苦言・直言

2007年12月 6日 (木)

理科の応用力低下と騒いでいるが・・・

 昨日の朝日新聞朝刊の一面に『応用力 日本続落』という段抜きの見出しに、いまさらながら我が国の子ども達の学力低下を驚き嘆く人も多かったと思うが、反面今更と思った人も少なくないのではないだろうか。

 かくゆう私もその一人。『数学6→10位 科学2位→6位』との白抜きの見出しにも特段驚きはない。問題の全てを見たわけではないので、詳しい分析などできるわけはないが、丸暗記した知識の量が『学力』だと考え、その方向で教育行政を行っている文部科学省のシステムでは当然の結果だろう。

 OECD(経済協力開発機構)という組織が、世界の57ケ国の15歳の子どもを対象に国際的な学習到達度調査というものを行ったそうだ。このテストは『PISA』と呼ばれ、単なる知識の量ではなく、その知識を実生活の中で使えるかを調べることに主眼があるという。今年で3回目。その都度我が国の順位が下がっているというから、文部科学省としては捨ておけないと大騒ぎしている姿が目に浮かぶ。

 この話題は、理科の応用力が2位から6位に落ちたという情報が入って先月末にも取り上げたが、これ程までにマスコミが取り上げるとは正直思わなかったので、『また同じこと・・・』と思われることを覚悟の上で、あえて改めて私なりの考えを述べてみることにしたい。

 対象は15歳、日本では高校1年生になる。基本的には中学校殻の内申書とそれぞれの高校の入学試験を合格してほっとしている年齢。ある意味、時期的に今回のテストの対象者にとってはあまり嬉しくないタイミングではなかっただろう。

しかも、入試そのものが科学的な知識理解より、公式を使っての計算や漢字の読み方、言葉の意味をおぼえること、あるいは過去のテスト問題を元にした塾が作る模擬テストで点数を稼ぐことを主眼にしているのでは、この結果も当然・・・である。

 紙面に、二酸化炭素の排出量と地球の平均気温という二つの折れ線グラフを見せ、ここから読み取れることを書かせるという、問題の一例が掲載してある。 

 この話題は、最近毎日のように新聞やテレビが取り上げているので、高校生にも興味関心があるはずだが、マスコミの取り上げ方が『二酸化炭素の増加=地球温暖化』という一面だけのキャンペ-ン。間違いではないが、ただやみくもに二酸化炭素を出さないことが正しいと思い込ませるような風潮を作っては、じっくり問題を掘り下げて考えることなどできる能力など育つわけはない。

 それ以上に恐ろしいのは、文部科学省がこの結果を指導要領の問題だと受け止めることである。結果として『理科や数学の授業時間を増やせば解決する』という安易な考え方を持ち、実際にマスコミが世論をそのような動きに誘導することである。

 『授業時間を減らしたから学力が落ちた』よく聞く言い訳である。確かに、知識を暗記させるのなら授業時間を増やすことによってある程度補うことができる。しかし中教審という会議に集まる文部科学省のお偉方はじめ大学のセイセイや教育評論家達が、知識だけではなく、身の回りのことに疑問を持ち、それを論理的に説明することを求める応用力という、今回のような問題に正対する応用力には反映しないことを理解しようとしないことが、私には理解できない。

 記事には、今回の応用力の衰退の原因が『授業のあり方』に問題があると指摘しているが、中学・高校の理科担当の教員に責任を押しつけては気の毒である。一面には理科の教員の努力不足があることも間違いあるまいが、私は、それ以前に初等教育段階での理科(科学)の指導が大事なことを認識し、そのことを踏まえた教育システムが何より大事であると一貫して主張している。

 幼児期や小学校低学年では担任が全ての教科を指導することが望ましいことは多くの識者が指摘している。私も同意見。その初等教育期を担当する教員に自然科学の事象や現象に対しての関心や知識が殆どなかったら、子どもの科学的な見方考え方など育つわけはない。

 繰り返し述べるが、現在の教員養成システムそのものを根本的に改め、自然科学に関心と理解ができる教員を現場に送りこまない限り、次回のPISAではさらに悲惨な結果になることは明らか・・・と断言しておく。

 さらに付け加えさせていただくと、この大事な初等教育を担当する教員の給料が、中学高校の教員より低いということも納得いかないところ。

 幼稚園・小学校教員の給与体系を改善し、より有能な人材が集まるようにすることと、浅くてもよいから自然科学に関心を持ち、しかも全ての教科を広く指導できるスペシャリストが、少人数でじっくりと教えることができる体制の構築を急ぎたいものである。(田舎親父)

2007年11月24日 (土)

怒れ!公立 でも問題が違うか・・・

 私立中学校へ受験する子ども達の数が全国的に増えており、首都圏では小学生の5人に一人という物凄い数字になっているらしい。公立の中学校に対して不安があるのが原因のようだが、それにしてもこの現状は異常だとしか表現できない。

 先日、ある新聞に『受験生』の生活についての記事があった。その中で気になったのは『不眠の波は子供たちにまで押し寄せてきている』という表現。

 記事によると、来年1月の中学受験に向けて夜遅くまで勉強、どうしても朝は毎日のように布団から抜け出せない子どもが多くなっていると、ある子どもの一日のス ケジュ-ルを例にとって紹介している。

 この子の1日の生活日程は、放課後、学校の門を出ると母親が車で迎えにきており、そのまま塾へ。午後9時すぎまで授業を受け、その後も難しい問題を講師に聞くなどし、帰宅の途につくのは10時すぎ。夕食は母親が用意した『塾弁(塾で食べる弁当)』で済ませているというから、健康上からも問題。

 帰宅後は入浴して夜食をとり、学校や塾の宿題を済ませ、翌日の用意をしてから就寝となるのだが、友達との会話についていくため、ビデオにとったテレビドラマを早送りしながら見て、床に就くのが毎朝2時近くになるとのこと、これでは朝起きられないのが当たり前だろう。

 その子の話として『朝もつらいけれど、一番しんどいのは、学校での5時間目と6時間目の授業中。1、2時間目が体育や音楽の日は、家でゆっくり寝て3時間目から学校に行くときもある。学校に遅刻してもお母さんは怒らない。受験まであと2カ月は何とか頑張らなければ・・・』と紹介している。

 そこまでして私立中学校に入れる必要などあるのだろうか・・・と素朴な疑問を持ちたくもなるが、そんな親子から返ってくる答えは『公立の中学校はレベルが低く、イジメがあるから行きたくない・・・』という決まり文句・・・。

 これを公立の中学校側はどう受けて止めているのだろう。ここまで親からバカにされながら『学力テスト』の呪縛から抜けられず、テストの成績を1点2点上げることに汲々としているのが現状。

 悲しいことに、各地の教育委員会は、そのために『塾』の教師を講師にして『学力向上研修会』など開いているのだから、仕方ないと言えば仕方ないが、もう少し気合の入った教育関係者がいないのかと情けなくなる。

 このあたりは別の機会に回すとして、冒頭に述べた『不眠の波は子供たちにまで押し寄せてきている』という表現、このまま続けば、ますます子ども達の情緒は不安となり、ここまで努力したのに進学できない子どもか、公立の中学校に入ったら・・・。考えたくないが、何か背筋が寒くなる。

 記事が紹介する子どものように、毎日午前0時を過ぎて就寝する状態が長期間続くと、健康に良いわけはない。『脳機能の低下』など、わざわざ学者に指摘されなくても当たり前のことだろう。

 例によって病名をつけるのが好きな学者先生は『睡眠障害』という病名をつけているらしい。病名はともかく、睡眠時間が慢性的に不足したら大人でも精神的に不安定になるのだから、発達段階の子ども達にとっては決定的な肉体的精神的な機能障害に陥る危険性があるのは私にでもわかる理屈・・・。

 成長期の子ども達の心身の正常な発達を、わざわざ阻害するような社会の風潮は、悲しいことながらこれは『マンガ』としか表現できない。(田舎親父)

2007年11月11日 (日)

吉兆の誤魔化しは底無し沼・・・

 先日も取り上げた超高級料理店『吉兆』を営む吉兆グル-プの一つらしい『船場吉兆』の福岡で、賞味期限を大幅に改ざんしていたことが明るみになり、あの『吉兆』でもインチキしていたんだと大騒ぎになった事はつい先日の事。

 当時、本社の連中の言い分は『九州の営業マンが勝手にやった事、私たちは絶対に関与していません』と、謝罪しながらも自分達は無関係と言い逃れをしていたが、やはり本社でも・・・。という話題を。

 何故この偽装が明るみになったかは報じていないが(先日も書いたが、間違いなく内部の不満分子によるタレこみだろう)農水省は先日、大阪市にある『船場吉兆』本店でも、産地を偽装した牛肉のみそ漬けや、ブロイラーが原材料のみそ漬けを『地鶏のこがねみそ漬け』と表示して販売するJAS法の加工食品品質表示に違反する販売があったと発表。

 福岡で偽装が発覚した際、同社は会社ぐるみの関与を否定していたが、不正販売をしていた事は明らか、この社長一族はバレたら仕方ないとばかり、口先では『お客様や社会の信頼を深く傷つけた』として、社長と九州担当取締役が辞任するという茶番劇を演じて目先を変える作戦のようだ。

 しかも往生際が悪いというか、この機に及んでも『現場の担当者だけが知っていた』と述べ、他の偽装も『組織的関与は一切ない』と強調しているそうだが、内部告発した不満分子の新たな告発で、近い将来またまた社長達の『ゴメンナサイ・・・』映像が出る事は確実だろう。
 産地偽装があったのは「但馬牛の黄金みそ漬け」をはじめ『牛肉のみそ漬け』関連の商品らしい。『但馬牛』といえば、関西では『松阪牛』や『近江牛』と並ぶ超ブランド名、価格も驚くほど高い。それに比べたら味はともかく、価格的には格段に安い佐賀や鹿児島県産の牛肉を『但馬牛』として販売していたというから、これは確信犯・・・。

 販売個数を今年3~10月の間に『牛肉みそ漬け』を3個・『牛肉みそ漬けと鶏肉みそ漬けセット』72個・『牛肉みそ漬けと明太子セット』27個と言っているらしいが、6ケ月間でこんなに少なくてどうして商売が成り立つのと思いたくなる。実際には、この数倍からひょっとすると数千倍ぐらい誤魔化して販売していたとしても驚かないだろう。

 鶏肉の不適正表示も『京都の20年来のつきあいの業者が、品不足になったためブロイラー肉にしていたようだ』と会社側は知らなかったと説明は無責任極まりない。しかも『値段も地鶏の値段で仕入れており、信頼を裏切られた』だとは、聞き捨てならない。

 ブロイラ-を納入していた業者は、吉兆に対して『地鶏とは言っていない』と証言しているというから、これはブロイラ-と知っていたにも関わらず『地鶏』と表示したとしか思えない。

 吉兆といえば、私でも知っている超高級日本料理店であるが、最近は繁華街や高層ビルのトレストラン街、あるいはデパ-トの一角に『○○吉兆』という名前を目にする事がある。それほど『吉兆』というブランドの集客力が凄い証拠だろうが、営業拡大は質の低下につながる事はこの業界の常識。

 全ての店の質が落ちるとは思いたくないが、名前の割りには格安感を売り物にしている店では質を落さなければ続けられない事も当然といえば当然・・・。

 私のような貧乏人は、例え大衆的な『○○吉兆』という店の、のれんさえ潜る機会はないが、ちょっとした慶事に利用する家族は多いに違いない。但馬牛だと思い込んでいる人には美味く感じるだろうが、(思い込みもあって)その時は大満足。しかし、後で佐賀牛だったと聞くと、猛烈に損をしたように感じるのも人間・・・。

 先日、ある人から聞いた話だが、外国国籍の大金持ちが奥さん孝行のため、超高級料理店で、1枚15万円のサ-ロンステ-キを注文したという。私には、それがどんなものか想像する事もできないが、話の中ででてきた店に『吉兆』があったような気がする。この人が吉兆の偽装を知ったら(その時の大満足を忘れて)、それこそきっと『怒り爆発』ではないだろうか・・・。(田舎親父)

2007年11月 1日 (木)

食品の偽装はたかだか腹痛で済むが・・・

 一昨日だったか、テレビのニュ-スで『赤福』の組織ぐるみの悪質偽装騒動で、中身はもちろん包装まで大変似通っている『御福』が大人気だったのに、その『御福』にも偽装が発覚というニュ-スが流れていた。

 このメ-カ-は保存料を使っていると表示しているので、それなりに正直、消費者の判断を待つ商法として、私は池上のくず餅屋の話とダブらせて先日紹介した。どう偽装していたのかわからないが、保存料を使用した上に賞味期限を改ざんしたとなると、悪質さにおいては『赤福』と同じではと思ってしまう。

 また、有名な料亭の系列らしいが『何とか吉兆』という会社が作った菓子も、大幅に賞味期限が書き換えられたというニュ-スには、多分これと同様な偽装はどこにでもあるような気もしてくる。

 賞味期限が切れたといっても、お菓子などの食品はよほど悪質な偽装でない限り、食べても腹痛程度。殆どの場合たいした被害はでないものだが、建築資材の偽装となると、これは万が一地震や火事になると大変な被害に直結するのは間違いない。

 建材メーカー大手の『ニチアス』という会社があるらしい。悪名高いアスベストだと具合が悪かろうと『日本アスベスト』から『ニチアス』という名前に変えた大手の建材メ-カ-だというが、このニチアスが住宅の軒裏などに使われる耐火材に偽装が発覚したと報じられたが、ことは恐ろしい。

 建築資材の性能試験に臨む際、試験体に水を含ませたり、実際に販売するものより性能の高い材料を使ったりする偽装を施し、国交省の認定を受けていたという。対象製品は全国の住宅など約10万棟に使われ、うち少なくとも約4万棟分は大臣認定の耐火性能基準を満たしていないというから、これは気になる。

 私は建築のことは全く疎いので、この『ニチアス』製の建材がどんなところに使われるかは正確に理解できていないが、軒裏材というから壁や天井などに直接張られて表面的に目立つ素材でない事は確かだろう。

 話は飛躍するが、ここ数年火事が起こると『焼死者』が出る事に、ある種の疑問を持っている。核家族が進んでいるという人的な原因もあるだろう。建物そのものの機密性が高くなり延焼に気づくのが遅くなることはわかる。耐火性も高まり、またまだ大丈夫という気持ちもあるのかも知れない。

 しかし、私にはその家に使われた建材が発火したり、あるいは高温で燻られることが原因で発生する有毒ガスを吸い込んで身体の自由が奪われ、避難しようとする動きを妨げているのではないかと思えてならない。

 この『ニチアス』の試験通過のための偽装が、最近の火事での焼死者激増の直接の原因だとは言い切れないが、全く無関係と放置してしまほど軽い疑問ではないと思っている。

 『ニチアス』は同社は製品が使われている物件の把握を進め、交換・補修などの対応を始めるというが、最近の焼死者がでた火事で使われていたかどうかも調べてみるべきではないだろうか。

 今回の不正には新製品開発などを行う技術開発チームの5人前後が関与したという。川島という社長は記者会見で『不正のあった頃は、事業を拡大するのが目標となっていた。担当者がプレッシャーを感じたのかもしれない』と釈明しているが、ここでも担当者に責任を転嫁するばかりではなく、金儲けのためなら人命などどうでもよい、という考え方がでている。

 いよいよ身の回りのもの全てのものに対して、もう一度見直す時がきたようだ。(田舎親父)

2007年10月28日 (日)

マスコミが誘う総白痴化の先には・・・

  これでは国民総白痴になってしまうだろう。国民は白痴になりたくないのかも知れないが、ここまで徹底して、馬鹿馬鹿しい話題をテレビや新聞が映像と活字で流し続けていれば『まともに考える能力』は右肩下がりの急降下は間違いない。(学力テストなどで調べるまでもない事は明らかなのに・・・)

 先日、何気なくつけたテレビの画面は例の亀田親子の会見場面だった。ヤクザとしか表現のしようがない父親、横で縮まって震えている丸坊主の悪ガキ、『反省のため』の記者会見と司会が何度も言っているが、私の考える『反省』とはかけ離れている。

 この親子の顔は勘弁してほしいのでチャンネルを切り換えるが、民放という民放はすべてこの映像ばかり、テレビ局のこの姿勢は一体どうなっているのだろう・・・と目を疑ってしまった。

 テレビをあまり見ない私でも、新聞やネットで『亀田親子の行動』は少しぐらいは知っている。下の息子がボクシングの試合でとんでもない反則をして、しかもボロボロに負けてしまったらしい。セコンド役の兄や父親がはっきりと反則を指示している映像が流れたというから、これは確信犯。

 だが、所詮ボクシングの世界。これで世界の情勢がかわるわけではない。私には、大騒ぎしている事が馬鹿馬鹿しいとしか受け止められないが、マスコミは視聴率がナンボの世界、稼げるとなるとこの話題を延々と続けているのに恐ろしさを感じる。

 視聴率が稼げるという事は、見る人間がいるという事。マスコミが仕掛けたのか、視聴者がそれを見たいと思っているのか、卵が先か鶏が先かという議論になりそうだが、バカな国民が増え続けて、確実に総白痴化が進んでいることだけは確からしい。

 社会の情勢は、インド洋での海上自衛隊の艦船が給油したアメリカの空母がイラクの爆撃に参加した疑惑や、それ以前に給油量そのものを組織ぐるみで隠蔽していたことが明らかになり、自衛隊の制服組の暴走が問題になっている最中に、防衛省の前事務次官の汚職が明るみにでて騒然・・・。

 腹立たしい気持ちでしばらく北海道に出かけていたが、帰宅した翌日、またまた午後4時ごろ気分転換でテレビをつけたら、またまた『亀田問題』に呆れてしまった。今度は、反則を指示していた兄が一人でお詫びの会見、すぐ他のチャンネルのボタンを押したが、またまた同じような映像が現れたのにはびっくり・・・。

 しかも『反則を指示したのか』と聞かれてしばし沈黙。『テレビで流された以上仕方ないと思う・・・』との言い訳には、映像がなかったら徹底して誤魔化そうとしたが、証拠がある以上この際は仕方ないから、とりあえず謝ってしまおうという態度、すべて誰か(テレビ局?)の脚本に従っているに違いない。

 国防は国民にとって何より大切なこと。国防を担う防衛省の幹部が軍需産業の幹部から賄賂を受け取るということは『戦争への道』であることは歴史が証明している明らかな事実・・・。この事は誰でも分かるはずなのに、その事件よりも『亀田親子』の方が話題になるとは、すでに国民はすべて白痴化してしまったようだ。

 『亀田親子』の人気?にあやかって、総理大臣や文部科学大臣までも『亀田親子』の諸問題をコメントすることに呆れてしまうが、そこには防衛省の幹部の汚職問題や給油疑惑をそらそうとしている意図が明らか、これは物凄く危険で恐ろしい。

 今、しっかり給油問題や防衛省の隠れた意図を見抜く努力を怠れば、『元きた道』に迷い込むことは確実。このことをはっきりと認識しなければならないと思うのだが・・・。考えたくないが、連日のテレビの画面から、この国はすでにその能力も失ってしまったのかも知れない。(田舎親父)

2007年10月21日 (日)

教職員の増員要求・・・?

 文部科学省は来年度の概算要求で2万人余りの教職員の増員を求めているのに対して、財務省は行政改革に逆行しているとして増員には否定的な立場で、教職員の増員をめぐる攻防が予算編成の焦点の1つとなりそうだというニュ-スが流れた。

 小中学校の教育現場で教職員がいじめ問題や保護者からの苦情への対応などに追われており、子どもと向き合う時間をもっと増やす必要があるとして、来年度からの3年間で公立の小中学校の教職員を2万人余り増やすことが必要だというのが、文部科学省の言い分で、かなり強く要求しているようだ。

 確かに、現場が困っている。一人でも教員がふえる事は悪い事ではないは・・・、だが、期待するほど効果があるとは思えない。

 教員を増やすといっても、結局は教員養成大学の卒業生を任用するということになる。以前のようにこの人たちが即戦力になるならば現場も随分助かるのだが、現在の『新採用教員研修』が義務というシステムがあって、配属された学校では研修担当教師を決めて、実にきめ細かな?研修をしなければならなくなっている。

 教育委員会の方針を額面通りに受け止めると、各学校では一応研修担当としてベテランのある意味優秀な教員を当てなければならなくなり、現実にはそのような教師の負担が大きくなるという矛盾が生じている事は以前にも何度か指摘している。

 全国の公立の小中学校の数は約2万校。単純計算では1年間3分の1、3年たってやっと各学校に一人増えるにすぎない。問題を抱えている学校では即戦力の教員が3人4人と配属されたら現場は大いに助かるだろうが、結局は新採用を一人配属されてもそれほど嬉しくないというのが正直な気持ちではないだろうか。

 現実の問題として、予算配分の権限を持つ財務省は、財政事情が厳しいという建前からも、子どもの数が減少しているのに公立学校の教職員を増やすというのには、おいそれとは首を縦に振らないだろう。

 さらに、公務員削減が目玉の一つである『行政改革推進法』に反するとして増員には否定的な立場なはず。中には『教育再生に注目が集まったことを利用して悪乗りした印象で、なぜこのような要望が出てきたのかあっけにとられている』というトンチンカンな意見を堂々とのたまう人がいるようでは、たった一人の教職員の増配も望みうすらしい。

 文部科学省のいう、いじめ問題や保護者からの苦情への対応が学校現場を大変にしているのは間違いのない事実、何とかしなければいけないという切羽詰まった気持ちが教員増員という要求になったのだろうが、これでは結局は対処療法、根本的な解決策にはほど遠い。

 現場を大変に状況に追い込んだ本当の原因は、一部のご都合に合わせてコロコロ変わる教育政策によって、その矛盾が学校現場に押し寄せた結果だということを、文部科学省のトップ達はどこまで認識しているのだろう・・・と思ってしまう。

 以前には『ゆとりの時間』などと称した『授業』押しつけ、かえって『ゆとり』をなくさせたり、最近では、『学力』というものの議論をしないで、学力テストを強行など(私に言わせれば)意図的に現場を苛めているような方針を次々出してくるのだから、悲鳴が上がるのは当然だろう。

 つい20年ほど前の学校はかなり余裕があった。十分とは言わないが、子どもと一緒に遊ぶ事が好きな教員が放課後に子どもと過ごす時間があった。理解が遅れる子ども達を居残りさせて補習することも可能だった。夏休みなど自宅研修という制度をいかして、自分の専門性を高めようと、いろいろな研修会に参加する教員も多かった。

 それがどうだろう、現実にはそんな教員は皆無になってしまっているではないか。教員の質が落ちたのではなく、高めようとさせないようにしているのである。この事こそ緊急に話題にし、是非を論じる必要があると思うのは私だけではないだろう。

 バカ親が増えていることも現実だが、バカ親を増長させているのは教育委員会の無節操な『バカ親尊重施策』と断言しても差し支えない。親の理不尽な要求を弁護士を学校に常駐させるだの、明らかな暴行を『いじめ』と称して学内で対応するための教育相談員を増やしても問題が簡単に無くなるとは思えない。

 2万人の教職員の増員要求を間違っているとは言わないが、その前に学校現場に『ゆとり』を与えることが先決・・・。そのためにどうするかを『教育再生会議』あたりで真剣に議論してほしいのだが、メンバ-の顔ぶれを見たらこれは期待できないようだ・・・。(田舎親父)

2007年10月20日 (土)

これはス-パ-が少し可哀相では・・・

 先日、平塚のス-パ-で小学校3年生の男児がエスカレ-タ-の手すりと事故防止用のアクリル板の間に首を挟まれたという事故の報道があった。

 エレベ-タ-の事故が様々な事故が世間を騒がして、やっと一段落したと思ったら今度はエスカレ-タ-の事故が各地でおこっている。この種の文明の利器による事故は、一度おきると類似の事故が全国各地で発生するというから不思議・・・。

 各地でおこっているエスカレ-タ-の事故は、階段が引き込まれた時に履物の一部がはさまれるもので、足をしっかり保護している運動靴や革靴などを吐いていれば、まず起こりうることはない。

 事実、報じられている事故は女性や子どもがサンダルやゴム草履などでエスカレ-タ-に乗り、しかもおしゃべりに興じていたり、おりる時に一歩踏み出さなかったりという、いわば利用する時の最低限の注意を怠った場合が殆どである。

 それでも事故が起こると設置者の責任が問われるのがこの国の社会の掟らしく、エスカレ-タ-の保守管理に問題がなかったかなど、重箱の隅のまたその隅をつっつくように、なんとか管理のミスを探し出すのがマスコミのお家芸になっている。

 JRや私鉄の駅では『このエスカレ-タ-は・・・・』と分かりきったことや注意をエンドレスに流しており、空港では動く歩道でも『間もなく終点です・・・』と、煩いと思うほどしつこく放送を繰り返している。

 担当部署や設置・管理者も煩い事は十分わかっているのだろうが、事故が起きた時『対策不足』を指摘されたくない自己防衛手段だから(私もその一人であるが)やむを得ないと我慢している人も多いのではないだろうか。

 今回起きた事故はそれとはちょっと質が違う。何でも50円硬貨を階下に落したので、手すりから身を乗り出して下をのぞきこんでいたところ、エスカレーターの手すりとアクリル板との間にある約15センチのすき間に首を挟まれたという。

 一時的に意識不明になったが命に別状がないというから、ス-パ-でも一安心したのでは、と思っていた矢先、建築基準法で決められていたアクリル版の長さが20cm不足していた事が判明。今度はその事にマスコミが飛びついた。

 警察が大がかりな現場検証をしている映像を流し、建築基準法違法だとか、エスカレ-タ-が(エレベ-タ-で悪名を轟かした)シンドラ-社のものだとか大騒ぎ。さらに建築確認が、例の耐震強度偽装で名前を売ったイ-ホ-ムズらしいというから絶好の餌食・・・。

 ス-パ-としても、この建物を建てるとき、担当者が建築法に精通している人ばかりではあるまい。アクリル板の長さが20cm足りないなんて気づく人はいるわけがなく、設置者に任せたのだろう。そして、建築確認機関が検査し自治体検査も合格したという事で安心して営業していただろう。

 本当に20cmのアクリル板が安全基準に大きな影響があるのか、自分の目で確かめたくて近くのス-パ-のエスカレ-タ-を調べに出かけた。エスカレ-タ-をこんなに詳しく見たのは始めてだが、確かに階上の天井が近づくと、エスカレ-タ-脇に円筒がぶら下がっている。

 試しに手を出してみると、かなたの衝撃がある。これでは、もし知らずに首を出していたとしても瞬間に引っ込めるはず。さらにその上部には円筒に続いて手すりと15cmぐらいの間隔でアクリル板が固定されている。このス-パ-も階段の手すりとほぼ同じ、建築基準法的には20cm不足しているのだから違法であろう。

 しかし、手すりより20cm下までアクリル板がある必要はないように思える。素人の私には、何故20cmという基準を作ったのかよく理解できない。(失礼な表現だが法を作った担当部署は悪戯ででも腕でも出した場合のことを考えて、20cmぐらいにしておこう・・・程度ではなかったのだろうか。

 ス-パ-に責任がなかったとは言わないが、建築基準法違反が判明したから、全ての責任はス-パ-にあるというマスコミの騒ぎ方は賛成できない。建築確認を民間に任せてそのまま検査を合格させた市、それ以前に(倒産して今は存在しない)民間機関に安全確認をさせるというシステムを作り上げた『構造改革』と称する国の態度を問わずにである・・・。

 この男児の関係者が、ソレッとばかりに、ス-パ-相手に無理難題を要求することがない事をひたすら願う。(田舎親父)

2007年10月19日 (金)

世の校長よ しっかりして・・・

 北海道のバカ教頭がネットで児童ポルノの販売・児童買春という信じられない事件を引き起こした事はつい先日。

 たった一人の教頭の犯罪が、全国の教員全ての信用を落したことに憤慨したが、今度は九州の現職の中学校の校長が、こともあろうに自校の女子生徒をドライブに連れ回したというから、いよいよ世も末期、学校というところが子どもの教育をしているのか犯罪を教えているのか分からなくなってしまった。

 こんな校長が存在すること自体私には信じられないので、この記事を目にしたとき『えっ-、嘘だろう』という言葉を思わず発してしまったが、少なくともこの校長が自分の学校に通う女子生徒を車に乗せてドライブした事は、本人も認めているというから驚く。

 学校の権威を高めなければ最近続発している少年少女絡みの諸問題の解決はあり得ないと考えている私には、校長自らが『猥褻絡み?』のこのような事件を引き起こすとは許しがたく、言葉を選ばず表現させていただければ、まさに『市中引き回しの上火あぶり獄門』でもまだ足りないといったところ・・・。

 報道によると、鹿児島の中学校の56歳の校長がドライブの途中、女子生徒にセクハラ行為をした疑いがあるとして、同校の保護者らが市教育委員会や法務局などに調査を求めていることが分かったという。校長は全面的に疑惑を否定しているようだが、セクハラ云々はともかく、誰がみても校長の行為は異常。

 この校長は2年半前に同校に赴任、その時にスポーツクラブの副顧問として女子生徒を指導していたというが、鹿児島は赴任したての校長が副顧問として実際に生徒に指導するシステムになっているのだろうか、という疑問が頭をよぎる。

 ひょっとして、この校長は何か卓越した技能を持っており、自ら進んで指導したとも考えられない事はないが、それならばこの校長は自分の特技ということにこだわり、全体を見る意識がなかったのではと思えてならない。

 まして、『悩みを抱えているようだったので教育の一環として相談に乗った』と、本当に釈明しているとしたら、この校長は当時1年生の女子生徒が気になって、以来ずっとその女の子の様子を見ていたということになる。これでは昨日書いた長崎の女児を誘拐した大阪の20歳のロリコン男と本質的に変わらない。

 『悩みがあったら相談に乗るよ』と声をかけるのはよくある話。子どもが『校長先生から直接声を掛けてもらった』と感激して相談し、問題が解決したならば『教育熱心で愛情豊かな校長』という評価になるのだろうが・・・。どうもそうではないようだ。

 保護者の言い分を鵜呑みにする気はないが、女子生徒は保護者には『校長がしつこくドライブに誘った』と訴えており、学校にも登校していないという。しかも保護者が警察に被害届をだし、PTA側も校長の釈明を納得していないというから、校長の言い訳は通らないようだ。

 いつもなら教育委員会は校長に対して謹慎処分を下し、しばらく様子を見るのが常套だが、今回は慎重に事実を確認しているというから(セクハラ行為をした事はなかったとしても、ドライブに連れ出した事だけでも校長職を続ける資格はないと思うのだが)今回の教育委員会の対応は何か歯切れが悪そう・・・。

 前述したが、この校長にはある(例えばテニスかあるいはバスケット)種の運動技能に優れていたので抜擢した経緯があり、簡単に処分できないのではないだろうか。

 私の推測が当たっていたとしたら、こんな運動オタクを校長に任用した教育委員会の責任は逃れられない。すぐにでも何らかの処分をして校長職を解任、県あるいは市がどうしても必要な人材であれば運動部顧問的な仕事を与えるべきではないだろうか。

 もっとも、こんな事が明らかになった以上(例えセクハラ行為がなかった事が証明されたとしても)教員として信用も無くなって、運動部の顧問として進んで受け入れる学校はないだろうが・・・。(田舎親父)

2007年10月18日 (木)

またまたネット絡みの事件・・・

 またまたネット絡みの変な事件が発生した。

 長崎に住む小学校の6年生の女児が自分でブログを開いたという。ブログはほんの少しパソコンか携帯の機能を理解できれば、誰にでも作れるものなので小学生が作ること自体は当たり前、その是非などの議論はすでにない。

 ただ、ブログを開いた子ども達は、誰が読むのか、そして読んだ人がどんな気持ちになるのか、さらにこれを悪用する人はいないのだろうか・・・などと考えることは殆どないのが気になる。

 それは別にして、このブログを見た大阪の20歳の会社員が、感想というか女児が喜ぶようなことを書き込んだのだろう。それがきっかけとなってメ-ルのやりとりが始まり、結局は『家出』という事態に発展した・・・。

 男が女児のブログに書き込んだ内容は詳しく知らない。ただ、この男はこの種のブログを探していたようだから、少女に興味があった事はまちがいなさそう。所謂ロリコンという種族なのだろう。

 『私は寂しいので誰か声をかけてほしい・・・』などという文章を見つけ、早速女児の気持ちさも分かるような書き込みをしたのではないかと想像している。ブログというものは、相手から反応が楽しみになっている『道具』なので、子どもにとって、大人が自分を素晴らしいと言ってくれたら気持ちが舞い上がるのは当然。

 男としたら相手が12歳と知っていたらしいが、『獲物がひっかかった・・・』という意識で、言葉巧みに大阪においでと誘ったようだ。この女児はこの年代にありがちな自分の環境に物足りない気持ちで、ついついこの男が『自分を幸せにしてくれる王子さま』のように思えたのだろう(写真の交換もしたのかもしれない)どんどん見知らぬ男に惹かれていくという筋書き・・・。

 『探さないで』と書き置きをして迎えにきた男と一緒に大阪のマンションへ・・・男としては誘拐などという意識はなかったという。しかし、女児が自発的についてきたから『合意』だと、本気で思い込んでいたとしたら、この方がよほど恐ろしい。

 女児の方も『お兄ちゃんは悪くない』と庇い、家に帰りたくないと言っているらしいところから、この男と一緒に生活した8日間という生活は、女児にとって楽しかったに違いない。まさに自分が描くマンガの主人公になった気分で過ごせたというところか・・・。

 この事件のことも多分いろいろな方たちが議論されるだろう。ネットの恐ろしさや男の身勝手、あるいは女児の無軌道などを批判される事は予想できるが、私は(いつも述べることであるが)この女児の親の『考え方』や『躾のあり方』に問題があるように思えてならない。

 自分の子どもがブログを開いていたとは知らなかった・・・という言い訳が聞こえてくるようだが、私に言わせれば日常的な行動をチェックするのは親の義務だろうに、と言いたくもなる。その前に『携帯なんて簡単に持たすなよ・・・』とも思ってしまうのは考え方が古いのだろうか。

 新聞テレビの報道には(何を遠慮しているのか)この親を批判する記事はない。このような姿勢が続く限り、この種の事件はこれから物凄い勢いで増えることは間違いないと断定できる。

 繰り返すが、子どもを『殴ってでも躾ける』のは親しかできないこと。その事が一番大事であり、その事が徹底して始めて『子どもを守れる』という事を、マスコミは取り上げてほしいものである。

 さらにもう少し踏み込んで、学校の権威というか教員の権限を方向で番組を構成すれば親の考え方が少し変わり、それが少年少女の行動にブレ-キがかかるのではと思うのだが、所詮無知な国民を対象にした人気商売。期待する方が無理だろうな・・・。(田舎親父)

2007年10月13日 (土)

命の教育プログラムとはの議論を・・・

 『自殺サイト』というものがあるらしい。それも100以上あるというから驚き、恐ろしい世の中になったものである。携帯電話からインタ-ネットを利用すれば、簡単に開く事ができるというから、携帯さえ持っていれば誰でも可能ということになる。

 この『自殺サイト』に書き込んだ川崎の若い女性が、自分を殺してほしいと20万円払って『殺してもらった』というニュ-スに、馬鹿な事件と一笑に伏せない不気味さを感じる。この女性の親御さんの悲しみはいくばくのものだろうか・・・。

 報道を信じるならば、依頼されたて殺害したということになり、形の上では『嘱託殺人』となるが、斉藤という犯人はこの女性とはネットでしかやりとりをしていない、いわば見ず知らずの人間を(依頼されたことが本当だとしても)殺害できる神経が理解できない。

 この男は女性のアパ-トに出向き、睡眠導入剤を20~30錠飲ませ、ポリ袋をかぶせて窒息死させたという容疑で逮捕され、(取り調べに対して)平然とした態度で『最後までみとってくれ』と頼まれたからと供述、殺害した事を認めているという。

 調べでは、この犯人は自分で開設した掲示板に『デスパ』という名前で、自殺願望者の依頼に答える内容の書き込みをし、他の同じような掲示板にも『合法、違法を問わずどんな仕事でも請負います。復讐、薬、自殺幇助etc,何でも致します』などと自分を売り込んでいたという。

 実際に、書き込みのあった人たちに対してメ-ルでやりとりをして、睡眠導入剤を販売していたことがわかっており、この男から購入した睡眠導入剤で自殺をしていた人もいるというから、直接手を下していないながら、一体何人の殺害に関与していたのだろう。

 直接手を下したこの若い女性から20万円受け取ったが、実際には10倍もの金額を要求していたという報道に、まさに『金のためなら何でもやる』という、人間としてのモラルの一片もない精神の異常性を感じる。

 老々介護に疲れて、相手を殺害して自分も自殺という事件がかなり報道されている。この場合は(認めたくないが)何となく同情したくなるが、若い人たちが簡単に命を失うことを考えること自体、この社会は大きな欠陥を抱えているに違いない。

 例によってこの事件はテレビのワイドショ-で大きく取り上げられ、各分野の専門家と称する人たちが、いろいろなことを言っている。その人たちが『自殺サイト』そのものをなくすことが必要だと言っても、実際には不可能なこと。

 法律で、携帯電話そのものが単に電話機能だけにしか利用してはならない。あるいは一切の付帯機能をつけることはまかりならぬ、とでもすることができれば、現在問題になっている携帯に関する様々な問題は一時的には一挙に解決するだろうが、こんなことは無理なことは分かりきったこと・・・。それ以前に、法によってしか解決できないとなると、その社会はやがて瓦解することは明らか。

 それにしても、(私に言わせれば)こんな『くだらないサイト』書き込む人が後を絶たないという状況が気になる。単純に考えると、それほど多くの自殺志願者があるということ、この状況こそ大問題・・・。

 それだけ『命の大切さ』を本当に身につけていない人間が多いということだが、幼い時からの『命の教育』をないがしろにしてきたツケが、何倍にもになってのしかかってきたのではないだろうか。

 『命の教育』には『死の瞬間』を実体験させることがもっとも大切なのだが、残念ながら現在社会では、動物たちの命がなくなる瞬間を、できるだけ見たくない・見せたくないという感覚が働いている。

 牛肉は大好きだが、実際に牧場で草を食べている牛の肉だとは思っていないとか、カマボコやアジの開きが海を泳いでいる・・・などということを実際に信じている子どもがいるという笑い話、これを笑い話として笑って誤魔化している現代社会・・・。これこそ異常。

 今私たちか『生きていくため』に食している全てのものが『命』のあったもので、その命が失われた瞬間『食糧』になる事実を、できるだけ多くの機会を通して教えたいものである。

 きれいごとばかりの『命の教育プログラム』ではなく、本当に命の大切さを体得できる『命の教育プログラム』とは・・・という議論が今こそ必要だろう。(田舎親父)

2007年10月12日 (金)

日本という国全体が世界遺産・・・

 難しいだろうと言われていた石見銀山が、ユネスコの世界遺産に登録されたというニュ-スはつい3ケ月ほど前のことだと記憶しているが、そのことに刺激されたのか、各地の観光地は『我も 我も・・・』と自薦他薦で世界遺産への登録競争が激しくなっているらしい。

 つい先日も、水戸市が偕楽園・弘道館などを世界遺産に登録しようと準備を進め、これらを国内の世界遺産暫定リスト候補とするようにと提案書を文化庁に提出したという報道に、本当にあの程度で世界遺産に登録して良いのだろうか首を傾げたくなる。

 偕楽園が目指しているのなら、ひょっとして日本の三大庭園と言われている、兼六園や後楽園も登録を目指しているのでは・・・と思いネットで調べてみた。案の定というか予想通り、金沢市や岡山市でも同じような動きをすでにいたのには、やっぱりという思い。

 いずれも江戸時代の大名の居城とそれに付帯する藩校、あるいは一部特権階級の人たちだけのための庭園である。私は三つの公園とも訪れて、それぞれの庭園の持つ素晴らしさは理解できないわけではないが、世界の人々が共通して受け継ぐ文化遺産という点では、疑問符をつけざるをえない。

 では日光はどうなんだ・・・。という声が聞こえてきそうだが、日光とて徳川幕府の遺産という意味では同じようなものだが、あの建物群の装飾を担当した(させられた?)職人の技は日本を代表しているものと解釈すれば、それなりに納得する。

登録を目指している人たちには申し訳ないが、あの程度の庭園や城郭や藩校建物などが世界遺産として地球規模で保存しなければならないとなると、ちょっと違うだろうという気がしてくる。

 そんな事を思っていた矢先、今度は熊本県と地元が、ユネスコの世界遺産登録を目指す国内の暫定リストに『阿蘇』を追加掲載するよう文化庁に提案したとの発表に、どことも世界遺産という名前の争奪に必死なのだという想いを強くする。

 阿蘇は以前に『自然遺産』としてリスト入りを要望したそうだが成功に漏れたので、今回は、世界最大級の広大なカルデラ内に住む人々の生活も含めた『文化遺産』としてリスト入りを目指すという。

 阿蘇の雄大さは誰もが感じるところ。野焼きではぐくまれてきた草地や活火山としての火口丘、均整の取れた米塚の自然景観のほか、国の重要文化財に指定されている阿蘇神社、阿蘇谷の中央を通る豊後街道が持つ歴史など、『阿蘇火山との共生とその文化的景観』というコンセプトは共感できないことはない。

 富士山周辺の景観を『世界遺産』にという動きも最近活発となっていると聞く。私的には、偕楽園や兼六園よりも、阿蘇山とその周辺や日本を代表する景観である『富士山』の方が『世界遺産』にはふさわしいと思うが、気持ちの中にはそれほどの盛り上がりを感じない。

 『世界遺産』に登録されることは名誉には違いないが、私に言わせれば『日本』という国そのものが、まさに『世界遺産』。都心部は別として、全体がこれほど自然豊かな国は他にはなく、これほど不思議な歴史を持つ国も他に例がない。

 地域ごとに、互いを牽制し合ってチマチマと『世界遺産』に登録するための運動をするのではなく、国そのものを登録しようという発想がないのが悲しい。(田舎親父)

2007年10月11日 (木)

どこに消えてしまったのでしょうね・・・

 成田、関西両空港の駐車場に計250台の車が長期間放置されおり、徴収できずにいる駐車料金が少なくとも計約7000万円にのぼることが、会計検査院の調べでわかったという記事が目についた。

 こんな事が会計検査院の調べで指摘されるとは、空港関係者は何をしていたのかと疑ってしまう。しかも5年以上も置きっぱなしにしなっていた車もあるというから、訳が分からない話である。

 一応システム的には、事前の届け出なしに20日以上駐車したままの場合、事件とかかわりがないかを警察へ確認し、運輸支局の登録情報をもとに所有者に内容証明郵便を送るらしいが、この流れがどこかで滞っていたとしか思えない。

 恐らく、空港管理会社自体がお役所日の丸的な体質を持っているので、通知する部署とその後の処理を知る部署が全く違い、互いに干渉しないという鉄則があったのではなかろうか。それが、あまりにも続いていたのでついに会計検査院が指摘した・・・という筋書きに違いない。

 空港側の言い分は、他人の財産である車の売却や廃棄できないとのことだが、数カ月あるいはそれ以上、も明らかに放置してある物を財産ということ自体、私のような善良な市民には納得しかねる。

 以前、盗まれた自転車犯人が山の中に放置し、その自転車を自宅に持ち帰って改良していたところ、持ち主が発見。裁判沙汰になり、持ち帰った人が窃盗犯として有罪になったという記憶がある。

 それ以後は、放置されている自転車にも所有権があるというのが定説になり、清掃にも気を使うとボランティアの人たちは嘆いていた。また、ゴミ集積所に置かれた物にも所有権があるという考え方が一般的になったのもある意味変な話で、使えるものがあれば持って行ってもらった方が、ゴミが減るのではと考えてしまう・・・・。

 放置されている車を見る事は多い。数カ月もほったらかし、中にはプレ-トまで取り去った車まで見受けることもある。

 素人の私には、ナンバ-プレ-トを外しても車体番号などで所有者はすぐに割り出せると思うのだが、実際にはそこまで調べて所有者を割り出したり連絡したりした様子がないのが気になる。放置車に所有者の住所や氏名を明記したステッカ-など張れば、放置する輩はかなり減るだろうが・・・。

 今回の会計検査院の指摘を受けて、空港では入庫後3カ月以上引き取りに来ない場合に車を処分する手続きを始めることを決めたというが、3ケ月も放置する必要はあるまい。もしその車が盗難車であった場合、速やかに所有者に返還できるはずだから・・・。

 もっとも所有者が盗難を装って放置する場合も多いと聞く。放置した車が自分のものであっても、盗難にあったと主張するのだろうが、盗難届けを出す事を義務づけることによって、盗難車と装うことをある程度防げるのではないだろうか。悪知恵のある輩は、知らない間に盗まれたと逃れるのは言うのは目に見えるが・・・。

 空港に放置されている車もだが、道路を駐車場代わりに使っている車も多い。中には明らかに道路だと思われる場所に、あたかも自分のガレ-ジのごとくシ-トをかぶせてある車さえ見受けられる。

 駐車する場所がなくても販売会社が用意してくれる日本の車の販売方式では、路上駐車は増えることはあっても決して減ることはないだろう。トヨタなど世界で売り上げ一番だ二番だと自慢する前に、このようなモラルを低下させるような販売方法をやめることが大事だと思うがいかがだろう・・・。

 そう言えば、路上駐車を取り締まる人たちの姿を最近見る機会がない。あの人たちはどこで仕事をしているのだろう。警察関係者の天下りのためだったとは思いたくないのだが・・・(田舎親父)

2007年10月 9日 (火)

凄い教頭がいたもの・・・

  凄い教頭が存在するものだ。

 札幌の小学校の54歳の教頭が、こともあろうに児童買春回春・児童ポルノ禁止法違反で逮捕という報道に『また教員か・・・。いいかけんにしてほしい』と思ったが、その内容を読んで、しばし身体が硬直して、アッと発した悲鳴で開いた口がふさがらなかった。

 最近の教育情勢では、教育管理職になり手が少ないらしく、教頭や校長は比較的広い門だといわれているが、それにしてもこんな人間が教頭試験すり抜けて、何年間も管理職を勤めていたと思うとゾッとする。

 細田という54歳になる札幌市の小学校の教頭だが、普段の勤務態度や振舞いはごく普通。以前から知っている人たちでも『まじめな教員』で一致し、誰も『裏の顔』に気付いていなかったという。

 教頭職になるためには単に論文試験に合格するだけではなく、教員として勤務していた当時の学校の校長などの推薦が必要。この男を教頭に推薦した人たちの驚きは大変で、自分達にも事情聴取があるのではないかと恐れおののいているのではないだろうか。

 教育委員会もまさに『想定外』のこと、どうしたら良いのか頭を抱え対応に苦慮しているに違いない。(もっとも教育委員会の体質では頭を抱えても妙案が出るわけはない。たかだか各学校に通達するのがオチだろうが、内容が内容だけに表現が大変だろう・・・と今度ばかりは同情する)

 当該校の校長もびっくりしただろう。『朝は7時前に真っ先に出勤し、遅い時は午後8時に退勤していた』というコメントはちょっとピンボケの感がするが、自分の部下がこんな問題を起こしているとは考えられないのだから仕方なかろう。

 少なくとも教頭が逮捕されたとなるとその理由を子ども達に話さなければならない。中学生や高校生生なら、ある程度具体的な話しも理解できるだろうが、小学校の場合6歳から2歳までの年齢差、理解能力が全く違う子ども達にどのように伝えるのか、その苦労の大変さに同情したい。

 少しでもポルノや買春という言葉を使えば、すぐ低学年の保護者から苦情がくるだろうことは想像に難くない。といって、高学年の子ども達はある程度内容がわかっているだけにことばを選ぶのに苦労するだろう。もっとも『校長先生も大変だね』と子ども達もわかっているはずだから、ふう-んという顔で聞き流してくれるかもしれないが・・・。

 それにしてもこの教頭、十数年前からインタ-ネットに猥褻写真を投稿していたというが、よくぞ時間があったものだ。本人が直接関係した少女たちの映像もあったというから私には想像すらできない生活ぶり・・・。驚愕に値する。

 ふと疑問に思うのは、この男には家族がなかったのだろうか。独身の教頭や校長も存在するが、私の知る限り数は少ない。これは教育委員会が管理職に任用する時、家族のことはかなり念入りに聞き取り調査をする関係だと理解している。

 個人的な事情はともあれ、教育界に与えた衝撃は大きい。この一人の変質者といってよい教頭のため、教頭はもとより校長や全ての教員が同じような体質を秘めているように思われてはかなわない。

 わけの分からない保護者が多い中、『馬鹿親達』が自分のことは棚に上げ『学校が悪い』とか『教師が気に食わない・・・』とか叫びだす姿が目に浮かぶ。それに対して、また卑屈に頭を下げ続ける教育委員会の幹部や校長達が哀れで仕方ない。

 教員免許状の書き換え制度も決して間違っていないと思うが、質の高い教員、指導力の優れた教員を輩出するためには、制度教育改革だけではなく、明らかに『悪い親や子ども』に対して強く指導できる権限と環境を整えることだと確信する今日である。(杉)

2007年10月 8日 (月)

何でも裁判と気になる判決・・・

 『幼児の騒ぐ音は我慢の限界を超えていた』として、マンションの上の界に住む住民に36万円の支払いを命じたという判決に、いよいよこの国は住みにくくなったものだと暗澹たる思いがする。

 このところなんでも裁判、という考え方が日本人にも蔓延し、ささいなことでも訴える人が多くなったようだ。以前この欄でも、公園のベンチから子どもが落ちてそばにあった枝でけがをしたのは市の責任だという裁判について書いた記憶があるが、市の責任を論じる前に、子どもから目を離した自分の態度を考えるのが先だろうと言いたくなる。

 マンションに住んだ経験がない私には、上の階の幼児の走り回る音がどれぐらい煩いのか正直見当がつかない。そんな人間がどうこう言うのは不謹慎と思われるかも知れないが、裁判に持っていく前に何とか解決の方法がなかったのかと思ってしまう。

 報道によると、訴えた住人はマンション1階に住んでいたが、後から入居した幼児の家族が2階に引っ越してきて以降、幼児が室内を走り回ったり跳びはねたりする音に悩まされるようになったという。

 鍵一つで完全に自分の世界に入れてしまうマンション生活では、どうしても隣近所のお付き合いが疎遠になる事は想像に難くない。まして階が違う住民どうしのコミュニケ-ションがとりにくいのは当たり前だろう。

 よほど腹に据えかねたから訴えたのだろうから、我慢の限界を超えていたのだろうとは思うが、訴えられた方は、マンションという建物はコンクリ-トの塊、音など漏れるはずがないと思っていたとも考えられる。

 裁判所が階下の住民の訴えを是として、36万円の支払い判決。まあ仕方ないとするが、公園の噴水で遊ぶ子どもの声が騒がしいからといって、噴水差し止めという判決には、ちょっとおかしいのではと首をひねる。

 『西東京いこいの森公園』という総敷地面積4.4万平方メ-トルという広い公園の一角に、2年前に作られた噴水がその争点だという。この噴水は複数の噴水口から水が断続的に噴き出す仕組みで、水の間を縫って遊べるようになっているらしいから、子ども達には最高に面白いだろう。

 大声を出して嬉々として遊んでいる子ども達の姿を思い浮かべることができる。平面のようだから走り回っても安全。親も安心して遊ばせてきたのではないだろうか。それが突然ストップとなると、それでなくても日頃から子育てに苦労している親にとってはショックに違いない。

 訴えた住民は恐らく以前からこの地域に住んでいる人だろう。静かな環境だったが突然噴水ができて子どもの大声が聞こえるようになって気分が悪くなる。きっと思い込みの激しい人に違いない。

 子どもの声が少しでもすると気分が悪くなるという悪循環に陥り、我慢できなくなって訴えおこしたようだが、もう少し広い心が持てないものだろうか・・・。また、市当局も噴水の設置の時、まわりの住民にどこまで説明したのか疑問にもなる。そして問題が発生した時、この方の心のケアを申すこし以前からできなかったものなのだろうかと残念でならない。

 都環境確保条例の騒音規制では、この地域の午前8時~午後7時の基準値を静かな事務所内に相当する50デシベルと定めており、市が観測したところ、噴水で遊ぶ子供の声は就眠の自宅付近で60デシベルと、基準値を超えたという。

 50と60でどのぐらい違うのかよく理解できないが、50では良、60ではダメ・・・という裁判所の考え方もきにならない事はない。数値でしか判断できないことは理解できるが『ちょっと待ってよ』と言いたくなってしまう。

 二つの騒音に関する判決に、いよいよ住みにくい世の中になったものだと悲しんでいるのは私だけだろうか・・・・。(田舎親父)

2007年10月 7日 (日)

民主党 お前もか・・・

 福田内閣が発足して10日あまり、総理大臣就任早々に『政治とカネ』のスキャンダルが明らかになり、マスコミが大騒ぎするかと思っていたが、早々に『ごめんなさい。汗顔のいたり・・・』と一見真摯な態度で謝ってしまったのは『タヌキだなあ・・・』とある意味呆れ、反面さすがと感心してしまう。

 さらに、自分が代表の政治団体が、北朝鮮のシンパと目されている遊戯業界の大物から、違法な献金を受けていることが明らかになったという報道に、事実だとしたらとこの御仁はどんな感覚をしているのだろうと呆れる。

 拉致問題の解決が行き詰まっている中、こともあろうに総理大臣が拉致している国のシンパから献金を受けていたとは・・・。この一事で『拉致問題』の解決は不可能ではと誰もが考えてしまうほどの大事件なのに、マスコミはあまり騒がないのが気になる。

 しかもこの方は、総理大臣就任そうそうの記者会見で『政治とカネ』の問題をはじめとする政治不信の解消を内閣の第一の課題として指摘、任命した各閣僚に対し、関係政治団体の政治資金収支報告書や領収書の再チェックを指示したばかりだったというから、その責任は重大なはずだと思うのだが・・・

 オボッチャマと揶揄していた安倍内閣では、次々とカネまみれの閣僚が出現、その度にマスコミはセンセ-ショナルな報道を繰り返していたのに、今回はむしろ首相を擁護弁護しているとしかとれないような扱いは、裏でマスコミを操作している勢力の存在をうかがわせる。

 野党の反応も鈍い。何かこの問題に触れてはいけないと約束事ができているのではないだろうか、とさえ勘繰ってしまう。

 そんなことを思っている矢先に、民主党のズウズウ弁で人気がある最高顧問の元副議長のカネにまつわる報道。自身の政治団体が12年間、元秘書の自宅マンションを『主たる事務所』として届け出、その間の事務所費などの経常経費が約2億円弱のカネを誤魔化していたという報道に『民主党ヤッパリお前のか・・・』という思いがする。

 渡部元副議長は、時をおかず『私の政治団体の収支報告について大変残念な事実が判明した。責任を明らかにしたい』と述べ、『政治家として恥ずかしく深く反省している。管理責任があることは明らかで、支持者、国民の皆様に慎んでおわび申し上げたい』と謝罪。即時に党の最高顧問を辞任するという『けじめ宣言』は潔いといえば潔いとは思うが、はたしてそれで責任をとった事になるのだろうか。

 民主党は自民党に圧力をかけるために、政治資金に対して1円からの領収書添付という法案を提出するらしいが、自分の身内(しかも最高顧問という立場)がこのような不始末をするのだから、説得力はあまりなさそう。

 もし民主党が本気で『政治とカネ』を追求する姿勢があるのなら、その強い意志を国民に知らせるためにも、最高顧問を辞任するだけでなく議員を辞職して自ら謹慎するぐらいの気構えがほしいものだ。

 これほどの人気のある方、一旦辞職しても次の選挙では当選する事は確実だろうから、議員辞職などはまさに蚊に刺されたようなもの、痛くもかゆくもないだろうに・・・と思ってしまうが、議員に執着するのはよほど『うま味』があるのだろう。

 自民党は何とか国民の目を欺こうと、チェックするための『第三者機関』を設立なんて姑息な逃げ道を考えているようだが、会計簿をいつも公開できる状態にしておけば済むことであって、第三機関など全く必要ないことは明らか。

 民主党も1円から領収書添付などという馬鹿げたことを国会で議論する暇があったら、先日の長妻議員が代表質問で指摘した69項目もの膨大な問題点を、さらに精査し解決する方向に力を入れてほしいものである。(杉)

2007年10月 6日 (土)

教師の体罰報道について

 またまた『東京の中学校で教員の体罰が明らかになった』との記事。マスコミ報道だから、どこまで事実かは断定できないが、教育委員会の発表として『1年生の男子生徒が6時間目の授業後、同校プール脇の女子更衣室に入るなどして騒いでいることに気付いた教諭が注意したが、その際、生徒3人のほおをたたき、2人については足をけるなどした。そのうち1人は口の中を切るけがをした』という。

 確かに、体罰は禁止されているという建前からみたら、教員のとった行動は非難されるべきだろうが、いつものことながら教師側からみた事実関係や背景などなど一切報じないのが気になっている。

 叩かれた男子生徒、普通の感覚では『女子更衣室に入ったことは恥ずかしい』という気持ちになって『先生ごめんなさい』という気持ちになると思うのだが、最近は少しでも身体に触れると、自分がやっていたことに対しては全く反省なく『体罰』と全くの問題のすり替えが同然と思ってしまう傾向が恐ろしい。

 子どもを人間として正しい未知に導くのが教師の仕事、子どもが間違った事をした場合厳しくしかるのは当然であるが、最近の世の中は社会的地位にある人間が平気で悪い事をやっており、それが子ども達の間にも当たり前として受け取られるようになっているものだから、口先での『指導』が全く役立たなくなったしまっている。

 一昔前までは『世間さま』が存在し、そんな事をやったら『世間さま』に笑われるという意識。親の方にも子どもの行動が明らかになると『世間様に合わす顔がない』と、逼塞し社会に対して反省の態度を表したものだが、現在はそんな感覚の親は皆無になってしまっているようだ。

 状況がわからないからないともいえないが、突然捕まえて思い切りぶん殴るなんてことは、最近の教師はまず絶対にないと信じている。(昔は、問答無用とぶん殴る教師はいたことは否定しないが、最近の教師は昔に比べて体罰に関しての意識が徹底し、また処罰が頭をよぎるのでその行為に走る教師は殆どいないと言ってもよいはず・・・)

 この教師は子ども達に口できつく指導したに違いない。そのとき子ども達の態度に反省がなかったのか、それとも日頃から態度が悪かったのか、教師は我慢の限界を超えてやや手荒に熱かったのだろうと想像している。

 『昔の悪ガキ』ならば叩かれたことなど親には絶対に話さない。女子更衣室にもぐり込んだ事などがわかると、それこそ親から叩かれるどころではすまなくなるのが当たり前。

 それが家庭の指導力だったはずなのに、この子ども達の親は叩かれたことを聞いて、子どものやった事など不問にして、すぐ学校に抗議の電話か乗り込んできたようだ。学校なら何とか校長の力量で上手く済ませられただろうから、教育委員会に『うちの子が、教師に殴られて大怪我をしました・・・』ぐらいの言い方をしたのではないだろうか。

 びっくり仰天の教育委員会、すぐ校長に電話して『直ちに教員を連れて謝罪しろ』と命令。そして夜に、校長は副校長と教員を伴い親の自宅に謝罪行脚というところか。殆どの場合これで済むはずなのに、親の一人が新聞社にでも電話したのだろう、そして大騒ぎになったという筋書きだろう。

 教育委員会はお決まりの『学校には体罰はあってはならないと指導してきただけに、まことに遺憾。生徒の心のケアなどに対し、誠意を持って対応したい』というコメントには呆れてしまう。これではすべて教師が悪い事になり、自分がやった女子更衣室に忍び込んだという犯罪行為に対して一変の反省など無くなるのが当たり前。

 これでは教育委員会や学校が犯罪の温床を作っているようなものではないだろうか。

 体罰は悪いという前提は理解できる。親に謝る事も良しとしよう。しかし、後日でもかまわないから『親を学校に呼んで』、校長から『あなたの子どものやった事は犯罪ですよ。教師も罰せられたのだから、警察に報告します』というぐらいの指導はほしいものである。

 それ以前に、世間さまの権威をもう一度構築し直し、学校や教師を信頼する雰囲気をつくる事が大切だと思うのだが、自分に反対する意見に対して『小人のざれ言』なんていう輩が大臣をしているのだから、これは無理か・・・。(杉)

2007年10月 5日 (金)

小人とは自分のことなの?・・・

   社会保険庁職員の年金保険料の着服・不正受給問題で、『市町村は社保庁よりも、もっと信用ならない』などと発言したマスゾエ大臣はよほど自分の権力欲に酔っているようだ。

 『銀行は信用できるが役人は信用できない・・・』とも発言しているようだが、銀行の中にも不正をしている奴はおり、役所の中にも一生懸命毎日の職務に専念している人もいる事を忘れていただきたくないものである。

 いやむしろ、役所の職員の殆ど全員はまじめに勤めているのだが、ごく一部の不心得者が目の前に置かれたカネの誘惑に負けてちょろまかしてしまう。

 もともと器用でない役人が誤魔化しているのだから明るみに出るにそう時間はかからない。上手く誤魔化し続けられた奴はともかく、わずかの金額を誤魔化したばかりにお払い箱という例が後をたたない。

 公務員の犯罪はことさらマスコミの絶好の餌食。教員や警察官となると、その叩き方も半端ではなく全員が犯罪者のごとく、また職場がその温床になっているような報道をこれでもかとばかり続けて、国民に『だから○○は・・・』と印象づけている。

 公務員の肩を持つわけではないが、誤魔化している輩は組織の中ではごく一部、それを公務員全員が誤魔化している、というような発言は、大臣として情けない。というより失格と言っても過言ではない。

 この発言に、いくつかの自治体の首長が『ちょっと待て。こんなこと大臣の口から言われると職員の志気に問題』とばかり反発。さらに、『国の責任転嫁』や『この発言が年金全体の不信感をさらに招く』ともう抗議、同調する首長も増えているという。

 確かに社保庁の職員より信用おけない、となると自治体の首長として黙っておけないのは当然。どうして年金徴集業務を自治体が引き受けるようになったかは知らないが、年金を社保庁が一括して扱うと決めたのは政府であることから、今更自治体の職員は信用できないという発言は、間違いなく『責任転嫁』である。

 それはともかく、この抗議を受けたマスゾエ大臣は『私に対して言うよりも、不正を働いたところの首長に言いなさいということだ。小人のざれ言に付き合う暇があったら、もっと大事なことをやらなければいけない』とのたまったという。

 これは大問題。この発言は誰が見ても『お前ら、ガタガタ言うのじゃねえ。信用できないからそう言ったまでだ。文句があったらお前らで勝手に喧嘩しろ』と突き放した言いぐさ。大臣としての品位もなにもない。

 百歩譲って、ここまでは許すとしても『小人のざれ言につきあう暇があったら・・・』傲慢を通り越して『おれば権力者だぞ お前らのようなザコではない』との、権力亡者の態はいただけない。

 善意に解釈すれば『あなた方はお忙しい身、私のような小人のざれ言につきあっている暇はないでしょう・・』という意味ともとれない事はないが、この御仁の心には『お前らのような小人のざれ言・・・』いう意識があるのは明らか。

テレビにでまくり状態で、役所の職員や公務員の悪口を、勇ましく吹いていれば人気が出るのだから傲慢になるのは当たり前かも知れない。

 苛められる事が快感にさせられたしまった国民は『強い言葉を言う人が自分の味方』と調教されているので(郵政民営ばかり強い言葉で言い放った小泉元首相の例にある通り)この男が、あたかも自分達の夢をかなえてくれるような幻想を持ってしまっている。

 自治体を脅かして今更刑事告発させるより、何兆と誤魔化してきた社保庁の幹部達と未だにそいつらを野放しにしている国の責任を追及するのが大臣の勤め。

 いつの間にか問題をそらせるのはこの種の人間の常套手段。そろそろ国民はこの男の本質を見抜き、何をたくらんでいるかを知る努力をしないと、今以上に悲惨な社会がやってくると心配しているのははたして私だけだろうか・・・。(田舎親父)

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