日記・コラム・つぶやき

2018年1月17日 (水)

そして日本人がいなくなる・・・

去年の暮れの話になるが、『2017年に生まれた子どもは推計94万人で過去最少となったと』いう記事に目が留まる。

何度もつぶやいたことだが、私とほぼ同年代の学年の人数が、200万人超だとはじめて知ったのは、横浜国大の入学式での学長の『君たちのと同じ学年の人たちは全国に220万人、そのうちのわずか2千人が本校に入学・・・』という言葉であった。

この言葉はなぜか心に残り、後年、卒業式の式辞や入学式の保護者へのあいさつなどで使わせてもらったものである。

200万人という数値が年々減り続け、15年前の最後の卒業式での式辞では『120万人(だったと記憶しているが)の同級生のうち、たった60名が本校かちら巣立っ行く・・・』という文言になったことを思い出す。

わが国で生まれる赤ちゃんの数が100万人を割り込んだとはじめて耳にしたのは、確か一昨年のこと。確認すると『976,979人』という数値。わずか15年で、20万人も減少したのかと寂しく思ったものだが、去年の統計は、さらに1年で3万人超の赤ちゃんの数が減ったことになる。

1943年生まれの私と同年代が220万人だということはすでに述べたが,そのあとベビ-ブ-ムと呼ばれる年代が続き、一番出生数が多かったのは統計表で読み取ると、1947年の約270万人だから、わずか70年で生まれてくる赤ちゃんの数が170万人減ったことになる。

平均寿命は延び続け、人生100年という言葉も盛んに使われるようになっているが、100歳になるためにはさらなる医療技術の発達が必要で、数年で達成できるとはとても思えず、たかだか男女平均すると85歳を少し越す程度が限界ではないだろうか。

去年の統計から、生まれる数が100万人弱、死亡する人が140万人適度で、自然減は約40万人だという。ベビ-ブ-ムで生まれた人が85歳になるのは約15年後。私流の単純計算では、その全ての人が存在していないのに、生まれるのが80万人?・・・。

となると、軽く100万人減。国の統計ではそこまで極端ではないらしいが、2025年には64万人、2040年は89万人、2060年には94万人が1年間に減っていくのだそうだ。

 このため、最近盛んに言われていることは、『深刻な労働力不足』という言葉。私の身近でも、『人手が足りない』というセリフを良く耳にする。特に、建築や道路、水道や電気の工事などの業界は深刻で、募集しても集まらないとのこと。

 親しい水道工事の請け負い会社の社長に、『そんなに集まらないの・・・』と聞いたところ、『親会社から受け取る金額では、払える日当は2万円が限度だが、最近の若い者はそんな金額では見向きもしない』という。オリンピックの施設の建築で求める働き手を全てゼネコンが奪っていると不満をあらわにしている。

 雇える人間は年寄りばかりというから、仕事がはかどるはずがない。私より一歳年下の彼は、仕方ないから自分が動かざるを得ない・・・という。

 オリンピックについてはここではつぶやかない。そして、人手不足のことについては改めて考えるとしても、ゼネコンだけを儲けさせるシステムが確立して中小企業に人が集まらないのは本末転倒。

 労働力不足を補うために外国人をあてにしているようだが、現政権は大企業を守ることが大前提なので、外国人を研修生として安い賃金で働かしているのが現実となると、やがて外国人にも見向きされなくなる日は近そうだ。

 北朝鮮の脅威だと煽り、ミサイル迎撃システムだ航空母艦の建造だなどと軍事予算だけを増大させることにうつつを抜かしていて、根本的な人口減対策をおろそかにしていてはますます人口減少は進み、気がつけば、日本人がいなくなるという事態になることも考えられないこともない。

 外交交渉で平和解決の道を探るのが国としての基本中の基本。それを忘れては人口問題はもとより、高齢化なども語れるはずはない。

先制攻撃の武力を持つのでなく、東京一極集中するシステムを改め、若者が地方で生活できるだけの給料が得られ、安心して結婚・子育てができる環境を作る努力を第一に考える政治家の出現を望みたい・・・。(田舎親父)

2018年1月16日 (火)

生まれてくるウミガメが全てメス・・・

先日、――『オーストラリアにある世界最大のサンゴ礁グレートバリアリーフ(Great Barrier Reef)の北部に生息するアオウミガメは現在、雌が圧倒的多数を占めているとの研究結果が8日、発表された。気候変動に起因する気温上昇が、卵からふ化する期間の性別決定に影響を及ぼすことが原因だという。――という記事に目が留まる。

カメの性別が気温の変化で決まるとは、私の今までの知識では到底想像できないことだが、記事にはウミガメの卵は、ふ化する温度によって性別が決まるとある。これは面白そうだと読み進めると、砂浜に穴を掘って作られる巣の温度が上昇するほど、メスが多く生まれるのだそうだ。

はじめて知る知識であるが、ウミガメの場合、温度にしてほんの数度の差が、雌雄の比率の均衡が保たれるか破れるかの分かれ目になり、その温度が29℃なのだそうだ。赤ちゃんカメが卵から出てくるときの回りの温度が29℃より高ければメス、低ければオスになるというから実に不思議な話である。

この生態は、ウミガメに限らず、トカゲやワニにもみられるという研究論文もあるというが、何故そうなるのかというのは全くわからないとのこと。何故は解明されていないがウミガメ育てる研究者たちは、ウミガメを人工孵化には、29℃に保ち、オス・メスの比率をできるだけ一定に保つ工夫をしているという。

この記述で、随分昔のことになるが、ある一時期、学習指導要領で小学5年生の理科で『命の誕生』という単元が新しく導入され、ニワトリが卵から孵化する場面を観察させることを指導内容に盛り込んだことで『孵卵器』という器具が流行ったことを思い出す。

私は、ニワトリの飼育は小学生のころからやっていたので、この単元に興味を持ち、すぐに数台の孵卵器を購入し各クラスに配ったもの・・・。

当時き手頃な価格の『孵卵器』は、仕組みは実に簡単で、卵を入れる容器をヒ-タ-で温め、内部の温度をサ-モスタットで37℃前後に保つだけ。そこで、一日2、3回卵を回転させる必要があったことから担任たちは相当苦労した記憶か蘇る。

何故回転しなければならないのかはいうまでもないだろうが、理屈では分かっているものの、その手間を忘れたり、日曜日は児童に任せるのだが、その場合しっかりと指導が行き渡らない場合が多く、途中で失敗することも日常茶飯事だったこともから、次の指導要領ではこの教材はなくなったのではなかっただろうか。

学校や理科主任によっては、高価な価格の自動的にゆっくり回転する機能がついた孵卵器を購入したようだが、指導要領の改定でこの単元がなくなると、高価な『孵卵器』もすぐにお蔵入り、今不用品として邪魔なものとしてあるのなら、花や野菜の発芽に使いたいものだと変なことを思い浮かべている。

話が横道にそれたが、浜に埋まった卵の性別を判定するのは困難なため、研究チームはウミガメを捕獲し、どの地域で生まれた個体かを調べるために遺伝子検査を使用したとある。

遺伝子を調べれば、どこで生まれた固体なのか判明するのだそうだが、グレートバリアリーフ南部の比較的気温が低い地域の砂浜で生まれたウミガメは約65~69%が雌で『性比の雌への偏りは中程度』であるに比べて、北部の気温が高い地域で生まれた個体群は99.8%が雌だったというから、性別と温度との関係ははっきりしている。

地球温暖化が現在進行中で、2100年までに世界の平均気温が2.6℃も上昇するのだそうだが、これでは、その時点で産卵期を迎えるウミガメが存在していても、生まれる子どもは全てメスということになりそうだ。当然、次の世代へ種を残すことは不可能で、やがて地球上から姿を消すことになるのは生態に詳しくない者でも明らか。

地球温暖化は全て人間の欲望から生まれた結果であることは歴史が証明しているが、この記事は、地球上の生き物が心置きなく命を受け継ぐためには、人間の存在が負の要因であることを端的に現している。

折角、ほんの少しこのことに緊急性を感じた国々がパリで、人間の欲望を少し押さえようと協定を作ったが、アメリカは『オレはイヤだよ』と早々に脱落、アメリカさまに隷属している現政権も、ホンネは『オラ関係ねえ』・・・。

この輩たちは、ウミガメがメスだけになることに危機感はないようだが、こんなわがままを通したら、間もなく地球からトンデモないしっぺ返しがくることだけは間違いなさそうだ・・・。(田舎親父)

2018年1月15日 (月)

値上げラッシュとは聞きたくない言葉・・・。

 日本社会は近年ずっと『デフレ』が続いているのだそうだ。

デフレという現象は需要と供給のバランスが崩れ、値段を安くしても売れない状態だと大昔、学校で習った記憶があり、デフレの定義としてそのまま信じてきた。そして、今もそのように理解している。

 物が売れないと、物を作る会社は経営が成り立たなくなって倒産に追い込まれることは理解できる。しかし、貧乏老人にとって、物価は安ければ安いほど助かるのも事実なので、『デフレで結構・・・』というのかホンネである。

 ところが経済の専門家に言わせると、デフレは社会悪だという。従って、経済的に健全な社会にするためにはデフレと反対言葉の『インフレ』にする必要があるのだそうだ。

 そこで政府と日銀は随分以前から、インフレにするための施策を続けているらしく、総合的な物価を現在より2%上げなければならないと、目標を定めて盛んに市場にお金をばらまいていると報じられている。

 銀行の金利を下げれば、銀行からお金を借りやすくなって、企業の経営は楽になるという理屈はわかるつもりだが、いつからか金利がゼロになっている上に、さらにはまだまだ効果が出ないとあって、『マイナス金利』という言葉まで世の中に広がっているから、経済音痴の私にはなんとも不思議な気がしてならない。

 利子をつけて国民から預かるという形でお金を集め、その金をできるだけ高い利子で貸し出して利益を出すのが銀行の本質的な経営の基本だと思うのだが、企業が設備投資などお金のかかることには消極的になり、利潤は内部留保にしてしまい社員には還元しないのだからお金が循環しないのは当然だろう。

さすがに、利子をほんの少しでもつけなければお金は集まらない。高度成長期には7%程度あった定期預金の金利は、今では下がりに下がって0.01%にも満たないというから驚きである。この数値は、例えば100万円を定期で1年間預けても、100円しかつかないのだから、なんとも凄い話である。

そして、ついには、お金を預けるのではなく、預かってあげているのだから、当然某かのお金を『預け賃』としていただくという案が実際に浮かび上がっているらしいとなると、銀行って何なの・・・という素朴な疑問がわいてくる。

 それはさて置いても、現政権はインフレの実現のためには何としても物価を上げなければという政策が強めていることから身近の物価がどんどん上がっているのは許し難い。というより、庶民は否応なく買い控え。買いたくても買えなくなるのだから、ますますデフレが進むのではないだろうかとついつい考えてしまう・・・。

 またまた長ったらしい文面になりそうだが、新年早々、聞こえてくるのはこの値上がりの情報ばかり。まず、正月早々、製粉大手3社がそろってパンなどに使う強力粉やお菓子などに使う薄力粉など家庭向けの小麦粉を5%も値上げしたとのこと。

 さらに減反政策が見直された影響で、米の価格が値上がっているため、来月1日から外食チェーンが牛丼や天丼の値上げを発表しているらしいが、その値上げが500円が540円になるのだそうだから、庶民にとっては相当こたえそうな気がする。また、電子レンジで温める『パック入りごはん』も、やはり2月から、最大17%k 値上げというから、こちらは一般家庭を直撃しそうだ。

 また、3月から4月にかけては、アサヒ、キリン、サントリー、サッポロの大手ビールメーカー4社が、瓶ビールや飲食店向けにたる詰めで出荷するビールなどを値上げするとのこと。1年前に比べると、私が大好きなサッポロ黒の500ml缶の6缶パックが100円以上値上っていることに加えて、これは『ビ-ルは贅沢品、この際止めなさい』という宣告のように聞こえてくる。

 製造会社としてはできれば値上げなどしたくないはずだと信じたい。経営をほんの少しでも安定させるためにやむえず値上げるのでは、常識的に考えても、利益が大幅に増える訳ではないのだから、社員の給料が大きく上るとは考えられない。

 大企業でも給料の値上げが難しいのだから、中小企業では望む術もないだろう。元々の富裕層や給料が上った一部の人たちは、今回の物価の値上げは、口では困ったなどと言いながら、生活にはさほど影響しないのだろうが、そうでない人はさらに節約志向が高まるはず。

 ところで、こちらは自然災害ともいえるのだろうが、このところ、野菜の値上がりが凄すぎる。先日も価格を調べるために、ス-パ-巡りをしたが、ハクサイをそのままの姿で並べている店は皆無。半分はまだましで、4分の1で200円にはビックリを通り越して気絶しそうにさえなる。

ダイコンも一本が300円とは私の知る限り、今まで経験がないほどの超高値。野菜まで節約指向が及ぶとなると、庶民の生活はますます厳しくなることは間違いなさそうだ。

野菜の値上がりは気候が安定すればいずれ解消するだろうが、『値上げラッシュ』という言葉は、私のような貧乏老人はもちろん、ごく普通の市民にとって、一番聞きたくない言葉であることだけははっきりしている。(田舎親父)

2018年1月12日 (金)

クマさんが気の毒・・・

 8日の朝日新聞朝刊の『クマ800頭捕殺 悩む秋田県』という見出しに目が留まる。見出しだけで大体の内容は理解できるが、それにしても捕殺数が私の想像をはるかに越える。気になって全文を読んでみた。 

秋田県内で今年度、ツキノワグマの捕殺数が前年度の1・7倍に急増し、推定生息数の6割弱にあたる817頭に上っているとのこと。

秋田県では昨年、春から秋にかけてクマとの遭遇事故が多く、山菜やキノコ取りの取りに山に入った高齢者が襲われるという事件を何度か新聞やテレビが報じていたが、800頭のクマを撃ち殺さねばならないほど、人間との遭遇が繰り返していたとは信じられない思い。

そう言えば、数年も前のことになるが、秋田縦断鉄道という情緒豊かなロ-カル線の列車に乗車したことがある。途中、昔からクマやイオシシなどの山の獣たちを鉄砲で撃ち、肉や毛皮を得ることを生業にしていた『マタギ』という職業に由来する駅名があった。ここにはマタギという人々が多く暮していたということから命名されているという車内アナウンスを思い出す。

『マタギの故郷』といえば聞こえは良く観光の売り物になっている感じがするが、秋田のこの地方では、昔からクマをはじめイノシシなどの獣が数多く棲息し、それらを狩猟して暮していたマタギと呼ばれる人が多く生活していたということだろう。

そんな生活習慣が受け継がれて、この地方の人たちは当たり前のように山に入ることが日常になっていることのだろうが、このこともクマとの遭遇する機会が多いことにつながっているようだ。

自然保護団体が捕殺(駆除)の中止を求めているとあるがこれも当然のこと。しかし、クマによる死傷者も2009年以降、最多の20人となり、住民の要請に応じた結果、捕殺数が増えたというから、こちらも行政からみれば仕方ないというところかもしれない。県は人とクマの共存に頭を悩ませているとのことらしいが、当事者でなくても頭が痛い問題である。

昔、マタギたちは里でのんびりと獲物(クマなど)を待っていたわけではない。奥山深く分け入って獣たちを探し求め、彼らと命をかけた争いを繰り返していた様子は小説の題材にもなっているので、私も読んだことがある。

マタギが活躍してた時代にはクマは絶対に人里に姿を現さなかったが、縦貫鉄道の開通もその一つの原因に違いないだろう『観光という名の開発』で、クマの棲む領域が狭められ、加えて自然環境の変化で山に食べ物が少なくなっては、クマとしても致し方なく人里近くに出現することは道理であり、クマが悪いわけでは決してない。むしろクマは被害者だと言っても奇怪しくないはず・・・。

しかも、この地方でと極端な過疎化に伴い急速に進む高齢化によって、これまでのクマが人間を恐れるのではなく、人間がクマを恐れるというパタ-ンが定着したものだから、クマとの遭遇は人間にとって最悪の場合は命を落とす恐れがあるとなると、ついつい捕殺してほしいと行政に要請することも理解できる。

 記事によれば、秋田県でのクマの捕殺数は全国で群を抜いているとのこと。今年度はもちろん、昨年度も全国最多の476頭、この10年で唯一、2年続けて300頭以上を捕殺しているという。

さらに。今年度は冬の猟も9年ぶりに解禁し、解禁の昨年11月15日から12月末までに26頭を捕殺したとあるが、ツキノワグマは冬眠すると教えられているのに、この季節になっても人里に現れるとはなんとも腑に落ちないのは、やはり地球全体の温暖化の影響なのかもしれない。

ますますクマが気の毒になってくる。ツキノワグマは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで危急種に分類される動物で、日本各地に棲息していたのに、すでに九州で絶滅したといわれている。

四国では絶滅の恐れがあるとされているらしく、東北地方や長野県などの限られた地方ではクマとの遭遇は時に話題になるが、それ以外の地方では、クマの姿を見たというだけで大ニュ-スになることから全国的にはクマの数は激減していることは間違いない。

県や環境省は、今年の春に新しく生まれる数を900頭超と計算しているので、生態系には影響なしとしているらしいが、この調子で、クマト遭遇しただけの情報を元に、クマを殺戮し続ければ、いずれ日本からツクノワグマが絶滅することは間違いなさそうだ。

出会ったり探し出したりしてズドンではなく、奥山の自然環境を良好にして、クマさんたちが暮しやすくするのも我々人間の務めであることはだれも否定しない。

秋田県の役人たちも、好んでクマを殺したくないはず。クマを駆除するという発想ではなく、クマトと共存を考えていると信じたい。そしてそれは決して無理な話ではない。

例えば、クマ対策として秋田県に100億円の予算をつけたら、優秀な秋田県の役人はたちまちのうちに対策を建てるに違いない。そのことは、アメリカさまのご命令に対して、『そこはちょっとご勘弁を・・・』と言うだけで可能になる。

しかし現在のデンデン政権が続く限り、クマ対策に飛行機一機分という発想は生まれないことも間違いのない事実。一日も早く、現政権を退場させることだけが、唯一クマの命を助ける道だと断言しても決して極論ではないのでは・・・。(田舎親父)

2018年1月11日 (木)

やっと動きだしたが・・・

このところ、教員の働き過ぎについての話題がマスコミ界を盛んに賑わしている。

特に中学校の場合は、部活の顧問になることは義務化していることから、野球やサッカ-などの人気スポ-ツの顧問となると、土日曜日には対外試合が毎週のように組まれているという。そのため、生徒たちを引率することが当たり前になって家庭サ-ビスなどは二の次というのが日常茶飯事らしい。

このことは、私の現職当時からも言われていたことだが、自ら進んでスポ-ツ系の部活を引き受ける教員が多かったことから、今ほど大々的に取り上げられなかった。ただ、学校によっては教員構成に差があり、この当たりを調整することが管理職の主な仕事になり、教員の方もこの特技を売り込んで異動するという話も良く耳にしたものである。

時代が移り、生徒や保護者の意識が変わり、部活の質が『楽しむから勝つこと』に変わって、他校より強くなることに重点が置かれるようになると共に、部活での指導の質を求める風潮が強くなった上に、教員との認識のずれで、ほんの少しの怪我でも大騒ぎになり、すぐに裁判ざたになることも当たり前になったように思える。

となると、教員の間では、進んで顧問にはなりたくないという気持ちが広がり、今まで当たり前だと思っていた土日曜日の生徒引率に、何故オレが・・・という疑問が生じることは当然だろう。

小学校においても、部活そのものは義務化されていないが、以前から教員が得意な技能を活用して、ブラスバンドやダンスチ-ムなどを創部、指導を繰り返して伝統を作り上げるのが大流行。今では殆どの小学校にこの部活(まがいのもの)が存在していることは良く知られた話。

となると、その教員が異動すると、後釜探しが大変な仕事。児童や親からはブラバンやダンス部などを続けるのが当然という意識があるのだから、後釜に選ばれた教員に与えるプレッシャ-は半端ではない。

ことさま左様に、教員たちが自分の首を縛ってきたことも間違いないが、教育行政機関(文科省・教育委員会・校長)の教員の勤務管理が強化され、さらに、指導内容まで細かくチェックされ学力の向上(学テの点数を高めること)を要求されるのだから、教員の勤務はますますきつくなるのは当然といえばこんな当然なことはない。

またまたいつもの愚痴っぽい書き出しになったが、何とか教員の勤務を軽減したいと思う教育委員会も現れはじめたらしく、岐阜市教育委員会は、2018年の夏休みから市立の全小中学校と特別支援学校で、補習や部活動の指導を原則として行わず、日直も置かない『学校閉庁日』を16日間連続で設けるとの方針を明らかにしたという記事を見つける。

市教委は閉校期間の設置で、教員の長時間労働を是正するのが狙いで、・期間中は、教員を対象とした会議や研修は開催しない・保護者から緊急連絡があった際は、市教委の職員が専用の携帯電話で対応するという。

校長会で周知し、教育委員会で認められれば、18年は8月4~19日に実施する予定だと、日程まで決めていることから、かなり本気度が感じられる。

しかし、学校という組織は教員だけではなく、事務職員や用務作業職員、あるいは給食担当職員などさまざまな職種を抱えているので、学校閉庁の期間中、この職種の人たちの勤務の問題はどうするのだろうという素朴な疑問がわいてくる。

市教委は『有給休暇や夏季特別休暇が取りやすくなる。しっかり休んでもらいたい』と発言しているらしいが、教育以外のこのような職員もこの期間中は有給休暇扱いとなると、彼たちは年間通して(ある意味では)自分の都合にしたがって自由に有給を使っていることはあまり計算に入れていないのではないだろうか。このことを真剣に考えて進めなければ、全く質が違う問題が発生しそうだ。

それをさし置いても、なかなかの決断である。岐阜市には負けてはならじとばかり20日間・いやもっと長い期間と続く自治体が現れる事を望みたいが、校長や教頭(副校長)など管理職までも完全に休ませるほどの大胆な発想はないのでは・・・。

文科省も、教員の働き方改革に向けての緊急対策として、一定期間の学校閉庁日を設定するよう促すとのことだが、この役所の官僚たちは官邸はじめ大臣や自民党の幹部に忖度することが大の得意技となると、『教員ばかり優遇するのはいかがなものか・・・』との雰囲気がでたら、たちまち前言撤回となるのもあり得ない話ではなさそうだ。

またいつもの繰り返しになるが、子どもがいない夏休みは教員にとっては学校に出勤する意味が全くないないというより苦痛であると断言しても差し支えない期間。思い切って、夏休み全てを閉庁という発想を持てないものだろうか。

そしてもう一歩踏み出して、教員は子どもたちを教え導く『プロ』であるという考え方ができれば、プロ野球の選手同様、年俸制度で、夏休み期間中は教育委員会の管理外というシステムが取れるのではないだろうか。

やっと動き出した教員の勤務体制を、さらに先に進める議論を望みたい・・・。(田舎親父)

2018年1月 9日 (火)

昨日は成人式・・・

 このところお天気続きだったのに、昨日は朝から厚い雲に覆われて、いつ泣き出しても奇怪しくない天気。横浜の片田舎では午後からは冷たい雨。その中で、全国各地で行われた『成人式』の様子を夕方のニュ-スが流していた。

中には、横浜の晴れ着をレンタルする会社が夜逃げしたことから、晴れ着が着れないというトラブルが発生したとのことに、騙すのにこと欠いて新成人を標的にするとはなんとも嫌な世相になったものだと情けなくなる。もっともかなりの自治体では、一昨日の日曜日に、成人式を行ったことはその日のテレビの映像で知り、ますます分散化が広まっているようだ。

 また、過疎化に悩む自治体では、1月では就職や進学で20歳の青年たちの多くは、東京はじめ大都会へ出てしまっていることから、『成人式』をお盆や正月に行うことも珍しくないという。

 以前もつぶやいたことがあるが、ただ単に連休にしたいという理由だけで、成人式や敬老の日、あるいは体育の日などを、その月の第二月曜日に持っていった経緯から、これらの祝日の日が毎年変わる。

私だけが感じることかもしれないが、そのため『成人式』という伝統の行事の価値が下がり、扱いも雑になっているような気がする上に、今年は1月1日が月曜日ということで、七草がゆの翌日。何となく慌ただしい気分が漂っていたように思える。

 私の『成人式』はどうだっただろうと記憶を繙いてみる。当時川崎市の富士通で就職して1年と8ケ月、同期会の多くの仲間たちと市の主催する成人参加したことをうっすらと思い出す。

 そこでふと、私の場合は両親と死別したことから、早く一人立ちしたかったことから住民票を川崎市に移した記憶があるが、他の高卒の仲間たち全員が住民票を移したとは思えないのだが、何故いっしょに参加できたのだろうと、今なって変な疑問が沸いてきた。

成人式はそれぞれの自治体が主催する行事ではなかっただろうか。繰り返しになるが、昨日もテレビニュ-スで各地の成人式の様子が報じられていたが、常識的に考えると、参加した成人たちは自治体からの招待状を受け取ったことになる。

このことは頭が混乱するので無視するとしても、成人になると共にえられる選挙権を行使するためには故郷に戻るのだろうか?という素朴な疑問が頭をよぎる。これでは投票率の底上げは難しくなるのではないだろうか。今まで思ってもみなかったことだが、成人式と選挙との関係がますますわからなくなる。

ところで前日の7日の日曜日、朝日新聞の一面トップに『18歳成人式 何月に?』という横文字2段構成の見出しが飛び込んできた。

成人年齢を18歳にしたのは、選挙の投票率が低いという理由がきっかけになり、国民の要望というよりは、政党のご都合で選挙年齢を下げようとなったと理解している。選挙権は18歳からとしたが、飲酒や喫煙はどうする、あるいは競馬や競輪、成人向けの映画はなどさまざまな議論が続いているのではなかっただろうか。

そんなことを後回しにして、現政権は成人年齢を18歳に引き下げる民法改正案を22日から始まる国会に提出する方針だとのこと。今回の衆院選挙でも、与党に過半数を与えてしまっているので、この法案は軽く成立することは間違いなさそうが。

記事は、そうなると1月の成人式は大学受験と重なり、参加者が減ってしまう。晴れ着姿の若者達を見る機会が減ってしまうのだろうか・・・という、極めて具体的で本質的な疑問を挙げて、いろいろな問題を提起している。

特にそんな心配の声を上げているのが呉服業界だという。なるほどもっともな話。最近の成人たち、特に女性の大部分は、その日だけは一生の思い出とレンタルで振りそでを借り、美容院で着付けなどしてもらって参加するのが昨今のトレンドだと聞いている。だから、成人相手の晴れ着詐欺が生まれるのだろうが・・・。

記事によれば、来年度中に満18歳になる学年を対象にすると、大半は高校3年生で成人式を迎えることになり、1月は大学受験直前の生徒も多いと指摘している。そのことを文科省に聞いたところ『より多くの人が参加できるよう、各自治体で判断して欲しい』とのことらしい。まあこの役所らしく、責任は一切取らないということだろう。

また、来年度に限ったことになるが、18歳になった若者に加えて、新しい法律で成人と認められた19歳、そしてこれまで本当の成人である20歳も加わるとなると3年間の成人式を、来年同時に取り扱わねばならない主催者の苦労は大変なものがありそうだ。

最近は大学進学が当たり前になっていることから、1月の成人式はかなりのブ-イングがありそうだ。文科省の『できるだけ多くの参加が可能・・・』という言葉に忖度し、1月を避ける自治体も多いのではないだろうか。

すると、すでに地方で行っているお盆あたりが狙い目になりそうだが、振り袖は難しく浴衣姿?・・・。これは呉服関係者にとっては大打撃。一生に一度だからレンタルでも振り袖が、浴衣となっては和服文化も風前の灯火か・・・。

政治のご都合で成人年齢を18歳にしたことから生じるさまざまな矛盾は、ムリムリ第二月曜日にしたことよりもはるかに大きいことは明らか。

さて、18歳成人という法令と実際の成人式、そしてさまざまな成人の特権など、世論はどう受け止めるのだろう。

私にとっては大した問題ではないが、新成人たちにとっては大問題。興味深くこれらの推移を見守ることにしよう・・・。(田舎親父)

2018年1月 5日 (金)

『ビジネス』という名をつければ・・・

 外国人、特に中国・台湾を始めとして東南アジアからの観光客が増加しているというニュ-スが、大きな事件がない時のマスコミの切り札になっている感じがする。

私の身近でも(昨年の暮れの話になるが)鹿児島県の出水市で民宿を営んでいる方から鹿児島県は外国、特に台湾の学生たちに人気らしく、連日大入り満員が続き大忙しですという連絡をいただいた。

元々、出水市はナベヅルの飛来地として知られており、この季節はかなりの日本人観光客で賑やかだそうだが、民宿は宿泊料金が手頃とあって台湾や中国の高校生や大学生の人気の的になっているとのこと。

言葉を通じるのかと聞くと、最近はタブレットが強力な味方だそうで、タブレットがあれば何とか意思の疎通が可能になりさほどの不便はないとのこと。加えて、毎日のように同じ年代の年代の若者たちと接していると、自然にカタコトの台湾語(中国語)を覚えてくるので楽しいというから結構な話。

このように外国人(特に若い世代)を受け入れることを『インバウンド』というらしく、各地の民宿や民泊農家(漁家)は、インバウンドの受け入れに活路見いだしているという話題は良く耳にする。

特に地方の民宿・民泊施設では人口減少と高齢化が進んでいるので、言葉が通じなくても若い声が溢れることを歓迎しているというから申し分ないことであるが、最近は、昨日も少しつぶやいたが、なんでもが『国家戦略特区』という名の元に、都会でも外国人を民泊させ流ことが大流行になっていることはマスコミがかなりの頻度で報じている。

外国人観光客の増加により都会における宿泊場所の確保という問題が起きていることは想像に難くないが、ならば普通の家庭で受け入れれば良いのではという発想が広まり、国としてもその方向が良かろうとなっているのだそうだ。

先日、一般住宅に有料で客を泊める『民泊』の基本ルールを定めた『住宅宿泊事業法(民泊新法)』が6月に施行されるのを前に、分譲マンションの管理組合が、民泊使用の可否を管理規約で明記するよう求められているという記事を見て、マンションも対象になっている事を知る。

記事には、訪日外国人の増加による宿泊施設不足の解消に向け、新法はマンションでも民泊営業を可能としたからだが、一戸建ての住宅でもさまざまなトラブルがあるのだからマンションの住民たちは不安視しているとのこと。

外国人観光客とのトラブルについては、時にマスコミが報道するのである程度知っているが、外国人との交流を望む家庭が宿泊させているのだから、家族が何故防げないのかと不思議に思うだけで、さほど深く考えたことはない。

ネットで調べてみると、国は16年4月、民泊を旅館業法の『簡易宿所』に位置付けて許可制の形で解禁したそうだが、厚労省の同年10~12月の調査では、民泊仲介サイトの登録物件のうち、許可を得ていたのは約17%にとどまるなど無許可の民泊が横行しているというから、これまたざる法もざる法、大ざる法というしかない。

都会でも空き家が増えていることから、ならば民泊施設として利用しようという家主も多いのだそうだが、そこに目をつけて、家主に替わってビジネスにするという輩がでてきてもぐりで営業をはじめているのだそうだ。

またまたカネ儲けは『是』という話になるが、生活する上では、例えばゴミき出し方一つにしても決まりがあり、守らないと生活できなくなることは当然だろうが、はじめて日本に来たそんな外国人にとっては、そんな決まりがあることも知らないだろうし、例え教えられていたとしても理解できないことが多いのは当然だろう。これではトラブルにならない方が奇怪しいのは当たり前。

まして、マンションにもこれを適用するとなると、トラブルがさらに増えるのは増像に難くないが、その対策を管理組合に求めるというのは本末転倒ではないだろうか。

これもネット記事であるが、兵庫県は『民泊が地域の生活環境を悪化させるおそれがある』とし、昨年12月に教育施設周辺や住居専用地域での営業を全面禁止とする条例骨子案を公表したというが、なるほどもっともだが、大半がもぐりで営業しているのが現状では、どこまで徹底できるかとなるとこの条例も、国の後追いの『大ざる法』のように感じる。

外国人観光客の増加は悪いことではないが、少なくとも、そこに住む住民にとって歓迎できなければ意味がない。

出水市の民宿ではないが、住民がこぞって歓迎するのなら大賛成だが、都会の空き家やマンションの一室を俄に改造して、近隣の人たちの迷惑省みず『カネ儲けのネタ』にする輩を国が後押し?・・・。

『なんでもビジネス』という発想を変える必要がありそうだと思うのだが・・・。(田舎親父)

2018年1月 4日 (木)

農家に外国人を派遣?・・・

 年末年始で、しばらく休んでいたつぶやきを今日から再開。今年もボケ防止のための独り言を、平日限定で続けていこうと思っている。

 基本的に世間知らずで視野が狭いことは自覚していること。知識の範囲は極めて狭いのだから、思い込みや誤解も多々あることも承知している。

ただ唯一の強みは、カネ儲けなどとは無縁で、横浜の片田舎で仙人的生活を楽しんでいる年寄りなので、少なくとも権力に迎合する必要がないことから、全てが自分だけのためにボケ防止と割り切って、好き勝手につぶやけることだろう。

ということで今年最初のつぶやきは、一番苦手としている経済問題を・・・。

 最近、外国人の技能実習生が逃げ出す事件が多発しているのだそうだ。人手不足のため日本人の雇用ができず、外国人に頼る業界が広がっているのにも関わらず、技能を教えてやるのだから安い賃金は当たり前という考え方が当たり前として通用しているらしく、極めて劣悪な環境で働かせているのが実体だということは以前から指摘されていること。

 タテマエとしては、開発途上国の若い人たちに技術を習得してもらい、それを帰国して生かすことによって、途上国の経済的・技術的な発展に貢献するという制度だとされているが、ホンネはできるだけ低賃金でこき使うというものらしいとなると、逃げ出したくなるのも十分想像できる。

 世情に疎い私なので、どんなル-トで外国人を受け入れているのか詳しいことは理解できないが、外国人を受け入れることは政府間の契約ではなく、自治体や農協がその窓口になっていると聞いている。

また、途上国側では日本で働きたい人を集める組織があって、その組織が日本に出稼ぎにいけば、大金が手に入るという甘い誘い文句で人を集めるということもテレビなどのドキュメント番組が度々取り上げている。

日本の農業はじめ建築などの業界は安い賃金で働かせたいという思いがあり、送り出す組織もホンネはカネ儲け。当然、不透明な部分が生まれるのも当然といえばこんな当然なことはないようだ。

本来、外国人に頼るのだから、日本人と同じ待遇を用意すれば良いはずなのに、それをしないのだから、不透明な部分広がり幾多の矛盾も表面化してのだが、根本的な問題の解決を後回しにしているのが現実らしいことも、ドキュメント番組では必ず語られていることである。

そんな中、昨年の暮れに、外国人の農業労働を『国家戦略特区』という、モリカケ疑惑とおなじような怪しい制度を適用すると現政権が決めたことから、この制度の人集めしたいという自治体が数多く手を挙げているのだそうだ。そんな記事を年末の東京新聞で見つけた。

記事によれば、現行で外国人受け入れの窓口となる技能実習制度は国際協力を名目とするが、新制度は農家での労働力の確保を目的としていることから。人手不足対策として各地で期待が高まっているのだという。だだ、昨今、技能実習生が失踪するケースが増加しているほか、新制度で派遣労働の形態を導入することについての懸念も専門家から出ているとある。

『新制度で派遣労働の形態』という文言がかなり気になる。これまでの実習生は、窓口は自治体や農協などが受け持っていたが、実際には農家が直接や外国人を雇うという形をとっていたはず。それを新制度では、『派遣会社』が外国人労働者を集めて、『派遣社員』や『アルバイト』として、農家に派遣できるということになるのだそうだ。これはいただけない。

新制度では、技能実習生ができない農産物の販売などを認めていることから、農家にとってはどんなことでも外国人を使えることになる。となると、技術の習得などは単に名目となり、契約が曖昧になることは確実で、雇用主の責任の所在が不透明になり、現在以上にトラブルが増えることは、世間知らずの私でも容易に想像がつくこと。

『派遣会社』というビジネスが、雇用関係の矛盾を生み・広げたことは多くの専門家や心ある人たちは指摘しているところ。カネ儲け命の輩が編み出した派遣という制度と、それをビジネスとして派遣会社を認めたことが現代社会にさまざまな矛盾を生み出していることは明らか。

なのに、現政権は『派遣会社』というビジネスにメスを入れる方向ではなく、人手不足という現実を表面的に解決するためには、もっとも手っとり早い手段として外国人までもを『派遣社員』として、低賃金で農家に派遣するとは許し難い話である。

人手不足を解消するために外国人に頼ることは仕方ないとしても、こんな姑息な方法で外国人を労働力(商品)として集めるのではなく、本当に日本で働きたいという人たちや、内戦状態が続いて生命に危険がおよび日本での生活を望む人たちを、正規の移民として受け入れることが先決だと思うのだが・・・。(杉)

2017年12月27日 (水)

教育費無償化?・・・

 北朝鮮の脅威という理由で防衛予算が天上知らず・・・。現政権の広報誌と成り果てたNHKはじめ大新聞はもとより民放各局も政権に忖度し、北朝鮮の脅威を煽るものだから、圧倒的多数の国民の頭の中には、何としても、ミサイルを打ち落とさねば・・・という思いが擦り込まれ手いる。そのことを良いことに、次々にアメリカから武器を購入。

 アメリカのトランプ政権は日本が言い値で買ってくれるのだから、してやったりというところだろうが、国内では防衛費増大の煽りを食って、生活保護費や社会保障費は激減、国民・特に年金生活者や低所得者の人たちの生活はますます窮屈になっている。

 現政権は防衛費の増大を目立たせない方法として、『教育費の無償化』など打ち出しているが、その実、無償化は授業料だけであって、付帯する教育に関する費用には全くスル-というのが現実である。

そこで今日は、教育費について私論をつぶやくことにしたい。

現在、県立高校の授業料は年額約12万円らいだと認識している。月額にして約1万円。この金額を多いと見るか少ないと見るかは個人差があるだろうが、授業料が無償となると、カツカツの生活を余儀なくされている家庭にとっては、物凄い福音に違いない。

しかし、授業料が無料であっても、その他さまざまな教育関係費は、授業料よりはるかに大きいことはよく耳にする話。例えば、中学・高校は全てと言って過言でないほど、制服を義務化しているが、これを無償にしている自治体があるなどという話を耳にしたことはない。

多くの自治体では、限られた予算の中で就学援助という形で補助しているようだが、制服費用は年々高くなり今では、5.6万円が相場だと報じられている。

普通のサラリ-マンのス-ツなら軽く2着は買える価格である。その他に、体育着やジャ-ジ、上履きなど学年別に色別にしているのもごく普通で、それも市販の運動靴よりはるかに高い値段が設定されている。

高校は義務教育の範囲外なので、教科書や副読本などの、日常的に授業に使う品物も揃えるために、入学時には20万円とか30万円は用意しなければならないらしい。家内にそのことを話題にすると、そんなこと知らなかったの・・・とバカにされてしまった。

私立の高校となると、授業料はさらに数倍、時に10数倍にもなるという。さらに、高校に歩いて通える生徒はごく少数で、殆どは、よくて自転車。電車やバスを利用する生徒も多いだろうから、その費用もかなりの額になる。

ある程度多くの数の高校が、選択枠の中に入っていることは決して悪いことではないだろうが、志望校に進学するためには入学試験という難関が待ち受けているのだが、その条件が『偏差値』という代物。

中には、教科書や参考書を読みさえすれば全て頭に入ってしまい、試験など屁の如しという優秀な子どももいるだろうが、殆どはこの偏差値を高めるために四苦八苦。それを見越して、絶好のカネ儲けとばかり塾産業が大流行。今では、『塾に通わなければ』という脅迫意識が擦り込まれているといっても過言ではない。

教科書を理解していればそれで良いと思うのだが、学校が塾の後追いして『偏差値』を重要視するものだから、塾の権威がますます高まっているのは本末転倒。中には、学校の教員研修に塾の講師を招くという話も当たり前になっているのだから困ったもの・・・。

結局、『偏差値=経済力』という構図が出来上がっているのだから、授業料を払わなくなって少しは助かるものの、低所得家庭の子弟にとっては偏差値の高い高校・大学は高嶺の花というところ。

所詮、現政権のいう『教育費無償』というのは、スズメの涙ばかりのカネをバラマクだけで、憲法で保障している『誰もが同じように教育を受ける権利』を遵守するという謙虚な気持ちなどハナから頭になく、偏差値を上げるためには塾に通わせることを当然としていることに怒りを感じる。

時代遅れだと笑われるかもしれないが、18歳まで過ごした京都府で実施されていた『小学区制度』が頭をよぎる。この制度は、地域と高校を一体化して、その地域にある中学校からはこの高校と決めるというシステムである。

中学校で、当たり前に学習すれば確実に地域の高校に入学でき、その高校で努力すればあこがれの『京都大学』への進学可能だったことも記憶に残っている。当然、通学手段は自転車が重荷なり交通費も必要ない。

当時の国立大学の授業料を年額1万2千円。これなら、京都大学はともかく、努力次第で国立大学への進学が可能だろう。『努力』という文字を『誰もが同じように』と受け止めると、憲法の精神そのもの。いまさらに、『15の春に泣かせない』と、この制度を導入した当時のニナガワ知事の素晴らしい発想とそれを実践した手腕に頭が下がる。

最近、『所得と大学進学』問題が話題になり、そこに必ず出てくるのが奨学金制度。国立大学でさえ50万円超という高額の授業料を、せめて10万円程度に引き下げれば、こんな議論は枝葉末節では・・・。

北朝鮮の脅威を煽って、アメリカさまの言い値でミサイル防衛などと『戯言』をのたまう輩さえ廃すれば、授業料の値下げは可能だと信じている。(田舎親父)

2017年12月26日 (火)

70過ぎても勤めるのが当たり前?・・・

 私は、人間がかなりいい加減にできているらしく、ただ決められたことを守るだけの生活に我慢できないことから、ある意味、なんでも中途半端におっぽりだしてきたこれまでの人生を反省している。が、決して後悔しているわけではない。

 60歳の定年が近づくと、あと少しで宮仕えから開放されるという気持ちが先にたち、寂しさなど露程感じなかったもの。当然、嘱託などという制度には背を向けて、好きなことをして15年、現在に至っている。

要は怠け者の典型なのだろうが、そんな中、毎日新聞に少し気になる記事を見つけた。

埼玉大学社会調査研究センターと共同で時事問題に関する世論調査『日本の世論2017』を実施したという書き出しではじまる、『何歳まで働く予定か、または働いていたか、具体的な数字(就労希望年齢)を挙げてもらったところ、70歳以上の年齢を記入した人が36%を占めた』という内容である。

総務省の統計では、2016年の就業者総数に占める70歳以上の割合は5%だというから、実際にはそれを大幅に上回る数値。それだけ、今後、本人が望むか望まないかに関わらず、高齢者が社会で働らくことになるようだと、勝手気ままに生きている私には、なんとも肩身が狭くなりそうな意味の文章が続いている。

 就労希望年齢の平均は66.9歳だというのは、現在65歳である公的年金を受け取れるようになる年齢になっても、なお働き続けたいと思う人が多いことを表しているようだが、それが何を意味しているのかとなると考えさせられる。

具体的なデ-タとしては、65歳を挙げた人が32%で最も多く、70歳(22%)、60歳(16%)、75歳(8%)と続いたという。回答者の年代別に見ると、70歳以上の年齢を挙げた人は、70代以上は過半数で60代は4割というのは理解できるが、30~50代も割前後いたというから、この年齢層の人は、働きたいという意欲よりも、年金年齢も上ると危機感を持っているからだろう。

 その裏付けは、さらに続く記事にある。今の公的な年金制度が老後を支えてくれると思うか尋ねたところ、『支えてくれないと思う』は65%で、『支えてくれると思う』の19%の3倍超に登っている数値は、わが国の年金制度の貧困さを如実に表している。

 ところで、超高齢社会が近づいていると危機感をあおる報道が日々増えているが、ムリムリ長生きをさせているのは誰なのだろうと、ついつい皮肉な見方をしたくなる。

多分これまでの学者的発想では、長生きは美徳として、医療技術を発展させ健康志向を高めてきたのだろうが、子どもの数が、今日のように極端に少なくなることはあまり想定してこなかったのではないだろうか。

人生が60年だった、つい50年程前までは、男女共に、とにかく早く結婚して子どもを産まなければならないという脅迫概念が存在していたので、特に女性は、20代で子どもを産むことが義務であるかのごとき世相だったことは、いまさら私が偉ぶって述べるまでもないだろう。

ところが、人生が後ろに20年も延びたのだから、若い間はももう少し楽しもうという風潮が生まれるのは当然だが、政治はもとより人々はこのことを想定わくから外していた?・・・。

その結果、結婚年齢がどんどん高くなり、それにつれて、子どもを産む年齢も20歳代後半から30歳代、それも後半が普通になり、最近は40歳代での第一子も決して珍しいことではない。

楽しむためにはお金が必要となると、カネ儲けは全てビジネスという名称に取って代わり『経済=ビジネス』の世の中に。経済学者を自認している輩が、カネ儲けには人件費の切り下げがなにより重要という説を唱えたら、たちまち『派遣社会』移ることも、ある意味仕方ないこと・・・。

派遣や契約社員の給料は当たり前のことだが雇用主き思い通り。下がることはあっても上ることは絶対にない。雇用主たちは、その儲け分で、さらに事業を拡大しようと考えるのだから、人手不足になるのは世間知らず私でもわかること。さらにこの人手不足が、雇用推進につながっているのだから景気がよくなったと、政治に利用される。

長生きは美徳といわれた時代はすでに過ぎ去り、今や、年寄りは社会の社魔物扱い。それでも、派遣でもアルバイトでも良いから働き続けたいというのだから、怠け者の私から見たら、なんとも気になる社会になったものである。働かねば生きていけないのがホンネの人も多いことが事実であることも知っているつもりだが・・・。

邪魔者扱いの年寄りの面倒をよるのもビジネス。その分野のキャパは増え続けて、若者の雇用先が、この分野に集中。人手不足といいながら、当然のごとく待遇面き改善はない。結婚したくてもできない若者が増え、さらに結婚年齢が後ろ倒し・・・。

20年後の社会など想像したくない2017年年末の朝。(田舎親父)

より以前の記事一覧

2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ