高校駅伝で感じた素朴な疑問2題・・・
一昨日の全国高校駅伝は結果的に『能力抜群』の留学生を擁する、女子は豊川高校、男子は世羅高校が(私の)予想通り優勝した。観ていて、二つの素朴な疑問を感じたので、今日はそのことについて・・・。
わずか10秒足らずで結果が出る100m走は見ていて面白いが、日本人はどんなに努力しても絶対に優勝できない。というより上位入賞もおぼつかないのが現実で、近代になってオリンピックや世界選手権では予選を突破することすら難しいのが現実。
メタルの獲得など期待しなければ良いのに、メダル・メタルと大騒ぎする陸連やマスコミを覚めた目でみている国民が多いのではないだろうか。私もその一人・・・。
ところが長距離になれば、単に瞬発力の勝負だけでなく、スタミナや駆け引きの妙もあって、日本人にはかなり有利な競技。男子の部に限っていうならば、事実今までは優勝する機会が多く、世界的なマラソン大会で優勝というニュ-スが踊ったものだ。
東京オリンピックで3位に入賞した円谷選手はじめ、森下・中山・宗兄弟・瀬古・谷口・伊藤・高岡・・・と私でも何人もの名ランナ-達が国際的なマラソン大会では活躍してきた。
しかし、ここ数年日本人男子ランナ-達の結果は惨憺たるもの。これは、日本人の体力・能力が落ちたというより、もともと草原を走り回っていたアフリカの選手達が、近代の走法や医学を取り入れられる経済力?(勝てばカネになる現実)によって、次々に有力選手が生まれているからだと思っているので仕方ないと結論づけている。
彼らは、もともと走るという能力が潜在的に優れているのだから、正しい理論と指導法にぶつかれば記録が延びるのは当然だろう。
女子の場合は、アフリカ諸国は男女の性差が大きく、女性の社会的地位が極端に低く学習機会さえ制限されている現実では、能力のある人材を見つけるに至っていないだけで、女性の地位が向上すると共に、あまたの人材が長距離界に出てくるだろうから、このままでは日本選手は現在の男子と同じ運命になるのは目に見えるところ・・・。
マラソンと駅伝は違うと言われる。確かに40数キロを一人で走るマラソンと何人かでつなぐ駅伝が走り方はもちろん、作戦そのものから根本的に違ってくる。マラソンでは自己責任だが駅伝では自分のほんの少しの不調からチ-ムに迷惑をかけるとあって、チ-ムの一員としてのメンタル面ではマラソンとは比較にならないほど大きいだろう。
しかし、基本的にはある程度の長距離を走ることには変わりはない。その能力が日本人より優れているアフリカの少年たちの中から、選び抜いた15才の若者を『留学生』という、彼らと家族にとってはまさに『宝くじに当たる』と表現しても良いほどの条件で日本での活躍の機会を与えられるのだから、このような選手が存在する学校が強いのは当たり前。
数年前までは一区の10kmの区間に圧倒的な能力のワンジルという留学生を起用した仙台育英高校が連破したことが問題になり、昨年から一区の起用は禁止、留学生は二人までという規則に変わったことは記憶に新しい。
昨年はそのことが見事に功を奏した?ようで、男子においては、純国産の高校生集団の佐久長聖高校が日本人だけのチ-ムの最高記録優勝。しかし、3区を走った世羅高校の留学生カロキ選手の走りは凄かった。その時、このチ-ムが来年優勝するに違いないと確信したものである。
長々と書いてきたが、圧倒的な能力のある留学生が3年間もチ-ムにいては、全体の実力が伸びないはずはない。世羅高校の日本人選手の記録は去年よりかなり伸びたはず。事実4区の竹内選手の活躍は予想よりはるかに超えて独走体制を確立。
カロキ選手と日本人ランナ-の差は5000mで1分も違うのだから、1分以上離されて襷を受け取っても、8kmの3区の途中で追い抜くのは当然。後は各校も同じような能力の選手達ばかり、逃げれば良いのだから優勝するのは当たり前と私は予想していた。
結果的にはその通りになったが、はたしてこれで良いのだろうか・・・という疑問が頭をよぎる。『留学生』を除外することに賛成ではないが、駅伝で名を上げて生徒獲得に有利にと考える学校が増えることは間違いないところ。主催者側のもう少し突っ込んだ議論を望みたい。
もう一つは、午前中に行われた女子の試合。何故、女子の走る距離が短いのだという、単純素朴な疑問である。
性差が何かにつけて問題になる時代に、しかも女子の選手が長距離で活躍している今、高校生だから男子より短くするという考え方はいただけないと思うのだが・・・。(田舎親父)


最近のコメント