても唯一無二であり、早すぎる死に悔しさを感じるばかりです。

 本人も病床で最後まで安倍政権や辺野古新基地建設について憤りを口にしており、県民投票を前に力尽きたことは、さぞかし心残りだったと思います。

 ただ、救いは、岡留がもっとも思い入れのあった沖縄の地で生涯を終えられたことです。生前は「死んだら沖縄の海に散骨してほしい」と語っており、亡くなる直前には、大好きだった「花」を聴いて、涙していたそうです。

 いまはまだ、わたしたちスタッフも大きな存在を失った悲しみに呆然とするばかりですが、まずは、書面にて、お世話になった皆さま、ご交友のあった皆さまに、生前のご厚意とご支援、友情への感謝を申し上げる次第です。

 なお、葬儀はご遺族の意向により近親者のみで執り行われましたが、お世話になった皆さま、ご交友のあった皆さまとともに、岡留の思い出を語り合えるような場をあらためてもつことができたら、と希望しております。

2019年2月2日

「噂の真相」元スタッフ一同

 (引用ここまで)改めてご冥福をお祈りする。(田舎親父)

2019年2月 2日 (土)

どうでも良いことだが高過ぎない?・・・

 先月の末に2020年の東京オリンピックの競技別入場料が発表された。私には全く関係ない話なので、どうぞご勝手にというところだが、陸上競技の決勝戦は、5つのランクがあって、最高のAランクで13万円。もっとも安いEランクで5800円だとのことに、随分差をつけたものである。

 去年の夏に開会式は30万円だと発表されたことにも驚いたが、関係ないとはいえ、横浜の片田舎の貧乏老人から見たら、よくぞこんなか価格を設定ができるものとあきれるだけであるが・・・。

それでも、オレは大金をはたいても生で観たいのだから、つべこべ文句を言うなという人も多いのだろうとは十分分かっているつもりだが、やはり一言つぶやいてみたくなる。

新聞やテレビで知らされたのは、ごく一部の競技の入場料金であり、記事の多くが家族での観戦や障がいを持つ人が付き添いの人と一緒の場合、あるいは学校などの団体料金として、2020円のチケットを用意していると強調しているのも、ことさら配慮しているのだと見せるためのような策なのかな?・・・。

しかし、2020円で入場できるチケットの枚数は記事にはない。最低のE席でも5800円するのだから、2020円で観戦できるのだからお得感は否めず、このチケットはかなり人気を集めるに違いないが、肝心の、座席の位置や販売枚数は一切公表されていないとなると、高いという批評を弱めるためのアリバイ作りではと勘繰りたくなる。

しかも、チケットの発売時期を3段階に分け、まず4月以降に全33競技を対象に抽選販売を開始し秋から冬にかけては先着順で販売するという。申し込みは、共にインターネットの公式販売サイトのみで受け付け、来年の4月からは東京都内に設置予定の販売所などで購入できるそうだが、あらかじめそれぞれの枚数が決められているはずなのに、この当たりも霞の中。

仮に、陸上決勝戦の入場料金である5800円のE席を想像してみる。恐らく、そこは新しく作られた国立競技場の最上段付近に違いない。そこから観る決勝のテ-プはかなりの距離がある。場所によってはテ-プすら見られない恐れもありそうだ。

例によって話は飛ぶが、以前一度だけ、8万人を収容すると言われている新横浜にある『ニッサンスタジアム』というサッカ-競技場で、この最上段の席に座ったことがある。そして、そこにたどり着くまでにかなりの苦労したことやトイレでの長蛇の列を経験したことを思い出す。

詳しい新国立競技場の実際の設計図は、よほどの関係者以外目にすることもできないだろうが、その規模はニッサンスタジアムをはるかにしのぐと言われていることと、組織委員会は、世界に誇ると豪語していることから、エスカレ-タ-やエレベ-タ-も相当数設置されているだろうと信じたい。

が、5つものランクを作り極端に差別化したとしても、8万人とも言われる座席を確保するとなると、ふんだんにこれらの設備が設けられるかというとかなり難しく、むしろ、エレベ-タ-などに近い場所は、A席やB席になるこの可能性は大。しかも、世論を納得させるだけの枚数のE席は私が経験した苦労でないとしても、やっと手にした5800円の席手の観戦は相当な覚悟が必要ありそうだ。

まして、多分最上階近くに指定してあるだろうE席の一部を、小さな子ども連れや車椅子を利用する人の席に指定するのだろうが、教員や健常者が同行するとはいえ、2020円の席を確保するまでには、並大抵のことではないことも想像に難くない。

そして、そこから観るあこがれの選手がテ-プをきる瞬間は臨場感を味わえるだろうが双眼鏡でやっとその顔が識別できる程度で、見逃す人も少なくないだろう。これなら、テレビデ見ていたほうがよっぽど・・・と後悔の声も聞こえてくるようだ。

4月のチケットの販売が始まれば、いろいろなことが明らかになり、次々と新しい矛盾が生まれ、中には、マスコミが取り上げざるを得ない大きな問題が生まれるのではないだろうかと、悪趣味ながらワクワクしてくる。

それ以前に、大会トップが誘致汚職で逮捕も可能性としてゼロではないとなると、オリンピックそのものがすっ飛ぶことも楽しみの一つであるが・・・。(田舎親父)

2019年2月 1日 (金)

中華思想による覇権?・・・

 例年のことながら、あっと言う間に1月が過ぎてしまった。今日から2月が始まるが、すぐに『恵方巻き狂奏曲』と『鬼は外・・・』の掛け声が終わり、春一番と梅だより。そして弥生3月春爛漫の声で気分はウキウキ。続いて卒業・入学、花見だと季節は移り、気がつくと暑い暑いと汗だくの日に、何とも時の過ぎるのがはやいことを思うのが毎年の習い。

 こんな平和な日々が中国では過去1万年も続いているらしいか、最近の中国から聞こえてくるのは生臭い話ばかり。中でも、中国の権力者が『中華思想』を是として、世界制覇をねらっているのではと思わせる事柄をマスコミが大々的に取り上げている。

中でも私が気になったのは、先月末の新華社から届いた記事である。中国科学院神経科学研究所のチームがゲノム編集技術と体細胞クローン技術を使い、体内時計の機能を失わせた全く同じ遺伝情報を持つサル五匹を誕生させることに成功したという文面に愕然とする。

同研究所のチームが昨年、クローンサルの誕生を発表したというニュ-スに、いよいよ人間が神の領域に踏みこんだことで、これを許しては想像もできないおぞましい社会がやってくるのではとつぶやいたが、さらに今回の場合は、『体内時計の機能を失わせた』という言葉が引っ掛かる。単なるクロ-ンサルとは違う、得も知れない恐ろしいことが起きそうな予感に身が震える。

記事には、研究チームは遺伝子を狙い通りに改変するゲノム編集技術を使い、体内時計に関係する遺伝子が機能しないようにしたサル5匹をつくり、その中から体内時計が最も働いていないとみられるサル一匹を選び、そのクローン5匹を誕生させたとある。

世間知らずで、自分が経験したこと以外の知識はほとんど持ち合わせていない上に、医学的なことになるとまるでチンプンカンプンなのだが、すでに遺伝子を組み換える技術が当たり前になっていること程度は知っている。

最近凝っているプランタ-農業における野菜や花の種も、そのほとんどが遺伝子を組み換えて、病気になりにくくしたり、収穫量を増やしたりしていることは袋に記してあり、むしろ遺伝子組み換えしていない種を探す方が難しくなっているほどである。 

詳しいことは全く分からないが、遺伝子の一部をとり出し、そこに違う遺伝子を差しこむことによって、このような種を作り出すのだろうが、人間に近い霊長類であるサルでも中国の研究室は当然のごとく取り組んでいるようだ。

文面から想像すると、遺伝子組み換えて、体内時計の機能を失わせることもさほど難しい技術ではなさそうだ。さらに、5匹の中で、特にこの機能がなくなっているサルとなると、体内時計の機能は、全く働いていないと考えて良さそうだ。そしてそのクロ-ンとなると、この機能を完全に失ったサルを大量に人間の手で作り上げられることを意味する。

研究チ-ムは体内時計が機能しないと精神疾患や糖尿病、循環器系疾患につながることから、このクロ-サルを使って、新薬開発の実験の効率が飛躍的に向上すると主張しているが、体内時計の機能が失われることによって、病気になることはもちろん、脳の働きに影響するのではないだろうか。

ここからは根拠のない想像になる。体内時計の機能を失わせた人間を作り出すことは、倫理観さえもたねばごく簡単なことで、体内時計の機能の喪失が、思考力に影響すると仮定すると、生まれながらに、ある人物像を能に埋め込み、この人物に対して絶対服従しかない人間を産み出すことはあり得ない話ではなさそうだ。

権力者に対して、現在の私たちは反対行動に出るかどうかは分からないが、少なくとも『変だぞ』という思いを持つことができるが、クロ-ン人間には権力者に対する批判という要素がないのだから、これは恐ろしい。

しかも、このような人間しか生まれないようにすることも可能だろうし、思考力がなく命令通りに動くとなると、死ぬことも当たり前だと受け入れるのでは・・・。中国の権力者が『中華思想』絶対的な教義として、人類を支配することを夢見ている姿が目に浮かぶ。

まさか、わが国でもすでにこのような研究が行われていないだろうと信じたいが・・・。(田舎親父)

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